生活の集団的保障か ら社会的保障へ
前 が き 近代社会 における生活保障 封建社会 を ささえていた家族共同体,村落共 同 体, ギル ド共 同体は経済活動 の 自由の もとに,坐 産手段 の機械 化,大量生産 によって解体 してい っ た。生産の場 であ り,消費の場であ った家族集 団 は, その機 能 の多 くを失い,存続す る上 に必要 な 機能 だけを残 す ことになってい った。 共 同体が解 体 した結果,その構成員 は一度は単 な る個体 とな ったが,個人 に成長 し,近代社会 の 構成員 とな っていった。個人 としての人間 は,社 会 の構成単位 となって,社会 に直接むす びつ くも の となった。個人は職業の 自由,住居 の 自由,結 婚 の 自由等 を持つ独立 自主 な人間 として,その生 活 に責任を負 うことになった。生活個人責任制 で あ る。生活個 人責任制 をつ らぬけず,公的扶助 を 受 けた者 は, 社会的落伍者 として,持 っていた公 民権 を奪わ れ ていた。 しか し,個人はその努力 に もかかわ らず 生活に責任を負い きれ ない ことがあ る こ とを1
9
世 紀 末 の労働者 生 活調 査 が 明 白に し た。労働者 の老後生活 に とって年金 の必要性を認 めた 自由党 内閣は,1
9
0
8
(明治4
1)年 に無拠 出の 老齢年金制 度 をつ くった。 この制度 は欠格条項 を もち,救貧法 的 な性格 をの こした ものであ ったが, 労働者 に とって,生活個人責任制 は社会的援助 な しには, ま も りきれ ないことを, 自由放任 を原則 とす るイギ リス社会 を代表す る自由党政府 が認め た意義 は大 きか った。1
9
1
1(明治4
4
)
年 には,そ の第2
部 に失 業保険制度を もつ国家保険法 が成立 した。 イギ リス個人主義は,個人の責任範 囲を明 白に してい ったのである。 イギ リスは,1
9
4
8
(昭和2
3
)
年 に,1
6
0
1
(関 ケ 原合戦 の翌年 ,慶長6)年以来 の救貧法を廃 し, 国家的扶助 法 を制定 した。 この法律 は夫婦相互 の吉
永
清
間の扶養義務 と父母 の1
6
歳未満 の子 に対す る扶養 義務を規定 した。救貧法が認めて きた1
6
歳以上 の 子 に対す る親の扶養義務 と親に対す る子 の扶養義 務 は道徳上 の義務 に とどまった。ただ1
6
歳以上 の 子で も,学問,訓練途上 にある時,裁判所 は子 の ために2年以内の扶養のlW続を父に命 じ, この命 令 を子 は2
1
歳 になるまで更新す ることがで きるの である。 労働能力がな く,1
6
歳以上で親 の扶 養 を受 け ら れ ない子や子の扶養を受 け られ ない親 の生活 に対 しては,国家が直接 にその扶養 の義務 を負 ったの であ る。 イギ リス国家が退職年金,障害年金,寡 婦年金や失業お よび疾病給付等で生活 が な りたつ よ うに し,それに不足す る時は国家扶助法 に よる 国家扶助 を,66年 か らは社会保障省法 に よる補足 給付を用意 してい るのは以上 の理 由に よるのであ る。 北 ヨー ロッパの諸国はイギ リス と同 じ個人主義 で,生活個人責任制 と生活社会援助義務制 を組み あわせ,親 は子の犠牲にな らず,子 は親 の犠牲 に な らず,各 々がわが道 を行 ける条件づ くりを して, 今 日にな っている といえ よ う。1
イギ リス に お け る生 活 保 障 今 日におけるイギ リス社会 の生活は,
「前が き」 に略述 した よ うに,生活個人責任制 と生活社会援 助義務制 の統一 の上 にあ るといえる。 イギ リスも,公的扶助 を受 け た者か ら,公民権 を奪 った歴史 を もっていた。1
8
8
5
(明治1
8
)
年 の 医療救済法 は医療だ けの救済を求め る者 か ら公民 権 を奪わ なか った。1
9
0
5
(明治3
8
)
年 の失業労働 者法 も援助 を求め る労働者 か ら公民権 を奪わ なか った。病気や失業 によって救済を受 け る ことは, 個人 の責任でない ことを公認 したので あ った。貧 困は個人の問題 か ら,社会の問題 にな ってい ったのである。 1908(明治41)年 の無拠 出老齢年金法は,年収 21ポン ド10シ リング以下で70歳以上,20年以上 イ ギ リス本国に居住を条件 に,最高年金額週
