松浦理英子と一九八〇年代の女子プロレス
M ats uu ra Riek o a nd J ap anese W ome n’s P rofes sio na l W res tlin g i n t he 1980s
黒 岩 裕 市
要旨
本稿は︑松浦理英子が一九八〇年代に発表した女子プロレスを題材とした三つのエッセイを取り上げ︑特にジェンダーやセクシュアリティの観点から考察するものである︒﹁あなたは女子プロレスを観たか﹂︵一九八五年︶では︑クラッシュ・ギャルズに﹁対男性意識に捉われることをも含めた︿社会に規定された女性性﹀﹂を越える試みが指摘される︒﹁脂肪は美しかった︑女子プロレスは美しかった﹂︵一九八五年︶では︑ダンプ松本の身体に︑痩せた身体を理想化する既存の女性の美意識にかわる﹁来たるべき時代の女性の理想体型﹂が見出される︒また︑﹁性器からの解放を﹂︵一九八七年︶ではブル中野の身体が奇 クィア妙に読み解かれ︑他の人びととは別の﹁成熟﹂の仕方が提示される︒そしてそこから﹁性器からの解放﹂が導き出され︑新しい性のあり方が想像/創造される︒さらに本稿ではこれらのエッセイに通底している︑異性愛主義の呪縛からの﹁解放﹂の探求にも光を当てた︒
キーワード松浦理英子︑女子プロレス︑ジェンダー︑セクシュアリティ︑クィア
拙論﹁松浦理英子﹃裏ヴァージョン﹄と女子プロレス﹂︵中央大学人文科学研究所編﹃読むことのクィア
―
続 愛の技法﹄中央大学出版部︑二〇一九年︑一五七―一七六頁︶は︑松浦理英子の﹃裏ヴァージョン﹄︵二〇〇〇年︶という小説を
女子プロレスを手がかりに読むものである︒作中で言及される女子プロレスの試合に注目しつつ︑そのモデルとな
った一九九九年の実際の試合をも参照しながら︑その試合が登場人物にクィアな効果をもたらすことを指摘した︒
さらに︑隠されている︿真実﹀を暴き出すのではなく︑プロレスにおいては直接目に映るものを見ることが重要だ
という松浦の見解を糸口として︑プロレスにおける︿真実﹀との攻防と﹃裏ヴァージョン﹄における性をめぐる語
りとの接点を探った︒拙論では冒頭で松浦が一九八〇年代に発表した女子プロレスを扱ったエッセイの存在には触
れたのだが︑具体的に論じることはできなかった︒そこで︑本稿ではそうしたいくつかのエッセイについて改めて
考えてみたい︒ジェンダーやセクシュアリティに関連して︑女子プロレスのいかなる面に目が向けられ︑それがい
かに読み解かれるのだろうか︒クラッシュ・ギャルズ︑ダンプ松本︑ブル中野といった八〇年代に活躍した選手を
取り上げた三つのエッセイを以下の三つの節でそれぞれたどっていくことにする︒
一︑ 一九八〇年代の女子プロレスのブームとクラッシュ・ギャルズ ― ﹁あなたは女子プロレスを観たか﹂
本節ではまず日本の女子プロレスの一九八〇年代までの変遷を概観することから始めよう︒井田真木子﹃プロレ
ス少女伝説
―
新しい格闘をめざす彼女たちの青春﹄や亀井好恵﹃女子プロレス民俗誌―
物語のはじまり﹄によ松浦理英子と一九八〇年代の女子プロレス
ると︑一九四八年に︑ボードビリアンのパン猪狩・ショパン猪狩兄弟が妹の猪狩定子をレスラーとし︑米軍キャン
プで演じたショーが日本における女子プロレスのルーツであるという ︶1
︵︒当時の試合はコミカルな動きを織り込んだ
もので︑ガーター争奪戦が行なわれ︑興行の場所もナイトクラブやストリップ劇場であった ︶2
︵︒猪狩兄弟の興行はい
かがわしい見世物という理由で警視庁から禁止されたこともあり︑この段階では女子プロレスの興行は本格化しな
かった ︶3
︵︒亀井好恵は一九五〇年代の雑誌記事や広告から︑当時の女子プロレスは昭和初期のエロ・グロ・ナンセン
スの流れをくんだもので︑﹁観客のまなざしからは﹇⁝⁝﹈スポーツというよりも好奇の対象︑エロティックなショ
ーに近かったのではないだろうか﹂ ︶4
︵と考察している︒
女子プロレスの興行が本格的に始動したのは一九五四年のことである︒この時期にブームになっていた男子プロ
レスの影響を受け︑全国にいくつかの女子プロレス団体が誕生したのであった︒この年には外国人選手を招聘し︑
﹁世界女子プロレスリング大試合﹂が開催され︑五五年には全日本女子プロレスリング連盟が結成された︒しかし︑
女子プロレスの人気は長続きせず︑低迷期を迎える︒女子プロレスの興行が再建されたのは︑全国的な興行組織で
ある日本女子プロレスリング協会が発足した一九六七年のことである︒この団体は翌年には分裂するのだが︑そこ
から独立した全日本女子プロレス興業︵本稿では以下︑﹁全女﹂と記す︶が全国巡業を成功させたことによって女子プ
ロレスの興行の足場は固まったといわれる ︶5
︵︒
以降︑全女は何度かのブームを手掛けることになる︒最初のブームは一九七四年に鳴り物入りでデビューした一 六歳のマッハ文朱によるものであった︒マッハは﹁テレビという媒体をフルに活用した女子プロレスラー﹂ ︶6
︵であり︑
動きの大きい派手な技を多用した︒さらには︑日本テレビの﹃スター誕生﹄の決勝戦にまで残ったという実績もあ
り︑レコードも出した︒七五年にはフジテレビが全女の定期放送を開始し︑﹁歌う女子プロレスラー﹂としてマッハ
は全国に知られるようになり︑そこにそれ以降も続くことになる﹁華やかで明るく健康的な女子プロレスのイメー
ジ﹂が作り出されたのである ︶7
︵︒
一九七六年にマッハ文朱が引退した後︑全女側の苦肉の策として結成されたのがジャッキー佐藤とマキ上田によ
るビューティ・ペアである︒結成当初のビューティはなかなか人気が出なかったが︑七七年に入ると︑女子中高生
