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著者 岩崎 美智子

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(1)

ンの『アサイラム』で読み解く試み

著者 岩崎 美智子

雑誌名 東京家政大学博物館紀要

巻 21

ページ 1‑13

発行年 2016‑02

出版者 東京家政大学博物館

URL http://id.nii.ac.jp/1653/00010369/

(2)

はじめに

本稿の目的は、子どもにとっての施設生活の意味を考察するために、E・ゴフマンが『アサイラ ム』において描いた施設被収容者(inmate)の自己の構造理論をてがかりとして、児童養護施設 で暮らす子どもたちの日常生活や他者との関係性に焦点をあてて検討することである。

児童養護施設は、児童福祉法第 41 条に規定されている児童福祉施設のひとつである。戦後まも なくは戦災孤児が多く暮らしていたが、その後は、親の行方不明、親の病気、離別等を理由とする 入所が続き、近年では被虐待を理由に入所する子どもが多い(入所児全体の 37.9%)。現在でも、

全国601か所の施設で28,183人の子どもが生活することから、その役割は重要である1)

児童養護施設で暮らす子どもに関する研究は、かつては一部の社会福祉学研究者が地道に続けて いた地味な分野であったが、1990 年代以降児童虐待が社会問題となって社会的養護にも注目が集 まり、児童養護施設にも関心が向けられるようになってきた。今日では、社会福祉学のみならず、

社会学、教育学を専攻する若い院生の修士論文や博士論文にも、社会的養護に関するテーマが散見 される。

また、児童養護施設の子どもについて論じる場合、その多くは貧困との関連で、あるいは、困難 や支援の対象とされることが多い2)。確かに、社会的養護を必要とする子どもたちは、「環境上養 護を必要とする」状況に置かれているのであり、その根本には家庭の貧困問題が存在している。子 どもたちが直面する社会的不利は払拭されなければならず、その自立支援は日本社会が取り組むべ き重要課題のひとつであるという認識を筆者も共有する。しかし、施設で暮らす当の子どもにとっ て、生活の場としての児童養護施設がどのようなものなのか、その実態は必ずしも把握されている とは言いがたいのではないか3)。そこで、本稿においては、児童養護施設で暮らす子どもたちが、

施設生活をどのようにとらえ、何を思っていたのかを、特に、子どもと職員との相互作用と、子ど も同士の関係性に焦点をあてて考察することにしたい。子どもにとっては、その場所で、目覚め、

施設で暮らすということ

  子どもの生活をゴフマンの『アサイラム』で読み解く試み  

岩崎 美智子

Living in Institutions:

Reading Goffman’s “Asylums” to Try to Understand the Lives of Children Michiko I

wasaki

児童学科 福祉社会学研究室

(3)

食べ、学び、遊び、眠ることから、施設は他に代えることができない生活の場である。そのため、

四六時中ともに過ごす他者との関係は、決定的に重要な意味を持つ。そのような理由から、日常生 活における他者との相互行為を研究対象としたゴフマンの理論は、児童養護施設での生活を考察す るうえで大きな示唆を与えてくれるだろう4)

E・ゴフマンは、「多数の類似の境遇にある個々人が、一緒に、相当期間にわたって包括社会か ら遮断されて、閉鎖的で形式的に管理された日常世界を送る居住と仕事の場所」のことを「全制的 施設 a total institution」と呼び、5 つに分類した。児童養護施設は、そのなかの 1 種に該当する が、つぎのように規定されている5)

「〔一定の〕能力を欠き無害と感ぜられる人びとを世話するために設置されているもの…盲人・老 人・孤児・障害者のための収容所」

『アサイラム』では、精神病院を舞台として、被収容者たちが、施設入所前に持っていたアイデ ンティティを剝奪され無力化されながらも、自己を維持していこうとするメカニズムが描き出され た。ゴフマンが導き出した枠組に照らし合わせて、本論文では、かつて児童養護施設で暮らした経 験をもつ成人たちの語りから、子どもたちが施設生活における他者(職員、子ども同士)との関係 性をどのように形成し、かつ子どもたちは施設生活にどのように適応しようとしていたのかを検証 することをめざす。換言すれば、「施設で暮らす」ということが、当の子どもにとってどのような 意味をもつ経験なのかを考察することが、本稿の目的である。

