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京 都 府 立 山 城 郷 土 資 料 館 寄 託 「 七 種 連 歌 」 資 料 に つ い て

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(1)

三七 京都府立山城郷土資料館寄託﹁七種連歌﹂資料について︵綿抜︶ 綿 抜 豊 昭 京都府立山城郷土資料館寄託﹁七種連歌﹂資料について

は じ め に

  京都府立山城郷土資料館︵ふるさとミュージアム山城︶に︑仙台藩伊達家に仕えていた猪苗代家の文書が寄託され

ている ︵以下︑ 便宜上 ﹁猪苗代家文書﹂ と称する︶ ︒内容は︑ ①和歌 ・ 連歌作品︑ ②古今伝 受など伝受関連の文書︑ ③ その他の三つに大別される︒猪苗代家︑仙台藩の文事を知るうえで貴重な資料である︒

  本稿では︑仙台藩で年頭に行われる七種連歌会を中心に︑和歌・連歌作品に関係するものについて紹介したい︒な

お資料の翻刻にあたっては︑旧字体などは通用のものにあらため︑改行は﹁/﹂で示す︒

  仙台藩士としての猪苗代家当主の重要な仕事の一つは︑毎年一月七日に行われる七種連歌会の運営であった︒石井

(2)

三八

家と交互に︑ほぼ二年ずつ担当した︒七種連歌会は年頭行事として恙なく行われるために︑前年十二月下旬に藩主に

発句を賜り︑内会が行われるなどした

1

  連歌会当日以前 に 発 句を詠んでおくことは ︑ すでに宗 碩 ︵一四七四 〜 一五三三︶ の 時代 に 行われていたようである ︒

﹃宗養より聞書﹄

2

に以下のごとくある︒

  只今京都には宗碩以来︑五日三日以前より発句等申沙汰して︑一順の人数をしるして文箱に入て︑次々へをく

り侍る也︑然間好士の宿へ持参して談合せし也︒ことさら初心遅口の人は俄案じ出す事かなひがたきゆへに︑ま

へ座に其沙汰あり︑

  この場 合 ︑ 連 歌において参 加 者がまず一 句ずつ詠む一 順で ︑ 初 心 者や詠むのが遅い人がいると ︑ 進 行が遅れるので ︑

三日から五日以前に発句を詠んで︑ 参加者 に次々にまわして︑ 最 後に好士のもとで ︱ おそらく指 合などないかを ︱ 談

合するというのである︒一順で一句詠めば︑極端な場合︑残りで一句も詠まなくても︑その連歌に参加したことにな

る︑ということである︒

  こうした﹁前座の沙汰﹂を仙台藩の七種連歌会でも取り入れていた︒七種連歌会は︑一月七日が式日で︑発句は藩

主︑脇句は竜宝寺の住持︑第三句は次の藩主になる予定者が︑原則詠むことになっていた︒その立場︵役職︶の者が

詠むのである︒したがって︑たとえば句を詠むことができないほど幼少であっても︑代作がなされ︑記録上は本人が

詠んだことにしている︒

  前述のように︑藩主の発句は︑前年の十二月下旬に︑七種連歌会担当の連歌師に下される︒これまで︑藩主の発句

がどのような形式で連歌師に渡されたかは知られていなかったが︑猪苗代家文書には︑それにあたるものと考えられ

る文書が所蔵されている︒以下︑各藩主別にそれにあたるものをあげる︒

  四代藩主伊達綱村︵生没一六五九〜一七一九・治世一六六○〜一七○三︶の発句懐紙は次の四点である︒

(3)

三九 京都府立山城郷土資料館寄託﹁七種連歌﹂資料について︵綿抜︶ ①         心   此春や君か千とせの初若菜   此春は千代の初の根芹哉 ②         綱村   千世もつめ春たつ野への/はつ若菜   春たつやけふつみそむる/千世なつな ③         栗   つめやたゝ百年千とせ/せりなつな ④         綱村   今年また豊としを/つむ若菜哉