を中心に人気に火がつき︑七六年に出したレコード﹁かけめぐる青春﹂も大ヒットとなった︒それまでの女子プロ
レスには男性の観客が多かったといわれるのだが︑ビューティは﹁女性︑特に十代の少女たちを会場に動員させる
ことに成功した﹂ ︶8
︵のであった︒メディアにおいても︑七七年七月から全女はフジテレビのゴールデンタイム枠で放
送され︑高い視聴率を維持した︒だが︑マキ上田が引退し︑ビューティが解散した七九年には女子プロレスの人気
は一気に下火になり︑テレビ中継も不定期放送へと切り替えられることになる︒
一九八〇年代前半に女子プロレスに﹁革命﹂ ︶9
︵を起こし︑再度︑ブームへと導いたのがクラッシュ・ギャルズであ
る︒クラッシュは八〇年にデビューしたライオネス飛鳥と長与千種が八三年に結成したコンビで︑二人は七〇年代
に確立した女子プロレスの華やかさよりもリアルなファイトを追求した︒﹁それは︑従来の女子プロレスの形式重視
の姿勢を崩し︑格闘するという本能的欲求をストレートに表現したものだった﹂ ︶10
︵と評されるもので︑そのようなク
ラッシュのファイトスタイルにいち早く女子中高生が共感し︑クラッシュの人気は八四年に入ってから爆発的なも
のになった︒当時の﹁全女の試合会場のほとんどは女子中高生の観客で占められて﹂ ︶11
︵おり︑﹁彼女たちの歓声と足踏
み﹂による﹁観客と女子プロレスラーの一体感﹂ ︶12
︵に会場は包まれたのであった︒八四年にはフジテレビでの女子プ
松浦理英子と一九八〇年代の女子プロレス
ロレス中継も五年ぶりにゴールデンの枠で放送されるようになり︑クラッシュは﹁炎の聖書﹂︵八四年︶でレコード
デビューし︑芸能活動も盛んに行なった︒
この時期にベビーフェイスのクラッシュに対抗したのが長与と飛鳥の同期であるダンプ松本が率いた極悪同盟で
ある︵八四年に結成︶︒それまでのヒールとは異なり︑まばゆいほどの極彩色のコスチュームや派手なペイントを好
んだ新しいヒールであるダンプ ︶13
︵は︑ありとあらゆる凶器を用いたラフファイトで暴れまわった︒クラッシュのみな
らず︑極悪同盟のダンプやブル中野もCMやバラエティ番組に出演し︑全国的な知名度を獲得することになった︒
こうして八〇年代半ばには女子プロレスは大きな盛り上がりを見せたのだが︑八八年にはダンプが︑八九年には長
与と飛鳥が相次いで引退し︵三人とも後に現役復帰︶︑八〇年代のブームは終息することになる︒
さて︑一九九九年に行なわれた桐野夏生との対談によると︑松浦理英子が女子プロレスを見始めたのは﹁クラッ シュギャルズブームの︑一九八〇年代半ばあたりから﹂ ︶14
︵だという︒実際︑当時発表された文章でも松浦は﹁一九八
五年後半の私の︿元気の素﹀は女子プロレスであった﹂ ︶15
︵と述べている︒八〇年代の女子プロレスについて綴った松
浦の文章はいくつかあるが︑本稿ではまず﹁あなたは女子プロレスを観たか﹂︵初出﹃キャンパスカレンダー﹄一九八五
年一二月号︶というエッセイに目を向けてみたい ︶16
︵︒
タイトルのとおり︑このエッセイは女子プロレスをそれほど知らない読み手にも女子プロレスの魅力を伝える体
裁になっている︒﹁もしもあなたが︑女性の中で最も新しく良質な一群がどのような感受性を持ちどういう風に生き
ようとしているか知りたいなら︑女子プロレスを観ればよい﹂︵二三頁︶という導入の一節が示すように︑女子プロ
レスに﹁いまだにどんな画家も作家も描き出せないでいる︿現代﹀という時代の面白さ﹂︵二五頁︶が指摘されるの
である︒なお︑後年の桐野との対談で﹁九〇年代の初めまでは日本の社会状況と女子プロレスが呼応して︑日本社
会が︑あるいは時代が女子プロレスを必要としているところはあったと思うんです︒女性が社会的弱者であるとい
う状況がまだはっきりとあって︑それに対して女性たちが戦いたいと思っていた時代﹂ ︶17
︵であったと松浦が語ってい
るところからも︑女子プロレスと﹁時代﹂を結びつけ︑女性に対するジェンダー規範の強制力との闘いと八〇年代
の女子プロレスの格闘を重ねて見ていた部分があることがうかがえる ︶18
︵︒
エッセイに戻ろう︒松浦は女子プロレスを知らない読み手が持っているかもしれない先入観を解きほぐそうとす
る︒それは女子プロレスの変遷とも対応するところがある︒まずは創成期の女子プロレスのような﹁お色気ショー
まがいの見世物を期待して行き選手の体に触ろうものなら︑あなたは百二十キロのバーベルを持ち上げる彼女等の
腕に殴り倒されるだろう﹂︵二三頁︶と異性愛男性目線で女子プロレスをエロティックな見世物とする見方が退けら
れる︒その一方で︑﹁宝塚の格闘技版と高をくくって行くあなたは︑リングに現われるのが王子様や騎士ではなくメ
アリー・ポピンズやコメットさんのようなスーパー・ウーマンであるのを認めて恥じ入るだろう﹂︵二三―二四頁︶と
女子プロレスを﹁宝塚の格闘技版﹂とみなす見方も否定される︒確かにビューティ・ペアの演出には︑七四年に初
演された宝塚歌劇団の﹃ベルサイユのばら﹄の影響があるといわれているが ︶19
︵︑八〇年代の女子プロレスラーは﹁王
子様や騎士﹂といった男役として登場するのではなく︑さらにはその男役と女性的な女性との異性愛的なペアには
なっていないということも示唆されるのである︵もっとも︑八〇年代以降の女子プロレスでも﹁宝塚の格闘技版﹂というよ
うな演出がまったくなくなったわけではなく︑またそうした演出にしても単なる異性愛の模倣かどうかは個別に検討する必要が
松浦理英子と一九八〇年代の女子プロレス
あると思われるが︶︒
