日本看護倫理学会誌 VOL.7 NO.1 2015 1
■ 巻 頭 言
看護専門職の倫理と思考
Ethics and thinking of nursing professionals
八代 利香 1
Rika YATSUSHIRO
今から10年前、国際協力機構(JICA)の専門家としてカザフスタン共和国セミパラチンスク地域に派遣され、
医療改善計画プロジェクトに携わった経験がある。テーマは何でもいいのでセミパラチンスクの看護師に講義をし てほしいと派遣前に依頼を受け、迷わず、その当時、日本の看護師のニーズが高かった看護倫理をテーマに選び、
タイトルを「倫理綱領と看護専門職(Code of Ethics and Nursing Profession)」とした。しかし、講義を始めてす ぐに、テーマ設定に失敗したと気づいた。セミパラチンスクの看護師は看護倫理にあまり関心を示さなかった。そ れはなぜなのか。
カザフスタンで看護師免許を取得するためには、中学校卒業後4年間、もしくは高等学校卒業後3年間、看護学 校で学ぶ必要がある。その後高等教育を受けるためには、首都のアスタナに
1校しかない看護大学に編入し、さら
に
3年間学んだ後、看護学士を取得するしか道がない。厳しい社会・経済状況のもと、地方に暮らすおおかたの看
護師にとってはアスタナの大学に通うのは無理なので、高等教育を受けたいと思う優秀な人材は、地方にも存在す る医科大学に編入し、3年間で医師となる道を選ぶしかない。その結果、優秀な人材は看護師として残らず、皆医 師になってしまうことになる。このような看護教育システムが原因となって、カザフスタンの看護師は自律した専 門職とはみなされておらず、医師に従属して業務を遂行する職業という認識が一般的であった。そのために、看護 師は自律的判断に不可欠な看護倫理を必要としていなかったのである。一方、当時の日本の看護師が看護倫理に高 い関心と重要性を感じていたのは、日本の看護が専門職として発展してきた証であった。
私の好きな理論家にオーランドとロジャーズがいる。オーランドは、看護師と患者との間で直接的な相互作用の 生じる場を看護状況と名づけ、看護状況における患者の不安や苦痛を不適切な看護ケアの結果とした。そして、看 護状況には患者の行動、看護師の反応(知覚・思考・感情)、看護師の活動、の3つの要素があり、これらの要素が 互いに絡み合っている関係を「看護過程」と称し、看護師の反応には教育訓練が必要だとした。看護師自身がなぜ そう思うか原因を探ってみることや、患者にその理由を問いかけたり確かめてみたりすることの重要性を説いてい る。
ロジャーズは、人間をエネルギーの場ととらえ、患者を時間や空間を超えた無限の存在であり、環境と相互作用 をしながら変化する存在としている。そこに横たわっている患者を身体的のみならず、精神的、社会的な人と見 る。家では、会社ではどのような役割を担っていたのかと、患者の家族や仕事のことまで考え、気分は落ち込んで いないかと、精神状態についても身体状態と同様に昨日の状態から明日の状態を予測し対応する。看護師は無意識 にこのような実践を行っているが、これらは看護理論に裏付けられた看護師ならではの行為と言える。そして、こ のような実践を患者は「よい看護」と感じるのである。
小西は、「看護師は、限られた勤務時間内で個々の患者にどのくらいの時間を当てることができるかを瞬時に考 1 鹿児島大学医学部保健学科 School of Health Sciences, Faculty of Medicine, Kagoshima University
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え、優先順位を考えながら行動している。そして後になって、「あれでよかったのか」と悩んだりする。そのよう に悩むこと自体、倫理が看護実践と共にある証である」1と述べている。看護理論家は、そのような倫理と共にある 看護を、彼らの研究を通じ真理を探究した結果として記述し説明している。理論に基づいたケアが患者に「よい看 護」と思わせてくれるのは、専門領域である看護の本質に倫理が存在する証である。
Carper
は、1978年に看護師が価値あるものとみなして実践の場で用いている4つの知の方法として①倫理の知
