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子どものけんかを通しての育ち-香川大学学術情報リポジトリ

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Academic year: 2021

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鈴 木 政 勝 ・ 小 野 美 枝

Ⅰ はじめに  本稿は、幼稚園教諭である小野と幼児教育研究者である鈴木との共同研究を報告しようとするも のである。  2011年、小野と鈴木は、3歳から6歳までの何人かの子どもが、けんかを通して、どのようなこ とをしようとするのか、またどのような育ちをするのか、考察した。そして、その考察にもとづい て、次のこと、すなわち、この時期の子どもは、けんかを通して、相手の気持ちに気づいたり、友 達と一緒に遊びたいと思うようになったり、相手にどのようにかかわっていったらよいか考えた り、自己抑制したり、自分の思いと相手の思いが共に満たされる関係を作ったりするということ、 またこれらのことをしようとすることにおいてそれに関連する育ちをする、ということを明らかに した(1)  そして、共同研究者の1人小野は、A幼稚園の5歳児クラスの担任となった。小野は、そこで、 クラスの子どもと頻繁にけんかをするしゅん(仮名)という子どもに出会う。小野は、共同研究に おいて子どものけんかについて考察してきている。そこで、これまでの考察を踏まえ、次のことを 行った。  ①しゅんがするけんかについて、しゅんが、いつ、どのような状況において、けんかをするのか 捉える。また、しゅんが、けんかを通して、どのようにしようとするか(どのような育ちをするの か)、最初これこれのことをしようとする(これこれのことをしようとするという育ちをする)、次 にこれこれのことをしようとする(これこれのことをしようとするという育ちをする)・・・・とい うように見通して捉える。  ②「子どもは、けんかを通して・・・・する」と見通して捉えることにもとづいて、保育者はそ のけんかにどのようにかかわっていったよいか、考える。そして、その考えたかかわりで、実際に かかわっていく。  ③そして、保育者が考えたかかわりをする中で4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4、しゅんが、そのけんかを通して、最初これこれ のことをしようとする(これこれのことをしようとするという育ちをする)、次にこれこれのこと をしようとする(これこれのことをしようとするという育ちをする)・・・・と改めて捉える。  小野は、鈴木との共同研究の一環として、これらのことを行い、「幼稚園5歳児クラスのある子 どものけんかを通しての育ち」という標題のもとに、まとめた。  共同研究者の1人鈴木は、やはりこれまでの小野との共同研究を踏まえて、次のことを行った。  ①小野は、しゅんの行ういくつかのけんかを取りあげている。しかし、これらしゅんの行うけん かは何もしゅんだけが行うものではない。この時期の子どものけんかを観察すると、この時期の多

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くの子どもが行うけんかであるということが分かる。しゅんの行うけんかを、この時期の多くの子 どもが行うけんかとして捉え直す。  小野があげているけんかの場面から3つの場面(事例④、⑥、⑧)を選び、それぞれの場面にお いて、子どもは、そのけんかを通して、最初これこれのことをしようとする(これこれのことをし ようとするという育ちをする)、次にこれこれのことをしようとする(これこれのことをしようと するという育ちをする)・・・・と見通して捉える。  ②「子どもは、そのけんかを通して・・・・する」と見通して捉えることにもとづいて、保育者 はそのけんかにどのようにかかわっていったよいか、考える。ただ、紙幅の制約上、事例⑧の場面 に関してのみ行う。  鈴木は、小野との共同研究の一環として、これらのことを行い、「3歳から6歳までの時期の子 どものけんかを通しての育ち」という標題のもとに、まとめた。  本稿は、こうした共同研究を報告しようとするものである。以下、まず、小野がまとめたものを 報告し、次に、鈴木がまとめたものを報告する。 Ⅱ 幼稚園5歳児クラスのある子どものけんかを通しての育ち  昨今、「いじめ問題」が大きな社会問題になっている。幼稚園の時期では、いじめとけんかは違 うと捉えているが親にしてみると「けんか=いじめ」と捉えている人も少なくないようだ。「うちの 子が幼稚園でけんかをしたと話すのですが、いじめにあっていませんか」「友達とうまく遊べてい るでしょうか」「幼稚園に行くのを渋ることがあるのですが、仲良しの友達がいないのでしょうか」 と保護者の方から相談を受けることがある。  幼稚園でも「友達と仲良く遊べる子」の育成は大切なことあると考える。友達と仲良く遊ぶよう になるために、集団の中でトラブルを避けて過ごさせるよう配慮することが必要だろうか。けんか をマイナスに捉え、なくす方向に保育者が配慮するのでは幼児の発達を阻害することになるのでは ないか。かといって、逆にトラブルや葛藤体験は幼児の発達に重要なので体験させるべきものと容 認するという考えも安易過ぎると思う。  集団の生活の中で起こるトラブルや葛藤は子どもの発達に大変意味がある。日々の保育の中で子 どものトラブルや葛藤を保育者がどのように捉え、どのように援助するかによって幼児の発達が 変ってくるのではないだろうか。保育者のかかわりに大きなポイントがあるのではないかと考え る。そこで、5歳児の子どものトラブルに焦点をあて、保育者がどう捉え、どうかかわっていくか 記録を振り返り、けんかや葛藤の中で何が育っていくのか探っていきたいと考える。 ① (5歳児4月初め) ものへの執着  「ここは、ぼくの場所!」「ぼくが先やった!」   手洗い場でのトラブル ○ 手洗いに行った子ども達が「しゅん君がけんかしてるから来て」と呼びにくる。しゅんは同じ クラスの男の子と一つの蛇口を握って「ここは、ぼくの場所!」「ぼくが先に来たんや」と、お互 いに押し合い真っ赤な顔で言い争っている。他の水道があいていることに気づいた友達が「こっ ちを使えば?」と声をかけた。しかし、「ここはぼくが先やった」「いやぼくや」と、お互いに譲 らない。周りの子らが「他のが、いっぱいあいてるよ」「しゅん君、こっちで手を洗えば」と声を かけるが、お互いに譲らない。  「これは僕のや」       ブロックの取り合い ○ 男の子5人がブロック遊びをしていた。「タイヤはどこにあるかな?」とつぶやきながら一人

