本願寺蓮如裏書の方便法身尊像 (1)
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(2) こう し て蓮 如 は 、 そ れ ま で の本 願 寺 に は見 ら れ な か った拡 張 主 義 の. て いく の であ る 。. 如 期 にか け て、 大 部 分 が 本 願 寺 の傘 下 に入 り 、 あ ら た な 団 体 を 形 成 し. 願 寺 と 本 末 関 係 が あ った わ け では な い。 そ れ が 蓮 如 期 から 順 如 期 ・実. う し た 初 期 真 宗 の諸 門 流 ・寺 院 のほ と ん ど は 、 基 本 的 に蓮 如 期 ま で本. 的 に展 開 さ れ る のは や は り 蓮 如 の時 代 か ら と し な く て はな ら な い。 こ. に いく つか の萌 芽 が 見 ら れ 、 そ れ を 軽 視 す る こと は でき な いが 、 本 格. を 構 成 す ると いう 活 動 を 行 な って い った 。 こ の路 線 は 、 す で に存 如 期. も し く は単 独 で、 本 願 寺 の傘 下 に組 み 込 み 、 本 願 寺 を 中 心 と す る団 体. 流 の末 流 に連 な る 寺 院 ・道 場 にも 個 別 に働 き か け て、 そ れ ら を 集 団 で、. 蓮 如 は、 そ う し た 門 流 の核 と な る 寺 院 に働 き か け 、 ま た そ う し た 門. そ れ ぞ れ 独 自 の展 開 を 各 地 で 繰 り 広 げ て いた 。. れ ら の門 流 は親鸞 門 流 と し て 一つにま と ま って 活 動 す る 道 は 採 ら ず 、. から は越 前 の いく つか の門 流 (後 世 の 三門 徒 派 な ど ) が 派 生 し た 。 こ. 始 め た の か は未 詳 の部 分 が 多 く 、 今 後 の検 討 課 題 と な って いる。 記録. 時 代 史 料 の乏 し い本 願 寺 流 真 宗 の歴 史 を 明 ら か にす る の に、 欠 く こと ︵8︶ の でき な い史 料 と な って い る。 ただ 本 願 寺 が い つから 法 宝 物 の裏 書 を. 道 場 お よび そ の願 主 に充 てら れ た文 書 と し て機 能 し て お り、 確 実 な 同. ら の裏 側 に は しば しば 裏 書 が 記 さ れ た 。 裏 書 は、 本 願 寺 から 各 寺 院 ・. 影 像 、 親鸞 絵 伝 な ど の掛 け 軸 を 法 宝 物 と し て下 付 し て い ったが 、 そ れ. 裏 書 であ る。 本 願 寺 は 、 配 下 の寺 院 ・道 場 に名 号 、 阿 弥 陀 絵 像 、 親鸞. 本 願 寺 のそ う し た 活 動 を 知 る 上 で絶 好 の史 料 と な る のが 、 法 宝 物 の. 他 を 凌 駕 す る規 模 の大 教 団 を 成 立 さ せ る に至 る の であ る。. 本 願 寺 住 持 と な って継 承 し て い った 。 そ し て実 如 期 には 、 本 願 寺 は 、. 蓮 如 が 本 願 寺 住 持 に復 職 し て 自 ら こ れ を 推 進 し 、 次 い で 五男 の実 如 が. の後 、 本 願 寺 住 持 を 継 承 し た 長 男 の順 如 に受 け 継 が れ 、 順 如 の死 後 は 、. 設 立 す る 方 途 を 模 索 し て い った 。新 教 団 設 立 と いう 蓮 如 の路 線 は 、 そ. を 契 機 に天 台 宗 と は訣 別 す る 道 を と り 、本 願寺 を 中 心 と す る 新 教 団 を. 本願寺蓮如裏書 の方 便法身尊縁 (一) 二. 新 路 線 を 採 って、 本 願 寺 流 の新 し い展 開 を 画 策 し て い った。 し か し、. で は、 存 覚 が 法 宝 物 に裏 書 を し たと 伝 え 、 存 覚 裏 書 と 推定 さ れ て いる ︵9︶ 遺 品 も あ るが 、 下 付 物 で はな いよう であ る。 現 存 事 例 と し て は 、綽 如. い、 これ を 徹 底 的 に破 壊 し、 部 材 ま で持 ち去 ってあ と か たす ら な く し. か った。 こう し て、寛 正 六年 (一四 六 五)、比 叡 山 の衆 徒 が 本 願 寺 を襲. 見 れ ば 、 天 台 宗 から 独 立 し て新 教 団 を 旗 揚 げ す る活 動 と 断 じ る よ りな. 宝物 の 下付 が開 始 さ れ て いた こ と は確 実 であ る 。 し か し そ の点 数 は決. し て よ いよ う であ る。 少 な く と も存 如 期 には 、 す で に裏 書 を 記 し た法. うが 、 蓮 如 期 以前 か ら裏 書 を付 し た法 宝物 の下 付 が 行 な わ れ て いた と. 裏 書 の方 便 法 身 尊 像 、 存 如 裏 書 の方 便 法 身 尊 像 、親鸞 絵 伝 、 巧 如 影像 ︵10︶ が こ れ ま で に紹 介 され て お り、 そ の真 偽 の判 断 は な お検 討 の要 が あ ろ. そ れ はそ う 簡 単 な 道 程 では な か った 。 本 願 寺 は比 叡 山 の末 寺 であ り、. て し まう と いう 事 件 が お こ った。 いわ ゆ る ﹁ 寛 正 の法 難 ﹂ であ る。 以. し て多 く は な く 、盛 ん に行 な わ れ て いた と は 言 え な い。 裏書 を 記 した. 天 台 宗 に属 す る寺 院 であ った 。 蓮 如 が 開 始 し た 新 路 線 は、 比 叡 山 から. 後 蓮 如 は、 しば ら く の間 、 活 動 の停 止 を 余 儀 な く さ れ たが 、 こ の弾 圧.
(3) 命 蓋 十 方无 光 如 来 ﹂ ( 十 字 名 号)と いう 文字 を 独 特 の書 体 ( 籠文字 ま. 号 を盛 ん に 下付 し て い った。 方 便 法 身 尊 号 は、 華 麗 な 蓮 台 の上 に ﹁ 蹄. を行 な い、 新 設 し た道 場 や転 宗 ・転 派 さ せ た寺 院 ・道 場 に方 便 法 身 尊. 蓮 如 は 本 願寺 住持 に就 任す る と、 まず 南 近 江 を中 心 に精 力 的 な布 教. る。. 法 宝 物 の下 付 が 盛 ん に 行 な わ れ る よ う に な る の は蓮 如 の時 代 か ら で あ. な せな いも の、 そ も そ も存 在 し な いも の 、所 蔵 者 が誤 って いるも の、. で紹 介 さ れ て いた も の で も 、 再 調 査 し て み た と こ ろ 、蓮 如 裏 書 と は み. た も の や 、 全 く の新 出 のも のも いく つか含 ま れ て いる 。 一方 、 こ れ ま. る こ と が で き た 。 そ れ ら の中 に は 、 こ れ ま で あ ま り知 ら れ て いな か っ. て き た が 、 そ の中 で 少 な く な い数 の蓮 如 裏 書 の方 便法 身尊 像 を実 見 す. 筆 者 た ち は 、 近 年 、真 宗 寺 院 所 蔵 史 料 の調 査 ・研 究 を 共 同 で行 な っ. は、 実 見 調 査 の成 果 に 立脚 し て、 でき る限 り 正確 な報 告 を 目指 し た い. た ウ ツ ホ字 と 呼 ば れ た) で描 き 、 周 囲 に 四十 八条 の光 明 を 配 し たも の 裏 書 文 言 の釈 文 に誤 り があ る も の 、 など が いく つもあ り 、 そ れ ら を訂 で 、 上 下 ︵11︶ に讃 を 付 し た。 方 便 法 身 尊 号 は ﹁名 号 本 尊 ﹂ と も 称 さ れ る。 正 し て確 実 な情 報 を提 示す る 必要 のあ る こと を痛 感 し て いる。 小 論 で これ の裏 側 に は、 必 ず 裏 書 が 記 さ れ た 。 方 便 法 身 尊 号 の下 付 は、 いわ. と 考 え て い る。. 一 時期区分. ゆる ﹁ 寛 正 の法 難 ﹂ ま で順 調 に継 続 し て い った 。 比 叡 山 が 本 願 寺 を 弾 圧 し た 理 由 はさ ま ざ ま に論 じ ら れ て いる が 、直 接 の理 由 の 一つ に方 便 法 身 尊 号 を 礼拝 し た こと が あ った よ う で 、本 願 寺 教 団 は 、 比叡 山 か ら. 弥 陀 如 来 像 を 描 き 、 そ の周 囲 に 四十 八条 の光 明 を 配 し たも の であ る。. に、 来 迎 印 ( 摂 取 不捨 印 ) を 結 び 、 両 足 を そ ろえ て正 面 向 き に 立 つ阿. 尊 形 ﹂) は、 一基 の蓮 台 ( 踏 み割 り蓮 台 で は な く 、雲 は描 か な い) の上. 尊 と し て いく つか下 付 し て いた。 方 便 法 身 尊 像 ( も しく は ﹁ 方便法身. 蓮 如 は ま た、 方 便 法 身 尊 号 の 下付 と 並 行 し て、 方 便 法 身 尊 像 も 、本. と な った。蓮 如 裏 書 の方 便 法 身 尊 号 は、そ れ 故 、 ﹁ 寛 正 の法 難 ﹂以 前 の ︵12︶ も のが 確 実 な事 例 と し て確 認 でき る。. 本 願寺 流 の勢 力 拡 張 を 実 現 し て い ったが 、寛 正 六年 (一四 六 五)、深 刻. 先 に も 少 し 触 れ た よう に、 蓮 如 は本 願 寺 住 持 を 相 続 し た後 、 順 調 に. と と し た い。. 就 任 以 後 の蓮 如 の個 人 史 を いく つか の時 期 に区 分 し て理 解 し て おく こ. に応 じ て下 付 の状 況 が 変 化 し て い る。 そ こ で、 こ こ で は、 本 願 寺 住 持. 小 論 の テ ー マであ る方 便 法 身 尊 像 を めぐ っても 、 そ う し た地 位 の変 動. の活 動 を つぶ さ に検 討 し て み ると 、 何 回 か の地 位 の変 動 が 認 め ら れ る。. の弾 圧 後 は 、本 尊 と し て方 便 法 身 尊 号 を 下付 す る のを停 止 す る と ころ. 方 便 法 身 尊 像 は ﹁絵 像 本 尊 ﹂ と も 称 さ れ る。 これ の裏 側 にも 、 必ず 裏. な打 撃 を 受 け る 事 件 が お こ った。 比 叡 山 に よ る本 願 寺 破 却 であ る。 蓮. ︵13︶ ︵14︶ 蓮 如 は、 父 存 如 の跡 を 継 い で本 願 寺 第 七 世 住 持 とな ったが 、 そ の後. 書 が 記 さ れ て い る。. 研 究 紀 要 8 三.
