経済学論纂(中央大学)第61巻第 2 号(2020年 9 月) 17
「社会的力」としての商品(価値)・貨幣・
資本の概念とその適用
鳥 居 伸 好
はじめに
1 マルクス「経済学草稿」における「社会的力」
2 『資本論』体系の構築と「社会的力」の適用 3 「社会的力」の質的・量的規定とその適用 4 「社会的力」概念とその適用の現代的意義
おわりに
はじめに
地球上にあっては,物体が地球から受ける引力は,重力として認識される.それは,物理的な力 であり,万有引力の法則のように,その力に関する法則性が見いだされている.経済活動において も,商品が持つ「交換力」,貨幣が持つ「交換力」や「購買力」,資本が持つ「増殖力」という捉え 方で認識される「物」の「力」が存在する.「物」の持つ「力」に,物理的な力のように法則性を 見いだすことができるかどうかは,「物」の「力」の分析に関わる問題として捉えることができ る.「物の力」の法則性を見いだすことができるかどうかは別として,「物」と「力」との関係がど のようなものなのか,「力」を認識する人間と「物」との関係はどのように捉えればよいのかを検 討することが,本稿の課題となる1).
マルクス経済学にとって,労働に基づく価値理論およびその展開は,理論体系の根底を形成する ものとして重要な役割を担う.また,剰余価値とその転化形態としての利潤,剰余価値の分化形態 としての商業利潤や利子,地代の理論的な解明にとっても,価値理論は,その基盤を形成する.そ れゆえ,商品(価値)や価値のかたまりとしての貨幣,価値の増殖運動体としての資本を「社会的 力」との関連で捉えることは,価値理論およびその理論展開にとって,非常に大きな問題を孕んで いる.しかし,なぜマルクスが価値と「社会的力」とを関連づけたのかを探究することは,理論体 系とは区別される「力」把握の意義の明確化につながる.
1 ) 本稿は,経済理論学会第67回全国大会報告「〈社会的力〉としての商品(価値)・貨幣・資本」(1999年 10月20日駒澤大学)の報告原稿を基にして,その加筆・修正を試みたものである.
本稿の検討課題をまとめれば,次の 4 点で示される.( 1 )マルクスの文献における「社会的力」
の叙述について,文献の執筆時期を勘案して時系列的に,また関連項目ごとに整理しながら,マル クスの捉える「社会的力」とは何かを明らかにする.( 2 )マルクスの資本に関する理論体系,と りわけ『資本論』体系の構築に際して,「社会的力」の把握は,どのような位置づけが与えられ,
どのような意味を持つのかを検討する.( 3 )「社会的力」の質的・量的規定とその適用を検討す る.( 4 )「社会的力」の質的・量的規定を検討したうえで,「社会的力」把握の現代的意義は何か を検討する.この 4 つの課題について,それぞれの項目で検討する.
1 マルクス「経済学草稿」における「社会的力」
「社会的力」としての商品(価値)や貨幣,資本の概念規定を検討するうえで,マルクスの経済 学に関する諸草稿および『資本論』における「社会的力」の叙述がその拠り所となる2).それゆ え,まずマルクスの文献に見られる「力」に関する叙述箇所の内容を検討する.その際に,マルク スにおける「力」の概念適用が重要な意味を持つことから,各文献からの引用文を時系列的に吟味 しながら,それらの諸関連を考察する.そのために,引用文に番号づけをし,マルクスの叙述内容 を整理する.
(1)『経済学・哲学草稿(1844年)』(以後『経哲草稿』と略記する.)
1844年に執筆された『経哲草稿』「第 1 手稿」の「Ⅰ資本の利潤 1 資本」項目に見られるマル クスの「力」に関する叙述は,次の(1)
―①のようになっている.
(1)
―①「資本は,労働とその生産物に対する支配力
4 4 4(dieRegierungsgewalt)である.資本家 はこの力(dieseGewalt)をもつが,それは,彼の人格的あるいは人間的性質のおかげによっ てではなく,彼が資本の所有者4 4 4である限りにおいてである.何ものも逆らい難い彼の資本の購4 買力4 4(DiekaufendeGewalt)が彼の力(Gewalt)なのである.」(MEGA.I/2S.339)3)(文中の 傍点はマルクス.以下同様).2 ) マルクスの「草稿」および『資本論』の研究を踏まえて,「社会的力」を取りあげているのは,例え ば,唐渡(1980),大谷(2001),名和(2004),佐々木(2011),ミヒャエル・ハインリッヒ(2014)な どである.とりわけ唐渡(1980)は,「力の体系」化を試みている.また,「社会的力」とは何かについ ては,拙稿「〈社会的な力〉としての商品(価値),貨幣,資本」『中央大学経済研究所年報』第46号 2015年を参照していただきたい.
3 ) マルクスの文献引用に際して,新『マルクス・エンゲルス全集』(新MEGA)版で,当該箇所を示す.
19
「社会的力」としての商品(価値)・貨幣・資本の概念とその適用(鳥居)
この叙述箇所における「力」について,マルクスは,Gewaltという用語をもちいている.しか し,「力」を
Gewalt
と表記するのは,非常に限定的である.また,この叙述箇所は,資本に関わ る他人の生産物に対する私有が何を基礎とするかを問題としている箇所であり,この叙述箇所の直 前にあるアダム・スミスからの文献引用では,資産の相続に言及しているスミスの用語表記を,ド イツ語で「政治的な力politischeMacht」「買う力 dieMachtzukaufen」と Macht
で表記してい る4).同じく『経哲草稿』「第 1 手稿」の「疎外された労働と私的所有」項目では,次の(1)
―②のよう
な「力」に関する叙述が見られる.(1)
―②「労働者は,彼が富をより多く生産すればするほど,彼の生産する力
(Macht)と範囲とがより増大すればするほど,それだけますます貧しくなる.労働者は商品を多く生産すれば するほど,それだけ彼は安価な商品になる.物の世界における価値増大4 4 4 4に比例して,人間世界 における価値低下4 4 4 4がひどくなる.(中略)この事実は,労働が生産する対象,つまり労働の生 産物が,ひとつの疎遠な存在4 4 4 4 4(fremdesWesen)として,生産者から独立した4 4 4 4力4 (unabhän-
gigeMacht)として,労働に対立するということを表現するものにほかならない.労働の生産
物は,対象のなかに固定化された,物化された労働であり,労働の対象化4 4 4(Gegenstand)で ある.」(MEGA.I/ 2 S.364)
ここでは,労働生産物が商品となる場合に,生産物が労働者から「独立した力」として労働者に 対峙することが示されている.まさに労働疎外の内容が「力」概念との関連で示されている.次の
(1)
―③の箇所では,その「力」が「自立的な力」としても言及されている.