この一節は︑次の﹁両性具有的なヒーロー=ヒロインという理想の具体例を求めて行くインテリのあなたは︑豊
かな脂肪をたくわえた優美なファイターたちの超女性的な肢体を眼にして︑時代はあなたが考えているよりも遥か
に進んでいることを思い知るだろう﹂︵二四頁︶という一文へとつながる ︶20
︵︒女子プロレスラーは男性化するのでも脱
女性化するのでもなく︑あくまでも﹁超女性的な肢体﹂であることが強調されるのである︒もちろん︑そこには女
子プロレスへのステレオタイプ的な見方を退ける目的があることは明らかではあるのだが︑本稿で取り上げる松浦
のエッセイに共通して見られる女子プロレスラーの身体の男性化や脱女性化を否定する立場にはトランスフォビア
に転じる危うさがあることも否めない︒
このように女子プロレスラーの身体は男性化や脱女性化には向かわないとされるのだが︑﹁リングの上で殴る︑蹴
る︑投げる︑跳ぶ︑怒鳴る﹂といったパフォーマンスを行なうことは﹁長い間社会的に規定されて来た︿女性らし
さ﹀﹂に抵触するものであり︑そうした﹁︿女性らしさ﹀など意に介する風もなく暴れまわる﹂﹁逞しくりりしく強
い﹂女子プロレスラーの姿にジェンダー規範の強制力との闘いが重ねられるのである︵二四頁︶︒そして︑インタビ
ューでの長与千種の﹁強くてカッコよくて男にひけを取らない女の人になりたかったんですよね︒女のくせにって
言われて世界を狭くするのがイヤだった﹂︵二四―二五頁︶という発言を引用しつつ︑松浦は次のように述べる︒
これはあきらかに一つの︿社会の規定﹀に対する異議申し立てであるが︑彼女たちが男性に対抗しようとした
り男性を見返そうとしているのだと誤解してはならない︒対男性意識に捉われることをも含めた︿社会に規定
された女性性﹀を︑二十二歳の飛鳥と二十一歳の千種は越えようとしているのである︒二人が言おうとしてい
るのは︑﹁強くてカッコいいのは男で弱くて可愛いのが女だとされているけれど︑女が強くてカッコよくたって
いいじゃない﹂ということなのだ︒/女子プロレスラーたちが素敵なのは︑そのような自由な精神を持ってフ
ァイトしているためである︒かつての女性解放運動家も小説家・批評家も少女漫画家もなし得なかった自由な
精神の表現を︑身軽で頭のいい彼女たちは楽々と行なっている︒少女たちが憧れるのも無理はない︒︵二五頁︶
長与の発言には比較対象としての男性が存在するため︑﹁対男性意識﹂は読み取れるかもしれない︒だが︑松浦は
﹁対男性意識に捉われることをも含めた︿社会に規定された女性性﹀﹂をクラッシュの二人は越えようとしていると
解釈するのである︒そこからは︑男性を意識し男性との対として定義される女性性︑男性とのペアに基づくという
意味でその前提に異性愛主義がうかがえる女性性とは別の女性のあり方を長与の発言を用いつつ松浦が探求してい
ると考えられる︒そうなると︑ここでいう︿社会に規定された女性性﹀からの﹁自由な精神﹂には︑異性愛主義か
らの﹁自由﹂をも読み取ることができるのではないか︒ジェンダーの面だけではなく︑暗示的なものではあるもの
の︑セクシュアリティの面でも規範に縛られない姿が女子プロレスラーに見出されるのである ︶21
︵︒このようにして︑
少女たちを惹きつけた一九八〇年代の女子プロレスのブームが読み解かれることになる︒
ところで︑松浦は女子プロレスラーの﹁豊かな脂肪をたくわえた﹇⁝⁝﹈超女性的な肢体﹂に光を当てていたわ
けだが︑このエッセイは﹁女子プロレスは︑新しい女性たちによる明るい怒りに満ちた筋肉と脂肪の饗宴である﹂
︵二六頁︶という一文で締めくくられる︒確かに攻撃するだけではなく︑相手の技を受け︑それを観客に見せること
松浦理英子と一九八〇年代の女子プロレス
が求められるプロレスラーの身体には︑他の格闘技者と異なり︑筋肉だけではなく脂肪が必要になる︒このエッセ
イが﹃優しい去勢のために﹄の単行本に収録された際︑その後同書が文庫化された際にも松浦は女子プロレスラー
の﹁豊かな脂肪をたくわえた﹂という一節に補足を加えている︒そこからは松浦の﹁脂肪﹂への関心が感じられる
のだが︑﹁脂肪は美しかった︑女子プロレスは美しかった﹂というエッセイでは︑タイトルのとおり︑﹁脂肪﹂が論
点になっている︒次節ではこのエッセイを取り上げよう︒
二︑ 女子プロレスラーの身体とダンプ松本 ― ﹁脂肪は美しかった︑女子プロレスは美しかった﹂
﹁脂肪
は美しかった︑女子プロレスは美しかった﹂︵﹃スタジオ・ボイス﹄一九八五年一〇月号︶は拒食症への言及から
始まる ︶22
︵︒一九八三年にカレン・カーペンターが拒食症で亡くなったというニュースが話題になった後︑﹁日本でも拒
食症が︿流行﹀し︑拒食症の実例や体験記が雑誌等でしばしばとり上げられるようになった﹂ことを踏まえ︑﹁太る
ことへの恐怖心を持っている女性︑太っているのを気にして痩せたいと望んでいる女性は減らない﹂︑﹁太っている
ことはカッコ悪いとする美意識は︑若い女性の間に未だ蔓延しているようだ﹂と女性の美意識をめぐる規範へと話
は進む︵八八頁︶︒
ここで確認すると︑八〇年代とは﹁デザイナーズ・ブランドの黄金時代が到来﹂した時代であり︑﹁女性たちは
﹁モデルなみに痩せてブランドの服を着こなし︑自分の個性を表現せよ﹂と強く誘いかけられる﹂ようになった︒ま
た﹁八〇年代半ば以降には︑ファッションでボディコンが流行し︑若い女性たちはボディラインを誇示するように﹂
なり︑女性たちのある層では﹁﹁カラダ磨き﹂競争﹂が激化し︑それに積極的には参加していない女性も含めて︑﹁ス
