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私立大学における年史編纂の現状と問題点

著者名(日)

木村 礎

雑誌名

東洋大学史紀要

5

ページ

1-8

発行年

1987

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00002569/

Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja

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私立大学における年史編纂の現状と問題点

木村

礎︵明治大学教授︶

大学史の意味

 まず最初に、大学史の意昧といったことを考えてみたい。  具体的には、大学史を日本の近現代史の中にどう位置づけるかということである。大学史研究は確かに未熟な 個別分野ではあるが、戦後の近現代史研究にも問題があると私は感じている。  例えば、近現代史の概説的な書物の中で、大学について触れているものはほとんどない。大学史の問題は、こ れまでのところ、近現代史の専門家たちの視野の外にあるといってよい。このままでは、大学史研究は個別の専 門分野だけのものとして全く孤立してしまう恐れがあり、今後、歴史研究としての市民権を獲得していかないこ とになるであろう。  こうした現状を私は、日本の近現代史研究の主流がいまだ知的分野の解明にまで及んでいないからだと考える。 今後における近現代史研究が、こうした問題にまで視野を広げることを期待する。

  一

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 政治行動や経済構造だけでなく、知的な問題というものをとらえていくための基礎は、やはり大学とか教育に あるわけで、その問題をどう表現するかということである。  この場合に重要なこととして、大学の教職員集団と学生集団という問題がある。これをどういうふうにとらえ るかという方法はまだできていない。例えば、大学の教授がどういう講義をしたかというのは、大学史のいちば ん難しい点だと思っている。  要するに、大学史の研究というものは、元来、近現代史研究の一部としてあるべきものであって、個別大学の 記念とか、顕彰のためだけにあるものではない。

二 大学史編纂組織の担うべき役割

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 大学史編纂のための組織にはいろいろな作り方があるようだが、最も重要なことは、大学史の専門家というも のはほとんどいないわけであるから、衆知を集めてその委員会の自立性を保つことにあると考える。  古い私立大学は、いろいろと複雑な関係を持っており、その大学と関係のある有名な人たちが干渉してくると      ヘ  へ いうことがままあるようである。そうした人たちから話を聞いたりデータを頂いたりすることは、もとより歓迎 すべきであるが、それらの取捨は委員会の主体性において行われなければならない。歴史書の編纂には、そうし た決意が必要なのである。

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したがって、委員会の自立性ということが重要な要素となってくる。

三 大学史における史料問題

 史料の保存状態が比較的よいのは、早稲田・慶応・同志社ではないかと思う。これらの大学の創立者は、大隈 重信・福沢諭吉・新島裏といった著名な人物であり、それとの関係で記録が残っていた。  ところが多くの私立大学では、史料問題などにほとんど目を向けていなかったわけである。学内史料について は、現状の精査のみならず、今後の保存措置が必要である。  学外史料の問題もある。明治大学の場合だと、法律学校であった関係から、憲政資料室などに関係史料がある。 また、清国・韓国の留学生が大勢いたことから、外交資料館の調査なども重要となってくる。大学内だけでなく、 そうした機関にも目を向けないと、問題の広がりがわからない。  それと、国立公文書館。ここには文部省関係の文書が保存されている。国と大学の中継機関であった東京府︵都︶ の文書は、東京都公文書館に残っている。  新聞はだいたいの見当をつけるのには便利だが、材料としては劣悪なところがある。そのため、新聞で見当を つけたら、そのニュース・ソースについて検討しなければならない。ニュース・ソースが判明しなくて、それで も新聞を利用する場合には、できるだけ冷静な記事を採り、センセーショナルなものは採らないことが無難であ

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る。  その他、校友などからの聞取りの場合は、聞く側が相当の予備知識を持っていないとほとんど意昧がなくなる。 記憶というものは、ある部分のみが鮮明で、多くの部分は不鮮明であり、時間的順序が混乱している場合すらあ る。そのため、聞取りの場合には、事実の順序についての年表のようなものをあらかじめ作成しておいて、それ に合わせてみる必要がある。  面白い史料としては、古い卒業生の日記や手紙などがある。こうしたものは、今までの大学史ではほとんど利 用されなかったようである。

四 制度の問題

 いうまでもなく、今日まで存続している私立大学は、それぞれ個別の大学であっても、国家によって定められ た制度の枠の中に当てはまらなければ、今まで存在することはできなかった。  例えば、明治三六年の専門学校令。この枠にはまらなければ、当然その学校は専門学校令による大学となれな い。大正七年の大学令の場合も、事情は同じである。この枠に入るには一定の資金が必要で、そのためどの学校 も苦労した。  こうした専門学校令だとか、大学令だとか、あるいは戦後における新制大学設置基準などの大きな枠組は、国

