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松 山 匡 和

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Academic year: 2022

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(1)﹃万葉集﹄の類型表現﹁のちはあひぬとも﹂の考察 ‑旅の歌三首‑. 首. の. ﹄. 第. い. お. 五. り. て. よ. 句. 発. の. '. び. ﹁. も. 言. ま立. ﹁. 諸. の. 遠. ﹂. を. ず場. 確し 認か でし き一 る方 ︒で. 集. お. 通. の. と. ). 後. 注. ち. ふ字. ‑. と. 以. はが. は. 釈. は. との. 海. 解. 下. '提. 逢. 書. あ. め. もみ. 山. 釈. に. 双示. ひ. に. ひ. ‑ ﹂. た. と︒. を. す. 参. 方さ. ぬ. よ. ぬ. たの. 完 に. の. 言. 越. る. 照. のれ. と. り. と. 相. 表み. 了 原. で. な. え. 立. す. 解て. も. も. も. 宿. 現︒. の 文. あ. り. て. 場. る. 釈い. ﹂. 問. ﹂. 和. 三. 葉. に. 二. 書. ぬ. 〇. 逢借. 強. 宿 ぬ. しヌ. ﹁. 一﹁ 九ぬ 〇﹂ )は ﹁完 楕了 ﹂の は助 借動. はは. を. ) ﹁. 識リ. の. 匡. 右. 万. が. へ. 釈. ひ. 九. 後槽. 心. 〇 も. 意ナ. こ. 山. 本. と. 書. 注. 逢. 一. て. 三. ふ. 九 だ. ‑外. こ. 松. こ. 釈. る ) 諸. は. 三. り. (. 思. 一 た. 強以. ). はじめに. 注. す 2 る. 後. (. 帰. ︼. と. 三. をヌ. 〇. 18. 釈 ( す. ﹁. ︼. ち. 稗. る. (. 寝ヒ. 九. 五. ﹃万葉集﹄仝二〇巻を通じて見出される表現上の特徴の一つに︑い. ◎. 略. 立. 注. へ. ︼. ア. 一. 第. わゆる類歌・類句を構成する︑多様な類型表現の存在がある 本︒ 論. ︻. '. 潟. 達. 庫. は. 三. の. 文は︑この類型表現に着目することで︑現時点で未だ解釈が確定さ. ん. 津. と. 文. の. (. 首. れていない問題についてへその答えを見出すことを目的としたもの (‑) である︒ 敬‑上げる歌は'共通した第五句を持つ以下の三首である︒. ︻. つ. 西. る. ︼. ︒. 三. 雲居なる海山越えてい行きなば我は恋ひむなのちはあひぬとも. き. 中. い. 系. う. 該. (後者相宿友)(⑫二≡九〇・悲別歌). ︻. 用. 大. ろ. 当. みさご居る渚に居る舟の漕ぎ出なばうら恋しけむのちはあひぬと. を. 新. あ. ︑. 東道の手児の呼坂越えて去なば我は恋ひむなのちはあひぬとも. ︻. で. も(後者合宿友)(⑫二二二〇三・悲別歌). (能知披安此奴登母)(⑭・三四七七・相聞). の. 五. る. 一. い. F万葉集﹄の類型表現﹁のちはあひぬとも﹂の考察.

(2) ︻井上新考︼(三四七七)ノチハアヒヌトモは後ハ逢フトモなり︒. 契. えるとしてもと解されてきた︒ ﹁逢ひぬ﹂の﹁ぬ﹂は完了の助動詞で'. ︻水島全注︼(三四七七)後ではお逢いしようとも︒. ︻松岡論究︼(三四七七)アヒヌは契沖説の如‑︑相寝の謂で︑第十. 原文は﹁後者合宿友﹂でへこの﹁宿﹂は寝の意ではないだろうか︒. 強めていうものだという︒ この結句は三二〇三歌にもあ‑︑それも. できるにきまっているけれども︒ ﹁ぬ﹂は完了の助動詞﹁ぬ﹂の終止. 二巻にも用例がある︒ 之を逢ヒの完了時格としては︑ノチ(級)ハ. 沖が雄二相寝1なりといへるは従はれず︒. 形︒ ‑ただ﹁逢ふ﹂とあっても共寝することを意味するからへ﹁逢ひ. といふ副詞と抵触し︑上旬恋ヒムとも時格が調和せぬので'逢なむ. 後で逢うことが. ぬ﹂で差支えないのだが︑この場合へ完了の助動詞﹁ぬ﹂がちょっ. なれども︻古義︼︑逢フトモ︻新考︼の意とも説かれて居るのである. ︻新全集︼(三一九〇)このアヒヌをも逢ヒに完了の助動詞ヌが付い. 思フヘシ︒. 立場においても︑解釈上の決定的な根拠を示している発言は見られ. の第五句に関しては'﹁後は逢ひぬとも﹂︑﹁後は相寝とも﹂いずれの. 諸注釈書による諸説を概観したが︑本論文で問題としている三首. とすることは出来ぬ(以下略). が如‑ナに通ふことが有‑得るとしても︑アヒナムを略してアヒナ. が︑逢ヒヌと逢フとを同意とすることは不可能で︑ヌは雅澄のいふ. と気になる︒. ◎﹁後は相寝とも﹂と解釈する立場 ︻代︼(棉)(三1九〇)落句ハ後ハ相テ共二寝ルトモナリ︒ 宿パテニ. たものと解する説もあるが︑原文表記が﹁後者相宿友﹂とありへこ. ない状況である︒ 特に︑原文表記および語法面からの検討において. 此モ宿ノ字ヲカケルヲ. の後の三二〇三でも﹁後者骨相友﹂となっている事実を重視して︑. は︑双方の解釈ともに可能性があり︑一方に決定することは困難と. ヲハニアラスへ下こモ'裏懇監後者合宿友.. このヌは寝の意と解する︒. 6︑COOOOOJなどの例がある︒ がへこの場合︑﹁逢ふトに完了. のであり︑内容の面で共通している︒. 内容に日を向けてみる0 三首は'旅立ちに際しての別れを詠ったも. 言d わt ざ0 るをえない︒ そこで視点を変えて'当該三首の類型性および ︻伊藤釈注︼(三一九〇)﹁ぬ﹂に福をあてることo蝣<y>cni<y>・i‑hc. ﹁ぬ﹂の接続する形がしっ‑りしない︒. 現へことばも類似しておりへ極めて類塑性が高‑'三首には共通し. さらに'構文や使用された表. ︻小野仝注︼(三一九〇)この原文は﹁後者相宿友﹂で代匠記(棉). た心情が詠われている︑と考えてよいだろう︒. この見通しのもとにも. ﹁落句ハ後ハ相テ共二寝ルトモナリ﹂とある︒. 第五句を﹁後は逢ひぬとも﹂と解釈した場合と︑﹁後は朝寝とも﹂と. しかしこの説はその後. 顧みられることな‑︑﹁後は逢ひぬとも﹂と読まれ︑後にはきっと逢.

