滋賀大学経済学部研究年報Vo1.5 1998 一21一
主権論の再構成
一デューイの政治思想の形成(続)一
心 西 中 和
1 はじめに
筆者は別稿でジョン・デューイの政治思想の 初期の問題意識とそれに基づく社会像の形成に ついて若干の考察を試みた.小稿ではそれを承 けて彼による主権論の再構成の試みを検討し, 彼の政治思想の特質を理解する手がかりを探っ つ てみたい。 主権論についてのデューイの関心は思想形成 の初期から見られると言ってよい。まず『デモ クラシーの倫理学』(The EthiCS of Democrαcy, 1888)において,彼はメインによるデモクラシー 批判の基礎にオースティン主権論があることを 指摘し,それに基づく上からの一方的支配とし ての統治像を社会有機体論の観点から相対化し ようとしていた。次いでデューイは1894年に 「オースティンの主権理論」(Austin’s Theory of Sovereignty>という論文を発表した。これ はイギリスの分析法学派の代表的存在と目され るジョン・オースティンの主権論を批判的に検 討しながら,主権論の再構成の方向を示そうと したものである。更に,1898年の『心理学的お よび政治学的倫理学講義』(Lectures on Ps:y− chologicα1 and−Politicα1 Ethics’1898)において, デューイはオースティン主権論に加えて,グリー 1)拙稿「デューイの政治思想の形成」(滋賀大学 『彦根論叢』315号,1998)。なおデューイの初期の 政治思想の形成過程については限定された視角か らではあるが次の拙稿でかつて検討を試みたこと がある。「ジョン・デュウイにおける政治認識の 方法的形成についての一考察」(『東海女子大学紀 要』第2号,1983) ンの主権論を批判しながら独自の主権の見方を 提示した。 このように彼が主権論に関心を持った理由は, デモクラシーを支持し,擁護するには従来の主 権論が不十分であると考えたからである。元来, 「主権」の観念は,ボダンやホッブズの政治思 想に見られるように,中世末期の秩序の混乱と いう時代状況の中で,古い秩序を壊して,新し い秩序を創出し維持する実力を意味し,それを 正当化するものとしてあったと言える。つまり, 社会における様々の対立,紛争に最終的な決着 をつけうる事実上の強制的力を意味していた。 この観念は,主権の帰属=所在をめぐっての君 主主権と人民主権の対抗を経て,両者の妥協形 態を伴いつつも,大まかに言えば,後者の勝利 という形で近代憲法の中に取り込まれた。しか し,この時,主権は実力を指すものとしての政 治的な性格とは別に,近代実定憲法上の法的概 念という性格を持つことになった。その結果, 主権の観念は政治的性格と法的性格の交錯とい ラう複雑な様相を帯びるようになったのである。 オースティン主権論はイギリスの実定法秩序 における主権の所在を明確にしょうとするとこ ろにその特質があった。法学的主権論と言われ きう るゆえんである。これに対して,グリーンは国 家への市民の服従義務の問題の検討から主権論 2) Merriam, C. E., History of the Theory of SovereigntOr sinee Rousseαu,1900;1968), 堀 豊:彦『近代国家論(第一部 権力)国家主権の絶 対性』(1950),樋口陽一『近代立憲主義と現代国 家』 (1973)。 3) Merriam, op. cit., p.131.一22一 滋賀大学経済学部研究年報Vo1.5 1998 に取り組んだ,彼はメインに倣ってオースティ ンが主権の本質を絶対的な強制力に見ていると 理解し,そのような見方では市民の服従根拠を 明らかにしえないと考えた。後述するように, デューイによれば,これはメインやグリーンの 誤解である。しかし,グリーンはそのようなオー スティン理解に基づき,その弱点を克服すると して,主権の本質を一般意志に見るルソーの主 の 権論との補完的結合を企図したのである。 デューイが主権論に取り組む際にその手がか りとなったのはグリーンの主権論であったよう に思われる。『デモクラシーの倫理学』におけ る彼の主権の見方はグリーンの影響下にあった と言ってよい。その影響からの離脱が彼による 主権論の再構成となって現れるのである。それ を根底において規定した問題意識は,被治者で ある市民自身が治者であり主権者であるという, デモクラシーの逆説的な原則をうまく表現する ような主権論のあり方の模索であった。この点 から見れば,ルソーやオースティン,そしてグ リーンの主権論はいずれもデモクラシーを理論 的に正当化するものとしては不十分であると考 えられた。なぜ不十分なのか,それらに代えて どのような主権の考え方がありうるのか,につ いてのデューイの思索の筋道を検討することが 以下の課題である。
1 オースティン主権論批判
デューイは1894年に「オースティンの主権論」 という論文を発表した。これは従来の研究史に おいて何故かほとんど取り上げられていないけ れども,彼の政治思想の特徴がよく示されてお り,また1927年の『公衆とその諸問題』での主 の 張につながる考え方が窺われる。その意味で, もっと注目されてよい著作であるように思われ る。後述するように,彼がオースティンの主権 論に関心を持つのは,もしオースティンの理論 4)日下喜一『自由主義の発展』(1981)。 が正しいとすれば,人民主権(popular sover− eignty)の理論は明らかに誤りになると考えら れるからである。つまり,それはデモクラシー の理念を支え,その具体化を押し進めるために は不十分であり,またそのことを阻害しかねな いと見なされたのである。彼はオースティン批 判を通じて少数者による実際の統治の遂行とい う現実を踏まえた上で,しかもその統治が究極 的には民衆によって動かされるのだということ を説明するような主権論を提示しようとしたの である。以下においてその試みを探ってみよう。 1.「オースティン神話」と主権論の課題 デューイがオースティン主権論を検討する際 に先行的な仕事として注目したのは,イギリス の法制史家のメイン(Maine,H.S.)とイギリス 理想主義哲学派のグリーン(Green,T.H.)によ るオースティン批判であった。ところがデュー イの見るところでは,この二人は「オースティ ン神話」とでも称すべきオースティン主権論の 誤った理解を示していた。つまり,彼らは,オー スティンが主権をもっぱら主権者の制約されな 5)管見の限りでは,Woody, S, M.,“Austin’s TheoryofSovereignty:DeweyversusAustin” , Ethics 78(1968)が取り上げており,更にこの論 文に対して,Gerber, D., A Note on Woody on Dewey on Austin, Ethics 79(1969)がコメ ントをつけているが,いずれもデューイの問題関 心を十分に捉えきれずに法学上の概念論議に終わっ ているように思われる。だからデューイのオース ティン批判の重要な意味が自由主義思想の権力観 や主権論の法学的制度論的方法への批判にあった ことがほとんど触れられていない。それに比べる と,Somjee, A. H., The Potiticαl Theor:y(’f John Deωe:y(1968)は少ない言及の中でそのこ とを示唆している。邦語文献では,森田尚人『デュー イ教育思想の形成』(1986)が言及している。