(1)
―③「労働者が彼の生産物のなかで外化するということは,ただ単に彼の労働が一つの対象
に,ある外的な現実的存在になるという意味ばかりでなく,また彼の労働が彼の外に,彼から 独立して疎遠に現存し,しかも彼に相対する一つの自立的な力(selbständigeMacht)になる という意味を,そして彼が対象に付与した生命が,彼に対して敵対的にそして疎遠に対立する という意味を持っている.」(MEGA.I/2S.365)
このような叙述内容は,「疎外された労働と私的所有」項目で,疎外された労働の状況を「物」
4 ) 「力」の表記については,マルクスの場合,KraftとMachtを使う場合が多い.また,「力」に関して,
Potenz(主に「力能」と訳す)やFähigkeit(主に「能力」と訳す)を使うことがあるが,「社会的力」
が問題となる場合には,KraftかMachtが使われている.唐渡(1980)は、マルクスにおけるGebalt,
Kraft,Machtについて,それぞれの概念の区別と相互関連を明確に示すことの必要性を説いている.
の「自立的な力」との関連で指摘している箇所として興味深い.
(2)『経済学批判要綱(1857―58年草稿)』(以後『要綱』と略記する.)
1857年 7 月に執筆された『要綱』への「序説」には,資本に関する「力」について,次の(2)
―
④のような叙述が見られる.
(2)
―④「資本は,ブルジョア社会のいっさいを支配する経済力
(dieallesbeherrschende ökonomischeMachtderbürgerlichenGesellschaft)である.」(MEGA.II/1.1S.42)資本による社会を「支配する経済力」を「資本の力」とする捉え方は,資本の性質を端的に示す ものとして,『資本論』まで貫かれる.
『要綱』「資本に関する章」の「ノートⅢ」では,「資本の力」に関する叙述が,随所で見られる が,その代表的な叙述として,(2)
―⑤があげられる.
(2)
―⑤「労働者の労働の創造的な力
(schöpferischeKraft)が,資本の力(Kraft)として他人4 4 の力4 4(fremdeMacht)として彼に対立する位置に置かれるのであるから,彼は貧しくならざ るをえない.」(MEGA.II/1.1S.226)ここでは, 2 つの点が注目される. 1 つは,「力」について,ドイツ語で
Kraft
とMacht
とい う, 2 つの「力」が示されていることである.Kraftの場合は,実体的な「力」が,Machtの場合 は,関係概念としての「力」が示されている. 2 つ目は,「力」の関連で示される労働者の「貧困 化」に関わる叙述として,『経哲草稿』(1)―②と重なる内容が示されている.
『要綱』で
Kraft
としての「社会的力」の表現が見られるのは,同じく「ノートⅢ」の「資本に 関する章」次の(2)―⑥の箇所である.
(2)
―⑥「労働の自然力
(Naturkraft)は,資本の力4 4 4 4 (Kraft)となるのであって,労働の力(Kraft)となるのではない.ちょうど労働の自然力または社会的力(gesellschaftlicheKraft)
がすべてそうであるように.」(MEGA.II/1.1S.270)
この場合の「社会的力」は,Kraftという語が示すように,社会的労働に裏づけられる実体的な
「力」が問題となっている.
21
「社会的力」としての商品(価値)・貨幣・資本の概念とその適用(鳥居)
(3)『経済学批判(1861―63年草稿)』(以後「1861―63年草稿」と略記する.)
1861年 8 月から1863年 7 月までに執筆された18冊のノート「1861―63年草稿」のうち,「貨幣の資 本への転化」に関する「ノートⅠ」「ノートⅡ」における「力」概念について,その叙述箇所をマ ルクスの執筆順にそって見て行く.
まず,「ノートⅠ」の「貨幣の資本への転化」項目における蓄蔵貨幣に関する考察のなかに,次
の(3)
―⑦のような「力」の叙述が見られる.
(3)
―⑦「蓄蔵貨幣として,自立化した交換価値の形態で固持されている貨幣は,自己を増殖す
るどころか,むしろ流通から遠ざけられる.この貨幣の交換価値として働く力(Macht)は,
将来のための胸中に秘められており,さしあたり一時停止されている.」(MEGA.II/3.1S.15)
また,資本の価値増殖力について,同じく「貨幣の資本への転化」項目において,「力能」とい う表現で,次の(3)
―⑧のように述べられている.
(3)
―⑧「資本が富の特有の形態であり,価値の力能
(Potenz)である以上,この形態,この力能は,等価物が交換されるということを,すなわち諸商品はその価値で,すなわちそれらに含 まれている労働時間に比例して売られるということを基礎にして,展開されなければならな い.」(MEGA.II/3.1S.23)
資本の価値を増大させる「力能」,「力能」を高められた資本に関連して,利子生み貨幣資本に言 及した箇所として,次の(3)
―⑨のような叙述が見られる.
