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近代都市空間に関する地理学的研究

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九州大学学術情報リポジトリ

Kyushu University Institutional Repository

近代都市空間に関する地理学的研究

遠城, 明雄

九州大学文学研究科史学専攻

https://doi.org/10.11501/3106913

出版情報:Kyushu University, 1995, 博士(文学), 課程博士 バージョン:

権利関係:

(2)

第三 2 主主主 生活構

はじめに

、 とまニ

ユεョー �室主さイじ と 「 笠三ず舌実在 」 R司是夏 一公設市場 ・ 同業組合 ・ 企業内組合一

1 9 18 (大正7)年に富山県で発生した 「米騒動」 は全国に波及し福

岡県内でも、 戸畑、 門司 、 大卒回 、 筑豊地域で騒擾へと発展した。

騒授は軍隊な どの出動により 鎮圧されたが、 その対応策として公設 市場や簡易食堂を中心とする都市社会事業が本格的に開始されるこ とにな った 。 またこ の時期から都市計画法の制定など 都市計画とい

う グランドプラン作りも本格化 する 。 ここで都市にお げる 日常生活 の 規律化 」 も新たな様式 / 段階を迎 え たといえ よ う 。 しかしこ う した諸政策は人々が自らの生活水準の保障を求めたことへの対応と してその制約を受げていたことも事実であり 、 単に上から の統制に 留まらない側面をもっている 。

本章では、 「米騒動」 を契機として露呈した都市での 「消費問題」

の位置付げを、 都市社会事業との関連から明らかにすることを試み る。 これに加えて、 それ以前から存在していた企業内共済組合(購 買会)と都市商業との対抗的関係についても触れたい 。 都市社会政 策にしても企業内共済組合にしても、 既存の労働力再生産の方法が 新たな資本制の段階にそ ぐわな く な っ たことから現出 した ものであ る点では共通しており 、 都市社会の秩・序の再構造化が問題とな って いるのである 。

特にそれをめぐる社会諸集団 / 諾階層の動向に関心を寄 せ る か 、 その理由は社会事業という範賎とその具体的な 「装置」がそれを担 う 新たな 主体」 の形成に密接に結びついている か ら で あ る 。

とこ ろで 日本近代都市史研究のなかで公設市場と都市の地域社会

の関連を扱った研究が幾つかみられる 。 例えば原田敬一 氏は 、 l 土着名望家の予選体制による都市支配」という氏の続点に基づい て 、 大阪市を事例として消費生活の変容と公設市場設置をめぐる市 政刷新会の活動による従来の支配体制の崩壊とを関連づげて明らか にしている1 )。 また視点は若干異なるが、 布川弘氏は 「下層社会」

?

おげる行商な ど 消費での結びつきが 、 日露戦後の 「都市駁援期J Jのひとつの前提として役割を果たしたと評価したうえで 、 こうし

(3)

た社会的つながりの切断を意図したのが公設市場の設置であり、 そ れは一定の効果を発揮したとする:-1 )。

一方、 近代商業史の立場から公設 ・ 卸売市場の研究が進められて き たが、 その研究は従 来 余り積極的な意 味を与 え られてこなかった といわれる 。 藤田貞一郎氏はその原因の一端が「講座派」による日 本資本主義発達史の把握にあるとされる4 )。 つまり資本一産業資本

ー の生成および再生産にのみ限定されたその分析視角によって 賃 労 働 再 生産の問 題を扱 う 視点 が 最 初 から欠落している点が問 題でお り、 逆に公設市場を中心にした日用品小売市場の成立が貨労働市場 の形成とその再生産にとって不分離なものと考えられるのである 。

つまり食料品を中核とした日用品の商品化と労働力の商品化は相互 にその成立を 前 提としあっているといえ る 。

第l節 目露戦後の 「生活難」問題と米騒動

日露戦 争 後、 六大 都 市 を 中 心として様 な都市問 題 が 顕 在 化する に至り、 それに対して社会資本の整 備が本格的に開 始されるこ とに なった 。 それは財政緊縮期にもかかわらず、 特に六大都市において 収 益性のある市営 事 業 建設のために都市財政が膨 張している こ とか らも 明 らかである5 \ さらに第 次 大 戦に よる空 前の好 景気のなか で 、 労 働者の賃金 は 急 激に上 昇し生活水準 も 改 善されたに もかかわ らず、 それと平行して生じた物価高艇は深刻な社会不安を引き起こ し、 最終的には米騒 動 と 進 展した。 こ の よ う な過程で日用品の安

価での安定供 給 が行政にとって大 き な課題と な り 、 中央市場 や公

市場の必 要性が認議される こ とになる 。

ところで 従 来の研究において 、 公設市場や簡易食堂は専ら日用品 の販売に よ る困箔者救済という側面が強調され 、 一連の駁援に対す る 応 急的対策としてのみ把握 さ れ る 傾 向 があった 。 しか し 公 設 市場 が救済的側面にとどまらず、 よ り積極的には流通機構からの同業組 合の排除お よ び物価統制の側面を有していた点が重要である 。 例え ば生産調査会が1 9 1 2 (大正元)年1 2月に 「工業ノ禿逮助長二関スル件」

のなかで 公 設市場 設置の答申 をしていた こ と 、 また大 阪 市な とでは 米騒 動 以 前から公 設 私設の市場 が みられ る こ とな ど 、 公 設 市場の 設置には騒接対策の一環であるよりもむしろ物価調整、 地域間の価 倍差の撤廃ないしは廉価での日用品販売にその意図があったと考え られる 。 日本の資本主義禿展の新たな蓄積段階を準備/可能にする ものとして 、 既製版など日用品生産の拡大、 流通部門の簡素化によ

(4)

る 小売業の統制、 都市に定住し家庭を構成するうに った労働者 の労働力再生産の保障、 という三者の連関が重要な目標として認識 されており6 )、 公設市場がそれを一挙に可能にする手段と考えられ ていたのである 。

