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序 文
1.本書の課題は 19 世紀ドイツを舞台にして展開された営業統計の成立・発展過程を、営業表の 誕生から営業経営体に対する直接全数調査(=営業センサス)の達成までを追跡することによって解 明することにある。
営業統計は一国の社会経済構造に切迫した当時の最も重要な経済統計である。すなわち、国土の経 済を担う営業経営体の特徴を調べ上げ、その経営体の全土での拡がりを具体的数量でもって把握・描 写しようとするのが営業統計であり、それを端緒的な形で具体化したのが「営業表」といわれる統計 表である。そこでは農業・牧畜・園芸、手工業・マニュファクチャー・工場生産、問屋制家内生産、
商業・販売、運輸流通、サーヴィスの各部門・分野の営業体が捕捉対象とされ、その経営関係と活動 状況が可能な限り事実にそくして調べられるものとされた(もっとも、この内の農業はやがて調査範 囲から排除されるが)。それは経営体の生産設備配置と就業者構成の両面、また可能ならば営業条件
(環境)と営業成果を利用できる資料・記録によって数量描写しようとするものである。いわば、社 会経済の(物的)生産力側面と(人的)生産関係側面に直接触れる数値資料の獲得を目指したわけで ある。これが当初は、国家施策とされた自由主義経済政策の下で、営業自由化における営業の進展、
すなわち手工業や商業活動の拡張、またとくに機械制生産と大規模営業、その中での蒸気機関利用の 拡大、これらの度合いを測るという国家行政側の事物的関心から必要とされている。営業表の中で一 国経済の主要な担い手であった手工業者と商業経営者、および広域販売圏を有した営業経営体(=工 場)の捕捉が試みられる。これが営業表を作成する目的とされ、そうした関心の下にその作成が 1810-60 年代の半世紀に及んでいる。
しかし、営業表作成での既定方式となっていた手工業と工場生産の分断法、さらにはその他の営業 を加えた多分法、表示項目の偏った配列、また主たる資料源としての税記録への依拠、これらによっ ては資本制生産の進展・拡張に伴なって現実に進展しつつある経営の拡大と多様化に対応できない。
こうした営業表の狭い枠組みと資料源での大きな制約を克服し、19 世紀後半には全営業の物的人的 構成の多面的把握を目標とする営業統計調査の必要性が認識され、直接調査への途が模索される。こ れは経営体の内実に迫る調査項目を盛った統一的な営業調査書式(=用紙)による営業経営者への直 接全数調査=営業センサスを志向することでもある。また、それは行政の直接的関心に応えると同時 に、一国社会経済の科学的分析のための資料獲得、国民の前への社会経済と国民生活の現状報知とい う多面的目的をもった調査活動となる。その必要性はさらに 1860 年代に入って、いくつかの領邦国 家の統計中央部署や統計にかかわる識者によって感受されてゆく。時代は営業表の平板な描写ではな く、直接の営業調査による具体的経済構造に関する包括的立体的な映像を要請する。こうした営業統 計調査の必要性をいち早く感受・提唱し、実際にもザクセンとプロイセンの両王国、関税同盟と後の ドイツ帝国で改革試行に当たリ、営業統計近代化の牽引役を務めた者こそエンゲルであった。エンゲ ルの活動を軸にしてドイツ営業統計の近代化が推進される。こうした社会経済の機軸に触れる数値資 料がどのような契機に促され、どのような経緯を辿って近代レベルでの営業統計として確立しえたか。
その際に示されたエンゲルの貢献はいかなるものであったか。この検討を通じてドイツ社会統計の展 開に隠された基本的発展契機を明らかにすること、これが本書の課題である。この作業を遂行するた めに、これまで著者はそれぞれの時期に現われた営業統計作成の代表事例を選択し、その特徴と歴史 的意義について検討してきた。そうした研究結果を集約したものが本書である。
2.以上の課題への取り組みとそこでの検討結果を提示するべく、本書は以下の3部から構成され ている。
まず第Ⅰ部では、プロイセン王国での営業表の成立とそれに引きずられた2度の関税同盟での営業 表作成を検討する。1819 年に当時の国家統計表の中で営業表が分離独立し、22年からの5本立ての 統計表体系のひとつの構成部分となる。確かに、営業表は人口表と並んで国家統計表の中で基軸とな るものであり、当時の国民経済の主体がいかなる物的人的構成と外延的拡がりをもって分布している かが把握されることになる。しかし、手工業者の場所的存在とその規模を捕捉しようとするところか ら出発した営業表は、直後に工場というカテゴリーを加え、大規模生産・販売に従事する営業経営を 含めるが、営業表の図式とその調査方式(=資料収集方法)をもってしては、さまざまな経営形態が 交錯し、物的生産設備と就業者構成に特色をもったさまざまな営業経営が複合する経済的構成体=初 期資本主義経済の出現を前にして、その全体的把握は不可能となってゆく。そうした中で営業表の果