5
シ リ ングを,医療扶助 だけの救貧法の受給者,有罪判 決の経歴老等でない者に支給 した。 これは老齢で 労働能力をな くす と,個人の責任でな く,生活困 難 になることがあることを認め,社会の責任 とし て,わずかな金であるが,支給 した意義には大 き な ものがあった。 1911(明治44)年 の国家保険法にある失業保険 紘,拠出条件に よ り,最高で年15週,週7シ リン グとい うものであった。 1920(大正9)年 に出発 した失業保険法は,そ の年は被保険労働者の失業率が5%であったが, 翌21年には17%にな り,年間15遇給付は無意味 と な り,35週に16週,35週 に22週 と給付期間をのは した。 これで社会保険の原則は生活保障の要求の 前 に くずれてい った。1929(昭和4)年 には じま る世界恐慌は, さらに大量の失業者を出 し,多 く の失業者は救貧法に救済を求めていった。 1934(昭和9)年 の失業法は,26遇以内の短期 失業には保険の給付を,それを こえる長期失業に は資力調査の上で失業扶助を した。政府は この法 律により失業者 に対 して,最低生活の保障をす る 責任を負 ったのである。 労働能 力の ない者 に対す る生活保障 として, 1925(大正14)年 の 『拠 出制寡婦,孤児お よび老 齢年金法』は,保険料 によ り,生活困難の多い孤 児 ・寡婦 ・老人の生活を,恩恵でない保険給付に よって安定をはかろ うとした ものである。それが 労働者問における所得再分配の傾向を もつ もので あ っても,生活 の安定によ り,独立の生活をす る 上 に役立 つ ものであ った。その老 齢年金 は65歳 ∼70歳未満の者 には週10シ リングを給付 し,70歳 を こえると前記 の無拠 出老齢年金制度か ら同額の 年金を資力調査 な しで支給 した。1937(昭和12) 年 の 『拠 出制寡婦,孤児お よび老齢年金 (任意拠 出)法』は任意加入制度であるが,中間階級に対 して加入の道を開いた。 これは社会保険は労働者 階級のものであ って, 自分達はその費用を納税で 負担す るだけであると考 えて きた中間階級が年金 保険に生活をま もる琉能を認めた こと- 彼等の 社会的,経済的地位 が労働者階級の ものに近づ い て きた ことを示す ものである。 イギ リス社会は年 金 に よる生活の安定 を求 め る者 を多 くして い っ た。 1939(昭和14)年 には第 2次世界大戦がは じま った。イギ リス政府 は戦後のプログラムをかかげ, イギ リス国民がイギ リス防衛のために戦 う勇気 と 経済的困難 にた える忍耐 に こた える必要 が あ っ た。 それが1942(昭和17)年 のペ グァ リッジ報告 であ った。 べ ヴァ リッジの社会保障体系は,(》均一給付, ②均一拠出,③最低生活保障を原則 とし,社会保 険を中心 とし,それで基本的な要求にこたえ,そ れで問にあわぬ時は社会扶助で,基本的要求を こ えるものには任意保険で こた えよ うとす るもので ある。生活困難の打開には,前記の所得保障の前 提 として,①15歳未満の児童 に児童手当,②傷病 の予防 と治療 に包括的な医療サー ビス,③雇用 の 確保が必要であるとしている。 ペ グァ リッジ報告 は,資本主義社会では,生活 自助 (生活個人責任)は社会保障 と結合 して, は じめてな りたつ ことを示 し,それを実行に移 した 点に意義がある.ペ グァ リッジは 「(給付)は資産 がな くて も 『生存』 に必要 な最少限度の所得を碓 保す るものでなければな らない。」としたが,実際 の給付は,物価の動 向にあわせて調整 して も,実 質的な低下は明白であった。年金を うけなが ら, 国家扶助を申請す る老人は増加 していった。1948 年にはじまった国家扶助法による受給者は,48年 度において約101万人,その うち退職年金 と寡婦年 金の受給者は約64万人であった。1964(昭和39) 年 に政権を得た労働党は66年 に社会保障省法をつ くり,国家扶助を補足給付制 に改めた。