序
南
いて演奏される 梁(五〇二~五五七)の時代、宗廟・宮中の儀禮にお
樂の歌詞は、二度それぞれ
なる作
て制作された。一度目は、天監年 によっ めに、沈 (五〇二~五一九)の初 普 によって制作され、二度目は、(四四一~五一三)
年 が沈九) (五二〇~五二六)の初めに、蕭子雲(四八七~五四 普 のものを改定して制作した作品である。
年 、梁 が沈 制作の
樂を廢し、新しく
あり、もう一つは、 したのには、二つの理由がある。一つは宗上の理由からで (1) 樂を改定 ここでは、特に た。 樂にふさわしい歌詞を求めるためであっ
樂改定の第二の理由―歌詞上の問題―を 中心に考察してみたい。
體 には、沈
それぞれ制作した宮 と蕭子雲の二人が て、彼ら二人の制作した 樂のうち、燕射歌辭十九首を比較し (2)
樂の歌詞における相
したい。そしてその結果を參照しつつ、 を明らかに そむ文學 樂改定の背後にひ ・政治
な 問題の一端も考察してみたい。
一 梁代における郊廟歌辭・燕射歌辭制作の 經
(一)天監年
沈
・蕭子雲の兩
が制作した
論じるより 樂の歌詞の特色について
に、まず梁代の
樂制作の經
について
天監年 い。 べた における
樂制作の經
は、『隋書』卷十三・
136
沈
・蕭子雲による南
梁の燕射歌辭について
その用例典據の比較
谷孝之
樂志上に見える記
が詳しい。それによると、梁の武
は、建國初年の天監元年(五〇二)、南齊王 蕭衍 の 新しい梁 樂を改め、
の 樂制作を命ずる詔敕を下した。
梁氏之初、樂
齊舊。武
詔訪百僚曰、「夫聲 思弘古樂、天監元年、遂下 之 、與政矣。
明貴辨賤。而韶 以移風易俗、
之稱空傳、咸
陵替 之實靡託、魏晉以來、
甚。遂使
鄭混淆、鍾石斯謬、天人缺九變之
、
失四懸之儀。
昧旦坐 未 、思求厥旨、而舊事匪存、
釐正、寤寐有懷、
爲歎息。卿等學
明、可陳其
見。」
梁氏の初め、樂は齊の
に る。武
「夫れ聲 ことを思い、天監元年、遂に詔を下し百僚に訪ねて曰く、 古樂を弘めん ひろ
の 明らかにし賎を は、政とず。風を移し俗を易え、貴を か
つ わか 以なり。而るに韶・ ゆえん
(語 の稱は傳うるを空しうし、咸・ ①)
(語 る靡し。魏晉以來、陵替 な の實は託す②)
ますます甚だし。遂に
て混淆し、鍾石をして斯 し ・鄭をし
びゆうせしめ、天人をして九變(語
③)の を缺き、
ちょう
をして四懸(語 えん
④)の儀を 失わしむ。
昧旦 まいたん
う。而るに に坐し、厥の旨を求めんことを思 そ
事存せず、未だ釐正するを りせい
ず、寤寐に懷 ごびおも
うこと有りて、爲に歎息する
なり。卿等學
其の見る 明す、
を陳ぶ可し。」 の
この詔敕の中から、武
の
樂に對する
ることができる。すなわち、 勢を見て取 樂の 風俗の とは、本來政事と にじる重
そうした機能を果たしてきた なものである。古代において、 (3)
樂も、魏晉以
本來「 になると、
」と呼べない
素が混入し、
き 樂としてあるべ から したものとなった。そしてそのような
を改め、
樂本來の果たすべき機能をもつ、新しい
このような武 を制定しようというものである。 樂 の意向にこたえるため、當時散騎常侍・
沈・蕭子雲による南
梁の燕射歌辭について(
!谷)
137
語
:①韶・
―古代の天子、
一 "・殷の湯王の時代の曲名。
#に、殷の湯王の樂名ともいう。②咸・
樂曲、「咸池」・「五 ―古代の 」の
$稱。「咸池」は
%の
「五 樂、
」は
&の こく
たび變 樂といわれる。③九變―樂曲が九 して演奏されること、「九
方に懸けて演奏することを許されていたことによる。 懸―天子の樂。古代では、天子のみが鍾(=鐘)を四 '」に同じ。④四
書僕射であった沈
は、武
に對する上奏文の中で、
樂制定に關する方針を
のようにあらわした。
……案
初典章滅
、儒
拾 渠牆壁之
、得片
文、與禮事相關
、
以爲禮、皆非
人之言。
下以至 記取公孫尼子、檀弓殘雜、又非方幅典誥之書也。……陛 取呂氏春秋、中庸、表記、防記、緇衣、皆取子思子、樂 令 之 、應樂推之符、實宜作樂崇
、殷
上
而樂書淪 。
、 案無
。宜
生、分令
凡樂事無小大、皆別纂 討經史百家、
。乃委一舊學、撰爲樂書、以
千載
文、以定大梁之樂。使五
懷慚、六莖興愧。
……案ずるに
初典章滅
し、儒
渠・牆壁の
に
拾して、片 くんしゆう
・ 文の、禮事と相關わる
ば、 を得れ う
ち し以て禮と爲すも、皆
「 人の言に非ず。
は皆「緇衣」『子思子』(語 令」は『呂氏春秋』を取り、「中庸」「表記」「防記」
(語『公孫尼子』 を取る。「樂記」は①)
至た方幅・典誥の書に非ざるなり。……陛下 ②)を取り、「檀弓」は殘雜して、又
の 以て、推すを樂しむの符に應ず。實に宜しく樂を作し まこと を
を崇め、殷 おおいに上
に むべし。而るに樂書淪
し、
案するに
無し。宜しく生を
を び、分かちて經史百家 討せしめ、凡そ樂事は小大と無く、皆別に纂
し。乃ち一 すべ
載の 學に委ね、撰して樂書を爲らしめ、以て千 つく
文を
こして、以て大梁の樂を定めん。五
(語 ③)をして慚を懷わしめ、六(語 はじおも
興さしめん。 おこ ④)をして愧を はじ
沈
は、まず禮樂の復興が困
!であることの理由として、
に儒 代の初め、制度文物が滅んでしまったことを指摘する。後 たちによってその斷片が收集・
本來 修されたが、その際、
人の言と關係のないものまでが紛れ
は春秋戰國の子の書から取られたものであり、古代の禮制 このため、現在ある禮制についての書物というのは、實際に "んでしまった。 中國詩文論叢第二十一集
138
語
:①『子思子』―『隋書』卷三十四・經
