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「見渡せば花も紅葉も」(新古今秋上・定家)の歌 をめぐって

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九州大学学術情報リポジトリ

Kyushu University Institutional Repository

「見渡せば花も紅葉も」(新古今秋上・定家)の歌 をめぐって

瀬古, 確

https://doi.org/10.15017/12274

出版情報:語文研究. 18, pp.48-55, 1964-08-31. 九州大学国語国文学会 バージョン:

権利関係:

(2)

﹂   

見渡せば花も紅葉もなかりけり浦のとまやの秋の夕暮  

なる歌は古来三夕の歌として有名セあるが︑その解釈については必  

ずしも未だ一定してゐないのである︒即ち僻和の初年にあって斎藤  

茂曹氏と谷鼎氏との間に論戦の行はれた如く二親があって相談らな  

いのであるぜ両氏の論争の中心は鮪ニ︑三旬の﹁花も紅薬もなかり  

けり﹂にあるのであって︑斎藤茂青氏は﹁見渡せばもう花も紅葉も  

ない淋しい甜の苫島の秋の夕蕃である﹂と実景として之を解せられ  

るのに対して︑谷氏は﹁浦のとまやの秋の夕ぐれは見渡せばあの黄  

の代襲の如く晋はれる春の花秋の紅葉も間囁にならぬほとの絶景で  

ある﹂と之を観念的に取扱ひ︑比較の楼準として花や紅葉を用ゐて  

ゐるものと見るのである︒   

既に早く北村季吟の﹁八代集抄﹂にあっても  

愚につき両義あり︑此の浦の苫屋の秋夕を︑見渡せば花も紅葉  

もなきに︑いふよしなき演気ありといふ説あり︒又此の帝の苫   

﹁見渡せば花も紅葉も﹂︵瑠酌鰍︶の歌をめぐって  

崖の秋の夕景にほ花も紅葉もいらずとの心云々︒然れども始め  

の説感廃しと肺説なり︒﹂  

の如く両説を挙げ師の松永貞雄の乗鱗説盲附配してゐるのである︒   

本居定長は莞浪の家づとに於いて   

二三の旬明石ノ巻の嗣によられたるなる八けれど︑けりといへ   

る蓼いかゞ︒其故は︑けり上いひては︑上旬さぞ花もみぢなと   

有ておもしろかるぺき所と凰ひたるに︑来て見れば︑花紅葉も   

なく︑何の見るぺき物もなき所にて有けるよといふ意になれば   

なり︒そも/\紺の背恩の秋の夕へは花も紅葉もなかるぺき  

は︑むとよりの事なれば︑今さらなかりけりと︑歎ずぺきに   

あらぎるをや︒我ならば﹁見わたせば花ももみぢもなにはがた  

あしのまろやの軟の夕碁﹂などぞよまゝしとぞある人はいぺ  

る︒  

の如く言ってはこの歌の改作さへも示してゐるのであるが︑﹁花む  

紅葉も﹂を実泉と見てゐることは聴かである︒   

之に対して石川正明は尾張の家づとに於いて   

(3)

