平 勝廣 『最終決済なき国際通貨制度−「通貨の商 品化」と変動相場制の帰結−』 (日本経済評論社 ,2001 年2 月)
著者 川本 明人
雑誌名 同志社商学
巻 53
号 2‑3‑4
ページ 107‑117
発行年 2001‑12‑15
権利 同志社大学商学会
ドウシシャ ダイガク ショウガッカイ
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000007223
《書 評》
平勝廣『最終決済なき国際通貨制度
── 「通貨の商品化」と変動相場制の帰結── 』
日本経済評論社,2001年
2
月川 本 明 人
Ⅰ
20世紀末は東西冷戦対立の終焉とともにグローバリゼーションが急速に進んだ時期でもあっ た。経済の市場化が浸透し,通信・情報処理技術の発達が資源や情報の国際的移動を容易にし,
各分野で効率性を求める競争がグローバルに展開された。とくに金融分野においては大型金融機 関の再編が繰り返され,業務規制の緩和や金融商品の新開発の動きと相俟って,金融投機化現象 がいっそう顕著になった。そうしたなか,国際金融市場においては国際通貨危機が頻発し,メキ シコ,アジア,ロシアと次々に伝播していった。これらは通貨・金融のグローバルなリンケージ と,国際金融システムの脆弱性をあらためて認識させた。
今日,アジア通貨危機を経て21世紀型金融危機への対応と国際金融システムの改革が,国際 機関や学界においてさまざまな角度から議論されている。平勝廣氏の本書は,そうした喫緊の課 題に応えるための理論的視座を確立し,国際通貨の本質と国際金融システム改革の方向性を展望 した硬派の研究書である。
本書には,著者のこれまでの長年にわたる通貨・金融理論の研究成果が凝縮されている。著書 によれば,本書のねらいは「現行の国際通貨制度を,歴史的なパースペクティブのなかで,理論 的に分析し,その特質を解明すること」にあり,それは「最終決済なき国際通貨制度」と「通貨 の商品化」というキーワードで表現される。そしてそのための視点として,貨幣論的アプローチ と信用論的アプローチの相互補完的な理解を強調している。とくに変動相場制移行後において,
通貨が根本的に変質し,通貨の貨幣性が大きく揺らいでいる点を明らかにすることが,本書を貫 く課題となっている。
本書全体の構成は次のようになっている。
第1編 国際通貨の基礎
第1章 外国為替取引とは何か−外国為替における信用関係−
第2章 外国為替・貨幣取引資本・貨幣信用−銀行信用は外国為替制度の成立要件か−
第3章 外国為替相場−その複合性と本質−
第4章 国際通貨の貨幣的基礎−「信用論的国際通貨論」の検討−
第2編 変動相場制下の国際通貨
(257)107
第5章 「最終決済なき国際通貨制度」と「通貨の商品化」−変動為替相場制の帰結−
第6章 1980年代日本におけるバブルの発生とその背景
第7章 国際通貨制度改革問題の射程−ガットマンの改革構想とその意義−
第8章 国際金融制度の構造強化の取り組み−急浮上した国際通貨・金融制度改革−
まず,各章ごとに内容を要約しておこう。
Ⅱ
第1編第1章では,これまでの外国為替論争をサーベイしながら,外国為替取引の基本規定を 貨幣取引との関係で明らかにしている。著者によれば,1970年代以降の変動相場制下で,ドル が事実上の基軸通貨としての地位を維持したことから,外国為替研究が再び活発になった。主流 は信用論的外国為替論であり,信用論的国際通貨論であった。これに対して著者は,外国為替制 度の基本規定を貨幣取引の枠内で与えるべきだとし,その上で信用制度との結びつきを解明すべ きであるとする。そして川合一郎氏に代表される「為替信用代位説」と木下悦二氏に代表される その流れを組む諸説,さらにそれに対する批判的諸見解が俎上にのせられる。
その際,著者の独自な観点となるのは貨幣取引上の信用関係と貸借的信用関係の区別である。
とくに債権債務関係が必ずしも貸借取引ではないことを強調し,預金取引を例にとって,これは 貸借取引ではなく本来貨幣取引に属する消費寄託であると指摘する。そして,外国為替取引のう ち,送金為替取引は金銭移送を伴う特殊な消費寄託であり貨幣取引であること,また取立為替も 同様に貨幣取引であり,なかでも期限付為替手形は商業信用が化体されたもので,本来の為替取 引はあくまで決済期日以降の貨幣流通上の技術操作であることを強調する。かくして,外国為替 取引が貨幣取引であることは揺るぎない論点となる。外国為替の生成の歴史を振り返っても,一 覧払貨幣手形による送金為替取引から期限付貿易手形の売買へと発展するなかで,為替取引と貿 易金融(銀行信用)が密接に結びついてきたことが明らかにされる。
