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中欧の貨幣経済化政策
一一金融・資本市場の創設一
福 田 敏 浩Lはじめに
中欧諸国(ポーランド,チェコ,スロヴァキア,ハンガリー)が社会主義から資 本主義への転換を開始してから3年余になる。各国に共通する体制転換政策の 柱は私有化,市場化および競争化である。国有制から私有制への転換,財・サ ーヴィス・労働・マネーの面での市場経済の導入,軽工業・サーヴィス業への 産業構造のシフトおよび産業の競争化が主たる内容である。国ごとに政策の重 点,実施速度,達成度などに若干の相違は見られるが,各国とも目下,これら の政策課題の実現に向けて全力を傾けている。 本稿は,中欧諸国における金融・資本市場の形成政策に焦点を当て,これら の地域での国民経済の貨幣化(monetization)の進捗状況を把握しようとするも のである。 社会主義時代の中欧各国の経済運営は,ソ連・東欧諸国と同様に,実物中心 で行われ,マネーは補完的・補助的な役割しか演じていなかった。コルナイ(J. 1) Kornai)の言葉を借りれば,半貨幣化経済(semi−monetized economy)のレベル に止まっていたのである。EU(欧州連合)への加盟を目指して,体制の資本主 義化と経済の対外開放化に取り組んでいる中欧各国にとって国民経済の貨幣化 は急務である。事実,中欧各国政府はこのことを十分に自覚して精力的に貨幣 経済化政策を推進している。立ち入ってみよう。 II.パイオニアとしてのハンガリー 中欧の貨幣経済化政策は具体的には金融市場と資本市場の形成の形を取って 1) Kornai (12) p. 131.2 彦根論叢 第289号 いる。この方面の政策に先鞭をつけたのはハンガリーである。この国ではすで に社会主義時代に金融・資本市場の形成へ向けての準備が着ftと進められてい た。その足取りを簡単に振り返っておこう。 ハンガリーがソ連圏管理社会主義から独特の市場社会主義への移行を開始し たのは1968年1月1日のことであった。その体制転換政策の基本戦略は,生産 手段の国有制を保持したままで資源配分システムを中央管理経済から市場経済 へ転換することにあった。市場経済化戦略の一環として国民経済計画の指示計 画化と国有企業の自立化が行われる一方,各種市場の制度化が実施された。も っとも市場の制度化といっても,当初は主として消費財市場と生産財市場の制 度化に力点が置かれたのであって,労働およびマネーの市場化は日程にのぼら なかったことに注意しておかねばならない。また,市場経済の作動にとって不 可欠の価格の自由化も,一挙かつ全面的に実施されたのではなく,消費財およ び生産財について部分的かつ漸進的に行われたにすぎなかった。価格自由化の 開始からほぼ15年を経た1980年代前半に公定価格から自由価格への転換を完了 していたのは,食品・贅沢品の40%,化学製品の75%,建設資材の65%,サー ヴィスの75%であった。 1968年以降における市場社会主i義の実験の初期の段階では金融・資本市場の 形成の余地はなく,イデオロギー的な理由から資本という言葉さえ使われるこ とはなかったが,実験の進展に伴いハンガリー政府はマネーの果たす役割の重 2) 要性に気づき始め徐々に金融・資本市場の形成に乗り出すようになった。1970 年代後半には産業別の国有専門銀行が設立され,1979年にはオフショア・バン キング機関の営業が公認されたが,これらの金融機関はいずれも小規模でその 業務は産業の発展および技術革新向けの融資,短期貿易融資に特化されていた。 ハンガリー政府は国内の金融市場の育成の一環として国際金融機関の支援を 取り付けることにも力を注ぎ,1981年にはIMFおよび世界銀行への加盟に成 功した。これらの機関への加盟は政治的にはソ連からの相対的独立の獲得に, 2)この点については福田〔7〕を参照されたい。
