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社会科における東南アジア認識の問題

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社 会 系 教 科 教 育 学 会『 社 会 系 教 科 教 育 学 研 究 』 第10 号 1998 (pp.47-54)

社 会 科 に お け る 東 南 ア ジ ア 認 識 の 問 題

The Problem of Misunderstanding of Southeast Asia in Social Studies

横 井 香 織

(静岡市立東中学校)

1 。 は じ め に 近 年 , 日 本 と 東 南 ア ジ ア と の 関 係 は, 緊 密 化 し て い る。 そ れ は貿 易, 企 業 進 出, 人 的 交 流 , 情 報 量 と も戦 前 期 に 比 べ て 増 加 し た こ と に, 如 実 に 現 れ て い る。 し か し , 我 々 の 東 南 ア ジ ア に対 す る 理 解 が 深 ま っ た か と い う と , 戦 前 と あ まり 変 わ っ て い な い こ と が 指 摘 さ れ て い る1)。 本 稿 は, こ の 東 南 ア ジ ア 理 解 の 問 題 に, 地 理 教 科 書 の 東 南 ア ジ ア に 関 す る 記 述 内 容 の 分 析 か ら迫 ろ う と 試 み た も の で あ る。 東 南 ア ジ ア理 解 につ い て, 教 科 書 記 述 か ら検 討 し た も の に, 清 水 元 氏 の 研 究 が あ る2 )。 清水 氏 は, 明 治 中 期 か ら大 正 末 ま で の地 理 教科 書 を取 り 上 げ, 東 南 ア ジ ア 地 域 の 取 り 扱 い 方 の 変 化 を , 地 域 分 類3 )や 位 置 か ら分 析 し て い る。 そ し て 次 の よ う な 結 論 を 引 き 出 し て い る。 ①  第 一 次 大 戦 を 契 機 と し て 匚南 洋 」 地 域 概 念 が 変 容 し, 今 日 の東 南 ア ジ ア に ほ ぼ 匹 敵 す る 厂外 南 洋 」 と い う 地 域 概 念 が成 立 した。 これ に伴 い, 第 一 次 大 戦 以 降, 小 学 校 の地 理 教 科 書 に お い て 匚東 南 ア ジ ヤ」 と い う タ ー ムが 使 わ れ る よ う に な っ た。 ②  こ の時 期 に 小 学 校 地 理 教 科 書 にお い て 成 立 し た 匚東 南 ア ジ ヤ」 地 域 概 念 は, こ の地 域 へ の 日 本 か ら の強 い 利 害 関 心 と 膨 張 主 義 イ デ オロ ギ ー を 放 射 し て い た。 そ の 意 味 に お い て , こ の 地 理 教 育 は1930 年 代以 降 の昭 和 「 ̄軍 国 主 義 」 へ の 時 代 へ と 直接 つ な が っ て い た。 ③  戦 後 日 本 で 普 及 し た 厂東 南 ア ジ ア 」 は, 厂東 南 ア ジ ヤ」 概 念 と は別 物 で あ り, ア メ リ カ の 世 界 戦 略 の 一 環 と し て の対 ア ジ ア ・ 東 南 ア ジ ア ・ 日 本 政 策 と い う ス ク リ ー ンを 通 し て 投 射 さ れ て き た も の で あ る。 ④  ど ち ら の 地 域 概 念 も, 現 地 を 内 在 的 に理 解 し よ う と す る 観 点 を ほ と ん ど 欠 落 さ せ て い た た め に , 東 南 ア ジ ア の 地 域 と し て の 統 一 性 を 示 す に 足 る地 域 概念 と して 熟成 さ せ る こ とが で きな か っ た。 こ の研 究 は, 戦 前 期 の 教 科 書 に お け る東 南 ア ジ ア地 域 概 念 の 変 遷 を 切 り 込 み 口 と し て, 近 代 日 本 の 南 進 論 や 南 進 政 策 を 論 じ た画 期 的 な も ので あ る。 し か し 社 会 科 の 地 理 学 習 に お い て 地 域 認 識 を 問 題 に す る場 合 に は, 東 南 ア ジ ア の地 域 範 囲 や 位 置 だ け を 対 象 に す る の で は 十 分 と は い え な い。 東 南 ア ジ ア の ど の 社 会 事 象 を , ど う い う 視点 か ら ど の よ う に取 り 上 げ て い る か と い う と こ ろ ま で 検 討 す る 必 要 が あ る4)。 以 下, 戦 前 期 の 地 理 教 科 書 と 現 在 使 用 さ れ て い る 中 学 校 社 会 科 地 理 教 科 書 の, 東 南 ア ジ ア記 述 を 分 析 , 比 較 検 討 し , 教 科 書 の 記 述 に 内 包 さ れ て い る 東 南 ア ジ ア認 識 の問 題 を 明 確 に し た い。

