平成2
2年度 報告書
「中 東 諸 国 の 現 状 と 今 後」
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1年3月
財団法人 中東協力センター
この事業は、競輪の補助金を受けて 実施したものです。 http://ringring‐keirin.jp中東協力センター
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会員限定
はじめに
本調査研究は,財団法人中東協力センターが現状分析と予測が困難な現下の中東情勢に関 し,外国の専門家の論文を集め,現状と将来的な展望を分析検討したものです。 平成22年度は,「中東地域におけるトルコの外交上の役割」についてはオックスフォード・ エネルギー研究所(英国)のバッサム・ファトウ氏とハキム・ダルボッシュ氏に,「対イラン 制裁が湾岸協力会議(GCC)に及ぼす影響」及び「GCC 諸国における中国と韓国の影響力と実 力」についてはガルフ・リサーチ・センターのサミール・プラダーン氏に,「中東・北アフリ カ(MENA)地域における太陽エネルギープロジェクト」及び「中東・北アフリカ(MENA) 地域における鉄道プロジェクト」については MEED インサイトのアンガス・ヒンドリー氏 に,「イラクに関する脅威評価報告(最新情報)」についてはコントロール・リスクス社に, 「イラクの消費財市場」についてはデュニア・フロンティア・コンサルタンツに,「イラクの 銀行セクターの概要」については DLA パイパーミドルイースト LLP のサレム・チャラビ氏 に分析をお願いしました。 中東をめぐる情勢は日々刻々変化しており,本報告書に記載の内容から変化しているもの もあるかと思いますが,本報告書が今後の中東情勢を予測検討する上で,少しでもお役に立 てれば幸いです。 平成23年3月 財団法人 中東協力センター 専務理事 谷川 浩也 !目
次
第1章 中東地域におけるトルコの外交上の役割 仲介・和平交渉・大国との関係 ………1 第2章 対イラン制裁が湾岸協力会議(GCC)に及ぼす影響 ………11 第3章 GCC諸国における中国と韓国の影響力と実力 ………25 第4章 中東・北アフリカ(MENA)地域における太陽エネルギープロジェクト…………49 第5章 中東・北アフリカ(MENA)地域における鉄道プロジェクト………63 第6章 イラクに関する脅威評価報告(最新情報)………83 第7章 イラクの消費財市場………95 第8章 イラクの銀行セクターの概要 ………107 !第 1 章
中東地域におけるトルコの外交上の役割
仲介・和平交渉・大国との関係
第1章
中東地域におけるトルコの外交上の役割
仲介・和平交渉・大国との関係
はじめに トルコは伝統的に外交政策ではなく,内政の基本政策を重視していた。その基本政策とは, 世俗主義,西洋化,国家開発,とりわけ国家安全保障に優先を置いたものだった。アタテュ ルクは,「国内に平和を,世界に平和を」をモットーとしていた。したがって,これらの基本 政策の維持に資する外交関係が優先されると考えられていた!。冷戦時におけるトルコの外 交政策上の役割は,「東部戦線」における北大西洋条約機構(NATO)の前哨地点としての機 能を担い,ソ連に好意的な中東諸国に対抗することであった。しかし,冷戦終結後,近隣の 中東諸国のみならず黒海やバルカン地方の国々に大きな変化が生じたため,トルコ政府は周 辺地域における外交政策の見直しを迫られた。この地政学的変化は,トルコと中東諸国の関 係を改善するどころか,逆にトルコに自国防衛のための敵対的姿勢をとらせた。トルコのこ うした敵対的姿勢の主因は,クルド問題ならびに同時に発生したシリア,イラン及びイラク との関係悪化だった。 しかし,ごく最近に至り,政策の優先事項が再編されるなど,トルコの外交政策の内容と その実施方法に顕著な変更が見られるようになった。その結果,中東と近隣地域諸国はトル コ政府が地域への積極的関与を再開したと考えた。この政策変更は国内外の要因によっても たらされたものである。長年にわたりトルコの政治を支配してきた世俗主義派と親欧米派の エリートたちは,今や,より保守主義で,宗教色の強い,民族主義のエリートに徐々に取っ て代わられつつある。この状況は,レジェップ・タイップ・エルドアン首相とアブドッ ラー・ギュル大統領に率いられた公正発展党(AKP)が権力を掌握した以降,特に顕著とな っている"。ギュル大統領は,「トルコの哲学とは,“我が国周辺地域を保護する責任感”であ る。我々に直接関係する問題もあれば,直接的には関係のない問題もある。我々はこうした 問題のすべての解決に寄与したいと願っている」と述べている#。ダーヴトオール外相は, 「近隣諸国とのゼロ・プロブレム外交」と「戦略的深化」がその中核となっているトルコの新 外交政策の立案者だとみなされているが,彼は一歩踏み込んで,次のように主張している; 「トルコは多様な地域的独自性を享受している。我が国の歴史と地勢の独特な組み合わせが責 任感を生み,そして我が国の深遠な多次元の歴史から使命感が生まれているのである$」。 対外的な環境にもまた,大きな変化がいくつか生じている。トルコは長年にわたり,EU (欧州連合)の正式加盟国になることを望んでいた。しかし,同国のキプロス問題と政治・経 済改革プログラムに関し,アンカラとブリュッセルが意見を異にしていることから,加盟プ 1ロセスは暗礁に乗り上げている。また,欧州諸国は,移民問題や失業問題,そして EU の更な る拡大の妥当性につき,懸念を抱いている。さらには,トルコがイスラム国家であることが欧 州諸国において議論を呼び起こしており,これがトルコの EU 加盟への期待を挫いているの である。EU 加盟に失敗すれば,それはケマリスト(Kemalist)の自己イメージに打撃を与え るばかりではなく,トルコと西側諸国との安全保障と政治的連携の信頼性にも疑問を投げか けることになる。しかし,EU に加盟できないということは必ずしもトルコが西側諸国から背 を向けるということを意味するものではなく,むしろ,それはトルコの同盟国がさらに多様 化する契機ともなり得るのである"。2010年6月,使節団の団長として訪米した AKP のオメ ル・チェリキ副党首は,「AKP はトルコ政府の政策基本方針を変更する意図もなければ,トル コを中東の国家にする意図もない。これは単なるレトリックである#」と語っている。 本論文は,トルコ外交政策における最近の戦略的変更の考察を目的としており,トルコと 主要中東諸国との関係の変化,過去および新たな地域問題に対する同国の姿勢の変化などに つき概説する。この考察により,トルコの新外交政策採用の主たる要因や同国が直面してい る主要課題,外交政策の変更が結果として西側諸国との関係に及ぼした影響などを確認す る。 次項では,冷戦終結以降に中東地域で勃発した米国主導の戦争がトルコの対中東外交政策 にいかなる影響を与えたか,検証する。 中東地域における3大戦争とトルコ ! 1991年湾岸戦争 1991年の湾岸戦争は,トルコが西側諸国とアラブ世界に対する姿勢を変えた重要な触媒と して$,また,そうした関係の変化をもたらす兆候として,捉えることができるだろう。当時 の大統領トゥルグト・オザルはイラクをクウェートから駆逐するために米国を全面的に支援 し,対イラク制裁を実施するためにトルコ領内のパイプライン経由のイラク原油輸出を停止 し,トルコとイラクの国境沿いに10万人のトルコ軍部隊を配備し,さらに,米軍がイラク領 内に進攻するためトルコ領空の通過と空軍基地の使用を米国に認めたのだった。こうした措 置は,中東地域の騒乱に介入しないとの原則にたち,注意深く同地域にアプローチしてきた トルコの従来の立場から逸脱したものだった。トルコが欧米を支持したのは,トルコの願望 が主たる動機となっていた。すなわちトルコは,欧米と強固な同盟関係を結べば,トルコの 対クルド分離主義勢力との闘争や EU 加盟問題で欧米諸国が自国を支援してくれると期待し ていたのである。ソ連の崩壊と,トルコの国際的な立場を明確に発信するとの狙いが,同国 の姿勢の変化の背景にあったに違いない%。 2