①の ﹁心﹂ ︑ ③の ﹁栗﹂ は綱村の一字名である ︒ ①と②は二句づつ記されているが ︑ ①の ﹁此春や﹂ の句は延宝七年

︵一六七九︶ ︑②の﹁千世も﹂の句は元禄十四年︵一七○一︶の七種連歌の発句である︒

  五代藩主伊達吉村︵生没一六八○〜一七五一・治世一七○三〜四三︶の発句懐紙は次の七点である︒ ①  七種発句     吉村

  七種に摘てかさねむやちよ哉 ②         吉村

  道は世にたえぬ雪まや摘/若菜

  包紙﹁御発句﹂ ③  七種       吉村

  つみそへむ年のはしるき/若菜哉 ④  七種発句     吉村

(4)

四〇   打むれて野へに日を摘/わかなかな ⑤  七種発句     吉村

  つむとしをかさねむ宿の/若菜かな   包紙﹁七種発句﹂ ⑥  発句       吉村   摘野へもまたわかなくの/雪間哉 ⑦  発句       吉村   もゝとせのなかは摘しる/わかな哉   六代藩主伊達宗村︵生没一七一八〜五六・治世一七四三〜五六︶の発句懐紙は次の一点である︒ ①  七種       宗村   ことしより位幾春/つむわかな   包紙﹁発句﹂

  七代藩主伊達重村︵生没一七四二〜九○・治世一七五六〜九○︶の発句懐紙は次の三点である︒ ①  七種       重村

  沢のものと思はぬ今日の/根芹哉

  包紙﹁發句﹂ ②  七種       重村

  ひきいれて袖にはへあれ/若根芹

  包紙﹁発句﹂ ③  七種       重村

  七くさや六くさにそへし/歌の種

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四一 京都府立山城郷土資料館寄託﹁七種連歌﹂資料について︵綿抜︶   包紙﹁発句﹂貼紙﹁重村朝臣   発﹂

  八代藩主伊達斉村︵生没一七七四〜九六・治世一七九○〜九六︶の発句懐紙は次の二点である︒ ①  七種       斉村   幾千代も嬉しきことを/つむ菜哉 ②  七種       斉村   万代もなつさはれぬる/なつな哉   包紙貼紙﹁斉村朝臣   発句﹂

  九代藩主伊達政千代丸 ︵周宗︶ ︵生没 一 七九六〜 一 八 一 二 ・ 治 世 一 七九六〜 一 八 一 二 ︶ の 発句懐紙 は 次 の 五 点 で あ る ︒ ①  七種       政千代丸   千々の春万代をつむ/若菜かな ②  七種       政千代丸   つむ年のかねてそ見ゆる/千代菜草 ③  七種       政千代丸   千々の春の下草につむ/若菜かな ④  七種       政千代丸   岩の上の松にたとへよ/初若菜 ⑤  七種       政千代丸   ねもころにつむ年々の/根芹かな

④は寛政十年︵一七九八︶の七種連歌の発句で︑ ﹃仙台市史   資料編

9

﹄︵二○○八年︶に百韻の翻刻が載る︒

  十代藩主伊達斉宗︵生没一七九六〜一八一九・治世一八一二〜一九︶の発句懐紙は次の一点である︒ ①         斉宗

(6)

四二   摘てこそ国の春しる/若菜かな

①は文化十年︵一八一三︶の七種連歌の発句で︑ ﹃仙台市史   資料編

9

﹄︵二○○八年︶に百韻の翻刻が載る︒

十三代藩主伊達慶邦︵生没一八二五〜七四・治世一八四一〜六八︶の発句懐紙は次の三点である︒ ①  七種       慶邦   つむたもと/岩ほをなつる/薺かな ②  七種       慶邦   神のしる/御国ゆたかに/つむな哉 ③  七種       慶邦   千とせ添へ/わかな二葉の/松の色