近年 デューイ政治思想のモノグラフィとして評判の高 いWestbrook, R. B., John Deωeンαnd Arnericαn l)emocrαay(1991)や Ryan, R., John 1)eωεツα認‘んε班8ん丁認e()f Americαn Liberαlism(1995)ではまったく無視されて いる。主権論の再構成一デューイの政治思想の形成(続)一 (小西 中和) 一23一 い絶対的な強制力において考えたと批判するこ とによって,オースティン主権論の一面的理解 を広めることになった,その結果,オースティ ン主権論が持っていたポジティヴな意味を見失っ てしまったというのである。デューイはかかる 「神話」を排しつつ独自の観点から問題の真の 所在を明らかにしょうとする。この点について 簡単に触れておくことにしよう。 デューイが直接的に言及しているメインの著 作は『古代制度史』(Eαrly History of lnstitu− tions,1875)である。メインのオースティン批 判は,方法的に見れば,オースティン流の分析 法学の抽象的方法に対する歴史的方法の対置を 意味していたと言えよう。メインによれば, 「オースティンの体系のためには,主権は強制 の 力以外のいかなる属性も持たない」。換言すれ ば,オースティン的な主権の観念は歴史上のあ らゆる形態の統治を一括し,それらから強制力 という共通の特質を抽出した結果として得られ ているというのである。「オースティン神話」 の発端になったとしてデューイによって引用さ れているメインの記述をここで参照しておこう。 「すべての独立した政治社会には,他の社会 構成員を思うままに強制する権力を所有する 一個人または個人の結合体が存在する。・…・ この主権者は,すべてのこのような社会にお いて,主権がとるすべての形態に共通してひ とつの特徴,つまり,抗しがたい権力の所有 という特徴を有している。あらゆる形の主権 が共通して有するものは臣民または同僚に無 の 制限に強制を加える権力である」。(E,4,70) しかし,法制史家メインの見るところでは,主 権者による権力の行使が無制限であるという見 方は事実にあわない。なぜなら,「簡略して道 6) Maine, H. S., Earlbl History oflnstitutLons (1875), p.361. 7) Dewey, “The Austin’s Theory of Sover− eignty”,Eαrly Worhs, Vol.4, p.70.以下 Eαrl:y Worksからの引用は(E,4,70)の形式で 本文中に示す。 徳的と呼ばれる巨大な影響力が主権者による社 会的諸力の実際の方向づけを形成し,制限し, うまた禁止している」からである。換言すれば, 主権は「歴史的な先例」によって,つまり,そ れを構成する人々のあらゆる種類の膨大な意見, 感情,信念,迷信,偏見,思想などによって規 定されている。にもかかわらず,オースティン の分析法学はこのことを看過して,主権をもっ ぱら無制限の強制力として見たと批判するわけ である。 だが,デューイによれば,このようなメイン の主張はオースティンへの誤解に基づいている。 主権が無制限の権力だとする考え方はオースティ ンのどこにも見いだされない。むしろ,それが 実際には制限されていることを彼は認めている として,オースティンから次の引用を行ってメ インに反証する。 「十分なまた完全な独立が主権者の権力の本 質だとすれば,それが当てはまるような人間 の権力は実際には存在しない。どんな政府も, それがいかに強力であれ,他の政府の命令に 時々服従する。…・・どんな政府もそれ自体 の臣下の意見や感情に習慣的に従っているの である」。(E,4,71) だから,オースティンが主権の本質を無制限 の権力に見たという主張は,彼の定義の法学的 な性格を無視したメインの誤解に基づくもので あり,オースティンの主権論の特質を何ら把握 するものではない。ところが,この誤解を承け ついで,オースティン主権論についての間違っ た問題の立て方をしたのがグリーンであった。 グリーンについては次節でその主権論に対する デューイの批判を検討するので,ここでは簡単 に触れておくことにしたい。 グリーンのオースティン理解は『政治的義務 の原理』(Lectures on the Principles of Potiticαl Obligαtion,1895)において示されている。この 著作は政治的服従の根拠をめぐる問題の解明を 8) Maine, op. cit., p.359,360.
一24一 滋賀大学経済学部研究年報Vo1.5 1998 中心的テーマとしていたが,その中で彼は国家 権力の正当性との関連でオースティンの主権論 を取りあげている。グリーンはメインのオース ティン理解を継承した。つまり,オースティン は主権の本質が被治者に対して無制限に強制す る権力にあると見た,というのである。この考 え方に従えば,政治的服従の根拠はもっぱら強 制力に求められ,権力の正当性に道徳的契機は 存在しないことになる。だが,グリーンは権力 が何らかの共通の目的や利益といった道徳性に よって基礎づけられる必要があると考えた。そ れ故に,彼は主権の本質を一般意志に見るルソー 的な主権論に注目し,オースティン主権論とそ れを接合しようとした。つまり,一般意志ある いは共通善の観念によって強制力を基礎づけ, 政治的服従の根拠を倫理化しようとしたのであ の る。ここには,オースティンとルソーは主権の 本質を強制力か一般意志かのいずれに見るかで 対立しあっているとする考え方がある。これが グリーンの主権論の特徴であった。これは,次 節で見るように,グリーンが入間の行為におけ る力と意志の関係を二元論的に捉える見方につ ながっている。しかし,デューイによれば,オー スティンは政治的服従の根拠を強制力にのみ見 ていたわけではない。むしろ,彼は「政治制度 の背後にありそれをコントロールする道徳目的」 を認識していたと言える。なぜなら,彼はベン サム主義者として社会の改革に著しく関心を持っ ており,改革を実現する手段としての政府の固 有の目的が「人間の幸福の最大可能な発展」で の あると考えていたからである。オースティンに とって,かかる目的が権力を正当化し,政治的 服従の根拠を与えるものであったと言ってよい であろう。そこでデューイは次のように考える。 オースティンはイギリス功利主義の立場から幸 福という「感覚の言葉」を用い,グリーンはド 9)日下前掲書,藤原保信『正義・自由・民主主義』 (1976)0 10) Merriam, op. cit., p.150. イツ観念論の立場から「行為の言葉」を使用す るという違いはなるほど存在する。しかし, 「オースティンの「一般的幸福」は実際上はグリー ンの「一般意志」と同じなのである」(E,4,72)。 だから,主権の本質をどう見るかにおいて,オー スティンとルソーとでは何ら違いはないという ことになる。デューイから見れば,グリーンの ような強制力か一般意志かという二元論的な問 題の立て方がそもそもおかしいのである。換言 すれば,グリーンは主権論における課題の所在 を見誤っているのである。 デューイは「主権の理論的のみならず実践的 課題」について次のように語ることが適切であ ろうと述べている。 「ルイス,ルソー,そしてオースティンによっ てそれぞれ分離,摘出された主権の三つの要 素,すなわち,強制力(force),つまり実効 性と,普遍性(universality),つまり社会全 体の諸利害や諸活動との関連と,そして確定 性(determinateness),つまり作用様式の特 定化一表現の機関の特定化という三要素を結 ユつ 合することである」(E,4,90)。 これに従えば,主権の特質を強制力において 見たのはオースティンではなくて,ルイス,もっ と遡ればホッブズに帰せられる。ルソーの一般 意志の観念は主権における普遍的な契機を示す ものである。そして,オースティンが明らかに したのは主権の持つ確定性の側面であった。だ から,デューイの見方では,ルソーとオースティ ンとでは問題の側面ないし次元が異なっている。 しかし,メインもグリーンもこのことを理解し えなかった。だから,グリーンは強制力か一般 意志というような間違った問題の立て方でルソー とオースティンを対比したのである。両者の違 いは主権の所在をどう見るかにかかわっていた。 11)この三要素を政治なるものの理解に一般化すれ ば,「権力としての政治,倫理としての政治,技 術としての政治」という丸山眞男の見方に通じる ものがあると言えよう。「政治学入門」(1949) 『丸山眞男集』四巻。