  浦の苫屋に花6みちのなき物とはいかで定めらるるならん︑磯

  山浦はの桜楓はめいぼくを失ひたりと愁申すべし︒されど此の

  歌はふみ月葉月の夕ぐれにて花のなきは勿論の慕もみちもいま

  だそめあへぬ程の時也︒一首の意は浦の苫屋の秋の夕ぐれをみ

  渡せば花もみちの慕も忘れてあはれにをかしきぞと也︒俗にい

  はゴ花もいらぬが︑紅葉もいらぬといふほどの堺也︒しか心う

  つす趣は詞のうへにはなけれど浦の苫屋の秋の夕ぐれといへる

  あはれなるさま言外にうかびてみゆるなり︒

と習ってば﹁花も紅葉も﹂をたぜ観念的に眺めようとしてみるので

ある︒ かくて宣長の如く花も紅葉も存在しないと見るものには鴻巣楴広

・山崎敏夫・石田吉貞・斎藤茂吉︒窪田窒穂等の諸氏があり︑正明

の如く花ももみぢも問題でないとするものには塩井雨江・佐々木信

綱・尾上柴舟・谷鼎・川田順等の諸氏がある︒猶恩師小鳴冑雄博士

の如く ﹁浦の苫屋の秋の夕ぐれは一物のさへぎるものもなく︑花や紅藥

 の美しさもないが︑花や感応の風情にもましヴ︑哀れ深い情趣を蔵

 してみる風景である︒﹂

と言はれては︑斎藤氏や谷氏の立場とは違って之等を包容するやう

な説も現はれてるるのである︒

 以下少しくこの歌について私の考を述べてみたい︒

五づこの歌の﹁見渡せば﹂と言ふ言ひ方は新古今集の中にも五例 ほど之を見出だす嚢が出来るのであって︑当時としては好んで用ゐられたものと思はれるけれども︑この歌の解釈にさして影響する所は少いやうである︒たゴ  見渡せば霞のうちもかすみけり姻たなびくしほがまの浦      ︵雑歌中︑壌隆︶なる一首は春の七ほがまの風暴を写したものとして多少この理解に役立つのではないかと思はれる︒ ﹁花も紅葉も﹂は斎藤︑谷︑両氏の論勢の中心となったのによっても︑花や紅葉がどのやうに眺められてみるかを考察してみなければならないであらう︒ 睡にこの句は源氏書斎の明石の巻に  はるばると物のとビこほりなき海づらなるに︑中々春秋の花も  みちのさかりなるよりはたゴそこはかとなうしげれるかげども  なまめかしきにとあるのに擁つたものだと書はれてるる︒抑も﹁花も紅葉もしといふ言葉は源氏物語にあっては︑﹁花鳥﹂と共に風物の代表として履々用ゐられてるるのを注意すべきである︒即ち  時々の花紅葉空の気色につけても心の行く事も侍りにしかな      ︵薄雲︶  をりふしの花紅葉につけて︑哀をも情をも通はすににくからず  物し給ふあたりなれば︵椎本︶などの如き用例があって春秋のものの代表として花と紅葉とを挙げてみるのであり︑明石の巻の如き春秋の花や紅葉の美しさにも増して夏の海辺の緑蔭の美しさに心を引かれたものと思はれるのであ

四九

(4)

