第 7 章 まとめ
7.1 結論
7.2 今後の展望
7.1 結論
本研究では,これまでほとんど研究されてこなかった複数のニューラルネットワー クを結合させた系の振舞いを調査するため,2 組のカオスニューラルネットワークを 結合した新しいネットワークを提案した.そして,コード化・保存・想起からなる人 間の記憶の過程のうち,コード化モデルを自己組織化マップを用いて,想起モデルを 2 組のカオスニューラルネットワークを用いて構築し,人間の記憶のメカニズムの解 明を試みた.さらに,これまでのニューラルネットワーク研究ではシミュレーション による評価が主たるもので,その応用まで発展させた研究例はほとんど見られなかっ たが,情動表出ヒューマノイドロボットWE-4RIIに導入することによって,これまで ある刺激に対する行動が一意的に決められていたロボットが,同一刺激に対してもそ のときの気分に従って認識結果を変化させ,行動を多様化させることを目的とした.
まず,第1章では,序論として本研究の研究背景と関連研究,および目的・意義に ついて述べ,第2章では,脳生理学における脳のしくみとそれをモデル化したニュー ラルネットワーク,および心理学における記憶のメカニズムについて説明した.
第3章では,本研究で提案したニューラルネットワークのニューロンモデルとして,
カオス的な力によって駆動する1つの調和振動子と,カオス的な力によって結合した2 つの調和振動子のモデルを示した.カオス的な力は,分岐パラメータによって周期的 にもカオス的にも変化するが,調和振動子の外力がカオス的に変化すると,周期的な 振動をしようとする調和振動子と,カオス的な振動をしようとする力とが影響し合う.
本研究では,1つの調和振動子においては,分岐パラメータをその調和振動子の位置 によって変調し,2つの調和振動子においては,それぞれの分岐パラメータを他方の 調和振動子の位置によって変調することにより,調和振動子自身がカオス的な力の力 学的性質をコントロールできるようにした.その結果,1つの調和振動子においては,
カオス的な振動をした共振現象,2つの調和振動子においては,カオス的な振動をし たうなり現象というまったく新しいタイプの振る舞いが確認された.さらに,周期 的・準周期的・間欠性カオス的・カオス的といったように様々な種類の振舞いが現れ,
現れ,これをニューラルネットワークのニューロンとして用いることの有効性が示さ れた.
第4章では,第3章で提案したモデルをニューロンにもつニューラルネットワーク を構築した.ここでは,ニューロンの内部状態が調和振動子の運動方程式に従って変 化し,ニューロン同士がカオス的な力で相互作用する.さらに,このようなニューラ ルネットワークを2組作成し,各ニューロンがニューラルネットワーク内のニューロ ンと結合しているだけではなく,もう一方のネットワークの同じ位置のニューロンと も結合している新しいタイプのネットワークを提案した.ここで,それぞれのネット ワークに異なるパターンを保存した場合,ネットワーク同士が結合されていないとそ れぞれ自身が保存しているパターンしか想起することはできない.しかし,ネットワ ーク同士を結合すると,自身が保存しているパターンに加えて,他方のネットワーク が保存しているパターンも想起できることがわかった.ニューラルネットワークがあ るパターンを想起するためには,Hebb 則などそれぞれの問題に適した結合定数を用 いる必要がある.しかし,ここでは,ネットワーク間の結合定数を任意の値としても,
他方のネットワークが保存しているパターンの情報を受け取り,想起できることを確 認した.
次に,第5章では,自己組織化マップを用いたコード化モデルとカオスニューラル ネットワークを用いた想起モデルを組み合わせた記憶モデルについて述べた.まず,
自己組織化マップは,多次元ベクトルの組み合わせに対して,特徴の類似したベクト ルごとにネットワーク上にマッピングすることが可能である.人間は目が覚めて刺激 を受容できる状態になると,無制限に刺激を知覚するが,意識の向いていない刺激に 対してはコード化を行わず,記憶として保存することはないので,最も意識の向いた 刺激の情報を正規化し,自己組織化マップへ入力することによりコード化を行うこと とした.
また,ヒトの記憶は気分と深い関係があり,一定の気分で体験した出来事が,その 内容の快,不快に関わらず,再び体験したときの気分になると簡単に再生されるとい う気分の状態依存性と,ある一定の気分は,その気分と一致する記憶を呼び起こすと いう気分適合性があることが知られている.第 4 章で示したネットワークに関して,
Network A におけるそれぞれのパターンの想起率を見てみると,Network B から
Network Aへの結合定数を大きくすると,自身に保存されているパターンの想起回数
は減少,Network Bが保存しているパターンの想起回数は増加することがわかった.
