田代初「話之覚」(明治十四年一月 同志社女学校に おける「奨励の覚書」)
著者 坂本 清音
雑誌名 同志社談叢
号 33
ページ 153‑199
発行年 2013‑03‑01
権利 同志社大学同志社社史資料センター
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000013419
一五三田代初「話之覚」
田代初「話之覚」 (明治十四年一月 同志社女学校における「奨励の覚書」 )
坂 本 清 音
I 明治初期の同志社女学校での学内礼拝(「奨励」)について
以下は、岸和田市教育委員会に保存されている田代初の「話之覚」の書き下し文である。ちょうど初が卒業する一年前の春学期(明治
14年 1月~
3月)の「奨励 1)
(」の時間に聞いた内容を、覚書として記録していたものである。幸運にも、明治
13~ 14い明てしと告報度年前を、割間時たて年社にかけて、同志女れ学校で実施さ治
14年 5
月に、スタークウェザーが本国に報告した文が残っている。それによると、毎週火曜(
( 1年生対象)と金曜 2年生対象)の午後
3時半から
にた「が、時の」励奨っのあで回1週とこ間学の週)、はけ期期学だこいるあら(かは、 け新島だごで学年ではまの「ザーらが交替で、火・水・木・金れ日間、4奨こそる。か励がと分たてっ行を」い A同年度の春学期には、新島だけでなく宮川経輝、加藤勇次郎、スタークウェ・J・しかし、初の覚書により、 4時まで、新島襄による「奨励」が行われていたことが記されている。
持つことになったのであろうか。 4回、教師4人で受け
一五四田代初「話之覚」ただし、当該期間の全ての「奨励」が記録されたか否かは断定できない。書き留められているのは、
だけで、各月 16回分 1回ずつ火・水・木・金と4日続けて、(
1月は
3日間だけで
18~ 20日、
2月は
22~ 25日、
3月は 1~ 4日)であり、後は主日(安息日)礼拝
計 と解することもできる。 4で調分たっあで事行的間週強あ育回教宗の種一て、っ従る。教 1641の回初り、あで回は回担分の島新ち、うの月
18日(火)と、主日礼拝
3回(
2月 20日・
3月 6日・
13日)である。後の
3人のうち、教頭の宮川経輝は一番多くて
7回、加藤勇次郎は新島と同じ
ザーは、日本語が難しかったのか、 4回、スタークウェ 1回だけである。
Ⅱ 「奨励」の内容なお、原則として冒頭に聖句の個所は記されている(間違っているのもある)が、どの回にも「奨励題」は付いていない。以下に、日付・奨励者名・聖書個所(書き間違いは訂正したもの)と、それぞれの主題を短く纏めておく。
①M
14・1・
18 (火)(新島)[マタイ伝6・
②M せると汚れた世を清らかにすることが出来る。 28性な女わ合を力で皆い。ならはのて]ぶ高る。あで遜謙は徳っ 14・1・
19 (水)(宮川)[出エジプト記3・
③M 5] 礼儀正しく、心を静めて神の声を聞かねばならぬ。
14・1・
20 (木)(宮川)[ペテロ前書2・
1~ とが大切である。 2乳に、こう慕を主らすたひう児] う慕を乳の親母がよ
一五五田代初「話之覚」 ④M 14・2・
20 (日)(新島)[マルコ伝3・
31~
⑤M 小事(例えば、学校の規則)を大切に、心を聖霊で満たし、神のみ旨に従うこと。 35エっイと。こるす強勉りかしスは、] めたるなに族親のに 14・2・
22 (火)(加藤)[コリント前書1・
⑥M 12] 学校内部の一致が大切。志を立ててくじけず勉強せよ。
14・2・
M⑦ 頑張っている。牛乳や牛肉を摂ることの大切さ。 23宮気女学生は進取の性だもあり、よく)(水が、し川畿)[聖句なし] 近のな男学生は意気(地 14・2・
24 (木)(加藤)[黙示録2・
M⑧ 心の中の墨を取り除くことは難しい。神は何でもご存じである。人の悪口を言わないように。 23 を墨志が、るけ拭にぐすはた立い?]に顔要。必がとこるてつ 14・2・
25 (金)(宮川)[使徒行伝
20・ 31/
⑨M 生徒と、どちらが皆に愛され、幸せか? 費入てしと生と、給し、生学女るす学よ占く働き、病人の世話などよくするめりろ独が、る来てっ送ろい 35受くるよりはが与える] 幸いなり。金ちで、家からい持 14・2・
27 (日)(宮川)[コリント前書
13・
⑩M 死ぬのが怖くない。勉強が難し過ぎると言って、始めから望みを失ってはならぬ。 13] 望みを失わないことが大切。信者は先に望みがあるので、
14・3・
1(火)(加藤)[ヨハネ伝ニコデモの話3・
1~
⑪M 勉強をしないと、偉い人になれぬ。 3] 魂が生まれ変わることが大切。身を修める 14 ・3書イラブヘ5、・5書2(・ーロ)[川宮)(水マ
M⑫ 望みを持っていたら、何度でもやり直せる。 11 何幸1]が、るあが)不事と・裏(と表もに幸 14ザネハヨ](しな句聖[ー)ェ・ウクータス)(木3(・3伝
21・ 川とよく咀嚼する(実行する)こが物大切。イエスは羊飼いで、今出はたくく食要。肝がとこう慕べとご 15聖魂霊によって)も強くなる。飢渇え
一五六田代初「話之覚」近辺にも羊は沢山いる。⑬M 14 ・3・4(金)(宮川)[ダニエル書1・
M⑭ 「どうしよう」と思っても遅すぎる。早くから終りの日のことを考えておかねばならぬ。死を迎える頃に、 8] 1日の事、1週間のことを、計画を立てて実行する事が大切。
14 3・6(日)(新・)[コリント前書島
13・ 3~ M⑮ 神の助けをより頼んで生きることが重要。 6なし愛がい。なは益もてをけと] いいなんどば、れこ 14・3・
13 (日)(新島)[詩篇118・
M⑯ るためには、キリストに拠らねばならぬ。 22もが信仰いでいなかつらふ心し切。] が台土たしとりかっ大 14・3・
⑰M 節倹とは、聞いたことを憶えて置くことでもある。目に見えぬ時間は、特に倹約が必要。 15)(倹り決めをした。節とう吝嗇は異なる。火取よ加熊藤)[聖句なし] 本(では奢侈をやめる 14・3・