補足給付 は補足年金 と補足手 当よ りなるものである。補足 給付 (国家扶助)を受 ける者 は1977年には299万人 とな り,その うち年金受給者は174万人であ った。 国家扶助である補足給付によ り生活の保障がな り た って くると, イギ リスは 「福祉国家か ら資力調 査による国家扶助の国家に転落 した」 といわれて きた。 べバ ァ リッジの社会保障案は所得分配 も労働者 の問にとどま り,不徹底 なものであることは明 白 である。ペ グァ リッジの社会保障をの りこえて,国家 と直接結合 しているイギ リス国民 は,年金 + 補足年金+ (地方政府のあつか う)住宅扶助を さ らに充実 させ て,わが道を行 き,資本主義社会の 可能性を明白にす ることを望んで この節を終 りた
い。
2
ス ウ ェーデ ンにお け る生活保 障 今 日のス ウ ェーデ ンにおける生活を考 える時, ①合併に応 じないノル ウェーと戦争 した1
8
1
4
(文 政 1)年か ら今 日(
1
9
8
4
年)まで,約1
7
0
年間,戟 争 に よる人 と物の破壊を しなかった こと (ドイツ とソ連 に対す る防衛意識 は強 く,民間防衛に人 も 物 も使 ってい る)0②1
8
8
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(明治2
2
)
年 に成立 した 社会民主党が,(a)中立政策, (b)労働時間や 自由時 間で国民間の生活条件の格差をな くす こと,(C)住 宅供給, (d)年金生活者の生活条件の改善等の政策 をかかげ,1
9
3
2
年には単独で内閣をつ くり勤労者 の願望を具体化す る努力を して きた こと (一時, 政権か ら離れたが,8
2
年9
月の選挙で現在政権 に ついている).(卦産業別労働組合 と生活協同組合 と が地域社会 か ら全スウェーデンを住み よい社会 に す る協力的生活態度を育てて きた こと。①産業革 命が生みだ した 「新 しい貧困」 を示す失業者等が ス ウ ェ ー デ ン に 失 望 し て1
8
6
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(万 延 1)午∼1
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(大正3)
年の間に北 アメ リカに,当時の 国民 の4
分の1
に当 る1
0
0
万人 も移民 した こと。G) 非生産的な老 人や障害者の扶養を家族や親族 の間 の相互扶助 にまかせていたが,工場労働者の賃金 ではそれが困難であることを認め1
9
1
3
年に,老齢 者 と障害者のための年金法をつ くった こと。⑥世 界恐慌のなかで,1
9
3
2
年に失業率2
2.
4
%
になった 時,社会民主党は単独で政権 を得,失業救済 と労 働着用公共住宅建設で社会福祉の道 をすすんだ こ と。(診スウェーデン人は平等 と公平の精神に とみ, それを実行 して きた こと。等の予備知識が,現在 のス ウェーデ ンの社会福祉の理解を容易に し,潔 め ることに役立っで しょう。 ス ウェーデ ンは後進国 として, イギ リスの影響 を うけることが多か った。 イギ リスが救貧法を廃 止 し国家扶 助 法 を持 った1
9
4
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年 に7
年 お くれ た1
9
5
5
年 には公的扶助法をつ くり,翌年施行 し,救 貧法 をな くした。 ス ウェーデンで も勤労者は労働 能力を もち,働 く間は賃金で,6
5
歳以後 は年金(
6
0
歳以上∼6
5
歳未満の妻は公的扶助の妻手当)で生 活す ることになっている。社会福祉の大枠はイギ リスか ら学んで も,その内容には,勤労者の立場 か ら親切 な点を持つ ことが多い。 1
人当 りの国民 所得は多 く,_スウェーデンは勤労者を住み よくす る経済力を持っている。勤労者がスウ ェーデン防 衛に忠誠心を示すだけの生活を保証す ることは, どの内閣 も欠 くことので きない ものにな って きて いる。 所得は貧困,老齢,退職,廃疾,死亡等によっ て失われ,生活をおびやかす ことがあ る。貧困は 公的扶助で,老齢か ら死亡 は年金で生活 の保障を はかっている。 年金は1
