83 〈研究ノート)
仏教の経営観に関する覚書
一一商売は菩薩の業一一一* キーワード 経之営之にれをけいし目これをえいす) 三輪清浄(さんりんしょうじよう) 三方(さんぽう)よし 自利利他円満(じりりたえんまん) 菩薩行 (I~さつぎょう) 『幻身要集(げんげんようし申う).1 近江商人(おうみしょう仁川 初代・伊藤忠兵衛(しょだい・いとうちゅうべい) 目 次 は じ め に I 三輪清浄と三方よし E 自利利他円満と菩薩行 E 仏教の経営観 むすびにかえて*
本小稿は「仏教の経済観J
(安部 [2009a]), 「仏教の労働観J
(安部 [2009b])および「仏教 の環境観J
(安部 [2009c])に続く覚書である。 副題は初代・伊藤忠兵衛の座右銘の一部である (伊藤忠商事株式会社社史編集室編口969],28 ページ)。 なお.私は2010年3月末日に本学経営学部を定 年退職します。それゆえ.本小稿は本学における 私の最後の研究ノートで,いわば,私にとっては 退職記念の論稿となります。長年にわたって本学 経営学会の編集委員会の諸先生および事務局の皆 様には大変お世話になり.心から厚く御礼申しノ -'-女者
E
大
佳
「商売は菩薩の業(わざ),商売道の尊さは.売り買い何 れをも益し.世の不足をうずめ,御仏の心にかなうも の。手Ij真於動(利は勤むるに於いて真なり)oJ (初代・伊藤忠兵 衛「座右銘J)事 * は じ め に 2008年9月15日 の 米 国 大 手 証 券 リ ー マ ン ・ ブ ラザースの経営破綻1l(通称「リーマン・ショッ クJ
)
に 端 を 発 し た 「 サ プ プ ラ イ ム 不 況 」 が1
年 後 の 今 も 世 界 経 済 と 日 本 経 済 に 暗 い 陰 を 投 げ 掛 けている。 1930年 代 の 大 不 況 以 来 の 不 況 の 最 中 で 経 済 を 活 性 化 す べ き 企 業 家 の 経 営 の 核 と な る 経 営 理 念 が 問 わ れ て い る 。 極 端 に 私 利 私 欲 を 追 求 す る 強 欲 な 金 融 資 本 主 義 に 批 判 の 眼 が 注 が れ ているのである。今こそ,経営の原点に立ち戻り. 国 家 . 国 民 の 福 利 ( 公 益 ) を 求 め . 健 全 な 経 営 を 志 向 す る た め に 堅 固 か っ 強 靭 な 企 業 理 念 の 構築と企業家精神の高揚が喫緊の課題である。 確 固 不 抜 の 企 業 理 念 を 構 築 す る た め に は . 揺 ¥上げます。拙き本小稿を編集委員会の諸先生およ ぴ事務局の皆様に捧げます。ほんとうに有難う御 座いました。*
*
小倉 [2003],41ページ。 1) 2008年9月15日,アメリカの大手証券リーマ ン・ブラザースは.連邦破産法11条の適用を申請 し経営破綻した。リーマンの負債総額は6.130 億ドル (63兆7,500億円)でアメリカの史上最大 の倒産となった。リーマンは信用力の低い個人住 宅融資(サププライムローン)問題による住宅 ローン資産などの値下がりで, 8月末までに120 億ドル超の関連損失を計上。資本不足に陥るとの 見方が強まり,株価が急落,事業継続が難しく なった(日本経済新聞社 [2008] 1面)。84 るぎなき規範が必要である。日本の資本主義の 父と敬われる渋沢栄ーは,道徳と経済の合ーを 目指して『論語と算盤.1[1985]2)を,また,石 門心学の創始者である石田梅岩は.
r
都 郁 問 答 (とひもんどうU
[1935]を著し.r
人の人たる道(人 倫)Jを神・儒・仏の思想によって説いた。企 業を経営して社会から利益を戴く行為の根底に この「人倫jが な け れ ば , 単 な る 金 儲 け ( 強 欲・守銭奴)であり,真の経営ではない。近時, 思想のない経営者が多く見られる状況は漸'胞に 堪えないものである。社会から絶大な信頼と信 用を得るために誠実さ(インテグリティ)を貫 色 社 会 と 企 業 の 持 続 可 能 性 ( サ ス テ ナ ピ リ ティ)を求める経営を行わなければならない時 機が,到来している3)。 さて.r
経営」という語棄のi
監傍を尋ねれば, 次のようになるだろう。まず「経」は,織物の 縦糸であり,縦糸が真直ぐ貫ぬくが如く,常に 行なうべき道理,原則を意味し.転用されて根 本的に重要な事柄を説いた経典をも表すように なった。「経」は,常と訓読し,永遠性を意味 する。それゆえ.r
経J
は,永遠に行なうべき 道理,原則となる4)。次に「営」は,軍営,陣 営,宮殿,住居,営造のものをいい.そのよう な建物を造営することをいい,営む,経営する, つ く る と い う 意 味 を 表 す5)0r
経営」そのもの の 語 棄 を 探 れ ば .r
詩経.1r
大 雅 」 の 「 文 王 の 什J
の「霊台(れいだい)Jという 1篇 の 詩 の 冒 頭 2) Harvard Business Review (2009年10月号)は 「論語の経営学」と題し,冒頭部分で r(前略)日 本における人と組織のマネジメントは『論語』に 原点があるといっても過言ではないだろう。(中 略)r