(看護の道徳的知識)、②美の感性の知(看護のアート)、③看護における自己認識の知、④経験の知(看護の科学)2、 を明らかにした。これらは、看護実践の構成要素として欠かせないものであり、包括的な知識を作り上げるための 基盤となる。倫理の知は、何をすべきか、何が善で正しいか、責任とは何かについて、瞬時に判断することに関係 している。看護における倫理的知には、難しい判断をその場で下すための明確な知識、および学問と社会について の原理や倫理理論が必要であるとされている。看護の基盤を支えている知の一つが倫理であり、このことも看護が 倫理と共にあることを裏付けている。
看護における倫理的課題を検討する方法として、ケーススタディが有意義であることは言うまでもない。しか し、看護師にケーススタディのための事例を出してもらおうとすると躊躇されることがある。その理由に、その事 例が倫理的な問題を含んでいるか、ケーススタディにふさわしい事例であるか自信がないという看護師の発言を、
何度が耳にしたことがある。しかし、それらの事例は、いずれもいろいろと考えさせられる内容のものばかりであ り、そこには深い倫理的課題が潜んでいる。倫理が看護と共にあるものであるならば、看護師が実践の中で感じる モヤモヤには必ず倫理的課題が含まれているはずである。
看護師がケーススタディの際の事例に対して自信がないことの理由として、倫理に対し「あるべき」論を抱いて いることがうかがえる。大学院の看護倫理の授業中に、看護倫理のイメージについて尋ねたところ、「倫理の話を すると皆ドン引きする」と、一人の学生が言っていたのが印象的であった。Umは、倫理的課題を考える上で「批 判的・反省的思考の強化」の大切さを述べ、オットー・アドルフ・アイヒマンの例を紹介している3。アイヒマン は、ドイツのナチス親衛隊中佐であり、第二次世界大戦中のユダヤ人大量虐殺の責任者である。彼は、第二次世界 大戦後アルゼンチンへ逃亡したが、イスラエルの秘密警察に捕まり、エルサレムで裁判ののち処刑された。裁判で 彼は、「自発的に行ったことは何もない。善悪を問わず、自分の意志は介在しない。命令に従っただけだ。」と反論 し、大量虐殺が起こった原因が、反省なしの型にはまった標準的なルールに固執し、それに盲目的に従順した結果 だということを明らかにした4。
ハンナ・アーレントは、ユダヤ人として一時強制収容所に連行されるが、脱出に成功しアメリカに亡命した政治 哲学者である。彼女は、エルサレムでアイヒマンの裁判を傍聴し、1963年にそのレポートをザ・ニューヨーカー 誌に連載した。その連載は『イェルサレムのアイヒマン―悪の陳腐さについての報告』として出版され、その後
2013年には『ハンナ・アーレント』の題名で映画化された。この映画の末尾でアーレントは、アイヒマンを責める
ことをしなかったために世間から誹謗を受け、非常勤講師として働いていた大学から解雇通告を受ける。そして、最終の講義で、次のように学生たちに教授する。「アイヒマンは、人間の大切な質を放棄しました。思考する能力 です。その結果、モラルまで判断不能となった。思考ができなくなると、平凡な人間が残虐行為に走るのです。
思考の嵐 がもたらすのは、善悪を区別する能力であり、美醜を見分ける力です。私が望むのは、考えることで 人間が強くなることです。危機的状況にあっても、考え抜くことで破滅に至らぬように。」5
なぜ看護師が倫理的課題に向き合わなければならないのか、それは看護師が専門職であり、看護学が専門的学問 領域であること、そして看護の本質の背景には倫理(的課題)が存在するからである。さまざまな看護理論家が示 す理論の実践への適用は、どれも「よい看護」に通じている。専門職としての自覚をもって思考し判断する覚悟が、
倫理的課題に向き合う際に求められている。
日本看護倫理学会誌 VOL.7 NO.1 2015 3 文献
1. 小西恵美子.倫理は形ではない 枠組みに囚われない倫理的思考のすすめ.看護展望.2013;38(6):4‒13.
2. Chinn PL, Kramer MK. 1995/ 白石聡監訳.2006.看護理論とは何か.第1版第4刷.東京:医学書院.
3. Um YR. 看護の基本的価値としてのハピネス.第2回かごしま国際看護フォーラム;2011年10月22日;鹿児島市.鹿児
島.1969.
4. Arendt H. 1965/ 大久保和郎訳.1969.イェルサレムのアイヒマン:悪の陳腐さについての報告.東京:みすず書房.
5. 週刊現代.映画「ハンナ・アーレント」はどこがどう面白いのか,中高年が殺到.2013年12月7日号;講談社http://
gendai.ismedia.jp/articles/-/37699?page=3