調査方法

2014年12月におこなった1対1の半構造化面接。調査実施にあたっては、調査目的と方法につい て書かれた文書を事前に送付し、収集した語りの一部を論文等の形で公表することを伝え、調査協 力者(以下では、「対象者」と記す)ご本人の了解を得た。

本論文では、質問項目のうち、「施設生活のなかでの印象的な出来事や人」、「施設の生活で苦し かったこと、困ったこと、悲しかったこと」、「職員に対して思ったことや感じたこと」に関する語 りから分析をおこなった6)

対象者

子ども時代の一定期間を、同じ児童養護施設(以下、「X 園」と記す)で暮らした経験を持つ 30 代〜50代の男女 6名。  

・入所時の平均年齢 7.2歳

・平均在所期間   8.3年

・入所理由     母の病気(入院)、母による虐待、父の受刑、父による養育困難など

彼/彼女らがX園で生活したのは、1970年代〜1990年代である。そのため、当時の養護実践は、

現在の児童養護施設で行われているそれとは異なる部分が多々見受けられる。特に、子どもの人権

(4)

や権利擁護に関する職員の認識は、現在では当時とは比較にならないほど向上しているものと思わ れるが、対象者たちが在籍していた当時は、今と比べて子どもの人権に対する配慮は充分にはなさ れていなかった。しかも、前述したように、今回の分析では施設生活を送ったなかでの苦しかった ことや悲しかったことを対象としているが、喜びや楽しかった出来事については取りあげていない ため、児童養護施設や職員に関してネガティブにとらえた面が多く記述されることになる。つま り、ここでの考察は、当の子ども自身が、施設生活における日常や、職員・他の子どもとの相互関 係をどのように認識していたかに焦点を当てるため、本質的な主題は「施設という集団生活」その ものにある。さまざまな事情で集まった子どもたちが職員や他の子どもと施設で生活するなかで は、どのようなことが起こりうるのか、負の側面についてもそれらを避けずに検討すること、ま た、子どもたちはどのように感じ、思いをめぐらしたのかを考えることが重要である。

Ⅰ 施設に入所すること―外部世界からの隔離と過去の剝奪

施設に入所するということは、それまでの生活環境を離れて、新たな生活の場に入ることである。

それまで身につけていた衣服や私用していた日用品の持ち込みは制限され、新たな日課のもとで、

見知らぬ他者とともに暮らすことである。子どもにとっては、今までなじみ愛着をもった人や物を 喪失することであり、自身を支える支柱の剝奪であり、「自己が無力化される過程」でもある7)

【語り1 入所時の記憶】 Aさん(30代、女性)

覚えてることって、小さい時(幼稚園のとき)だから、ちょっと…。でも、入所した時のがす ごい記憶に残ってる。両親とわたしで、相談所からここの X 園に来た日、初日に、話が終わっ て、両親が帰るってなった時に、わたしがとっても大泣きして。「一緒に帰る」って大泣きして

…。それが強く残ってます。

*:その時、(病気の)お母さんもいらした?

いました。もう、泣く泣くっていうか、帰って…。

*:その時は、当然、自分では(入所することを)納得してないでしょう?

そうです。なんで、ずっと一緒に家族で住んでて、きょうから、ここ…。

*:これは、いつごろ納得できました、っていうと変な言い方だけど…。

いつごろ……。しばらく……。1年後。

しばらく。何か月かいて慣れたのかなと思うんですけど、そこまでの過程はちょっと忘れてい ます。

両親とともに X 園を訪れた A さんは、自分もいっしょに帰宅するものと思っていたが、自分だ

(5)

けが施設に残されることになった。このような家族との突然の別離を、施設に入所する多くの子 どもたちが経験している。当の子どもにとっては、納得のいかない日常世界からの離脱であり「過 去」との切断である。A さんの場合も自宅に帰れないことはつらかったが、病気で入院中の母親 に代わって父親が毎週迎えにきてくれたため、週末と夏・冬休み中は自宅で過ごせたことが救い だった。

Ⅱ 職員と子どもとの関係―統制と従属

全制的施設においては、多数の監督される側―被収容者(inmate)―と少数の監督する側の間 に根源的裂け目(乖離)があるとゴフマンは言う8)。確かに、ケア(援助)関係においては、ケア する側とケアされる側には、本質的に非対称的な権力関係が存在する。ケアされる側は、ケアを必 要とする理由(ニーズ)があるが、それを自分では満たすことができない。児童養護施設の場合、