またこのような認識から「米騒動」 の背景の再検討が問題として 提起されることにもなる刊。

とこ ろで福岡県の場合に公設市場の設置 は米騒動以後に集 中して おり、 初期の段階では 「困箆者」 の応急的救済という側面が強いが、

その基本的な役割は市域での物価統制であると認識されていた 。 よ って公設市場の二つの側面を要請した様々な背景一特に都市自治体 による その位置付 げと紅会話集団の動向ーが問題であり 、 それ 当 該期の都市社会政策全体に敷街しうるものであると考えられる。

最初に救済の側面に関わる問題を論じ 、 第二にそれが物価統制と 流通機構の筒略化の側面 といかに関連するかをみるこ とにしたい 。

「困窮者 」 の救済問題に関して 地域の有力者による寄付や慈善 事業 が 定役割を果たして き た 。 例え 、 福岡 市の場合に近世に起 源 をもっ 「財産区 」 の活動が注目される。 博多 、 福岡 、 出来町 、 今 泉の各財産区が市街Ú:施 行以後の福岡市に含 まれいるが、 こ こ では 資料の関係上、 博多財産区の活動についてのみ触れる。

博多財産区の場合に 当 初は 備荒貯蓄としてのみ利用されて い た が、 1905 (明治J 8 )年に規程が変更されて窮民救済に利用可能にな っ た8 )。 このことは当時の博多の有力者といえる財産区会議員に貧困 の問題が強く意議されるようにな ったことの表われとして考えられ るが、 同時にそれは町集合体である財産区と う制度による再分配 的なーある面で 「温情主義的」 一性格の強い救済が依然として可能 でことも示しているといえる 。

例えば、 19 1 2 (明治45)年に1升18----19銭だった白米が3 0銭近くま で高齢した場合をみると 、 各市で困お者調査や市内各小学校の欠食 児童調査が実施され 、 主に篤志家の寄付金や慈善米による救済が行 なわれている9 ) 福岡市では 市と財産区が協力し 博多部 を 12の地 域に区分して町総代から白米販売券を受げた人々に白米廉売を行な

っている(第2- 1表) 1 0 )。 この際に財産の所有権を認められていなか った中測や築港地区も救済範囲に含まれており 、 この時点では 、 町 内/町間での階層的関係、と水平的関係が維持されながら 、 町ないし 町集合体という 池縁的結合に依拠している従来の秩序維持の枠組が 機能していたと考えられる

それではさらに全国的な規模で発生した米騒動において頂点に透 した「生活の危機」 一 「秩序の危機J ーに対して 、 いかなる対応が

(5)

第2 - 1表 博多財産区による白米の忍売区域(1912年)

内田治兵衛(奈良屋町) 48石2斗6升4合(675円69銭6厘) 妙楽寺、 殺楽寺新、 古門戸、 行、 浜小路、 上 ・ 中対馬小路 奈良屋、 定本、 下市小路、 実小路、 廿家、 鏡、 下土居

宗一一 (対 馬小路 56石2升5所2合(787円52銭8度) 下 対 馬小路、 、 下 西 浜

児島善一気(中島町) 10石g斗3合( 152円64銭2厘) 中島、 中柄、 橋口 、 上録、 麹屋、 語、 上 須崎、 川端

訟下栄次部(古小詰) �O石9斗2升8合(572円99銭2厘) 上 ・ 下百町、 上 ・ 下示問、 箔屋、 上 ・ 下厨子、 古小路 ・ 下店 屋、 中土 居 片 土 居

土台兵笥(下小山町) 59石5斗7汗2合(335円40e支8厘) 上 ・ 下小山、 上 ・ 下す芝居、 中 ・ 下魚、 上 ・ 中 ・ 下奥;:室

設討久次郊(今F�町) 78石2斗7升2合( 1 0 9 5円80銭8厘) 今熊、 中行ií、 大桑寺前、 上土居、 下新川給、 上新川端 街田前、 竹若、 JI[口

上回 宗七(下呉服町) 13石34Ti.(189円56) - 呉 筒、 上 中 市 羽 場、 石

米念夜三三日(釜屋町) 4 9石4斗3升2合(692円4銭8厘) 大浜3・4丁呂、 石持、 千年、 海岸辺、 百方寺前、 倉所 釜屋、 霊堂、 古渓、 芥屋

原因 善右(宮内町) 13 1石5斗5升2合(l84 1円72千8厘) 宮内、 上金屋、 上 - 中浜口、 上 - 下束、 上魚、 西門 中小 蓮 池、 上 普 賢 堂 先 如 寺 中

5E田宏、次郎(瓦 町) 45石3斗9升5合(635円53銭) 瓦、 上 ・ 下祇図、 社家、 中日

祝日 享一(下な図町) 67石5斗・9升S合(947円74弦4座) 上 ・ 下辻堂、 御供所、 馬場布、 矢IIf'�、 万行寺前、 上祇図

j&rー� 甚芯(下豆町) 103石7斗8升3合(ln2円95j主2ffff )

上 ・ 中 ・ 下豆、 小金、 大浜1・ 2丁目、 下金屋、 鋭、 下浜口 ( r博多財産区前支計百起源沿-ZE記Jより作成)

70

(6)

最初に当時の物価の様子をみておく(第2-2表)。 各都市の間で格 差はあるが、 周知のように諸物価が急激に上昇していた。 。

こう した事態に対 して天皇からの下 賜金 お よび 篤志者から の義援 金によって各都市に救護会が結成され 、 白米の廉売が応急的に実施 されたほか、 福岡市、 小倉市、 久留米市、 直方町 、 若松市、 門司市 では市や救済(護〉会 、 有志によって読菜や木炭などの廉売市が開催

