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学習における子どもの興味と算数指導

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Academic year: 2021

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(1)

数学科教育教室

矢 敏

Children's interest in learning and arithmetic teaching

Toshiaki YABE

序 子 どもの学習への興味 に関 して は

,い

ままで さまざまな見方で とらえられて きている。 その一例 を挙 げれば

,興

味 を一種 の心理 的態度 とみる見方や

,活

動 を内面か ら推進す る心理的機能 とみる見 方である。そして

,前

者 はい ままでに経験 したいろいろな経験 と結びつ き

,感

情的な価値 をもつ も のであるとする一方

,後

者 は自発的活動の源泉であるとす るものである。これ ら2つの とらえ方 は, 興味 に機能的意味 と構造的意味 の2つの意味が含 まれていることを知 る。 また

,興

味 について論ず る とき

,興

味 は能力 と結 びつけて語 られる。 この ことは

,興

味が子 ども の発達 に応 じて変化 し

,能

力がい ろいろな経験 によって開発 された内的成熟 を伴 っていることと対 応 していると考 えることがで きる。 さらに

,興

味 は学習指導 と切 り離 して考 えることもで きない。 つまり

,子

どもの自発的活動 を重視す る現在の学習指導においては

,

とりわ け興味のない学習指導 はおよそ意味のない もの とな るか らである。 しか し

,興

味のない内容で も

,社

会的 。文化的な必要 か ら学 ばせなければな らない とい うこともある。 ここに

,い

かに興味 をもたせ

,自

発的 に学 ぼうと す るように働 きかけるか といつた問題 も一面 において起 こるのである。 本稿 は

,以

上 のような議論 を背景 にして

,ま

, I章

で は学習 と学習指導

,及

び能力 との関わ り か ら興味 について論述す る。次 に

,H章

で は興味 は学習 されるものであるとい う観点 に立ち

,動

機 づけ論

,及

び発見法 を取 り上 げて論述す る。 さらに

,Ⅲ

章以下では

,数

学的活動及び数学的思考 と の関わ りか ら

,数

学的活動の中に興味 を求め明 らかにするとともに

,学

習への本質的な興味の学習 指導への位置づ けについて具体 的な提案 を行 うものである。 I。 子 ど もの 本 質 的 な学 習 へ の 興 味・ 関 心

1.学

習 と学習指導 学習 は

,単

なる出来事 に出会 うことや

,あ

るいは外界か らなにかの刺激が くることで成 り立つの で はない。学習 を

,容

器が水 を受 けるようにで はな く

,積

極的な活動 ととらえることに誤 りはない であろう。学習 を媒介 にして発達 に影響 を及 ばす教育 とい うとらえ方 は

,別

の言い方 をすれば

,教

育 は学習の指導であると言い換 えることもで きる。 人間形成 という点か ら考 えた とき

,学

習指導が どのような環境 の もとで行 われ るかの問題 は主要 刀 口 立 口

(2)

な要因 となる。勝 田氏 は

,親

や教師が未来の子 どもを育てるという思想 と

,現

在 の子 どもの諸能力 を的確 に判断 し

,現

実的な配慮 をしてい く指導 を行 うことは両立す るものであると述べ

,理

解 され ないまま学習が進 め られ ることは

,指

導のあ り方が問題であるばか りか

,学

習者 に とって他の障害 をもた らす とし,こ れ は子 どもの発達 において重大 な問題であると指摘 してい る(1ち それ は

,学

習 に おいて取 り上 げられた内容 に対 して

,そ

の空 しさを知 らず知 らずのうちに教 え込む とい うことにな るか らであ り

,学

習 に対す る個人 の内的情動 において一層重大 な問題 になるか らである。 学習指導 を考 えるに当たって

,勝

田氏 は

,教

育 という営みが子 どもの学習 を媒介 にして しか行わ れない とす ると

,な

にを学習 させなければな らないか

,と

い う点 についてその1つ として子 どもの 能力の発達 の程度 とその程度 を告 げる内発的な要求の内容 を

,発

達 とい う点で とらえることの必要 性 を指摘 している。そして

,こ

の ことは子 どもに適合 した学習が効果的であることを目指 している もので はな く

,学

習 によって発達が影響 され るとい うことであ り

,子

どもが現在 はで きな くとも, 教 えられ助 けられ ることによってで きるようになることを意味 している。言い換 えれば

,学

習指導 は子 どもが 自分でで きるようになるまで待つので はな く

,教

えなければな らないか ら

,学

習す るこ とを励 まし助 けるのであると述べている。ち また

,そ

こで問題 になるのは

,な

にを教 えるかである。つ まり

,子

どもたちに学習 させ るとい う 視点 に立つ とき

,教

育内容 をどのように組織す るかで はな く

,子

どもの発達や成長 と

,な

にを教 え るか という問題 に即 して, どの ように学習内容 をとらえるか を考 えることが大事 となる。 意識的に子 どもをどう育てるか とい う前 に

,既

に学習内容が決め られていることや

,な

にを教 え るか よ りもどのように教 えるか とい うことに研究 の焦点が置かれていることに対 して問題である。 この ことは, どのように教 えるか ということが決 して大事でない とい うことで はな く

,そ

のことが 教 える内容 との関連で とらえられない ところが問題 なのである。つ まり

,な

にを教 えるか

,ど

のよ うに教 えるか ということは

,本

質的 に切 り離す ことがで きない事柄 なのである。 しか し

,切

り離 し て考 えることがで きないか らといって

,教

えなければならない内容 を

,教

える方法 に即 して

,子

ど もの経験 の発達の過程でおのずか ら見い出され るべ きという考 えが正当化 され るわ けで はない。

2.学

習過程 における興味 。関心

(1)真

の興味 学習意欲や興味 を引 き起 こす ことな く

,外

的な動 きや構成的な活動 の活発 さを求 めて学習 を行 っ て も

,そ

こには空 しい成果 しか生 まれない。子 どもの発達 に即 して

,学

習内容 を組織す るためには, 子 どもの中に成熟 しはじめていた能力の方向を とらえることが必要であ り

,そ

こに

,子

どもの本質 的な学習への興味 と関心が生 まれ るもの と考 える。 人間の能力 は

,個

人 の内部 に育 ち所有 され るが

,し

か し

,自

己 を豊かにす るため と同時 に

,仲

間 との社会への奉仕 に使用 され ることでその価値が はか られる。 そして

,逆

にその ことが意識 され る とき

,人

間 はさらに成長す る。子 どもの自発的な努力 は

,学

習の集団に支 えられ る。 そして

,そ

の 努力 の もとに

,い

ままで以上 の仕事 を果 たす とき

,子

どもは集団の中における役割 の意識が増す。 つ まり

,努

力 は集団に支 えられ

,集

団の仲間か らの期待 と自己評価 によって生 み出 され る。 また

,成

長 との関わ りか ら学習 をとらえるとき

,成

長 は個人的行動 を判断す る基準 とな り

,そ

れ は個人的能力の基礎 に とって可能 な手段 のうちで

,自

然的 。社会的環境か らの供給 の うちで作用 し なければな らない過程である。つ ま り

,成

長 は理想的 目的であるのではな く

,む

しろ前進的

,発

展 的性格 の方向を判断す る1つの基準 となる。

(3)

成長の特質 について

, J.デ

ューイ は

,そ

れ らの1つ として柔軟性 を挙 げている。 これ は

,新

し い洞察

,新

しい可能性 に心 を開 くこと

,新

奇 な もの

,想

像的な もの

,創

造的な ものを歓迎 し

,同

時 に

,誠

実 さ

,落

ち着 き

,力

動的

,平

衡状態

,性

格 の統合的全体 を意味す る

,と

も述べてい る。 さら に

,学

校教育 はこれ らの目的 を具体的な もの としなければな らない とし

,そ

のための基準 として, 以下3つの項 目を挙 げている。ち 。それ は個人の特別な経験 に関連 したものでなければならない。 。その目的 は柔軟 なものであるべ き。つまり