主権論の再構成一デューイの政治思想の形成(続)一 (小西 中和) 一25一 つまり,後述するように,オースティンが主権 の所在を政治社会の数的に確定される部分に見 たのに対して,ルソーが全体に見たという違い である。彼らはこのことを理解しえなかったた めに,主権の所在に関してはオースティンの考 え方をそのまま受け継ぐことになった。だが, デューイによれば,彼の主権論の際だった特質 は主権の所在を社会の数的に確定的な部分,す なわち政府に見るという考え方にこそあった。 そこにオースティン主権論のポジティヴな意義 とそして欠点が含まれていたのである。グリー ンはこのことに無自覚なままに政府と主権の同 一視というオースティンの見方を前提にして, いかにして政府の行使する強制的権力に倫理的 正当化を与えるかというように問題を立てた。 その結果,オースティンとルソーを接合しよう としたのである。オースティンについて言えば, 彼は分析法学の問題視角の狭隙さに災いされて 三つの要素の関連を十分に把握できなかったと 言えよう。この点を明らかにしながらデューイ によるオースティン批判の特徴を検討してゆく ことにしよう。 2.主権論と実定法主義 オースティンの主権論の特質一その意義と限 界一は主権の所在を社会における数的に確定さ れる部分に見るという考え方にあるが,それは 次の主張によく窺われる。 「独立の政治社会は二つの部分に分けられる。 すなわち,その構成員が主権者ないし最高の 権力者の部分と,その構成員が単に服従者の 部分である。…・・多くの実際の社会におい て,主権者の権力は全体の中の単独の個人に よって独占されるか,あるいはきわめて少数 の人たちによって共有されるかである。そし て,その政府が民主主義的と評価される現実 の社会においてすら,主権者の数は政治社会 全体のわずかの部分である」(E,4,75−76)。 デモクラシー政治においても主権者は社会の わずかな一部分にすぎないというオースティン のかかる主張が正しいとすれば,人民主権論は 間違いだということになるのではないか。先に も述べたように,デューイがオースティン主権 論に取り組んだ動機のひとつがここにあった。 しかし,支配ないし統治が常に少数者によると いうことは政治の基本的事実である。オースティ ンの主張はそれを率直に述べているにすぎない とも言える。では何が問題になるのか。それは 政治における少数者支配の鉄則を踏まえた上で 人民主権論の意味をどのように理解したらよい のかということ,換言すれば,被治者である市 民自身が治者であり主権者であるというデモク ラシーの逆説的原則を主権論としてどう構成し たらよいのかということである。これについて は,人民主権が権力の正当性の所在を示すので あり,権力の実体の所在にかかわるのではない ユのとする考え方がある。つまり,統治の担い手= 政府の権力と統治の正当性=人民主権の分裂な いし区別という事実を確認することである。デュー イのオースティン批判にはかかる問題へのどの ような対応が含まれているのであろうか。 デューイによれば,オースティンの主張の根 底には「主権とその行使の機関の混同」,ある いは「主権と政府の同一視」が存在している。 これは「国家と政府の混同」と同じような誤っ た見方であり,実践的にも弊害をもたらしがち な誤りである。彼は政府を主権者と同一視する ことによって,人民主権による権力の正当性の 問題を,換言すれば,主権における普遍性の要 素を曖昧にしてしまう。だから,数的に限定さ れる社会の一部分の人たちによって構成される 政府がなぜ権力を持ち,行使しうるかの理由を 明らかにしえない。オースティン理論において, 主権の本質があたかも無制限の強制力であるか のように誤解されたのもこのためであったと言 えよう。 では,なぜオースティンは政府と主権者を混 同したのか,換言すれば,主権の所在を社会の 12)樋口前掲書。
一26一 滋賀大学経済学部研究年報Vo1.5 1998 一部分に限定することになったのか。デューイ によれば,それは法の特質を明確にしょうとす る問題関心に由来するオースティンの分析法学 における実定法主義に基づいている。だから, 彼による法の分類の仕方を検討することによっ てその理由を探ることができるというのである。 オースティンにとって,法は大きく実定法 (positive law)と道徳法(moral law)に分け られる。それらはいずれも法である限り,命令 を押しつけ,制裁を通じて服従を強制する人格 的な権威を持っている点で違いはない。その違 いは権威の性格の違いに基づいている。つまり, 命令を押しつける権威が主権者か否かの違いで ある。ここで主権者の性格が問題となる。では, 主権者とは何か。オースティンによれば,それ は次の特質を持つ。 「社会の大部分が服従する習慣にある確定的 (determinαteness)でかつ共通の優越者であ る。その優越者は確定的な共通の優越者に服 擬する習慣にない」(E,4,75)。 この定義で重要なのは確定的な最高の優越者 であるということであり,これを基準にして, 実定法と道徳法の違いが説明されるのである。 実定法は上の定義に基づく主権者によって発 せられ,強制される法である。道徳法は更に 「本来的道徳法」(moral law, properly so− called)と「非本来的道徳法」(moral law, improperly so−called)の二つに分けられる。 前者は社会における様々の集団の中で作られ, 強制されている規範を意味し,後者は「不確定 の人民の意見や感情」によって作り出されるも の,つまり世論を指している。 本来的道徳法と実定法の違いは前者が主権者 によって課されないことにある。本来的道徳法 は集団内での確定的な優越者から生じるのでは あるが,その優越者がなおその上位にある権力, つまり主権者に服従する習慣にあるから,実定 法と異なるのである。 次に,非本来皇道農法と実定法の違いは表面 的には明瞭でなく,ここにオースティン主権論 の特質が現れる。先にも触れたように,オース ティンはある意味で大衆の意見や感情が権力と して最高であること,すなわち主権者といえど もそれらに「従う習慣にある」ことを認めてい た。この見方からすれば,それらによって作ら れる非本来的道徳法こそは実定法の上位にあり, 最終的にそれをコントロールすると考えられる であろう。だとすれば,その大衆の一般的なま た統制的な意見,つまり世論が主権者であると 言えるのではないか。ところが,オースティン によれば,そうは言えない。