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『宗教研究』140号

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(1)

――目次――

1,

部落祭祀の社会性, 原田敏明, The social character of folk-cults, Toshiaki HARADA, pp.1-19.

2,

信仰判断について:その特質と妥当性の根拠, 藤田富雄, On the Judgment of Faith: its characteristics

and grounds of its validity, Tomio FUJITA, pp.20-40.

書評

3, Ludwig Köhler, Der Hebräische Mensch Mit einem Anhang: Die Hebräische Rechtsgemeinde

J.C.B.Mohr (Paul Siebeck), Tübingen, 1953,

山本一郎, Ludwig Köhler; Der Hebräische Mensch, Ichirō

YAMAMOTO, pp.41-44.

(2)

代 と そ か に れ 政 ものものは漸次消滅した 時代の進運に伴い新しく のみならず、道徳や思想 治や経済においても近代 部落英祀の社会 催 的な、かつ中央都市か のごと ぎ も、都会と田 発展して行く方面にお り、または変化したれ らの 形 饗を受け、 舎 、従って都市と いてその傾向が特 ,することもある。 その差別は全くないとい 農村との間の差別は全く に 強い。勿論新しいもの しかしそれは連村の 変 っ て よ いほどである。 ないようになった。こ の影響のもとに古い時 革の主なるものではな

朴 な形である 格 のごとぎは 殆ん 方面の影 楽 を受 なものを見出すこ 実情である。 何の強い都市的 良材 6 本近代都市 その 桂 格を等しうするようになった。

て ど 認められない形になっていた。

な内

8 本

ぎが

市と

部落祭祀の社会性

原田

敏明

(3)

も殆 んど同時に同様 な形に変革して行くのである。

来たり、またはそ

り 、民衆の関心も極

の 非実際的なもので

ける特殊の行事であ 心な っなぐことにもなる。

あるために、一方 れに拘りなく旧慣を持 航 することが多い。

を 多分に持ち続け

明かにすることが 出 来ると考える。

示すとおりである

因果関係をい う ので

して存するものであ

析 してその実体を把 考える。 215

(4)

一 """-

とは今更強いて論ずるまでもないが、

本数とは 余 ほど違った,ものとして取扱い ね ば ならないものがある。

するところ、何らかの形で部落祭祀 よい。 がまずこれに 当る 。しかしこれも厳密 くて、もつと広い視野、違った角度に立 しかも時代の政策として強いて習合

く 措いて、日本の社会、特に部落社会 ない。その距離は極めて近く、むしろ 全 実に立って孝ぇ な げれば、凡そ部落の祭

しとも難しいといつてよい。 ぅと 確かにいえるものでなくても、 い やはりここに取上げて見るべ き ものがあ は 、そういうもののうちには却って 歩 い に 較べてむしろ新しい宗教現象であると るといえる。 % 落祭祀の社会性 -"" "" 一 しかしそれはまた宗教として 、 違った観点から見てかから またはそれに該当するものが には今少し分析批判せねばな って 見 ねばならない。 したとのみ考えられがちであ に 受容れられる場合には、 神 く 同様であるといつても余り 祀を理解することも出来ない ろ いるの宗教現象が所謂民間 る 。しかしそれとて寺院、仏 といえる。ここに所謂民間信 見当付ける大きな手懸りがあ

(5)

今 ここで部落の祭 ではなく、それと 挨 それと同時に一概 れるものについて、 おかねばならない。 解することも出来る 一般に神社といえ 生の関係から、また 例えば山の神のご ぅ 部落祭祀とは 余 ほ と分化した場合に起 宗教なる現象の如何 かに把握出来る。 む 経済において、その る精神生活において それらを一つにし 態であり、こうした 発 神社といつても一概には考えられないものが あ

な も 、その社会の宗教と隔離されたものはない。 実

一 一 の

﹂とはい う まもない。

ぅ ものでもない。そのためにはま づ 神社とい わ て 理 21 ア

(6)

が 形成され発展し

して来たものである。

しては独自のもの

場ム P には自然

の 宗教形式を採って来る。

るといつてよい。

チん むよト @

Ⅴ 。

その社会生活が複

218

(7)

