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日本の英語教員養成の課題についての基礎的研究 : 大学での養成の課題と現場での教育実習の問題点を中心として 利用統計を見る

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─ 大学での養成の課題と現場での教育実習の問題点を中心として ─

The Fundamental Research of Problems about English Teacher Training in Japan:

Focus on Problems of Teacher Training in College Education and Teaching Practicum

清 水 公 男

*

  古 家 貴 雄

Kimio SHIMIZU  Takao FURUYA

1. はじめに  本論文は、英語の教員養成に関する課題、問題点を多面的に考察し、その解決策を提案する目的を 持っている。多面的というのは主に次の2つの視点である。まずは、日本の大学での英語の教員養成 の問題点に関する視点である。2つ目の視点は、教育現場、具体的には、高等学校における英語の教 育実習に関して、実習生が直面する問題点、さらには実習生自身に起因する問題点に関する視点であ る。前者の視点については古家が、後者の視点については清水がそれぞれ論述する。 2. 日本の英語の教員養成に関する問題点について 2.1 プロフェッショナルとしての英語教師  現在ほど教師の力量やプロフェッショナルとしての資質が問題になっている時代もないのではない だろうか。来年より、教員免許更新制が本格的に導入されようとしている。この制度の最初の導入の 目的は、不適格教員を排除し、教員の質を維持するということにあったようだが、その後、定期的に 最新の教授に関する技能知識を身につけるということにその主要目的が変わってきた。いずれにせよ、 プロフェッショナルとしての教師の技量が問題となっているわけで、英語教員の場合には、今後も教 師としての英語力や授業力とは何かという問題の議論が活発に行われていくものと思われる。英語教 師の力量、あるいはプロの英語教師とは何を指してそう言うのか、という問題については、ドイツの Freudenstein(1983)の興味深い意見がある。彼によれば、欧米のさまざまな言語学の進展や教授法の 開発にもかかわらず、専門的に訓練された外国語教師があまり実際的な成果を上げていないとされ、 逆にあまり専門的な訓練を施されていない者(たとえば外国で生活している主婦、自主的にカリキュ ラム外で英語を教えている小学校教師、など)が外国語を教えて成功した場合を取り上げている。そ して、成功の特徴を考察し、次の3点をあげている。①外国語の十分な運用能力がある、②外国語、 言語学以外の科目で教えたことがある、③生徒を教える対象物として見るのではなく、1人の人間と して関心を抱いている。つまり、彼によれば、外国語の教師の役割はこの3点が満たされれば、特別 な訓練を受けていなくとも普通の人で十分に果たせる、ということなのである。ここには、言語とし ての英語習得の専門的知識や授業力といった教授技術の能力は含まれていない。また、未だに英語教 師のプロフェッショナルとしての力量とは何かというはっきりした定義は学問的にはなされていない のが実情である。 2.2  大学での英語の教員養成はうまくいっているのか: 一般的な意味での英語教師に対する世 間のイメージ *木更津工業高等専門学校