リムに引き締まったメリハリのあるボディラインが理想とされ︑女性たちは身体の外見によって一層強く評価され
るようになって﹂いった ︶23
︵︒そこで目の仇にされたのが脂肪である ︶24
︵︒そうした美意識に疑義を呈し︑﹁すっきりした肢
体に替わる新しい理想体型﹂︵八八頁︶を提案するのがこのエッセイの目論見ということになる︒その﹁新しい理想
体型﹂が女子プロレスラーに求められるのである︒
なお︑女子プロレスの話に入る前に︑アメリカの女性ボディビルダーであるリサ・ライオンの名前が出される︒
女性ボディビルダーの身体も女性の痩せた身体を称揚する美意識とは別のものであるのだが︑松浦がそこに﹁新し
い理想体型﹂を見ることはない︒リサ・ライオンについては︑﹁筋肉を増強し脂肪を燃焼させることによって女性の
特徴の一つを消去し︑男性的 000な体に近づいている﹂︵八八頁︶点が否定的にとらえられ︑それと対照的に︑女子プロ
レスラーの身体が﹁筋肉ももちろんつくが贅肉や脂肪分もふえる︒そうすると︑どこから見ても極めて女性的な体
つきであるにもかかわらず単純に女性的であるだけではない︑不思議に魅惑的な体が現出するのだ﹂︵八九頁︶と肯
定的に持ち出されるのである︒さらに︑﹁既製の美しい体のイメージからははみ出しているが︑太っているとか痩せ
ているとか︑女性的だとか男性的だとかいった批評基準をひどく幼稚なものに感じさせてしまうほどのインパクト
を︑彼女たちの体は見る者に与えてくれる﹂︵八九頁︶と二元論的な価値を超越したものとしても称賛される︒つま
り︑女子プロレスラーの身体は女性的/男性的という二項対立を越えつつも︑同時に﹁どこから見ても極めて女性
的﹂でもあるということになり︑そうした様態が﹁あなたは女子プロレスを観たか﹂では﹁超女性的な肢体﹂と称
松浦理英子と一九八〇年代の女子プロレス
されるのだと思われる︒
このような﹁不思議に魅惑的﹂な女子プロレスラーの中でも︑このエッセイで松浦が特に目を向けるのが八〇年 代に活躍したヒールレスラーのダンプ松本である ︶25
︵︒メイクや髪型︑あるいは凶器攻撃が過激だと評されていたダン
プであるが︑﹁何よりも体型が過激﹂で︑﹁百キロという半端ではない体重を誇る﹂︵八九頁︶その身体について次の
ように述べられる︒
贅肉と脂肪の中に堅い筋肉をひそませた体は余りにもゴージャスで優雅ですらあって︑﹁肥満は醜い﹂などとい
う通念を彼方へと吹き飛ばしてしまう︒/ダンプは前から見ても横から見ても上から見ても同じ体型だ︑と評
した人がいるが︑なるほど彼女の姿は球体に近い︒プラトンは人間の理想的な姿は球体であるとしたが︑生き
て動く球体の存在ダンプ松本を目のあたりにして初めてプラトン説を感覚的に理解できたように思う︒球型の
肉体は愛らしいと同時に頼もしくシンプルでありながら豊かさを感じさせ︑悲哀もおかしみもしたたかさも弱
さも含み持つ上に男性性も女性性も見事に超越しており︑ファンタスティックと言う他はない︒ダンプ松本の
美しさに比べればリサ・ライオンなど屑の屑である︒/そんなダンプ松本だから︑極悪とは称すれどバケツ攻
撃やヒップ・ドロップ等の荒技にもユーモアが漂い︑じっと観ていると何やら︿機嫌の悪い時のお母さん﹀の
ようにも見えて来る︒ダンプと闘う善玉レスラーが︿機嫌のいい時のお母さん﹀である︒︵八九頁︶
矛盾した価値を内包し︑ある意味では多様性を体現したものとしてダンプの身体は描き出されるのである︒それは
﹁男性性も女性性も見事に超越し﹂たものであるのだが︑一方で︿機嫌の悪い時のお母さん﹀にも重ねられるため︑
ここでも女性的なものとしてもみなされていることがうかがえる︒このようにダンプの身体は﹁余りにもゴージャ
スで優雅﹂︑﹁ファンタスティックと言う他はない﹂と絶賛され︑﹁太っているより痩せている方がカッコいい︑とす
る美意識﹂︵八八頁︶を解体し再構築するような﹁来たるべき時代の女性の理想体型となり得るだけの魅力を備えて
いる﹂︵八九頁︶と期待されるのである ︶26
︵︒
この︿機嫌の悪い時のお母さん﹀という表現はエッセイ冒頭の拒食症の話と対応するものである︒エッセイの前
半で︑松浦は﹁拒食症の原因の中でいちばん多いのはマザー・コンプレックスであるという﹂︑﹁マザー・コンプレ
ックスが拒食症を惹き起こしている女性は思春期に達しても母親への同性愛的恋着を断ち切れず︑女性的な体にな
るのを拒み子供のようなモノセクシュアルな体のままでいて母親に愛されたいと願っている﹂と拒食症を母娘の関
係や﹁成熟拒否﹂に関連づける説を紹介する︵八八頁︶︒浅野千恵が指摘するように︑摂食障害の原因を母親との関
係に求める見解は非常にステレオタイプ的なもので︑摂食障害の当事者や家族に心理的負担を課すものである ︶27
︵︒だ
が︑松浦は﹁これはなかなか魅力的な考え方﹂︵八八頁︶だとこの説をむしろ肯定的に解釈し︑﹁母親への同性愛的恋
着﹂を受け入れることに拒食症の解決の糸口を探ろうとする︒そしてその可能性が女子プロレスに見出されるので
ある︒︿機嫌の悪い時のお母さん﹀と︿機嫌のいい時のお母さん﹀に重ね合わされる女子プロレスラーの闘いとは
﹁ある種の女性が抑圧して来たマザー・コンプレックスに出口を与える機能を持ったスポーツ・ショー﹂であり︑﹁彼
女たちの抑圧しているものがリングの上ではすべて心地よく解放されている﹂︵八九頁︶というのである︒このエッ
セイにおける拒食症と女子プロレスの結びつけは唐突で説得力もあまりないかもしれないが︑﹁母親への同性愛的恋
松浦理英子と一九八〇年代の女子プロレス
着﹂を抑圧する異性愛主義への抵抗の契機が女子プロレスに探求されており︑その点では﹁あなたは女子プロレス