そこで,Network Aに不快記憶,Network Bに快記憶を保存し,Network BからNetwork Aへの結合定数を気分の快度によって変化させることにより,気分適合性を実現した.
覚醒が最適な遂行を導くと言われている.そこで,情動の覚醒度によってニューラル ネットワークの計算に要する時間を変化させ,覚醒度が高すぎたり低すぎたりすると きは,刺激が入力されてから記憶を想起し認識するまで時間を要するものとした.そ して,Network AからNetwork Bへの結合定数を覚醒度によって変化させることによ り,覚醒度が中程度のときは気分適合性に従って刺激を認識するが,覚醒度が高すぎ たり低すぎたりするときは気分と一致した認識ができない場合も現れるようにした.
続いて,第6章では,第5章で構築した記憶モデルを情動表出ヒューマノイドロボ ットWE-4RII(Waseda Eye No.4 Refined II)へ適用し,評価実験を行った.これまで 新しく考案されたニューラルネットワークモデルは,主にシミュレーションによって 評価されてきた.これは,例えばロボット工学への応用を考えた場合,ロボットを開 発するための専門知識や専門技術が必要となるように,他分野への応用が困難であっ たためである.従って,本研究のように,ロボットへ応用することは非常に意義ある ことだと言える.また,このロボットは,たたかれたら怒る,アルコールのニオイを かいだら喜ぶなど,ある刺激に対してあらかじめ定義されている行動しか生成するこ とができなかった.しかし,人間は同一刺激が入力された場合でも,気分に従って異 なる記憶を想起するため,応答の仕方が常に変化する.従って,本研究の試みは,ロ ボットの行動の多様化につながるものと考えられ,ロボット工学においても意義ある ことと思われる.
WE-4RIIは,視覚,聴覚,触覚,嗅覚の4感覚器を有しており,入力された刺激に
対して心理モデルに従って情動を変化させ,59自由度(顔: 22,首: 4,肺: 1,体幹: 2, 腕: 18,ハンド: 12)を用いて様々な行動を出力することができる.心理モデルでは,
快度・覚醒度・確信度からなる3次元の心理空間内で,ロボットの心理状態を表す情 動ベクトルが定義されている.そして,ロボット外部からの刺激に対する心理状態の 変化が情動方程式により数式化されており,快度・覚醒度からなる気分ベクトルによ って表現される気分,ロボットが自律的に欲求を変化させ,その欲求によって行動を 出力する欲求モデル,ロボットの行動や情動表出の対象を明確にする意識モデル等に よって構成されている.そこで,新しく構築した記憶モデルをこの心理モデルに統合 し,WE-4RIIに適用した.その結果,コード化モデルにより,ロボットの入力刺激の もつ情報がパターン化され,想起モデルにより,ロボットがある刺激に対して快い気 分のときはその刺激に関連した快記憶を,不快な気分のときは不快記憶を想起できる ことがわかった.つまり,ロボットは同一刺激に対してそのときの気分に従って認識 結果を変化させ,想起した記憶に対応する行動を出力することを可能とした.
以上より,本論文の成果をまとめると,次のようになる.
• ニューロンモデルとして,カオス的な力によって駆動する調和振動子のモデ ルの提案(第3章)
• カオス的な振動をした共振現象の発見(第3章 第2節)
• カオス的な振動をしたうなり現象の発見(第3章 第3節)
• ニューロンが周期的,準周期的,間欠性カオス的,カオス的といったように 様々な振舞いをすることを確認(第3章 第2節・第3節)
• ニューロンが調和振動子の運動方程式に従って変化し,ニューロン同士がカ オス的な力によって相互作用するニューラルネットワークモデルの提案(第 4章 第2節)
• カオスニューラルネットワークが保存した全ての記憶パターンを想起できる ことを確認(第4章 第2節)
• 2 組のカオスニューラルネットワークが結合している新しいネットワークの 考案(第4章 第3節)
• 各ネットワークが自身が保存しているパターンの他に,もう一方のネットワ ークに保存されているパターンも想起可能であることを確認(第 4 章 第 3 節)
• 自己組織化マップを用いたコード化モデルの構築(第5章 第2節)
• 2組のカオスニューラルネットワークを用いた想起モデルの構築(第5章 第 3節)
• ヒューマノイドロボットの心理モデルに記憶モデルを導入(第6章 第3節)
• コード化モデルにより刺激のもつ感覚情報と気分情報のパターン化に成功
(第6章 第4節)
• ネットワーク間の結合定数を気分の快度で変化させることにより,気分適合 性を実現(第6章 第4節)
以上のように,本論文では,カオスニューラルネットワークを用いて記憶モデルを 構築し,これをヒューマノイドロボットに適用することによって,新しいネットワー クモデルの応用の可能性を示すことを目的としている.その成果として,ニューロン の内部状態が調和振動子の運動方程式に従って変化し,ニューロン同士がカオス的な 力で相互作用するニューラルネットワークを2組作成し,同じ位置のニューロン同士 が結合している新しいタイプのネットワークについて報告した.また,自己組織化マ ップとカオスニューラルネットワークを用いて記憶モデルを構築し,情動表出ヒュー マノイドロボットWE-4RIIに適用することにより,ロボットが同一刺激に対してもそ
告した.本研究の成果は,脳科学,心理学,ロボット工学を融合することにより,ニ ューラルネットワークの他分野への応用の可能性,ヒトの心理モデルの解明,ロボッ トのコミュニケーション機能の向上を示したものであり,上記3分野をはじめ,生体 工学,機械工学など関連分野における将来に大きく貢献するものであると考えられる.