16(水)日付のみ
以上の要約から、「奨励」では、女学校での生活面での実例を挙げながら、学習面と精神面(信仰面)の両面から、生徒たちに考えることを教えようとしていることが分かる。宮川・加藤には、目標を決めてこつこつと勉強をする大切さとか、洋食(牛肉・牛乳)の勧めとか、悪口を言わないようにとか、時間の使い方とか、寮の日常生活に即した教えが多く語られるのに対し、新島の場合は、主日礼拝が多かったこともあるが、聖書に基づく解き明かしが中心になっている。またスタークウェザーには、聖書に出てくる、羊と羊飼いの例を用いて話すのが説明しやすかったのだろうし、最後に、今出川近辺にいる子供たちにも伝道する必要を述べているのは、さすが宣教師である。
一五七田代初「話之覚」 「奨励」の中では全体的に、西洋人男女の実例が多く挙げられているのが特徴であるが、特に、2月
治が、いないて前年の明 う。前の年こら、がな念残当ろあで然にはのるず生後の同いき志は定特の」書聖た「でて校れ女学社で使用さ 到書はとたいてっ持を徒聖の自各生時、当た。い考底がえ写らが違間はでけだすいき耳書ないし、れで聞いて 新に、所箇用引の句を『名かほの註の人は、に段全下約聖書年おてし出き』(らか)書〇八一社会書聖国米八 読まれた書物なので、女学生に対する「奨励」にも相応しいと、宮川は考えたのであろうか。 説して治明した。明とを註で段下て、て当し探年4で、出た人くよ変大で、本日ま版中界世は、物書のこの名 に登場する人物の話とそっくりそのままなので、初が記録しているエピソードの内容はることと、『西国立志編』 「な宮中の」励奨ら、がししかが「)。いなれしもか川で、『といてし及言に著西と、…」本むどな』編志立読国 て異なっぶいる(もとんたいずは記表の前名か、のともと宮だの川たっかないえ考て要は自人名身、あまり重 のか、のたっか悪が音発取川宮る。いてれらげ上りに初かと名っくにりと聞は前きのて人初めて、聞く西洋っ 」「立助自名原』(編志日国西『は、に合場の川宮の論一、ら月てし中集が物人のか中)年七八一述、訳直正村2 273と日 13年 翻訳委員会による5冊本は明治。なお旧約聖書に関しては、いたためであろう) ー聖で奨のーザェウクスタが(い。高は性能可た句励無でてい用を書い訳英く、な聖』全約新は『女彼は、の書 がもこの聖書て使用されい校で学リD・中には、アメ女カン・ボードのC・員グリーンも入っていたので、の 4に新は新約聖書翻訳委員会による『月約て委翻のそり、おれ全さ版出が』書訳
21年
「明治元訳」と文体が比較的近い『文語訳聖書』から書き出した。 2月まで出版されないので、
ともかく、明治
14年の春学期に実施された計
16よ義意たいてれさ存保り、に回初代田が、めとまの励奨のは
一五八田代初「話之覚」計り知れないくらい大きい。なお、田代初の略歴および同志社女学校との関係は、本誌「初期同志社の岸和田伝道の初穂―女学校第一回卒業生、山岡登茂と田代初の場合―」 を参照されたい。
以下に、「 話之覚」 原文を紹介するにあたって、留意したことを記して置く。先ず第一に、女学生の残した覚書であるという性質上、正確な翻刻文を作成するというよりは、大意をとることを第一とした。実際に、急いで書きとめた所為か(聞いた後、改めて清書したものとは考え難い)、聞き間違い、書き間違いと思われる箇所や、明らかに書き損じ(文字の書き間違い)の個所が所々に見られた。ということから、今回の資料紹介は「書き下し文」で紹介することとし、原則として、以下の凡例に従った。
〈凡例〉①句読点は出来るだけ入れ、カタカナの助詞「ニ」「ハ」は平仮名にし、濁点、半濁点を加え、促音については小書きの「っ」に変えた。②旧かなづかいをそのままにしたために読みにくくなった個所は、ルビの形で、「振り漢字」や「振り仮名」を施した。③その場合、各頁の初出に
⑤判読に際し、訂正補筆した語はアミカケで示した。 ④判読不能な文字は□で表した 1度だけ、つけることにした。
一五九田代初「話之覚」 ⑥文中に出てくる「』」は、原資料の丁の最末尾を示している。
注
(1)スタークウェザーがボード本部に報告している「京都の女学校報告」の中の「一八八〇年度同志社女学校一日の時間割」に午後三時半―四時は、新島による“shorei”と記されている。当時から同志社女学校礼拝時の話は「奨励」と名付けられていた。
参考文献鈴木範久『聖書の日本語―翻訳の歴史』 岩波書店 二〇〇六年
〈謝辞〉田代初筆「話之覚」は岸和田市教育委員会所蔵資料であり、今回岸和田市教育委員会の許可を得て、本誌に掲載出来たことに御礼申し上げます。なお原文を書き下し文に直すに際し、同志社女子大学史料室事務室の北島博子様および滋賀短大名誉教授日比惠子様にお世話になりました。謹んで謝意を表します。
一六〇田代初「話之覚」(表紙)「明治十四年一月話之覚」』(とびら)明治十四年一月火・水・木・金曜日の朝毎に教師たちより聞きし話のおぼへ 田代はつ』(本文)
火曜日 明治十四年一月十八日 新島様のはなし馬 マ
道徳にゆりをたとへ、女は如何 うつむきへりくだるなり。今、女の 野にあるゆりは奇麗なるも□ 曹ンに告れんソロモ栄のわ華也るの極爾 なんきわみつげゑいぐわぢら されども、ゆりの花に及ばざりし。合かは如何して育へを思労ず紡がざ花百 つむかゆりにそだつつとめい 世界中の栄華を極めたり。の衣に故野何たまこやと思わづらふをの のころもおもひゆゑなに 違い。ソロモンといふ人はタビデの子にして (馬8太伝6・2六~29)五章は章の間 太伝五章二十八節 タイ
の時 ときだにも其 そのよそほひ装この花の一 ひとつに及 しかざりき
一六一田代初「話之覚」 ほど学問ができるとも、此の百合の如く、道徳の宜しきほどけんそんにあらねばならん。新島様え 叡い山より下りになる時、路をまちがへ、き 樵こりも』いかぬやうのはしに、メーフラオルがさ 咲