しかし,欧米支持の結果,トルコにもたらされたのは多大な費用であり,利益はほとんど 得られなかった。欧米諸国との良好な関係あるいは,「戦略的同盟」構築の希望はまったく実 現しなかったのだった。トルコは,1991年とその後に引き続く対イラク国際制裁の数年間に おいて,パイプラインと貿易で得られたはずの数10億ドルを失ったのだった。対イラク国際 制裁に関しては,トルコもこれに同意していた。また,湾岸戦争によって,トルコのクルド 問題もエスカレートした。北イラクに存在する事実上のクルド国家がトルコ領内のクルド人 の独立運動を鼓舞し,クルド労働者党(PKK)の分離主義者たちのために,兵站基地として の役目を担ったのだった。 ! 2001年アフガン戦争 アフガン戦争に対するトルコの立場も米国支持であった#。トルコは長年にわたりテロと の戦いを続けているため,国際テロとの闘争を決意した米国に賛同した。この問題でもまた, トルコの政策決定者たちは,米国を支持すれば,自国の対クルド分離主義勢力との闘争におい て米国・EU 諸国から一層の支援を得られるとの希望を抱いていたのである。しかしながら, 結果的にトルコは外交政策において,窮地に追い込まれたのだった。というのは,トルコは NATOによるアフガン戦争に関与したため,トルコは西側の利益を擁護しているとの理由 で,アラブ・イスラム世界から糾弾されたからである。さらに,トルコのアフガン戦争への 関与は国内でも大不評であり,国民同士間及び政治家たちの間で意見が分かれた。1991年の 湾岸戦争への参加によってトルコが被った損失の記憶がいまだに鮮明に残っていたからであ る。実際のところ,世論調査によれば,国民の66%がアフガン戦争に反対しており,また, 86%がトルコ軍のアフガン派遣に反対していた。 トルコによる米国支持の見返りとして,米国はトルコの国際通貨基金(IMF)からの160億 ドルの融資獲得を支援した。この融資により,1999年以降の対トルコ IMF 融資額は累計で 310億ドルに達した。この結果,1997年∼98年にかけて巨額の救済パッケージ・ローンがロ シア,インドネシアおよび韓国に供与された以降,トルコが IMF からの最大の借入れ国とな った$。さらに2億2,800万ドルの支援金が米国から直接,トルコに供与されたが,これはト ルコがカブールにおいて国際治安部隊を率いるための資金援助だった%。この時点までは,ト ルコ・欧米同盟は公にはいまだ信頼できる関係にあったが,2003年のイラク戦争の勃発に伴 い,この信頼関係は変化の時期を迎えたのだった。 " 2003年イラク戦争と米国のイラク侵攻& 2003年の米国によるイラク侵攻以前,イラクとトルコの関係はサッダーム・フセイン政権 3
下で常に緊張していたため,トルコにとってイラクは積年の問題国であった。サッダームの 対クルド政策や彼の大量破壊兵器獲得の野望と近隣諸国との関係における好戦的性癖によ り,イラクはトルコにとって真に安全保障を脅かす存在であった。しかし,米国がイラクに 侵攻した際,トルコは,自国民の同戦争への反対と国連の支持が欠如しているとの理由で, 米国主導の連合軍への支援を拒否したのだった。トルコの防衛を担っていたエリートたちは 米軍のイラク領土への侵攻が自国に及ぼす影響を懸念していた。イラク侵攻によって PKK の反乱分子がトルコ領土を脅かす危険性が増大する可能性があったからである。トルコはこ の脅威を念頭に米軍侵攻以前のイラク対策とイラク戦争後のトルコの域内政策 対イラク 新政府対策を含め を策定していた。トルコ,米国及びイラクのクルド自治政府間におい て,治安・情報部門における協力関係が改善したのは2007年のことであった。この関係改善 によって PKK の活動に対するトルコの懸念に配慮が払われ,アンカラとバグダッドが和解す る道が開かれたのだった。両国間の通商関係も米国のイラク侵攻後に改善している。イラク 経済が国際制裁措置の打撃から回復するのに伴い,二国間の貿易額は2003年∼2009年間にお いて9億ドルから60億ドルに拡大した"。 イラン及びシリアとの関係改善 トルコとイラン,シリア両国との関係は長年,特に1980年代と1990年に緊張していた。シリ アとイランは PKK を支援していたため,トルコは不安定な状態に置かれていた。2000年代に なり,クルド民族主義の封じ込めとイラク領内での独立クルド国家出現の阻止という3ヵ国 共通の利益が一致したため,トルコはシリア,イラン両国との友好を回復した。3ヵ国はそ れぞれ国内に少数民族のクルド人を抱えているが,隣国イラクではクルド独立運動が勢いを 増していることもあり,各国内のクルド勢力はますます手に負えない存在となってきてい る。特にイランは,自国の治安部隊を攻撃するクルド人に悩まされており,報復措置として カンディール山脈にある PKK 基地への砲撃を行っている。 ! 対イラン関係 クルド問題に加え,ポリティカル・イスラム(political Islam)が,1979年以降にトルコ・イ ラン関係が緊張する原因となってきた。1979年,イランにおいてイスラム革命が起きたため, トルコはイランがポリティカル・イスラムを世俗主義の自国民に輸出する意図があるのでは ないかとの危惧を抱き始めた。カフカス山脈におけるトルコ・イラン両国の争いとイラン領 内の少数民族アゼリー人をめぐる問題も両国にとって懸案事項であった。 しかし,2003年のイラク戦争後,テヘランとアンカラがクルド問題に関する共通の利益を 4
新たに見出したことをきっかけとして,両国間の緊張は最近の10年間でかなり緩和した。通 商・経済上の提携も緊張緩和の重要な要素となっている。イランはトルコに同国の天然ガス 輸入量の約5分の1を供給しているほか,トルコ企業にとって重要な市場を提供している。 両国間の経済・エネルギー関係はほとんど均衡していないものの#,貿易量は徐々に増加し ており,イランの炭化水素資源開発のための重要なエネルギー関連契約もトルコ企業によっ て締結されている$。 トルコはイランの核開発計画問題に関し,欧米諸国などとは異なるスタンスを取っている。 これは,トルコ・イランの二国間関係が改善したことを反映しており,また,他の理由とし ては,AKP 政府が欧米諸国や域内の国々が心配するほどイランの核開発計画を問題視してい ないからである。トルコが懸念しているのは,地域で起こる核兵器開発競争や可能性が高ま っている対イラン攻撃,そして近隣で再び勃発する恐れのある戦争である。このためトルコ は,核兵器のない中東を提唱し,イラン政府と欧米諸国間の妥協成立のため,トルコが仲介 することによってイランの核開発計画をめぐる膠着状態を解決しようと提案した。トルコは 対イラン国際制裁の発動に反対しており,ブラジルと協調して,イランのウラン濃縮問題の 現実的な解決策を模索した。最近の記者会見において,ギュル大統領はイランの核開発計画 に対するトルコの見解を次のように説明していた。 「もし新たな戦争が我々トルコの近隣地域で勃発するとすれば,それは我々(すなわちトル コ政府)にとって容易なものだとあなた方は思いますか? 我々が今までもやってきたことだ が,平和的な解決に貢献することが我々の権利であり,義務なのです。それは,我々が核武 装したイランを寛容に扱うということを意味しているものではありません%」。 しかし,エルドアン首相とイランのマフムード・アフマディネジャド大統領との目立って 親密な様子やイスラエルの政策に対する同首相の公然たる非難の態度がトルコの仲介努力を 多少,損なっているようである。というのは,イランの核開発計画に賛成の態度を示すトル コの動機に疑惑の目を向ける人々が米国や中東諸国に多くいるからである&。トルコは中東 地域のさらなる不安定化を阻止しようとしているが,イランの核開発計画に対するトルコの 姿勢には,同地域において自国の地位を強化しようとの野心が明らかにみなぎっているので ある。 " 対シリア関係 トルコとシリアの和解は,地域・国内情勢の変化によって,2000年代初期に実現可能とな ったが,それまでのシリアはトルコにとって敵対する典型的な隣国であった。トルコ・シリ ア関係の主たる問題は,!トルコが1930年代に併合した,シリアが領有権を主張するアレク 5
