( 1 )
社会学は︑周知のように︑十九批紀の中葉頃コントによって成立して以来︑
それは今日に至るまで幾多の実質的業績をおさめ︑今日では社会科学の世界
において揺ぎない一市民たるの地位を確立しているのであるが︑しかしそれ
にも拘らす社会学の対象と方法という問題に関しては厳密にはなお現在いろ
いろの異論がみられるのである︒即ち︑模めて大まかにみても︑社会学は当
初コントやスペンサーなどにおい︐ては社会現象の全体的綜合的認識を目指す
百科全書的歴史哲学的な︑いわゆる﹁綜合社会学﹂として主張せられたので
あるが︑この綜合社会学は社会学を諸他の特殊的社会科学と並んだ︑︱つの固
有の研究対象をもつ特殊的社会科学として確立することが出来す︑そのため
に大体一八九:年頃からそれは社会学の内部からも又外部からも厳しい批判
をうけるに至ったのである︒そしてそうした素朴な綜合社会学の立場を根本
的に吟味批判したのがジンメルであり︑ジンメルは人間の社会関係の諸形式
を固有の研究対象とする︑いわゆる﹁形式社会学﹂を主張し︑そうすることに
よって社会学を︱つの特殊的社会科学として確立することに一応成功したの
であるが︑しかしこの形式社会学も社会学の研究対象を単に社会関係の形式
のみに制限し︑しかもそうした社会関係の形式を取扱う際に︑例えその実際上
の諸研究においてはそうした社会関係の形式を社会の文化的諸内容との連関
において取扱っていることがあるにはしても︑原理的には現実の文化的諸内
容を捨象し︑歴史的な時間や空間を遊離せる地平において取扱わんとしたた
めに︑大体一九二
0
年頃から形式社会学の非現実性や非脈史性や更には抽象序
> ー
カー性という非難を生むに至ったのである︒ところてそうした形式社会学の批判
的止揚を直接に企図せる代表的なものとしては︑例えばアルフレット・ウェ
しハーの﹁文化社会学﹂︵あるいは﹁歴史社会学﹂︶︑カール・マンハイムの﹁文
化社会学﹂︑フライヤーの﹁現実科学としての社会学﹂︑オグベーンらの﹁文化
社会学﹂などを挙げることが出来るのであり︑その後も今日に至るまでいろ
いろの人々によって大休それと類似の主張が多くなされているのであるが︑
それらは皆一様に社会学に形式社会学以上の研究対象や課題を与えることに
より社会学に何らかの形において現実性や歴史性や更には具体性を盛りこま
んと試みているのである︒従って今日社会学の世界においては︑成程コン
ト流の素朴な綜合社会学の立場は殆んどみられないにはしても︑なお依然と
して綜合社会学に近いような立場があるとともに︑又形式社会学の立場も可
成り大きな支配力をもっており︑更には文化社会学などと呼ばれるものに類
する新しい立場も強く主張されており︑それらの間に厳密には矢張り種々の
議論が残されているというのが社会学の現状なのである︒それで︑社会学の
そうした現状に顧みて︑私はこの小論では特にカール・マンハイムの社会学
論を引用しながら社会学の対象と方法の問題を考えてみようと思うのであ
る。曽って私は「マックス・ウェーバーの理解社会学に関する若干の批判〗
と題する拙論においてそうした問題に簡単にふれたこともあるのであるが︑
ここではそれを一層詳しく取扱うことにしたいと思う︒もっともこの問題に
関してはマンハイムの外にも︑又彼の後にもいろいろ注目すべき人や文献が
あるわけであるが︑ここではとりあえずマンハイムの立場を検討しながらこ
の問題に対する私見を述べることにしよう︒しかし又この問題については私
マ ン
^ イ ム の 思 想 を 中 心 と し て ー
│
̲
社 会 学 の 対 象 と 方 法
石
瀬
秀
治
( 2 )
自身未だ決しかねている点もあるので︑私見はなお未熟なものたらざるを得
ないのであるが︑他日又機会を得ていろいろ新しい文献にも関説し︑又それ
らによって未熟な点を修正してゆくことにしたいと思う︒
( 1 )
﹁富
大経
済論
集﹂
︑第
二巻
︑第
一号
先すマンハイムの社会学論を検討することから始めることにしよう︒とこ
ろで︑今便宜上マンハイムの社会学論の論郭を簡単に先取していえば︑彼は
社会学の研究部門を︑
︵一
︶﹁ 特殊 科学 とし ての 社会 学﹂ So zi ol og ie
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ある
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と︑
︵二
︶﹁ 特殊 的諸 科学 に関 する 社会 学﹂ So zi ol og ie
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さら
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﹁特
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会学
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ie
と いう 部門 と︑
︵三︶﹁文化やその発展の社会的性格と文化の特殊的諸領城の生成の全体
的遮 関に 関す る理 論と して の社 会学
﹂S oz io lo gi e
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ある
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さら
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( o
d .