,活

動 によって導 き得 ることがで き

,ま

,活

動 に よって修正 され得 る。 ・ 目的に向かって

,計

画的な順序で行為 を解放 し

,自

由にす る働 きがなければな らない。

1)J.デ

ューイの興味 について 彼 は

,興

味 を束の間の刺激や感興 と区別 した上で

,真

の興味 は

,対

象が 目的 と自我の同一視 に留 意 させ ることであるととらえ

,さ

らに

,真

の興味 の最 も洗練 された結果 の 1つ が

,反

省的思考であ ると述べ

,そ

して

,次

のような手がか りとなる特徴 をもつ もの として要約 している141。 。人間の習慣的活動様式が拒否 される1つの事態 において

,こ

の点が混乱

,疑

,関

心 を生 み出 す。 。その事態が予示するように思われるものの推進的

,期

待的評価。 ・ 問題的状況の本質 を正確 に明細 に述べ る上で

,役

立つ ような適切 な資料 の批判的考察。 ・ 試案的仮説 の構成

,そ

れ はまた一方ですべて知 られた事実 と両立 し得 るものである。 。それ らは

,も

っ とも保障 された とみえるようにす るための仮説 の言明

,そ

れは人がその問題か らはなれ る行為 に導 くに至 るまで。 。いかなるうちでの仮説や行為が効果的にその状況 を解決 し得 るかいなかの反省。 ここで述べ られた事柄 は

,人

間性 とりわ け学習者 の性格がかな り明 白になっている。学習者 は, その欲求

,関

心が報い られ るものを捜 し求め

,そ

れ らがなん らかの形で妨 げられるとき

,そ

の妨害 か らのがれ るべ く努力 をす る。なぜな ら

,反

省す る能力 をもっているか らである。そ して

,既

に学 んだ者 に とっては

,教

材 は広範で正確 に限定 され

,論

理的 に相互関係 をもっているが

,

しか し

,い

ま学ぴつつある者 に とって は

,そ

れ は流動的な部分的な ものであ り

,具

体的な操作 な どの活動 を通 して結びつ けられ る。ゆえに

,教

師 は教材 と子 どもの要求 と能力の方向 との両方を知 る必要が ある。 また

,こ

の ことは子 どもに無理 に興味 を起 こす ようにさせた り

,学

習 させた り

,動

機づ けをした り するので はな く

,子

どもが関心づ けられ

,学

習 し

,動

機 をもつ ようになることを意味 している。 彼 は

,こ

の反省的思考 は『教育課程 とその教授 一学習過程の最 も重要な結果の 1つ であるべ きで ある』15Jと述べ

,そ

の 1つ は個人 の内的な うちに引 き起 こされ る興味であ り

,他

1つは社会的組織 の中で

,個

人 と社会 の両方に とって育成 され増大 され得 る興味である としている。 さらに

,活

動 はそれだけで は重要でな く

,対

象や環境 の教材 と自我や興味の活気 にみちた同一視 を子 どもに形づ くる手段であるとし

,教

育的興味0について

,以

下4つの興味の型 を挙 げてい る。 ・子 どもが対象か環境 の修正 を

,し

ばしば想像 した り要求 した りす る。 ・物質的か概念的な道具 を求 める。 。これ ら2つの型 の興味 は

,適

切 な活動 と内容 によって

,次

第 に訴 えかけるような素材 を導 く。 誰で も疑 いをもつ問題 と

,そ

の問題解決のための探求 に興味づ けられ る。 よって

,こ

の興味 は 知的な ものである。 ・3つ目の型 の興味 と同 じように

,子

どもの生活 の始めか らほ とん ど萌芽的形式の うちにみ られ

(4)

る。それ は

,人

間の社会的興味であ り

,子

どもが社会的か人間的性質 をもって非社会的世界 に 生気 を与 える。

2)ル

ビンシュテインの欲求 と興味 彼 は

,人

間の意識 についてその発達の視点か ら

,意

識 は主体 と環境 との関係

,主

体 と自分 自身 の 活動 との関係が次第 に対象 と動機づけか ら分離す る

0,と

述べている。つ まり,人間の活動が個人的 な欲求の満足 に直接的に向けられるのでな く

,社

会的な欲求の満足 を自己の行為の直接的な目的 に しなければな らない。 こうして

,活

動 の目的 は欲求 との直接的結びつ きか ら抽象 され

,抽

象化 され ることによって はじめて目的 は目的自体 として意識化 され

,活

動 は意識化 された活動 となる。 また

,欲

求 は活動 の動機・源泉であると同時 に

,そ

れ らの結果である

0,と

述べている。つ ま り, ある欲求 によって刺激 され引 き起 こされた活動 は

,習

慣的な活動 となると同時に

,活

動 自体が欲求 に変化 し真 の欲求 となる。欲求 は

,こ

のような変化 の行程 を通 して発達 し

,洗

練 され

,新

しい欲求 に発展する。 さらに

,活

動 の動機づ けの発達 において

,欲

求 とともに興味の発達 も重要な役割 を演 じ

,興

味 は 理論的認識活動 の動機である19j。 つま り

,興

味 もまた

,認

識活動の源泉であると同時 に,それ らの産 物である。言い換 えれば

,興

味 は学習の過程 において生 まれ

,育

て られ

,ま

,学

習の結果 とな る と言 えよう。 これ らの心的機能 としての欲求や興味 は

,そ

れ らが機能す る過程で こそ形成 され

,ま

,そ

れ は 形成の基礎 である客観的内容 に本質的に依存す る(10。 子 どもの発達 と学習か らみるとき

,子

どもは はじめ成熟 し

,後

に教育 され るので はな く

,教

育 され る と同時 に発達す る。つ まり

,子

どもの心的 発達 は

,学

習 の過程 において現れ るだけでな く

,そ

れ らの過程 において も行われる。 そして

,学

習 過程 は

,子

どものその ときの発達 に基づいた可能性 に対応 しなければな らな く

,ま

,こ

の可能性 の実現 は学習の過程で新 しい可能性 を生む。

(2)興

味・ 関心

J.デ

ューイ とル ビンシュテインの両者 の主張 を簡単 に 'ヒ 較す ることは望 ましくない。なぜな ら, 両者の考 え方の背景 となっている世界が異なっているか らである。 しか し

,両

者の接点が見い出せ ないわ けで はない。我々が一般 に興味・ 関心 と呼んでい る事柄 について

,学

習 との関わ りでみ る と き

,決

して学習の成立 のための前提 としてのみの興味・ 関心で はない とい うことである。い ま学 ば うとしている内容 は

,学

ぶ前 にそのよさがわか らないように

,本

質的な学習への興味・関心 もまた, 学習過程 の中で生 まれ

,育

て られるものである

,

ととらえられ る。 そ して

,学

習において

,学

習者 の情意的特性 としての興味・ 関心

,さ

らには学習意欲

,態

度 といった事柄 は

,認

知的・ 技能的要因 な どの事柄 と切 り離 して考 えるもので はない。心の働 きは単独ではないか らである。 学習指導 において

,子

どもの興味・ 関心 は従来か らも重視 されて きている。つまり

,子

どもの学 習への興味 。関心 を引 き起 こす ことが指導の出発点であるという認識 はされて きている。 しか し, そこで重視 されて きた興味・ 関心 は

,学

習へ導 き入れ るための前提であつて

,そ

れ 自体が 目的で は なかったので はないか と思われ る。つ まり

,学

習指導の導入 を工夫 し

,具

体物 を提示 した り

,あ

る いは

,条

件不足 の問題 な どを提示する。 この ことは決 して悪い ことで はないが

,こ

れだけが興味・ 関心 を重視 した指導であると考 えるところに問題が ある。 北尾氏 は

,学

習の前提 としての興味・ 関心 とともに

,学

習 によって創 り出される興味・ 関心 に も 目を向 けるべ きであろう(11ち と述べている。つま り

,最

初 はお もしろい と感 じな くて も

,学

習 をし てい く中で

,興

味が生 まれ るように導 くことが大事であ り

,こ

の場合

,学

習の結果 としての興味 。

(5)