条件に基づいて起っ

極めて地域的な性

ころには必ず存する

といつてよい。

あった。これまで

申に甚しぎは凡そ

るために等しく神社

ではない。

都市社会、それ

殊の信仰によって

成されて来るものである。

り 、それも一の

氏神の社会的な特性

そのものの歴史的な

特性があるとしなくてはならない。

乃至産土神の歴史

ついて概括的にいわれたものである。

219

(8)

いということにな

ろにある。また部落

れにも所謂氏神的な 神となった 場 ムコもないではない。

性格を持つて来る と 、そこ限りの神が奉斎されることにもなる。

、むしろ 屡 々見 ろ

従ってこれは氏神の 方向へ発展して行く傾向も強い。

して、 鎌 若宮を酉 岩藤 に 斎くことになった。

にその組の個性が

化を来したものであ る 。

いつた氏神よりも

の 麓では山の神とな

なしに、何等かの 機 能 的な個性が強く出て来る。 % 落 祭祀の社会 佳 20 ゑ 七

(9)

れ 的 れ に ほ の ら し 伊 の な さ

病人

応 組 め , て

勢差

阪 え め 能 と 地 ば て が 一

徴必

ず選

てのたかともる

個個、 で時とにい

明どて

氏 古 都 参 府 方 も し ば 佳 佳 さ あ に い し ぅ 神 の 荷 い 与 に 商 神 。 さ 氏 業 社 れ 神 都 の て の 市 ご 、 場 な と 民 会 と 神 ば な 人 し 氏 、 な 神

神 に 五 い は 神 る の て 神 神 い 名 で し ぅ 事 々 。 個 も 的 々 。 の に 延 は て こ ら の 性 機 な の 撚 上 と 億 個 が 能 性 個 る で

に 仰 佳 一 神 格 性 に は 商 神 も そ も に も 層 的 な 売 名 の う な 立 明

の 帳 と し っ 脚 か く 性 う す め ば 神 に ま た ろ う 賀 来 て な

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な 、 し 弱 一 組 で 神 い 特さ 稲 ま見 り 傾 信 て と 層 そ 、 は ろ

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(10)

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(11)

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ま う た ち

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延 ら 氏 し に い 見 神 て 盛 て て の 斬 っ は も 傾 し た 宗 司 は ] い 部 223

(12)

との間には地縁的

余生活に別の新し

かし一般に氏神とい

ナム 申ん

ト @ Ⅴ 。

いことを物語るも

葉集三

﹂大伴坂上部

氏の氏神とある。﹁

長の条にも春日神

に、氏社といつ

あるが、上に挙げた

既に地縁的関係でなくなった現人ロである。

よりもこの地縁関

が重要であったと見るべぎである。

一統の奉斎するというような氏神本来の意味に

おいてだけではな

れておるのを用いた

一一

部落祭祀の社会性

(13)

"

一一一

落の人々は氏子で

働いて、氏子を氏

を 具体的に示したも

ある。

する。村の社会生

のということも出来よう,

祀 には個人的な利

己 的な方面が少

ぃ 。

教を害するような

皇が

村祭の行事とな

のものであるといわねばならない。

教生活、

榔ち

村の

たようなものである。

会 においては、

れを外にして社会生活は無いのである。

絶対の神である。

(14)

れ 形 い 起 弱 う り の 外 珪ノ

も 神

落落

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祀氏

は 神 氏神 幸よ ど も 存 ら 係 は 非 あ な 亦 続 そ 侍 は 伺 い ナ - Ⅰ し れ 殊 ど キ - ま う の

背 ぞ 9 群 ど 以 負

(15)

一四 ︶ て ・も、農村にとって であった。水田 農 も 特殊の事情にある がある。しかも集合 対しては闘争的とい ぅ より忍耐的であるといえる。 続発展に依存す せなく、それ以上に 社会的生活に立脚し て いろいろの現象が起つて来る。 公的な生活が人間 れに対してこれを 構 存在が認められないことになる。 であるが、ことに 代の進展に応じて 発 展 せしめて来たといえる。 2 打