2。戦 前期 の地理 教科書 におけ る東南 ア ジア

ここで は, 戦前 期 の地理 教科 書に見 ら れる東 南

ア ジア記述内 容 の分 析, 検討 を 行う。記 述内容 の

分 析 は, 知識別 分類5)と キ ー ワ ード分 類6)に よ っ

て行 ったO 表 1, 2は, その結果を 示し た もので

あ る。

まず表 1 の知 識別分 類か ら見 ると, 戦前期 の地

理教科 書で は,気 候や地形 ,地 域区分 を示 した記

述 と, 農業 や資 源とい った産業 に関 する記述 に多

く のペ ージを 割 いてい ることが わか る。 特 に東 南

ア ジア地 域 の主 要特産 物で ある米 や ゴムに関し て

は, ど の教科書 におい て も絵図 や写 真を 掲載し て

紹介 して いる。 しかし そ の記 述 は, 記述的知 識 や

分析 的知識 の数字 が示 してい るよ うに, 断片 的な

社会事 象 の羅 列 にとど まって いる。

― 47 ―

(2)

表 1

東 南 アジ アに関す る教科書 記述 の知識別分 類

分 野

内 容 分類

記 述 内 容

記述的知識 分析的知識 説明的知識 概念的知識 価値的知識

合計

自  然

気 候 ・ 地形

55

2 0

7 9

歴  史

・ 侵略・ 植民 地

2 5

1 3

4 0

文  化

民 族 ・ 宗 教

2 7

3 7

産  業

農 業

5 0

2 4

79

資 源

3 5

1 4

4 9

工 業 化

主 要都 市

3 0

3 8

地 域と の

結 びつ き

交 通

1 0

1 5

日本と の関係

1 5

合      計

2 4 1

9 8

1 4

3 5 3

表 2 戦前 期地理 教科書 にお ける東南 ア ジア記述内 容 のキ ーワ ード分類

東 南 ア ジ ア

地 域

項  目

牛    −    ワ    ー    ド

自   然

熱 帯, 乾湿二 季, 高 温多 湿, 肥沃 な平野

歴   史

1頷 4保 護地( 仏印),山 田長政・ 日本人 町( シャ ム)

,立憲王 制( シ ャム)

民族・言語・

宗教

印 度支那 族, 支那 人, 印度人,馬 来 族

仏 教,回 教

産   業

米, チ ー ク材, 錙, 石油, 鉄

主 要 都 市

首 府 ハ イ ノ・ ト ン キ ン・ ハ イ フ ォ ン・ ア ン ナ ン・ ユ エ ・ サ イ ゴ ン( 仏 印) , 首 都 バ ン コ ク ( シ ャ ム)

交   通

鉄道,海運, 世界交 通 の要 衝( シ ンガポ ール)

日本との閔係

移住邦人 ,日本商品 の好 市 場, 経 済上緊 密, 寄港 地

自   然

熱帯, 高 温多 雨, 火山, 森林 に富 払

熱帯 植物

歴   史

オラ ンダの経営根 拠地( ジ ャワ)

, 米 頷( フィリピ ン)

民族・言語・

宗教

馬 来人, 移 住支那 人, 蘭 日の移住民

馬来 語, 蘭語   回 教

産   業

南洋 の宝 庫( ジャワ), 石油, ゴム, 籐, 米, コーヒ ー, 規那, 砂糖, コプ ラ, マニ ラ麻 , 茶,椰子, 香料,煙 草

主 要 都 市

バ タビ ア・ ス ラ バ ヤ( ジ ャ ワ), 首 府 マ ニ ラ・ ダ バ オ( フ ィ リ・ピ ン), サ ン ダカ ン( ボ ル ネ オ)

