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る︒大学事務局の一部からは︑大学

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(1)

ISSNO385‑9517

私の本務校のゼミの四年生は︑今

年は一七人だった︒だから一月には

一七本の卒業論文を読んだことにな

る︒大学事務局の一部からは︑大学

経営を第一に考えると︑卒業論文の

ように手間ひまのかかることはやめ

て︑就職の役にたちそうな識義だけ

受講して卒業できるように︑カリキ

ュラムを﹁改善﹂すべきだ︑という

乱暴な﹁大学改革論﹂さえ聞こえる

今日このごろだが︑私などは資料の

収集や分析の力︑そして自分の考え

を仲間に伝える能力をみがき︑まと

もな文章を書けるようになるために

は︑就職講座のような速成栽培より

卒業論文と取り組んだほうがずっと

よい︑といつまでも思い続ける﹁保 文書を仏像に籠めるということ

1﹁胎内文書﹂

守派﹂でいたいものだと本気で考え

ている︒

さて︑出された卒論のうちに︑中

世の仏像の胎内におさめられたいわ

ゆる胎内文書についてまとめられた

ものがあった︒その論文には︑今か

らちょうど三○年前に私の書いた卒

業論文の一部を活字にしたものをわ

ざわざ見つけ出してくれて︑引用と

批評をしてくれた部分があった︒私

のものなど︑本当に未熟な史料紹介

にすぎないもので︑汗顔のいたりで

はあるが︑やはり研究者冥利につき

ると言うべきだろう︒それはともか

く︑その論文の筆者の篠崎好雅君に

よると︑胎内文書という言葉は︑古

い辞杏には出てこないで︑最近の歴

史事典に出てくる言葉なのだという︒

それまで私などは考えてみたこと

干々和到

第72号 平成12年3月

もなかったが︑たしかにそう言われ

てみれば︑胎内銘という言葉はよく

聞くが︑胎内文書のほうは︑わりあ

い新しい言葉なのかもしれない︒私

自身のかの史料紹介の一文も﹁峰岡

八幡宮僧形八幡像胎内納入文書につ

いて﹂︵史学雑誌八一六︶という

題名だし︑競近高幡不動の胎内文書

についてまとめられた釈迦堂光浩氏

も︑﹁胎内﹂ということばが﹁母親

の腹の中﹂を意味しており︑仏像な

どの中に納入される位置はかならず しも像の腹部に限らないことから︑

﹁像内納入文書﹂ということばの使

用を提唱しておられる︵﹁足もとの 中世l地域史をひろげる︵9︶像

内納入文書l﹁高幡不動胎内文書﹂

と中世の多摩川中流域l﹂月刊歴史

手帖二四六︶︒

﹁像内﹂と﹁胎内﹂との違いもさ

ることながら︑私と釈迦堂氏とに共

通する﹁納入﹂に注意したいという

用語法は︑仏像の像の中に﹁あった﹂

という現状よりも︑そこに﹁納めた﹂

次1 11

文書を仏像に寵めるということ

﹇史料所在調査報告﹈⁝⁝:⁝⁝⁝.

..⁝・⁝..⁝・⁝..⁝⁝⁝・⁝干々和到①平成十一年度新収史料紹介⁝⁝⁝⁝

﹁歴史史料情報の共同集約と共有化に史料管理学研修会修了者一覧⁝・§

向けてのシステム開発に関する研究﹂受贈図書⁝⁝⁝⁝:⁝⁝⁝..⁝⁝§

について:.⁝⁝⁝⁝⁝・⁝・・・::.⁝⁝④彙報・⁝⁝・⁝・⁝:⁝⁝⁝⁝・・⁝⁝

落語に︑﹁井戸の茶碗﹂というは

なしがある︒浪人の易者から仏像を

買い受けた屑屋が細川家の侍にその

仏像を売る︑というところからその

はなしははじまる︒その侍は︑あま

りにくすぶって薄汚れた仏像を洗い

清めようとぬるま湯でこすっている という行為を重視しようということ であろうか︒

それがひとつだが︑考えてみれば

問題はおそらくそこにとどまらない︒

つまり︑文書を仏像の胎内に納めた

時代︑﹁胎内文書﹂はいったいなん

と呼ばれていたのだろう︒﹁胎内文

書﹂ではなかったかもしれない︒い

や︑おそらく﹁胎内文書﹂ではなか

っただろう︒碩学の先生にお聞きす

れば︑あるいは教えていただけるの

かもしれないが︑私が辛うじて思い

当たる言葉は︑﹁腹篭﹂という言葉

である︒

2腹籠り

(2)

うちに︑台座のところに貼ってある

紙かはがれて︑小判で五○両という

大金がこぼれ出た︑そこでこの侍︑

律儀にも︑仏像は買ったが︑この小

判までは買っていない︑元の持ち主

を探し出して︑この小判を返さなけ

れば︑一方の売ったほうの易者は︑

いや︑その仏像はもう売ったもの︑

中になにがはいっていようが︑売っ

た自分にはかかわりのないもの︑と

展開していく︵﹁井戸の茶碗︵三代

目柳家小さんこ﹁口演速記明治大

正落語集成第七巻﹂より︶︒

ここで注意しておきたいのは︑も

ちろんそのはなしの筋そのものでは

なくて︑屑屋から仏像を買い取った

侍がなにげなくその仏像を振り動か

してみると︑ゴトゴトと中で音がす

る︑というところで︑﹁よく鋳物・

彫刻物などに腹髄りと云って巾に仏

が一つ入っているのがある︑大方そ

れだろうと思って﹂というくだりで

ある︒そして中にはいっていたのは︑

﹁腹龍りと思いのほか︑小判で八○

両という大金﹂だというのだから︑

明らかにこの﹁腹寵り﹂ということ

ばが︑仏像の胎内に納めた別の小さ

な仏像を意味することがわかる︒そ

して︑その﹁腹籠り﹂は︑ここでは

﹁はらごもり﹂と読む︒ では︑﹁腹籠り﹂とは︑仏像の胎

内に納められた仏像のことだけを指

すことばだろうか︒

定かなことを言えないが︑もとも

とはそれだけにとどまることはない

︐と川哩入ノO

時代を遡って︑中世のころの史料

である︒﹁建内記﹂の嘉吉三年三月

二七n条に︑次のような記嚇がある︒

すなわち︑﹁本尊・列祖の其噸測り

がたし︒本尊の御腹心に代々の遺書

を篭めらる︒これ遺像に准ぜらるる

の調なり︒﹂

この記事は︑米村直之氏のご教示

によれば︑﹁建内記﹂の記主である

万里小路時房が自分の家の菩提寺で

ある京都の浄蓮華院の境内で勧進猿

楽が興行されようとしたことに︑不

快感を表明した文であるという︒こ

の中で時房は︑この浄蓮華院の本瞭

の腹中には︑列祖代々の遺神︵現代

の遺言書のような意味ではなく︑故

人の餅いた消息などであろう︶が納

められており︑したがってこの本蝋

は列祖の遺像に准ぜられるものだ︑

と述べている︒そのような寺で︑勧

進猿楽の興行をするなど︑もっての

ほか︑というわけであろう︒

このように故人の筆にかかる消息

などの文書を仏像に籠めることは︑ ところで︑﹁腹寵起詰文﹂︵﹁ふく ろうきしょうもん﹂︑とよむ︶とい う巻物がある︑と中山遠寿院のご住 朏の戸川Ⅱ股上人からうかがったの は︑もう十年以上も前のことである︒