子七卷、魯穆公師孔 #志三に「子思
$撰」を
―『隋書』卷三十四・經 %する。②『公孫尼子』
似孔子弟子」を #志三に「公孫尼子一卷、尼
%する。③五
代の天子の時代の曲名。「五 ・六―いずれも古 」は &の こく は '樂、「六」 (せん )
ぎよくの
'樂とされる。
を傳えるものではない。このような問題を踏まえた上で、沈 は に
樂復興の方策を
べている。それは、經・史・
子の書の中から、
樂に關係ある記
整理し、それを一人の學 を細大漏らさず收集・
に委ねて
この後、何之・ とう ものであった。 樂を制作させるという ・任
れらの意見が武 らによる意見が上奏され、そ
自身によって取
擇された後、沈
て によっ
樂の制定がなされたのであった。
(二)普
年
天監年
、沈 によって制作された
樂は、普
年 め、蕭子雲によって改定されることになった(『隋書』卷十三・ の初 その理由が詳しく 五・蕭子雲傳における、蕭子雲の上奏と詔敕との應答の中で、 。この時の改定については、『梁書』卷三十樂志上を參照)
べられている。
梁初、郊廟未革牲
、樂辭皆沈
始建言宜改。 撰、至是承用、子雲
曰、「……臣比
職齋官、見伶人
歌、
用未革牲
曲。圜丘
燎、
言『式備牲
』、北郊 、亦奏『牲玉孔備』。
廟登歌、而稱『我牲以
』、 三
擧、
詠『朱尾碧鱗』。聲被鼓鍾、未符
職司儒訓、意以爲疑、未審應改定樂辭以不。」 制。臣 梁初、郊廟未だ牲 せい
を革めず、樂辭は皆な沈 せんあらた
是に至るも承用す。子雲始めて宜しく改むべきを建言す。 撰し、
して曰く、「……臣比齋官を このごろ
職し、伶人の歌う
を見るに、
お未だ牲 せい
を革めざる せんあらた
の曲を用う。圜 えん
丘 きゆうの
燎(語 しりよう
①)に、
お『式て牲 もつせい
北郊の を備う』と言い、 せん かん にも、亦た『牲玉孔だ備う』と奏す。 はなは
登歌するに、『我が牲以て 廟に し』と稱し、三
(語
の ②)
(語
に、③)
鍾に被らしめ、未だ お『朱尾碧鱗』と詠う。聲は鼓 やを審らかにせず。不」と。 いな 意に以て疑を爲すも、未だ應に樂辭を改定すべきや以て こころまさ 制に符せず。臣職は儒訓を司り、
まず蕭子雲は、沈
の制作した歌詞のいくつかの箇
梁 に、
の儀禮が改革されたことによって不
!合が生じたことを
沈
・蕭子雲による南
梁の燕射歌辭について(
"谷)
139
語
:① 燎―古代の官名、
樂をつかさどる。②三
子の三つの ―天 #(燕
・
$・外
)をさす。③
天子が ―
る 事をすること。ここでは、その時に演奏され
樂をいう。
指摘する。これは
體 には、武
が天監十六年、(五一七)
生を禁じる佛
に從って、宗廟に供える犧牲を省き、野
果物をその代用としたことを指している(『梁書』卷二・武 ・
紀參照)。このような儀禮上の改革がすでに行われているのにもかかわらず、儀禮において演奏される
おも「牲」のように 樂の歌詞に、な さわしくない。これが蕭子雲の張した 生にふれる歌詞が用いられるのは、ふ
ところが、これに續く武 た。 樂改定の理由であっ
の詔敕では、沈
制定の
改定する、別の理由をあげている。 樂を
敕曰、「郊廟歌辭、應須典誥大語、不得雜用子史文章淺言、而沈
撰、亦多舛謬。」 敕して曰く、「郊廟歌辭は、應に典誥の大語を須 もちうべし、子・史の文章の淺言を雜用するを得ず。而るに沈
の撰する
、亦た舛謬多し。」
この敕命で武
が張したのは、沈
の制作した
詞に對する、樣式 樂の歌
な面についての批
であるといえよう。
樂は本來、經書の言
沈 を用いて作られるべきであるのに、
の制定した
樂には、それ以外の史書・
子に見える言
が用いられており、
樂としては大いに
この詔敕の指摘するところに答えるため、蕭子雲はさらに ている、というのである。 ったものになっ あげた武 のように上奏した。この上奏文における彼の張は、先に
の敕命の
容をより
體
したものである。
子雲答敕曰、「殷
饗、樂以
名、理應正
五經、
人 。而
來此製、不
用經典、
之 雜。臣 撰、彌復淺 易
十曲、惟知牲
革、宜改歌辭、而
例、不 承
流俗乖體。
昭然忽 奉令旨、始得發矇。臣夙本庸滯、
、依
旨、悉改
制。惟用五經爲本、其
爾 、
!易、
"書、大戴禮、
#是經誥之流、愚意亦取
臣又 $用。
%&
'書、殷頌
!、稱美是一、而復各
大梁革 (時事。
)、偃武脩文、制禮作樂、義高三正、而
惟 撰歌辭、
*稱 +之美、了不序皇
制作事。
頌
例、於體爲
,。伏以
旨
定樂論鍾律
-.、文思深
方懸日 /。命世一出、
0。不刊之典、禮樂之
、 1治 。一二
各隨事顯義、以明制作之美。覃思累日、今始克就、以 綴、 中國詩文論叢第二十一集
140
上
。」敕竝施用。
子雲敕に答えて曰く、「殷
・ 饗、樂は
名づく。理として應に正しく五經 まさ を以て 人の し。而るに をるべ より來た此の製、經典を このか
用せず。
する の撰
、彌復淺雜たり。臣 いよいよ
に易えし か
の 惟だ牲 たせい の十曲、
せん て、 に革まり、宜しく歌辭を改むべきのみを知り あらた
お例を承けて、俗に流れ體に乖くを うそむ
わず。
たるも、昭然忽ち 令旨を奉じ、始めて矇を發くを得たり。臣夙に本庸滯 ひらつともと に
あきらかなり。
んで
旨に依り、悉く
の制を改む。惟だ五經を用いるを本と爲し、其の た
『爾
』『
易』『 書』『大戴禮』は、
ち是れ經誥の流 たぐ
いなり。愚 わが意も亦た
用を取る。臣又た
の
殷頌・ 書
を ね、稱美是れ一にして、復た各々時事を ぶ。大梁
を作り、義は三正(語①)より高し。而るに を革め、武を偃し文を修め、禮を制り樂 ふつく
を撰するに、惟だ の歌辭
!
