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リサ イ クル アー トの考 察 ひとと農具 など 2 0 0 2

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長崎大学教育学部紀要 一人文科学 ‑ Nα66,17‑30(2003. 3)

絵画 の周辺、 そ してその最前線 Ⅳ

リサ イ クル アー トの考 察 ひとと農具 など 2 0 0 2

井 川 憧 亮

余命2ケ月

マルセイユ美術学校留学 中に出会 った 日本人留学生H・Yさんか ら、今年 の2月初 旬 ごろ 郵便物 が届 いた。 それを開封 した ものの忙 しか ったので、 そのまま書類の 山 に置 いて いたム

しば らく日にちが経 てか ら書類 の山が崩 れて、H ・Yさん の封 筒 か ら展覧会 案 内状 が ど っ と●床 に落 ちて散 らば った。 よ く見 ると手紙 が混 じっていた。 その文 面 は 「癌 を患 って いて 医師か ら余命2ケ月 といわれ、残 された ことでで きることは、 画 集 をつ くりた い。 それで お願い があ り、 その画集 の中 に私 の ことを画家 と しての 目で、 ど う見 みて小 たか を書 いて もらえれば嬉 しい。 それを承諾 して くれれば二・2週間以内 で頼 み た い. 但 し、 美術 評論 は 評論家 に頼んでいる し、 また私が病気 であることは触れ な いで欲 しい0・その条 件 で書 いて 欲 しい」 と、 このよ う・な内容 であ った。

ともか くも私 はとて もシ ョックであ った。 同時 に同情 の念 で も一杯 にな った。 「あ と1 2 ケ月の命」 と宣告 された ら、私 だ った らど うであろうか。 もう、 うろたえ るばか りで あ ろ う その2ケ月間 は瞬 く間 に過 ぎ去 って しま うだろ うし、本 当に恐怖感 を覚 え るばか りだっ た。 しか し、彼女 は文面か らは少 しも取 り乱 した印象 もな く、 淡 々 と.端正 な文 字 で書 いて いる。彼女 の顔 の印象 は、 当時か ら勝気 で しっか りした感 じで あ った し、・フラ ンス語 が堪 能 で、皆か らちや ほや されていた風であ ったか ら、羨 ま しい存在 で もあ った とい う記 憶 が 蘇 って きた。

走 りなが ら京都か ら送信

特 に この2月中旬か らスケ ジュールが詰 まっていた。一方 でH・Yさんへの返 事 をせ ね ば と焦って いた。彼女 との出会 いはマルセイユ留学中であ ったが、 それ こそ1‑2回話 した ぐらいで、帰国 してか ら私 の個展 に顔 を見せ たが、特 に話 を した とい う記憶 はな い。 そ し て彼女 の作品発表の折 りには2‑ 3回見 た程度であるか ら、正直言 って、H ・Yさんへ の寄 稿文 な ど書 けるものはなか った。 それで も死 に向か って い る人 に簡 単 に断 れ な い。 そ こで 書 こうとす るが、彼女 の現況や同情心が出て くる。筆 を進 め よ うとす る と、 本人 が ここは 触 れ るな とい う箇所か ら書か ざるを得 ないのだが、 そ こは避 けねばな らな

い。

そ こで最近、彼女 と出会 った最後 はいっであ ったかを想起 して み た.・確 か東 京都 現 代美 術館での クロー ド・ヴィアラ先生 の講演会が行 われたと き、 ヴ ィア ラ先 生 らと出会 った と

きにH・Yさん も聴講 Lに来 ていた ことが最後 だ った ことか らこ南仏時代が思 い出 され た.