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2 した歴史的役割を確かめつつ、その限界を明らかにする。
次に第Ⅱ部では、営業表段階の営業統計克服の代表的な試みを取り上げ、それがあくまでも試みに 終わらざるをえなかった要因について検討する。まず、こうした改革試行の端緒として 1855年ザク セン王国営業調査を位置づけ、その内容を検討する。この55年調査はベルギーの46 年調査に触発さ れ、農業・工業・商業の3大部門にまたがる壮大な経済センサスとして企画されている。発案者はザ クセン王国統計局の局長ワインリヒとその下で実質的に局運営を担っていたエンゲルである。しかし、
これは被調査者の否定的反応を前にして失敗に終わる。あまりにも詳細・広範な調査票は営業経営者、
とくに農民層の大きな抵抗と反撥に出会う。時代はそうした経済統計の成立を許す状況とはなりえて いない。61 年に再度の改革提案を今度はプロイセンを対象にして提示する。ザクセンでの失敗を取 り戻そうとするかのようなエンゲルの執念ではあるが、これもまた構想倒れに終わる。全国各地の在 地調査担当部署にはエンゲル案にある調査方式はとうてい実行可能とは受け止められなかったから である。
改革はプロイセンの枠内では進まない、関税同盟統計の全体的見直しを必要とする世論に押され、
プロイセンの外から出てくる。関税同盟統計拡充委員会(1870-71 年)での審議が決定的な役割を果 すことになる。そこでは各種統計の質的向上と統計作成体制の整備についての抜本的改革が集中的に 審議されている。その中で、営業統計改革には大きな注意が払われ、これまでの営業表が完全に否定 され、センサスとしての営業調査が構想される。また、営業統計部門の責任者としてエンゲルの活動 が意義をもつ。以上のエンゲルの手による営業統計近代化への模索を検討する。
最後の第Ⅲ部において、営業センサスへの途が辿られる。上の拡充委員会の構想を具体化した調査 として 1872年調査が予定される。それはヨーロッパで前例のない画期的な営業調査である。しかし、
これは71 年 12 月に実施された最初のドイツ帝国人口センサスの整理作業と重なり実行停止となる。
その後、72年構想は宙に浮いたままとなり、74年になってドイツ全域にまたがる営業統計の長期間 に渡る不在が問題視される。こうして、72年構想の改定を審議する委員会の議論を経て75年 12 月 の人口調査に併せて最初の全ドイツ営業調査が実施される。そこでもエンゲルが委員会の議論を主導 している。しかし、人口調査に圧迫されて、この調査は独立した営業センサスとしては失敗事例に属 する。凍結状態が続くが、1882 年 6月に満を持した形で実質的な最初の経済センサス、すなわち職 業センサスと営業(農業を含んで)センサスが同時に達成される。これにはエンゲルの直接の関与は なかったが、その年来の営業調査構想の具体化として捉えることができる。これは 1819 年のプロイ セン王国営業表以来60 年以上の年月を要する、そしてドイツの統計家の叡智と努力を結集した作業 といえるものであった。この営業センサス実現のプロセスを追求する。
以上の論題・論点の究明をもってドイツ営業統計の歴史的展開の筋道を明らかにすることができる と考えられる。営業統計の前近代から近代への発展を解明することは社会統計そのものの近代化プロ セス解明に直結するというのが著者の見解である。一般的には人口調査におけるセンサス様式の調査 達成が統計近代化のメルクマールとされている。もちろん、これには異論はない。人口統計こそ国家 運営、社会経済と国民生活の把握にとって最重要な数値資料であり、その数量の正確で包括的な調達 が各国行政統計の最優先の目標となるからである。商工業や農業に関するセンサス様式での統計調査 の実施はこの人口調査が敷いたレールの上を走ることで、かなりの時間的遅れを伴ないながらも初め て可能となる。人口総体という表層から社会経済の基底に迫る情報獲得という点で営業統計には人口 統計にはない特性をもち、またそれゆえに困難な調査条件を抱えることになる。すなわち、営業経営 の内実を直接に調査用紙に記入するという営業当事者の最も厭う行為を強いるのが営業調査だから である。しかし、営業統計は社会経済の現状把握にとって最も重要な数値資料であり、これを欠いて は社会統計の成立はありえない。従い、この営業調査がしかも直接全数調査として成立する中に、一 国社会統計の実質的成就の証左をみることができるとするのが私見である。営業統計の歴史的展開に 関する分析をもって、ドイツ社会統計形成の基本的筋道を究明することができるとする理由である。