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Soziologieと
いう部門とに︑
三分するのである︒それ故次にこれ等の諸部門の内容を逐次検討してゆくこ
とにしたいと思う︒
︵一︶︑先ず第一に﹁特殊科学としての社会学﹂︑あるいは﹁一般社会学﹂と
呼はれる部門は社会学のみならず社会諸科学一般の中核的部分をなすもので
あり︑凡ゆる社会学的知識のシネ・クワ・ノンなのであるが︑その研究対象 となるものは諸々の社会形態を成立せしめるところの社会化の過程Verge
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であ
る︒
従っ
て﹁
一般
社会
学﹂
は﹁
社会
化の
条件
と
形式に関する理論﹂ということが出来るのであり︑あるいは又﹁社会生活の
( 3 )
一般的条件と形式に関する理論﹂とも呼ばれるのである︒即ち︑これはその
研究目標を︑専ら社会化を成立せしめるところの︑諸々の力や形式に向ける
のであり︑従ってそれは︑そうした社会化の作用と常に結びついているとこ
ろの︑諸々の精神的内実や文化的客観体や文化価値などは取扱わないのであ
る︒つまりその主題は諸々の文化内実を捨象した社会生活なのである︒
ところでこうした﹁一般社会学﹂は更に次の三つの部門に分たれるのであ
る ︒
( a )
第一にそれは︑社会化を支配しているところの︑例えは闘争︑共同︑
社会化︑競争︑距離化というような︑﹁過程﹂Prozesseを凡て探求せね
ばならないのである︒
( b )
第二にそれは︑こうした﹁過程﹂に基ついて結晶せしめられるとこ
ろの︑例えは協同関係︑敵対関係︑友誼関係︑同僚関係︑隣人関係とい
うような︑いろいろの﹁関係﹂Beziehungenを記述せねばならないので
ある
︒
( C )
第一一一にそれは︑例えば家族︑社会層︵階級︑身分︶︑種々の生活圏︑
民族︑国家等というような︑複雑多様な﹁形象﹂Gebi!deをも描写しな
ければならないのである︒そうしてマンハイムは︑上に述べたように︑
﹁一般社会学﹂を社会学の中核的部分と呼ぶのであるが︑彼は更にそう
した﹁一紋社会学﹂におけるこの第︱︱一の部門を社会学の最も中核的部分
とみているのである︒従って社会学とは一体如何なる学問であるかとい
う素人が今日梃めてしはしば尋ねる質間に答えるには︑それは家族︑階
級︑民族︑国家︑人類社会というような現象やその形態やその形態の変
遷や更にはその存在や生成の法則を取扱う科学であるといえはよいとい
うのである︒
このように︑﹁一般社会学﹂は
( a )
﹁過 租﹂ と
( b )
﹁関 係﹂ と
( C )
﹁形
象﹂
( 3 )
を取扱う三つの部門に分たれ︑こうした三つの研究対象をもつ社会学の研究
部門が又﹁特殊科学としての社会学﹂とも呼はれるのである︒
ところで︑この﹁一般社会学﹂の研究方法には又
( a )
﹁非歴史的公理的方
法 ﹂
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( b )
﹁比餃類型化的方法﹂
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( C )
﹁歴史的個別化的方法﹂
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の三種類のものが区別され︑それはこの三つの
方法に従って研究されることが出来るのである︒
( a )
第一の﹁非歴史的公理的方法﹂においては︑社会一般を成立せしめ
るところの︑社会化の諸々の言わは常数
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k が探求せられ︑凡ての種々異なれる社会的存在を超えてそれ
の不可欠的な根本事実が求められるのであり︑従ってそれだけ理論は抽
象的となるのである︒
( b )
第二の﹁比餃類型化的方法﹂においては観察の軍点は︑第一の方法
において除外視されたところの︑歴史における同一種類の現象の可変性
に置かれる︒というのは︑特定の社会現象における不変的な常数という
要素はそれの諸々の可能性一般の充全な可変性を明らかにすることによ
って始めて見出され得るからである︒例えは家族の本質としての常数を
正当に規定するには︑家族の凡ゆる歴史的可変性の段階が予め知られて
おらねばならす︑従って家族の本質規定は今までに存在した家族の諸形