法に触れなければかまわない」という拝金 主義,倫理や人間性をなおざりにした合理主義へ の批判が高まるなか,君子論を説いた『論語』に リーダーのなるべき姿が発見できる」と述べてい る。また.r
道徳、と経済の両立」と題して,r
抄 録 渋沢栄一の『論語と算盤~J (解説由井常彦) [2009]を載せている。 3) 高[2006J.アンドリュー・サピッツ,カール・ ウェーバー(中島訳)[2008Jを参照のこと。 4) 丘山 [2005,] 87-8ページ。 5) 白川[1996],60ページ。 にある「経始霊台(れいだいをけいしし)経之営之にれを けいしこれをえいす)庶民攻之(しよみんこれをおさめ)不日 成之(ひならずしてこれをなす)Jに行き着く。現代語で 表せば「霊台を築く 測 量 し 線 引 き し 庶 民 が仕事にかかり 間もなく成し遂げる」になり, 更に平易に表せば「周りを堀で囲んだ施設に神 霊を迎える台を建てる計画を始めるために,測 量 し 設 計 し て 庶 民 が 仕 事 を 始 め , 速 や か に 完 成する」となる6)。詩中の「経之営之にれをけいし, これをけいす)
J
が「経営」の語源である。つまり 「構造物を建築するために測量と設計を行なう ことJ
を 意 味 し 現 代 的 に 敷 桁 す れ ば .r
経 営」とは「永遠に行なうべき道理,原則に依拠 して構造物を建築するために測量と設計を行な うこと」となる。それゆえ.r
経営」とは「企 業が永遠に行なうべき道理,原則に則って,事 業を行うこと」となるだろう。ここで,永遠に 行うべき道理,原則とは,確固不抜で北極星の 如き不動で一本筋が通り,企業経営の道標とな る経営理念のことである。 そこで,本小稿の目的は,このような企業の 経営理念を構築する際の基準のーっとして仏教 思想から経営理念への接近,つまり.r
仏教から 観た経営J
(r仏教の経営観J
)
について.考察す ることである。なお,仏教の観点から経営につ いて考察した文献には,井上 [1993, [] 1997], 稲葉[1994].植松口998].加藤[1968]および 広瀬[1999]などがある。本小稿における論旨 の展開は. Iでは.r
三輪清浄(さんりんしょうじよう)J すなわち.r
施者(施しを行う人).受者(施しを 受ける人)および施物(施し,施される物)の 三つが清浄で,いわば輸のように循環する」と いう大乗仏教思想と近江商人の経営理念の根幹 である「三方よし」すなわち「売手よし,買手 よ し 世 間 ( に ) よ し 」 と の 関 連 に つ い て . II では.r
自利利他円満(じりりたえんまん)Jすなわち 「自利(自己の利益(りゃく).自分のための修業) と利他(他人を利益すること,衆生を救うとい うこと)が円満(自らも仏になり,衆生も仏に 6) 白川[1998]. 55-8ページ。85 なること)である」という大乗仏教の根本思想 に基づく経営理念と菩薩行としての経営の実践 について
.m
では.1
.
n
に依拠して,仏教の 経営観とはどのようなものかについて.述べ, 最後に,私見を述べて,むすびにかえる。I
三輪清浄と三方よし
本章では.r
三 輪 清 浄 」 と い う 仏 教 思 想 と 「三方よし」という近江商人の経営理念につい て.それぞれ.述べた後.両者の関連について 考察してゆく。 (1)三輪清浄 「三輪清浄(さんりんしょうじよう)Jは.r
三輪体空 (さ叫んたいくう)Jr
三輪空寂(さんりんくうじゃく)Jr
三 事皆空(さんじかいくう)Jともいい7) W大乗本生心 地観経(だいじようほんしょうしんじかんぎょう)J(巻第1) の終り近くにある「能施所施及施物(のうせしょせお よびせぷつ)於三世中無所得(さんぜち申うにおいてしょとくな し)我等安住最勝心(われらはさいしょうしんにあんじゅう す)供養一切十方仏(いっさいのじっぽうぶつにくようす)J8) という七言四句の備であり.三輪清浄備といい, 布施を受ける際に布施をする人に読諦する場合 には.この慣を布施備と呼ぶのである9)。この 三輪清浄備を現代語で表せば「施しを与えるこ と.施しを受けること,そして,施し物は,前 世・現世・来世の三世にわたって執着・分別に 捉われなければ私達は.最も勝れた心に安住す ることができ,一切すべての諸仏に供養でき る」となろう。中村元博士は「他人に対する 奉仕の心がまえ。物を与え,奉仕する主体(能 施施者)と奉仕を受ける容体(所施,受者) と奉仕の手段となる物(施物)この三者は空で, 清らかであらねばならない,滞りがあってはな らない。もしも『おれがあの人にこのことをし 7) 龍谷大学(花田)[1973,]1773ページ.宇井口989,] 381-2ページ.総合仏教大辞典編集委員会 [2005], 509ページ。 8) 高楠・渡辺[1924],296ページ。 9)織田 [2005,] 669ペ ー ジ , 中 村 元 日975,] 493ページ。 てやったのだ』という思いがあるならば.それ は清らかな慈悲心から出たものでないという。 さらに三輪清浄というのは必ずしも施だけに限 ることではない。主体と客体と中間の媒介とな るものに関しでもいうj10)。と述べている。さら に . 正 山 新 教 授 は r(前略)布施,つまり,人 になにかを与える,施す,助けるというときに 『自分が何かを人に与える』とか『してあげる』 とかいう思いにとらわれてはいけない。『施す者』 (助け,与える人)とそれを『受ける人』と『施 し物j(与えられる物や助け)の三つのどれもが 『空』で清らかでなければいけない。(中略)そ のようにとらわれのない心で人のために尽くす こと,これが書薩の道であり,利他行の根幹で ある。(中略)r
