社 会 系 教 科 教 育 学 会『 社 会 系 教 科 教 育 学 研 究 』 第10 号 1998 (pp.47-54)
社 会 科 に お け る 東 南 ア ジ ア 認 識 の 問 題
The Problem of Misunderstanding of Southeast Asia in Social Studies
横 井 香 織
(静岡市立東中学校)
1 。 は じ め に 近 年 , 日 本 と 東 南 ア ジ ア と の 関 係 は, 緊 密 化 し て い る。 そ れ は貿 易, 企 業 進 出, 人 的 交 流 , 情 報 量 と も戦 前 期 に 比 べ て 増 加 し た こ と に, 如 実 に 現 れ て い る。 し か し , 我 々 の 東 南 ア ジ ア に対 す る 理 解 が 深 ま っ た か と い う と , 戦 前 と あ まり 変 わ っ て い な い こ と が 指 摘 さ れ て い る1)。 本 稿 は, こ の 東 南 ア ジ ア 理 解 の 問 題 に, 地 理 教 科 書 の 東 南 ア ジ ア に 関 す る 記 述 内 容 の 分 析 か ら迫 ろ う と 試 み た も の で あ る。 東 南 ア ジ ア理 解 につ い て, 教 科 書 記 述 か ら検 討 し た も の に, 清 水 元 氏 の 研 究 が あ る2 )。 清水 氏 は, 明 治 中 期 か ら大 正 末 ま で の地 理 教科 書 を取 り 上 げ, 東 南 ア ジ ア 地 域 の 取 り 扱 い 方 の 変 化 を , 地 域 分 類3 )や 位 置 か ら分 析 し て い る。 そ し て 次 の よ う な 結 論 を 引 き 出 し て い る。 ① 第 一 次 大 戦 を 契 機 と し て 匚南 洋 」 地 域 概 念 が 変 容 し, 今 日 の東 南 ア ジ ア に ほ ぼ 匹 敵 す る 厂外 南 洋 」 と い う 地 域 概 念 が成 立 した。 これ に伴 い, 第 一 次 大 戦 以 降, 小 学 校 の地 理 教 科 書 に お い て 匚東 南 ア ジ ヤ」 と い う タ ー ムが 使 わ れ る よ う に な っ た。 ② こ の時 期 に 小 学 校 地 理 教 科 書 にお い て 成 立 し た 匚東 南 ア ジ ヤ」 地 域 概 念 は, こ の地 域 へ の 日 本 か ら の強 い 利 害 関 心 と 膨 張 主 義 イ デ オロ ギ ー を 放 射 し て い た。 そ の 意 味 に お い て , こ の 地 理 教 育 は1930 年 代以 降 の昭 和 「 ̄軍 国 主 義 」 へ の 時 代 へ と 直接 つ な が っ て い た。 ③ 戦 後 日 本 で 普 及 し た 厂東 南 ア ジ ア 」 は, 厂東 南 ア ジ ヤ」 概 念 と は別 物 で あ り, ア メ リ カ の 世 界 戦 略 の 一 環 と し て の対 ア ジ ア ・ 東 南 ア ジ ア ・ 日 本 政 策 と い う ス ク リ ー ンを 通 し て 投 射 さ れ て き た も の で あ る。 ④ ど ち ら の 地 域 概 念 も, 現 地 を 内 在 的 に理 解 し よ う と す る 観 点 を ほ と ん ど 欠 落 さ せ て い た た め に , 東 南 ア ジ ア の 地 域 と し て の 統 一 性 を 示 す に 足 る地 域 概念 と して 熟成 さ せ る こ とが で きな か っ た。 こ の研 究 は, 戦 前 期 の 教 科 書 に お け る東 南 ア ジ ア地 域 概 念 の 変 遷 を 切 り 込 み 口 と し て, 近 代 日 本 の 南 進 論 や 南 進 政 策 を 論 じ た画 期 的 な も ので あ る。 し か し 社 会 科 の 地 理 学 習 に お い て 地 域 認 識 を 問 題 に す る場 合 に は, 東 南 ア ジ ア の地 域 範 囲 や 位 置 だ け を 対 象 に す る の で は 十 分 と は い え な い。 