場面 は リュ ミニで、 その ことを書 いてみよ うとい う気 にな った。

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その間、中国留学生の、研究生修了の研究成果の論文指導及 び発表会 や、 2月下旬 にマ ロニエギ ャラ リーでの企画 「パ レッ ト」展の出品のため、 寒 いけれ ど.も京都 へ向か うこと にな り、出向いた。私 はこの企画展の狙 いが気 に入 った。 数10年前 よ り私 は絵画作品 と し て 「絵画の道具」をモチーフに していたので、「パ レッ ト」を作家たちに問 うことの企画 は 面 白いとみた。内容 は原則 としてパ レッ トの原形を生かす ことが条件だ った。つ まりパ レッ ト型のサイズで各 自制作せよとい うものであった。私のパ レッ ト制作 は、 佐賀 の無形文化 財保持者の手漉 き和紙 を、10点 あまり、パ レット型 に到 り抜 いて、 その両面 に時間 に追 わ れなが らいっ もの調子で着彩 していった。洗濯物干 しの よ うに、 着彩す るたびに紐 で吊 っ て乾か した。 これを見 た学生が 「や っぱ り、 いっ ものパ ター ンなんですか」 と言 う は っ と我 に返 った. 自作の進行具合を見ていると、 日ごろの、 疲 れの蓄積 のせ い もら ってか、

マ ンネ リと感 じて しまい、 ますます淡 白に見えて きた。「これではだめだ。 もっと絵画 的 な 展開 と、 もっと リズ ミカルな方向へ」 と願 うのだった。 そ して、「もうそろそ ろ歳 だ し

‑」

とふ と思 って しまう着彩 しているあいだ中、頭の中ではH・Yさんの ことで一杯 だ ったの だが、他方 「それで も私の絵画 は、同 じ調子で続 けることが修行 なのだ

と自分 に言 い聞 かせていた。

雪の降 る京都の町は久 しぶ りだ った。 マロニエギ ャラ リーに到着 す るとオーナーの西川 さんが迎えて くれた.早速展示 に移 る.天井が高 くて大 き くカー プ した コンク リー トづ く りだ った. この空間のよさを見なが らも、私 はコンク リー トで は虫 ピンで作品が固定 で き ないなどと展示 の心配 を して いた ら、 西川 さん は私が取 り出 した作品 を見 て、 意外 に も

「これは面 白いですね」 という続 いて コ ンク リー トに取 りつ け るボル トを持 って きた

「これで作品が吊 り下 げ られます」 と言 って、「パ レッ ト」作品の穴 に引 っ掛 けた。 (写真⑯

⑰)「裏 も着彩 していますので、展示期間中で も裏返 しを して ください」 な どと会話 を交 わ している内に、意外だ ったのは、1点のみの展示かと思 って いた ら、 次 々 と作 品 を見 なが ら縦 に して、計10点 も飾 って くれた ことだ った。何故、 そんな に飾 られたのか を考 えてみ た. コンク リー トの打 ちっぱな しに原色の色が映えていた ことo またパ ター ン化 した作品 が、物語風な他の作品よりも存在 として前 に迫 って くる強 さがあったことな どが挙 げ られ、

思わぬ収穫だ った。 それは、私のマ ンネ リ化 した制作態度が、 あたか も修行僧 の よ うに瀧 に打 たれる水 と同 じような近 い感覚だ ったのだ と実感 した。

ホテルに戻 って、H・Yさんへの文章書 きを徹夜で専念す る マルセイユ ・リュ ミニ美術 学校周辺の大 自然の薫 りを思 い出 しなが ら、その美術学校でのH・Yさんの制作風景 を少 し 思 い出 し、それを文章 に してみた。 そ して一刻 も早 くFAXで送信す ることに した。

長崎に戻 ってか らH・Yさんよりそろそろ返事があるだろうと思 いっつ、 よ うや く電話 が 入 った

送 って もらった文章を読 ませていただきま した。文章 にあるような想 い出 は私 に はあ りません そこの2行 を削 っていただ き、 それによって タイ トル も変更 して くるので、

『フランスの思 い出』 に して欲 しい」 との ことであった。私 は彼女の心境を察 しなが ら、 彼 女の言 に従 って了解 した。

カラー化 した校章 と学園だよ り

そのような頃、H副学長か ら 「本学校章をカラーに して欲 しい」 との依頼があった。最初 に浮かんだのは、パ ソコンのフォ トショップでや ってみ よ うとい うアイデ ィアで あ った。

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絵画の周辺、そしてその最前線 25

私の研究室のパ ソコンに はスキ ャナーが付 いていたが、 その活 用 は、 4、 5年前 にそれを 購入 して以来でず う‑''と未使用だ った. それを今回活用す る。ことにな った..、使用 の仕方 が わか らずで、四苦八苦 したが、結果的に予想 もつかないほどの威力を発揮 し、す ごいパ ワー を感 じて、 その分私 はひどい疲労感 を味わ うのだ った。