遠寿院は︑日蓮宗の寺院でもと中

山法華経寺の祈祷の行堂として建立

されたものである︒遠寿院の直接の

前身である円立坊の草創が天正十九

年︵一五九二︶のことだというから︑ 胎内納入文書ではしばしば行われる ところであり︑たとえば近年よく知 られるようになった日野市の高幡不 動胎内納入文書の場合も︑南北朝の 戦乱の中で戦死したのではないかと 想像される山内経之という在地領主 の澗息がそのほとんどを占めている︒ この﹁建内記﹂の記事の重要なとこ ろは︑そうした遺普を納入すること で︑その仏像が故人の遺像と同様に なるのだ︑という当時の人々の意識 を私たちに告げてくれていることで あろう︒

そして︑そのような消息の納入を︑

ここでは﹁腹心に籠める﹂︑つまり

﹁腹籠﹂と表現していることに注意

することができよう︒

3﹁腹籠起請文﹂ 今から四○○年前のことである︒そ の後︑元禄年間のころに第三代日久 上人が川て︑祈祷の修法を大成し︑ それ以来︑祈祷の根本道場としての 地位を確立する︒ちなみに︑遠寿院 という寺号は︑このⅡ久の院号であ

る︒

さて速が院では︑いまも毎年︑十

一Ⅱ一Ⅱから報年の二Ⅱ十Ⅱまでの

寒中の︑ⅡⅢ︑祈祷の机伝を受けよ

うとする側侶たちが行堂にこもって︑

水行をはじめとする荒行に明け暮れ

ている︒そしてその荒行を終えたと

きに︑師匠︵伝師とよぶ︶に対して

起請文を書くという︒また︑同時に

巻物の起請文にも署名を加えるとい

箔っO

この巻物のほうの起請文には︑院

内の制規に違背しないこと︑相伝の

師に対して決して違背しないこと︑

相伝を受けた秘法を他人に伝えない

ことなどを誓っているといい︑これ

が﹁腹総起禰文﹂とよばれているも

のである︒現代の﹁腹樋起論文﹂は

信仰に深く関わっており︑私などの

拝見できるものではないが︑江戸時

代の﹁腹繩起詰文﹂は像から川され

ていて︑拝見させていただくことが

できた︒拝見したところでは︑先師

たちの置文︵制規︶が書かれた巻物

− 2 −

(3)

に︑続けて行僧が連署していくとい

った形のものだった︒

なぜこの起請文を﹁腹総起論文﹂

とよぶのかというと︑行堂の本尊は

等身大の鬼子母神なのだが︑この巻

物の起請文は︑その本尊の腹中に納

められるからなのだという︒一般の

胎内納入文書と同じく︑癖約したひ

との意志を仏像の胎内に能めること

によって︑仏に服け︑とどめようと

したと理解してよかろう︒ただ︑こ

の﹁腹龍起請文﹂が変わっているの

は︑その納入の仕方である︒どのよ

うに納めるかというと︑鬼子母神の

背中に引き戸と棚とがついていて︑

その棚に納めるのだという︒つまり

荒行か終わるころに︑この﹁腹龍起

請文﹂を棚から出して行僧たちに署

名をさせ︑またあらためて背中の引

き戸をあけておなかの棚に納めるの

だというのである︒

これは︑考えようによっては︑と

ても合理的なわけで︑速好院では毎

年荒行にはいる行仙がいるわけだか

ら︑一般の胎内納入文書のように︑

いれっぱなし︑未来永劫に納めると

いうわけにはいかない︒当然毎年毎

年︑出し入れをする必要があるのだ

から︑その必要から生み出されたや

り方なのだろう︒ この行堂の鬼子母神は︑行僧以外 が拝むことは許されていないので︑ 私はもちろんまだ拝見もしていない し︑その引き戸や棚がどのような形 状のものかは知らない︒だから推測 するだけなのだが︑よく箪笥の上部 にある引き戸のようなものではない だろうか︒箪笥というものが発生す るのは十七世紀の半ばすぎで︑世間 一般に普及するのは︑十七世紀の末 頃の元禄年間ころからだという紺を 聞いた︵小泉和子氏﹁箙笥﹂︑渡辺 浩一氏のご教示による︶︒それまで は﹁ひきだし﹂のない葛寵︵つづら︶ や長持などが民衆の家具だったとい うのである︒とすると︑このような ﹁腹籠起請文﹂の最古のものが元禄 五年︵一六九二︶の署名からはじま るものだということは︑とても興味 深いことではないか︒つまり︑遠寿 院の第三代の住職であるⅡ久上人が︑ 相伝を受けた行佃の起論文を納める ための場所として︑荒行の本尊であ る鬼子母神の胎内を考えたのだが︑ 同時に︑毎年繰り返して取り出し︑ また納入するという必要にも悩まさ れた︒そこで当時新しく流行してき た箪笥の引き戸と棚にはたと気がつ いた︑ということであろうか︒

所伝では︑行堂の鬼子母神像は︑ このように遠寿院の﹁腹寵起請文﹂

は︑胎内納入文沸としての性格を存

分に持ちながら︑他方では文非の川

し入れが前提となっていることに大

きな特徴がある︒類似の例を︑寡聞

にして私はまだ聞いたことがないの

だが︑この例を胎内納入文書の例外

とみるか︑それとも意識の上では同

一のものとみるか︑が論じられなけ

ればなるまい︒ここでは紙数かつき

て︑そのゆとりはないのだが︑この

例が示してくれたことは︑江戸時代

のこの像の場合には︑﹁腹龍起請文﹂

の保管場所としての機能がこの鬼子

趾神のおなかに持たされている︑と

いうことであろう︒とすれば︑雌近

山岸常人氏が注意された中世寺院の

仏堂の持つもうひとつの機能として

の文書保管の機能ともリンクする問

題であるかに見える︵﹁仏堂納置文

書考﹂国立歴史民俗博物館研究紀要

四五︶︒明らかにそこでは︑﹁霊力﹂

を有する空間しか持ち得ない機能が 元禄年間に京都の仏師如水によって 作られたというから︑時期的にも箪 笥の流行にぴったりと符合すること

になる︒

4結びにかえて 期待され︑そこに文書か納潰されて いたのである︒

そのように考えてみると︑少なく

ともこの像の場合には︑胎内納入文

書というものの意味は︑それが仏像

の胎内に﹁ある﹂という状態よりも︑

﹁納める﹂という所作のほうにより

重要な意味があるということになる

のではないか︒

このように考える考え方を︑胎内

納入文杵一般に適川することは︑で

きないものだろうか︒もしそれが可

能だとするならば︑﹁胎内文書﹂と

いう名称よりは﹁胎内納入文書﹂と

いう名称のほうがよさそうだという

ことになるだろうし︑あるいは﹁腹

籠文書﹂という名称も︑なかなか捨

てがたい気がすると思うのだが︑い

かがであろうか︒

︵史料餓客典教授・剛學院大学文学

部教授︶

(4)