サンドレッタ県(ハタイ県)をめぐる領土紛争,!ティグリス・ユーフラテス川に関するト ルコの水政策,特に,シリアの死活にかかわる水供給を削減する南部アナトリア・プロジェ クト,及び"避難場所・訓練施設の提供によるシリアの PKK 分離主義勢力支援,である。 1990年代に両国関係が最も悪化したのは,1998年10月の軍事危機の時だった。この時トル コは,もしダマスカスが PKK に対する支援を中止しなければ,トルコはシリアに侵攻すると 脅迫したのだった。このためシリアは対 PKK 支援を打ち切り,訓練キャンプを閉鎖し,PKK のアブドッラー・オジャラン党首を追放した。この決定により,二国間の和解の道が徐々に 開かれ,2004年1月にシリアのバッシャール・アルアサド大統領による歴史的なトルコ訪問 が実現した。これは,1946年のシリア独立以来,初のシリア大統領のトルコ訪問であった。こ の訪問は,米国のイラク侵攻後に両国の利害が一致したことを物語っている。これは,2009 年に調印された相互ビザ免除協定や,両国間で設立された,「戦略的協力評議会(Strategic Cooperation Council)」など,具体的な形となって表れている。また,経済面での提携も活発 化しており,トルコからシリアへの電力供給が開始され,さらに2010年2月にはトルコ,シ リア,イラクを結ぶ鉄道が7,000万ドルを投資して,再開された#。 イスラエル・パレスチナ問題 トルコは1949年に中東地域においてイスラエルを最初に承認した国家の一つであり$, 1996年以降,イスラエルと密接な軍事協力関係 とりわけ防衛・情報分野において を築 いてきた。この関係は,イスラエルを中東地域における孤立状態から脱却させるとともに, シリアに圧力をかける手段として機能してきた。一方,トルコは,米国と EU がトルコの武 器調達に対する制限を強化した時,イスラエルとの武器取引や軍事技術の供与の面で利益を 享受したのである。2007年,トルコを訪問したシモン・ペレス大統領は,イスラエルの大統 領として初めてトルコ議会において演説を行った。 2000年の第2次インティファーダの発生と,それに伴うアラブ・イスラエル紛争の悪化に より,イスラエル・トルコ関係は次第に冷却化した。2006年夏,エルドアン首相はイスラエ ルのレバノン軍事攻撃を激しく非難した。トルコ国内の多くの都市で大規模な抗議デモが起 こり,イスラエル国旗が焼かれた。これに引き続きトルコは,欧州の一国による最大規模の 貢献の一つとなる,1,000人のトルコ兵を駐レバノンの「国連レバノン暫定軍(UNIFIL)」に 派遣することを決定した。2008年12月のイスラエルによるガザ攻撃後,トルコとイスラエル の対立はピークに達し,両国関係は2009年∼2010年に前例のない最悪期を迎えたのだった。 2009年1月,エルドアン首相はブリュッセル訪問時にイスラエルの対ガザ攻撃を非難し,そ してその数日後,ダボスで開催された世界経済フォーラム年次総会で,イスラエルのシモン・ 6
ペレス大統領と激しく口論した後,二度とダボスには戻らないと言い残し,途中退席した!。 同年9月,ダーヴトオール外相は,ガザのハマス関係者への訪問を許可されなかったとの理 由で,イスラエル行きをキャンセルした"。イスラエルの行動を公然と非難したトルコはアラ ブ世界の大衆から絶大な喝采を博したのだった。 トルコとパレスチナの関係は歴史的に強固である。トルコは領土問題でオスマン帝国時代 の文書をパレスチナに提供し,また,パレスチナの能力強化のために資金援助を行うなど, パレスチナの対イスラエル闘争を支援してきた。1990年代,トルコは中東和平プロセスに積 極的に関与し始め,マドリード中東和平国際会議やその他関連の世界会議に出席してきた。 同国はパレスチナとは密接な経済関係も構築している。近年,トルコはアラブ・イスラエル 紛争において,成功したことや失敗したこともあるものの,より積極的に政治・外交上の役 割を果たしている。トルコは2006年からハマス政権を承認している,中東地域では数少ない 国の一つであり,政権指導層とは常時連絡を取り合い,パレスチナ・イスラエル間の交渉へ の関与を図ってきた。トルコが両者間の交渉に初めて口を挟んだのは,2006年にハマスがイ スラエル兵ギルアド・シャリートを拘束した時であり,2回目の関与は2009年1月のガザ戦 争の時だった。これら両方の試みは有意義な結果をもたらさなかったものの,トルコは中東 地域での自国の役割を変更したとのシグナルを世界に発信し,調停の場に必要な対話者とし ての立場に自らを置いたのだった。このトルコの姿勢が反映されたのは,シリアとイスラエ ルに対するトルコの大胆な和解提案であった。シリア・イスラエル両国はトルコを介して, 数回にわたり間接的な話し合いを行ったが,2008年12月のイスラエルによる対ガザ軍事攻撃 によって,和解の話し合いは頓挫した。 トルコとその他アラブ世界諸国 トルコは仲介という新たな使命をアラブ世界に広げ,注目すべき成果を収めたものの,中 東地域における旧来の有力アラブ諸国を苛立たせた。2005年,トルコはイラクのスンニ派指 導者たちに総選挙に参加するよう呼びかけた。また,イラクが2009年8月にバグダッドで起 きた爆破事件はシリアが背後で操っていたと非難した際,トルコはこの両国の争いを調停し た。これらの仲介工作はさほど目立たないかもしれないが,これはトルコが新たに見出した アラブ世界における調停という役割を具現したものだった。トルコは,「アラブの町の人々」 から称賛を得たが,地域紛争解決の舞台では,伝統的に主役を務めてきているカイロとリヤ ドはトルコのそうした積極的な行動にまゆをひそめていた。中東専門家の多くは,トルコは これらアラブ諸国の域内での影響力の衰退で得をしており,AKP の政治家たちが,影響力と 信用を失いつつあるカリスマ的アラブ指導者たちの後釜に納まろうとしている,と見ている。 7