なぜならば,法は 確定的な源泉から生じなければならないから, 主権者は法を発する権威として数的に確定され るものでなければならない,しかし,世論の担 い手としての人民大衆は数的に確定されず不明 瞭だからである。かくしてオースティンの主権 論において,主権の根本的特質を示すものはそ の確定性の要素だということになるわけである。 主権の所在を社会の一部分に限定するという 見方を導き出すオースティンの思考の筋道は以 上のようなものであるが,しかし,デューイに よれば,それは根拠の薄いものでしかない。そ の見方の根底にあるのは,数的に確定されない 団体はそれとして行為することはできず,それ ゆえに,命令を発し,強制することができない とする考え方であり,これはオースティンのとっ てほとんど議論の必要がないかのごとくである。 けれども,世論が様々の形をとって威力を発揮 し,政府をコントロールしている事実を見れば, その考え方は彼が言うほど自明のことではない であろう。だから,オースティンの推論は「循 環論」のように見えてくる。まず,本来的な法 は主権者によって課される命令であると定義さ れる。次に,法と道徳を区別するために,主権 者が法を課す権力として定義される。そして, この定義の中に,「確定性の観念が付随的にす べりこまされた」というわけである。その結果, オースティンにあっては確定性の観念は主権の 所在を社会の一部分に限定するためにのみ機能 し,主権の問題においてそれが本来持つはずの
主権論の再構成一デューイの政治思想の形成(続)一 (小西 中和) 一27一 「根本的な重要性がほとんど隠された」とデュー イは指摘する(E,4,77)。彼がオースティン主権 論の限界を指摘しつつも,そのポジティヴな意 義を探ろうとするのはこの確定性という観念の 意味をどのように理解するかにかかわっていた。 メインやグリーンはオースティン主権論におけ るこのような問題の所在をついに理解しえなかっ たのである(E,4,75)。 3.主権観念の転換 オースティンは数的な確定性の観念に基づい て主権の所在を明確に規定しようとした。しか し,デューイによれば,事実による検:証を試み る時,オースティンの言う主権の所在はそれほ ど確定的ではないことがわかる(E,4,79)。例え ば,彼は憲法改正条項の分析を通じてアメリカ における主権の所在を「各州議会を選挙する有 権者」に見いだしているのであるが,それがは たして社会における確定的な部分であるかどう かは疑わしい。なぜなら,有権者の構成は時期 によって変化するし,また,誰が主権者として 法の形成にかかわったのかは,実際に投票が行 われるまでは確定されないからである。あるい はまた,イギリスにおける主権の所在について 考えると,それをめぐって論争がある。国王か, 国王と上院と下院の協同か,下院の選挙民か, その選挙民の多数派か,というわけである。そ のいずれの場合をとっても,主権者としてのそ れらが確定性を明瞭に示すとは思われないし, 更に,論争自体が未だ決着をつけられていない 状態である。 デューイはここにオースティン理論の「究極 的弱点」が現れると見る。つまり,数的に確定 される一団の人々による権力の所有として主権 を捉える考え方は,どのような人々が,また何 人の人々が実際に選び出されて権力を持つこと になるのかを確定する基準を示さないというの である(E,4,80)。オースティンの確定性の観 念はなるほど「あらゆる現在の文明国において 統治権力が多少とも明確にしうる一定の人々の 手中にある」という事実に合致するように見え る。だが,それは,統治が常に少数者によって 行われるという政治の基本的事実を語っている にすぎない。しかし,近代の民主主義的憲法秩 序を正当化しようとする主権論の立場からすれ ば,その基本的事実は統治の担い手としての政 府やその権力と統治の正当性の源泉としての人 民主権の分裂という事態を伴っていることを把 ユヨラ 面することが重要である。だからこの分裂の意 味を無視して,オースティンのように,統治を 担う少数者,つまり確定的な政府が存在すると いう事実をそのまま政府と主権者の同一視の根 拠とするのは誤りだと言わねばならない。オー スティンのやり方は現実の政府を人民主権によっ て安易に正当化する結果をもたらしたり,ある いはまた,治者としての政府と被治者としての 人民の分裂を固定化し,もっぱら前者による後 者への一方的支配として政治を理解する思考様 ユ 式を導くことになりかねないであろう。デュー イがオースティン主権論の弱点として,つまり それがデモクラシー政治の理論的正当化には不 十分であると考えたのはこのような問題であっ た。 オースティンのために弁明しておけば,彼の 理論はメインなどとは異なって人民大衆に対抗 することを狙っていたわけではない。それはイ ギリスの法体系に明確さと厳密さを導入するた めに明瞭で確定的な主権者の権力を法の唯一の 源泉として確保することを目的としていた。そ してこのことは彼の現実的関心がベンサム的な 功利主義に基づく社会改革と結びついていたこ ユらう との結果である。だから,確定的な政府が存在 することの実際の理由や背景を説明することは さしあたって「オースティンの理論の範囲のまっ たく外にある問題」であった。この点について 13)樋口前掲書。 14)かかるオースティン主権論の問題性がメインに よるデモクラシー批判の基礎にあるについては拙 稿(1998)で触れた。 15) Merriam, op. cit., p.148.
一28一 滋賀大学経済学部研究年報Vol.5 1998 はデューイもまたよく承知していたのであるが, オースティンにおける主権と政府の同一視はデ モクラシー政治理論にとってやはり否定される べきことと考えたのである。そこで,彼はその 同一視を回避するために主権と政府についての 次のような注目すべき捉え方を提示する。 「政府が存在するのは,長い時間を通じて作 位している,大きな社会的諸式がその表現の 機関としてそれらの政府を確定してきたから である。政府を確定し,今持っているような あらゆる特定の(確定的な)性格をそれらに 与えるのは,徐々に具体化する,これらの諸 力である。…一これらの諸力の存在を認め てみよう,そうすれば,政府を確定するので あるから,それらこそが主権者なのである」 (E,4,80,傍点は原文イタリック)。 政府の背後に実際に社会を動かしている諸式 の全体がある。この大きな社会的応力は自らの 動向を表現するための確定的な機関を持たねば ならない。それが政府である。換言すれば,政 府の背後でその実際的な成立と構成を決定=確 定する要因として社会的諸力が働いている。こ の社会的諸力の全体が主権者と見なされる。だ から,政府は主権の機関であって,主権それ自 体ではないというわけである。ここには主権に ついてのデューイの独自の考え方が示されてい ると言ってよい。より大きな社会的諸国とは主 権の普遍性の契機を示し,政府はその表現ない し行使の機関として確定性の契機を意味してい る。こうして,彼は主権とその機関としての政 府との混同を排し,両者を区別することによっ てオースティン主権論が見失った普遍性の契機 を回復し明確化しようとした。と同時に,オー スティンが強調する確定性の観念が主権の行使 の機関の存在を指示する意味を持つことを明ら かにして,それを主権の不可欠の契機として位 置づけたのである。後述するように,一般的に 見れば,確定性の観念は統治における最終的な 決定権力の一元化やリーダーシップの確立の必 要といった問題にかかわる意味を含んでいると 言えよう。