◇﹁システム開発科研﹂のスタート

史料館は︑これまで﹁史料所在情

報検索システム﹂を開発し︑全岡の

近世を中心とした史料データベース

の構築をしてきた︒これは史料群を

単位として︑その所在を検索しうる

ようにするものであって︑一九九九

年度中にその一部公開する予定で進

めてきた︒

史料所在データベースは一定の目

的を達成したが︑史料館では次の段

階のシステム開発を計閲して︑今年

度の科学研究費補助金を得てスター

トさせた︒それが︑表記の﹁歴史史

料情報の共同集約と共有化に向けて

のシステム開発に関する研究﹂で︑

略して﹁システム開発科研﹂と称し

ている︒一九九九年度から二○○一

年度までの三年間︑総額一︑川川○

万円の交付を受ける予定である︒

新たな史料検索システムを﹁共同

集約﹂﹁共有化﹂としたのは︑これ

までの所在データベースの規模を超

えて︑全国の歴史史料をカバーする

情報を集約するには︑各地の文書館 ﹁歴史史料情報の共同集約と共有化に向けての システム開発に関する研究﹂について

など史料収蔵機関との連携か必須で

あるからである︒ここでは︑全脚に

共通するシステムを制作し︑コンピ

ュータネットワークを通じて各館が

情報を蓄穣し︑これを即時に共有化

して︑だれでも︑由に史料情報資源

の提供を受けることができるシステ

ムの構築を意図している︒

第一年目に当たる今年度は︑こう

したシステムにはどのような性格を

そなえるのか必要であるかを研究し︑

一部システムの試作の検討を行うこ

ととした︒共有化すべき史料情報が

全岡にわたるため︑まず各地の文書

館の意見を求める必要かあり︑脚立

公文書館︑滋賀大学経済学部史料館︑

各道府県立文書館において関連の業

務に携わっている館貝に参集してい

ただいた︒第一Mの開催は一○月五

日︑六日︑第二Mは一二月二一Ⅱ︑

二二日で︑それぞれ館外から二一名︑

二六名の参加を得た︒

◇共有化の内容

各館の意見を求めたのは︑まず基 本的なシステムのあり方についてで ある︒史料館からは︑まず︑1.シ ステムのあり方について︑①データ を特定個所に集約して公開する方法︑ あるいは②各機関が情報を別個に公 開し︑ネットワーク環境で検索する 方法︑2.史料構造レベルをグルー プレベルとするか︑シリーズ︑アイ テムレベルまでとするか︑どの深度 までを検討することが適切か︑3. データを公開する所蔵者の範囲を︑ ①各館の収蔵史料のみ︑②県内史料 保存機関の収蔵史料に広げる︑③個 人が所蔵・管理している史料にまで 広げる︑4.データとして採録すべ き項目について︑これまでの所在デ ータベースの項目︑史料館編﹃史料 館収蔵史料総覧﹂の項Ⅱ︑ISAD の頂Ⅱなど︑どの範閉に設定する必 要があるか︑5.その他について︑ 意見を求めた︒

共有化検討の中心点は︑むろん︑

1.システムのあり方にある︒①は

いわばデータの集中型で︑特定の機

関︵例えば史料館︶がデータを集め︑

あるいは沸き込み窓口を悩いて︑こ

れに入力する方式︑②は︑各館それ

ぞれの方法でデータを蓄積し︑この

情報を検索するシステムを制作する

というもので︑とりあえず分散型と ◇今後の取り組み

この三年間で︑システムの構築を

図るが︑次年度は具体的なシステム

の開発を試みる︒

一方︑すでに収蔵史料のデータを

館内で蓄積し︑Web上で史料情報

を公開している機関のシステムに学

ぶ必要を痛感した︒さいわい今年度

はすでに東京大学史料編纂所︑新潟

大学付属図書館を見学することかで

きた︒懇切なご説明をいただいた各

館の方々には︑あらためて紙上でお

礼を申し上げます︒

なお︑今年度のM科研館内委員は︑

代表者の鈴江及び山田哲好︑大友一

雄︑山崎圭各教官で︑これに五島敏

芳リサーチ・アシスタントが随時加 わってきた︒︵鈴江英二 よんでいる︒各館の意見では︑分散 型を支持する意見が大半を占めたが︑ 集中型あるいは両者の折衷型の提案 もあり︑流動的な要素も認められた︒

研究会では︑同時に各館のコンピ

ュータ環境も報告された︒PCを導

入したばかりという館もあるが︑W

eb上の史料怖報検索は︑早晩︑各

館の課題となろう︒システム開発科

研の成果が︑その一石になることを

志している︒

− 4 −

(5)

昨年度に引き続き今年度も九月二 七日から三○日までの四日間︑二

月一六日から一九日までの四日間︑

の二回にわたって山田顕五氏宅︵長

野県中野市︶で所蔵文書の調査を行 った︒参加者は山田正子氏︑湯本軍

一氏︑長野県短期大学横山窓長氏︑

長野県立歴史館から舘林弘毅氏︑梅

原康嗣氏︑田玉徳明氏︑溝口登氏︑

春原正毅氏︑清蘭堂堀田圭吾氏︑当

館から高木俊輔︑安藤正人︑青木睦︑

山崎圭の都合一三名であった︒この

他に︑山田家の皆様︑中野市教育委

員会より多大な御助力を頂いた︒関

係各位には心より御礼を申し上げる︒

山田家文書はその一部が現在当館

の所有となっているものであるが︑

同家の略歴および文書の保管現況な どについては昨年度の報告︵﹃史料 館報﹄七○号︶を参照していただき たい︒今年度は昨年度に行った概要 調査の成果︵文書容器レヴェルの概

