、
三嚇.扁
會慨訂の康.理につい・て
木
ノ村
重
我曲
輪
・繍︑緒 論
ニへ杉本秋男氏所論の會計諸原財
一﹃會欝原理に於る公理と定理
四︑太田晶暫三氏所訟醐の奮欄計の臼的
五︑﹁公理﹂としての會計の翼的
山ハ︑類酬朋﹁域果曲維定の原則
七︑︷質現域果繍鎧樋の原一則
八︑取得原債による評償の原 期
九︑合理的記録作成の原則︑ Q︑構塒重の原則と⁝豫見の原期 働㍊一︑結 論
炉〆・
一
等來の大鷲の會計藁の著述は會計の原理を明確に提示してみない︒それに拘らず噸會計の原理は存在すべきで
あり︑存在する︒すべての企業の経欝に満て︑その會計は
評 堀寒の方式で行はれ︑その方式の外形は簿記であり︑再
・その儲蓄が會計と稔せられるのであって凋勝手な氣紛れの行き方は許されないし︑叉實際上行はれ得な炉︒會計
富者はこの特定方式を認識してみなければならないことば疑ない所である︒この方式を昇座せしめたものが會計
原理なのである︒ただこの會計原理は︑會計原理として明示されすとも︑曙獄のうちに理事されて在ることも有
り得る︒それで︑庵る會計學の著述が︑會計原理を明示しないからと誉って︑難しもそれを無柔してるるのでも
認識し得ないでるるのでもないことは當然認められなければならない︒
原理が明示されてはないげれども存在すδといふことには二つの場合がある︒その一は︑原理を内在せしめて
みる一つの事實の膿系が紅蓮されるが︑原理が原理として認識され︑取り出され︑明示されるまでに至ってみな
い場合であり︑もう一つは︑原理が明確に設定されて後︑それが當然に理會されてるることを前提として︑その
う な 明示をなさす︑鰍落してみる場合である︒從來の密計學者の著蓮が大概は會計の原理を明示してみないと云ふ場
合に︑それは前者の場合であるら喰い︒しかしそれでは魯計畢が學と℃て未礎充分紀機熱したものではあり得な
いので︑原理を原理して先づ把握引るζとが必要である︒原理である所のものを明確に把握した後には︑それを︐
鰍契して伏せておくことはそれを認めてゐ.ないことにはならな払︒ただ︑學者は會夕原期を明示し得るものとし
て︑一且確實に把握しおかなければ職らない︒叉︑︐敏科書的な著作に於てはこの原理を原理として明示して行く
方法が採らるべきである︒初筆者は會計の實膿を全龍的に︑聡慧し︑原則的方法と例外的の場合と︐を明確に匿別し
得るやうに指導されなければならない◎
明示された會計原理に遷して︑それは會計として當然のことであるといふ印象を人は受けるであらう︒それが
馬下なことであるといふご乏は︑それを特に原理として取立てて提示する必要も債値もないといふことには決し
てならないのであみ︒それが當撚のことである故に︑原理としての債値をそれは宥つのである︒會計墨は︑﹁實際甲
三三
/
〆 誘 三瞬.囁 ス的學聞﹂であるとされ℃みる故に︑漂理の探究が輕親される危瞼が多いが.斯る輕卒な﹁受働遺し的見解を警戒
し︐それに焔らないやうにしなければならな︐い◎
すべての學誘が會計原理の探窪りいて無雲鳥で脅得たのではないので︑煮る著岩は會計の諸原則について
考察を黒黒みる︒原理﹂と虞型との概欝後に明瞭にするとして︐︸誘葉書較留連毒筆的に
﹁接近した二人の學﹂者の所論を考察し検討しゃうゆ ︑ ︑
一
杉本秋男氏の著︐﹁會計學要論隔一昭利十四年一レには︑﹁魯計の一般的原則﹂なる章が診って隔︑先づ︑﹁個刷経濟に
ゑ ヘド ヌ い 於ける総ての計算の實行に慰して歯骨すべき押般的原則として︑ω露語牲の原則噛︐⑭明瞭性の原則㍉㈲維野性の
原則︑㈲確言性の原則塚⑥相互的老馬性の原則の五つを墨げることができる︒﹂と概説してみる︒ .∴
著者に從って︐三原則を簡箪に論明すれば. 岱 ︑・
ω 眞實性の原簿 総ての會計記録並びに計算が⁝⁝盧儒の若くは誤れるものではなく眞實のものである場合に
のみ︐管理統制手段としそ経濟活動の羅針機として有用であの得る︒併し絶封的に黒蜜であることは︑人の能
力︑費用等の黙から必しも旬能で渡ない︒囁眞油性の原則は︑次に述べるぎ維各誌の原則︑.確實性の原則︑相互
的聯關性の原則等が破られない程度に於宅眞實であること︐從って相封的に翼實であることを以て満足しなけ ればならぬ¢ ㌧ . ︑・ . 一 ・
②明瞭性の爾・攣の愚計轟.磁は副−.芳に於て︑論に熱する鱗的洞察叢凄く行窒得し踏
ると共に︑他方に於て︑個々の黙に至る迄詳細であって疑義と不完全とのないものでなければならぬ︒
︸ダ阿
㈹ 経濟性の原則 総ての個々の主計庭理に於て︑其の腱理を行払ごとによって鴇らるる効果はそれがために要
する費溝を超過して.會計庭理聖王を示すやうでなければならぬ︒.・.囁⁝個々の計算種類芳くは會計虚理に就て
夫々猫立野に︐そのために要する愛器とそれに依って得らるる牧盆とを比較封照することを必要とする外に︑ ︑ 隔 総ての種類の計算若くは會計庭理を相互に比較秤量して︑夫麦.のものが企業に封して有する意義げ思念を確認
することも重要であるQ
㈱確實性の原則 會計憎憎は︐rその本來の目的に照して︑少くとも賓際的臼的に役立ちうる程度に︑儒嘉しう
べき確實なる結果を齎すやうでφ侭ければならぬ︒不確實なものであって︑蘭学的同率にとって信輝しうべきも
のでない場合には︑その概計雌理は全く無意味なものである︒從って︐會計庭理に技術的限界が︑即ち實行可毎
龍・不可能の限界が存するかどうかが︑吟味せられなければならぬ︒⁝竃本領嚴密には不可能である計算に就