「パ ソコンで こんな ことが出来 るのな ら絵画 も廃れて行 くことだ ろ う..ドロ‑,イ ング も手 描 きでで きる し、色の指定 も手描 きと違 っていろ・.いろ注文 に応 じて くれ るか ら」 な ど半 ば 理解、妥協 し難 い点 も感 じなが らも、 カラー化 したデザイ ンを2つに絞 って仕上 げた。

この校章へのカラー化への提案 ・意義 については、私 は基本的 に次 の ことを考 え た。 1、 明 るいイメージ (時代 の流れに沿 ってカラー化) にす ること。 2、 シ ㌢プルで あ る こと

3、個 々の色 についての概念 と して、2案の内、'1つめの案 は、 もっと も㌢ ンプルな色 と して、 ブル‑1色を取 り上 げる。 これは、長崎のィ.メ‑ ジと学 園 の若 さか ら 2つ め案 は 3色 に限定 し、文字 は青 (青春)、帆 は紫 (アジサイ)、船体 はオ レンジ (大地) と した。

これ と平行 して本学の学園だよりの紙上ギ ャラ リーコーナーへの寄稿 を した。 この紙上ギャ ラ リーの話題 は、私たちの抜本的な思考の経路 を変 え ざ るを得 な いよ うな衝撃 的 な事件 が 起 きた、 あのNYテロ事件 (昨9月)であ り、 その ことと関連 した もの とし、偶然 に も東松 照明先生 を公開講座 にお迎 え したので、「蘇 るアー ト」 の タイ トルとした。尚、 その後、 東 松先生 はアフガ ンの平和 な時代の写真展を今新春開催 された。

牛津の赤 レンガ館 とその色

この赤 レンガ館で私の個展の話が入 ったのは、昨晩夏、 本学部 卒業 の森永 昌樹氏 か らで あ った。彼 は地元 に戻 り、赤 レンガ館の再生 に取組み地域 の活性 化 にいそ しんで い る 彼 か ら 「赤 レンガ館で個展 して もらいたいのですが、 そ こを修理 します。 修理 した後 と考 え ていますが‑」 と打診 された。私 は修理す る前 の方が魅力であることを伝え、その時期を‑

聞 いた。 そ こで翌 ('02年)3月後半 に個展を開催す る運 びとな った。 私 は、 す ぐに以前 の 作品をイ ンスクレ‑ションして展示 しよ うと決断 していた. 3月 は卒業式 な どでバ タバ タ す るけれど、年中では比較的予定が取れ る時期か もしれないと、 また'95年、 山 口県立美術 館での個展以来、作品の陰干 しなどを してな く、 ひ ょっと した らカ ビで もはえて い るか も

しれないと内心ず うっと心配 を していた こともあ り、 それ らを取 り出 し、 空気 に触 れ させ ようと思 った。 そ う思えば、個展 はなん とかな りそ うだと思 った。 (写真⑳⑳)

この個展 も、京都行 きか らす ぐ時期が来て しまい、一方 で4月半 ば には東京 のお茶 の水 画廊での個展 もある。赤 レンガ館での会期が近づ くに従 い、 その案 内状 づ くりや その他学 年末の慌 しさに紛れて しまい、一層忙 しさと焦 りが募 って きた。 いよいネ作 品 の展示 内容 や、 また出展用の作品が どこに保管 しているのか、 その場所 な どを思 い出 しなが ら、 具体 化 していった。 この赤 レンガ館への作品荷物 の搬入 をどの よ うな手順 で行 うか、 展示 には 2日間あるにせよ、借 りた レンタル トラックで搬入すべ きその 日には、 長 崎一 牛津間 を、

最低往復3回をせねばな らないこととな って しまった。 また搬入 ・展示 には徹夜 にな る こ とも覚悟 の上 とな った。

ところで赤 レンガ館 は旧長崎街道 の宿場町牛津 に位置 し、 明治 の頃建設 され、.つ い最近 まで企業 の倉庫 とな っていたが、現在では牛津町が管理 す る こととな り、 森永氏 ら地元 の 芸術家 たちの提案でギ ャラ リー空間 と して利用 され ることとな った. この赤 レンガ館 の壁