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の男の子が、しゅんが持っているタイヤに目を移したかと思うと急に取ろうとした。しゅんはブ ロックを握り締めて「はなしてよ。これは僕のや」と、顔をしかめ叫んでいるが、とうとうブロッ クを奪われてしまった。「僕がさきに見つけたんや」と、しゅんは真っ赤な顔でその男の子のこ ぶしを無理やり開こうとするが相手も譲らない。「これあげる」と同じものを周りの子が差し出 すが、それには目もくれずに一つのブロックを取り合う。2人の取り合いはしばらく続いた。 ① 考 察 ○ ブロックや砂場で遊んでいる時も遊具の取り合いで2人は、たびたびけんかをする。周りの子 が仲裁をしたり、代替品をもってきたりしてくれるが2人のけんかはおさまらない。同じような ものをもらっても納得できず、その子が今、手にしているものがほしいようだ。3歳児のクラス ではこのようないざこざがよく見られる。幼児はこのようなトラブルを経験するうちに折り合い をつける術を少しずつ体得していくのではないだろうか。また家庭でも、兄弟間でも同じような いざこざを経験し、葛藤や折り合いをつけて成長していくのだと思う。   (B)の関係の中では、けんかが起きることが多い。一人っ子の場合はBのかかわりが少なく Aのかかわりが多くなる。大人とのかかわりの中では物を取り合ったり、順番を争いあったりす ることはなかなかないが、同年齢の子ども達ではお互いに譲れないことがあり、ぶつかり合う。 しゅんの場合は一人っ子なので家庭ではこのような経験があまりないのであろう。今の時期に集 団の中でこのようなトラブルを経験することはしゅんにとって大事ではないかと思う。保育者が トラブルを仲裁するのではなく、しゅんの悔しさや葛藤を受け止め寄り添っていこうと考える。 ○ 一人っ子が悪いということはまったくない。一人っ子だから、あえて手立てがいるというもの でもない。子どもの育ちには個人差が大きく、兄弟の数で発達が違うこともないと思う。一人っ 子だから社会性が育たないということでもないが、同クラスの子ども達の自己主張と自己抑制の 姿をみていくと、しゅんは自己主張が強いように感じられる。 ② (5月中頃) 力加減がわからない       「じゃれあいからけんかに」   しゅんは、一人の男の子と廊下とテラスをぐるぐる走り「つかまえるぞ」「逃げてやる」と楽しそ うに遊んでいる。しばらくして、しゅんはその子の後ろから抱きつき「つかまえた」とそのままマッ トの上にねころがる。触れ合って遊ぶことが面白いようで、2人は顔をくっつけて大声で笑い合っ ていた。突然「なんで、叩かんいかんの?」と、しゅんの声が大きな声が響く。2人で叩き合いが始 まる。相手は「しゅん君が蹴ったやろ」と反論。するとしゅんは「蹴ってないわ。そっちが叩いてき  (A) 「子ども」と「大人」のかかわり           大人が手加減したり、配慮をしたりする      自分の思いがとおる  (B) 「子ども」と「子ども」のかかわり       お互いに譲れないことがありぶつかり合う          悔しさや葛藤(心の揺れ)              折り合いをつける術を身につける

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たやろ」と言いながら叩く。また「そっちが悪い」と相手も叩く。「そっちが先にたたいたやろ」「そっ ちが先や」と言い合いながら叩き合う。2人は涙をためながら、お互いに相手が悪いと言い合う。 ② 考 察 ○ 大人の視点で考えると、けんかやトラブルの原因になることがわかるが、子どもの視点になっ てみると、互いに相手が不当なことをしていると思い込んで言い争ったり攻撃的な行動になった りすることがある。この場合はじゃれあって遊んでいる時にしゅんの足が相手にあたったのだろ う。足が当たって痛かったから、相手はとっさに叩いたのだろう。しゅんには「蹴った」という 思いはないので、相手から不当なことをされたと思い、相手もまた蹴られたと思い込んでいる。 このように互いに意思のズレがあり言い争いになっていくのだろう。 ○ 幼児同士で、じゃれあって遊んでいるうちに力まかせにぶつかると相手が泣いたり、痛がった りすることがある。そんな場面で、はっとしたり「どうなったんだろう?」と自分の言動を振り 返ったりする子ども達の表情やしぐさをよく見かける。年齢の近い兄弟がいる場合は家庭でも子 ども同士がじゃれあって遊ぶことが多いと思う。じゃれあい遊びの中で痛い思いをし、また相手 が怒ったり泣いたりすることを経験していくうちに自然と力加減が身についてくるのではないだ ろうか。親子間でも、スキンシップや触れ合い遊びの中で同じようなことする。しかし、大人は 手加減をして子どもと遊んでいるので、子ども同士のじゃれあい遊びのように対等なぶつかり合 いはないと思う。一人っ子の場合は、兄弟がいる子に比べて遠慮なく体をぶっつけ合って遊ぶ経 験が、少ないのではないか。そのためこの2人の間ではけんかが多くなるのではないかと思う。 ○ 2人は対等にぶつかり合う。このようなトラブルは悪いことではなく、今の2人にとって必要 なことではないかと考える。お互いに遠慮なくぶつかり合う中で、体を通して感じていくものが あるのではないかと思う。ゆえに2人の中に私が入って静めてしまう事はよくないのではないか と思う。しかし、けんかを目の前にすると、ジャッジをつけ「仲良く遊びなさい」と忠告したく なるが、しばらくは2人の様子を見守るように努めようと思う。トラブルを時には何もしないで 見守ることも保育者の重要な援助だと思う。 ③ (5月中旬) お祖母さんの心配      「しゅんのお祖母さんから相談を受ける」  しゅんが友達の家に遊びに行った日のこと。庭の砂場で、2人で遊んでいる時スコップの取り 合いになったそうだ。しゅんはその子から取り上げたスコップで相手の頭をバンと叩いてしまっ た。こんなしゅんを初めて見て驚いたとのこと。その様子を見て悩んでいると送迎時に相談に来ら れた。「かぁーとなると自分を抑えられないみたいで、我慢ができず、衝動的な行動を起こす子に ならないかと思うと心配で」と、話された。園での様子から想像すると、スコップがほしくなると しゅんならそんな行動に出るであろうことは予測される。私も同じように悩んでしゅんへのかか わり方を探ってきたので、これまでの園での様子や私なりの考えや対応の仕方を話すことにした。 「兄弟がいる家庭では物の取り合いは頻繁に起こる。そんな中で自己抑制ができるようになるので はないか。しゅん君の場合は幼稚園の時期に、友達とぶつかり合いを経験し、その中でいろいろ感 じてもらいたいと思っている。集団の中で友達とのかかわっていく中で、学んでいくべきものがた くさんあると思う」と伝えると安心されたようで「これからの様子を見守ります」と言って下さった。 ④ (5月中旬) 誤解からのけんか   「ぶつけてないわ!」  遊戯室では大勢が体を動かしてのびのび遊んでいる。回数を数えながらまりつきをしている子、友 達とどちらが長い時間続けられるか競い合って遊んでいる子もいる。2人組でキャッチボールをして いる子ら、ボールを高く投げることを競い合う子らもいる。しばらくして、友達のボールを蹴った