式の比較類型学
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によって始めて基礎づけら
れることになるからである︒それ故この比較類型学的方法は凡ゆる非歴
史的な思惟方法のもたらす危険︑即ち単に特定の時代の偶然的な暦史的
現象から無媒介に本質領域に押入ることによって全く偶然的なるものを
本質的なるものとして絶対視するという危険を防ぐのであり︑そうした
意味においてこれは前の﹁非歴史的公理的方法﹂を有益に補足するもの
なのである︒
( C )
第三の﹁歴史的個別化的方法﹂は前の二つの方法を更に補足完成す
るものであるが︑例えば家族について言えば︑家族の形態と内的構造を 唯一の歴史的状況において探求するということにこの方法の課題がみられるのである︒勿論こうした一回性の探求は種々なる具体化の段階において行われることが出来るのであり︑例えは現代家族の一回的形態は︑あるいはある国においても︑あるいは又そのある︱つの社会層においても︑あるいは更にある社会層における唯一つの家族についても問題とされることが出来る︒しかし何れにしてもこの方法においてはそうした現象の可変性が問われるのではなくして︑特定の一回的状況におけるその構造や適合関係や更にはそれが同時に存在する諸他の形象に対してもっ関係が問われるのである︒マンハイムはこのように﹁一般社会学﹂の研究方法に
( a )
﹁非歴史的公理
的方法﹂と
( b )
﹁比餃類型化的方法﹂と
( C )
﹁廃史的個別化的方法﹂の三種
類のものを区別し︑而もこれら三つの方法は夫々独自の権能をもち︑従って
﹁一般社会学﹂の完成のためにはこれらの方法が凡て利用されねばならない
と考えるのでおる︒若し非菌史的公理的な社会学のみに重点が置かれると︑
可変性と一回性の研究は社会化の常数を得るための早なる手段となり︑又反
対に一回性の研究のみに重点が置かれると︑非歴史的公理的な反省や可変性
の観察は早に一回的なるものを比較してみることに役立つだけのものとなる
のであるから︑比絞的方法や歴史的方法の完全なる拒否は公理的方法の放棄
と同様に不可能なのである︒現代においては一方早に一回的なる現象のみを
有効たらしめ︑凡ゆる歴史的形象を本質的に一回的なるものとして考察し︑従
って凡ゆる普逼化をもって歴史的対象を見誤るものとするところの柩端に反
対すると共に︑他方社会現象における現実的具体性の意味を無視するような
非歴史的な考察方法に対してぶ闘わねばならないのである︒一回的なるもの
も︑実はそれが普遍的なるものから引出され︑普遍的なるらのと対照せしめ
られる時にのみ認滋され得るのであるから︑普遍化や比較の方法は一回性の
探求と共に併用されねばならないのである︒このようにして﹁一般社会学﹂
においては普遍的な規則についての知泣と同時にその具体化と可変性の諸段
陪を研究せねはならないのである︒そうした相補関係によってのみ普遍的な
( 4 )
るものも具体的となり︑一回的なるものも︑それが引出されて対照せしめら
れるところの︑背景をもつことになるのである︒それ故﹁一般社会学﹂は歴
史や後に述べる﹁文化社会学﹂への関係なしには︑恰も押葉のように︑乾せ
枯らびたものとなるのであり︑又逆に一回性や﹁文化社会学﹂の考察も﹁一
般社会学﹂なしには偶然的な特殊的状況の絶対化に陥る傾向を有し︑そうし
た特殊的状況のうちに働いている諸々の一般的な社会力を見逃してしまうこ
と に な る の で あ る
︒
・
マンハイムは以上のように﹁一般社会学﹂︑あるいは﹁特殊科学としての社
会学﹂の対象を
( a )
社会﹁過程﹂と
( b
)
社会﹁関係﹂と( C )
社会﹁形象﹂に
三分し︑又その方法に
( a )
﹁非歴史的公理的方法﹂と
(b
)
﹁比較類型化的方
法﹂と
( C )
﹁歴史的個別化的方法﹂という三種類のものを区別し︑これをあ
︵ 士
︶
︵
5
︶る場所では﹁理論社会学﹂とか︑又﹁狭義の社会学﹂とも呼んでいるのである︒それではこれに対し第二の﹁特殊的諸科学に関する社会学﹂と呼ばれる
部門は何を対象とするのであるかを次に検討することにしよう︒
( 8 )
(‑︱)﹁一般社会学﹂は今述べたように専ら諸々の社会形態をいろいろの精
神的客観休や文化内実から抽象して取扱うのであるが︑しかしそうした諸々
の精神的客観体や文化内実は︑例えそれ等が諸々の科学によって取扱われる
にはしても︑同様に又社会学の問品をなすのである︒即ち︑社会学者や社会学