交   通

海運

日本との関係 邦人経営ゴム園,在留邦人,日本商船寄港地,密接な経済関係

次 に表 2を基 に記述 内容 の検討を 試 みたい。

戦 前期 の地理 教科書 において「 東南 ア ジヤ」 と

い う地 域名 は, 1919 (T8) 年 か ら 使用 さ れて い

る7)

。 し かし,「東 南 ア ジ ヤ」 と して の地 域 的 特

色 には ほとんど触 れら れて いな い。 第一 次大戦 に

よ る日本 の南洋 群島委 任統治 で,政 策上, 地域 概

念 の転 換があ った ものの, 教科 書 にお いて は大陸

部 東南 ア ジアで あ る「 印度支那 半島」 と, 島嶼部

東 南ア ジア の に馬来諸 島」 を, 形式上, 一 まと ま

り と し て 括 っ た に す ぎ な い。 質 的 に も一 ま と ま り の 地 域 と し て 捉 え た 記 述 が 登 場 す る の は, 1936 (Sll) 年 の南 進 国 策 化以 降 で あ る 南 進 国 策 化以 前 , つ ま り 東 南 ア ジ ア を 厂印 度 支 那 半 島」・「 馬 来 諸 島」 と い う 2 地 域 と捉 え て い た 時 期 の 教 科 書 で は, こ の地 域 の国 々 の地 形 的特 徴 , 植民 地 宗 主 国 , 主 要 農 産 物 や 鉱 産 資 源 , 主 要 都 市 と そ の特 徴 な ど の 内 容 が, 淡 々 と記 述 さ れて い る。 そ し て,て 日 本 人 の 護 謨 植 林 等 存 在 し 」8 )と い っ

(3)