空』であるからこそ,すべてに こだわりない『慈悲』が生まれ,その『慈悲』 の実践として利他行,すなわち大乗仏典で説か れ始める『三輪清浄』という菩薩の道と実践が あるのだj1Dと極めて平易で明瞭に述べている。 (2)三 方 よ し 「商売だから儲からなくては意味がないとい う考え方は真実この世の企業家の精神であろう か。売手よし.買手よし,すなわち顧客に喜ん でもらうというのは取引であるから当然のこと である。近江商人はその上に「世間によし」が 加わって「三方よしJ
という主義になった。こ れは近江商人特有のものとして3
0
0
年生き続け た理念であるJ12)と小倉博士は『近江商人の経 営管理J
[1991]の序章「近江商人の経営理念」 の「三方よし」の冒頭で述べている。一般に 「三方よし」とは,r
売手よしJ
r
買手よしJ
r
世 間よし」として流布しているが.r
売手がよく, 買手がよく,それらが世間のためにもよい」と いうニュアンスに解釈すれば.r
世間によし」 の方が近江商人の経営理念の根本を表現して いるのではないか。それゆえ.本小稿では小倉 博士に倣い.r
世間によし」を踏襲することに 10) 中 村 元 [2001,] 611ページ。 11) 丘山 [2005,] 110-1ページ。 12) 小 倉 口991J. 1ページ。する13)
。
「三方よし」の表現は,末永[1999Jの管見 の限りでは,小倉[1988J(
r
近江商人の経営J. 54ページ)が初出である。しかし,その典拠は 不明であり,また,小倉[1990J(
r
近江商人の 金言名句1. 66ページ)は,中村治兵衛(なかむ らじへい)家の家訓が「三方よしJ
の精神につな がることを紹介しており.1
三方よし」の表現 が,なんらかの近江商人の家訓の一節なのか, 家訓のエートスを体した小倉の造語なのか,そ れとも彦根出身の小倉が伝承として記したのか, 未詳である,と述べている14)。 それでは,近江商人の他国行商の心得である 「三方よしJ
の精神につながる中村治兵衛家の 家訓について考察してゆこう。近江国神崎郡石 馬寺(いし1
1
じ)村(現在地名.滋賀県東近江市五個 荘石馬寺町)の中村家六代目であり,中村治兵 衛家二代目である麻布商中村治兵衛(法名,宗 岸(そうがん).没年,宝暦七 (1757)年,享年73才) が70才となった宝暦四(1754)年に書き記した とされる『家訓』は,明治23 (1890)年刊行の 井上政共(まさとも)編述『近江商人.! [1890Jの10
中村治兵衛の事J
1S)。に掲げられている。井上 は,冒頭に「農隙(のうげき)には商業に従事して 遺業(いぎょう)芳(かんば)し 終に家言11を録して辞世 の歌を詠ず(農閑期には商業に従事して,彼の 遺した業績はすばらしい。亡くなる前に家訓を 記し辞世の歌を詠んだ)Jの本文の要約を掲げ, 続いて「農は時あり春植て秋収む其聞に応分の 暇あり無駄に経過するべからず人の名を挙げ家 を興して富裕の身となり尚ほ子孫に其業を伝へ て繁栄を保たんと欲せば流水の如き時聞を利用 して無駄に経過せざるに若かず(原文のまま)(農業 13) 小 倉 [2003J(
r
近江商人の理念.1)の「社会的 貢献と近江泥棒 (36-9ページ)においても使わ れている。 14) 末永口999J注2). 55ページ。 15) 井上日890J. 36-41ページ。なお,井上は,石 塚某の男宗治郎を養子とした(井上日890J. 38ページ)と述べているが,片山半兵衛家から養 子宗次郎を迎えた(末永口999J. 32ページ) というのが,正しいと思われる。 には時機がある。春に植えて秋に収穫するまで の問には,かなりの時聞があり,その時間を無 駄に過ごしてはならない。名を挙げ,家を輿し, 富裕の身になり,なお子孫にまでその家業を伝 え,繁栄を保とうとするならば,水のように流 れてゆく時間を無駄にしないことが肝要であ る)J
と述べ,さらに中村家祖先の濫鰭から中 村治兵衛家二代目に至るまでの家系の大要を述 べている。その後,二代自治兵衛の業績と人柄 について次のように述べている。「彼は,最も 着実な人で,分をわきまえ,父祖の遺業に従事 し農閑期には必ず紹糸(かせいと)を繰って麻布 を織り,商いをしたが,田畑の収穫がよくなく, 地租も過当なものとなり,家計が行き詰まるよ うになったので,ある日熟考し,農業には農閑 期があるだけでなく.土地の公益を図って,名 を挙げ,家を興すためには,他国に出て,盛ん に商業を営むことが最善であると決心し.自分 の作った麻布を持って故郷を離れ,信濃に行っ て販売した。世間に言う近江布はこの時に始 まったと言われる。信濃から帰国の際には信州 および上州産の麻を買い入れ.繰方と織方に多 年苦労を経験して販売に精を出したので,家は 益々繁昌し,出るものは商品のみ,入るものは 貨幣のみであった。この事業が有益な成果を生 み出すことになった。これが持ち下り商売の起 りの起源である。また,彼は幼少より学問を好 み,家業の間に常に書物を調べ,特に家に伝わ る仏書を読み楽しんだ。中年になり家督を嫡子 に譲って宗岸と号した。三代自治兵衛は不幸に も若くして亡くなったので,同郷の石塚某(原文 のまま)のまだ幼年である宗治郎(原文のまま)を養子 とした。そこで,彼は家訓を書き,宗治郎(原文 のまま)に与え,晩年になって辞世の歌を詠じた。」 井上による家訓は 12 (ヵ条)あり,その第 7 (ヵ条)には,後に「三方よしJ