(3) る﹃万葉集﹄中の歌へさらには歌の構文や表現は類似せずとも︑内. 実施したいと思う︒ 具体的には︑三首に共通する類型表現が見られ. 解釈した場合の'両者の描き出す内容を吟味することによる考察を. 二四・皇極天皇三年六月). 遠方の浅野の雑響さず我は癒しかど人そ響す(﹃日本書紀﹄・巻第. 記﹄・中巻・神武天皇). 大舟の津守が占に告らむとはまきしに知‑て我が二人寝し(②・ 一〇九・大津皇子・相聞). 容面で類似する同想の歌にまで広げた比較を行う︒ て︑類型歌あるいは同想の歌において︑﹁後は逢ひぬとも﹂︑﹁後は相. 明けぬべ‑千鳥しぼ鳴‑自たへの君が手枕いまだ飽かなくに. この考察を通し. 寝とも﹂どちらが︑旅の別れに際しての歌にふさわしい表現かを明. 九・相聞). l七. 足柄の真間の小菅の菅枕あぜかまかさむ児ろせ手枕(⑭二二三六. 入りてかつ寝むこの戸開かせ(⑬二二三一〇・問答歌). ‑野つ鳥錐はとよむ家つ鳥かけも鳴‑さ夜は明けこの夜は明けぬ. 七七・秋相聞). さ雄鹿の入野のすすき初尾花いつしか妹が手を枕かむ(⑲二一二. 夜の百夜の長さあ‑こせぬかも(④・五四六・笠金村・相聞). ‑天地の神言寄せてしきたへの衣手交へて己妻と頼める今夜秋の. (②・九四・内大臣藤原卿). 玉‑しげ三諸の山のさなかづらさ寝ずはつひにありかつましじ. 療しさ寝てば‑(﹃古事記﹄・中巻・允恭天皇). 笹薫に打つや霞のたしだしに率寝てむ後は人は離ゆとも愛しとさ. またへ共寝への願望を詠ったものには︑以下のような歌がある︒. (⑪二一八〇七・寄物陳思). 一. らかなものとしたい︒. 二'当該三首(⑫・三一九〇へ三二〇三・⑱二二四 七七)第五旬の検討. ‑t﹁共寝﹂はどのように詠われているか 当該三首の第五句を﹁後は相寝とも﹂と解釈した場合︑そこには 旅立ちの別れに際して︑幾らかの年月はかかるにせよ︑実現するこ とへの確信を持って︑相手との将来の共寝を願望する人物の心情が 見出される︒ こうした共寝の詠い方は︑﹃万葉集﹄の旅の歌において 一般的なものであろうか︒ ﹃古事記﹄歌謡へ﹃日本書紀﹄歌謡にも範 囲を広げて調査してみるとへ共寝を詠ったものは'相聞的内容の歌 を中心に数多‑見出され︑その内容は幾つかに分類可能である︒ つは実現した共寝について詠う次のような歌である︒. 葦原の密しき小屋に菅塵いやさや敷きて我が二人療し(﹃古事 ﹃万葉集﹄の類型表現﹁のちはあひぬとも﹂の考察.