(16)

が 、これまた村を

各個人が所有して、

すでに古くから土地

なり、個人の所有が 発達したのである。

続し 、必要に応じ

神田または築田など

、部落のいろいろの

世 まて部落的性格を 持つて来ておるからである。 九

するものでもな

れてある。

接 に関係する。 そ

などといわれたもの 同時にまた神社祭祀の場所でもあった。

あったことも注意

幡の主要な氏子区域 一五 部落祭祀の社会 佳

(17)

一 4 / 、 と 石清水との密接な関係を示すものである。

係 においても両者

長 はそのまま祭祀の いて以て氏の神を奉祀したのである。

上 であり部落の長

わち社会生活を支配 じ くその社会にお・ける公の行事である。

所謂家族的シヤマ

公的方面を本質と 寸

から勇進である。

的であるのに対し

のに対して女性的便

においても氏上や部

と 相対して私的な 兄

という本来の形を

居るような神社は 、

て 漸次複雑なものになっておるのである。

9

(18)

掃 か た 、 ろ 部 、 治 て の 一 し つ

か部

で 落 や 営 諸 七 て 会

は落

あ の 経 ま 行 れ 事

と 氏 で げ ャこ も い 神 、 容 麦 笛 う と 部 れ げ 接

な な こ 寺 落 る 容 に 神 申 と 院 の 仏 れ 結 田 , 小 が と

長教

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出 、 者 は ね い 宮 し 田 て し の

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る す と す は 配 放 氏 あ な だ る 同 6 、 さ の 神 る 中 げ が じ と 相 れ 加 奈 ,小 さ と た し

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落そい

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、 寺 つ る 由 の の て ら 織 そ 院 も 。

緒宗

本 の の さ の も の か に 敦 夫 み

行れ

経 会 で っ ょ と の で

菅所

あ 果 つ し 教 は 事

に と っ し て て 義 な

て 同 で 初 さ も は も 、 じ あ

かれ部

暫 と

担 う 6 々 た 薄 く も 当 す 、 寺 も の 措 と も 宮 瓦 座 も る 院 の 経 か 氏 神 と 経 の 建 も 営 て 神 な い 済 で 築 あ す 、 祭 も あ に ち る こ 祀 申 J

曲。

5 - る よ う と れ 十ま と 部 ナブ し つ が こ が 政 し 落

ラ 形であった。 神

あった。すなむち 郵

ぅ ことは出来ない。しかし近畿地方のように、 比較的に自然発生

としてその周辺にお げを指摘しでおく。

(19)

23t 一八 来るの

帯 にはこの傾向を

ぅ ことだけを指摘し ておく。

存するとはいえな いつても決して過言ではない。

別 のところにある

りしておって、氏神 が 欠けておる場合もある。

に 神社は近世末期

にすべてが在来より 大 ぎく 壮 厳に改築されておると見て大過ない。

倒され、さらに 新

る 。

る 。僧侶あって 寺

にあった。その点で

ある。

事の法会に招 鴉さ

(20)

部落祭祀の社会性 一九 ひ + み 一 部 金 れ 部 そ 層 落 し く 一 る 落 し 強 の か 神 体 僧 め て く 祈 し 社 に 尼 ぅ

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(21)

ろ う

O ﹂ うち

Ⅹ カ O

定 なっ 神を

藤田富雄

は義 なり。﹂﹁ ア い う 命題と形式

判断と同じ形を 判断の論理は認識

識 と信仰の問題 体験の最も根本的

るをえたい。 そ えてみたい。

ぅ までもなく、 ゼウスは神々の 父

ストを 信ず 。﹂と というような命題

判断につ

|そ

の特質と

ⅠⅡ

妥当性の根拠

O 幼 3

(22)