  以上のように︑ ﹁猪苗代家文書﹂には︑綱村以前の藩主の七種連歌の発句懐紙はない︒

  綱村の代のとき︑猪苗代家の当主は兼寿である︒兼寿に関しては︑ ﹁猪苗代家文書﹂に次の文書がある︒

春とゝもにたちかへり/くる関のなのかすめる/ほとをまつにひさしき/

餞別に送し候   かしく   廿六日    ︵花押︶

     法眼兼寿老

花押から推して︑綱村が兼寿に送ったものと考えられる︒猪苗代家の当主は︑原則︑七種連歌の役目のために年末に

(7)

四三 京都府立山城郷土資料館寄託﹁七種連歌﹂資料について︵綿抜︶ 江戸・仙台に下り︑それが終わると上京する︒兼寿が上京するにあたって︑わざわざ餞別の詠歌を送るのは︑綱村が 兼 寿に好 意 的であったと推 測してまちがいなかろ う︒兼寿 が ﹁法眼﹂ に 任じられたのは 延宝七年 ︵一六七九︶ ︑ 没 し た

のは元禄七年︵一六九四︶である︒

  兼郁に関しては﹁猪苗代家文書﹂に次の文書がある︒

   法橋兼郁古今集/伝受のためとて/みやこにのほりはへる/よろこひに/綱村

この花や/にほひつたへむ/時津風

兼郁が近衛基煕より古今伝受を受ける宝永五年︵一七○八︶のおりのものである︒兼郁は︑本来猪苗代家当主であっ

た 兼柳 が︑ 元禄十一年 ︵一六九八︶ に 出 奔したため ︑ 当 主となった人である ︒﹁猪苗代家文書﹂ に ﹁浅布様御真筆﹂ ︵包

紙︶とある次の文書がある︒

        兼郁

哥道之御用にも立其上/常之精出御奉公仕候間/兼寿知行先達/兼柳ニ被下候内成也被下/被返下候

﹁浅布様﹂ は綱 村のことで︑ 兼 柳 に 与えた知行を兼 郁 に 与える︑ といった内容であ る︒こうした事 件を経ながらも︑ 古

今伝受を受けるまでに至ったことを︑喜んだものと思われる︒なお﹁猪苗代家文書﹂に次のものがある︒

  連歌済候 は ゝ 初而会催/候間兼郁 ニ 羽織 に て も/そ へ 申候間内 々 小納 戸 / 者

︵難読︶

に首尾 い た し /置可申候   以上

﹁初﹂とあるので︑七種連歌会の運営にはじめてかかわったときのものか︒

(8)

四四   綱村は︑歴代藩主の中で︑最も連歌を嗜んだ︒ ﹁猪苗代家文書﹂に次の文書がある︒

程をへて ︱

   あふ瀬にも又老や

はか/そかかなしさ歟

老のかなしき    さりともとちきりし事もむかしにて     老にむかしくるしかるましき歟/ほとをへてにむかし如何申哉    水のまに〳〵之事波のまに〳〵     可然候哉/以上    

 

卯月四日/兼郁老

差出人の名は記されていないが︑筆跡から綱村のものではないかと思われる︒とすれば︑兼郁に付句の指導を受けた

資料となる︒また﹁猪苗代家文書﹂に上書きに﹁兼郁和尚綱村﹂とある次の文書がある︒

  月次弥六日十八日廿九日/之内興行候様可然候/先当月十八日可令/興行候貴老発句可/然候某可致脇候兼   竹/第三勿論候発句六日/持参候様仕度候幾久/全祝候謹言/

    九月朔日    綱村    追而右之趣綱村朝臣へも/可被申候也

右にある﹁月次﹂とは︑綱村の行った月次連歌会のことと考えられる︒月次連歌会を行ったのは︑歴代藩主で綱村の

みである︒綱村の一座した連歌集が編まれており︑仙台市博物館に所蔵されている︒なお次の文書も綱村のものかも

しれない︒

(9)

四五 京都府立山城郷土資料館寄託﹁七種連歌﹂資料について︵綿抜︶ 千句第二之発句致/指越候感心不大形候/脇綴候ハヽ入披見可/受添削候并第一之/連歌様句別紙遣之候/謹言   卯月五日   ︵花押︶