を観たか﹂と共通するものである ︶28
︵︒
三︑ ﹁性器からの解放﹂とブル中野 ― ﹁性器からの解放を﹂
本稿ではここまで松浦がクラッシュ・ギャルズやダンプ松本といった八〇年代の女子プロレスを牽引したプロレ
スラーについて述べたエッセイをたどってきた︒第一節で﹁一九八五年後半の私の︿元気の素﹀は女子プロレスで
あった﹂という松浦の発言を引用したが︑その後には﹁ひいきの選手がいる﹂ものの︑﹁二度書いた女子プロレスに
関する文章の中ではその選手の名前は出さなかった﹂ ︶29
︵と続く︒その﹁ひいきの選手﹂とは︑一九八三年にデビュー
し︑ダンプ率いる極悪同盟でクラッシュと抗争を繰り広げたブル中野のことである︒本節では松浦がブル中野につ
いて語ったエッセイ﹁性器からの解放を﹂︵初出﹃ブルータス﹄一九八七年一月一五日号︶を取り上げよう ︶30
︵︒
﹁性器
からの解放を﹂は︑一九八六年にジェンダーをめぐる言説が氾濫していたことから始まる︒特に女性による
女性についての発言は多かったのだが︑それらは﹁進歩的な意見を述べているようでいて甘い裏声﹂で男性に媚び
るものばかりであったという︵七七頁︶︒そうした状態が﹁対男性意識に縛られ男なしには女は女であり得ないと信
じ込みいまだに男性器を受け入れる女性器を後生大事にしている﹂と表現され︑﹁女であることの根拠を性器に求め
性器に限定された女性性に執着する女は貧しく︑醜く︑弱い﹂と続けられる︵七八頁︶︒このように︑﹁対男性意識﹂
と異性愛主義との関連がこのエッセイではより明確に示されることになり︑﹁女であることの根拠を性器に求め性器
に限定された女性性に執着する﹂ことが︿弱さ﹀の根源に置かれる一方で︑﹁もういい加減に︑女は性器から自由に
なって強くなっていい﹂と性器に執着しないことが︿強さ﹀と結びつけられる︵七八頁︶︒そうなると︑肉体的には
鍛えていても﹁対男性意識﹂にとらわれていれば﹁弱い﹂のであり︑その典型としてここでもアメリカの女性ボデ
ィビルダーが引き合いに出される︒女性ボディビルダーのパフォーマンスは﹁女性性を放棄するふりをしつつ実は
女性性を顕示するという昔ながらの男性向けの茶番を野蛮に演じているのに過ぎない﹂と酷評される︵七八頁︶︒
﹁性器
から自由になる﹂ということについては﹁性器経験を性経験の本質と捉えず︑性器を武器だとか男と女の親
しさの度合を測る道具に仕立てたりせず︑別に男に向かって開かれているのでもない何ら特別ではない器官として
意識する︑というほどの意味である﹂と説明される︵七九頁︶︒換言すれば︑﹁性器経験を性経験の本質と捉え﹂るよ
うな性愛観念から脱することであるのと同時に︑異性との結合を義務づけられるものとして性器をみなす見方︑す
なわち︑異性愛主義の呪縛から性器という器官を﹁解放﹂する試みであるともいえるだろう︒それは性器を脱ぎ棄
てるという発想につながる︒そのうえで︑﹁性器を脱ぎ棄てたって女が女でなくなることはない︒セックス・アピー
ルともパワーとも無縁の脱色された魅力の薄い女ができ上がるわけでもない﹂という点が強調されるのであり︑そ
のように﹁性器に基づくセックス・アピールやパワーをはかないものと思い知らせるアナーキックで過激に魅力的
な存在の具体例﹂としてブル中野が次のように紹介される︵七九頁︶︒
彼女は十八歳の女子プロレスラー︑リング・ネームをブル中野という︒/昨年の夏にこの素敵な少女を発見し
て以来私は夢中である︒百七十センチの身長︑八十五キロの体重︑豊かな脂肪の内に鍛えられた筋肉をひそま
松浦理英子と一九八〇年代の女子プロレス
せた女子プロレスラー独得の体つきは︑ゴージャスでパワフルで︑男性性を志向してもいないし男性と対比し
た上で導き出される女性性の規格からもはみ出しており︑超女性的で滅法セクシーだ︒さらに︑無闇に可愛ら
しい︒/大雑把に説明しただけではわかりにくいが︑並みいるチャーミングな女子プロレスラーの中でもセク
シーで可愛いのはブル中野ただ一人である︒︵七九頁︶
本稿でたどってきたエッセイにおける女子プロレスラーの描写のされ方とこの一節でのブルの身体のそれは共通す
るものではあるが︑ここではブルだけに当てはまる要素として﹁セクシーで可愛い﹂という表現が用いられている︒
それが女子プロレスラーの中でも松浦がブルに﹁性器からの解放﹂を見るポイントになるだろう︒
それでは︑ブル中野はどのような点で﹁セクシーで可愛い﹂のだろうか︒松浦はブルの身体について次のように
述べる︒
注目すべきはブル中野の見るからにデリケートな皮膚の下で無邪気にたゆたう贅肉と脂肪だ︒無邪気にと書い
たが︑そう形容せずにいられないほど大らかにナチュラルに贅肉と脂肪がたくわえられている︒肥満︑ではな
い︒肥満などという病んだ状態を示すことばは健康なブル中野には当て嵌められない︒言うならば︑幼児が発
育途中で一時的に太るようにブル中野は太っているのだ︒/実際ブル中野には︑清らかな子供が子供のまま大
きくなった︑子供の状態から何も失わず何も獲得せず百パーセント清らかさを保って十八歳まで成熟した︑そ
んなイメージがある︒リングの上で悪役として乱暴の限りを尽くしてもどこか純粋で清潔で︑いわゆる悪の要
素を感じないどころかつい手を差し延べて庇いたい衝動に駆られる︒セックス・アピールの点でも︑思わず手
を差し延べたくなる子供の官能性を備えていると言える︒︵七九―八〇頁︶
松浦は﹁ブル中野の見るからにデリケートな皮膚の下で無邪気にたゆたう贅肉と脂肪﹂に目を向ける︒ここで強調
されるのは﹁幼児が発育途中で一時的に太るようにブル中野は太っている﹂という点であり︑ブルの身体は子供の