だが,主権についてのこのような問 題視角はメインやグリーンには希薄であった。 彼らはオースティンの強調する確定性の観念の 真の意義を理解することができず,主権とその 機関としての政府の同一視という彼の誤りを受 け継ぐことになった。その結果,オースティン 主権論の特質を強制力の契機の強調としてのみ 捉え,それを相対化するために,メインのよう に歴史的事実による反証を試みたり,また,グ リーンのように普遍性の契機としての?般意志 を抽象的に対置するに留まらざるをえなかった のである。 デューイにとって主権における普遍性の契機 は一般意志とか共通意志といった形而上学的な 観念によって表現されるに留まることはもはや 認められない。彼はその具体的な内実を社会的 諸力の全体的な動きの経験的な把握を通じて明 らかにする方向に進もうとしていたのである。 しかし,こう考える時,オースティン主権論の 方法的限界が改めて浮かび上がってくる。それ を次に見よう。 4.法学的主権論批判 オースティンは国家の秩序の基礎として道徳 的ないし社会的諸島の存在を認めていた。しか し,彼はこれを主権観念の中に組み込もうとは 決してしなかった。このことは道徳と法を峻別 する彼の法学の方法に基づくのであるが,その 結果,主権の最も重要な作用である法の制定や 発展をうまく説明できないという理論的弱点を 露呈するのである。 まず,憲法について考えてみると,法,つま り憲法が政府のあり方を決定するという明かな 事実がある。だから,オースティンも認めてい るように,憲法は政府の背後にあってそれに人 16)形而上学的社会有機体論から進化論的社会像へ の移行に基づく社会的意識や共通意志の観念の意 味の捉え直しの結果がここに見いだされると言え る。これについては前掲拙稿(1998)。
主権論の再構城一デューイの政治思想の形成(続)一 (小西 中和) 一29一 的構成や権力の配分に関しての性格を与える決 定力を含んでいるように見える。だとすれば, この力こそは主権者であり,憲法の制定は主権 の一次的で根本的な行使だと考えられるのでは ないか。しかし,この考え方はオースティンの 法理論と一致しないはずである。なぜなら,そ の主権者が確定的でないからである。この矛盾 を回避するためのオースティンのやり方はその ような力によって作り出される憲法は本来的に 法ではないと主張することであった。彼によれ ば,「憲法と国際法はほとんど同じ状態にある。 いずれも実定法というよりもむしろ実定的道徳 である」。実定的道徳とは,憲法が「単なる道 徳的サンクション」,つまり「不確定の大衆の 是認」によって基礎づけられるということであ る(E,4,81−82)。かかる主張から窺われるのは 法を主権者の命令と見なす実定法中心主義であ り,また,法とその基礎にある道徳的ないし社 会的諸力の分離,切断である。 しかし,デューイによれば,道徳的(社会的) 諸力は確定的な政治諸制度において定義と具体 化された形を獲i得するのであり,従って道徳的 なるものを法ないし政治制度からまったく切り 離してしまうことはできない。政府を含めて, あらゆる諸制度は道徳的ないし社会的力が組織 されたものである。だから,その関連の仕方こ そ注目されるべきなのである。にもかかわらず, オースティンは政府を決定する社会的蛮力と政 府自体の問に完全な断絶を作ってしまう。すな わち,社会的士力は不確定な単なる集合であり, 道徳的でしかないとされるのに対して,他方で, 政府は主権者と見なされ,しかも単に法的なも のとしてのみ理解されるのである。 こうして,オースティンにおける道徳と法の 峻別は,政治の固有の次元とその意味をそれと して理解する観点,換言すれば,政治過程論と でも称すべき認識方法の方向を閉ざすことになっ たと言える。道徳的心力を法制度に関連づけ, 確定するることが政治の機能だと考えられるが, 彼はそもそも両者の関連を否定するから,その ようなものとしての政治を理解する必要などな いわけである。あるのは,法学的観点からする 一面的でスタティックな政治の見方だけである。 オースティンが主権と政府を同一視したのはこ のことを意味していた。そして,それはまたは 政府形態の変更がうまく説明されないことに現 れるのである。 政府が主権者と見なされることによって,政 府の変更は主権者の変更,主権の中断というこ とになる。つまり,それは常に革命的な変動と してしか理解されないことになるのである。し かし,デューイによれば,政府の変更が実際に 生じるのは現存の諸機関の変更を通じてであり, これを革命だと見るのには無理がある。だが, 社会的諸力との関連で政府の変更を理解すれば, そのような無理は生じないであろう。主権とし ての社会的富力がその機関としての政府の変更 をもたらす。このように考えれば,政府の変更 を主権の中断,つまり,革命と見る必要はなく なるからである(E,4,83−84)。 以上に見てきたように,社会的な諸富の動き の全体を主権と見なし,その行使の確定的機関 として政府を理解するというデューイの見方は, 主権を法学的観点からのみ捉えようとするオー スティン主権論の方法的限界性を脱しようとす る意味を持っていた。それは主権論におけるい わゆる政治過程論的な方法の形成の方向を示す ものと考えられるが,この点をいくらか明示的 に語っているのが『心理学的および政治学的倫 理学講義』での主権論の方法に関する議論で の ある。 デューイは言う。「法学的概念の地位と限界 17)Somjee, op. cit.,p。6は『公衆とその諸問題』 (1927)における政治の経験的研究の概念枠組へ の強調が「オースティンの主権理論」(1894)で すでに示唆されていると指摘している。現代政治 学において法学的制度論的方法から政治過程論的 方法への移行の起点として通常ベントレー (Bentley,A.F.)のThe−Proeess of Govern− ment(1908)が置かれている(丸山眞男「政治/
一30一 滋賀大学経済学部研究年報Vol.5 1998 についての明確な観念を得るために主権の実際 に進行している作用とその反省的自己意識的作 用の区別をなすことが必要である」(Lec.,427)。 前者の作用は社会における様々の諸制度の活動 とその相互作用の中で見いだされ,政治的なる ものを構成するのに対して,後者の作用は法制 度に体現されている。ところがオースティンは 両者を混同する,つまり政治的なるものを法制 度と同一視する見方にとり愚かれているのであ る。それは社会を「死せるもの」のごとく,そ してあらゆる機構が突然静止したかのごとくに 捉える固定的な見方を含んでいる。だから政治 活動全体もスナップ写真に写されたようなスタ ティックな見方だけが提示されることになる( Lec.,428)。逆に言えば,法制度の背後にある 主権の実際の作用,つまり,諸制度の絶えざる 動きとそれらの相互作用の側面が無視されるの ユ う である。主権論の再構成においてデューイが強 調するのは主権のこの側面をそれとして十分に 把握することの必要性である。そのためにはオー スティン流の法制度論に限定された方法のみで は不十分である。なぜなら,「物事は常に不変 である」とする法学的観点に従えば,政府を含 めた諸制度の絶えざる発展を説明することは不 可能だからである(Lec.,429)。 さて上述してきたように社会的な諸力の動き \学」(1956)『丸山眞別集』六巻,田口富久治 『社会集団の政治機能』(1968))。しかし,デュー イのオースティン主権論批判の中にこの移行の萌 芽がすでに見られるというのが筆者の理解である。 