る︒源氏の作者が春や秋の風物ばかりでなく夏や冬のものにも強い

関心を抱いてみた事は︑夏の蕎薇のしめやかな趣を描いて

  階のもとの薔薇気色ばかり咲きで春秋の花盛よりもしめやかに

  をかしき樗蚕るにうち解け遊び給ふ︵謹直︶

と言ってみる所や︑冬の月の雪に映えた美しさを賞美して

  時々につけても人の心をうつすめる花紅葉の盛よりも冬︑の夜の

  すめる月に雪の光りあひたる空こそ怪しう密なきものの身にし

  みて此の世の外の謬まで思ひ出され面白さも衷さも残らぬをり

  なれ︒すさまじき例に言ひ噴きけむ人の心浅さよ︵愚︶

と言?てるる所にも之を窺ふ事が出来るであらう︒しかもこれらの

例にあっても春秋の花紅葉は夏の緑蔭とか冬の月の雪に映えた美し

さとの比較上引合に出されてみるのである︒

 かくの如く夏や冬の風物の美しさを並べるのにあたって︑春秋の

風物の代表として︑花紅葉を比較の標準にする事は︑如何にも尤と

思はれるのであるが︑秋の夕暮の浦の苫屋の風累を叙するにあたっ

て︑春と秋とのものを引合に出すのは如何なものであらうか︒もと

より観念的に美の代表として出すのには差つかへもないであらうけ

れども︑同じ秋の毛のと比較するのにはいさ︑か落附かない感じが

する︒即ち春秋の美の代表としての花紅藁を比較の標準とするのに

は他の季節夏や冬には相賑しいけれども・︑この場合には似合はない

やうに考へられるのである︒私は寧ろこの﹁花も紅葉も﹂共に秋の

ものとして秋の野を飾る千草の花も木々の美しい紅葉も見受けられ

ないと考へたいのである︒源氏物語にも少女の巻に九月のころ中宮

より紫の上への贈物を写して 五〇

  風うち映きたる夕暮に御意の蓋にいろいろの花紅葉をこきまぜ

  て此方に奉らせ給へり︒

と記されてみるのは︑花も紅葉も共に秋のものとして挙げられで︑み

るのである︑花をも紅葉をも共に秋のものとする薯によって︑この

歌の上句と下句との闘係は繭層滑かになるのではなからうか︒即ち

遠い春のものと秋のものとによって秋のものに比較するといふので

なく︑同じ秋の豊富の中から冬春を選ぶか後者を選ぶかの問題とな

って︑上と下との関係が一入自然になるのではないかと思ふのであ

る︒しかも世の常の花や紅葉を取上げる事なく︑浦の苫屋の秋の夕

暮といふ特殊なものを選んでみる所に︑この作の特異性があるので

ある︒その上議の﹁なかりけり﹂が既に恩師小鍋博士によって指摘

せられた如く︑﹁問題ではないしと言ふ意味ではなく︑﹁存在しな

い﹂と言ふ意味の用例しかないのに見ても︑目の前に秋のものとし

ての花も紅葉も眺められないと書つた淋しい風景を描いてみるので

はないかと思ふのである︒

 新古今集にも冬歌に太上天皇の御製として

  この頃は花も紅藥も枝になししばしなきえぞ松のしら雪

なる一首が収められてをり︑﹁花も紅葉も枝になし﹂と雷って花や

紅葉のそこに存在しない薯を示してみるのみでなく﹁松のしら雪﹂

に花や紅葉に代るものとしての美しさを認めてみる事も確である・

 これに似た歌は︑

  降雪は枝に暫しも溜らなむ花も紅葉も絶て無きまは

として寛平御時后宮歌合に収められてをり︑古今和歌六帖にも載せ

られてみる︒更にこの歌と少しく詞を異にして

(5)

  降る雪はきえでも少時とまらなむ花も紅葉も枝になき頃

      ︵冬歌︑詠人しらず︶

なる一首が後撰集に採録せられてるる︒これらは共に花や紅葉のな

い冬の季節にあって︑花や紅葉に代るものとして︑或いは花や紅葉

を悌にしのばせるものとして雪を眺めてみる事を示すものである︒

 これらの歌にあっては︑春秋の花や紅葉の美しさを愛でる絵り冬

の雪にもその悌をしのばうと謂ふのであって︑花と紅葉とを春秋の

ものとするに相顕しいけれども︑定家の歌にあっては︑下句に同じ

秋のものを持出して来てみるので私は一態花をも紅葉をも同じ秋の

ものとして眺めてみようとしたのである︒

 しかし源氏物語にも﹁花も紅糞も﹂を春秋の風物の代表としてみ

るばかりでなく︑時代は下るけれども続後撰にも

  道助法親王春かくれ侍りける年の無道深法親王又おなじさまに

  なり侍りけるを嘆きてよみ侍りける

なる詞書のもとに

  みむろ山花ももみちもかつ散りて頼むかげなき谷の下草

       ︵羅旅︑法限覚宗︶

なる歌が収められてをり︑花やもみちを春秋のものとしてみる事は

その詞書によって明かであるが︑更に続拾遺にも

  春秋の花も紅葉もおしなべて空しさ色ぞまことなける

       ︵釈教㍉前大僧正道玄︶

の如く明かに﹁春秋の花も紅葉も﹂と明紀してある作もあって︑春

秋の風物の代衰として花紅葉を眺めようとする説に甚だ好都合であ

るけれども︑私は下句の秋のものとの対比の関係から︑雪上句の花 をも紅葉をも秋のものとして比較する考を棄てかねるのであ.る︒この考はわっかに塩井雨江氏によって否定的ではあるけれども  この﹁花も紅葉もなかりけり﹂の花といへるは秋の千草の花に  はあらず︒櫻など蒋の花をいへる事は一首の調の上よりも蓄し  き薯なり︒の如く取挙げられてみる位である︒ ﹁なかりけり﹂の存在しないと言ふ意味に用ゐられてるる事は前にも述べた如く小騰博士によって指摘せられてるる︒即ち  稲妻は照らさぬ脊もなかりけりいづら灰かに見.えし陽炎       ︵恋五︑相模︶  夜もすがら浦こぐ痛はあともなし月ぞ残れるしがの唐崎      ︵雑歌上覧宣秋門院丹後︶の如く具象的なものとしての存在を否定してみるものもあれば︑  数ふれば年の残りもなかりけり老いぬる計悲しきはなし       ︵賀歌︑和泉式部︶  今ぞきく心は跡もなかりけり雪かきわけて思ひやれども      ︵冬歌︑後徳穴寺左大臣︶の如く抽象的なものの存在しない霧を意味する場脅もあるけれども︑共にその存在しない事を示す嵐においては輔致してをり︑﹁問題にならぬ﹂とか﹁花もいらぬ紅葉もいらぬ﹂と縛った意味に適当した使用例は之を発見する慕が出来ないのである︒かくて﹁なかりけり﹂との繋りに於いては﹁花や紅藥の美しさもないが﹂と言った花や紅葉を観念的なものとして之を否定すると言った解釈も導き出されるわけである︒

