分数の起源に関する史的考察
上 垣 渉
AHistoricalStudyontheOriginofFractions
Wataru UEGAKI
1.分数の語源
今日使用されている「分数」という用語は、英語で丘action、仏語でも同じ綴りの丘action、
独語でFraktion、伊語で打azi6ne、西語でfracci6nであるが、これらはすべてラテン語の frangereをその語源としている。このfrangereとは「砕く」(break)という意味であり、かっ
てのイギリスでもfractionの代わりとして、brokennumberが用いられていたという。
実は、わが国でも、最初から「分数」という漢字が用いられていたのではなかった。算用数
字を用いる西洋数学を日本に紹介した最初P文献は柳河春三(1832〜1870)の『洋算用法』
(1857年、安政4年)であるが、そこでは分数は「砕数」という漢字が用いられていた1)。
「砕」は砕の旧字である。
したがって、洋の東西を問わず、分数の語源は「砕く」、「割る」などの意味を含んでいたと 言うことができる。
そこで初めに、ラテン語の故郷であるローマの分数をみてみよう。
2.ローマの分数
、ローマ人は1より大きい数の系列については10進法を採用しながら、1より小さい数につい ては12進法を基礎とした。すなわち、彼らの貨幣度量衡の単位では、重さ1ポンドの銅貨が
アス(as)と呼ばれ、その12分割(frangere)によって得られる1つ、つまり古がウンキア
(uncia)とされたのである。
英語の重さの単位であるオンス(ounce)や長さの単位であるインチ(inch)はすべてこのウ ンキア(uncia)に由来している。
ローマ人は元来が実際家であり、ものをはかるという実際的な必要性から、量分割を取り扱 うためには、10よりも12を基礎とした方が便利であることを知っていたと思われる。量分割 では、2等分、3等分、4等分することが多いが、このとき12を基礎に選べば、分割量は簡 単な整数で表すことができるからである。
∴∴÷予‑∵∴∵ニー三二∴二二二十■ニ̲
た独自の名称quincunxと記号"==‑"を使用したのである。また、昔はdeuncia、すなわ
原稿受理日 平成7年9月12日
三重大学教育学部数学教室
上 垣 渉
ち「unciaだけ少ない」と呼ばれた。
このように、分数を表す詞が単位(名数)を伴って呼ばれたということは、分数が対象と切
り離されていなかったことを裏づけるものであり、抽象的な分数概念が確立していなかったこ
‑・三言‑∴∴ニニニ三こ二̲̲∴‑∴圭̲■̲l■̲三 二̲圭 二
Sあるいは∑や、丸を半分にした(が用いられた。
このように、ローマにおける分数は単位量の等分割にその基礎が置かれていたと言うことが
ところで、たとえば‡などはどのように表されたかというと、「古の1つ半」のように呼 ばれているから、‡=古+去となる。このように、ある分数を分子が1の分数(これを単
位分数という)の和として表す方法はエジプト人から受け継いだものであった。
もっとも、ローマに限らず、分数を単位分数の和として表す方式はギリシア人も受け継いで いる。そこで、ギリシア・ローマに先行するエジプトの分数をみてみよう。
3.エジプトの分数
エジプト人は1から10進法的に増えていく数列としての整数に対して、減っていく数列とし
ての逆数すなわち単位分数および‡を用いていた。一般に、単位より小さい量を扱うとき、
まず出てくるのが半分であり、その次が半分より少し大きい、少し小さい量である。エジプト
ではこの半分(‡)とそれより少し大きい量(‡)に対して特別な記号が割り当てられていた。
‡‑=ニ・+ ‑㌃←ノ守
そして、それ以外の分数はすべて、開いた口を表す記号<==ユ(ロー、rO)の下に整数を示 す数字を書いて表されたのである2)。たとえば、次のごとくである。
‡一帯 喜一;;i;弓語 去‑11つぐ扇
このように、分数を表記する際に使用された記号<==ユの制約から、エジプトでは分子を1 とする単位分数が用いられたと言われている。
さらに注目すべきことは、記号<==ユに関する言語表現である。<==ユは「部分」というよ うな意味を持っており、吊千は「5の部分」あるいは「第5部分」を意味しているのである。
この「第5部分」とは単位を5等分したときの5番目の部分のことであり、他の4個部分と 合わさって全体をなすというような具体的な量を自然に表していると言える。そして、このよ うな言語表現では、