関心が重視 された ことになる。 また

,学

習の意欲 について も

,意

欲 の欠如が学習 の失敗 の原因であ るとみなされて きた ことを子旨摘 している。

3.子

どもの学習能力について 勝 田氏 は

,人

間の能力 について

,外

的つ まり達成 された行動の過程 と結果の方か らみると多種多 様であるといい

,こ

の ことをとらえる上で2つの問題(1りが考 えられ るとしてい る。 その第1は

,人

間の もつ能力 は多様 だが

,そ

れ を社会 との関係 でい くつかのカテゴ リーに整理で きるか,とい う問題である。この ことは

,社

会的な側面か ら子 どもが能力 を身 につけてい く場合 に, どんな価値内容 を選択すべ きか とい う問題 に言い換 えられ る。 その第2は

,個

人が一人 で多様 な能力 を多面的にもつ ことがで きるが

,そ

れ らは相互 に関係 し合 い浸透 し合 つているのか

,そ

れ とも別々な能力 とい う形で所有 されてい るのか どうか とい う問題で ある。 このことは

,学

習の仕方

,順

,関

連 を考 えてい く問題 と言い換 えることがで きる。 第1の問題 については, 。人間の諸関係 を統制 した り

,調

整 した り

,変

革 した りす る力 ・ 科学的能力 と呼 ばれ る自然 と社会 についての認識の力 ・表現する力 を挙 げている。そして

,こ

れ らの力 は

,人

間的な環境 なしに発達 しない ものであ り

,情

動の表出を 上台にしなが ら

,無

限の豊か さに深 さ と広 さを力日えてい く一方

,逆

に内的な感応 の豊か さをそのこ とによって もた らす。言い換 えれば

,こ

れ らの力 は世界 に感応 しなが ら表現 し

,逆

に表現 によって 感動 を豊かにする能力であると考 えられる。 さ らに

,こ

れ らの力 は自分 を とりま く人間の社会 の中 で しか育たず

,創

造 とい う新 しい芽 は

,

これ らの力の中に秘 め られている

,

とも述べ られている。 第2の問題 については

,あ

る種 の能力が他の種 の能力の発達 に干渉 を力日えて妨害す ることもある が

,逆

にかえって他 の能力の発達 を支 えることもあ り

,い

わば個人 の発達 の状況 によって異な り, その能力の学習 は個人 の選択 によるということである。 また

,氏

,子

どもの能力 をはか る理 由について

,教

育的な関係でみる見方 と社会的な関係でみ る見方 について述べている(19ち そして

,前

者 の見方 について は

,そ

の具体的

,特

殊的発達 の過程 は

,社

会環境 との相互作用 を通 して進行するものであ り

,特

,主

体 の自発的学習 を含む教育 の役割 の重大 さを取 り上 げている。 さらに

,教

育 とい うものが

,主

体 の可能性 を主体 自身 に意識 させ る筋道 として とらえていることは 注 目したい。 また

,後

者 の見方 について は

,そ

の発達の視点か らみるとき

,社

会的要求 と結び付い ていることの認識が大事であると述べている。 そして

,こ

の ことは自然環境や社会環境 によるもの のように思われ るが

,実

は大人がそして友連が暗黙の奨励 と評価 の中で

,そ

の能力 を育てているの である。つまり

,自

然環境や社会環境 の中に身 を置いているか らで はな く

,そ

の環境 の中で生 きて いる大人や友達がそ こにいるか らである。 さらに

,子

どもにはさまざまな能力 を発揮すべ きものをもっている。 そして

,そ

の能力 は一人ひ とりの子 どもによって異 なる。 しか し

,広

い展望 の中で多様 な価値 を感 じる社会で はだれ しも能力 を発揮す ることがで きる。社会 と文化が複雑 にな り

,多

様 な刺激が豊か になれば

,人

間の能力の質 的な多様 さを生み出す ことは期待で きる。 この ような考 え方 に立つな らば

,子

どもたちが さまざま な異質 な能力 をまだ不定 の形で

,し

か もみずみず しい姿で示 しているのを前 にした とき

,教

育 は異 質な価値 について じっ くりとしか も頑固に反省 してみる機会 をもつ ことが大事 に思われ る。

(6)

H。 学 習 過 程 に お け る意 識 性 と動 機 づ け

1.意

識の必要性 学習指導 を子 どもの学習能力 との関わ りでみた とき

,子

どもの可能性 を子 ども自身が意識す る筋 道が学習過程であるととらえた。本質的な学習への欲求や興味 は

,学

習の過程 で現れ

,ま

たその過 程 において成長・ 発展す る。 そして

,こ

の欲求や興味 は

,外

的報酬 によって支 えられ るもので はな く

,学

習活動 に従事すること自体が報酬 とな り

,学

習す ること自体が学習 を推進す る母体 とな り得 た。 これ らの考 え方 は

, J.S.ブ

ルーナーの言葉 を借 りれば

,子

どもの優秀性 に着 目す ることで あ り

,勝

田氏の言葉 によれば子 どもの学習可能性 に着 目す ることで もある。 学習 を子 どもの学習能力 との関わ りか らみるとき

,主

体 の可能性 を主体 自身が意識す る筋道が学 習過程であるととらえることがで きる。 ここで は

,自

己の活動 として自ら意識す ることについて考 えてみる。 前述 した通 り

,ル

ビシュテインによれば

,意

識化 された活動 は

,個

人的な欲求の満足 に直接的に 向けられ ることか ら

,次

第 に社会的な欲求の満足 に向 けられ るようにな り

,そ

して

,社

会的な欲求 の満足 を自己の行為 の直接的な目的 に向けられ るようになることであるとし

,活

動 の目的 は目的 自 体 として意識化 されるとい うことであった。 また

,そ

の過程で は活動の目的が欲求 との直接的結び つ きか ら抽象化 され ることが必要であった。 D。 ウイラーは

,ガ

ッテニ ョーの意識性 について

,意

識性 こそは特徴的な人間の実質であ り

,そ

して

,自

らの意識 を意識す ることは

,あ

りうべ きすべてのうちで最 も人間的な状態であろう

,と

述 べてい る(10。 意識性 とい う概念 は

,意

味が豊かで柔軟性のゆえ

,明

確 な定義 はで きないが

,ガ

ッテ ニ ョーが この言葉 を用いている具体的な場面 をみると

,必

ず といってよいほ ど

,子

どもがで きるこ と

,子

どもが考 えられ ることか ら出発 している。つ まり

,子

どもがで きることを

,自

分 の行為や活 動 に具体化 し

,そ

の行為や活動 その ものを意識 させている。言い換 えれば

,子

どもので きる活動の 中か ら

,活

動 自体 の意識 によって

,数

学的な ものを自覚 させてい く手続 きを教育方法の基本的なも の としていると言 える。

2.動

機づけ

(1)学

習過程 にみ られる心的状況 ・ 算数・数学の学曽 は創造的な活動であると言われ る。創造的 とい うとき

,そ

の活動の中にはどの ような学習者 の心的状況が含 まれているのであろうか。 」。

S.ブ

ルナー は

,創

造性 の条件 として 対立 の原理(10を取 り上 げ

,創

造性 の条件 として二律背反の原理 について述べている。

・ 脱去「 と傾倒 (detachment and conlrlaitinent)