東 南 ア ジ ア の ど の 社 会 事 象 を , ど う い う 視点 か ら ど の よ う に取 り 上 げ て い る か と い う と こ ろ ま で 検 討 す る 必 要 が あ る4)。 以 下, 戦 前 期 の 地 理 教 科 書 と 現 在 使 用 さ れ て い る 中 学 校 社 会 科 地 理 教 科 書 の, 東 南 ア ジ ア記 述 を 分 析 , 比 較 検 討 し , 教 科 書 の 記 述 に 内 包 さ れ て い る 東 南 ア ジ ア認 識 の問 題 を 明 確 に し た い。2。戦 前期 の地理 教科書 におけ る東南 ア ジア
ここで は, 戦前 期 の地理 教科 書に見 ら れる東 南
ア ジア記述内 容 の分 析, 検討 を 行う。記 述内容 の
分 析 は, 知識別 分類5)と キ ー ワ ード分 類6)に よ っ
て行 ったO 表 1, 2は, その結果を 示し た もので
あ る。
まず表 1 の知 識別分 類か ら見 ると, 戦前期 の地
理教科 書で は,気 候や地形 ,地 域区分 を示 した記
述 と, 農業 や資 源とい った産業 に関 する記述 に多
く のペ ージを 割 いてい ることが わか る。 特 に東 南
ア ジア地 域 の主 要特産 物で ある米 や ゴムに関し て
は, ど の教科書 におい て も絵図 や写 真を 掲載し て
紹介 して いる。 しかし そ の記 述 は, 記述的知 識 や
分析 的知識 の数字 が示 してい るよ うに, 断片 的な
社会事 象 の羅 列 にとど まって いる。
― 47 ―表 1
東 南 アジ アに関す る教科書 記述 の知識別分 類
分 野
内 容 分類
記 述 内 容
記述的知識 分析的知識 説明的知識 概念的知識 価値的知識
合計
地
理
自 然
気 候 ・ 地形
55
2 0
4
7 9
歴 史
・ 侵略・ 植民 地
2 5
1 3
2
4 0
文 化
民 族 ・ 宗 教
2 7
9
1
3 7
産 業
農 業
5 0
2 4
5
79
資 源
3 5
1 4
4 9
工 業 化
1
1
主 要都 市
3 0
6
2
3 8
地 域と の
結 びつ き
交 通
1 0
5
1 5
日本と の関係
9
6
1 5
合 計
2 4 1
9 8
1 4
3 5 3
表 2 戦前 期地理 教科書 にお ける東南 ア ジア記述内 容 のキ ーワ ード分類
東 南 ア ジ ア地 域
項 目
牛 − ワ ー ド印
度
支
那
半
島
自 然
熱 帯, 乾湿二 季, 高 温多 湿, 肥沃 な平野
歴 史
1頷 4保 護地( 仏印),山 田長政・ 日本人 町( シャ ム)
,立憲王 制( シ ャム)
民族・言語・
宗教
印 度支那 族, 支那 人, 印度人,馬 来 族
仏 教,回 教
産 業
米, チ ー ク材, 錙, 石油, 鉄
主 要 都 市
首 府 ハ イ ノ・ ト ン キ ン・ ハ イ フ ォ ン・ ア ン ナ ン・ ユ エ ・ サ イ ゴ ン( 仏 印) , 首 都 バ ン コ ク ( シ ャ ム)交 通
鉄道,海運, 世界交 通 の要 衝( シ ンガポ ール)
日本との閔係
移住邦人 ,日本商品 の好 市 場, 経 済上緊 密, 寄港 地
馬
来
諸
島
自 然
熱帯, 高 温多 雨, 火山, 森林 に富 払
熱帯 植物
歴 史
オラ ンダの経営根 拠地( ジ ャワ)
, 米 頷( フィリピ ン)
民族・言語・
宗教
馬 来人, 移 住支那 人, 蘭 日の移住民
馬来 語, 蘭語 回 教
産 業
南洋 の宝 庫( ジャワ), 石油, ゴム, 籐, 米, コーヒ ー, 規那, 砂糖, コプ ラ, マニ ラ麻 , 茶,椰子, 香料,煙 草主 要 都 市
バ タビ ア・ ス ラ バ ヤ( ジ ャ ワ), 首 府 マ ニ ラ・ ダ バ オ( フ ィ リ・ピ ン), サ ン ダカ ン( ボ ル ネ オ)交 通
海運