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り、わざと遠くに投げたりしてけんかが始まった。しゅんが遊んでいるところにも友達のボールが飛 んできた。「なんでぶつけるん?」としゅんが叫ぶ。「ぶつけてないわ!」「ぶつけたやろ!」「ぶつけ てない!」と言い争ううちにその男の子はしゅんを蹴る。するとしゅんも蹴り返す。「けったな」「そっ ちが、先にけったやろ」と、2人は気持ちが高ぶっていったのかつかみ合いのけんかになっていった。 ④ 考 察 ○ 3、4歳児は年長児の姿を見て「いつか自分もできるようになりたい」という思いを持ってい るように感じる。この思いが子ども達の行動を起こすエネルギーになっていることをよく感じ る。2月のがんばり大会で、昨年の年長児がまりつきをするのを見ていたしゅん達。数十分間続 けてできる姿に「青組さんって、すごいな」とあこがれて見ていた姿が印象に残っている。その 思いを胸に秘め年長になった自分たちもがんばろうとボール遊びに取り組んでいるのであろう。 傍観は何もしないのでなく内面にため込んでいるだということを子ども達のこの遊びで再確認し た。「やってみよう」と子ども達が動き出した時、遊びができるよう環境を整え支えてあげたい と思う。 ○ まりつきをしている所に友達のボールが転がってきて「せっかく50までつけてたのに」と怒 りけんかになる。転がっていったボールを取ろうとしたら誰かが蹴ったとトラブルが起こる。 「ボールをぶつけられた」「じゃまされる」などの訴えが多い。お互いに相手が悪いと争い、怒っ たり泣いたりする。保育者が仲裁に入ると少しの間は遊べるが、またけんかになる。しゅんだけ でなく、このようなトラブルがクラスの中で頻繁に起こりどうすればいいか悩んでいた。そん な中で、しゅんの言い争いは特にはげしかったので、周りの子らも驚いた様子で見ていたよう だ。しゅんは、友達がボールをわざと当てたと思い「なんでぶっつけるん??」と叫んだのだろ う。相手はぶつけてないのにぶつけたといわれ腹が立ちとっさに蹴ったのだろうと推測する。お 互いに相手が悪いと思っているので、しだいに激しく感情を噴出すけんかになっていったのだと 思う。5歳児の子ども達でも、このように話せばすぐに分かるようなことでけんかをする。これ はこの2人に限らず、この年齢の発達の姿なのだろう。けんかは自己主張と自己主張のぶつかり 合いである。このトラブルのように、お互いが全力でぶつかり対等な立場で言い争っている場合 は見守ることも一案だと思った。2人の言動から次のことが感じ取れた。  (1) 自分が正しいと言い張っても相手が引かない時に、自分を振り返ることがある。「これほ ど言っても相手も引かずにぶつかってくる。何故だろう」と感じているのではないかと思う。 自分の意図と相手の意図のズレを理解する。  (2) 激しく取っ組み合いをした後、互いに相手が泣いている姿を見る、しだいに自分の高ぶっ た感情が落ち着きだし、相手の涙を見て少し罪の意識を感じ出す。そこには思いやりの感情 が生まれてくるように思う。 ○ けんかを見守るのも一案と書いたが、けんかをすることで相手への憎しみや恨みが増していく ような場合は保育者が中に入るべきだと思う。けんかにもルールがあることを子ども達に感じて もらえるようになって欲しいと思う。そこで〈子どものトラブルを見守る中のルール〉として下 記のことをポイントにしていこうと考えた。  ・ 1対大勢の言い争いはしない。  ・ 相手の心を傷つけるようなことは言わない。(本人がどうがんばっても解決できないような 言葉は言わないように知らせていく)  ・ 危険な行動はしない。(取っ組み合いになってもキックや顔面を叩く、噛み付く、物で叩く などの行為)  ・ けんかやトラブルを起した子のマイナスイメージが他児にひろがらないように配慮する。(そ

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の子のよい面を周りの子に知らせる)  ・ けんかの当事者だけでなく、周りの子も感じたことを言える関係をつくる。 ⑤ (6月初め) ルールを理解できているが受け入れられない  「ドッジボールやろうよ」  子ども達にドッジボールの遊び方を説明した後、私は遊戯室にテープで四角を作っていた。「ま るドッジとちょっと違うね」と、戸惑いながらも関心を示した子らが、次々と集まって来ていつの 間にか全員が遊び始めた。ボールが当たっても、外に出ることに抵抗があるのか「当たっていない」 と主張し、「当てたやろ」と言い返され、言い争いになる場面がよく見られる。ボールが当たり泣 く子がいるが、痛くて泣いているのでなく当ったことが悔しいようだ。また、ボールが転がると一 目散にボールを追いかけていく意欲的な子も多く、我先にボールを取ろうと奪い合いになることも しばしば見られる。数人が一つのボールを取り合い「ぼくが取った」「私のボール」と言い争う姿も よく見られる。けんかも多いがドッジボールは面白いらしく「明日もしょうな」「給食終わったら またしょう」と、友達を集めてはドッジボールを一日に何回もしている。 ⑤ 考 察 ○ 子ども達が取り組んでいるボール遊びにルールを取り入れることで「ルールや決まりを守って 遊ぶことでより遊びが楽しくなる」「大勢の友達とする面白さを感じてもらいたい」と考えドッ ジボールを紹介した。予想以上に関心を示し、遊びが続いている。子ども達はルールを頭では解 かっているが、ボールに当ると外に出なくてはいけないことが悔しく、当たったことを受け入れ られずに言い訳をする。それを友達から指摘され葛藤する。意欲的に遊んでいるゆえにボールの 取り合いになり自分のボールだと主張する。悔しい、腹が立つなど、いろいろな感情が交差して トラブルになっているようだ。 ○ トラブルは多いがドッジの面白さも感じているようだ。早く登園した子が「みんな早く来てく れないかな。ドッジはしたいな」「4人来た。もうドッジできるよ」と声を掛ける様子が見られ、 大勢で遊ぶ楽しさも十分に感じているようだ。けんかの中で学ぶことがたくさんあるので、なる べくけんかの仲裁に入らず見守るようにしていこうと思う。 ⑥ (6月中旬から下旬) 負けを受け入れられない   「お前たちはずるい!」  今日は男の子チーム対女の子チームでドッジボールをしていた。男の子たちは女の子チームに 負けたことが悔しく「馬鹿!」「お前たちはずるい!」と罵声をかけたり、叩こうとしたり、つばを かけて怒る。「自分が負けたから言うて、怒るのはいかんやろ」と女の子達も反論する。その言葉 に一人の男の子は叩こうと挙げた手を下ろし、悔しく涙でくちゃくちゃになった顔を手で隠して いる。もう一人の男の子は「悔しい。もう一回したら絶対に男の勝ちや!」と自分にいい聞かせる ように叫んでいる。「しかたがないやろ。次がんばろう」と友達の肩を叩く男の子の姿も見られる。 しゅんは「なんで。そっちが悪いんじゃ」と、女の子を蹴りに行こうとする。「なんで、女は悪くな い。男が負けだけ」と、一人の女の子が強い口調で言う。「女はずるい!」と、しゅんも言い返すが、 もう蹴ったりたたいたりはしなかった。しかし、しゅんは悔しさが治まらず地団駄をふんでいる。 ⑥ 考 察 ○ 勝ったチームは大喜び、反対に負けたチームは悔しがる。「次の試合でがんばればいい」と、 励まされても今の負けが悔しいらしい。遊びでこれほど熱くなれる子ども達はすごいなと感心も した。負けを受け入れられず友達に悔しい気持ちをぶつけるしゅんに我慢したり、気持ちを切り 替えたりするように助言しょうかと迷ったが、周りの子が止めに入ったり、言葉をかけたりして いるので、子ども達の様子をしばらく見ようと考えた。しゅんは友達の言動から心が揺れている