されている 1 1 )。 例 え ば、 久留米市の 場合に米騒動直後 に 米価調節 会が商業会議所7名、 市会議員8名の計1 5名から結成 さ れて1918 (大 正8 )年8月27日より市内7ケ所で白米のほか鹿児島県と契約購入した 甘藷などの廉売をおこなった 。 なおこうした野菜類の廉売に対して、

市外櫛原町小森野の野菜仲買人が 反対運動 を 起こしている点 1 )が ー 注目される 。 すなわち米騒動時の緊急的な措置であっても 、 仲買人 にと ってそれが既存の流透機構の改変へとつながりかねない ことが 敏感に感じとられていたのである 。 なお救済(護)会は官民有志から 構成されており 、 各地区の有力者層を基盤として成立 し ていたと考 えられる 。

福岡市の場合をみると 、 白米原売のための費用が財産区から出 さ れてい るが、 従来とは 異なるひとつの大 き な 変化がみられる 。 そ れ は19 18 (大正7)年10月から市内の数ケ所で各地区の有力者に よっ て

「廉売市(会) Jが多く結成され、 定期的に 日用食糧品を中心と した 廉売が青空市場でお こ なわれるようになっ たこ とである 。

当時の新聞記事から確認できる福岡市の主な廉売市は(第2-3表) のようであるが、 開催主体が不明の上浜口町蔦四郎神社境内の廉売 市 を 除いて町ない し 町集合体の有志が主体 となっているのがわかる。

こ の う ち 市の補助 を 受 げてい たのは博多廉売会と他行西町で 、 それ ぞれ636円、 525円の補助を受げている 。 また19 1 9 (大正8)年 12月時

点の売上げ をみると 、 !専 多廉売会が開催当初800 --- 1000円 、 最近は

1500---2500円で平均2000円、 対馬小路が当初1 000円 、 最近40 0 ---._.. 7 00 円で平均550円、 上名島町が1000�1600円で平均1200円 、 地行西町 は 時中断していたが 平均で500円 であった。 各販売会の詳しい販 売成績は(第2-4表)のようである 。 販売品目は米、 [床日官、 野菜、 の ほか木炭などの日用品を中心としておりほぼ同ーだが、 規模の面で は博多廉売会の大 き さが目立 っ ている 。 こ のほか1 920 (大正9 )年6月 には福岡市果菜市場が大名町赤坂門停留所前に常設市場を設置 し 大衆寺前町 、 大浜二丁目 、 芥屋町 、 春古寺町七番丁 、 唐人町の5ケ 所で週一度市を開き 、 さ らに7月から市内8ケ所に販売部を設げて毎

日販売 をおこなうよ う になって る 13 )。

博多廉売会は福岡市 で 最初に開催 さ れるようになっ た廉売市で あ り、 週に一度の開催日には締田神社の境内に一回2000�3000人の人 々が押寄せたといわれ 、 次第にその規模を拡張せざるをえないほど

(7)

第2 - 2表 門司市の物価変遷 単位(円)

「ーー一

明治45年 大正4年 大正8年

」ーーーーー

ー等白米(一斗〉 2.35---2.70 1.51---1.55 5.40 牛 肉(百目) 0.70---0.75 0.55 1. 20 白砂糖(ー斤) 0.26---0.28 0.22---0.23 O.�O

大 根(一貫) 0.15---0.16 0.11---0.12 0.30

『門司新報� 1919年8月2日より作成。 大根は明治44年の値段。

(8)

第2 - 3表 福岡市の公設市場以前の主な廉売市

名称 場所 開催主体 開催時期

レーーー

持圭£少,活侭至宝ル三ムヱス 街田神社 博多部有志、 大7. 10. 9

福 岡 西 町 廉 売 市 鳥飼八幡宮 福岡西町有志 大7.11.8

福岡東通町廉売市 出雲大社数分院 東通町有志 (大7.11.21) 福岡廉売会 東唐人町新道 唐人町 ・ 新大工町 大7.11.26

荒戸町 a 伊崎浦 各町総代有志

上名島町廉売市 上名島町 上名島町J有志 大7. 11 . 24

3妻子町廉売会 長宮院 貸子町有志 大7. 12.6

下対馬小路廉売会 下対馬小路 下対馬小路中年倶楽部 大7.12.23 荒戸町廉売市 西公園電車停留所前 荒戸町有志 大8.1. 26

大昌座

上浜口町蔦四郎神紅 ‘〉 (大8.3 . 1 )

開催時期の括弧は『福日Jが言及した年月日。 w福岡日々新聞� w九州日報』より作成。

(9)

第2 - 4表 福岡各廉売会の成績(一日の売上げ)

上名島町 博多廉売会

20石 1150円 白米 48石 1760円 混合米 i石 1100円 τ企, 21石 74.25円 日未噌 50寅 32円 味噌 190貫 115.5円 砂1底 200斤 72円 .-ELIコ 16石 36.8円 醤j由 162円 唐芋8000石 196円 大根 150抱 18円 大根 100把 22円

-ゴ+ ← 120斤 46円 砂糖など

木炭 25袋 250円

対馬小路 i也行西町

38石 500円 白米 61石 400円

宅金ぎ 7石 20円 アIE:.ヨメロ〉イ、rて 11袋 341円

味噌 10貫 21円 醤泊 4斗 10円

醤j由 8斗 20円 味噌 100斤 14円

500斤 薪炭 25俵 21. 2円

木炭 101表 16円 唐芋 150斤 45円

4Eム 8斗 19.2円 正荒菜 17円

紙、 燐寸など 砂糖、 干魚

『福日.B 1919年12月21日より作成。

74

(10)

の状態

あった。

売する野菜は千代町にあった青

物市場や粕屋郡 なと近隣の読菜地帝から

い付げをおこなっているほ‘

、 主に熊 本

:出ffz::???:fzztiL J 日?:iuJふ

れたことやむ隣生産者の協力が得られなかったことなどによる。

回では小売市価5銭の薩摩芋が 初

2銭8厘程度の値段で売買されており、

「町内申し

わセてー俵二億

買い込む向きもありて」 、 15000斤

2空摩芋が

時間余りで売切れるほどの盛況であった

o またこの廉

u ; ? ? ? :