日本との関係 邦人経営ゴム園,在留邦人,日本商船寄港地,密接な経済関係
次 に表 2を基 に記述 内容 の検討を 試 みたい。
戦 前期 の地理 教科書 において「 東南 ア ジヤ」 と
い う地 域名 は, 1919 (T8) 年 か ら 使用 さ れて い
る7)
。 し かし,「東 南 ア ジ ヤ」 と して の地 域 的 特
色 には ほとんど触 れら れて いな い。 第一 次大戦 に
よ る日本 の南洋 群島委 任統治 で,政 策上, 地域 概
念 の転 換があ った ものの, 教科 書 にお いて は大陸
部 東南 ア ジアで あ る「 印度支那 半島」 と, 島嶼部
東 南ア ジア の に馬来諸 島」 を, 形式上, 一 まと ま
り と し て 括 っ た に す ぎ な い。 質 的 に も一 ま と ま り の 地 域 と し て 捉 え た 記 述 が 登 場 す る の は, 1936 (Sll) 年 の南 進 国 策 化以 降 で あ るO 南 進 国 策 化以 前 , つ ま り 東 南 ア ジ ア を 厂印 度 支 那 半 島」・「 馬 来 諸 島」 と い う 2 地 域 と捉 え て い た 時 期 の 教 科 書 で は, こ の地 域 の国 々 の地 形 的特 徴 , 植民 地 宗 主 国 , 主 要 農 産 物 や 鉱 産 資 源 , 主 要 都 市 と そ の特 徴 な ど の 内 容 が, 淡 々 と記 述 さ れて い る。 そ し て,て 日 本 人 の 護 謨 植 林 等 存 在 し 」8 )と い っ-48-た記述や
「邦人在住者は
七千人に近く
,商業・
農
業に従事
して
いる
」9
)
,
「我が国人もこの
地に在
っ
て各種の事業に従事
し
,また我が商品の好市場と
して我が国との経済的関係も密接である
」lO
)
とい
う記述に見られ
るような
,日本の経済的進出に適
した地域であることを強調する文脈に
つなが
って
いる
。政策が教科書記述に反映す
る
という傾
向は
,
南進国策化以降の教科書では
一層顕著になって
い
る
。たとえば
,東イン
ドは
「ほ
とんど全部わが軍
に占領
され
,以来住
民は
,日本の
力に導かれなが
ら
,希望にみ
ちて働
くや
うにな」11
≒た
,という
軍事的進出を肯定的に捉
えた記述や
,フィリピン
の住
民は
「いっぱんに従順な性質
を持っています
から
,今後日本
人の指導を受けて
,なまけやすい
欠点も
,次第に改めて行
くであ
りませ
う」12
)
とい
う
「大東亜共栄圈
」構想
と直結
した記述がそれ
に
該当する。
この
ような
日本の南進政策を前提
とした記述内
容では
,到底東南アジア諸国の人々の実像は見え
てこない
。そればか
りか
,日本の南進政策に都
合
の
よい情報だけを記載
したために生
じる誤解や偏
見から
,実際の
東南アジアとは異なるもう
1つの
東南アジア
を作
り出
しかね
ないの
である
Oその具
体
的な事例
を
,
「印度支
那半島」の記述で大きな
割合
を占めていた仏領イン
ドシナ
を例に指摘
して
おきたい。
図
1は
,明治か
ら大正期の仏領イン
ドシナ社会
の構造
を示
したものである呪このモデル
と
,表
2のイン
ドシナに関す
るキ
ー
ワー
ド及び教科書の
文面とを照合する
と
,明らかに誤って捉えられ
た
個所がある
。それ
は民族の
捉え方である
。教科書
の記述の
多くは
,アンナン人やシャム
人と同列に
「支
那人
」を捉えている。しか
し,図1にあるよ
うに
,当時の
東南アジアにおいて華僑の
経済
力は
群を抜いてお
り
,華僑経済圏を形成するほ
どの
勢
力をもっていた
Oまた
,アンナ
ン人やシャム
人を
「印度支那族
」と呼称
した教科書が
多くあるが,
それ
は植
民地宗主国側の
一方的な見方であって
,
現実には全
く別の
民族
であ
り独
自の文化をもって
いたの
である。
この
ように
,戦前期の地理教科書に見られ
る東
南アジアは
