意識の流れ
著者 岡村 忠夫, 松本 正生
出版者 法学志林協会
雑誌名 法学志林
巻 99
号 3
ページ 1‑42
発行年 2002‑01‑30
URL http://doi.org/10.15002/00004915
はじめにl問題の所在〔I〕政治家像一総理大臣二菅直人・青島幸男三政治家像の背景(第九八巻第四号)〔Ⅱ〕政治不信の柵造
〔Ⅱ〕政治不信の構造
政治態度の継続と変容(二)(岡村・松本)
政治態度の継続と変容(三
11未成年から成年への政治意識の流れI
グー、′ ̄、′ ̄N
VⅣⅢ一一一
N-ノ、-ノ、-'_。-
国会議員と官僚政治的有効性感覚政治不信の浸透度(以上本号)政治意識の指標(以下次号仮題)政治意識の限定化全体榊造の継続と変容
岡村忠夫 松本正生
この質問の回答分布の年齢による挑移を一一・一図に示す。国会議員というとき、それは集合的、抽象的存在である。(1) 未成年においては、とくにそうであろう。すでに見たように、中高校生は、野党の党首をほとんど識別できない。国
会議員の宿も知らないであろう。しかし、彼らは国会議員について判断を下しうる。後述するように、小学生でも国
会議員のイメージをそれなりにもっている。中学生でも「わからない」は一五%以下と少なく、高校三年では三%と
なる。このような未成年の国会議員像は、具象の集合から抽象されたものではない。意識形成の早い段階から、抽象的イメージそのものを受容していくと考えられる。子どもにとって、具象が理解容易で、抽象が理解困難ということ これまで見てきた政治家の評価には、菅直人を除いて、不信の傾向が現われているが、全年齢層を通じて、政治家が全Ⅲ的に否疋されているとはいえない。政治家不信の傾向がもっとも強い高校生でもそうである。しかし、国会識員の評価を見ると、年齢による差はあるものの、不信の程度は総理大臣、知事よりもはるかに大きい。われわれは、国会議員の「信加」について、総理大匝、知事と同じ質問を行なった。問伯
あなたは、ここにあげる人たちを信頼できますか、それとも信帆できませんか。
(2)国会議員
Ⅲとても信帆できる②どちらかというと信頼できる③どちらともいえないⅢどちらかというと信帆できな
い⑤とても信帆できないⅢわからない 法学志林館九十九巻第三号国会議員と官僚 一一
これまでの説明と重複するところがあるが、比較のために、総理大臣、知事、国会議員の「信頼」についての否定
的評価、すなわち、「とても信頼できない」と「どちらかというと信頼できない」の比率の合計の推移を一一・一一図に
政治態度の継続と変容(二)(岡村・松本)一一一 一/□■0ケLI〃〃jrBⅡけ二一一一斤60〃。■旧■0》0〃グイロ五尺■0,0面B|、Ⅱ0buJ00か%㈹印如卯加、学年耐‐’極ともに上昇する。そして、「とても信頼できない」の積極的否
定が「どちらかというと信頼できない」の消極的否定を上回る。有権者では、積極・消極の否定的評価がともに減少し、「どちらともいえない」が多くなる。四○歳台以上では、「どちらと●もいえない」が積極・消極の否定的評価の合計より多い。四○歳台以上が示す評価の分布は、総理大臣、知事のそれに近い。しかし、それでも、国会議員は、よ
2.1図問16-2国会識員「信頼」
り否定的に見られている。
と
(2) はない。橋本首相という固有名詞と総理大臣という並曰通名詞で質帥~狐問すると、後者の方が「わからない」が少ない傾向については前列~的呼如~⑬咽述した。釦~調唖全年齢層を通じて、国会議員を「とても信頼できる」「どちら、~”蝿かというと信頼できる」と考えるものはごく少数である。とくに32 2 7 22 6
2 「とて4℃信頼できる」はほとんどいない。六○歳以上で「どちら
断1〃かというと信帆できる」がやや多くなるが、それでJも一四%であI2 39 9 る。中学生では「どちらと4℃いえない」「どちらかというと信頼
21 2 8 できない」「とても信頼できない」の一一一者が拮抗する。高校生にⅢ1” I2 坪柵Nなると「どちらともいえない」が低下し、否定的評価が積極・梢
2.2図問16-1,2,3 総111大lfi・国会議員・知事「信頼」
否定的評価の比率「とても信頼できない」+
「どちらかというと偏頼できない」
四繩翫尼称川IMIⅡ川l川lⅡ川1判lⅡ11学卵かというと信帆できる」を合計した肯定的評仙を見ると、有権者の最高齢層でも、総理大臣四四%、知事一三%に対して国会議員は一五%にすぎず、国会議員の評価はもっとも低い。高校生で国会議員の否定がもっとも強くなる、そ
の意識構造はどのように考えられるのであろうか。また、有権者で年齢とともに否定の程度が弱くなるのは、ライフ・サイクルによる意識の変化か、それとも世代差に由来するのであろうか。六八年、八九年に小学生をも対象とした次の質問結果を合せて検討することによって、これらの問題を考える示唆がえられるであろう。
問6国会議員は誰のために働いていると思いますか。一つだけ選んでください。 法学志林第九十九巻第三号
【'1
123
筒2030405060 12311111
29394959 学年年齢
四
一不す。全年齢層を通じて、国会議員「信頼」の否定的評価
は、総理大臣、知事よりも高率である。それは中学校一年で四一%あり、高校三年にかけて着実に上昇し、六九%に
達する。これは、年齢で見るとき、もっとも高い比率であ
る。有権者では、若年層ほどその比率は高く、高校生との
連続性を示している。そして、それは年齢とともに低下し、
六○歳以上では三四%である。ここでは知事の評価に接近
するが、総理大臣と比較すると、はるかに高率である。簡
単のために図は省略するが、「とても信頼できる」「ど埆皀
2.3図問6「国会議員はだれかのために」
「日本全体のため」「自分のため」の比率
1968年・東京,1989年・東京 かなりもっているとい》えよう。「自分を選んだ地方のため」は、全学年を通じてごくわずかである。「世界のため」は (3) 「日本の政治」「国会」について学習するのは小学校六年であるが、小学校低学年でも国会議員についてのイメージを る。「わからない」は小学校一一一、四年で三○%前後あるが、六年以上になると一○%前後と少なくなる。教科書で 八年と八九年の結果から見ていきたい。二つの調査には差はあるが、学年による分布の推移の基本的性格は同じであ この質問は、六八年と八九年は小中高校生を対象に、今回九七年は中高校生と有権者を対象になされた。まず、六 ()、わからない Ⅲ自分のため②自分の政党のため0自分を選んだ地方のためⅦ日本全体のため⑤世界のため㈹その他