;は っきりわかっていることか ら積極的に手 をつけようとす る態度 は

,創

造 に必要欠 くべか らざ る条件であ り

,既

存 の形式か ら脱去,がなければな らない。 そして

,こ

の脱却 は

,自

分 を他か ら 区別す るもので一事 に没頭す る。すなわち

,没

頭す るとい うことはまた脱却の1つの手段 とな

る。

・ 情熱 としきた り (pasdion and decorum)

;情熱 は

,自

己 の衝動 を自分 の仕事 を通 して表現 したい とい う積極 的 な傾 向で あ り

,こ

の情熱 は 使 えば使 うほ どな くな る とい った もので な く

,使

えば使 うほ ど出て くる もの と言われ る。 これ

(7)

に対 して

,創

造的な活動 はしきた りがあ り

,形

式への愛着

,自

分の働 きかける対象 に対す るエ チケ ッ ト

,素

材への顧慮 な どがある。

・延期 と直接性 (deferral and immediacy)

,創 造への直接性

,言

い換 えると

,方

向感

,日

標 な どといった1つの感 じがある。 しか し

,

この 直接性 は決 して急速 に完成 に違す るもので はな く

,む

しろ

,そ

こで は完成が引 き延 ばされ る。 機が熟 さないのに完成 させ ることはした くない と考 えた り

,ま

だ自分の考 えやイメージを表現 していない とい う場合

,完

成 を遅 らせ るのである。 ブルーナー は

,我

々 はあるアイディアを活用 したい

,手

をつけたい という衝動 に基づいて行動す ると同時 に

,ま

,俗

怠の衝動 によって行動す るとい うのである。 これ らの二律背反 の原理 をあげていることは

,あ

る決定的要素が現れて くるか と思 うと

,次

にそ れ と反対 の ことが現れて くるということを意味 してい る。 そ して

,こ

れ らの相対立す る傾向が相互 に働 き合 うことによって創造が行われ るのである。

(2)学

習 における動機づ け ブルーナー は

,教

育 において子 どもの`優秀性″(excellence)を 掘 り起 こす ことに新 たな重点 を 置 くべ きであると述べ

,な

にを教 えるべ きか と同時 に

,ど

のようにして子 どもの興味 を覚醒 した ら よいか とい うことに関連 した主張 をしている(lω。そして

,こ

の優秀性 は才能 に恵 まれた子 どもに限 った話 しで はない とし

,優

秀性 を掘 り起 こし

,才

能 の多様性 に耐 える教育課程 の構成 の1つの手段 として動機づ けを取 り上 げている。 どのようにした ら思想の世界へ向けて

,子

どもの興味 を喚起す ることになるだろうか。 この興味 が

,短

期間の喚起でな く長期 の確立であることは言 うまで もない。 そして

,以

下の事柄 を挙 げてい る(17)。 ・ 教 えられ る教材 その ものに固有の興味 を増す こと ・ 子 どもに発見感 を与 えること 。我々 (教師

)が

是非言いたい ことを

,子

どもに通 した思考形態 に翻訳すること これ らの ことが

,い

ま学習 していることに対す る興味 を伸 ばし

,そ

れ とともに知的活動一般 に関 す る適切 な態度 と価値観 をもたせ るようになる。 また

,教

える事柄が

,学

習に値す るものになるな らば

,い

ま以上 に子 どもの活動 は活発 になる。 また,『学習のための動機づ けは,あらゆるひ とを観覧者 にして しまう時代 にあってなお受動的に しないようにしなければな らない し

,ま

たで きるだけ学習す ること自体 に対す る興味の喚起 に基づ くものでなければな らない。そして また

,そ

れ らの動機づ けの表現 は幅広 く

,多

様でなけれ ばな ら ない』(1働と述べている。 よって

,こ

の動機づ けは

,内

か らの報酬であつて

,外

か らの賞罰で はない。 つまり

,子

ども自身が教材 その ものに関心 を示 し

,自

分 の全力 を打ち込 んでそれに没頭 し

,そ

こに 遂行 の喜びを感 じとる。言い換 えれば

,学

習活動 に従事すること自体が報酬 となるのである。 さらに

,こ

の内か らの報酬 に近接 させて

,発

見学習 という教授 一学習方法 を位置づ けてい る。 そ の中には

,な

にかについて教わるとい うよ りは

,な

にか を発見 しようとして課題 に取 り組 む ことが で きればで きるほど

,子

どもは自分の学習活動 を

,自

己 による幸昆酬 とい う自律性 によって

,ま

た発 見 その もの とい う幸艮酬 によって遂行す る

,と

仮説 を立 てている。の。そして

,こ

こでい うところの発 見 は

,か

つて人類 に とって未知であった事柄 の探 り出 しだけでな く

,自

分の もてる力 を活用 して 自 ら知識 を入手す るすべての方法 を指す。 このような とらえ方によって

,学

校で学習す る子 どもの場 合 に も適用で きるのである。

(8)

なぜ

,学

習す ること自体が学習 を推進す る母体 とな り得 るか

,

どのような特性が学習活動 の中に 秘 められているか。 この ことについて

,以

下4つの特性 を挙 げている。の。 ・ 好奇心 ;これ は

,不

明瞭な もの

,未

完成な もの

,不

明確 な ものは人間の注意 をよびさまし

,そ

れが明瞭 にな り

,完

成 され

,明

確 になるまでその注意 は持続す るとい うことである。ここで大事 なの は, この興味 を示す好奇心 を強力かつ知的な探求へ と切 り換 えることであ り

,そ

れ は持続的で能動 的な活動 によって移 し換 えられることである。 ・ 達成への欲求 ,これは

,あ

る興味が持続す るためには

,そ

れによってある程度 のコンピテンス (能力

)が

成就 され ることが条件 となるということである。 そ して

,そ

のためには取 り組 んでいる活動 に有意 味 な価値 づ けが必要 とな り

,そ

れ はより高い技能 を要求す る共通性 をもつ。 ・ 同一視 :これ は

,内

発的動機づ けの対人的あるいは社会的側面 に関わ るものであ り

,例

えば

,あ

る人物 の特徴 を自分 の中に取 り入れ ようとした り

,自

分 をその人 と一体化 しようとす る傾向の ことで ある。すなわち

,同

一視 した像 を取 り入れ ようと努力 した結果

,そ

の像 に自分 を似せ ることが で きた とき喜びを感 じる。言い換 えると

,こ

の行為 その ものが唯― の報酬 となる。 ・ 相互性 ;これ は

,他

人 と呼応 して同一の目的 をめざして協力 し合 う傾 向の ことである。学習場面が共 同 行動 を要す るとき

,個

人 はその中にとぴ こみ

,独

自の貢献 をしようとする。つまり

,教

師 と子 どもによって構成 され る学習の共同体 とい うとらえ方がで きる。 そして

,こ

れ らの4つの要因が内発的動機づ けを構成 しているのである。 学習 のための動機づけは

,あ

らゆるひ とを観覧者 にして しまう時代 にあってなお受動的 にしない ようにしなければな らない,と い うことは,`お もしろ くなければ一生懸命や らない″,`や る気 を強 調すればよい〃とい う考 え方 に立つ ことで もない。言い換 えれば