中欧の貨幣経済化政策 3 3) 経済的には多額の信用の迅速な調達に与かって力があった。また,IMFおよ び世界銀行への加盟は国際会計基準の導入や企業におけるマネジメント・会計 ・財務の近代化を促進し,経済官僚や企業マネジャーに対し少なからぬ教育効 果を及ぼしたのである。 国有企業の自立化も金融・資本市場の形成に一役買った。外国貿易企業はも とより,一般の生産企業にも外国貿易業務への参入が認められたため,企業セ クターのかなりの部分が外国での市場取引を体験した。加えて国内市場でも企 業は市場アクターとして自立的に行動し,企業マネジャーは市場行動能力を身 につけるようになった。このような内外市場での企業活動の活発化によってフ ァイナンス・サーヴィスへの要求が高まり,1980年代に入ると金融・資本市場 の形成に拍車がかかるようになった。 ハンガリーの1987年はこの国の金融史を画する年となった。他の国に先駆け て従来のモノバンク・システムから二層バンキング・システム(two−tire banking system)への転換が実施されたからである。ハンガリー・ナショナルバンクによ る中央銀行業務と商業銀行業務の兼営が改められ,中央銀行業務はナショナル バンクが,商業銀行業務は新設の商業銀行が担当することになった。新しい商 業銀行は,ナショナルバンクの商業銀行業務部門を独立させる形で設立された。 ハンガリー信用銀行,国民商業信用銀行およびブダペスト信用開発銀行の三つ であるが,これらの商業銀行は私営ではなく,国有銀行であることに注意して おかねばならない。商業銀行の私有化は共産党政権のもとでは行われなかった のである。1980年代末には商業銀行のほか,約260の貯蓄銀行(貯蓄組合を含む) が存在していた。これらの貯蓄銀行は家計向けに特化されており,家計のマネ ーを企業へ仲介する金融機関ではなかった。企業への信用供与を担当していた のは商業銀行である。商業銀行は企業向けに,貯蓄銀行は家計向けに特化され ていたのである。したがって当時は,銀行が家計と企業とのマネーフローを仲 介するという本来のバンキング・システムはまだ登場していなかった。とはい え,二層バンキング・システムの導入はハンガリーにおける金融市場の形成を 3) Csaki C4) p.7.
4 彦根論叢 第289号 促進し,国民経済の貨幣化を加速したことは疑いのないところである。 次に資本市場の形成に目を転じてみよう。1982年以降に石油・天然ガス債(個 人向け5年債=利率7.5%,8年債=9%)や個人向け電話債券が登場し,きわめ て制限された小規模のものであったとはいえ,社債市場が形成され始めた。1988 年には債券の発行条件および家計によるその引き受けが自由化され,社債発行 の拡大へ向けての環境が一段と整備された。1980年代末までに320社の社債が発 行され,その総額はおよそ300億フォリントにのぼった。さらに政府は,財政赤 字をカバーするために国庫証券という名の短期国債を発行し,地方自治体も中 央政府に倣って地方債を発行するようになった。社債市場および公債市場の場 を通してマネーが家計から企業および政府へ直接流れるようになったのである。 1987年には国有企業の株式発行が公認され,国有企業は社債のほか株式の発 行によって資金を直接調達できるようになった。当初は企業株主(国有銀行,国 有企業など)だけが認められていたが,1988年秋に当時の西ドイツの会社法に倣 って制定された新しい会社法によって,1989年の年初から個入株主も公認され た。新会社法はまた,従業員500人以下の制限付きではあったが,個人,法人お よび外国入による私企業の設立を認めた。私企業設立の自由化は個人株主の容 認とあいまって株式市場の形成を促進した。 以上に見た資本市場の形成は,企業の直接金融を可能にすると同時に,家計 貯蓄の金融資産化をも可能にし,家計と企業との間の直接的なマネーフローの 形成に与かり,国民経済の貨幣化を促したことは明らかである。もっとも,資 本市場の形成といってもその規模は小さく,法制的フレームワークも未完成の ままであった。資本市場の本格的な整備は1990年1月1日の「株式および債券 の発行に関する法律」の発効を待たねばならなかった。これについては後述す ることにしよう。 III.1980年代の金融・資本市場の形成政策 4) 中欧諸国は東欧革命後の1990年以降一斉に資本主義への転換に乗り出した。 4)詳しくは福田〔8〕および福田〔9〕を参照されたい。