ようやく
"の美を稱して、了に皇 つい
の事を序べず。 の 制作 頌の
例、體に於いて
て以らく、 おもえ #を爲す。伏し
旨の定めし
の樂論・鍾律・
深 $%は、文思
&たり。命世(語②)一たび出でて、方めて日 はじ
'に 懸く。不刊の典、禮樂の
、治を
(すの
す なり。
みて一二綴し、各々事に隨い義を顯かにし、以て制作の美を明らかにす。思いを覃 ふかくして日を累ね、今始めて克 よく就 なり、
みて以て上
しむ。 す。」敕して竝びに施用せ
ここで彼も、やはり詔敕同樣、沈
の みで 樂が、經典の語の )されていない點を批
*し、
とその流れをくむ書物から取るべきである、と 樂で用いる語は、五經
このように、武 +張している。
,と蕭子雲の兩
-がともに批
*するのは、沈
が しかし、沈 樂に用いた語の出典についてである。
の制作した
樂が、梁の武
,や蕭子雲が
するほどに、 +張
樂のあるべき
.から うか。というのも、天監年 /0したものなのであろ 1、沈 に命じて
たのも、ほかならぬ梁の武 樂を制定させ らの志向する ,自身であるからである。みずか 樂を制定させることは、當時でも充分可能で
沈
・蕭子雲による南
梁の燕射歌辭について(
2谷)
141
語
:①三正―
3・殷・
の三代の
のこと。ここではその王 4(建子・建丑・建寅)
「命世才」と同じく、當世の をさす。②命世―ここは 5名な と。 6出した人物のこ
あったはずであるのに、なぜ當時は實現できなかったのであろうか。こうした疑問が、彼らの沈
批 の 當性を
このことの是非を檢證するために、やはり、沈 ているように思われる。 くし
兩 ・蕭子雲
の、實際の作品の典據を逐一
るであろう。 査することが不可缺とな
二 梁
樂 ( 燕射歌辭)の典據
査
宋の郭
倩『樂府詩集』の中に收
のうち、沈 されている梁代の樂
「燕射歌辭二」に收 せた四十八首(卷三「郊廟歌辭三」・卷九「郊廟歌辭九」・卷十四 制作によるものは、郊廟歌辭・燕射歌辭をあわ 十九首(『樂府詩集』卷十四「燕射歌辭二」に收 )、蕭子雲が制作した樂は、燕射歌辭の
今回は、兩 存在する。 (4) がそれぞれ) の作 した樂の典據を比較する
査が 目
であるため、
査對象を、兩
辭(梁三 の作品が現存する「燕射歌 なお今回の い。 三首」に限定することにした)三首」、「雍八首」、「需「介 」の十九首樂歌)」、「寅」、、「胤三首」(「俊
査にあたって、燕射樂辭の本文は『樂府詩集』 (中
書局、一九九八年第五
を用いた。印刷)
1俊三首『隋書』
れる曲である。『禮記』王制の「司徒 樂志によれば、「俊」は、衆官の出入時に奏さ
士之秀
俊士也」に由來する。 、 升之學、曰
其一沈
設官分職(1)、髦俊攸俟(2)。髦俊伊何、貴
齒。(3)
乂咸事(4)、
多士(5)。區區衞國、
君子。
得人、(7) 之 猷乃理。
官を設け職を分かつは、髦 ぼう俊 しゆんの俟 まつ攸 ところ。髦俊伊れ何ぞ、
を貴び齒を よわい
ぶ。
は乂咸事とし、 みなこと
は 士多し。 らかにして やす
たる衞國、
お君子を
る。
の人を得て、
猷乃ち理む。 おさ
(1)『
禮』天官冢宰:「設官分職」。(2)『毛詩』大「
樸」:「髦士攸宜」、毛傳「髦、俊也」。(3)『禮記』祭義:「昔
有氏、貴
而 齒」。(4)『
書』書皐陶謨:「九 中國詩文論叢第二十一集
142
咸事、俊乂在官」。『毛詩』大(5)
文王以 「文王」:「濟濟多士、
」。(6)『史記』高
本紀:「夫
決 籌策帷帳之中、
於千里之外、吾不如子
。國家、撫百姓、給餽
吾不如蕭何。 、
百萬之軍、戰必
此三 、攻必取、吾不如韓信。
、皆人
也、吾能用之、此吾
以取天下也」。
其一蕭子雲惟王建國、辨方正位(1)。於赫有梁、向明而治。知人則哲(2)、聰明文思(3)。思皇多士(4)、俊乂咸事(5)。弗惟其官、惟人乃備。
惟れ王國を建て、方を
に向かいて治まる。人を知らば則ち哲、聰明文思なり。思 ここ ち位を正す。於赫たり有梁、明 わかああ
に皇士を多くし、俊乂咸 みな事 こととす。惟 ただに其の官のみに弗 あらず、惟れ人乃ち備わる。
(1)『
禮』天官冢宰:「惟王建國、辨方正位」。『(2)
書』
書皐陶謨:「惟
其 之、知人則哲、能官人」。(3)『
書』
書堯典:「昔在
堯、聰明文思」。『毛詩』大(4)
「文王」:「思皇多士、生此王國」。(5)『
書』
書皐陶謨: 「九
咸事、俊乂在官」。
其二沈
開我八襲、闢我九重(1)。
珮流 、纓 有容。袞衣
列辟雲從。義 邁、
東序、事美西雍。分階等肅、(2)(3)
齊恭。 列
我が八襲を開き、我が九重を闢く。
珮
きを流し、纓
容有り。袞衣
は東序を に邁み、列辟雲のごとく從う。義 すす
列を ね、事は西雍を美す。階を分かつも等しく肅み、 よみつつし
にするも齊しく恭む。 つつし
(1)『文
』張協「七命」:「應門八襲、
『禮記』王制:「 臺九重」。(2)
后氏 國老於東序」。(3)『毛詩』
「振鷺」:「振鷺于飛、于彼西」。 頌
其二蕭子雲訓
!庶工(1)、位以
序。恭己而治、垂旒當
。春或以事舉(2) "。或以言揚、
#秋覲、圭
$惟
%。(3)
&
&
峨峨齊楚。 '(、(4)
沈
・蕭子雲による南
#梁の燕射歌辭について(
)谷)
143
庶工を訓 くん
し、位は てき
を以て序す。己を恭みて治め、旒 つつしりゆう
を垂れて
て に當たる。或いは言を以て揚げ、或いは事を以 ちよ ぐ。春に
え秋に覲えて、圭・ まみまみ
惟れ
る ぬ。た つら ・ ほう
しゆん、峨峨たる齊・楚。
(1)『
書』
書 官:「訓
「或以 厥官」。(2)『禮記』文王世子:
、或以言揚、或以事舉」。『(3)
「春 禮』秋官司寇:
侯而圖天下之事、秋覲以比邦國之功」。『毛詩』小 「 之初筵」:「
豆有楚、
核維
「畢原二十四年: 」。『左傳』僖公(4)
、文之昭也」。
其三沈
重列北上、分庭
陛。百司揚職、九(1)
魯衞兄弟舅甥、(3)。思皇藹藹、群龍濟濟(4)。我有嘉 相禮。齊宋(2)
(5)、實惟
悌。(6)
重列北上し、庭を分かち陛を
九 にす。百司職を揚げ、
思に皇藹藹たり、群龍濟濟たり。我に嘉 ここ 相い禮す。齊・宋は舅甥なり、魯・衞は兄弟なり。
惟れ 有り、實に
悌たり。 『(1)
書』
書立政:「大
(2)『 、小伯、藝人、表臣、百司」。 禮』秋官司寇司儀:「司儀、掌九儀之
以詔儀容・辭令・揖讓之 客擯相之禮、
」。『史記』魯(3)
「 公世家:
公乃奉
王命、興師東伐、作大誥。遂誅管叔、
放蔡叔。收殷餘民、以封康叔於衞」。『毛詩』大(4) 武庚、