て臥及び不可能ではないが甚だ不欝欝なる場合に就て︐本來嚴密には誤ってみるが併し一管確實であり︑然も れ ﹁爲さざるに勝る﹂有用性をもつ所の計算難業を代用する方が適當であの得る︒斯る原則を︑評ユマーレン.捧艶
ハは計算代用の原則と稻する︒
㈲ 相互的聯關性の原則 會計の一般的原則として極ぬて重要なものである◎此の原則は︑諸⁝記録︒諸計算拡常
に其の墨壷を保持し︑相互補完的・相互助成的に一つの統鵡膿を形域し︑以て會計の職能を最も良く途行し︑
共の効果を最も良く獲濃し得るやうでなければならぬどいふ原則である︒此の原則の内容を列記すれば︑次の
如くである◎ み ω 各記録・各計算の聞の關係を規制し︑互に最も密接に依存し互に補完統制しあふやうに一定の有機的關係舜
を保持し︑かくして︑其の各部分の病態の獲見及び治癒︑罹病の豫防を最も有効且つ容易ならしめねばなら
三五
ノ
蚤ハ 評 ドぬ︒︵統制の原則︶
㈲ B常的記録及び之を基として企業の存釜中急けらるる企業︐の盆饗計算に於て︐F碍管年度を設けて年度計算︐ じき ヨ ヤ が行はれる三⁝が︑此の主嬰計算に於ては所謂綴綾性の原則が支配しなければならぬ︒即ち記録計算さるぺ
凌ものは完全に捕捉され.中途に満て蜂失腕漏するととなぐ篭叉重複すみごとなく.各期間の記録計算は悉
ぐ聯妙を有しなければなら臓︒それは又︐會計謀理を狸瀕に攣更せざるととを要求する︒声
09 歪計録.各計算は.異れる年度に就て一期闇比較一若くは異れる経螢に就て一醤蝦比較﹁最も良︽比較し
うるやうに行はれねばならぬ︒︵比較性の原則︶斯くして概計は維螢管理の手段とし.ての職能を最も良く途行︑
することが禺來る◎ ︑ 〆 . . 遣 煮一
侮︐杉本氏は以上の論述の後に次の如き考察を附加されてるる◎
個別経濟の心計は個別維濟主膿によって行はれ解るものであるかち︑先づ第﹁に燗別経濟そのものの要求をみ陀・
すものであることは必然であ齢︑且又︐轟然であむ︒併し企業の會計に冒しては.維欝者たらぎる株主・債櫻者︐
國家其他の総々が廟議を有する︒本來︑企業の會計が公花に︑且︑上蓮せる豊原財の支配の下に行はれる限り.
翻棚経濟そのものめ要求と洪同維壷掘要求とは■少く乏も経濟性の原則を除い下封立芋︐從って︑禍別維濟
的原撫と共同維濟的原則といふが如き封立は生じなや︒上述せる諸原則は︑個別経濟の要求にも共同維濟的要求
にも合致し︑臼此め二つの要求を最秀よくみださんがための根本的原則である︒然るに企業経膣者の魔理活動が公
報に行はれ摩︑其の魯計が公正に行はれない場合には︐漱維濟的寒紅葡要求と共同維濟的要求との構立を生じ︐︐特に病家は︑維仁者たらぎる株主・債樺者・國家自身及び一般消費者の国事の保護のために立って︑一定の禽計
虞理原則を企業若くはその維演者に強制する.法律が規定する所ρ會計慮理原則ぱ︐露髄に於て︐企業の外部に.
立ち企業維欝者の良心的なる虞理活動を頼ρとする所の斯の如き利害關係者が如何凝る場合にその利害を侵害せ
ちれるかを考ヘヤその三四を阻止することのみを目的とするものである︒ ・ .︐
併し︑上述せる諸原則の外に︐個別維濟そのものの要求より何より毛先づ獲するものと見らるべきものとして
用心の原則がある︒此の原則は︐竪實なる會計虞理を最良とするものにとって︑金科函條として︑從來長い間︑︐最も重要焦せられ來砂︑法律も亦.同時に共同維詩的要求たりうみものとして︐特に株式倉肚に就て此σ原則を
とる評判を命じてみる◎此の原則は決して輕観せらるべきではないが︑維欝管理の争段として最も有効に役立つ
︑めには︑墨黒は︑先づ第一に︐﹁剣難に︑て明瞭であり︑且︑慮しく比較判断を下しうるが如きものでなければ
ならぬ︒今日の如き統制経濟下に鞭て︑國家の維濟政策が各企業の會計記録をその根底として利用せんとするが・
如き傾向が強まりつ蕊ある歌態の下に饗ては︑共同経濟的要求も亦.先づ第一に機業性・︐明瞭性・比較性等の要
求に向けられることになる◎ .卑 ・︐ 卿︐・・
*上掛書の︑二〇八・i一二七頁◎蜘︑上記の紹介は︑勿論︑・抜葦である敏に︑詳しくは糊著に就き薩接に臭られなければなちな
い◎
三
︑ 右に述べられた諸原則は︑夫々從來︑即席馴者によって論かれてるた所であっ℃ハ杉本氏は之を比較的よく列
星的に号してみるのである︒重要な諸原期を零す庭なく列墨ナることは︑嘗ふ迄もなく膚必要ではあるが.諸原
則の本質蘭相互關係︑從って各原則の相互的位置から定って馨る所の各原則の重要度を規定することは︑殊に理 ゑ ま論的考察に於て.串心的に重要である︒例へば︑杉本氏は︑その析謂﹁相互聯蔓性の原則しについて︑それは會
峯 尭 . ・ 三七
︑ ㌧ ・ 三八
計の︑一般的原期尽して極めて重要なものであるとされるが︑何故に然るかを設明して居られない︒この場合諸原
則を一つの原理によって貫ぎ秩序づけることが理論的要請である︒斯る考察に於て﹃各原則がばちばらに獲生し
て存在してみるのを一︑原理によつで統制する要請があるといふ一面と︑各原則億始めかち存する所の叫原理から
實は必然に後生してみることを認識するといふ一画とがある︒本瓦の所︑それは後者の場合でなければならな
いひただ︐.その根底に横たはる原理が曙黙裡に潜んでみたのを明るみに出すといふ事については︑即ちこれを會
計原塗して新た屠則最上げて規定することについては︑それはやはりちの短見であり︑︐創造である︒そ
して始に述べた如き理由によゆ㍉斯の如き獲見叉は創造とその結果の明確な記述とが必要なのである︒
諸原則︐の膿系である原理ぱできる泥け軍純北されたものでなければならない︒纏う慮りても︑それが撒多くの
原則を含んでみてはならないと謂ふのではなくて︑撒多くの原則が軍純美の概観に於て眺められる如齊こ膿系の