(3)
―⑨「資本は,すでに貨幣あるいは商品の一般に貨幣の力能
(Potenz)として前提され,また完成されており,その結果,資本は,この力能を高められた(potenziert)価値として流通 に投じられる.つまり,利子生み貨幣資本(DasZinstragendeGeldcapital)は,この意味です でに資本の発展を前提している.」(MEGA.II/3.1S.26)
「ノートⅠ」「貨幣の資本への転化」項目には,利子生み貨幣資本(貸付資本)を展望して言及さ れる「力能を高められた(potenziert)価値」という表現が散見する.
「貨幣の資本への転化」項目の「ノートⅡ」には,「他人の力(fremdeMacht)」や「自立した力
(selbstständigeMacht)」という表現が多く見られ,資本としての労働の対象的諸条件が労働者に 対立する関係概念としての「力」が示されている.その代表的な叙述箇所は,次の(3)
―⑩である.
(3)
―⑩「資本は,
(中略)その形態面から見れば,労働の対象的諸条件が,疎外された自立的 な諸力(entfremdeteselbstständigeMächte)として,生きた労働を自己自身の維持および増 加の単なる手段として取り扱うところの価値―対象化された労働―として,労働に対立し ていなければならない.」(MEGA.II/3.1S.101)その他の箇所でも,「労働を支配する力(Macht)」「労働を支配する客体的な力(Macht)」とい う表現が見られ,労働者に対して労働手段が資本として対峙する状況を,マルクスは「絶対的貧困
(dieabsoluteArmuth」5)と捉え,「資本の力」を労働者の貧困化と関連させて言及する箇所が見ら れる.そのうちの 1 つの叙述が,(3)
―⑪である.
(3)
―⑪「労働者の労働の創造的な力
(Kraft)が資本の力(Kraft)として,他人の力4 4 4 4(Macht)として,彼に対立して確立されることによって,彼は貧困化せざるをえない.」(MEGA.II/3.1 S.143)
この「力」との関係で示される労働者の「貧困化」に関する叙述は,『経哲草稿』(1)
―②と『要
綱』(2)―⑤と同様の叙述内容となっている.
「1861―63年草稿」「ノートⅤ」の「相対的剰余価値」項目に,Machtとしての「資本の力」の叙 述が存在する.それは,ストライキへの対抗としての機械の導入について述べられた,次の(3)
―
⑫である.
(3)
―⑫「機械は,自立をめざす労働の,どんな要求も打ち砕くための,資本の形態,資本の手
段,労働を支配する資本の力(Macht)として現れる.」(MEGA.II/3.1S.312)
「1861―63年草稿」の1861年12月から翌年 1 月までに執筆されたと推定される6)「ノートⅩⅥ」の
「資本と利潤」項目における,一般的利潤率の傾向的低下法則の考察にも,「社会的力」に関する
Macht
としての「資本の力」が,次の(3)―⑬の叙述箇所で見られる.
5 ) 「物」からの疎外,とりわけ生産手段から排除され,それが資本として労働者と対峙する状態・関係 を,マルクスは「絶対的貧困」と捉えている.それを,「物質的貧困」と区別するという意味で,「精神 的貧困」と捉えることもできる.
6 ) 「1861―63年草稿」「ノートⅩⅥ」の執筆時期の推定については,ノートの執筆時期を示す「12月」を拠 り所にして,MEGA編集者は,「1862年12月」と捉え,大村泉氏は,理論形成に際しての進展度から,
「1861年12月」と捉えている.執筆時期については,「ノートⅩⅥ」の検討(拙稿「一般的利潤率の形成 と生産価格―「1861―63年草稿」の検討を中心として―」『愛知論纂』第35・36合併号,愛知大学大学院 1984年 3 月)を踏まえて,大村氏の説を踏襲している.
23
「社会的力」としての商品(価値)・貨幣・資本の概念とその適用(鳥居)
(3)
―⑬「資本の蓄積は二重である.それは,一面では,過去の労働のますます増大する量から
なっている.第二に,諸資本の集積,諸資本の数の減少は,社会的資本の新たな配分からなっ ている.資本の力(Macht)そのものが,それらによって増大する.(中略)資本は,ますます 資本家をその機能者とする社会的力(gesellschaftlicheMacht)として,また個々の個人の労 働が創造しうるものとはもはや全く何の関係も持たない社会的力(gesellschaftlicheMacht)
として現れる.しかし,資本は,物として,―またこのような物による個々の資本家の力
(Macht)として
―
社会に対立する,疎外され自立化された社会的な力(entfremdete, verselbständigtegesellschaftlicheMacht)として現れる.資本の姿で現れる一般的な社会的な4 4 4 4 4 4 4 4 力4 (Macht)と,このような社会的諸生産条件を支配する個々の資本家の私的な力4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4(Privat-macht)との間の矛盾は,ますます激しいものに発展して行き,この関係の解体を含むことに
なる.」(MEGA.II/3.5S.1672,S.1675)
この叙述内容は,1865年に執筆された『資本論』第 3 巻のための「主要草稿」と同じものであ り,「主要草稿」の当該叙述内容の検討に際して,その内容を詳しく吟味する.
(4)『直接的生産過程の諸結果(1864年)』(以後『諸結果』と略記する.)
『諸結果』は,『資本論』第 1 巻「第 6 章」を構成する予定で1864年に執筆された草稿であり,
Kraft
としての,またMacht
としての「資本の力」に関する叙述が随所で見られる.その 1 つ が,剰余価値生産としての資本主義的生産の考察に際して言及されている(4)―⑭である.
(4)
―⑭「労働は,骨折りとして,すなわち生命力の支出として労働者の個人的な活動である.