口県知事が間にぐるなど行政関係者にも大きな刺

J

4

J

o この廉売会の貸金は博多部有志が100円ずつ出 資することて賄われているが、

廉売会の発起人は(第2-5表)

り で あ

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きる 範囲で 3 2名中24名が新旧の博多財産区会議員のと お

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ており 財産区という組織では可能にならないより直 動

町の

力者層が実施したと考えてよいだろ

売 会は福岡巾の公設市倶 知 車 中 つ 。 この廉、 散している。 このようり、従来までの 町や町菜全体を単位とした秩序維持ド防ま

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るもので ることになると苛えられる。 r・・・現在の様な其日暮しの政策を採っ て居たならば、 生活上

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脅威は絶対に去らぬ 。 物価調節上に関する

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方法として M設市

ii!?長 い;2255iJ J f752-午}しと:11117

低廉な食22を安定的Jご供給し生活費 を抑制することは、第一次 世界大域の尽ノ 首

よる好況がその生活水準の上昇をもたら

した 「 下

計 5 4 ; 2 2 2f ; ; ; ; : ; 2 日 ; ; : ; ; z r z z

のなかに組み込まれていたこともあって

、 この人々にとっても生活 貨を抑制することが必要であっ

た。 さらに生伊水翠の保障に対する 人々の欲 望の解決を地方自治体が中心となっ

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ご関わる部門の国家負担をできるだげ

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1910年代後半の諾

叶 例えば 、 門司市におげる質屋の利用

「 今日下層者は質屋の得 忠と 自 す

ミ き

はず却 産階級者が唯一の得意として歓迎さるる

(11)

第2 - 5表 博多廉売会の構成員(大正7年10月から大正9年5月迄)

前(釘 名〉 l財産区会議員

安川伊三郎〈中魚、町) ま員 297

山田久米三MCJf!口町) 2万 博多商業会議所議員 中村清次銘(;古屋町) a》川;. 50万

溝口 利平(上端 可) tOC 70 野村 久十(中間町) 質 ・ 古着 300万 下浮普五部(上市小路) 可且2豆σ 7万

吉村 善次(馬場新町) ロロロ 20万 氏子総代 勇助(大浜4了巨) 自動車部品

渡辺 吉(上西) 銅 ・ 3芙 100万

河原田平蕗〈麹屋町) 手応 5万

田中昌吉gj5(上土居町? ) 市参事会会員

児島善次郎〈中島町) 新古洋服 3万

米倉康三g$ (釜屋町) 料理屋 88

福本幸次部〈下新川端町) 107

中原太三gg(古小路) 硝子器 7G 氏子総代 ・ 博多語表会 詰所常議員

吉田 吉〈大浜4巨 ) 2万 羽田延次郎〈寺中町) ま員 23

中原市兵衛〈古小路) 3万

長野 嘉平(下街町) 25万

瀧口 享一(下祇園町) 3失太部(西 方寺前町? )

三好 甚吉(上祇園町) 1万

松尾栄三�(下新川端町) エ、,旦ι イじ 63 柳田清之助(上新川端町) AZl !万 森田宗太郎(大浜3丁巨)

山本 吉() 総 代

忽兵衛〈下小山町) 新古洋服 7万 氏子総代

真太郎(下抵国町) 1Eq=r j由 5万 川上 卯七(上辻堂町) 絞蝋泊

上回 宗 七〈下呉 服 町) 砂糖商 5万 氏子総代

辺F� 次平(積町) 博多織 2万

阿部 郡吉〈下奥室町) 5万

注)財産区会認員の時期は不明、 名前は博多販売会記念硯(街日付社内)、 f延長と町名は T福岡市市民投� (大正1J年)、 『旧友会À (大正8年)。 備考の金額で、 万ギ位は『話忠 良壱国資産家名鑑J (大正11年)、 それ以外はf福岡市商工人名録� (昭和2年)の営表決。

(12)

して

好況に浴したるは上流と下層とにして中流階 級は寧 ろ 打 撃た るを 起し居るなりJ 1 6 )とい た指摘がなされているほ か 、 門司市

付の白米廉売が戸数釘2 1等以下の人々に限定されたことに対して、

ヶ労働者成

出を見るに至る彼らの生活状態は其居住こそ四 畳半にして破れ畳の薄暗きものなれど其飲食物の

気 沢さは到底中流 階級の及ぶ庭にあらず現に月給取生活を営む中流階級の某々

如ぐ

価手騰の影響は労働者よりも我々月給取り程悲惨なものなりが 言ふ よくと匂ド市役所の外国米販売を収入多数・の労働者階級たる

戸数割 ー l 一等以下

限り労働 者 より以上生活難を感じつつある月給取に 之をなさすとヨふは其嘗を得ざると言ふ可し

J 1 '7 )と言われている

その結果、 「諸物質昂践の結果中産階級の生活難を惹起するに至り 之が為に日用食糧品の需給関係を闘滑ならしむ

る公開市場設立の機 運去喚起するに至れり既に大都市は勿論九州地方にありても佐賀 大平

、 大分、 小倉市等にありて之れが設立に着手しつつあるー

;

8}

?