き裡に旗々軍當の位置を持たされなけれ爵ならないことを謂ふσである︒その理論灘系の在ウ方について︑幾何離︑﹃
原理が模範とされるであらう︒即ち︑なるべく両玄の簡咀な﹁公理﹂の一群から多ぐの﹁定理し及び﹁系﹂が一.づ
楚の秩序に於て繰娼されて遮るやうな在り方である︒そこで先に杉本氏により紹介された如き近似の原則は幾何
學に於ける定理の如きもので㍉それの根底に横たはって在るべ竃公理に相寵するものが明らかにされ︐之と各回
・計原則との關係が確認されなければなちないのである︒
・併してレ禽計のいはゆる公理は︑これを會計の目的叉は任務叉は機瀧とも謂ふべきもの︑.即ち會計の本質に求
むべきである︒走ころが︑魯計の本質が何であるか葦就いても︐從來の総ての會計墨者の著述が之を充分に取扱
ヘ ヨ ぜ ちてるるとは謂へないので︑業事でぼ唯︑比較的この間題奪憲識的に取扱?た太田哲三氏の所論を顧るを以て足︑れグとしゃう︒ ︐ ウ︑ ・
四
太田哲三氏はその著﹁會計翠﹂︵昭和十八年︐⁝一−二〇頁︑﹁企業會計﹂なる章参照︶に穿て︑愚計は浩費経濟
愚計と企業溶岩とk別たれるが︑會計學は企業魯計を封象とするとなし︐企業會計の臼的及び特色を明らかなら
しめて居られる・企蕃計は企勢いはゆる騎利事業の累計であるが・その塑の鳥は企業の肇を慰する
にある◎元來企業は︑若干の貨幣債値を犠牲として.それ以上の貨幣債値を獲得するを目的とするものであ勢︐
そσ落去は利潤と稻せられる︒現代の企業は必ずしも剥製獲得のみを以て唯一の目的として維螢されるものでは︒ないが企業の財政上の成果はこれによって表現されるのであるゆ.利潤は企業の刎為した獲得償値とこれを得るに
要した犠牲償値との差額である︒最小の横牲をもつて最大の敷果を慰めることが経濟原則に叶ふものとすれば︑
刹潤の多少によウて維済性の大小が表現されると云ふこと嫁必ずしも誤りではない︒かくて企業會計は一に経濟 挫計算塾も呼ばれるのである︒ ヒ ・ p ・
これと共に企業の財政歌態を明かにすることもまた會計の目的である︒けれども︑これは寧ろ成果計算に附随 も した第二義的のものと考へられ︐それを計算することを第⁝義的なh的とする場合には特にこれを財産計算と呼
が︑普通の會計とは匿別される︒︑
元來企業は若干の貨幣を投資して︐より以上の貨幣を同饗することを企てるものである︒その全機構は建って
計算的でみり︑利潤を以てその維濟性を判塾し得るの︒てある︒故に若㌦窯業維了をまってその成果を計算せんと
すれば︑其の全期間利潤は翠に金銭牧支の計算を以て算定し得るρである︒然しながら螢業は短期聞に終了する 警 ものではなく︐場合によってはほとんど無限に纏績される︒金轡關利潤と云ふが如きは軍に獅⁝念七の存在であ
鷲︷し ・ 騨ご︒フ.
四Q
壁る︒會計の目的とする所健全期聞利潤の計算でなく︑いはゆる期聞利潤の決定である︒斯くの如く螢業の綾行を 前提とする場合においては︑羅に金運.在高の檜減を以てただちに損谷の畢生と噺醸することは醜來ない︒牧入は
必ずしも利釜でなく︑元手となすべ画ものと利釜となすべ量ものとに分かれるが︑同様に支出の結果竜またその
・ 全部を損失とすべきでないσ支出の金額は必ずしも全部消費されるものではなく︑種々の経濟償値として残存す
るものがある︒これに金心々値を輿へ︑金銭と同列に置いて計算しなければならないコこ瓦に會計上資濠の概念 ︑ 渉磯生すみので︑資産とは貨幣並に貨幣支出の結果であって︑親心︐少くとも同額の貨幣同県の見込あるによ℃
盆鑓債顧を輿へられた物財また盆早馬で蔭り︑運用資本の具艦種衡膿をなすものである︒之の綴産を認適︑こ廓
を現金堅粥に詑録計算することが企業會計の一特色である︒また内溝費経濟亜聖は箪に現金在高の由來を論明す ド るに過ぎないから︑唯一個の牧支集計表で足煮るのであるが︑企業會計は損益の額とその獲生した原因とを劃照
︑する必要があるので︑貸借封照表と損釜計算表との二個の表を作らなければならないのであって︑これが企業會 も計め一特色である︒ .・ ・ 擁 似上の蜘き太田氏の所論を會計﹁公理﹂の考察への道標ま七︑杉本氏の所読を愚計﹁定理﹂の規定入の参考資
料肖として進まう︒︑
* 箆鷺に紹介tた企業暫計の此の 一特色は︐本宮としてわかり易C説下するために︑︑原著に於けると前径してみて︑原著には二
偲の決算褒が作成される乏いふことが企業會計の第二の特色とされてみる◎
五
會計學の封象が消費馬廻會計と亀岡的に匿別ざれる意味の余業會計であるこ乏について︑普通に︑異論はない
であらう︒然して︑この企業會計の目的は企業の域果の決定である︒この場合︐太田氏に於る如ぐ隔企業會計の
目的に第一義的のものと第二義的のものとを樋別して︑都合甫副の二目的を設定するよりも︑これ︐を一本に纏め
るととが寧ろ正當である︒即ち︑成果を企業が或期間の活動の後議倒達した所の成績︒位置域は歌態として規淀
し︑ζの成果なる概念には企業活動の結果である劃一も︑到達された資金・資産朕態をも含ましむべきであるQ
それが複式簿記に於て表現される場合に形に顯れて然る如くに︑損釜計算書的結果と貸借野馬表的結果とは離れ
て存し得る臨所の別物ではあり得ない︒一個の試算表から拙て叢る損釜計算書と貸借封照表とは︑との爾者が協同 ︑して一つの事實1・企業の成果!をその表裏から表現するのである︒この成果計算は︑現在は十悪として︑一ケ年
叉は牛年を測位塑間とする年次計算に於て行はれてるる︒これはしかし︑ つσ歴史的・就會的・経蛮的聯耳聞
