富山大学公開講座 「′いとか らだの心理学」
第 1回 :「 イメー ジ ・夢 ・身体」
富山大学保健管理セ ンター 斎 藤 清 二
Seiji Saito:Image,Dream and BOdy
は じめに
富山大学公開講座の一つ として行われた 「ここ ろとか らだの心理学」の第一回は 「イメージ ・夢 ・ 身体」 とい うテーマで筆者 (斎藤)が 担当 した。
本稿では、その講義の導入部の内容を再録す る。
導入のテーマは 疇らヽ身相関」 とい うことである。
このテーマは、 あ りお、れているよ うで、実 はとて も奥の深 いテーマであ り、実際の講座では具体例 を示 しつつ説明が行われたが、本稿では、残念 な が らそれについて詳述す る余裕 はな く、それにつ いては、稿 を改めて述べ る機会を持 ちたいと考え ている。
1.こ ころはどこにあるか
通常私達 は、人間 は 「こころ」 と 「か らだ」か ら成 り立 っていると考えていますが、 「こころ」
はどこにあるのか というのは、難 しい問題です。
最近 では、「こころは脳 (頭)に ある」 とい うの が、科学的な考え とされています。 しか し、実感 としての 「こころ」 はどうで しょうか6私 が色 々 な機会 に、「『こころ』 はどこにあると感 じてい ますか ?」 と、色々な人 におたずね してみ ると、
1/3く らいの人 は 「こころは頭 にある」 と感 じ てお り、 1/3く らいの人 は、「こころは胸 0い 臓 の辺 り)に あ る」 と感 じ、残 りの人 は、 「その
他、 あるいは分か らない」 と答え るよ うです。 こ のよ うに、同 じ 「こころ」で も、 あたまとハ ー ト では、少 し異 なった働 きが宿 っているというのが 実感ではないで しょうか。 こころを働 きか ら分 け ると、一般 に 「あたま」 の働 きとされ るの は、
「思考機能 :mind」 です。 それに対 して、 隔い臓 (ハー ト)」 には、 む しろ 「感情機台ヒ:heart」が 宿 るとイメー ジしやすい と思 われます。
このことは、頭 (思考機能)よ りも心臓 (感情 機能)の 方が、 よ り身体 と密接 に関係 していると 感 じられ ることにも関連があると思 います。身体 は 「こころ」 とは別の ものであると、 デカル ト以 来考 え られ るよ うにな りま したが、私達の実感 と しては、身体 はこころと密接 な関係を もっている よ うに感 じられます。 しか し現代 においては、私 達 の多 くは、「あたま」 と 「ハ ー ト」 と 「か らだ」
が まるで別々の ものであるかのように感 じている のではないで しょうか。
2.心 身相関はあた りまえ ?
通常 の医学 の世界で は、「こころ」 と 「身体」
は別 々の もの として扱われています。 これは、そ もそ も 「こころ」をあつか う専門家である精神科 医 と、「身体」 をあつか う専門家であるその他 の 診療科医 (内科 とか外科 とか小児科 とかです)が 、
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その分担 をはっきりと分 けて しまっているとい う ことに関係があるようです。 しか し、医学の世界 において も、 こころと身体の状態 には関連がある のではないか、 とい う考え方 もかな り昔か らあ り ます。 このよ うなテーマを、Lとヽ身相関」 などと 呼び、それを専門に研究す る領域 は心身医学 とか、
心療内科 とか呼ばれています。
しか し、 こころと身体 は無関係ではないとい う 考え方 は、我 々一般人にとっては、む しろ当たり 前 の ことで はないで しょうか ?い くつか例 を挙
げてみましょう。私達 は、机の上にあるもの (コー ヒーカ ップとか、 コンピューターのマウスとか) が必要だ と思 うと、手を伸ば してそれを取 ること がで きます。 「物 を取 ろ うと思 う」 ことは、通常
「思考」 とか 「意志」 とか呼ばれ、 これは明 らか に こころの働 きです。そ うす ると、私達の身体 の 一部である筋肉 (厳密には、働いているのは筋肉 だけではないのですが)が 働 いて、腕を伸 ば し、
コップをつかむ という運動をすることによって、
目的を達す るわけです。 このような現象 は 「随意 運動」 と呼ばれます。 こころと身体が無関係であ れば、 そ もそ もこんなことがで きるわけはあ りま せん。 しか し、通常 このようなことは、あた りま えすぎるので 乃い身相関」 とは呼ばれていません。