学四四移を示す・
%帥、帥印刎卯、nN政治態度の継続と変容(一二(岡村・松本)
「 8
,ノバー/〔-
~● へ..…・・ン<プー「|:1分のため」へ
(1968)のため」は、全学年を通じてごくわずかである。「世界のため」は
小学校三、四年で一○%をこえるが、以降減少をっづ
382 87 77け、高校ではほとんどいなくなる。以上は一一つの調査283 高‐卯邪に此〈通している。「自分の政党のため」は小学校低学
3m師年ではほとんど見られないが、中高校生でやや上昇し、
250 89
‐皿、高校では一一○%以上となる。}」の増加は、六八年より
1150 27八九年の方がやや大きい。学年による変化がもっとも6Ⅳ9 5噸卯顕著であるのは、「日本全体のため」の減少と「自分4哩而のため」の増加である・一一・三図は、二つの調査にお
小3m加年配印ける「自分のため」と「日本全体のため」の比率の推
学凹旧]
法学志林第九十九巻第三号一ハ
小学校低学年では「日本全体のため」が過半数をこえて圧倒的多数であるが、それは一局校にかけて急速に低下する。
この傾向は二つの調査に共通であるが、「日本全体のため」の比率は八九年の方が低い。高校レベルで見ると、六八
年が二五~一一一○%であるのに対して、八九年は一○%前後にすぎない。この低下に代って上昇するのが「自分のた
め」である。これは小学校低学年ではほとんど見られないが、中学校から高校へかけて急激に上昇する。「日本全体
のため」とは反対に、ここでは八九年の方がはるかに多い。高校三年では、六八年が三○%、八九年が五九%である。
後述するように、「自分のため」は中高校生にとって強いマイナス・イメージをともなう。「日本全体のため」が少な
くなり、「自分のため」が多くなることは、国会議員の「信頼」の評価が否定的になることと軌を一にする。
六八年は佐藤内閣の中期であり、六六年には政界のさまざまなレベルでいわゆる「黒い霧」事件が明るみに出たが、
その後の疑獄と比較すると、その規模は大きなものではなかった。これに対して、八九年には、七六年のロッキード
疑獄が依然として尾を引き、八八年にはリクルート事件が発覚している。調査が行なわれた八九年の竹下内閣の支持
率は史上最低であり、つづく宇野首相もスキャンダルにまみれ、政治家不信、政治不信がきわめて高まった時期で
あった。八九年の調査には、政界のこうした様相が大きな影響を与えている。小学生でも「日本全体のため」がやや
少なくなっているが、中学生以上の減少が大きい。このような状況下にあっても、小学校低学年の子どもの多くは、
「国会議員は日本全体のために働いている」と考えている。その意識の内容は何か、意識形成の媒体は何かについて、
われわれの資料はきわめて不十分である。今後の課題としたい。
九七年の虫局校生、有権者は、この質問にどのような態度を示すのであろうか。まず、中高校生を前一一回の調査と対比させる。「日本全体のため」は八九年とほぼ同じであるが、「自分のため」は高校で六五%前後と八九年より多い。
問6「IRI会議員は誰のために 働いていると思いますか」
咽‐し‐‐-1トー1‐し‐‐‐‐トー‐‐し‐‐‐‐トーーーーⅢトー」年齢
か%、帥、仙加加皿学年もちこされることを示唆している。有椛者では「自分のため」
が年齢とともに減少する。六○歳以上では四○%になるが、それでももっとも多い。小学生から高校化にかけて大きく低下した「日本全体のため」は六○歳以上まで一○%以下で、
回復することはない。有椛者で年齢とともに上昇するのは、多数派を形成することはないが、「自分の政党のため」
と「自分を選んだ地方のため」である。「自分の政党のため」は二○%から三○%の間である。有椛者における分布
がこのような傾向を示すからといって、国会議員と「党利党略」「地方利維」を結びつける意識が希薄であるとはい
えないであろう。質問形式を変えれば別の側面が現われるかもしれない。
中学校一年を除き、すべての年齢層でもっとも多いのは、国会議員は「自分のため」に働いているという意見であ
政治態度の継続と変容(二)(岡村・松本)‐上
「世界のため」は 中110%
下
、
オ
国会議員の評価から見ると、高校生の政治家不信は、六八年、印~印~”八九年、九七年と進行しているようである。「自分の政党のた
知~伯め」は一一一一%から一三%の間で、前一一回と大差はない。「向分
加~羽加~”を選んだ地方のため」と「世界のため」は、中学校一、二年で
若干あるが、高校生ではほとんど見られない。全般的に見て、3九七年の巾高校姫は八九年に近いといえるが、未成年期におけ 2
高lる国会議員のイメージ形成には、彼らを取りまく状況の差をこ
3 えて、同じ某洲が流れていると考えたい。有権者の一一○歳台と2
中l高校生の分布はきわめて近似しており、未成年の一息識が成年に
年齢学年もちこされることを一派唆している。有椛者では「自分のため」
2.5図問6「111会識員は誰のために」×
問16-2国会謝貝「(「i頬」
B・高校生 A・中学生
%、%、
N「「1分のため」 441
「「1分のため」203
「n分の政党のため」-111
N「'1本の全体のため」-,53
「世界のため」‘Ⅵ
「121分の政党のため」-113
「11本全体のため」-48
0000 6543
60
50
40
「[1分のため」
LniiiiJllj Ⅱ馳
「11分のためj30
20 20
10 10
0 信頼できる とても 偏緬できる どちらかというと いえない どちらとも 价頼できない どちらかというと 信頼できない とても わからない 佃緬できる とても 偏頼できる どちらかというと いえない どちらとも 傭頼できない どちらかというと 偏頼できない とても わからない
C・有権者
%、 N「自分のため」 44 2950
「自分の政党のため」-20
「自分を選んだ
地力のため」-10