王」:「思皇多士、生此王國。王國克生、維 「文 之 士、文王以 。濟濟多 」。大
媚于天子」。(5)『毛詩』小 「卷阿」:「藹藹王多吉士、維君子使 「
弓」:「我有嘉
、中心
之」。(6)『毛詩』小
「湛露」:「豈弟君子、莫不令儀」。
其三蕭子雲客入金奏(1)、
百辟卿士、元首是承。左右秩秩、(4)(5)(6) 至縣興(2)。威儀有則(3)、是是升。
彝倫攸序(7)、王猷以凝。 !"且矜。
客入りて金奏され、
て、 り是に升る。百辟・卿士、元首是れ承く。左右秩秩とし 至りて縣興る。威儀に則有り、是に けんおこのり
!に
凝まる。 さだ "、王猷以てたり。彝倫の序にして且つ矜ぶる攸 のところりんいきよう 中國詩文論叢第二十一集 144
(1)『
語』 「兩君相見、『國(3)。門而縣興」入揖讓而入門、尼燕居: 禮』仲『禮記』。「鍾師掌金奏」春官宗伯鍾師:(2)
語中:「容貌有祟、威儀有則」。『毛詩』大(4)
「假樂」:「百辟卿士、媚于天子」。(5)『
書』
書
「股肱喜哉、元首 禝:
哉」。『毛詩』小(6)
「
「 之初筵」:
之初筵、左右秩秩」。(7)『
書』
嗚呼、箕子、惟天陰下民、相協厥居、我不知彝倫攸敍」。 書洪範:「王乃言曰、
2胤
皇太子の出入の際に演奏される。『詩經』大
「
「君子萬年、永錫祚胤」に由來する。 、 醉」の
沈
自昔殷代、哲王
有(1)。
、惟
大梁 是守。上天乃眷、
受。灼灼重明、仰承元首。體乾作貳、命(2)
置保置師、居 斯九。
居後。
星比(『隋書』
る) 樂志上では「北」に作 、克 萬壽。
自昔 むかし殷代より、哲王
たがいに有り。
りて くだ るに
れ び、惟
是れ守る。上天乃ち眷み、大梁 かえり
に受く。灼灼たる を 重明、仰ぎて元首を承く。乾を體し貳を作し、命は斯の九 な
す。保を置き師を置き、
に居り後に居る。
星 きを比 くらべ、克く
壽を んにす。 さか
(1)『
書』
書酒誥:「在昔殷先哲王」。『(2)
傳:「日 易』離彖 麗乎天、百
木麗乎土。重明以麗乎正、乃
天下」。
蕭子雲天下爲家(1)、大梁受命。眷求一
儀刑哲王、元良(4) (2)、惟烈無競(3)。 慶。灼灼明兩、作離承(5)
。(6)
外發(7)、文
、烈光(9) 性(8)。立師立保、左右惟政。休有 星比
!。
天下家を爲し、大梁命を受く。一
"を眷求し、惟れ烈 れつ
競 つよきこと無からんや。哲王に儀刑して、元良
灼灼たる明兩、離を作し に慶ぶ。 ここよろこ
を承く。
外に發き、文性を
光有り、 す。師を立て保を立て、左右惟れ政す。休しく烈 ただうるわ
星
!んなるを比ぶ。 くら
沈
・蕭子雲による南
#梁の燕射歌辭について(
$谷)
145
(1)『禮記』禮
:「今大 隱、天下爲家」。『(2)
書』
書咸有一
:「眷求一
、俾作
」。(3)『毛詩』
「武」:「於皇武王、無競維烈」。『毛詩』大(4) 頌
『(6) 「儀刑文王、萬邦作孚」。(5)『禮記』文王世子:「一有元良」。 「文王」: 方」。(7)『禮記』樂記:「而 易』離象傳:「象曰、明兩作離。大人以繼明照于四
「是故其『禮記』文王世子:(8) 發外、唯樂不可以爲僞」。 也懌、恭
而
『毛詩』 文」。(9)
頌「載見」:「
革有
、休有烈光」。
3寅
王公の出入の際に奏される。『
書』
官の「貳公弘
寅亮天地」に由來する。 、 、
沈
禮莫
、樂 舉。
辟、
。執桓蒲、列齊(1)
垂袞毳、紛容與。升有儀、 。 有序。齊簪
、 始矜嚴、酣 笑語(2)。
!。
禮は
う莫く、樂は
つぶさに
"ぐ。
辟を き、 ひ に 桓・蒲を執り、齊・ ゆ。 まみ
を列す。袞毳を垂れ、紛として容與 こんぜい たり。升るに儀有り、
るに序有り。簪 しん
語を を齊しくし、笑 ふつ る。矜嚴に始まり、酣
!にわる。
(1)『
禮』秋官司寇:「
#男執蒲璧、其他皆如
『毛詩』小(2) #子之禮」。 「蓼蕭」:「燕笑語兮是以有譽處兮」。
蕭子雲車同軌、行同倫(1)。來萬國、相九
$(2)。
群后、
% 臣(3)。禮時行、樂日新。
&夷則、奏(4)
寅。袞衣
玉帛陳。儀抑抑(5)、皇恂恂(6)。 '、
車は軌を同じくし、行は倫を同じくす。
九 (國より來たり、
$を相る。群后を み
き、 ひ
%臣を じんしん
れ、樂は日に新たなり。夷則を ひび えしむ。禮は時に行わ まみ
&ち、 う
寅を奏す。袞衣
' き、玉帛陳 ならぶ。儀抑抑たり、皇恂恂たり。
(1)『禮記』中庸:「天下車同軌、書同文、行同倫」。(2)『
禮』秋官司寇司儀:「司儀、掌九儀之
詔儀容・辭令・揖讓之 $客擯相之禮、以 )」。『毛詩』大(3)
之 「文王」:「王
%臣、無念爾
*」。(4)『
禮』春官宗伯大司樂:「以祭 中國詩文論叢第二十一集
146
山川、乃奏夷則」。(5)『毛詩』大
「抑」:「抑抑威儀、維 之隅」。(6)『論語』
黨:「孔子於
黨、恂恂如也」。
4介
壽酒を獻上する際に奏される。『詩經』大 三首
「
「君子萬年、介爾景 、 醉」の
」に由來する。
其一沈
百
協卿士。北極永無窮、南山何足擬(4)。 四象初、萬壽三元始。拜獻惟袞職、同心(1)(2)(3)
百
は四象の初め、
壽は三元の始め。拜獻して袞職を惟 おも
い、心を同じうして卿士を協 あわす。北極永く窮まること無く、南山何ぞ擬するに足らん。
(1)『毛詩』大
「假樂」:「干祿百
」。(2)『毛詩』小
「天保」:「樂只君子、萬壽無期」。(3)『左傳』宣公二年「又曰、袞職有闕、惟仲山甫補之、能補也」。(4)『毛詩』小 「天保」:「如
之恆、如日之升。如南山之壽、不騫不
。如松柏之
、無不爾或承」。 明君創洪業、大同登頌聲(1)。開元洽百禮(2)、來儀奏九 其一蕭子雲
。申錫南山祚、赫赫復明明。(3)(4)(5)
明君洪業を創 はじめ、大同頌聲を登 のぼす。開元百禮を洽 そなえ、來儀九
た明明たり。 を奏す。申ねて錫う南山の祚、赫赫として復 かさたま
(1)『
書』
『毛詩』(2) 書洪範:「卿士從、庶民從、是之謂大同」。 頌「豐年」:「以洽百禮、
『 孔皆」。(3)
書』
書 稷:「鳥獸蹌蹌、簫韶九
。鳳皇來儀、
於予 曰、
石拊石。百獸
、庶尹允諧」。(4)『毛詩』
「烈 頌
」:「申錫無疆、
爾斯 」。『毛詩』大(5)
「赫赫明明、王命卿士」。 「常武」:
其二沈
壽隨百禮洽(1)、慶與三
升。惟皇集
、景(2)
仍(3)。申錫永無 互相 (4)、穰
必來應(5)。 壽は百禮に隨いて洽 そなわり、慶は三
と與に升る。惟れ皇
沈
・蕭子雲による南
梁の燕射歌辭について(谷)
147
を集め、景
互いに相い仍る。申ねて錫いて永く かさたま
わす
るること無く、穰
必ず來應す。
(1)『毛詩』
頌「豐年」:「以洽百禮.