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ように感じる。思いをぶつけたものの、周りの反応から自分自身の行動を振り返り始めているよ うにも感じられたので、私はあえて声をかけず見守ろうと思った。 ○ ドッジボールを始めて一ヶ月近くがたつ。毎日友達と誘い合ってクラス全員で取り組んでい る。行事の関係でドッジができない日は「つまらない。明日は絶対にドッジしよう」と言う。一 人二人でなくクラス全員が同じようにいうのである。こんなにドッジを楽しんでいるのに試合の 中ではけんかが頻繁に起こっている。そこで、ドッジボールの試合に初めと終わりには気持ちを 切り替える方法を提案しようと考えた。以前にサッカー教室で、試合の最初と最後には挨拶をす ることを教えてもらった。ドッジボールの時にもそうしたらどうかと提案する。試合の勝ち負け にいろいろな感情を抱くだろうが、試合の初めと終わりにはけじめをつけられるようにと思い、 子ども達と相談して挨拶を取り入れてみることにした。試合の勝ち負けにこだわらず、負けた悔 しさを次の試合のエネルギーになってほしいと願う。試合の初めと終わりに「お願いします」「あ りがとうございました」を全員で言い合うことでけじめと区切がついていくのではないかと考え た。 ⑦ (6月末) しゅんのマイナスイメージを払拭するための手立て (1)「『じごくのそうべい』めちゃくちゃ上手やな」  女の子たちが「しゅん君のしゃべり方へんやな」「そうや」と話している。その会話が聞こえたの かしゅんは「なんがへんなんよ。へんじゃない」と言い返す。しゅんは関西弁のようなしゃべりを するので、他の子は違和感をもつのかもしれない。言葉には標準語や方言があることを話すが子ど もらはピンとこないようだ。そこで、「じごくのそうべい」の絵本の読み聞かせをしようと思った。 関西弁のおもしろい言い回しが楽しい絵本である。案の定、子ども達は大笑いをして聞く。私が 「この絵本はせりふが他の絵本と違うやろ」と言うと女の子達が「うん違うな。おもしろい言葉やな」 と言う。「関西弁なんやけど。私が読むより大阪の人が読んだらもっともっと面白いよ。私も関西 弁で上手に話せるようになりたいな。そうしたらもっとこの絵本面白く読めるんだけど」と話した。 翌日、女の子が「しゅん君が『じごくのそうべい』を読んどる。めちゃくちゃ上手や」と走って知ら せに来る。しゅんが絵本コーナーで大きな声で読みながら一人で笑っていたので「しゅん君、聞か せてな」と私は彼のそばに座った。次々に友達が集まってくる。「こんなに ぎょうさん来たん?」 としゅんが驚いてみんなを見回す。「だってしゅん君の『じごくのそうべい』は面白いから聞きたく て」と言うと「ええよ」とうれしそうに読んで聞かせてくれる。「『じごくのそうべい』めちゃくちゃ 上手やな。また読んでな、しゅん君」と私が言うと、周りの子が拍手をする。うれしそうなしゅん の笑顔は自信にあふれていた。 (2)「さすが、しゅん君。なんでも知ってるな」  園庭の土と水を混ぜて泥団子作りを作って遊ぶ子が数人いた。翌日に硬くなっている団子を「転 がしてもこわれないよ」と友達に見せる。硬い団子を作ろうと取り組む子が日増しに増え、クラス 全員が泥団子作りをする。硬さだけでなく、表面がつるつるになる団子を作ろうと試行錯誤してい る子ども達にヒントになればと思い「インターネットで調べたら泥団子の作り方が載っていたよ」 と私は写真を見せた。すると「それなら、もっと詳しい絵本があるよ」としゅんが言う。「どこにあ るの?」と子ども達が集まってきた。「こっちだよ、確かこの図鑑の中だったかな?」と、しゅんは 遊戯室の絵本コーナーに行き、たくさんの絵本の中から見つける。そこにはインターネットで調べ たものよりわかりやすく描いた作り方や泥団子の写真が掲載されていた。「へーぇ。この図鑑にこ んなにのってたんやな。さすが、しゅん君」と私が言うと、「さすがしゅん君。なんでも知ってる な」「これみたら、いい泥団子が作れそうやな」「ありがとう。教えてくれて」と、みんながしゅん

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にお礼を言う。「どういたしまして」と照れ笑いをしていたしゅん。 (3)「今日は何を見つけたの?」  家庭の事情でしゅんは1カ月ほどお祖母さんと歩いて幼稚園に来ている。最初の頃は歩いてくる ことが楽しかったようだが、次第に「車がいいな」と言うようになった。「しゅん君、雨の日も歩い てきたん?」「そうやで。でも車がいいわ。歩くの疲れるわ」と友達と話していた。「幼稚園には来 たいけど歩いてくるの嫌やわ」と私にも言いにくる。「しゅん君、毎日歩くと足が強くなるよ」と、 「強くなるってどういうふうに?」「筋肉ができるから、走ったりするのが速くなるよ」「へぇー、 車ではでけへんの?」「歩くことがいい運動なんや。毎日毎日がんばってしゅん君すごいなと思う よ」と話した。「そしたら、明日からもがんばって歩いてみるわ」と、しゅんがうれしそうに答える。 「来る途中で、てんとう虫を捕まえてきたで」「今日はカタツムリ見つけた」と毎朝、歩いてくる道 で小動物やお花を見つけて持ってきてくれるしゅん。友達にも虫がどこでいたかなど話すようにな り、クラスの子もしゅん君から虫の話を聞くのを楽しみにするようになっていった。 (4)「しゅん君、教えて!」  保育室にちょうちょがとんできて子ども達は大騒ぎ。「あげはや」「ちがうで」「蛾でしょう」「違う。 ちょうちょや」と口々に言いながら追いかけている。私は「しゅん君に聞いてみたら」と声をかけた。 「しゅん君、教えて。あれはあげはやろ?」「えーと、くろあげはやな。あげはには黄色いのと黒い のがあるんよ。からすあげはというのもおるよ」としゅんが友達に説明する。「すごいな。しゅん 君。さすが虫のことなんでもしっとるな」と周りの子がしゅんに声をかけ一緒に図鑑を見て遊びだ した。 ⑦ 考 察 ○ しゅんはクラスで起きるトラブルやけんかの渦中にいることが多いので、周りの子から「また、 しゅん君がけんかしてる」「また怒る」という声が聞こえるようになってきた。他児もささいな トラブルはよく起こすが、自己抑制力が育ってきていて、子ども達同士で折り合いをつけること ができる子もいる。そんな中で、自分の思いを強くぶつけるしゅんの姿がマイナス的な姿として クラスに広がらないかと私は懸念し、機会を捉えてしゅんの良い所をクラスに広げていきたいと 配慮してきた。 ○ この時期の年齢の子ども達は思ったことをすぐに口にする。時には相手に不快を感じさせる 表現をする子もいる。(1)の事例のように、話し言葉が自分達と違うことで「へんなの」と言う。 それはその子が自分の知らない世界があることに気づいてないだけで相手が変なわけではないの だ。この時期の子ども達の中には、自分の世界観と違う相手と接した時に仲間はずれをしてしま うことがあるかもしれない。金子みすずの詩ではないが「みんな違ってみんないい」のようにい ろいろな子がいることを理解させたいと思っている。関西弁がおかしいのでなく、関西弁の良さ を気づかせるにはどうすればよいかを考え、私は「じごくのそうべい」の絵本をクラス全体の保 育の場で取り上げた。しゅんの良さを周りの子ども達自身が実感できるような手立てを考えた。 保育者と子どもへの日々のかかわりの中で「子どもの心を動かす」「子どもの心に届く」言葉かけ や指導法を考えていくことが保育者の大事な役割だと思う。 ⑧ (6月末) 友達の言葉から心が揺れる   「ルールを守らんやん」  しゅんは「当ててみろ!」「ほら、上手く逃げれるぞ」と楽しそうに走り回る。ボールに当らない ように走ったり、ボールをかわしたりできるようになったことが嬉しいようだ。ボールから逃げる ことに集中しているらしく白線から出て走っている。時には相手チームの中にまで入って逃げるの で「しゅん君、はみですぎやろ」「外に出て逃げるのは反則やで」と、友達に言われる。「反則やし