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の状況 について触れ ると、建造物全体 は レンガづ くりで あ る。 内装 は漆喰 の壁塗 りとな っ ていたが、その後 その漆喰を剥が しっぱな しで、見た目には、 あ る常識 の 目か ら見れば汚 れた感 じに しか見えないだろう剥が した直後の当時 の頃 は極 めて中途半端 な印象 がす る

ものだったに違 いない。 そのような廃れた色合 いが、 日々が経 て 自然 に同化 して い くよ う に、馴染んで来た印象がする。 また レンガづ くりといえば、 外壁 の色 は統一 す ることが鉄 則であったろう。 この赤 レンガ館 は レンガ色が不揃 いで、 濃 い こげ色 だ った り、 淡 か った りして、あちこちに積み上げ られた もので、 まだ らな レンガ色模様 とな って いる つ ま り 柚薬のかか った もの もあれば、黒 くくすんだ り、表面が剥 がれて 白 っぽか った り して、 レ ンガの大 きさも同様 に一律でない。 そ こに現代的な余裕 の面 白さが出て きて、 かえ って珍 しが られた。従 って レンガ館 と しては、不揃 いなが ら故 に評価価値 はなか った はず だ った が、現在 にな ってみるとその例があまりな く、逆 に評価 されているとのことだ。 (写真⑪ 〜

⑬)

そ して この評価 こそは、今では価値の多様化 さに伴 って、 その多様化 さが普通 とな り、

この赤 レンガ館の レンガ色が認知 され始めたともいえよう。 そ して時代 と共 に経年 し、 ほ どよい快 さを見せて くれるようになった。内部では先 に も言 ったよ うに漆喰 を剥が して レ ンガ色 と漆喰の削 られた色 との調和が、 これ もまたはどよ く見えるようにな った。 とはいっ て も外壁 よりも粗 い印象がするが、それだけにそのような壁 に作 品 を飾 るとな ると、 作品 自体がそれ ら壁の印象 に負 けて しまい、その存在感がな くな って しまうらしい。

ところが、私の作品の色使 いは、原色を基調 に、 その上、 単純化 を 目指 して いるため、

この壁の色 に支え られて映えて くるのだ った. (写真(9‑⑭)

久 しぶ りの作品

ほこりを被 った作品倉庫か ら取 り出す ときの緊張感 は格別 な感情 を持っ 。 それ は作 り手 という私の作品保存 に対す る思 いがあり、 はっきり言 って二面性 の中で揺 れ動 いてい る。

私 という日本人 としてのあきらめと、 なお も永遠 に対 す る憧 れ との葛藤 と もい うべ き内容 を持っ ものである さらに言えば、現代美術を肯定 した ときの私 の心情 は、 永遠 に対 す る アイロニカルな ものを持 ったはずであるのに、作品づ くりにお いて心 の底 にはそれ とは逆 の感情を、つまり永遠 に残 したい感情 とが入 り混 じって い ることだ。 もっと分 か り易 く言 えば、今 にも壊れそ うな材料を選 び、それを捨て られないで しっか りと残 そ うと して いる ことだ。永遠 に残 そ うとしたいのな らば、初めか らいい材料 を選択 すべ きだ ろ う だが、

その出会 いは、 どんなに壊れやすいもので もモチーフに して しま う そ して作品発表 を し た後、作品を保管す る大げさに言えば、命がけであるのだが、 それ らの作品 にカ ビが生 えた りす ると残念 な気分で充満す るが、次か ら次へ と仕事 に振 りまわ されて、 この問題 は いっか解決 しようと思 いなが ら、 それはそのまま流れて漂 白へ と向か って しま うのだ。 で は自作 は残 ってい くのか という問いがあるが、 どち らと も言 えない。 今 で はな るが ままに している。根底では永遠性を願 いなが らも、 いっ もこの矛盾 を抱 え込 んで い る これ まで に度々、保存 していたキ ャンバスがいとも簡単 にカ ビて しまい、高温多湿の長崎 の気候 に、

うんざりしなが ら何年 も住んでいるうちに、 カ ビることが当た り前 とな り慣 らされて くる のだ った。 また ゴキブ リやねずみの糞 は今 に始 まった ことでない。 これ は今 ここに住 んで いる場所の宿命なのか もしれない。

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・今回の個展では 包 んでいた紙やエアマ ッ トか ら作品 を出 してみ ると,、 白いキ ャ ンバ ス 画面上 にねずみの糞尿 による被害 を見つけた

.