﹁清らかさ﹂を保持したまま﹁成熟﹂したといわれる ︶31
︵︒その﹁清らかさ﹂が﹁思わず手を差し延べたくなる子供の官
能性﹂を生み出し︑そのためにブルは﹁セクシーで可愛い﹂ということになるのである︒ゴージャスな身体という
表現はブルとダンプに共通するのだが︑︿機嫌の悪い時のお母さん﹀に重ねられたダンプとは対照的に︑ブルは﹁子供﹂
と形容されるのである︒ちなみに︑松浦は﹃親指Pの修業時代﹄︵一九九三年︶の発表後に︑この作品は﹁性器結合
中心的性愛観に対する批判﹂であり︑そのためには﹁皮膚感覚的な快楽を基本にするしかないんじゃないか﹂と述
べている ︶32
︵︒それほど明確化されてはいないものの︑﹁見るからにデリケートな皮膚の下で無邪気にたゆたう贅肉と脂
肪﹂への着目は﹁皮膚感覚的な快楽﹂の重視へとつながるものであるだろう︒これもまたダンプの身体の描写では
見られなかった点である︒
このように松浦はブル中野に女子プロレスラーをも含めた他の人びととはまったく別の﹁成熟﹂のプロセスを見
出し︑次のように続ける︒
通常の人間の成熟の行程とは全く別の行程を辿ってこれまで成熟しこれからも成熟して行くであろうブル中野︑
松浦理英子と一九八〇年代の女子プロレス
永遠に子供のように可愛く子供のように官能的であり続けるであろうブル中野に︑性器に基づく性別を被せる
のは無意味である︒では何と呼ぶべきか︒イギリスのポジティヴ・パンクのバンド名からヒントを得た呼称を
私は用意している︒/セックス・ギャング・チャイルド︒ヘリオガバルスからジャン・ジュネ︑プリンスに至
るセックス・ギャング・チルドレンの系譜にブル中野もまた名を連ねる︒︵八〇頁︶
子供から大人になり︑性器に限定されない官能性から性器を中心とした局部的な行為を性行為として特権化するよ
うになる︑しかもその性器を用いた行為は異性の性器との間で行なうことが要請される︑といった段階的でヘテロ
ノーマティヴな﹁成熟﹂とは異なった仕方︑すなわち︑﹁永遠に子供のように可愛く子供のように官能的であり続け
る﹂ことを松浦はブル中野にとっての﹁成熟﹂とし︑だからこそ﹁性器に基づく性別を被せるのは無意味﹂だと結
論づける︵ブルは﹁成熟﹂しているわけであり︑﹁成熟﹂という概念も問いなおされることになる︶︒そのようにして性器を
脱ぎ棄てた存在であるブルは﹁セックス・ギャング・チルドレンの系譜﹂に乗せられる︒そこにはヘリオガバルス
やジュネ︑プリンスといった男性が名を連ねており︑性器に還元されない官能性を探求し︑異性愛主義の呪縛から
性器を﹁解放﹂する企ては男性にも投げかけられることになる︒そして︑このエッセイは﹁すべての男女が性器か
ら解き放たれてセックス・ギャング・チルドレンとなる日を︑私はひそかに夢見ている﹂︵八〇頁︶という未来への
ひそかな希望とともに締めくくられるのである︒なお︑この発想は︑松浦が﹃GS﹄に連載していた﹁優しい去勢
のために﹂というエッセイ
―
﹁何とかして性器結合中心的性愛観を突き崩そうという情熱が込められ﹂た﹁呪文とも散文詩ともつかないテキスト ︶33
︵﹂
―
の最終回﹁セックス・ギャング・チャイルドの歌﹂︵﹃GS﹄七号︑一九八八年︶へと継承されることになる︒
ここまでたどってきたように︑﹁性器からの解放﹂の﹁解放﹂とは異性愛主義の呪縛からの﹁解放﹂をも含意した
ものであるという点︑また︑男性性/女性性の二元論からはみ出るものとしてブル中野の身体を位置づけつつも︑
同時にそれを﹁超女性的﹂であるととらえる点でも﹁性器からの解放を﹂には本稿の第一節︑第二節で取り上げた
エッセイと共通するところがある︒一方で︑﹁性器からの解放を﹂では二つのエッセイよりも明確にブル中野の身体
を通して︑新しい性のあり方が想像/創造されている︒そうした松浦の試みを本稿では最後にクィア・スタディー
ズの文脈に置いて考えてみたい ︶34
︵︒
清水晶子は︑創成期のクィア・スタディーズが﹁奇 クィアな妙なたたずまいやふるまいに特徴づけられた奇 クィアな妙な身体と︑
奇 クィアな妙な効果をもたらす奇 クィアな妙な読み﹂との絡まり合いを前提としていたことを踏まえ︑﹁奇妙な身体が奇妙な読みに影 響すると同時に︑奇妙な読みこそが奇妙な身体を作り出すものでもある﹂と述べる ︶35
︵︒この指摘を参照すると︑松浦
はブル中野の身体︑とりわけその﹁見るからにデリケートな皮膚の下で無邪気にたゆたう贅肉と脂肪﹂に他の人び
ととは別の﹁成熟﹂を︵ある意味では強引に︶読み込み︑そこから﹁性器からの解放﹂という奇妙な読みを導き出し︑
同時にその読みがブル中野の身体を奇妙なものに変化させているということになる︒そのようにして想像/創造さ
れる新しい性のあり方は︑このエッセイが発表されて三〇年以上経過した二〇一九年現在においてもすでに実現し
た過去のものではなく︑今なお未来に託されたものだといえよう ︶36
︵︒
一方︑﹁性器からの解放を﹂をクィア・スタディーズの文脈に置いてみることで改めて際立つ問題もある︒それは
﹁性器を脱ぎ棄てて可愛くセクシーになれば女はいくらでも強く自由になれる︑ブル中野のように﹂︵八〇頁︶という
松浦理英子と一九八〇年代の女子プロレス
一文が示すように︑本節でも触れたが︑﹁性器からの解放﹂が︿強さ﹀と結びつけられている点である︒このエッセ
イには﹁男であろうと女であろうと︑弱いよりは強い方が十全に生きられるに決まっている﹂︵七八頁︶という一節
もあるのだが︑︿強さ﹀が称揚されるのと同時に︿弱さ﹀が退けられることになるのである︒もちろん︑﹁あなたは