3.著者はこれまで以下の2 著において 19 世紀ドイツにおける社会統計の展開を究明しようと試 みた。まず、京都大学の停年退職直前にプリント版の形でまとめ、少数の同学の方へ献呈した『ドイ ツ社会統計形成史研究―19 世紀ドイツ営業統計の展開を中心にして―』(京都大学大学院人間・環境 学研究科 社会統計学研究室、2006 年)において、プロイセン統計局の営業表作成から 1882年のド イツ帝国営業センサス実施までの営業統計の展開過程を論じている。しかし、ザクセン王国での営業 調査事例の検討には手つかずであったため、営業統計史としては欠落部分を抱えていた。次に、昨年、
『近代ドイツ国家形成と社会統計―19 世紀ドイツ営業統計とエンゲル―』(京都大学学術出版会、2014
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年)を公刊したが、そこではプロイセンとザクセンの両王国での統計近代化の歩みをフォローし、そ の最終章「営業統計の近代化」の中でザクセン王国での事例を含んで営業統計の発展経過を大筋にお いて説明している。しかし、営業調査史そのものが主題ではなかったために、個別的調査事例を詳述 するという点では十全なものとはいえなく、希薄部分を少なからず残していた。本書では、この両著 で検討された営業統計の作成契機を見直し、代表的調査事例を年代的に整理し、19 世紀ドイツにお ける営業統計の展開それ自体を主題とし、これまでの論稿を整理し、前 2 著にあった不足部分への補 足と修正を加えて独立書としてまとめたものである。つまり、本書では前 2書と重複する記述部分を 含みながらも、営業統計に独自の歴史的展開を前面に押し出し、1810-80 年代に現われたそれぞれの 時代の代表的調査事例を可能な限り網羅的に捕捉し、それらの中にみられる展開の道筋を明らかにし ようと努めた。いわばドイツ営業統計史それ自体に焦点を絞り、その発展経過を究明することを志向 したものが本書である。
4.わが国の統計学とドイツ社会統計学との縁は非常に長く、そして深い。明治期後半、大学での 統計学研究・教育を任された者が一様にドイツに留学し、彼地の統計理論を摂取し、その移植に務め てきた。とくにミュンヘン大学のマイヤーの統計理論がアカデミーの統計学として迎合され、いうと ころの「精密社会理論としての統計学」が調査と利用の理論的素地を提供するものとして受容された。
官庁統計もドイツ国家統計制度から多くのものを吸収している。
戦後には英米派の数理統計学がデータ収集と解析における普遍的方法を提供するものとして喧伝 され、それまでのドイツ社会統計学の影響を凌駕するかのような勢いを示し始めた。しかしそうした 中でも、社会科学としての統計学を志向する側にはドイツ社会統計学からまだ吸収すべき多くの要素 が残されているとする見解が継承されている。さらになお、ドイツ社会統計理論そのものを客観視し、
その方法論に隠されていた理論的難点の析出まで研究の進展がみられる。
ところが、そうしたわが国のドイツ統計学研究にあって、経済統計の基軸としてあった営業統計の 歴史的展開に関する究明は不在であった。不可解なことといわねばならない。1882年に 10 年来の懸 案であったドイツ帝国営業調査が独立センサスとして成立するが、この 82年調査への論究はみられ なく、またそれまでの営業統計の歴史的推移についての研究も欠落している。つまり、ドイツにおけ る経済統計の展開史究明には大きな不明部分が残されたままである。1895年の第 2回目の職業=営業 センサスからようやくわが国の識者の注目を集めることになり、それに関して花房直三郎、相原重政、
高野岩三郎、また高橋二郎らの論究が現われている。しかし、それらも散発的なものであり、系統的 に営業統計史を論じたものとはなっていない。また、それが職業=営業統計調査として実施された中 で、職業統計の側面に較べ営業統計面への注目度は低い。そうした中にあって、営業統計そのものの 歴史的展開を明らかにすることは、ドイツ社会統計そのものの発展に隠された重要な契機を把握する こと、すなわち人口局面を越えて経済局面に統計の網が及んだことを明らかにすることであり、社会 統計が社会構成体の基底部分に到達した証しを析出することに繋がる。一国における社会統計の確立 は営業調査の実施をもって達成されると考えなくてはならない。従い、社会統計史における営業統計 展開の道筋をその発展契機の下に解明し、経済統計の成立事情を究明すること、このことの必要性は 大といわなくてはならない。これまでの研究史に残されている不明部分の解明にいささかなりとも寄 与できることを念じて本書をまとめることにした。