しかし,だからと言って,トルコが主要アラブ諸国に対し,門戸を閉ざしていたわけでは なかった。2006年8月,サウジアラビアのアブドッラー国王がトルコを訪問したが,これは 40年ぶりのサウジ国王による訪問であった。また,エジプトのホスニー・ムバーラク大統領 も2007年3月にアンカラを訪問した。これら両首脳との会談では,エネルギー協力と安全保 障問題に焦点が当てられた,新たな戦略的パートナーシップに関する話し合いが行われた。 これら両国とトルコは中東地域の安全保障,特にレバント地方における安全保障問題に共通 の関心を抱いている。トルコはエジプトとサウジアラビア以外のアラブ諸国との関係強化も 目指しており,モロッコ,チュニジア,リビア,ヨルダンそしてカタールを含むアラブ各国 とビザ免除協定や通商条約を締結している。 米国と EU の反応 トルコと欧米諸国の中東専門家はトルコの外交政策に関し,様々な解釈をしている。懐疑 的な見方をしている専門家は,外交政策の優先事項の再編はトルコが軸足を「東洋へシフト」 したことを示唆しており,したがって西側諸国は「トルコを失いつつあり」,トルコは戦略的 にも文化的にも,より親近感のある中東とロシアに目を向けている,と推測している。また, さほど憂慮すべき解釈ではないが,別の専門家は,冷戦終結後の内外の情勢変化によって, トルコは域内においてより自立した大国としての役割を求めており,時には米国及び EU と 対立する目標を定めた自主独立の外交政策を通じ国益を追求している,との見方をしている。 確実に言えることは,トルコの外交政策を米国と EU の外交政策との整合性の度合いによっ て評価することは,もはや不適切である,ということである。ダーヴトオール外相などの政 策立案者は,トルコは東洋と西洋をつなぐ「橋の国」であるとの概念を明白に否定し,トル コは東洋と西洋の間に位置する「中心国家」として捉えられるべきだと主張している。した がって,トルコの外交政策と地域に及ぼすその影響力は,その政策自身が有するメリットに 基づき評価されるべきなのである。 トルコと米国の関係は,2009年のオバマの大統領就任によって,かなり改善したように思 われる。オバマ大統領は彼が初めて訪問するイスラム国家として,トルコを選択し,2009年 4月に同国を訪れ,米国・トルコ両国が「モデル・パートナーシップ」構築に乗り出すよう 提唱した!。しかし,米国議会の有力議員たちは,トルコは米国と NATO から遠ざかりつつあ る,と懸念を表明し,オバマ大統領に対し,トルコ政府,特に同政府とイラン,ハマスとの 関係については,より厳しい態度で臨むよう要請した。 トルコ・EU 関係は,トルコの EU 加盟プロセスに関する欧州諸国首脳の様々な発言が主因 となり,ここ数年間,行き詰っている。トルコと欧州諸国との未来の関係は,将来の新しい 8
トルコに対し欧米諸国の首脳が示す態度に左右されるだろう。もし,彼ら首脳がトルコとイ スラエルの断続的な緊張関係や,トルコとアルメニア,ギリシア,キプロス各国との一層深 まる敵対関係に焦点を当てるとすれば,トルコと欧州諸国が共通の立場を見出す機会はさら に狭まるだろう。しかしながら,もし,彼らの焦点が,中東地域の紛争解決(イスラエルと パレスチナ関係,イスラエルとシリア,イラン関係)や中東地域における民主化促進と自由 主義思想の浸透,中東地域の国際システムへの社会経済的統合において,少なくとも補助的 な役割 たとえその重要性が高まったとしても を担うトルコの能力に当てられるとすれ ば,トルコと欧州諸国との関係はより一層強まり,さらに成熟したものになる可能性がある。 トルコは今も EU 加盟問題に取り組んでいるが,欧州諸国が発信する多様なシグナルに対 し忍耐を失いつつあり,不公平な障害を作り出していると EU を非難している。BBC との最 近のインタビューにおいて,ギュル大統領は不満を表明し,「多分,時が来れば,トルコは “我々は改革を遂行し,EU のレベルまで水準を上げた。我々にとってこれで十分だ”と言う だろう。そしてトルコは EU のメンバーになる必要性を感じなくなるかもしれない!」と語 った。 結 論 トルコは冷戦終結以降,重要な内政及び経済的変革を経験してきた。トルコは,より西洋 的で,より民主的で,より保守的かつイスラム的で,より民族主義的で,そして繁栄した国 家を,すべて時を同じくして作り上げた。これは,2002年から AKP 政権が堅持してきた新外 交政策を反映している。この新政策は,トルコの地域問題への新たな関与と,旧アラブ敵国 に対する懐柔姿勢への政策変更を示唆している,と中東地域では解釈されていた。 トルコの積極的なスタンスは,今までのところ,失敗と成功が入り混じった結果となって いるが,トルコの指導層は中東の一般市民から称賛を勝ち取っている。しかし,アラブ諸国 政府の反応は大方,気のないものであった。エジプト政府は,アラブ・イスラエル紛争とパ レスチナの内紛へのトルコの介入に対し,一層警戒心を強めている。一方,欧州諸国は中東 地域におけるトルコの率先した行動をおおむね支持してきたが,トルコのイニシアティブは 自分たちの目指す目的に反していると,時には評価している。今ではイニシアティブのすべ てが適切であると言い切れないことは誰もが認識しているところである。 トルコは中東地域における自国の役割を変更する可能性はあるが,その役割は重要である。 しかし,自らが抱える国内問題と,国の北方と西方に位置する近隣諸国との長年に及ぶ紛争 のため,トルコはその役割を十分に発揮できない状態にある。したがってトルコは,その野 心的な外交政策を遂行するために,米国と EU 諸国の支持を引き続き必要としており,また同 9
様に,米国と EU 諸国は長年に及ぶ中東問題に成功裏に取り組むために,トルコへの依存をま すます強めているのである。
(注)
! Tschirgi,D.2003,105
" International Crisis Group2010,4 # International Crisis Group2010,4‐5 $ International Crisis Group2010,5 % Tschirgi,D.2003,105
& “Turkish MPs travel to US to quell fears of diplomatic shift”,Hurriyet Daily News and
Eco-nomic Review,June14,2010 ' Larrabee,L.2007 ( Tschirgi,D.2003,105 ) Tschirgi,D.2003,113‐4 * Tschirgi,D.2003,115 + Tschirgi,D.2003,115 , Larrabee/Tschirgi,D.2003,105 - Kinnander,E.2010 . Kinnander,E.2010
/ International Crisis Group2010,16‐17
0 Stephen Sackur,“Unfair obstacles’slowing Turkey’s EU application”,8 November 2010
http://news.bbc.co.uk/1/hi/programmes/hardtalk/9160990.stm
1 Ibid.17‐18
2 International Crisis Group2010,12 3 International Crisis Group2010,2 4 International Crisis Group2010,23 5 International Crisis Group2010,23 6 International Crisis Group,2010,25
7 Turkish President’s Exclusive Interview with BBC Turkish Service,the Journal of Turkish
Weekly,8 November2010
第 2 章
対イラン制裁が湾岸協力会議
(GCC)
に
第2章
対イラン制裁が
湾岸協力会議
(GCC)
に及ぼす影響