『毛詩』 孔皆」。(2)
頌「」:「綏我眉壽、介以
大 」。『毛詩』(3)
「 醉」:「
醉以酒、
以 。君子萬年、介爾景
『毛詩』(4) 」。
頌「烈
」:「申錫無疆、
爾斯
『毛詩』 」。(5)
頌「執競」:「
穰穰、
」。
其二蕭子雲三
禮樂和、百
(2)。安樂享 隨春酒。玉樽湛而獻、聰明作元后(1)
年、無疆臣拜手(3)。
三
禮樂和し、百
元后と作聰明る。安樂して な 春酒に隨う。玉樽湛えて獻じ、 たた
年を享け、無疆臣拜手す。 う
(1)『毛詩』
風「七
『 」:「爲此春酒、以介眉壽」。(2)
書』
書泰誓上:「亶
『(3) 明、作元后、元后作民父母」。 書』
書太甲中:「伊尹以冕
書曰、民非后、罔克胥匡以生。后非民、罔以辟四方。皇天 、奉嗣王歸于亳、作 眷佑有
、俾嗣王克
厥 曰…」。 、實萬世無疆之休。王拜手稽首
其三沈
百味
含馨、六飮莫能
。玉罍信湛湛、金卮頗搖漾。(1)
舉發天和、
流嘉
(2)。
百味は
に馨を含み、六飮は能く かおり
うる莫し。玉罍信 くわぎよくらいまこと
に湛湛として、金卮頗る搖 よう漾 ようたり。
天和を發し、
嘉 か
きようを流す。
(1)『
禮』天官冢宰:「
醫、掌和王之六
百羞、百、八珍之齊」。魏文(2) 、六飮、六膳、
!「與鍾大理書」:「嘉 "腆、敢不欽承」。 其三蕭子雲四氣新元旦(1)、萬壽初今
(2)。日升等皇 。趨拜齊袞玉、鐘石變簫韶
#、洪基
$且遙。
四氣元旦に新たに、
%壽今
に初まる。趨拜袞玉を はじ 中國詩文論叢第二十一集
148
齊しくし、鐘石簫韶を變ず。日は升りて皇
洪基は と等しく、
として且つ遙かなり。 ばく
(1)『爾
』釋天:「春爲
陽、
爲朱明、秋爲白藏、
玄 爲
。四氣和謂之玉燭」。『書』(2)
書 蹌、簫韶九 稷:「鳥獸蹌
。鳳皇來儀、
曰、於予
石拊石。百獸
庶尹允諧」。 、
5需
八首 君子以飮 の際に奏される。『易經』需象傳の「雲上於天、需、 、
宴樂」に由來する。
其一沈
實體
心待和味、庶羞百品多爲貴(1)。或鼎或
、楚桂胡鹽(2) 宣九沸 卉。加
列俎
且蔚。
實體
或いは鼎もて或いは 心して和味を待ち、庶羞百品多く貴爲り。 しよしゆうた
もて九沸を宣べ、楚桂・胡鹽 し
卉 ほうき
を
ぶ。 えら
たかつきを加え俎を列べ
りて且つ蔚んなり。 ほさか 『(1)
禮』
:「
掌王
后世子膳羞之
。「五味三材、九沸九變、火爲之紀」 辨體名肉物、辨百品味之物」。(2)『呂氏春秋』孝行覽: 亨煎和之事、
其一蕭子雲農用八政
爲元(1)、播時百
民天(2)。
!嘗郊
"盡
# 虔(3)、讌饗饋
禮
$宣。九功惟序登頌絃。(4)
農 あつくするに八政を用い
は元を爲す。時の百 もとこ
民の天とするなり。 を播くは ま
!嘗郊 ていしよう
"
饋 き #虔を盡くし、讌饗
しよく禮
$宣ぶ。九功惟れ序べ頌絃に登す。 のののぼ
(1)『書』
書洪範:「農用八政」。『書』(2)
書
「汝后稷、播時百 %典:
」。(3)『禮記』中庸:「明乎郊
"之禮、
!嘗之義」。『書』(4)
。歌」 書大禹謨:「九功惟敍、九敍惟
其二沈
五味九變
&六和、令(1)
(3)禾、圓案方丈粲星羅。皇舉斯樂同山河。 甘旨庶且多。三危之露九期(2)
沈
・蕭子雲による南
'梁の燕射歌辭について(
(谷)
149
五味九變六和を
ね、令
に斯の樂しみ 方丈いぬ。皇のごとく羅星粲九期の禾、圓案危の露 さんせいつらおお 甘旨にして且つ多し。三庶 もろもろ
げて山河と同じうす。
(1)『呂氏春秋』孝行覽:「五味三材、九沸九變、火爲之紀」。『禮記』禮
:「五味、六和、十二
、
『儀禮』士冠禮:「醴辭曰、甘醴惟厚、嘉 相爲質也」。(2)
令 以定爾。承天之休、壽考不 。拜受祭之、
」。(3)『
書』
書
「放驩兜于崇山、竄三 典:
于三危」。
其二蕭子雲感物而動物靡遂、大羹不和有
、(2) 味(1)。非極口腹而行氣 之民心
攸貴、(3)
爲禮本
與 。(4)
物に感じて動けば物
ぐる靡し、大羹不和にして とたいこう
口腹を極めて氣を行うを非とし、之が民心を 味有り。
攸を ところ して貴ぶ せば、
いずくんぞ禮の本 もと
と よう
と爲さんや。 き
(1)『禮記』樂記:「人生而靜、天之性也。感於物而動、性之欲也」。(2)『禮記』樂記:「大饗之禮、
玄酒而俎腥魚、 大羹不和、有
味
「禮 制禮樂也、非以極口腹耳目之欲也」。(4)『禮記』樂記: 矣」。『禮記』樂記:「是故先王之(3)
四 民心、樂和民聲、政以行之、刑以防之、禮樂刑政、
而不悖、則王
備矣」。(5)『儀禮』聘禮:「明日
于 拜
、拜 與 」。
其三沈
九州上腴非一族(1)、玄
碧樹壽
木(2)。
掬、用拂腥羶和九(3) 采之不盈 。甘且飫(4)
!遐
"。 九州の上 じよう腴 ゆ一族に非ず、玄
碧樹壽
の木。
之を采るも掬 きくに盈 みたず、用 もつて腥 せい羶 せんを拂い九
を和す。
(1)班固「西
#賦」:「
『藝文 實之毛、則九州之上腴焉」。(2)
$聚』瑞部上「木
」:「本
%經曰、赤
一名丹
、
&
一名金
、白 一名玉
、 '一名玄
、紫 一名木 」。『列子』湯問篇:「碧樹而
(生、實丹而味酸」。『山
)
經』
)經 )外南經‥「
*與鑿齒戰於壽
之野、
*射
『毛詩』小(3) 之」。 +「采 ,」:「 采 ,、不盈一
張衡「南 -」。(4)
#賦」:「蘇 .紫薑、拂徹羶腥」。『
/禮』地官司徒: 中國詩文論叢第二十一集
150
「廩人、掌九
之數、以待國之匪頒・
賜・稍
」。
其三蕭子雲始
飮 物之初(1)、設卦觀象受以需(2)。
芻、自衞反魯刪詩書、弋不射宿(3)(4) 民乃粒有牲 已 。(5)
れ飮 こ るに需を以てす。 を始むるは物の初めなり、卦を設け象を受く み
して宿を射ずしてり詩書を刪り、弋 よく 民乃ち粒いて牲芻有り、衞自り魯に反 くち
は已に
る。 さ
(1)『禮記』禮
‥「夫禮之初、始
飮 」。『(2)
辭上:「 易』繋 人設卦觀象」。『
君子以飮 易』需象傳:「雲上於天、需、
宴樂」。『(3)
書』