ちなみにベントレーは1890年代後半にデューイが シカゴ大学在職中にその二つのセミナー(「論理 学理論」と「倫理学の論理」)に出席して「大き な影響」を受けたと言われている(John 1)eωay and Arthur F. Bentlebl A Philosophical Correspondence, 1932−1951, ed., Sidney Ratner and Jules Alyman, p.21)0 18) Dewey, Lectures on Psychological and Politicα1 Ethics’ 1898(1976),p.427。以下本書 からの引用箇所は(Lec.,427)の形式で本文中 に示す。 19) Merriam, op. cit., p.150, 154. の全体を主権と見なし,その行使の機関として 政府を理解するというデューイの見方は主権に ついての法学的アプローチの限界を指摘し,政 治過程論的方法の必要性を示唆していたと言え るが,同時にそれはオースティン理論における 国家権カー元論的思考への批判を含んでいたと 思われる。この点を次に見てみよう。 5. 国家権カー元論批判 デューイによれば,オースティン主権論は主 権の作用を政府へ一元化し,他の社会諸制度の 持つ権力作用を看過している。だから,政治認 識における国家一元論的思考を内包し,従って, 統治を政府による上からの命令の一方的押しつ けとして,つまり支配一席支配という縦の関係 としてのみ捉える見方を導きやすい。しかし, 事実の問題として考えれば,犯罪者でない多く の人々の生活を最も実質的にコントロールして いる規制は国家の制定法ではなくて,それに従 属的な諸制度 家庭,学校,ビジネス会社, 労働組合,友愛組織など における下位の法 である。だから,社会の秩序が維持されるのは, 政府の直接的な作用よりもはるかにこれらの諸 制度の活動によってであり,またそれを通じて なのである。政府を通じての立法活動の大部分 はこれらの様々の諸制度の領域の輪郭を描き, 各制度にそれぞれの範囲内でほとんど絶対的な 権力を与えることにあると言ってよい(E,4,87)。 オースティン理論はそのような事実をどう説 明するのだろうか。政府を主権者と見る彼の立 場からすれば,主権者はそれが禁止していない ことなら何でも命令していると考えることによっ て,主権者としての政府が諸制度に活動するた めの権力を委任していると説明する。だが,こ れは政府による権力の独占を前提にした「機械 論的な(mechanical)」理解の仕方である。し かし,主権を社会的諸力の全体として見るなら ば,委任関係とは異なる理解の仕方が可能とな るであろう。諸制度は政府と同じように主権の 機関であり,従って,それに固有の権力を持っ
主権論の再構成一デューイの政治思想の形成(続)一 (小西 中和) 一31一 ている。逆に言えば,主権はその実効的機関と して作用する諸制度に具体化されている限りで その明確な現実性として存在すると見なされる のである(E,4,88)。とすれば,政府は重要不 可欠ではあるが,諸制度のひとつであって,政 府が主権の作用を独占しているわけではない。 だから。権力を国家のみに特定化することは誤っ た見方なのである。かくして,社会における権 力の作用を多元的に捉える必要がある。つまり, 国家一元論から政治的多元論への転換が要請さ れるのである。 では,主権の機関としての諸制度の中で政府 の特質はどこに見いだされるのであろうか。政 府と他の諸制度の違いは何であるのか。デュー イはそれを政府が担う主権の確定性の契機に求 める。様々の諸制度を通じて表出される社会的 諸力の動く方向を全体の観点から調整し最終的 に確定する機関として政府を理解するのである (E,4,80,Cf.Lec.,426−428)。かくして,彼がオー スティン主権論の中核として見いだした確定性 概念は最終的な政治的決定機関の明確化を要請 する意味として捉えなおされ,その意義がポジ ティヴに評価されることになった。なぜなら, デモクラシー政治においても,統一的な意志決 定や政治的リーダーシップの確立にとってその ことは不可欠だからである。オースティン主権 論の孕む国家一元論的傾向を批判しながらも, 他方で,彼の確定性概念を最終的な政治的決定 機関の明確化という意味において拾い上げる, ここにデューイによるオースティン理解の特徴 があると言えよう。この点を踏まえて,オース ティン主権論についてのデューイの考え方をま とめよう。 20)イギリスの多元的国家論とデューイの政治的多 元論が共通性を持ちながらも異なるところがある 点については,デューイ自身が『公衆とその諸問 題』で述べている。この点は本文中で後に引用す る。その違いが出てくる原因は小稿で検討してい るようなデューイの独自の主権ないし権力の見方 であると思われる。
5.小括
オースティン主権論の特徴は主権の所在を社 会の一定部分に見いだすことにあった。その結 果,政府が主権と混同され,実体化される傾向 を帯びた。だから,その理論は,デモクラシー にもかかわらず,政府が主権者として権力を独 占し,統治が政府による上からの一方的な支配 であるかのようなイメージを導きやすくなる。 これは彼が主権論の中に普遍性の契機を明確に 位置づけることができなかったからである。だ から一般意志や共通利益という統治の共同性の 側面,つまりその正当性の契機への視点が希薄 になった。彼の主権論がデモクラシー理論に適 合的でないというデューイの批判はそのような ことを意味していたと言える。 これに対して,デューイは主権の所在を様々 の社会的諸活動の全体的複合の過程に見いだす ことによって,政府を独立の実体と見るのでは なくて,主権の機関として,つまり社会全体と してある主権者の動向に柔軟に応答することを 通じてより効率的になる機関として捉える見方 を提示する(E,4,90)。これは主権の中に普遍 性の契機を位置づけること,換言すれば,統治 の共同性の側面を明確にすることを意味してい た。 と同時に,かかる見地に立つ時,オースティ ン主権論が部分的に含んでいたポジティヴな意 味が把握されるようになる。すなわち,そこで の確定性観念の強調は,オースティン的な意味 づけが否定されて,主権が実際に行使される様 式やそのための機関の特定化を意味するものと して捉えなおされた。換言すれば,統一的な政 治的意志決定の最終的権限を持つ機関と手続の 確定=明確化の必要を意味すると理解されたの である。こうして,確定性の観念が主権におけ る不可欠の要素として改めて位置づけられるこ とになったのであるが,このことはルソー的な 主権論への批判を意味していたと言うことがで きる。というのは,デューイによれば,主権の 普遍性の要素を強調したのは主権を一般意志に一32一 滋賀大学経済学部研究年報Vol.5 1998 みたルソーであったが,しかし彼は確定性の要 素,つまり主権の作用様式や機関の特定化を一 切排除してしまったからである。デモクラシー 統治が政治的拡大と政治的集中のバランスの維 持の上に展開されるとすれば,主権における普 遍性と確定性の二つの契機の有意味的強調とそ の結合の必要を説くデューイの主張はまさにデ モクラシー政治に適合的な主権論の構築を試み ようとしていたと理解できるであろう。 ところで,デューイは主権を構成するもう一 つの要素として力(force)をあげていた。こ れまで検討してきた「オースティンの主権論」 (1894)では,それについてほとんど論じられて いない。