9
1
3
(大正2)
年 に全国民を対象 として 均一の老齢,障害年金制度では じまった。 これは 保険料 を財源 とす る保険 の原理 に よっていた の で,生活をな りたたせ るものではなか った。1
9
2
9
年の国民年金制度改革の後,1
9
4
6
(昭和2
1)年 に 年金制度の根本的改革によ り,保険料 は保険の原 理か ら社会保障の原理に移 った。保険料 は財源の3
0
%
に とどま り,国は5
5
%
,地方は1
5
%
の負担を した。 これによ り生活はな りたつ ことになった。 この年金 は全国民を対象 とし,定額の年金で国民 の最低生活の保障を 目的 とす るものであ った。年 金で生活がな りた ったあ とは,在職時代の生活 に 見あ う年金の要求 とな り,それに応 じた ものが社 会保険 としての国民付加年金である。 これは1
9
5
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年 に成立 し,6
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(昭和3
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)
年か ら実施 となった。 保険料は全額雇主負担 (自己負担の自営業者は脱 退 自由),3
0
年間積立,完全給付は9
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(昭和6
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)
午 開始,経過年金 は6
3
(昭和3
8
)
年開始である。 現在, スウェーデンの老人生活は社会保険 とし ての国民年金 と国民付加年金,民間年金 としての 協約年金 と企業年金 によ り所得保障を,医療保険 に よ り健康を,公的扶助によ り住宅を保障 されて いる。老人ホームは全部有料であるが,国民年金 よ り収入のない ものは,それか ら小遣銭を除いた 残 りを払 えばよ く,その待遇 はゲス ト (客) とよ ばれていることか ら推測で きよ う。国民基本年金 は老齢年金,障害年金,遺族年金 (寡婦,遺児); 国民付加年金を受給で きない老等には一般年金 補足給付,主婦補足給付,障害手当,児童障害手 - 57-当,児童補足給 付 よ りな っている。100%の障害児 は17歳で老齢年金 と同額の障害年金 の受給者 にな る。100%以下の障害年金受給者 は65歳で老齢年金 の受給者 となる。 1976(昭和51)年の年金改革 に よ り,部分年金 がは じまった。 これは60-65歳 の雇用者が労働時 間を週 当 り平均5時間以上へ らし,週 当 り平均17 時間以上就労す ることを条件 とし,従来の所得 と パ ー トタイマーに よる所得 との差額 の50%を年金 額 とす るものであ る。 これは年金生活 になれやす くす ることが 目的であ る。 この保険料 も全額雇主 負担であ る。 健康保険につ いては,1955(昭和30)年 に,そ れ まで任意加入 のため国民 の3分 の 1が未加入で あ った ものが16歳 か ら全 国民 の強制 加 入 とな っ た。医療 は公的病院等 と開業医等 によって行われ ている。公立病 院の治療 は外来 の時 には1回に750 円を払 い,入院 の時は無料であ るが,傷病手当か ら1日1,500円ひかれ ることになる。公的医療サ ー ビスの医療 官の場 合‥ 患者 は外来 の診療 に1,250 円,往診 に2,000円,電話 の指示 に500円払 うだけ で,それ以上の負担 はない。私的 な開業医や私立 病院に対す る医療費は公的 な もの に くらべ るとそ の負担はおお きい。 医薬分業 なので, 1枚 の処方集 に対 して,患者 は1,000円まで は全額負担,1,000円か ら3,000円ま では半額負担,3,000円以上 は無料 なので,最高の 負担額は2,000円である。 