子どもたち(ケアを必要とする側)は、衣食住や生活手段を自分自身の手で確保することはほぼ困 難で、養育者に依存することになる。加えて、児童養護施設においては、ケアする側(職員)がお となであり、ケアされる側(入所児童)は子どもだということから、身体的のみならず精神的にも 社会的にも両者の力関係には圧倒的な差異がある。さらに、社会福祉の現場では、サービスを提供 する者とサービスを受ける側との間には、労働の性質、職場環境、労働特性といった理由から葛藤 関係を孕む場合が多いのである9)

はたして、子どもたちにとって、施設職員はどのような存在なのだろうか。

【語り2 必要な存在だが、親ではない】 Aさん(30代、女性)

わたしの場合は、(週末に)家に帰ってるからか、先生たちのことを親代わりとか、そこまで 強くは思ってなくて…。「わたしのお母さんだ」「お父さんだ」っていう気持ちは強くなかったと 思うんです。

*:そうすると、先生たちって、どういう存在ですか?

自分たちの仲間…?でも、施設の子にとっては必要不可欠だと思います。まあ家族…?

親ではないけど…。他の仲間がどう思うかわからないけど、親戚みたいな感じかな。

【語り3「統制官」としての職員】 Bさん(30代、男性)

*:先生方(職員)に対して、子どものころ、思ってたこととか、感じていたことって何かあり ます?

ちっちゃいころは、威張ってる先生とかもいたので、なんか嫌だなとは思ってましたけど。

「規則、規則」ばっかりで(笑)。でも、全員が全員、そうじゃないんです。なかには、とっても 心配してくれて、いい先生だなと思ってる先生もいたけど…。いろんな先生、いるから。

(6)

*:保育士の先生方は、お母さん的な感じではない?

どうなんですかね。なんか、「先生」っていう感じです。「管理してる層」みたいな…。やっぱ り、規則とかがあれですかね、あの時はそうは思ったんですけど…。卒園してからは「それ(規 則)も必要だろうな」とは思っています。

かつての児童養護施設では、直接処遇担当の指導員や保育士のことを「お父さん」「お母さん」

と呼ばせているところが珍しくなかった10)。施設を擬似家族化し、家族的親密感を創出するためで あった。しかし、1970 年代半ばに生まれ、1980 年代に施設生活を送った A さんには「親戚のよう な存在」、同年代のBさんにとっては、職員は「子どもを管理している人」と受けとめられていた。

Ⅲ 統制のプロセス―規則と賞罰

ゴフマンによれば、「全制的施設」では、無力化の過程が進行するのと平行して、被収容者は、

「特権体系the privilege system」を公式・非公式に教えられ始める。それらに特徴的なことは、以 下の3点である11)

①〈所内規則〉…指示事項と禁止事項

②賞あるいは特権…行為の上でも気持の上でも職員に対して従順であることが交換条件

③罰…規則違反の結果 家郷世界で出会う罰よりはるかに厳しい 施設生活に特徴的な統制のプロセスを、語りからみてみよう。

Ⅲ-1 規則を守ること

集団生活においては、秩序維持のために、やらなければならないこと、やってはいけないことと いった多くの規則が設けられ、子どもたちはそれらを遵守することを求められる。

【語り4 集団生活における制限】 Cさん(30代、男性)

やっぱり、団体行動ってところですかね、一番。共同生活のうえで、大変だったことが多いで す。子どものときで、遊びたい時期が。時間っていうのが、一番きつかったのは門限ですかね。

はっきり覚えてないんですけど、中学生ぐらいで、たぶん5時、6時ぐらいだったと思うんです。

よく遅れてました。やっぱり怒られますよね。しょっちゅう怒られてました。

(施設での生活で)一番嫌ってのは、規則です。これは(集団生活には)付き物だと思うんで すけども、当時はとても苦痛に感じました。当時は、やっぱ、遊びたい時期なので、自由がほし いっていうのは常に思ってました。

【語り5 門限】 Bさん(30代、男性)

門限とかがあって、友だちと遊びに行くのがちょっと…。夕方ぐらいだと思うんですけど、た

(7)

ぶん。高校生とかの時は、「クラス会」っていうのがあったんです。そういうのに参加したかっ たけど、やっぱ門限があるから、あんまり出られない。

中学生・高校生という友だちとの関係がもっとも重要な時期に、施設で暮らす子どもたちは、

「門限」という名のルールによって行動を規制される。一般家庭で暮らす子どもたちであれば、当 然のように自らの意志でおこなうことが可能な行動を制限されることによって、子どもたちは外部 世界との交流を遮断されてしまう。