中欧の貨幣経済化政策 5 ポーランドでは1990年1月1日から経済安定化と価格の全面自由化を中軸とす るショック・セラピー政策が実施され,資本主義への移行が本格化した。チェ コ・スロヴァキアでもポーランドとほぼ同様のショック・セラピー政策が1991 年1月1日に開始され,資本主義の建設が急ピッチで行われるようになった。 1968年から資本主義への道を歩んできたハンガリーでは資本主義への転換が一 層徹底化する形で実施された。以下,体制転換に不可欠の金融市場および資本 市場の形成政策を順に見てみよう。 1.金融市場の形成政策 社会主義時代の中欧諸国に共通するバンキング・システムはモノバンクであ り,中央銀行たるナショナルバンクが中央銀行業務と商業銀行業務を兼営し, これを外国貿易銀行や農業銀行などの国有専門銀行と家計向けの貯蓄銀行が補 完するという構成を取っていた。企業に対する信用供与は銀行独自の審査によ ってではなく,中央計画機関の決定に従って行われていた。企業は中央計画機 関の指令した取引の遂行に際し指定された銀行から無制限に信用を獲得しえた のである。銀行はいわば政府の代理人であって,自立した金融機関ではなく, 企業マネジメントをコントロールするという銀行本来の機能を発揮できなかっ た。コーポリット・ガバナンス(corporate governance)の面で重大な欠陥を含 んでいたのである。企業の予算制約のソフト化を招いたゆえんである。 銀行はまた,本来の金融仲介機関としての役割をも演じることができなかっ た。銀行業務が企業セクター向けと家計セクター向けとに二分されていたから である。企業セクターはナショナルバンクと専門銀行によって,家計セクター 5) は貯蓄銀行によって担われていた。このためマネーフローが二分され,マネー の役割は各セクターで自ずから異なったものとなった。企業セクターでは銀行 から供与されるマネーは当局によって指定された業務についてのみ使用可能で あり(マネーの用途の指定),この意味でマネーは一般交換性の性能を欠いてお 5)Miurin, Sommariva〔14〕p.884.もっとも両者の間にまったく繋がりがなかったという のではない。家計と企業との間には最終財の購入に対する支払いのフV一と賃金支払いの フn一があった。これについてはCatte, Mastropasqua〔2〕p.789参照。
6 彦根論叢第289号 り,計算単位としての役割しか演じることができなかった。通貨の国内交換性 6) の欠如といわれるゆえんである。家計セクターではマネーは一般交換性の性能 をもち価値保蔵手段および支払い手段としての役割を演じた。 中欧諸国における今回のバンキ・ング・システムの改革の目的のひとつは,銀 行に対して本来の金融仲介機関としての地位を与え,かつコーポリット・ガバ ナンスの能力を付与するところにある。以下,金融市場形成政策の実際を概観 してみよう。 ハンガリーでは1987年の二層バンキング・システムの導入以後,金融機関の 数が増え,1991年には商業銀行が16,商業銀行のライセンスをもつ外国資本と の合弁銀行が12,専門金融機関が6,貯蓄銀行が約260,保険会社が11に達し7︶ た。加えて1988年からは数ダースに及ぶ外国籍の会計会社および金融コンサル タント会社がハンガリーに進出した。1989年初めには企業セクターと家計セク ターとに二分されていたバンキング・システムが廃止され,現在では商業銀行 も貯蓄銀行も専門銀行もすべて企業向けおよび家計向けの業務を同時に行える ようになっている。銀行が家計と企業とのマネーフローの仲介機関としての役 割を演じる態勢が少なくとも形式的には整えられたといえる。 もっとも,金融機関数の増加および銀行業務の垣根の撤廃は金融市場の競争 化を意味するのではない。金融セクター内部は依然として高度集中の状況にあ り,特定の業務については独占および寡占が存在するのである。たとえば1991 年当時,外国為替業務はハンガリー・ナショナルバンクが独占し,最大の商業 銀行たるハンガリー信用銀行は工業の44%,建設の59%,運輸・電気通信の80 %をファイナンスし,第2位の規模をもつ国民商業信用銀行は国有農場および 農業協同組合を主要顧客とし(顧客に占める割合は60%),ブダペスト信用開発銀 行は農業機器・建設資材・製造・貿易における中小企業へのファイナンスを主 8) 力にしていた。 6) Kornai (12) p, 133. 7) Estrin, Hare, Suranyi C5) p. 790, Jackson (11) p. 64. 8) Estrin, Hare, Suranyi (5) p. 788.