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てないわ!」と言い返しながら楽しそうに遊んでいた。翌朝も「ドッジボールしよう」と友達を誘う しゅん。集まってきた友達に「昨日も僕は最後まで残ったんで。知ってる?すごいやろ」と得意そ うに話し出す。すると「そんなの。なんにもすごくないわ!」と友達に言われしゅんはぽかんとし た表情である。でもすぐに「なんで僕は最後までボールに当らんかったんや。一度もボールに当っ てないんだからね!」と興奮気味に言い返す。「そんなこと言っても、しゅん君は線から出たらい かんのにすぐに出るし、どこまででも逃げるやん。そよにしたら(そういうふうにすれば)だれで も当らんわ」「そうや。しゅん君はルールを守らん」と言われた。しゅんは大声で「僕はルールを守っ とるわ!」と叫ぶ。「いいや!しゅん君はルールを守らん、ズルや」「そうや!ルール守らない子は ドッジボールできんよ!」と友だちから言われる。しゅんは「ズルじゃないわ!」と叫び遊戯室の隅 に座り込む。他の子はチーム分けを始めた。2チームに分かれドッチが始まる。しばらく怒りと寂 しさの入り混じった表情で試合を見ていたしゅんだったが突然立ち上がり「よせて」と自分から入っ ていく。「いいよ。黄色チームが少ないからそっちに入って」と友達も何事もなかったかのように 受け入れてくれる。しゅんは「わかった。黄色やな」と帽子を黄色にかぶり替えて走っていった。 ボールが飛んでくると「おっとと」と逃げる。はずみで白線から出そうになると「あっ、だめだめ! 出てしまってた」とつぶやきながら白線の中にもどる。いつもの楽しそうな表情でドッチを楽しみ だした。 ⑧ 考 察 ○ しゅんはボールに当らないで最後まで残れるようになったことが嬉しいようで、ドッジボール がうまくなってきたという自信を感じているように見える。そんな自分を友達に認めてもらえる と思っていたら、しゅんにとっては意外な言葉が返ってきた。友達から「ルールを守っていない」 と言われてしまう。予想外の言葉にぽかんとしていた様子からしゅんの複雑な気持ちがわかる。 しゅんにしてみれば「ボールに当らないように逃げる」ことだけを意識していたので、白線から 出てしまうことには抵抗がなかったのだろう。友達から指摘をされて「僕はルールーを守っとる わ!」と反論したが、しばらく遊戯室の隅で座っていた間、いろいろなことを考え心が揺れてい たのではないか。自分から遊びに戻り、その後は白線を意識しながら走っていた。この行動をみ ると友達の言葉が、ルールを守ることを意識付けたと考えられる。指摘された直後は悔しく怒っ てみたもののルールを守っていなかった自分にも気づき、今度はルールを守ろうとする。きまり やルールを守らないと友達に認めれらないということに気づいているのだと思う。 ⑨ (7月上旬)自己抑制、気持ちを切り替えようとする 「負けた!次がんばる」  今日も全員でドッジボールをしている。しゅんのチームが負けそうである。試合終了、相手チー ムが「やった!勝った!勝った!」とハイタッチをして喜びだす。しゅんの顔が変わる。悔しさで 地団駄を踏んでいるが小声で「負けた!負けた!」とつぶやいている。「じゃ、みんな並んで」と私 が声をかけると、しゅんはこぶしを握り締め悔しそうに並ぶ。叩いたり蹴ったりしたい気持ちをこ ぶしに力を入れた我慢しているのか、こぶしが震えている。私は固く握りしめたしゅんのこぶしを そっと包み込みながら「よく我慢したね」と声をかけた。「結果をお知らせします。今の試合は黄色 チームの勝ち」と私が言うと「ありがとうございました」と子どもらは相手チームと握手をする。握 手が終わるや否やしゅんが私のところにかけてきて「先生、もう一回やってから給食にしようよ」 と言いに来る。 ⑨ 考 察 ○ 試合の初めに「よろしくお願いします」終わりには相手チームと握手をして「ありがとうござい ました」と挨拶をするようになり、子ども達は少しずつ気持ちを切り替えるようになってきた。

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「負けても次の試合にがんばればいい」思えるようになってきたのかもしれない。そんな中でしゅ んはなかなか負けを乗り越えられなかった。この日も顔に悔しさが出ていた。大粒の涙を流しな がらそれでも自分で悔しい気持ちを抑えようと床を足で蹴っていた。涙を拭きながら相手チーム に「ありがとうございました」と言っている姿に私は愛おしさとけなげさを感じた。しゅんが自 分で気持ちを抑えようとしている姿に成長を感じうれしかった。心が純粋でその時、その時を一 生懸命に取り組むしゅん。そのぶん、自分が出来なかった時、負けた時の悔しさも大きかったの だろう。 ⑩ (7月中旬) 友達の思いがわかる   「負けても次がんればええよ」  ともやは何度も当りそうになるがうまくボールをかわして青チームの中で最後まで残る。「当て てみろ、にげてやる」と言いながらボールをかわして走っていたが、とうとう足に当ってしまった。 ともやが当ったことで黄チームの勝ちが決定した。そのとたん、ともやは床にひれ伏せ大声で泣き 出した。いつものように試合後の挨拶もせず、大声で泣き続ける。「しょうがないやん」「ドッジ ボールはどっちかが勝つ、どっちかが負けるものなんや」と周りの子の声がつぶやく。するとしゅ んがそっと近づいて、声をかけながらともやの背中をさする。しばらくの間、しゅんはともやに寄 り添っていた。 ⑩ 考 察 ○ ともやは何度もボールをよけ巧みに動いていた。当りそうになる場面を回避して最後まで残っ た自分に自信を感じたことだろう。おとなしく動きもゆったりとしているともやがここまで活躍 できたことは周りの子も驚いていた。ともやは一所懸命であっただけに負けが相当悔しかったの だろう。 ○ しゅんもこれまで、ボールの取り合い、ルールを破る、負けを受け入れられないなどさまざま な葛藤やトラブルを経験してきた。悔しい思いやつらい思いを経験してきたしゅんはともやの気 持ちがよくわかったのだろう。そっと近づき「負けても次がんばればええよ」と声をかけ背中を さするしゅんの姿に私は胸が熱くなった。ともやの悔しい気持ちがよくわかり、ともやの身に なって考えた行動だったのだろう。嫌なこと、辛いことがあった時に逃げ出してしまうのでなく 「あの時、僕はのりこえられたから今度も大丈夫」という自信がしゅんの中に芽生えてきたよう に感じられた。同じような思いの友達にそっと寄り添い励ますことができ、思いやりが育ってい ると思う。 まとめ ○ 集団で生活の中ではトラブルやけんかはよく見られる。ものの取り合い、意見のぶつかり、仲 間はずれ、言い争いなどさまざまトラブルがある。葛藤やけんかは子ども達にとっては嫌な経 験、つらい体験に違いないと思う。しかし、こんな体験も必要なものである。自己中心的な考え からのぶつかり合い、勘違いからのけんか、順番争いからのトラブルなどを体験していく中で、 子ども達は相手を意識するようになっていく。 ○ 集団生活の中で、年長児くらいになると「仲良く遊ぶ」ことが大事であるということをわかっ ている。また、けんかはよくないという思いが育ってきている時期でもある。最近、人間関係が 希薄になってきたからか激しく感情を噴出して戦うけんかをあまり見なくなっていたので、私 は、しゅんのように感情を激しく表す姿に懐かしさを感じた。取っ組み合いのけんかや言い争 い、泣きじゃくる姿などさまざまな感情を噴出すトラブルは、この時期の子ども達にとって必要 かもしれないと思う。怒りや悔しさなどいろいろな感情をぶつけた後には自分に目を向ける。相