7.2 今後の展望
本研究では,ニューロン数千個からなるネットワークが脳のごく一部にすぎないこ とを考慮すると,脳の力学的性質をたった1つのニューラルネットワークで表現する ことは極めて難しいため,複数のニューラルネットワークを結合させた系に関する研 究が重要であると考えた.そこで,2組のニューラルネットワークを結合し連想記憶 問題に適用した結果,ネットワーク間で情報がやりとりされ,各ネットワークが自身 に保存されているパターン以外に,もう一方のネットワークに保存されているパター ンも想起できることを確認した.しかし,人間の脳はより多数のネットワークで構成 されていると考えられるため,結合するネットワーク数を増やす必要がある.
・
・
・ Network B Network C
C B
Zi , ZiC,B
・
・
・ B
j
Wi,
C j
Wi,
Network A
A B
Zi ,
A C
Zi , C A
Zi , B
A
Zi , ・
・
・ A
j
Wi,
・
・
・ Network B Network C
C B
Zi , ZiC,B
・
・
・ B
j
Wi,
C j
Wi,
Network A
A B
Zi ,
A C
Zi , C A
Zi , B
A
Zi , ・
・
・ A
j
Wi,
Fig.7.1 Mutually Coupled 3 Networks
そこで,まず,Fig.7.1のようにネットワーク数を3つに増やした場合において,シミ ュレーションを行った.ここでは,第4章で示した,各ニューロンの内部状態が調和 振動子の運動方程式に従って変化し,ニューロン同士がカオス的な力によって相互作 用するネットワークを用い,Network AにはFig.7.2(a)のパターン“F”,Network Bには Fig.7.2(b)のパターン“C”,Network CにはFig.7.2(c)のパターン“4”を保存した.また,
各パラメータの値は,次のようにおいた.
K=14.0,μ=0.05,T=2.0,τ=0.1,β=0.05,b=1.2 (7.1)
ZiA,B =ZiA,C =90.0,ZiB,A =ZiC,A =ZiB,C =ZiC,B =10.0
各ネットワークのニューロンの内部状態の変化と,想起しているパターンをFig.7.3に 示す.各ネットワークは,お互いに情報を送信し合うことによって,自身以外に保存 されているパターンも想起できているが,Network Aへの結合定数ZiA,B,ZiA,Cのみが大 きい値となっているため,Network AはNetwork BとNetwork Cからの影響を強く受け,
内部状態の振幅が非常に大きくなっている.また,Network Aは,他のネットワーク が自身が保存しているパターンを連続して想起しているとき,つまり,Network Bが パターン“C”を,Network Cがパターン“4”を連続して想起しているとき,それぞれパ ターン“C”,パターン“4”を想起する傾向にある.しかし,Network Aにおける各パタ ーンの想起回数をみてみると,計40000ステップのうちパターン“F”を276回,パター ン“C”を472回,パターン“4”を8063回といったように,全想起回数を加算しても10000 回に満たない.また,パラメータの値,特にネットワーク間の結合定数の値を変化さ せると,他のネットワークに保存させたパターンをまったく想起しないことがあり,
パフォーマンスに問題があることがわかった.これは,カオス時系列にロジスティッ クマップ以外の関数を用いたり,ネットワーク間の結合方法を変えることによって改 善されるのではないかと考える.