「日本全体のため」-5 60
iTLjTTlllliiiilJi
偏緬できる とても 信頼できる どh|らかというと いえない どちらとも 隅航できない どちらかというと 偏頗できない とても わからない 八る。有権者でも多いこのような意識は、未成年期における培養の結果ともいえるであろう。しかし、その意味内容は、年齢によって異なると予想される。また、有権者で増加の傾向を示す「自分の政党のため」と「自分を選んだ地方のため」はどのような性格をもっているのであろうか。これらの問題を、「田会議員は誰のために働いていると思いますか」と国会議員「信帆」とのクロス集計から検討する。二・五図を参照されたい。数が少ないので、中高校生では「自分を選んだ地方のため」を、高校生と有権者では「世界のため」を除外してある。未成年でも成年でも、「自分の
ため」を選んだグループは国会議員「信帆」についてより否定的であり、「日本全体のため」を選んだグループはよ
り少なく否定的である。しかし、その程度は年齢により異なる。この二つのグループの兼は、中学生でもっとも顕著
である。ここでは、「とても信頼できない」の積極的否定の比率は、「自分のため」が四○%、「日本全体のため」は
一○%である。「世界のため」は「日本全体のため」にきわめて近い。高校生では、単純集計から推測されるように、
どのグループでも国会議員「信頼」について否定的傾向が強いが、「自分のため」の「とても信頼できない」の比率
はもっとも高く、他の二つのグループと明確に弁別される。有椛者では、高校生とは逆に、どのグループでも国会議
員「信馴」についての否定的傾向は弱いが、やはり「自分のため」がもっとも否定的である。しかし、このグループの最頻値は「どちらかというと信頼できない」の消極的否定である。前述したように、政治家評価の積極的否定と消
極的否定の間には大きな距離がある。有権者では「国会議員は自分のために働いている」と考えても、そこには、国会議員を肯定しないにせよう容認する契機が認められるのではないだろうか。中学生、高校生、有権者を通じて、「日本全体のため」のグループでも、その基底に流れているのは、国会議員に
対するこのような容認であろう。「日本全体のため」で最頻値を示すのは、中学生と有権者では「どちらともいえな
政治態度の継続と変容(二)(岡村・松本)九
ここでは一般に流布していると考えられるプラス・イメージを三つ、マイナス・イメージを一一一つ提示してある。まず、
小学生をも対象とした六八年、八九年の結果から見ていきたい。「その他」は自由記入であるが、いずれの調査でも、
全学年を通じてごく少数であった。単純集計の結果を二・六図に示す。図の煩雑を避けるために「えらい人」「いば 法学志林第九十九巻第三号一○
い」であり、高校生では「どちらかというと信頼できない」である。ただし、一周校生と有権者では「日本全体のた
め」がきわめて少なく、これがグループの性格を説明しても、全体の流れではないことに留意すべきであろう。差が
あまり大きくないので仮定的に述べざるをえないが、注目すべきは「自分の政党のため」の動きである。「向分の政
党のため」は中学生では「自分のため」に次いで国会議員に否定的である。高校生になると、「自分の政党のため」
の分布は「日本全休のため」にほぼ重なる。有権者では、このグループは国会議員「信頼」についてやや否定的であ
るものの、「日本全体のため」に接近している。「自分を選んだ地方のため」も「自分の政党のため」に似た分布を示
している。有権者では「日本」「政党」「地方」は、この三者に関するかぎり、有力な弁別の指標にはならない。すな
わち、国会議員が「政党」「地方」のために働いてもそれほど否定的に見られず、容認されるということである。こ
れは、ある意味で政党制という政治制度の受容と考えられよう。
国会議員のイメージについて、さらに旦〈体的に見ていきたい。六八年、八九年、九七年の三川にわたって、未成年
に対して次の質問がなされた。
2.6図問C「国会議員といったとき思いつくものこつ」
A・’968年・東京
る人」は省略した。他の質問でも見られたように、ここでも六八年より八九年の方が国会議員に対する否定的態度が強い。しかし、それは決定的でなく、ここでも基本的傾向は共通している。小学校低学年では、プラス・イメージの選択が圧倒的で、「みんなのためにつくす人」がもっとも多い。六八年には「約束を守る人」がかなりの割合で選ばれていたが、八九年にはそれが激減している。政治家の食一一一一口、弁解、それについてのマス・メディアの報道が小学生
まで影響を与えているのであろう。小学生で、八九年の方が多いプラス・イメージは「えらい人」である。プラス・
イメージの比率は、中学生にかけて急激に低下する。「みんなのためにつくす人」の減少は、すでに見た「日本全体
のため」の減少と見合っている。それでも、「みんなのためにつくす人」は、高校生で、プラス・イメージの中では
政治態度の継続と変容(二)(岡村・松本)一一
''11iWi3
%
90 「えらい人」
「いばる人」 31%->11% 3%->25%
←「みんなのためにつくす人」
80
「お金をこっそりもらって 悪いことをする人」
1,へ~~---
70
「約束を守る人」
654321 000000 、、↓
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、夕、夕、
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学年l456l23l23
Il1 iMIiB・’989年・東京
''11iWi3
%
90 「えらい人」
「いばる人」 41%->8% 21%->26%
80 70
60 50 40
人
30 」
20 10
学`「1456
23 ilii 232 %帥、叩印如卯卯川均Uとつづく。「うそをつく人」は、六八年より八九年の
力がはるかに多い。九七年の中高校生の結果は、八九年とほぼ同じである。二・七図を見られたい。プラス・イメージは中学生から少
ないが、高校雌へかけて、さらに低下し、マイナス・イメージが蝋川する。ここでは「えらい人」を「りっぱな人」に置き換えたが、差はほとんどない。「お金をこっそりもらって悪いことをする人」がもっとも多く、「うそをつく
