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表 1. 行動特徴のチェックリスト ない 非常にもしくはときどきあるしばしばあるしばしばあるほとんどない 多動性 1. じっとしていることができない 2. ちょろちょろ動いている 3. 走り回っている 4. 一定のところで遊べない 5. どこかにいっていなくなる 6. 買い物につれていくとじっとでき

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Academic year: 2021

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乳幼児健診における発達障害への気づきと連携

Ⅱ.発達障害への気づきと関係諸機関との連携

キーワード 育児支援、発達特性、肯定的評価、育児不安 山口県立大学看護栄養学部教授

 林

はやし

   隆

たかし

はじめに

 発達障害の理解を困難にしている要因の一つ は、発達障害は既存の身体障害、知的障害と異な り、障害の本質が「出来ない」ことではなく「到 達の仕方が違う」ということである。しかもそ の違いを判断する絶対的な基準や目安があるわ けでなく、標準的な環境の中で困難さを認める ことにより診断がなされるのが発達障害の特徴で ある1)。子どもの暮らす環境の基本は家庭である が、家庭環境は個々に異なり標準はない。標準的 な環境の中で子どもを評価出来るのは集団生活が 始まってからになる。いわゆる集団生活が始まる のは幼稚園に入園後であり、保育所でも集団保育 の始まる 3 歳以降になってからである。1 か月か ら 3 歳を対象とする乳幼児健診において、発達障 害を意識しなければならないとすれば、年齢相当 のことが「出来ない」という遅れを伴う子どもか、 典型的で激しい行動特徴を持つ子どもか、結果的 に保護者にとって育児上の困難感が強い子どもに 限られる。著者らは発達障害児の親・保護者を対 象とした振り返り調査で、子どもの障害の気づき のきっかけを尋ねると、最も頻度の多かったのは 「指摘される前に自分で気づいた」というもので あった2)。保護者は子どもの「育てにくさ」には 気づいており、親・保護者の当たり前が通用しな い育児を強いられる子どもという認識をもってい ることは間違いない。しかし、この時期の親・保 護者の気づきは「育てにくさ」であり、障害の初 期症状として子どもの特徴に気づいているわけで はないことを、乳幼児健診に従事する全ての小児 科医は認識すべきである。

1.乳幼児期における発達障害の診断の困難さ

 3 歳児健診や 1 歳 6 か月児健診で発達障害のス クリーニングが可能だとする報告も存在する。診 断精度を上げていけば、3 歳または 1 歳 6 か月の 時点で行動特徴を生物学的レベルで診断すること は可能かもしれない。しかし、幼児期の行動特徴 には多様性があるという事実と、診断を支援に繋 がる形で親・保護者に伝えることの困難さから、 3 歳または 1 歳 6 か月の時点で発達障害を診断す ることは方法論的な困難さだけでなく、支援の視 点らも意義は少ない。  著者は幼児期の行動特徴について、不注意、多 動性・衝動性に着目した行動のチェックリスト 表 1を作成し、健常児に占める行動特徴の割合を 調べた。3 歳児では不注意、多動性・衝動性に関 連する項目の多くが 2 割以下だったが、多動性や 旺盛な好奇心に関する項目には約半数に認めるも のもあった3)。3 歳児では多動性や過剰な好奇心 などの行動特徴から発達障害を疑うことは出来る が、行動特徴のみで発達障害の診断をすることを 小児科医がためらうことの妥当性が確認できる。  一方、保護者にとっても 3 歳の段階で、子ども の示す行動特徴(それも短時間の観察)のみで、 子どもを障害と判断されることは納得できること でなく、受け入れがたいものだと予想される。発 達障害に限らず、ある状態を障害と捉えるには生 活の場でその状態に起因する困難さが必要であ

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も自分の子どもとは違うタイプの障害児と一緒に 生活することに意義を見出しにくい。逆に療育施 設の中でさえ多動性・衝動性を発揮し、迷惑がら れ孤立感を深めることにもなる。