(a) (b) (c) Fig.7.2 3 Stored Patterns
0.0
Retrieved Pattern
x
A(n )
40000 10000
n
-: F -: C -: 4 - : nothing 350.0
-350.0 C4 F
20000 30000
0 0.0
Retrieved Pattern
x
A(n )
40000 10000
n
-: F -: C -: 4 - : nothing 350.0
-350.0 C4 F
20000 30000
0
Fig.7.3(a) Time Evolution of xiA(n) and Retrieved Pattern in Network A
-: F -: C -: 4 - : nothing
0.0
Retrieved Pattern
x
B(n )
40000 10000
n
50.0
-50.0 C4 F
20000 30000
0
-: F -: C -: 4 - : nothing
0.0
Retrieved Pattern
x
B(n )
40000 10000
n
50.0
-50.0 C4 F
20000 30000
0
Fig.7.3(b) Time Evolution of xiB(n) and Retrieved Pattern in Network B
さらに,人間の記憶に関する障害として認知症の患者が年々増加しているが,日本 では現在,要介護者認定者の2人のうち1人が認知症の影響を受けており,その数は約 150万人と言われている.認知症の原因の多くは,脳血管性認知症とアルツハイマー 型認知症の2つであるが,アルツハイマーにおいては,脳の記憶を司る海馬が萎縮し,
記憶を保存および想起できない状態にある.本研究では,海馬で見られるカオスを用 いてニューラルネットワークを構築したが,結合定数を変えることにより記憶の保存 に対する障害,カオスの代わりにノイズを用いることにより記憶の想起に対する障害 をシミュレートし,記憶障害のメカニズムを解明することが可能になるのではないか と考えている.
また,本研究では,人間の脳のニューロンがカオス応答を示すことに着目し,カオ ス的な力によって相互作用するニューラルネットワークについて研究してきたが,カ オス応答を示すものは脳のニューロンだけではない.人間の生理指標は全てカオス的 な振舞いをしていると思われ,その中でも心電は,Fig.7.4(a)に示したような波形をし ている.ここで,特に振幅の大きい箇所をR波というが,R波の大きさや間隔は常に 変化しており,R波とR波の間は非常に複雑な波形をしていることがわかる.しかし,
Fig.7.4(b)のようなローレンツプロットを見てみると,ある円を描きながら変化してお り,アトラクタが形成されていることがわかる.脈波についても同様のことが言え,
-: F -: C -: 4 - : nothing
0.0
Retrieved Pattern
x
C(n)
40000 10000
n
50.0
-50.0 C4 F
20000 30000
0
-: F -: C -: 4 - : nothing
0.0
Retrieved Pattern
x
C(n)
40000 10000
n
50.0
-50.0 C4 F
20000 30000
0
Fig.7.3(c) Time Evolution of xiC(n) and Retrieved Pattern in Network C
ヒューマノイドロボットの評価にはアンケートが用いられているが,この方法ではリ アルタイムに評価することができず,ロボットのどの行動が人間に影響を与えたのか 理解することが難しい.しかし,ロボットとインタラクションをしている人間の生理 指標を計測し,そのアトラクタの形状を解析することによって,ロボットに対するス トレスなどを客観的に評価できるのではないかと考えられる.
10
0 2 4 6 8
0.0
-0.5 0.0
0.0 0.0 0.0 2.5
time s
Voltage mV
10
0 2 4 6 8
0.0
-0.5 0.0
0.0 0.0 0.0 2.5
time s
Voltage mV
(a) Time Evolution
3.0
0.0 1.0 2.0
3.0
0.0 1.0 2.0
V(t) mV
V(t+1) mV
3.0
0.0 1.0 2.0
3.0
0.0 1.0 2.0
V(t) mV
V(t+1) mV
(b) Lorenz Plot Fig.7.4 Electrocardiogram
さらに,本研究ではニューラルネットワークをロボット工学に応用することで,ニ ューラルネットワークの新モデルの応用例を示した.しかし,ロボット工学以外にも 心理学,人間工学,経済学など様々な分野に応用できる可能性がある.今後もニュー ラルネットワークの応用を試み,どの分野のどのような問題に応用可能なのか明確に したいと考える.しかし,その方法がニューラルネットワークのモデルによって異な ると,他のモデルを用いて容易に実験を行うことができない.そこで,各問題に適当 な応用方法を調査し,汎用性を有する方法を確立したい.そして,より多くのニュー ラルネットワークモデルを他の分野に容易に応用可能なシステムを構築し,各分野が さらに発展していくことを望む.