第2章では,第1章の展開を受けながら外国為替制度の成立には信用論的展開が不可避である という「信用論的外国為替論」の問題点がより根源的に提起される。とくに,外国為替相場の形 成に必要な要件が送金為替と取立為替の分離であり,このため外国為替制度は信用取引と結びつ くという木下悦二氏の問題提起に反論する立場から応えようとしている。
歴史的にみると,まず中世において委託販売制度が普及したが,ここで委託商によって振り出 された支払指図書が一覧払外国為替手形として貨幣取引業者(外国為替業者)に買い取られた。
この際,銀行信用さらには商業信用といった信用取引は捨象され,貨幣取引業者は相殺による貨 幣節約技術を用いながら,現金取引としての国際的貨幣流通を媒介する役目を果たした。貨幣取 引業者は遊休化した資金を預金等で受け入れながら自己資金とあわせて貨幣資本取引を行う。外 貨および邦貨形態の為替資金に基づき,自己の勘定で為替取引を営む貨幣取引業者が介在するこ とによって外国為替制度が成立するというのである。この貨幣取引業者は為替資金調整操作を行 いながら,為替裁定取引や為替投機取引を加えて外国為替需給の短期的不均衡を調整する。そし
同志社商学 第53巻 第2・3・4号(2001年12月)
108(258)
て最終的には世界貨幣=金現送により,一国全体の国際支払差額の決済が行われるということを 指摘する。
以上を前提にして,外国為替取引が貨幣信用と結びつくことを説く。とくに荷為替信用制度 は,引受信用(信用状開設)と割引信用(手形買い取り)という銀行信用が外国為替取引と結合 した貿易決済制度であるが,これをもって外国為替制度が銀行の信用取引と一体化しているとは 言えないというのが著者の論点である。
第3章では,外国為替相場の原理的解明へと主題を広げる。為替相場の本質についてはこれま で為替利子説や手形価格説,両替相場説,金平価説,金現送費転嫁説等が出されたが,著者はこ れらが一面的であり,為替相場は本来多面的で複合的な概念であるとする。著者はまず金本位制 を前提に,為替相場は外国為替の売買価格であることは当然であり,かつ金現送費節約のために 行われるわけであるから,為替相場は「国際的貨幣流通空費の節約手段としての外国為替の売買 相場として形成される『異種通貨の交換比率』である」と規定する。
戦後のブレトンウッズ体制下でも形態的には金本位制の為替相場の本質と変わるところはな い。だが内実は,平価や変動幅が当局によって人為的に決定され,同時に国際収支の安定とイン フレ抑制が要求されるという,金本位制とは大きく異なる側面を有していた。さらに変動相場制 になると,国際的貨幣流通費節約という意義が薄れ,外国為替の売買という形態が自立化した。
外国為替取引の「売買取引化」,金融取引の「売買取引化」の傾向である。とはいえ,外国為替 取引は依然として貨幣取引である以上,通貨の交換比率という意味も失われてはいない。問題 は,変動相場制においては通貨そのものが根本的に変質しているということであり,こうして本 章の為替相場論は通貨の現状を問う本書後半への架け橋となる。
第4章では,これまで述べられてきた外国為替論を前提に,国際通貨論へと議論の対象を移 す。ここでも著者は「国際通貨の貨幣的基礎」を追う。国際通貨論は金ドル交換停止後のドルを どう理解するかで,手法が大きく二つに分かれた。一つは,従来型の貨幣論的アプローチであ る。金との交換性停止後の「ドルの流通根拠」を,通貨当局間の「暗黙の了解」や「強制通用力 の国際的適用」に求めたりしたが,説得的なものとは言い難かった。
これに対して木下悦二氏や深町郁彌氏が主張した「信用論的国際通貨論」は,「信用論的外国 為替論」を基礎にして展開されたもので,多くの支持を集めながら為替媒介通貨論等の理論的発 展を見た。本章ではこの木下,深町両氏の「信用論的国際通貨論」を「国際通貨の貨幣的基礎」
から批判することを主眼とする。
まず,木下氏の国際通貨論である。国際通貨を信用貨幣の一種としながら,国内の信用貨幣や 世界貨幣とは異なった独自の範疇であると主張する木下氏は,自らの外国為替論を基礎にして国 際通貨を特定国に対する当該国通貨建て流動債権であると規定する。その際,木下氏の基底にあ るものは貿易決済通貨としての機能である。すなわち,荷為替信用制度をベースに,特定中心国 通貨建て為替手形が第3国間取引を含む広範な決済手段として利用されることが,国際通貨成立 の条件であるとするのである。