- 一一 信仰 判析は ついて ぅホ ㌔ ヱ ルドマン しながら、論理学の ではない。﹂︵ロ四日。 、思惟の規範をもと 問題になるのである。したが と ,存在判断とは同じものでは は 、﹁主は我らを造り、我ら らわし、恩恵を受くる法を示 へて アゴフ 一のものなり。 な | はそれにっきて、なんじら 事実を問題とする心理学的判 ぅ ことができる。 一 一 "" 実 として前提されてはいるが、信仰判断 るのである。そこで、信仰判断の命題 リストに ょ り、世を煩いて 童 なぎ愛をあ か 、﹁天にあるもの、地にあるもの、 な ﹂とも、はた 、ひめ おくことも、アッラ る 。このように、信仰判断は、心理的 妥当性を要求する価値判断であるとい 判断であるから、信仰 無論、ショル ツ のよう ぶオ の 目抽ロ 0 口の でゴ岸 Q の o, もないが、神の存在

ぅ るかということが

(23)

学 惟 ば か な め

望 も る さ

駁説

古句 そ る る 理 の 清 ら に 不 心 的 い は 可

理 思 え ゆ 欠 235

(24)

お 6 つ

ら る 釣 的 に 性 行

て礎て 宗の儀

で あ

ば す 体 ど ( 図 る や 想、 ろ り、

特、

ぼそ。

る験

こ 素

に信

と か お を お 仲 間 ら い も い が じ 、 て 約 こ 世 。 特 部 表 の

界宙

に 分 て な め P 照 な 々 践 ぎ 特 に る @ ,点 @ こ る

(25)

のである。

佳は論理的思惟の

標準に属しているか ょ れば、論理学は思

れは判断する思惟の 明 て 当 主

係性

.接 は こ じ 表

かは

性 張 先 と の 的 " の " 象 マ に 、 の す づ を 要 に 心

真信

の ィ 全

宿根

る マ

明太

理運 仰著

ヱ く 仰 拠 。 イ か を み 半 生 制 し か 的 張 . 研 い は

が 識 に

断す

執 も

がれ

の か た が す と と の 6 8 つ

妥は

間 し と 信 る " つ 妥 と ) 関 当 問 題 "

信仰

2%

(26)

ぬ をもつ

た 判断であ

'

。 茗

げればならないであ 尹尹 O.P か oi の 戸 ︶ こ

理化の危険に陥る。何故ならば、マイ ヱル が 、 宗教的信仰の真理 妥

るからである。マイ 、この考え方を堅持

、論理的必然性を起 真理の標準であるか

ことをアプリオリに 科学的認識の文理の 間接的に妥当性の間

論的 認識に主導権を 与えてしまうことになる。ウォッベルミンが 、 面 ・ 有 な論理が根拠に

毛人 リ ⅠⅠⅠ ヴの ︵︵ Hpw ロ Ⅰ由の ︶ , 信仰判断が表象す

妥当を余りにも認識

つては、数学のよ う /

(27)

か で 然 験 で 容

わ粋

る ト 断 カ と は の り ら あ 一 一 あ 、 ち 理 ) ょ は ン い 信 矢 立 み つ

舷舷

る 思 、 性 わ り か ト ラ 仰 点 場 真 も て は の ピ 惟

経批

れ の う が 強 制 を は 理 オ L 取 ( と 験 判 わ 引 ま 経 い 断 免

れあ

妥 当 え く も な さ ョ戸 と ら

無容せ悟経可経

べ く 般

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も 属 ユ 信 断 と 理 く 示 を 把 」 L 別 損 て の し い ( な 立 た る

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二 な 届、 る 六 ら

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て ル 239

(28)

る た で な 、 か と 判 ら こ め 〒 、 ろ に

般仰

お の と ヱ こ 強 い 理 い て 論 う で は ょ あ よ う

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み な 惟 て 億 げ ほ 仰 ら る 力 経 た 、 ノ 験 め ト で に が あ は 第 9 の お 般 第 い と 三 て 異 @ く一 牡ヒ 取 り 判 残 内 が し 容 七 大 た の ら 判 ぎ

特面

く 殊 が 浮 な 強 び 経 調 が な れ あ 験 さ っ 取 た

扱経

co 下 れ 主 く つ 験

(29)