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 次に、日本の大学での英語の教員養成がうまく機能しているかを判断する上で1つの重要な試金石 になるのは、現場の英語教員に対する世間の一般的な評価である。それには例えば、①一般的に、英 語の運用能力の低い教師が多いと思われている。因みに、国が定めた基準〈「英語が使える日本人」 の育成のための行動計画〉では、英語教員に求められる英語力としてTOEFL 550, TOEIC 730, 英検準 1級が掲げられている、②一般的に、英語の文法的知識や訳を教えることを重要視し、その指導に終 始している教師が多いと思われている、③一般的に、教科書を教えることを主とし、独自の英語教育 観を持っていない教師が多いと思われている、④一般的に、英語教育の目的を英語の能力を伸ばすこ とのみに置き、人間教育として英語教育がどのような意味を持つのかを考えない教師が多いと思われ ている、⑤一般的に、英語の教授法というと文法的教授法だとのみ考える教師が多いと思われている、 ⑥一般的に、英語の授業では、教師は英語をあまり使わないと思われている、などがある。  以上には、一方で非常に主観的な見解があり、また一方では客観的に学問上裏打ちできそうなもの もあるだろう。いずれにしても、日本の大学における英語の教員養成には、英語教員養成のための質 的保証という意味でいくつか問題があるということを示唆する見解が多い。その中で、明らかに言え るのは、1つは、日本の大学における英語の教員養成においては教員候補生の学生に教師として十分 な英語力を付けてあげられないことであり、2つ目には、英語の望ましい指導方法について、ある一 方的な固定観念を植え付けているという危険性があることである。 2.3 日本の大学における英語教員養成の問題点  これから、具体的に日本の大学における英語教員養成の問題点をいくつか挙げてみたい。  まず、第1に、英語の免許要件の問題である。英語の教員の免許要件を規定しているのは「教育職 員免許法」である。昭和24年に制定されて以来、若干の改定はされているが、その要件の基本的骨子 は現在に至るまで維持されている。この免許法に基づいて英語の教員免許を取得するために必要な履 修科目の分野について著しい偏りがある。つまり、英米文学と英語学の単位数が多く、英語科教育学(英 語科教育法)に関する科目、つまり英語の指導法・教授法に関する科目の履修が2単位と著しく少な いのである。日本の大学で英語の教員免許を取るための履修上の2つの柱は、1つは「教科に関する 科目(専門)で、20単位必要が必要となる。具体的な内容は、英語学が6単位、英米文学が6単位、 英語コミュニケーションが6単位で比較文化が2単位となっている。因みに、1998年の一部改正以来、 履修の必要のある専門科目の単位数が40単位から20単位に減らされてしまった。2つ目の柱は、「教職 専門科目」(英語科教育法)で、これが2単位しか要求されていない。ただし、大学によっては8単位 を要求する大学もある(千葉大、山梨大など)。  これから、もう少し詳しくこの問題を先行研究から詳しく見てみたい。まず、制度・システムの問 題として、山岡・高島(1989)は、教科専門科目と教職専門科目の履修の割合にアンバランスがある としている。これは、英語学、英文学に代表される英語についての知識、造詣を深めることが英語教 師になるための必要十分条件であるという旧来の発想が今も残っているということで、「英語科教育 法」の単位数はあまりにも貧弱だと述べている。また、福岡(1986)は、現行システムで英語教師と して最低限の英語運用能力を養成できるのであろうかという疑問を述べている。これは、英語コミュ ニケーションはわずか6単位要求であることを指していると思われる。さらに筑道(1991)は、戦後 の教員養成は「開放制」と「大学で」という2つのキーワードも元で行われている。それで、教員養 成に関心を持たない大学教官が英語科教育法の授業の任に当たっているとの問題を指摘している。た だ、この問題は現在ではかなり改善されている。英語科教育学の専門家の養成が進んだからである。  次に、履修要求単位数が少ないと指摘した英語科教育法の授業自体に関する問題点もいくつかの先 行研究で挙げられている。林(1988)、尾関・横山(1988)は、「英語科教育法」の授業内容は、学生、 現場の教員双方から積極的に評価されていないと述べている。現場での教育に役立たない内容である と評価されていると言うのだ。また、深沢(1989)は、英語科教育法が「講義中心」、「知識注入」の