題であって︑企業の全生存期欄について行はれる所謂全期間利潤計算といふやうなものが本質上存し得ないと云
ふのではない︒敵羅巴に於ける申世都市勃興時代に︑楽市を目當とする特定企業や特別の船を仕立てて行ふ冒瞼 ぼ的貿易が盛であった場合には︑その特定の企業的活動のために夫々特別の會計が行はるべきであったので︑成果
計算もその事業開始の時からその諮了の時迄を幽斯闇として行はれ得たのである︒しかし近代の普通の會計は︑
機績的企業の會計であるので︑實際には必ず期間計雛に於て成果計算が行はれるのである︒そこで︑往時の全期間利潤計算は︑唯︑個別原慣計算といふ給紅軍位計算にその辮謄を留めてみるのである︒ご
企業會計がその外形に於ては複式簿記として行はれてるることも︑それは傳統承事實であると共に︑蝋つの公 /理願事實であるとしなければならない︒そこで複式簿記の機簿に穿ては決算に貸借封照表と損釜計算書とが作成
されるが︑この爾波算書が域果計算の具膿的表現であるので︐この二種の決算報告書作成といふことはぬは妙企
業會計に於て是非行はれなければならない所の公理的要請である︒企業魯計は決して企業家自身の私的な宝槻的
四一
罫
参 四二
なものではなく︑︸多くの利轡關係者が關與するといふ意味に於て︐また企業そのものが公共的性質を帯びてゐ惹
或は斯る性器参帯びであるといふ億昧に於て︑それ釜・通の︑一望理婁れてるゑ鍾的方法で星行さ.れなけれはならないので︐複式簿記といふ實際土最善の方式があるのにそれを故意に愚製すること倣許され得な
い所である◎ 磁 〆
之を要するに.企業會計は︐複式簿記の形式によ抄︐期澗計算に於て︐企業の域果を確定することを目的とす
るのである◎
志
ノ、
施恵原則の一つとして先づ︑﹁期聞覚果確定の原則しを塁げなければならない︒此の原則は︑企業の成果は一年
又は牛年等を三位とする會計期聞毎に正しく分割されて︑夫々の期聞に鵬する成書として確定されなければなち
な摯ことを謂ふのである◎尊位期間は亀この場合︑緻⁝ケ年であっても知或は襲撃年・一ケ月﹄婦週等の短耕開で
あってもこの原則に背くものではない︒毒かし︐普通に決算と呼ばれる事柄がこの原則に從って行はれるのてあ
りて︑この原則ぼ直接には年次決算に指向する︒ .子
何故に年次決算が行はれるかについては〆鯖の理由が考&られる︒最も輩純な理由どしては..愈計を長期に互
って締切らすに︐平常の計算記録に果て縫題する難きは︑記録作域當事者σ仕事に怠慢の氣風が学び込む危瞼が
多ぐなるので︐周期的になるべく屡々計算の蕉確性を確認すみことが必要なためである︒それは層層の溺黙に鮒するもの二って.歪遍羅計筆締切ってぞの逸書狸婆萄こ乏が鍋されて舗て︐その混を越
えて記帳搭羊肉がその任務である認帳の仕事を麺ばし怠け乃ことがなくなるのである︒たとへ主入自らが禽㈱計に 華
當って︑雇人の仕事が監督されなげればならないといふやヶな場合ではなくても︑邑彼は自らの仕事を同様の方法
で引締めなければならないであらう︒然しこれに就ては︑決算といふこと迄を行はすとも︑試算表の作域を以て・
足れりとするであらう◎
期間成果確定の必要に就ては︑もうと實質的な理由がみる︒企業に資金を投下してみる人々は共慮から牧入を
得んとしてむる︒そして︑耕地が年々に牧野を塾す如乙ギ︑果樹が秋毎に逆撃をつける如くに︑企⁝業に投下された塙
・資本もそめ利澗を年毎にもち濾すことが期待され要求される︒多分︑投資者は企業から得られる利潤を以て生活
の資に充ててみるであらうから︑それが年次計算に於で確定され一引出され若くは分配還れることが要求され
る・嚢會就の土倉は︑債讐保護のためにぐ配當票べき騰は資本の額を傷ける額以上に算出す嚢とは
・許されない︒企業からの引出金牧得の金額について斯の如き制限のない場合といへども︑引上げられるものが元
入資本に到達してみるか否か︑ξれだけ喰ぴ込んでみるか等の事實を確めておく〜こと鳳是非とも必要である︒殊
に多数の人々が企業利潤を分け合ふ如き場合には︑分配の議案を作覆するためにも︑ 憲如何なる限度までの金
額を二分の封象となし得るかが決定できなければならない筈であるつこの場合︑元入資本を傷けないことと︑同
点に利鎚金を多すぎも少すぎもしな嶺に於て羅に算出す蚤乏とが要書れるので︑もし測る決箆於て計
算から取落され光事實があるならば︑後の成果計算︐に於丈これを取上げなければならない︒これは成果計算の實..質的綴績性の問題である︒斯て︑もし前期の決算に費用の或項目か牧釜の或項汁かが取落され︑前期成果計算が
その項目なしに行はれでるたならば︑當期の決算はそれを取上げる必要がある︒一杉本氏所論の織習性の原則︑
本稿三六頁参照一それでなければ︑聴聞利潤の合計が全期闇利潤と蝋致せす︑部分の謀計が発膿と異おといふ背
理に陥るであらう⇔
四三
㍉
弔︐﹁ 乱 四四
企業への多藪の参加者の漏︐部が加入詰くは脱退する際には︑その持分贋値決定のための成果計算4との場令︑F
勿論︑需廣義の域衆計算︑一が行はるべきであるが︑ごれは期聞域果計算ではない筈であ渦︒F唯︑株式會祉の如︽︑
多数の投資奢があか︑常に多籔の新加入者及び脆聾者の交流がある場合には︐毛の一々の異動に際してその持分. φ債値決定のための成果計算は行はれ得な弘◎そこで通常の奉呈域果計算が右の目的のためにも利用されな跨れ賦
論い・選書︑談薯は或決裁の藩養け養に︑その華費卸してそ墾と勲薦
つかもしれない︒もしその決籔霞果白昼不悪陶である鴫ば︑この脱退誓盤代った蓼摺姦港その不眞正な成果計算の影響を受けて︑.不當に窯業か不科釜かを蒙る︒この弊轡を避けるために︑殊に株式會就 ぱに曾ては︑各決算期ρ成果計算を嚴密に正しぐ行はなければなちないゆこの關孫に於て.各期間成果計算の眞實