女子プロレスを観たか﹂で述べられるように︑そもそも︿社会に規定された女性性﹀が女性と︿弱さ﹀を結びつけ
るものであり︑それを打ち破る﹁怒り﹂として女子プロレスの︿強さ﹀に可能性が込められているということもあ
るだろう︒また︑﹁女は強くなったとか︑いやもともと強い﹂︵七八頁︶といった言い回しに見られる︿強さ﹀とは根
本的に違う︿強さ﹀が︑﹁性器からの解放﹂という発想によって模索されているともいえる︒とはいえ︑︿強さ﹀の
称揚が必然的に喚起する健常性や能力といったものがクィアな読みの過程で暗黙の前提となり反復されることが︑
近年のクィア・スタディーズで批判的に再考察されていることを踏まえると ︶37
︵︑﹁弱いよりは強い方が十全に生きられ
るに決まっている﹂ものなのかという点は
―
もしそうであるならば︑そこでいう︿強さ﹀の称揚が見えなくするものについても
―
立ち止まって考えるべきであるだろう︒以上︑本稿では一九八〇年代の女子プロレスを取り上げた松浦理英子のエッセイをたどってきた︒﹁あなたは女子
プロレスを観たか﹂においてクラッシュ・ギャルズに指摘される﹁対男性意識に捉われることをも含めた︿社会に
規定された女性性﹀﹂を越える試みにせよ︑﹁脂肪は美しかった︑女子プロレスは美しかった﹂においてダンプ松本
の身体に見出される﹁来たるべき時代の女性の理想体型﹂にせよ︑﹁性器からの解放を﹂においてブル中野に奇妙に
読み込まれる人びととは別の﹁成熟﹂の仕方とそこから導き出される﹁性器からの解放﹂にせよ︑さらにこれらの
エッセイに通底している異性愛主義の呪縛からの﹁解放﹂の探求にせよ︑明確な答えを読み手に提供するというよ
りは多分に問題提起的なものばかりであった︒だからこそ︑松浦のエッセイは女子プロレスについて︑また︑ジェ
ンダーやセクシュアリティについて︑そして何よりも両者の関連性について考えるためのさまざまなヒントをもた
らしてくれるものなのである︒
注︵
ロレスリング大試合を日本の女子プロレスのスタートと考える見解もある︵﹃女子プロレス 1︶ ただし︑ガーター争奪戦はリングを使用せず︑プロレスとは異なるルールで行なわれていたため︑五四年の世界女子プ
ーティ・ペア︑クラッシュ・ギャルズ⁝女子プロレス 60年史
―
マッハ文朱からビュ︵ 60年の軌跡﹄ベースボール・マガジン社︑二〇一四年︑一三頁︶︒
︵ 2︶ 亀井好恵﹃女子プロレス民俗誌
―
物語のはじまり﹄雄山閣出版︑二〇〇〇年︑三一―三四頁︒︵ 3︶ 井田真木子﹃プロレス少女伝説
―
新しい格闘をめざす彼女たちの青春﹄かのう書房︑一九九〇年︑六五頁︒︵ 4︶ 亀井︑前掲書︑三六頁︒
︵ ロレスラー小畑千代
―
闘う女の戦後史﹄︵岩波書店︑二〇一七年︶に詳しい︒ たとえば︑全女に所属していない選手であった小畑千代と小畑を軸に据えた女子プロレスに関しては︑秋山訓子﹃女子プ 5︶ 井田︑前掲書︑六五頁︒なお︑本稿では全女の話が中心になるが︑女子プロレスは全女だけに集約されるものではない︒︵ 6︶ 井田︑前掲書︑九七頁︒
︵ 7︶ 亀井︑前掲書︑二四頁︒
︵ 8︶ 亀井︑前掲書︑二七頁︒
︵ 9︶ 亀井︑前掲書︑二九頁︒
10︶ 井田︑前掲書︑一一一頁︒
松浦理英子と一九八〇年代の女子プロレス
︵
︵ 11︶ 亀井︑前掲書︑一八四頁︒
︵ 12︶ 井田︑前掲書︑八︑一二頁︒
︵ 13︶ 井田︑前掲書︑一二一頁︒
︵ 14︶ 桐野夏生・松浦理英子﹁剝き出しの生︑生々しい性﹂︵桐野夏生対論集﹃発火点﹄文藝春秋︑二〇〇九年︶一一頁︒
︵ 旺文社︑一九八六年︶二一七頁︒ 15 ︶ 松浦理英子﹁ブル中野会見記中野さんは笑ってくれた﹂︵大原まり子・松浦理英子﹃大原まり子・松浦理英子の部屋﹄
︵ ッセイからの引用は頁数のみを本文中に記す︒ 16︶ 松浦理英子﹁あなたは女子プロレスを観たか﹂︵﹃優しい去勢のために﹄筑摩書房︑一九九四年︶二三―二六頁︒このエ
︵ 17︶ 桐野・松浦︑前掲書︑一三頁︒
︵ キングヘッズ編集室︑一九九五年︑一九頁︶︒ とか暴力性﹂を問題視する︵トーキングヘッズ編集室編﹃松浦理英子とPセンスな愛の美学
―
ゆらぐ性差の物語﹄トー は﹁普通のマジョリティが自分たちのために被差別者を必要としていたところがあった﹂とも語り︑﹁語り手の持つ加害性 す︒そこに惹かれるんですね﹂と述べ︑﹁文学も同じなんです﹂と女子プロレスと文学の接点を示す︒その一方で︑文学に てリングという空間の中で戦いを繰り広げるわけで︑女性の抑圧されている部分が輝く舞台なのではないかと思うわけで 18︶ 九〇年代のインタビューで松浦は﹁女子プロレスというのも︑女性という被差別者が︑社会が規定する女性性から離れ︵ 19︶ 亀井︑前掲書︑二六頁︒
︵ いなかったことがうかがえるものである︒ という言い方は﹁両性具有的なヒーロー=ヒロイン﹂に近いかもしれないが︑クラッシュが男女のペアのモデルに従って われてましたね︵笑︶﹂と述べている︵柳澤健﹃1993年の女子プロレス﹄双葉文庫︑二〇一六年︑五六三頁︶︒﹁中性﹂ ていました︒﹁ジャッキーは男だ︒マキは女なんだ﹂と︒﹁飛鳥は男っぽい︒でも︑おまえは中性︵的︶なんだ﹂とよく言 20︶ 長与千種はクラッシュ・ギャルズ時代を振り返って︑ビューティ・ペアと対比させつつ︑﹁﹇松永高司﹈会長がよく言っ ァイト﹂した人物といえる︒だが同時に︑当時︑長与に何度もインタビューをしていた井田真木子によると︑長与は﹁取 21︶ 長与は従来の女子プロレスを破壊し︑﹁革命﹂を起こしたとみなされており︑そうした意味でも﹁自由な精神を持ってフ