2.気づきの内容

 乳幼児健診で発達障害の存在の疑うことはたく さんの子どもを診療でみている小児科医にとって それほど困難なことはない。表 2に示すような訴 えがあれば、なんらかの発達障害の存在を意識す る必要があることには異論のないところであろ う。これらの訴えは親・保護者が育児という生活 行為の中で気づいた「気づき」であるため、健診 る。発達障害児が 3 歳時に示す行動は確かにある 種の特徴を持ち、今後の集団生活上に支障をきた す可能性はあるが、可能性であって、そうではな いかもしれない。このような状況で親・保護者の 「気づき」は診断の受け入れへとは直結しにくく、 気づきがあるが故に「障害」という言葉に過敏に なり反発されてしまう可能性が高い。  もう一つ、大切なことは 3 歳または 1 歳 6 か月 の時点で発達障害を診断できたとしてもその後の 支援プログラムに明確なものが無い現実がある。 この時期に発見された「障害児」は療育機関を勧 められることになる。療育機関には身体障害児や 知的障害児が在籍しており、親・保護者はここで 表 1. 行動特徴のチェックリスト ない、 もしくは ほとんどない ときどきある しばしばある 非常に しばしばある 多動性 1.じっとしていることができない □ □ □ □ 2.ちょろちょろ動いている □ □ □ □ 3.走り回っている □ □ □ □ 4.一定のところで遊べない □ □ □ □ 5.どこかにいっていなくなる □ □ □ □ 6.買い物につれていくとじっとできない □ □ □ □ 7.立ち止まることがない □ □ □ □ 旺盛な好奇心 8.興味のあるものに突進する □ □ □ □ 9.何でも物を触わる □ □ □ □ 10.ひとつの遊びに集中しない □ □ □ □ 11.誰にでも声をかける □ □ □ □ 12.誰にでもついていく □ □ □ □ 13.親がいなくても平気 □ □ □ □ 破壊的な関わり 14.人のいやがることをする □ □ □ □ 15.誰にでもちょっかいをだす □ □ □ □ 16.人をたたく □ □ □ □ 17.人をける □ □ □ □ 不適切な関わり 18.名前を呼んでも戻ってこない □ □ □ □ 19.返事がない □ □ □ □ 20.視線が合わない □ □ □ □ 強い癇癪 21.頭を床や壁に打ちつける □ □ □ □ 22.ちょっとしたことでかんしゃくをおこす □ □ □ □ 23.反り返る □ □ □ □ 24.爪かみ □ □ □ □ 運動のアンバランス 25.転んでケガばかりする □ □ □ □

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の場では「心配ない」ことを強調するのではなく、 親・保護者の「気づき」として肯定的に受けとめ ることが重要である。これは「言い分」を聞くと いう最もソフトで実効性の高い育児支援である。 言い分を聞くのであって、言いなりになる必要は ない。乳幼児健診であれば、親・保護者の不安に「ご もっとも」と共感するだけで、親・保護者の不安 や負担は半分以下になるのである。様々な親・保 護者の訴えについて、「親・保護者の気にしすぎ」 という解釈がある。確かに育児の手順やスキルが 示されないまま、育児に関する情報が溢れている 現状では、些細な子どもの仕草や行動が育児上の 不安に直結する可能性はある。しかし、気にしす ぎる親・保護者の背景には必ず何かがあると考え た方が育児支援としては旨くいくものである。子 どもが順当な発達をしているならば、親・保護者 に抑うつ傾向がある可能性がある。子ども虐待を 未然に防ぐ意味でも保健師や子育て支援のスタッ フなどとの連携が必要である。