一方の深町氏は,木下氏の外国為替および国際通貨論の展開を基本的枠組みとしながらも,従 書評:平勝廣『最終決済なき国際通貨制度』(川本) (259)109
来の通貨制度論から決別した「新しい国際通貨範疇」を確立しようとした。そのため,国際通貨 を私的国際通貨(銀行間の相殺取引において支払手段として機能する銀行名義の当座預金残高)
と公的国際通貨(確定金交換による金価値保証のもとで機能する介入および準備通貨)の二つに 区分する。ただ,あくまで基底は銀行間取引通貨として機能を果たす私的国際通貨であり,ここ から取引通貨レベルでの国際通貨多様化が説かれる。こうした深町氏の国際通貨論を著者は「金 融市場論的国際通貨論」として厳しく批判する。すなわち,深町氏の国際通貨論は,木下氏の貿 易媒介通貨論を為替媒介通貨論へ発展させる道を拓いたものであるが,私的国際通貨の生成・流 通が貨幣性と無関係に論じられ,また公的国際通貨が私的国際通貨にとってもつ意義の評価が抑 制的なものになっているという問題点を指摘する。ただ,深町氏は後者の点について,ポンド・
スターリングとドルとの国際通貨の違いとして説明をしている。すなわち,ドルの場合はポンド と違って,「上からの操作」によって介入通貨および準備通貨という公的国際通貨として使用さ れたことがその基軸通貨化の必要条件であったとするのである。言い換えれば,ドルはIMFと いう国際通貨制度と関連させて説かれており,このあたりが深町氏の見解を曖昧にもしている。
両氏の国際通貨論は,説得性を失いつつあった「国際通貨=金代理」説に対し,外国為替に基 礎をおいた独自の理論体系として,現実を積極的かつ論理整合的に説きうる構成を持っていると 著者はまず評価する。その上で,両氏のように国際通貨を,それを支え規定しているはずの制度 的枠組みから切り離して論ずると,歴史的段階的に変容してきた国際通貨制度=貨幣制度が問題 の外に追いやられ,貨幣的な問題は棄却されてしまうと批判するのである。
Ⅲ
第2編第5章は,変動相場制の特徴を国際流動性の議論を手がかりに規定しようとしたもので ある。本書の表題とされた「最終決済なき国際通貨制度」の意味が綿密に組み立てられ,本書の 中心部分をなす章となっている。著者はまず,国際流動性を国際通貨準備に対外支払手段を調達 する能力を加えたものと定義しながら,調達能力を具体的に算定するのは至難の業であると指摘 する。
そして戦後,IMFを中心に国際流動性供給問題が議論されてきたが,トリフィンの有名な国 際通貨ドルの「流動性ジレンマ論」が提示されるなかで,国際流動性の追加的手段としてSDR 創出などが議論された。しかしその後流動性は増加の一途をたどり,変動相場制移行後は流動性 問題は次第に議論からはずれるようになっていった。すなわち,変動相場制では資本の国際的移 動が高まり,公的国際準備が不足すれば借入によって,また過剰になれば資本流出放任によって 流動性制約はなくなったと解釈する。すなわち流動性概念の内生化,消滅である。
ここで著者は消滅したとされる「資産決済の原理」,その意義の解明を行う。著者によれば
「資産決済の原理」とは債権債務の支払決済は必ず債権者・債務者双方の資産で行わなければな らない,すなわち,通貨の発行者または国家が国民通貨に化体した債務の支払履行に資産で応じ るということである。これは最終決済手段としての貨幣の存在根拠であるとも位置づけられる。
同志社商学 第53巻 第2・3・4号(2001年12月)
110(260)
金本位制では金が対内的,対外的な最終的支払手段であった。また,不換の国民通貨が国内で流 通するブレトンウッズ体制下では,アメリカドルの公的金交換性が資産決済の原理貫徹の要石と なっていた。しかし,変動相場制では本来の交換性の規定であった固定レートではなく,変動レ ートで交換される。これは「譲渡性」(=交換不能)ともいうべきもので,基本的には変動相場 制の世界では,公的交換性通貨が存在しない,すなわち,対外的には最終的な決済の仕組みが存 在しないと理解される。国民通貨は発行国の債務であり,従って原理的にはいっさいが「債務の 交換」として決済がなされていることになる。そのため,各国は自国通貨の決済可能性の維持,
すなわち為替相場の安定性を維持する必要があるのである。