性は特別の意味を有つ︒會計の眞實性は﹂一般的にも勿論云はれなければならないが︑・それを特に云ふことはこ
の懸盤に裁て必要であらう︒この蔓忍性は先に蓮べ掩成果計算の繊徳性と若干矛盾する瓢があるのを注意しなけぎ
ればならない︒しかし何れにせよ︑各期の成果計算を嚴密に遣確に行ふことが常に必要で︐成果計算について訂︐・・正の必票隼るをのない馨に碧の如き矛盾臨題笙じないで奮う・期着果計募餐性は企業の
が ボ誓債椹者保護の立場からも強調され凝サれ・ばならないが〜ごの蝋⁝は直接に︑期間成果が墨型比較の費料であるとい
ふ事實に聯回して回る︒ 〜︐ − 副維薯が企業の讐を馨す髭磐濃資料のちとして義謝藁計羅果菱る叢當然診
る︒斯る用途に重てるためには︑一グ月どか乱週間とかを軍位期闇とする短期成果計算の結果を用ふることが⁝
暦有効で.短期墨壷計算は花にその爲に行はれるのであるが︑年次成果計算の結果につWても同檬ρ機能を認め
渇ことができる︒この場合︐年﹁﹁側叉は年⁝島回一短期成果計算にあっては︑通常︑月一.同−定期に︑男工にその・
各界のもσとしての成果が報告されるので︐それを以て樹葉者は内部維螢比較を行ふのである︒もし維螢比較者
が︐債樺者・投費者・一般公衆等︐維管外部者である場合には︑特に期闇成果計算結果の表現様式に明瞭性と縫
蔓性とがなければならない︒例へば︐貸借封照表は企業外部蔚にとってもそ.の各項目名が何をあらぼゴかをでき・
るだけ完窒に理学し得る如べ作成されなければならない︒叉︑こ43場合の綴績性どいふのは︑たとへば貸借封照﹁
表の一定の項目設定法の踏襲の如きととについて謂ふめであって㍉前述の︑成果計算そのものの實質的樵績性と.
は異る︒. . ︑ ・
ヒ 毛 ρ
何が瀧當なる期聞域果であるかが︐當然に次め問題となるので︑これこそ實質的な漸騰原則の明瞭に記述すべ
き事である︒放果の概念を廣︽解すべぎことを既に規定したが︑先づ簡羅に述べるために︐狭義の域果計算から
考察を始めるが︐これは即ち決算損釜計算の季題である︒いふまでもなく︑期間韻釜計算計激は期末貸借封照表
計数と本質的に相聯歯してみるので︑所謂狭義の成果計算について語る所は︐直ちに成果計算一般について語る ゆ事となるのである︒斯て.︑期閥成果計算に於て︐∴何を期澗牧総とし︐何を期開費⁝用とすべきかがもこの實質的な
原則の規定すべきととなのである︒ ノ 牧戸及び費用は當該期闇に﹁實現﹂したものを期聞損釜計算に計上するのであるが︐この﹁實現する﹂とは販
費の取引に於て増加及び減少する聖賢について言ふのである︒即ち︑商品が販贅される際にその雑品の代金とし
て確定された金額の慣値が實現された席亭であ抄︑その.較釜をもたらすために費された資産の儂値が實現された
費用である︒費用のうち最も直接でまた主要なものは販嚢された商品そのものの債値であるが︑その外総ての螢
四五
、
︐四六p 晦
業資薩の當早期闇に早る斗酒が︑原則として︑下聞費用に計上される︒牧釜が實現するといふことは﹁現金化し
きゴ ひ セを意味しない︒唯︐︑販費の取引に於て販萱される商晶の代金ぱ︑企業外部の取引先が承諾し旋ものであり︑その
意昧で客観化され︑この計数を成果計算に用ふることは恣意的な計算を許さないこととなるのがこσ原則の良き
敷果である︒内もし現金牧支を以て期闇成果計算の基礎とするならば︑商晶販萱利谷計算に就て蟻へば︑期闇内現
金販費高と掛贋金同牧高どの合計かち仕入商晶に封ず魚期閥内野彿高を差引くやうな計算になるが︐牧釜と費用
乏が封事しない計算劉象についての斯くの如ぎ計算は全く不合理である︒甲商品の費上代金現金牧入と乙商品仕
入代金支彿高とを封遷した損釜計算が無意味なことは直ちに見得る︒御釜の方のみ現金基礎の上に計算し︑費用隻を翻箔置債饗求めるのも・鱗の程度羅量減認る森ふみ璽依然同様の不合理であ観
斯て油決算維螢損釜は實現した牧釜と費用との比較から︑即ち︐當該決算期闇の販型録と販費商賄を始め浜梨さ
れた他のすべての経螢資遊場額との比較から算出さるべきで︑このことを﹁實現成果捕捉の原則﹂と総⁝する︒販 喚 のヌヘ ド萱商品掛萱代金のうちの特定成果計算期中に︑途に確實に貸倒となった額の或部分は︑前成果計算期までの成果
の或意味で薫掛滋得ざりしものを代表するけれども︐それだからとてその計激を以て前の成果計算を訂正ずるこ
とは爲し得ることでなく︐その貸倒の総額は↓もしそれ叉はその一部が貸倒償却準備金を以て虚鐙されるのでな
いならば︑當該期聞の﹁金融損釜しの二部として取扱はるべきである¢ ︑ ・・世帯に馴蓬された貸借封照表的歌態は︐先に述べた如く︑之も一つの實現され湘成果である︒特定の貸借封照 や ダ極熱︑企業資金め調達方法め特定歌態隔特定の流動性の状態︑固定資薩及び運縛資金の特定構成等︑維螢此較の・
ぎ資料となり得る諸事實を示す︒手製者はこの貸借封照表的懲懲を良好なものとしセ實現し隣維持せんと努力する・
ものであゆ︑︐貸借白糟表はこの努力の成果を表現する︒勿論︑企業の窮極の目的に於ては︑狭義の成果即ち経螢 ㍉ ぎ
七二が直接の問題であるが︐貸借封照表的歌話は將來の経欝損釜の現在形態で凄るといふ意味に於て秀︑それは
波果計算の問題である◎この場合︑貸借封照表は寧ろ朱實現の瀬瀬を表現すると謂ふべきであるが︑.叉それは寛
現さるべき成果への手段として實現された一面輔翼程を表現するのである◎複式簿記の機構に於て︐ ⁝つの試算