世斥と 関係さ ダト 乙 ︶静かに

識の活動と似て

葉 によって い

らかの鍵を与 四 摂する思惟の

セ q. せ ・・の・ NA の︶

あり、ただ特殊

力 である。形式

、内容からみ 粋 悟性がアプリ

ばならないが、

れていた い 統一 る 先天的原理を い からできない

ほかならない。

﹂の原理によ つ

ほめ の・

する 普

直視

られる

かし、

ば偶

反省

くら

る根 二八 せられるのが一般的な傾向である。︵例えば レ耳 ⅡのⅠ

Ⅱを 制 や 啓示 断 力を えるであろう。 接王

(30)

242

当 ) 的 力 し あ に ( の ょ )

時観

いは厳に

0 は

す れ と 性 に 表 で 定 に か え 台 然 め と を る る 呼 と 関 家 こ は 的 付 ら る に の る も 法 と 。 ぱ が 係 と の な 刊 し 、 普 な 偶 と 呼 則 い こ れ 調 さ 主 ょ く 断 て こ 通 っ 撚 い ぶ 化 ぅ の 、 和 せ 観 ぅ 至 よ , さ る と な

(31)

ぅ す で は い ざ り つ は さ 拠 て 根 に し

、 で ろ は

(事

の の あ 点 あ に い に

断帯

い関の

て ね 、 う な・

趣は

封判ら

断 こ 存 は は は 在 、 分 認 、 は に

花量

識個

つ の て 少 る で

"

(32)

感 ︵ 9

ヨ与田

︶ と 一二一 宿神判 椅は ついて ﹂のような必然性が成

与え何が満足を与え

& ののの 0 オぴ 俺の臣︶ ハの,

、表現の能力である

のできない主観的 普

必然性でもなく、 模

︵ H 由 のの︶︵ p.p.O.

抹 し、ある理念に適

妥当するとみられ ぅ

の 構想力と悟性とが

根拠となることはで

︶が基礎となって い

存在しない。このた 趣味はそれ自身 固 ・ 有 なわち、趣味の原型

朱判断が誰にでも 妥, においてである。 す

(33)

、趣味判断の二 律背 は 現象の超感性的基

ることができるが、 o す ぅ 可く 共

るので

名 の め は と い @ 感 も と 厳 ヰァ し 区

ぬか

れ に そ あ な げ 要 れ 求 な ら な す 念 な ャこ わ 基 ち つ @ 概 と 念 い

たが

サ ブ し 十文 ぬ わ ( し 十 ; 圭ミ や か 悟 な 夢 も

245

(34)

る に 和 の ば も

践味

か人

概 ぃ 体 つ て 実 あ な 理 し が を も 判

が基か

て と 式 三 挺 (

約五

が に

性性

い 在 っ 、 屈 で 原 の 、 よ 的 や る す て こ )

あ ・理訴 そ れ な

実趣

る 各 の と

(35)

関係にあるのであ ろ うか 。

であり、模範的 必 は 、内容からみられ を 明かにした。この 五 ある。︵ p.p.O. の・ トき ︶

断 する︵両者に関

展開と道徳的感情の ゆひ 0 、の ・ か のの︶

要請するところの

感官の印象による

mw ヴ 0 ロの︶である。

示 ︵

0 日の吊 臣 のな S ︶によってなし、象徴は 類比の媒介によって すな ね ち、 先づ 第一

なる規則を、最初の 四 ぬァ

(36)

、信仰判断は

よいことであるとい

価値を判断する

た 現実に対している

よいことであって

それに反して:信仰判断においては、たえず、

対象の存在が前提に

。その意味において

らゆる興味は実質に

ある。何故ならば、

られるから、美的理

そのまま当てはまら

ては全く異るからで ある。

(37)

249

不快を媒介としての

、 美は主体の自由な

ち、

神と関係するも

ガ 0

口Ⅰ︵

哺由

援由メ

にあらわれるのは、

例えば、神が罪した

力感が強められ、

れるのである。﹁われ

目的的な形式によ

の 崇高と類似してい

え方をそのまま信仰

何れも特殊な経験と

ばならない。それで

仰 判断の論理を考えれば

よい

であろうか。

Ⅱ・ ノ

・Ⅹ

主観的な妥当性しか

(38)