(4) 三・大伴家持). 妹が袖我枕かむ川の瀬に霧立ち渡れさ夜ふけぬとに(⑲・四1六. かに読み取れる︒しかしへこの一首の拝情の中心は'今の自分がそ. まLを﹂との表現からは︑旅先で妹との共寝を願っている心情が確. と考えられる︒この歌では︑旅の歌という共通点はあるが'共寝が. の願望を実現できない状況下にある︑という嘆きを詠うことにある また﹃万葉集﹄中には︑現在自己のおかれている︑孤独な一人寝. この他︑共寝を. 詠う歌には'故人へ別れた人︑逢えない人を回想するよすがとして︑. 三首とは'正反対の心情が読み取れるものである︒. 実現しないことを作者が確信しているという'今回問題としている. そのうち︑以下の五. の状況を強調するために︑実現しない︑あるいは過去の'あるいは 途絶えている﹁共寝﹂を詠った歌が見られる︒ 首は'旅に関る歌である︒. あぢさはふ妹が目離れてしきたへの枕もまかず桜皮巻き作れる舟. 九・大伴旅人). 呂・相聞). だもあらず延ふつたの別れし来れば‑(②・二二五・柿本人麻. ‑玉藻なすなびき寝し児を深海松の深めて恩へどさ寝し夜はい. ﹁共寝﹂を持ち出したものが多‑見出される︒. にま梶貫き我が漕ぎ来れば‑(⑥・九四二・山部赤人・雑歌). しきたへの袖交へし君玉垂の越智野過ぎ行‑またも逢はめやも. 帰るべ‑時はな‑け‑都にて誰が手本をか我が枕かむ(③・四三. 大君の行幸のまにま我妹子が手枕まかず月そ経にける(⑥・一〇. (②二九五・挽歌). ‑我妹子と二人我が渡し枕づ‑つま屋の内に昼はうらさび暮らし. 三二・大伴家持・雑歌) 関な‑は帰りにだにもうち行きて妹が手枕まきて寝まLを(⑥・. なみ‑(②二一二二・柿本人麻呂・挽歌). 夜は息づき明かし嘆けどもせむすべ知らに恋ふれども逢ふよしを. ‑み雪降る越に下り来あらたまの年の五年しきたへの手枕まかず. 愛しき人のまきてLLきたへの我が手枕をま‑人あらめや(③・. 一〇三六・大伴家持・雑歌). 紐解かず丸寝をすればいぶせみと心なぐさに‑(⑬・四二三・. 四三八・大伴旅人・挽歌). すき肩に取‑掛け倭文幣を手に取り持ちてな放けそと我は祈れど. 共にあらむと思ひしに心違ひぬ言はむすべせむすべ知らに木綿だ. 天地の神はなかれや愛しき我が妻離る光る神鳴‑はた娘子携はり. 大伴家持). ﹁妹が手枕まきて寝. ⑥二〇三六は︑題詞に﹁不破行宮大伴宿祢家持作歌1首﹂とあ ‑︑家を離れた旅先での歌であることがわかる︒.

(5) 四二三七). 現にと思ひてしかも夢のみに手本まき寝と見ればすべなし(⑲・. まきて寝し妹が手本は雲にたなび‑(⑳・四二三六). らが'後日天皇の下に参上する︑と約束したことによるものである︒. そうである︒しかし'この歌における天皇の確信は'若日下部王自. は'当該三首の第五句を﹁後は相寝とも﹂と解釈する後押しとなり. りへその帰路の行程に天皇自身も若日下部王も'何ら不安を抱‑要. また︑別れという状況は同じでも︑天皇は自らの皇居に戻るのであ このように見て‑るとも共寝を扱った歌は'﹃万葉集﹄および﹃古. 素は存在しないだろう︒. 事記﹄歌謡の﹁後も組み療む﹂によりへ男女の別れに際してへ共寝. 旅立つ者も見送る者も︑共に不安な心情のもとでの別れである︒. られるか︑何事も無‑戻って来て‑れるか全く分からない︑という. しかしその一方でも⑫二三九〇へ三二〇. 事記﹄歌謡︑﹃日本書紀﹄歌謡において︑決して特殊なものではない︒. 三'⑪二二四七七の三首における別れは︑果たして無事に戻って来. しかし﹁後は相寝とも﹂と︑実現する. ﹃万葉集﹄に限ってみても︑第1期から第四期まで︑歌人達が繰‑返 し取上げた歌の題材である︒ 確信を持って'将来の﹁共寝﹂. を別れに際して詠うものは'なかな か見られない︒今回の調査では次の二首が見出された︒. ﹃古. しかしながら'. 今回問題としている三首とは︑異なる別れの状況下でのものであり︑. が持ち出されることは歌の表現として確認できた︒ 日下部の此方の山と畳薦平群の山の此方此方の山の峡に立ち菓ゆ. ことばの類似という点だけでは'旅の別れに際しての当該歌三首に︑. それ. もちろん︑. この. ﹁妹に寄り寝む年は近きを﹂と. ﹁後は相寝とも﹂という表現がふさわしいとは亭えないと思われる0. る葉虞熊自標本にはい組竹生ひ末へにはた繁竹生ひい組竹い組み は寝ずた繁竹確には率寝ず後も組み療むその思ひ妻あはれ(﹃古事. では'⑫二元一八はどうだろうか︒. いう表現からは'近い将来における共寝の実現が間違いなく確信さ. 記﹄・下巻・雄略天皇) おはかたはなにかも恋ひむ言挙げせず妹に寄り寝む年は近きを. れている︒ しかしこの歌は'故郷へ戻る時が明らかに認識されてい. は次の三首である︒. 一九. 旅立ちに際して共寝が詠われた歌は'﹃万葉集﹄中に存在する︒. 七の三首とは︑異質なものと考えざるを得ないだろう︒. 歌に込められた心情もまたへ⑫・三一九〇へ三二〇三︑⑭二二四七. る点で︑旅立ちの際の精神状態とは全く異なるものであろう︒. (⑫二元一八・人麻呂歌集・寄物陳思). ﹃古事記﹄によれば︑. 右の﹃古事記﹄歌謡は︑近い将来必ず実現する若日下部王との共 寝を'天皇が確信を込めて詠ったものである︒. 天皇が皇居に還る時に︑山の坂の上で詠い︑使者に伝えさせた歌と ある︒ 別れに際して︑後日の共寝への意志が詠われたこの歌の存在 ﹃万葉集﹄の類型表現﹁のちはあひぬとも﹂の考察.