き、いかにもうるはしく地には 這い、 こまかき花にて、さほどうるはしからぬやうなれども、よく
く
みれば、まことにうるはしく、遂に、家におもちかへりになりたりと。又、あるひとのはなしに、い 泉づみよりすこしの水がながれ、岩の間におち、其 その水、大になり、冬になり、こ 氷ほりて大なる岩をわ 割りたりと。此 この前にい 言へる、ゆり又メーフラオルは、女の道徳にたとへられん。い 如
何 程
かほどうるはしくあるとも高ぶらず、けん メーフラオル→メイフラワー(五月に咲く花)。サンザシ、ツツジなど。
一六二田代初「話之覚」そんなり。又其 その水の如く、すこ』しのものにても、遂に大きくなり、大なる岩もわ 割りたれば、我 われども共も一人ではできずとも、此 この学校のものこぞつてはたらひたならば、此きたなき世を、きよらかにすることができます。夫 それゆえ、我共、どのやうにうるはしく道徳をそな 備ふるとも、けんそんにせねばならん。
水曜日 十九日 宮川様埃及を出る記三章古 むかしモーゼがきよき地にゆきし時、神あらわれ、此処はきよき地ゆえ、なんぢくつをはけとおほせられたり。ユダヤにては、』やはり日本のやうに、ざうりをはきたり。我共もた 立つとき、 〈出エジプト記3・5〉神 かみいひ給 たまひけるは此 ここに近 ちかよるなかれ汝 なんぢの足 あしより履 くつを脱 ぬぐべし汝 なんぢが立 たつ処 ところは聖 きよき地 ち
なればなり(聖句では、「履を脱ぐべし」となっているが、宮川は「履をはけ」と言っている)
一六三田代初「話之覚」 人の前に出 いでし時には、さ 最敬礼いけいれいを行はねばなりません。たとへば、今天し 子のまへに出づるに、はかまもつけず、は 羽織おりもき 着
づして参るなれば、だまっておるも 者のなし。必ずたつとき、れ 礼儀いぎをおこなはねばなりません。我々神の前に出る時は、なおさらさ 最敬いけい礼を行なはねばなりません。されば、いの 祈りの時には、必ず心より神のことをかんがへ、其の時ねむりたりなぞしてはなりません。宮川様、』或日、我共集 あつまりよりの帰りを見ておひ 出でになりましたが、話の事を思ふておるやうな時は、しづかにして帰り、又、何にも心になくして帰る時は、大分やかましく話
一六四田代初「話之覚」をしてか 帰 へる。宮川様は、私共の悪を見出す為に見なさったのでなく、如 いかに何して私共が帰ると思ふて、御らんになりしなり。夫 それゆえ、私共よくき 気をつけ、集りなどの時には、ずいぶんしづかにして、神の事をかんがへねばなりません。』
木曜日 廿日 宮川様彼 ペテロ得前書二章之 の一節よりおさなごの父 乳をしたふ如く、なんぢら心をやしなふ、ま 真ことの父をしたふべし。私共おさなごの時には、母にたより、其の他たよるべきものなかりし。又、おさなごがな 泣けば、其 その母もじきに乳がのみたきと (彼得前書2・1~2)是 この故 ゆゑに爾 なん曹 ぢらすべての怨 うらみ恨すべての詭 いつはり譎また偽 ぎ善 ぜん娼 ね嫉 たみおよび諸 すべての謗 そしり言を棄 すてて今生 うまれし嬰 をさ児 なごの乳 ちゝを慕 したふ如く爾曹心を養 やしなふ真 まことのちゝ乳を慕 したふべし此 これに由 よりて爾曹長 そだちて救 すくひに至 いたらん(本文中の「父」は「乳」の聞き間違い。)
一六五田代初「話之覚」 いふをよくし 知 るなり。其時だれが行くも、おさなごはなきやまざるなり。又、「かか」と□おるとき、もし犬がき』たなれば、必ず母親の所へ来り、それであんしんをして居 おるなり。
二月廿日 日曜日 新島様馬 マルコ可伝第三章の三十一節其兄弟と母と、え イエスすをたづねし時、エスは神の旨 むねにしたがふものは、我 わが母我 わが兄弟なりと。ガリラヤ地方にてありし時、カペナアームの近き処、エスの母なぞ居りし処ゆえ、弟子あり。キリストの我母我兄弟にはなれぬが、身うち共したしき近きものおり。エスの言 ことばを耳をつけてきかぬ人は、キリストの御心にかなはぬ者なり。六千年 かか→お母ちゃん
(馬可伝3・31~35)その兄 きやうだい弟と母 はゝと来 きたりて戸 そ外 とにたち人を遣 つかは
してイエスを呼 よばしむ(中略)イエス答 こたへて曰けるは我 わが母 ははわが兄 きやうだい弟は誰 たれぞや(中略)それ神 かみの旨 むねに従ふ者は是 これわが兄弟わが姉 しまい妹わが母 はゝなりカペナア―ム→カペルナウム(イエス・キリストの生涯に、またその宣教に関係の深い町の一つ。ガリラヤ湖の北西に位置する)
一六六田代初「話之覚」月はたちても、キリストほどた 尊きっとき人なし。今天し 子でも日本では一ばん』たっとくあるとも、エ イエススにくらぶれば、天と地のち 違いがひあり。さればとて、決して日本の天しをいやしめるにはあらず。我 われどもイエスにし 親したしくありたい。今て 天子んしが学校にきたり、もし一ばんよくできるものは、我もらはんといはゞ、いかゞよろこぶべきや。そうでなくとも、よくできるものには、ほ 褒美ふびをあ 与えたへんとならば、どんな事もし 忍のんで、べんきやう致しましやう。日本のてんしさへ、さあらば、エスの親兄弟とならば、如何ほどよろこぶならんや。我どもは、宮川様よりメリー・ライヲン、ハナ・モールなどのはなしをきゝ、すぐになりたいと思ふなれど、決してできず。其 その人たちは、充分』 メリー・ライオン(
1797
~1849
)アメリカで最初の女子教員養成のための学校、マウントホリオーク・セミナリーの創設者。ハナ・モール(1745
~1833
)18
~ イギリスの著名な女子教育者。19
世紀 メリカの女子教育に大きな影響を与えた。19
世紀ア一六七田代初「話之覚」 し 修行ゅぎやうして、信仰あつくして、あのやうになりしなり。メリーライヲンの学校のた 建ちしも、よ 容易うひの事にあらず。く 苦 るしみて、皆小さき事に気を付 つけ
得しゆえ、あのやうになりしなり。毎日