的な関心を有する研究者は或る特定の精神的領城を社会過程
S o z i
a l p r o z e
, J ( 7 )
( o d .
GesellschaftsprozeB)
にせしめ、そうした特定の精神的領城に
~ooft
対する社会過租の意義を問題にし︑諸々の文化客観体のうちに含まれている
社会的性格を明らかにすることを要求せられるのである︒ここに社会学とそ
の隣接領域に関する諸科学との協力が必要となり︑いわゆる﹁個別諸科学に
関する社会学﹂が成立するのである︒例えば経済社会学
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︑宗教社会学
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( 8 )
知識社会学
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などがそれである︒従ってこれは又簡早に
﹁連字符社会学﹂とか︑﹁特殊社会学﹂とも呼ばれるのである︒尤らこの場合
現存する諸科学の何れが或る文化領域に対する社会生活の意義という問題を 探求すべきであるかということは先験的には確定できないのであり︑それは常にその時々の歴史的状況において或る科学から他の科学への通路が何所から比較的容易に可能になるかということに依存するのであるが︑しかし兎に角現状においては上に述べたような諸々の﹁運字符社会学﹂︑あるいは﹁特殊社会学﹂が社会学の第二の研究部門と考えられているのである︒それでは︑今までに述べてきた﹁一般社会学﹂や﹁特殊社会学﹂に対し︑第一︱一の﹁文化社会学﹂と呼ばれる部門は何を対象とするのであろうか︒次にそれを見なければならないのであるが︑実はこの﹁文化社会学﹂はマンハイムの社会学論の最も重要な特徴をなすのであるから︑多少詳しく検討することにしよう︒
( 9 )
︵三︶社会学は︑マンハイムによれぼ︑今日二重の危険にさらされているの
である︒つまり社会学は一方においては夫に算入され得るものが余りに多様
であるために際限のない﹁凡ゆることに関する科学﹂
A l l e
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となるか︑あるいほ又他方においては早に最初社会学の周辺にあったにすぎ
ないような問題に収縮して煩瑣な悪しき講壇科学
S c
h u
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s e
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c h
a f
t
にな
( 2 )
るという危険に陥っているのである︒ところでジンメルからウィーゼに至る
社会学に関する論争において用いられた戦術は︑唯特殊科学や特殊的専門化
のみを認めんとした当時の大学の授業経営に方向づけられて︑社会学を実証
的特殊科学として基礎づけることにあったのである︒しかし今日では事惰は
変り︑人々は単なる特殊化のみでは充分でないという見解を次第にもつよう
になってきたのである︒即ち︑現在諸々の科学の限界領域は益々一層養譲され
てはいるが︑しかし又それぞれの科学は相互に他のものを補足するために参
照されるということになってきているのである︒例えば芸術史家は様式史を
書くために一般思想史を︑思想史家は政治史を︑政治史は社会史を︑社会史は
( 1 1 )
経済史を参照せざるを得ないのである︒従って今日における科学の新しい状
況は社会諸科学の成果を一緒に見る
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こと︵あるいは一
緒に考える
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こと︶︑さらには社会諸科学の内容を統合す
ること
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を要求しているのである︒人々ぱ諸々の特殊科学に誌い
て打砕かれた現実認歳の全体性
G a
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i t
を再楠成する道を求め︑あるいは
( 5 )
諸々の隣接科学や境界科学の間の協力の形式を探し︑更には分析的な努力を補足することの出来る視点を得んと努めているのである︒つまり蜆在は成程