5.他方、ドイツにおいては社会史研究の一環として人口や経済での歴史統計の編纂が 1960 年代 後半以降の大きな研究課題になっている。全土の各地に残されていた原資料の発掘とその時系列的整 理、分類標識の調整を通じた比較可能性の確保、それをもとにした近代ドイツにおける社会発展の数 量的把握、こうした地道な作業がゲッチンゲン大学やバイエルン科学アカデミーを拠点にして精力的 に進められてきている。この中で、プロイセンを中心にしたドイツ営業統計・経済統計面での資料収 集・整備とその史的展開の解明もなされつつある。K.H.カウフホルト、W.ケルマン(故人)、U.アル ブレヒト、W.ザクゼ、A.クラウス女史らによる資料整理と研究には注目に値するものが多くある。と りわけ近時、そうした編纂される原資料そのものの現実反映性に対して徹底した資料批判的吟味を行 ない、ドイツ営業統計史研究にとって画期的局面を切り開いた研究成果ともいうべき著作が刊行され た。すなわち、フランク・ホフマンの著作『「現実的関係に対応した映像が獲得されない」、ウィーン 会議から帝国設立までのプロイセン営業統計の資料批判的研究』(シュトゥットガルト、2012年)で ある。すでに 1991 年には、ボッフム大学のケルマン門下のホフマンがプロイセン営業統計の資料批 判的研究に従事し、それが近く博士学位論文としてまとめられるとの予告があった。しかし、理由は 不明であるが、長くその刊行についての報知はなかった。それがついにライプツィヒ大学での学位論 2
した歴史的役割を確かめつつ、その限界を明らかにする。
次に第Ⅱ部では、営業表段階の営業統計克服の代表的な試みを取り上げ、それがあくまでも試みに 終わらざるをえなかった要因について検討する。まず、こうした改革試行の端緒として 1855年ザク セン王国営業調査を位置づけ、その内容を検討する。この55年調査はベルギーの46 年調査に触発さ れ、農業・工業・商業の3大部門にまたがる壮大な経済センサスとして企画されている。発案者はザ クセン王国統計局の局長ワインリヒとその下で実質的に局運営を担っていたエンゲルである。しかし、
これは被調査者の否定的反応を前にして失敗に終わる。あまりにも詳細・広範な調査票は営業経営者、
とくに農民層の大きな抵抗と反撥に出会う。時代はそうした経済統計の成立を許す状況とはなりえて いない。61 年に再度の改革提案を今度はプロイセンを対象にして提示する。ザクセンでの失敗を取 り戻そうとするかのようなエンゲルの執念ではあるが、これもまた構想倒れに終わる。全国各地の在 地調査担当部署にはエンゲル案にある調査方式はとうてい実行可能とは受け止められなかったから である。
改革はプロイセンの枠内では進まない、関税同盟統計の全体的見直しを必要とする世論に押され、
プロイセンの外から出てくる。関税同盟統計拡充委員会(1870-71 年)での審議が決定的な役割を果 すことになる。そこでは各種統計の質的向上と統計作成体制の整備についての抜本的改革が集中的に 審議されている。その中で、営業統計改革には大きな注意が払われ、これまでの営業表が完全に否定 され、センサスとしての営業調査が構想される。また、営業統計部門の責任者としてエンゲルの活動 が意義をもつ。以上のエンゲルの手による営業統計近代化への模索を検討する。
最後の第Ⅲ部において、営業センサスへの途が辿られる。上の拡充委員会の構想を具体化した調査 として 1872年調査が予定される。それはヨーロッパで前例のない画期的な営業調査である。しかし、
これは71 年 12 月に実施された最初のドイツ帝国人口センサスの整理作業と重なり実行停止となる。
その後、72年構想は宙に浮いたままとなり、74年になってドイツ全域にまたがる営業統計の長期間 に渡る不在が問題視される。こうして、72年構想の改定を審議する委員会の議論を経て75年 12 月 の人口調査に併せて最初の全ドイツ営業調査が実施される。そこでもエンゲルが委員会の議論を主導 している。しかし、人口調査に圧迫されて、この調査は独立した営業センサスとしては失敗事例に属 する。凍結状態が続くが、1882 年 6月に満を持した形で実質的な最初の経済センサス、すなわち職 業センサスと営業(農業を含んで)センサスが同時に達成される。これにはエンゲルの直接の関与は なかったが、その年来の営業調査構想の具体化として捉えることができる。これは 1819 年のプロイ セン王国営業表以来60 年以上の年月を要する、そしてドイツの統計家の叡智と努力を結集した作業 といえるものであった。この営業センサス実現のプロセスを追求する。