く
きくを□子として行 おこなはねばならん。大事に正しきものは、小事にも正しきとあり。学校のき 規則そくなぞ小さくあるとも、心に気をつけ、おこなはねばならん。汝等は世の光なりとあり。此 この石のまれなるも、はじめよりかくはなし。小さきむしが、だんく
き 築づきしなり。東洋の方にたくさんさんごじまがある。皆これなり。我々もき キり リす スと トの親ぞ 族くとならんには、小さき事もよく行はねばならん。新島様、学校へ御 おいで出る。い 祈のりして。』もし我 わがは 話 なしが此の生徒の心にか 感ん 此石→珊瑚のこと一六八田代初「話之覚」ぜぬならば、私の口をお 唖しとなして被 くだされ下と。且、どふぞ、同志社の姉妹の心を聖れ 霊いをもつてみ 満たしめて被下と。決してね 妬たみそ 嫉ねみなく、よく心にて 照らし、全く神にしたがふようにして被下、何とぞこれより神のむ 旨ねにしたがひ、キリストのし 親族んぞくとならん事を。学校のい 祈 のりに、キリスト我々の為にユダヤにくだり、か 頭うべをまくらするところもなく、ひざをおくべきところもなしと。
火曜日 二月廿二日 加藤様コリン多 ト前書第壱章よりコリンタ ト人は、我はパウロよりみちをき 聞ヽ きしゆえ、ペテロのはなしをきかずとも』よし、又、或人、我はペテロよりきヽしゆえ、 (哥 コ林 リン多 ト前書1・12)爾 なんじら曹おの
く
我はパウロ我はアポロ我 われはケパ我 われはキリストに属 ぞくすと言 いふわれ之を言 いふなり
一六九田代初「話之覚」 パウロのは、きかずともよし、なぞとてあらそいたり。人身きうりを学び、胃のふ 腑と、の 脳ふとか 関係んけいあるものなり。ゆえにか 片たっぽわるき時は、又かたっぽもわるし。パウロ其 そのあらそふ事をきゝ、此 この手紙の一章をか 書くとき、必ずなみだをこぼしてかきしならん。学校と教会ともに人があつまる。教会は一週間に二度ぐらいあつまりはなすなれども、学校にては、またしたしく毎日と 共もにありて、心もよくし 知 り、心ぱいの時には、ともにわけるなり。あなた方のうちにあるとは、い 言ふ う
わけにはあらねども、どこの学校にても、と 党うをく 組み、別になる事あり。松の木のやうなおほいなる木も、元 もと』小さきまつかさにて、いばらの中やらにそだち、見へぬやうなれども、風 人身きうり→人身窮理(江戸時代の蘭学で、生理学のこと)
一七〇田代初「話之覚」がふきても、夫 それによりて、うごかされず、だん
く
そだつ。我々もそのやうにならねばならん。古 むかしの老人ならば、い 歪がんだ小さき松をこのむなれども、我々も其 そのいがんだまつのやうならず。まっすぐにせ 成いち 長やうし、そらにそびへ、いきく
として、松のきのはじめ、く 苦労ろふを思ひし如く、我々もくろふをいとはずにそだつて、神のさかへをあらわさねばならん。我々いかにくる 苦ししみにあふも、人にいはれるも、己れのた 立てし目的をとる為に、べ 勉ん』き 強やうするは大切なり。パウロ、我 わがめあてとするかんむりを得んために、すべてものをす 捨てると。我々も此世にあるうちは、小さきかんむり、即一度たてし目的はく 挫じかず、志をたて、一七一田代初「話之覚」 松のすべてのいばらをい 厭とはざりし如く、我々も此 この世のことをすて、志をと 通ふして行なはねばならん。 水曜日 廿三日 宮川様あなた方は昨日、志をたてねばならんといふ事をおきゝなされましたが、我どもは学校にあるゆえ、かならずこゝろざしあるならん。然し、人々はどこの生徒にても、女はし 進取んしゅの気象にと 乏ぼしひといふなれど、』そふでもない。そは英学をなすにも、漢学をなすにも、これまですゝんでまいりし事をみれば、な 無いひといふ事もなひ。いつたい五畿内の人々はしんしゅのき 気性しやうがなひ。かの戦争の時にも、お 大阪さかの兵たいは一ばんよ 弱はく、に 逃げんとせしなり。 五畿内→畿内(京都に近い、山城・大和・河内・和泉・摂津の五カ国)
一七二田代初「話之覚」しかし、九州の兵たいはつ 強よかりし。同志社にての書生に、京都の人は一人もなし。北国或は九州より来りしなり。大阪地方よりま 参いりしし 書生よせいはひどい。一ばんあ 悪 しくある。西京のし 師範はん学校の書生は、きれいなる着物を着、高ぼうしなぞかむり、かざりおるなれども、三』年月とべんきやうするも、第三リードルがよめないく 位らひなり。男にても、そのやうならば、女だから其のやうだ、といふわけではない。一つのな 無きところは、人身き 窮理うりを学びても、守るのき 気性しやうがなきゆえ、人身きふりを学び、もはや食堂のたなの上にある、我、牛肉はきらい、牛乳はきらい、むぎはきらいとかいふて居る人は、肉にまけて居る 第三リードル→第三リーダー同志社女学校では明治十六年頃までモツゴッフィの第一~第五リーダーを使っていた。
一七三田代初「話之覚」 なり。我々きらいといふは、我まゝなり。宮川様も、元 もと、牛乳がおきらいなりしが、むりにのみ、今にては、牛乳はよろこんでのむ。今は、牛肉牛乳なしには、一日もた 経ちません、夫 それでも、大分からだは』よ 弱はっておるゆえ、なかったならばたちませんと。今、其 その功能の一例をあ 挙げんに、熊本より来りし書生にて、わづか一年斗 とたゝぬうち、べんきやうして、の 脳ふ病にかゝり、其人は牛肉も牛乳も大きらいなりしが、入院し、「あなた、牛肉をたべねばみ 見込 こみなし」といはれ、夫より、むりにたべ、すきになり、もはや同志社にて毎日なく、自分で買ふて、に 煮 て、たべるやうになった。じやうぶにて、べんきやうしておひ 出でなさる。さらば、あなたがたは、またし しようやうふと
一七四田代初「話之覚」おはなしなされましやうが、』まだ夫 それだけのべんきやうをなされません。今からた 倒おれしならば、ど どうもむならん。むぎをたべねば、の 脳ふはつよくならん。西洋の人々は、皆むぎをたべるゆえ、いろ
く