-48-た記述や

「邦人在住者は

七千人に近く

,商業・

業に従事

して

いる

」9

「我が国人もこの

地に在

て各種の事業に従事

,また我が商品の好市場と

して我が国との経済的関係も密接である

」lO

とい

う記述に見られ

るような

,日本の経済的進出に適

した地域であることを強調する文脈に

つなが

って

いる

。政策が教科書記述に反映す

という傾

向は

南進国策化以降の教科書では

一層顕著になって

。たとえば

,東イン

ドは

「ほ

とんど全部わが軍

に占領

され

,以来住

民は

,日本の

力に導かれなが

,希望にみ

ちて働

くや

うにな」11

≒た

,という

軍事的進出を肯定的に捉

えた記述や

,フィリピン

の住

民は

「いっぱんに従順な性質

を持っています

から

,今後日本

人の指導を受けて

,なまけやすい

欠点も

,次第に改めて行

くであ

りませ

う」12

とい

「大東亜共栄圈

」構想

と直結

した記述がそれ

該当する。

この

ような

日本の南進政策を前提

とした記述内

容では

,到底東南アジア諸国の人々の実像は見え

てこない

。そればか

りか

,日本の南進政策に都

よい情報だけを記載

したために生

じる誤解や偏

見から

,実際の

東南アジアとは異なるもう

1つの

東南アジア

を作

り出

しかね

ないの

である

Oその具

的な事例

「印度支

那半島」の記述で大きな

割合

を占めていた仏領イン

ドシナ

を例に指摘

して

おきたい。

1は

,明治か

ら大正期の仏領イン

ドシナ社会

の構造

を示

したものである呪このモデル

,表

2のイン

ドシナに関す

るキ

ワー

ド及び教科書の

文面とを照合する

,明らかに誤って捉えられ

個所がある

。それ

は民族の

捉え方である

。教科書

の記述の

多くは

,アンナン人やシャム

人と同列に

「支

那人

」を捉えている。しか

し,図1にあるよ

うに

,当時の

東南アジアにおいて華僑の

経済

力は

群を抜いてお

,華僑経済圏を形成するほ

どの

力をもっていた

Oまた

,アンナ

ン人やシャム

人を

「印度支那族

」と呼称

した教科書が

多くあるが,

それ

は植

民地宗主国側の

一方的な見方であって

現実には全

く別の

民族

であ

り独

自の文化をもって

いたの

である。

この

ように

,戦前期の地理教科書に見られ

る東

南アジアは

,日本の原料供給地であ

り日本の製品

市場で

,日本の経済的進出先

(南進

国策化以降は

政治的

・軍事的進出先

)と

して描かれた地域だっ

。言い換えれ

,欧

米列強

と肩を並べ,

「大東

亜共栄圏

」構想

を打ち出

した

「アジア」の盟主

本が

,優位な立場から東南アジア諸国を見

し,

日本の指導

・援助が必要であるという大国か

らの

点か

ら東南アジアを捉

えていたことになる

。こ

ような当時の対東南アジア政策を反映

した教科

書で学んだ生徒たちの

中に

,東南アジアへの偏見

や蔑視が形成され

たのは

,当然の

ことなの

である

〈フランス統治時

代の

イン

ドシナ

1 

印度

那社

会の

造モ

デル

−49

'テ

、、、

ンス

本国  

ンス…

匸 誓タ

レ・

´・ラ

・・

(4)

3。 現 行 の 中 学 校 地 理 教 科 書 に お ける 東 南 ア ジ ア 次 に , 現 行 の 中 学 校 地 理 教 科 書 で , 東 南 ア ジ ア が ど の よ う に 捉 え ら れ て い る か を 検 討 す る。 戦 前 期 の 教 科 書 分 析 と 同 様 に, 知 識 別 分 類 と キ ー ワ ー ド 分 類 を 行 っ た 結 果 が 表 3, 4 で あ る。 表 3 か ら, 断 片 的 な 東 南 ア ジ ア情 報 を 羅 列 し た 戦 前 期 の教 科 書 に比 べ て, 現 行 の 教 科 書 で は 説 明 的 知 識 や 概 念 的 知 識 が 増 加 し , 東 南 ア ジ アを 社 会 事 象 間 の関 係 か ら 捉 え る よ う な 記 述 に変 化 し て い る こ と が わ か る 。 た と え ば,「 低地 で は,一 年 じ ゅ う気 温 が 高 い の で , 稲 作 に 必 要 な 水 が あ れば , 一 年 に 2 回 以 上 の 稲 作 が で き る 。 こ の た め, か ん が い 設 備 の 充 実 に 力 が 入 れ ら れ て い る 。」14)と い う 農 業 に 関 す る 記 述 が そ れ に該 当 す る O特 に 農 業 に 関 す る 記 述 に お い て は , 歴 史 的 経 緯 や 自 然 条 件 , 社 会 的 条 件 な ど の多 様 な 要 素 か ら記 述 さ れ てお り, 表 3 東 南 ア ジ ア に関 す る教 科 書 記 述 の 知 識 別 分 類15) 東 南 ア ジ ア の農 業 を 捉 え る上 で 有 効 な 情 報 が 提 供 さ れて い る と い え る。 し か し, た と え ば タ イ の稲 作 に つ い て ,「 植 民 地 時 代 に こ の地 域 に大 地 主 の 資 金 に よ っ て か ん が い設 備 がつ く ら れ, 輸 出 を 目 的 と す る水 田 の 開 発 が 進 め ら れ た た め」,「 チ ャ オ プ ラ ヤ 川 下 流 の 平 野 に は 広 大 な 水 田 が 広 が っ て い る 」16)と い う , 植 民 地 時 代 に の み稲 作 地 域 の 分 布 の 原 因 を 求 め る 内 容 に と ど ま っ て い る こ と に は, 若 干 の疑 問 が 残 る。 ま た, 工 業 化 に 関 し て ,「 特 定 の 資 源 の 輸 出 に た よ る 経 済 は, そ れ ら の国 際 的 な 価 格 の 高 低 や, 消 費 の増 減 の 影 響 を 受 け や す い 。J17)と い う 一 般 的 な 命 題 の み を 抽 出 し, そ う な る に至 っ た 経 緯 を 説 明 し な い 点 や,「 低 い 賃 金 で 労 働 力 が 得 ら れ る た め に, 日 本 , ヨ ー ロ ッ パ, ア メ リカ 合 衆 国 か ら多 く の企 業 が 進 出 し て い る。」 と い う 説 明 で は18),