の語句の起源 となった内容(後述の下線部の詩句).すなわ ち.1
他国へ行商スルモ総テ我事ノミト思ワズ 其国一切ノ人ヲ大切ニシテ私利ヲ貧ルコト勿レ 神仏ノコトハ常ニ忘レザル様致スベシ(原文のまま) (他国へ行商する際,すべて自分のことのみ考え87 ずに,その国のすべての人々を大切にして,私 利を貧つてはならない。神仏のことは常に忘れ ないようにすべきである)J16)。が記されている。 この下線部の意味は,現代では近江商人の活動 の普遍性を端的に語るものとして,取ヲ│は売買 当事者双方のみならず,その取引自体が社会を も利する「三方よし
J
の精神を示しているとい う解釈が施され,広く流布している[7)。井上が 依拠した「家訓」の原典が平成10(1998)年3月 に見つかり18) その全貌が明らかになった。二 代目中村治兵衛宗岸が15才の養子宗次郎に遺し た「宗次郎幼主書置J
(llヵ条)と「追書宗次 郎J
(13
ヵ条)のうち.前者の「書置J
の第8
条 には「たとへ他国へ商内に参り候ても.この 商内物,この国に人一切の人々,心よく着申さ れ候ようにと,自分のことに思わず,皆人よき 様に思い,高利望み申さずとかく天道のめぐみ 次第と,ただその行く先の人を大切におもふベ く候,それにては心安堵にて,身も息災,仏神 の事,常々信心に致され候て,その国々へ入る 時に,右の通りに心さしをおこし申さるべく候 事,第一に候(読み下し文)J19)と記されている。 現代文で要約すれば「たとえ他国へ行商に出か けても,自分の持ち下った衣類等をその国のす べての顧客が気持ちよく着用できる様にこころ がけ,自分のことよりも先ずお客のためを,思っ て計らい,一挙に高利を望まず,何事も天道の 恵み次第であると謙虚に身を処し,ひたすら持 ち下り先の地方の人々のことを大切に思って商 売しなければならない。そうすれば,天道にか 16) 井上 [1890]. 39ページ。 17) 末永[1998]. (4)ページ(末永の場合.下線 部以外も含めている).末永 [2000]. 209-10ペー ジ.末永 [2004], 67ページ。 18)r
日本経済新聞.i(朝刊)[1998] (39ページ)はr
r
売り手よし,貿い手よし,世間によし』の『三 方よしJの考え方を近江商人の理念として家訓に 残した麻織物商人・二代日 中村治兵衛宗岸の遺 言状が神戸市の子孫宅で見っかり.(1998年 3 月)2日.滋賀県が発表した」と報じている(括 弧内は,安部が補遺している)。 19) 末永口998]. (7). (10)ページ(下線は末永 による)。 ない,身心とも健康に暮らすことができる。自 分の心に悪心の生じないように神仏への信心を 忘れないこと。持ち下がり行商に出かけるとき は,以上のような心がけが一番大事なことであ る。J
20)となる。読み下し文と現代文の各下線部 は.r
商取引は取引当事者双方(売手,買手)の みならず,取引自体が社会(世間)をも利する ことを求めた『三方よしJ
(売手よし買手よし 世間によし)
i
l)の精神を示しているのである。 さて.I
三輪清浄」と「三方よし」の関連は どのようなものであろうか。「三輪清浄」につ いて,中村 元博士は,極めて平易に次のよう に述べている。r
r
大乗仏教J
の理想では三つのものが清らか でなければいけない。それは,人を助けなけれ ばいけない。人に奉仕する。人に何かものを渡 します。その場合に,三つのものが清らかでな ければいけない。与える人です。施す人といっ てもいいのです。それから,それを受ける人と その聞に媒介する品物です。この三つが清らか でなければいけない。何か人に与えるけれども, 下心があったりしてはこれは清らかでないわけ です。あるいは.r
おれがあいつにこういうこ とをしたやった』と.こう心の中で思っていま すと.r
おれが』と.r
あいつj と.そこの事柄 か物かわかりませんが,三つのものが汚れてい る。そうではなくて,空飛ぶ鳥がすーっと飛ん でいきまして,跡を残しませんね,汚れを残さ ないであょう。ああいうようなすがすがしい気 持ち,その気持ちで世を処して行けということ なのです。i
2) では,仏教思想の「三輪清浄」と近江商人の 経営理念の「三方よし」との関連について述べ てゆく。そのために次表(次ページ)のような 比較対照表の作成を試みた。 ①「三輪清浄」における「施者」は,施物 (布施する物)を受者に奉仕する主体であ り.r
施者」が受者に対して,下心なく, 20) 末永 [1998].(10)ページ(下線は安部による)。 21) 末永口9993
.
26ページ(括弧内は安部による)。 22) 中 村 元 日9933
.