しかし,労働者の労働は,価値形成者4 4 4 4 4として,すなわち自分を対象化する過程4 4 4 4 4 4 4 4 4 4にあるものとし て生産過程に入れば,それ自身が資本価値の存在様式4 4 4 4としてそれに合体している.それゆえ,
このような価値を維持し4 4 4 4 4 4,新たな価値4 4 4 4 4を生みだす力(Kraft)は,資本の力(dieKraftdes Capitals)となり,その過程は,資本の自己増殖4 4 4 4過程として,またむしろ労働者の貧困化(Ve-
rarmung)過程として現れる.なぜならば,労働者は,彼によって生み出される価値を,同時
に彼にとって外的な価値4 4 4 4 4 4 4 4 4 4として形成するからである.」(MEGA.II/4.1S.63)
ここでは,労働と労働の対象化された価値や価値を自己増殖させる資本との関係が問題となり,
「資本の力」の増殖過程が労働者の貧困化過程となることが明確に示されている.この叙述内容 は,『経哲草稿』(1)
―②,『要綱』(2) ―⑤,「1861―63年草稿」(3) ―⑪と同じ流れのなかに位置づける
ことができる.また,次の(4)
―⑮の箇所では,資本が人間から自立した「力」として把握されるとともに,商
品と貨幣との関係が明確に示されている.
(4)
―⑮「貨幣や商品にはじめから資本の性格を押印するものは,
(中略)貨幣や商品が,それらの所持者において人格化されている自立的な諸力4 4 4 4 4 4(selbstständigeMächte)として,いっさ いの対象的な富を取り上げられている労働能力4 4 4 4に相対しているという事情なのである.つまり 労働の実現のために必要な物的な諸条件が労働者そのものから疎外されていて,むしろ自分の 意志と精神とを与えられた物神4 4(Fetische)として現れるという事情なのであり,商品が人間 の買い手としての役割を演ずるという事情なのである.」(MEGA.II/4.1S.78)
次の(4)
―⑯の箇所には,「1861―63年草稿」引用(3) ―⑩と同じ叙述が存在する.
(4)
―⑯「資本は,
(中略)その形態面から見れば,労働の対象的諸条件が,疎外された自立的な諸力(fremdeselbstständigeMächte)として,価値―対象化された労働―として,労 働に対立していなければならない.」(MEGA.II/4.1S.80)
Kraft
としての「社会的力」は,次の(4)―⑰の箇所に見られる.
(4)
―⑰「この関係は,ますます複雑になり,外見上ますます神秘的になる.というのは,資本
主義的な生産様式の発展につれて,これらの物は,単に労働者に対して,独立して《資本4 4》と して相対するだけではなく,労働の社会的形態(dergesellschaftlicheFormderArbeit)に対 して,資本の発展形態4 4 4 4 4 4 4として現れ,したがってまた,こうして発展した社会的労働の生産力
(Productivkräfte)は,資本の生産力4 4 4 4 4 4として現れるからである.このような社会的な力(ge- sellschaftlicheKräfte)として,それは労働に対立して《資本化される4 4 4 4 4 4》のである.」(MEGA.
II/4.1S.121)
ここでは,『要綱』(2)
―⑥と同様に,「社会的力」の実体的根拠が社会的労働にあることが明確に
示されている.すなわち,社会的労働の対象化された価値(資本)として労働者に対峙する「社会 的力」における「社会的」部分の根拠として,労働者の社会的労働,「労働の社会的形態」が明示 されている.引用文(4)
―⑰の Kraft
としてではなく,Machtとしての「社会的力」が,「自立した力」に関 連して,次の(4)―⑱のように示されている.
(4)
―⑱「労働条件は,労働者に対立する社会的な力
4 4 4 4 4(socialeMächte)として高く積み重なっ25
「社会的力」としての商品(価値)・貨幣・資本の概念とその適用(鳥居)
ており,この形態において,それらは資本化されて4 4 4 4 4 4いる4 4.」(MEGA.II/4.1S.123)
この部分は,(3)
―⑫と同様の論旨である.
(5)『資本論』第 3 巻のための「主要草稿(1865年)」(以後「主要草稿」と略記する.)
「主要草稿」では,一般的利潤率の傾向的低下法則を考察している箇所で,次の(5)
―⑲のような
叙述が見られる.(5)
―⑲「資本の蓄積の増大は資本の集積の増大を含んでいる.こうして資本の力
(Macht),すなわち現実の生産者たちに対立する社会的生産諸条件の自立化が増大する.資本は,ますま す資本家をその機能者とする社会的力(gesellschaftlicheMacht)として,また個々の個人の 労働が創造しうるものとはもはや全く何の関係も持たない社会的力(gesellschaftlicheMacht)
として現れる.しかし,資本は,物として,―またこのような物による個々の資本家の力
(Macht)として―社会に対立する,疎外され自立化された社会的な力(entfremdete,verselb- ständigtegesellschaftlicheMacht)として現れる.資本の姿で現れる一般的な社会的な力4 4 4 4 4 4 4 4 4
(Macht)と,このような社会的諸生産条件を支配する個々の資本家の私的な力4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 (Privat-
macht)との間の矛盾は,ますます激しいものに発展して行き,この関係の解体を含むことに
なる.」(MEGA.II/4.2S.337)
この叙述内容は,すでに「1861―63年草稿」の(3)
―⑫で言及された内容と変わりはない.1861年
12月起筆の「ノートⅩⅥ」「資本と利潤」項目から1865年執筆の「主要草稿」までには,利潤論に 関わる大きな変化7)が見られるが,この引用箇所については,同じ内容がそのまま引き継がれてい ることに重要な意味がある.それは,一般的利潤率の傾向的低下法則およびその法則に関わる叙述 によって示そうとした事柄が,少なくともマルクスにおいては,1861年から1865年まで変わらずに 貫かれており,その法則および諸関連の考察(エンゲルスによって「内的諸矛盾の展開」とされてい る考察)によって資本主義の矛盾が示され,資本主義の制限性,歴史性が示されていることであ る.そして,引用箇所は,「社会的力」に言及しながら,資本主義の基本的矛盾を明示し,その制 限性を示している箇所として重要な意味を持つ.「主要草稿」における「力」の言及は,利子生み貨幣資本の考察においても見られる.それは,
貨幣が利潤を生むための手段として「特殊な商品」,すなわち「資本としての資本という商品」に
7 ) この点は,拙稿「価値および生産価格に関する研究( 4 )」『愛知大学経済論集』 (第125号1991年 2 月)で論究している.