医療費に も, 負担で きる程度の ものは負担を求 め (個人責任主義),困難 な金額 になる と無料 (社 会援助主義)にす る合理主義を見 ることがで きる。 高等教育は全部無料であ る。それを受 ける資格 は学習能力だけであ る (高等教育を身 につ けた者 は一般 に収入が多いか ら,所得税 を多 く納 めるこ とにな り,授業料 は長期 の後払 い とな っている)。 所得や医療 の保障を社会保障 に求め られ る生活 紘,子 のための学費や老後 の生活のための貯金等, 生活家族保障の心配 か ら勤労者を解放す るもので ある。生活個人責任制 と生活社会保障制 とを結 び つ けてい るこのす ぼ らしい社会技術は,21世紀へ の贈物であ る。
3
ソ ビエ ト連邦 に お け る生 活 保 障 ソビエ ト連邦 (ソビエ ト社会主義共和国連邦 を 略 した もの) は労働者,農 民 とインテ リゲンチ ャ か らな り, ソ連邦の経済制 度の基礎 は,生産手段 の社会主義的所有であ る。 それは国家的 (全人民 的)所有 とコルホーズ的 -協 同組合的所有 の形態 を とっている。 今 日の ソ連邦 における生活の保障 は,社会保障 制度 によるもの と,夫婦 と親 等の問にあ る道徳的, 法律的 な規範 とにわけ られ る。社会保障制度 によ るものは,1977年の ソビエ ト社会主義共和国連邦 憲法 に よる と,市民権 の中 にあ らわれている。 そ れ は労働 力 のあ る問 は,
「第40粂 ソ連邦 の市民 は,労働 の権利,すなまっち,その量 と質 に応 じか つ国家の定め る最低額 を下 らない労働 の支払 を と もな う保証 された仕事 を うる権利, を有す る。 こ の権利 は,適性,能力, 職 業訓練,教育に応 じか つ社会的必要 を考慮 して,職業,職種 お よび仕事 を選択す る権利 を含む。 (以下略)」 に よる労働収 入であ り,労働力を一時的 また は永久的 にな くし た場合は,
「第43条 ソ連 邦 の市民 は,老齢,疾病, 労働能力の全部 または一 部 の喪失 な らびに扶養者 喪失 の さいに物質的保障 を受 け る権利 を有す る。 この権利 は,労働者,職 員 お よび コルホーズ (集 団農場)員 の社会保険,一 時的労働不能 の さいの 手当, 国家お よび コルホ ーズの負担 に よる老齢年 金,身体障害年金,扶養者喪失 による年金 の支給, 労働能力を一部喪失 した市 民の職業斡旋,高齢者 と身体障害者 にかんす る配 慮,その他 の社会保障 の諸形態, によって保障 され る。」ことになってい る。1956年施行の 「国家年 金法」 と1965年施行の 「コルホーズ員年金 ・手 当法」 はそれ らを具体化 してい るものである。 老齢年金 を受 ける資格 は,原則 として,男 は60 歳で25年以上の労働勤務期 間を もつ者,女 は55歳 で,20年以上の労働勤務期 間を もつ者であ る。 年金の財源 は,労働者 ・職員等を対象 とす るも のは,企業,施設,組織 か らの保険料 と国家予算 か らの補助金か らなって い る。 コルホーズ員 に対 す る ものは,各 コルホーズがその構成員 と家族 に 払 う労働支払給餌 の2.4%の保険料拠 出か らな るコルホーズ員社会保険中央連邦基金を財源 とす る ものである。 社会福祉は次の形態で行われている。① 国費に よる全国民を対象 とす る医療サービス,②労働者 と職員を中心 とす る国家社会保険,(卦コルホーズ 員に対す る社会保険 と社会保障,④ 国費による狭 義 の社会保障,⑤社会集団の持つ特別基金 による 保障である。 .社会福祉で問題 となることは,労働者 ・職員の もの と, コル ホーズ員の もの との間に質的な差が あ った こと,現在 は次第にその差が減少 して きて いるが, まだ差が残 っていることである。 労働者 ・職 員は国営企業や国家機関で働 くこと によ り,直接 国家 と結 びつ き,社会的保障を受 け ていたのに対 して, コルホーズ員は個 々の集団農 場等 に所属す ることによ り,集団的保障 よ り受 け られなかった期間がなが く,その間は所属す る集 団農場の経済条件によ り差があった ことである。 