分 野

内 容 分 類

記 述 内 容

記述的知識 分析的知識 説明的知識 概念的知識 価値的知識

合計

自  然

歴  史

侵略・植民地

独立

居 住 と

生  活

宗教・ 言語

1 8

人 々 の生 活

1 7

産 業 と

地  域

農業

1 1

1 8

1 2

資源

1 3

工業 化

1 2

地域の結びつき

11

合 計

41

54

33

131

表 4 現 行 の地 理教科 書にお け る東南 アジア記述 内容 のキ ーワ ード分 類

地 域 項  目 牛   −   ワ   ー   ド 東 南 ア ジ ア 自    然 豊 か な 自 然, 季 節 風 ( モ ン ス ー ン), 高 温, 雨 季 乾 季 歴    史 欧米 諸 国 の植 民 地 , 日 本 の 侵 略 , 独 立 , 民 族 問 題 民族言 語宗教 人 々 の 生 活 さ ま ざ ま な 民 族 , 華 人 , 異 な る 言 語 , 仏 教, キ リ スト 教, イ ス ラ ム 教 , 異 な る 生 活 習 慣 農    業 稲 作 , 二 期 作 , 浮 稲 , プ ラ ンテ ー シ ョ ン, 輸 出 用 商 品 作 物, バ ナ ナ ( フ ィ リ ピ ン), 天 然 ゴ ム( マ レ ー シ ア), 緑 の 革 命 , 焼 畑 農 業 資    源 森 林 資 源, 地 下 資 源 , 石 油 ( イ ンド ネ シ ア ・ マ レ ー シ ア ・ ブ ル ネ イ ), す ず ( マ レ ー シ ア), 資 源 の 輸 出 工  業  化 工 業 化 政 策, ASEAN, 都 市 人 口 の 増 加 , ス ラ ム化 日本と の関係 技 術 援 助 , 日 本 企 業 の 市 場 , 留 学 生 の 増 加 , 共 同 開 発 環 境 問 題 熱 帯 林 の 伐 採 , 環 境 破 壊 −50 −

(5)