人」がそれにつづく傾向も八九年と同じである。二つの選択を求めたので、その組合せを見ると、「お金」Ⅱ「うそ」
がもっとも多く、中学校一年の一八%から高校三年の四一一一%に上昇する。国会議員についてのこのようなイメージは、六八年から続いているといえよう。中学生から高校生へかけて比率の変化が見られることは、こうしたイメージがこ
の年齢屑で形成途上であることを物語っている。
ところで、総理大臣、国会議員の力量はどのように見られているのであろうか。 2.7図 問C「llil会議員といったとき
思いつくものこつ」
問5いまの日本の政治を実際に動かしているのは、誰だと思いますか。|っだけ選んでください。
「りつぱな人」30%->8%中1高3
【肥 法学志林第九十九巻第一一考
人」
学イドリ 23 高’2 3
一一一
もつ、とも多い。これは国会議員の当為の意識が働いて
いると考えられる。学年の上昇とともに、プラス,イ
メージに代って、小学校低学年ではほとんど見られな
かったマイナス・イメージが急増する。二つの調査で
.もっと●も贈川するのは「お金をこっそりもらって悪い
ことをする人」であり、「うそをつく人」「いばる人」
JihIIiIIj遜.雛lLl
lWm
8砂%Ⅲ卯仙刎即、学年六%から二四%の間を上下するが、高校生では一桁台になる。
「国民一人一人」は小学校六年で三七%ともっとも高いが、高
校生では六%まで下降する。「天皇」が一二%とやや見られるのは小学校三年だけで、それ以上の学年ではほとんど
いない。高校でやや増加するのは「政府の役人」と「大きな会社の社長や壷役」で、ともに二○%台になる。九七年
の結果との関連で重要なのは、「政府の役人」の噌加である。巾高校生で八九年と九七年を比較すると、「国会議員」
が全学年を通じて低くなっている。「国会議員」の「国権の最高機関」としての認識はない。「同民一人一人」の中学
生から高校生へかけての低下、「首机」の低率は八九年と同じである。高校でやや増加するのは「大企業」と「官僚」
である。「官僚」は、八九年の「政府の役人」と大差はないが、学年による上昇傾向を川硫に示している。「マスコ 問5「いまの11本の政治
を実際に動かしている人」
2.9図
’'1160~
「首Ⅱ|」-12%->3%
法学志林第九十九巻第三号
iWi2030405060 3123’’11I
29394959 年
齢 2
一四
リキュラムである。後述するように、「選挙」に対しては公教
育の影響が弱いが、「同民主樅」の原皿は、小学校六年から強
固に定着する。
さて、八九年の「日本の政治を実際に動かしている人」につ
いて見ると、「わからない」が小学校三年で一一一一一一%とやや多い
ものの、学年が上昇するにつれて少なくなる。比較的多く選ば
れているのは「国会議員」であり、小学校三年の一一○%から上
昇し、最高は中学校二年の五一一%である。これは高校化ではや
や低下する。「総肌大胆」は小学校三年から中学校一年の間で
六%から二四%の間を上下するが、高校生では一桁台になる。
、、、」は高校で若干蛸加する稗度である。要するに、中高校生の段階では、「日本の政治を実際に動かしている人」に
ついて、多数派は形成されないのである。
有権者まで視野を広げると、様相は大きく変化する。「政治を実際に動かしている人」として、「官僚」が圧倒的に
選ばれるようになる。「官僚」の比率は、高校三年で三三%であったが、一一○歳台で四四%、一一一○歳台では五五%と
なり、以降、過半数をこえる状態がつづく。残る選択肢でやや多いのは、九%から一八%の「国会議且」と、六%か
ら二一%の「大企業」である。「同民一人一人」は六%以下、「首杣」は四%以下、「マスコミ」はⅢ%以下である。
不信がもっとも瞼い「国会議員」の力量は高校生以上で評価されない。高校生の段階で「官僚」の比率が上昇する傾
向は、他の意識の挑移と合せて考えると、一一○歳台、三○歳台に連続するものといえよう。ここのような「官僚」は
どのように見られているのであろうか。次の問Dは、中高校化のみを対象としていて、有椛者をも視野に入れるには
不十分であるが、一つの手がかりになるであろう。
二・一○図は、「反映していない」側のlと2の合計の比率である。一見してわかるように、評仙は完全に二つの
グループにわかれる。「新聞」「テレビ」は肯定的に評価され、「国会」「内閣」「官僚」は否定的に評価される。後者
の否定の程度は、学年が上昇するにつれて強くなる。この三つに対してやや肯定的であるのは中学校一年であるが、
政治態度の継続と変群三)(岡村・松本)一五 問Dつぎにあげるものは、国民の意見をどれだけ反映していると恩いますか。もっとも反映していると思うもの
を5,まったく反映していないと思うものをlとし、5段階で評価し、数字を○でかこんでください。
川新聞0テレビ0国会Ⅲ内閣⑤官僚
〔1.2.3.4.5〕
代議制民主政治においては、選挙民が政治的有効性感覚をもつことが必要条件である。政治的有効性感覚とは、自
らの政治行動が政治体系と有意味に関連し、自分が政治を動かすことができるという意識である。政治的有効性感覚(5) は、政治体系への重要な入力である。現行の体系の機能という耐か薑b見れば、支持の人力であり、また、それは体系
のさまざまなレベルを変革するエネルギーとなる。政治的有効性感覚は、政治そのものに向いあう意識にほかならな
い。政治不信は、政治的有効性感覚の欠除によってもたらされる。これまでの政治的社会化研究は、未成年期におけ(6) る政治的有効性感覚の培養の過程を主要な研究テーマとしてきた。それが成功して、政治体系は機能し、存続すると考えられたのである。しかし、われわれの調査結果は、少なくとも言語表現から見るかぎり、未成年期の意識形成が 2.10図問,「IHI民の意見の反映」
「反映していない」〔1〕+〔2〕
の比率
たがって、
二政治的有効性感覚 %
80
dlll0llmⅥljullmⅦl1UIldlll学7654321 際に動かしている」と考える方向に意識形成が進行する。1)
政治それ自体に対する意識が検討されなければならない。 法学志林第九十九巻第三号一一ハ