こと、 公設市 場 が 需 要 者 にとって 利 益をもたらすと主主さ れているのである 。

それで�j:全体的な「生活水準」についてはいかなる変化が生じて いるたろ っか 。 これも縫っかの傍証を挙げるに過ぎないが

、 特に北 九州各都市で全体的な上昇が指摘できる

福岡県 が おこなった米の消費状況の変還に関する調査(大口

月12日)によると 、 19 1 1 (明治44)年から1 9 1 2 (大正元 〉 年にか正作6げ で 米 価が上昇し 、 「中産以上の者と箆も米の買入れ不如意なりし事実は 蓋し大正七年中米騒動勃禿当時以上

にして従って輸入手守多なりしも 内仙の美味に

たる央なれば外米の 行は主に中産

下に限られ

中産以上の者は却てきさの混食を震し又外米を食用する者は外米五姿 五の割に混用する方美味なりと云ふに在りて姿の費行は旺盛

( 大正)四年十 月 一日は併 1也に於て九園 内外 と 云 安 値になり ・陥り

? f

しば只管生冶程度の向上しつつありし央なれば米僚は設も廉債な 匂ものとし姿菜を 使用する者の如きは僅に一部の人に局限せられた る を見ありて 消費は年米債は愈奔騰に継ぐに狂援を演じ遂に八月に四十五闘の高値を 遂って増加を見るに 至 れり ・・・・・・・・・昨年に 入 り 細民の

宅 空

名状

べからさるものあり我野の如さは労働貸金のを示し 高価

して仏百は日放金を得るの易々たるものあれ

米債の予きょ

教て意に介せさる如きは工業他方面の現象に過ぎずして一 般

k

E

L

地用するは早計なりとす即ち米間 四 十銭は熊 {自に在らずして中

Z ふ

下は生活の安定を危ぐするに至り安食盛に行なはれたるも内外米の 廉 寅 開始の結果却つて姿食は中産者以上の間に行なはるるに至り細 民は室に外米を食

したるも是等は従来使用し来れる安を廃し外米 に嬰じたるに過ぎされば外米の代用 多数の上りt:る訓には内地米の 消費窓には影響を認めざ・りしなり」 19) 」

(13)

長い引用にったが、 食糧の質が問われるまでに生活水準が上昇 していることが読み取れる。 また農商務省は19 1 8 (大正7)年に白米 組合に よっておこ われていた白米標準価絡の撤廃を通達したが、

「市内の労働者が品質粗悪の外米を嫌ひ高債なるも美味なる日本米 を好み居る事明らかなJ 2 0 )こ とから競争の液化が逆に品質の悪化 に がると して門司市の組合がこれに反対している。

な おこうした食生活の改善は、 既に19 1 2 (明治45)年の米価践貨時 にも表われている 。 20年ほど前の白米高践と比較して 「米が高いと は叫んで居るものの苦しいとは口外せぬのである 。 苦しい乍ら安い 唐米を食はずに内他米で我慢して居るのである 。 ツマリ世間体を繕 ふ為である ・・・・・・J 2 1 )といった指摘がなされ、 福岡市大浜尋常小学 校の校長が生徒に対して 、 「私は此通りf象て麦飯を食べて居る 。 皆 サンは麦食するのを恥の如に思って居られうが、 決して恥づベき事

はあ りません 。 第 麦飯は衛生上に好く 、 夫れ で 経済でもあり ま

すJ 2 2 )と語らねばならないほどに国内産白米が生 活のなかに浸透

していた 。

それで は食料品以外の生活水準の変化についてはどう であったろ うか 。

戸畑町では戸数寄j等級(1から62等 〉のうち l等から 40等までを上流、

4 1等から56等ま で を中流 、 57から62等までを下層と便宜上区分する と、19 1 5 (大正4)年では上流が4%、 中Y5T�が5% 、 下層が9 1%だった のが19 1 7 (大正6)年では 、 上流が13% 、 中流が38% 、 下層が49%と

いる。 こ の変化にいて経済界の好況による労働収入増加 と 商業経営の目的とした中資本家の流入が理由として挙げられており り)、 工業化が町の全体的水準を上昇させているこ と が窺われる 。

門司市の場合に、 第 次大 戦の好景気によ って賃金が高勝したこ と(第2-6表)によって 、 石炭イ中仕が工場労働者へ吸収されたり 、 若 松港 移動 したりする事態が発 生した 。 貨物イ中イ士も 800--- 900人が減 少し 、 労働者の払底により19 1 6 (大正5 )年頃には60--... 70銭であった 賃金が19 1 7 (大正6)年には2円ほどに急信号している2 4 V 石炭仲仕の 収入も1日1円20銭から2円70銭、 最高は4円より7円 、 1ヶ月の収入は 入港船舶の増減などによって1 2円から70円とぱらつきがみられるお}

がか りの上 昇ささ あっ た 。

1 9 1 9 (大正8)年に門司市の労働者数は約1J 000人程度であったが このうち7,8000人余りが民家に宿泊しているほか、 市内1 J地区10 f可 余 に約13 0 0戸、 男女あわせて5 000名余りの労働者が築住していた。

三の労働者の集住地区の視察 調査をおこなった門司警察署長は

| ・・・中産階級ょっ 新の如き多額の収入あるにも拘らず不潔なる家屋 に住居し ・・・・・・宰完住宅に趣味を有せざるものと信ずる ・・・ J 26)と述

(14)

第2 - 6表 門司市記77る労働者の賃金 総業 現在 昨年1月

荒{中仕 120 110 沖f中仕 160 110 日窓人夫 90 80

τ-T-1 150 140

下誌彬: 120 110 ペンキ議 100 95

ιτム 言 110 110

?的 1送 100 95

単位(銭) f 門司新報j 1917年7月12日。

(15)

ており、 収入 と住 居の質の アンバランスを指摘している 。 も ち ろ ん住居の改善は 家 主の問題であ り 、 この見解 それ自体は誤 り であー が、 逆にいうとその収入の多さがこうした見解を警 察 署 長に泡かせ たともいえる。おなじように労働者集住地 区を視 察した高同行司市 長 も 「彼等 日の 収入は 平 均二円程にして ヶ月 六 十 円 飴の収入あ

?