3.「共感」の後に伝えること

 乳幼児健診で発達障害を意識して親・保護者に 伝えることは明白である。それは、症状としての 子どもの特徴でも無いし、まして障害名でもない。 子どもの発達特性と特性を尊重することの合理性 を伝えることである。具体的には親・保護者と親・ 保護者がやってきた育児の肯定である。「気づき」 に示された親・保護者の見立ての正しさについて の肯定的評価が必要である。肯定的に子どもの示 す行動の背景に存在する発達特性の説明を行うこ とが必要になる。「多動性があるから ADHD の 可能性がある」というだけでは、余程冷静で優れ た理解力と育児技術をもった親・保護者でない限 り健診医との関係性はそこで途絶してしまう。そ の後の助言や提案は耳には入っても一切心には届 かないであろう。ではどのような説明が必要であ ろうか?たとえば「多動とは好奇心旺盛なこと、 動くというのは自分の目でみて触れて確認したい ということである」くらいの説明は必要である。 表 3に筆者が日常的に使用している発達特性の肯 定的表現をあげてみる。肯定的解釈は一般的なし つけとは矛盾することも多いが、今を楽に過ごす ためには、総論的かつ特性に向かないしつけにエ ネルギーを使うよりも、生産性は高いと考える。 表 2. 乳幼児健診の各ステージで発達障害特性として 訴えられる特徴 1 か月健診 :泣きやまない、過剰な夜泣き、ほ乳不良 4 か月健診 :視線が合いにくい、あやし笑いをしない 7 か月健診 :過剰な人見知り、人見知りのなさ 1 歳 6 か月健診:多動、言葉の遅れ 3 歳健診 :多動、攻撃性、反抗的言動、言葉の遅れ 表 3. 発達障害を疑う特性の肯定的表現 ・多 動  :旺盛な好奇心を満足させるために、優れた視覚認知機能を発揮させた探索活動を行って見聞を 広めている。 ・不注意  :多注意であり、様々な刺激に真摯に向き合う、真面目な子どもである。 ・衝動性  :素早い決断力をもっている。 ・言葉の遅れ:環境刺激を受けとる手がかりとして、目に見えるものや手に触れるものを重視する状態である。 今は言葉で理屈を憶えるよりも五感を使って世の中を感じ把握しようとする時期にある。 ・視線があわない:視線を会わせることへの過度の緊張がある。よく見ると一瞬はみてくれる。一瞬で親・ 保 護者を識別できるなんて凄い能力だね。 ・かんしゃく:思うようにいかない辛い思いを信頼できる人に訴えている。 ・何度いってもいうことを聞かない:一度聞いただけで、意味はわかるがどう行動してよいかわからず困って いるだけ。今はすぐ行動に繋がらないが、いずれ行動もでるが身に付くと出来るようになる。 だから指示は一回だけでよい。

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4.乳幼児健診の目的

 乳幼児健診は「健診」であって、「検診」では ないことが最大のポイントである。乳幼児健診の 目的については、戦後の栄養状態の確認(頭囲と 胸囲の比較が重要な意味をもっていた)から、先 天性の疾患(先天性心疾患や先天性股関節脱臼) の早期発見へ、さらには脳性麻痺の早期発見へ と体から発達へとその着目点が変化してきた。近 年では少子化の中で、育児支援という言葉が社会 的に流布しており、このような現状では乳幼児健 診に期待されるものは子どもの変調の発見ではな く、母子関係性の支援が最大の目的となっている といっても過言ではない。乳幼児健診は「健診」 であり、子どもの健康を保証することが大切であ ること、そのことと同時に子どもの健康に最大の 貢献をしているのが親・保護者の育児という環境 設定であることを伝えることが重要である。乳幼 児健診において発達障害の概念を導入することの 意義は、発達障害そのものの早期発見ではなく、 発達障害を意識することにより、育児不安を抱え る親・保護者の合理的な支援が可能になることに あると考える。

5.連携についての具体策− 1(関わり)

 前述したように発達障害を発見する(存在を疑 う)こと自体は、小児科医であれば、それほど難 しくない。ただし、子どもの示す行動の背景にあ るものが何なのかを判別するのは容易ではない。 環境が原因なのか素因的な特性が原因なのか、あ るいは環境と素因の複雑な絡み合いが原因なのか を健診の場面で見極めるのは至難の技である。そ こで、フォローアップに繋ぐことが必要になる。 健診医自身が経過をみてもかまわない。いきなり 専門施設を紹介しても良い(特に親・保護者の不 安が強いときには専門施設がベスト)が、健診医 にも親・保護者にとっても負担感が高くなる。ワ ンクッションおくために健診医自身が経過をみる ことで複数回の情報収集が可能になり医師にとっ ては正確な判断が出来ることに繋がる。親・保護 者にとっては自分の訴えを聞いてくれた医師にま た話を聞いてもらえる機会ができることになり悪 かろうはずはない。

6.連携についての具体策− 2(連携 1)

 連携とは自分の出来ないことを他人に期待した り押しつけたりすることではない。自分の持ち分 をきっちり守ることが大切である。健診医の役割 として、専門機関への紹介も大切な役割であるが、 紹介した後が大切である。多くの専門施設は専門 性が高いが故に、発達についてのフォローや支援 は期待出来る。しかし、どのような発達障害児で も風邪は引くし、嘔吐下痢や喘息になるかもしれ ない。その際に子どもの特性に併せた対応(待ち 時間の工夫や処置の丁寧な説明)をすることは一 般小児科医とって大切な連携である。

7.連携についての具体策− 3(連携 2)