19ページ(下線は安部による)。88 経 営 学 論 集 表 「三輪清浄」と「三方よし
J
の関連 三輪清浄(仏教思想) ① 施者(能施) 施物を奉仕する主体 ② 受者(所施) 三輪(二者・ 一物)が清浄 施物を奉仕される客体 で空である ③ 施物 奉仕の手段となる媒体 心清く(1青浄に).奉仕(サービス)をす る事を意味している。「三方よし」のうち 「売手よしJ
は,売手である生産者・供給 者が買手である購入者・消費者・需要者の ために喜んで貰い,利用価値の高い財(商 品)を精根を込めて,一所懸命に作り出す ことである。売手がよいので,買手は心か ら信頼・安心して売手から快く財(商品) を購入するだろう。「売手よしJ
は「施者 が清浄j と解釈できょう。 ② 「三輪清浄J
における「受者」は,施物 を施者から奉仕される受身の立場にある主 体であり.r
受者」が施者から,心底感謝 して,心清らかに(清浄に).奉仕(サー ビス)を受ける事を意味している。「三方 よし」のうち「買手よし」は,買手である 購入者・消費者・需要者が売手である生産 者・供給者が精根込めて.一所懸命に作り 出した利用価値の高い財(商品)を心から 感謝して,購入することである。そうすれ ば,売手にとっては,買手がよい,すなわ ち.r
買手よし」になるだろう。「売手よ し」なので「買手よし」という両者の相E
依存関係が成立するのである。「買手よ し」は「受者も清浄」と解釈できょう。 ③ 「 三 輪 清 浄J
における「施物J
は,施者 と受者の媒体となる物(媒体物)であり, 施者が媒介し,受者が媒介される物であり, 施者と受者の縁(関係)によって繋がって いる物である。施しを行う物,すなわち, 施しを受ける物が,清らかでなければなら ないのである。「三方よし」のうち「世間 三方よし(経営理念) ① 売手(生産者・供給者) 売手がよい 財の生産・販売の主体 ② 買手(消費者・需要者) 買手がよい 財の消費・需要の主体 ③世間(社会・市場) 世間によい 財の媒介による公益 によし」は,売手である生産者・供給者が 買手である購入者・消費者・需要者に心か ら満足して貰う物(商品)を販売し買手 がその物(商品)を感謝して,買い,その 時,売手と買手を媒介する物が清らかであ り.清らかでなければならないのである。 つまり,売手の買手に対する清らかな販売 行為と買手の売手に対する清らかな購入行 為を媒介する清らかな物(商品)が売手・ 買手の出会う市場(世間)を清らかにし 社会の公益を担うのである。その行為を 「世間によし」というのである。 以上のように仏教思想である「三輪清浄」と 近江商人の経営理念である「三方よし」の比較 を試みた。「三方よし」の原典とされる中村治 兵衛家の家訓を書き残した二代田中村治兵衛宗 岸は,幼い時から学問を好み,家業の暇をみて は,仏教の書物に親しみ.仏心が篤く,自宅に は持仏堂をも備えている23)0r
三方よし」の濫 錫となる彼の書き遺した家訓は,神仏への信仰 に裏打ちされた内容で,彼が意識したかどうか は確証はできないが,その家訓には「三輪清 浄」の仏教思想が見え隠れしているように思え るのである。E 自利利他円満と菩薩行
本章では,大乗仏教の根本思想、である「自利 利他円満J
に基づく経営理念と「菩薩行J
とし ての経営の実践について,考察してゆく。 23) 末永 [2004, 1] 7, 82ページ。89 (1) 自利利他円満 自利利他,自利利他円満は,次のように説明 することができる。 「自ら利益を得ることをく自利>.他人を利益 すること〈利他〉といい,この両面を兼ね備え ることが大乗仏教の理想とされる。
p
)
また「自 益益他(じゃくやくた). 自利利人(じりりじん). 自行化 他(じぎょうけた)ともいう。自利とは自らを利する の意で¥努力勉励して修業の功を積み,それに よりもたらされる善い効果の利得を自分一個に 受取ることをいい,利他とは他を利するの意で. 自己の利得ではなく,諸々の有情(うじよう)の救 済のためにつくすことをいう。この両者を合わ せて二利といい.両者を完全に両立させた勝れ た状態が大乗仏教の目的とする仏の世界で,こ れを自利利他円満という。J25) また.I
自利利他円満」の語義は親鷺の『浄 土和讃』における「自利利他円満にしてj と始 まる和讃にも出てくる。 「自利利他円満して 帰命方便巧荘厳(きみょうほうべんぎょうしようごん) こころもことばもたへ(え)たれば 不可思議尊(ふかしぎそん)を(に)帰命せよi
6) この和讃は「真実の浄土は弥陀が自他二利を 完成し,衆生を帰命させるための慈悲の巧みな 荘厳で、ある。言語も思惟も及ばない不思議な仏 をたのみとせよp
)
を意味する。 「自利J
は阿弥陀の仏になり給いたる心.I
利 他」は衆生を往生させる心.I
円」は善悪すべ てを分けず,よきことにしてしまう満ちたる心 である。自らも仏になり,衆生も仏になること を「円満jすというのであるお)。 以上の「自利利他円満」の語棄を仏教の経営 観との関連で考察する場合,ベラーが『日本近 24) 中 村 元 ほ か [2002]. 560ページ。 25) 総合仏教大辞典編集委員会 [2005J. 770ページ。 26) 名畑 [1976J. 32ページ(ただし括弧内の語 議は安部による)。 27) 名畑 [1976J. 32ページ,脚注370 28) 名 畑 口976J. 32ページ,脚注37.た だ し 若 干.現代詩に書き直している。 代化と宗教倫理.1[1966Jの「第5