書 禝:「
(4)『列子』 民乃粒」。
符:「孔子自衞
魯」。(5)『論語』
「子 而:
而不綱、弋不射宿」。
其四沈
人欲
大味爲先(1)、興和盡
、紅毛(2) 咸在旃。碧鱗朱尾獻嘉鮮 輕
。臣拜稽首萬斯年。(3) 人欲の大とする
味を先と爲し、和を興し
咸な旃に在り。碧鱗朱尾嘉鮮を獻じ、紅毛 みこれ を盡くすは
輕 けい
を けん とす。臣拜し稽首す お
よろづなれ斯の年。
(1)『禮記』禮
‥「飮 男女、人之大欲存焉」。『藝文(2)
聚』魏・劉邵「七
」:「榮時子曰、洞庭之
紅腴 、出于江。
!鱸、朱尾碧鱗。金光鏡野、旌旗
馬如雲」。(3)『毛詩』大 "天。雷輜翳路、風
#「江
$」:「虎拜稽首、天子萬年」。 其四蕭子雲在昔哲王觀民志(1)、庶羞百品因時備(2)。爲善不同同歸治(3)、蔬膳菲
%始至。
&物以躬行
'位(4)。 在昔 むかし哲王民の志を み、庶 しよ羞 しゆう百品時に因りて備う。善を爲すこと同じからざるに同じく治に歸し、蔬膳菲 ひ
しよく
%始めて至る。物に
&
したがいて以て躬 みずから
'位に行う。
(1)『
書』
『(2) 書康誥:「別求聞由古先哲王、用康保民」。 禮』
():「
()掌王
*后世子膳羞之
辨體名肉物、辨百品味之物」。(3)『 +亨煎和之事、
書』
書蔡仲之命:
沈
・蕭子雲による南
,梁の燕射歌辭について(
-谷)
151
「爲善不同、同歸于治」。(4)『
書』
書呂刑:「堯躬行
在上」。
其五沈
鐘以俟惟大國、況乃御天流至
。侑
其禮不 斯舉揚則、(1)
儀不
(2)。風猷
被深且塞。
鐘を
ちて以て俟つは惟れ大國、況や乃ち天に御して至 まいわん
を流すをや。斯の
を侑 ゆう
しよくし則を揚げ、其の禮
あやまたず儀
わず。風猷の被う たがおお
深く且つ塞つ。 み
(1)『
俎、以樂侑 禮』天官冢宰膳夫:「王日一舉、鼎十有二、物皆有 」。『毛詩』曹風「(2)
鳩」:「
子在棘。淑人君子、其儀不 鳩在桑、其 」。
其五蕭子雲
有 風采蘋、薀(1)
之
(3)民、明信之 非八珍。澗溪沼沚貴先(2)
感人
。譬
祭在西鄰(4)。 に けい
しやく
有り風に采蘋あり、薀 うん
の そう
は八珍に非ず。 澗溪沼沚先民を貴び、明信の
は人
を感ぜしむ。
西鄰に在るに譬 た 祭 やく う。 と
(1)『毛詩』大
「 」。『毛詩』召南「采蘋」。(2)『
禮』天官冢宰:「
醫、掌和王之六
百 、六飮、六膳、百羞、
蘋溪沼沚之毛、 、八珍之齊」。(3)『左傳』隱公三年:「苟有明信、澗
薀 之 、筐筥
釜之 、
可 行潦之水、
於鬼
、可羞於王公」。(4)『
易』濟象傳:「東鄰
!牛、不如西鄰之
祭。」
其六沈
膳夫奉職獻
"
#(1)、不
$不夭咸以時(2)。
%甘
&
'別 ( )、其
不爽受
*釐。於焉(3)
+豫永無期。(4)
膳夫職を奉じて
"
#を獻じ、
甘を時を以てす。 $をとらず夭をとらず咸な べいようみ
%
ととのえ
'を
&えて かな
(
じよう
)を別かち、其の し
爽 たがわず
*釐を受く。焉に於いて
+予は永く期無し。
(1)『
禮』天官冢宰‥「膳夫、掌王之
飮膳羞、以
,王 -
后世子」。(2)『禮記』
.令孟春:「是
.也、命樂正入學
/
中國詩文論叢第二十一集
152
。乃修祭典。命祀山林川澤、犧牲毋用牝。禁止伐木。毋 、毋
孩蟲胎夭飛鳥。毋
、毋卵」。(3)『毛詩』小
「蓼蕭」‥「其
不爽、壽考不
」。『毛詩』小(4)
「爾公爾候、豫無期」。 「白駒」‥
其六蕭子雲行葦之
勿踐、(1)
惟血氣無身剪。(2)
人之心
顯(3)、千里之應出言善(4)。況 而 豚魚革
典(5)。
行葦の
お踐むことな勿く、 ふ
る無からんや。剪 き くんぞ惟だに血氣身の いず 人の心は
言を出だすに善し。況んや豚魚を いわ にして顯われ、千里の應は て そだ 典を革むるをや あらた
(1)『毛詩』大
玉 「行葦」序:「行葦、忠厚也」。(2)『禮記』
‥「君子 庖廚、凡有血氣之
、弗身踐也」。『左傳』(3)
公十四年:「春秋之稱
而顯」。(4)『
子居其室、出其言善、則千里之外應之」。『(5) 易』繋辭上:「君
彖傳‥「豚魚吉、信 易』中孚 豚魚也」。
其七沈
備味斯饗惟至
、咸 人 禮爲
。或風或
歸 流歌詠、負鼎言 殷命(1)。悠悠四
同茲慶。
味を備え斯 ここに饗するは惟 ただ至
のみ、咸な人 み
を し禮を と爲す。或いは風或いは
歌詠に流え、鼎を負いて言 つたここ
に歸し殷命を
く。悠悠たる四 ひら
茲の慶びを同じうす。 よろこ
(1)『史記』殷本紀:「伊尹名阿衡。阿衡欲奸湯而無由、乃爲有
氏
臣、負鼎俎、以
味 湯、于王
!」。
其七蕭子雲春酸
"
#各有宜(1)、筐筥
$釜備
%&(2)。逡
儀、(3) '揖讓詔司 (高制
)明等差、君臣之序正在斯。(4)(5)
春酸
"
#各々宜しき有り、筐筥 きようきよ
$釜 きふ
%
きゆう
&を備う。逡 い 'として揖讓し司儀に詔ぐ、 ゆうじようつ
(高制
らかにし、君臣の序正に斯に在り。 )して等差を明
(1)『禮記』
*則‥「凡和、春多酸、
"多
#、秋多辛、
鹹、 +多
,以滑甘」。(2)『左傳』隱公三年:「筐筥
$釜之
-」。
沈
・蕭子雲による南
.梁の燕射歌辭について(
/谷)
153
(3)『
禮』秋官司寇司儀:「司儀、掌九儀之
以詔儀容・辭令・揖讓之 客擯相之禮、
」。(4)『 易』繋辭上:「
以陳、貴賎位矣」。『禮記』射義‥「故燕禮(5) 高 、 君臣之義也。 以明 飮酒之禮
。 以明長幼之序也」。
其八沈
我六穗羅八珍、洪鼎自爨匪勞(1)
。荊
滑甘 物必來陳、
味和
(2)。以斯至
被無垠。
我が六穗を
び八珍を羅ね、洪鼎自ら爨ぐは えらつらかし
に匪ず。荊 あら を勞する 物を
みて必ず來陳し、滑甘
しゆう
すい
味は
を和ます。斯の至 なご
を以て無垠を被う。 おお
(1)司馬相如「封禪文」:「
一莖六穗於庖」。李善
玄曰、『 「鄭
『 、擇也。一莖六穗、謂嘉禾之米於庖廚以供祭祀』」。
禮』天官冢宰:「
醫、掌和王之六