は 発明つめいする人が多くあるなり。木曜日 廿四日 加藤様黙示録二章二十三節加藤様、ある人よりもらいなされし詩あり。もくしろくの二章の二十三節には、我共はむ 向うこふにく 朽ちざるたからをたくわへてある。私どもは、学校におるうちは、第一リードルにある如く、心のざ 雑草っさうをひ 引きぬ 抜く処なり。センチユリプラントといふ木は、千年に一ど 度
ほどさ 咲 くなり。此詩に、神は私共に』被 くだされ下しものは、小さき地面ほどなり。夫小 (約 ヨハネ翰黙 もくし示録2・23)聖句該当箇所なしセンチュリプラント(植)アオノリュウゼツラン。メキシコ原産のリュウゼツラン科の多年草。誤って、百年に一度、花を開くとされた。
一七五田代初「話之覚」 さくとも、其のざっさふをぬき、きれいな花をさかせ、梅の花のや 闇夜みよにも、に 匂うほふよき花をさかせゆくなれば、大なるものとなるなり。我々に大切なり。此 この間、志をたつる事をおはなし申し、又しやのう□の文をよみし。志をたつる事、要用なり。もし志をたてねば、人にてい 生 きるも、其 その
か 甲斐ひなし。我々、学校にて、学問するとか、算術するとかいふ事は、毎日するゆえ自然に出来る。しかし、心のべんきやうはむづかしくある。なれど、夫 それをおこなわねばならん。こゝに二つの舟あり。一つのふねにはおもりあり。一つの舟には何もなし。ゆえに、行く事能はず。』一つの舟は、どこなら
く
といふて、ゆく事は出来る。蒸気きかんは志をたて、すでに行く処なり。夫はなければならん。然し、こうしてあつまつて 要用→肝要一七六田代初「話之覚」居る内、誰がこゝろざし立ておるかわからん。然し、神はよくよく御ぞんじなり。私にはし 知 らぬといふものゝ、多少わかるものなり。皆か 顔ほのち 違がふやうに、心もちがふ。又うれしひ時には、かほにあらわれ、い 怒 かる時もかなしむ時も皆あらわる。互ひに心に気をつけ、もし口に悪をいふくせがあるならば、それをか 刈りつ 尽くさねばならん。蒸気をはたらかしてゆかねばならん。私共はみづから、かほに』す 墨みがついておるならば、夫を人よりき 気付 づけられ、みにくきゆえ、すぐにふくならん。然し、夫より大切なる心のすみのつきたるは、自分にもよくしり、又人よりきづけられても、ふきとることむづかしひ。されど、とらねばならん。もし悪をいふくせあらば、そのざ 雑っ
一七七田代初「話之覚」 そ 草ふをぬきとり、何事も心のざっそふをぬきとり、充分に、こゝろざしをたて、まっすぐに、お 行なうこのふにてゆかねばならん。 金曜日 廿五日 宮川様使徒行 ぎょうでん伝廿章パウロわかれる時、わが三年の間、よるひるなみだをこぼして、はたらきし事をおもへ、又て 手ず づから』はたらき、な 難儀んぎなものをたすけしごとく、なんぢらも、てづからはたらき、なんぎなものをたすけといへり。神のことばにも、う 受 くよりあ 与たうる方がさいわいなりとあり。今こゝに、二人のむすめがありて、一人は、まことにうちはか 金持ねもちで、学校に入り、なに不自由なく、ものをおくられ、着物も充分にあり、け 結構っこうにくらす。然し、うちより (使徒行伝20・31)是 この故 ゆゑに爾曹儆 こゝろ醒せよ我 わが三年のあひだ夜 よるも昼 ひるも断 たえず涙 なみだを流 ながして各人を勧 すゝめめしことを憶 おもふべし(20・35)われ爾曹も如 かく此勤 つとめ労て、柔 よわきもの弱者を扶 たすけ且 かつ
主イエスの曰 いひ給 たまへる受 うくるよりも与 あたふるは福 さいはひ
なりとの言 ことばを心に記 とむべきを凡 すべての事に於 おいて示 しめせる也
一七八田代初「話之覚」ものがきても、すこしも人に見せず、あたへず。自分一人にてたべ、又つ 使うかふ。一人の人は、きぬの着物などはき 着ねども、木もんのさっぱりしたきものをきて、べんきやうもひ 人並み外れとなみはづれてでき、そうして学校のせ 世話はにては 入いり、このむすめは、常々どうゆふ事をかんがへておるかとおもへば、おぢヽさんはまだみ 道ちをし 信んぜぬ。もはやおわりも』ちかく、なんどきの事わからずとて、手紙をかく時には、少しつ ずつゞ道の事をかき、又、父母は今どうしていなさるだろう。おぢヽ様はしんじなさらず。さだめて、しんぱいしておりなさるだろふ。又、いもうとは、学校へもゆく事できず、必ずうちでつ 使かわれておるだろふとおもひ、其 その間には、又ごはんたきなぞあたった時には、ひとよりはたらき、水を おぢヽさん→お祖父さん
一七九田代初「話之覚」 くみたりし。ひとの病気の時には、かねもちの人は、何かあげる事はできるなれども、私は其事はできぬゆえ、私のできるだけは、せ 世話わを致しましやうとあれば、私共はどちらをす 好ききましやうか。一人のむすめは、う 受くるより』あ 与うとふがさいわいなり、といふ事をわすれたり。夫 それゆえ、かへってそ 損んにて、だれもきらふやうになる。又、一人は、うくるよりあとふるほうがさいわい、といふ事をしり、ものはあたへぬなれども、自ぶんのできるだけ、たすけしゆえ、ひ 人とにはあ 愛いせられ、さいわいになる。私共は、いつもうくるよりあとふるほうがさいわい、といふ事をわすれずせねばならん、其 その事は、一寸にいふ事はできません。
一八〇田代初「話之覚」 廿七日安息日 宮川様コリンタ ト前書十三章十節今より前、近頃其 その人の名わからず。或日たくさんなる人がふねにの 乗りてありしが、』かぜがおこり、ひろく西も東もわからず、舟はこわれかゝって、とうとう舟こわれ、たくさんなる人は海にはまり、どちらへい 行っても、あまりひ 広ろくて、ゆ 行 く事出来ず、こまりはて、ひどくお 泳
よぎたれどもしかたなく、のぞみをう 失いしなひし。はや皆つ 疲かれ、し 沈づまんとしたる時に、二人のうたの上手なる人も、其 その内にあり。く 苦るしみしなれども、其人ふ 夫婦うふにて、のぞみをうしなわず、よろしきこ 声えにて「われたるいわや」といふう 歌 歌いたをうたひたれば、又し 沈づみかけたる人も、あたまをあげ、す 少しこしくのぞみをいた (哥林多前書13・13)十節は十三節の間違い。それ信 しん仰 かうと望 のぞみと愛 あいと此 この三 みつの者 ものは常 つねに在 あるなり(後略)
