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水郷柳川における集住環境の形成と変容 「水路」「いえ」「まち」の相互関係の分析より [ PDF

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Academic year: 2021

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(1)水郷柳川における集住環境の形成と変容 「水路」 「いえ」 「まち」の相互関係の分析より. 丸 茂   悠   1  はじめに. 初期の柳川城下建設時に整えられた。近世期の水路は, 城.  現代の都市では,河川や道路は「公」,住宅は「私」と. の防御や飲用水・生活用水の供給,灌漑,排水路,舟によ. いうように,所有や利用,管理について「公」と「私」の. る輸送路という役割を担っていた。すべての水路は取水. 領域に区分されている。しかしながら,もともと人々が集. 路と排水路の両方に利用されていたため, 人々は早朝や冬. まって暮らす場には,自然風土に適応した独自の空間形態. の寒い時期に飲料水などの水を汲み貯水し,昼間に洗い. や風習があり,このような集住の場は居住者により整えら. 物などを行うなど,水路を時間差で使い分け,かつ,汚水. れ維持されてきた。これは現在の一元的な「公」 「私」の. は水路へ直接戻すのではなく,敷地内の溜枡やタンボで. 2領域制とは異なる集住空間と仕組みである。. 浄化してから水路に戻すという,水路の状態を一定に保.  本研究では,水路とともに集住の場を形成し維持してき. つシステムを持っていた。しかしながら,昭和の初めの上. た柳川における「水路」 「いえ」 「まち」の相互関係とその. 水道による給水開始や生活スタイルの変化などにより, 水. 変遷を明らかにし,居住環境の形成と集住の仕組みについ. 路は荒廃し,昭和52年には市街地の水路の埋立てが計画. て考察する。. された。しかしこの時,水路の価値を見直し存続を求め.  論文では,序章で研究概要を述べ,1,2 章で柳川と水路. る運動が起こり,柳川市は方針を一転し,水路を中心と. について概説し,3章で絵図や史料,文献をもとに近世城下. したまちづくりを行うこととなった。現在,市が主体と. 町から近代都市への「まち」構造の変遷を考察した。4,5,. なって市民参加の水路浄化及び,維持,管理に取り組ん. 6章では現地調査から得た情報を中心に「水路」 「いえ」 「ま. でいる。. ち」の相互関係について分析を行った。7 章では,本研究.  柳川の中心部は, 外堀に囲まれ城を中心とした武家屋敷. により明らかになった集住地の構造と特性について述べ,. 地であった城内地区と,街道が通り町人の町と下級武家. 論文のまとめとする。. 屋敷,寺社が配置されていた柳河地区で構成されている。.  この梗概では,4 章で対象とした宮永町,常盤町,鬼童. 3  宮永町における堀空間の利用と居住空間. 町における水路と屋敷の相互関係と地区構造の分析と,.  宮永町は,近世初期の城下建設時に城内地区の南端に. これにより明らかとなった集住環境の構造と形成について. つくられた武家屋敷地である。幅の広い外堀と内堀に. 述べる。. よって囲まれ,近世期には堀と道の両方に面した屋敷が. 2  柳川の概要. 道沿いに連続し,城内地区の一般的な武家屋敷地の構成.  柳川は筑後平野の西南端に位置し,市域には約470km,. であった(図 2a)。明治維新後,旧屋敷地の多くが水田化. 面積にして12%を占める水路が巡っており, この中には,. し20軒ほどの屋敷が点在する状態が昭和20年頃まで続い. 幅が 20m 以上あり舟下り路や貯水池になっている大きな. た。戦後の高度成長期以降は宅地化が進み,現在100軒を. ものや,2m程の家々の間を流れる細いものまで大小様々. 越えている(図 4) 。堀は,城下建設期に城の防御を意図. ある。この水路は,2000年以上前に低湿地を居住地に変え. してつくられ,南部に広がる周辺農地の貯水池の機能も持. るために掘られた溝が,地域の自然と住民の生活に対応し. ち,昭和30年代以降は舟下りに利用され観光資源として. ながら発展してきたものである。現在の水利体系は,近世. の役割も持つようになった。. ●論文の構成 序章:研究背景と目的,調査方法 1 章:柳川の概要 2 章:水路体系と役割の変遷 3 章:空間構成から見た柳川の「まち」の変遷と特徴 4 章:水路と屋敷の相互関係とその要因           (旧武家屋敷地である 3 地区(宮永町,常盤町,鬼童町)を対象に) 5 章:地区特性の継承と集住環境維持の仕組み           (隣り合う東魚屋町と小道具町の比較より) 6 章: 「私」と「公」の相補関係(自領域内の浄化処理,水路際の整え,京町歩道の創出, 電信柱の私有地内設置,水路のとりこみ) 7 章:まとめ(集住地の構造と特性).  近世期の屋敷は,敷地周囲を木々で囲んだ囲み型屋敷で あった(A 邸)。この囲みの中には,母屋,倉,庭があり,道 に対しては門を構え,堀には汲水場を持っていた。汲水 場以外にも,屋敷沿いの堀には屋敷居住者が舟やクモデ網 を置いていた。近世期,四方を木々で囲み周辺から独立し た屋敷が道の両側に並んでいた。  明治になって起きた水田化は,敷地全体,あるいは敷地. 13-1.