要と屋敷内の容器配置状況など︶を

もとに︑二○○三年一○月を一応の

完結目標として段階的に調査を進め

るという計画を作成し︑内容調査に

史料所在 調査報告

信濃国高井郡東江部村山田家文書︵2︶

着手した︒なお︑当館分については

二○○二年三月の目録刊行を予定し

て整理を進めているところである︒

容器の数は︑箪笥から紙包まで同

様に数えて全部で五八あるが︑今回

の調査では三番︑四番︑八番︵以上

は質蔵二階︶︑三六番︑三七番︑三

九番︵以上は文庫蔵二階︶の各容器

に収納された文書について調査した︒

三番は九つの抽斗をもつ箪笥で︑

一九七二年の母屋新築まではその座

敷にあって仏壇下に置かれていたと

いう︒明治末年から昭和初年のもの

が中心で︑感謝状︵諸寺社・諸団体

への寄付に対するもの︶︑祝儀・不

祝儀関係︑土地登記関係︑横浜生糸

合名会社ほかの株式関係など︑その

内容は多様である︒

四番は左右二つずつ四段︑計八つ

の抽斗をもつ箪笥である︒この箪笥

は︑地主山田家が土地を集積するな

かで集めた借金証文を保管する専用

箪笥であったと考えられる︵主に明

治期から昭和初年のもの︶︒この箪

笥の各抽斗内側には︑﹁中野︑平穏﹂

など地名を記した貼札が付されてい

て︑質地の村別に抽斗を分けて整理

されていた︒証文の縦の長さと抽斗

の奥行が揃えられているので︑整然

と収納されている︒調査者の注目が

集まったのは︑抽斗内に証文を仕切

る形で置かれていた長板の存在であ

った︒これは右の例で言えば中野と

平穏を区切るためのものであるが︑

それと同時に証文を抽斗内法の高さ

にあわせて一定規格で折りたたむた

めの宛板でもあることが判明した

︵﹁証文宛板﹂という墨書のあるもの

があった︶︒信濃最大の地主として

大量に集めた借用証文を管理するに

あたって︑一定の工夫がされていた

様子がうかがえる︒借金証文はこれ

以外にも大量に残されているが︑七

代当主︵天明〜文化頃︶山田松斎の

時には︑質地の村ごと・年代ごとに

仕分けをして︑紙帯で括る作業をし

ている︒保管方法が次第に整えられ

ているとも言えようか︒

八番は︑二つの戸棚と八つの抽斗

をもつ箪笥だが︑聞取りによると︑

この箪笥は山田家では重要物と意識

され︑長らく施錠されたまま鍵も失

われていたものを︑顕五氏が壊して

開けたとのことである︒収納文書の

内容は︑近世の割合がやや高い印象

を受けることを除けば︑かなり多岐 にわたっている︒そのなかでも寄 付・救仙金に対する領収証のほか︑ 屋敷地絵図︑幕末維新期の質地証 文・小作証文︑御用金関係などは比 較的まとまって残されている︒

三六番︑三七番は︑山田家が近年

になって古書店から購入した分家の

山田理右衛門家文書である︒この家

の文書は︑その一部が長野県立歴史

館にも所蔵されているので︑同館の

方々が整理にあたり文書群の全貌を

検討されている︒この家は本家にか

わって東江部村名主を勤めた期間が

長く︑年貢皆済目録・宗門改帳など

村方の基本帳簿を数多く残している︒

三九番は︑昨年の報告にも記した千

曲川掘割関係史料であり︑これも歴

史館の方々が整理を担当し︑その一

部は特別展などに今後生かされてい

くとのことである︒

以上の杓容調査を進めるとともに︑ 今回の調査では︑山田家文書を今後

どのように保存していくかという観

点から保存状態の確認も行い︑今後

必要とされる処置︑必要となる物品︑

などをリスト化して保存のためのプ

ログラムも検討した︒調査は始まっ

たばかりでまだ先は長いことと思わ

れるが︑大方の御協力をよろしくお 願い申し上げたい︒︵山崎圭︶

(6)

一九九九年一一月二二日から二五 日までの四日間にわたって︑丑木幸 男︑山崎圭の両名が土屋久寿弥太氏 宅︵長野県佐久町海瀬︶で文書の調

査を実施した︒調査にあたって土屋

家の皆様に御協力いただいたことに

つき御礼を申し上げたい︒

土屋家文書の大半は現在当館の所

蔵となっており︑その文書目録も

﹃史料館所蔵史料目録﹄二四集とし

て既に発刊されている︒今回調査を

行ったのは︑地元である佐久町が

﹃佐久町誌﹄の編纂を進める過程で

調査した結果︑同家に未整理文書が

残されていると判明したことによる︒

貴重な情報を提供していただいた佐

久町誌編纂室にも御礼を申し上げる︒

この未整理文書は︑木箱・ダンポ

ール箱・手提げ袋などに入れられて︑

庭にある蔵二階の長持中に保管され

ていた︵箱番号す・せ・そは別︶・

調査にあたっては︑木箱など収納容

器ごとに︑あ〜そ︑までの容器番号

を付与し︑容器ごとに収納史料の概

要を記録した︒史料の多さに比べて

調査時間が十分ではなかったため︑

史料所在 調 査 報 告

信濃国佐久郡下海瀬村土屋家文書

一点ごとの内容目録までとることは

できず概要調査にとどまったが︑帳

簿類など冊子型史料については極力

表題をとることにした︒以下に概要

をごく簡単に紹介する︒

あ⁝紀伊国屋の手提げ袋入り︒佐

久町誌編纂室が新出文書として整理

したのはこの袋内のもの︒全体を支

配・土地・生活などに分類して封筒

詰している︒内容は多様だが近世期

のものが比較的多く︑名主入札など が注意をひく︒

い:・佐久セントラルホテルの手提

げ袋入り︒大袋に多量の文書が詰めら

れているが︑近世から明治の書状類が

多い︒ほかに満州分村関係書類︑文久

三年会所諸勘定取訓帳︑領収書類など︒

う:ダンボール箱入り︒明治初年

から大正初年の貨幣︵紙幣︶収入︵支

出︶簿など明治年間の経営帳簿多数︒

また明治二・三年﹁年中日記録﹂を

はじめ明治の日記もいくつかあり︒

え;・木箱入り︒昭和初年の領収証

綴などが主︒

お:・黒塗木箱入り︒上蓋裏書に

﹁信州佐久郡下海瀬村土屋与左衛門 用︑此箱何方へ前︵参力︶り候とも 名印方へ御かへし可被下候﹂とある︒ 明治四○年の字崩岩堤防工事関係書 類が中心︒

か.:黒塗木箱入り︒上蓋表書にチ

ョークで﹁発句集﹂とあり︒上蓋袈

書は右に同じ︒嘉永から明治前半期

の俳譜関係の典籍︒

き⁝黒塗木箱入り︒上蓋表書にチ

ョークで﹁祝儀香典帳﹂とあり︒大 正から昭和初年のもの︒

く⁝小型のこおり入り︒祝儀︵香典︶

受納帳︑結納目録など︒大正年間前

後のものがほとんど︒

け⁝佐久セントラルホテルの手提

げ袋入り︒大袋に多量の文書が詰め

られており内容も多様だが︑﹁安政

以来手紙入﹂とある袋入書状︵約一

三○点︶︑大正年間の金銀出納帳︑

明治一八年の村々から連合戸長︵代

理︶宛書類引渡目録︑明治後半期の

海瀬村役場関係書類︵予算関係︑議

事録︑ほか︶︑など︒

こ:.ビニール袋入り︒金銀出入帳︑

貸借明細帳︑定期預金通帳など︑明

治末年から昭和初年のもの︒

さ・・・佐久セレモニーセンターの袋

入り︒幕末期のものと思われる書状

の束が多数あり︑明治二・三年に活

動した勧農役宛のものも見られる︒

他に﹁衛生連合組合会集金入﹂の袋

に入った明治期の書類︵海瀬用水使

用料訴訟調停関係︑役場領収証︑衛

生掛辞令︑ほか︶など︒

し・・・紙袋入り︒名主入札一括︒書

状九点一括束︒廻状・人馬触一三点

一括束︒人馬触三九点一括束︒廻

状・人馬触四七点一括束︑など︒

す⁝桐製箱入り︒上蓋表書﹁古文

書筥﹂とあり︒内容は多様だが︑幕

末から大正の伴野氏関係のもの︑秩

父騒動関係のもの︵役場書類保護の

褒賞状︑実見談ほか︶︑愛国婦人会

関係書類︑近世初期の御巣縢関係文

書︑昭和期の歴史学関係者たちとの

私信︑など︒

せ⁝特製桐箱入り︒土屋伴野氏系

図一巻︒

そ:・紙箱に一括して丸めて保管︒

地券三三枚︒

土屋家に残されている文書の概要

は右の通りで︑明治期以降の下海瀬

村を分析するに際しては当館分だけ

でなく︑現地分の文書もあわせて検

討する必要があると言えよう︒また︑

近世についても書状などが多数残さ

れ︑同じ一族から旗本になった伴野

氏との長期にわたる交流などについ

ても知ることができた︒今後の検討

を要するだろう︒ ︵山崎圭︶

− 6 −

(7)