序 論 地理的には離れられないながらも,文化,イデオロギー,言語の違いにより隔てられた関 係 湾岸協力会議(GCC)を構成するアラブ6ヵ国,バーレーン,クウェート,オマーン, カタール,サウジアラビア,アラブ首長国連邦(UAE)がイラン・イスラム共和国と保つ関 係は複雑なものである。 長年にわたり, GCC・イラン関係は, ペルシャ湾(訳者注:アラビア湾)での安全保障, 政治,社会,経済の分野で支配的となる権力の方程式に基づく国内的,地域的,国際的な要 因の組み合わせによって作られ,定められてきた。その結果として,GCC・イラン関係はイ スラム革命前の親善ぶりから,現在は安全保障上の重大な火種となりかねない激しい敵意に 満ちた局面へと変遷したのだ。 しかし,両者間の関係の転換は,現時点において直接的な武力衝突を引き起こしていない。 このような理由から,GCC 諸国の安全保障と外交政策の相関関係を計算する際,イランは変 数というよりもむしろ定数として機能している。もちろん,両者の関係において重要な定数 である地理的な近接性により,GCC 諸国とイランは常に,相互に配慮せざるを得ない状況に ある。しかしながら,任意の時点における GCC・イラン関係の力学を決定するいくつかの (社会的,政治的,経済的,戦略的な)変数が存在する。 本論の主たる目的は,最近の一連の対イラン制裁措置が及ぼし得る影響と,GCC 諸国に与 える衝撃について考察することである。GCC・イラン関係の歴史的真実の背景を説明した 後,次に対イラン制裁が GCC 諸国全体および GCC 各国に与える影響を分析する。 GCC・イラン関係の概要 対イラン制裁が及ぼす影響を分析する前に,まず GCC・イラン関係の歴史を,その力学は 国際的,地域的,国内的な要因が組み合わさって形作られたという観点から把握することが 必須である。 イスラム革命前には,GCC 諸国とイランの間には緊密な同盟関係が構築されていた。この 同盟は,共通の利益と脅威という強固な基盤の上に成り立っていた。 第一に,双方とも国際関係において似通った指向性を示していた。冷戦中,ペルシャ湾を はさみ対峙する両保守政権は,共産主義と急進的なアラブ・ナショナリズムを最悪の脅威と みなしていた。つまり,両者とも旧ソ連に加えて南イエメン,ナセル政権下のエジプトとい 11った急進的なアラブ諸国と緊密な関係を有したイラク共和国とも対立していたというわけ だ。これらの脅威に対処するため,GCC 諸国とイランは米国を引き込んだ暗黙の同盟関係を 築いた。この三者間の提携は,イランにペルシャ湾における西側の極めて大きな利益の保護 を託し,また GCC 諸国を守る中東地域の番人としたニクソン・ドクトリン(1971∼1979年) によってさらに強化された。このように,ペルシャ湾は米国をイランおよび GCC 諸国と結び つけ,イラクとその友好国である旧ソ連に対抗する同盟関係のネットワークにより支配され ていた。 地域的には,両陣営ともペルシャ湾の安全を保障することに共通の利益を有していた。湾 岸地域には貴重な石油・天然ガス資源があり,それらは OPEC に加盟する国々の経済を支え る大黒柱となっていたからである。国内的には,イランおよび GCC 諸国の保守的な君主制 は,内なる脅威に対してほぼ共通した認識を有していた。イラン・GCC 関係に利害の相違が なかったと断言するわけではないが,存在した利害の相違は,共有利益に比べれば大した問 題ではなかった。 1979年のイラン革命とともに大きな転換期が訪れ,GCC・イラン関係のパターン化した関 係性が一変した。 最初の,そして最も重要な変化は,イランの新たな革命政権が米国に対し激しい敵意を示 すことであり,第二の変化はペルシャ湾を支配したいというイランの戦略的願望にあった。 GCC加盟国は,米国との連携を理由に敵側陣営とみなされた。イランの新政権はまた,GCC 諸国はイスラム教への献身が欠けているとした。イラン政府は,GCC 諸国で実践されている イスラム教は歪められ,腐敗し,規範から逸脱したものだと主張したのだ。同様の非難がイ ラクのバース党政権にも浴びせられ,反イスラム的であり,特に多数派のシーア派教徒に対 して弾圧的であると糾弾された。イランの新たな指導者層は,ペルシャ湾から外国の影響力 を排除しようと決意した。そのためには,米国による中東支配を支持している GCC 諸国の現 政権を打倒することが必要とされた。 両者は相互に否定的な認識を抱いた。GCC 諸国にとって,イラン革命は歓迎すべき変化で はなかった。革命の最中,GCC 諸国はイラン国王(シャー)を支援し,政権がついに崩壊した ときにはその終焉を嘆いた。イランから押し寄せるイスラム急進主義の波を非常に恐れ,そ れを不安定化勢力とみなした。GCC 諸国の政権は,イランを封じ込めるために米国と同盟を 結んだ。 イラン・イラク戦争の直後,イランは現状維持的なアプローチへと移行し,中東で主導的 存在になるという野心的な企図もトーンダウンする状況となった。地域的にも世界的にも完 全に孤立してしまったからである。国内事情もまた戦略的野望に水を差した。 12
しかし,2003年の連合軍によるイラク占領が大きな推進力となって,イランが地域大国と して再び台頭する土台が用意された。これは GCC 諸国にとって否定的な意味合いが大きか った。さらに,イランの核戦略および欧米諸国との対立の継続から,GCC 諸国は地域安全保 障という構図について危機感を抱くようになった。このように GCC・イラン関係は,穏健な 時代の後に懸念と疑念が高まる局面が到来するというような曖昧さを示すものである。 イランとの友好関係 GCC諸国とイランは,友好関係を継続して自らの安全保障を維持したいという願望が動 機となって,複雑な関係を保っている。そのため,2007年にはイランのマフムード・アフマ ディネジャード大統領がメッカへの巡礼だけでなく,GCC の年次首脳会議にまで招待され た。その後2008年には,アブドラ・ラハマン・アルアティーヤ GCC 事務局長がテヘランを 訪問し,イランが平和目的で核技術を保有する権利について支持を表明した(「Caught in the Middle」,2008年)。 同様に,GCC 加盟国もこれまでに何度か核問題を軽視する行動を取っている。2006年5 月,サウジアラビアは国連の対イラン制裁に反対した。2ヵ月後,同年8月までにウラン濃 縮を停止するようイランに要求した国連安保理決議第1696号について,カタールは安全保証 理事会理事国として唯一反対票を投じた(Kostiner,2010年)。こうした過去の行動は,イラン との良好な関係を維持することによって自らの安全保障上の利益を促進したいという GCC 諸国の願望を示しているといえよう。 GCC諸国とイランとの間の関係は,互いの安全を確かめ合う必要性という枠にとどまらな い。各国は大部分が相互依存関係にあり,二国間および多国間貿易がコミュニケーションと 友好的な交流の強固な基盤になっている。多くの GCC 諸国には在外イラン人の大規模なコ ミュニティが存在し,その結果,イランのビジネス,文化,貿易が盛んである(El‐Hokayem, 2006年)。イランが GCC 加盟国か非 GCC を問わずに結んでいる機能的な協力関係が,イラ ンが積極的に参加する多国間地域機構,経済協力機構(ECO)における活動の推進力となって いる(Herzig,2004年)。 この複雑に絡み合う相互依存関係はしばしば,GCC 諸国がイランの指導者とのあからさま な対立に尻込みする理由となっている。数多くのきずながまた,これらの国々が武力よりも 外交を好む理由になっている(Kostiner,2010年)。これまで対イラン制裁が回避され,または 反対されてきたのは,このような理由に基づくものと思われる。 13
GCC・イラン間の緊張 しかしながら,GCC 諸国とイランの表面的な親善の下には強い緊張関係が存在する。湾岸 アラブ諸国の政府関係者らは,経済制裁にはイランの核開発計画を抑止する効果がないので はないかと憂慮している。湾岸諸国は引き続き主体的な外交姿勢で臨み,イランに対する緩 衝国としての役割を果たすことを望んでおり,湾岸安全保障のある専門家は2008年に,「核兵 器を有するイランと共存するか,[攻撃による]被害を受けるかという二者択一を迫られれ