(6) 一〇・人麻呂歌集・問答歌). 赤駒が足掻き速けば雲居にも隠り行かむぞ袖まけ我妹(⑪二t五. 二〇三︑⑭二二四七七)は'極めて類型性が高い︒. 先に述べたように'今回問題としている三首(⑩二≡九〇へ三. 2t当該三首に見られる類型表現を通して. のちはあひぬと. のちはあひ. のちはあひぬiJ. うら恋しけむ. 我は恋ひむな. あらためて三首. 明日よりは恋ひつつも行かむ今夜だに早‑夕より紐解け我妹. を並べて比較してみると︑. ア 雲居なる海山越えてい行きな劇. (⑫二二二九・問答歌) 飴玉の寸戸の林に汝を立てて行きかつましじいを先立たね(⑭・ 三三五三・相聞). みさご居る渚に居る舟の漕ぎ出なば. 引(三l九〇) 三首は'いずれも旅立ちの別れを控えた男の歌であ‑︑共寝が詠. ぬとも (三二〇三). 我は恋ひむな. を述べへウ'﹁のちはあひぬとも﹂と第五句を結ぶという︑構文・表. けた事態が生じたならば︑イ'﹁恋し‑思うであろう﹂と自己の心情. 右の通り当該三首にはヘア̀順接仮定条件の接続助詞﹁ば﹂で承. も (三四七七). 東道の手児の呼坂越えて去な劇. われている︒ しかしいずれも︑別れの前に名残の共寝をしようと' 男が女に詠いかけたものである点で'﹁後は相寝とも﹂の句が描き出 す内容とは別のものとなっている︒ 以上へ﹃万葉集﹄および﹃古事記﹄ 歌謡へ﹃日本書紀﹄歌謡の調査結果から見ても共寝へそして共寝への 願望は'歌の題材として︑ご‑一般的なものと考えてよいだろう︒ その願望が非常に強いものであるからこそ︑共寝は︑自己の孤独な 現状を浮き彫‑にするLt故人やもう逢うことのかなわない人を思. 将来の﹁共寝﹂を別れに際して詠うという表現︑つまり︑今回問題. 探しへそれらと当該三首との比較を通して︑何か見出すことはでき. いて︑右のア'ィ︑ウと同型あるいは類似した表現の含まれる歌を. そこで'﹃万葉集﹄にお. にしている当該三首第五句の解釈の候補の一つへ﹁後は相寝とも﹂は︑. ないか考えて見たい︒. 現上の三つの共通点が見出されるのである︒. 旅の歌の表現としては︑かなり特殊なものである可能性が高‑なっ. Aeアもしくはイの表現を含む︑旅の別れに際しての歌. い出すよすがともなるわけである︒ しかし︑実現する確信を持って'. たのである︒. ☆1衣手の別る今夜ゆ妹も我もいたく恋ひむな逢ふよしをなみ.