中欧の貨幣経済化政策 7 ハンガリーが目指すバンキング・システムは西側タイプのものであるが,そ の設立および作動に必要な法的フレームワークが順次形成されるに至っている。 1991年11月には中央銀行法が制定され,ハンガリー・ナショナルバンクの主権 が認められた。その法的地位はドイツ連邦銀行とイングランド銀行との中間に 9) あるが,どちらかというと前者に近いといわれる。1991年11月には金融機関法 も制定されたが,それによればハンガリーのバンキング・システムはドイツの 10) ユニバーサル・バンキング・システムに近いものになっている。ただし,規定 では商業銀行は資本市場では直接営業できない。 金融市場での価格たる利子率についていえばバンキング・セクター向けのそ れはハンガリー・ナショナルバンクが設定し,ノン・バンキングセクター向け 11) の利子率については銀行が自由に決定できるようになった。 預金者保護に関する制度の導入も急がれ,1993年3月には国民預金保証基金 が設立された。この基金によって銀行の支払い不能のばあいには預金者は1預 金口座につき100万フォリントまで保証されるようになった。 ハンガリーでは資本主義への転換政策の一環として現存国有企業の私有化と 私企業の新設が精力的に推進されてきたが,そのファイナンスに占める銀行の 投割はますます大きなウエイトを占めるようになっている。現存国有企業の私 有化に関してハンガリー政府が採った主要な方法は企業資産の売却であった。 小企業についてはオークションによる民間への売却が行われ,大企業について はまず株式会社へ転換しておいて次にその株式を売却するという方法が採られ た。後述のようにハンガリーの資本市場が現在揺藍期にあること,また1992年 から新しい破産法が発効し企業の再編および破産における銀行の役割が規定さ れたことを考えると,銀行が私企業に対しプリンシパル(principal,主要貸手, 主要株主)として影響力を行使するというドイツ・日本型のコーポリット・ガバ 9) Csaki (4) p.11. 10)csaki〔4〕p.12.商業銀行は資本市場での取引を禁止されていることから,ハンガリーの バンキング・システムをアングロ・サクソンタイプと見る論者もいる。たとえばThorne (19) p.968. 11) Miurin, Sommariva (14) p. 892.
8 彦根論叢 第289号 12) ナンスが今後定着していくように思われる。 ハンかり一のバンキング・システムは現在円滑に機能しているのではなく, 決済システムの低能率,規制・監視フレームワークの未完成,銀行経営者およ 13) び職員の能力不足,不良債権問題などに悩まされているのが実情である。なか でも早急に解決を迫られているのは不良債権問題である。社会主義時代におけ る企業への野放図な信用供与の多くは不良債権化し,それを引き継いだ銀行の 経営を圧迫した。このため政府は不良債権の買い取りを決め,三つの銀行の不 良債権の50%をカバーした。また,政府は1992年に不良債権処理計画を発表し, 同年12月に総額で1026億フォリントの不良債権を794億フォリントの整理債権 に転換する措置を取った。整理債権は国家開発投資会社によって購入されたが, この会社は資本市場で負債一一株式スワップによって整理債権を現金化すること 14) を目指している。 ポーランドでは1989年1月にモノバンク・システムから二層バンキング・シ ステムへの転換が行われ,ポーランド・ナショナルバンクの九つの地域部門を 九つの国有商業銀行として独立させる措置が取られた。バンキングセクターの 競争促進のため私営銀行の設立および外国銀行の誘致が行われ,1990年末には 24の私営銀行と13の外国銀行の営業が許可された。同時期の銀行総数は63,貯 15) 蓄組合数は1665であった。 ポーランド・ナショナルバンクは議会に対して責任を負う中央銀行となった。 ナショナルバンクは主として信用量の調節によって金融政策を行っているが, 議会の承認したシーリングに到達したばあいには政府への信用供与を拒否でき る権限を付与されている。 ポーランドのバンキング・システムはドイツ型のユニバーサル・バンキング 12)ハンガリーをはじめとする中欧および東欧諸国は,いわば「隣の」制度であるドイツの ユニバーサル・バンキング・システムを積極的に導入すべきだと主張する論者もいる。た とえば, Steinherr〔18〕pp.1048−1049。 13) Miurin, Sommariva (14) p. 9e2, Thorne (19) pp. 964−965. 14) Csaki (4) p. 17, 15) Jackson Cll) pp.64−65.