Ⅲ-2 職員に対する従順

職員との関係において、子どもたちは、はたから見れば当然の権利や些細な評価であっても、そ れを得る場合には、必ず職員に従順であることが前提とされる。

【語り6 ケアする側への従属化】 Dさん(40代、男性)

あと、やっぱ、子どもながらに職員の(行為を)理不尽に思ったりとか、職員の、なんていう んですか、戒めみたいなものを受けたりとかしたんですけど…。今になって(自分も)親になっ てみると、子どもにもちょっと理不尽なことを言ってみたりとかするじゃないですか。そういっ たのも人間ですからあるのかなみたいに思いますけど。

自分も悪かったから、しばらく寮(施設)にいなかったとか、そういったのでたたかれたりとか

…。「あれ?なんで?」って思うとこでたたかれたりとか、そういったのもたまにあったので…。

*:子どもだから何も言えないですね、そういうとき。

帰る場所はそこしかないので、従うしかないでしょう、殴られても。「親元」ですから、言っ てみれば…。物心ついた時から、こっちはおうちだと思ってたので。でも、逃げ出す人も、やっ ぱ、いました。

職員による理不尽な体罰に対しても、子どもたちは「ここは、親元だから」と自身を納得させる ほかはない12)。そうしなければ、生きていけないのだから。子どもたちは、施設生活に適応しよう と懸命に努力を続けるのである。

Ⅲ-3 厳しい罰

規則を守らない場合には、罰が加えられる。それらは、一般的な家庭生活で親から子に加えられ るそれと比べて、身体的・精神的に重い罰である。罰は、他の子どもの眼前で行われ、有無を言わ せない。軍隊との共通性さえ感じさせるものであるが、子どもたちは職員に対する不信感や憎悪の 感情を持ったとしても抵抗することはできないのである。 

(8)

【語り7 統制のための厳しい罰】 Bさん(30代、男性)

規則を破ったら罰とかがあって、それが大変でした。たたかれることもあります。あとは、正 座を 1 時間やったりして…。反省文書いたり、朝 5 時に起きてマラソン 10 周ぐらいやらされた。

あとは、草刈り作業とかも…。

*:どういう規則を破ったんですか?

たばこ吸ったり…。自分が悪いけど(笑)。無断で外泊っていうか…。そういったのです。

あの時(子どものころ)は、感情的になって体罰を与えないほうがいいんじゃないかなって 思ってた。うちのお兄ちゃんも集団でたばこ吸ってばれた時があって。芋づる式みたいな感じ で。それで、指導室とかに座らされて体罰を…。うちのお兄ちゃんもすごい殴られて。そういう のを見てるから。

自分もやられたけど。本当に指導っていうか、なんか感情をぶつけて、感情赴くままに殴って る先生(男性)がいたので、そういうのを見たら、ちょっと…。「なんだ、こいつ」って思った けど。

自分と関わりの深い他者の身体に攻撃が加えられるのを目撃しながら何ら対抗措置がとれないと いう経験は、無力化を促進させるものだ13)。子ども時代のBさんは、兄を守れない屈辱的な状況の なかで必死に自己を保とうとしていた。

Ⅲ-4 秩序化のための統制

職員が暴力をふるったことを子どもから訴えられても、それに対して同僚である別の職員が抗議 をしたり、子どもを守ってくれることはなかった。

Eさん(30代、女性)は、施設生活で大変だったことについて、子ども同士の上下関係や職員の 体罰を挙げた。なかでも、腑に落ちなかったのは、男性職員に理不尽な理由によって彼女が叩かれ たことを女性職員に告げたものの、そのことについて「対応してくれなかった」ことである。

【語り8 統制の黙認】 Eさん(30代、女性)

わたしも思春期だったかもしれないけど、中1ぐらいの時かな、なんかすごい手を挙げられて、

もう…。「ごちそうさま」って言ったか言わなかったとか、そういう感じで。先生も、たぶん積 もってたと思いますけど。わたし、この先生のこと、好きじゃなかったんです、あまり。たぶ ん、態度で出てたんでしょうね。みんなの前でぼこぼこ、殴られて。だけど、誰も、みんな、

やっぱり怖いから止めないし。この男性職員、40 前半ぐらいの先生だったと思うんですけど。

髪、引っ張られて、職員室に連れて行かれて…。おなかとか蹴られて、わたし、もう死ぬかなと 思って…。

とりあえず学校に行って、帰ってきたらすぐ(施設の他の)先生に訴えたんです。Z先生(女

(9)

性)たちに訴えたんじゃないかな。Z 先生なんかは、話は聞いてくれたものの対応してくれな かったんです。

*:職員同士の何かがあったんでしょうか?