章 宗 教 と 経済.二 商人階級の経済倫理」において引用 した中村環の『幻々要集.1[1927Jが参考に なるだろう29)。その雑録の中の「商工業秘訣」 では,次のように述べられている。 「商業とは生産された財を需要者に供給し それによって報酬を受ける業のことをいい, 工業とは財を生産して需要者に供給し.それ によって報酬を受ける業のことをいう。社会 はこれらの報酬のことを利益と呼ぶ。よって その利益を受ける理由は,他を利するからで ある。故に商業といい,工業という。両者と も他を利するいう心行であり,他を利する心 行によって,自らも利する功徳を受ける。こ れを自利利他円満の功徳という。もし,利他 の心行が多く大きければ,自利の功徳も多く 大きくなり.利他の心行が少なく小さければ, 自利の功徳も少なく小さくなり.利他の心行 が無ければ,自利の功徳も無くなる。それ故 に,商工業によって多く大きい功徳を手に入 れようと望むならば,すべからく多く大きい 利他心を養うべきである。利他心は,すなわ ち書提心である。菩提心を持ってすべての衆 生(人々)を救けること,これを菩薩行とい う。故に,菩薩行は,すなわち商工業である。 商工業は,すなわち菩薩行である。商工業の 秘訣は,菩薩行によって信用を得ることにあ る。信用は道徳にある。道徳は十善30)にある。 経典には「十善は菩薩の道場」と述べられて いる。商工業の現場は菩薩の道場であること をしっかりと認識することである。これを商 工業の秘訣という。以上は,商工業の秘訣だ けではなく,他の一切の事業も該当すること 29) ベラ一日966J. 180ページ。 30) 十善とは.身・口・意に関する10の正しい行為 のこと。身の行為に関して①不殺生(ふせっしょ う)②不倫盗(ふち申うとう)③不邪姪(ふじゃいん), 口の 行為に関して④不妄語(ふもうご)⑤不締語(ふさ ご)⑥不悪口(ふあっこう)⑦不両舌(ふりょうせつ.l意の 行為に関して⑧不怪食(ふけんどん)⑨不眠妻、(ふしん に)⑩不邪見(ふじゃけん)があり,十善を戒律とした ものを十善戒という(長谷口974a.bJ)。90 経 営 学 論 集 Vo.l49 No. 4 を認識すべきである。
J
3
1l以上の中村環の 「商工業秘訣」に仏教の商工業観,つまり,経 営観が集約されている。下線部で強調した「利 他行は菩提心であり,菩提心を持ってすべて の人々を救けることを菩薩行といい,菩薩行 は商工業であり,商工業が菩薩行である」が, 知実に「仏教の経営観J
の核心を表している。 (2) 菩 薩 行 「害薩 (bodhisattva)J
とは,一般に悟り (bodh.
i
菩提)を求める衆生 (sattva)の意味と解釈さ れる。「菩薩行」とは,菩薩が悟りを聞いて仏 になる修行のことである。大乗仏教では.最高 の悟りを求める心(菩提心)を起して自らの修 行の完成(自利)と一切衆生の救済(利他)の ために六波羅蜜(布施・持戒・忍辱・精進・禅 定・知慧)を行って仏になろうとする人はすべ て菩薩である32)。それゆえ.I
自利利他円満」 を実践する人はすべて菩薩である。 「商売を普薩の業」と捉えたのが,伊藤忠商事 の創業者である初代・伊藤忠兵衛 (1842-1903 年)である。彼の経営理念は仏教思想に基いて おり,仏教の経営観を論ずる際の重要な拠り所 になる。それは.伊藤忠商事の社史である『伊 藤忠商事120年.1[1969Jの「初代伊藤忠兵衛の 経営理念」の「商売は菩薩(ぽさつ)の業」で述べ られている。以下,要所のみ引用してみよう。 「東京大学名誉教授土屋喬雄氏はある時講 演で『渋沢栄一氏は孔孟の教えを,森村市左 衛門お)はキリストの精神を,伊藤忠兵衛氏は 釈迦の心をそれぞれ事業経営の拠り所とし た』という意味のことを述べられた。いずれ も商道の基本を宗教的または倫理的信念にお いた点で全く一致している。彼は常に二代目 忠兵衛に『たとえ金事業全財産を失うとも, 31) 中村環[1927,] 298ページ(ただし安部が 現代文に直している。また,下線は安部による)。 32) 中村元ほか [2002J. 922ページ。 33) 森村市左衛門 (1839-1919)は,森村財閥の創 業者。晩年は熱心なクリスチャンとして社会奉仕 に献身した(浅野口988J. 51ページ。 他力安心の信仰を決して失うな』と言い遺し た。この言葉は,彼の信仰の程を物語るもの であろう。生涯を貫いた誠実さも『仏の道』 に叶うか,あるいは少しでもそれに近づくこ うとする念願に発していた。彼は自らを『商 売は菩薩の業』と信じて庖員にそれを徹底さ せた。更に『安心立命(あんじんりゅうめいu
の道 義を唱え.r
大因小呆(だいいんしょうカ叫を心掛 けて勤勉努力することを説いた。庖員にはも れなく合本の『正信偶(しょうしんげ)和讃(わさん).J l冊と数珠を持たせ,朝夕庖内の仏壇に対し て共に念仏をあげた。自分はそれから北の御 堂さん(津村別院)へお参りするのを日課と した。また,毎月の定例日に本山や各地の名 僧知識を招いて,庖内で法話会を聞いた。こ の時は庖員ばかりでなく,多くの得意先や知 人も参加して聴聞するのが常であった。J34) また「初代忠兵衛の生涯」では次のように述 べられている。I
(