     法橋兼郁老   また ﹁九月朔日﹂ 付の文書に見られる ﹁兼竹﹂ は ︑ 兼郁の後継者で ︑ 後に兼恵と改名した ︒ 宝永五年 ︵一七○八︶

過ぎに綱村に拝謁しており︑右の文書は︑それ以後のものである︒なお﹁猪苗代家文書﹂に次の文書がある︒

   兼竹を祝て/綱村

よゝにさく/ことはの花や/石の竹

綱村にはじめて拝謁したときに賜ったものと推察される︒

         

  さて︑七種連歌の発句に話をもどすと︑二句が記されたものが現存するのは綱村だけである︒二句もしくは数句を

詠み︑七種連歌発句として二句を渡し︑そのどちらかが選択されたということであろう︒月次連歌会を催すなど連歌

に嗜みのある綱村ゆえに可能だったと思われる︒いつから複数句を詠み︑またいつから一句しか連歌師に渡さなくな

ったかは不明だが︑綱村の代には行われたことがある︑ということを確認できるという点で貴重なものと思われる︒

  なお以上の他に綱村の発句が一点あるので以下にあげておく︒

      綱村

ちきらはや花に千とせの/春の色

  また綱村は茶会をしばしば催し︑兼郁も同座した︒ ﹁猪苗代家文書﹂に次の関連文書があるので以下にあげておく︒

(10)

四六     返し可被下置候ハヽ明朝/迄ニ而モ不苦候此等之趣宜被申上候/以上/

  雨中   御機嫌之御様躰/御替被成義無御座候哉今日/其方参候由承候君之/宜御次而モ候ハヽ昨晩承候/通明

日采女正殿なと茶湯/申候ニ付而小座敷へ御西院/宸翰之横物懸申度候依之/数寄屋へ横物さし合候間/似合敷

竪物之御掛物/何とそ拝領仕度候   以上   四日   *切封ウハ書﹁兼郁法橋﹂

  連歌師に渡す七種連歌の発句懐紙は ︑ 吉村の代になって ︑﹁発句﹂ ﹁七種﹂ ﹁七種発句﹂ と題が付されるようになっ

た︒これは以後も継承されていく︒ ﹁猪苗代家文書﹂に次の文書がある︒

  只今可申上取紛候年頭/会始之願如例   家君

/指上申度候此節御取紛ニハ /可申上候ヘ共目出度当年ハ /一

入御祝来春御詠被下候/様ニ以御序宜申上候/以上/

   十二月十八日

切封︑上書に﹁兼郁法眼﹂とある︒ ﹁年頭会始﹂ ﹁御詠被下候﹂から判断すると︑七種連歌会に関係する可能性がある ように思われる︒なお兼郁が法眼になるのは正徳元年︵一七一二︶二月である︒

  吉村も綱村と同じく文事をよく嗜んだこともあって︑ ﹁猪苗代家文書﹂には次のものがある︒

①  領国よりむさしへのほり侍る/とてつくは山のほとりにて/友なひし兼郁法橋/

(11)

四七 京都府立山城郷土資料館寄託﹁七種連歌﹂資料について︵綿抜︶   つくは根に/これもますかけ君か行このも/かのもの花のたひ路は     と/きこえけれは返しに    吉村/

  筑波山このもかのもの色香にも/まさることはのはなそえならぬ ②  領国に下りけるに法眼/兼郁道まてをくり/てむさしへかへりけるに/つかはしける/

  たちわかれけふは/ゆくとも旅ころも/としをへたてす/またやあひみむ/吉村   *包紙﹁正徳六年四月廿七日糟壁御寓ニ而拝領之/御詠哥﹂ ③         吉村   みれと猶こゝろに闇き文の道    

 

是にてもくるしかるましきや/心にうとき之方可勝や/とも存候句柄くるしかる/ましく候ハヽ添削可給

候/謹言/

  五月廿四日/兼郁法橋へ ④         吉村

  天下ぬれぬ袖なき/しくれ哉 ⑤  花       吉村

  咲はなもむかしにかへれけふの春

  花さくらむかしに匂ふ春もかな

  けふことの手向となれよ花のえた ⑥  う

芦た

くひ

つの

すの

声にもしるし千世の春

          吉村

  *包紙﹁兼郁法橋へ﹂ ⑦  むめの ︱  吉村

(12)