,興

味本位 の教育観 を根付かせ る ことで はないのである。 この ことは

,学

習指導 を考 えるに当たって十分注意 しなければな らない も の と考 える。 なぜな らば

,以

下 のような問題 を含む もの と考 える。 ・ 興味本位 の教材構成 は

,子

どもたちの中に受身的な学習態度 をつ くる 。教材の工夫に走 りがちな状況が

,子

どもにお もしろ くなければ学 ぼうとしない

,学

ばない とい う態度 をつ くる 。「あっ」と驚 くような目を覚 まして くれ るまで待つ

,

とい う受動的な態度 を子 どもたちに とらせ

(3)発

見法 について ブルーナーの主張す る発見的学習法の手順 は

,本

質的 には問題 の解決 にいたる厳密な方法で はな い し

,ま

,必

ず解決にいたるという保証 もない。つ ま り

,直

観的思考 を促進するもの とし

,積

極 的に活用すべ きもの とされている。学習活動 に従事す ること自体が

,自

らの幸又酬 とな り得 るとい う ことは

,そ

こになん らかの発見が見い出せ るか らである。 原氏 は

,発

見法 についての とらえ方 は人 によってそれぞれ異なると述べ

,そ

の理由を人間の思考 形式が人 によってちがいがあることにしている91ち そして

,発

見法の言葉の起源 は Heuristicと い って

,ギ

リシャ時代か ら数学及び論理学 において使 われ

,ヒ

ューウェル氏 の考察 をもとに

,そ

の使 われ方に,

(9)

・ 発見的方法 (heuristic method) ・ 発見的様式 (heuristic mode) ・ 発見的手続 き (heuristic procedures) があると述べている。 そして

,上

記の分類か ら

J. S.ブ

ルーナーの言 う発見的学習方法 は

,発

見的手続 きの意味 にそ の言葉 をつかっていると指摘 している。 学習の構成 という面か ら考 えるとき

,単

なる刺激 と反応 とい うことで は理解で きず

,そ

の間に認 知 (cognition)と い う人間の主体的な働 きかけが介在す る。 このことか らみ るとき

,ブ

ルーナーの 発見法 は

,認

知 の学習理論 か らの考 えであ り

,概

念や創造性 をもった教育 の実現への主張 ととらえ ることがで きる。 また

,彼

,シ

ュルツの発生法 と発見法の区別 をもとに

,一

単位時間内に

,学

級全体 を通 じて行 う学習指導に発生法

(methodに

近い意味)を取 り上げ,個々の子 どもに考 えさせるときを発見法

(mOde

に近い意味)と して区別 して考 えることもで きるとしている。2ち さらに

,思

考の種類 と思考の進め 方に関 して

,判

断 と推理の区別

,解

決 と発見 を取 り上 げている93ち │ 判断 は

,与

えられた内容か ら一段階の思考ででて くるものであ り

,推

理 は

,何

段階かの思考 を経 てでて くるものである。 しか し

,同

じ問題であって も

,ど

のような思考 の段階 をとるか は人 によっ て異な り

,そ

れは過去の経験 の深 さによって異なる。 また

,

ドンカーが

,解

決 と発見 を区別 してつかっていることを指摘 した上で

,解

決 は

,そ

の仮定 か ら結論 を導 き出す方法の ことであ り

,結

論 は

,解

決の手がか りによって獲 られ るものである。そ して

,直

接的な手がか りがない ところに問題場面があ り

,こ

こに発見法がある。 そして

,仮

定か ら 結論 を導 くための解決の仕方 に問題がある。つ まり

,解

決 に導 く方法が発見的 といえる。 Ⅲ

.数

学 的 活 動 と興 味・ 関 心 子 どもの本質的な学習への興味 。関心 について

, Iで

,教

育学的考察 を行 い

,学

習指導 との関 わ りにおいては

, J.デ

ューイ とル ビンシュテインの興味

,欲

求 を取 り上 げた。 そして

,両

者 の接 点 として見 い出せた ことは

,そ

れ らが学習の過程で生 まれ

,育

て られ るとい うことであつた。また, それ らは学習の内容 に本質的 に依存 し

,認

知的・ 技能的な事柄 と切 り離 して考 えるもので はない と いうことで もあった。 さらに

,子

どもの本質的な学習への興味 。関心 は

,教

育的な関係でみる見方 においては

,特

に主体 の自発的学習 を含む教育 の役割 の重大 さを取 り上 げ

,社

会的な関係でみる見 方においては

,単

に自然環境や社会環境 に身 を置いているか らで はな く

,そ

の中で大人や他の子 ど もが暗黙の奨励 と評価 を行 っていることを取 り上 げ

,社

会的要求 と結び付 いていることの認識 の大

(10)

事 さについて論述 した。

Hで

は子 どもの学習心理学的考察 を行 い

,学

習能力 との関わ りにおいては, 子 どもの学習の可能性 を子 ども自身 に意識す る筋道 を学習過程 ととらえ

,そ

の中にみ られ る意識性 の問題

,そ

して

,

, S.ブ

ルーナーの動機づ け論 を取 り上 げ

,学

習過程 にみ られる子 どもの心的 状況 としての対立 の原理や特性 について論述 した。 本章で は

,数

学的活動

,数

学的思考 との関わ りか ら

,子

どもの本質的な学習への興味 。関心 を考 察 してい くものである。

(1)数

学的シツュエーシ ョンと数学的活動 平林氏 は

,思

考 の先件 はシツュエーション (situation i場

)で

ある とい う

J.デ

ューイの見解 に 従い

,シ

ツュエー ションとい う言葉 は

,数

学的活動の発生す る場所 を意味す るとして

,子

どもに考 えさせ るためには

,ま

ずシツュエーションを整備 しなければな らない●

0,と

述べている。一般 に, 授業 において提示す る問題 (文章題

)も

1つの数学的 シツュエーションを構成 し

,ま

,そ

こで用 い られ る教具 工学習具 も数学的 シツュエーションを豊かにつ くり出す ものでなければならない。 ま た

,数

学的 シツュエーシ ョンは

,思

,特

に数学的思考 を誘発す る場所であ り

,奥

に`自発的″`創 造的″`発見的″な学習指導 を計画す る上で欠かせない ものである

90,

と指摘 している。 教師が提示する1つの問題 は

,ど

の子 どもにもほぼ同 じ傾向の思考 をさせ るとい う点で は

,客

観 的なシツュエーションであ り

,子

どもがその問題 を通 して学ぶ ものは

,は

じめか ら客観的に含 まれ ていた内容である。 そして

,こ

の子 どもの思考活動 は発見的であるとい うことがで きる。 また

,あ

る程度客観的な内容が

,そ

のシツュエーションか らくみつ くされると

,今

度 は子 どもの側か ら

,そ

こに主観 をこめることによって

,全

く新 しい内容 を構成 して くることがある とし

,こ

の子 どもの行 動 は発明的である。氏 は

,客

観的なシツュエーシ ョンか ら

,主

観的構成が なされ るか どうかで発見 的 と発明的 という言葉 を使 い分 けている。 また

, 1つ

のシツュエーシ ョンを執拗 に くみつ くす とこ ろに

,真

に創造的な数学的活動がある。

0,

とも指摘 してい る。 シツュエーションは

,主

観 的であ り客観的で もあるが

,ま

,客

観的で もあるか らこそ

,個

人 は その問題 を自己に対立す る未知 なるもの として意識で きる。言い換 えれば

,そ

のシツユエーション が客観的であることによって

,は

じめて個人 は問題 を問題 とす ることがで きる。数学的シツュエー ションは,その意味において非数学的関心をさそわないで,しかも子 どものなじみ深いこと(famniarity) にかなったシツュエー ションを選 ばなければな らない こととなる。