、て今日官吏よりもま日つて優勢の位地にあるも彼等社会としては手

あ れは直ちに欽酒に費消 るの常態 なるを以て ・併し嘗fさの如

さ一日

円余も収入ある彼等としては職業あり収入もありとすれば

J .! r )とい う よ うに警 察 署 長と類似の認 識 を示している内

また労働者 約12000人 につい て 、 その郵便 貯 金の 預入高をムると、

1 9 1 8 (大正 7) 年1月は34 000円余り 、 6月には4 0 000円余りにまで増加、

しており 、 前年の同時期と比較すると2割から3剖の増加という 2 8 )内 一?時期に「貯蓄」という「投資」を意味する考えが、労働者に三

? 字

容される条件があったとは考えにくい 29)が、 預金するたげの 余裕が生まれていることは確かである 。

これに対して俸給者層の生活状況はどうであったか 。 と くに 当 時 の教員の給料は伸び悩んでおり生活状態は舌てしかったと考えられる

(第2-7表)。 また門司市に住むある月給取の生活状態をみると1ヶ月 の収入が78円であるのに対して支出は88円となってい る30)九

こうした状況において仲仕と下級社員との関係に微妙な

張が生

じた 。

「 其 収 入は到 底下級官吏の及 ぶところではないのみな ら ず 下 級の 任員や店 員より仲仕の方が高級者で優遇さるる と ころか ら 今は 却て 仲仕の方がf首長し下級官吏や店員を軽蔑する傾向がある131) t-- し

う指摘があるよ うに、 賃金の 高低と地位の それが逆転し

してこうしたことが契機となって、 「下 属 労 働者 」は白 らをひと つ の階層として他の階層との布置関係で意識化することにな ったので

? ないかと考え られる 。そのなかで「 学 歴」 に よ る社会階 層 の 区 分 かいやがうえでも認識さ れる こ とになった 。 19 2 1 (大正10)年に誇信 業者を中心として石炭仲仕の共済組合が創設されてい るが、 特 j

i ぷ

育 が

れ 学 応じ 金が支給さ 3 2 )

での表われである 。 学歴f台差を日常生活で体験しやすい工場労術者 や徒弟労働者のみならず 、 石炭付I仕のなかにも学歴の重要性が

G ;fしはじめていたことになるが、それは学歴や 教育の価値づげ手内 面 化しその競争に沼径的に参加することを意味している3コ}n ー 一 一

ところでこうした俸給者庖の「生活難」問題も、19 1 2

(明お�

5 )年

の米価隊員の際にそのj笥芽がみられる。

「「月給党の窮乏…労働者は労力を厭はず労働をなせば如何に不景気なりとも相門司市 と米価 E秀 賞の影響」 と題された記事には、

応の米価騰貴と共に労働者は_. fmに活動する風ありて窓外に23乏の

80

(16)

『揺日.J] L919年1 1月5日。

単位〈円) 字文員生活調査(1 S 1 9竿〉

第2 - 7表

家族三人 家長五人 5立身

男性

円HunHU

ハnu

ηununu ρJOGSooo ou円U143J.F炉Lq4dn/M677ιS68

司/U円HunHunHunuunHU内4d

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kdハbqsU

4・rJ戸3

女性

23.00 25.00 J 1 . (� 0 15.875

25.00 30.00 .10.0。

→一川

→巾山不・市

・市

門小久一首 岡包念司

苦松市

l

入幡市大z宇宙市

資料:

(17)

程度低げれ

五円ないし二十円位の所詩下級の月刊活を為し 居る者は仮甘

?問に火の車を廻し居るとも外交上外見

飾る必要も

あり又妻子の如きも日頃奥様坊ちやまと言はれたる者が!日に労伊書 風も

交際ひ等も相当に要する所から非常の困難に陥J 情に尼えさるものあり 同

・・・J 34)とあり 、 「世間体」を意議したため

2J ffhT:同町;ヒ;それは一定の生活レベルを前

以上のように 「下層労働者」 の賃金力増加は、 一時的で�j: ;7i が下層の俸信者層との同を絡のるこ

とになった 。 しかしJ

f 話

的には優位に立つげれども、

「地位」のうえでは低いという現実が、

一部の「下層労働者」に社会的上昇への意欲をもたらすことになっ た 。

これに対して賃金上 昇の恩恵を必ずしも 受げることがで さ 九 品 「

?

'都市下層」の場合に残怨がその主な食糧となってい芥ことが従来人々にとって 、 主食の価格高肢はその生活を直 撃する

j ゐ ; J

の研究では1 9 18 (大正7)平にかげで大学病院や福岡衛氏などの残

指摘されている、 福岡市でも1 9 1 6 (大主5

)年かJ

飯を日に2---- J

?

二 Z 7

ロ」官についてはlても ら いそれを売った「残飯屋J

20銭と後者については1貫目5銭5厘でそれ3 5 )の存在が確認でき ぞ同買さ

ていた か、 1 9 1 8 (大正7)年の米価高勝の際には残飯も イ食糧節約によつ

三 宇

来の半分にも満たないという事態にな

なお原田波一氏 っている

は、 大阪について 1 9 1 6 (大正5)年には 「下層紅 会」が残飯に依拠しない生活に移行したことを指摘しているが、

同ではその時期に関して不明である 福

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(18)

「道徳的問題 」 であると考 え られていたのである。 米 騒動の直後に 川越福岡県内務部長が「過度の廉売をなしつつあるより右は却っ て 米の消 費を増大し其配 給 上 憂慮 すべき事 態を誘 起する庭あ る の みな

らず救済に押れて忌むべき寄頚心を助長する禄の事ありでは得根を 将ぎり胎するものなればいJ 3 7 )と発言している ことも 同様の文脈-

C考えることができる。つまり救済のための廉売によって「依苅心j が 拡 大す

?