表から岐廓て出て來るものとしげし︑特定の損釜計算書は特定の貸借封照表を豫想し︑規定する︒しかし︐特に貸
や
借封照表に直接的に指向する︸原期︐財産馬瀬に開する一原則があってよい筈である︒・これが今のべた.實現四三
捕捉の原則と表裏の關係に立つ﹁取得原償による評擬の原則﹂︑叉は簡略して﹁取得原債の原則﹂と呼ぶものであ .夢 なる︒. ︐ ・ 写
*︾縞の羅に鰍聯蝉して︑太田糎三殿の︑投盆計算に於ける現金癒義と獲距煮義と満洲窒義との⁝説明を饗照すべ毫である︒太韻氏︑
晶騎掲堂口︑ 一五實一⁝i剛薫山ハ頁O
入
太璃哲三氏は資産の概念について金鑓仁心の考へ方を探って罵られる︒しかし金銭が︑實質上から覗て︑維醤
資隆のうちで本來のものであり︑他の種の贅塵はその假の姿であるとなすことはできない︒企業が開始される場・
合空論局に達した場合とには全企業鍍金が︑事實︐現金であり叉は現金化されるであらうがも企業活動の進行申
即ち第狂歌態に在っては寧ろ斯る全面的現金化が行はれてはへならないと書ふべきである︒期聞成果計算の立場に
於て︐すべての財産の縫値を表現するに用ひられ・る薫習債値は︑第一に維螢の計算性を象徴する故に︑第二に維
螢のその外界との接燭叉は交渉を象徴する故に︑成果計算の媒膿として用ひられるのである︒このことは︑それ
であるから︑資金としての貨幣そのものが他の種の虚言よウ何らかの意昧で軍要叉は中心納であるとい払ことを
qヒ
四λ
意味しない︒︑ ・ ﹁ ︑ ・
・.事實︑製造工業に於ける製晶の製造過程%︑簿記的に習へば︐製造取引は︑貨幣ぞめものの取扱に關係のない患︑
曲事で譲るが曝この事實は血豆に於て記録され︑善果計算に軽量せしめられ熱けれ露ならない︒貨幣上値に依痘
すして隠経螢計算をその共通の分母の上に行ふことはできないめである︒叉︑貨幣は経濟軍位聞の決濟叉は支彿
手段であるかち︐そして経螢計算の恣意性を防止するには企業がその外界と取引をなすその專實に償値制断の基
準を求めることが必要であか4その場合に意字に貨幣轟轟によ為取引嘉蟹の山窟化が行はれるのであみから︑萱
質され・獲得され窒される護の響計算上の償額は取引の繕である齢笛整よつて表現さるべぎなので
ある︒取得原債の原則によれば︐企業の所有する記費濠はそれを取得・するに要した⁝封償に瓦つで幡羅さるべきであ・
喝︒仕入れた商︑畷︑購入し祥器画定資青み腰に際し遜要であっ准入先への脳底︑叉は弘誓幹︑
ばその鼻曲額と同債額に評償される︒製造された製Q即︑自ら建設した設備∵機械厭その生産要素の合計額と同儂
額で評婁れるので︑誘計算は即ち所謂橿計算である︒乏の髪・.製造若は建設読嚢産穫の基礎毒︑塵毒素た蓋産の債額はそれが外部から購なれ窮合の樹に建て既に決選てるみである︒孟欲
に貸借封照表上のすべての資産の償額はそれが購買された時の外部取引先との契約に於て客観化された所め慣額. も ド む ド リ し ミで勘り︑恣意的な計籔で億あわ得ない︒但し︑之こでいふ意味の客観化された債額といふのは鮭會維濟的縫普遍
愛當の債額であるとか︑叉は仕入當時の一般的に認められた相場であるナかを意味するのではなく︐いはんや貸
借封事表臼付驚風σ客観的轟轟贋値とかでは購い︒.企業の物的構成であみ経螢資産についでは∵その企業として
の客観的・非恣慧的賃値判断は行はれ得ても︐ 一般経濟的債値判断は行はれ得ないゐ︐行はれ得てもその必要は
.ない︒勿論︑.企業そのものが一般維濟化する之と忙よゆ︑その個別的客観的慣値づけが一般輕濟的債値づけとし︑
て安當化することの有るのを否定する必要はないであらう︒ 摩
斯て︑取得原意の原則は︐維櫛計算を企業家叉は無熱者偉人の恣意的判籔又は工作から守るために必要である
が︑これは企業の貸借封照表的紅鱒表現の場合の所有無産の贋額づけのために在るばかりでなく︑それに必然に
關恥して︐撰釜計算のためにも絶封に必要なのである︒取得原債の原則と實現域果捕捉の原則とは同二原理の異
る表現であるが︐これは次のことを可能にする︒即ち峯販費される商品は販嚢される迄その取得原償で引績き評
債されてるるが︑販賛されればその債額一難債額一は費用計数に鱒化される︒ ⁝方商品の販費に當ってその販費
先が支彿ひ叉は支佛ふべく同意した所の代金額が費用に封ずる牧釜である︒牧補は費用と同様に外部取引先との が現蜜の取引に於て行はれる一つの資産債額決定一獲得される現金又は爆撃の決定そのこと一を基礎として非恣意
的に決定されるのでなければならないの奮ある︒.商品黙黙の取引に於て︑維営外怯者である販費先を封手として
客槻的に決定された牧釜と︑同じく維螢外部者である仕入先を封手として客糊的に決定された資産債額を軸部と
した費用とが封決せしめられて︑實現したものとしての客獅⁝的︒非恣意的成果の算定が行はれるのである︒
取得原債の原鋼は︑企〃菜財産評債︑に就ての原則ではあるけれども︑これは貸借⁝封照表論⁝に顧て︑所悩醐静態論の
立場叉は自爆貸借護照表ρ立場を決して豫下するものではない︒これは上裳論上﹁櫃績企業の原則﹂ともいはれ
る慰霊の考へ方であって︑企業の財政状態・財産歌態或は資金歌態が廣義の成果計算の一部としての貸借肇国表
に於て開陳されるとなす場合に探らるべき立場である◎
九
會計は一つの具膿腫の計算と記録とに於て存在する︒そしてその計算・記録は︑野際に手を下して之を摩す當
一 四九 瀞
五〇
入に理會できるものでなければならないごとは言ふまで辱ないが︑之はまた當該會計に關係ある他の人々にも亦