東南ア

,植

民地

支配

受けて

いた

との

に直

して

るの

うこ

を伝

える

って

。単

に現

在の

東南

ジア

戦前

同様

,欧

米や

日本

経済

的進

先で

とい

文脈

中で

えた

記述

内容に

どま

いるの

ある

。この

うな

問題

じるの

,東南

ジア

を見

る視

を十分

に検

して

いな

いか

らで

ある

こで

,表

を参

しなが

,東南ア

をど

うな視

点か

ら捉

えた

らよ

いかに

いて述べ

。現行の

では

,東南

ジア

をーま

とま

して捉

える傾

向が

。そ

して様

々な

ら東南ア

ジアの

地域

的特

を構

る地

を取

り上

げて

。表

4か

らわ

うに

行の

おい

て描

かれ

東南

ジアの

地域

,キー

ワー

ドを分

類す

る過

した

と捉

える

とが

きる

。それ

を整理す

ると①

自然

,②

々な

民族

・言語

・宗教

と異

活習

,③

(稲作

,④

豊かな森林資源

・地

資源

,⑤

工業

化政

,⑥

つなが

りをも

日本

東南ア

,とな

これ

を戦

前期の

理教

書に

おけ

るキ

ワー

ド分

した

と比

較す

,戦

前期の

もの

主要

市か

こと

を除

けば

,ほ

なる

。こ

こか

ら現

行の

おけ

東南ア

ジア

を見

る視

点は

,戦

前期

と何

変わ

らな

とい

う結

を引

き出す

とに

,現

,東南ア

ジア

を大

国か

らの

点で

しか

えて

いな

いこ

とが

,記

内容

らも

らか

なの

ある

書の

記述

をて

いね

いに

見て

くと

,大

国か

らの

的視

点で描

かれ

所は

,先に

した

以外

ことがわ

。東南ア

ジアの

""""'" ゛

関す

゛「

゛″゛゛

記述は

゛゛″゛----S`S`Sf

,次の

`---゛-″--

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うに

゛-`S`S`S

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って

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いる

″゛---″---S

゛`-や呷---・-1 東 南 ア ジ ア に は ,16 世 紀 は じ め ご ろ か ら ヨ ー |

ロッパの商

人が進

出し

,その

後ヨー

ロッパ

諸国

,武力を背景に各地に植

民地

をつ

りあげた

民地では

,ヨー

ロッパ

向けの輸出用作物の

栽培が

一方的に進め

られたため

,地元の人々の

食料自給がさまたげられた地域も多かった

−ミ 加 皿㎜皿㎜ 皿皿〃

作物は

,ヨー

ロッパ支配以前か

ら米が

中心

であ

り,

「輸出用作物の栽培が

一方的に進め

られた

」とは

必ず

しもいいきれ

ない

。これ

もまた

,植

民地宗主

国側の

一方的な見方に他ならない。東南アジア

東南アジアの人々の

目の高

さか

ら捉えるなら

,植

民地支配を受けざる

を得なかった原因の記述や

植民地支配を受ける以前か

ら継承

され

てきた

文化

産業の紹介が

あって

しかるべきである

これ

に対

「EUの国々丁における記述は次

のようになっている。

r゛゛゛゛`“゛“゛'“゛`""""""" `'`^'゛`゛゛゛゛゜゛'゛'゛'“""" `"'`"゛゛゛゛`゛“'゛""""" `'゛'`″`゛゛゛゜゛゛゜“'゛“`│ |  か つ て ヨ ー ロ ッ パ に は , 広 大 な 植 民 地 を 支 配 | |        | け る 帝 国 が い く つ も あ っ た 。 そ の 後 二 度 の 世 界 |

,各

国の

力は

り,植

民地

も独

立匸

| ” ”’

 ̄J ̄ ̄

 ̄’

゛ ̄

| た.

1……

…_...

……...

………

….

……...

― 51

−一 一一一− −−− −−−−

これ

ロッパ

でも植

民地側

点で

,第

三者の

点か

ら捉

えた

ある

。ま

,東南ア

では

られ

なか

った

化や

記述は

りで

「---■■--a枦狎---w--■-■■■■■--■--a皿 l1  長 い 間 , 自 分 た ち で 町 づ く り を 進 め て き た た

,人

家の

々の

ある

には

とい

道路

う考

はわ

え方が

家の

生まれ

,公園

│市

民が

市の

人で

り,町

をつ

くる

も市

| で あ る と い う 考 え 方 は 今 日 で も 変 わ ら な い .  | :…...に …...………...………...……….………...………..._. の 記 述 は , ヨ ー ロ ッ パ の 文 化 を ヨ ー ロ ッ パ の 人 々 の 視 点 ( 内 在 的 視 点 ) で 捉 え た も の で あ る . こ の よ う に 同 じ 教 科 書 で あ っ て も , 取 り 上 げ る 地 域 に よ っ て 異 な る 視 点 か ら 描 か れ て い る と い う の が 実 状 で あ る . 中 で も 東 南 ア ジ ア は , か つ て の 植 民 地 宗 主 国 か ら の 視 曵 で 描 か れ て い る た め , ヨ ー ロ ッ パ は 内 在 的 に 理 解 で き て も 東 南 ア ジ ア は 外 在 的 に し か 理 解 で き な い と い う こ と に な る . こ う し た 状 況 が , ヨ ー ロ ッ パ へ の 羨 望 , 憧 憬 と 対 照 的 な 東 南 ア ジ ア へ の 偏 見 , 蔑 視 へ と つ な が る の で あ る .

4。おわ

りに

ここまで述べてきたように

,戦前期の地理教科

書が内包

していた問題は

,戦後もなお未解決のま

ま今

日の教科書にも継承され

ている

。これは

,東

南アジア

という地域を

,戦前期同様

,大国か

らの

外在的視

点で

しか捉えていないか

らに他

らな

「植

民地をつ

この記述は

「ヨー

ロッパ

諸国」

りあげた

いる

。ま

」と

,イ

ヨー

ドネ

ロッパ

シア

らの

ドシナ

点で書

主要

かれ

(6)