5と4の合計は、「国会」二四%、「内閣」一九%、「官僚」
3
2一一%で、否定的評価の方がはるかに多い。これも、高校生
高1になると、すべて六%以下になる。「国会」「内閣」「官僚」3が同じように「国民の意見を反映していない」と見られるこ
2 とは、政治全体に対する意識の表明と考えられよう。そして、
年この中でももっとも不可視的な「官僚」が「日本の政治を実
まず、これらの質問の単純集計を順を追って見ていこう。「いまの政治を動かしているのは、私たち国民が選挙で
投じる一票である」は、「一票」の有効性にかかわるものである。未成年に投票の経験はない。しかし、選挙の璽要
性は、公教育において、小学校六年以降繰り返し述べられており、マス・メディアの論調、選挙のときの公共機関の
広報でも強調されている。未成年者がこれらの情報に接していないとは考えられない。また、学級委員などの選挙を
皿じても、投票という行動は彼らに身近なものであるはずである。しかし、未成年における.票」についての有効
性感覚はきわめて弱い。未成年で.票」の価価に比較的肯定的であるのは中学校一年であるが、それでも、「そう
思う」の積極的肯定が一六%、「どちらかといえばそう思う」の消極的肯定が三一一一%で、これらを合計しても過半数
政治態度の継続と変容(二)(岡村・松本)一七 有効性感覚の火除の方向に進行していることを示している。高校生における政治不信の表現は強烈である。未成年期における有効性感覚欠除の内容は何であろうか。そして、それは成人の意識とどのように連続し、また断絶しているのであろうか。次の質問は、政治的有効性感覚と直接かかわるものである。問相政治について次のような意見があります。それぞれの意見について、あなたはそう思いますか、そうは思い
ませんか。
(1)「いまの政治を動かしているのは、私たち国民が選挙で投じる一票である」
(4)「国会でいろいろな法案が雰議されるが、重要な決定は国民の月のとどかない別のところで決まっている」
(8)「いまの政治は複雑すぎて、私たち国民にはよく肌解できない」
Ⅲそう思う②どちらかといえばそう思う③どちらかといえばそう思わないⅢそうは思わない⑤わからな
い
3別川11川11川l釧刈l川11川11学年性を示している。しかし、有椛者の年齢による樅移は、未成年とは逆
である。すなわち、.票」の価値について、「そうは思わない」が減
少し、「そう思う」が蛸加する。変化するのは積極的肯定と積極的否定であり、「どちらかといえばそう思う」「どち(7) らかといえばそう川心わない」の消極的態度は変化が少ない。しかし、有権者においてL同定が蛸川するといっても、五
○歳台までは、「そうは思わない」と「どちらかといえばそう思わない」が「そう思う」と「どちらかといえばそう
思う」より多い。肯定、否定が拾杭するのは六○歳以上である。有権者においても.票」の有効性感覚は決して高
いとはいえないが、その年齢による批移は、現実の投票行動をよく反映している。二・一一一図は、われわれの調査の.票」についての「そう思う」と「どちらかといえばそう思う」の合計の比率と、東京都における九五年の参議院 11図問15-1「政治を動かしているのは
選挙で投じる一粟」
法学志林第几十九巻第三号一八
/「そう思う
~
帥~はこえない。そして、それは高校三年にかけて着実に低下する。高校印~的一一一年の積極’椚極を合せた行定は一五%にすぎない。学年とともに増加~い““加するのは「|誠一不」のⅢ値の否定である。しかも、この否定は消極的卯~羽
加~鋤でなく積極的である。高校三年で、「そうは思わない」と明確に否定
3 する4℃のは五八%である。これに「どちらかといえばそうⅢわない」
2 を加えると八一一%の高率になり、全年齢層で最高である。同吟しように一荷l公教育で教えられながら、原理‐としての「国民一人一人」が未成年に3 定着するのに対して、「選挙で投じる一迦不」の評仙は対照的である。2 一一○歳台は高校一一一年とほぼ同じ水準であり、年齢による意識の連続年齢
L%帥、帥印加卯加、4-一服一一9-‐7l旧し』‐8.414》:ううくこ二:I了ノー
カの高校生とその両親を比較すると、両親よりも高校
生の方が政治的有効性感覚が高い調査結果を報告している。その理由として、両親は繰り返し政治的有効性感覚を検(川)証せざるをえないのに対して、高校生はその必要がないことをあげている。これまで見たように、日本の場〈口は、こ
れとは逆である。未成年期の政治的社会化は、政治的有効性感覚の喪失、政治不信の強化の方向へ進行しているよう
である。有権者の若年層は、政治的有効性感覚がほとんどない状態から出発する。その投票率は低い。しかし、投票
経験は増えることはあっても減ることはない。教科書に述べられているような投票の動機とは異なって、自分の職場
の利害と政治との関連を意識して、あるいは周囲からの働きかけで投票に向うこともあろう。投票すれば、自分の投
票と当落を照合する。成人はこの過程で、徐々に政治的有効性感覚をもつようになるのではないだろうか。いうまで
もなく、そこには世代の差による要因も働くであろう。しかし、一つの年代から次の年代への変化がゆるやかにつづ
いていることから、ここでは、経験、学習の面をより重視したい。若者の政治不信は、|時的に強くても、成年の年
齢による推移を見ると、持続性が弱い。若者の政治不信の枇造自体に、成人になってからの有効性感覚の習得を可能
政治態度の継続と変容(二)(岡村・松本)一九
投票率(東京)と
「選挙で投じる-票」
2図
203040506070 11{I11 2939495969
(意識調査では60歳以上)↑ 年齢
議員選挙と九六年の衆議院議員選挙の年齢別の投票率(8) を一不す。
後述するように、投票以外にも有効な政治行動があ
るという意識は、日本では形成されがたい。.票」
の評仙は、したがって、政治的有効性感覚を測定する(9) 軍要な尺度である。ジェニングスとニェミは、アメリ
問15-4「菰要な決定は'五1民の 目のとどかないところで」
ll1くノ〃Iく/UljノーⅡ011/]坐↑I)に0卍4》/てユに虻』にツーく1V.〉I「clVr卜掻一、‐源畑ルー」”工,プハ.』し.