しかし,ドル基軸通貨体制が維持される限りその他諸国による決済は引き続き「資産」で行わ れるのに対して,基軸通貨国アメリカは自己宛債務たるドルで決済されるという非対称性は存続 し,同時にアメリカの国際収支節度遵守の仕組みは失われたままである。決済尻のつけ回しによ る最終決済の繰り延べとも表現できる。これを通貨面から言うと,「通貨の商品化」,そして通貨 とその他の非通貨金融商品との境界の希薄化ということになる。
こうした「通貨の商品化」が何をもたらしたかが,本章の最後で説かれる。著者はこれを次の 3つの点にまとめている。すなわち,第1は,為替相場が変動することでいわば価格換算基準の 機能が危うくなっていること,第2は,通貨自身が変動価格を持つことからそれが一種の商品と 化し,一般的な価値蓄蔵手段がなくなったこと,さらに第3は,流動性が内生的,弾力的になっ たことである。これらの3点から,要するに最終決済なき変動相場制下では,通貨の商品化がす すみ,資本主義経済に必要な価値尺度の固定化,価値蓄蔵手段としての機能が損なわれ,経済の 投機化と不安定性が進んだのである。最終決済のための手段と仕組みの欠如が通貨の商品化を生 み,これが今日の資本主義の浮動性と不確実性に満ちた経済システムを作ったというのが著者の 結論である。
第6章では,日本のバブル経済の形成と崩壊が,変動相場制への移行から始まる国際通貨・金 融制度の構造変化と密接に関連していたことを説き,バブルを引き起こした要因を分析すること を課題としている。著者によれば,信用創造,資産投機,資産価格の高騰という3者が相互に内 的に結びついたことがバブル発生の条件であった。株価上昇や地価上昇は1980年代半ばから始 まった企業の外部資金調達とその金融資産での運用の拡大が絡んでいること,すなわち,企業の
「財テク」資金が株式市場や不動産市場に流入していったことがまず説かれる。さらに地価,株 価の上昇を支えたのが銀行の信用創造による投機資金の供給である。そして市中銀行の信用創造 を支えた日銀の超金融緩和政策にも目を向ける。プラザ合意以降ドル相場安定のための協調介入 とアメリカの高金利,日独の低金利が進んだ。1987年のブラックマンデーを経て世界は金利引 き上げへと向かったが,日本が公定歩合を引き上げたのは1989年のことで,それまではハイパ ワードマネーの潤沢な供給を支えた超低金利政策を行った。バブルの膨張と崩壊は資産価格の変 動をもたらしたが,これは金融システムの不安定性を大きく助長した。固定相場制にあった対外 均衡維持に向けての強制作用も失われ,バブル経済はまさに変動相場制下での市場システムが投 機で蔓延していく中で発生したものであると結論づけている。
書評:平勝廣『最終決済なき国際通貨制度』(川本) (261)111
第7章では,これまでさまざまに提案されてきた国際通貨制度改革案が検討される。著者によ れば,国際通貨制度改革案は,為替相場を国際調整手段と見なす国際調整アプローチから,諸国 の政策運営の枠組みや為替相場の安定を重視する貨幣標準アプローチへと移っていった。本章で は,その中で本格的な国際通貨制度改革案としてR.ガットマンが提示した超国民的信用貨幣
(Supernational Credit Money : SNCM)構想に着目し,これを検討しながら国際通貨制度改革の方 向が模索される。
ガットマンの超国民的信用貨幣構想は,特定国信用貨幣が基軸通貨として使用されていること に問題の根源を求めることから始まっている。そして,国民通貨は国内流通に限定し,国際取引 はニューメレールとして機能するSNCMという国際通貨によるという構想を提案する。この SNCMは信用貨幣という貨幣形態を維持し,国際的公的コントロールのもとにおかれて国際通 貨制度における対称性を回復するというのである。すなわち,SNCMを発行するのは,世界中 央銀行としての役割を果たす国際貨幣機関(IMA)であり,各国は国際支払決済のための準備金 勘定をここに開設する。国家間の支払決済はSNCM勘定の貸借記帳という方法で行われる。
こうしたガットマンの構想にたいし,著者はまずSNCMの価値が何らの価値物によっても規 定されておらず,これではSNCMは単なる計算単位あるいは呼称単位であり価値基準とは言え ないと批判している。次に,著者はガットマンのSNCMとこれまで提案されてきた超国民的貨 幣構想(バンコール,SDR, ECU)との比較検討を行ったあとさらに踏み込んで,ガットマン構 想の核心を,今日のような私的銀行貨幣形態の国際通貨を廃し,国際通貨の供給を公的コントロ ール下(国際流動性の一元的な創出管理体制)におくことを提案しているものと整理する。これ は1930年代の「100% マネー」の国際版とも言え,またナローバンク案の流れにも属すると著 者は特徴づける。