東南アジア

を東南アジアと

して見る

,内在的視点

を欠落させているの

である

。この

ような教科書で

東南アジア

を学習

した

とき

,生徒の社会認識にお

いて

「東南アジアは経済的後進国で,先進国日

本の

援助が

必要である

」というような一面的な東

南アジア認識

,戦前期の

日本人がもっていた認識

とほ

ぼ同レベルの見方

しか形成され

ない

それ

では

,東南アジア

とい

う地域を内在的視

から捉

えるには

,どの

ような資料発掘が必要なの

。意外にも戦前期

,大正か

ら昭和初期

にか

けて

日本の植

民地台湾で行われ

ていた

「南洋

」調査に

そのモデル

を見出す

ことができる

戦前期の

日本

では

,明治か

ら昭和に至るまで

多くの

人が南方地域に夢や野心

を持ち続けた

。特

に第

一次大戦の勃発に

よって日本各地で

「南進」

ームがおこったことは

,周知の事実である

。こ

した状況に

いち早

く反応

して

「南洋

」調査に着

したのは

,植

民地台湾においてであった

。台湾

総督府では,

1919

年に調査課

を設置

,既に匚

洋上調査を精

力的に行っていた

台湾銀行や新たに

設立

された南洋協会などの

「民間

」団体19

と一体

となって調査活動が進め

られた

。調査課の調査

たちは

,現地で刊行された数十種の新聞や雑誌

閲読

,地域別主要記事の

目録

・スクラップを作

して

,各

自担当地域の調査

・研究に

あたった

また

,必要に応

じて長期にわたる現地調査も行っ

た20

この

ような方法で東南アジア諸地域

を調査

・研

した結果発表

された報告書

を見ると

,台湾総督

府が

,先に提

した

「仏領

印度支那社会の構造モ

デル

」にあるような社会変化の

図式を見事に捉

ていた

ことがわか

る21

。何

りも現地で刊行され

た出版物には

,その地域

を内在

的に理解するため

の材料が

多く含まれ

ている

。台湾

総督府の

「南

洋」

調査が

,経済進出のための調査

であった

ことの限

を持っていたに

しても

,ほとん

ど前例の

ない南

方地域を対象と

した調査に

,独

自の

方法

を創出

ことは

,多いに評価

してよいだ

ろう。当時の

「内地

」の新聞が,ほんの

一握

りの

「在

留邦

人」

らの情報によって

「南洋

」を報

じて

いた

ことや

「内地

」で数多く出回っていたいわゆ

「南方屋

「南洋通

」22

の局地的な南方情報と比較すれば,

台湾総督府の

調査

,質量

ともに高

レベル

あっ

ことは

,明らか

である。

現在は

,戦前期と比較できないほ

どの東南アジ

アに

関する膨大な数の

書物が

出版され

ている

。こ

中に

,東南アジア

を内在的視

点か

ら捉えた

良書

,どれほ

どあるの

だろうか2

昨今の情勢か

らす

ると

,今後の

日本は,

ASE

AN諸国との

関係がますます密接に

なっていくこ

とが予想され

。個

人の

レベル

においても,東南

アジアか

らの

留学生

,労働者の増加にともなって

東南アジアの

人々との直接交流の機会が増加する

向にある

。こうした状況であるか

らこそ

,東南

アジア

を東南アジア

して見る視

点をを生徒たち

の中に

育て

,内在的理解を深め

けれ

ばな

らない

同様に東アジアやア

フリカに対

しても

,その地域

を内在

的に理解できる視点が必要である

。地域

どう認識するかという問題は,'

社会科に

おいて避

けて通れ

ない問題なの

である。

[注]

1)この点については

,東南アジア研究者から多

くの指摘がなされている

。たとえば,小泉允雄

氏は

「私たちの全体としての東南アジア理解

(中略)残念ながら無理解

,ぞれゆえの蔑視

のパタ

ーンは戦前とあまり変わっていない,と

いうよりも戦前にはなか

った誤解や偏見すら最

近出ている

」と主張している

『新版東南アジ

アの現在』田畑書店1991)

。また,橋谷弘氏は

「日本

・東南アジア関係史研究の成果と現代的

意義

『アジア経済』34-9,

1993)

において,

「今日の日本人の東南アジア観や行動様式に戦

前以来のパタ

ーンが繰り返し顔を出すなど,あ

る意味でわれわれも戦前からの継承性を免れな

い側面がある。

」と述べている。

2)清水元

「近代日本における

『東南アジヤ』地

域概念の成立

(I)