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傾向があると指摘している。つまり、大学では「理論」で、「実践」は実習で、という意識や、「授業実 践力」は経験や勘で磨くものといった発想が英語科教育法の担当者にあるというのである。  2番目に、大学で英語の教員養成大学での養成内容が実際の現場での教師活動や経験に果たして有 効に機能しているのかという問題がある。つまり、養成カリキュラムを経て実習に行った学生が実習 において戸惑うことが多いという事例があり、それが問題となっているのである。もっと具体的には、 英語の免許に関わる履修科目の内容が実際の現場での英語の指導の際の問題解決にほとんど役立たな いとの意見がある。  3番目に、英語の運用能力を高める内容の科目の履修が手薄であるという問題がある。最後に4番 目には、教育実習の期間についての問題がある。つまり、教員の実習の期間が短く(日本は3週間、 アメリカは13週で、2学期制の1学期間)、また、他国の制度のように、ある一定の期間、教える 外国語が話される国での実習の義務がないということが問題としてしばしば指摘されている。 2.4 海外の先行研究による英語の教員養成についての問題点  以上、日本における大学での教員養成について、主に日本の先行研究を中心としてその問題点を挙 げてみた。次は視点を変えて、海外の、主に欧米の英語の教員養成についての論文を基にして、大学 での英語の教員養成の問題点をより普遍的な視点から探ってみたい。そして、ここでは特に養成のた めの教授プログラムに特化して述べてみたい。  まずJohnson(1996)は、現在の英語教員養成のためのプログラムは実際に教育現場でどのように 使っていいかわからないような抽象的な知識を詰め込むことに終始していると述べている。また、 Freeman(1989, 1996)は、①実践から切り離された状況で、理論についてのみ学ぶ機会が多い、②実 践的なテクニックについてしばしば教授されるが、自分が行う行為の選択判断の基準や前提となる情 報や能力を発展させる教授にあまり注意が払われない、③カリキュラムや授業を作り上げるプロセス については、あまり注意が払われない、の3点を挙げている。一方Johnson(1994)は、基本的に教員 養成プログラムは学生が教育実習で授業を最初に行う時に対峙する様々な困難点を処理するのに、十 分な準備とはならない可能性が高い、また、自己の外国語学習の経験の方がプログラムで習うことよ りも、実習で教える方法への影響力がしばしば大きいと述べている。  以上の見解を総括すると、日本の問題点の状況と重なる点が多いことがわかる。1つは、大学にお ける英語の教員養成のために開講されている授業の多くの内容が抽象的なもので、現場で役立つ内容 になっていないこと、もう1つは、カリキュラムや授業自体に関する内容を持つものが授業として手 薄である傾向があること、などである。 3. 日本の英語の教員養成における課題を踏まえての改善の視点 3.1 改善に関する基本的な考え方  これまで、日本の大学における英語の教員養成に関する様々な問題点を見てきたが、ここから、以 上の問題点を踏まえて、少しでも現状を改善していくためのいくつかの視点を提案していくことにし たいと思う。その前に、日本の英語教員養成のこれから自問自答すべき課題をいくつかを挙げてみた い。それは、①教育実習事前段階でどのようなコースを設定すべきなのか、②教育実習後にどのよう なフォローアップをする必要があるのか、③現職教育にどのように大学の教員養成での訓練を繋げて いくべきなのか、の主に3点である。それで、具体的に今後、大学における英語の教員養成をより良 きものにするために、担当者がより模索して答えを出すべき問題として、①現場に学生を送り出す準 備として、大学の教員養成課程に何が足りないのかを明らかにすること、②教師の実践的な能力とい う認識において、養成側の大学の教員と現場の教員との間にはどのような齟齬があるのかを明らかに すること、③学生の教員になろうとする意思、意識、熱意というものは、大学の教員養成で果たして 育成できるのかを考えていくこと、などがあると思われる。