なることが述べられた後に,次の(5)
―⑳のような叙述として示されている.
(5)
―⑳「100ポンド・スターリングを自由に使用できる人は,100ポンド・スターリングを120
ポンド・スターリングにかえる力,または20ポンド・スターリングの利潤を生み出す力
(Macht)を自分の手に握っている.彼は,100ポンド・スターリングの可能的資本を手に握っ ている.この人がこの100ポンド・スターリングを 1 年間,実際にそれを資本として使用する 誰か他の人に託するならば,この人は他の人に20ポンド・スターリングの利潤を生み出す力
(Macht),他の人がそれに対して何の費用も費やさず,何の等価物も支払わない剰余価値を生 み出す力(Macht)を与える.」(MEGA.II/4.2S.412)
また,利子に言及する際の「力」に関する叙述も存在する.その一例として,(5)
―㉑をあげるこ
とができる.(5)
―㉑「利子は,価値一般が自立的な力
(Macht)として生きた労働に対立し,不払労働を取得するための手段であること,またこの価値は,それが他人の所有として労働者に対立するこ とによって,こうした力(Macht)であるということ,の表現にほかならない.」(MEGA.
II/4.2S.450)
同じく利子生み貨幣資本の考察箇所において,物神性との関わりで「力」に関する次の(5)
―㉒
のような叙述も存在する.(5)
―㉒「G-Gにおいてわれわれが見いだすのは,資本の没概念的な形態,生産諸関係の最高
度の転倒と物化である.資本の利子生み姿態,資本が自己自身の再生産過程にその姿態で前提 されている資本の単純な姿態である.再生産から独立して自己自身の価値を増殖する貨幣また は商品の能力(Fähigkeit)
―最も際立った形態での資本としての貨幣の神秘化.」
(MEGA.II/4.2S.462)
(6)『資本論(初版1867年)』『資本論(第 2 版1872年)』(以後,『資本論』と略記する.)
『資本論』では,それまでの文献で見られた「力」に関する叙述は,限定されている.ここで は,その代表的な叙述箇所を検討する.まず,蓄蔵貨幣の考察に際して,次の(6)
―㉓のような
「社会的力」の叙述が存在する.
(6)
―㉓「貨幣は,それ自身商品であり,誰の私有物にでもなれる外的な物である.こうして,
27
「社会的力」としての商品(価値)・貨幣・資本の概念とその適用(鳥居)
社会的な力(DiegesellschaftlicheMacht)が,個人の個人的な力(Macht)になるのである」
(MEGA.II/5.S.80)
このような叙述は,「1861―63年草稿」には存在するが,後に検討するように,1859年に刊行され た『経済学批判』には見られない.
もう 1 つの『資本論』第 1 巻に見られる代表的な叙述は,第 1 巻領域における資本の再生産の考 察で言及されている(6)
―㉔のような「支配し搾取する力」という表現である.
(6)
―㉔「労働者自身は絶えず客体的な富を資本として,すなわち彼にとっては外的であって彼
を支配し搾取する力(beherschendeundausbeutlendeMacht)として生産する.」(MEGA.
II/5S.461)
この叙述は,労働者の資本への包摂が資本主義的生産の再生産の条件であり,労働者を搾取する 力を労働者自らが生み出すだけではなく,自らがその関係のなかに繰り返し置かれることを示す文 脈のなかに存在する.そして,そのことによって,資本主義的生産の性質が示されている.
これまで,マルクスの文献に見られる「資本の力」や「社会的力」について,その叙述を示しな がら,その内容を概略的に示してきた.マルクス経済学草稿および『資本論』に見られる「資本の 力」や「社会的力」の叙述を通して,「物」の持つ「力」の内容と性質を確認した.次に,そのよ うな「社会的力」の理論的な適用に関連して,マルクスの理論体系と「社会的力」との関係を検討 することにしたい.
2 『資本論』体系の構築と「社会的力」の適用
ここでは,「社会的力」概念とその適用を考えるうえで,逆説的に,「社会的力」の捉え方を必要 としない場合を検討することによって,その意義を明確にしてみたい.その際に問題とするのは,
『資本論』体系の構築と「社会的力」把握との関連である.その点に関する検討課題として,次の 2 点があげられる.それは,第 1 に,1859年に刊行された『経済学批判』(以後『批判』と略記す る)の商品の考察に「社会的力」の言及がないのはなぜかという問題である.第 2 に,マルクスが 刊行した『資本論』第 1 巻における労働者の貧困化に関する資本蓄積の一般的法則の叙述に,「資 本の力」あるいは「社会的力」の言及がないのはなぜかという問題である.
2-1 『経済学批判』と「社会的力」の適用
1859年に刊行された『批判』は,執筆時期が『要綱(1857―58年草稿)』と「1861―63年草稿」と
の中間に位置するので,両草稿に見られる「資本の力」や「社会的力」に関する言及が,なぜ『批 判』では存在しないのかが問題となる.
また,『諸結果(1864年)』に見られるような「社会的力」の言及を含む疎外論は,商品の物神性 に関わる考察内容を含んでおり,同じく商品の物神性の考察を含む『批判』の商品の考察で,なぜ
『諸結果』のような「社会的力」への言及が存在しないのかが問題となる.
なぜ『批判』において「社会的力」の言及が存在しないのかという問題は,『批判』の問題領域 が商品分析に限定されていたことを考えれば,問題はもともと成り立たない.なぜならば,『諸結 果』の疎外論に関わる物神性の考察が,商品分析に関わるものではなく,資本の考察に関わるもの だからである.しかし,『諸結果』に見られる「社会的力」の言及を含む疎外論は,商品の物神性 の考察を含んでおり,同じく商品の物神性の考察を含む『批判』の商品の分析に,なぜ『諸結果』
のような「社会的力」への言及が存在しないのかという問題は,依然として残る.『批判』では,
商品の物神性の考察は, 1 つの項目を形成するだけの確立された理論形成が見られず,理論体系に おける位置づけも明確ではないので,「社会的力」概念の適用による補完的な説明が介在する余地 も考えられる.しかし,『批判』に「社会的力」の言及が見られない.そのことは,『批判』が諸学 説の理論的な批判的検討を課題とし,価値の対象性とそれに関する諸関連を明らかにするための価 値理論の精緻化が試みられていることと関わっている.