(4) し た 方 便 法 身 尊 像 を 本 尊 と し て下 付 し て い った 。 順 如 の住 持 就 任 以 降. 順 如 は本 願 寺 住 持 と な る と 、 本 願寺 傘 下 の寺 院 ・道 場 に 、裏 書 を 記. よ って復 興 を 目 指 し て い った の であ る。. 地 に移 って い った 。 こ れ 以後 、 本 願 寺 は 順 如 を 前 面 に 立 て る こ と に. (前 住 ) と な り 、 翌 文 明 三年 に な る と 、都 か ら遠 く離 れ た越 前 吉 崎 の. 以 降 、 同 年 十 二月 二十 七 日 以 前 の こ と と 考 え ら れ る 。 蓮 如 は 前 住 持. る な ら 、 順 如 の本 願寺 住 持就 任 は 、文 明 二年 (一四 七 〇) 十 一月 八 日. 身尊 像 に 着 目 し て 、 こ れ を十 三 点紹 介 し、 あ わ せ て住 持 と し て の彼 の ︵15︶ 活 動 に つ い ても いく つか の論 点 を提 示 し てき た。 これ ま で の 調査 に よ. と が で き な く な る で あ ろ う。 筆 者 た ち は これ ま で、 順 如 裏 書 の方 便 法. て は 、蓮 如 の個 人 史 も 、 こ の時 期 の本 願 寺 の動 向 も 正 しく 理 解 す る こ. と は まぎ れ も な い事 実 な の であ って、 彼 の存 在 を 的 確 に位 置 づ け なく. 軽 視 さ れ る こ と が多 か った。 し か し、 順 如 が 本 願 寺 住 持 に就 任 し た こ. が な く 、彼 が本 願寺 住 持 に就 任 し たと いう 事 実 も 、 否 定 な い し無 視 ・. た の で あ る 。 順如 は従 来 の真 宗 史 研 究 で は大 き く と り上 げ ら れ る こと. て 活路 を 求 め る こ とと し た。 こう し て順 如 が 新 し い本 願 寺 住 持 と な っ. 長男 の 順如 を本 願 寺 住 持 に立 て て、 自 ら は隠 居 す ると いう 方 策 を と っ. 込 まれ て し ま った。 そ う し た中 、 文 明 二年 (一四七 〇 ) の末 、 蓮 如 は. 転 々と し て身 を ひ そ め、 表 立 って の活 動 はと ても でき な い状 況 に追 い. 如 自 身 は 、 何 と か難 を逃 れ て脱 出 ・逃 亡 し た が 、 そ れ 以 後 は 近 江 を. て いく こと と し た い。 第 -期 は、 継 職 以 降 、 本 願 寺 が 破 却 さ れ て し ま. そ こ で小 論 で は、 継 職 後 の蓮 如 の活 動 を次 の 五期 に区 分 し て理 解 し. し て の活 動 は、 延 徳 元年 (一四 八九 ) 八月 二十 八日 に、 本 願 寺 住 持 を ︵16︶ 五男 の実 如 に相 続 さ せ る ま で続 け られ た。. た (方 便 法 身 尊 号 の下 付 はも はや 放 棄 さ れ て いた )。 そ う し た 住 持 と. な った 寺 院 ・道 場 に対 し て、 方 便 法 身 尊 像 を 本 尊 と し て下 付 し て い っ. し た 蓮 如 は 、 以 前 にも 増 し て積 極 的 な 活 動 を 展 開 し 、 本 願 寺 傘 下 と. の復 帰 であ り 、 蓮 如 にと って は 二度 目 の住 持 と いう こ と に な る 。復 職. 順 如 の死 後 は 、 蓮 如 が 再 び 本 願 寺 住 持 に復 職 し た。 前 住持 の住 持 へ. に 近 づ いた 文 明 十 五 年 (一四 八 三) 五 月 二十 九 日 、 順如 は 死去 し て し. 如 父 子 の悲 願 で あ った こ と と 思 う 。 し か し、 山 科 の本 願 寺 が ほぼ 完 成. の 地 に本 願 寺 を造 立 す る こ と に こぎ つけ た。 本 願 寺 再 建 は、 蓮 如 ・順. 順如 は ま た 、幕 府 や朝 廷 に働 き かけ 、 そ れ ら の協 力 を 得 つ つ、 山 科. れ た の で あ る。. 持 就 任 以降 、 順如 死去 ま で の期 間 は、 本 尊 の裏 書 は順 如 の名 で発 給 さ. に至 って いる ( 詳 細 は第 三節 で述 べ る)。本 願寺 で は 、順 如 の本 願 寺 住. 蓮 如 裏 書 の確 実 な事 例 と し て よ いも の に は出 会 う こと が でき ず に今 日. 誤 りが あ った り、 蓮 如 裏 書 の真 物 と は みな せな いも ので あ った り し て、. 見 調 査 し て み ると 、 実 際 は順 如 裏 書 であ った り 、 下 付 年 月 日 の報告 に. のが いく つか報 告 さ れ てき た 。 し かし な が ら 、 そ れ ら を あ ら た め て実. 本願寺蓮如裏書 の方便法身尊像 (一) 四. は 、 本 尊 の裏 書 に は順 如 の署 名 ・花 押 が 記 さ れ た 。 し か る に 従 来 の研. う 寛 正 六年 正 月 の所 謂 ﹁ 寛 正 の法 難 ﹂ ま で の期 間 。 第 皿期 は、 そ れ 以. ま った 。 四十 二歳 であ った 。. 究 を 見 る と 、 こ の時 期 の方 便 法 身 尊像 で 、蓮 如 裏 書 で あ る と さ れ る も.