それでは、次のような ことはどうで しょうか。
私達 は毎 日毎時間、おそ らく死ぬまでのあいだ片 時 も休 まずに呼吸を しています。私達 は呼吸 とい う 「身体 の運動」 を行 う時 に、「さあ、息 を吸 う ぞ、今度 は吐 くぞ !」 とは考えていません。 そん なことを考えな くとも、呼吸 は自然 に行われてい ます。そうでなければ死んで しまいます。 しか し、
ラジオ体操で深呼吸をす る時はどうで しょうか ? 健康診断で レントゲ ン撮影をするときはどうで しょ
うか ?「 息を大 きく吸 って、 はい止めて」 などと 言 われた時、私達 は自分の意志で、呼吸を調節す ることがで きます。何が言 いたいのか とい うと、
呼吸 とい う身体 の運動 には、「自分 の意志」 が関 与 してい る部分 と、「それ とは無関係 に自然 にな されている部分」 とがあ り、通常 はその組み合わ せによって、呼吸 とい うものが行われているとい
うことです。
この ことは、呼吸法の トレーニ ングが、身体 の 健康増進 の目的や、 こころの状態の調節の 目的で 行われ ることがある、 とい うこととおそ らく関係 があ ります。東洋の健康法 には調息法 といわれ る ものがあ ります し、腹式呼吸が精神安定 に有効で あ り、健康 に も良い、 とい うような話 を聞いた方 も多いのではないか と思います。つまり、呼吸 と は、「こころと身体が出会 う場所」 で もあ るわ け です。
さて、 いままでは、手の筋肉や呼吸筋などの、
どち らか とい うと 「運動」 についてお話 して きま したが、 それでは同 じ運動で も、隔とヽ臓 の運動」
につ いて はどうで しょうか ?心 臓 はさきほどの 呼吸 と同 じよ うに、私達が生 まれてか ら死ぬまで、
ず っと働 き続 けています。呼吸の場合 と決定的に 違 っているのは、私達 は呼吸を一時的に止 めた り 早 くした りで きますが、通常心臓の動 きを 「自分 の意志で」止 めた りす ることはで きません。そ う い う意味で心臓の働 きは、私達の 「意志」か らは 通常独立 しています。 しか し、それでは、心臓の 働 きが 「こころ」 と全 く無関係か とい うとそ うで
もあ りません。
入学試験や就職の採用試験の面接の時の ことを 考 えてみて ください。私達の心臓 の動 き (鼓動)
は、 このような状況では、普通 よりも早 く、強 く な ります。試験官が とて も怖そ うな人だ った り、
質問に うま く答え られなか った りす ると、私達の 心臓 はよ り早 く鼓動 を うつようにな ります。 いわ ゆる 「胸が ドキ ドキす る」 とい うやつです。同 じ よ うなことは、 このよ うな緊張 とか恐怖 とか呼ば れ る状況 とは少 し違 う状況で も起 こります。 「胸 が高鳴る」 とい うのは、む しろうれ しいことゃ将 来への希望を感 じさせ るで きごとがあって、その ために 「こころ」が高揚 しているときの状態です。
実際にこうい うときには、脈拍数 は増加 し、心臓 の拍出量 (一回の収縮 によって心臓が送 り出す血 液の量)は 増加 しています。 さらに、好意を持 っ ている人 を見かけた時 などには、 「胸 キュン」 と 表現 され るよ うな瞬間的な鼓動の高 まりが感 じら
れます。 このようなときに、 もし客観的に心臓の 働 きがモニ ターされていれば、同 じよ うな現象を 観察す ることがで きるで しょう。
これ らの 「通常 はこころ (意識)と は無関係に 動 いている内臓」 が、「特定 の Fこ ころの状態』
への反応 として、その働 きが変化する」現象は、
通常 「情動 =強 い感情」 を媒介 として起 こってい ると考え られ、 さらにそれを直接内臓機能 の変化 へ とつないでいるのは、「自律神経系」 と呼ばれ る神経 システムであると考え られています。一般 に自律神経 は、通常の 「あたま」の働 きである、
「思考」 や 「意志」 には直接 は影響 されず、 もう 一つのこころの働 きである 「感情」に強い影響を 受 けることが分か っています。 さきほどの、怖 い 面接官に口頭試間を受 けているような場合、心臓 の鼓動が高鳴 るだけではな く、同時に全身 に冷や 汗をかいた りします。 これ も汗腺が、 自律神経の 支配 を受 けているためで、 これ らの通常 よ くみ ら れ る現象 は、身体の多 くの働 きが、 自律神経系 と い う仕組みを通 じて、「感情」 と緊密 につなが っ ていることを示 しています。