ば,我々は後者を選ぶ」と述べている(「Caught in the Middle」,2008年)。
こうした発言には,この問題に対するアブドラ・ラハマン・アルアティーヤ GCC 事務局 長のスタンスが表れている。アルアティーヤ氏は早くも2007年にオーストリアを訪問し, IAEAが GCC 諸国による核エネルギーの利用をどのように助力できるかを探っていた。こう して,中東地域がイランの核開発計画を傍観しているばかりではないという明確なメッセー ジを,イラン政府に送った(Kéchichian,2007年)。 さらに元 GCC 事務局長であるアブドラ・ビシャラ氏は2006年に,GCC がイランに対抗し て「団結した,強固で明確な」立場を取ることを呼びかけていた(El‐Hokayem,2006年)。こ のように,GCC 国家は友好的なように見えるかもしれないが,自らの安全保障上の懸念によ り,対イラン関係における緊張はかなり高められてきている。 実際,そもそも GCC6ヵ国が1981年に団結するきっかけとなったのは,同様の緊張の高ま りであった。過激派の暴動とイラン革命,そしてイラン・イラク戦争が GCC 諸国の地域協 力を促した(Kupchan,2007年)。それから20年以上が経った2002年には,アラブ和平イニシ アティブが発表された。一部に,イランの台頭が認識され,またアフガニスタン戦争,イラク 戦争の後に各国が直面した問題に取り組まなければならない,という背景があって打ち出さ れたものだった。その後,イランに対する防衛策として中東地域の結束を強める目的でエジ プト,ヨルダン,サウジアラビア,UAEのいわゆる「アラブ・カルテット」が非公式に組織さ れた(Bahgat,2009年)。数年後,GCC 諸国は無数の社会政治的な問題に関してイランに怒り を募らせていった。イランの占領下にある UAE の3島について,数十年にわたる領土紛争に 協力しなかっただけでなく,大量破壊兵器のない地域を目指す GCC 諸国の呼びかけを無視 し,スンニ派とシーア派の宗派間の緊張を煽る行動に出た(Kéchichian,2007年)。こうした 間接的な敵対行為を受けて,GCC 諸国は自らの安全を保障してくれる主体を他に求めざるを 得なかった。 こうした安全保障上の懸念に照らせば,GCC 諸国がイランの強力な対抗勢力である米国に 頼ろうとしたのは,非論理的なことではない。米国と多くの GCC 国家との関係はここ数年強 まっている。2007年,米国政府は GCC 諸国,エジプト,ヨルダンをクウェートに集め,イラ 14
ンの覇権主義に対抗するスンニ派アラブの親米連合を創設した(Bahgat,2009年)。 しかし,防衛努力に米国を含めたことで,地域統合もいくらか阻害されたことは否めない。 クウェート,バーレーン,カタール,UAE の米国との軍事的連携の拡大によって,湾岸ア ラブ諸国内での相互依存ではなく,各国の米国依存が深まるという当然の結果が示された (Kupchan,2007年)。しかし,ブーシェフルにあるイランの原子炉がこうした国々の首都に 近接することは,この依存関係を表す方程式を維持する論理的な理由になる。このように, 防衛面で米国との強固な連携を擁することが,これらの国々にとっては支配力を強めつつあ るイランに対して必要とされる防壁となる。 最近の対イラン制裁とその影響 国連安全保障理事会がイランに課した4度目の制裁は,イランの核開発計画のための取り 組みに対して圧力を強めると見られている。国連制裁の内容には,すでに実施されている武 器禁輸の強化,金融取引制限の強化,イランの核能力やミサイル能力の開発が疑われる貨物 の差し押さえが含まれる(「Iran Sanctions」,2010年)。これまでのところ,国連が定めた制裁 は「金融・商業面でイランを劇的に孤立させる」ことに成功したといわれている(スチュワー
ト・リービー,「A.M.Top News」,2010年)。近隣諸国への影響としては,貿易の流れを抑制
し,イランと湾岸アラブ諸国との間に存在している相互依存ネットワークを制限すると予想 されている。その一方で,多くの GCC 諸国にとって,制裁はイランの核開発に関する野望を 縮小し,結果的に自らの安全を保証するためにはやはり必要な措置となっている。 多くの関係者は,対イラン制裁によって GCC 諸国が深刻な打撃を受けると予想している。 経済的な見地から言えば,この推論には不備があるように見受けられる。2009年の GCC の 対イラン輸出額は91億3,088万4,000ドルで,GCC 加盟国の総輸出額の2.1%強にすぎない。 イランからの輸入額は17億7,861万9,000ドルで,総輸入に占める比率はわずか0.5%とさらに 小さい(表1)。従って,GCC 諸国の貿易収支は制裁の影響をあまり受けないと思われる。し かしながら,今回の国連決議を踏まえて悪化が見込まれるのは,GCC とイランの社会政治的 な関係である。近年は,地域協力を進めようという努力は二の次で,米国との良好な関係を 維持したいという願望の方が GCC では優先されている。西側の安全保障を確保することを これほどまでに重視することの代償として,今後数年間は GCC 国家とイランとの関係が気 まずくなることは間違いない。 対イラン制裁による各 GCC 加盟国への影響 対イラン制裁が GCC 加盟国にもたらす影響は,国ごとに個別に見ると様々である。アラブ 15
首長国連邦については,結果的に貿易量が大幅に減少すると予想されている。この減少の一 部は国連制裁を支持せず,軍事用の製造目的で使用され得る特定物資の販売を継続していた 国内企業40社を操業停止にするという UAE 当局の決定による(Gonn,2010年)。ドバイに住 む数多くのイラン人ビジネスマンは,数十億ドル規模の対イラン再輸出貿易に従事している。 制裁の結果,この貿易も大きな打撃を受けている。UAE 中央銀行も2010年6月,国連制裁の 要件を満たす措置に着手し,イランに関係する41の銀行口座の凍結を命じた(Kumar,2010 年)。イラン国内の財産はもはや UAE の金融機関への担保として使うことができず,UAE の銀行は国内のイラン企業に対する信用状の発行を拒否している(Gonn,2010年)。 対イラン制裁により,イランとアラブ首長国連邦の貿易額はほぼ半減し,2008年の120億 ドルから2010年には60億ドル程度になると予想されている(「Iran Sanctions」,2010年)。ドバ イ単独でのイランとの貿易額が年間80∼100億ドルと見られることを踏まえれば,これはド バイにとっては殊のほか厳しい数字である。イランの商品貿易の約60%を取り扱い,イラン企 業およそ1万社が拠点を置くドバイは,対イラン制裁によって大きな打撃を受けると思われ
る(「Caught in the Middle」,2008年)。ドバイは地域貿易のハブとみなされており,ドバイ・
クリークからダウ船に積まれた消費財が定期的にイランに搬入されている。実際のところ,
CIA World Factbookによれば,2008年に UAE から輸出された商品のうち,およそ7.5%はイ
ラン向けであった(Salama,2010年)。さらに,2009年に GCC 諸国からイランに輸出された91
億3,088万ドルのうち,90%近くが UAE からの輸出であった(Direction of Trade Statistics)。