(2)数

学的活動の中にみる学習への興味 。関心 (その1) 以上

,平

林氏の主張か ら子 どもの本質的な学習への興味・ 関心 をみ ると

,大

きく2つの数学的活 動の中に見い出され る。 その第 1は

,教

師の意図 した数学的シツュエー ションは

,ど

の子 どもにも ほぼ同 じ傾向の思考 を起 こさせ るとい う客観的なシツュエーションの中に見 い出され る。つ まり, はじめか ら客観的に含 まれていた数学的内容 の発見である。 そして

,そ

れ は子 どもの自主的な思考 活動 によってなされ る。 その第

2は

,客

観的なシツュエー ションが含 んでいる数学的内容がある程 度子 どもに くみつ くされ

,主

観的構成が行われ る活動の中に見い出され る。つ まり

,子

どもの主観 的構成 によって

,は

じめの客観的なシツュエーシ ョンの中には意図されていなかった全 く新 しい数 学的内容 の発明である。そして,それ は子 どもの`もしそうでなければどうなるか〃(;Whatif not?) といつた自主的な思考活動 によってなされ る90。

(11)

.客

観的なシツュエーシ ョン ここで は

,ま

ず はじめか ら客観的 に含 まれてい る数学的内容 の発見 について考 えてみる。 具体的な問題 として

,以

下の ものを取 り上 げる。 「赤

,青 ,責

のテープがあ ります。赤 のテープの長 さは

2mで

,青

の長 さは赤の長 さの

3ば

い, 黄の長 さは青の長 さの

2ば

いあ ります。責 の長 さは何

mで

しょぅ。」(小学校

3年

) この問題で

,仮

定 となっているのは

,赤

2m,青

が赤 の

3倍

の長 さ

,黄

は青の

2倍

の長 さ とい うことである。解決 は

,こ

の仮定か ら結論 を導 き出す方法 の ことである。結論 は

,黄

のテープが赤 の何倍 になっているか という目的によって得 られ る。 これ は

,直

接的な手がか りがない ところが子 どもたちの問題 となる。言い換 えれば

,仮

定か ら結論 を導 くための解決の仕方に問題があるわ けで ある。 ア:青は赤の

3倍

の長 さだか ら

, 2×

3=6, 6m

責 は青の

2倍

の長 さだか ら

, 6X2=12,12m

イ:青は赤の

3倍

であ り

,責

は青の

2倍

だか ら, 責 は赤の

3倍

2倍

になるか ら

6倍

となる。 よって

, 2×

6=12,12m

これ らの解決 に導 く方法 は発見的であ り

,は

じめの問題 には直接的な手がか りはなかったのであ る。 しか し

,こ

れ らの数学的な活動 は

,平

林氏 によれば

,は

じめか ら客観的に含 まれていた数学的 内容であ り

,そ

の意味 において

,上

記のア

,イ

の活動 は発見的であると言える。 子 どもたちの このような発見的な活動 は

,ま

,図

的表現な どの活動 に支 えられてい ることも見 逃せない。 赤 は

2m

青 は赤の3倍 黄 は青の2倍 黄は赤の何倍か 子 どもの本質的な学習への興味 を喚起す るものの1つが「教材 その ものに固有の興味 を増す」 こ とであった。つ まり

,こ

の問題か らは

,与

えられた条件 をもとに

,青

の長 さ

,黄

の長 さ と順 々 に求 めてい く考 え方にあ り

,ま

, 3倍

2倍

6倍

であることか ら

,黄

は赤の

6倍

として求 めてい く 考 え方 にあろう。他の1つは,「子 どもに発見感 を与 える」ことで もあった。つまり

,前

述 したアや イの考 え方が乗法 の意味 を深 めることにおいて発見的であるととらえられる。 また

,図

的表現の思考的役割 もみることがで きる。図的表現 は

,言

語や数式的表現 に 'ヒ ベて規約 性 に乏 しい。 それだけに

,言

語や数式 よ りも容易 に学習 し得 るとも言 えるのである。

(12)

.数

学的 シツュエー ションの変容 さらに

,客

観的なシツュエーションが含 んでい る数学的内容が

,子

どもにある程度 くみつ くされ るところに

,真

に創造的な数学的活動があった。 そ して

,そ

こには主観的な構成がなされ ることに よつて

,子

どもの行動 は発明的であつた。 ここでは

,シ

ツュエーシ ョンの変容 とい う観点か ら

,同

じこの問題 を考 えてみる。 まず

,考

え られ ることは

,問

題 の条件 を保存 しての変容である。 これ は狭 い意味 における変容 と なるが

,赤 ,青 ,黄

のテープを緑

,茶,黒

のテープに変 えた り

,逆

,ア

,イ

の解決の方法 をもと に

,問

題 を言い換 えるとい う変容である。例 えば,「青 は赤 の

3ば

いで黄の半分です。赤 を

2mと

す ると

,黄

は何

mに

なるで しょう。」 また

,問

題 の条件 を保存 しない変容が考 えられ る。例 えば

, 3倍

5倍

, 2倍

7倍

に変 えた り

,ま

,テ

ープの種類 を

3種

類か ら

4種

類 に増 やす ことである。つ まり

,シ

ツュエーシ ョンの変 容 とい う観点か ら数学的活動 をみると

,子

どもの行動 は発明的 となる。 以上

,数

学的 シツュエーションと数学的活動 を取 り上 げ

,子

どもの本質的な学習への興味 をみて きたが

,そ

こには

,

」。

S.ブ

ルーナーの言 うところの教材 その ものに固有の興味 を増す ことであ り

,そ

して

,学

習活動 に従事すること自体が報酬 となるためには

,そ

こに子 どもに とっての発見感 が大事 となる。 また

, 1つ

の問題が解決 され ると

,は

じめの問題 自体が捨て られ ることな く

,執

拗 に くみつ くす ことが大事 とな り

,そ

こに真の創造的な数学的活動があるとい うことになる。

(3)数

学的思考 と操作 和 田氏 は

,思

考 の本質 を とらえるに当たって

,考

える場所 として問題場面 と手段 との関係 を取 り 上 げている。そして,その中で

,習

慣的な手段 によって解決 している段階 は思考 とは言 えない とし, 例 えば

,分

数の計算 に際 して,`こうしなさい″とい うように前学習 と連続でない ときは思考で はな い

99,と

も指摘 している。 問題場面 。課題解決が要求 さ れている 。習慣的な手段 によ って解決で きない 手 段 ・手段 の変形 。新 しい手段体系 の構成 また

,氏

,問

題場面 と操作 との関わ りについて

,問

題場所 を分析すると

,問

題場面が具体 的で あれば

,解

決のための操作 は具体 的であ り

,問

題場面が抽象的であれば

,解

決のための操作 も抽象 的である。 さらに

,問

題場面が具体的であるとき

,解

決のための操作が抽象的であ り

,問

題場面が 抽象的である とき

,解

決のための操作が具体的である場合 もあるO。とも指摘 している。 氏 の問題場面 と思考 との関わ りを考 えると

,問

題場面が具体的であればある程

,そ

の解決 に用い られ る操作 における思考 は

,数

学的な関係 を抽象化 し一般化す ることが必要 とな り

,ま

,問

題場 面が抽象的であればある程

,そ

の解決 に用い られ る操作 における思考 は

,数

学的な関係 を具体化す ることが必要な もの と考 える。つまり

,問

題場面が具体的か

,あ

るいは抽象的かによって

,そ

の解 決 における思考 は

,数

学的な関係 を抽象化 し一般化す る方向 と

,具

体化す る方向が必要 とな り分類 され る。 しか し

,ど

ち らの方向への思考が働 くかに関わ りな く

,こ

れ らの思考 を生み出す操作 の過 程 における具体的な活動 は

,単

に試行 しただけで はその意味が十分で はない。なぜな ら

,当

面 して

(13)