「しまった !またか」 とか言 いながら 、 なん とも言えない気分で、記憶 しているが っか りさとな って しま う す ぐさま時 々作 品 チ ェ ッ クをせねばな らない・と思 うのだが、 それ も束の間 とな って しまう

赤 レンガ館での狙 い

ここ牛津 は先 に も言 ったよ うに、かつて長崎街道の宿場 町 と して、・また有 明海 の一番奥 まった場で もあ り、海か らの交流 と して も栄えた町であ り、 吉野 ヶ里遺跡 とのつ なが りも 指摘 されている. そのよ うな海か らの交流のイメージと して、 まず赤 レンガ館 の入 り口に 設営 した作品 は次のような ものである諌早湾の潟 に杭 として打 ち込 まれた丸太 の一郎 で、

諌早湾干拓が進むに従 って、 その杭 などが不要 とな り、 その上方 が切 り取 られ捨 て られて いた ものに着彩 した もので、つ ま り有明海の潟のイメー ジをギ ャラ リーの最初 の場所 専こ設 置 したのである。床 に置かれた杭頭 らは、干潟の水面か ら頭 を見せ て、 あたか も床面 峠水 面 と化 したような印象 となる。次 に牛津の地名のイメー ジか ら牛 に因 んで 牛 の鞍 と鍬 と釜 など農具 に着彩 した ものを並べた。 そ して作品を左 に回 りなが ら設営 してい く 木製脚立、

オルガ ン、滑車、下駄箱、パ レッ ト、 イーゼル、石膏像、 机 な どの何 れ も廃材 とな った も のを着彩 し、それ らオブジ ェを配置 していった。2階 はキ ャ ンバ スを主体 的 に並 べ た。 な お、2階 はまだ漆喰壁が残 されている。1階 と2階をっな ぐ階段上方 には櫓 に着彩 した もの を配置 し、有明の海のイメージでまとめた。

このよ うに して、保存 している作品群を皆 さんに見せ るには、 先述 の よ うに保存 に耐 え 得 る素材選 びが大切だろう続 いてそので きあが った作 品 を発表 した後 で、 保存 す るには 空調が完備 されていることが条件だろ う まだいろいろあ るだ ろ うが、 ここで重要 な こと

は、「保存のために私 は作品づ くりを してない」が前提であることはい うまで もない。

保存 と リサイクルアー ト

rこの リサイクルアー トとい う言葉 は、おか しな 日本語 で あ ると.思 うが、 私 の活動 で は こ の言葉 は定着 しつつある。 この リサイクルは、 もともと社会 か ら生 まれ た言葉 と して派生

した ものだが、・私 にとって大事 な ことは、保存の、.もう一 つ の概念 に リサ イ クルが3つ存 在 していることだ。 まず1つ 目を ここの項で述べ ることに しよ う これを説 明す るにあた り、・これまでの私 の絵画活動 の経緯 を、つ まりそのプロセ スの中で、 私 が現代美術 とい う コンセプ トを抱 くに至 った ことを述べ る必要があるだろ う

そ もそ も私が大学2、3年の頃、松 田権六著の「漆の話」を読んでか ら、・絵 画 0,仕組 み につ いて関心 を抱 くよ うにな り、 その方法 として絵画修復 を行 い、 その結果、 言 うまで もない が、私 にとって 「修復 は保存 につなが った」 ことにな る その頃 の私 の修復観 は、 オール ドマスターといわれ るものは絵 の具 とい う素材を熟知 し、 その特性 を遺憾 な く発揮 して表 現へ と結 びつ けた ことで、 それがその時代の先端的な個性 を見 出 した証 とな った ことだ っ た。 そ してその ことが、絵画 その ものを長 く持 たせ ることにな った とい うことで あ った。