四八    鶯のこゑのいろさへ長閑にて    うくひすの声ににきはふ里見えて    黄鸝は千里のほかも春告て ⑧  追加       吉村   紅葉ゝの千入やいつれ花さかり   ひかりのとかに雨晴し山       村詮   半天は鳫かね霞み月出て     法眼兼郁   暮かゝりぬるみちのかへるさ   律師蝶真   広き田の末も残らす堀わたし     為起   水上せきてわかつ里〳〵       崇牧   行〳〵も袂涼しき河つらに      養安   舟ひく岸の竹の村〳〵        道説 ウ枯すきて間はらになれる柳陰     恩次   かこひ捨たる砌寒けし        信道   日の影を求めて鳥やあさるらん    定岳   真砂のうへの村雨の跡        兼竹   此夕催す鞠の急して         執筆

①は吉村と兼郁の和歌贈答であり︑②は吉村が帰国のおり︑糟壁まで兼郁が見送りに同道したことに対しての詠歌で

あり︑吉村が兼郁に好意的であったと推測してまちがいなかろう︒

  伊 達 宗 村 から ︑ 最 後の藩 主 慶 邦 までは ︑ 文 事 と の 関わりは少な い ︒﹁ 猪 苗 代 家 文 書 ﹂ には次の文 書 がある の みである ︒

(13)

四九 京都府立山城郷土資料館寄託﹁七種連歌﹂資料について︵綿抜︶     扇    政千代丸

扇にも吹つたへてよ/家の風

  七種連歌に関しては︑懐紙の書き方として︑それまで改行する箇所が︑下五の前で︑二行であったが︑慶邦からは

各句で改行して三行となっている︒

お わ り に

  ﹃名古屋合戦記﹄ ︵﹃続群書類従   二十一上﹄ 所載︶ に︑ 今川氏豊 の 連歌 好きを利 用して 織田信秀 が 那古野城 を 乗っ取

った話が載る︒むろん﹃名古屋合戦記﹄は後世に成されたものであり︑鵜呑みにするわけにはいかない︒しかし︑江

戸時代より前の武士にとって︑連歌がいかに楽しいものであったかは︑現存連歌作品数などからして容易に想像され

るところである︒今川氏豊の話も︑そうした背景があるからこそ︑読者にとって違和感のないものとして作者が創作

したものと思われる︒

  こうした連歌の楽しみは︑江戸時代になって俳諧にとって代わられる︒たとえば噺本において︑同じ話の展開であ

りながら︑はじめは連歌︵師︶であったものが︑後に俳諧︵師︶になるのも︑そうした背景があるといえよう︒

  では︑ 江戸時代 になり︑ 連 歌が行われなくなったかといえ ば ︑ そうではな い︒すで に 指 摘されているように ︑﹁固定

化 ﹂ して存 続していく ︒ それは ︑︵ 主に 天神信仰 の︶ 神 事ともいうべき儀 式として ︑ 連 歌の言 語 表 現や連 歌 会の運 営が

形式的 に整っていった ︑ ということであ る︒具体的 には︑ 将軍 家のいわゆる ﹁御城連歌﹂ ︑ 仙台藩の ﹁七種連歌﹂ がそ

れにあたる︒

  創作という視点や︑享受の多寡という視点でみれば︑近世連歌は注目にあたいしないかもしれないが︑儀式的文化

としての文芸という視点でみれば︑それは近世文化の中でそれなりに位置付けられるものと考えられる︒とすれば散

(14)

五〇

逸する可能性が高い︑連歌師に与えられた藩主の発句懐紙は貴重な現物資料である︒その意味で﹁猪苗代家文書﹂は

注目される資料といえる︒

  1 ︶ 七種連歌の運営に関しては︑拙稿﹁七種連歌会の運営﹂ ︵﹃市史せんだい

vol.  