それが見えました。それはとっても嫌でした。「じゃあ、どこに言えばいいの?」って感じで はありました。「おまえにも原因があったんじゃないか」とか、やっぱいろいろ言われたんです けど…。みんなの目の前で殴ってたので、他の子たちも「あれは、ちょっとひどいよ」とかって 言ってくれたんですけど。

職員からも、たぶん評判はよくない先生だったと思うんです。だけど、対応してもらえなかっ たことが、一番の、今でも嫌な思い出かな。

集団生活の秩序維持のため、職員による子ども管理は徹底される。規則を守らなかったことへの 罰以上に、管理者である職員に対する反抗は厳しく戒められるのである。同僚職員は、仮に、子ど もを救おうと思ったとしても、それを他の子どもや職員の前で行うことはできない。なぜなら、職 員に反抗した子どもをかばう行為は、集団の秩序を乱した者に同調するものとして管理者には認め られない行為だからである。

Ⅳ 子ども同士の関係―日常における暴力と支配

Ⅳ-1 子ども同士の暴力

施設生活で「いやだったこと」や「大変だったこと」を問うと、「子ども同士の上下関係」と答 える人が多い。施設生活では、年長者(といっても、2〜3 歳の違いに過ぎないのだが)による年 少者への力の行使が、施設の掟として日常に浸透している。年少の者、気が弱い者は、年長者のす ることに逆らうことができない。しかも、それは、職員不在の状況で多く行われる。力の行使、統 制という秩序への従順が、職員―子ども関係のみならず、子ども(年長者)―子ども(年少者)関 係でも求められるのである。

Dさん(40代、男性)は、「お風呂(入浴)が怖かった」という。入浴は一日おきで、「見守りの ボイラーの先生」はいたが、日常の世話を担当する養護(保育)職員はその場にいなかった。3歳 児も、中学生も、高校生も同じ浴場に入ることになる。

【語り9 職員不在時におこる暴力】 Dさん(40代、男性)

ちっちゃい時はいじめとかに遭って。物を取りあげるんですよね、欲しい物は自分のものにし たりとか…。

*:年上の子が年下の子をたたいたりとかは、ないんですか?

そういうことは、結構日常的にありました。先生がいたら止められますので、先生がいないと

(10)

きに、やっぱり…。お風呂場もそうですし、お風呂の前とか後ろとか、ちょっと自由な時間に どっか連れて行かれてその場で…。

Ⅳ-2 子どもの世界における支配

子ども間の「力の行使」は、個に対するいじめや身体的な暴力だけでなく、集団に対しても行な われる。職員による統制が徹底している集団では、特定の年長児童による子ども集団の支配も可能 になる。

【語り10 リーダーによる運動の強制】 Fさん(50代、男性)

嫌な思い出は、小学校5年生の時に、中学3年生の男の子が1人、いたんです、リーダー格で。

この人が、もう本当に毎日というぐらい、夜8時からの運動会です。運動会っていうか、その日 によって、マラソンしたり、騎馬戦したり、何をするか、わからないです。夜から、1時間。

毎日。それを、職員からすれば、「運動してるから、目の前でやってるから、まだいいさ」っ て感じで何も言わないんだけど、やられた方はもう嫌なわけ。男子みんな。中学校 3 年か、2 年 からかね。あれがトップだから…。もう2年から、大体5年、6年までの男子全員、「出てこい」っ て言われるので。運動場で。

だいたい毎日。もう何でも。走ったり、騎馬戦したり、もうとにかくいろんなの、やってたん です。スポーツ。それが、みんな、嫌で。

*:8時から何時ぐらいまでやるんですか? 