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手が怒ったり泣いたりしているのを見て、自分のとった行動はどうだったのだろうと考え出す。 自分の悔しさがわかるからこそ、友達の思いにも寄り添える。しゅんのともやへのかかわる姿を 見てそう感じた。しゅんの思いやりの芽は着実に育っていると感じる。けんかを体験する中で、 葛藤し、心が揺れ、折り合いをつける、自分の気持ちを抑える術を身につける、そうして、トラ ブルを自分で解決していく力を育んでいくのだと思う。 Ⅲ 3歳から6歳までの時期の子どものけんかを通しての育ち 1 他の子どもの遊具などが子どもに当たることから生じるけんか  小野は、事例④において、しゅんの、次のようなけんかを取り上げている。友達のボールがしゅ んに当たってしまう。しゅんには、「相手が意図的に当てた、つまりぶつけた」と見えてきて、「ぶ つけたのではないか」と言う。相手は意図的に当てることはしていない。そこで「ぶつけてない」と 言い返す。  しかし、しゅんのこうしたけんかは、なにもしゅんだけではなく、この時期の子どもの多くが行 うけんかである。この時期の多くの子どもにとって、ボールが当たったとき、「相手が意図的に当 てたのだ」と見えてくる。また当てた子どもも、もちろん意図して当てるという場合も多いが、意 図して当てないという場合も多い。  では、子どもは、こうしたけんかを通して、どのようなことをしようとするのか、またどのよう な育ちをするのか。  子どもは、「ぶつけたのではないか」と言う。それに対して、相手は、「ぶつけていない」と言い 返すことをする。このことを続けるだろう。だが、子どもにとって、相手が「ぶつけていない」と 言ってくることは、自分の「ぶつけたのではないか」という認識、見解を否定することとして見え てくる。また、相手にとっても、同じことが言える。人は誰でも、自分の認識、見解が否定される とき、怒り・攻撃性が湧いてくる。そこで、子どもは、自分を否定する相手に怒り・攻撃性を向け、 「ぶつけたのではないか」という言葉を使って、攻撃するようになる。相手も、自分を否定する子 どもに対して怒り、攻撃性を向け、「ぶつけていない」という言葉を使って攻撃するようになるよ うになる。  しかし、このように攻撃し合うことは、なんら生産的な結果をもたらさない。ただ際限なく攻撃 し合うということに終わる。子どもは、疲れてくる。疲れ、相手の子どもと離れ、1人になる。  だが、1人になったとしても―これまで激しく攻撃し合ってきたので―けんかの場面が脳裏に浮 かんできてしまう。脳裏に浮かんだけんかの相手に、怒り・攻撃性を向け、攻撃する。しかし、こ のことをしていると、少しずつ落ち着いてくる。そして、落ち着いてくると、けんかの場面を脳裏 に思い浮かべつつ、振り返って考えるようになる。そして、振り返って考えるとき―もちろんすべ ての子どもが気づくわけではないのだが―「もしかしたら、相手はぶつけていない。そして相手は 本当のことを言っているのかもしれない」と気づく。これまでは攻撃することのみに集中していた ので気づくことができなかったのが、このように振り返って考えることによって、気づくのであ る。  このことに自分から気づくと、子どもは、そのときの相手の言葉や表情をもう1度思い出し、事 実かどうか確かめようとする。そしてその通りであると確かめることができると、「相手は、ぶつ けていない。そして本当のことを言っているのだ」と最初の気づきを確かなものにする。そして確 かなものにすることによって、相手の言っていることを今度は受け入れ、認めることができるよう になる。

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 ―今、このことを、どのような育ちをするのかという観点から述べるならば―子どもは、けんか を振り返り、「相手は本当のことを言っているのもかしれない」と自分から気づく4 4 4という育ちをす る。事実において本当かどうか確かめる4 4 4 4、「相手は本当のことを言っているのだ」と確かなものに4 4 4 4 4 4 する4 4。そしてその子どもの言うことを認める4 4 4、という育ちをする。 2 負けたとき、相手を叩いたり蹴ったりすることから生じるけんか  小野は、事例⑥において、ドッジボールといった「勝ち負けがあり、ルールのある」遊びにおい て、しゅんという子どもが、負けてしまったとき、怒り・攻撃性を向け、叩いたり蹴ったりしてし まう。それに対して、相手が、「いかん。よくない。○○はよくないことをする弱い子ども」と言 い返す、というけんかを取り上げている。  また、小野は、事例⑧において、しゅんという子どもが、負けたくないために、自分の陣地を示 す白線を越えて逃げてしまう。相手が「そういうことはよくない」と言う。しかし、しゅんがその ことをやめないと、「もう一緒に遊ばない」と言ってくる、というけんかを取り上げている。  しかし、「勝ち負けがあり、ルールのある」遊びにおける、これらしゅんのけんかは、なにもしゅ んだけが行うのではない。こうした遊びにおいて、この時期の多くの子どもは、負けてしまったと き、怒り・攻撃性がでてきて、相手を叩いたり蹴ったりしてしまうのである。また、また負けたく ないために、白線を越えて逃げてしまうことをするのである。  多くの子どもの行うこれらのけんかのうち、本節では、まず、前者のけんかを取りあげる。子ど もは、そこで、どのようなことをしようとするのか、また、どのような育ちをするのか。  子どもは、その遊びで負けてしまう。負けてしまうとき、「自分は負けた、弱い(弱い自分であ る)」と自分を認識する。人は誰でも、このように自分を否定的に認識するとき、怒り・攻撃性が 湧いてくる。子どもも例外ではない。生じてきた怒り・攻撃性は、自分を負かした相手に向かう。 自分が負けたのは「おまえたちがズルをしたからだ」と攻撃する。あるいは、叩いたり蹴ったりし て攻撃する。  だが、勝った子どもにとっては、このことは、受け入れられない。「負けたからといって怒って 攻撃することはいかん。よくないことだ。よくないことをする弱い子どもだ」と言い返す。  しかし、けんかが終わり、1人になる。1人になり、落ち着いてくると、けんかの場面をもう1 度思い浮かべ、振り返って考えようとする。  子どもは、自分が負けてしまったことを思い出す。子どもは、改めて「自分は負けた自分である」 と自分を認識する。このように自分を認識すると、悲しい。自分をこのように認識し、悲しさを感 じるとき、「いや、自分はそういう負ける弱い自分ではない、勝つ強い自分になりたい」という思 いが生じてくる。  ―今、このことを、育ちの観点から見るならば―子どもは、自分から「自分は負けた弱い自分で ある」と自己認識4 4 4 4するという育ちをする。また、自分から「勝つ強い自分になりたい」という思いを4 4 4 もつようになる4 4 4 4 4 4 4という育ちをする。  しかし、これだけではない。子どもは、相手が「負けたからといって怒って攻撃することはよく ない。○○はよくないことをする弱い子どもだ」と言っていたことを思い出す。子どもは、改めて 「自分は、負けたからといってよくないことをする弱い自分だ」と認識する。自分をこういう「よく ないことをする弱い自分である」と認識すると悲しい。このように認識し、悲しさを感じるとき、 「いや、自分はそういうよくないことをする弱い自分ではない。よいことをする強い自分になりた い」という思いが湧いてくる。  ―今、このことを、育ちの観点から見るならば―子どもは、自分から「自分は負けたからといっ