峠11-1」鮪
2%、㈹卯如加加皿学年肯定が増加するが、それは否定の減少にともなうものではない。減少するのは「わからない」である。「そうは思わない」と
「どちらかといえばそう思わない」は、いずれも全年齢層を通じて五%前後ときめて少数である。ここでの未成年の
意識形成は、成年に共有される意識の方向に確実に進行している。
公教育、マス・メディアは、開かれた政治の原則を強調し、密室政治を否定する。教科書ではオンブスパーソンの
記述はあるが、外交、軍事など、秘密の保持が必要とされる領域についての説明はない。前述の「国民一人一人」の
原則と同じように、ここでも政治の公開性という原則が中学生の段階から広く受容され、それに違反する情報を判断
する認知スクリーンが形成されるのではないだろうか。しかし、「国民の目のとどかないところで」の内容は複雑で 法学志林第九十九巻第三号
'---へ / /
↑へ---------ヘーヘ~//へ
ノ ノ
ノ 「どちらかといえば
ー ノ
~ ~----’ / そう」uAう」
「どちらかといえIX そう思わない」
「そうは思わない」
二」?ツー<二:=ニニニハ:=ニヘーニ
」一~---,〆
二○
帥~にする契機が内在しているのではないだろうか。
印~印「国会でいろいろな法案が審議されるが、孟要』姓決定は国民
知~組の目のとどかない別のところで決まっている」については、全
知~卵加~羽年齢層を通じて、肯定、しか△も積極的肯定が圧倒的である。
3 「そう、回う」は中学生でも四○%以上あり、高校生でさらに上
2 昇‐し、有権者になると六○%前後で推移する。「そう思う」「ど間lちらかといえばそう思う」の比率の〈口計は、有権者でほぼ九○3 %であり、「重要な決定は国民のロ曰のとどかないところで」は、2 ほとんどの人に共有される意見といってよい。中学校一年から
「政治は複雑すぎて 理解できない」
4図問15-8 ている人」として、有権者では「官僚」が圧倒的に多いことは前述した。中高校生では「官僚」の比率はまだそれほ 具体的姿が見えるのであれば、そこは「目のとどかないところ」ではなくなる。「日本の政胎を実際に実際に動かし 「重要な決定は国民の月のとどかない別のところで決まっている」といっても、決定者の具体的姿は見えてこない。 にはなりにくい。「国民の目のとどかないところで」を肯定する態度も、そのまま政治不信には直結しないであろう。 は、選択はかなり分散し、賛否、積極・消極の態度は、とくに有権者において、政治家の評価を弁別する有力な指標 ある。すでに見たように、「政治にはある程度秘密がつきもので、すべてをガラス張りにすることはむずかしい」で
a河川l釧引Ⅱ判I利lⅡ判IMI1学年る。五○歳台、六○歳以上では、
政治態度の継続と変容(三(岡村・松本) ど高くない。しかし、虫同校生で「国民の目のとどかないところで」
⑪~ を認める割く口がこれほど大きいのは、やがて不可視的な「官僚」が卯~卵「日本の政治を実際に動かしている」と考える素地を準備していると
伽~⑬いえるのではないだろうか・
知~”「いまの政治は複雑すぎて、私たち圃民にはよく剛解できない」で即~羽3 は、全般的に肯定が多数である。「そう思う」「どちかといえばそう凪
2 う」の合計は、中学校一年から六○歳以上まで、七○%前後で大きな高l変化はない。しかし、選択肢のそれぞれについて見ると、年齢による3 差がある。「そう川口う」の積極的い、定は、中学校一年で四五%、高校2 一年で五一一%であるが、四○歳台まで下降の傾向を示し、一一六%とな年齢学年る。五○歳ムロ、六○歳以上では、上昇に転ずる。「どちらかといえば
山村・松本)一一一
法学志林第九十九巻節三号一一一一
そう思う」は、高校二年から四○歳台にかけてやや上昇する。「そうは思わない」は有権者で若干増加するが、多く
て二○%をややこえる栂度であり、肯定をはるかに下回る。「どちらかといえばそう思わない」は、一貫して少数で
ある。「政治が理解できない」といっても、その意味内容は、中高校生と有権者では異なるであろう。前者では「複
雑」であることを理解しえない「哩解困靴」であり、後者では「複雑」をある程度わかった上での「肌解困難」であ
ろう。現代の政治社会の皿大化、複雑化を考えると、「政治は複雑で理解できない」というのは、リアルな認識であ
る。一般の選挙民に、政治・行政の専門家と同程度の知識、理解を求めることはできないという桁摘は、以前からさ
れている。しかし、いうまでもなく、人びとが自らを完全に政治的無知であると考えれば、代議制民主政治は成立し
ない。政治意識を考える上で孟要なことは、政治の理解腱の客観的水準だけでなく、「皿解している」あるいは「理
解していない」とする口己表象ではないだろうか。調査において、中学生から高齢者まで、多くの質問に答えている。
それは「政治の理解」なしには不可能である。「何を即解しているのか」「何を理解しえない」と口分では思っている
のか、この側耐を検討するには、われわれのこの質問だけでは不十分であることを認めざるをえない。
単純集計を比較するだけでも、かなりの人びとが「菰要な決定は国民の目のとどかないところで決まっている」と
考えつつ、「選挙で投じる一票」の価値を認めていることがわかる。これをより具体的に見るために、この二つの回
答結果をクロス集計した。二・一五図はその一部である。簡単のために、「重要な決定は国民のRのとどかないとこ
ろで決まっている」について「そう思う」と「どちらかといえばそう山う」と考える二つのグループの「選挙で投じる一票」の肯定、すなわち、「そう思う」と「どちらかといえばそう思う」の合計の比率のみを示す。それぞれの年代の数が少ないため誤差の範朋は大きいが、推移の傾向は明確に現われている。六○歳以上を除き、「国民の目のと
ⅢI‐-r---トーーーーーーーーーーーーーーーートーーーーーーーL年齢jとj
2%加⑪帥如加卯、学年岬駒ば蝉四九%、二五%である。ここでは、かなりの