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 なお、大学の英語の教員養成のために授業として用意すべき必要十分な種類について、古家(2006) は以下の7つの種類を提案している。参考までに載せると、①英語運用能力をつける授業(特に学習 者の英語のレベルに合わせられる能力の育成を目標とする)、②第二言語習得に関する基礎理論、③ 教授法や指導方法に関する知識を与える授業(授業実施上の基礎知識。たとえば、板書や音読の方 法、文法の指導方法など)、④英語それ自身に関する知識を与える授業(例えば、文法、語法、語彙 の起源などの知識など)、⑤授業を計画し、実施し、評価する能力を育成する授業(授業構成や授業 改善の方法なども含む。また、授業構成に関する意志決定能力の育成を目指す)、⑥教材を分析したり、 選択したり、導入したりする能力・技術を磨く授業、⑦特殊なトピックスに関する知識を与える授業。 例えば、早期英語教育やテスティングなどに関する知識。その一部は②にも含まれる、などが挙げら れている。 3.2 日本の大学での英語教員養成の改善に向けてのいくつかの提案  本論文の前半の総括として、日本の大学における英語教員養成に関する改善点を、特に教員に関す る事柄に限定して提案することにする。本提案が実際の改善に資するものであるかは疑問の余地もあ るが、一応試みてみたい。もちろん、英語教育全体の改善ということを視野にいれることになれば、 時間数の問題等いろいろな点に及ぶと思われる。  具体的な提案は次の6つである。①免許取得において、英語科教育学の分野の授業の要求単位を増 やす。現行2単位から少なくとも8単位にする、②英語科教育学に関する科目を増やし、その内容の バリエーションを考える、③授業の計画・実施・反省の3つのプロセスを含んだ種々の授業構成のた めの意志決定の機会を与える授業を用意する。具体的には、授業観察の機会、授業分析の機会、授業 計画の機会、授業実施の機会、授業改善の機会を提供する。つまり、reflectionと模擬授業の機会を設 ける。④現場の授業参観を複数経験させる機会を実習前に与える、⑤できれば、免許取得の条件として、 海外での経験(英語なら英語圏)を義務づける。もちろん、経済的援助も行う。これはALTの招聘よ りも先であるべきである、⑥教育実習の期間を最低1ヶ月にする。本当は半年ほしい。でも現場の状 況を考えると無理だとは思う。また、蛇足ながら、現職教育・研修においての改善提案も挙げておき たい。それは次の2点である。①英語と教授に関する研修制度をもう少し受けやすい状況にする。こ れは、大学院での研修含めてである、②英語教育のマクロ面についての研修も行う。具体的には、3 年間、あるいは1年間の英語教育カリキュラムやスケジュールの立て方について研修する。  以上、日本の英語の教員養成機関における教育内容と方法の改善について提案してきた。英語科教 育学という学問が日本において成立してから今年で37年ほど経つ。一方で旧態依然とした内容と方法 だと批判はあるものの、研究の積み重ねによって次第に日本の英語教育は良い方向に向かっていると 言える。実際に、形より意味に重点を置いた指導法が重視されるようになったり、学習者により焦点 が当てられるようになり、同時にその心理面、特に動機や学習プロセスに関する研究が増え、その成 果が教室に導入されつつある。しかしながら、こと教員については学問的な研究が甚だ手薄であると 言わざるを得ない。例えば、教師が実際に授業を計画し、実施し、反省する際にどのようなことを考 えているのか、あるいは、教師はそのキャリアを積むにつれてどのように能力的、技能的に変化・進 化を遂げていくのかといった研究はあったとしてもとても少なく、知見といったものはほとんど明ら かにされてきていない。ゆえに、教員養成課程の学生を含めた英語の教員としての初心者がその授業 の計画や実施においてどのような困難を伴うのかについての研究もほとんど存在していない。今後、 熟練度において様々なレベルの英語教員を対象にした実証的な研究を多く進め、その研究の成果を大 学の英語の教員養成課程のカリキュラムの中に、内容、方法論という点で生かしていかなければなら ないと思う。また、英語教員の養成システムしても、今後、大学での養成と現場での研修が連携され る中で統合的に計画・実施されなければならないとも思う。課題は山積していると言える。