このことについてはオースティン主権 論の特質である確定性の観念を吟味するという 問題視角に基づいてそれへの言及が保留された と理解できよう。だが,彼は1898年の『心理学 的政治学的倫理学講義』において再び主権論を 取り上げ,今度は力の要素の意味について考察 を加えている。彼はグリーンの考え方を手がか りにしながら,主権における力の要素の位置づ け方にかかわる様々の問題を検討し,それにつ いての独自の見方を提示しようとする。それは 従来の自由主義による常識的な権力観の変更を 迫る意味を持っているように思われる。下節で そのことを検討し初期デューイにおける政治思 想の形成の跡を更に探ってみることにしよう。 皿 グリーン主権論批判 1. デューイとグリーン デューイによるグリーン主権論への批判の検 討に入る前に,その背景としてある両者の思想 的関係について簡単に触れておくことにしたい。 デューイの思想形成においてグリーンが大き な影響を与えたことについては彼自身によるグ リーンへの敬意の表現とともによく知られてい つるところである。別置でも述べたように,デュー イの思想形成はある面でグリーンによるドイツ 観念論哲学の研究の跡を辿り,それがっきあたっ たと思われた限界を進化論的思考の採用で克服 のするという形で進んだと言ってよいであろう。 グリーンの哲学は人間の行為が衝動によって ではなくて信念から生じるはずだという深い確 信に基づいていた,とデューイは見る。つまり, 人間がそれによって生きるはずの信念を体系的 に探究し,それを正当化することが彼の哲学だっ たというのである。彼はそのためにまず道徳論 の前提として認識論に取り組み,カントに依拠 しつつイギリス経験論を批判した。経験論は我々 の経験の全体的な統一性の基礎づけを与えるこ とができないが,カントの理性概念はそれを可 能にするように見えたからである。しかしその 際彼はカント認識論における物自体の観念に 不満を感じ,ヘーゲル的な観点を援用してその 観念を否定した。だが,デューイによれば,こ こでグリーンは難問に直面した。人間存在の有 限性にあくまでもつこうとする限り,彼はヘー ゲル的な絶対的自己意識の概念をそのまま認め ることはできなかった。それは神のごとき存在 にのみふさわしい内容を表現するものであり, 人間の有限性を前提にする限り,「経験と自己 意識の区別」を認めざるをえないからである。 ではこのことをどう説明したらよいのか。 グリーンは「物理的条件を通じて徐々に自ら を伝達し,そのことによって人間的自我を構成 する永遠の自我という観念」(E,3,74)を提示す ることによってそれに対応しようとした。永遠 の神的な意識,つまり自己意識が有限なる人間 の中で絶えず再生産されることとして我々の経 験はある。だが,その再生産は物理的条件に制 約されざるをえないから,自己意識が人間の経 験の中で完全に実現されることはありえない。 こうして彼は,人間の経験において永遠の自我 21) Dewey, “Green’s Theory of the Moral Motive” (1892), Earlbl VVorks, Vol.3,p.171 22)拙i著『デューイ政治哲学研究序説一思想形成過 程試論一』(1991),拙稿(1998)。
主権論の再構成一デューイの政治思想の形成(続)一 (小西 中和) 一33一 (自己意識)と有限なる人間の自我(経験)の 区別が残存すること,つまり,我々の認識は限 界を免れえないことを説明するのである。そし て,「理論的経験において除去しえないあの経 験と自己意識の区別を克服するのはまさに道徳 的経験である」として,この永遠の自我という 精神的原理は人問の「行為の中で,すなわち, 道徳的理想の意識の中で,そして,それによる 行為の決断の中で表現を見いだす」(E,3,24) と考えたのである。永遠の自我は人間にとって, 感覚的な知覚によって検証されうるものではな い。だから,道徳行為はそのようなものが絶対 的にあるべきだという当為への信念に基づいて 遂行されなければならないことになる。人間の 行為の根底に信念の存在を見いだし,それを正 当化するというグリーンの哲学の特徴がここに 見いだされると言えよう。 この永遠の自我はグリーンの道徳論において は最高善ないし共通善の観念として功利主義的 な道徳論の感覚主義的また個人主義的な狭阻性 を超克する機能を担わされていた。秩序論の観 点から言えば,原子論的な社会観に代わる社会 有機体論における共通意志または一般意志の観 念を基礎づけるものであった。デューイは思想 形成の最初期においてこのようなグリーンの観 念を受容していた。彼がスペンサーの進化論的 倫理思想を批判したり,メインによるデモクラ シー批判に反論した際に依拠したのもかかる観 念であった。こうしてイギリス経験論に対する カント的思想の優位を認めながら,その弱点を ヘーゲル的観点で補完し,しかもなおヘーゲル 的思想に対して人間の有限性の立場を確保しよ うとしたグリーンの哲学は「まことに真摯な試 み」と理解されたのである(E,3,79)。しかし, デューイはやがてグリーン的な思想から離れる ことになった。彼にとってグリーンの哲学の根 底にすえられた永遠の神的意識という観念はど うしても不可解であり,それに基礎づけられる 彼の道徳理論は欠陥を孕んでいると考えられる ようになったのである。デューイはその欠陥を 理想的的自我と現実的自我の対置に示されるよ うな二元論的な思考様式に見いだした。そして, この思考様式はグリーンの主権論をも支配して おり,従って,デューイの批判はその点をめぐっ て行われていると言えよう。以下においてその 批判の内容と意味について検討しよう。 2.力と意志の二元論批判 主権の本性を考える際に強制力の要素に注目 することはよくある見方である。ホッブズ主権 論は主権と強制力を同一視する見方の起点にす えられるが,彼以降の政治思想においてそれは 通説的な位置を占めていたと言ってよい。自由 主義思想はそのような見方に基づいて,政府は 挿圧的権力である,その作用は個人の意志や利 害と対立する,また自主的な社会集団と対立す る,という考え方を生み出してきた。その結果, 政府は「必要悪」であると見なされ,その活動 は個人や自主的的集団の自由な活動の外的条件 の保障に限定されるべきであり,個人の内面的 領域には立ち入るべきではないとする倫理と政 治の二元論的捉え方が強調されることになった のである(Lee.,410)。 グリーンの主権論もこれらの自由主義的見方 を議論の前提にしていたと言ってよい。ただ彼 は政治的服従の根拠を求めて政府の強制力の作 用の倫理的基礎づけを,換言すれば,倫理と政 治の二元論の一定の相対化を試みようとした点 で,従来の自由主義の考え方と異なっている。 そのために彼はオースティン主権論から引き出 した強制力の観念とルソーから引き出した一般 意志の観念を接合することによって自らの主権 論を提示しようとしたのである。このことは彼 の次の主張に窺われる。 「(オースティンとルソーの)二つの見解は 互いに排他的のように見える,しかし現実に 存在するがままの主権についての最も正しい 見方を我々が獲得しうるとすれば,それはお 23)前掲拙著(1991),拙稿(1998)