(5) は 、 そ れ 以 降 、 実 如 が 本 願 寺 住 持 と な る 延 徳 元 年 八月 二十 八日 ま で の. が 、 後 者 が 提 示 し た裏 書 釈 文 は、 筆 者 た ち の読 み と は若 干 異 な ると こ. (18) こ の裏 書 と 方 便 法 身 尊 像 aに つ いて は、 最 初 に 小島 が 紹 介 し、 吉 田 (19) ・脊 古 も 裏 書 文 言 を紹 介 し た こと が あ る。 ま た ﹃蓮 如 上 人と 濃 飛 の門 (20) 徒 ﹄ に、 aの モ ノ ク ロー ム写 真 と 裏 書 釈 文 が 掲 載 さ れ て いる。 と こ ろ. 降 、 順 如 が 本 願 寺 住 持 と な る文 明 二年 末 頃 ま で の期 間 。 第 皿期 は、 そ. 期 間 。第 V期 は、 そ れ 以 降 、 蓮 如 が 死 去 す る 明 応 八年 (一四九 九 ) 三. ろが あ った。 詳 しく は後 述 す るが 、 充 所 の末 尾 の文 字 を ﹁承﹂ と し、. れ 以 降 、 順 如 が 死 去 す る文 明 十 五年 五月 二十 九 日 ま で の期 間 。 第Ⅳ 期. 月 二十 五日 ま で の期 間 であ る。 蓮 如 は 、 第 I 期 と 第Ⅳ 期 は 本 願 寺 住 持. 願 主 の名 の 一文 字 目を ﹁ 妙 ﹂ と 読 む 二点 が 、 主 要 な差 違 であ った。 こ. の結 論 に至 った。 ま たそ の後 気 づ い たと こ ろも いく つかあ る。 そ こ で. ﹃蓮 如 上 人 と 濃 飛 の門 徒 ﹄(岡 村 喜 史 釈 読 )の指 摘 に従 う べき で あ ると. の指 摘 を 受 け て 、 筆 者 た ち も あ ら た め て裏 書 を 再 検 討 し た と こ ろ 、. と し て、 第Ⅲ 期 と 第 V期 は本 願 寺 前 住 持 と し て活 躍 し た 。. 二 第 I期 ・第Ⅱ 期 の 蓮 如 裏 書 方 便 法 身 尊 像. . . . . . . き た い。. . . . . . . . . 五. こ こ で は、 旧 稿 の釈 読 を 訂 正 さ せ て い た だ き 、 筆 者 た ち な り の裏 書. . . こ こ で は ま ず 、第 I 期 ・第Ⅱ 期 に 下付 さ れ た方 便法 身 尊 像 で 、蓮 如. . . (四六 ・○ × 二 二 ・ニ セ ンチ メ ー ト ル) の釈 文 をあ ら た め て掲 げ て お. . . 裏 書 であ る こと が 確実 な 、 次 の 五点 を紹 介 ・検 討 し て いく こ と と し た い。. 岐 (阜 1) 県 不 破 郡 垂 井 町 専精 寺 蔵 方 便 法身 尊 像 一九 九 六年 一月 三 〇 日 調査 ・写真 撮 影 垂 井 町 垂 井 の本 願 寺 派専 精 寺 に は、 写 真 C に掲 げ た方 便 法 身 尊 像 裏. . . 書 が 所 蔵 さ れ て いる。 こ れ は現 在 、 裏 書 の みが 単 独 で表 装 さ れ て いる 。 ま た 同 寺 に は、 裏 書 が 取 り外 さ れ て いる方 便 法 身 尊 像 が 二幅 所 蔵 さ れ. . て い る。 こ こ で は こ の 二 つを方 便 法 身 尊 像 a、 同 bと 呼 ぶ こと と し た (17) い。 aが 写 真 B であ り、 b の写 真 は ﹃真 宗 重 宝 聚 英 ﹄ 第 三巻 に掲 げ ら れ て い る。. 究研 紀 要 8 .
(6) は 、蓮 如 が 本 願 寺 住 持 に就 任 し た 時 点 や 、 裏 書 を 記 し た 法 宝 物 を 下 付. 身 尊 像 の初 見事 例 と いう ば か り でな く 、 そ の他 の法 宝 物 を 含 め ても 、 ︵21︶ 現 在 のと こ ろ 、 蓮 如裏 書 の初 見 史 料 と な る も のな の であ る。 こ の裏 書. 最 初 の も のと な る か ら 、 大 変貴 重 で あ る 。 こ れ は 、 蓮 如 裏 書 の方 便 法. て いる 。こ こ は 、﹁長禄 三年卯己 七 月 二日﹂と 記 さ れ て い ると 判 断 し て問 り 題 な か ろ う 。 こ の日 付 は 、 現 在 知 ら れ る 蓮 如 裏 書 の確 実 な 事 例 と し て. き り と 判読 で き る 。 干 支 の ﹁卯 ﹂ に は ﹁夘 ﹂ と いう 異 体 字 が 用 いら れ. て ﹁己 卯﹂ と 記 さ れ て お り 、 そ の次 が ﹁七 月 二日 ﹂ であ る こ と も は っ. いる が 、﹁三﹂と 見 て よく 、 ﹁年 ﹂ も 問 題 な い。 次 に干 支 が 左 右 並 列 し. り 、 こ れ は し め す 偏 で あ る 。 そ の次 の文 字 は 、 一画 目 が 少 し 剥 落 し て. が ﹁ 長 ﹂ で あ る こ と は 判 読 で き る 。 次 の文 字 は 、 偏 の部 分 が 残 ってお. 第 二行 目 の年 月 日 は 、 途 中 に料 紙 の剥 落 が 一部 あ る が 、 最 初 の文 字. 蓮 如裏 書 の署 判 す べ て に 見 ら れ るも の であ る 。. 如 ( 花 押 )﹂を 用 い て い るが 、 これ は 方 便 法 身 尊 像 に限 ら ず 、第 I期 の. 記 さ れ て いた の であ ろ う 。 第 I 期 の蓮 如 は 、 署 判 に ﹁大 谷 本 願 寺釋 蓮. と あ る 。 署 名 の下 の判読 でき な く な って いる 部 分 には 、 蓮 如 の花 押 が. 作 る書 体 と な って いる 。 下 段 の第 一行 目 には 、 ﹁ 大 谷 本 願 寺釋 蓮 如 □ ﹂. 便 法 身 尊 形 ﹂ と な ってお り 、 そ のう ち ﹁尊 ﹂ は上 部 を ﹁廿 ﹂ の よう に. な って いる 部 分 が あ る 。上 段 に記 さ れ る 法 宝 物 の名 称 (主 題 )は、 ﹁方. こ の裏 書 は、 現 状 では 、 料 紙 の剥 落 が いく つも あ り 、 判 読 でき な く. う かと 判 断 し た 。 し かし 、 あ ら た め て写 真 等 を 子細 に 再検 討 し た と こ. ず ら れ て、 こ の 三文 字 を ﹁善 相 庵 ﹂ と 釈 読 し、 こ れ を 異筆 で は な か ろ. て いる と し な く ては な ら な い。 と ころ で、 旧 稿 で は後 述 の箱 書 に引 き. 下 は、 料 紙 は 残 って いる が 、 墨 痕 はな く 、 充 所 の記 載 は こ こ で完 了 し. でき る 。 そ し て そ の次 に ﹁善 相 承 ﹂ の 三文 字 が 判 読 でき る。 そ れ よ り. 剥 落 部 分 の末 尾 の文字 は 、 し ん に ゅう を 部 首 に持 つ文 字 と 見 る こと が. し が た く な って いる が 、 字 数 は お そ ら く 二文 字 分 と 思 わ れ る。 剥 落 部. て いる が 、 ﹁ 垂 ﹂と 読 ん で よ か ろう 。そ の次 の部 分 は剥 落 に よ って判 読. 左 の行 は ﹁ 美 濃 國 ﹂ で始 ま って お り 、﹁國 ﹂ の次 は少 し 読 み にく く な っ. 墨 痕 が わ ず か に 見 て取 れ る が 、 そ れ は ﹁願 ﹂ の下 部 の よう にも 見 え る 。. れ て いた と 想定 で き る 。そ のう ち、 ﹁寺 ﹂ のす ぐ 上 の文 字 は 、最 下 部 の. そ 六 ∼ 七 文 字 分 の長 さ で あ る が 、 こ こ には 上 寺 の所 在 地 と 名 称 が 記 さ. 文 言 が あ った と 推 測 す る こ と が で き る 。 ﹁ 寺 ﹂よ り 上部 の剥 落 は、お よ. 記 さ れ て いる と 見 て よ いか ら 、 ﹁ 寺 ﹂ に続 く 部 分 に おそ ら く ﹁門 徒 ﹂ の. を 記 す と いう 記載 様式 と な って いる 。 こ の裏 書 も そ う し た 記 載 様 式 で. い で名 称 を ﹁ ○ ○ 門徒 ﹂ と いう表 現 で 記 し 、 そ の後 に末 道 場 の所 在 地. は異 な り 、 手 次 関 係 を 記載 す る際 、最 初 に上 寺 (道 場 ) の所 在 地 、 次. の中 ほ ど に ﹁ 寺 ﹂ と あ る こ と は読 み取 れ る 。 蓮 如 裏書 は 、 順 如裏 書 と. の行 は 剥 落 が は な は だ し く 、若 干 の墨痕 が 残 存 す る に す ぎ な いが 、行. 料 紙 の剥 落 が あ って判 読 でき な い部 分 が いく つか あ る 。 現 状 で は 、右. 本願寺蓮 如裏 書 の方 便法身尊像 (一) 六. し 始 め た 時 期 を 考 察 す る にも 、 重 要 な 史 料 と な るも の であ ろう 。. ろ、 三文 字 目 は ﹃蓮 如 上 人 と 濃 飛 の門 徒 ﹄ に従 って、 ﹁承﹂ と 釈読 す べ. 分 のす ぐ 下 に、 し ん に ゅう の 一部 と 見 る べき 墨 痕 が 残 存 し て い る から 、. 主 題 の下 方 には 充 所 が 二行 にわ た って記 さ れ て い ると 考 え ら れ るが 、.