中欧の貨幣経済化政策 9 ・システムであり,銀行は商業銀行業務と投資銀行業務を兼営し,不動産や証 券への長期投資を行うことが認められている。もともとこの国の国有企業の銀 行信用への依存度はハンガリーやチェコ・スロヴァキアに比べて相対的に高か ったが(企業の資金調達に占める割合は1982−88年に平均で2030%),新しいバン 16) キング・システムへ移行した1989年には70%に達した。今後,国有企業の私有 化に伴って企業の銀行依存は一層強まることが予想される。事実,すでに政府・ は私有化に銀行を積極的に参加させ,存命力のある国有企業の債務救済をリス 17) ケジューリングや帳消しや負債一株式スワップなどの方法で行わせつつある。 銀行は金融市場および資本市場を通して企業マネジメントに対するプリンシパ ルとしての影響力を行使することになろう。コーポリット・ガバナンスの面で の銀行の役割は大きいといわねばならない。 とはいえ,ポーランドの新しいバンキング・システムはまだ揺藍期にあり, ハンガリーのシステムと同様に,うちにいくつかの困難を抱えている。特定銀 行の地域独占・業務独占,低能率の決済システム,規制・監視システムの未整 18) 備,西側の銀行業務に通じた経営者の不足,不良債権問題がその代表であるが, これらの解決にはかなりの時間がかかるであろう。 チェコ・スロヴァキアでは1990年1月に,基本においてハンガリーおよびポ ーランドと同様の二層バンキング・システムへの転換が行われ,私営銀行を含 む26の商業銀行(従業員総数2680人,総資本額125億コルナ)が登場した。このほか 32の外国銀行の駐在部,五つの合弁銀行,三つの外国所有銀行が営業を開始し 19) た。 チェコ・スロヴァキアのバンキング・システムは,ポーランドと同様,ドイ ツ型のユニバーサル・バンキング・システムであり,銀行が金融市場と資本市 場の双方で営業することが認められている。従来,国有企業の銀行信用依存度 16) Catte, Mastropasqua (2) p. 812. 17) OECD (15) p.67. 18) Miurin, Sommariva (14) p. 890. 19) Jackson (11) p.64.
10 彦根論叢 第289号 は相対的に低かったが,国有企業の私有化に伴い今後企業に対するプリンシパ ルとしての銀行の影響力は高まるものと予想される。 20) 中欧の中で銀行の私有化が最も進んでいるのはチェコ・スロヴァキアである。 この国では1992年にバウチャー(voucher)方式で国有企業の私有化が行われた が,その一環として国有銀行も私有化された。7大銀行 Zivnostenska Bank, Komercni Bank, the Czech Savings Bank, the Slovak Savings Bank, the General Credit Bank, the Czech Investicni Bank, the・Slovak・lnvesticni・Bank一がその対 象となり,それらの不良資産を国有整理基金に移した後にそれらの株式をバウ チャーで国民に配分した。たとえば,Zivnostenska Bankのばあいにはその株 式の48%がバウチャーで国民に配分され,40%はドイツのBHF銀行が買い取 り,12%は国際金融会社が買い取った。Komercni Bankの株式の53%, the Czech Savings Bankの株式の37%がバウチャーで国民に配分され,残りは国 21) 家の手元に残った。その後大半の国有銀行の私有化が行われるようになった。 チェコ・スロヴァキアのバンキング・システムも上述したハンガリーおよび ポーランドのシステムと同じような困難を抱えている。ただ,決済システムに ついては1992年初めにコンピューター化されたリアルタイムの決済ネットワー 22) クが作動し始めており,システム効率の改善が期待される。 2.資本市場の形成政策 中欧諸国における資本市場の形成は,国有企業の私有化と私企業の新設に伴 なって本格化した。国有企業の私有化は,まず国有企業を株式会社に転換し次 にその株式を売却するかあるいはそれをバウチャーによって国民へ配分するか の方法で行われた。このことによって株式の取引の場たる株式市場の形成が急 務となった。私企業の新設や合弁企業の設立や外資企業の誘致や国債の発行も, 株式市場や債券市場の形成を促した。以下,これらの資本市場の形成政策を国 20)ポーランドでは1992年7月にポーランド輸出開発銀行が私有化されたが,この国の銀行 私有化はまだ緒についたばかりである。ハンガリーでは1992年現在銀行の私有化は行われ ていない。OECD〔15〕p.69, 21) OECD (15) p.69. 22) Folkerts−Landau, Garber, Lane (6) p. 865,