五一

(6)

 更に第四句に見える﹁浦の苫屋﹂は千五百番歌合の中に

  心あらむ人は中々住ぬべし浦の苫屋に世を継しても

       ︵千四百九十番左公経卿持︶

の如く収められてをり︑心ある人によっイ︑愛せられるものである事

を物語っ.てるる︒

 少しく時代椎下るけれども続古今にも

  すくもたく浦の苫屋のあし画面もす︑けて降る時雨かな

       ︵冬歌入道前太政大臣︶

の如てす〜けたわびしいものどしてではあるけれども浦の苫屋は写

されてみるのである︒千五百番歌脅は後鳥羽上羅を初め奉り︑後京

極指政良経・内大々適親・権穴納書忠良其の他俊成・定家・家宝・

雅経・慈円・顕昭等当代の代表歌人三十人に各百首の和歌を詠出せ

しめた頗る犬きな歌合であり︑山崎敏夫氏︵水甕新古愈々研究号︶

の研究によれば︑この歌合より八十一酋も新古今集に導入せられて

る惹のを思ふ時︑す︑けたわびしいものとしての漏の苫屋も﹁心あ

らむ人﹂には住んで見たいとの心を抱かしめた事を物語ってみるも

のとして注意せらるべきである︒即ち新古今に見える定家の﹁浦の

苫屋﹂にもかうした作者のあこがれといふか心を引かるれもののあ

った嘉を示してみるものと思はれるのである︒換言すれば淋しいわ

びしいものへのあこがれを抱く所に単なる花紅葉の美しさに酔ふ表

面的なものと違って心の深いものを感じたものと思はれるのであ

る︒ 最後に﹁秋の夕暮﹂一は新古今集にあっては悲しいもの寂しいもの

あはれなるものとして写されてみる︒即ち 五二

  別路はいつもなげきの絶えせぬにいとぜ悲しき秋の夕慕

      ︵離別.︑中納一寛譲隆︶

の如く﹁悲しさ﹂を誘ふものとせられてるるばかりでなく

  寂しさはその色としもなかり・けり楓たつ山の秋の夕ぐれ

       ︵秋上︑寂趣法師︶

の如く寂しいものとも雷はれてをり︑或いは

  我ならぬ人もあはれやまさるらむ鹿なく山の秋の夕ぐれ

       ︵秋下︑土御門内大臣︶

  心なき身にもあはれはしられけり鴫立沢の秋の夕ぐれ

       ︵秋上︑西行法師︶

などと﹁あはれ﹂の深いものとして描かれてみるのである︒

 源氏物語にあっても秋の夕は﹁あはれ﹂なるものとして好んで写

されてみるのを見ても︵註一︶作者が心ある人の喜ぶ﹁浦の苫麗﹂

の風景を示すのに︑特にあはれの深い時として﹁秋の夕ぐれ﹂を選

び来った所にその構硯的な態度を見逃す事は出来ないであらう︒

 以上私はこの歌の句毎にその意味を考へて見たのであるが︑それ

を約めてみると大体次のやうな解に落ちつくのではないかと思ふ︒

即ち  淋しい秋の夕暮時轟かに眺めて見るとそこには既に色とりどり

  の千草の花もなく美しい木々の紅葉も見当らなくなって了っ

  た︒たずわびしげに苫葺の漁夫の小撲が如何にも親しげに寄添

  ってみる︒何だかあはれ深く感ぜられて心を引きつけられずに

(7)