⑦杣錨麺毒捌銅壁垂町万屋

東京経済大学図諜館所俄の小堀家

文桝について︑昨年度にマイクロフ

ィルムで収集した分︵P9801︶

に引き続き︑残る﹁勘定帷﹂川七冊︑

および﹁延方勘定帳﹂一四冊をマイ

クロフィルムで収集した︒

本史料群は︑当館所蔵の山城国堀

之上町万屋小堀家文書と本来は同一

出所のものである︒当館所蔵分は同

家の家関係の文書が含まれるのに対

して︑東京経済大学図沸館所職分は

決算帳簿を中心とするもので︑江戸

期両替商の経営を知ることのできる

有数の史料群といえる︒両者をあわ

せて検討することで︑より小堀家文

香の理解を深めることができよう︒

なお︑二年間にわたる収集にご協力

いただいた東京経済大学側岬飢の杵

様に心より御礼申し上げたい︒

︵現蔵者Ⅱ東京経済大学脚杵館︑所

蔵場所Ⅱ国分寺市南町一丁Ⅱ七番地︑

撮影点数六一点︑三九四八コマ︑七

リール︶

平成十一年度新収史料紹介

⑤杣錨麺鯨評堀之上町万屋

近世中期から明治・大正期にかけ

て︑京都堀之上町六角通りにおいて

両替商として活動した小堀家のⅢ住

居地は︑現在︑ホテル松井︵代表取

締役松井孝太郎氏︶の所有地となっ

ており︑同ホテルでは小堀家旧蔵の

﹁中勘定帳﹂一冊を所蔵している︒

これは︑決算帳簿のなかでも両替商

としての小堀家の経営を分析するう

えでの中核的史料である︒東京経済

大学所蔵小堀家文書には初期の﹁中

勘定帳﹂一冊︑淵館所蔵文書には後

期の﹁中勘定帳︵原題並大宝永こ

を所蔵するが︑右の﹁中勘定帳﹂は

その間の欠を埋めるものであり︑か

つ小堀家の経営がもっとも繁栄する

重要な時期にあたる︒本史料の収集

をお許しいただいたホテル松井の皆

様に心より御礼申し上げたい︒

︵現蔵者Ⅱホテル松井︑所蔵場所Ⅱ

京都市中京区六角通商倉東入︑堀之

上町一○二六番地︑撮影点数一点︑

一七八コマ︑一リール︶ ⑤はマイクロフィルムに

よる収集を示す︒

⑤伊豆国田方郡韮山江川家文書

江川家は近世中期以降代々幕府代

官を勤めた家として知られている︒

Ⅲ家には近世中期から幕末・維新期

にかけての代官文書か大量に伝来し

ており︑幕府代官文書としては咄指

のものである︒代宥研究をはじめ︑

江川代悔支配下地域の研究を進める

上でも批敢な史料である︒

對館では︑昭和川二年度に五川リ

ールの文普を撮影し︑さらに昭和六

三年︑平成元.二・九・十年の各年

度に︑都合三三リールを追加撮影し

てきた︒しかし︑明治初期のものを

含め重要なものが少なくない︒よっ

て前年度に引き続きマイクロ収集を

実施した︒収集史料の内容は多岐に

わたるか︑三島・箱根・吉原宿など

の布助成︑無宿者の取り扱い︑御

林・並木関係︑海防︑台場築造︑難

破船などをはじめとする代官関係文

杵と︑江川家の財政に関する史料

﹁御職米御勘定帳﹂や所領の金谷村

関係史料などである︒なお︑何文#

の閲覧には江川文庫の許可を必要と

するので︑利用に際しては事前に当

館までご連絡いただきたい︒

︵現蔵者Ⅱ江川文庫︑静岡県田方郡

韮山町韮山︑電話○五五九四−九−

一○○二︑撮影史料点数一四○点︑ ⑤評岬蠣簔稻郵閑副緬場文書

マイクロフィルムによる史料収集

を継続して八年目になる今年度は︑

戸長役場期から町村制施行後の教育

関係史料を収集した︒大正末年に向

山町戸長役場史料・町役場史料を整

理した際に評価選別して︑保存する

ことに決定した戸長役場期から町村

制施行後までの史料を︑主題別に編

綴した﹁学事史料﹂︵明治六年〜二五

年︶︑﹁学校経営﹂︵明治一五年から三

五年︶等である︒そのほか︑明治期の

高山町役場日誌︑﹁高山町役場新築二

係ル書類﹂等役場新築関係史料およ

び﹁宗門人別帳﹂のうち一之町村分︵明

治元年︑二年︑三年︑四年︶︑二之町村

分︵明治元年︑二年︑三年︑四年︶︑三之

町村分︵文政一二年︑安政元年︑万延

元年︑明治四年︶を収集した︒

膨大にある近肚の町会所史料は収

録を断念し︑今年度で同文評のマイ

クロ収集作業は終了した︒なお︑高

山市郷土館が同文課のⅡ録刊行を計

測している︒

︵現蔵者Ⅱ岐阜県高山市上一之町七

五番地︑高山市郷土館︑撮影点数三

八件︑一五リール︑九○八九コマ︶ 七リール︑三四○五コマ︶

(8)

1999年度(通算第45回)史料管理学研修会修了者一覧

〔長期研修課程〕

名 前

吉 住 健

(兵庫県知事公室文 脊課主任)

呉 心 之

(お茶の水女子大学 大学院)

赤 澤 春 彦

(中央大学大学院)

内 野 豊 大

(中央大学大学院)

坂 口 あ か ね

(中央大学大学院)

鋲 目 良 文

(中央大学大学院)

友 田 昌 弘

(中央大学大学院)

橋 本 由 起 子

(中央大学大学院)

僕 塚 巨 人

(中央大学大学院)

宮 永 廣 美 (中央大学大学院)

岡 部 泰 子

(お茶の水女子大学 大学院)

倉 田 裕 子

(昭和女子大学大学院)

レ ポ ー ト 題 目

兵庫県における歴史的公文書の収集システムに

つ い て

台 湾 に お け る 史 料 管 理 の 現 状

有志団体による古文書調査−中央大学山村研究 会 を 例 に −

『現状記録』の実践一京都府北桑田郡京北町古 文 書 調 査 一

「東大寺文書』の保存と整理に関する一考察一 印 蔵 と 公 験 唐 植 を 中 心 と し て 一

大学資料館の可能性一大学アーカイヴズをめざ

し て −

宮 島 誠 一 郎 文 書 の 目 録 編 成 上 の 問 題 点 地域史料の保存と活用について‑11の出町史編 纂事業を通して−

天保期の飢鐘史料一「飢瞳禄」を中心に−

律令国家の文書管理−中務省の機構を通して−

自治体史編纂と地域文書〜千葉県夷隅郡大原町

の ケ ー ス 〜

記録と構造分析一竹田金春七郎氏綱による蔵書 の 記 録 を 中 心 に −

〔短期研修課程〕

名 前

脱 毛 敏 夫 (大分県立先哲資料

館主任研究側)