特殊化が中止せしめらるべきではないが︑しかしそれが総括的な視点
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によって埠叩足さるべき時期なのである︒
こうした時期においては社会学は成程普遍的科学
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a f t ︑あるいは博識家
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たらんとする誤れる要求を立てることは
許されないとしても︑しかし細分
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g
ではなく綜合
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を目指すという社会学本来の傾向を新しく取上げ︑これを現代的な問題の諸
( 2 1 )
要求に応じて発展せしめるということは実にその義務なのである︒いわゆる
﹁文化社会学﹂は恰もそうした要請によって成立するものに外ならないので
ある︒従ってつまり文化社会学は先の﹁特殊社会学﹂のようにある特定の文
化領域を社会過程に関係せしめるのではなくして︑諸々の文化領城の全体
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を社会生活との連関において
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観察することを課題とするのである︒この場合
﹁文化社会学﹂はそうした諸々の文化領城の全体をその背後に立っている社
会生活の﹁表現﹂とみるか︑さもなけれぼ社会と文化領城の間に﹁因果関
係﹂や﹁相互作用の関係﹂を認めるか︑更には両者の間の﹁弁証法的発展﹂
を前提とするのであるが︑しかし何れにしてもそれは精神的歴史的な特殊的
諸科学によって引裂かれた現象系列の綜合を企図するのである︒それ故この
﹁文化社会学﹂はあるいは﹁社会的精神的現象の全体的連関
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に関する学﹂とか︑あるいは又﹁文化やその発展の社会的性格と
( 1 3 )
文化の特殊的諸領域の生成の全体的連関に関する理論としての社会学﹂と
( H )
︵
1 5
)
か︑更には又﹁歴史社会学﹂とか︑﹁構造社会学﹂
S t r u
k t u r
s o z i
o l o g
i e
とも呼
ばれているのである︒ところで︑マンハイムはある箇所で社会学を一方自然
科学的な普遍化的考察法に従うものと他方歴史哲学の伝統に従うものとの二
つの類型に区別し︑彼自身はトレルチやアルプレット・ウェーバー等と共に
( 1 6 )
歴史哲学の伝統に立つものであると述べており︑彼のいわゆる﹁文化社会
学﹂や﹁歴史社会学﹂はまさしくそうした歴史哲学の伝統に結びつくものな
( 1 7 )
のであるが︑しかし彼は又そうした文化社会学における綜合的楠成が決して 安易放縦な歴史哲学的思辮に陥らぬように注意すべきである︑という︒しかしそれにしても︑社会学がそうした綜合という課題をふつことは不可避的なのであり︑正当なものであることを否定することは出来ないのであり︑それは決して野望や越権ではないのである︒壷し現実は常に︱つの綜合的全体をなしており︑現実そのものが社会学にそうした綜合的認識を要求するからである︑と︒
この様に﹁文化社会学﹂は社会的精神的現象の全体的綜合的連関に関する
理論として主張せられているのであるが︑しかしそうした﹁綜合﹂は︑前に
も一言ふれたように︑特殊化が中止せしめらるべきことを要求するものでは
なく︑従って特殊化の方法を不必要ならしめるものではないのである︒寧ろ
現代のような模めて分化の進んた社会においては人は必然的に専門家たらざ
るを得ないのである︒しかしそれにしてもそうした専門的特殊化の方法は研
究の最後の段階においては固持することを許されないのであり︑そうした段
階においては矢張り綜合が要求せられるのである︒しかし又この綜合という
問題がどれ稲重要であるとはしても︑それが︑例えば弁証法とか形態とかいっ
た種類のある︱つの原理のうちに﹁胡麻よ︑開け﹂式の通路を見出そうとして︑
余りにも大きい包括的な視点から向う見ずになされることは許されないので
あり︑従ってそうした綜合的諸原理に達するためには歴史的︑社会的現実に