ところで、 こころと身体の関係を考え るときに よ く引 き合 いに出 され る例 と して、「試験 の前 に なると下痢をする」 というような現象があります。
下痢 とい うのは、確かに身体の問題です。おそ ら く胃や腸 などの、消化器 とよばれ る内臓の働 きに よると考 え られます。 しか し、 「腸 の働 き」 など とい うものは、私達 にとって、普段 は全 く意識 さ れていないものです。心臓の働 きは先 ほどの例の よ うに 「脈拍 を数える」 とい った ことで、私達 自 身 に もある程度分か ることです。 しか し、食べ物 を食べた後で、消化器 と呼ばれる臓器が どのよう な働 きを しているのかは、私達 にはほとん ど分か りません。実 は非常 に複雑で ダイナ ミックな働 き を、私達 の胃や腸 は、一 日中 (特に食事の前後) 行 っているのですが、 そのほとん どは、私達 自身
にとってはブラックボ ックスです。それ らのほと んどは、先 ほど話題 に出た 「自律神経系」 を始 め とす る複雑 な身体のネ ッ トワークによって調節 さ れています。 しか し、それが うま く働 いているあ
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いだは、私達 はその複雑な働 きに気づ くことはほ とんどありません。下痢 とか便秘とか腹痛 とかいっ た、 「お腹 の具合 の不調」 によっては じめて、私 達 は自分の内臓 の働 きに注 目す るとい うことにな
ります。
それでは、 このような 「身体の複雑 な調節機構」
と私達の 「こころ」はどうつながっているので しょ うか。 また、それは 「こころに由来す る身体の病 気」 とい うような問題 についての直接 の答えを与 え るものなので しょうか ? こ れに答 え ることは 容易ではあ りません。 しか し、 これまでの ことか ら言えることは、やはり 日い身相関」 は、私達 に とって 自明の理ではないか、 とい うことです。 こ ころの問題 と身体の問題 を、互 いに独立 した無関 係 な問題 として扱お うとす る、近代 までの医学の 考え方のほうに無理があるのではないか と思 うの です。
3.心 身相関 と社会生活
前項で、 こころと身体がつなが っているという ことは、む しろ自明の ことではないか とい うこと を述べて きま した。 それでは、 どうして私達 は、
まるで こころと身体 はつなが っていないかのよう に考え る傾向があるので しょうか。 こころと身体 がつなが っている実例 として、再度次 のよ うな例 を挙 げなが ら考えてみたいと思 います。
「眠 くなると機嫌が悪 くなる」
「お腹がす くと集中力が落 ちる」
「眠 くな る」「お腹がす く」 とい うのは、身体 の状態 と考えて良 いと思 います。それに対 して、
「機嫌が悪 くなる」「集中力が落ちる」 とい うのは、
こころの状態ですね。 これ らの ことは、通常当た り前 に起 こることだ と思 います。最近では、脳内 物質 (神経伝達物質 と呼 ばれています)が 関与 し ている、生物学的な現象であるとい うこともほぼ 定説 にな って きま した。 しか し、 ここで強調 して おきたいことは、 このようなことが 「当たり前 に」
起 こることは、私達が社会生活を行 ってい くため には、 あまり好 ま しいことではないとい うことで す。例えば、学校で授業 を受 けている学生を例 に
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とれば、授業 に出席 している限 り、寝不足だろ う が、朝 ご飯 を食べていないで空腹だろうが、授業 に集中 して一生懸命真剣に聞いてほしいわけです。
必死で授業の内容 を理解 しないと、来週の試験 に 落 ちて しま うとい うよ うな場合、学生 も眠気や空 腹 を我慢 してがんばろ うとします し、 それがで き る人 は真面 目な学生 として評価 され るわけです。
しか し、 それ らの ことは、立派 なことではあ りま すが、果 た して 「自然 な こと」で しょうか ?