  はをられない︒

とでも解したいのである︒

 花や紅葉の美しさを悌とする慕によって︑﹁あはれ﹂な﹁浦の苫

屋﹂は一入その﹁あはれさ﹂を増してみるのであり︑花や紅葉の乏

しさを踏み越えてみる所に︑苫屋の﹁あはれさ﹂が深められてをり︑

心ある人の目に親しい存在として写らずにはみなかったものと思は

れる︒あはれを愛しわびしさに生さると言った境地を歌ってみるも

のではないかと思はれるのであワ︒︒しかもその﹁あはれさ﹂﹁わび

しさ﹂は花とか紅葉とかの艶なるものを引合に出す鵬によって︑艶

なるものをも越えろ境地として描き出されてみるのである︒利休が

茶の湯に於ける﹁わび﹂の如何なるものであったかは南坊録に罵言

の引歌として利休の伝へたものとして︑新古今の定番のこの歌と︑

爽に利休の加へた引歌として叡隆の

  花をのみ待つらん人に山里の留闘の草の春を見せばや

といふ一首を到︑てしてみるのである︒

 察隆の歌も春のものとして花を前に出し︑後に﹁甥閥の草﹂をそ

れ以上のものとして取出してみるのであるが︑この禦は定家の歌に

も移しイ︑考へる事が出来るであらう︒即ち家陥の歌にあっては︑まだ

花の見られない早春の﹁雪聞の草﹂−.﹂至った華麗なるものとは対照

的なみのに心を引かれたものであり︑平家の作にあっては既に花も

紅葉も過ぎさった晩秋の﹁浦の曹屋﹂の風光に心を引きつけたられ

たものであって︑共に利休などの庶幾した﹁わび﹂の世界を具銀化

し一・︑みるものと轡はねばならないのである︒しかも利休が﹁わび﹂

といふものは花や紅葉を越えたものとして︑無一物の簡素な美しさ ではありながら︑七かもそこには花や紅葉を悌とし︑裏打としてφるものである裏を物語るものでなければならぬ︒ 猶同じ実景とする説の中にも淋しい情趣を歌ったものとする説と︑而白い風情と見る説之がある︒鴻巣盛広・石田吉貞・窪田空穂・斎藤茂吉の諮氏は前説であり︑豊崎敏夫氏は後上を持してみる︒即ち鴻巣盛広氏は  秋の夕をおもしろしと説くは此時代の思想なりや否や︒現に煎  の二歌論に淋しみを歌へるにあらずや.︒然らばこれ亦淋しき方  に見るべきにあらざるなきか︒即ち前人の説を悉く退けて前述  の解をなせり︒敢て識者の高教をまつ︒と言はれてをり︑山崎敏夫氏はまた同じ新古へ77の  うす霧のまがきの花の朝じめり秋はゆふぺと誰かいひけむ       ︵秋上︑藤原漕輔︶ ︑見渡せば山もとかすむみなせ川ゆふべは秋となに思ひけむ       ︵至上︑太上天嘉︶などの歌を引いて︑たぜ淋しいだけのものでなく︑もっと広く他の.要素も含まれてあはれとか情趣の深いものとかの意味に解せられるとし︑古人が秋の夕をおもしろき風情と言ったのは﹁心ひかれる藝であ11︑深く心に感じ入る﹂意味であるとせられてるる︒ 元来新古今集は題によって分類せられてるる事は既に風巻景次郎氏の研究︵註二︶があって明かである︒これによれば︑この歌は

﹁秋夕﹂を題として十首連ねられてみる由の一首である︒しかるに﹁

この十首一聯の秋夕の歌には︑淋しい悲しい一色によって塗りつぶ

されてをη︑少くとも撰者がこの歌を秋の夕の淋しい憐趣を描いた

五三

(8)