(2) 同スケールで表した宮永町,常盤町,鬼童町の明治初期の敷 地割である。宮永町は , 幅の広い内堀と外堀(幅 18 間)によ り囲まれている。常盤町は ,4 つの小路は水路(幅 1 間)を境 としていた。鬼童町は,外堀から引き込まれた複数の水路が 町の中を縫うように流れ 1 本に合流し , 下流へと続いてい る。敷地規模も常盤町の 30 坪代のものから,宮永町の 8 反 を越える敷地まであり,同じ武家の屋敷地であっても敷地 規模や形態は異なっていた。. 旧街道 沖 端 川. 常盤町 柳河地区. 外堀. 外 堀. 城内地区. 鬼童町 内 堀. 道. 旧街道. 外 堀. 内堀. 城跡. 沖端地区 海 へ. 外 堀. b 常盤町 (旧鷹匠小路,弓小路, 鉄砲小路,西覚寺小路) 水路,堀. 宮永町 外堀. 0 100 300 M. 外堀. a 宮永町(旧宮永小路). 図 1 柳川の「まち」構成と対象地区  図 2 明治初期の敷地割(a 宮永町,b 常盤町,c 鬼童町). 0. 50 100 M. c 鬼童町 (旧鬼童小路,江戸小路). の一部を居住スペースとし残りを田に変えるものであっ. が 63 軒並んでいる(図 5)。. た。この時の屋敷構成は,居住スペースを道側に寄せ堀.  常盤町の明治初期の敷地規模は 30 から 40 坪代の狭い. 側を田に変え,宅地周囲を木々により囲んだもので,縮小. ものも多く,水路幅は 1 間程と宮永町に較べると,敷地,. 化した囲み型屋敷となっていた(B 邸)。宅地と堀の関係を. 水路ともに高密度に利用されていた。下級武家屋敷の流. 見ると,家の裏から田の脇を抜けて汲水場へ通じる道が. れを持つ C 邸では,建物は道側に寄り,水路側のオープン. あり堀とのつながりを維持している。. スペースに菜園と溜桝がある。そして水路側は生垣など設.  近世・近代を通して,堀は囲み型屋敷の囲みの外側にあ. けられずに開かれており,汲水場がある。昭和2年に新築し. り屋敷と水路は離れているように見えるが,各家が堀に汲. た D 邸は,水路際の空間は狭くなっているものの水路に向. 水場を設け,その汲水場の横には魚を採るクモデ網,舟. かって勝手口があり,汲水場と溜桝がある。このように,生. と舟小屋をおくなど,各家の利用が確保されていた。そし. 活水の取水に水路の水を利用していた頃, 建物の水路側に. て,屋敷内には,生活汚水を排水するための溝があり,堀. 水回り,水路には汲水場,その横に浄化装置である溜桝,. へ続いていた。敷地が広いため,この溝は長く,汚水は堀. タンボ,菜園があった。狭い空間で水路を利用するため,. に戻る過程で地面に吸収され自然に浄化されていた。. 取水・利用・浄化・排水のためのパターン化した空間が並.  戦後に田の再宅地化や敷地の細分化が起きたが,この. び,水路際の構成は建物の建設年代と関係なく見られ,水. 頃すでに上水道が敷設されていたため,家が堀に直接面. 際の型となっていた(図 7)。. する必要がなく,堀と関係しない敷地もできている。そ.  戦後,宅地の拡大や敷地の更なる細分化が起き,水路. の一方で,堀に面した敷地では堀を庭に連続するオープ. に面さない敷地ができ,また水際の構成にも変化が現われ. ンスペースとして生活に取り込む家が現われている(A邸. た。D 邸は,水路沿いは障壁なしに水路と直に面していた. 現在) 。これは,建物や敷地を堀にひらき,活動の場とし. が,昭和 51 年の増築では水路際に壁を立ち上げ水路へ背. てではなく,室内に光や風を採り入れ自然を眺めるなど,. を向けている。他にも建替え時に,水路境界にフェンスと. 堀の空間を居住環境の快適化に利用しており,囲み型武. 植栽をし空間を切っている家がある。このような水路と私. 士住宅とは異なる堀と住居との新しい関わり方である。. 有地を切る形式は,昭和50年代半ばまでの水路が荒廃し.  このように,宮永町の各屋敷は規模が大きく,屋敷内の. ていた頃に新築,改築されたものに見られる。その後,水. 構成や堀の利用について周辺からは独立的であった。そし. 