ガットマン構想は,著者によれば実現性という点では困難であるが,第1に国際通貨体制の非 対称性の問題,第2に,民間銀行による国際流動性の創出機能=内生的供給の問題という現代通 貨制度がかかえる問題に対する解決の方向性が示されている。まず,国際通貨国とその他の国と の非対称性を除去するためには,SNCMのような超国民的国際通貨の創造が必要であるという認 識である。また,変動相場制の今日,通貨供給や為替相場が不安定化している現実を回復すべく 内生的供給を排除していく取り組みも一国レベルでは不可能であるという視点である。ガットマ ン構想を詳しく分析し,そこから評価すべき点を見いだそうとする著者の意図は,それが「最終 決済なき国際通貨制度」という現代国際通貨制度の問題認識と相通ずるところがあるからである。
第8章では,1990年代半ば以降にIMFや他の国際機関によって進められた「国際金融制度の 構造強化」の取り組みが紹介される。そして,①情報公開の整備・促進,②国際的あるいは各国 の公的な監督の強化,③金融危機の防止と解決への民間部門の取り組み,④国際的な「最後の貸 し手」機能の強化,という4つの点から国際通貨・金融制度の安定性が問われる。そして,それ ぞれに課題があり,またこれらが現行の国際通貨制度そのものの改革までには及んでいないこと を指摘しながら,「最終決済なき国際通貨制度」がもたらした「通貨の商品化」をどこまで押し 返し,「通貨の貨幣性」が回復できるかどうかがポイントとなると結論づけている。
同志社商学 第53巻 第2・3・4号(2001年12月)
112(262)
Ⅳ
本書を貫く著者の問題意識を一言で言えば,通貨の貨幣性,貨幣の意義,貨幣の存在意味を国 際通貨体制の変遷の中で確認することであろう。そしてこれまで概略述べてきたように,本書第 1編として外国為替論および国際通貨論における貨幣性を確認し,第2編として国際通貨制度に おける通貨の商品化の問題と貨幣性の意味をテーマとして論述している。
そもそも国際通貨として国民通貨が使用される場合,その流動性の供給と決済には工夫を講じ なければならない問題がある。これは国際通貨国と他国との非対称性問題でもある。たとえば外 国為替市場の介入を考えた場合,他国が国際通貨である外貨準備で介入することから,国際通貨 国アメリカにとっては為替相場決定が受動的になる。また,国際収支決済の場合,著者が述べて いるように,他国は赤字決済をドルあるいは金といった準備資産で決済するのに対し,アメリカ は自国通貨の支払いによって,すなわちさらなる負債の増加という形で決済できる。民間レベル ではこれがそのまま金融機関に滞留して過剰化する。また,公的部分においても政策的にこれが 凍結され続けた。ブレトンウッズ体制下であれば,そうした公的部分のドルは金交換性を保証さ れていたことから,金交換されればアメリカもまた金という資産で決済を完了していた。これが 著者のいう最終決済である。しかし,金交換性が停止された変動相場制ではこのメカニズムを失 い,資産の価値保証が喪失してしまっている。これが通貨の貨幣性をあらためて問い直すべきで あるという著者の問題提起になっている。
しかしながら,研究の潮流はこのようには進まなかった。信用論的枠組みのなかでの外国為替 原理の理解,それを基底とした国際通貨のコルレス勘定ないし当座預金としての範疇規定,外国 為替市場の取引動向や外国為替取引技術を論拠にした為替媒介通貨論の展開──これらが抽象化 され理論化されて行くにつれ貨幣問題が希薄化し,貨幣の意味や役割が曖昧になり,現実の通貨 制度が抱える課題への根源的接近を困難にしてしまう傾向が出てきた。著者の訴えたかった点 は,まずもってこうした研究手法から導かれる議論が,貨幣の本質や今日の通貨制度の根底にあ るものを見失わせてしまっているということである。ある意味では,本書の意義は,正統的な立 場からの国際通貨理解の復権と貨幣論への回帰を提唱したものとも言える。
以下,本書の内容について外国為替論,国際通貨論,国際通貨制度改革論に関し,評者なりの 観点からコメントを付け加えておく。
Ⅴ