(7) と す る と 、参 考 にな る のが 、 京 都 市 下 京 区 興 正 寺 現 蔵 の方 便 法 身. き と 判 断 す る に至 った。. 立) を 願 主 と し て 下付 さ れ た も のと 理 解 し う る と 思 う 。 あ る いは 、道. 法 住 の門 徒 の中 の 一人 で あ る 法 覚 (のち 独 立 し て 外 戸 に 別 の道 場 を造. ﹁本 福 寺 毎 年 十 ニケ月 念 仏 御 頭 之 事 ﹂ に ﹁ア フラ ヤ﹂ (油 屋 ) の ﹁法. 法 住 の弟 子 の研 屋 の道 円 の こと であ る。 ま た法 覚 は、﹃本 福 寺 跡 書 ﹄ の. と し て問 題 な い。 さ て、 こ こ に ﹁ 道 圓 相 承﹂ と 見 え る道 円 は 、 堅 田 の. 専 精 寺 蔵 のも の の ﹁ 相 承﹂ と 同 一と 見 て よく 、 同 一人 の手 によ るも の. り ﹁ 相 承﹂ と いう表 現 が 見 え る のであ る。 こ こ の ﹁ 相 承 ﹂ の筆 跡 は、. 徒 / 道 圓 相 承 同 郡真 野/ 願 主 釋 法覺 ﹂ と な って いる が 、 こ こ にや は. 本 願寺釋 蓮 如 (花 押 )/ 長禄 四年 辰庚 九 月 四 日/ 江 州 志 賀 郡 堅 田法 住 門. い。 で は ﹁垂 □ ﹂ の□ は い かが であ ろ う か 。 こ の部 分 に 墨 痕 は 全 く. 善 ﹂ な る人 物 で、 善 の上 の□ は し ん に ゅう を部 首 に持 つ文 字 と し て よ. ん に ゅう が 残 って い る か ら、 おそ ら く それ は、 ﹁ □ 善 ﹂ な いし ﹁ 垂□□. 末 尾 の 一字 であ る 可能 性 が 高 いと見 る こ と に な る 。 ﹁善 ﹂ の 上 に は し. ﹁ 道 圓 相 承 ﹂ の 用例 を参 照す る な ら 、 こ こ の ﹁ 善 ﹂ も 何 ら か の 人名 の. ﹁ 相 承 ﹂ と は区 切 って 理解 す べき で あ る と いう こ と で あ る 。 そ し て 、. 解 す べき であ る か ら 、 ま ず気 づ く の は 、 ﹁善 相 承 ﹂ のう ち 、 ﹁善 ﹂ と. 専 精 寺 蔵 の こ の裏 書 の ﹁ 相 承﹂ も 、右 の ﹁相 承 ﹂ と 同 一の表 現 と 理. 尊 号 であ る 。こ れ に は裏 書 が あ り 、裏 書 文 言 は︵ 、2 ﹁方 2便 ︶ 法 身 尊 號 / 大 谷 円 と 法 覚 に は 、 何 ら か の 血 縁 関 係 が 想定 で き る のか も し れ な い。. 覚 ﹂ と ﹁セ ト ノ タ フ チ ヤ ウ﹂ の ﹁法 覚 ﹂ の 二人 が 見 え るが 、﹃真 宗 重 宝. は 垂 井 所 在 し 、 行 は ﹁ 残 って いな い︵ が2 、3 専︶精 寺 町 垂 井 に ま た こ の 美 濃 . さ れ て いた の で はな い かと 思 わ れ る。. 思 う 。 これ が 許 さ れ るな ら 、 こ こ は、 美 濃 國 垂 井 日 善 相 承 の よ う に記. 國 垂 □ ﹂ と 続 い て い る から 、 これ を ﹁ 井 ﹂ と 推 測 す る こ とも 可能 かと. 聚 英 ﹄ が 指 摘 す る よう に、 これ は後 者 が 該 当 す ると 思 わ れ る 。 一方 、 ﹃本 福 寺 門 徒 記 ﹄ に は、 真 野 の ﹁真 野 今 宿 南 道 場 ﹂ に つ いて ﹁カ タ 、 道 円 相 承 也 ﹂ と 註 記 し て おり 、 こ の道 場 を 道 円 が ﹁相 承﹂ し て いる と せ と し て いる 。 同 書 はま た 、 外 戸 の道 場 は 、 鍛 冶 屋 太 郎 四郎 兵 衛 な る 人物. そ こ で、︵3 徳︶ 法 寺 蔵 の方 便 法 身 尊 像 裏 書 を参 照 し た い。 詳 し く は後. 述 す る が 、 徳 法 寺 は専 精 寺 と 深 い つな が り を持 つ寺 院 であ る。 こ の裏. 手 次 関 係 が 記 さ れ て い る充 所 一行 目 に は、 ﹁濃 州 不 破 郡 垂 井 □ □ □ ﹂. (法 覚 と 同 一人 物 と 思 わ れ る ) が 真 野 今 宿 (南 ) 道 場 から 分 か れ て造 ︵24︶ 立 し た 道 場 だ と 記 し て いる 。 こ れ ら の関 係 を 整 合 的 に把 握 す る の は容 易ではなく、﹁ 相 承 しと いう 概 念 も 難 解 であ るが 、真 野 の道 場 ( 真 野今 ︵25︶ 宿 ︿南 ﹀ 道 場 ) は 、 道 円 が 管 理 す る も ので あ った と 理 解 でき る よう に. 6る ︶。 ﹂ の 次 ん に て い ら く と︵見2え ﹁ 垂 井 の □ は し ゅ う が 残 っ て 、 お そ は . 道 円と 法 覚 と の関 係 は 、 一般 的 な 本末 関 係 と は 少 し 異 な ると 見 る方 が. る文 字 と 思 わ れ る 。 これ を 参 照 す るな ら 、 両者 に は 同 じ く 、 ﹁垂 井 道. ﹁道﹂ で は な い かと 思 わ れ る。 そ の次 の□ は上 部 を ﹁ 羊 ﹂ の よ う に作. 書 の充 所 は 、 意 図 的 な 擦 り消 し に よ って 一部 読 め なく な って い るが 、. 思 う。 一方 、 こ の尊 号 の願 主 名 は 道 円 で は な く 法 覚 と な って い るが 、. よ か ろ う。 お そ ら く こ の尊 号 は 、 道 円 が 管 理 す る 道 場 に集 う 、 複 数 の. 研 究 紀 要 8 七.
(8) 本願寺蓮如裏書の方便法身尊像 (一) 八. 文 字 分 程 度 の空 白 が み られ るが 、 これ は文 明 十 六年 頃 ま で の蓮 如 裏 書. これ に対 し、 方 便 法 身 尊 像 b (九 二 ・ 一× 三 六 .八 セ ン チ メ ー ト. ぎ 文 が 見 ら れ 、 これ は当 初 のも のと 見 な し て よ い。. 四 セ ンチ メ ート ル の阿弥 陀 如 来 像 を描 く も の であ る。 光 明 は 四十 八条. の特 色 の 一つと な って い る。. ル) は、 総 高 六 二 ・四 セ ンチ メ ー ト ル、 仏 身 四六 ・五 セ ンチ メ ート ル. 善 ﹂な る人 物 が 記 さ れ て い た の では な いか と 推 測 さ れ る。 ﹁ 道 ﹂ の文字. 筆 者 た ちが 専 精 寺 を訪 れ た時 に は、 方 便 法 身 尊 像 bと 別 幅 の裏 書 と. の阿 弥 陀 如 来 像 を 描 く も の であ る。 光 明 は 四十 八条 で 、 そ の上 方 は V. であ る が 、 後年 の修補 が 加 え ら れ て お り、 現 状 で は、 上 方 は ﹀字 型 、. が 、 ﹁長 禄 三年 七 月 二日 / 美 濃 國 樽 井 村善 相庵 /釋 教 智 ﹂ と の記 載 の. 字 型 、 下方 は ︿字 型 で、 光 明 が 頭 部 の 一点 から 照 射 さ れ る 形 式 と な っ. は、 あ る い は、 し ん に ゅう を 部 首 に持 つ別 の文 字 であ る 可 能 性 も な お. あ る木 箱 にあ わ せ て収 納 さ れ て いた。 おそ ら く 、 こ の木 箱 が 製 作 さ れ. て いる。 や は り衣 の袈 裟 田相 部 の截 金 に卍 繋 ぎ 文 が 見 ら れ 、 これ は当. 下 方 は く字 型 に 照 射 さ れ る 形式 と な って いる よう にも 見 え る。 し かし 、. た 時 に は 、す で に料 紙 の剥 落 と磨 滅 が 進 行 し て読 み にく く な って お り、. 初 の も の と 見 な し て よ い。 こ の絵 像 に つい て ﹃真 宗 重 宝 聚 英 ﹄ は、 ﹁ 実. あ るが 、 今 は こ の よう に推 測 し てお き た い。. こ のよ う な読 み 誤 った 記載 と な った の であ ろう 。 こ の箱 書 は、 裏 書 の. 如 上 人 時代 に授 与 し た通 規 の方 便 法身 尊 像 ﹂ と 解 説 し て い るが 、 筆 者. 光 輪 の内 側 に残 る 光 明 に は 、真 上 に垂 直 に 照射 さ れ る 一条 が は っき り. 劣 化 が進 行 し た後 に 記 さ れ た 、後 年 のも のと し な く て は な ら な い。. た ち も 、 こ れ を 十 五 世紀 末 の 延徳 ・明応 期 の方 便 法 身 尊 像 と 考 え る。. 最 終 行 の願 主 名 の記 載 は ﹁ 願 主 釋 妙 □ ﹂ と 判 読 でき る が 、 最 後 の. さ て 、専 精 寺 に は 、 十 五 世 紀後 半 頃 の本 願 寺 下 付 物 と見 ら れ る方 便. た だ し 、裏 書 が 失 わ れ て いる ので 、 下付 者 が誰 であ った の か は 不 明と. と 認 めら れ る 。 こ の絵 像 は 、 も と も と は 上方 ・下 方 の光 明 が 真 上 ・真. 法 身尊 像 が 二点 所 蔵 さ れ てお り 、 現状 で は、 ど ち ら に も裏 書 が 貼 付 さ. 一文 字 は磨 滅 の た め読 む こと が でき な い。 旧 稿 で は、 こ こ の ﹁妙 ﹂ を. れ て いな い。 ま た 初 期 真 宗 系 と 見 て よ い阿弥 陀 如 来 絵 像 も 所 蔵 さ れ て. せ ざ る を え な い。 ︵27︶ す で に別 稿 でも 述 べた が 、 蓮 如 継 職 以 後 の方 便 法身 尊 像 の光 明 を 年. 下 に突 き 抜 け る形 式 であ った と 見 る こ と が でき る。 な お、 仏 身 の截 金. いる 。 こ の阿 弥 陀 如 来 絵 像 (像 様 ・法 量 な ど は後 述 す る ) を 写 真 A に. 代 順 に見 て いく と 、 第 I期 ・第Ⅱ 期 ・第Ⅲ 期 のも のは 、真 上 ・真 下 に. ﹁ 教 ﹂ と 読 んだ が 、 こ こも ﹃蓮 如 上 入 と 濃 飛 の門 徒 ﹄ の 指 摘 に従 い 、. 掲 げ 、 写 真 B に方 便 法 身 尊 像 aを 掲 げ て あ る 。. 光 明 が 突 き 抜 け る形 式 と な って い る。 これ が 変 化 す る のが 第Ⅳ 期 のは. は ほと んど が 剥 落 し てし ま って いる が 、 衣 の袈 裟 田相 部 の截 金 に 卍繋. 方 便 法 身 尊 像 a (九 〇 ・八 ×三 五 ・四 セ ンチ メ ー ト ル) は 、 総 高. じ め頃 で、 上 方 は V字 型 、 下 方 は ︿字 型 に、 光 明 が 照 射 す る 形 式 へと. ﹁ 妙 ﹂ と 訂 正さ せ て い ただ く 。 な お ﹁願 主 ﹂ と ﹁釋﹂ と の間 に は、 一. (蓮 台 下 端 か ら 光 輪 上 端 ま で) 六五 ・○ セ ンチ メ ート ル、 仏 身 四 八 ..