羞、百 、六飮、六膳、百 、八珍之齊」。『禮記』(2)
則:「
・
楡・ ・枌・
・薨・
・ 以滑之」。
其八蕭子雲 日
光 風四塞、規饗有序儀不
。匪天私梁乃佑(1)
光被四表自南北(2)。長世綴旒爲下國(3)。 、
日
に光 ありて風四に塞ち、規饗に序有りて儀 よもみ
天の梁を私するに匪ずして乃ち わたくしあら わず。 たが を佑く、光は四表を被 たすおお
いて南北自りす。長世旒 りゆうを綴 つづるは下國の爲 ためなり。
(1)『毛詩』曹風「
鳩」:「
子、其儀不 鳩在桑、其子在棘。淑人君 」。『(2)
。于上下」(3)『毛詩』 書』書「堯典」:「光被四表、格
!頌「長發」:「爲下國綴旒」。
6雍
撤 "三首
#の際に奏される。『禮記』仲尼燕居の「大饗客出以雍 、
撤」に由來する。
其一沈明明在上(1)、其儀有序(2)。
$事靡
%、收
乃 &撤俎。乃升 '、和樂備舉(3)。天
莫 ((4)、人謀是與。
)行禮
*
(5)、茲焉讌語。 中國詩文論叢第二十一集
154
明明として上に在り、其の儀序有り。事を
えるに
あやまる靡 なく、
を收め俎を撤す。乃ち升り乃ち けい
り、和樂備
天 す。
う莫く、人謀是れ與す。行禮
す。 し、茲に讌語 ここ
(1)『毛詩』大
『儀禮』士冠禮:「禮儀有序」。『毛詩』(3) 「大明」:「明明在下、赫赫在上」。(2)
「 頌「有瞽」: 備乃奏、簫管備擧」。(4)『毛詩』
風「谷風」:「
莫
、 爾同死」。『左傳』襄公二十五年:「(5)
禮、 行其
之以文辭」。
其一蕭子雲穆穆天子(1)、時惟
。濟濟群公、恭爲(2)
有典、膳夫是命。禮行 柄。爲撤 嘗(3)、義光
聘。
饗其 民洽其慶。 (4)、 穆穆たる天子、時 これ惟 これ
なり。濟濟たる群公、恭しく 柄と爲る。撤を爲すに典有り、膳夫是に命ず。禮は ここ
てい 嘗 しようを行い、義は
聘を光かす。 かがや
は其の
びに洽の慶ぐ。 よろこやわら を饗け、民は其 う 『毛詩』(1)
頌「
記』曲禮下:「天子穆穆、 」:「相維辟公、天子穆穆」。『禮(2)
記』中庸:「明乎郊 侯皇皇、大夫濟濟」。(3)『禮 之禮、
嘗之義」。『禮記』「禮(4)
「鬼 」:
饗 」。
其二沈
我
惟阜、我肴孔庶。嘉味(1)
充、
(2)、冲和在御。 旨斯飫。屬厭無爽 實由仁恕。 壤齊歡(3)、懷生等豫。庶乃粒(4)、
我が
しゆんは惟れ阜 ゆたかなり、我が肴は孔だ庶 おおし。嘉味
に充ち、
旨斯に飫く。屬厭爽う無く、冲和御に在り。壤を あたが
ちて齊しく
!び、生を豫いて等しく豫ぶ。庶乃ち粒 よろこじようしよくら
う、實に仁恕に由る。
(1)『毛詩』小
『論衡』感 「願以小人之腹、二十八年:爲君子之心、屬厭而已」。(3) 「小明」:「我事孔庶」。(2)『左傳』昭公
":「堯時天下大和、百姓無事、有五十之民、
壤於塗」。(4)『
#書』
$書
%禝:「民乃粒」。
沈
・蕭子雲による南
梁の燕射歌辭について(
&谷)
155
其二蕭子雲 有和羹、
戒且 。亦有其
、亦惟克明。其
惟
其 (1)、
惟
(4)其聲。 。百禮斯洽、三宥已行。明哉元首、駿(2)(3)
お和羹有り、
に戒め且つ いまし
らかなり。亦た其の
しゆん有り、亦た惟れ克 よく明らかなり。其の 惟れ び、其の なら
惟れ
に其の聲を駿首、いにす。 ここおお る。百禮斯に洽く、三宥已に行わる。明なるかな元 あまね
(1)『毛詩』小
「 之初筵」:「
豆有楚、
核維
(2)『毛詩』小 」。
「 之初筵」:「烝
烈
『(3) 、以洽百禮」。 禮』秋官司寇:「壹宥曰不識、再宥曰
失、三宥曰 」。(4)『毛詩』大
聲」。 「文王有聲」:「文王有聲、駿有
其三沈
百司
列、皇在在陛。
飫且 、卒 濟濟。凡百庶僚、莫不(1) 禮。其容穆穆、其儀 悌。奄有萬國、抑由天(2)
。 百司
列し、皇在りて陛に在り。
に飫き且つ あ
、 を卒 おえ禮を
凡百の庶僚、 す。其の容穆穆たり、其の儀濟濟たり。
悌たらざる莫し。
天 國を奄有するは、抑も そもそ
に由る。
(1)『禮記』曲禮下:「天子穆穆、
蹌蹌、庶人 侯皇皇、大夫濟濟、士 。」。『毛詩』小(2)
莫不令儀」。 「湛露」:「豈弟君子、
其三蕭子雲戒
有章、卒(1)
惟序。庭鳴金奏、凱收
撤以振 筥。客出以雍、
(2)。離磬乃作、和鐘備舉(3)。濟濟威儀、
。(4)
戒
するに章有り、
らぎて鳴り、凱 やわ を卒うるに惟れ序あり。庭には金奏 お
するに振 筥を收む。客は出づるに雍を以てし、撤 る威儀、 を以てす。離磬乃ち作り、和鐘備す。濟濟た な
こう たる こう
しゆん
。 きよ
(1)『左傳』襄公十四年‥「衞獻公戒孫文子・
!惠子
」。 中國詩文論叢第二十一集
156
(2)『禮記』仲尼燕居:「客出以雍、徹以振
」。『毛詩』(3)
頌「有瞽」:「
叔之離磬、「垂之和鐘、女 備乃奏、簫管備舉」。(4)『禮記』明堂位:
之笙簧。
后氏之龍
之崇牙、 、殷
之璧」。
沈
・蕭子雲兩
おりであろう。 による燕射歌辭の典據は、ほぼ以上のと に、兩
の典據の傾向に相
かを があるかどう 沈 査結果から檢證したい。
が制定したの
樂に對する批
書物からの引用であった。この點について の焦點は、經書以外の
べてみると、沈
たものは、十一首ある(「俊 が制定した燕射歌辭十九首の中で、經書以外の典據を用い
」の三首、「介
「需 」其三の一首、
」其一・其二・其三・其四・其七・其八の六首、「雍
るという點を考えれば、沈 十九首中十一首に經書以外の書物から引いた典據がみられ の一首)。 」其二 の 樂の歌詞は、梁の武
子雲によって「舛謬多し」と や蕭 他方、蕭子雲が制定した燕射歌辭の典據は、經書 を持つだろう。 斷されてもやむを得ない側面
それに準ずるものに限られている、と びほぼ
してよい。「郊廟歌 用するを得ず」という武 辭は、應に典誥の大語を須うべし、子・史の文章の淺言を雜 もち
しかし、沈 る。 の意向を嚴密に守っているのであ の 樂が、
樂としてのあり方から大幅に
れたものであるかといえば、そうでもなかろう。なぜなら、沈