うちえうそどぃそ割く口が「密室」を認めつつ「|票」の価値をN 肯定している。これは、選挙、投而一禿についての当為意識が働いているためであろう。このような「密室」と.票」を並存させる、あるいは両者を対決させない意識は、高校三年にかけて大きく下降する。すなわち「重要な決定は国民の目のとどかないところで決まる」から「選挙で投じる一票は政治を動かせない」という意識が大勢を占めるようになるのである。それは、彼らの論理的整合性がととのえられてくる過程と考えることができよう。
しかし、有権者では、年齢による推移は、巾高校生と完全に反対の傾向を示す。「重要な決定は国民の目のとどか
政治態度の継続と変容三)(岡村・松本)一一一一一
2.15図問15-1×問15-4
「重要な決定は国民の目のとどかない ところで」の枇極的肯定,1111種的肯定 のグループの「選挙で投じる-票」の
肯定(「そう思う」+「どちらかといえばそう思う」
の比率
中高2030405060 123123IIIII
29394959 8897861061141308110594111116
4944407274684252494970
「重要な決定は国民の月のとどかないところで」
どかないところで」を「そう思う」のグルー
プは、「どちらかといえばそう思う」のグ
ループより「選挙で投じる一票」に否定的で
あるが、推移の傾向は一致している。中学校
一年で「国民の曰のとどかないところで」を
積極的に肯定するグループの「選挙で投じる
一票」を肯定するものは三九%、消極的に肯
定するグループでは六三%で、図では省略し
たが、.票」を否定する比率は、それぞれ
法学志林第九十九巻第三号二四
ないところで」を認めつつ、「選挙で投じる一西示」の価値を肯定する態度の増加である。単純集計でもっとも多い
「国民の目のとどかないところで」を「そう思う」と考えるグループを六○歳以上で見ると、その五一%が「選挙で
投じる一票」が「日本の政治を動かしている」と見ている。この傾向は二○歳台から一貫して強くなっていく。「密
室」と「|票」がこのように共存する意味は、中学生のそれとは異なるであろう。「重要な決定は国民の目のとどか
ないところで決まっている」に対する有権者の態度は、言語表現では「そう思う」の積極的肯定が圧倒的に多いが、
その内実は、「政治とはこのようなもの」という現実の容認ではないだろうか。それが政治不信に強く結びつかない
ことは明らかである。これは、日本的意味での政治的「成熟」といえるかもしれない。その方向への意識形成は成人
になってからはじめられる。高校生では、このような「成熟」は抓否される。しかし、すでに見た彼らの政治家評価
のスタイルを考えると、高校生でもこの「成熟」にまったく無関係であるとはいいきれない。
「選挙で投じる一票」の内容をさらに検討することにしたい。二・一六図は、「選挙で投じる一票」に対する態度か
ら、選挙ともっともかかわりのある国会議員「信頼」の評価を見るものである。予想されるように、中学生、高校生、
有権者のいずれにおいても、.票」のⅢ価を「そうは思わない」と積極的に否定するグループに、周会議員を「信
頼」しない傾向が強い。中学生では、.票」の「そう思う」「どちらかといえばそう思う」のグループの分布はほぼ
重なる。「どちらかといえばそう思わない」は、批判的傾向がやや強いが、肯定のグループに近いといえよう。高校
生では、すでに見たように、全体として国会議員「信頼」の否定が多いが、特徴的なことは、「そうは思わない」と
「そう思う」がきわめて接近することである。高校生の「そう思う」は「そうは思わない」の十分の一以下とごく少
数であるが、意見表明の積極的態度が政治意識のあり方に影響を与えている一例と見ることができよう。
2.16図 問16-2×問15-1
「選挙で投じる一票」から 見る国会識且「信頼」
A・中学生「選挙で投じる一粟」
「そう思う」91
「どちらかといえばそう思う」-169
N「どちらかといえばそう思わないj-73
B・高学生「選挙で投じる一票」
「そう思う」30
「どちらかといえばそう思う」-101
N「どちらかといえばそう思わない」-137
語|「そう'…い」’7,
%印
rLjiljljiFl
00000 54321
50
40
30
20
10
「とても偏頼できる」 「どちらかというと信頼できる」 「どちらともいえない」 「どちらかというと倫頼できない」 「とても信頼できない」 「わからない」 「とても侃頼できる」 「どちらかというと信頼できる」 「どちらともいえない」 「どちらかというと傭頼できない」 「とても伺頼できない」 「わからない」
C・有権者 「選準で投じる-.W(」
「そう思う」164
「どちらかといえばそう思う」-169
N「どちらかといえばそう思わない」-119
%印
「そうは思わない」 360
lIJjjifjlii
偏恢できる」 「とても 偏航できる」 「どちらかというと いえない」 「どちらとも 臓頼できない」 「どちらかというと 傭緬できない」 「とても 「わからない」二 J]:
法学志林第九十九巻第三号一ヱハ
有権者でも、「そうは思わない」のグループが国会議員「信頼」についてもっとも否定的であるが、他のグループ
との差は、中高校生よりはるかに小さくなる。したがって、その「信頼」を否定する傾向は弱くなる。ここでも、
.票」のⅢ価を否定しつつも、国会議員をそれほど否定しないという容認が見られる。有権者では、「選挙で投じる
一票」についての態度は、同会議員「信噸」を弁別する指標としてはきわめて弱いといわざるをえない。「選挙で投
じる一票」については、これと同様に、橋本首机「責任」とのクロス集計を行なった。図は省略するが、中学化、高
校生で、「そうは思わない」のグループの「責任」についての否定的傾向はやや見られるものの、国会議員「信頼」
よりもグループ間の差はきわめて小さくなる。つまり、.票」についてどのように考えようとも、橋本「責任」評
価の分布は同じになる。橋本「責任」について、.票」の「そうは思わない」と「責任をはたしていない」との結
びつきがもっとも現われるのは有権者である。これは、前述した巾高校生にとって個人の政治家を判断しにくい傾向
を反映しているとともに、不信が抽象的な政治全体に向けられていることを示している。
中高校生と有権者との意識の差を検討するには、次の質問が一つの示唆を与えるであろう。