(9) た、 専 精 寺 前 身 道 場 が 初 期 真 宗 の い かな る門 流 か ら出 発 し た の か を 考. あ ったと 推 測 す る こと が でき る であ ろう か。 そ れ を考 え る こ と は 、 ま. た、 現 在 判 読 でき な く な って い る 部 分 に 、 ど の よ う な 内 容 の記 載 が. さ て で は、 こ の裏 書 の記 載 はど の よう に解 釈 でき る であ ろう か 。 ま. わ し い よう に思 わ れ る。. ○ セ ン チ メ ー ト ル であ るが 、 こ の大 き さ は こ の時 期 のも のと し て ふさ. ○ セ ン チ メ ー ト ルを 超 え るも のが ほと んど であ る。 aは総 高 が 六 五 ・. 書 方 便 法 身 尊像 は、 第Ⅳ 期 以 降 のも のと く ら べ て大 振 り で、 総 高 が 六. べ き で あ ろ う 。︵2 以︶ 下 でも 重 ね て述 べ る が 、 第 I 期 ・第Ⅱ 期 の蓮 如 裏. 像 は 、方 便 法 身 尊像 b で はな く 、 写真 B に掲 げ た 方 便 法 身 尊 像 aと す. 変 化 し て いく 。 そ れ ゆ え 、 長 禄 三年 の こ の裏 書 に対応 す る方 便 法 身 尊. の伝 承 が あ や ふや にな って し ま った後 に作 製 さ れ た も の のよ う で あ る。. であ ろ う が 、 原 影 像 の札 銘 が 判 読 し に く く な り 、 法脈 の次第 に つ いて. 高 僧 連 座 影 像 は、 何 ら か の原 影 像 を後 世 に描 き 写 し た も の と見 る べき. が 見 ら れ るが 、 そ の順 序 も 混 乱 し たも のと な って し ま って いる。 こ の. 札 銘 には 、 ま た 、 善 性 、 明 性 、 成 仏 な ど 善 性 系 磯 部 門 流 の人 物 の名. う。. 心 と あ る べ き と ころ を 恵 悦 と し て い る のも 同 様 に誤 りと す べき であ ろ. 和 尚 聖覺 ﹂ と の記 載 が な さ れ て い る。 これ ら は誤 りな の であ ろう 。 恵. (聖覺 ) が 重 複 し て記 さ れ てお り 、 帽 子 を 巻 く 親鸞 風 の人 物 に ﹁法 印. 像 が描 か れ る ので あ る が 、 そ う はな って いな い。 ま た 札 銘 に は、 正覺. の高 僧 影像 は 、 通 例 な ら ば 、 親鸞 以 降 、 下 か ら 上 へ師 資 相 承 の順 に影. ま た 画面 の下部 に は 、 聖 徳 太 子 と 六眷 族 の影 像 が 描 か れ て いる 。 上 部. いま 、 善 性 系 磯 部 門 流 の法 系 を参 照 し て 、 札 銘 に記 載 さ れ る 人 名 を. 証 す る こと にも な る。 同寺 に所 蔵 さ れ る 聖 徳 太 子 日 本 高 僧 連 座 影 像 (一二 二 ・二 ×四 三 ・○ セ ンチ メー ト ル) は、 こ れ に つ いて 大 き な 示. 成仏となろうか。善性は. 整 理 し て み ると 、 親鸞¦. 明 性¦. 唆 を与 え る。 こ れ は 、 ﹃ 真 宗 重 宝 聚 英 ﹄ 第 八巻 にす で に 写 真 が 掲 げ ら. 浄興寺 ( 現 在 は新 潟 県 上 越 市 寺 町 ) の開 基 と さ れ る 人 物 であ る。 ま た. 善 性¦. れ、﹁ 十 六 世 紀 中 頃 ま でし か 上 ら な い作 品 で あ ろ う 。専 精 寺 に は、か か. 発 展 し た こ と が知 ら れ て いる 。 成 仏 は、 新 潟 県 新 井 市 願 生 寺 蔵 の聖 徳 ︵29︶ 太 子 日本 高 僧連 座 影 像 の札 銘 に名 が 見 え る。 願 生 寺 は、 いわゆ る磯 部. 明 性 は下 総 磯 部 の 勝願 寺 (現 在 の瑞 泉 寺 、 新 潟 県 上 越 市 南 本 町 ) の開. 基 と さ れ る 人物 で 、浄 興 寺 の門 末 同 様 、 勝 願 寺 の門 末 も 信 濃 、 越 後 で. る。 こ れ の札 銘 によ れ ば 、 画 面 中 央 に は 、 比 較 的 大 き く ﹁恵 悦 和 尚 ﹂. 六箇 寺 の 一つで 、 勝 願 寺 の門 末 から 出 発 し た寺 院 であ る。. 的 な連 座 像 で 、 像 主 の名 を 記 す にあ た って も 、 か な り の混 乱 が みら れ. る連 坐 像 を 伝持 す る 由 来 に つ い て 記 し た 文 献 が な く 、 明 確 に し え な ︵28︶ い﹂ と 解 説 さ れ て いる 。 確 か に 像 様 な ど自 己 流 に 描 いた 、 地 方 の土 俗. . と ﹁日本 源 空 聖 人 ﹂ が 描 かれ 、 画 面 に 向 か って右 側 に 、 下 か ら 順 に. . . . . . . . . . . . . . . 九. ﹃真 宗 重 宝 聚 英 ﹄ の解 説 は、 専 精 寺 蔵 のも の も 願生 寺 蔵 のも のも 、. . ﹁ 法 印 僧 都 正覺 ﹂ ﹁ 法 印 和 尚 聖覺 ﹂ ﹁ 親鸞 聖 人 ﹂ ﹁釋明 性 ﹂が 、向 か って. . ど ち ら も 十 六 世 紀 以 降 の作 品 であ ると す るが 、 描 か れ る高 僧 影像 の人. . 左 側 に は 、 下 か ら ﹁信 空 法 師 ﹂ ﹁釋善 性 ﹂ ﹁釋成 佛 ﹂ が 描 かれ て い る。. 研 究 紀 要 8 .