「第3部分」‡に対して、「2個部分」
「第4部分」寺に対して、「3個部分」
「第5部分」‡に村して、「4個部分」
という分数体系が考えられる。
2一33す4了
‑ 2 ‑
英語では、‡、‡、‡をそれぞれonethird、Onefourth、Onefi地と言うが、単に簡略化さ
れて、第3(third)、第4(fourth)、第5(fifth)などと言われることもある。これらは「第3 部分」、「第4部分」、「第5部分」から由来していると思われる。
このような言語表現はヘブライ語聖書(『創世記』47章、23、24節)にもみられる。すなわ ち、ひどい飢饉のとき、エジプト人は自分自身と土地とを売ったのであるが、これに村して ヨセフは次のように言っているのである。
「汝等に種を与えるから、この土地に蒔くがよい。収穫のときには、五番目の部分をエジ プト王に与え、四つの部分を汝等自身のものとせよ。」3)
エジプト人のこのような言語表現では、5分の2(twofifths)のような表現は意味を持たな いのである。なぜなら、「第5部分」という表現に対応する量は5等分したときの最初(ある いは最後)の部分であり、それは"ただ1つ"しか存在しないからである。
エジプト分数で、たとえばそを‡+‡とせずに、‡+去のように異なる単位分数の和
として表すのも、"第5部分"などは「ただ1つしか存在しない」とする思考法が背景にある と考えれば納得できる。
このような言語使用も手伝って、エジプト人はそもそも"分数"とは単位量を等分割した1 つを表現するものとして認識する仕方に止まっていたのではないかと思われる。
ローマもエジプトも、1より大きい数については10進法を採用しながら、その方法を1より 小さい数に対して適用しなかった点が共通している。ローマでは底として12がとられたが、
エジプトでは主として逆数系列が使用された。
なぜそのようになったかというと、ローマもエジプトも位取り法を持っていなかったからで ある。位取り法を持っていれば、1より大きい数に適用された方式は必然的に1より小さい数 に対しても適用される方向にむかったことであろう。
実際、バビロニアでは底を60とする60進法が採用されたが、それにとどまらず、偉大なる
「位取り法」を習得していたために、単位より小さい量に対しても60進法が適用されたので あった。
ところでエジプト人は、かけ算をする場合はほとんど、2倍するか半分にするかの方法を使 用していたので、任意の数量すなわち整数もその逆数も2倍できる必要があった。このことは、
偶数の逆数の場合は容易であるが、奇数の逆数の場合は面倒になってくる。
そこで、奇数の逆数を2倍する計算結果がすぐにわかるような数表をあらかじめ作成してお き、種々の計算に利用できるようにしていたのであった。このような「分数表」がリンド・パ ピルスの最初に掲載されているのである。
そこでは、分子が2で、分母が3から101までの奇数である合計100個の分数が単位分数の 和として表されている。
リンド・パピルスの研究者A.B.チェイスはこの分数表が複数の原理から作成されているこ とを見い出し、次のような6種類に分類している。すなわち、
A.最初に2/3をとるもの。
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B.ただ2等分していくもの。
C.ある段階で整数が得られ、その逆数を乗数に使用するもの。
D.AまたはBとともに、さらに1/7、1/10も使うもの。
E.35、91、101の3つの特殊なもの。
のように4つの手法(A〜D)を抽出した後、A、B、AD、BD、C、Eの6種類に分類し ているのである4)。
4.バビロニアの分数
60進法によるバビロニアの数体系では、1を表す̀て"が記される場所によって60をも表 した。たとえば、1×60+21つまり81は"アくくT"のように書かれたのである5)。
この位取り法のおかげで、バビロニア人はエジプト人が導入したような種々の記号を必要と しなかったのであり、それゆえにバビロニア数学は急速な成長をとげ、エジプト数学の水準を こえるまでになったと言えよう。
さて、60進位取り法にもとづくバビロニアの数体系においては、単位より小さい量は60等分
割が次々と続けられていくので、たとえば、1+昔+凝十器‑は、"1;24、51、10"と善
かれるわけである。
したがって、60進分数というよりは、60進小数と言うべきであろう。
この60進小数を用いた表現が典型的に示されている例を1つ紹介しよう。それは今日のJす の近似値を求めている粘土板である。