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4. 教育実習生を受け入れる現場からみた教育実習の問題点について 4.1 受け入れシステムの現状と問題点  教育実習は教員免許を取得するための必修要件であり、実際の学校において実習体験を積むことが 課せられる科目である。その大きな特徴は、児童・生徒・学生という経験しか持たない大学生が実際 に実習校に行き、教育実習生という教師として、現実の生徒を対象としながら、教育の理論や技術を 学びながら学校生活を送ることである。この経験を積むことを通して教育技術的なことを習得するだ けでなく、教職に対する学生の意識変容が起こることが先行研究でも指摘されている(羽野・堀江、 2002;三島、2007)。従って、実習生にはこの貴重な経験を数週間行う前に、どのような心構えが必 要であり、また専門教養は最低どの程度もって実習に望まなくてはならないのか、理論に裏付けられ た技術は最低限持っているのか、学習指導案や板書は万全か、など教育現場で戸惑うことのないよう に、実習前に学び、確認しておくことが求められるはずである。しかしこのような前提は、大学生の 学力低下傾向が台頭するのと同時に崩れつつあり、最近では受け入れ側の学校の教員の間で実習生の 質の低下が大きな問題になってきている。ここでは東京都の公立学校を例に上げながら、このような 実習生を受け入れる側にはどのようなシステムが現在定着しているのかをまず概観し、次にそのシス テム上の問題点を探ってみたい。  東京都では教育実習の約一ヶ月前に、各大学の学生が、教科担当の教員への挨拶のために実習校に 訪れるのが現在慣例となっている。その際、担当する授業と教科書と副教材を渡され授業準備を指示 されたり、配属校の教務担当教員から、実習に関する大学との事務的な手続き等の打ち合わせがある。 実習の初日は、朝の職員打ち合わせ会で全職員に紹介され実習がスタートする。学校によっては実習 生に対する全体オリエンテーションの時間を最初に設ける場合もあるが、初日から数日間は実習生は 指導教員や同じ教科の先生方の授業見学を行い、その後実質的な教育実習に入ることになる。  担当科目は原則として受験を抱える3学年はさけ、1・2学年の授業が中心である。可能な場合は Team-teachingの授業を担当することもある。実習期間中は、職員室に実習生用の席を割り当てられる 時もあるが、多くの学校では実習生用の大部屋が用意され、実習生全員がその部屋を使いながら実習 体験を積むことになる。実習生は授業見学期間中も、数日後にはじまる授業実習のための授業準備や 教案作成が義務づけられていて、各授業の直後や、一日の最後に担当教員とミーティングを持つこと になる。教案の作成に関しては、毎回実習授業の教案を作成するのが原則ではあるが、3週間にわた る指導教員の負担を考えると、実際は最後の研究授業のための一回切りの教案作成が慣例となってお り、毎日行われる担当教員との打ち合わせや協議がそのための準備となっている。実習生は研究授業 前に最終教案を作成し、事前に管理職をはじめ同じ教科の教員や他教科の教員にその教案を渡しなが ら研究授業への参加をお願いする。そして3週間の実習の成果としての研究授業とその反省協議会を 行い、最後に指導教員から評価を受けて全てが終了する段取りである。  このような受け入れシステムは、多少の違いはあるにせよ、全国一律に定着してきており、かなり の部分を受け入れる学校側の「善意」に依存している。しかし、近年学校現場の職務が複雑化し、教 師の抱える仕事の負担が増えるにつれ、実習生を受け入れ、懇切丁寧に指導することがかなり困難に なっており、少しずつシステム自体に綻びが生じつつある。事実多くの学校では教育実習生は受け入 れたくないというのが本音である。東京都の受け入れ時期は主に1学期(前期という学校もあろうが) の6月前後である。その時期は直後に定期試験を控えていないので、担当教員の心理的負担が比較的 少なくてすむからである。最近は保護者や生徒達から教育実習生の授業に対する不満が出はじめてい るので、実習生の授業のフォローに追われる教師の負担も相当なものになっている。色々な実習生に 関するトラブルの紹介はここでは割愛するが、大きな問題点だけは指摘しておきたい。それが何かと いえば、現場の多くの実習担当教員の声を聞けばわかるが、「教育実習」という制度の責任の実質的所 在が明確になっておらず、実習の全てが現場の受け入れ校に丸投げされていることである。しかも何 か問題が生じても、受け入れ校側からはそれを訴えるところがないのである。この問題は、長い間暗