このように,UAE は一貫して GCC 諸国の中でイランへの最大輸出国であることが明らかで ある。 UAEは GCC 諸国の中でイランへの最大輸出国だが,それでもイランとの貿易額は UAE の貿易収支のごく小さな割合しか占めていない。対イラン制裁が UAE 経済にもたらす潜在 的影響は,それ自体,誇張されていると考える関係者も多い(Gonn,2010年)。さらに,イス ラム諸国2ヵ国間の貿易額が半減するとしても,UAE についてはその損失を埋め合わせする ために他の貿易相手国との関係を強化している。そのために,UAE の対米輸出額は2000年か
ら50%以上増加し,2009年には14億9,000万ドルに 達 し た(Salama & Hall,2010年)。UAE
はまた,2009年に二国間の核平和利用協力協定に署名した。こうした努力を受け,米国務省
のフィリップ・クロウリー報道官は,米国が「UAE との対テロ協力」について「非常に満足
している」と述べた(米国務省フィリップ・クロウリー報道官,「Salama & Hall」,2010年)。
このように,中東の地域覇権国になりたいイランとの関係が国連制裁の影響を受けて弱まっ たとしても,UAE は米国との不動の関係のおかげで,経済面で継続的な損失を被ることはな いと思われる。
UAEとイランが制裁によって受けている影響を比較すると,イランの方がはるかに困窮す ることは明白である。事実,たとえドバイが制裁の結果として金融不安の状況に陥ることに
なろうとも,「兄」のような存在であるアブダビとの親密な関係によって景気の悪化は回避で
Year Export Import*
Total Trade Trade Balance 1990 1,147 196 1,343 950 1995 747 481 1,229 266 2000 1,304 631 1,934 673 2001 2,042 668 2,709 1,374 2002 2,518 619 3,138 1,899 2003 3,732 696 4,428 3,036 2004 5,605 924 6,529 4,680 2005 7,092 1,382 8,475 5,710 2006 8,972 1,694 10,667 7,278 2007 10,241 2,024 12,265 8,216 2008 13,431 2,652 16,083 10,778 2009 9,131 1,779 10,910 7,352 Export Partners Export value Trade balance Share in Iran
exports Import Partners
Import value Share in Iran imports USD billion USD billion % USD billion % China 13.3 5.4 20.4 China 7.9 15.2 India 10.6 8.6 16.2 UAE 7.6 14.6 Japan 9.3 7.7 14.3 Germany 5.2 10 Korea 5.7 1.8 8.8 Korea 4.0 7.6 Turkey 3.4 1.4 5.2 Italy 2.8 5.4 Spain 2.8 2.2 4.3 Russia 2.8 5.3 Netherlands 2.8 2.2 4.3 Turkey 2.0 3.9 Italy 2.7 −0.1 4.2 France 2.0 3.9 South Africa 2.6 2.5 4 India 1.9 3.7 Chinese Taipei 2.0 1.4 3 Japan 1.6 3.2
表1:GCC 諸国とイランの二国間貿易(単位:百万米ドル)
Note:*data on Bahrain’s imports from Iran is not included for the period,2000‐09
出典:IMF DoTS データベース,2010年10月
表2:イランの貿易相手国上位10ヵ国(2009年)
出典:2010年の Trademap データベースを基に算出
USD Billion Figure 1: UAE-Iran Trade Indicators, 2001-09
きるのではないかと見られる。実際,アラブ君主国が持つ「現金クッション」は何度もこの
ような国々を潜在的な経済危機から救ってきた(「Caught in the Middle」,2008年)。 しかし,
イランの状況はそれほど楽観的ではない。インフレ率が30%近くにのぼり,国民所得の継続
的な減少が予想されるため,ストライキやその他の暴動の兆候が出てくる可能性が高い。政 策立案者にとって喫緊なことは,所得の減少に起因する社会不安が,長期的なコストがかか り短期的な便益を生まない核開発計画の続行を妨げるようになるのではないかという憂慮で
ある(「Latest Iran sanctions」,2010年)。このようなシナリオで進むとすれば,国連は対イラン
制裁が成功したと考えられよう。
最終的には,制裁にかかわらずイランとの貿易は継続されるだろう。金融機関の取り締ま りが緩いことに助けられ,UAE とイランの間の取引の多くは非公式な経路を通り抜ける
(Gonn,2010年)。米国財務省テロ・金融犯罪担当のスチュワート・リービー次官は,銀行シ
ステムおよび市場全体のプルーデンシャル規制を維持する必要性を認識し,「一定の警戒で
は不十分」と警告している(「Latest Iran sanctions」,2010年)。実際,6月初旬に始まった国連
の対イラン制裁を受けて,国民と政府が非合法活動への従事が促される可能性は高い。すで に,ハーリド・ビン・サクル・アル・カシミ殿下は,異母兄弟でラス・アル・ハイマ首長国
の現後継者が対イラン貿易の促進に加担したとの告発を行っている(Salama & Hall,2010
年)。それが事実かどうかはともかく,イランの孤立が深まるにつれて,非合法貿易が行われ るのは当然の成り行きという見方に異を唱える者はほとんどいない。社会不安が核開発を断 念させる方向に働かなければ,蓋然性の高いシナリオとして,イランはその計画を続行し, 図1:UAE とイランの貿易指標(2001∼09年) 注:2009年の石油輸出は除く。 出典:TradeMap,2010年 18
さらに他の回避的な方法を使って資金調達を図ると思われる。 規模が大きくない湾岸諸国とイランは,比較的友好な貿易関係を築いている。特にオマー ンは,イラン・イラク戦争の終結時からイランとの貿易や取引を続けている(Shenna,2010 年)。オマーンの2009年の対イラン輸出額は,総輸出額の1.4%に近かった(Direction of Trade Statistics)。オマーンはその地理的な位置から,ペルシャ湾を出港した石油タンカーが通過す るホルムズ海峡の門番役をしばしば担ってきた。従って,オマーンは自国には同海峡を開放 し続け,貿易の流れを継続させる義務があると考えている(Kostiner,2010年)。一方で,多く の近隣諸国と同じく,オマーンはイランとあからさまに対立することは今も望んでいない。 このアラブの小国にとって,イランとの貿易関係を持続することこそが最優先である。それ と同時に,米国は引き続きオマーンにとって主な武器供給国であるから,両大国との良好な 関係を維持するために,しばしば微妙な均衡政策が必要となる。こうした国連制裁の実施を 迫られることになれば,オマーンはイランの潜在的な報復について不安を感じることになろ う。 オマーンと対照的なのがカタールである。全体としてイランの核開発に対してはるかに寛 容である。イランとの良好な関係を維持する目的で,カタールはイランを孤立させる動きに 反対する傾向がある(RED bp1)。