いる問題 に対 して

,過

去 の経験 としての操作が

,現

在 の解決 に用い られ る操作 の過程 の中に

,な

ん らかの位置 を占めなけれ ばな らないか らである。例 えば

,仮

に学習具 によって問題 の解決 をはか り 結論 を出 し

,こ

れで終わ りとい うことであれば

,考

えたのは学習具であつた とい うことにな りかね ないか らである。 この ことは

,現

在 の解決 に用い られ る操作が

,新

しい問題 の解決 において

,経

験 となって役立つ ようにしなければな らない と言い換 えられ よう。氏 は

,こ

の経験 について『経験 とは

,何

か ことを なし

,そ

れが うま くいった とき

,あ

るい はまずい とき

,な

ぜ うま くいったか

,ま

たつ まづいたか, それをきわめ

,そ

の ことを言語概念 によってまとめることである。』●0と述べている。 このようにま とめられた過去の経験 は

,概

念 によって代表 され

,操

作が単 なる試行 か ら経験 とされ るためには, 問題場面が具体的であるか抽象的であるかに関わ らず

,後

の学習 に役立つ ようにまとめることが大 事 となろう。 よって

,操

作 な どのよって用い られる学習具 もまた

,思

考 を進 めるのに必要な援助物 でなければな らない し

,学

習具が思考 を仲 ばす ものであるか らには

,自

分 の頭の中にあることを学 習具 によって具体化 し

,こ

れの可否 を調べた り

,ま

,自

分 の考 えをまとめた り

,言

葉 による他ヘ の伝達の補助 の役 目を果たす ものにな らなければな らない。こち

(4)数

学的活動の中にみる学習への興味 。関心 (その 2) 以上

,和

田氏 の主張か ら子 どもの本質的な学習への興味・ 関心 をみ ると

,や

はり2つの数学的活 動の中に見い出され る。 その第1は

,問

題場面が具体的である場合 に行われ る操作 の中に見い出さ れる。つ まり

,問

題場面が具体的であればある程

,そ

こで用い られ る操作 は数学的な関係 を抽象化 し一般化 してい くことが必要 とな る。 その第2は

,問

題場面が抽象的である場合 に行 われ る操作 の 中に見い出され る。つ まり

,問

題場面が抽象的であればある程

,そ

こで用い られ る操作 は数学的な 関係 を具体化 してい くことが必要 となる。 ①

.問

題場面が具体的である場合 具体的な問題 として

,以

下 の ものを取 り上 げる。 「 りんごが13こあ ります。 8こ とると

,の

こりはなん こで しょう。」(小学校

1年

) この問題 は

,お

はじきな どの具体物 を用いることによって

,容

易 に解決 され る。 ここで は

,そ

の 意味 において具体的な問題 と呼ぶ ことがで きる。そして

,具

体的な操作 としては

,以

下の活動が予 想 される。 ア : 13こ (10こ と3こ

)の

お はじきを並べた後

, 3こ

のおはじきを 1こ ずつ取 り去 り

,さ

らに, 5こ を 1こ ずつ取 り去 る。 13こ (10こ と3こ

)の

お はじきを並べた後

,10こ

の中か ら8こ のお はじきを1こずつ取 り去 り

,残

りの 2こ と3こ を合わせ る。 イ : これ らの活動後

,一

般 には

13-8=5と

い う式が確認 され る。 もし

,こ

れ らの具体 的な操作 とし ての活動で

,13-8=5の

式が まとめ られるのであれば

,こ

の問題 の解決 は `おはじきが考えた″ といって も仕方がない。繰 り下が りのあるひ き算の計算の仕方 として数学的な関係 を抽象化 し

,一

般化 してい くためには

,

これ らア

,イ

の操作 を数式の上で考 えられ るとともに

,数

式 の上での操作 が具体的なおはじきの操作 に反映 されなければな らない と考 える。

(14)

つ まり

,ア

で は

,13-8は

,13-3=10,10-5=5,

とな り

,

この数式の上での操作 を

,お

は じきにより行 うのであれば

,13こ

の中か ら3こ のお はじきを一度 に取 り去 り

,さ

らに

,10こ

の中か ら5こ のおはじきを一度 に取 り去 るという操作が対応 されなければな らない。 また

,イ

では

,13-8は

,10-8=2,2+3=5,と

な り,この数式の上での操作 をお はじきにより行 うのであれば, 10この中か ら8こ のおはじきを一度 に取 り去 り

,次

,残

りの 2こ と3こ を合わせ るとい う操作が 対応 されなければな らないのである。 この ことは

,13-8=5の

式の読 みを深めるという見方 もで きるが

,問

題場面が具体的であれば ある程

,そ

こで用い られ る操作 は数学的な関係 を抽象化 し一般化 してい くことが必要 となるのであ る。そして,そ こに子 どもの意識 を向け

,数

学的な関係 に着 目した活動 その ものが

,学

習への興味・ 関心 とな り

,学

習活動 その ものが学習の目的 となる。

.問

題場面が抽象的である場合

ここで も

,以

下 の具体 的 な問題 を取 り上 げる。 「 てんびんの左 側 を変 えないで

,右

側 のお も りの重 さ とつ るす位 置 を変 えた ら

,下

の表 の よう にな りました。 支 点 か らの き ょ り(cm) 5 お も りの重 さ(g) 支点か らの きょり(X)とお もりの重 さ(y)は

,ど

んな関係 にあるで しょう。 また

,Xと

yの

関係 を式 に表 しましょう。」 この問題 は

,支

点か らの きょりとお もりの重 さの対応す る値 の組 を とって

,そ

の積が一定 になる とにより解決 され る。 そ して

,以

下 の活動が予想 される。 ア : 5×120=600, 10× 60=600, 15×40=600,・ ・・ よって

,Xと

yの

積 は

600(一

)で

あ り

,X×

y=600

支点か らの き ょりが

2倍 , 3倍 , 4倍

,・・・ にな る と, おもりの重さは

1/2, 1/3, 1/4,・

・ 。となる よって

,Xと

yの

関係 はX×

y=600

イ : 一般 に

,Xと

yの

関係 を

, Xと yの

積 の見方 を深 めるために

,他

の類似 な問題が取 り上 げ られ , その後,と もなって変わ る2つの量があるとき

,対

応す る値 の積が決 まった数の とき,`2つの量 は 反 'ヒ 例す る″というようにまとめ られ る。支点か らの きょりとお もりの重 さにはどんな関係がある か とい う子 どもに とって抽象的な問題 の場合

,前

述 した通 り

,数

学的な関係 をより具体化 してい く 活動 を考 えることが大事 となる。 つ まり

,ア

で は

, 5× 120=600,10×

60=600,・ ・ 。と表中に示 された値 の組 を用いて見い出さ れた X×

y=600の

関係 を,表中に示 されていない値 の組 をとって具体化 してい くことが必要 となる。 また

,イ

で は

, Xの

値が

2倍 , 3倍

・・・ になると

, yの

値が

1/2, 1/3・

・・ になった関係 について

,や

はり表中に示 されていない値の組 について も具体化 してい くことが必要 となる。 この

(15)

ことは

,問

題場面が抽象的であれ ばある程

,そ

こで用い られ る操作 は数学的な関係 を具体化 してい くことが必要 となるのである。 問題場面 との関わ りで学習への興味・ 関心 を考察 して きたが

,こ

れ らの興味 。関心 は

,学

習内容 に本質的に依存 し

,問

題場面が具体的であればある程

,数

学的な関係 を抽象化 し一般化す る活動の 中に求 め られ

,ま

,問

題場面が抽象的であればある程

,そ

こにみる興味・ 関心 は

,数

学的な関係 を具体化する活動 の中に求めることがで きるのである。 Ⅳ.「本 質 的 な学 習 へ の 興 味 。関 心 」 の 学 習↓旨導 へ の位 置 づ け 子 どもの本質的な学習への興味・ 関心 を