路が浄化され始めてから改築した例では, 水路側に開口を. て現在も堀の広さを生かし居住空間をつくっている。この 堀は舟下りや遊水池など公共的利用がなされ,堀の清掃は 居住者ではなく観光業者や市が中心となって行っている。 4  常盤町における水際のパターンと共同性  常盤町は,柳河地区の北端,沖端川沿いに位置し,4 つ の足軽小路を明治期に合併した旧下級武家地で,小路境 には水路が流れている。各小路の中心には道が通り,短 冊型の敷地が連なっていた。  明治初期の常盤町は,近世期の影響を受けた間口 3 間 ほどの短冊状の均質的な敷地割で(図 2b),75 軒の家が 並んでいた。1920年代までに家は37軒に減少し畑地が広 がった。戦後の再宅地化により,現在道の両側には住宅. 13-2. 左上 宮永町を囲む外堀 右上 常盤町の細い水路 左下 鬼童町の池となった水路. 図 3  水路の様子.

(3) A 邸           B 邸          A 邸現在 内堀 クモデ網 汲水場 舟. A邸. 竹. 道 " "# #$ $ %& 4. 竹. ' !. !. 6. 花畑. 凡例 (図4,5,6   共通) 宅地 田 畑. 1964年(昭和39年) B邸 A邸. 風呂 上カマド. 木 戸 花 茶 畑 茶. 道 30 100 M.  囲み型屋敷. 家 池. B邸. D邸. 卍. (板) (畳). 道. 2000年(平成12年). 外 w2 堀. 旧 江 戸 小 路. w6. E邸 w4. w5. 1945年(昭和20年). F邸. 堀. 汲水場. 道. 0 10 30. 土 間 ク ド. 床 仏 (8) 便 所. M. 庭. 断面.  堀に開放した家. クモデ網. 菜園 溜桝 畑. 建物. 舟. 家の前に広い堀の開放的 な空間が広がり,室内に風 や光が入ってくる。. 風呂. 水 路. 台所 台所.  D 邸現在(昭和 51 年増築) 汲水場 溜桝. 汲水場. 道. 昭和51 年増築. 庭. 庭(芝) 水 路. 水 路. 道. 昭和 2 年に移住し畑地を宅地化した。水路側は開放されて いたが,昭和 51 年水路岸に増築した。. w1. 汲水場 w2. タンボ. 風呂. 外 堀. 水周り 東 西 道 路. w6. 田.  E 邸( 明治 1 0 年∼現在)            F 邸( 江戸∼昭和 4 2 年)     F 邸現在. 南 北 道 路. 旧 鬼 童 小 路 w3. 道. 庭. 道側に建物が寄り,隣地と の境には垣根があるが,水 路側は開放されていた。汲 水場,菜園, タンボがつくら れている。. 図 5  常盤町(地区の変遷と屋敷構成) w1. !. C 邸(下級武家屋敷の流れ)   D 邸       . 卍. 1920年代(昭和の初め). 庭 汲 水 場 へ 通 じ る 道. 屋敷が水路と道の両方 外堀 に面し,四方を木々に   縮小化した囲み型屋敷 より囲んでいる。. 図 4  宮永町(地区の変遷と屋敷構成) C邸. か ん き つ 類. 母屋. 水路. 2001年(平成13年)0. 小屋 農具入れ. 庭. その他. 堀. 4 4.5. 畑. 庭. 池. 道. 座敷・縁側. w3. 庭 池. w4. w5. 1999年(平成11年). 0 10 50 M. 図 6  鬼童町(地区の変遷と屋敷構成). 明治 10 年築の建物を改造しながら現在も維 持している。水周りは北側に集められ,南側 の水路は池に仕立てられ,これに面して座 敷がある。以前は,汲水場の上に屋根がかか り水屋となっていた。. 道. 池. 道. 昭和 42 年に建替えた。以前の構成は , 敷地内の南側を流れ る水路に汲水場と池が並んでいた。北東に水周り,北西にタ ンボ,南に座敷がとられている。建替え後も池を維持しそこ に面して座敷と縁側がある。. とり,庭と水路を連続させる形式を継続させたものがあ. 5  鬼童町における水路の居住空間への要素化. る。また草木の水遣りに水路の水を利用している。このよ.  鬼童町は城内地区の西の端に位置する旧武家屋敷地だ. うに,水路際の扱いには再び変化が見られる。. が,前2地区のように城下町建設期に計画的につくられた.  