(7) (④・五〇八二二方沙弥・相聞) ☆2大舟の思ひ頼みし君が去なば我は恋ひむな直に逢ふまでに. き'悲しみの要因が'相手に逢えなくなることだとわかる︒. 一方へ. それは. まだ︑. 取りも直さずへ逢う事への願望の強さによるものであろう︒. 直接に﹁逢う﹂ことが詠われていない歌には︑﹁後れ居て﹂﹁後れた. る﹂﹁留まり居て﹂といった'後に残された自分と︑去って行‑相手. (④・五五〇・相聞) 後れ居て我はや恋ひむ春霞たなび‑山を君が越え去なば(⑨二. とを相対化した表現が用いられている︒. 意識され'願望されるのは︑相手に再び逢う事ではないだろうか︒. 現段階では断定的なことは言えないが'旅立ちの別れに際して強く. なることへの悲しみと喪失感が込められていると思われる︒. て︑相手の姿を目にすることが出来な‑なることへつまり逢えなく. この根底には'後に残され. 七七一・古集・相聞) ☆3‑大君の命恐み天ざかる都治めにと朝鳥の朝立ちしつつ群鳥の 群立ち去なば留まり居て我は恋ひむな見ず久ならば(⑨・一七八 五・笠金村歌集・相聞) ☆4朝霞たなび‑山を越えて去なば我は恋ひむな逢はむ日までに. また︑今回問題としている三首中の一つである⑭二二四七七につい. てはも右にあげた歌のうち三首(④・五〇八︑五五〇︑⑫・三一八. (⑫・三一八八・悲別歌) 明日よりはいなむの川の出でて去なば留まれる我は恋ひつつやあ. 八)に見られる'別れた後に﹁恋ひむ﹂であろうことを'第五句で. て考えられそうであることも︑併せて確認しておきたいと思う︒. ﹁逢う﹂ことに結び付けるという歌の型が'⑭・三四七七にあてはめ. らむ(⑫二≡九八・悲別歌) ‑大君の命恐み食す国の事取り持ちて若草の足結手作り群鳥の朝 立ち去なば後れたる我や悲しき旅に行‑君かも恋ひむ‑(⑰・四 〇〇八・大伴地主). 形+な︹完了の助動詞﹁ぬ﹂未然形︺+ば︹順接仮定条件の接続. Be⑫二三九〇︑三二〇三の'ア表現﹁〜(し)なば﹂(動詞連用 右にあげた歌を見渡すと︑別れに際しての嘆きの要因や'旅立つ. 助詞﹁ば﹂︺)を含む︑旅の別れに際しての歌. 二一. 呼び立ててみ舟出でなば浜も狭に後れ並み居て臥いまろび恋ひ. (⑨・一七二八・石川卿・雑歌). ☆‑慰めて今夜は寝なむ明日よりは恋ひかも行かむこゆ別れなば. 者と残された者が︑別れに際して何を願望しているかが見えてくる︒. ☆2︑☆4では︑残された者の恋しさは再. ☆Iでは︑別れることで'今後お互いに逢う機会がなくなってしま うことが嘆かれている︒. ☆1‑☆4からは'別れの嘆. 会がかなうまで続‑とあ‑'☆3の嘆きは︑相手の姿を見られない︑ 長‑逢えないことによるものである︒. ﹃万葉集﹄の類型表現﹁のちはあひぬとも﹂の考察.

(8) かも居らむ足ず‑し音のみや泣かむ海上のその津をさして君が漕. ﹃万葉集﹄中には'﹁後﹂が助詞﹁も﹂を下接して動詞﹁逢ふ﹂と. きる︒ 具 体 的 に は ' ﹁ 後 も 逢 は む ﹂. 結び付いた形の類型表現を'相聞的内容の歌に多‑見出すことがで. ☆2中麻奈に浮き居る舟の漕ぎ出なば逢ふこと難し今日にしあらず. 三〇一八)︑﹁後も逢はむと﹂(②二一〇七︑④・七三九へ七四〇へ. ぎ行かば (⑨二七八〇・高橋虫麻呂歌中・相聞). は(⑭二二四〇一・相聞). ⑪・二四七九へ⑫・二八六八へ二九〇四へ三二三へ⑬・三二八〇︑. (⑫二一四三一︑⑫二一八四七︑. ☆3別れなばうら悲しけむ我が衣下にを着ませ直に逢ふまでに. 三二八一)へ ﹁後も逢はむ君﹂ (④・七三七)へ ﹁後も逢はむと言ふ﹂. (⑪二一七五六)︑﹁後も必ず逢はむとそ思ふ﹂ (⑫二二〇七三)︑﹁後. (⑮二二五八四) 奈呉の海の沖つ白波しくし‑に思はえむかも立ち別れなば(⑰・. も連ふものを﹂(⑪二一四四八)︑﹁後も逢ふものそ﹂(⑪二五一五)ち. ﹁後にも逢はむ﹂ (④エバ九九︑⑲二八九五)︑﹁後には逢はむ﹂. 三九八九・大伴家持) ☆4玉梓の道に出で立ち別れなば見ぬ日さまねみ恋しけむかも. (⑩・四二七九)へ﹁後つひに妹は逢はむと﹂ (⑫二二〇四〇)へ﹁あり. を︑﹁後も逢はむ﹂も含めた︑﹁後﹂と動詞﹁逢ふ﹂による類型表現. として大きく捉えるならば︑右の用例数の多さは'当該三首の第五. 句﹁あひぬ﹂を﹁逢ひぬ﹂と考える後押しとなりそうである︒. 一方で'﹁後も﹂の表. て'﹁後も相寝む﹂や'﹁ありて後にも朝寝むものを﹂といった表現. が存在しない事実は︑重視されるべきだろう︒. 併せ. しかし'⑳・四二七九の﹁後には逢はむ﹂同様にも﹁後はあひぬとも﹂. る助詞が異なってお‑'同型ではない点が問題となるかも知れない︒. あり︑今回問題としている﹁後はあひぬとも﹂とは'﹁後﹂に下接す. ったものである︒以上の用例を見ると︑このCの表現は﹁後も﹂で. むとそ思ふ﹂(⑫二二〇六四)へ﹁逢ひて後こそ﹂(④エバ七四)とい. 後も連はざらめやも﹂ (⑮・三七四l ︹一云︺)へ﹁あ‑て後にも連は. て後にも達はざらめやも﹂ (④・七六三'⑮二二七四一)へ﹁ありての. (⑰・三九九五・大伴家持). ☆3では︑悲しみが﹁直に逢ふまで﹂. 右に挙げた歌の内︑☆2‑では︑別れた後に逢うことが難し‑なる だろうことが嘆かれそいる︒. ここで見た旅の歌. 続くと詠われている︒ また︑☆4では︑相手を見ない日が多い︑つ ま‑逢えないことが恋Ltさの要因となっている︒. からも︑相手に再び逢う事が︑旅立ちの別れに際して強‑意識され 願望されるという'先の仮定を裏付ける材料を得ることができた︒ なお︑☆Iには﹁今夜は寝なむ﹂とあるが︑この歌は'旅を共にし. の類似表現. てきた仲間との別れを翌朝に控えた心情を詠ったものであ‑︑この. ウ﹁のちはあひぬとも﹂. ﹁寝﹂は妹との共寝ではない︒. ct.