以上の論題・論点の究明をもってドイツ営業統計の歴史的展開の筋道を明らかにすることができる と考えられる。営業統計の前近代から近代への発展を解明することは社会統計そのものの近代化プロ セス解明に直結するというのが著者の見解である。一般的には人口調査におけるセンサス様式の調査 達成が統計近代化のメルクマールとされている。もちろん、これには異論はない。人口統計こそ国家 運営、社会経済と国民生活の把握にとって最重要な数値資料であり、その数量の正確で包括的な調達 が各国行政統計の最優先の目標となるからである。商工業や農業に関するセンサス様式での統計調査 の実施はこの人口調査が敷いたレールの上を走ることで、かなりの時間的遅れを伴ないながらも初め て可能となる。人口総体という表層から社会経済の基底に迫る情報獲得という点で営業統計には人口 統計にはない特性をもち、またそれゆえに困難な調査条件を抱えることになる。すなわち、営業経営 の内実を直接に調査用紙に記入するという営業当事者の最も厭う行為を強いるのが営業調査だから である。しかし、営業統計は社会経済の現状把握にとって最も重要な数値資料であり、これを欠いて は社会統計の成立はありえない。従い、この営業調査がしかも直接全数調査として成立する中に、一 国社会統計の実質的成就の証左をみることができるとするのが私見である。営業統計の歴史的展開に 関する分析をもって、ドイツ社会統計形成の基本的筋道を究明することができるとする理由である。
3.著者はこれまで以下の2 著において 19 世紀ドイツにおける社会統計の展開を究明しようと試 みた。まず、京都大学の停年退職直前にプリント版の形でまとめ、少数の同学の方へ献呈した『ドイ ツ社会統計形成史研究―19 世紀ドイツ営業統計の展開を中心にして―』(京都大学大学院人間・環境 学研究科 社会統計学研究室、2006 年)において、プロイセン統計局の営業表作成から 1882年のド イツ帝国営業センサス実施までの営業統計の展開過程を論じている。しかし、ザクセン王国での営業 調査事例の検討には手つかずであったため、営業統計史としては欠落部分を抱えていた。次に、昨年、
『近代ドイツ国家形成と社会統計―19 世紀ドイツ営業統計とエンゲル―』(京都大学学術出版会、2014
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文として受理され、公刊の運びとなったという。附録と文献目録をも併せて 844ページにも及ぶ浩瀚 なこのホフマン書では、プロイセン王国西部のウェストファーレン州のミュンスター・ミンデン・ア ルンスベルク、ライン州北部のケルン・デュッセルドルフ・アーヘンの計 6県、とりわけミンデン・
デュッセルドルフ・アーヘン3県内の郡と都市・自治体での調査事例が当地に残されていた原資料を もとに綿密な分析にかけられ、そこにおける収集と整理の態様が追跡されている。その中で、1816-61 年間のプロイセン営業統計(表)が結果としては「質」と「言明力」に劣った統計数量と統計表しか 提供できず、現実の経済構造を的確に描写するという目的を達成することができなかった、その根拠 が解明されている。1861 年営業表に関して、67年に時の商業・営業大臣イッツェンプリッツをして 内務大臣オイレンブルクへ、この営業表をもってしては「現実的関係に対応した映像が獲得されない」
(これがホフマン著の標題に取られている)という不満を吐かせた背景が明らかにされている。それ が当時の中央の調査指令部署(プロイセン王国統計局)による調査設計、調査様式・手法、要約・総 括形式への準則規定と指示のあり方(=概念規制要因)、また現場の調査担当部署(市庁と郡庁、お よび下位自治体官庁)における調査業務遂行での姿勢とそこでの分類・決定や欄配列・記入などの手 続様式の実態(=調査内在要因)、この両面から検討され、プロイセンでの営業表作成過程に隠され ていた弱点が余すところなく究明されている。営業表への批判的評価の点では、2 つの前掲拙書、ま た本書で提示した見解と共通する点が多くある。
これまで営業統計を題材にしてドイツ社会統計の歴史展開を内在的に追求し、そうした研究の意義 を主張してきた著者にとって、上記の拙著と本書、またこのホフマン書によって、こうした研究作業 の意義が理解され、同学の志の後続することを切に望むものである。近代社会における社会経済統計 の成立とその意義を解明する上で、ドイツ社会統計における営業統計の展開には実に多くの豊富な検 討素材が含まれているからである。
2015年7 月
長屋政勝
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