水路沿いに並ぶ各敷地の水路側は開放されていたため,. ものではなく,鬼童小路は外堀沿いに近世の間に徐々に. 両岸の建物に挟まれた空間が一体化していた。D 邸の勝手. 形成され,江戸小路は明治になってから置かれた。柳川. 口前の水路岸は,水路の対岸が空地になったために道まで. の町や小路の境は水路が一般的であるが,鬼童町では,. つながり,不安を感じ,水路沿いにプランターを置くこと. 町の内側を数本の水路が流れている(図 2c)。. により,水路の手前で空間の切れ目をつくりだしている。.  明治期には,鬼童小路沿いとその背後に家が20軒程あ. 家同士が近接しているため,単一敷地のみだけではなく隣. り,宅地以外の土地は水田であった。1960 年代から住宅. 接地とともに空間が形成されており,各居住者は周辺環境. が増加し,1999 年 67 軒となっている。町の中央に,1964. の変化に敏感に反応し対応を行っている。. 年に東西方向に,1999年には南北方向の道路が完成し町.  以上のように,常盤町の水路は,幅が狭く公共性をもっ. の構造は大きく変化している(図 6) 。. た水を通しながら,空間自体は両側に建つ家に共用され.  鬼童町の敷地は,2 本の水路にはさまれているもの,私. る空間となっていた。そして,この水路沿いの私有空間. 有地内を水路が通るものなど,敷地と水路,道との接し. は,水路や近隣の状況の影響を受け変化し,現在浄化にと. 方は,宮永町や常盤町と異なり変則的である。 . もない水路の存在を許容した空間構成が現われている。こ.  E 邸,F 邸ともに武家屋敷の流れを持つが,E 邸の敷地. の町では,かつて狭い敷地でしかも高密に水路を利用する. は,南と北で 2 本の水路(w3,w4)と接し,北側の水路に. ためにパターン化した水際を並べて対応し,現在も町単位. 汲水場を設け,南側の水路は庭園の池のように仕立てて. で草取りやゴミ拾いといった維持活動を行っている。. いる。水路の水を利用していた頃の建物が,改造を加え. 13-3.

(4) ながら維持されており,池の前には座敷と縁側がある。. 水利用システム. ▼ パターン化して対応    ▼ 広さで対応 , 独立型   (常盤町の事例より)       (宮永町の事例より)           . 水路. 取水. 一方 F 邸は南側の水路(w5)に汲水場を持ち,更に池とし 利用. ていた。生活汚水は水路とは切り離された北西のタンボに. 畑 地. 菜園. 宅 地 畑 地. が変わったが,以前の建物も現在の建物とも池の前には 座敷と縁側を設けている。私有地内を通る水路を池とし,. 水路に汲水場 , 建物の水路 側に水周り , 浄化のための 溜桝 , タンボ , 菜園があり , 水をきれいにしてから水路 に水を流す。. それを観賞する空間がとられ,建物と庭が対応している。 水路は池として庭の要素に利用され,普段の手入れは居. クモデ網 汲水場 舟. 道. E邸 汲水場と 池の併置. 汲水場. 邸で池となり,隣家では本流から引き込み型の池にしてお クモデ網. 舟. 広い堀. いる。そして再び私有地内に入り池に仕立てられすぐ隣に. 囲み型屋敷. 道. 汲水場が設けられるなど,敷地と水路との関係に応じて水 路の用途が次々に移り変わっている(図7) 。 広い堀. 細分化宅地. 細分化宅地. 細分化宅地. 道.  以上のように,鬼童町では水路と私有地との関係が固 定されておらず,水路の用途は場ごとに変化し,水路の利 用や管理が各家に任され,水路を私有化することにより. 道. 短冊型敷地. 短冊型敷地 細い水路. 道. 短冊型敷地. 水路での活動 (汲水場,池,舟, クモデ網などがある。) 「いえ」領域.  一般的に,水路は公共空間とみなされ, 「私」から切り離. 引き込み 型の池. w4 池. 鬼 童 小 路 外 堀. 囲み型屋敷では,堀と屋敷 は分離しているが,各家が 汲水場,舟,クモデ網を堀 に置いていた。堀は各屋敷 に付随した領域となってい た。 