同時 にそのよ うな秩序 ある技法 に従 えば、後年 にな って もその作 品 の修復 の必要性 が出た 時、 それを容易 にさせ るとい うことであ った。つ ま り巨匠 た ちは、 いか に秩序 あ る絵 の具 の仕組 みを秩序 に従 って行 い、 その ことが絵画 と して の表現 の可能性 を見 出 したか とい う

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ことで もあった。私の これまでの要約 した見解を述べ ると、「絵画空間 とは、 絵 の具 の フィ ル ターの積み重ねとして成立す ること」であった。

こうして私 は、大学院で絵画 の組成 ・構造 を学ぶため絵画修復 をよ り高度 な専門性 と し て身 につけた。 これにより修復時の診断はす ぐに見当がっ くし、 困難 な場合 はエ ックス線 をかければ、おおよその判明がで きる。 これ らの作業 は、 今 か ら振 りか え ると、 修復 それ 自体が作品を再生 させ保存へ と向かわせ ることか ら、 リサイクルといえるだろう

とはいえ私 には、それは絵画の構造を知れば知 るほど、 先述 の通 り絵 が描 けな くな って きて、計画的な絵の具の置 き方 を していると、かえ ってその置 き方 が出来 な くな って くる のだちた。 もう一つ将来的展望 として修復師になるのか という自問があ った り して いたが、

その頃、生花 と造花 との比較を偶然 にも、思考 していた ことが あ り、 生花 が生 きる ことの 意味 とその存在、そ してその場 という一瞬の生 とその繰 り返 す伝統性、 そ して その花 は土 に戻 るとい うことの当た り前の 日常性を私 は再認識 した り して いた。 それで、 ため らわず 生花 としての存在を認めるが故 に、私 は絵描 きになることを改 めて決意 したのだ った。 こ うして皮肉な ことに、私 には修復 を修学 した結果、私 は古典画 を否定 した現代美術 に関心、

を呼ぶに至 ったのだ った。

もう一つ関心を寄せたのは、 プ リジス トン美術館で美術評論家東野芳 明氏 による講演会 を聞いてか らであった。 アメ リカ現代美術 に対 して、 まるで現代数学者 カ ン トルの よ うな 理論の感覚で聞いていたか ら楽 しか ったことを思い出す。 この当 時私 は、 まだ古典的絵画 の模写 に集中 しつつ、一方でセザ ンヌ絵画 に も傾倒 していて、絵画の平面化 を試 みて いた。

その結果、 キュー ビックな表現へ と向かい、絵が措 けないとい う困難 さか らその脱 出を図 ろうともがいていた頃で もあった。そのような悶々とした頃 フランスへ留学す ることになっ

た 。

反転 と リサイクルへ

2つ 目の リサイクルについて述べてみよう。 これは反転 す る ことに着 目 した リサイ クル である留学先のマルセイユ美術学校では、私 は、 これ までの単純化 ‑向か う平面性 を推 し進めなが ら、特 に色 と色の重な りを ヒントに絵画空間を展開 させ よ うと した。 あ る日、

その重な りで失敗 したが、 その ことを逆転 させてキ ャンバ スの再生 を試 み た りした。 失敗 の こだわ りか ら、 より自由な方向性を見つ けるように した。 この逆転 す る手法 は単 な るオ ウム返 しでな く、例えば絵の具同士の色の対比 といった反転 でな く、 絵 の具 と布、 布 と木 枠 というふ うにそれ らの隣 り合 う素材や次元の関係性 による反転 とい う見方 で あ り、 それ を絵画の可能性 として求めてい くように した。 これ も反転 した世界 には、 リサ イ クル的 な 発想が生 まれていることを改めて見直 ししている。

帰国 してか らは、 グループ展 における展示空間 に対す る壁面空間、 特 に負 の場所 といわ れ る展示場所 にも積極的に着 目す るようになった。一般 的 に壁面 の制度 的 な関係性 が成 り 立 っていて、 それはいい壁面 に展示 となると、作品の見栄 えが よ くな る 誰 で もが その場 所を求め争 う。評論家 に して も頭か ら著名な作家を優先 して しま う傾 向が あ った。 このい わゆるいい場所 といわれる場 を超える表現が、 もう一 つ の新 たな現代美術 の役 目で はない だろうか と私 は痛感 した。現代美術 は、 まさにこれを克服 すべ き課題 で あ ったが、 あま り それ らの ことは誰 も追求 しようとは しなか ったようだ。私 に とって は、 ここに私 に とって