前略)実業界への(安部の補遺)船出当時の彼 は,真宗の信仰に養われた信念の下に,直感 的に行動する一介の商人に過ぎなかったが, この信心と行動で操る小舟に天運は開かれた。 (中略)彼の思想の根源には,国家に対する 感謝の念が脈打つていた。それに大乗的な安 心(あんじん)観が,時に蛮勇にもにた行動…・・ あの長州征伐下の商いぶり……ともなって表 れているが.これらの思想や信念には,少年 時代から往来した長州の影響と,彼が最も心 服した博多の善知識,七里和上35)の感化が与 34) 伊藤忠商事株式会社社史編集室日969J. 26-7 ページ(ただしかたかなは,ひらがなと漢字に 安部が直している。 35) 七里恒順和上については,次のように注釈され ている。(ただし,かたかなは,ひらがなと漢字 に安部が直している)。 「福岡市下祇園町に真宗西本願寺派の万行寺と いう古寺がある。七里和上はこの寺の住職で,同 派の高僧,善知識の名も高い七里恒}JI買(ひちりごうじ申 ん)和上のことである。忠兵衛は持ち下りのたびに 師の教えを受けていた。それは忠兵衛にとっては 商売とは別の大切な目的でもあって,旅先の夜毎 心弾む想いで師の門を叩いた。師も若い忠兵衛ノ91 (あずか)って力があったと見られる(後略)oJ36l 上記の引用のように博多の万行寺の善知識. 七里和上に教えを乞うた初代・伊藤忠兵衛の 「座右銘」は本小稿の冒頭に掲げているが,再 掲してみよう。 「商売は菩薩の業(わざ),商売道の尊さは. 売り買い何れをも益し,世の不足をうずめ, 御仏の心にかなうもの。利真於勤(利は勤む るに於いて真なり)oi7l この銘の意味は「商売は菩薩が悟りを聞いて 仏になる修行と同じ菩薩(業)行である。 酪売という道が尊いのは,売手(供給者), 買手(需要者)双方が利益をあげ,社会(市 場)の不足を埋ることであり,この商行為は仏 心に叶うものである。よく勤めて自ずから得る のが真の利益なのである。」 まさに,売手,買手双方が利益を得る「自利 利他円満」の世界であり,市場において財(商 品)の不足を無くして経済社会の公益に貢献す ることは.仏の心に叶う「菩薩の業」なのであ ¥を愛し,熱心に道を説いたので,彼は和上を心の 師と仰いでいた。後,持ち下り業を兄(長兵衛: 安部の補遺)に譲って大阪開業に踏み切った時の 感懐を『苦労して築いた商売を兄に譲ることを別 に惜しいとも,恩わなかったが,一番つらかったの は七星和上の慈悲を受けられなることであった』 と.よく二代忠兵衛にもらしていたという。
J
(伊 藤忠商事株式会社社史編集室[1969],29ページ, 注4
)
また,丸紅の創業者である兄の伊藤長兵衛も. 七里和上が馬関(下関)で委託販売業を営む川崎 助左衛門に仏教から商業への戒めを書いて送った 書簡を終生.肌身から離さなかった。その書簡の 内容を記することは割愛する(丸紅商唐本社 日931,] 36-7ページ)。 なお,明治仏教界において,七里恒)11買和上 (1835-19∞)は.その高徳名僧ゆえ,r
博多の和 上J
r
明治の親鴛」とまで称され.特に真宗門徒 から厚く慕われ.仰がれたことは,既に周知のこ とである(新保日999],第6章.第 l節, 179 ページ)。 36) 伊藤忠商事株式会社社史編集室 [1969],29 ページ(ただし,かたかなは,ひらがなと漢字に 安部が直している)。 37) 小倉 [2003,] 41ページ。 る。真宗信仰が盛んな近江国犬上郡豊郷村人目 (現・滋賀県犬上郡豊郷町人目)に近江商人 (湖東商人)として生を受け.薫陶された初 代・伊藤忠兵衛は「三方よしJ
( 売 手 よ し 買 手よし世間によし)の経営理念を身につける 素地があったのである。E
仏教の経営観 それでは「仏教の経営観とはどのようなもの なのか」について述べてゆこう。 「仏教は経営についてどのように観ているの か」という聞いに答えるための鍵となる語集は これまで考察してきた「三輪清浄J
I
自利利他 円満」および「菩薩行J
である。これら三つの 語集が.相互に関連して「仏教の経営観」の中 核を表現している。 仏教の実践行動は「人間として正しい生活を することによって自己の心を清めること一正し い生活実践による心の浄化」であり,仏教の基 本は「悪い事をせず,善い事を実践して自分の 心を清めることが.仏の教えである。J38lに尽 きる。 「経営とは企業が永遠に行うべき道理,原則 に則って事業を行うことである。」永遠に行う べき道理・原則とは,仏教の観点に立てば,上 述の「仏教の実践行動」と「仏教の基本」とな るだろう。そして,その具現化が仏教思想であ る「三輪清浄J
I
自利利他円満」および「菩薩 行」なのである。これら三つの語棄は相互に関 連している。 (1) 三輪清浄一三方よしーとしての 経営の実践への志向 仏教思想である「三輪清浄」は施者(施物を 奉仕する主体),受者(施物を奉仕される主 体)および施物(奉仕の手段となる媒体)であ る三輪.すなわち.二者・一物が清浄で空でな ければならない。施者・受者ともに我執にとら われず,施物を縁として,ともに清浄な心を 38) 安部 [2009a],87ページ。92 経 営 学 論 集 持 っ て 相 互 に 尽 く し 合 う 行 為 が 菩 瞳 行 で あ り , 利 他 行 の 根 幹 な の で あ る 。 こ の 仏 教 思 想 と し て の 「 三 輪 清 浄
J
は , 近 江 商 人 の 経 営 理 念 の 根 幹 で あ る 「 三 方 よ しJ