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家が決めたわけであるが、これらは大学からすると大きな制約力を持っており、私立大学にとっても事情は同じ である。  要するに、古い伝統を誇る私立大学であっても、単に伝統を誇るだけでは片手落ちであり、国家の制度の枠と いうものを考えなければならない。  ただし、こうした制度がらみの事柄に深入りすることはない、というのが私の考えである。

五 それぞれの私立大学の独自性

 前項は、いわば私立大学の共通性と言えるが、それぞれの大学の独自性というものをどういうふうに考えるか は、非常に難しい問題である。古い私立大学は、善し悪しを別にして、どこにも独特の気風というか、臭みとい うか、そういうものがあるようである。  これは、創立者や、創立当時の事情が、百年たった今日でも影響を残しているということなのであろう。  創立当時の事情の例では、明治大学の場合は、法律学校、つまり政治学校であり、近代的な法を武器にして政 治を運営できるような青年を育てようというのであるから、血の気の多い若者が全国から上京して来た。地方の 農家の子弟で、これから政治活動を大いにやっていきたいという人たちが、新知識を得ようと集まって来た。こ うした人たちの集団であるから、授業などに出ず、来てはワーワー論じて、また散っていく。学校というより塾

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のようなものであった。  そういう創立事情であるから、外から見ると、何となく野暮で男っぽい気風ということになる。  一方、ミッション系の語学校として出発した大学は、やはり外から見た感じがまた違うようである。  国立大学にはそういうことがないわけである。

六 教師とその講義

 いちばん難しいのは、最初にも少し触れたが、教師とその講義の問題である。  それぞれの大学に、その大学を代表するような先生がいるわけであるが、はたしてその先生が大学全体の知的 状況を代表しているのかどうかは、きわめて疑問である。  例えば、早稲田の津田左右吉は、大正から昭和にかけて、﹁古事記﹄﹃日本書紀﹄について実証的な研究をし、 神話と事実は違うということを証明し、それが昭和一五年に発行禁止の処分を受けた。それでは、津田左右吉をも って昭和一〇年代の早稲田大学全体の学問を代表させ得るかというと、多分そうはいくまい、ということがある。  この問題は、大学史編纂にあたっては、非常に深く重要な問題ではあるが、今のところよい思案が浮かばない。

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七 学生の問題

 学生は経過集団である。しかし、大学の教職員もまた、制度の中にいる経過集団である。四〇年もすれば、みん な入れ替わってしまう。少し時間が長いだけである。だから、経過集団だからといって学生を軽視することはで きない。彼らを、社会集団として大学史の中に位置づけることが必要である。  こうした社会集団としての学生をどういうふうに表現するかということは、現在のところ問題としては意識さ れているが、なかなか難しい。せめて学生生活とか、サークル組織、自治活動などは、学生騒動とは別に重視し たいというのが私の考えである。

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八 財政問題

 財政問題を抱えていることが、私立大学の大きな特徴である。国立大学にはこれがない。  私立大学では、授業料値上げ反対運動などで、ずいぶん苦労してきている。  また、財務諸表などをどのように扱っていくのかということもある。初期のものは比較的簡単であるが、これ は時を追うごとに複雑になっていく。  このように、私大における財政問題、授業料問題をどのように処理していくか、どのように大学史として表現

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していくかということも、難しい問題の一つである。

九 騒動・紛争

 最後に、騒動や紛争をどう大学史に取り入れるかである。  これは、歴史を経た私立大学共通の問題である。どんな騒動や紛争があっても、どうにか生き延びて百年を迎 えた。そうでなければ、中途でつぶれていたわけである。この騒動・紛争に耐えてきたということは、大学の体 質の強さを示しており、かえって誇るべきことなのである。だから、何もこれらについて隠すことはないという のが、私の基本的な考えである。  しかし、個人攻撃などはやはり載せるわけにはいかない。そこにはおのずと限度がある。 以上あげたように、大学史編纂には様々な難しさがあるが、編纂組織が独立性を保ち、 で進め、他の介入を許さないということ、それが最も大切だと考える。 ︵注記︶ 結局はその組織の判断 この文は、昭和六二年一月二四日午後二時から東洋大学第二会議室で行われた 第二回例会Lの講演要旨である。 ﹁東洋大学史研究会

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