だいたい9時近くじゃないかな。1時間。8時ぐらいからだと思うんですけど、当番がみんな終 わってからだから…。結局みんながこの一人のリーダーを嫌ってたんです、はっきりいって。暴 力的、威圧的に抑えるものだから。卒園した後もやっぱりみんなが会いたがらないっていうか

…。

*:その人は、どうしてそんなの、毎日やったんでしょうね。

なんでだろうね。それは、本人にすればどういうあれか、わからないけど。自分らにすれば本 当に嫌な思い出しか…。X 園での生活では、本当にこれだけです、嫌な思い出っていうのは。

「ああ、なんで、こんなして、やらんといけんのか」って、言えないし、こっちは(年)下だか ら(笑)。それをまた、職員はそのままさせてるから…。

*:先生(職員)たちっていうのは、知らなかったんですか。

いいや。それは知ってましたよ。運動してるとしか、みんな、思ってないんじゃないですか。

目の前で運動してるから、やっぱり。悪さはしてないんです。(笑)。何せ、みんな、集めてやっ てるから。

(11)

*:殴ったり、そういうことではない?

そういったのはない。それはないんです。ないけど、強制的にさせられるから、みんな、嫌な んです。

*:これ、どれぐらい続きました?1年ぐらいですか?

そう。1年ぐらい。これ(リーダーだった男子中学生)がトップだったから、これが出ていく までですから。中 3 で、もう終わって出ていきますから、1 年ぐらいです。その嫌な思いってい うことで、みんな、会いたがらないっていうぐらい…。

この語りが示す重要な点は、職員が「見て見ぬふり」をしていたことである。注意深く子どもた ちの様子を観察していれば、夜な夜な行われる「運動会」が遊びなのかそうでないかを職員が気づ かぬはずがない。リーダーの横暴な支配はおとなたちによって見逃され、なんと1年もの間続いて いたのである。ここでも、「統制の黙認」=秩序維持の論理が働いていた。

Ⅴ 施設生活への適応と退所をめぐる不安

Ⅴ-1 適応のための努力―子どもがとる方途

いままで見てきたように、施設生活がもたらす自己の剝奪や無力化に対して、子どもたちはさま ざまな方法をもちいながら適応しようと努力することになる。ある個人が、特定の組織に要請され た活動を指定の条件の下で協調的に行うようになるとき、ゴフマンは、それを「第一次調整」

(primary adjustment)と呼び、対する「第二次的調整」(secondary adjustment)は、施設が個人 に対して自明としている役割や自己から彼が距離を置く際に用いる様々の手立てのことを意味す る、とした14)。「第二次調整」には、自らの身辺の出来事以外のことには注意を向けなくなる〈状 況からのひきこもり〉や、職員の意のままにふるまって非の打ちどころのない被収容者の役割を遂 行しようとする〈転向〉などがあるが15)、ここではAさんの語りに注目しよう。

【語り11 施設は「天国」】 Aさん(30代、女性)

自分が小学校の時って、上下関係がやっぱりすごくて、施設内で。お姉ちゃんたちに刃向かっ たら「ごつん」ってされるし、タテ社会で、ちょっと怖かったのはある。

けど、わたしからしたら、食事が付いて、お風呂も入れて、洋服も買ってもらえて、友だちも いっぱいいて…。さみしいって思った瞬間は、お正月の時、みんな帰省して残りのときにさみし いかなってぐらい。全然……楽しかったです。

わたしからすると、X園は天国でした。殴られもしたけど、やっぱり食事があったっていうの が一番大きかったのかな。ちっちゃいころ飢えてたので。食べ物に困ってたから。

Aさんは、X園入所前、唯一の家族である母親が病気のため満足に食事を作ることができなかっ

(12)

ためにネグレクト状態に置かれていた。そのため、入所後、年長児童や職員から強い統制を強いら れ体罰を受けても、「X 園は天国」と評するほど、施設生活に適応しようとしていた。このような 状態は、ゴフマンによれば「施設内で入手できるものから最大限の満足を得ることで比較的充実し た生活が確立される」〈植民地化〉という「第二次的調整」にあたる16)。A さんは、このように施 設生活を位置づけることで、日々の暮らしを合理化し、自己を守ろうとしたのである。

Ⅴ-2 退所をめぐる不安(release anxiety)

施設で長く暮らした子どものなかには、退所(卒園)することに対して不安をもつ者や、卒園後 の生活で挫折を経験する場合がある。

【語り12 解き放たれる不安】 Dさん(40代、男性)