中欧の貨幣経済化政策 11 別に見ていくことにしよう。 ハンガリーでは1990年6月にブダペスト証券取引所が再開され(1864年開設, 1947年閉鎖),債券・株式取引に公式の制度的フレームワークが付与された。証 券取引所は41の会員によって設立された当初資本2億2160万フォリントの非営 利組織である。その法的フレームワークはアングロ・サクソン・スタイルをと っている。証券取引所では社債,国庫証券および株式などが取引されるが,そ の仕組みは当初二層構造の形を取っていた。一層目には上場証券が位置し(上場 の最低条件は初期資本が2億フォリント以上の企業),二層目は上場証券よりも参 入条件がゆるやかな登録証券が位置した。証券取引所再開の初年度に当たる 1990年には5社 DUNAHOLDING RT., FOTEX RT, IBUSZ RT., KONZUM RT., STYL RT., SZTRADASKALA RT., ZALAKERAMIA RT。 の株式が上 23) 場され,AGRIMPEX RT.をはじめとする9社の株式が登録された。また,同 年には23億フォリントにのぼる個人向けの短期国庫証券が発行された。証券取 引所における1990年の株式および債券の取引総額は70億フォリントであった。 24) 1991年には参入企業の数も増え新たに13社がその株式を上場した。同年の債券, 株式,手形,先物およびオプションの取引総額は110億フォリントに増えた。ま た同年12月には総額150億フォリントの中期国庫証券が発行された。 ブダペスト証券取引所の取引に参加した投資家の大半は外国人(機関投資家, 個人投資家)であり,国内投資家の参加は少なく,株式を取得したハンガリー人 25) はおよそ25000人であった。証券取引所での株式取引は1990年と1991年を通じて 低調であった。その理由は企業業績の悪化ではなく,株式需要が低かったこと による。ハンガリー人のストックした貯蓄の多くが小ビジネスに投資されたか, 26) 銀行口座に預けられたのである。 株式および債券の取引の振興のため1992年6月にブダペスト証券取引所に第 23) Rotyis C16] p.48. 24) Rotyis (16) p.53. 25) Rotyis C16] p.52. 26) OECD (15) p. 74.
12 彦根論叢 第289号 三層として自由市場が設けられた。これは第一層および第二層よりもゆるやか な条件で債券や株式を売りに出すことができるマーケットである。この市場の 開設によって1992年半ばに40の公企業の株式と260社の債券が売りに出される 27) ことになった。このような振興策にもかかわらず,証券取引所での取引はその 参入のハードルが依然として高いために低調であり,多くの企業を取引所から 遠ざけてきた。証券取引の80−90%は取引所外の店頭市場などで行われたとい 28) われる。 コーポリット・ガバナンスの面からすると現在のハンガリーの資本市場は企 業マネジメントを統御しうるだけの能力を有してはいない。企業の予算制約の ハー h化のためには,たとえばアメリカにおけるように,とくに機関株主や法 人株主が乗っ取りや株の買い占めによって企業マネジメントに圧力をかけ株主 利益の実現を図ることが必要だが,ハンガリーの資本市場はまだそこまで成熟 していない。資本市場の成熟には株式会社の拡大と国民の貯蓄の増大が最:低限 必要だが,ハンガリーでこれらの条件が整うには相当長い時間がかかるであろ う。現下の状況で企業の予算制約のハード化を促進するには金融市場による企 業コントロールを選択するほうが現実的だし,またそのほうがハンガリーにと って得策であろう。 ポーランドでは1991年7月にワルシャワ証券取引所が再開され(1817年設立, 1939年閉鎖),公式の資本市場が発足した。1991年末に20の株式仲介会社と130の 29) 株式ブローカーの営業が認可された。証券取引所に上場した企業は同年末で8 社であった。ポーランドにおける資本市場は,取引所以外の市場を含めてもま だきわめて小規模で投機的色彩の濃いものであって,コーポリット・ガバナン スの能力を発揮しうるような状況にはない。少なくとも現在計画中の国家投資 会杜を軸にした国有企業の大量私有化(mass privatisation)が本格的に実施さ れ,株式の取引が活発化するようになるまでは資本市場を通してする株主の企 27) OECD (15) p.75. 28) OECD (15) p,75. 29) OECD (15) p,75.