『批判』では,「社会的力」という認識に関わる概念を介在させないで,商品の物神性の論証を価 値理論に基づいて考察する試みを読む取ることができる.しかし,必ずしも商品の物神性に関する 論究は十分ではなく,その位置づけも不明確であった.その点は,『資本論』初版では,価値理論 の精緻化とともに改善されていたが,商品の考察における位置づけに端的に示されているように,
価値形態論にしても,物神性論にしても,初版から第 2 版に至る過程での発展の余地は残されてい た.商品の考察において,物神性の考察の明確な位置づけが示されたのは,第 2 版で商品の物神性 の考察が 1 つの節として項目立てに加わったことによる.その項目立てに象徴されるマルクスの商 品考察における理論形成の充実化は,価値形態論,商品の物神性論の初版から第 2 版への理論形成 の発展として捉えることが可能であり,『資本論』に,それ以前の文献に見られる「社会的力」が 頻繁に出てこないことの理由づけにもなりうる.「社会的力」という認識に関わる捉え方が介在す る余地のない商品論における理論的な展開は,『批判』から『資本論』の商品分析ヘの理論的発展 として示されるマルクスの理論体系の完成度の高さを示す証ともいえる.
2-2 『資本論』第 1 巻「資本蓄積の一般的法則」と「社会的力」の適用
『資本論』第 1 巻初版(1867年)では,資本蓄積の一般的法則として示される労働者階級の貧困 化について,次のように述べられている.
29
「社会的力」としての商品(価値)・貨幣・資本の概念とその適用(鳥居)
「資本が蓄積4 4 4 4 4 されるのにつれて,労働者の報酬がどうであろうと(それが高かろうと低かろう と)労働者の状態は悪化4 4 4 4 4 4 4 4 4せざるをえない.(中略)一方の極における富の蓄積4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4は,同時に,そ の対極における4 4 4 4 4 4,すなわち自分自身の生産物を資本として生産する階級側における,貧困,労4 4 4 働苦,奴隷状態,無知,粗暴化,4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 および道徳的堕落の蓄積4 4 4 4 4 4 4 4をもたらす.」(MEGA.II/ 5 S.
1108)
ここでは,賃金が高かろうと低かろうと労働者の状態が悪化するという叙述から読み取れるよう に,「精神的貧困」の蓄積(悪化)が示されているが,『経哲草稿』の(1)- ②や『要綱』の(2)
―⑤,
「1861―63年草稿」の(3)
―⑪,『諸結果』の
(4)―⑭などで示された「資本の力」や「社会的力」の言及
を伴う貧困化の叙述(マルクスのいう「絶対的貧困」に関わる叙述)は見られない.『資本論』の(6)
―㉔に見られるように,第 1 巻領域における資本の再生産の考察に際して,「支配
し搾取する力」という表現は存在する.それは,労働者の資本への包摂が資本主義的生産の再生産 の条件であり,労働者が自分を搾取する力を自ら生み出すだけではなく,その関係の繰り返しに置 かれることを示したもので,そのような資本主義的生産の性質を示している.『要綱』や「1861―63 年草稿」では,そのような言及につなげて労働者の貧困化が示されるが,『資本論』第 1 巻領域で は,「資本の力」や「社会的力」という表現による貧困化の指摘に代わって,資本蓄積の一般的法 則としての理論展開による貧困化が解明されている.『資本論』第 1 巻領域の資本蓄積論における貧困化の叙述に際して,「社会的力」の言及が見られ ないのは,価値理論の精緻化に基づく商品・貨幣・資本の体系的理論展開となる剰余価値論,資本 蓄積論の形成が試みられていることと不可分である.そして,そのことは,『資本論』が「社会的 力」という認識に関わる捉え方に頼ることなく,資本蓄積の一般的法則として貧困化を論ずるレベ ルに達していたことを示している.
『資本論』第 1 巻領域(資本の生産過程の考察)において,価値理論・剰余価値理論・資本蓄積論 の理論的展開およびその諸理論の精緻化は,『諸結果』等の文献において集中して見られた「社会 的力」やその関連で導き出される「貧困化」の言及の仕方を変化させたが,「社会的力」に関わる 考察は,『資本論』体系のなかで,もはや必要とされなくなったのであろうか.
『批判』と『資本論』における理論体系の構築および法則の解明に際して,「物」の持つ「力」概 念を介在させていないとはいえ,「力」概念が不必要になったわけではない.その論拠の 1 つとし て,『批判』における蓄蔵貨幣の考察に際して「社会的力」の言及は見られないものの,『資本論』
初版には,またそれ以降の版においても,蓄蔵貨幣の考察に際して「社会的力」の叙述が存在する という点があげられる.しかも,『経哲草稿』で言及した「金の本質を的確に描いている」シェー クスピアに関する言及が,『批判』にはないものの,『資本論』では,蓄蔵貨幣の「社会的力」に関 わる文章への注記として復活している.このことから,『資本論』段階においても,「社会的力」の
適用が放棄されてはいないことが窺われる.それゆえ,理論展開と「社会的力」の考察の役割との 区別が明確に把握されていれば,「社会的力」による商品の性質,貨幣の性質,資本の性質,ある いは資本主義の性質の指摘は,資本主義の制限性,歴史性を示すうえでは有効であり,「力」の質 的規定と量的規定によるそれぞれの「力」の定義の明確化と「力」の作用,影響力の明確化によっ て,「物」の持つ「力」の検討が,有用性を持つことが示される.