まず,外国為替論についてであるが,我が国における為替相場の本質や外国為替取引の原理を めぐる論争は,すでに1931年の金輸出再禁止後の「為替インフレ」論争から派生して生じてい る。為替相場の下落がインフレーションの原因となるかどうか,つまり紙幣増発によるインフレ と異なる範疇が存在するかどうかという議論であったが,ここで事実上の価格標準切り下げとい 書評:平勝廣『最終決済なき国際通貨制度』(川本) (263)113
う概念とともに為替相場の本質に議論が向かう端緒が作られた。戦後インフレの過程で論争は再 燃し,為替相場の本質論として著者が第1章で言及している川合一郎(為替利子説)・小野朝男
(手形売買価格説)論争が開始された。その後,木下悦二氏の信用代位説の精緻化や村岡俊三氏 の国際商業信用という概念の定立など,外国為替論はもっぱら信用論範疇で理論化する動きが目 立った。さらに1970年代になると,金交換性を喪失したドルの性格をめぐって国際通貨論争が 活発になり,この国際通貨の規定を,信用論的枠組のなかで組み立てられた外国為替理解と絡め ていく手法が,深町郁彌氏や片岡尹氏をはじめとして広がった。さらに,1980年代には国際通 貨の諸機能の実証分析がなされるようになり,貿易取引通貨や資本取引通貨の多様化と為替媒介 通貨の一元化という議論から,国際通貨はますます外国為替市場の取引形態から展開されるよう になった。かくして,外国為替論争は外国為替取引技術の理解と解説に力を費やしながら国際通 貨論争へ埋没し,そこへ解消されて行くような様相を呈した。しかし1990年代になって国際通 貨危機の発生,外国為替市場の変貌,金融投機化と国際資本移動の大量化のなかで国際通貨改革 の議論が活発になるにつれ,旧来の国際通貨に関する論理展開の問題点が大きく浮かび上がって きた。著者の論理は主流的な見方とは異なり,外国為替取引を貨幣取引と規定し,為替信用代位 説の信用取引概念を批判していくものであったが,上述のような様々な問題が噴出している世紀 転換後の今日にあって,改めて貨幣や通貨の意味,国際通貨の展開方法に関して意義のある問題 提起となっている。
外国為替の本質論を展開した第1章は,外国為替理論の領域で鮮烈な印象を与えた著者の1978 年の論文(タイトルも同じ,『同志社商学』第30巻第1号,所収)をベースに加筆補正されたも のである。ここで議論された外国為替の本質論争は,やがて変動相場制下のドルの役割をめぐる 問題として国際通貨論争へと昇華していく。著者の基本的観点は当時の論文のものと変わらず,
貨幣取引を重視する著者の立場から学ぶことの多かった評
1
者からすると,著者の論点は非常に説 得力があると言える。
外国為替論および国際通貨論は,不換銀行券論争,「不換ドルの流通根拠」論争を経て21世紀 入り口での総括をする時期に来ている。著者も1970年代における論稿をベースに1990年代に書 き足した3, 4章を加え,その論ずるところの正当性と妥当性を現時点で問うている。そうであ れば,第1章や第2章で議論された諸説に対して今日の段階からみた評価基準が示されれば,よ り説得的な論点が提示されたのではないかと思われる。確かに,後段の国際通貨論や国際通貨制 度改革案で今日の国際金融情勢をとらえる基本的な観点は示されるのであるが,外国為替の本質 論争自体も国際通貨論争と並行しそれと混在しながら種々の新しい観点が提起されてきてい
2
る。
────────────
1 評者の外国為替論および国際通貨論については,川本明人「外国為替取引と信用−貨幣取扱資本との関 連で−」『経済科学』第27巻第3号,1980年2月,および「為替媒介通貨をめぐる論点」『修道商学』
第36巻第1号,1995年9月,参照。
2 外国為替論や国際通貨論に関し本書で著者が言及している文献以外に,次のようなサーベイ論文によっ て今日までの論争動向がつかめるので参照されたい。徳永正二郎「国際通貨・ドル本位制・変動相場制
−為替論争の理論的・現代的課題は何か−」『経済学研究』第54巻第6号,1989年2月,山本栄治
「国際通貨論争のサーベイ」『「ドル本位制」下のマルクと円』日本経済評論社,1994年,補論所収,海 保幸世「『国際通貨』をめぐる理論動向」『金融経済研究』第10号,1996年1月,徳永潤二「為替媒
同志社商学 第53巻 第2・3・4号(2001年12月)
114(264)
外国為替の本質を論争史から位置づけるのであれば,論文発表時以降の諸説についても本書でサ ーベイを加えて補うことができれば,著者の観点がより明確になっただろうと思われる。