,学

習指導 との関わ りで とらえると

,学

習指導 は子 ども の学習の可能性 を子 ども自身 に意識 させ る過程であるとい うことがで きる。 また

,こ

れ らの興味・ 関心 は

,外

的な報酬 に支 えられ るので はな く

,学

習活動 に従事す ること自体が学習の報酬 とな り, それに支 えられ るとともに学習活動 それ 自体が学習 を推進す る母体 となり得 るということであつた。 また

,学

習活動 それ 自体が学習 を推進す る母体 とな り得 るためには

,そ

こに学習者 の学習 の意識性 が必要であ り

,そ

の意識性 は個人的な欲求の満足か ら

,次

第 に社会的な欲求の満足 に向 けられ るこ とが必要であった。 本章 は

,こ

のような子 どもの本質的な学習への興味 。関心 を

,活

動 自体 の意識 によって

,数

学的 な内容 を自覚化 させてい く方法 について考察す るものである。言い換 えれば,本 質的な学習の興味・ 関心の学習指導への位置づけと言 える。

(1)学

習の連続性 と子 どもの思考の持続 性 一般 に

,学

習 は1つの連続 したプロセスである。算数 の学習 もまた

,そ

れ以前の学習 の上 に成 り 立ち

,次

の学習 は本時の学習 によってその方向性 と指導の展開が決定 され得 るもの と考 える。 前章 Ⅲ。

(1)で

述べたように

,思

考 の先件 は数学的 シツュエーションにあ り

,そ

こで は数学的活 動が生み出され る。 この数学的シツュエーションは客観的であるがゆえに

,個

人 はその問題 を自己 に対立す る未知 なるもの として意識で き

,個

人 は問題 を問題 とす ることがで きた。 また

,数

学的活 動 は

,そ

れ以前 の学習 において どのような数学的活動 を経験 して きているかに依存す る。つ ま り, いま直面 している問題 の解決過程 にお ける数学的活動 は

,前

時 までに経験 して きた数学的活動 との つなが りが はか られ るとともに,その問題 もまた前時 までの問題 にその根拠 を求 めることがで きる。 言い換 えれば

,問

題 の必然性 は前時 までの学習活動 を連続 なるものにす ることによって子 どもの思 考の中で意識化 され るもの と言 えよう。 また

,前

章Ⅲ。

(3)か

らは

,思

考 と呼ぶにふ さわ しい問題場面 となるためには

,以

前 の学習 と連 続す る数学的な内容が不可欠であ り

,そ

の解決 においては手段 の変形

,あ

るい は新 しい手段体系の 構成が必要 とされた。 そして

,そ

の問題場面 は具体的であるか抽象的であるかに関わ らず

,そ

の解 決 に用い られ る操作 の思考 は

,数

学的な関係 を抽象化 し一般化す る方向 と

,数

学的な関係 を具体化 す る方向が必要であった。 さらに

,そ

こで用い られ る思考 は

,当

面 している問題 に対 して

,過

去の 経験が現在 の解決 に用い られ る過程 の中で

,な

ん らかの位置 を占めるものでなければな らなかった のである。 以上

,学

習の連続性 ということについて学習指導 との関わ りで考 えて くると

,学

習者 である子 ど もの思考 の持続性 を抜 きにして考 えることは望 まし くない。 そして

,問

題場面 の設定 の段 階か ら子

(16)

どもの主体的な働 きかけができないかを考えることが次の課題 となる。

.子

どもの参加による問題場面の設定

杉 山氏 は,どのようにした ら子 どもが よ りよ く学 ぼうとす る意欲 を起 こすか とい うことについて, 教師が設定 した問題場面が子 どもの考 える意欲 を起 こす ことにどのように関与するかを取 り上 げ, 具体的な問題場面 として

,以

下3つの場面 を挙 げている。2ち ・ リアルな場面 の設定 ・ 仮定 された場面の設定 ・ 矛盾 した場面の設定 一般 に

,問

題場面が どのような設定の もので も

,教

師が設定す る限 り

,そ

れ は子 どもに とって外 的な ものであ り

,そ

の中にみられ る学習の動機 もまた外的な動機である。 この ことは

,決

して外的 な動機づけが望 まし くない といっているので はな く,教師が問題場面 を工夫することは大切 である。 しか し

,こ

こで問題 にしていることは

,子

どもの参加 による問題場面の設定である。例 えば

,条

不足の問題や□を用いた問題の設定により

,子

どもの参加した問題場面の設定へ作 り変えていくこ

とはその

1つ

である。

Ⅲ。

(4)で

取 り上 げた小学校

1年

の問題 を□ を用 いた問題 の提示 にす るな らば,「 りん ごが

13

こあ ります。□ こ とる と

,の

こ りはなん こで し ょう。」とな る。□ に は1から13まで の数 を入 れ る と す る と

,そ

こに は

,既

習 の繰 り下 が りのないひ き算 と繰 り下 が りのあるひ き算が含 まれ

,子

どもに とって は過去 の経験 と持続 す る思考 とな る。 また

,仮

に□

=8と

して問題の解決がはか られた後

,こ

のはじめの問題場面 はその後 (次時

)の

学習に生か してい くことが必要 となる。言い換 えれば

,問

題の解決によってはじめの問題場面が捨 てられてしまうところに考えるべ き問題があると言えるのである。つまり

,問

題の解決後

,は

じめ

の問題場面を生かす展開を考えるならば

,次

時において

,少

なくとも□

=X(4≦

X≦

9)の

場合

についてそのい くつか を取 り上 げて考 えてい こうとす る授業構成が必要 となる。なぜ な ら

,

この学 習のね らいは

,13-8や

13-6な

どの特殊 な問題場面 を取 り上 げなが ら

,(十

何)― (一位数

)の

繰 り下が りのあるひ き算の計算の仕方 を考 えることに焦点化 してい こうとするものだか らで ある。 こ のような趣 旨が子 どもにおいて明確 になるようにす ることが大事である。学習の連続性 と子 どもの 思者 の持続性 とい うことは

,平

林氏 の言葉 を借 りるな らば

,あ

る1つの問題 を執拗 に くみつ くす こ とによって数学的 シツュエーションの変容 は可能 となるのである。 そ して

,こ

のような学習のね らいを明確 にし

,次

時の問題 の構成 を考 える契機 となる活動 を

, 1

時間の学習 の終わ りに本時のまとめ とともに

,次

時 なる問題 を考 えることは

,学

習の連続性

,思

考 の継続性 の契機 とな り

,子

どもの参加 した問題場面 の設定へ とつなが るものと言 えよう。 ②

.子

どもの参加 による学習計画づ くり 教師 は各単元毎 に指導のための計画 を立てる。 これを指導計画 と呼ぶならば

,子

どもが単元 内の 学習内容 をおおよそつかんで

,学

習活動の順序 を立 てることは学習計画 と呼ぶ ことがで きよう。今 日

,あ

る単元の第

1時

(導入時

)に

おいて,`単元 を通 した大 きな問題″を提示 し

,子

どもとともに その問題か ら考 えられ るい くつかの `小 さな問題″を見い出 し順序立てをするとい う学習計画づ く りを取 り入れた実践が報告 されている。0。 この考 え方が生 まれて きた背景 には

, 1時

, 1時

間の問題 としてはよい問題であって も

,次

参照

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