の 樂においても、典據として用いられる言
り經書からのものが大 は、やは からの典據は、せいぜい一首一例ずつぐらいの を占めているからである。經書以外
そのため、普 その「舛謬」が目立つというほどでもなさそうである。 用されていない。そのため、一首單位で見た場合、必ずしも 合でしか使 年 の
樂の改定は、沈
の 底だった箇 樂では不徹 をより嚴密にした、という
價がふさわしい。
三 沈
と梁の武
において、沈
取り上げ、その典據を と蕭子雲が制定した梁代の燕射歌辭を 査した。その結果、普
年 雲が改定した に蕭子
樂の歌詞は、沈
書を典據とする方針が徹底されていた。この徹底ぶりは、 の制定したもの以上に、經
樂改定を命じた梁の武
の い意向によるものだろう。
に梁の武
の意圖する宮
の
樂が、天監年
には實現で
沈
・蕭子雲による南
梁の燕射歌辭について(谷)
157
きず、普
年 てみたい。ここでは特に、天監年 にようやくその實現を見た理由について考え
の 沈 樂制定にかかわった ・梁の武
蕭衍、二人の政治
・文學 地位に 沈 みたい。 (5) 意して は、文學史
ともに、聲 た文人集團「竟陵八友」の中心人物であり、謝・王融らと (6) には、南齊の竟陵王蕭子良の邸宅に集まっ ・詩型を重んじる永明體の創始
他方、梁の武 ている。 (7) として知られ た沈 蕭衍も當時を代表する文人であり、彼もま 學 と同じく「竟陵八友」の一人である。しかし、その文 は沈
のものとは
なっている。彼は沈
らの ない。沈 る當時の新しい文學の動向に對して、充分な理解を示してい によ
の提唱した「四聲
」を、武
が た、これより時代は少し下るが、皇太子であった かったというエピソードからも、そのことは明かである。ま (8) めようとしな 文 武 のもとで、永明體の流れをくむ「宮體詩」が流行した時に、 (9) 蕭綱
はその創始
の一人である徐
もある ( を問責しようとしたこと
。これらのことからみて、彼の文學 )
は、梁代の文學
集團の一
である「古體
(守 )」に
い、やや保守 ものであったと考えてよいだろう (
。彼が、 )
樂制定の詔敕 を下したとき、古樂の復活を
張したのも、また、普
年
の
した文學 樂改訂のとき、經書からの引用にこだわったのも、こう
と密接に關
武 しているように思われる。
・沈 、二人の目指す文學のあり方は、かなり
ものであった。こうした兩 なる の文學
の相 が、普
年 の しかしそれならば、なぜ梁の武 か。 樂の典據問題をおこす原因の一つになったのではなかろう
の意圖する宮
の
天監年 樂が、
には實現できず、普
年 たのか。これについては、當時の沈 にようやくその實現をみ 影 の文壇・政界における 天監初年(五〇二)當時、沈 力の大きさを配慮した結果、と思われる。
は、すでに文壇の重
ての確固たる地位を とし 彼は梁建國の功勞 いていた。また當時の政界においても、
として いた。從って當時の彼は、文壇・政界の兩方における第一人 書僕射(宰相)の地位について
であり、その影
天監年 力は非常に大かったであろう。
の
樂制定時に、武
が 向を實現できなかったのは、こうした沈 樂についての自らの意 ける當時の影 の文壇・政界にお 力を無してまで、自分の
張を押し
とをためらったからであろう。結局のところ、武 すこ
の意圖す 中國詩文論叢第二十一集
158
る 樂の改定は、天監十二年の沈(五一三)
後の普 の死から數年 年 にまで持ち越されることになったのである。
*文學
の相 以外に、武
は沈 時期から不滿をいていた。天監二年(五〇三)、 の爲人に對しても、かなり早い
して國政を任されていた范雲が死去したとき、武 書右僕射と は沈 易にして徐 の「輕 に如かざる」ことを理由に、本來後任であるべき沈 に代えて、徐
と 卷三十四・ の二人を國政に參畫させている(『南史』
傳)。さらに沈
は に對する發言をはじめ、いくつかの言動によって武 年、梁建國の功臣張稷の死
りをかい、それが原因で死去している。こうした事 の激しい怒 から、沈
に諡號をおくる際にも、武
は有司の
三・沈 しりぞけ、より格の低い「隱」に改めさせている(『梁書』卷十 めた「文」という諡號を 傳)。武
が沈
の制定した
沈 樂の改訂を行ったのは、
年のこのような經
も關係していたのではなかろうか。
四 蕭子雲と普
年
における梁代の文學
集團
最後に、梁代に活
したいくつかの文學
介した上で、普 集團について紹 年 に
樂の改定を行った蕭子雲がどの集 團に屬していたかを
蕭子顯の『南齊書』文學傳論や梁の べておきたい。
文 によれば、梁代の文學 の「與湘東王書」
集團は、おおむね三
た。それは、王 に分かれてい ら謝靈 の山水詩の流れをくむ「謝靈
「雕蟲論」を 」、
を批 して、當時の「麗靡之詞」(『梁書』裴子野傳)
し、經書の文體を重んじた裴子野らの「古體
(守
)」、そして沈
ら永明體の流れをくみ、韻律・形式を重
した「綺羅脂粉」の詩風を特
とする、
文
體 蕭綱らの「宮
」、の三
である (
ところで、武 。 )
の命をうけ、
樂を改定した蕭子雲は、
樂改定に關する上奏文での經書重
らかに二の「古體 の立場からみて、彼は明 」に屬している (
興味深いことに、蕭子雲が 。 )
樂の改定を行った普
年
ら、「古體 か
」の文學
たちの活
の指摘がある。 がんになっている、と
!水凱夫氏は、梁代の「古體
學 」に屬する文
たちの
"な活
時期を、普
年 ら中大 (五二〇~五二六)か 年 (五二九~五三四)にかけての梁代中期頃とし (
特に普 、 #)
七年(五二六)、裴子野の「喩魏文」などが武
徐 や
・ ら
$%の高官に
&價されて以
と考えている ( '、京師で行した
。 ()
沈
・蕭子雲による南
$梁の燕射歌辭について(
)谷)
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