さらに言えば,今日,外国為替取引は銀行間市場でも対顧客取引でも大きな変容をみせてい る。エレクトロニック・バンキングの普及で貿易・金融取引のなかにEDI(電子データ交換:
electronic data interchange)のシステムが急速に入り込んでいる。信用状や船積書類のペーパーレ
ス化が進み,手形等の役割も大きく変わりつつある。荷為替信用状に基づく取引も世界で必ずし も一般的なものではなく,現に日本でも比率は少なくなっている。電子マネーやeコマースの 登場で貨幣の存在形態や決済の仕組みが多様化しているが,これが本質規定を大きく変えるかど うかは議論があるところである。外国為替取引においても銀行間市場の膨張やスワップ,先物オ プションの増加,国際資金取引の電子化が著者の理論化した外国為替取引の本質を直ちに変質さ せるわけではないだろうが,貨幣取引か信用取引かという大きなテーマが議論されたわりには,
ベースとなっているのが中世ないし19世紀型の単純化された国際貿易決済モデルであるという 印象が強い。
Ⅵ
次に,国際通貨論に関しても一言しておこう。木下=深町氏らの国際通貨範疇の確立,それに 続く一連の為替媒介通貨論等は,著者の言うように銀行間外国為替市場の取引技術に国際通貨問 題を還元してしまったと言える。これに対して著者は国際通貨制度の枠組みから,貨幣論を対置 して,とりわけ変動相場制移行後の通貨体制の特徴を,資産決済原理の消滅,債務交換としての 決済,そして最終決済なき国際通貨制度と規定した。同時に「貨幣性」を保持した通貨こそ国際 通貨であるという視点が示された。外国為替取引や預金通貨,金融市場と絡めて説かれる国際通 貨論が一般的ななかで,あえて貨幣の原理的意味から国際通貨論を構成していこうとする著者の 意図は,その丁寧な叙述により十分に説得力を持つ。
ところで,債務決済というシステムを許容し,国際通貨であるドルの相場を安定させるために さまざまな国際協調が行われてきたのが変動相場制の歴史である。貨幣主権を持つ国家の役割,
そして国家間の協調は国際通貨問題のなかではむしろ基本的な構成要因の一つと理解すべきであ る。ドル相場維持のために,国際金融協力や政策協調の枠組みがサミットやG 7などの先進諸 国会議で形成され,ドルを介入・準備通貨として保有してドル相場を安定させてきた。市場原理 の背後には,実はアメリカを中心とし,さらに主要国を巻き込んだ国家群が主導的役割を果たし ていたのである。
為替相場安定メカニズムを有していたとされる国際金本位制下の国際通貨ポンドに関しても,
金本位制が持つとされる自動調整作用の裏に,イングランド銀行による金利操作の役割が大きか ったことを想起すべきである。ポンド=スターリングを基軸通貨とする国際金本位制は,世界の 工場,世界の銀行としてのイギリス国家の覇権があったことは言うまでもない。
────────────
介通貨論と準備・介入通貨論(上)(下)」『立教経済学研究』第52巻第3, 4号,1999年1月,3月。
書評:平勝廣『最終決済なき国際通貨制度』(川本) (265)115
さらに固定相場制を協定として定めたブレトンウッズ体制=IMF体制では,金本位制のシス テムを擬制しながら,アメリカの覇権を背景に国際通貨ドルが世界に撒布された。ドルの金交換 性を基底にしながら,為替介入,財政・金融政策による景気循環のコントロールと過度なインフ レへの抑制を行ったのが管理通貨制度であった。そうした国家の経済過程への積極的介入を容認 しながら通貨体制としてドルを基軸とする人為的な固定相場制が作られたのである。同時にアメ リカの自由貿易体制,政治体制,軍事体制を確立していくいわゆる戦後体制構築のための戦略と しても,IMFを構想しドルを基軸通貨に据える意味があった。そこにはパクス・アメリカーナ を維持するために国家間の協力が様々な形で必要とされた。
変動相場制では一見国家は後景に退いた感がある。システムを民営化し,市場原理,競争主義 が前面に押し出され,システムなきシステムと言われた。しかし,この後もドルは国際通貨とし ての役割をさまざまな部面で果たし,これにより世界経済秩序がまがりなりにも維持されていっ た。そのためには,前述したようにドル相場を維持し,信認低下を防ぐための通貨政策が,国際 的な協力体制のもとで必要であったのである。また,EUでのユーロ導入と浸透は,ヨーロッパ 通貨同盟におけるECUやマルクの役割の延長にあるとはいえ,国家間の思惑と攻防の末の結果 でもある。