理論できるものでなければならない︒企業の算計の眞の責任者は経螢者自身であるが︑會計記録が︐此の維螢者と
會計器とのみに理會で鷺るのでは不充分であって︐それは一定の知識ある入々に誰にでも理會できる一定の形式
に於て作域され保持さるべきである︒愚計係及び維算者は︐唄定の場合に其を他入に読明しなければなちない外
に︑蓮常は豫想されないやちな場合に其をどんな人に論明しなければならなくな々4も限らないのである︒會計 轟は屡々部外奢に秘密にされ・るが︐それは︑通常︐會計記録を濫夢に他人に窺はせないことによってな.さるべきで
不蕉規・不明瞭な方法等を用ぴ記録そのものを理會し難くし或は記録を行はないといふやうな事ではならない︒
そして探らるべき具鰐的方法はあらゆる可能な力法のうちでも最も合理的な方法であるべきである︒そこで︐﹁合
理的記録作域の原興﹂とも総脚すべき⁝原則が存することになる︒
歴突秘事實・傅統或は贋綱によるといふべきか︐寅際に企業の維螢計算は簿記︐殊に複式簿記の方法で行はれ
てるる︒蕉當な複式馬副の方法で成果計算が行はれてるる隈砂︐合理的記録作成の原則にのっとってみると云ふ
べきであるやしかし.企業の會計に於て複式簿記法が探用されてるるといふだけでは︑未だ塗し竜この原票が全
面的に支節してみるとは暑し難・\形式だけの︐最低限の複式簿記であってはならないので.記録の明瞭性一杉
本訴の明瞭挫の原則の設明参照一が大切であり︐複式簿記の良書方法が探られなければならない︒しかし叉︑最
良の愚のとして推賞されてみる方法といへども︐その経螢の特殊事情に癖合しない方法は無理に行はるべきでは
なく︑︐その心際性!杉本氏の研謂維濟性の原期と確實性の原期との爾者を含む一が問題でもある︒更に︑成果計
算の結果は纏螢比較にもち來らされてその機能を充分に嚢揮するのであるから.その様式︐特に會計報告書の獲
.表檬式に於て催事性が確保されなければなむないと同時に︐他の企業の.公表する會計報告書との聞に比較性が存
しなければならない︒.一杉本鞘所論の比較性の原則i一企業の漣綾各期の會計報告書の膿績性と︑それの他の企
業の禽計報告書との闇に存すべき比較性とは︐實際主題として︐互ぴに矛盾する場合も多い︒この場合︑所謂機
塑性も廣義の比較性の一つの場合である︒そして経欝比較に於て維螢聞聖書比較は一門螢についての輩なる期聞
比較より高度のものであるので︑経螢比較が全面的に獲達して個膿比較のための資料としての累計書類作成・獲
表様式が一般的に確定され寛行されてるる場合には︐會計書類作成法切換への時のみ一経螢自膿についての覆績
性を犠牲にしても廣い比較性を確保すべきである︒
複式簿記の機構⁝は先に述べた期聞蕨果確定の原則︑貿現成果捕捉の原期及び取得原儂よる難壁の原則によくり遡
合してみる︒事實︑此等の諸原期は複式簿記の諸上期に封して今度は公理としての位置に立つのである︒そして
正當に行はれる複式簿記は上蓮の會計諸原則の實行を保書することになってみる︒例へば︑仕入の取引の仕講に
當って︐仕入先勘定貸方に記入すべき買掛金額と岡額に於て仕入商品の勘定の借方に記入が行はれるその が取
得書債の原期に癩⁝合し肖販費の取引の仕課に當って︑販費商晶の仕入原債額を以て商品勘一・定と販費商品費用勘定
や ネとに貸借仕認すると同時に販蜜債︑格を以て費上勘定と得意先勘定とに貸借仕署するその事が實現成果捕捉の原則
に適合し︐決算を行ぴ貸借事照表・損谷計算書を芸域するその事が期槻域栗確定の原則に適合するのである︒復
式簿記の一定した記録作成法は番鳥の非恣慧性を保寵する︒かくして杉本氏の︑所謂統制の原則が行はれるごとに
なるのである︒ .
*複式檎混融本書のゐ力法として販響ハの取引を斯の如く露点すべきことを筆考は韓記狸論上路際するのである︒華潜瀟﹁鐘記の基縢臨
理論﹂︑曾計︑三三巻四號一〇三一一︑一嚇頁及び筆看著︑﹁工業曾計﹂︑蝋圃七一扁二六頁肇照︒
酒
ヲぬ
五ご
一〇
純理論的に見雛ぱ寧ろ不合理であるが︐會計は保守的性格を有し覇そのために学際には残しも嚴密な期闇域果
を計算し得ないことにな歩︐或は前激した本原期を破る結果を來すことがある︒・企業の悪しき實情を外部に塾し
たくないといふ感情や打算が企業家に存するのは自然であるがちその良き實情亀できるだけ隠蔽しておきたいと
いふ場合竜在る︒例へば課税の 負捲をできるだけ耀くすませ允い爲に事實實現した期開利潤叉は良き財政三態を 〜公にしたくないといふ場合である︒とれは企業家の私慾から遷る會計の鶴朧であって︐辮護の絵地はない◎しか
し企業︑殊に維螢といふものにも自已保存の本能があるべぎで︐眞の企業者叉は経螢憺聖者が投機家叉は電影的 い投資奢の雪解主義から企業叉は車群を護るために︐維螢の實際の管理については勿論であるが︐會計薩理に關し
ても確實叉は安全第蝋の立場をとって︐利潤を内輪に計上したい︑實力又億美嚢性を一贋蓄積して轟きたい︑誤
ると乏あらば現欺をよ参悪く表現する結果となる方向に誤参たいと考へ︐斯く計るととをば一概に責められない
のである︒かくして例へば︑必要であらうよ夢以上に設備の滅償償却を行ふこと︑積極的に貸倒償却を行ふこと
未擁利息は剰さす計潤するが未牧利息の計上は差控へるやうに措置すること等が行はれ來つたのであり勤叉︐黙
認されるであらう◎ ・ . ・
この事蜜へは篭やは夢︑會計の囲原贈爵と認められて認る◎これを﹁愼重の原融期﹂一⁝杉嚇本氏によれば用心の原則一
と名付けやうのこの原則は禽計の不翼蕉叉は鶴麟一航を認めるものではないとと勿論である︒叉この原則は王蓮