(10) た の かも し れ な い。. か は知 りえ な いが 、 あ る いは 道 善 と 何 ら か 血 縁 関 係 のあ る 人物 であ っ. の道 場 であ った と 推 測 さ れ る 。 願 主 の妙 □ が ど のよ う な 人物 で あ った. 専 精 寺 前 身 道 場 は 、垂 井 道善 が 管 理 す る 道 場 で 、 そ れ は 勝 願寺 の門 末. 行 目 の記 載 を、 前 述 の よ う に 、 美濃 國垂 井 道善 相 承 と 推定 す る な ら、. さ れ て い た の で あ ろ う。 こ の推 測 は 、裏 書 に 残存 す る ﹁ 寺 ﹂ と いう 文 ︵30︶ 字 や 、 いく つか見 え る 残 画 、 剥 落部 分 の 長 さ と も 矛盾 し な い。 充 所 二. は おそ ら く 、坂 東 磯 部 の勝 願寺 の門 徒 で あ った と いう 内容 の文 言 が 記. 法 身 尊 像 裏 書 で は 、充 所 の部 分 が判 読 で き な く な って いたが 、 そ こ に. は、 勝 願 寺 の門 末 か ら 出発 し た も の と 理解 す る こ と と な る。 先 の方 便. 描 い た影 像 と判 断 す べき も の と な ろ う。 と す る な ら 、専 精 寺 前 身 道 場. の影 像 と し て よ く 、 こ の門 流 の中 でも 、勝 願寺 の系 統 に属 す る法 脈 を. 以 上 よ り 、専 精 寺 蔵 聖徳 太 子 日本 高 僧連 座 影像 は 、善 性 系 磯 部 門 流. さ れ る。. 性 が 見 ら れ る か ら 、 こ の 二幅 の作製 主体 に は 関連 性 が あ る こ とが 推 測. も のと 見 る べき で は な か ろ う か 。 な お 、 両像 に は 登 場 す る 人物 に共 通. かも 疑 問 であ る。 こ れ ら は 、 と も に後 世 に な って 原 影像 を描 き 写 し た. の よう な 聖徳 太 子 日本 高 僧連 座 影像 が新 た に 描 か れ る 必 要性 が あ った. て、 願 生 寺 蔵 の も の は 八名 で あ る 。 ま た わざ わざ 十 六世 紀 以降 に、 こ. 数 が 少 な いこ と が 気 に か か る 。 専精 寺 蔵 のも の が 九名 であ る の に対 し. るが ( 存 如 期 に 本 願寺 流 に参 入 し た 可 能 性 が あ る が 、 これ に つ いて は. か ら 、浄 興寺 が蓮 如 期 ま で に 本 願 寺 教 団 に属 し て いた こと は確 認 でき. て いな か った 。浄 興寺 自 身 に は 、 蓮 如裏 書 の法 宝 物 が 下 付 さ れ て いる. を 長 く直 轄 し て いた ら し く 、本 願 寺 か ら の法 宝 物 は 門 末 へは下 付 さ れ. ぼ る事 例 に は いま だ 出会 って いな い。 ど う や ら 浄 興 寺 は 、 門 末 の道 場. 言 が 見 ら れ る よ う に な る の は時 代 が 下 る よ う で 、 実 如 期 にま でさ か の. これ に対 し、 本 願寺 下付 の法 宝物 の裏 書 に ﹁ 浄 興 寺 門 徒 ﹂ な ど の文. 参 入 し た の であ る。 いわ ゆ る磯 部 六箇 寺 と は 、本 願寺 流 に参 入 し た 勝. が 見 ら れ る。 つま り勝 願 寺 は、 門 末 の道 場 を含 め て集 団 で 本 願寺 流 に. 尊 像 が 下 付 さ れ て い る。そ れ ら の裏 書 に は、 ﹁ 勝 願 寺 門 徒 ﹂な ど の文言. 下 付 さ れ 、 主 要 な 道 場 に は、 お よ そ実 如 期 ま で に本 願 寺 か ら方 便法 身. ち、 勝 願 寺 門 末 の道 場 に は、 蓮 如 期 か ら裏 書 を記 し た方 便 法 身 尊 像 が. に差 違 が あ った こと が 、 法 宝 物 の下 付 の状 況 か らう かが え る。 す な わ. 興 寺 と そ の門 末 と 、 勝 願 寺 と そ の門 末 と で は、 本 願 寺 と の関 係 の仕 方. 本 願 寺 から 方 便 法 身 尊 像 が 下 付 さ れ る よう にな って い る。 ただ し、 浄. 次 い で蓮 如 期 と な ると 、 そ の最 初 期 から 、 こ の門 流 に属 す る道 場 に、. 寺 に つい ても 、存 如 が 浄 興 寺 周 観 に充 てた 書 状 で ( 浄 興 寺 蔵 )、勝 願 寺 ︵31︶ 善 慶 の往 生 に弔 辞 を 述 べ るな ど 友 好 的 な 関 係 を 知 る こと が でき る。. そ こ から 浄 興 寺 新 発 意 の本 願 寺 修 学 の こと も う かが え る。 一方 、 勝 願. ら 知 ら れ る。 ま た浄 興 寺 には 、 真 宗 関 係 教義 書 の古 写 本 が 多 数 現 存 し 、. 本願寺蓮如裏書 の方便法身尊像 (一) 一〇. 善 性 系 磯 部 門 流 は 、 中 核 寺 院 た る浄 興寺 が す で に存 如 期 ま で に本 願. な お検 討 し て み た い)、 蓮 如 期 以 前 か ら の関 係 も あ っ て、 門 末 に 対 し. 願 寺 系 の道 場 ( 寺 院 ) に よ って形 成 さ れ た観 念 と 理解 で き る 。. 寺 と 友 好 的 な 関 係 を 有 し て いた こと が 、 浄 興 寺 所 蔵 の存 如書 状 な ど か.
(11) 性 系 磯 部 門 流 の道 場、 そ れ も お そ ら く は勝 願 寺 系 と 想 定 さ れ る 道 場 に. 後 述 の︵2 照︶ 光 寺 、︵3 徳︶ 法 寺 、︵4 西︶ 厳 寺 蔵 のも のが 続 く が 、 こ れ ら も 善. れ て いる蓮 如 裏 書 方 便 法 身 尊 像 の初 出 のも のと な る。 こ れ に 次 いで は 、. も のが 表 裏 とも に今 日 に伝 わ る貴 重 な 遺 品 であ って、 こ れ ま で確 認 さ. 以 上 、 専 精 寺 蔵 方 便 法 身 尊・ 像 は、 長禄 三年 (一四 五九 ) 蓮 如 裏 書 の. いも の であ る。 ま た 、 ﹃口伝鈔 ﹄ ﹃唯 信鈔 ﹄ ﹃願 々鈔 ﹄ ﹃ 存 覚法 語 ﹄﹃弁 述. 銘 文 を 墨 書 し たも の で、 こ の種 の様 式 の名 号 は 本 願 寺 門 流 で は 数 少 な. 名 号 は、 金 泥 籠 文 字 の 六字 名 号 に光 明 四 十 八 条 を 加 え 、 上 部 と 下 部 に. 字 名 号 (八七 ・八 × 三〇 ・四 セ ンチ メ ー ト ル) が あ る。 こ の光 明 六字. これ は 寿 像 と 伝 承 さ れ て い る)、 実 如 筆 と 推 定 でき る 絹 本 著 色 光 明 六. 失 って い る絹 本 著 色 蓮 如 影 像 (七 一 ・六 ×三 七.一 セ ンチ メー ト ル、. (讃 付 、 八七 ・八 × 三〇 ・四 セ ンチ メ ー ト ル、 蓮 台 は 後 補 )、 裏 書 を. 下 付 さ れ た も のであ る 。蓮 如 継 職 以 降 、 いわ ゆ る ﹁ 寛 正 の法 難 ﹂ ま で. 名 体鈔 ﹄ の古 写 本 も 所 蔵 さ れ て いる 。 いず れ も 方 便 法 身 尊 像 と 同 じ く. て の本 願 寺 の支 配 は 及 ん で いな か った も のと 思 わ れ る。. の本 願 寺 下付 物 は 、方 便 法 身 尊 号 が 一般 的 であ るが 、方 便 法 身 尊 像 も. 貴 重 な 文 化 財 であ る。. 五 ・八 セ ン チ メ ー ト ル、 仏 身 五 五 ・九 セ ンチ メ ー ト ル の阿 弥 陀 如 来 を. が 所蔵 さ れ てお り 、 裏 書 が 貼 付 さ れ て いる。 写 真 E であ る。 こ れ に つ. 新 井 市 小 出 雲 の本 願 寺 派 照 光 寺 に は、 写 真 D に掲 げ た方 便 法 身 尊 像. 一九 九 八年 九 月 一日調 査 ・写真 撮 影. 新 潟︵県 2新 ︶井市照光寺蔵方便法身尊像. 一部 下 付 さ れ て いた 。 そ れ が 勝 願 寺 系 の磯 部 門 流 に多 く 見 ら れ る こと は大 変 興 味 深 い。 な ぜ そ う な って い る の か に つ いて は 、 今 後 、 調 査 事 例 を増 し て な お考 え て いき た い。 他 に 、専 精寺 に は、 絹 本 著 色 阿弥 陀 如 来 立像 (九 二 ・○ × 三 八 . 一. 描 く も の であ る。 光 明 は 四十 八 条 で 、 そ のう ち 上 方 ・下 方 の光 明が 真. セ ンチ メ ー ト ル) が 所 蔵 さ れ て いる。 写真 A で あ る 。 これ は、 総 高 七. 上 ・真 下 に突 き 抜 け る形 式 で 、光 明 が 頭 部 の 一点 から 照 射 さ れ る の で はな く 、 仏 身 全 体 から 照射 さ れ る身 光 の形 式 と な って い る。 そ の巻 留 に は ﹁三方 正 面 阿 弥 陀 如 来 像 ﹂ と 記 さ れ て い る。 三方 正面 阿弥 陀 絵 像. . . . . . 二. 像 の大 き な 写 真 と 裏 書 文 言 と を 掲 げ て 解 説 を 付 し て い る し 、 近 年 の ︵36︶ ﹃講 座 蓮 如 ﹄ にも 千 葉 乗 隆 に よ る 再論 が 掲載 さ れ て い る。 さ ら に、 A ︵ 3 7 ︶ ︵38︶ 堅 田修 ﹁ 蓮 如 裏 書 集 ﹂、 B北 西 弘 ﹁ 裏 書 集 ﹂、 C草 野 顕 之 ﹁ 蓮如上人裏. いて は 、 早 く 井 上 鋭 夫 が 絵 像 の写 真 と 裏 書 の釈 文 を掲 げ 、善 性系 磯 部 ︵32︶ 門 流 の北 信 ・越 後 への展 開 と いう 視 点 か ら見 解 を 述 べ て いる し 、 千葉 ︵ 3 3 ︶ ︵34︶ 乗 隆 や 小 穴 芳 実 も 裏 書 釈 文 を 掲 げ て、 や は り善 性 系磯 部 門 流 の信 濃 へ ︵35︶ の展 開 と いう 観 点 から 見 解 を述 べ て いる。 ま た ﹃ 真 宗 重 宝 聚 英 ﹄ は絵. は、 ﹁マムキ ( 真 向 き )﹂ と も 呼 ば れ る も の であ るが 、 こ う し た 正 面 向 き 直 立 の 阿弥 陀 如 来 絵 像 は 初 期 真 宗 門 流 で依 用 さ れ て いた多 様 な 阿 弥 陀 如 来 絵 像 の 一種 類 で あ る 。. . ま た専 精 寺 に は 、 蓮 如 筆 と 見 て問 題 のな い絹 本 墨書 真 書 体 六 字 名 号. 研 究 紀 要 8 .
