九州大学学術情報リポジトリ
Kyushu University Institutional Repository
相対論的分子軌道法における負のエネルギー解に関 する理論的研究
井上, 頌基
http://hdl.handle.net/2324/1654652
出版情報:Kyushu University, 2015, 博士(理学), 課程博士 バージョン:
権利関係:Public access to the fulltext file is restricted for unavoidable reason (3)
(様式6-2)
氏 名 井上 頌基
論 文 名 Theoretical study on negative energy solutions in relativistic molecular orbital theory
(相対論的分子軌道法における負のエネルギー解に関する理論的研究)
論文調査委員 主 査 九州大学 教授 中野晴之 副 査 九州大学 教授 関谷 博 副 査 九州大学 教授 寺嵜 亨
論 文 審 査 の 結 果 の 要 旨
重原子を含む系では相対論効果が重要であり、高精度な分子軌道計算を行なうには、電子相関効 果とともに、この相対論効果を取り込む必要がある。相対論的な電子状態計算は相対論的量子力学 の基礎方程式であるDirac方程式に基づいて行われる。Dirac方程式は正の運動エネルギーの解の他 に負の運動エネルギー解を解としてもつ。この負の運動エネルギーの解はそれ自体が物理的に受け 入れがたい上に、電子基底状態よりも低い準位が存在してしまうという状況を生み出す。しかしな がら、負のエネルギー解を除いて量子化すると相対論的因果律が崩壊することが知られているため、
合理的な形で理論の中に残さなければならない。このような負の運動エネルギー解は相対論的な分 子軌道法でもあらわれ、電子相関の計算における負の運動エネルギー電子を含む状態の解釈、変分 崩壊とよばれる負の運動エネルギー解の混合による変分原理の破れといった問題を引き起こす。こ れらの問題を解決するためには、正と負の運動エネルギーの軌道のベクトル空間の分割方法と負の 運動エネルギーをもった軌道の取り扱い方について理解されなければならない。このような背景を 踏まえ、本論文では、相対論的分子軌道法における負のエネルギー解に関する理論的研究が行われ ている。
1.Douglas–Kroll法における相対論的二電子反発演算子
正の運動エネルギーをもった空間のみを分割する方法として二成分法がある。これに対し、分割 する前の正負の解をすべて含んだ手法は四成分法とよばれる。二成分法には、その導出方法の違い により多くの派生形が存在するが、その中でも精度の高い方法の一つとして Douglas–Kroll(DK)
法がある。従来のDK法は一電子ハミルトニアンに対し正の運動エネルギーの空間への分割を行う 手法である。多電子系においてはハミルトニアンに二電子反発演算子が含まれるため、これを正の 空間に分割する公式も必要である。本研究では二次および三次のDK法に対しこの二電子反発公式 を導出し、計算機上に実装した。このプログラムを元に計算を行い結果を検討し、新たに導出した 公式が有効であることを数値的に実証した。
2.相対論的分子軌道理論における種々の二成分法の精度について
二成分法の多くの派生形は、正エネルギーの空間へ分割する近似方法が異なる。近似方法の違い
による四成分法との誤差を比較することにより、正と負の運動エネルギーの軌道のベクトル空間の 分割方法が理解されるものと考えられる。しかしながら、種々の二成分法の導出過程は一貫性が無 く、統一的な議論が困難である。本研究においては、種々の二成分法の包括的な議論を可能とする Generalized Foldy–Wouthuysen(GFW)変換を提案した。このGFW変換を元に種々の二成分法の表 式を検討し、とりあげたすべての二成分法がこの GFW 変換により説明されることがした。また、
このGFW変換の表式に基づいて、種々の二成分法の誤差が系統的に分類できることを示した。
3.相対論的分子軌道理論の量子電磁力学に基づく構成
負のエネルギー解の取り扱い方の問題に関しては、素粒子物理学で用いられる場の量子論では、
この負のエネルギー解を反粒子とよばれる粒子の解とみなすことで既に解決している。しかしなが らポテンシャル中の束縛問題、特に電子が二つ以上ある場合には、電子相関により1粒子状態が厳 密に定義できない。したがって、陽電子に置き換えることで解決する可能性はあるが、どのように 軌道を陽電子のものに置き換えればよいかという点についても明らかではない。本研究では束縛状
態のDirac方程式の負エネルギー解とDirac–Hartree–Fock法の負エネルギー非占有軌道が反粒子の空
孔であると矛盾なく解釈できることを示した。また、この事実に基づき、従来用いられている相対 論 的 ハ ミ ル ト ニ ア ン で あ る no-virtual-pair approximation(NVPA) ハ ミ ル ト ニ ア ン や virtual-pair
approximation(VPA)ハミルトニアンがもつ負のエネルギー解に由来する問題点を含まないquantum
electrodynamics(QED)ハミルトニアンを基づく分子軌道法の定式化および計算プログラムの実装 をおこなった。その結果、QEDハミルトニアンが分子軌道のユニタリ変換に対しユニタリ不変でな いこと、場の量子論の共変摂動論で生じる発散の問題が QED ハミルトニアンによる電子相関計算 でも生じることが明らかになった。また、この発散がメラー・プレセット摂動法ではくりこみがで きないことが示された。これらの新たな問題に対し更なる検討を行い、ユニタリ不変性の破れに関 しては分子軌道が定常状態において時間発展しないという要請を理論に組み込むことで、発散の問 題に関しては有限基底近似を運動量切断とみなすことで、それぞれ回避可能であることを明らかに した。これにより、QEDハミルトニアンに基づく分子軌道理論が合理的なものであることを示した。
本研究で得られた知見は、相対論的分子軌道法に含まれる理論的矛盾点が解決すると共に、陽 電子化合物を分子軌道法の枠内でかつ相対論的に取り扱うことを可能にした。また、電子状態理論 から電子場状態理論へ理論を拡張し、より一般化するための鏑矢となりうる。
以上の結果、主論文を中心として化学専攻主催のもとで公聴会を開き、論文審査委員が出席して 質疑応答を行い、化学分野において価値ある業績であると認定した。
よって、本研究者は博士(理学)の学位を受ける資格があるものと認める。