 何も情報の無い親・保護者に特定の専門施設を 紹介することそのものが連携である。専門機関以 外でも保健所や保健センターに連絡することも重 要な連携ワークである。発達障害を持つ親・保護 者に限らず、現在の社会には少数派が孤立しやす い構造がある。であるからこそ、少数派である理 由を理解した上でその親子を複数の専門機関・専 門職が知っておくことは重要である。一つの専門 施設に繋いでもその施設の方針や医師・その他の 専門職との相性が悪いと継続できなくなることは まれではない。そのときに複数の関係機関が関 わっているとどこかと繋がることが出来る可能性 がある。その意味では、紹介元の医療機関も十分 に関係機関の機能を有している。幸いなことに発 達障害は急性増悪して状態が急変することは少な いので、子どもの近況報告や親・保護者の苦労話 を聞くだけのフォローアップをして、何かが手遅 れになることは極めてまれである。

8.親・保護者の「気づき」に応えるコツ

 乳幼児健診を発達障害支援の一つと考えると、 そのゴールは親子の QOL の向上にある。発達障

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*    *    * 害が疑われる徴候があれば、診断を下すことや療 育機関に繋ぐことも大切であるが、親子にとって 最も大切なことは、日々の生活を安心して送れる ことを担保することである。健診を「気づき」の 保証に基づく生活支援の場にすることは大切な視 点である。子どもの特徴に気づくことは親・保護 者が一生懸命に子どもの成長を願うが故に獲得出 来るのである。「気づき」を障害の早期サインに 結びつけるのではなく「気づき」をもとに子ども の特性を解説することが必要である。「気づき」 を否定することで、親・保護者の不安を解消する ことは出来ない。「気づき」の否定は親・保護者 自身の育児経験と観察眼の否定に繋がり、親・保 護者の不安解消にはほど遠いものである。子ども の特性を踏まえて、これまでやってきた育児の正 しさを解説することが大切である。乳幼児期の子 どもには、親・保護者の当たり前による生活体験 を育児環境として提供することが大切である。子 どもの特性に発達障害を疑わせる特徴がある時こ そ、家庭での当たり前の育児が必要になる。療育 機関に繋ぐほどではないとして、家庭でミニ療育 を進めるのは百害あって一利なしである。療育が 必要だと判断したのなら療育機関を紹介するべき である。療育は社会の仕組みや規則などの社会の 建て前を教える活動である。家庭で行われる育児 は生活そのものの体験であり生活の本音の学習で ある。乳幼児期は本来個別性の高い家庭を中心に 生活し、身近な生活体験を積む時期である。この 生活体験がないまま療育活動を始めると基礎の無 い応用能力を追求することになり、安定した情緒 の発達が期待できない。

おわりに

 乳幼児健診では発達障害の正確な早期診断する ことよりも、乳幼児健診に発達障害の視点を取り 入れることにより親・保護者の「気づき」を支え ることが出来、効果的な育児支援が可能であるこ とを示した。乳幼児健診が実施される 3 歳以下の 年齢では、療育活動よりも安定した家庭生活を送 ることが最優先されるべきである。発達障害を疑 う特性を認めてもその肯定的解釈により、生活レ ベルでは楽に過ごすことは可能である。すでに多 くの発達障害特性をもつ子どもの親・保護者は、 子どもの特性にあった育児を実践している。逆に 子どもの特性に合わせないと日常生活は円滑には 流れていかない。近視眼的にみれば、とんでもな い育児に見えても、その背景には日常生活を円滑 にこなすための親・保護者の知恵と技が存在する のである。その知恵と技を肯定することこそが、 この時期の最適な育児支援であり、次のステージ で展開される療育活動を有効に受け入れる準備 でもある。 文献 1.American Psychiatric Association 編、高橋三郎、 大野裕、染矢俊幸訳、『DSM-IV-TR 精神疾患の 分類と診断の手引 改訂版』医学書院、2003 2.東谷敏子、林隆、木戸久美子「発達障害児を持 つ保護者のわが子の発達に対する認識について の検討」小児保健研究、69(1):38-46、2010 3. 林 隆「ADHD の 早 期 発 見( 幼 児 期 に お け る ADHD スクリーニング用の問診票)」、91-96、齊 藤万比古、渡部京太編『注意欠如・多動性障害 − ADHD −の診断・治療ガイドライン 第 3 版』 じほう、2008

参照

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