自助努力」 の 衿が失われ、 過度要請

J

政に求め られることを恐れてい るのであ 米 騒動に参加し 「 下

1

C f は 、 好 況のなかで獲得した生活水準が失われることの 怒りと恐れから 、 それに参加し たが 、 行 政 にはその生活水準を保障

9 る だげの 能 力 がまだ十分にはな かっ たのであ る

問題は 「下層労働者」 や 「細民」 の生活水準をいかに負担が心な く しな が ら保 障してい ぐ かと いう ことであった が、 行段にとっ Jそ れは歴史的に形成さ れた あ る 「秩序」 を模倣し欲望 することに何の 意味もいた さない 「 他 者 」 の根底的な 「不 安」 を合 む もので あ っ た 。 つま り 「未来」という 時間認識を待たず、 賃金をその場で

費してしまうこの他者を、いかにしてそのような考えから引き離し、

「投貨」 という 別の観念を納得させ 、 「霊」 による差異化を承認声

ミかが大きな問題になる 。 こ こで教育的な「啓蒙」が童

会 な さ ー

をもっ て ぐ る ことは明 らか であ ろ う 3 8 )。例えば、門司市の場合に リハ(明

44)年に門司と小森江尋常小学校、 1 9 1 3 (大正2 )年に

尋常小学校にそれぞれ 「特別学級」 を設置して貧信者家庭の同意中 集めT t,,\たが 生 徒があま り集らないため 教師が戸別訪問を

一 二 ふ

って迫字を勧誘したほか 、 就学時間に街路で遊んでい る子供を調

の 自宅を尋ね通学を勧め 場合 も あ たとい う 39 )円 事件が起こ ってしまったあとでそれを処理するコ スト.

とそれ存宗 然に防ぐコ ストとを比較すれば 、 後 者の方がより全ての面で 「

ム ー

的 」 であり、当時の都市行政が財政問題を抱え出来る限り支出をふ

らすことを課題としていたとして も、 単な る 救済から社会事業 の 転 換 は促進 さ れ る べ き も のと し て 認 識さ

れは

じ め る

であ

る ; 一

以上の議論を要約しておこう。まず一 部の名望家を除いで右力者 厚や俸給者層は米駁勃を契機として、 一 方では行政による諸粁令喜

を期待しそれに依存することで 、 ま た他方では社会的

事 三 戸 討 ち

。ことができる識見をもっ担い手として 、 行政に発見されると ごレ T ・ いずれにしても行政経係のなかに位置を付与されることになミ

:

「これに対して 「細民」

や 「下j白労働者」 の場合に大きく二づ

対象」に分割されると考えられる。つまり一方は「経済的数済J ら

の対象として調査/把倍される人マであり、もう一 方は白らの仕活 水準と人格が保障されることへの欲望をもった人々であろ 、 係

ー ; L X 長 二

(19)

0の る

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の諮局面 とにしたい。

「消費問題」

第2節

公設市場の成立

ー 上述のように米騒動を契後として詰紅会事業が始動する中で 設市場はいちはやく県下に拡散した40)01920(大正9 件

)年6月 当 時σj 県下の公設市場は(第2-8表)のようにまとめられる。福岡市と小倉 市を除いてその経営主体は、米騒動に対して緊急、に白米原売を実施

するために結 l吹された救済会や救護会が中心であり、公設ñÏ tß �主詑

?資金はこの時に地域有力者から集められた寄イ

付 ヲ金の残企が色肩;

才れしている o なおこオれし以夕外iに直方町でで、1920 (大正9幻)年 l川0月カか、ら南(l'毎写i 日と5日〉とj北乙(空毎� J日と8日〉の2ケ所の公設市市a場

(れ1 9口2 1パ(大正 i川o)年2月)4. � )や黒崎町町‘(1 926引(大正i川5)年6月)戸4J )にもi差全主f設

、、l''マlムfE\

されている。

(20)

第2 - 8表 福岡県下の公設市場(1920年6月29日現在)

|名 称 開設年月白 経営主体 総売上高(円〉

大牟田 大7.12.23 救済会 72,485

門司 大8.9.25 救護会 203,125

小倉(東) 大8.10.15 市直営 174,772 門司白木崎 大8.12.25 救護会 125,656 久留米 大8.12.25 米価調節会 159,4tl8

福岡 大9.1.20 市直営 448,248

小倉(西) 大9.4.22 市直営 16,686

T百';f:千仏 大9.4 25 救済会 36,659

場 所

栄町 老松町 京町 白木崎 日吉町 因幡町 田町 中川透

エ-rE 十'七J7ノ1一、千'努B三包z二

280 3500 2500 800 1500 7000

『九州日報� 1920年6月29日より作成。 平均入場者数(一日)は『福日JJ 1920年2月14日。

(21)

か不一担え

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次に開業当時の公設市場の内容について簡単 にみておこうn主ず 店舗数は久留米が33店、 門司老松町が26店で、大牟田が2店

'

小さぐ、坪数では門司白木崎の263坪、 福岡市の14 7坪のj頓にーっ て ど るp次に売上高をみると、 福岡市公設市場が人口規模に応じて一

? なっている。販売品目は米、麦、 雑穀、 野菜類、 魚類、薪炭、

油、酒などで。 大牟田市だげが肉類の販売をおこなってい ない。 また久 留米市では傘、下駄など食糧品以 外も販売されていた白 市場の使用形態をみると、いずれの市も概ね二つに区分される。ひv とつは区画を定期的に使用する常設のもので、もうひとつはある区 画に車やかごなどをもちこんで随時使用するものである。使用料

区画の広さや位置によって相違あるが1ヶ月3円以内も市が多ぐ は た福岡市と小倉市は開設当初は使用料を徴収しをいない。とゐほか

掛売の禁止、記遠の許可制、 正手しの提示といった使用規則を設げて いる市もある口入場者では門司老松市場の場合に初日約2万人に上

? 土いるが、その内訳は労働者とともに「中産階級」の利用者が多 丈一\ このことからも公設市場が「都市下層」の救済に 限定され るものではないことカfわカ、る。

また一般市価との比較すると、門司が5分---- /1割、小倉、大牟田が 5分----2割 、 福岡、 若松、 久留米が5分----3創の差を有してい る '\

は、1 920 し市価との差異が数ヶ月の間になくなる場合もあった。福(大正98 )