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黙裏に認識されてはいたが、あえて言挙げされることなく今日まで至っている。  現状の教育実習システムについては、公立学校の管理母体である教育委員会が、仲介の仲立ちはし ても、直接的に援助・指導・助言をすることは全くなく、当事者であり実習生を送り出す大学側から の直接かつ具体的な協力・関与もないのが現状である。又受け入れる学校サイドでも、どのような実 習や授業内容であっても、結局最後は実習生に悪い評価をつけないのが慣例となっている。ある意味 で、このシステムがこれまで存続してこられたのも不可解であるが、改善の方向性はどこにも見あた らない。  ここ最近は私大の担当者の高校への事前の挨拶回りが以前よりも多く見受けられるようになった が、実習の最後にある研究授業には大学側から教官が来校しても、そのほとんどは直接の指導教官で ない場合が多く、授業後の反省会もおざなりで充実したものになっていない。本来なら、この実習は 大学の教員養成教育の最終ステージであり、受け入れ学校の協力の下に、指導教官も自身の指導の成 果を見極める絶好の機会であり、実習中に実習生がどのような指導を受けているか等のフィードバッ クを得ることもできるはずである。従って、実習前や実習中の授業実習への当事者(指導教官と担当 教員)間の率直な意見交換や相談があってもしかるべきである。しかし、現状はそうはなっていない。 大学教員の多くが、教育実習がどんなものか知らないという意見もあるが、本当のところは知ろうと する努力を怠っているのではないかというのが受け入れ側の教員の多くの意見である。今後は教育と いう「聖域化」されたフィールドにおいて、教員養成の仕組みの一端を背負わされ、多くの現場教員 の「善意」に委ねられてきた教育実習システムに対して責任主体をハッキリさせ、その上で何らかの 制度的介入をすることが必要ではないだろうか。少なくともこの教育実習期間が学生の教育技術形成 だけでなく、教育観、児童・生徒観、教師観などの形成に大きな位置を占めると仮定するのならば、 大学での理論的学習と現場の教育実習が効果的にリンクする方策を再設計すべき時期が来ていると考 えるべきである。 4.2 実習授業の実態と問題点  以前は実習を担当した教員から、学生が実習の心構えがなく大学の授業は理論ばかりで全く役に立 たないとか、実習前指導が実習をきちっと意識して組み立てられていないという意見が主であったが、 最近では、学生の学力、特に英語力の低下問題や精神面での未熟さなどの問題も顕在化してきている。 更に、ベテラン教員でも対応に苦慮する学習者の多様化、教育現場の複雑化が加速しているので、型 にあてはめるだけの教育実習(教員研修も含めて)が機能しにくくなっている。平成20年度10月18日 (土)の朝日新聞の報告によると、教育現場を取り巻く環境は日々厳しくなっており、採用されて教 壇に立ったものの、1年のうちに何らかの挫折感を抱き、学校を去った新人教員が301人に及ぶこと が文部科学省の2007年の調査で判明した。全採用者が2万1734人であるので、その数は1.4%であるが、 5年前の2.7培に増えているとのことである。その意味でも実習を終え、次年度からすぐに教壇に立つ 学生への実践的教育の改善は急務である。しかし、全ての問題を扱うのは困難なので、ここでは実習 生の授業実践力に焦点を絞り、その実態と問題点を概略的に論じたい。  最近の生徒や保護者は、学校に対して自らが学校というコミュニテイの構成員であるという自覚が なくなり、支払った対価に相応しい教育的サービスを受ける権利を主張する消費者意識を強めている。 従って、授業に関しても、その維持や改善に自らも責任の一端を担っているという自覚を生徒の側に 期待しにくい状況があり、授業の内容が分からないとか学習内容に興味がわからないと感じると、責 任の全てを学校や教師に帰そうとする傾向がある。そこでは生徒の自助努力は望めず、全てが教師の 技術や知見にゆだねられることになってしまう。  実習生に多くを望むわけではないが、このような現状に対して、実習生全体の特色として教師にな ろうという強い意欲や熱意と、柔軟な生徒や授業への対応力が感じられない学生が増えてきているの は大変気がかりである。前者について言えば、例えば、指導教員からの「どのような授業をしたいで