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てよくないことをする弱い子ども」と自己認識4 4 4 4するという育ちをする。また、自分から「よくない ことをしない強い子どもになりたい」という思いをもつようになる4 4 4 4 4 4 4 4 4 4という育ちをする。  子どもがけんかの場面を振り返るとき、これら2つの思いが生じてくる。これらの2つの思い は、平行して生じてくる。これらの思いが膨らみ、心の中心的な部分を占めるようになると、子ど もは、それを実現しようとする。このどちらの思いが先に膨らみ、実現しようとするのかは、子ど も1人1人によって異なる。ここでは、後者の思いがまず膨らみ、実現しようとする、という場合 を想定して考察する。  子どもは、後者の思い、すなわち、「負けてしまったからといって相手を攻撃してしまうことは よくない。よくないことをしない(抑制する)強い自分なりたい」という思いをもち、それを実現し ようとする。子どもは、その思いを実現しようとして、次の遊びに入る。しかし、負けてしまった とする。子どもは、このとき、再び怒り・攻撃性がでてきて、相手を叩いたり蹴ったりしたくなる。 だが、子どもは、「よくないことをしない(抑制する)強い自分になりたい」という思いを持ってこ の遊びに入ってきているので、この思いを実現しようとする。実現しようとして、叩いたり蹴った りしてしまうことを自分から抑制する。  子どもが叩いたり蹴ったりすることを抑制したとき、相手の子どもは、また子ども自身も、「相 手を叩いたり、蹴ったりすることを我慢した、よくないことをしない(抑制する)強い子どもになっ た」と認識する。子どもがこのように認識するとき―我慢すること自体はたしかに辛く、きついこ とであるのだが―強い喜びにつつまれる。  ―今、このことを、育ちの観点から述べるならば―子どもは、「よくないことをしない(抑制す る)強い自分になりたい」という思いを実現しようとする4 4 4 4 4 4 4 4、実現しようとして相手を叩いたり蹴っ たりすることを自分から抑制する4 4 4 4、そして「自分は抑制する強い自分になった」と自己認識する4 4 4 4 4 4、 という育ちをする。  この後者の思いを実現すると、次に、前者の思いを実現しようとする。子どもは、勝つ強い自分 になるためにはどのようにしたらよいか考える。そして、「次の遊びで、頑張ればよい」、あるい は、「次の遊びでボールを受けたり投げたりする技能を高めればよい」ということを考え出す。次 の遊びをしようとし、そこで頑張ろうする。技能を高めようとする。  子どもは、前者の思いを実現しようとして、次の遊びに入っていく。そして次の遊びで実際に勝 つことができたとする。勝つことができたとき、子どもは、「自分は勝った、勝つ強い自分になっ た」と自己認識する。子どもは、強い喜びにつつまれる。  ―今、育ちの観点から見るならば―子どもは、「勝つ強い自分になりたい」という思いを自分か ら実現しようとする4 4 4 4 4 4 4 4、そのためにはどのようにしたらよいか自分から考え4 4、考え出す4 4 4 4、という育ち をする。そして、そして実現して「自分は勝つ強い自分になった」と自己認識する4 4 4 4 4 4という育ちをす る。 3 負けたくないために白線を越えて逃げてしまうことから生じるけんか (1) 負けたくないために白線を越えて逃げてしまうことから生じるけんか  本節では、前節で述べた多くの子どもが行うけんかのうちのもう1つ、「負けたくないために白 線を越えて逃げてしまうことから生じるけんか」を取りあげる。子どもは、そこで、どのようにし ようとするのか、またどのような育ちをするのか。  子どもは、この遊びで、相手からボールを当てられ負けないようにするために、相手のいる所か らできるだけ遠くに逃げようとして、自分の陣地の白線を越えてしまう。子どもは、この時、既 に、遊びのルールをはっきりと理解している。それゆえ、このことはルールを守らないことである

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と捉えているのだが、それにもかかわらず、ボールを当てられ負けたくない一心で、白線を越えて 逃げてしまうのである。  もちろん、こうした子どもの中には、次のような子ども、すなわち、負けたくない一心で白線を 越えて逃げてしまう、しかし、この遊びのルールをはっきりと理解していない、そのため、このこ とを、「ルールを守っていない」と捉えることをしない、という子どももいる。こういう子どもも いるが、しかし、本節では、遊びのルールをはっきりと理解している。それゆえ、このことをルー ルを守らないことと理解しているのたが、それにもかかわらず、白線を越えて逃げてしまう、とい う子どもの場合を考察する。  子どもの、この、「当てられ負けたくない、そのため白線を越えて逃げてしまう」という行動は、 子どもの負けたくないという欲求のみを満たす行動である。相手の負けたくないという欲求をも平 等に満たす行動ではない。それゆえ、相手は、子どものこのことを受け入れることはできない。相 手は、「○○は、白線を越え逃げている。○○が、そのことをすると、相手からボールに当てられ なくなり、負けなくなる。○○の負けたくないという欲求のみを満たす。このことはよくない」、 「また、このことは、ルールを守らないことである。ルールを守らないことはよくない」と言って くる。  しかし、相手がこのように言ってきたとしても、子どもは、負けたくないために白線を越えて逃 げることを止めないだろう。止めないからといって、なにか困ることが起きてくるわけではないか らである。  だが、相手にとっては、このことは受け入れることはできない。また、止めるように言ったのに もかかわらず止めずに続けているということも、受け入れることができない。そこで、「もう一緒 に遊びたくない」と思うようになる。相手は、子どもに、このことを伝える。  相手が言ってくることにより、子どもは、このときの相手の気持ち、「○○の白線を越えて逃げ ることは、○○の負けたくないという欲求のみを満たす行動であるので、受け入れることはできな いこと、言っても止めず続けていることを受け入れることはできないこと、それゆえ、もう一緒に 遊びたくないと思うようになったということ」に気づく。  相手が一緒に遊びたくないと思うようになったということにより、子どもは遊びに参加すること ができず、ただ見ているだけになる。ただ見るとき、子どもは、寂しさを感じる。子どもは、これ までこの遊びをしてきて、一緒に遊ぶ楽しさを味わってきている。それゆえ、ただ見ているとき、 いっそう寂しさを感じる。寂しさを感じることにより、「一緒に遊びたい」と強く思うようになる。  子どもは、一緒に遊ぶためにはどのようにかかわっていったらよいか考えようとする。そのた め、相手の気持ちを捉えようとする。相手は、「○○は、白線を越えて逃げることをした。このこ とは、○○の負けたくないという欲求だけを満たすものであるので、受け入れられない、そこで一 緒に遊ぼうとしなくなったのだ」と捉える。そこで一緒に遊ぶためには、「白線を越えて逃げるこ とをしない、つまり、抑制することをしたらよい」ということを考え出す。  また、相手は、「○○の負けたくないという欲求を満たすだけでなく、自分の負けたくないとい う欲求も平等に満たすこと、すなわち、白線の内で逃げることをするならば、一緒に遊ぼうとする ようになる」と捉える。そこで、「白線の内で逃げることをすればよい」ということを考え出す。こ の白線の内で逃げるということは、この遊びにおいてルールとして定められているものである。そ れゆえ、このことは、ルールを守ること、と言い換えることができる。子どもは、「ルールを守る ことをすればよい」ということを考え出す。  子どもは、このことを考え出すと、実行に移そうとする。まず相手に、「もし遊びに再び入れて もらえるなら、白線を越えて逃げることはしない、抑制する。ルールを守る」と伝える。もし子ど