    ︵﹃中央大学文学部紀要 言語・文学・文化 第一一五号﹄二○一五年三月︶を参照されたい︒ 18 ﹄二○○八年九月︶ ︑﹁ ﹃七種御次第﹄について﹂

      2 ︶ 本文は︑伊地知鐵男校﹃連歌論新集 三﹄ ︵古典文庫 ︑一九六三年︶による︒

付記

  末尾ながら貴重な資料を調査させていただいた山城郷土資料館には厚く御礼申し上げます︒また本稿をなすにあたって︑御教示

たまわりました鶴崎裕雄先生︑田中純一郎先生に深謝申し上げます︒

(15)

五一 京都府立山城郷土資料館寄託﹁七種連歌﹂資料について︵綿抜︶ 付  録   ﹁猪苗代家文書﹂ には︑ 本 稿で取り上げたもの以外にも貴重な資 料と考えられるものがあるので︑ 明治維新以 前のもので︑ 図を中

心とするものと古今伝受関連を除いて︑以下に翻刻をあげる︒

①  源氏秘伝之書 一 冊御/写被 下 候我等預 リ 置 申候/努 々 他 見申間敷者也若/他見申候 ハ ヽ 可背諸神慮/方哲相待間敷者也 以 上 /

   明暦二年/壬卯月七日     玄倩︵花押︶

     兼寿公 ②  従祖父兼郁談也雅丈/伝来之一通今度/令相伝者也仍如件/

   宝暦五年正月    兼誼︵花押︶

     盛雄雅丈   *﹁盛雄﹂は畑中盛雄︒ ③  園ひろく ︱     嶋をめくりの池のわ

欄干

た殿

    うつるは情は花に紅葉に      此に留り候や草枕に/さし合候はんと存候へとも/に留り候やと申候て尋候/如何深き情はとては/留るましきやと存候

それも/とまり候ハヽはの字は心なく候歟/又は花にも紅葉にもともの字を/ふくみ候歟如何/

  *端裏﹁兼郁老人   東門﹂ ④   誓約状之事    拙者俄数年連哥致執心天尓遠波御伝授/之儀懇望仕候処此度御許容被成下厚恩之/至候勿論他言他見仕間敷候御書付被下候/

壱通拙者一生之後者御家

相返可申候且又/御子孫迄疎略申間敷候右之趣於相背者日/本国   大小神祇   別而者/和哥之両神

北野御神御罰可蒙信季身者/也仍誓状如件

          松本縫殿右衛門︵印︶

         信秀︵花押︶

    元文三年正月十三日

(16)

五二      法橋兼恵老 ⑤  連歌天仁遠波切帋等/被授之畏存候尤不可出/口外殊不可有聊尓之儀/若於令違背者/日本神祇別而和歌/両神聖廟之御罰等

忽可/罷蒙長喬身上者也仍誓/状如件

    宝暦七年九月六日   中川雅楽頭︵花押︶

    猪苗代兼誼殿 ⑥  子規     基前

   しのはるゝこの古声や子規

  *包紙貼紙﹁文化六年六月元祖兼載三百回忌之節/拝領之   謙庭﹂ ⑦       忠熈

   雲の上に聞えし声かほとゝきす

  *包紙﹁九拾五号   古今/和哥集﹂ ⑧       楳

   冬こもるむめもむかしの/にほひかな

  *包紙﹁近衛熈師公御筆﹂ ⑨  千句第二/山花     俊徳

   立やいかに水なき山に花の波

  *包紙﹁俊徳﹂ ⑩       猩

   いまや世にあまねく/名のるほとゝきす ⑪  ことの葉の林 ︱

        聴

   折にあふちのさかりみむ宿

   年にかはらすきく時鳥

  *﹁聴﹂は近衛家久の一字名︒

(17)