一八一田代初「話之覚」 して、其のこえをきゝいたり。時にさ 幸い』わいなるかな、むこうより壱 ひとつの舟がまいり、夫 それによってたくさんの人がすくわれたりと。実に、うたも大切なるものなり。望が大切といふをは 話なす。パウロ夫し 信仰んこうとのぞみと愛と、此三つの者常々あるなり。此 この内ののぞみの事なり。わが人々にき 聞 くに、信者であらざる人は、先にのぞみがないから、死する事は一ばんお 恐そるゝといふ。然し、信者は先にのぞみあるゆえ、おそれぬ。若 も
しも、人があ 明日死 すしぬといふ事がわかったならば、だれもはたらかぬ。今より紀元一千八百年前、天主教の僧侶せ 聖い書をひき、一千年に、ほ 滅ろびが来るといひ出したり。夫ゆえ、九百九十八年・九年のころになり、だれもはたらかぬやうになりたり。すでに一千年た』ちたるも、ほ 滅ろびこ 来 ずあまり人民
一八二田代初「話之覚」ほろびが来ると思ひ、はたらかず。食のみしたるゆえ、き 飢饉ゝんがおこり、病にかゝるもの多く、皆それで又、のぞ 望みをうしないたり。今に至るまでほろびは来 きたらざるなり。私共の勉強も余りむ 難しいつかしひ、とてもあすのべんきやうが出来ぬとみなし、のぞみをうしなふ事もあるならん。然し、できるだけの事をしたならば、必ず出来、且、のぞみをもってしたならば、できるならん。むかしフランスの人にて、ヒークニーといふ人あり。フランスのせとものはき 汚ないたなひゆえ、其 その人白くせんとて、火をた 焚きはじめたれども、どうしても白くならず、もはやたく』ものはなくなり、家はだん
く
まづしくなり、ついに夫 それをもいとはず、い 椅子すなども、や 焼きたり。家内と子供はこ 困まりおれども、 ヒ―クニ―→ベルナ―ド・パリッシイのこと。『西国立志編』第三編(二)に登場する陶工。フランスの磁器が栗色だったのを残念に思い、白色になるまで家の傍に作った窯で焼いた。薪がなくなった時には、家の椅子を火中にくべたりしたので、狂人扱いされたが、最後には成功した。陶器製造に従事して一八年、始めて自分を陶工と称し、器を商品として売ることができた。(この日と三月二日の奨励で、宮川は『西国立志編』から、数人の例を引用している。)
一八三田代初「話之覚」 其人はひとりたきたり。やはりのぞみをもつて、必ずできると思ひしゆえ、大切なるものをも、す 捨てゝなしたるなり。家のものな 何にもな 無くなりし時、幸なるかな、あ 明けのあ 朝さ、りっぱにできしなり。ニートン、ケプロルなども、のぞみをもって何事もなしたり。ニートンの引力を発明せしも、容易にあらず。十七年間かんがへ、ついに見出せしなり。ケプロルも同じく、十七年間かんがへ、天文の理を発明せしなり。 天路歴の』
火曜日 廿九日 加藤様ヨハネ伝ニコデモのはなしエ イエススまことに
く
に汝につげん。人もしあ 新らたにうまれずば、神の国を見る事能はじといふ事あり。先日より、志をたてねばならんとい ニ―トン→アイザック・ニュートン(
1642
~1727
)英の哲学者・数学者・物理学者・天文学者。万有引力の発見者。(『西国立志編』第四編三)ニュートンが物体の運動および万有引力の基礎法則を二大支柱とする理論力学を建設したのは、着想以来はじ能こと見の国を あたみる も誠に実に爾に告人んし生神ば、新ずに なんぢうまれまことあらたつげまこと イ云る人あり(中略)エるス答はて曰け いへこたへ パダヤ人の宰ユてにリイのニコデモとサ つかさ (約翰伝3・1~3) い) 九違間の日一月三日曜火は日廿日曜火( の事か。 バ路歴→ジョン・天ニン『天路歴程』ヤ 力の法則の根拠となっている。 三法ケのープは則ンニュートの万有引ラ 3法則の発見者(『西国立志編』。第四編三)
1630
のの動)ドイツ~天学者。惑星運文1571
ハプロル→ヨプンネス・ケラー(ケ あった。20
でとこの後年一八四田代初「話之覚」ふ事をきゝましたが、此の生まれかわるは、たましひの事なり。此の事は実に大切なり。
大学者なりしが、父はおちぶれて百性になりて居りしが、此 この人十一才の時より大学を読みしと。其 そのころは、天し 子よりし 庶よ人に至るまで、身をもつて之とするといふ事をせねばならん。此ことにか 感んじて、コ 孔子ーシの如き聖人もこれ』にてせ 聖い人になりしならん。人も人我も人なりと。故に是にき 気をつ 付け、ひどくべんきやうせしが、不幸にも、父は死せし。其時、伊豫にいたりたりしが、其国の風俗はゲ 撃剣ッケンなどするやうあ 荒らき風俗にて、其中にべんきやうするものあらざりし。故に日 ひるぢう中にべんきやうする能はず。終夜べんきやうしたり。しまいに学者になり、後、近江の国にきたりしが、其のき 近辺んぺんの人、其人の行を見てたゞしくなり、親切 しょ人→庶人(庶民のこと)
コーシ→孔子(
551
~479BC
)中国、儒教の創始者。孔子の思想や事跡を知る根本材料としては『論語』が第一。日中(ひるぢう)のルビは原文のママ。
一八五田代初「話之覚」 なる見て皆トウジユ先生といふ。故に、多くので 弟子しもありたり。此人のかくなりしも、全く身をおさむるを以て、之とせしをもってなり。人は皆、身をおさむるをもって之とせねば、よきえらい人となる事そまぬ。人よりすゝめられてなりはならぬ。ながれていって、い 岩はにあたるでなくば、いけぬ』 水曜日 三月二日 宮川様ローマ書五章之 の五節望ははぢを来らせず。ヘブライ書十一章の一節一年の中には、天気のよいときもわるい日もある。しかるに、どちらが多 おおいかといふに、よい方が沢山なり。何にしても、おもてとうらとある。本にても、うらもありおもてもある。 トウジュ先生→中江藤樹(
1608
~1648