おける諸々の特殊的事象の作用系列を︑それらが他の特殊的領域と関係して
いるままの︑現実そのものの経過において追求するという道をとらねばなら
ないのである︒例えば芸術史家は早に或る芸術作品から他の芸術作品にいた
るところの諸々の事象や作用の関係を括弧に入れて結びつけるのみならず︑
更に芸術の発展に対し同時代の文学︑宗教︑政治史︑社会史などが働きかけ
たところの作用系列を結びつけて括弧で括らねばならないのである︒つまり
諸々の事象は︑それらが本来括弧づけられているままの関連において︑正確
に描写せられねばならないのである︒そしてマンハイムは総合的諸原理に達
するためのこうした方法を﹁社会的︑歴史的現実における括弧づけの問題﹂
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( 6 )
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を追求することであると呼び︑更には諸々の事象の交錯性
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を把捉することであるとしているのである︒と
ころで︑このいわゆる﹁括弧づけの問題﹂は勿論凡ゆる任意の祝点︑即ち︑
凡ゆる任意の学問から繰り拡げてゆくことが出来る︒即ち︑そうした綜合は芸
術史からも又宗教史からも行うことが出来るのである︒又実際そうした研究
の当初においては︑いろいろの極めて異れる領城から出発ず忘綜合的説明が
与えられるであろうし︑又そうした出発点の多面袢1ということは確かに敏迎
せらるべきものであろう︒マンハイムはこのように諸々の観点から出発する
綜合の試みの正当性を承認しながらも︑なお︑いわゆる文化社会学にこうし
た綜合の問題を追求するという全く特別な義務を帰するのであるが︑それ は 現 実 そ の も の に お け る 諸 々 の 異 な れ る 文 化 領 域 の 連 関 は そ の 集 中 点
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を社会生活
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のうちに持ってお
り︑それらがある特定の人間集団の生活と這命の表現であるということに基
づくのであり︑更には又語神史的環象の諸領城は結局において社会の連命的
( 1 9 )
現象連関によって統合されているからである︒それ故歴史的︑緒神的現象の
﹁括弧づけの問題﹂は先ず何よりも社会学によって行われねばならないのであ
る︒社会学のみが社会史
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に基づいて諸々の領域における
文化客観体を考察して︑それらの歴史を有機的に接続せしめている基礎的現
象連関を把捉することが出来るのである︒しかしながらこうした﹁括弧づけの
問題﹂の提示は歴史的現象における優位性に関する決定を何ら意味するもの
ではなく︑それはただ社会生活の諸条件の変化から諸々の精神的客観休の変
化に入り込まんとする設問の方向を示すに過ぎないのである︒ところで又こ
うした文化社会学的綜合が︑マンハイムにおいては︑﹁本来的に社会学的なる
もの
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に外ならないのである︒即ち﹁本来的に
社会学的なるもの﹂は諸々の硯象系列の相互依存性
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を強調
し︑あるいは諸々の事象の根本的な括弧づけを探求し︑さらには何ものふ孤立
的や拍象的には見ないで︑専門的な拮象的科学が単に暫定的に琴象の統一性
から抽象して孤立的に考察しているところの︑現実の諸要素や諸額城の共存 関係
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の根本構造を明らかにせんと努力することにあるのである︒
つまり社会学的思考
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の本質はこのように連綜
的に見ることが出来る
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ということ︑あるいは一