(12) を 見 て も 少 し ず つの差 異 が あ って、 そ れ ぞ れ に いく つか の異 同 が あ る。. し か し な が ら 、 そ れ ら 先 行 研 究 で提 示 さ れ た裏 書 釈 文 に は、 いず れ. 大 変 著 名 な も のと 言 って よ か ろう 。. こ の絵 像 お よび 裏 書 は、 蓮 如 が 最 初 期 に下 付 し た方 便 法 身 尊 像 と し て. ︵39︶ 書 集 ﹂ と い った裏 書 集 にも 、 裏 書 釈 文 も しく は文 言 が 掲 載 さ れ て いる 。. 画 から ﹁ 身 ﹂ と 見 て よ いと 思 わ れ る。 ま た 二文 字 目 も 人 偏 が 残 って い. 一部 し か 墨痕 が 残 って いな い。 し か し ﹁ 尊 ﹂ のす ぐ の上 の文 字 は 、 残. の ﹁ 尊 像 ﹂ とが よ く残 存 し て い るが 、 そ の間 は料 紙 が 剥 落 し て い て、. 法 宝 物 の名 称 (主題 ) を記 し た上 段 の 一行 は、 冒 頭 の ﹁方 ﹂ と 末 尾. を 二箇 所 ほ ど意 図的 に切 断 し て いると こ ろも あ る。. でき な く な って いる部 分 が あ る。 ま たそ れ と は別 に、 文 字 のあ る 部 分. 一二. 一体 ど の釈 文 が 正 し い のか 、 そ も そ も 裏 書 正 文 に はど の よう に記 さ れ. る し、 三文 字 目も さ んず い の 一部 と 労 の上 部 が 残 存 し て いる 。 こ こは. 本 願寺蓮如裏書 の方便法身尊像 (一) . て いる のか 、 疑 問 が つき な い。 近 年 、 筆 者 た ち は、 幸 いな こと に、 同. ﹁ 方 便 法 身 尊 像 ﹂と 記 さ れ て い ると 理解 し てよ い であ ろ う 。﹁尊 ﹂は 上. す べ て に共 通 (す 2る )書 (3 体) で( あ4り)、 (筆 5跡 )も 同 一と 見 て問 題 な か ろ. 部を ﹁ 廿 ﹂ の よう に作 る書 体 と な って い るが 、 これ は 今 回 紹 介 す る︵1︶. 寺 所 蔵 の 史 料 を 親 し く 実 見 調 査 す る機 会 にめ ぐ ま れ 、 間 近 にそ れ ら を 観 察 す る こ と が で き た 。 こ こ で は 、 ま ず筆 者 た ち な り の釈 文 を 掲 げ 、 観 察 し た結 果 を 記 述 し て いき た い。. う。 ﹁ 方 ﹂ も 同 じ く す べ てに 共 通 す る筆 跡 と見 て よく 、 ﹁像 ﹂ も(2)(3)(4). すべ (て 5同 ) 一の筆 跡 と 見 て よ い であ ろ う 。. 下 段 第 一行 目 の署 判 の部 分 は、 ﹁釋﹂ の残 画 と ﹁ 如 ﹂が 残 存 し て いる. が 、 そ の間 の お よそ 一文 字 分 は料 紙 が 剥 落 し て い て判 読 不 能 であ る 。. また ﹁ 繹 ﹂ の上 方 も 料 紙 が 剥 落 し て い て何 ら か 文 字 が 記 さ れ て いた の. か 、 そう でな か った の か は不 明 と せざ るを え な い。 し か し 、 花 押 は か. な り の部 分 が 残 ってお り 、 蓮 如 の花 押 と 見 てま ち が いな い。 こ の花 押. は ③ のも のと 同 一と 見 てよ く 、︵5 の︶ も のと も 類 似 し て いる 。. 第 二行 目 の年 月 日 の部 分 も 料 紙 の剥 落 が いく つか あ って読 み にく い. は 、最 終 画 の横 線 が は っき り と 残 って い て ﹁二﹂ ま た は﹁三﹂と し て. が、 ﹁ 月 十 四 日﹂ は よ く残 存 し て いて問 題 が な い。 そ の す ぐ 上 の文 字 こ の裏 書. よ いが 、 そ のど ち ら で あ る のか は 決 定 し 難 い。 た だ文 字 の バラ ン スか. (四 八 ・○ × 二 一 ・五 セ ン チ メ ー ト ル ) は 、 現 状 で は 料 紙. の剥 落 が いく つ かあ り 、 ま た 摩 滅 によ る 劣 化 も あ って、 いく つか判 読.