材のとき︑なかば意識的に︑女子プロレスの社会が︑学校のクラブのような先輩後輩関係を持っていることを強調し﹂︑﹁先輩と後輩のタテ社会が持つ閉鎖的な安定感に︑ときおり強い執着をしめした﹂という︒それを踏まえ︑井田は﹁長与は︑一方では︑独創的な発想を持つ豊かな才能の持主なのだ︒その彼女が︑成功のさなかにあって︑個性を投げ捨てたいと言う姿は︑なんとも不可解な光景だった﹂と長与の両義性を指摘している︵井田︑前掲書︑一五一―一五二頁︶︒︵
︵ 頁︒このエッセイからの引用は頁数のみを本文中に記す︒ 22︶ 松浦理英子﹁脂肪は美しかった︑女子プロレスは美しかった﹂︵﹃スタジオ・ボイス﹄一九八五年一〇月号︶八八―八九
︵ 23︶ 加藤まどか﹃拒食と過食の社会学
―
交差する現代社会の規範﹄岩波書店︑二〇〇四年︑一七五―一七六頁︒︵ 24︶ 荻野美穂﹃ジェンダー化される身体﹄勁草書房︑二〇〇二年︑三六〇頁︒
︵ 濃厚な﹁連帯性﹂を読み取る松浦のスタンスは﹃裏ヴァージョン﹄にも見られるものである︒ られた連帯性﹂が指摘される︵﹃優しい去勢のために﹄八九―九一頁︶︒表面上は激しい闘いの形態をとっている二人から しさ﹀という拘束衣をどこまで引き裂けるかをテーマにした文字通り血みどろの実験﹂ととらえられ︑その二人に﹁秘め 25︶ 松浦の﹁反逆児たちの和解﹂︵一九八八年︶というエッセイでは長与とダンプの抗争が﹁社会が女性に着せかける︿女ら ラーの身体観から﹁多くの女性︑特に 26︶ ダンプ松本の身体の描写は松浦独自の解釈が多く加えられたものではあるが︑その根本にある目論見は︑女子プロレス
10代から
︵ 子プロレスラーの身体とジェンダー
―
規範的﹁女らしさ﹂を超えて﹄明石書店︑二〇一三年︑九三頁︶︒ た﹂身体から自由になる可能性﹂を探求する近年のフェミニズムの取り組みにも通じるものであるだろう︵合場敬子﹃女 20代の女性にとって支配的な価値である︑理想の女性身体としての﹁痩せ︵ 27︶ 浅野千恵﹃女はなぜやせようとするのか
―
摂食障害とジェンダー﹄勁草書房︑一九九六年︑一九八―一九九頁︒︵ 松浦理英子﹁肥満体恐怖症﹂論﹂︵﹃立命館文學﹄︑六五二号︑二〇一七年︶がある︒ ロレスラーの身体への言及を踏まえ︑この作品を分析するものとして︑泉谷瞬﹁自壊する帝国︑世界にのさばる身体
―
28︶ このエッセイのテーマは︑一九八〇年に松浦が発表した小説﹃肥満体恐怖症﹄とも関連深いものである︒松浦の女子プ︵ 29 ︶ 松浦﹁ブル中野会見記中野さんは笑ってくれた﹂二一七頁︒
に記す︒ 30︶ 松浦理英子﹁性器からの解放を﹂︵﹃優しい去勢のために﹄︶七七―八一頁︒このエッセイからの引用は頁数のみを本文中
松浦理英子と一九八〇年代の女子プロレス
︵
年︑三四二頁︶︒また︑後年のインタビューでは﹁いくら頑張っても えること﹂を入門してから望んでいたと述べ︑入門八年目︵九〇年︶に達成したという︵﹃金網の青春﹄扶桑社︑一九九一 ﹃金網の青春﹄では︑﹁女の子にしては︑信じられないことだろうが︑体重を三ケタ代にすること︑つまり一〇〇キロを超 31︶ ブル中野自身は選手時代に体重を増やそうとし︑そのことに苦労したことをたびたび語っている︒現役時代に刊行した
同書では引退試合の際には﹁その一試合のためだけに︑体重を100キロに戻したい﹂︵﹃ブル中野のダイエット日記
―
〇年代に現役から離れた後︑一一五キロから六五キロまで減量し︑﹃ブル中野のダイエット日記﹄を出版して注目された︒ 打って体重を増やそうとしたことを明かしている︵柳澤健﹃1993年の女子プロレス﹄七一―七二頁︶︒なお︑ブルは九 92キロまでしか太れなくて﹂その時期にステロイドを 19号サイズの私が︵ https://ameblo.jp/bullchan-0108/entry-11988281888.htmlけた︵﹇﹈二〇一九年三月二五日閲覧︶︒ った引退試合を二〇一二年一月に行なった時には︑予告通り体重を再び一〇〇キロまで増量し︑その後︑﹁減量手術﹂を受 9号サイズに﹄ブックマン社︑一九九八年︑六五頁︶と述べられているのだが︑九〇年代にしていなか
︵ おり︑その点でモダン・ホラー映画の人気と女子プロレスのブームがつなげて考察されている︒ 放を﹂と同時期の﹁性器のないエロス﹂︵一九八六年︶というエッセイでは皮膚感覚的なエロスがすでに俎上にのせられて 32︶ 松浦理英子﹁親指ペニスとは何か﹂︵﹃親指Pの修業時代﹄下︑河出文庫︑一九九五年︶三二九頁︒なお︑﹁性器からの解
︵ 33︶ 松浦﹃優しい去勢のために﹄五頁︒
︵ 討している︒ 論が多数生産されるようになる﹂︵六六頁︶ことを踏まえ︑クィア理論を導入した﹃ナチュラル・ウーマン﹄の読みを再検 ィングの行方﹂︵﹃昭和文学研究﹄第七七集︑二〇一八年︶が︑九〇年代後半以降に﹁クィア理論の視座に立つ松浦理英子 34︶ クィア・スタディーズとの関連では︑倉田容子﹁断片化に抗う
―
﹃ナチュラル・ウーマン﹄受容史とクィア・リーデ︵ 七頁︒ 35︶ 清水晶子﹁奇妙な身体/奇妙な読み
―
クィア・スタディーズの現在﹂︵﹃現代思想﹄二〇一三年一月号︶二一六―二一︵ り︑その点でもブルに未来の女性像が託されることがうかがえる︒ 36︶ ﹁性器からの解放を﹂は﹃ブルータス﹄一九八七年一月一五日号の﹁女人未来﹂という企画の一部として発表されてお 37︶ この点については︑井芹真紀子﹁フレキシブルな身体
―
クィア・ネガティヴィティと強制的な健常的身体性﹂︵﹃論叢クィア﹄第六号︑二〇一三年︶を参照のこと︒なお︑﹁性器からの解放を﹂ではブル中野が﹁健康﹂であることも強調されている︒