五三 京都府立山城郷土資料館寄託﹁七種連歌﹂資料について︵綿抜︶ ⑫  咲初し ︱

    霞な

うち

らに

瀧をとす山     はる〳〵と分入/那智の奥ふかみ ⑬  小野といふ/所にて/人足共いはしくひけるをみて     川にすむすゝきにハあらてみな人の     こゝそ小野とハいはしくひける     窈と成らん罪と成らん/出来たる人をとふらひたるに/針の跡のありけれは     大針をそこまてたつるはれものゝ     けにくるしみのうみやたるらん ⑭  粟津へ夫の家にて鴛麦を/もてなされし時/

   あらうまやとそ海苔まはしけると/いふを連歌にきゝ/なして                季鷹    引たてゝこなきもあへす/一うちに   *﹁季鷹﹂は賀茂季鷹︒ ⑮  此節其地/模様不尋常/事ニ相聞得/実ニ痛心此/事ニ候依而承込/申義者勿論/心附之事者無/遠慮可申聞候/事/

   六月五日    尚以此事/了珀江モ承込/筋ニモ候ハヽ□/聞可相伝候事 ⑯  一こそとまりの事/

    摂津国のなにはおもはす山城の/とはにあひみん事をのみこそ/

    此哥のてには也こそなれといふ/字をそへてとむる故実也/

    古句/うとくなれるはそなたよりこそ/

    右同前/

    こそと上に置ててととむる句/右の断ニおなし/

    むかしこそ難波の砧物ふりて

(18)

五四     兼載句也/こそなるらめなとゝも心を残す也/

   一つゝとまりの事/

    君かため春のゝに出てわなかつむ/わか衣手に雪はふりつゝ/

    つゝかやう〳〵なるといひのこしたる也/辛労して心を尽して若なを/つみたる心をこめたる也/

      愚句/

    かりのこの世ものかれかねつゝ/

    のかれかねつゝいまた世にある心を/こめたる也/

   一みゆとまりの事   みゆるのるの字/略したる也ふつくるなとの/文字上に置也/

    鷺のとふみゆ   鷺のゆくみゆ/けふりたつみゆ   松たてるみゆ/小舟こすみゆ/

      此等之類也此外にもとまる仕様/有へし先は上に切字をき候てはと/まりかたく候乍去いつこいつく/なといひ又は現在の

し文字なと/置てとまる句有之

   一下句てとまりの事/

    おもかけのひかふる方にかへりみる/都の山は月ほそくして     此てとまり相叶候/

    こほれる月は松にかゝりて/

    はとおさへてとむる事也/

    こよひの空は月きよくして/

    此類也/

   一覧とまりおさへ字なき事/

    久方のひかりのとけき春の日に/しつ心なく花のちるらん/

    何としてしつ心なく花はちるそと/不審したる心にて切字ニ成也/

    月細し桂や茂りかくすらん/

    名そ高き月や桂を折つらん/

    上に治定したる切字を置て/又うたかひの字を置てはぬるに/よりて切る也

   一をまはしの発句之事/︵以下欠か︶

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帰ってから “Crossing the Mississippi” を読み返してみると,「ミ

とりひとりと同じように。 いま とお むかし みなみ うみ おお りくち いこうずい き ふか うみ そこ

鉄)、文久永宝四文銭(銅)、寛永通宝一文銭(銅・鉄)といった多様な銭貨、各藩の藩札が入 り乱れ、『明治貨政考要』にいう「宝貨錯乱」の状態にあった

添付資料 4.1.1 使用済燃料貯蔵プールの水位低下と遮へい水位に関する評価について 添付資料 4.1.2 「水遮へい厚に対する貯蔵中の使用済燃料からの線量率」の算出について

添付資料 4.1.1 使用済燃料貯蔵プールの水位低下と遮へい水位に関する評価について 添付資料 4.1.2 「水遮へい厚に対する貯蔵中の使用済燃料からの線量率」の算出について

添付資料 4.1.1 使用済燃料プールの水位低下と遮蔽水位に関する評価について 添付資料 4.1.2 「水遮蔽厚に対する貯蔵中の使用済燃料からの線量率」の算出について

使用済自動車に搭載されているエアコンディショナーに冷媒としてフロン類が含まれている かどうかを確認する次の体制を記入してください。 (1又は2に○印をつけてください。 )