二・一七図の単純集計を見ると、中高校生と有権者では差がある。中高校生では選択が分散し、多数派の形成は見
られないが、高校生で「どちらかといえばそう思う」がやや贈加する。積極・澗極を合せて考えれば、中高校生は「政治はおもに国に関係したことである」を肯定するものは、否定するものよりかなり多い。有椛者の二○歳台から 問旧I(3)「一般に政治というとき、それは市町村とはあまり関係がなく、おもに国に関係したことである」
Ⅲそう思う②どちらかといえばそう思う③どちらかといえばそう思わないⅢそうは思わない⑤わからな
い
烟「11‐l‐‐‐‐-‐l‐‐‐‐IllIl」畑齢』’プL-4IⅢ1|/fルー昨LLハルラ7く/しり/|‐うぐyLrlj4lしくIラレノース
か%、印加加加、学年メディアの政治情報は圧倒的に国中心である。地方議員も関連したいわゆる「黒い霧」もあったが、疑獄、スキャンダルの中心は国レ
ベルの政治家である。未成年では、意識形成の媒体はほぼこれだけである。成人になると、地方税、福祉、交迦、教
育、ゴミなど、生活の具体的側川で地方向治体との直接、間接の接触が贈加するであろう。
さて、「選挙で投じる一票」と「政治は主に国に関係したこと」をクロスさせると、政治不信の一つの側面が照射
される。二・一八図は、「政治はおもに同に関係したことである」を「そう川う」と積極的に肯定するグループの
「選挙で投じる一票」の積極的肯定と積極的否定の比率の推移を示す。高校生における「政治は国に関係したこと」
と「選挙で投じる一票は政治を動かしていない」との強い結びつきに注目されたい。この結びつきは中学生から高校
政治態度の継続と変雰(二)(岡村・松本)二七
問15-3「政治とは主にIEIに 関係したことである」
/
/~「~---------,
----- ̄「どちらかといえばへ---
そう思わない」
卯~四○歳ムロでは、これが逆転し、否定的意見が多くなる。しかし、五(Ⅲ) 印~豹○歳台と六○歳以上では、否定的音心見は減少する。全般的に見ると、如~佃中一両校化は政治を国レベルで、有権者は地方レベルまで拡大して考卯~羽
加~羽える傾向がある。中一同校生のこのような意識は、周囲の情報の受容
3 によるところが大きいと考えられる。公教育でも、マス・メディア
2 でも、政治を国中心に考えることが多い。表現を見て4℃、地方政治
一両1ではなく地方自治であり、地方政府ではなく地方ロロ治体(地方公共3 団体)である。原子力発電所、ゴ、、、処理などで地方のⅢ鼬が脚光を2
あび、石腺慎太郎、田中康夫などの知事が注目されることはあるが、年齢
刎伽ぞ鋤叫11川11ⅢⅧl川刈11Ⅲ11Ⅷ判lj川11ⅢIIL靴怖Nプの「一票」を否定する比率は、他のグループよ
りも、とくに高校生と有権者の若年層において、
きわめて高いのである。高校生のこのグループの全体に対する比率は二○%前後とそれほど多くなく、各学年、年代
の標本数も多くないので、この側面をあまり強調することには問題があろう。しかし、全般的な動き上Fして、年齢と
ルデもに、未成年では「政治Ⅱ国」へと向い、有権者ではその思考から解放されていくことを考えると、二・一八図は、
高校生、有権者の若年層の政治不信の一つの姿を象徴しているといえないであろうか。「政治はおもに国」と考える
ことは、政治不信を強める彼らの意識の整合性を保つことになるのであろう。 2.18図問15-3×問15-1
「政治とはおもに囚に関係したと.
そう思う」のグループの「一票」 の評価
法学志林第九十九巻第三号
〃』
β〃
、、←「-.票・そう思う」の比率、 ̄ ̄ ̄--、、
、
、 夕
、、 グジグ
、、夕、グゥ 夕ググ
、タグ、、 〃
、夕、 、▲タグ
中 高2030405060
123123IIIII 29394959 3056364853452534274881
「政治とはおもに国に関係したこと・そう思う」
二八
生にかけて急速に強まり、有権者では年齢ととも
に弱まっていく。「政治とはおもに国に関係した
ことである」Ⅱ「そう思う」のグループは多数派
ではないが、この傾向は無視できない。すでに見
たように、.票」の価値を否定する態度は中学
生から高校生にかけて急増し、有権者では減少す
る。「政治は国に関係したこと」のどのグループ
を見ても、年齢による推移はこの単純集計の伽向
に沿っている。しかし、二・一八図に示すグルー
これまで見てきたように、未成年期における政治意識の形成は、政治家不信、政治不信の墹大である。そして、調
査に現われるその傾向は、六八年、八九年、九七年と年を追うごとに強くなっているようである。しかし、六八年で
も、政治体系への支持の人力を高める方向に意識形成が進んでいるとはいいがたい。また、有椛者の政治への信噸も(旧)決して一伺いとはいえない。われわれの調査結果に体系分析の図式をそのまま適用すれば、日本の政治体系は崩壊前夜
にあることになる。しかし、政治家不信、政治不信は、戦後日本において、いわれつづけてきたことであり、それに
もかかわらず、日本の政治体系がとにかく機能してきたことも事実である。これだけ多くの人びとが政治不信を表明
しても、それが体系の崩壊につながらないのはなぜであろうか。支持の入力に寄与すると思われる態度とそれとは反
対の態度を対比させて、この問題を考えたい。
この質問は、六八年と八九年にも、小巾高校生に対してなされている。まず、その結果を要約する。これは当然、
小学校低学年には理解困難であって、約半数が「わからない」と答えている。しかし、いずれの調査でも、その比率
は、中学生で二○%前後、高校生で一○%前後に低下する。「同会議員にうったえる」「総理大臣に手紙を書く」は全(旧)学年を通じて少数である。「同じ意見の人とデモをする」もきわめて少ない。「自分の支持する政党を応援する」はや
政治態度の継続と変容(三(岡村・松本)二九 問7あなたの意見を政治の上に反映させるには、どうするのがもっともよいと思いますか。
Ⅲ選挙で投票する0国会議員にうったえる0総叫大臣に手紙を書くⅢ新聞に投書する⑤同じ意見の人と
デモをするⅢ自分の支持する政党を応援する、何をやってもむだだ⑧わからない 三政治不信の浸透度