)のこと。江戸時代初期の儒学者、日本における陽明学派の始祖。「近江聖人」と称せられる。(羅馬伝5・5)希望は羞 はぢを来 きたらせざるを知 しる(希伯来書11・1)それ信 しんかう仰は望 のぞむ所を疑はず未 いまだ見 みざる所を慿 まこと拠とするもの也
一八六田代初「話之覚」はれてよし、くもりてよし。冨士の山といふ事何にもない。何にもひなたの方が多し、世の中にふ 不幸さいわいの人も多くある。しかし、そふすると、神之 の恵はゆきと 届ゝかぬやうなれども、神のめぐみの事をかんがへば、めぐみの方が多くある。我々、東京とか大坂とか見物に』行くと、うらやの方を第一にゆくをこ 好のまず。にぎやかなまち、大坂ならば、しん 心斎橋さいばしす 筋じとかの、大道を行 いく
ならん。我々も大道を行かねばならぬ。おもてはのぞみ、うらは失ぼ 望うなり。ケパリーといふ人はい 印度んどにゆき、道をひろめ、十六ケ国にせ 聖い書をや 訳くせし人なり。此 この人、或時、御ち 馳走そふによばれしが、其のゆ 行きし時、わきにおりし人、ケパリーをあざけりいひ、はづかしめんとてい 言
ひけるは、此人はくつしの子ならんやと ケパリ―→伝道師カレーのこと。伝法教士加礼は靴工の子であったが、志を立ててインドに行き、学院と一六カ所の説法場を建て,一六種の方言を以て経典を訳出した(『西国立志編』第四編十)。ヨング→理学者ヤングのこと。ヤングが初めて馬に乗った時、同伴者が高い柵を飛び越えたので、自分も試みて落ちた。一語も言わないで挑戦し、三度目に成功した。
「
他人の為し得ることは自分も必ずする」
と言っていたことの実行だった(『西国立志編』第四編十一)。一八七田代初「話之覚」 いひしに、此人、くつなおしの子なりといひたり。されば、其 その人、却 かえってはぢをうけたり。此人、五六人ので 弟子しをおきたり。やはり彼ものぞみをもちしおり。ヨング、ある時友だちと馬にのりて行きし時、馬よりおちたり。しかし、く 屈っせず。』二三度とびかゝり、とう
く
の 乗りたり。のぞみありしゆえなり。トマス・キヤリボルは、本をこしらへ、よそへか 貸してか 返へしてもらい、つくへの上にのせておきしを、下女がほ 反故うぐと思ひ、もやしてしまいたり。或時、本や 屋し 出版つぱんせんとてまいりしが、見へぬが、かくありたり。しかし、い 怒からず。又、べんきやうしてか 書きたり。やはりのぞみありしゆえなり。ボーツリニー、は 博く物が 学く者でありしが、多くの間、山にゆきて鳥をとらへ、はこに入れよそへゆくに付、しんるいへあづけしが、 トマス・キャリボル→カアライルのこと。彼の『佛国革命』第一巻の原稿の話。この原稿を近くに住む文士に貸していたところ、何かの間違いにより、原稿は客間の床上に置かれたまま数週間が過ぎた。カアライルは印刷者より原稿の督促を受け返却を求めた。その結果、下碑が反古紙と思い焚きつけに使ったと分かった。仕方がないので、再びその書を作ったが、それは彼の意志堅固の一例である(『西国立志編』第四編十三)。ボーツリニ―→米国の鳥類学者オージュボンの話。鳥類の図画を一千枚近く描いて木製の箱に収め、家族に託して数カ月旅に出た。帰宅して箱を開くと、ネズミ夫婦が箱全部を占拠し紙を噛み破って子供を育てていた。もう一度森林に出かけ、三年をかけて前よりも優れた図画を描き得たのは、彼の堅忍と熱心の賜物だった(『西国立志編』第四編十二)。
一八八田代初「話之覚」其 その内に、ねづみがはいりは 羽ねをくいたり。然し、又、二度、山にゆき、あつめしなり。ミスカリトリーといふ人は、父が、おまへのような人はべんきやうはできないから、よせといわれしが、イギリス第一ばんの』学者となりし。西国立志ヘ 編ンなどよむと、ぐ 愚人じんがよくなりし人、多くあり。ある学者い 言うふ、才子とぐじんの間は、わづかのちがひなりと。我々、けいこにもかげひなたあり。学校におる内、けいこがむ 難しいつかしひと、もうできぬとて、のぞみを失ふ。しかし、や 易いすいときには、できる見こみあるゆえに、は 励みげみする也。むつかしひ時には、うんどうする時は心配して居りしなり。のぞみは、は 恥ぢを来らせずとあれば、のぞんで充分する時は、はじかく事あるまい。 ミスカリトリー→不詳
一八九田代初「話之覚」 木曜日 三月三日 スタクウエーゾル氏イエス、ペテロにいひけるは、ヨナの子シモンもし汝、われをあいするならば、我 わが羊をかへ。日本にては、羊をあまりか 飼ひませんが、此 このユダヤにては、羊をかふ事は、つ 通例うれいなり。』母は此や 優しいさしひけ 獣ものを愛し、か 飼いひたいと思ひ、父にねがひ、いちばんよい食物をたべさそうと思ひました、アメリカにても、羊をかふなり。此 ここに今、は 話なさんとするは、に 肉体くたいでなく、た 魂ましひの食物なり。夫 それは、御せ 聖霊いれいと神之 のまことなり。御せいれいによりて、たましいもつ 強
よくなる。もし一ばんよい食物を羊にたべさしましても、し 自分ぶんでよく
く
かみ、たべませんならば、何もや 役くにた 立ちません。我々は、幸 さいわい毎日かつ安息日毎によいはなしをききますが、夫 それをしぶんでよくく
せ 精いをだして、はたらかせま (約翰伝21・15)偖 さてかれら食 しょくして後 のちイエスシモンペテロに曰 いひけるはヨナの子 こシモンよ爾 なんぢこれらの者 ものに過 まさりて我 われを愛 あいするや彼 かれいひけるは主よ然 しかりわが爾 なんぢを愛することは爾知 しれりイエス彼に曰 いひけるは我 わがこひつじ羔を牧 かへ一九〇田代初「話之覚」せねば、何もや 役くにたちません。かへつて、心がせまくなりましやう。夫ゆえ、毎日き 聞 くところを、かんで食べねば、む 無益えきに』なります。羊、すこしづゝたべますれば、大 おおいにためになります。どれほど御ちそうありても、皆、一ときにたべる事できず。夫より、すこしづゝよい者 物をたべるほうよし。父のい 言うふ、よ 余計けたべさしてはなりません。少しづゝたべさしてよろし。かわいがって、たくさんたべさしてはなりません。其 そのひつじ、ひもじなければ、たべません。ひもじければ、したひます。我ども、なるたけかんでたべねばなりません。我々も、う 飢え渇 へかわく如く、た 正ゞしきをし 慕いたひませねば、せっかく、きゝますおしへが、むえきになりましやう。どうしても、うへかわく如く、ぎ 義をしたふ事はすくなく御座ります。ゆえに、おたがいに、まことをしたいたいと思