,日本の原料供給地であ
り日本の製品
市場で
,日本の経済的進出先
(南進
国策化以降は
政治的
・軍事的進出先
)と
して描かれた地域だっ
た
。言い換えれ
ば
,欧
米列強
と肩を並べ,
「大東
亜共栄圏
」構想
を打ち出
した
「アジア」の盟主
日
本が
,優位な立場から東南アジア諸国を見
下
し,
日本の指導
・援助が必要であるという大国か
らの
視
点か
ら東南アジアを捉
えていたことになる
。こ
の
ような当時の対東南アジア政策を反映
した教科
書で学んだ生徒たちの
中に
,東南アジアへの偏見
や蔑視が形成され
たのは
,当然の
ことなの
である
。
〈フランス統治時
代の
イン
ドシナ
〉
図
1
仏
領
印度
支
那社
会の
構
造モ
デル
−49
−
'テ
、、、
ンス
、
本国
フ
ラ
ンス…
…
…
…
匸 誓タ
レ・
´・ラ
・・
3。 現 行 の 中 学 校 地 理 教 科 書 に お ける 東 南 ア ジ ア 次 に , 現 行 の 中 学 校 地 理 教 科 書 で , 東 南 ア ジ ア が ど の よ う に 捉 え ら れ て い る か を 検 討 す る。 戦 前 期 の 教 科 書 分 析 と 同 様 に, 知 識 別 分 類 と キ ー ワ ー ド 分 類 を 行 っ た 結 果 が 表 3, 4 で あ る。 表 3 か ら, 断 片 的 な 東 南 ア ジ ア情 報 を 羅 列 し た 戦 前 期 の教 科 書 に比 べ て, 現 行 の 教 科 書 で は 説 明 的 知 識 や 概 念 的 知 識 が 増 加 し , 東 南 ア ジ アを 社 会 事 象 間 の関 係 か ら 捉 え る よ う な 記 述 に変 化 し て い る こ と が わ か る 。 た と え ば,「 低地 で は,一 年 じ ゅ う気 温 が 高 い の で , 稲 作 に 必 要 な 水 が あ れば , 一 年 に 2 回 以 上 の 稲 作 が で き る 。 こ の た め, か ん が い 設 備 の 充 実 に 力 が 入 れ ら れ て い る 。」14)と い う 農 業 に 関 す る 記 述 が そ れ に該 当 す る O特 に 農 業 に 関 す る 記 述 に お い て は , 歴 史 的 経 緯 や 自 然 条 件 , 社 会 的 条 件 な ど の多 様 な 要 素 か ら記 述 さ れ てお り, 表 3 東 南 ア ジ ア に関 す る教 科 書 記 述 の 知 識 別 分 類15) 東 南 ア ジ ア の農 業 を 捉 え る上 で 有 効 な 情 報 が 提 供 さ れて い る と い え る。 し か し, た と え ば タ イ の稲 作 に つ い て ,「 植 民 地 時 代 に こ の地 域 に大 地 主 の 資 金 に よ っ て か ん が い設 備 がつ く ら れ, 輸 出 を 目 的 と す る水 田 の 開 発 が 進 め ら れ た た め」,「 チ ャ オ プ ラ ヤ 川 下 流 の 平 野 に は 広 大 な 水 田 が 広 が っ て い る 」16)と い う , 植 民 地 時 代 に の み稲 作 地 域 の 分 布 の 原 因 を 求 め る 内 容 に と ど ま っ て い る こ と に は, 若 干 の疑 問 が 残 る。 ま た, 工 業 化 に 関 し て ,「 特 定 の 資 源 の 輸 出 に た よ る 経 済 は, そ れ ら の国 際 的 な 価 格 の 高 低 や, 消 費 の増 減 の 影 響 を 受 け や す い 。J17)と い う 一 般 的 な 命 題 の み を 抽 出 し, そ う な る に至 っ た 経 緯 を 説 明 し な い 点 や,「 低 い 賃 金 で 労 働 力 が 得 ら れ る た め に, 日 本 , ヨ ー ロ ッ パ, ア メ リカ 合 衆 国 か ら多 く の企 業 が 進 出 し て い る。」 と い う 説 明 で は18),