この粘土板の模写6)は図のようであり、Jすの近似値が60進法で"1;24、51、10"と書か れている。これを10進法に直してみると次のようになる。
1;24、51、10=1+0.4+0.0141666+0.000046296296
=1.414212962
この値は小数第5位まで正しく、今から約4000年もの昔に、このように精度の高い値が得ら れていたとは驚くばかりである。
この60進小数は後に天文計算に有効に使用され、プトレマイオスの『アルマゲスト』(偉大 な書)においても中心的役割を果たしている。
このようにみてくると、バビロニアには分数はなかったようにも思われるが、60進小数が一 般化する以前には素朴な分数が存在していた。すなわち、バビロニアの先住王朝であるシュ
‑ 4 ‑
メール王朝(2700〜2330B.C.)の頃には、
÷ヨ÷ロ去閻志冒忘冒‡銅‡∇
のような分数記号が使用されていたし、アツカド王朝(2330〜2200B.C.)の頃には、60進法と のかかわりで、分母が6である
三;‑‑=壬・二≡・二三≡ 二≡
のような分数系列もあった7)。
このようなきわめて古い記号をみると、分数が容易で便宜な分割にその起源を持っていたこ
とがわかる。しかも、記号"ロ"は1ウル(容積の単位)を表す記号であるから、バビロニ
アでも、初期の分数は単位量の等分割から発生したということができる。
では次に、ギリシアの分数をみてみよう。
5.ギリシアの分数 1)アリスメーティケーとロギステイケー
古代ギリシアにおける分数を考察するには、まず古代ギリシア人の学問に対する考え方を 知っておかなければならない。
「数学」を意味するmathematicsの語源はギリシア語のFLα07iFLαTαであるが、これは
「学ぶ」を意味する動詞である〃αレβdレ助から派生した〃dβり〃αの複数形なのであって、
もともと「学ばれるべきもの」という意味であった。そして、このマテーマタは数論、音楽論、
幾何学、天文学の4科で構成されていたのであり8)、この「学」としての4科にそれぞれ次表 にみられるように、4つの「術」が相応していたのである。
静 止 運 動
数 数 論 音楽論
臼 白 幾何学 天文学
静 止 運 動
数 計算術 大衆音楽
Eヨ
臼 測量術 航海術
ここで、分数に関連する領域は次の2つである。
数 論(dpJβ〃りTJぷ万、アリスメーティケー) 計算術(右け="=巧、ロギステイケー)
このアリスメーティケーが致そのものについての学問であり、数の本性を論じるのに対して、
ロギステイケーの目的とするところは日常の生活や商業の便に役立てることにあった。
言い換えれば、アリスメーティケーは理論的であり、ロギステイケーは実用的である。J.
ゴーの"AShortHistoryofGreekMathematics"によると、この2領域の起源はビュタゴラス 学派における生徒の練習問題を区別することにあったようであり、それぞれ"scienceofnum‑
bers"と"artofcalculation"と呼ばれている9)。
そして、ギリシアの分数はこの2領域で異なっているのである。すなわち、ギリシアにおけ
る分数は次のように3種類あったといってもよい。
ロギステイケー
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エジプト式分数 バビロニア式分数(小数)
アリスメーティケー……ギリシア式分数
以下、この2領域での分数をみていくことにするが、その前にギリシアの数記号がどのよう なものであったかを知っておく必要がある。
ギリシアの数記号にはアソティカ式(あるいは、ヘロデイアン式)とアルファベット式の2 種類があるが、数学では主として次のようなアルファベット式数記号が使用された10)。
1 2 3 4 5 6 7
00
9
α
β
γ
又U
e
ぐ
∈
[り
β
0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9
√
方、人 〃.レ
■さっ 0
■打
′「
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 p α T
U・¢ X・甲
山 入」.
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9
α
β
γ
只U
e
r
∈
刀・月U
/
/
′/
′/
/
/
/
′′
/