所属集団が年金制度をもった として も,その集団 農場 が不作等 で年金基金 に欠ければ,年金の支給 はで きな くな るのであ った。60年代になると,集 団農場はその コルホーズ員に年金を支給で きるだ けの経済力 を もって きた。 ソ連邦 に共通の条件で 年金 と手当 とを出せ るよ うになった ことを 「コル ホーズ貞年金 ・手当法」は1965年 に示す ことがで きた。 これは社会保障に近い ものであって,工業 労働者 と農業協同組合員 との生活が近づいた こと を示す ものである。現行憲法はその第22条で 「ソ 連邦 においては,農業労働を工業労働の-変種 に 転化 させ, (中略)村を整備 された都市型居住区に 造 りかえるプ .,グラムが一貫 して実施 され る。」と している。農業労働 を工業労働に転化 させた時 に は,集団農場 は国営農場化 され,年金保険等は一 元化をすす め,全国民は共通の社会保障を持つ こ とになるであろ う。 社会保険 の保険料 は被保険者である労働者や コ ルホーズ員 が負担 しない ことが,社会主義社会 に おける特色であったが,現在ではスウェーデンで も社会保険料 は雇主の全額負担 となった。在職労 働者の社会保険の運営が労働組合にまかされてい ることは,今で も社会主義社会 における特色であ る。 ソ連邦 における生活保障には,現行憲法第66粂 が「ソ連邦 の市民は,子供の養育について配慮 し, (中略)子供は親 について配慮 し,親 を助 ける義 務を負 う。」 と親子間の相互扶助があ る。 1966年 に施行の ソ連邦構成共和国基本結婚家族 法は,家族 ・親族 の問に広 い範囲の扶養義務を定 めて いる。 ソ連邦 における家族は夫婦家族制度 の もとにあ り,夫婦 は相互 に扶養す る義務をもち,親 は未成 午 (18歳未満) の子 を養育す る義務 と労働能力が な く援助を必要 とす る成年の子を扶養す る義務を もつ者である。 成年の子は,労働能力がな く (男60歳以上,女 55歳以上の者 と身体障害者),援助を必要 とす る親 を扶養 し,世話 (看苦,身辺 の世話等) をす る義 務を負 う者である。ただ し,子の親 に対す る扶養 義務は,親が子 に対 して誠実 にその義務をはた し ていない時,裁判所 は子に親 を扶養す る義務を免 除す ることがで きる。 ソ連邦では,広 い範囲の親族 に扶養義務を求め ることがある。祖父母,兄弟,継父母 に,扶養す る親 のない末成年の子を扶養す る義務を求め,労 働能力がな く援助 を必要 とす る成年の家族員に, 配偶者,演,成年 の子がない時,孫や継子に扶養 す る義務を求め ることがで きるとしてい る。 ソ連邦は100以上 の民族か らなるところか ら,秩 養 について家族,親族本位 の ものもあ るであろ う が,社会主義社会であ るか らには,扶養 の義務は 夫婦,親子の間の ものにとどめ るべ きであろ う。
4
中華 人 民共 和 国 にお け る生 活 保 障 中華人民共和国 (以下,中国 と略称) は社会主 義制度を根本制度 とす るもの (1982年制定の中華 人民共和国憲法第1粂)であ り,その社会主義経 済制度の基礎 は,生産手段の社会主義的公有制 に あ り,それは全人民所有制 と勤労大衆 による集団 所有制か らなっている(憲法第6粂)。 国営経済は 社会主義的全人民所有制経済であ り, 国民経済の 主導的 な力である」(憲法第7
条)。農村人民公社, 農業生産合作社,その他各種形態の合作社経済 と, 都市 における手工業,工業,建築業,運輸業,商 莱,サー ビス業 な ど,各業種 における各形態 の合 作社経済は,勤労大衆 による社会主義的集団所有制経済である(憲法第8粂)。法律の定める範囲内 の都市,農村勤労者 の個人経営経済は,社会主義 的公有制経済の補完物 (憲法第11条) として存在 している。 中国には,国営企業,集団企業,個人企業の三 形態があ り,国民の80%を占める農村 における有 業者はその90%が集団所有制の田畑等で,残 りの 10%が工場等で働 く者である。 中国国民の生活は,国営企業や県,市等の公営 企業,国家機関で働 く労働者,職員等 と,農村や 都会の集団企業で働 く老 とでは,生活保障の上 に 大 きな差がある。 