は は

る 各 と 人

ぃ眺わ

遺精そこ

ト埋

る て

たげ

さ が こ 身 老 生

こ な と ら つ て 美 自勺

(39)

三八

できないということ

こ ・こに、恩寵を与え

ぬ 0 コ 宙 0 Ⅱ い 由れ曲目︶︵の

とする場合に、論理

つているから、客観

しての意味をもつこ

要素をはなれた人間

断 に根源的な立 協

的なものであれば、

ゴ のの 佳ずり 圧へ い曲 ⅠのⅠ

根拠となることを 示

判断の 皓礎 におかれた は 、絶対者の恩寵という形であらわ

の 超感性的基体にも

的 偏向を、その根源

るということができるであろう。

にあった。形式が

くされた究極の根拠

なるのである。信仰 あ 1

(40)

信 仰 判 断 つ 九 とに成り立つてい て 、判断の主体で において、信仰 判 て 把握された絶対 れが絶対的に依存 としての性格をも め がれないが、 そ 仰 表象としては、

念 によって妥当 基礎 づ げられな げ いる限り、必然的 いうことができるであろう。 七 りとして考察し

う に結論づける 的な価値判断であ である点にある。 あるが、その宗教

する

ての

でも

ある

根拠

な す

/ 乍

われ

た共

体験

節制

ると

(41)

ぅ 生 存 が の ら 論 て 主 面 教 の 人 な 張 在 " よ れ 理 " 観 を の こ 理 間 も す 、 す こ う る と

判的

論の

念 が め る ピ れ な 宗 ど 断 側 調 理 ょ と で 判 と ら 点 数 の

す面

し を ア し 必 あ 断 い の の 的 よ る を た 明 に て 然

るか

で あ

5

存に胡適

点先夫

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信仰でよ

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る な に る 神 も

界論理

と 宗 と で れ 。 る 、 に 学 つ 状 理 で い 教 い あ る

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えの 5

6

案 教 ろ も 論 張 る お め と 。

理殊

的 は 神 文 す か か よ い そ は な な あ が は る と れ 5 5 し 、 経 夫 る 愛 、 宗 い て と こ て 剖 検 通 ヤァ し お @ そ う O な

感 理 い 愛 は が ょ 理 が す 、 立 十ま は う な な っ ぅ が か な 客 た ど こ ろ も て に 債 り わ 観 せ 絶 の と 神 ね 、 さ 仰 ど ち 的 る 対 ょ を は い こ せ の し 、 側 京 者 わ 3

(42)

書評

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不能と

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(43)

一般につ

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、死亡

つてい

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氏は

再構

夫々

、神

のある事

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人の寿

、六十歳

しろ、

庵に

入る

不妊

る 今昔の

に運は

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いと

識 生活の

質問題へ

四二

である。

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いる。

おる世界は 円ォ

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ゆ年

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される

てゆく

品位に関

、一連

奔放な

描出は

共有現象

由巴に

、大人

談話

より陶冶

生知への

解し、

継承して

、異議

0

面から

@@ 255

(44)

る 。

めてい

釈 、内容

含んでい

も 、便宜

力 の二大

等 が熱狂

つ たとの

れ 易かっ

は 逆に個

やダ ニヱ

が 因襲 的

確証を強

ら 厭わぬ

任務も

勤 は 々ザ

は 比の面 四三 る 。そし 精神世界 と云 5 時 ト占、。 ヰれ ーⅤ が 多 い事、 性 しへの 股に 就い わけでは と 云 うの の 如く た 分村等 浅め ﹁ 坐 ﹂ そして 此 裁決方法 の 挙句 裁 り 寧ろ 、 氏は更 の 可能性問題にも検討・を加えている。

(45)

明白でな

的 意義に

の 変形を

申 に法

いないの

0

課題が

題名へいでも 四四 フライ人にあるまに思い至る時、強ち諒され ろ う 。︵山本一郎︶

執筆者

紹 ・ 介

原田敏明熊本大学教授

藤田富雄立教大学講師

山本一郎

東京大学大学院 ぬ 事 で は な 257

参照

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