の如く他の諸原則の規定する所と矛盾するごと黙多いが︐その調和は會計實逸機當者の良識に挨つ外はない︒た
だ慣例と意圃と判鋤力とに委ねぢるべきで︐時に微妙な問題を醸し幽すのである︒
認 この原則に若干關寒してもう一つの原則︑﹁豫見の原則しに言及しておかなければならない︒既に物事の虞理に
⁝旗重を期するのは愚見といふことあるを以てであるがヤ斯る閣聯の外に︑例へば︑決算に當っての未佛利息の計
上は耐事實の豫見によつて行はれるのである︒未佛利息を融業成果計算に於て取上げ︑宝冠費用に加へるのは︑
それを實現した成果要素と認めて翻すのであるか否かについては頭並の問題で如何様にも言へるかもしれない︒
しかし︑外観的事實について言へば︑この場合には未だ何の財貨又は貨幣も動いてはみないといふ意味で︑取引
は生じてみないとも考へられる◎しかしそれは將來必す外面的・審尋的事實となって實現するのであり︑達見し
得ることであるし︑又豫心しなければならないのである︒此面で未佛利息と嘗つたのは極く仁義で︐支夏期が來
てるるけれども未梯である利息額と︑支軸補講は未到來であるが︑後⁝螂であるため︑臼欝血は月割計算︑上︑既に維
㌔過した期間に封ずる黒癩利息に相當する額を特定時に瓢箪できる場合のその金額きの爾者を含む︒決算時に斯る 金額を員債中に計上し︑叉損続計算上費用申に加へるととは︑短見に基くのである◎
認識に獲生した貸倒を償却することは實現した費用の捕捉であるが︐決算に當って現在の債樺申より生する危
瞼のある將來の貸倒に毒して︑貸倒準備金を設定し︐同時にそれをその決算期の費︑用瀬に計上することは︐やは
夢一事實に封ずる豫見の⁝場合である︒
義定資産の減債償却も阿見の原則に基くと云ふことは筆者の主張したい所である︒特定顕定資産の企業からの
消滅が外見上客魏的に實現するのは︐それが倒壊した場合か費却された場合かである︒固定資産の耐用年数を豫
心し︐償却すべき金額をその年限に摺糠に群臣てて︑内各決算期に所謂減債︑償却を行ふことは.轡ハ現した域果の直
接の捕捉といふよりは︑未實現の械果を豫澄して期聞成果計算を公愚ならしむる場合であると解すべきである︒
未佛利息の豫見的計上が行はれても未着利息の計上はそれと同じ釣合では行はれないことがある◎これは自ら
叢三
︒ ︑︑ . 五四
の不利は進んで認め且内外に公表するけれども︑有利な黙は寧ろ控目にしか認めない軸重の原則の顯れである︒
手持有債讃券の市場償格がその取得原債より低落した場合には︑その半分の際に受けるかもしれない損失を豫蔑
して︑帳簿便額を切下げるが︑時優が取得原債より昂騰しても︑利釜の方は豫見しないのが鋼重の原則である︒
斯く保守主義的傾向によって著しく影響されるけれども.豫見の原則は實現成果捕捉の原則が期間成果の蕉確
な算定に就て不充分な結果を來すべき所を補ム任務をもつのである︒成果が實現するとは︑先にも論いだごとく 企業財産に於る外見的攣動︒攣化をその徴表とする︒しかし︑固定費諾の衝撃に繰る響く︑か纏る徴表を見てか
らの慮理では凝に晩くして︑徴表に頼っては麗確な期間成巣分割のできない場合について︑豫見の原則はその簸
黙を補ふのである◎
字 *筆者稿︑コ滅債︑準備金の本質﹂︑昭灘十一年十二月︑︵小樽高等商業纂校鋼立は→五周年認念論雷撃︷︶滲照︒
一
以上に於て︑墨筆の公理とも見るべき根本原理と︑それを基礎とした︑會計實務が頼るべき所の古狸の會計定
理たる原簿の主なものとを簡輩に論述した◎この﹁公理﹂と﹁定理﹂との關係に就いても︑幾何學の壁厚に模し
たものではあるが︑このことは會勢望が⁝幾何學に範を求むべきであるといふのではない○唯︑その原理の読蓮に
ういて明確を期し︑概観性と詳密姓とを同時に目指すべきであるなら︑諸原則記載の方法即して幾何學的膿系に
﹁模範を求むべきであると思ったからである︒それにしても︑上述の書芸はみま蓼に形式的で︑・名簿資本維持・名
目的期聞成果算定の立場をとの︐インフレイシ灘ンやデフレイシ3ン進行途上に際しての會思懸理の指針として
有歎でないかの感を抱かれる譲者があるかもしれない︒實際︑或場合にぼ企業の各目資本が維持されるだけでば
その企業として甚だ不健全な歌序に陥ることのあるのを否定するととはできない◎しかし︑會計はその形式的原 蓄理に於て︑然して累計學はその原理的考察に於て︑名目資本維持の立場をとる︒名口資本維持では企業がその實
質を維持し得ない場合に當っては︑實質聖書の維持は必要であるが︑これを禽計の周題とするよ夢は維螢政策の
問題となすべきである︒即ち︑例へば︑名目資本の維持でぼ悪質資本の確保に足砂ない場合には︑維螢政策上︑
利罰金の留保による積立金の設定左か︑株式佛込金の徴牧・新株の募集による増資とか︑叉は借入金を起すとか
の方法によってその維持を風戸すべきである︒斯の如き重大な綻螢措置については︑その適切な實施を確保する
ためにも︑會計的・機械的方法によるよりは︑経螢政策的︒意識的方法によらなければならない︒これは會計學
の田津を硬くする如くに見られるかもしれないが︑會計學の便︑値を低くするものではなくて.徒らなる困難と混
蹴とを賢明に濫ける途である︒
愈計が保守的性格を有する如く︐筆者が此庭に提示した會計學も保守納であるかもしれない︒しかし︑筆者は
會計原理を提示するに當って︑從短編けてるたと恩はれる︑之を紐織的に取扱ふこおを積極的に試み允のであ
る︒疫だ︑その結集が愛憎なものとなるためには多くの墨者からの親切な批制と協力とに挨たなければならない
ので︑先づその封象として私案的な會計原理の膿系を⁝閉陳ずることを敢てしたのであるQ
て
鴨
礁礁