(n)

『アジア経済』28-6

7, 1987)       

3)清水氏の研究は

,大陸部東南アジアと島嶼部

東南アジアが

,それぞれアジア州,大洋州のど

ちらに分類されているのかを問題にしている

4)渋澤文隆氏は匚

では,地域,地域性

地理学習を構成

(地域的特色と同義語)を

,展開する上

52

(7)

しっか

り踏ま

える

とが

なポ

トに

と述べ

いる

(渋澤文隆

『新学

力観

中学校

会科

地理

業改

』明

図書

1995)

。地域

をど

う捉

えるか

とい

う議論にの

には

,少な

くとも教

記述

容の

討が

され

けれ

らな

)岩

pp.38-45

一彦

『社

会科

の授

業設

計』

京書

籍1991

田氏は

「事

関係

知識が

社会的見方

・社

識の

とな

る知

ある

と述べ

『社

会科の

業設

計J

p.53

。そこでまず

,戦

に東

アジ

アが

どの

され

知識

類か

ら探

ことに

した

ある

6)記

内容

に踏み

込ん

分析

を行

うため

試み

方法

ある

O具

的に

示す

,まず教

書の

記述

らキ

ワー

ドを抽

出す

(た

えば

「印

那種

多く

して

,仏教

を奉

じ,上流

には僧

とな

るもの

少なか

らず

」とい

う記

述か

らは

「印度

那種族

「仏教

」とい

うキー

ドを抽

した

Oそのキー

ワー

ドを分類

目を立

てる

(半数

以上の教

書か

ら抽

たキー

ワー

ドを採用

した

)清水

前掲

8)前掲

『世界

理J

p.49

9』

前掲

(新

業外

国地

理J

p.ioi

10

)前掲

『新

業外

国地

理J

p.102

11』

前掲

『初

等科

理 

下J

p.18

12』

前掲

(初

等科

理 

下J

pp.34-35

13

この

デル

,戦前

に行わ

「南

」調

(満

鉄調

,太

洋協

どに

よる

,近

年の

民地

究の

を前

提に

した

もの

ある

。その

詳細

,拙稿

「 ̄

台湾

ける

『南洋

学大

学院

調査

と南

論文

)に

(平成

ある

9年度

兵庫

14)

『新

しい社

理』

京書

籍 1997 p.82

15)

現行の

6社の

学校

地理

り上

6社

とは

,最

きなシ

ェア

を持

つ東京

じめ

日本

,帝

国書

,中教

出版

,大阪

,清

水書

ある

16

)前掲

『新編

しい社

地理J

p.83

17』

前掲

(新編

しい社

地理J

p.86

18

)前掲

『新編

しい社

地理J

p.86

53−

19)民間といっても

,資金面では台湾総督府が援

していた半官半

民の会社であった

。詳

しくは

拙稿厂

南洋協会台湾支部と台湾総督府

『東洋史訪』第4

号 1998.3)

20)中村孝志叩大正南進期』と台湾」

『南方文

化』8 1981)

21)拙稿

「台湾における

『南洋』

調査

と南進政

22)匚

南方屋

」匚

南洋通」に関

しては

,矢野暢氏の

以下の著書に詳

しい。

『匚

南進』の

系譜』

中央公論社 1975

『日本の南洋史観』

中央公論社 1979

23)小泉允雄氏は

,厂

今もなお,日本の東南アジ

ア観のゆがみ

の基となっている発

想の

パタ

しきキャ

ッチボ

ールの所産と

しての

東南アジ

ア関係の

一般書」かおることを指摘

している。

(前掲書p.242)

表 1 東 南 アジ アに関す る教科書 記述 の知識別分 類 分 野 内 容 分類 記 述 内 容 記述的知識 分析的知識 説明的知識 概念的知識 価値的知識 合計 地 理 自  然 気 候 ・ 地形 55 2 0 4 7 9歴  史・ 侵略・ 植民 地2 51 324 0文  化民 族 ・ 宗 教2 7913 7産  業農 業5 02 4579資 源3 51 44 9工 業 化 1 1 主 要都 市 3 0 6 2 3 8 地 域と の 結 びつ き 交 通 1 0 5 1 5 日本と の関係 9 6

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