広い堀に居住空間を開き, 堀上の空間をとり込んでい る。 堀は,舟下り路に使われな がら,同時に,堀に面した 家にも活用されている。 細い水路が家に挟まれてい る。 水路は両岸の家の連続空間 で,空間も水路の水も共用 されている。. 細い水路. 各家で維持が行われている。 6  「 公 」「 私 」 領 域 の 関 係 性. 母屋 庭. ▼ 立地に応じて対応(鬼童町の事例より)               w3. 図 7  水路利用と浄化システム. り,次の家では敷地沿いを流れており汲水場が設けられて. 溝. 水 路. 住者自らが行っている。  水路の利用を w4 の流れで見ると,外堀から引き込まれ E. 庭 倉. 排水. 流れていた。昭和 40 年代の建替えにより,規模や間取り. 門. 宅 地. 浄化. 溜桝・タンボ. 水路が通る敷地. 水路が敷地の中を流れ,池 に仕立てられて,水路は居 住空間の中に組み込まれて いる。 空間 , 利用とも,各家に限 定されている。. した管理運営がされている。 これは水路が水の通路であり,. 図 8  領域関係. その他にも貯水や遊水池といった広域的な役割を担ってい.  このように,水路や敷地形態に応じた水路の利用が行わ. るためである。柳川でも,外堀は準用河川として管理され,. れ,維持についても,観光業者が中心であったり,町単位,. その他の水路も各種団体の管轄下にある。しかしながら,. あるいは居住者自身など異なっている。これらに共通して. 宮永町,常盤町,鬼童町の事例から明らかなように,水路. いる点は,水路と水の流れを維持していることである。各. の空間自体は「私」領域と重なりあい,居住空間と関係し. 「いえ」が連続体である「水路」の部分と関わり,それらが. 敷地内の水路. ている(図 8) 。. 連なって次へと水を流している。そして,各「いえ」での.  宮永町の囲み型屋敷は,木々で囲まれ周辺から独立し,. 水路に対する振舞い方にも共通項がある。それは,この地. 堀と宅地部分は木々により分離されていた。 しかしながら,. 域特有の取水路と排水路に兼用されることに対して,各. 各家は堀に汲水場を設け,さらに舟やクモデ網を置いてお. 「いえ」ごとに汚水を処理していたことである。この自領域. り, 堀はそこに面した各屋敷に付随した領域となっていた。. 内での浄化処理は,規模や構成が異なるすべての「いえ」で. 現在,堀沿いの家の中に,堀に開口を向けて堀上の空間か. 行われていた。. ら室内に自然をとり込む形態が見られる。この堀は,舟下.  以上,柳川の水路を居住の視点から見てきたが,水路を. り路にも利用されており,舟の道に使われながら,同時に. 単なる水の通り道として限定的に扱うのではなく,立地や. 堀に面した家にも活用されている。. 時代状況に対応したかたちで,水路そのものの用途や,水.  常盤町では,細い水路に面した両岸の家の水路境は開放. 路水,水路上の空間の利用を重層させていることが注目さ. されていた。そのため水路両岸と水路は一体的な空間とな. れる。このような「水路」と「いえ」の双方を生かしあう. り,更に,そこを流れる水は水路の両岸に並ぶ家々によっ. 関係は,人々が居住環境を自らの手で整えていくうちに生. て反復利用されており,空間も水も共用物となっていた。. まれたものである。空間や利用について,住宅が単一の.  鬼童町では,前 2 地区のように敷地の外側を水路が流れ. 「私」に限定的であるのに対して, 「水路」は複数の「私」に. るのではなく,水路が「いえ」の領域内を流れている。こ. 共用される。そのような複数の「私」の共用領域を現在は. の水路は居住者の手で池に仕立てられ,居住空間の要素と. 「公」として区分しているのであって,本来,居住の場であ. なり,利用,空間とも水路が通る「いえ」に限定されてい. る。従って, 「私」を排除することで成立する現在の公共性. る。. とは異なる仕組みが必要である。. 13-4.

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