中欧の貨幣経済化政策 13 業統御は期待できない。コーポリット・ガバナンスのためには,サックス(J, 30) Sachs)の言うように,さしあたりドイツや日本におけるように商業銀行に株式 取得を認めることが必要だろう。 最:後にチェコ・スロヴァキアについて見ておこう。この国での資本市場の形 成は私有化政策にリンクする形で行われた。この国では国有資産の売却という 戦略よりも,財産所有の公平という観点から国民への企業資産の平等配分とい う戦略が取られた。その具体的方法として採用されたのはピッツバーグ大学の エコノミストとチェコ・スロヴァキア連邦財務省のエコノミストの合同チーム によって考案されたバウチャー方式であった。それ.によれば18歳以上の国民は 財務省の発行するバウチャーを35コルナで取得することができる。バウチャー は点数で表示され1人当たりの持ち点は1000点である。国民はあらかじめ連邦 財務省のアナウンスした企業の株式の取得を1000コルナの登録料を添えバウチ ャー券で申し込むのである。この方式は1992年に実行されることになり,同年 春に国民へのバウチャーの配布が開始された。マジョル(1.Major)によれば, この方式は予期せざる成功を見,18歳以上の国民1150万人のうちバウチャー購 31)入者は850万に達し,1500の企業の株式にバウチャーが投資された。 バウチャーの投資方法は購入者自身がアナウンスされた企業の株式をその簿 価で直接取得する方法と,株取引を行う目的で設立された投資信託会社に信託 する方法の二つがある。投資信託会社は民間によって設立された仲介機関であ り,高率の配当金を支払うという約束でバウチャー保有者からバウチャーを購 入し,それを株式取引に運用して利益をあげようとする営利会社である。1992 年にすでに436もの投資信託会社が設立されたが,その70%は銀行の子会社であ 32) つた。バウチャー保有者のうち投資信託会社にバウチャーを信託した者の割合 33) は72%に達した。 30) Sachs (17) p.91. 31) Major (13) p. 122. 32)Major〔13〕p.122,0ECD〔15〕p. 83.国有株式会社や国有銀行にも投資信託会社の設立 が認められた。これについてはClaassen〔3〕p.607参照。 33) Major (13) p. 122.
14 彦根論叢 第289号 バウチャー方式の実施は,資本市場の形成を促した。1993年1月に独立した チェコ共和国では,機能し始めたプラハ証券取引所で1993年半ばにはおよそ 1000社の株式が取引されるようになった。取引所および店頭市場での株式取引 は今後一層活発化することが予想されるが,このことによって私有化された企 業の予算制約のハード化が促進されるようになるかどうかは予断を許さない。 多くの専門家が指摘するように,バウチャー方式を実施すると多数の小株主が 発生するが,小株主は企業経営に直接関心を持たないスリービング・パートナ ーだから企業マネジメントを有効に統御できないというコーポリット・ガバナ 34) ンス上の問題が出てくるのである。現在のところ年金基金,保険会社などのよ うな有力な機関株主はチェコには登場していないので機関株主によるコーポリ ット・ガバナンスはここ当分の間期待できそうにない。その役割を期待できる のは今のところ投資信託会社であるが,それが取得できる1企業の株式は発行 株式総額の20%以内に制限されているので果たして有効なガバナンス能力を発 揮できるかどうか疑問なしとしない。機関株主および法人株主による有効なコ ーポリット・ガバナンス・システムの制度化が待たれるところである。
IV.おわりに
20世紀は革命の世紀である。社会主義の創造と破壊の革命の時代である。創 造革命は武力革命の形を取ったため旧勢力を一掃し,共産党独裁を可能にし, 社会主義への転換を比較的短期間に実現した。1989年の東欧革命に端を発する 破壊革命は平和革命の形を取ったため 西ドイツに吸収合併された東ドイツを 別として 共産主義勢力を生き延びさせ,体制転換に抵抗する強力な守旧勢 力にさせてしまった。加えて多党連立政権の登場は政治を不安定にし,資本主 35) 義への早期転換を困難にしている。現在「エルベからウラジオストックまで」 34)たとえば,Acta Oeconomica〔1〕p.229, Welfens〔20〕p.324。また,ゴムルカが指摘 するように,バウチャー保有者が現金欲しさにすぐさまバウチャーを売りに出すので値崩 れが起こり,内外の資本家が国有資産を不当に低い価格で取得するという危険もある。 Gomulka (10) p. 97. 35) Sachs (17) p, x iii.中欧の貨幣経済化政策 15 体制転換が実施されてはいるが,ロシアやバルカンおよび中央アジアの旧社会 主義諸国ではその実施は予想以上に難航している。体制転換政策が継続されて いくかどうかは予断を許さない国もある。 これに対し中欧諸国での体制転換は,減速の兆候が見られるものの,比較的 順調に進行していると言ってよい。中欧とEUの相互接近ひとつを取ってみて も中欧諸国の資本主義への転換は既定方針となっていることが分かる。時に難 航するとしても逆戻りの可能性はほとんどないであろう。 中欧各国は現在,私有化,市場化,競争化,貨幣化を同時平行的に実施し, さながら体制転換の実験場の様相を呈している。本稿で取り上げた貨幣化政策 は市場化や私有化はもとより国民経済の対外開放化にとってきわめて重要な役 割を演じる。貨幣化政策の成否が体制転換の鍵を握っていると言えるかもしれ ない。中欧諸国の体制転換の進捗状況を把握するには今後とも貨幣化政策の進 展に注意を向けておく必要があろう。 