久 葉 裕 1 1 1

(新勝浜市広瀬歴史

記念館管理係係長)

吉 江 剛

(群馬県立文書館主 幹兼指導主事)

田 村 日 出 男

(│可志社大学I可志社 社史資料室事務長)

清 水 悪 枝 柏 木 規 子

(藤女子大学岡書館 司書)

平 田 有 宏

(秋田県公文書館主事)

佐 薩 史 子 (秋田市立中央図書

館明徳館主査)

小 室 友 嗣

(秋田市立中央図書 館明徳館主査)

猿 I H 信 子

(本荘市史編さん室 主査)

工 藤 英 子

(能代市史繕さん室 主事)

山 口 拓 史

(潴古I堂大学史資料室 助手)

和 田 秀 作

(111口県文書館専門研 究貝)

上 H I 和 夫 (花王株式会社社史

稲纂室主席ディレ

クター)

茂 角 征 一

(神岡町教育委員会 町史編纂調査員)

レポート題目

文書館展示のアイデンティティー「記録史料腱 示論」の整理と展望一

広瀬歴史記念館と新居浜市における史料腎理の 課 題 に つ い て

群馬県立文書館における公文書幣理の現状と課 題 一 保 存 利 用 の た め の 整 理 に つ い て − 研究所における寄託・寄鮒資料の整即について

−「山室軍平関係」資料の整理過程を中心に−

史料整理考一若狭同大飯郡川上村三谷家文詳を 通 し て 一

史料の利用と普及における大学図書館の役割と ア ー キ ビ ス ト に つ い て

秋田県公文書館古文書課における史料の複製化 の現状と今後の課題

秋田市立中央図書館明徳館における古文背の保 存と利用の問題点

秋田市立図書館の「インターネット資料検索.

予約システム」と保存資料(史料)のリンク構 想 に つ い て

「文書館」設立を実現するためには、何をすべ きか

能 代 市 に お け る 史 料 管 理 の 現 状 と 課 題

大学史資料室における「行政文書」管理の可能 性 に つ い て

大内氏の「殿中文庫」について−中世大名家の 文書保管の一事例一

企業アーカイブ論序説一企業史料の収集・整 理・保管・公開についての試論一

私 設 ア ー カ イ プ ス 設 立 を め ざ し て

名 前

石 村 篤 史 (中野区立歴史民俗

資料節専門研究員)

横 1 1 1 陽 子

(千葉大学大学院)

寒 川 登

(大阪教育大学附属 同書鯨専門側)

原 島 祥 1 1

(日本女子大学大学院)

青 山 桂 子

(日本女子大学大学院)

根 本 佐 智 子

(日本女了・大学火学院)

倉 橋 圭 「 .

(お茶の水女子大学 大学院)

安 藤 禍 平 (広島鼎立文書航主任

研究貝)

井 上 聡 f ・

山 口 1 1 i 枝

(禍間県地域研究所 研究tl)

名 前

伊 膜 邦 忠

Ⅱ大学附幌│?xl樽、 I

澗併係)

三 i l l i 鵬 之 (北海inl#1拓 兇念飢

耶業部腱示拠)

井 I I は る 巣 (奈良教育大学大学院

研究生)

イ i 山 勲

(福岡県立I灘I寄航郷土 資料諜操腿)

小 山 恭 一 「 .

(禍岡県地域史研究所 助手)

崎 原 盛 俊

(岡山大学大学院敬fr 学研究科)

渡 辺 真 紀

(仙台市博物航IIj史綱 さん室嘱託〉

佐 保 降 両 ]

(立正佼成会文書節 設立準備室)

阿 川 幸 子

(宇土市教育侭Ll会 市史糧さん室主耶)

駒 木 正 滴

(愛知県総務郁 膿史綱さん室主壷)

内 山 俊 身

(茨城県立歴史資料室 首席研究側)

近 蔭 順 子

(学留院大学史料鮪 嘱託)

芳 地 将 子 (岡側工業写真(株)

文化事業課)

菅原11li希子

(秋M1鼎公文書館 公文香課主11)

− 8 −

レ ポ ー ト 題 目

中 野 区 の 文 書 管 理 と 将 来 へ の 試 案

愛 媛 県 宇 和 島 市 三 浦 川 中 家 文 書 調 査 会 の 現 状 課 題についての試案

都 巡 府 県 立 公 文 書 館 の 普 及 活 動 の 現 状 と 課 題

企 業 に お け る 文 書 管 理

IEI立武蔵野学院図書室・医務課・院長室の図 書・資料について−開院から昭和13年の内務省 管 輔 下 一

川崎'1jIIj民ミュージアム収蔵池上家文書の伝来 と 特 色

怖鍬の史新一「宗譜j修譜課程にみられる中国 観族組織の特徴一

評 価 選 別 拾 の 課 題

ラ ベ リ ン グ に 用 い ら れ る 接 蒜 剤 の 検 討 一 CMC・MCの研究を通して−

宮座文啓の「御神体」化について−古宮八幡神 社(柵│州叫)の文書を事例として一

レ ポ ー ト 題 目

北〃教育膏料の情報サービスについて

北海道拓殖銀行の文書保補:体Iljと「史料室」−

北海適妬賊銀行寄11W資料のH録編成と解題執筆 に向けて−

滑楽(豊能)の「記録」

リ『いX私投における歴史資料のあり方について

"III中家文寄について

「沖縄の歴史愉報研究」ホームページに関する 評 価 と 問 題 点 一 主 に 利 用 音 の 立 場 か ら − 自治体史編さんにおける史料管理一公文書館の な い 街 で 記 録 史 料 が 失 わ れ な い た め に − 文書館学からみた法話テープの収集・整理・保 存・利用

行 政 文 書 の 保 存 と 現 状 に つ い て − 宇 土 市 史 編 さ ん 室 の 取 組 み −

県 史 綱 さ ん に お け る 資 料 鋼 査 及 び そ の 収 集 ・ 整 蝿 の 紺 問 題

茨城県立腰史航のデータベースシステムと課題

学 習 院 大 学 史 料 館 の 役 割 一 現 状 と 今 後 の 課 題 一

地方行政文書の保存利用とマイクロフイルム化

に つ い て

公文蔀'順収蔵資料の保存方法について

(9)

北長家騒記の研究︹角島一治︺

福井市史通史編l︑資料編1考古補

過︑資料糊6︹福井市︺

山梨県史資料稀M︹山梨県︺

富士吉田市史資料編第5巻︹富士吉

田市史編さん委員会︺

松本市史第2〜3巻︹松本市︺

長野市誌第1︑5︐8︑B巻︹長野

市︺

坂下区誌︹坂下区誌編集特別委此会︺

豊科町誌自然編︑歴史編・民俗編・

水利編︑近現代編︹豊科町誌刊行会

︵豊科町教育委員会︶︺

新修関市史史料編古代・中世・近世

1︑近枇2〜4︑近代・現代︑通史

編︑考古・文化財稀︑民俗細︹関市︺

本阿弥新川史︹梅津町︺

美濃加茂市文化財調査集録第1〜2

集︹美濃加茂市教育委員会︺

湖西市史資料編3〜7.9︹湖西市

史編さん委員会︺

湖西市史総合年表資料編別巻︹湖内

市史細さん委貝会︺

沼津市史史料編近代I︹沼津市史編

さん委員会・沼津市教育委員会︺

菊川町史近世史料編︹菊川町史編さ

受贈図

平成九年度

( 二 )