かくして国際通貨は信用論・金融論の領域に加え,すぐれて政治経済学的な,国家論と密接な 関係を持つ範疇と言える。国際関係におけるヘゲモニー(覇権)問題,「構造的権力」(S.スト レンジ)などの文脈から国際通貨論がアプローチされるゆえんである。レギュラシオン学派の一 人であるガットマンに着目した著者は,国家の貨幣主権が今日侵食されているという認識も示し ている。著者の見解は,さらに国際通貨と国家の問題として掘り下げられていくべきであろう。
もう一点付け加えておけば,国際通貨は公的レベル,民間レベルを問わず,いわばそうした利 用者の間で規模の経済が働き,それによる利便性が認識されるとさらに拡大していくという慣性 の法則を持っていることはよく指摘される。同じ通貨制度,同じ通貨の使用の広がりをネットワ ークの外部性ととらえ,多くの国家や経済主体がこれにより利益を享受することをアイケングリ ーンは指摘してい
3
る。そしてかならずしも国際通貨国のファンダメンタルズとは一致しない形で その国の通貨が使用されていく。いずれにしても,「金融市場論的国際通貨論」に対置されるべ き国際通貨の分析視角は,さまざまな方向へと広がりをもつはずである。
Ⅶ
総じて言えば,著者の問題関心である貨幣の意味が,いまさまざまな角度から問い直されてい る。国際通貨問題に関し,国際政治経済学の立場から発言してきたベンジャミン・コーヘンは,
次のような問題を投げかけている。すなわち,これまでの伝統的な「一国家一通貨」という考え を「ウェストファリア・モデル」と呼び,これに対して現実の地理空間における通貨のあり方を
「通貨の脱国境化」という視点からダイナミックに描いてい
4
る。技術革新と規制撤廃による金融
────────────
3 B.アイケングリーン・高屋定美訳『グローバル資本と国際通貨システム』ミネルヴァ書房,1999年。
同志社商学 第53巻 第2・3・4号(2001年12月)
116(266)
グローバル化は使用通貨の選択の幅を広げ,世界金融システムの地理を激変させたというのであ る。先には国際通貨問題における国家の役割を指摘したが,これは通貨が国家の枠組みを超えて 一人歩きしていく現状を理論化したものである。現実には,アジア通貨危機をきっかけに注目さ れている通貨準備制度であるカレンシーボード制,南米等に広まりつつある国民通貨からドルへ のシフト(ドラリゼーション),EU圏外におけるユーロ使用の拡大の動きなどである。同時 に,こうした脱国境化=通貨の無国籍化の対極で,いわゆるエコマネー論も台頭してきている。
これは国民経済を単位とせず,地域=コミュニティ内部の使用というきわめて限定された空間と 使途における「通貨」の発行である。
こうした両極の中で著者の貨幣論がどのように発展させられるか,投機に翻弄される通貨とい う現状からどのような国際通貨制度改革案を著者がデザインしているのか,興味あるところであ る。確かに著者は国際通貨制度を展望した最終章で,進行中のIMF改革に対する一定の評価を しながら,「通貨の貨幣性」の回復,すなわち通貨機能の復権を核心として見据えている。ただ し,著者の展開はある意味で禁欲的であり,投機的性格を刻印された通貨の現状認識を強調する ことに主力が注がれている。
現実の問題として国際通貨がドルとユーロの2極に収斂していくような気配の中で,経常収支 赤字国による債務決済というシステムが一元的なものとして継続されるのかどうか,複数の国際 通貨が拮抗することにより貨幣性の回復は促されるのかどうか,そして加速するグローバリゼー ションと情報処理技術の高度化のなかで非ドル通貨も含めた国際流動性をどのようにコントロー ルしていくのか,そうした構築されるべき「新しい国際金融アーキテクチャー」は本書において もまだ霧の中にある。
いずれにしても,本書は,20世紀末になって国際通貨制度についてあらためて議論を巻き起 こすきっかけとなった国際金融現象に関し,冷徹に,そして綿密に論理を積み上げながらアプロ ーチしていく手法を主張してやまない。それは,日々生起する諸現象を後追いすることで手一杯 の,皮相的な時論に対する本書の意義になっていよう。現実の国際金融問題に対して貨幣性とい う原理的な切り口から構築してきた著者の論理が,苦悩する世界がかかえるさまざまな問題への 解決策として着実に熟していくことを期待したい。
────────────
4 B.コーヘン・本山美彦監訳『通貨の地理学』シュプリンガー・フェアラーク,2000年。
書評:平勝廣『最終決済なき国際通貨制度』(川本) (267)117