一34一 滋賀大学経済学部研究年eq Vol.5 1998 そらくそれらを相互に補完させあうことによっ てであろう。他のあらゆる優越者から独立し た個人か団体のある確定的な優越者に対して 社会の大部分によって服従が習慣的になされ ているような社会状態において,服従がその ようになされるのは,この確定的優越者が一 般意志と呼ばれるにふさわしいものを表現な いし体現していると見なされるからであり, だから,その服従は優越者がそのように見な されているという事実に実質的に依存してい るのである。優越者が行使するのは決して無 制限の強制的権力ではない,それは,長期的 あるいは習慣的な服従を確保する観点からみ れば,服従者の側での彼らの一般的利益につ いての一定の確信に一致することに基づく権 の 力の行使なのである」。 グリーンがオースティン主権論の特質理解に おいて誤っていたというデューイの主張につい ては先に触れたのでここでは取り上げない。こ こで問題になるのは上の引用にも示されている 強制力と一般意志を補完的に接合するというグ リーンの考え方である。換言すれば,そのよう な考え方はそもそも強制力と一般意志を二項対 立的に捉える思考方法を前提にしているのでは ないか,それに基づいて両者の接合という考え 方が生じてくるのではないかということである。 デューイはグリーンのその考え方の根底には更 に行為についての力と意志の二元論的見方が潜 んでおりそれが問題の根源をなしていると理解 する。この二元論は自由主義思想の中にも含ま れており,従って倫理と政治の関係,政府の活 動の範囲,権力の性格,といった問題の考え方 に影響を及ぼしているのである。 グリーンにおける力と意志の二元論がどこか ら生じるかと言えば,別稿で触れたような馬入 像,つまり,独立の所与的自我を持つ存在とし ての個人の捉え方,あるいは道徳を行為者自身 24) Green, T. H., Lectures on the Principles of Political Obligation, p.96. の特性のみによって理解しようとする倫理学の 考え方である。個人は「自分自身の孤立した意 識の内部で」認識や動機づけや選択をなす,だ から,個人の意識は「単に内的なもの」,「環境 とのかかわりを持たずにそれ自体で完全であり うるもの」と見なされる(Lec.,420)。他方,力 は外的なものであり,力の行使は意志に対して 外から及ぼされる制限であると理解される。か くして,力と意志は対立するというわけである。 これは「内的と外的,主観と客観」を対立的に 想定するのと同じ「形而上学的二元論」の現れ である。 しかし,別置で述べたように,個人を独立の 実体的存在としてではなくて,絶えざる再構成 の過程として見るという進化論的な観点によれ ば,個人は真空の中で生きているのではなく, 様々な諸力が働いている世界の中で行為すると 理解される。だから意志は行為において実効的 に機能するためにその実現に必要な力ないしそ の行使を含まなければならない。つまり,意志 は目的実現の手段として力の要素を本質的に持っ ているのである。かくして力は意志にとって外 的なあるいは制限的なものであることをやめて 目的実現の手段としてポジティヴな意味を持つ と見なされる(Lec.,411−412)。このように力 と意志の二項対立的な見方が否定されると,従 来の自由主義思想の権力の見方に変更がもたら されることになるであろう。 3. 国家権カー元論批判 前節で述べたように,デューイはオースティ ン主権論の検討を通じて国家権カー元論への批 判を行っていた。力と意志の二元論を批判する ここでの問題観点からも国家権カー元論的な見 方への次のような批判が生じてくる。 行為における力と意志の二元論的想定が間違 いだとすれば,力の行使は特定の社会機関,つ まり政府に限定される事柄ではないことになる。 25)前掲拙稿(1998)。
主権論の再構成一デューイの政治思想の形成(続)一 (小西 中和) 一35一 様々の集団において社会的な目的が実現されて いるとすれば,そこには何らかの力の行使が常 に存在している考えられる。すなわち,家庭, 学校,会社といった非政治的と呼ばれるあらゆ る集団の活動において「政府によって行使され るのと同じような直接的また物理的なタイプの 力の行使」が含まれているのである(Lec,,413)。 とすれば,力の行使,つまり主権の作用を政府 という特定の制度に限定して考えることは「ほ とんど奇怪なこと」になる。従って国家権カー 元論的見方は否定されるべきなのである。政府 を含めて社会における諸集団は「主権の道具な いし機関」と見なされる。だから,あらゆる力 の行使がそれらを通じての主権の作用と理解さ れるのである。このように考えることによって, 国家に強制的権力の行使を独占させ,それに非 政治的な自主的集団の非権力的活動を対峙させ るという自由主義の二元論的な見方は成り立た なくなるとデューイは指摘するわけである。で は政府の特性はどのように把握されるのであろ うか。 社会における集団は主権の機関として一定の 機能を果たしつつ存在する。政府は主権のひと つの機関にすぎない。だから,主権を政府と同 一視すること,換言すれば,権力の行使を政府 に特定化する見方は間違いである。力の行使に 関して政府と他の諸集団の間に原理的な違いは ない。あるのはその具体的な方法・手段におけ る違いだけである。それは政府による力の行使 の主たる方法として「直接的なまた物理的な強 制力」,つまり暴力的手段の使用の権利が留保 されていることに見いだされる(Lec.,414)。こ の違いは主権の機関としての政府の持つ特性, つまり他の諸集団との性格の違いに基づいてい る。ではその違いとは何か。 主権の機関としての政府の特性は,力の行使 を独占することではなくて,他の様々の諸集団 の中で作用している諸力の方向が相互に調整さ れる促進手段として機能することである(Lec., 415)。内容的に見れば,家庭や企業など他の諸 集団がそれ自体で「一定の究極的な目的」を持っ ており,その具体化を表現しているのに比べて, 政府は目的それ自体とは言えない。その意義は 手段的ということにある。極端に言えば,政府 を持つことは「便宜性の問題,効率の問題」で ある。つまり,それは「他の諸集団の適切な相 互作用を促す機構にすぎない」ということであ る。だが他方で,形式の面からみれば,政府は 他の諸集団に比べて「一定の卓越性」を持って いることが強調されねばならない。すなわち, 政府は社会において生じる緊張との関連で「社 会的意識の方向づけを表現する」ということで ある。 ところで,諸集団の相互作用の全体に対する 政府による意識的方向づけは常に行われるので はない。それらの相互作用自体の「自然的な活 動」にできるだけ委ねることが望ましいと考え られ,るからである(Lec.,416)。しかし,そこで 生じてくる緊張が放置されれば,社会全体の解 体にまで行きそうな場合,政府は「より重大な 社会的衝突を予見し防止する」という観点から 社会的馬力の全体についての現状把握とその進 むべき方向を示すという役割を担うのである( Lec.,424)。個々の諸集団のレヴェルでの機能 遂行ではなくて,それらの連繋としてある社会 全体の動きを維持することに政府の特性がある。 つまり,本来的には二次的で道具的であるはず の政府が一定の卓越性を持つことの根拠がここ に見いだされるのである。そしてそのことが政 府による力の行使の特殊性一暴力的手段の使用一 をもたらすのである。これはデューイがオース ティン主権論の検討から引き出した主権におけ る確定性の要素を政府と結びつけ,その意義一 最終的な政治的決定機関の明確化一を強調した ことに関連していると言ってよいであろう。 では,諸集団の自由な相互作用と政府による その方向づけの境界はどのように考えられるの か。換言すれば,政府の活動の範囲はどのよう にして見いだされるのか。デューイによれば, それを前もって規定する試みは望ましいことで