圭巨

ん委員会︺

森町史資料編4.5︑通史編上巻

︹森町史編さん委員会︺

金谷町史資料編1古代中世︹金谷町

史編さん委員会︺

相良町史資料編古代・中世︑近仙

︵1︶︵2︶︑近現代︑通史編上・下

巻︹相良町︺

豊岡村史資料編1近世︑2近現代︑

3考古・民俗︑通史編︑別巻︹豊岡

村史編さん委員会︺

浅羽町史資料編2近世︹浅羽町史編

さん委員会︺

裾野市史資料推神1〜3︹裾野市史

編さん専門委貝会︺

磐田市資料叢書第1集︹磐田市教育

委員会︺

図書館叢書7︹浜松市立図書館︺

沼津市歴史民俗資料館資料集︹M︺

︹沼津市朧史民俗資料館︺

新修名古犀巾史第1.8巻︹新修名

古屋市史編集委員会︺

犬山市史通史編上︹犬山市︺

八開村史資料編1村絵図集︑民俗編

︹八開村史編さん委員会︺

豊川史料叢書松平太郎左衛門家文書

1︑猿投神社中世史料︑廣見村史料

1.2︑松平太郎左衛門家文書︑渡

邊半藏家分限帳上・中・下︑學母藩

史・畢母藩譜︑内藤家文書記録 1.編著l︹職川史料叢書編纂委員 今云︺

豊橋市史々料叢書4︹豊橋市史編集委

員会︺

川原藩日記第n巻︹田原町︺

近世の瀬戸︹瀬戸市史編さん委員会︺

蝋川用水と渥美腱村︹愛知大学綜合郷

土研究所︺

あいちの民俗芸能︹愛知県教育委員会︺

花祭論︹愛知大学綜合郷土研究所︺

三重県史資料編中世1︵上︶︑別編

自然︹三重県︺

安濃町史資料編︹安濃町史編纂委員

︿云︺

平松楽斎文書6.8〜焔・加︹津市

教育委員会︺

水口の伝承︹水口町教育委員会︺

長岡京市史資料編l〜3︑本文編

1.2︑民俗編︑建築・美術編︹長

岡京市史編さん委典会︺

宮津市史史料編第1.2.5巻︹宮

津市史編さん委貝会︺

新修亀岡市史本文編第1巻︑資料編

第4巻︹亀岡市︺

和知町誌第1巻︹和知町誌編さん委

員会︺

和束町史第1巻︹和束町町史編さん

委員会︺

木津町の歴史︹木津町︺

藤井寺市史第1巻︹藤井寺市史編さ

ん委員会︺

河内長野市史第1巻︵下︶︹河内長

野市史編修委員会︺

羽曳野市史第1巻︹羽曳野市史編纂

委員会︺

摂津市史︹本文編︺︑史料編4︑別巻

︹摂津市︺

門真市史第3巻︹門真市︺

寝屋川市史第2.8巻︹寝屋川市史

編纂委員会︺

大阪市史史料第蛤〜別輯︹大阪市︺

郷土枚方の歴史︹枚方市史編纂委員会︺

︹湛屋川市︺新聞記事集成編第1〜

4巻︹寝屋川市史綱纂委典会︺

大谷女子大学資料館報告書第拓・訂

冊︹大谷女子大学資料館︺

加古川市史第2.4.6上・6下巻

︹加古川市︺

中世の家島︹真浦地区自沿会︺

山崎の歴史︹山崎町教育委典会︺

三木市有宝蔵文書第3巻︹三木郷土

史の会︺

姫路市史資料叢書1︹2︺・了︺︹姫

路市市史編集室︺

加古川市史史料1〜3︹加古川市︺

忠臣蔵第6巻︹赤穂市総務部市史編

さん室︺

赤棚義士論︹赤穂市総務部市史編さん

室︺

海南市史第4巻︹海南市史編さん委

(10)