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すか」とか「理想とする授業は何ですか」という問いかけに対して戸惑う学生が多く、自分が実習中 に試してみたい指導法、教材又は授業内活動についての自分なりのイメージや考えをほとんど持たな いで、いわば白紙の状態で実習に来るのである。実際に実習授業が始まっても指導教諭の教え方をた だ真似たり、指導書通りの授業しかできない実習生が目立っている。教員養成課程出身の学生は、そ こまでひどくないであろうという反論があるかもしれないが、多くの知識を持っているがゆえに習得 してきた理論にかえって縛られ、授業は創意工夫のないワンパターン化したものになりがちである。  後者の対応力に関しては、生徒の授業への参加活動を促進しようという意図や努力にもかかわらず、 生徒の反応が鈍く、授業の進行がままならない事例は常であるが、例えば大学の座学で学んだシャドー イング活動を中心にした指導案に固執するあまり、生徒が授業についていけず授業の後半が崩壊状態 になったりして、生徒とのトラブルが生じる事例が増えている。本来教案とは自分の授業を縛るもの ではないはずである。授業のプランニングをしながらも、授業中に予期せぬ反応が生徒から起こった り、生徒の理解が遅く筋書き通りに事が進まなかった場合にはどのような対応をすべきなどを考えら れる柔軟な想像力が必要である。  二つの全体的な特徴以外に次のような点も挙げられる。いずれも筆者が勤務した複数の学校で、実 習を担当した英語教員が共通に指摘した事項である。   ①実習生の英語の会話力はかなり向上しており、発音も上手である。   ②英語の資格試験に合格している学生の割合が伸びてきている。   ③授業に関連したリソースの検索能力や教材のネタ選びの感性が優れている。   ④文法や語法に関する生徒からの質問にしっかり対応できない。   ⑤教科書の指導書頼みの教材研究が多い。   ⑥生徒の目線、レベルに合わせたteacher talk、語彙力、英語の言い換えができない。   ⑦どのように教えるかでなく、いつ、なぜ、ある方法で教えるかの意識が乏しい。   ⑧生徒の躓き、学習者の状況、反応を読みとれない。   ⑨生徒をモニターする授業の組み立てができていない。   ⑩一方的に教えるのでなく、質問なり課題で生徒をinteractiveに動かす仕掛けが少ない。   ⑪ 借り物の指導技術や教材を自分の教室の生徒にカスタマイズしたり、学習事項を生徒達にとっ て身近な文脈や状況を考えながらレッスンや授業を構成する状況設定ができない。   ⑫中学校と高校で教えるべき語彙・文法事項の区別ができていない。  ①から③は現代の学生が受けてきた教育環境に因るところが大きい長所だと言えよう。留学の経験 者も増加している。特に②に関しては多くの大学が語学の資格取得を卒業条件として課すようになっ てきた時代傾向と一致している。その一方で、③以下の問題点は、大学のカリキュラムや知の体系化 (マニュアル化)が進んだことの裏返しとも考えられる。近年、英語の教科教育の分野にも第2言語 習得に関係した科学的知見が多く紹介され、教育研究方法も実証的になり、学生は以前よりも多くの 応用言語学の知識を習得することが可能になってきた。しかし、その反面教室の状況を読み、学んだ 理論・知識をその状況にあわせて柔軟に運用する資質が劣化しているのではないだろうか。例えば、 英語を教えるためには自分が英語ができることも大切であるが、教室で求められているのは、相手(生 徒)に合わせて英語を使い分ける英語力(care-taker speech)であることが認識されていない。オーラ ルで授業を進めるのは意義があるが、生徒が教師の英語についていけない場合は、易しく平易な英語 にcode-switchするくらいの気づきがあって良いはずである。又⑫に関して具体的にいうなら、今後の 小・中・高の発展的指導連携の強化が想定されるなかで、高校に入学したての1年生にたいしていき なり関係代名詞、付加疑問文や知覚(使役)動詞を使った例文を提示したり、中学校の教科書にない 高度な語彙を要求したりするのは、生徒の一般的な英語の習熟度を考えると、やはり不適切な指導と いわざるをえない。実習前には、中学校と高校で学ぶべき語彙・文法事項の差異は事前に最低限チェッ クしておくべきである。