参 照 文 献 ( 1 ) Acta Oeconornica(ed.) : Debate on the Transition of Post−Communist Economies to a Market Economy, in : Aeta Oeconomica, Vol. 44(3−4), 1992, pp. 219−378. (2) Catte, P., Mastropasqua, C.:Financial structure and reforms in Central and Eastern Europe in the 1980s, in : Jozarnal of Banleing and Finance, 17, 1993, pp. 785 −817. ( 3 ) Claassen, E.一M. : Cleaning the Balance Sheets of Commercial Banks in Eastern Europe and Their Role in Corporate Govemance, in: MZeltwinschaftliches A rchiv, Bd. 129, Heft 3, 1993, pp. 600−609. (4) Csaki, G.: Recent lmProvements in Hungan’an Banking, Working Paper No.27, Cemmittee on Social Policy, Hungary, December 1993. (5) Estrin, S., Hare, P., Suranyi, M.:Banking in Transition:Development and Current Problems in Hungary, in : Soviet Studies, Vol. 44, No. 5, 1992, pp. 785−808. (6) Folkerts−Landau, D., Garber, P., Lane, T.: Payment system reform in formerly centrally planned economics, in : lournal of Banking and Finance, 17, 1993, pp. 849 −868. 〔7〕福田敏浩「揺れ動く東欧諸国の経済体制」野尻武敏,丹羽春喜,福田敏浩,嵐田万寿夫 『ひとつのドラマの終り一共産主義の倒壊一』晃洋書房,1991年。 〔8〕福田敏浩「中欧の体制転換一社会主義から資本主義へ一」『彦根論叢』第278号,1992
16 彦根論叢 第289号 年。 〔9〕福田敏浩「体制転換の経済政策」『彦根論叢』第283・284号,1993年。 (10) Gomulka, S. : Economic and Political Constraints during Transition, in : EuroPe− Asia Studies, Vol. 46, No. 1, 1994, pp. 89−106. (11) Jackson, M. R : Company Management and Capital Market Development in the Transition, in : J. R. Lampe(ed.) : Creating CaPital Marfeets in Eastern EuroPe, The Johns Hopkins University Press 1992, pp. 57−74. (12) Kornai, J. : The Socialist System, The Political Economy of Communism, Princeten 1992. (13) Major, 1. : Pn’vatdeation in Eastern EuroPe, A cn’tical APProach, Hants Vermont 1993. (14) Miurin, P., Sommariva, A. : The financial reforms in Central and Eastern Eur− opean countries and in China, in=ノburnal qプBanleing and Finance,17,1993, PP.883 −9!1. (15) OECD(ed.) : Trends and Policies in Pn’vatisation, Vol. 1, No. 1, Paris 1993. (16) Rotyis, J.:The Budapest Stock Exchange:Lessons and Challenges, in:J. R. Lampe(ed.) : Creating CaPital Marleets in Eczstern EuroPe, The Johns H opkins University Press 1992, pp. 47−55, C17) Sachs, J, : Poland’s lumP to the Market Economy, Cambridge London 1993. (18) Steinherr, A.: An innovatory package for financial sector reforms in Eastern European countries, in : Jozarnal of Banking and Finance, 17, 1993, pp. 1033−1057. C19) Thorne, A. : Eastern Europe’s experience with banking reform : ls there a role for banks in the transition ?, in : fournal of Banking and Finance, 17, 1993, pp. 959−1000. (20) Welfens, P, J.」,:Privatisierung und externe Liberalisierung:Probleme der Systemtransformation in Polen, in : OleDO, Bd. 44, 1993, pp. 319−344. 一1994・ 5 ・ 9 一