前者は全人民所有制の生産手段を使 って働 く老 等で,直接,間接に国家 と結合 し,社会保険 とし ての年金保険や健康保険にまもられ,社会的保障 のもとにある。後者 は集団所有制 のもとで,集団 ごとの相互扶助 にまか されやすい。集団企業の う ち,大多数を しめ る農業生産合作社は 自然的条件 と社会的条件 に大 きな差を持つため,経済力に差 がお こ りゃすい。全中国の農業生産合作社が共通 の基準 による社会保険制度を持つ ことは,現在で はで きない ことである。農村 における集団所有制 の基本経営単位 であ る農業生産合作社 (生産隊) は1981年現在約590万あ り,その平均収入は1人当 り83.4元であるが,地 の利 のよい生産隊では1人 当 り年140-180元,25%の生産隊では1人当 り年 50元以下なので,食べ るだけが精一杯である。 こ の よ うな差があ ることは,個 々の生産隊を こえた 全国的な統一を もつ社会保険を必要 とす ることに なるが,それだけ困難な ことである。そのため, 個 々の生産隊 の 中で の相互扶助 に とどまってい る。'78(昭和53)年 ごろか ら,農民の生産意欲を たかめ るために,農業生産責任制がお こなわれ, 請負 った生産高を こえた ものは請負農家の もの と なる各戸請負制や農家が請負 った農地 に完全 な経 営権 を もつ,事実上,個人経営である各戸経営制 が行われている。 これ らは農業生産高をた しかに 多 くした。 しか し,家族内に労働能力を持つ こと が多いか少いかによって,農家の収入の大小が き ま りやす く,生産隊内に貧富の差を生みだ し,そ れを大 きくしている。 7歳 にはじまる5年制 の小 学教育を中途退学 させて家族労働力 として使 う農 家 もでて きている。農業労働力 として も,親 の扶 養能力に もとむ男の子を望 んで,女の嬰児を殺す ことがふ えている。 これは老後の扶養を子に頼 る 生活家族保障制の持つ弱点を明白にす るものであ る。 現行憲法は第45条 に
,
「中華人民共和国(の国籍 を有す る)公民は,老齢,疾病 または労働能力喪 失の場合に,国家お よび社会か ら物質的援助を受 ける権利を有す る。 国家は,公民が これ らの権利 を享受す るのに必要 な社会保険,社会救済および 医療衛生事業を発展 させ る。 (以下略)」とす るが, 国家機関の職員や国営企業の労働者等 には,年金 保険や健康保険が不十分な ものであるが行われて いて も,農民等にはまだ未来の プログラムに とど まっている点が多い。 生活 を ま もる問題 は,特 に農村 にあ っては家 族 ・親族 の問題である。1980年 の中華人民共和国 婚姻法は,広 い範囲の親族関係者に扶養の義務を 負わせ,前近代社会的 な面をみせている。 最後 に生活家族保障主義の持つ裏面を婚姻法第 15粂第4
項 「嬰児の溺殺 お よびその他嬰児虐殺行 為を禁止す る。」は示 している。中国が現在夫婦に 子は1-2人に とどめ ることを強制 しているが, 老後を年金で生活で きる者 と,家族集団で生産, 消費 し,老後を子の扶養に依存す る者 との差が こ こに明白に示 されている。5
日本 にお け る生 活保 障 日本の生活保障は明治,大正,昭和の前半 まで, 税 を払 う庶民は家族や親族の保障を中心 に生活す ることが多 く,税 によって直接間接 に生活す る官 吏,職業軍人,義務教育教職員,巡査等 と,官営 軍需工場等の職工等は国家的保護の もとにその生 活をまもられやすか った。 年金 について述べ ると,そ こには士 ・工 ・商 ・ 農的な ものがあ らわれていた。 明治8 (1875)午 に海軍退隠令, 9