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 確かに経験の少ない実習生がマニュアル類(既成の理論や技術)に頼る傾向はあり、まずはマニュ アルにそって授業を行うことは決して悪いことでない。しかも、マニュアル通りに授業を実践するだ けでも大変なことである。実習中も指導教諭の授業を見学しながら、実習生が熱心に授業の手順や板 書した例文などのメモを取っているのに気がつく。それも一種のマニュアル確保の手段でもある。し かし、マニュアル通りに教えても、必ず何らかの不具合が生じるのが授業である。万全の準備をして 臨んだ授業でも、マニュアルが想定していないことが生じる。従って、実習生はそのための対策とい う意味で、教案作成時や授業のプランニングをたてる時に、軌道修正がしやすいタイミングや計画を 考えたり、代案を予め組み込んでおく必要がある。このスキルは、教材の準備や時間配分の計画、板 書計画、課題の提示などの基礎的スキルとは違う、高次の授業スキルであるので実習生には無理であ るという反論もある。しかしあえてそのような意識を教え込むことによって、マニュアルが先行した 生徒不在の授業を防止することも可能になり、指導方法や教材が生徒に対して最適化されるのである。 大切なことは、実習生が盲目的にマニュアルに従っているのか、それともマニュアルの意味をしっか り理解しているかである。本来この点に気づけるか否かが教師の資質ではあるが、できない場合はそ の違いを指摘してやるのが大学の指導教官と現場の教員の役割である。 5.大学の教員養成に望むこと  総じて考察すると、これまで教員養成には、①指導技術は板書の方法や指名の仕方など細かく定式 化された技術によって構成されている、②こうした技術は学生の個人的資質や個人差に関係なく一律 に指導可能である、③教える対象である児童・生徒の個人差をほとんど考慮しなくても、同じ教え方 で一律に教えることができる、という考え方が支配的であった。そしてこのような考えに基づいた理 想とされる教師の指導法が代々受け継がれてきた。現在でも教員をめざす学生、又は新採教員に対し てこのようなスキームに従った指導の法則化に向けた多くの指導・研修プログラムが組まれている。 当然その裏には行政からの思惑も働いていると想像できる。しかし、従来の指導方法では個々の実習 生や教師が直面する生徒の複雑な学習過程の現象を理解し、そこに潜む問題や生徒の多様性に対応で きる教育の実現は不可能である。理論・知識を持っていることは大切ではあるが、理論を持っている ことと、実際の問題に直面したときにその知識をどう運用するかは別物である。教室現場の個々の問 題は日々変化しており、教師は自らが置かれた状況をその都度よく考えながら、何らかの意志決定を 行うことでしか問題解決の道は開かれないである。  そもそも1回の授業の計画をたてるときには、教師は多くのことを考慮しなくてはならない。例え ば、何年生になる迄に英検の何級を全員取得させるとかいう学校の教育方針があるのか、学習者のレ ベルはどれくらいなのか、予習復習はよくやってくるのか、最初に何を教えるべきか、時間割はどう なっているのか、何人の教師で同学年を持つのか、教科書は決まっているがどこまで教えるのか、小 テストはどのくらいの頻度で実施するのか、文法の知識はどこまで教えるべきか又どう教えるのか、 音声指導や辞書指導はどこまでやるのか、などなど1つ1つの教師の仕事レベルからコース全体のレ ベルまで、様々なレベルで考えなくてはならないことが多い。しかも生徒は日々成長したり、停滞し たりする存在者である。従って今後は大きな視野の下で、いかに教えるだけでなく、刻々と変化する 学習者の学習プロセスに目を向けながら、自分自身に指導技術の選択肢を多く用意させ、個々の授業 ケースを分析し、どんな問題がある時に、どのような条件の生徒に、どうしてなぜ、その方法で教え るべきかを学生に判断させ考えさせるような、ケース・スタデイ的な演習タイプの授業を取り入れる などの工夫をして、学生の実践力形成に寄与するプログラム開発を大学の指導者に求めたい。そして それは学生に実践・観察・改善というサイクルを主体的に担わせ、教師になるための専門性を自ら高 めていくような自己研修型の育成方式への転換を目指すものであって欲しい。そうすることによって、 学生は「仮説̶検証」という実証的な視点を保持しつつ、生涯一教師として成長していける資質の習 得ができるのである。最後になるが、教員養成課程を持つ大学の教官には、教育実習の時だけでなく

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地域現場の教師との指導連携を深め、おざなりな教育実習のシステムに対しての主体的な役割を演じ ることも大いに期待したい。

引用文献

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参照

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