この点を念頭に置いて,次に項を改めて,「社会的力」の質的・量的規定とその理論的な適用を 検討しつつ,「社会的力」把握の意義を考えてみたい.
3 「社会的力」の質的・量的規定とその適用
「物」が持つ「力」を認識するという点に関しては,資本の現実の運動における具体的な諸形態 が問題となり,具体的な経済関係における当事者の「日常の意識」のなかで認識され,確認される 動きおよび作用が問題となる場合に,『経哲草稿』から各文献を経て受け継がれた「社会的力」の 捉え方は,有用性を発揮する.また,「社会的力」の質的・量的規定とその理論的な適用の検討 は,資本主義の制限性,歴史性の検討を含み,資本主義の発展にそくした具体的な運動を反映した 形での「物神性」と「貧困化」問題を,「社会的力」の作用および影響の問題として,「当事者の日 常の意識」にのぼらせる.
3-1 『資本論』第 3 巻領域での「社会的力」の役割
マルクスの文献で引用した「資本の力」あるいは「社会的力」やその関連で言及される「貧困 化」に関する叙述は,『経哲草稿』では「資本の利潤」,『要綱』では「資本の章」,「1861―63年」草 稿では「貨幣の資本への転化」と「資本と利潤」,『諸結果』では資本の直接的生産過程の諸結果と しての総括を踏まえた資本の流通過程や総過程への展望を示す課題を持った箇所において見られ た.また,「資本の力」および「社会的力」の言及は,資本の物神性との関連で見られた.さら に,「主要草稿」や「1861―63年草稿」「ノートⅩⅥ」の「資本と利潤」項目では,一般的利潤率の 傾向的低下法則との関連で,「社会的力」の叙述が存在し,「1861―63年草稿」「ノートⅠ・Ⅱ」の
「貨幣の資本への転化」項目で触れられた利子生み貨幣資本の考察で示された「社会的力」の言及 は,「主要草稿」の利子生み貨幣資本の考察でさらに展開されている.これらのことから,「資本の 力」および「社会的力」の役割と位置づけを考えれば,資本の現実の運動における具体的な諸形態 が問題となり,具体的な経済関係における当事者の「日常の意識」のなかで認識され確認される動 きおよび作用が問題となる場合に,『経哲草稿』から各文献を経て受け継がれている「社会的力」
の捉え方が有用性を発揮することを導き出すことができる.
一般的利潤率の低下法則の考察に際して言及された「社会的力」に関する叙述や利子生み貨幣資
31
「社会的力」としての商品(価値)・貨幣・資本の概念とその適用(鳥居)
本の考察で言及された「社会的力」の叙述は,資本および資本主義の性質を「力」概念で認識させ る表現として,妥当性を有するものと考えられる.それゆえ,資本主義の発展に伴う「社会的力」
の質的・量的規定とその理論的な適用の検討は,「物」の持つ「力」の作用を考えるうえで重要な 意味を持ちうる.その際には,厳密な価値理論,剰余価値論,資本蓄積論によって構成される理論 体系とは区別して,「社会的力」の質的・量的規定を検討するとともに,「社会的力」の作用とその 影響力を検討することの役割も示される.
3-2 実体経済領域における「社会的力」の質的・量的規定
実体経済について,ここでは,それを労働に基づく価値実体を有する商品や貨幣,資本の動きに 関わる経済と捉え,そのような価値実体を有する商品や貨幣,資本が関与する生産・分配・消費の 動きが展開される領域を実体経済領域と捉える.実体経済領域における「社会的力」とその作用が ここでの考察対象となるが,労働を源泉とする価値実体を持つ「社会的力」については,すでにマ ルクスの文献考証でその内容が示されている.それゆえ,ここでは,実体経済領域における「社会 的力」の大きさを検討したうえで,とりわけその「社会的力」の作用について考えてみたい.
すでに示したように,社会的労働が対象化されて価値として当の労働者から自立化し,労働者に 対立して存立する「社会的力」は,「日常の意識」としては,商品の「交換力」として,また商品 であれば何とでも交換できる貨幣の「交換力」や「購買力」として,さらには自分自身を増殖させ る資本の「増殖力」として認識される.そして,それらの「力」の大きさは,本質的には社会的労 働の量によって規定されるが,「力」として目に見える形をとって示される大きさは,それぞれの 価値額で示される.例えば, 1 万円の価値を持つ商品であれば, 1 万円という価値額(=価格)で 示され,「社会的力」としては, 1 万円の「交換力」を持つ商品として捉えられる.また, 1 万円 の価値をもつ貨幣であれば,どのような商品に対しても 1 万円分の「交換力」や[購買力」を行使 できるものとして捉えられ, 1 年間に 1 億円の価値増殖をする資本であれば, 1 億円の「増殖力」
を持つものとして捉えられる.そして,それぞれそのような大きさの「力」を持つものとして,人 間の経済活動に参与し,その活動に影響力を持つことになる.
「社会的力」の大きさは,価値の存在形態である貨幣の所有者,価値の増殖運動を展開する資本 の担い手にとっては,より現実的な実感を持ちうる.例えば, 1 万円の貨幣の所有者と10万円の貨 幣の所有者とでは,貨幣の所有に関する「経済力」は,10倍の開きが存在し,その差は,実際に商 品を購入する際の「交換力」や「購買力」の違いに反映される.また,同じ大きさの資本の運動 で, 1 年間に 1 億円の価値増殖をする資本と,10億円の価値増殖をする資本とでは,その「増殖 力」に10倍の差が生じることになり,その違いは,その当事者でなくとも十分認識しうることとな る.その「力」の差は,競争が問題になる場合には,とりわけ競争の当事者にとって重要な意味を 持つ.例えば,ある商品を「競り」で購入する際には,商品取引における貨幣の「力」が当事者間
で認識され,「力」の大きさによって取引の動向が左右される.もちろん,その際に当事者間の駆 け引きもあるが,所有する貨幣の「力」は,その駆け引きにも影響力を持つ.また,諸資本の競争 においても,資本の大きさ(=「力」)とその「増殖力」は,競争の「勝ち」「負け」を左右させる だけの影響力を持つ.実体経済領域においては,価値実体に規定される「社会的力」の大きさに対 する制限性があるとはいえ,その「力」関係は,貨幣および資本の所有者が実感する「社会的力」
とは別に,「力」を生み出す当事者が受ける「力」の影響も看過することはできない.この「力」
の影響は,「力」の提供者でありながら,自己が生み出した「力」と対立し,その「力」に振り回 される労働者にとって,「精神的貧困(マルクスのいう「絶対的貧困」)」として端的に示される.問 題は,そのような「力」の大きさで示される「貨幣の力」や「資本の力」,労働を「搾取する力」
や「支配する力」である.