に 繋 が っ て い る 。 施 者 で あ る 売 手 , 受 者 で あ る 買 手 , 両 者 を 媒 介 す る 施 物 は 取 引 を す る 財 . こ れ ら 三 方 が よ け れ ば . 社 会 は う ま く 輸 の よ う に 回 っ て ゆ く の で あ る 。 売 手 ( 自 分 ) も 買 手 ( 相 手 ) も よ く , 売 手 ・ 買 手 の 取 引 す る 財 も よ け れ ば , 社 会 の た め に も よ く . 自 利 利 他 円 満 で , そ れ を 行 う 経 営 は 菩 薩 行 と な る の で あ る 。 よ っ て , 仏 教 の 経 営 観 は 「 三 輪 清 浄 」 に 基 づ く 経 営 を 志 向 す る 経 営 観 と い え よ う 。 (2) 自利利他円満と菩薩行としての 経営の実践への志向 自 利 利 他 円 満 の 菩 薩 行 は , 大 乗 仏 教 の 目 指 す 理 想 で 究 極 の 境 地 で あ る 。 初 代 ・ 伊 藤 忠 兵 衛 の 座 右 銘 の 「 商 売 」 を 「 経 営 」 と 読 み 代 え て も 座 右 銘 の 意 味 は さ ほ ど 変 わ ら な い で あ ろ う 。 つ ま り 「 経 営 は 菩 薩 の 業J
で あ り , 経 営 道 の 尊 さ と い う の は , 供 給 者 と 需 要 者 の 両 者 に 利 益 を 与 え . 相 互 を 自 利 利 他 円 満 に し , 市 場 に お い て 取 引 さ れ る 財 ( 商 品 ) の 過 不 足 を 無 く す る こ と で あ っ て , こ の 経 済 行 為 は 仏 の 心 に か な う も の で あ る 。 菩 薩 行 と し て 勤 勉 に 社 会 の た め に 尽 く し た 結 果 の 利 益 は 仏 の 真 心 に 叶 う 真 の 利 益 な の で あ る 。 そ れ ゆ え , 仏 教 の 経 営 観 は 「 自 利 利 他 円 満 」 を 具 現 化 す る 菩 薩 行 と い え る で あ ろ う 。 む す び に か え て 仏 教 の 経 営 観 に つ い て 「 三 輪 清 浄J
I
自 利 利 他 円 満 」 お よ び 「 菩 薩 行 」 を 中 心 に 考 察 し て き た 。 仏 教 か ら 観 れ ば , 経 営 と は 自 利 ( 売 手 の 利 益 ) と 利 他 ( 買 手 の 利 益 ) を 満 足 さ せ そ の 利 益 と 行 為 が 社 会 の 公 益 に 繋 が り , 結 果 , 社 会 が 健 全 か っ 清 浄 に 発 展 し て 行 く た め の 菩 薩 業 な の で あ る 。 近 江 商 人 の 伝 承 で あ る 「 三 方 よ し 」 に 繋 が る で あ ろ う 「 三 輪 清 浄J
,初代・伊藤忠兵衛の 「 商 売 は 菩 薩 業 」 そ し て , 中 村 環 の 「 商 業 ・ 工 業 は , 利 他 の 心 行 に よ っ て 自 利 の 功 徳 ( 自 利 利 他 円 満 の 功 徳 ) を 受 け る 業J
は . 仏 教 の 経 営 観 を 如 実 に 表 現 す る も の で あ ろ う 。 参 照 文 献 相 賀 徹 男 編 日988]W日本大百科全書』小学館。 浅 野 俊 光 口988],相賀編 [1988] (23巻), 51ペー ン。 安部大佳 [2009a]r
仏教の経済観に関する覚書一知 足の人は貧しと雛も.而も富めりーJ
r
龍谷大 学経営学論集』第48巻 第4号, 3月.86-98 ページ。 安部大佳 [2009b]r
仏教の労働観に関する覚書一 一日作さざれば.一日食らわずーJr
龍谷大学 経営学論集』第49巻 第l号, 6月.37-46ペー ン。 安部大佳 [2009c]r
仏教の環境観に関する覚書一分 け入っても分け入っても青い山一Jr
飽谷大学 経営学論集J第49巻 第3号.12月出版。 有 沢 広 巳 ・ 中 村 元 ・ 大 内 力 ・ 宮 崎 義 一 [1993] 『三輪清浄の世界を求めてー宗教・政治・経済-J
東峰書房。 アンドリュー・サピッツ,カール・ウェーパー(中 島早苗訳)[2008]r
サステナピリティー企業の 持続的成長を可能にするー』アスペク卜。 石田梅岩(足立栗閤校訂) [1935]r
都都問答j(岩 波文庫)岩波書店。 伊藤忠商事株式会社社史編集室編[1969]r
伊藤忠 商事100年』伊藤忠商事株式会社。 稲 葉 裏 口994]r
仏教と経営.1 (著作集『経営と人 生』第6巻)中央経済社。 井 上 信 一 口993]r
仏教経営学入門ーすぐれた経営 者は,仏の教えを経営にどう生かしたか一』ご ま書房。 井上信一口997]r
仏教的経営一心と物を活かすリー ダーたち一』すずき出版。 井 上 政 共 編 日890]r
近江商人』松桂堂。 宇 井 伯 寿 口989]r
愛蔵版仏教辞典』大東出版社。 植 松 忠 博 日998]r
信仰とビジネス』大修館書庖。 丘 山 新 [2005JrNHKこ こ ろ を よ む 菩 薩 の 願 い一大乗仏教のめざすもの-J
日本放送出版協 会。 小 倉 栄 一 郎 日988]r
近江商人の経営』サンブライ ト出版。 小 倉 栄 一 郎 口990]r
近江商人の金言名句』中央経 済社。93 小倉栄一郎[199日『近江商人の経営管理』中央経 済社。 小倉栄一郎 [2003]