見孤立的に与えられているように見える諸事実を社会的生活連関からく
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そこからしてマンハイムは︑一方においては成租社会学は自からそれのみ
で諸々の学問の綜合に必要な研究資料を提出することは出来ず︑従ってそう
した諸領域においては常に夫々の専門家に頼らねばならないのであるが︑し
かし他方においてはそれに反しそれぞれの専門家は新しく現われてくる綜 合の問題の媒介者
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や支担者
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を︑あるいは又そうした
綜合的研究成果のその時々の発展段階の消息通
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を社会学者に求め
ることが出来る︑というのである︒特殊的専門家のみによってなされた綜合は
比較的大なる資料支配という長所をもつが︑しかし常に時代遅れの古びた社
会学的理論や仮設をもって醗論を進めるという危険に陥るのである︒それ故
社会学が自から綜合的研究の計国を立て︑しからその場合諸他の学科に対し
ても同様の計画を立てる擢利を否認迂ずに︑新しい綜合的研究の完成におけ
る言わば璽要なる包装場
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となるということがそれの最も
( 2 1 )
重要な課題の︱つなのである︒・
このように文化社会学は文化の特殊的諸領域の綜合的連関を探求するもの
であるから︑それは文化諸科学や社会諸科学の基礎科学
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たることが出来るのである︒従って社会学は﹁一般社会学﹂という形におい
ては特殊科学
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として成立し︑又﹁文化社会学﹂という
形においては基礎科学として成立するのであり︑特殊科学と基礎科学という
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二重の形式と機能をもつことが出来るのである︒又同様の理由からして︑社
会学は将来単に特殊的な専門的知識にかかわる特殊学科
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てのみならず︑更に全体的な教春的知識を与える教養学科
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と
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して形成されることが望ましいのである︒又こうした文化社会学的綜合認此という課題に基ついて︑社会学者は︱つあるいは二つの隣接領域において専
( 7 )
門家たるべきであるとか︑社会科学の凡ゆる研究家はすべて少なくとも二つ の領域に携さわり︑あるいはその生涯の後半においては別の領域に入って研 究すべきであるとも言われるのである︒又同じ観点から︑社会学的理論の中 核は孤立的な個人というものは連関から人為的に抽象された単なる部分にす
( 2 5 )
ぎないことを示すことであり︑更には社会学は全体的人間を研究すべきもの
( 2 6 )
であるなどともいうのである︒
しかし社会学がこうした綜合を課題とするとしても︑それは決して社会学
︵ が
︶
が哲学一般にとつて代ろうとすることを意味するものではないのである︒前 にも触れたように︑﹁文化社会学﹂の問題は成程従前の歴史哲学から生じ ているのではあるが︑それは決して社会動学の全体を早急に又独断的に構成 すべきではなく︑従って︑例えは歴史における弁証法や形態に関する議論の 場合にみられるように︑いろいろの全体的仮説が何所までも相対立するにい たるような非生韮的な始末のつかない思弁的歴史哲学を作ることを目的とす べきものでは決してないのである︒勿論社会現象のいろいろの具体的な問題 点から全体的連関のうちに前進することが多く試みられた後には︑漸次特定 の脈史的社会的統一体の全体的構成や一回的発展構造の問題に到逹するであ ろう︒しかし社会現象のこうした問題提畠は断定的