)年1 1月には公設市fzjの価箔と小売商店のそれがほ

んど差をなくしたことや市内の私設市場の充実や公設市 場が配達 注 文を受付げな いことなどを理由として公設市場が不振に 陥ってい る

、これは公設市場が物価調節という当初の目的を達成した もの

で 喜 ぶべき現象であるという指摘もされている49)。

ー なお八幡市は公設市場を設置していないが、 その代りに市内の尼 念 や中央区にあった伐存の私設市場(第2-9 表)に対してfrlli fl'ìの一 ヨマJ 13係改善を交渉し、公設市場と同様の成果を挙げようとしてい

山J。滋野助役は「同市は大信なれば現在の状態では労働都市とし 下公設 市場の如き最も必要に属するげれども既に市内に私誌の缶葉 市 場が数ケ所に設置されて居るので別に新設するよりも現

のも

86

(22)

完 く

監督して行く方が得策だと思ふから償重に研究して市内の物

?

調査

?

祭し其上にて公定的の償揺を算出して 夫を各市場等に掲示 9 るやつにならば大いに有効たろうと信じて居る・・・・・・J 5 1 ) と 浦べ ている 。 また 『八幡市公認J刊行をはじめ祉会事業に対し

v

τ 有して し

?

と思われる図師兼武(元農林事 務官〉市長でさ え1937(Ez F口12 )年の 巾 会において 、 公設 市場が市内に ケ所 も設置され 7 い ないという質問に対して、 市財政の弾力性が失われることー

由に

しなが

公設市場の如きも御同感なり市民の利便、 生活安 定上市宮として必要はあるベ

も一面中商工業者の立場もあり少額 の収入

三 浮 い

みを以て直に市営とすることは如何やと思考せり 、

;;:) .::. )

6弁し

いる 。 こうした市の姿勢が逆ド労働者に都市 問題への様極的な認識をもたらすことになった 。

,_

以上のような開 業 当 初の公設 市場は

品 質 さや寄 自 不 正

などのソフト面と天幕式で開業した大牟田公設市場

Z

顕著なよ弓

ロミ;52?ZL J::f??はふ;;L J ;Z L27fi

巾場指定商人の選出について、 情実が絡むなとその選定方

ふ 二

三 :

批判が生じて

る 。 また多くの市場では白 米双売についてそ

診誌の大きさを考慮して

が怠会などに直接頼んでいたが、 それを しなかったも・松市では指定商人が同業者組合からの要誌で奴売を中 止し市と同業組合が対立する事態になっている53}o 確認で奈子範 囲ではあるが、 使用条例のなかで門司市が「使用者ノ販売品ノ-

d額

:市長ノ承認ヲ受クベシ 。 J 5 4 ) という項目を設げて

るほかは、

公 設 市場主任が価倍の調査や指導し、 これに従わない者の使用を禁 止するという程度で 、 市が強制的に価俗設定をおこなうたげの力を 十分に荏立していなかったように考えられる 口

ただし価

に対する介入の必要性は徐々にではあるが認識されは

2

T

5

0 例 えば、 各地の社会事業を視察した小倉市の野崎総務課長

ど ? ? 市

場の利用一特に価俗統制という役割ーに関して十分な配慮

か なとれていないことを指摘しており55)、 市何より安ぐ存ろが す にとどまらず、 標準価倍の設定がより具体 的 な 課題とし、てJ

Lii}

ことになる 。 ま た1Q 2 2 (大正11)年に公設市場とほかの商店の物価

調 査 (三2

-1 0 )がおこなわれているが、 それは公設市場が安く物価調

F

有効であるということを市民に広く知らせるためにおこなわれ たものであった 。

しかしながら「安かろう 而‘ ー 』

振に陥った公設市場にそれを

: ; : A LJ;;;iJに??;;

は公

市場が普通 勾に彰響 を及ぼさねばな らないのに、 現実に は その逆になってしまってい る場合 も多く 、 ここで公設市場改良が 官 民共通の問題となるのである58V 例えば、 大牟田実業会は 「有名

(23)

第2 - 9表 入幡市の私設市場(大正期〉

ーl寸&1 .,.努8 名 � F汽 開設時期

ノ-L\- {認 '4g qJ 支送町3丁呂 大 g. 3.

,Eア主 千手 円7 'ξ4 北本町7丁目 ノ- L\ 9 . 12.

「可IIJ 工号 諒訪町3了E 大15. 6.

{ ー-

Lι宿Ð .ーゃ・-ー 区J4丁目 ノ\ 8. �.

"

岡田町 rロ 場 岡田町1丁目 ーJレ\

大門町;魚菜市場 大門町4丁目 大10. 5.

店田町答合町市場 j麿田町1丁目 大10. 7

iと 区一JJ '千空佼J 曙 町J 2丁目 大10. 12.

生田町 ふι窃主主 京i塁町4丁目 明 日.12.

RfJ 田魚、菜市場 唐田町 1丁目 大13. 2

『八幡高工会議所全史� 1 965年、 348頁よりf下成。

88

(24)

第2 - 1 0表 小念物価調査(1922年9月)

砂穏(1ff) 煮砂穏(1斤)

ノ1:- 云E又^-=巾44'4初8 27 23

30

魚、町3

魚、町4 29

30

田町4

田町5 25

.口ιー内'Ìロ;;i例εF 4r守2 23

西魚、町 23

-一・.'、 吉町5

庁、 25

スて 米町4 不ZUiてf J�さJ 必l臼

話豆( 1升) 素哲(100匁) 干認(100匁) 19

2�

24

28 26

25

18 35

70 20

ô6

80

資料: T Fう司,ñ7有{J 1 S 22年9月7日。

参照

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