(9) 逃すべきではない︒ 当該三首において'﹁後﹂が不確実性を伴って提. 現が見られる右の歌の中には'旅に関わる歌が存在しないことも見. (⑮二三ハ七1). ぬばたまの夜渡る月にあらませば家なる妹に逢ひて来まLを. あたり見む (⑮二二六五一). ‑大伴の三津の浜辺に直泊てにみ船は泊てむ障みなく辛くいまし. ウ'早‑故郷に戻りたい'戻ってきて欲しいと願う歌. 三七三四・狭野弟上娘子). 遠き山間も越え来ぬ今更に逢ふべきよしのなきがさぶしさ(⑮・. (⑮・三六三四). 筑紫道の可太の大島しまし‑も見ねば恋しき妹を置きて来ぬ. 四九五・相聞). 朝日影にほへる山に照る月の飽かざる君を山越しに置きて(④・. 二五四・柿本人麻呂・雑歌). 燈火の明石大門に人らむ日や漕ぎ別れなむ家のあたり見ず(③・. イ̀逢えない︑見られないと嘆く歌. 三七二〇). 我妹子を行きてはや見む淡路島雲居に見えぬ家付‑らしも(⑮・. 示される助詞﹁も﹂ではなく﹁後﹂を確実性を伴って提示する助詞 ﹁は﹂が選択されていることは'三首を解釈する上で留意される必要 があるだろう︒. De旅の歌に詠われている嘆き・願望 さらに引き続き︑﹃万葉集﹄の旅の歌全般にわたって調査を行い︑ そこで何が嘆かれているのか'何が願望されているのかを見ていこ zォはし薗mat. ア'逢いたい︑見たいと願望する歌 妹があた‑今そ我が行‑目のみだに我に見えこそ言開はずとも (⑦二二二・雑歌・罵旅作). 娘 子 ら が 放 り の 髪 を 木 綿 の 山 雲 な た な び き 家 のあた‑見む (⑦・ l二二四・雑歌・鴇旅作). Lからぬ君をいつしか行きてはや見. おし照る難波を過ぎてうちなび‑草香の山を夕碁に我が越え来れ ば山も狭に咲けるあしびの悪. てはや帰‑ませ(⑤・八九四・山上憶良・雑歌). 逮‑ありて雲居に見ゆる妹が家に早‑至らむ歩め黒駒(⑦二二. む(⑧二四二八・春雑歌). 国遠み直には逢はず夢にだに我に見えこそ逢 はむ日までに (⑫・. 七一・人麻呂歌集・雑歌). 二三. 大舟を荒海に出だしいます君障むことな‑はや帰りませ(⑮・三. 三一四二・覇旅発思) ぬばたまの夜渡る月ははやも出でぬかも海原の八十島の上ゆ妹が ﹃万葉集﹄の類型表現﹁のちはあひぬとも﹂の考察.

