インド洋津波被災地の復興支援について (公開シン ポジウム 顔の見えるアジアン・ヒューマン・ネッ トワークの構築に向けて)
著者 岩崎 憲二
雑誌名 東西南北
巻 2007
ページ 101‑104
発行年 2007‑03‑15
URL http://id.nii.ac.jp/1073/00002432/
インド洋津波被災地の 復興支援について
岩崎憲二
アジア太平洋都市間協力ネットワーク事務局次長おはようございます。通称はCITYNETと呼ばれていますが、正式には「アジ ア太平洋都市間協力ネットワーク」という国際機関に勤めている岩崎と申します。
今日はお招きいただきましてありがとうございます。
最初に、CITYNETとはどういう組織なのかということを簡単に紹介させてい ただきます。それと、昨年
CITYNET
として、津波の復興支援をやってきました ので、その概要についてお話させていただきます。CITYNET
の名前をたぶん皆さんは聞いたことがないと思いますが、これは1987年にアジアの都市が中心になってNGOや政府機関、あるいは自治体の協議 会などをメンバーとして設立された「都市間協力ネットワーク」です。
1980年代には、アジアの経済成長が予測されました。そのときに国連人間居住 計画(
UN- HABITAT
)と、バンコクに本部がある国連アジア太平洋経済社会委 員会(UN-ESCAP)が主催し、これからアジアの都市は経済発展に伴い人口が集 中してくると、各都市、あるいはひとつの国だけでは解決できない問題が起こる から、みんなで考えましょうと国際会議を開催しました。1982年に第1回アジア太平洋都市会議が横浜で開かれて、それから5年後の 1987年に名古屋で第2回会議が開かれました。名古屋の会議に集まったアジアの 都市の代表達は、2回の会議だけで都市問題は解
決しないと考えました。アジアは宗教も文化もさ まざまで多様な地域ですが、こと、都市問題に関 し て は 共 通 点 が 多 く あ り ま す 。 具 体 的 に は 、
HABITATが採り上げたように、大都市のスラム
問題の解決がどの都市でも大きな課題でした。CITYNET
もスラムの背景にある貧困問題など からスタートし、現在は約100の会員を有する組 織となっています。我々の活動は、国のプロジェクトや、世界銀行、
あるいはアジア開発銀行のような大きな資金を使
公開シンポジウム:顔の見えるアジアン・ヒューマン・ネットワークの構築に向けて
って、実際の事業をやるというものではなくて、都市問題の解決に取り組んでい る都市や、あるいはスラムの改善などに取り組んでいるNGOの活動を支援する ことです。
都市問題はあらゆる問題を含んでいます。スラムや安全な水の確保、あるいは 衛生的な環境、具体的にはトイレや下水の設置、ゴミの問題、さらには都市計画 などです。そうした環境問題に加え、エイズをはじめとする病気だとか、鳥イン フルエンザなど、感染症の問題も起こっています。都市に住む人間の安全な生活 を支えていくためには、いろいろな問題を解決していかないとならないわけです。
このような問題は、日本では地方行政府、例えば横浜市などがゴミも道路も都 市計画も実施しています。ところがアジアの大都市では、まだまだ、そういった ものを独自に取り組むための人材、あるいはノウハウ、経験というものが不足し ていますので、お互いに協力する必要があるわけです。アジアの都市、あるいは
NGO
の自立的な問題解決能力の向上といった面での支援がCITYNET
の重要な役 割です。世界を見渡すと、都市間協力のネットワークは複数あります。全世界を対象に するUCLG(United Cities and Local Govern
m ents)という組織があります。これは
世界中の1000都市ぐらいがメンバーとなっています。また、ヨーロッパにはユー ロシティーズ(Eurocities
)という欧州の各都市が国際協力を推進するためにつく ったものがあります。こちらも120ぐらいの会員数を持っています。CITYNET
は 会員数が100前後で、アジア太平洋地域で最大の都市間協力ネットワークとなっ ています。我々の事務局は、10名のスタッフで運営しており、スタッフの国籍は 5カ国にわたっています。それでは、2004年12月に起こったインド洋津波の復興支援についてお話をいた します。インド洋津波は、私どもの会員にも大きな被害を与えました。我々自身、
こういう大規模災害に対しての取り組みというのは経験がなかったので、最初は 戸惑いましたが、まず、
CITYNET
の会員から情報を集め、被災状況を把握する ことから始めました。津波発生が12月暮れだったので、正月休みを挟んで、会員 から刻々と情報が入ってきました。被害を集計していくと、インドネシア、スリ ランカ、マレーシア、バングラデシュで、会員都市を含めて多大の被害を受けた ことがわかってきました。次に、被災地に対して何ができるのかということを考えました。まずは大災害 ということで、国レベルの支援が中心となりました。横浜市でも消防局の職員が、
国の緊急支援援助隊のメンバーとして派遣されました。こういったことは国レベ ルでないとできません。ヘリコプターを飛ばすとか、いろんな物資を大量に集め て配布するという事業です。
CITYNET