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性格では なしに︑仮説的
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性格をもつことになるであろう︒こうした観 点からみるならば︑マルクス主義やアルフレット・ウェーバーの文化社会学
や実証主義的段階論なども︑ただ発見的仮設的価値をもつに止まるであろう︒
そして余りにも性急に経験の先走りをする全体的綜合のもつ危険は︑我々が 常にそれと並行して新たに個別的事実から﹁括弧づけ﹂を行って︑問題を拡 張することによって避けられねはならないのである︒こうした二重の運動が 存する場合においてのみ︑文化社会学は実のり多い研究をなし遂げることが 出来るのである︒そして又前にも触れたように︑いわゆる﹁一般社会学﹂が こうした﹁文化社会学﹂や歴史への関係なしには乾せ枯らびたものとなるに 対し︑﹁文化社会学﹂も﹁一般社会学﹂なしには偶然的︑特殊的な状況の絶 対化に陥り︑そうした特殊的吠況のうちに働いている諸々の一般的な社会カ
( 2 8 )
を見逃してしまうことになるのである︒以上のように︑マンハイムは文化の
特殊的諸頒城の綜合的連関を目指し︑社会諸科学の統合を課題とするところ
の︑こうした﹁文化社会学﹂を﹁本来的に社会学的なるもの﹂であるとし︑こ
れを﹁一般社会学﹂や﹁特殊社会学﹂と共に社会学のいま︱つの部門として 強調しているのである︒そしてマンハイムにおいては﹁一般社会学﹂と﹁特 殊社会学﹂と﹁文化社会学﹂というこうした三つの研究部門が﹁社会学的﹂
といえる問題領域なのであり︑従って社会学の匿小概念
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( 2 9 )
を な す の で あ る
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マンハイムは︑今まで述べてきたように︑社会学の研究領城を︵一︶﹁一
般社会学﹂と(‑︱)﹁特殊社会学﹂と︵三︶﹁文化社会学﹂とに一二分するのであ
るが︑しかし彼は又これら三つの研究領城の外に︑体系的な観点からみるな らは成極社会学の特殊的範疇をなすものではないが︑しかし諸々の研究技術 上の理由から社会学の比較的新しい発展における特殊的釦域として
( a )
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会 誌
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や統計学
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と (
b )
現代学
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との二つの研究領域を李げているのである︒次にこの二つの領城を簡単に検
討しておこう︒
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(a
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社会学にとっては一面において楠成的に見ること
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が霊要であると同時に︑しかし又他面においては社会的吠況の純粋に
軽験的な状態に対する洞察が鋭くなること︑も肝要なのである︒構成的に見る
ことは粗雑に観察された事実を正確な資料として受取ったり︑あるいは又純 粋な仮設を相互に結ひつけやすくなるという危険をもっている︒それ故そう した構成的思惟が過剰になることに対する襦償として正確な記述方法や計量 的処謹︑即ち社会誌や統計学を用いることが桓めて望ましいのである︒こう した方法は特にアメリカにおいて発達し︑既に多くの業績を収めている︒し かしこうした記述的計算的方法の過剰応又環実の構成的把捉に対する感覚の 鈍麻や現実の諸々の連関の隠巌を生しやすいが故に︑それを絶対視すること は避けねばならないのである︒こうした方法は構成的な思惟を支持するため
に用いられる場合にのみ現実的正当性をもつのである︒
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