一九一田代初「話之覚」 ひます。羊の一つのむれ、一つの羊か 飼いひとなるべし。お 狼ほかみのなかにあるひつじをわするゝ事できません。みちを』と 説 く人は、みな、おほかみのなかにおります。夫ゆえ、我ども充分イエスにしたがひ、女にてもはたらかねばなりません。来 きてみれば、今出川のところにも、我 わが子とみゆる小供がたくさんおります。それらの子供をわするる事出きません。私どもやくにたゝぬと思ひましたなれども、神はいのりをきゝたまへば、必ずできるなり。おとこもをんなも皆、みちびかねばなりません。イエスは愛する我か 飼う者ふものなり。 金曜日 四日 宮川氏ダニエル一章八節ダニエルは其 その心に心と口にて王の食物に酒を (ダニエル書1・8)然 しかるにダニエルは王 わう
の用 もちいる饌 くひものと王 わうの飲 のむ酒 さけとをもて己 おのれの身 み
を汚 けがすまじと心 こころに思 おもひさだめたれば己 おのれの身 みを汚 けがさゞらしめんことを寺 じ人 じんの長 かしらに求 もと
む
一九二田代初「話之覚」もって其心をみたさゞりき。此 この女学校にて「アヽコワ」といふ言 ことばは、先年四月ころより始まりしが、今はすこしや 止みし。』其のかわり、「どふしようかしらん」といふ言がある。夫 それは、しっかりして居る時は、そのやうな事はいわぬ。其 その言は、本心がいはせるなり。其を口にいたさず、心におも 思うふていたいもの。ダニエル王の食物は、大そ 層ふおごり居りしが、心におもひ、酒やなにかをた 食べんとけ 決定つじやうしたり。私共は、どふしやふかといわず、朝お 起き、か 顔ほをあらいに行 行くま 前へ、今日一日の事をかんがへ、又一週間の事は月曜日にかんがへおかねばならん。も一歩進んで、我 われども共の命は、もさきは五十年ほどのものなり。故に、と 年取しとりてから、どふしやうといふても、ま 間にあわぬ。わかき時より考へて 「アヽコワ」→「ああ怖わ」
一九三田代初「話之覚」 おかねばならん。充分今べんきやうしておかねばならん。又、大切なる』事は、我々此 この命を終り、もし此 この聖書がまことならば、我々のよみがへる事もまことなり。我々は命の終りし後は、二つの道あり。一は天国、一はく 苦るしみ。もし、よ 用意ういせず、其の時くるしみに至りて、どふしよう、しやうしらんと思ひ、い 言うふてもま 間にあわぬ。其 その時外人たすけたいとおもひても、たすけられぬ。ヨハネ三章にも、あらたに生れずば天国に入る事出来ぬ。我々キリストに、どふしようかしらんといふ言をい 言はゞ、キリストは、おしへたまふなり。我々くるしみに至る時、モーセやアブラハムが来てす 救くひ いたいたひと思ふても、しかたなし。エ イエスス・キリストと聖霊の導きによりて、だん
く
幸に、どふしようかしらんといふ言 ことばはなくなり、どうぞして終 モーセ→イスラエルの宗教的・民族的英雄。イスラエル民族を率いて出エジプトを果たした。アブラハム→イスラエル民族の始祖で、彼らの信仰の父と仰がれる人。どうぞして→どうにかして一九四田代初「話之覚」りの時の事を思ふやうに、し ママたきしたきものなり。』
日曜日 三月六日 新島氏コリンタ ト前書十三章一節より幾たびよ 読んでも、こうゆふところはお 面もし 白いろひ。私共ポウロの言 ことばをき 聞ゝで止まるならば、、エ イエスス教信者でなし。ひ 貧窮んきうな人をたすけ、又モーアインの如きところに金をい 出だしたりする。若し、あ 愛いなくしてなさば、益なし。私ども此 この本にある如く、人が学問でもあらばね 妬たみ、よき衣なぞあらばねたみ、又、人より才でもあらば高ぶるなり。又、己れがわ 悪るくお 怒こるして、人よりいわれるところあるものらは、やはり愛なきゆえなり。人のよき事は、い 言うふ事をいやがる。然し、わるい事はよろ (哥林多前書13・3~6)假 たとひ令われ我 わがすべての所 もちもの有を施 ほどこし又焚 やかるゝ為に我 わが身 からだを予 あたふるとも若 もし愛 あいなくば我 われに益 えきなし愛 あいは寛 しのぶこと容をなし又人の益を図 はかるなり愛 あいは妒 ねたまず誇 ほこらず驕 たか傲 ぶらず非 ひ礼 れいを行 おこなはず己の利 りを求 もとめず軽 かる々しく怒 いからず人の悪 あしきを念 おもはず不 ふ
義 ぎを喜 よろこばず真 まこと理を喜び
モ―アイン→盲啞院(明治
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年5月した) 都業開が」院啞盲京の「初最本日に都京
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日、一九五田代初「話之覚」 こんでいふ。ふ 不義ぎをよろこぶ。、町人なぞ、あきないするにうそつき』てよ 喜ろこぶなり。而して、金も 儲けふけする。これ、愛なきゆえなり。私は、或る時しんぶんを読み、か 感んじました。御ぞんじの通り、エ イエススは信か 仰うのあ 篤いつひ人なり。ねる時、おくさんに「私は今日、人のあ 悪しき事をいひしか」とたづねし。是は、愛のけ 結果つくわよりい 出づるなり。私共、人の心にさ 障ら わらぬよふにしてゆくには、やはり愛がなくはいけない。これは神のたすけによらずばいけません。私共は、坂をま 丸るきものがのぼるごとく、ころばるなり。ゆえに、何かたすけはなくばいけぬ。即、神の助をよりたのみゆくならば、たのむ事が出来るなり。』