小学生から洗濯したり、皿洗いしたりしてるので、それに関しては、自分で生きる術は園生活 のなかですべて身についているものですので、自立っていうのに関しては(自信が)すごいあり ました。ただ、「この時間は、これ、やりなさい」「この時間は、これ」って決まっているなかで 育ってきたので、ぽんと社会に出されたときに「何やっていいの、わたし」って…。生活はしっ かりやるけど、それ以外のところでどういう応用力を持っていくかっていうのは、やっぱり、社 会にぱっと出された時にありました。

今はできるけど、「日曜日だから、ちょっとゆっくり寝ていよう」とか、こういったのが自分 ではできなかった、あの時は。「この時は、こうしなさい」でされてるものだから…。最初、X 園から出て就職したときに、「いま遊びに行ったら、お金がなくなるんじゃないか」みたいに 思っちゃったりとか。やっぱ怖いんです、身ひとつで行くから。

自立っていうのはそういうことで、親元から離れた人たちもそうやって生きてはいるとは思う んです。だけど、ちっちゃい時から(決められた)時間の流れのなかで動いているものですか ら、指示を仰ぎたいなという…(笑)。ちょっとそういう、なんか甘えみたいなのを持っていま した。

児童養護施設を退所(卒園)した子どもに対する「アフターケア」は、現在重要な課題と認識さ れるようになってきた。子どもたちは、施設にいるときは様々な拘束で縛られるが、いっぽうで、

「保護」されてもいたのである。退所不安の要因は、ゴフマンの言う「烙印付与(stigmatization)」

の問題もあるが、D さんの語りからは、「文化剝奪」―社会において必要とされる慣習のいくらか を喪失していることや習得できていないこと―が垣間見える17)。制限や統制が続くことによって、

子どもたちは、自分自身で考えるより流されるほうが楽になってしまう。つまり、長期にわたる統 制は、自由と自己決定の意志を奪うことになってしまうのである。

(13)

おわりに

本論文では、ゴフマンの施設論をてがかりにして、Ⅰ)施設に入所すること、Ⅱ)職員と子ども との関係、Ⅲ)統制のプロセス、Ⅳ)子ども同士の関係、Ⅴ)施設生活への適応と退所をめぐる不 安、といった観点からの考察を試みた。考察の過程で明らかになったことは、つぎの 5 点である。

①施設という集団生活では規則が多く、職員の統制が強く働いている。②子どもたちは、ケアを受 ける立場であることから、規則を守ることと職員への従属を求められる。③罰則は、家庭でのそれ と比べて厳しいものであり、秩序化のために統制への抵抗は許されない。④力の行使は、職員から 子どもに対するものだけでなく、子ども同士の日常にも蔓延している。しかも、それは、職員の黙 認が導いた結果でもある。⑤子どもたちは、自己の剝奪や無力化の過程においても施設生活への適 応に努めるが、いっぽうで、適応の結果、退所への不安が生まれてしまう。

「はじめに」のところで述べたように、本稿における語りは、1970年代から1990年代のX園で過 ごした「かつての子ども」たちのそれである。したがって、ここから導き出された結論は、時代 的、地域的な制約があり、かつ、子どもの立場からだけの一方的な思いや考えであるとの批判も可 能である。しかし、重ねて言うが、児童養護施設が子どもの「生活の場」であるならば、当の子ど もが、施設生活や職員、他の子どもとの関係性―しかも、本人にとっては辛い思い出ととらえられ ていることを含めて―を、どのように考えていたのかを知ることは大いに意味のあることだといえ るのではないか。彼/彼女らの言葉を「過去のこと」と受け流すのではなく、施設生活においては、

現在でもそのような状況を生み出す可能性があることを認識し、予防・回避の方策を考えることが 生産的な方向であり、何よりも施設で暮らす子どもをひとりの人として尊重することになると思わ れる。

1) 施設数、入所児童数は、2014 年 10 月 1 日現在の数字である(厚生労働省家庭福祉課調べ)。入所理由は、

2013年2月1日現在の『児童養護施設入所児童等調査結果の概要』(厚生労働省)による。

2) たとえば、[谷口2011]、[西田編著2011]、[堀場2013]、[埋橋ほか2015]など。また、筆者自身も、児童 養護施設で暮らす子どもの自立について考えてきた[岩崎2009][岩崎2011]。

3) 近年、入所児童自身による作文集や、子どもが語る生活史の刊行が相次いでいる。それらは確かに意味の あることだが、それをもとに施設生活の意味を分析・考察した論考は少ない。その数少ない研究の一つ に、[伊部2015]がある。