ではそういったことはできません。でも、被害を受けた会員都市から、「いま何が具体的に困っています」といった情報を 事務局が一斉に集めましたので、被害を受けなかった会員都市に対して、「仲間
がこういった被害を受けていますけど、何か支援できることがあったら、なんで もいいですから寄せてください」と、被災地とそれから被災を免れた会員都市の 間の情報仲介を行ないました。両方に情報の提供と交換を行なったわけです。
当然、何か支援するにはお金が必要です。横浜市でも、この大災害の復興支援 のため、市民への募金活動をしました。
CITYNET
の会長が横浜市長ということ もあり、この募金は直接CITYNET
を通じて支援活動に使うことができました。具体的には、スリランカの会員都市が大きな被害を受けたということで、コロ ンボ、デビワラマウントラビニア、モラツア、ネゴンボに支援を行ないました。
海岸沿いの零細漁民の方たちが使っている公共のトイレが津波で全部流され、本 当に困っていましたので3,000ドルずつ、トイレ補修のために見舞金を支給しま した。
スリランカで1番被害が大きかったのはゴール市ですが、当時
CITYNET
の会 員ではありませんでした。たまたまCITYNET
の会員である「スリランカ都市資 源センター(HELP-O)」というNGOが、ゴール市の低所得者が多く住む地域の支 援をしていましたので、このNGOを通じて復興支援プロジェクトを実施しまし た。ここでは、人びとが集まって復興計画を話し合うような場所、集会場が必要 だということで、コミュニティセンターの建設を行ないました。それから、インドネシアではバンダアチェが最も大きな被害を受けました。バ ンダアチェも当時
CITYNET
の会員ではなかったのですが、ここでもインドネシ アの会員、「インドネシア自治体協議会(AIM)」という組織と、「都市・地域開 発協会(URDI)」というインドネシアの住宅改善を進めているNGO
がバンダアチ ェの復興支援に取り組むということで、その活動を支援してきました。具体的に は、バンダアチェは海辺に沿った都市で、零細漁民が多く住んでおり、漁民が取 ってきた魚を売る市場が壊れたので、その修復を行ないました。この市場は、15 メートルぐらいの高さの津波により、2階部分がそっくりもっていかれ、屋根が なくなっていました。とってきた魚をそこで売るにも、屋根がなくなり冷凍設備 もなく、どんどん傷んでしまうということで、この市場の修復を支援しました。それから同じく、地域の人達が、復興のために集まる集会場が必要ということ で、コミュニティセンターの建設も行ないました。2006年の2月には、バンダア チェ前市長を招いて、被災後1年目の報告会を開催しました。後ほど、この報告 会の資料をご覧いただければ具体的な金額であるとか、どこで何を支援したかと いうことが書いてありますので、ぜひお読みいただきたいと思います。
さて、
CITYNET
として復興支援活動を通じて感じたことを述べます。大きな 被害が出た当初、アメリカやヨーロッパ諸国をはじめとして世界各国が大きな支 援を表明しました。アメリカの大統領が「何千万ドル支援します」と表明しまし た。ところが、2005年の3月に、復興に向けてインドネシアで開催された「トバ サミット」で、「各国からすごい額の支援表明が寄せられているけど、実際にインドネシアにお金が届いたのは、日本政府からだけだった」という発言がありま した。つまり、表明はするけど、実際にはお金が来ないというのが、国際政治の 実態なのかもしれません。
それと、バンダアチェの市場修復に関してですが、人びとの生活の糧を稼げる ようにしようと1日も早い復興を目指して取り組みました。ちょうど(2005年)
10月に市場の復興が終わった時に、横浜市長が
CITYNET
会長として視察に行き ました。その時に、バンダアチェ市長が「実際に復興の支援で事業が完成したの は、これが第1号です」と言われました。そのぐらいに国際政治というのは、新 聞紙上では「大きな支援だ」「すごく動いている」と騒がれますが、実際にはNGOなどの活動が被災者を助けている部分が多いと思います。
[いわさき けんじ]
司会:岩崎先生の報告にあったように、私も岩崎先生とバンダアチェに一緒に行 きまして、現地の現況を把握したところです。後ほどまた、ディスカッションの 際に、いろいろとご発言いただきたいと思います。
次は関根先生、よろしくお願いします。
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アジアの一員としての日本
関根秀樹
本学非常勤講師/古代技術・民族技術研究者非常勤講師の関根です。研究テーマは技術史や文化史で、アジア地域の民族楽 器や古代技術、民族技術に関わるものが中心です。
今回のシンポジウムに関して、僕が最も深く問題意識として持っているのは、
日本の特に若い人達が、日本の文化、あるいは日本の伝統的な生活様式を知らな いということです。最近、僕らの世代と違って、学生達はしばしば海外に出掛け ますが、海外で日本のことを聞かれても、学生達は何も答えられません。
もう1つは、先ほども山村先生のお話にでてきたように、戦時中のアジア各国 での占領時代の話です。日本の若者は、アジア地域での日本の戦争のことについ て、まったく知らない。あるいはどうして日本人が嫌われたり、あるいは恨まれ たりするのかということに対して、想像力が至らないのです。