すでにマルクスの諸文献で「疎外された労働」に関わる「精神的貧困」および「貧困化」として 示されているように,実体経済の動きによって生み出される「社会的力」の影響力は,看過しがた い.しかし,実体経済の制限性を超える「社会的力」の膨張によって,問題は,さらに深刻化す る.この点は,次の項目で検討してみたい.
3-3 架空・信用経済領域における「社会的力」の質的・量的規定
労働に基づく価値実体がないという意味での「架空な」商品・貨幣・資本が,ここでの問題対象 となる.すなわち,信用に基づいて,価値実体がなくとも,あたかも「価値」を有するかのように
「社会的力」を持つ諸要素による生産・分配・消費の運動が考察の対象となる.そして,その価値 実体に基づかない「社会的力」に関わる生産・分配・消費の動きを,架空・信用経済と捉える.ま た,価値実体のない商品,貨幣,資本の生産・分配・消費の運動領域が信用によって与えられると いう点に鑑み,ここでは,その運動領域を架空・信用経済領域と捉える.
価値の実体のない「社会的力」は,信用および信用制度によって,人間の社会関係において生み 出されるにもかかわらず,人間から自立化した「力」として人間を振り回す作用をする.信用によ る「社会的力」の生成およびその拡大は,その「力」を所有する者と所有しない者の格差を生じさ せ,その「社会的力」の拡大に伴って格差も拡大する.「力」による格差拡大を度外視しても,信 用による「社会的力」の拡大は,実体経済の制限性を遙かに超越して,大きな力を生み出す仕組み および環境づくりを伴い,「力」の膨張と収縮による影響力を強める.マルクスが,「利子生み貨幣 資本の姿態において,資本関係はその最も疎外された,その独自な形態にあるものとして現れる」
(MEGA.II/4.2S.849)と指摘しているように,人間から自立した「社会的力」としての利子生み貨 幣資本が,労働者だけでなく,経営者をも含めた人間を振り回す「力」を持ち,「精神的貧困」の 拡大を生じさせる.この問題は,次にグローバリゼーションとの関係で改めて検討することにした い.
33
「社会的力」としての商品(価値)・貨幣・資本の概念とその適用(鳥居)
4 「社会的力」概念とその適用の現代的意義
4-1 グローバリゼーションと「社会的力」
「社会的力」の考察意義は,価値実体のあるなしにかかわらず,商品・貨幣・資本の持つ「力」
の性質,大きさ,作用,影響力を,「日常の意識」で把握させることであり,その「力」の存在の 認識に基づき,「力」によって生ずる問題に対する対策を導き出すことができることにある.
資本主義の歴史を振り返れば,例えば,「独占力」としての「強い力」の行使による経済的な不 公正さ,あるいは競争上の不公正な行為が生じないように,「強い力」を規制する対策が,独占禁 止法(持ち株会社禁止など)や大店舗法,労働者派遣法,所得税の累進性強化などの対策として取 られていた.
グローバリゼーションの特徴は,資本の運動に関わる規制緩和(=「社会的力」の規制緩和)が 国境を越えて世界規模で推進されることであり,「社会的力」の作用による問題の拡大として捉え られる.
グローバリゼーションの動きを代表する金融の自由化,金融商品あるいは金融派生商品の供給拡 大,株式,国債などの架空資本の増大とその影響は,まさにグローバル化によってさらに質的・量 的変化が促進されて膨張する「社会的力」の影響力の反映と捉えることができる.グローバリゼー ションの動きとともに,価値実体に基づく「物」の「社会的力」だけではなく,価値実体に基づか ない「物」の「社会的力」は,質的にも量的にも拡大する.しかし,そのことによって,「社会的 力」の性質が基本的に変えられることはない.例えば,架空資本という形をとって「社会的力」を 示す資本は,とりわけグローバル資本主義段階において,価値実体の制限性を超えて量的な拡大傾 向を示す.そして,「社会的力」からの疎外を示すその性質は,本来その背後にあるはずの人間労 働や人間関係を全く見えなくさせ,その「力」の大きさが示す数字上の動きを経済活動の最大の指 標とさせる.それゆえ,現代資本主義における「カジノ資本主義」的側面も,「株で儲ける力」を 推奨させる動きも,資本の物神性の現代的な表れとして捉えられる.価値実体があるなしにかかわ らず,人間が生み出す商品,貨幣,資本といった「物」が自立化して人間に対峙し,逆に人間を振 り回すという関係は,「社会的力」の大きさが拡大すればするほど,拡大された規模で再生産され ることになる.商品,貨幣,資本の持つ「社会的力」がどのようなものかを捉えることは,その
「力」の性質,大きさ,作用,影響力を理解させるだけではなく,その「力」の存在を認識したう えで,その「力」に対してどのように対応するべきかという対策を導き出すことにもつながる.こ こに,「社会的力」を考察すること8)の意義を見いだすことができる.
8 ) DavidHarvey(2011)は,マルクス『資本論』の検討に際して,貨幣の「社会的力」に注目し,現代