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の 「新 ・イ ンスタ レーション」 と しての表現の可能性 を試み続 けていた。

もう⊥つ、前述 したように素材論 における矛盾点 を指摘 してお く必要 が あ る 現代美術 辛は、私が思 うところr素材 を即物的 に表現の行為 まで高 め る ことが一 つ の課題 で もあ った はずだ。 ところが作品が商品 と して流通す ることによって、 その素材か結果的に貧弱であっ た とい う問題が現在、美術館等で起 きているようだが、私 は、 その問題 を素材 の恒久性 と どこかです り違 えているのではないか、つ ま りそれを問題化 す る こと自体 が間違 って い る と思 う言 いかえれば、「美術館 とは、宝石のみを扱 う公共施設 の ことである」 と しか言 い ようがない。仮 に素材 の耐久性 を美術表現の課題 とすれば、 古典 的 な錬金術 とあ ま り隔 た りはな くな って くるか らだ。従 って現代美術 において は、 素材 の耐久 的 な課題 を敢 えて要 求 しな くな って きた ことは確かである次のように言 えば もっとわか り易 いだ ろ う つ ま り現代美術 における素材論 は、一般的 に言われているよ うに完成 した油絵作 品 と下措 き用 と しての ドローイ ングとの比較 に例えれば理解 しやすいだ ろ う 言 うまで もな く、 現代美 術 における ドローイ ングの感性 は優位性 と して評価 され た はずで あ る。 この時素材論 の恒 久性 ・耐久性 は、逆 に問題視 されず、 どんな素材で も表現 のユ ニー クさが あれば評価対象 にな った ことだ。 たとえ賓 しい材料や新素材 と しての映像機 で もあ って も、 その人 の感性 が新 たな表現 と して優れていることが重要 とな って きた ことだ。 作品が恒久 的で あ る こと と、作品の表現 その ものとが ごっち ゃにな って きて、 作 り手 も見 る側 もち ゃん ぽん化 して いる

それゆえ、私 も素材 に対 して矛盾点 を自 ら抱 え込んで い る ことを充分 に自覚 して い る

例えば現在、紙作品を使 っているが鑑賞者か ら 「何故 いい和紙 で表現 しな いのか。 惜 しま れ る」 とよ く言 われ る。 その時私 も 「そ うか、 いい ものを使 えば」 と悔 や まれ るが、 一方 で 「仕方 ないではないか。 この紙が私 にとって一番使 い易 いか ら、 これでいいで はないか」

とりあえず 自 ら慰 めて しまう それに 「安 い紙 な ら、 その代 わ りと して絵 の具 はやや高価 の ものを使 っている し‑」 などと友人 に伝え ると 「アク リル じゃ、 自然 に戻 らない しね

自然 に戻 る素材 を使 うべ きだ」 と言 われ る。 それで 「うーん、 自然 に戻 る材料 を努 めて扱 うべ きだろう」 と私 は反省 もす るのだが、 それ以上の進展 な い。 私 にはあ るコ ンセ プ トが あるか ら、 そのまま今 の表現 スタイルとして、安 い紙で前進 して行 こうと思 って い る こ のようなわけで、現在の私の作品 は耐久性がない。 それで も私 が生 きて い る間 だ けで も保 管 して作品を守 って行 きた く思 っている この矛盾の狭間 に私がいて、私の絵画観 が あ る

以上見て きたよ うに、反転す る思考 は リサイクルとの接点 が あ り、 オーバ ー ラ ップ して いると、私 は考 えている

もう一つの リサイクル

フランスか ら帰国 した後で、市販 されているキ ャンバ ス生地 の布 幅が足 りな く、 その幅 を とるため布同士 を ミシンで縫 い逢わせて制作をす ることとな った。 その結 果、 縫 い逢 わ せた布の余剰 を作品化 した ことか ら、 キ ャンバス布の厚 みを絵 の具 の厚 み まで近 づ け、 そ れによって木枠 の考察が始 まった。木枠 は もともとキ ャ ンバ スず れを防 ぐため、 内側 に斜 めに削 ぎ落 とされ る。 当た り前の事実であるが、私 は この当た り前 の この隙間 に着 目 して みた。誰 もが知 っていたが、特 に絵画思考 の過程 にお いて誰 で もが完全 に見落 と して いた 部分であった。 キ ャンバス布の考察 は伝統的に早 くか ら技法材料学 にお いて綿密 にな され