(10) 五八二). 三'まとめ. ここまで'⑫・三一九〇︑三二〇三︑⑭二二四七七の三首に見ら. エ'見ていたいという歌 己妻を人の里に置きおほほしく見つつそ来ぬるこの道の間(⑭・. れる類型表現をもとにした考察および'﹃万葉集﹄中の旅の歌全般に. とも﹂の解釈を考えてきた︒ その結果として︑﹃万葉集﹄の時代区分. 調査範囲を広げた考察を通して'当該三首の第五句﹁のちはあひぬ. 三五七一・防人歌) 都辺に立つ日近付‑飽‑までに相見て行かな恋ふる日多けむ (⑰・三九九九・大伴家持). 第一期から第四期に到るまで変ることな‑'旅立ちの別れに際Lt. 相手に向けて希求されている事柄が次第に見えてきたと思われる︒. 別れに際しての嘆きは︑相手の不在によりへお互いが逢えな‑なる. オ'見えるという歌 天ざかる都の長道を恋ひ来れば明石の門よ‑家のあたり見ゆ. 悲しみへと言い換えることも可能であろう︒. 別れの時を迎えて︑少. (⑮二二六〇八). しでも相手を見ていたいという願いは'不在の間ずっと相手に逢え. 相手が不. 在の悲しみは︑再会がかない'お互いの姿を目にするまでは解消さ. ない(姿を見ることができない)悲しみへの恐れである︒. いても'相手に対して願望するのは︑再び逢うことも姿を見ること. れない︒ だからこそ︑別れに際しては'相手に逢うことへ相手の姿. 以上のア〜オの歌からはう旅先にあっても︑あるいは家に残って. であったことが読み取れる︒ ウの﹁早‑故郷に戻‑たい︑戻ってき. もちろんへ旅立ちに際して︑. あるいは旅先で︑共寝が願望されないと言うつも‑はない︒. を目にすることが詠われるのである︒. 帰還を願う心情は︑戻った後に早‑共寝がしたいからだと考える余. 中に引用した歌の中には︑﹁逢ふ﹂と詠んでいてもう共寝の意味も含. て欲しいと願う歌﹂の項目に挙げた歌での︑家路を急ぐ心情︑早い. 地は︑もちろん残っている︒ しかしながら︑今まで見てきたへA〜. めて解釈すべき場合は当然あると思われる︒. 本論文. Dの歌から得られた事実を考え合わせるならば︑やはり早‑再会し. く再会したいという旅人の'そしてへ早‑帰ってきてほしい︑早. 家に早‑帰りたい'早. たいという心情が反映されているtと見るのが自然であろう︒. しかしそうではあ. 再会したいという家で待つ者の願望の根底には'単に逢うことだけ. ではなく︑共寝への願望が当然あると思われる︒.

(11) またへ旅先で安全のために︑自ら呪術を行う旅人の歌も見出され る︒. 大き海の波は恐し然れども神を祈りて舟出せばいかに(⑦・一二 三二・雑歌). ちはやふる神のみ坂に幣奉り斎ふ命は母父がため(⑳・四四〇 二・神入部子忍男). もちろん︑旅に関る呪術行為に向けた人々の意識には︑上代にお. しか. 以上︑﹃万葉. っても'歌にはあ‑まで﹁逢いたい﹂と詠われ︑﹁共寝したい﹂とは 詠われていない︑という事実は重視される必要がある︒ 集﹄の旅の歌を全巻に渡って眺めた結果︑旅の別れに際して詠われ た'⑫二≡九〇へ三二〇三へ⑭二二四七七三首第五句の表現には︑. それは︑先に諸注釈書を参照した際. ﹁後は逢ひぬとも﹂がよ‑ふさわしいtと考えられるのである︒ しへまだ残された問題がある︒ に触れた'伊藤︑水島両氏により提示された'動詞﹁逢ふ﹂と助動. る︒ 伊藤︑水島両氏によってへその違和感に関しての明確な根拠は. いて変遷があったことであろう︒ ﹃万葉集﹄中には︑畏怖すべき神を'. 詞﹁ぬ﹂のつなが‑への違和感に対して'どのように応えるかであ. 示されていない︒しかし︑両氏の違和感の向けられた対象を推測す. 次のように詠った歌が見出される︒. 高麗錦紐の結びも解き放けず斎ひて待てど験なきかも(⑫二元. 五五八・土師水道・相聞). ちはやぶる神の社に我が掛けし幣は賜らむ妹に逢はな‑に(④・. るにも当該三首の第五句を﹁後は逢ひぬとも﹂と解釈する時に現わ. しかし私はへこの助動詞. れる︑無事な帰還を既成の事実であるかのように詠う確信に満ちた 口調tが挙げられるのではないだろうか︒. ﹁ぬ﹂がもたらす帰還への確信は'当時の旅にまつわる︑様々な呪術 ここで. 七五・止述心緒). 的行為と考え合わせることで︑説明可能なものと考える︒. ﹃万葉集﹄中を見渡すと︑潔斎して夫の帰りを待つ妻の'次のような. いかにして恋止むものぞ天地の神を祈れど我や思ひ増す(⑬・三. をうかがわせるものである︒. こうした神の権威に対する懐疑心の発. 降のものであ‑︑上代の人々の神への意識が変化し始めていること. 右に挙げた歌は︑いずれも﹃万葉集﹄の時代区分における第三期以. 三〇六・問答). 歌が見出される︒. 草枕旅行‑君を幸‑あれと斎霊据ゑつ我が床の辺に(⑰二二九二 七・大伴坂上郎女) 櫛も見じ屋内も掃かじ草枕旅行‑君を斎ふと思ひて(⑩・四二六 三)﹃万葉集﹄の類型表現﹁のちはあひぬとも﹂の考察. 二五.