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もがこれらのことをするなら、相手の負けたくないという欲求も平等に満たされることになるの で、相手は受け入れるだろう。子どもは再び遊びに参加し、一緒に遊ぼうとする。  子どもは、一緒に遊ぼうとするさい、自分から、抑制し、ルールを守ろうとする。しかし、いざ 実際に遊び始めると、そう簡単にはいかない。熱中してくると、ボールに当てられたくない、負け たくないという思いが強くなり、白線を越えて逃げてしまうのである。しかし、子どもは、そのこ とをしてしまうと、相手が一緒に遊ばなくなる、ということを経験している。そこで、「そういう ことをしてしまったら一緒に遊べなくなる。一緒に遊ぶためには、逃げてしまいたくなったとして も、抑制しなければならない」と思う。子どもは、「負けたくないために逃げてしまいたくなる」と いうことと「一緒に遊ぶためにはそのことを抑制しなければならない」という思いとの間を揺れ動 く。揺れ動く中で、「一緒に遊ぶためには、逃げてしまいたくなることを抑制しなければならない」 という思いが次第に強くなる。そして、ある時、逃げてしまいたくなることを抑制することをする のである。  子どもが、このことをすると、相手は受け入れる。一緒に遊ぼうとする。子どもは一緒に遊ぶこ とができる。子どもは、このとき、「自分は一緒に遊ぶことができる自分になった」と自己認識す る。このように自己認識するとき、強い喜びにつつまれる。  ―そして、このことを育ちの観点から述べるならば―子どもは、①ただ見るだけだと寂しいとい うことに自分から気づく4 4 4という育ちをする。②自分から「友達と一緒に遊びたい」と強く思うよう4 4 4 4 4 4 になる4 4 4という育ちをする。③どのようにかかわったらよいか自分から考え4 4、考え出す4 4 4 4、という育ち をする。④相手に自分から伝える4 4 4という育ちをする。⑤自分から抑制する4 4 4 4、ルールを守る4 4 4 4 4 4、という 育ちをする。⑥自分から「自分は一緒に遊ぶことができる自分になった」と自己認識する、という 育ちをする。 (2) 保育者は、こうしたけんかに、どのようにかかわっていったらよいのか。  では、保育者は、こうしたけんかに、どのようにかかわっていったらよいのか。前項の「白線を 越えて逃げる」というけんかの場合に即して、考察する。  前項では、子どもは、そのけんかを通して、①自分から気づき(その育ちをする)、②自分から 一緒に遊びたいと強く思うようになる(その育ちをする)・・・・と述べた。子どもを観察すると ―保育者がその場におらず、したがってなんらのかかわりもしない場合であっても―5、6歳の、 ルールを理解している子どもであれば、また友達と一緒に遊ぶ楽しさを十分に味わってきている子 どもであれば、どの子どもも、これらのことをしようとする、またこれらの育ちをする、というこ とが分かる。筆者は、保育者は、このこと、すなわち、子どもは―保育者がなんらかかわらない場 合であっても―けんかを通して、これらのことをしようとする、またこれらの育ちをする、と捉え ることが、大切であると考える。  また、子どもが、けんかを通して、①気づくということ、②一緒に遊びたいと思うようになるこ と・・・・ということ、このことは、子どもが伸びようとしている、育とうとしていることであり、 子どもが伸びようとしていること、育とうとしていることとして、意味があり、価値があることで ある。筆者は、保育者は、このことを、捉えることが大切であると考える。  そしてまた、子どもがけんかを通して自分から~しようとすることとその育ちは―その中のすべ てではないが―多くの保育者がけんかを通して育てたい育ち(育てたい子ども)と一致する。多く の保育者は、けんかを通して、「自分から相手の気持ちに気づく子ども」に、「自分からどのように かかわったよいか考え、考え出す子ども」に、また「考え出したかかわりを実行に移し、自分から 自己抑制したり、自分の思いと相手の思いが共に満たされる関係を作ったりする子ども」に育てた いと考える。これまで見てきたように、子どもは、けんかを通して、自分から相手の気持ちに気づ

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くのであり、気づく子どもに育つのである。自分からどのようにかかわればよいか考え、考え出す のであり、考え、考え出す子どもに育つのである。そして、考え出したかかわりを実行に移し、自 分から抑制したり、自分の思いと相手の思いが共に満たされる関係を作るのであり、抑制し、関係 を作る子どもに育つのである。筆者は、保育者が、このこと、すなわち、子どもは、けんかを通し て、保育者がけんかを通して育てたい子どもに、自ら育つのだということを、捉えることが大切で あると考える。  つまり、筆者は、保育者は次のようにかかわることが大切であると考える。  ①保育者は、子どもが、けんかを通して、これらのことをしようし、これらの育ちをすると捉 え、最初にこれこれのことをしようとする(その育ちをする)、次にこれこれのことをしようとす る(その育ちをする)・・・・と見通して捉える。  ②保育者は、子どもが、けんかを通して、~しようとすることとその育ちは、子どもが伸びよ う、育とうとしていることであり、そういうこととして意味があり価値があると捉え、子どもが、 自分から~しようとすることとその育ちを大切にする。  また、保育者は、子どもが、けんかを通して、~しようとすることとその育ちは、多くの保育者 がけんかを通して育てたい育ち(子ども)と一致するので、子どもが、自分から~しようとするこ ととその育ちを大切にする。  保育者は、大切にするために、子どもが自分から~しようとする、その時、その~しようとする こと(~しようとする子ども)に対して、「○○には、自分から~しようとしてほしい(~しようと する子どもになってほしい)」という願いを形成する。具体的には、子どもが自分から相手の気持 ちに気づく、そのとき、その気づくこと(気づく子ども)に対して、「○○には、相手の気持ちに気 づいてほしい(気づく子どもになってほしい)」という願いを形成する。子どもが自分から一緒に遊 びたいと思うようになる、そのとき、その思うようになること(思うようになる子ども)に対して、 「○○には、自分から一緒に遊びたいと思うようになってほしい(思う子どもになってほしい)」と いう願いを形成する。  ③保育者は、その保育者の願いからかかわっていく。具体的には、子どもが自分から相手の気持 ちに気づく、そのとき、その気づくこと(子ども)に対して、「○○には、自分から相手の気持ちに 気づいてほしい(気づく子どもになってほしい)」という保育者の願いからかかわっていく。子ども が自分から一緒に遊びたいと思うようになる、そのとき、その思うようになること(思うようにな る子ども)に対して、「○○には、自分から一緒に遊びたいと思うようになってほしい(思う子ども になってほしい)」という保育者の願いからかかわっていく。  この保育者のかかわりは、子どもが自分から~しようとする4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4、そのとき、その~しようとするこ とに対して、○○には自分から~しようとしてほしい4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4と願って、かかわるかかわりであるので、基 本的には、子どもが自分から~しようとする、それをすることができる環境を構成したり、支えた りする、というかかわりになる。  イ 子どもが自分から~しようとする、それをすることができる環境を構成する。今、「白線を 越えて逃げる」というけんかの中の、「子どもが再び遊びに参加しようとする・・・抑制する」とい う場面を取りあげる。この場面で、子どもが再び遊びに参加することができるためには、子どもが 「抑制する、ルールを守る」と伝えるのを聞いてくれる、また再び遊びに参加するのを受け入れて くれる、そういう相手の存在が不可欠である。また、遊びに参加した子どもが、揺れ動く中、ある 時、抑制することができるためには、子どもの揺れ動きながら心を決めていくことを見守ってくれ る相手の存在が不可欠であるし、また子どもがそのことをする十分な時間と空間が必要である。保 育者は、子どもが自分からこうしたことをしようとして、することができる環境があるかどうか見

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