年 に陸軍恩給令,17年 に官吏恩 給令があ った。明治23年,第1回帝国議会は軍人 恩給法,官吏恩給法 にまとめ,大正12年 には恩給 法に統一 された。現在の国家公務員共済組合法(昭 和31年)はその後を継 ぐものである。 一般の被用者の年金 は,昭和15(1940)年 の船 員保険法,昭和17年 の労働者年金保険法か らほ じ昭和56年度 生活扶助基準月額 老人2人世帯 合 計 生活扶助 一級地 87,143円 78,143円 三級地 69,067 64,067 老人単身世帯 一級地 70,267 47,767 三級地 57,655 39,155 老齢(退職 )年金1人当 り平均 月額 昭和56年3月現在 厚生年金 船員年金 国家公務員共済 地方公務員共済 公共企業体共済 私立学校共済 農林共済 拠 出制 国民年金 101,000円 135,000円 138,000円 147,000円 146,000円 116,000円 92,000円 22,000円 まっている。 これ らは海上,陸上労働者の老後等 の生活保障は 目的の一部に とどまリ, 前者は海上 交通 の危険増加 によるもの,後者は労働者か ら保 険料 を強制的 に とりあげ, インフレ防止,戦時国 債消化 を主 な 目的 とした ものであった。現在で も, 積立保険料 を被保険者の直接利益になる方面に使 うことが少な く,それを財 ・官 ・党が各 々その利 益のために使 っていることは明白である。 労働者年金保険法は被保険者の範囲を拡大 し, 今 日の厚生年 金保険法 となっている。昭和34年 に 成立 した国民年金保険法は,20歳以上60歳未満 の 日本国内在住者で公的年金の適用を受 けていない 者を対象 としている。 老齢年金 月額給付額 を主な年金保険別に比べ る ことによって,老齢者 の生活保障に どの程度役立 っているかを見 ると上記の よ うになる。 資料は昭和56年3月現在の ものであ るが, 3年 後の今 日で も同年度の生活保護法による老人
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人 世帯 (男64歳,女61歳)と老人単身世帯 (女70歳) の基準額を一級地 (都会) と三級地 (町村)にわ けて上記にかかげることによって, 日本政府公認 の最底生活保障水準である生活保護基準額が社会 保険年金の月額給付額 よ りどの程度上か, または 住宅扶助 老齢加算 9,000円 5,000 9,000 13,500円 5,000 13,500 下かを明白にしたい。 尚住宅扶助は1
人で も4
人 で も同額 で あ って一 級 地 は9,000円,三 級 地 は 5,000円になってい る。〔これは基準であ って,東 京都の場合は37,600円になっている〕 年金給付の条件が,加入期間の差や世帯単位 か 個人単位かによ り差があるし,平均年金 月額 なの で,大体の ところを示すに とどまるものであ る。 それで も約15万 円の もの と10万円の もの とでは大 きな差がある。国民年金 は開始後資格期間の25年 が まだた っていないので経過年金に とどまってい る。 年金受給権老総数は,56年3月末現在で1,683万 人で総人 口の14%にあた り,老齢 (退職)年金受 給権者 は1,408万人 であ る。その うち国民年金 が 532万人,福祉年金が354万人,合計886万人(73%) である。その年金 は老齢者の生活を保障で きるも のではない。27%にあた る厚生年金の220万人,共 済組合の121万人,船員保険の4万人合計345万人 がで きる条件にあるのである。 制度の上では,昭和36年 に国民皆年金 とな った のであるが,それはまだ プログラムに とどまる点 が多い。前記のよ うに老齢者 の生活を保障で きる 公的年金は国民皆年金の年か ら20年た ってい る56 年 で も前記の とお りである。生活保障がで きる公 的年金の給付を受 け られない老齢者で,労働能力 をな くした り,労働能力がまだ残 っていても,労 働収入で生活で きない者 は,家族や親族 の扶養に 頼れない と,生活保護制度を 「生活保障制度」 と して きた し,現在 もしているのである。 生活保障を年金 に求め られない者 は,独立心を な くした り,お さえた りして,家族や親族に頗 る か,救貧制度一生活保護制度 に頼 ることになる。 その救貧制度に移 ることにす る。明治7年 には じまる 「触救規則」 は,貧民の救 助 は家族 ・親族 の間の情誼によるべ きものであっ て,国家は家族親族の扶養を受 け られない70歳以 上の老衰者,70歳以下で も疾病で働 けない者,13 歳以下の老だけを救済の対象 とし,わずかな米代 だけを与 えた。 明治9年 か ら昭和6年の問,大正 10年を除いた56年間におけるその救済率 は1万人 に