4) ちょうど本稿を執筆中に、ゴフマンを再評価しようとする論文集が刊行されたことを知った[中河ほか 2015]。

5) [Goffman 1961=1984:Ⅴ]および[Goffman 同書:4]

6) 以下、本文中の語りにおいて、*:の記号は、聞き手(インタビュアーである筆者)を表している。

7) [Goffman 前掲訳書:16]。この点については、市川が「入所時の苦痛」として論じている[市川2008]。

8) [Goffman 前掲訳書:7]

9) [副田義也2008:18-24,57-63][副田あけみ2013:112-115]

10) 筆者が出向いた実習巡回先では、少なくとも1980年代は、そのような施設がいくつもあった。

11) [Goffman 前掲訳書:51-53]

(14)

12) 1990 年代半ばから児童養護施設における体罰事件がマスコミによってたびたび報道されてきたものの、

施設職員による子どもへの体罰等虐待行為が法律によって明確に禁止されたのは、2008 年のことである

(児童福祉法第33条の11)。

13) [Goffman前掲訳書:34-37]

14) [Goffman 前掲訳書:201 - 202]。特別養護老人ホームにおける「痴呆性老人」の日常世界を鋭く豊かに 描写した天田は、被収容者の単なる施設への適応ではなく、極限状態にありながら自らのアイデンティテ ィを保とうとする「第二次調整」の実践に着目した点がゴフマンの卓越性であると指摘する[天田2007:

155-156]。

15) [Goffman 前掲訳書:57-66]

16) [Goffman 前掲訳書:63-65]

17) [Goffman 前掲訳書:74-76]。市川は、「施設退所前後の不安と苦痛」と称している[市川2008:61-63]。

文献リスト

天田城介,2007,『〈老い衰えゆくこと〉の社会学〔普及版〕』多賀出版.

伊部恭子,2015,「社会的養護における支援課題としての権利擁護と社会関係の形成―社会的養護経験者の生 活史聞き取りから」『福祉教育開発センター紀要』第12号.

市川太郎,2008,「児童福祉施設に求められること―当事者視点からの現状と課題および展望」,『こころの科 学』137,日本評論社.

岩崎美智子,2009,「児童福祉の視点から」畠中宗一編集『現代のエスプリ 508 関係性のなかでの自立』ぎ ょうせい.

岩崎美智子,2011,「「自立」概念の変遷と、児童の主体形成、職員の自立支援―社会的養護政策に焦点をあて て」『情緒的自立に関する総合的研究』(平成 19 年度〜22 年度科学研究費補助金基盤研究(B)研究成果 報告書 課題番号 19300243、研究代表者:畠中宗一).

埋橋孝文ほか編著,2015,『子どもの貧困/不利/困難を考える』ミネルヴァ書房.

Goffman, Erving, 1961, Asylums: Essays on the Social Situations of Mental Patients and Other Inmates , Anchor Books, Doubleday & Company( =1984,石黒毅訳『アサイラム―施設収容者の日常世界』誠信 書房).

副田あけみ,2013,「ケースワーカーとクライエントの葛藤関係」,副田義也編『闘争性の福祉社会学 ドラマ トゥルギーとして』東京大学出版会.

副田義也,2008,『福祉社会学宣言』岩波書店

谷口由希子,2011,『児童養護施設の子どもたちの生活過程―子どもたちはなぜ排除状態から脱け出せないの か』明石書店.

中河伸俊ほか編,2015,『触発するゴフマン―やりとりの秩序の社会学』新曜社.

西田芳正編著,2011,『児童養護施設と社会的排除―家族依存社会の臨界』解放出版社.

堀場純矢,2013,『階層性からみた現代日本の児童養護問題』明石書店.

山田富秋,1991,「精神病院のエスノグラフィー」,山田富秋ほか『排除と差別のエスノメソドロジー〈いま―

ここ〉の権力作用を解読する』新曜社.

謝辞

研究の意図を理解して、長時間のインタビューにご協力くださり、筆者のぶしつけな質問にもていねいに 答えてくださった「かつての子ども」のみなさまに心より感謝をささげます。

付記

本研究は、科学研究費補助金の助成を受けて行われたものの一部である。(基盤研究(C)「かつての子ど もの語りからみる戦後沖縄のアロケアに関する研究」課題番号15K01772 研究代表者:岩崎美智子)

参照

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