眠 くな った り、空腹 になるとぐず り出す とい う のは、赤 ちゃんの場合 は当然の ことです。通常お 母 さんは、赤 ち ゃんが機嫌が悪 くなることによっ て 「ミルクを欲 しが っている」 とか 「眠た くなっ た」 とか察知 します。 このような心身相関的反応 は極めて自然 な ことです。 ところが これは、社会 生活を送 ってい くためには、上記 のよ うに不都合 な現象なのです。私達 はもはや赤 ちゃんではな く、
一人前の学生や社会人であるということは、眠い ことや空腹であることといった身体の自然 の欲求 と、 自分の行動を切 りはなさなければな らないと い うことなのです。 これは社会が私達に要求 して くる基本的な ことです。「か らだ」 と 「こころ」
を切 り離せ !「 か らだ」が何かを要求 して も、 そ れに 「こころ」が従 って はな らない ! そ れが、
赤 ちゃんか ら大人 になることであ り、社会人 にな るということなのです。
しか し、 もう一度繰 り返 しますが、 この社会か らの要請 は、社会適応のためには必須の ことでは あ りますが、決 して 「生物 としての人間」 にとっ ては自然な ことではないのです。 ここに、人間の 誰 しもが抱えている大 きな矛盾 ・葛藤があります。
「りl.X我をす ると痛 くて泣 いて しま う」 「体調が悪 いと気分が滅入 リイライ ラす る」 といった極めて 当た り前の現象 について も、同様の ことが当ては まると思 います。「痛み」「体調の悪 さ」 は、 まさ に 「身体か ら発せ られ るメ ッセー ジ」ですが、そ の反応 として起 こる 「泣 く」「嫌 な気分 になる」
といったことは、社会生活 に適応す るためには、
不都合 を引 き起 こします。 「痛 くて も泣かずに我 慢 す る」「体調 が悪 くて も何事 もないかのよ うに
仕事や家事 を続 ける」 ことこそが、「大人 と して 正 しい態度」 ときれ るわけです。 そのため、身体 とこころが 自然 に結 びつ くような態度や行動 は、
「わが まま」「未熟」「甘えている」 などとラベル されて しまうことにな ります。 このよ うに して、
私達 は社会か らの要請 を自分 の規範 の中に取 り込 み、「身体 の要求」 と 「自分 の こころ (思考 ・感 情 ・行動)」 を切 り離 そ うとします し、切 り離す ことが当然だ と考えるようになります。 しか しそ の ことが、 自然 なことであるか どうか は全 く別問 題です。
現代 に生活 している我々の多 くは、 この 「身体」
と 「こころ」 を切 り離 しす ぎてい るために、 「自 然か ら切 り離 されている」 と感 じているのではな いで しょうか。その ことが、 どのような問題を私 達 に起 こしているのか、それに対 して私達 はどの よ うに考えていけばよいのかについては、稿をあ
らためて述べてみたいと思 います。