(13) 紙 が 剥 落 し て い て 一文 字 分 が 判 読 不能 であ るが 、 そ の下 の文 字 は偏 の. 残 画 か ら ﹁信﹂ と 見 て よく 、 ﹁信 州高 ﹂ ま で は釈 読 でき る。そ の次 は料. く て はな ら な い。 右 の行 の 一文 字 目 は、 料 紙 が 一部 失 わ れ て いるが 、. は、 料 紙 の剥 落 と あ わ せ て意 図的 な 切 断 が 二箇 所 あ る こと に注 意 し な. 主 題 の下 方 に は充 所 が 二行 に わ た って記 さ れ て い るが 、 こ の部 分 に. ると 、 長 禄 四年 ︿庚 辰 ﹀ と 見 る こと にな る であ ろう 。. ﹁辰 ﹂と ﹁四年 ﹂、そ れ に 二文 字 目 の偏 が し めす 偏 であ る こと を総 合 す. と はし な いが 、 ﹁年 ﹂ の 一部 で はな いか と 思 わ れ る 。 以 上 、 十 二支 の. が 残 存 し て い るが 、 残 画 から ﹁四﹂ と 見 て よく 、 四文 字 目も は っき り. 文 字 目 は偏 が し めす 偏 であ る こ とが 読 みと れ る。 三文 字 目も 左 部 の み. 方 は墨 痕 が 一部 し か残 存 し て いな いが 、 字 数 は お そら く 四文 字 で 、 二. は、 右 側 は料 紙 が なく 判 読 でき な いが 、 左 側 は ﹁ 辰 ﹂ であ る。 そ の 上. ら す ると ﹁二﹂ の 可能 性 の方 が高 いよ う に思 う 。 そ の 上 の 干支 の部 分. は でき な か った。 し か し、 他 な ら ぬ裏 書 正文 が 現 存 し て いる こと が代. ら か の記 録 が あ る の で は な いかと 尋 ね 、探 し た が 、 つ い に出 会 う こと. な い部 分 を 補 った か し た の であ ろう 。 筆 者 た ち も 同寺 を訪 れ た 際 、何. 在 し 、 そ れ に基 づ い て釈 文 を提 示 し た か 、も し く は そ れ に よ って読 め. く 、 筆 者 た ち は未 見 であ るが 、 何 ら か裏 書 文 言 を書 き 写 し た 記 録 が存. こ の裏 書 の文 言 を ほぼ す べ て提 示 し て いるも のがあ る。 そ れ は お そ ら. き な く な って い る部 分 が いく つかあ る。 し か る に 、先 行 研究 の中 に は、. 以 上 見 てき た よう に、 こ の裏 書 に は、 現 状 で は文 字 を読 む こ とが で. の墨 痕 が 残 って い る。 し か し何 の文 字 か を特 定 す る こ と は でき な い。. 次 の文 字 は摩 滅 に よ って読 み にく く な って いるが 、 上部 三分 の 一ほど. あ って 、 ﹁釋﹂ と ﹁ 行 ﹂ が あ る こと も は っき り と 判 読 でき る。 ﹁ 行﹂ の. 二文 字 目 の ﹁ 主 ﹂ は よく 残 って お り、 そ の下 に 一文 字 分 ほど の空 白 が. いる が 、 労 の ﹁ 頁 ﹂ は は っき りと 残 って お り、 ﹁願 ﹂ と 見 て誤 り な い。. 一三. え 難 い幸 いな の であ って、 少 々状 態 は悪 く な って いる と は いえ 、 正 文. . 部 分 が 残 って い て、 ﹁郡﹂ の 一部 で はな い かと 思 わ れ る。そ し て そ の 下. . か ら 得 ら れ る情 報 に こ そ まず 第 一に依 拠 す べ き であ る と 考 え る。. . . 方 に、 料 紙 を 切 り取 った跡 が 見 てと れ る。 お よそ 五∼ 七 文 字 分 く ら い. . . さ て こ の裏 書 に は、 上 段 の主題 に ﹁ 方 便法 身 尊 像 ﹂ と あ って、 ﹁ 像﹂. . . は 入 り そ う な 長 さ の切 断 であ る。 次 の左 の行 にも 、 冒 頭 部 分 に お よ そ. . . が 用 いら れ て いる。 今 回 の 五例 の主 題 を 見 てみ ると 、 初 見 事 例 の︵1 の︶. . . 二文 字 分 の切 断 が あ る。 そ れ に続 い て は、 ﹁小 柳 郷 井 上 ﹂ の 五文 字 が. . . みは ﹁ 方 便 法 身 尊 形 ﹂ と ﹁形﹂ が 用 いら れ て い るが 、 そ の後 の 四例 は. . . は っき り と 釈 読 でき る。 ﹁ 井 上﹂ よ り下 方 は料 紙 が よく 残 って お り、摩. . . みな ﹁ 方 便 法 身 尊 像 ﹂ と な って いる 。 こ の ﹁像 ﹂ を 用 い る表 現 は、 次. . . 滅 も し て いな いが 、 墨 痕 は全 く な く 、 当 初 か ら 文 字 は 記 さ れ て い な. . . の順 如 期 にそ の ま ま継 承 さ れ て いく も の であ る。. 8 . . か った と し て よ い。 充 所 の記 載 は ﹁ 井 上 ﹂ で文 言 が 完 了 し て いる と し. 要. . な く て はな ら な い。. 紀. . 次 に下 段 第 一行 目 の署 判 であ るが 、 先 行 研 究 の中 に は、 こ こ を ﹁ 蓮 ︵40︶ 如 ( 花 押 )﹂ と 釈 読 し て いる も のが あ る。 し か し 右 に 見 て き た よ う に、 究. 最 終 行 の願 主 名 の部 分 は、 一文 字 目 の偏 の部 分 は読 み に く く な って 研.
(14) 本願寺蓮如裏 書 の方便法身尊像 (一) 一四. な って い る。 さ す れ ば 、 こ こも 料紙 が剥 落 し て し ま った 部 分 に ﹁大 谷. 寺釋 蓮 如 (花 押 )﹂ を 用 いて お り、 今 回 の︵1 や︶ ︵3 の︶ 裏書 も そ の署判 と. ん で い る。継 職 以 後 、 ﹁ 寛 正 の法 難 ﹂ま で の蓮 如 は、署 判 に ﹁大 谷 本 願. ら く 何 ら か の記 録 に よ って、こ こ を ﹁ 大 谷 本 願 寺釋 蓮 如 ( 花 押 )﹂と読. た の か は慎 重 に推 測 す る必 要 が あ ろ う。 井 上鋭 夫 や 小 穴 芳実 は、 お そ. 落 し てし ま って い る の で、 何 ら か文 字 が 記 さ れ て いた のか 、 いな か っ. 了 し て い る。そ れ 故 、﹁ 井 上 ﹂ の下方 に寺 名 な ど 何 ら か の文 言 が 記 さ れ ︵41︶ て いた こと はあ り え な い。 あ る いは記 録 にも 混 乱 し た記 載 、 も し く は. 述 べた よう に、 ﹁ 小 柳 郷 井 上 ﹂の下 方 に は墨 痕 はな く 、宛 所 は こ こ で完. い のだ か ら 、 これ も 記録 に拠 ったも のと 理 解 す る ほ かな い。 な お先 に. し か る に、実 際 の裏 書 正文 は、 そ の部 分 は切 り取 ら れ て い て現 存 しな. て いる 。 ﹁ 祐 恩 門 徒 ﹂ ﹁同 国﹂ の文 言 は、 井 上 ・小 穴 に共 通 し て いる。. 穴 芳実 は 、 充所 と 願主 名 をあ わ せ て 二行 に作 り 、 一行 目 を ﹁ 信州高井 ( 郷 カ) ( 寺 名 ヵ) 郡 祐 恩 門 徒 ﹂、 二行 目 を ﹁ 同 国 小 柳 □ 井 上 願 主 釈 行 善 ﹂と し. ﹁釋﹂ の 一文 字 が あ る こと は 確 実 であ る。 ま た そ の上方 も 、 料紙 が剥. 本 願 寺 ﹂ の文 言 が 記 さ れ て いた 可能 性 が高 いと す べき であ ろ う 。. し た記 載 形 式 と な って いる こと によ る のかも し れ な い。. 後 年 の追 記 が 見 ら れ る の であ ろ う か。 ま た願 主 名 を充 所 の行 にそ のま. る。 これ も おそ ら く 記 録 に拠 った も の であ ろ う が 、 記 録 は おそ ら く 干. さ て、井 上 や小 穴 は、 ﹁ 祐 恩 門 徒 ﹂ の祐 恩 に つ い て、浄 興 寺 (新 潟 県. 次 に年 月 日 の部 分 であ るが 、 井 上 鋭 夫 は ﹁長 禄 四 庚辰 □ 二 月 十 四. 支 を な な め に配 列 し、 し かも 干 支 を ﹁四﹂ と ﹁年 ﹂ と の間 に記 載 す る. 上 越 市 寺 町 )所 蔵 の存 如 書 状 (某 年 七 月 三 日付 、充 名 欠 ) に 、﹁其 子 細. ま 続 け て記 し て い る のも裏 書 正 文 と は 異 な るが 、あ る いは 記 録 が そ う. 形 式 と な って い る の であ ろう 。も ち ろ ん実 際 の裏 書 に は、﹁四年 ﹂の下. 祐 恩 房 方 へ只今 状 を ま い り候 ﹂ と 見 え る ﹁祐 恩 ﹂ と 同 一であ ろう と す. と し、 小 穴 芳 実 も ﹂﹁ 長 禄 四庚 辰 □ 二月 十 四 ﹂ と し て い. に干 支 が (おそ ら く 左 右 並 列 し て) 記 さ れ てお り、 こ ちら が 正 し い記. る。 井 上 はさ ら に、 祐 恩 に つい て、 存 如 か ら の某 年 九 月 二十 九 日付 の. こ の こと を根 拠 と し て、 勝 願 寺 善 忠 ( す な わ ち祐 恩 ) の門 徒 が 長禄 四. 載 形 式 であ る。 な お ﹁ 十 四 日﹂ の ﹁日 ﹂ は現 状 でも は っき りと 判 読 で. な い。. 年 の 段階 で 北信 に存 在 し て い る のだ から 、 勝 願 寺 ( 現 在 の瑞 泉寺 、新. 書状 ( 浄 興寺 蔵 ) に、 ﹁ 磯 部 善 忠 御 房 上 洛 候 間 ﹂と 見 え る磯 部 善 忠 、す. 次 は問 題 の充 所 であ る。 井 上鋭 夫 は こ の部 分 を 二行 で は な く 、 三行. 潟 県 上越 市南 本 町) の 下総 国磯 部 から 北 信 への進 出 も 、 長 禄 四年 以 前. き る し、 ﹁日 ﹂ の下 方 に料 紙 は あ る が 、 墨痕 が な いこ と も 確 実 で あ る 。. に作 って、 ﹁信 州 高 井 郡 [ / 祐 恩 門 徒 / 同国 小 柳 □ 井 上 ﹂ と. の こ と と す べき で あ ろ う 、 とす る 推測 も あ わ せ て述 べ て いる 。. な わ ち勝 願 寺 の善 忠 こそ が そ の人 で はな い かと 推 測 し て い る。 井 上 は. し 、 二行 目 に ﹁祐 恩門 徒 ﹂ と いう文 言 を、 下 に寄 せ て記 載 し て いる。. しかしながら、 ﹁ 祐 恩 房 ﹂ の祐 恩 と 磯 部 善 忠 と を 同 一人 物 と す る 積. ﹁ 十 四 日﹂ の 下方 に は当 初 から 何 も 記 さ れ て いな いと しな く て はな ら. ま た ﹁小 柳 郷 井 上 ﹂ の上 に ﹁同 国﹂ の 二文 字 を 記載 し て いる 。 一方 小.
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