(12) 生は'神を畏怖して旅人の無事を願うという︑旅に関る呪術行為そ. のである︒上代における旅の困難さ︑無事であることの難しさを考. えた時︑旅立ちに際してへ旅人︑家人ともにへ無事に生きて故郷に. 戻ることを第7に願うのは︑ご‑自然なことであろう︒. しかしながら'﹃万葉集﹄の歌. を見る時︑旅に関る呪術行為は'集中を通じて︑人々によ‑取り行. いの無事は︑再び相手の姿を日にした時に︑はじめて確認すること. のものへの懐疑心に直結しかねない︒. われているものである︒ また︑旅人の無事を願っての﹁斎ふ﹂行為. ができるのである︒ いわば逢うことは︑旅を終わらせることでもあ. ことの意味は︑どのようなものだろうか︒. よ. そして︑互. が︑先に引用したものの他にも︑. ‑島伝ひい別れ行かば留まれる我は幣引き斎ひっつ君をば遣らむ. げる巻一五冒頭の︑遣新羅侵入の旅立ちに際した﹁悲別贈答﹂の歌. ったと言える︒その再会を︑﹁後は逢ひぬとも﹂と確信を持って詠う. はや帰りませ(⑧二四五三・笠金村・春相聞). にも見出される︒. 右の二首に見られる'秋になったらきっと逢えるという確信は'. 五八六). 我が故に思ひな痩せそ秋風の吹かむその月逢はむもの故(⑮二二. (⑮二二五八一). 秋さらば相見むものをなにしかも霧に立つべ‑嘆きしまさむ. 再会への確信は'次に挙. 拷会新羅へいます君が日を今日か明日かと斎ひて得たむ(⑮二二 五八七) 自たへの我が衣手を取り持ちて斎へ我が背子直に逢ふまでに (⑮二二七七八・娘子) 四つの船はや帰り来としらか付け朕が裳の裾に斎ひて得たむ (⑲・四二六五) 天地の神に幣置き斎ひっついませ我が背な我をし忠はば(⑳・四 EIHO. 見ることも出来る︒ また︑正式な外交目的の旅であるから︑1股の. 遣新羅侵入の帰国予定が秋と定められていたことによるものだ︑と などの'第三期へ第四期における歌において取上げられているこ. 見ることも出来る︒ しかし実際には︑巻一五に収められた歌や﹃続. ⑭・三四七七)とは︑旅立ちにあたっての心情に隔たりがある︑と. って︑本論文で問題としている三首(⑫二二一九〇へ三二〇三'. 旅に比べれば'移動手段や装備品などにも恵まれていただろう︒ そしてへ. とからも︑実証されるであろう︒ 右に挙げた歌からは︑﹁斎ふ﹂行為 に寄せる︑上代の人々の信頼感を読み取ることが出来る︒. 当時の旅には'旅立つ者にも︑旅人の帰‑を待つ者にも'現代に生 きる我々が想像する以上に'厳粛さが求められたことがうかがえる.

(13) 日本紀﹄により︑彼らの旅は'往路へ復路共に困難を極めたもので. 契沖﹃万葉代匠記﹄︻代︼'橘千蔭﹃万葉集略解﹄︻略︼'井上通泰﹃万葉. (2)諸注釈書名は. ﹃万葉集注釈﹂︻浮揚注樺︼'中西進﹃講談社文庫版万葉集﹄︻中西文庫︼'. 集新考﹄︻井上新考︼'松岡静雄﹃万葉集論究﹄︻松岡論究︼'浮揚久孝. 内の略称にて表記︒. あったことがわかる︒ 遣新羅便人たちの旅も'﹃万葉集﹄中に見られ そしてへ無事に帰. ﹃万葉集仝注﹄(巻一二・小野寛へ巻一四・水島義治)︻仝注︼'小島憲. る旅同様に'厳し‑危険に満ちたものであった︒. 之・木下正俊・東野治之﹃新編日本古典文学全集﹄︻新全集︼'伊藤博. 夫・山崎福之﹃新日本古典文学大系﹄︻新大系︼. ﹃万葉集釈注﹂︻伊藤釈注︼'佐竹昭広・山田英雄・工藤力男・大谷雅. ることが難しかったからこそ'遣新羅便人の旅立ちにあたり︑帰還. このように詠. を既成事実の如‑'確信を持って詠うことが求められたのではない だろうか︒ 右の二首は︑その結果の産物に違いない︒ うことで︑旅人の帰還は言葉の上で約束されるのであり︑ひいては 帰還の実現を約束するという︑呪術的効果を持ったことであろう︒. そして︑﹁後は逢ひぬ. 無事な帰還を言葉の上だけでも約束して‑れるという'歌が持つ呪 的役割に︑人々は期待をかけたと考えられる0. 旅立ちの別れに際して︑後にきっと逢え. とも﹂と︑確信を持って詠うことにも︑同様の呪術的効果を認めて よいのではないだろうか︒. ると詠うことは︑旅人と待つ者の﹁共感的関係﹂(神野志隆光﹁行路 死人歌の周辺﹂﹃論集上代文学﹄第四冊一九七三年一二月塙書房)を. そしてへこの点からも︑当該. 確認するとともに'旅人の無事な帰還と'家人との再会を実現する ためにも必要なものだったのである︒ 三首⑫・三一九〇'三二〇三へ⑭・三四七七の第五句の解釈は︑﹁後 は逢ひぬとも﹂がふさわしいと考えられるのである︒. 注記 (‑)本文に引用した﹃万葉集﹄は塙書房﹃高菜集oQ‑KOS版﹄へ﹃古事 記﹄および﹃日本書紀﹄は岩波古典大系本による︒. ﹃万葉集﹄の類型表現﹁のちはあひぬとも﹂の考察.

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