貝会︺

日置川町誌通史編上巻︹日置川町誌

編さん委員会︺

美山村史通史編上︑下巻︑史料編

︹美山村史編纂委員会︺

串本町史史料編︑通史編︹串本町史

編さん委員会︺

仁多町誌︹仁多町誌編纂委員会︺

町誌隠岐西ノ島の今昔︹西ノ島町︺

郷土斐川物語︹斐川町教育委典会︺

建部町史地区誌・史料編︑民俗編︑

通史編︹建部町︺

鴨方町史本編︑史料編︑民俗編︹鴨

方町史編纂委員会︺

松江藩格式と職制︹中原健次︺

古文書調査記録第〃・聰集︹福山城

博物館友の会︺

下関市史市制施行l終戦︑終戦l現

在︑民俗編︑資料編1.3.4︑別

巻︹下関市︺

豊浦町史3考古編︑民俗編︹豊浦町

史編纂委員会︺

萩藩閥閲録別巻︹山口県文書館︺

阿波・近世文化の諸相︹大和武生先生

還階記念論集刊行会︺

増補改訂大洲市誌上︑下巻︹大洲市

誌編纂会︺

福岡県史近代史料編嘉穂銀行︵2︶︑

近代史料編労働乃九州︵1︶︹西

日本文化協会︺ 久留米市史第4〜⑬巻︹久留米市史

編さん委員会︺

八女市史上︑下巻︑年表編︑資料編

︹八女市史編さん専門委員会︺

小郡市史第1巻︹小郡市史編集委貝

今云︺

宇美町誌︹宇美町誌編纂委員会︺

大木町誌︹大木町誌編さん委員会︺

添田町史上︑下巻︹添田町史編纂委

典会︺

増補改訂芦屋町誌︹芦屋町誌編集委員

今云︺

前原町誌︹前原町︺

玄海町史話伝説︹玄海町︺

郷土江浦町︹郷土江油町細集部︺

小森承之助日記第3巻︹北九州市立

歴史博物館︺

柳川歴史資料集成第2集︹柳川市史

編集委員会︺

九州文化史研究所史料集l︹九州大

学九州文化史研究所︺

佐賀県文化財年報1︐2︹佐賀県教

育庁文化財課︺

平戸市史自然・考古編︹平戸市史編

さん委員会︺

多良見町郷土誌︹本細︺︑資・史料

編︹多良見町教育委貝会︺

新熊本市史史料編第6巻︑通史編第

8巻︹熊本市︺

宮崎喋史史料稲近現代5︑史料編近 北海道開拓記念館一括資料目録第認

集︹北海道開拓記念館︺

市立函館図書館蔵郷土資料分類目録

第賜分冊︹函館市立函館図書館︺

北海道立文耆館所蔵公文書件名Ⅱ録

過︹北海道立文書館︺

苫小牧市博物館所蔵資料目録吃︹苫

小牧市博物館︺

古川菊太郎資料Ⅱ録I︑Ⅱ︹幕別町 世6︑通史編原始.︑古代︵1︶︹宮

崎県︺

宮崎県史叢書︹宮崎県︺

都城市史別編︹都城市史編さん委員

今云︺

姶良町郷土誌︹姶良町郷土誌改訂編さ

ん委員会︺

富田砕花資料目録第1〜3集︹芦屋

市教育委員会︺

脈史博物館整備に伴う収蔵資料Ⅱ録

平成5.6︐7年度︹香川県教育委

員会︺

静岡県史通史編2.4.6︹静岡県︺

豊田町誌資料集近世編︵1︶︵Ⅱ︶

︹豊田町誌編纂委典会︺

︹山崎町︺文化財シリーズ第2〜4

集︹山崎町教育委員会社会教育課︺

平成一○年度 1 受贈図

室自

1 教育委員会︺ ︹北海道開拓記念館︺常設展示資料目

録︹北海道開拓記念館︺

市立函館図書館所蔵ロシア語資料目録

I︹函飢Ⅲロ交流史研究会︺

青森県立郷土館収蔵資料目録第8集

︹青森県立郷土館︺

青森県史資料所在目録第2集︹青森

県︺

山本甚平家文杏目録︹二戸市朧史民俗

資料館︺

山形県立図書館郷土資料目録7︹山

形県立図書館︺

古文書近世史料目録第Ⅱ︑加号︹山

形大学附鵬博物館︺

山形県関係新聞記事索引平成8︐9

年版︹山形県立図書館︺

山形県内出版物目録平成8︐9年度

︹山形県立図書館︺

寒河江市史盗料所在Ⅲ録第Ⅲ〜吃集

︹寒河江市教育委員会社会教育課︺

︹山形県︺下川区有文書︹下川区有文

書保存会︺

︹山形︺県人文庫目録︹山形県立図書

館︺

︹福島県︺朧史資料館収蔵資料目録

第羽集︹︵財︶福島県文化センター︺

郡山市歴史資料館収蔵資料目録第皿

集︹郡山市教育委員会︺

︹茨城県立朧史館︺史料Ⅱ録蝿︹茨

‑ 1 0 ‑

(11)

城県立歴史館︺

茨城県立歴史館蔵書目録︹茨城県立歴

史館︺

茨城大学附属図書館郷土史料目録6

︹茨城大学附属図書館︺

茨城県立歴史館漢籍Ⅱ録︹茨城県立歴

史館︺

東海村諸家文書目録︹東海村︺

伊奈町史文書Ⅱ録第一〜叫集︹伊奈

町教育委員会︺

茨城県行政文書目録︵2︶︹茨城県立

歴史館︺

︹八千代町教育委員会︺収蔵文書目録

第一〜二集︹八千代町教育委員会︺

栃木県史料所在Ⅱ録第集︹栃木県

立文書館︺

栃木県立図書館クラシックレコード目

録第2巻︹栃木県立図書館音楽資

料室︺

︹今市市︺旧町村文書目録︵1997

年︶︹今市市歴史民俗資料館︺

山崎コレクション目録︹群馬県立博物

館︺

群馬県立文書館収蔵文耆目録脆︹群

馬県立文書館︺

群馬県行政文書件名目録第皿集︹群

馬県立文書館︺

埼玉資料年報昭和弱年度︹埼玉県立

浦和図書館︺

埼玉県立文書館収蔵文書目録第諏集

︹埼玉県立文書館︺

︹理化学研究所保存資料目録︺︹理化学

研究所︺

︹埼玉県立文書館︺収蔵地図目録第

3集︹埼玉県立文書館︺

上福岡市立朧史民俗街料館所蔵街料Ⅱ

録︹上福岡市立歴史民俗資料館︺

八潮の地域新聞目録︵平成2〜9年次︶

︹八潮市立資料館︺

八潮の地域新聞H録1〜7︹八潮市

立資料館︺

八潮の行政文書Ⅱ録庶務・行政・財

務編︑税務・戸籍・土地・教育編

︹八潮市役所︺

八潮の諸家文書H録︹八潮市役所︺

坂戸市郷士歴史資料第五集︹坂戸市

教育委員会︺

成田山仏教図書館新宥図詳目録第鍋

〜妬号︹成川山仏教図書館︺

浦安市に関する新聞記事索引累積索

引版︵1983年〜1987年︑1

988年〜1992年︶︹浦安市立

図書館︺

浦安市に関する新聞記事索引199

3年〜1995年︹揃安市立M諜館︺

千葉県印旛郡栄町史資料目録1︹栄

町︺

松戸市立博物館歴史資料集1︐2

︹松戸市立博物館︺

憲政資料目録第一九︹国立国会図書

館︺

明治大学刑事博物館目録第弱︑帥号

︹明治大学刑事博物節︺

明治大学所蔵内藤家文書増補・追加目

録︵6︶︑︵7︶︹明治大学刑事博物

館︺

学習院大学史料館所蔵史料目録第M︑

旧号︹学習院大学史料館︺

塩業関係資料仮Ⅲ録鋪旧集︹財川法

人塩事業センター︵塩業資料室︶︺

公文類聚目録第十三︹国立公文書館︺

二松学舎大学附属図替館蔵逐次刊行物

目録︹二松学舎大学附属図書館︺

八王子市郷土資料館収蔵古文書目録

︹八王子市教育委員会︺

東京家政学院大学図書餉報別冊食関

係所蔵論文目録︵稿︶︑女性関係所

蔵論文目録︵稿︶︹東京家政学院大

学図書館︺

大田区立郷土博物館収蔵姑目録︹大田

区立郷土博物館︺

東京都公文誹館所蔵行政文書目録学

事編明治調︑如年︹東京都公文書館︺

坂井修一氏所蔵文書目録N0.5︹森

安彦︺

東京都立中央図書館蔵木子文庫目録

第1巻︹東京都立中央図書館︺

三井文庫所蔵史料主要帷郷Ⅱ録︵京本

店等作成分︶︹財団法人三井文庫︺

東京資料目録l新間・雑誌l︹東京都 立中央図書館︺

東京都立中央図筈館朝鮮語図書目録

袖迩版︹東京都立中央図升館︺

東京大学史料編墓所写真帳目録︹索引︺

︹東京大学出版会︺

︹東京女子大学例押館︺琳加図書Ⅱ録

速報︹東京女子大学図書館︺

府中市内家わけ古文書目録1︹府中

市教育委員会︺

摺物総合編年目録︵稿︶︹東京大学史

料編纂所︺

武蔵脚大里郡村岡村小林政秋家所蔵文

書目録︹立正大学古文書研究会︺

金融経済研究所蔵書目録︹財団法人金

融経済研究所︺

土屋家旧蔵文書H録︹東京大学大学院

経済学研究科・経済学部図書館文書

室︺

吉井始子寄贈図書H録︹東京家政学院

大学附属図書館︺

近世・多摩地域の文献目録︹法政大学

大学院日本史学専攻室︺

東京国立文化財研究所所蔵X線フィル

ム目録I︹東京国立文化財研究所︺

三鷹吉野泰平家文書H録一︑二︹三

鷹市教育委員会︺

狩野派研究資料H録︹江戸東京博物館︺

神奈川県関係新聞記事索引第謁集

︹神奈川県立図書館︺

茅ヶ崎市史資料所在目録︵Ⅱ︶︹茅ヶ

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