ものとしてこ︑に連ねてみる事は確かであり︑鴻巣氏の説の誤りで

はない謬を示してみる︒しかし又一方淋しさを深々とた︑へた﹁あ

はれ﹂とか情趣とか言ったものも感ぜられないではない︒しかし山

崎敏夫氏の挙げられた二つの歌は秋の朝と春の夕とを詠じたもので

あって・そこに﹁淋しさ﹂以外の要素の含まれてみるのは当然であ

る︒そこには﹁ほのぼの﹂としたものとか︑﹁しっとり﹂したもの︑

﹁匂ひやか﹂なものが感ぜられるけれども︑それは秋の朝とか春の

夕がさうさせるのであって馬秋の夕のかもし出す情調ではないので

ある︒もとより引宵に出されてみる以上多少同じやうなものの動き

を秋の夕にも認められるにしても︑これらの歌によっ・て秋の夕に淋

しさ以外の要素のある事を示す積極的な謹拠止するのは適当でない

と思ふ︒しかし秋夕十島一聯の作晶中にも︑西行法師の歌の如く深

く︑﹁あはれ﹂・に心をくだいてみる作もあるばかりか︑

  我ならぬ人もあはれやまさるらむ鹿なく山の秋の夕ぐれ

       ︵秋下︑土御門内命臣︶

の如く﹁あはれ﹂な趣を強調してみるものもあるのに見ても︑﹁あ

はれ﹂とか情趣とかを璽んずる態慶を山崎氏とは劉の方面から重ん

じたいと思ふのである︒

 かくてこの歌は淋しさの中にしみじみと人の心を捉へずにはをか

ない情趣深い風暴を詠じたものとなるのであるが︑実景と書っても

︾︑れは決して実事に臨んで作ったものとは思へないのである︒当時

の下風からして︒6定家の作家態度からしても︑傍観的なものをも好

んで客観的な姿において表出してみるのを思ふ時︑そこに私は著し

く構成的なる.ものを認めずにはをられないのである︒即ち﹁秋夕﹂ 五四

を題として作者は直ちに秋の夕は淋しいものあはれなるものと感

じ・その淋しみ一わびどでも言った境地を描かうとして︑先づわ

びしいもの︑す〜けたものどしての浦の苫屋を拉し来り︑﹁秋の夕

暮﹂と組合せる事・によって蝸入その情趣の深からん事を期したもの

と思はれるのである︒しかもそこにあたかも実境に臨んでの作の如

くギ同七二のものとしての既に過ぎ去った花や紅葉を融出する事に

よって巧みに淋しいもの︑わびしいものとの対比を行はしめてみる

ばかりでなく︑華麗なるものを悌とする臨によって︑この﹁浦の苫

屋の秋の華年﹂の風景に匂ひやかなるものを夕映の空の如く一入美

しく転じてみるのではないかと思はれる︐のである︒

彼・の家運の歌

  見渡せば霞のうちもかすみけり姻たなびくしほがまの浦

       ︵雑歌中︶

には春の霞の中に更に姻を鮎出する事によって︑わびしきものをも

匂ひやかなものによって包摂しようとしてみるのであるが︑ここで

は秋の風物の華やかなもの美しいものをも既に過ぎ去ったものとし

て眺めてみるのであり・悌として一脈の繋りはあるとは言っても︑

猶艶なるものよりもあはれなるものにしみじみとした親しみを感じ

てみるのではないかと思はれるのである︒而して定家の手法よりす

るも︑必ずあはれの深いものとして﹁秋の夕薯﹂を選び︑わびしい

ものとして又心ある人には親七いものとさへ思はれる﹁浦の苫屋﹂

を之に配合する事によって︑その効果を一入深からしめようとした

ものと考へられるのである︒更に艶なるものを之に対比せしめんと

して︑花や紅葉をそこに鮎出してみるのであって︑そこには作者の

(9)

主観を露出させる事なく︑あたかも実景の如く之を具象化して示し

てみるのであって︑われわれは其虜に作者の構成的な乎法を強く意︐

識せずにはをられないのである︒

 猶山家集に冬歌十首として収められた

  花も橘れ紅葉も散らぬ山里穏淋しさをまた訪ふ人もがな

なる西行の歌に﹁花も枯れ﹂と言ってみるのは明かに秋の千草の花

であり︑花も紅葉もここでは秋の風物として写されてみる事は確か

である︒春の花は枯れれば再び咲く事はないが・千草の花の枯れる

のは当然のことである︒かくてここには今まで秋の野ぺを彩ってみ

た千草の花も枯れ︑山を染めてみた葵しい紅葉も散り盤して了つた

後の淋しい冬枯の山里を描きえて巧みである︒

 西行に親しみを抱いてみた定叡が︑この歌の手法を自らの作に応

用したものと見るのは私一人の僻目なのであらうか︒

註一︑昭和二十二傘八月発行京陵試論所収の拙稿﹁源馬物語に於

   けるあはれの一考察﹂ ︵拙著﹁鑑賞より・創作へ﹂に収む︶

   参照︒

註二︑八代集四季部の題に於ける一事実︵﹁新古今時代﹂所収︶

附記 ﹁万葉集巻十三の用岬すごめぐって﹂と題して執筆の豫定

  であったが︑三月から四月にかけ所用のため二度も上京し

  たので︑途中で変更して醤稿を補訂して責をふさぐことと

  した︒

ゴ甚.

参照

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