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30 井 川 怪 亮

て きた。 ところが、木枠 に関 してはただの存在で しかなか った。 私 は80年代始 め頃 この斜 めに削 ぎ落 とされる部分 に、 その空間にも絵画の考察を挿入 した。 この結果、 木枠 の削 ぎ 落 とされる木枠を再利用 し、それを木枠の分身 とした。 木枠 の本体 とその分身 によ り木枠 その ものを絵画の表現 として展開 させた。 (写真⑩⑲)

その時、作品上 に木枠をオブジェとして登場 させた ことにな る この プ ロセ スが あ った か らこそ、私が行 ったイ ンスタレーションの、試みの理 由の1つ とな ってい る ここで捨 て られ るはずだ った木枠の分身の形態が、必要 とす る形態 と表裏一体 の関係 と して成立 し ていることか ら、職場の木工室の屑箱 にこの廃材が散乱 して いたのを見 て、 作品 に生 かす

ことが出来 ない ものか と試みた。 自転車普及セ ンターで は、 地下 に眠 ってやがて捨 て られ る運命 にあったサイク リング車に も着 冒 し、その車体全体 に展示中毎 日来ては着彩 していっ た。観客 は、特 にボーイスカウ トの少年 たちが この着彩 しつつあるサイク リング車 に、 どっ と押 し寄せて来た、 この感動 は忘れ られない。着彩す る表現行為 その ものが美術 とな り得 ることを体験 した。

以上、私の制作 プロセスを具体的に述べ ることか ら作品 の余剰 とす る ものまでが、 つ ま り廃材 とすべ きものまでを作品化す ることで、絵画の活性化 を展開 して きた ことを述 べて きた 。

長崎に来てか ら、粗材 ゴ ミとして捨て られる運命 にあ ったオルガ ンな どを着彩す る こと で、一つの芸術作品 まで高めようと私 は試みて きた。着彩 しない方が遥 か に骨董価値 は高 い場合 もあるけれども、捨て られ る運命 にあるものを こう して着彩 す ると、 芸術作 品 とな り得たかは別 として、後 々まで人々は着彩 されたオルガ ンを前 にあれ これ と語 るだろ う

懐か しいペ ダル式の この着彩 された木製のオルガ ンがFM長崎 ラジオ放送 に話題 と して実況 放送 とな ったり、牛津の赤 レンガ館での個展で着彩 した櫓 や農具類 を出展 した時、 牛津町 長 さん らが見え られて、周 りの方 々と 「櫓 は、 こがん して漕 ぐとよ

とか、 (写真⑭) 「こ れは、牛を挽かせて、 このガマは牛の歩調を合わせて、1、 2、 3歩 と歩 いてそ こで、 こ のガマをひ ょいと上 げて、 また同 じ動作で繰 り返 し続 け る ものだ」 と当時使用 され た こと を口々に披露 して くれた。町長 さん らは言 った。「保存 しておけば良か ったなあ。 今 で はな かなか手 に入 らない。 もう探 して も見つか らないだろう本当に惜 しいことを したな

こうして着彩 した農具頬が地域の人々を巻 き込んで話題が広が る。(写真⑮) この よ うな もう一つの リサイクルアー トが ここに存在 していることを、私 は実感す るのだった。

H 。Yさんは、4月中旬の、私の東京お茶の水画廊のセ ッティングの日に天命 を全 うされ た。 お通夜 にお参 りされた方の話を耳 に した。

「H 。Yさんの ご主人が画集の最終校をH oYさんに見 せ た ら、 それ まで意識膜臆 で ぐっ た りと横 たわ っていた彼女が、す っと起 きあが り、 その画集 を しっか りと見終 えた直後、

帰 らぬ人 となった」

それか ら49日に、H 。Yさんの画集が届 いた。

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