カタールは,ヒズボラやハマスといったイランの過激派組 織に味方したことすらある(Ottaway,2010年)。しかし,この国内政治を重要視する傾向は変 わりつつあるようだ。カタールは近年,イランに制裁を課す決議に賛成票を投じている (Mattair,2007年)。この動きは,同国が西側からの軍事的保護を必要としていることを示す ものかもしれない。そのため,規模の小さい GCC 諸国は国連制裁のような国際的責務を果た すことをいとわない。これらの国々は一般的に,制裁がその目的を果たせるとは考えていな い。実際には,「ハワラ」システムやその他の地下活動が制裁を回避する手段として非常に 効果的であるとわかっている(Shenna,2010年)。制限がかかったところで現金の送金は続く ことが予想されるため,これら小規模の国々は,制裁の影響をあまり受けない可能性が高い。 クウェートは,対イラン制裁の実施を受けてすでに対策を取っている。2010年8月,同国 の中央銀行は,イランの銀行によるクウェートにおける支店開設の申し込み4件を拒否した と報告した。支店が事業を行うための健全な資金源を有していない噂があるのが表向きの理 由であった。しかし,内情に詳しい政府関係者によれば,リアルポリティックス(現実主義政 治)が中央銀行の決定の背後にあったという(Kumar,2010年)。輸出金額は少ないままであ るが,イランからの輸入は2009年に1.3%を超え,金額的に輸出を大きく上回った(Direction of Trade Statistics)。しかし,2010年4月にクウェートの軍事施設で情報照合を行ったとして イラン人と思われるスパイ組織が発覚して以来,両国間の緊張が高まっている(Johnston, 19
2010年)。イラン政府はクウェートで諜報活動をしていたとの疑惑を否定したが,この事件の 発覚により湾岸アラブ諸国はイランに対して緊張感を強めている。そのため,GCC 諸国はイ ランの権力とその国外で影響力を発揮する能力を制限することになる制裁について支持する ものと思われる。 サウジアラビアは長年,アラブ世界における自らの影響力を確立し,イランがその影響力 を誇示するのを防ぐ対策を講じてきた。そのために,サウジはレバノンとパレスチナ占領地 における紛争に介入してきた。この紛争を「西側諸国に支持される穏健派(3月14日勢力と ファタハ)とイランが支持する急進派(ヒズボラとハマス)」の間の対立と呼ぶ向きもある (Kostiner,2010年)。このサウジアラビアの介入は,イランを封じ込め,その覇権を追求する 姿勢に対抗する努力と見ることができる。同様に,2009年初頭のアラブ経済首脳会議で,サ ウジがアラブ和平イニシアティブについて唱えた重点は,イランの野望を抑止したいという 願望を示すさらなる証拠となっている。アラブ和平イニシアティブは,サウジアラビアが提 案する「イランの野望の封じ込めを目的とする旧来の調停イニシアティブ」だった(Kostiner, 2010年)。事実,サウジアラビアはイランに対するより厳しい経済制裁を最も強く支持してい る GCC 加盟国であり,核技術の入手を防ぐ目的のためには軍事行動に出る可能性すらも支 持している(Ottaway,2010年)。つまり,現在の国連が定めた制裁自体が,湾岸アラブ国家た るサウジアラビアからの強い支持を獲得したものだったと思われる。 また,UAE と異なり,サウジアラビアの対イラン貿易は限られている。イランへの輸出は
3億9,790万ドルで総輸出の0.2%にすぎない(Direction of Trade Statistics)。このため,対イ
ラン制裁がサウジアラビア経済に及ぼす直接的な影響はほとんどないだろう。むしろ,制裁 によって地域主要国間の政治的な勢力均衡が変化する可能性が高い。イランの軍事力を強化 し,それによってイランが中東での権力を力強く誇示できるようになる可能性がある製品が 供給されてしまうことこそ,アラブ世界のリーダーとしての自らの地位を維持したいサウジ アラビアが抱く懸念の核心ではないかと思われる。そうであれば,控えめに言っても,サウ ジがイランの核開発計画を憂慮していたことは疑う余地がないだろう。こうした政治的懸念 を踏まえれば,イランの権力を限定する制裁は,サウジが必ずしも直接介入することなくイ ランに対して制限を課すので,サウジにとって歓迎すべきものであると思われる。 サウジアラビアと同様,バーレーンはイランとの二国間貿易が比較的低い水準である。イ
ランへの輸出が総輸出に占める比率は0.4%弱である(Direction of Trade Statistics)。従って,
バーレーンも近隣諸国と同様に,イランに対しては依然として慎重な姿勢を保っている。
2009年には両国の間で論争が生じた。イランの最高指導者アヤトーラ・アリー・ハーメネ
イー師の顧問であるアリー・アクバル・ナテグヌーリ氏が,イランはバーレーンに対して主
権を有すると発言したためである(Johnston,2010年)。同氏のコメントは,スンニ派の王家 がシーア派の多数派を支配しているというバーレーンの政治を理解していることから出てき たのかもしれない。そうであれば,イランがバーレーンのシーア派コミュニティを動員する 可能性について懸念することにはまったく理にかなっている(El‐Hokayem,2006年)。もう ひとつ別の懸念の中心となっているのは,イランのブーシェフルにある原子力発電所である。 この発電所はバーレーンから200キロ以内に位置している。従って,原子力災害が起きた場 合,バーレーンは,発電所からおよそ1,200キロ離れたテヘランよりも大きな危険性がある (Torr,2010年)。このため,イランの核装備を制限する制裁は,核開発プログラムに伴う環境 災害に関するバーレーンの懸念を緩和することは間違いない。 結 論 GCC諸国とイランは経済および社会の両領域にまたがる相互依存関係を有しているが,こ れらの国々にとっては政治上,安全保障上の問題が依然として深刻な懸念として残る。イラ ンの核開発計画は,湾岸諸国の政府関係者にとって,地域全体を通じて最大の憂慮となって いる。GCC 諸国がイランとの大っぴらな対立を避けたいのであれば,軍事攻撃についてあか らさまに誇示しないよう米国を説得する必要があるだろう。たとえ限定的な攻撃であっても 米国が踏み切ることになれば,ペルシャの大国たるイランは GCC 諸国の米軍基地を攻撃し, ホルムズ海峡を「無期限」封鎖するとの恐れがある。その後,戦争は拡大し,米国とその同 盟国を直接巻き込むことになりかねないだろう。イランのアフマディネジャード大統領によ れば,米国が「一旦始まればとどまるところのない,本当の戦争」に参戦したことは一度も ない。従って,制裁は必要な制限なのかもしれないが,GCC 諸国はそれがイランに対する本 格的な攻撃に絶対に発展しないよう手段を講じなければならない。そのためには,湾岸アラ ブ諸国はイランとの友好な関係を維持しつつ,それと同時に国際社会の圧力には従うよう努 力するという微妙なバランスを取る必要がある。従って,対イラン制裁が GCC 諸国にもたら す経済的な悪影響は,影響がより大きなものとなる安全保障上,戦略上での利害関係を巻き 込んだ場合が考慮され,GCC 諸国が対処可能な範囲に限定されるものとなるだろう。しかし, 制裁によって米国・イラン間の直接的な武力衝突 それは最終的に湾岸アラブ諸国を巻き 込み,それらの政権を恐ろしい悪夢に悩ますであろう の機会が提供されるならば,安全保 障と安定性について深刻な懸念がある。 参考文献
・A.M.Top News:In light of worldwide sanctions,Iran’s president warns against U.S.