特集◎日中戦争とは何であったのか
自 由 主 義 史 観 を め ぐ っ て
﹁中国との戦争は終わっていない﹂ー一九七二年の日中国交回復にあたって︑竹内好はひとりこうつぶやいた︒あれから二十五年︑﹁終わり﹂なき戦争が︑日本の三口説の世界を執拗に俳徊している︒どうやって︑それを終わらせるのか?私たちは︑戦争の﹁始まり﹂という記憶にまでさかのぼらなければならない︒
楊奎松︿﹁百年潮﹂副編集長﹀×栄維木︿講馨闘﹀×緒形康︿霧鵬潔中﹀
自由主義史観と日中戦争史研究
自由主義史観と一九九六年の論壇
緒形一九九六年に日本の論壇では﹁自
由主義史観﹂を標榜する人々による戦争
責任論が広く議論を呼びました︒このグ
ループのリーダーは東大教育学部の藤岡
信勝教授です︒かれの専攻は教育学で︑ これまで日本の初等・中等学校における
社会科教科書の編纂の仕事に携わってい
た︒かれの主張する﹁自由主義﹂という
のは︑日本の社会科教科書︑特に日中戦
争と第二次世界大戦に関する歴史教科書
の記述が︑東京裁判史観とコミンテルン
史観の影響を受けた偏った記述に満ちて
いるから︑そうした偏った立場を離れて︑
もっと﹁自由﹂な立場から過去の歴史を
語りましょうというものです︒現行教科
書は︑日本の戦争責任を戦争の勝利者で ある連合国の立場︑そして旧ソ連の立場
から断罪するばかりで︑日本が近代史に
おいて世界に貢献したプラスの側面を不
当に軽視している︒近代以後︑率先して
植民地侵略を進めた連合国側にも︑一九
九一年の解体によってその暗黒の側面が
次々と暴かれている旧ソ連側にも︑日本
の植民地侵略を裁く権利はないはずだと
言うのです︒
藤岡氏は︑こうした現行教科書の歴史
観を﹁自虐史観﹂と呼びます︒そして︑
自由主義史観 をめ ぐって z7
そうした﹁自虐史観﹂による教育を受け
た日本の青年は︑日本を誇りに思ったり︑
日本に対する愛国心を抱くことができな
いと強調しました︒藤岡氏のこうした主
張は︑初等・中等教育の現場で歴史教育
を進めている教師たちから一定の賛同を
得たばかりか︑広く若年層の読者を持つ
漫画家の小林よしのり氏や小説家の林真
理子女史といった人々もそれに共感を示
し︑九六年後半に﹁自由主義史観﹂はマ
スコミの注目を集める社会現象となりま
した︒こうした﹁自由主義史観﹂の動向
については︑すでに中国においても報道
がなされていると思いますが⁝⁝︒
楊いや︑私は﹁自由主義史観﹂につい
て聞いたのは︑これが始めてです︒﹃参
考消息﹄にもこれに関する記事が掲載さ
れたことはないと記憶します︒
栄今年は盧溝橋事件六十周年というこ
とですが︑中国に関する限り︑メディア
の注目度は今ひとつで︑﹁自由主義史観﹂
についてもメディアはキャッチしていな
いのでしょう︒七月に豊台で盧溝橋事件
に関するかなり大きな国際シンポジウム
楊 奎 松[YangKuisong]
が開催されましたが︑そこである日本の
研究者が﹁自由主義史観﹂についてコメ
ントしたことは覚えています︒しかし︑そ
のときは﹁自由主義史観﹂が今あなたが
述べたような︑日本の世論の広い注目を
集めるようなものとは思いませんでした︒
自由主義史観の主張
楊あなたが整理された内容から見ます
と︑これまで日本の右翼的な人々が主張
してきた大東亜戦争肯定論や︑侵略戦争
の事実を否定する論調と大きな違いがあ るとは思えませんが︒
緒形これまでの右翼による議論と﹁自
由主義史観﹂の最大の相違は︑﹁自由主
義史観﹂が侵略戦争の事実を否定するの
ではなく︑そうした侵略戦争を日本が確
かに行ったことを認めたうえで︑にもか
かわらず︑過去の日本の行為にはもっと
良い側面もあったと強調する点です︒そ
れから︑藤岡氏は元日本共産党員で︑旧
ソ連の解体以後︑共産党の反戦の立場か
ら現在のような立場に転向した人物で
す︒一九六四年に大東亜戦争肯定論を始
めて体系的に主張した林房雄が︑やはり
藤岡氏と似た経歴を辿っていて︑かれは
一九三〇年代には東大新人会のリーダー
として︑日本ファシズム批判の先頭に立
っていた︒しかし︑一九三三年の共産党
一斉検挙の後︑獄中転向している︒ただ︑
林は日本共産党のシンパではありました
が︑藤岡氏のように共産党に入党しては
おりません︒
楊﹁自由主義史観﹂のもう一つの重要
な論点は︑東京裁判に対する批判ですね︒
緒形そうです︒東京裁判は戦争の勝者
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が弱者を断罪したもので︑こうした価値
観を離れる必要があると藤岡氏は強調し
ます︒加えて︑日本の知識人が長い間コミ
ンテルンや旧ソ連の思想の影響下にあっ
たことも批判するわけです︒日本が過去
に行った良いことも教科書に書けという
のは右翼の主張と変わりませんが︑藤岡
氏は長く共産党に所属した人として︑日
本の進歩陣営の議論展開の方法を知悉し
ているし︑その幾つかのものは自分の論
点に借用している︒一般の民衆に自分の
主張をもっともだと思わせるコツを心得
栄 維 木[RongWeimu]
ています︒
日中戦争研究の問題点
戦後五十年が経過したにもかかわら
ず︑閣僚の侵略戦争否認発言に始まり︑
右翼の大東亜戦争肯定論から︑今紹介し
た﹁自由主義史観﹂にいたるまで︑日中
戦争についての日本人の認識は現在もな
お多くの問題を抱えており︑そのことが
日本とアジア諸国とのより一層の交流を
妨げています︒
では︑日中戦争研究に従事してきたわ
れわれ日本の中国現代史の研究者たち
は︑こうした事態にどう対応してきたの
か︒その対応の仕方を振り返ってみれば︑
内心慨泥たらざるを得ない︒﹁自由主義
史観﹂に対する学界の対応がその良い見
本で︑多くの研究者は︑藤岡氏の立論の
多くが︑司馬遼太郎の歴史小説の観点に
基づいていることから︑それを学問的批
判の対象とする必要などないと考えてい
ます︒﹁自由主義史観﹂に対してかなり
系統的な批判を試みたものとして注目す
べきなのは︑﹃歴史地理教育﹄における 地道な批判以外には︑今年の四月から六
月にかけて三か月連続でこの問題を取り
上げた岩波書店の月刊誌﹃世界﹄でしょ
う︒しかし︑この﹃世界﹄における批判を︑
中国研究者がどれだけ真剣に考慮の対象
としているかは疑わしいところです︒
侵略戦争の事実を否定する発言が後を
絶たないことは︑われわれ研究者の側に
も責任があり︑われわれがこれまで組み
立ててきた日中戦争論という言説そのも
のに﹁自由主義史観﹂の台頭を許してし
まうような落とし穴が存在したと私は考
zg‑一 自 由 主 義 史観 を め ぐ って
盧 溝橋 にお け る 中 国第29軍
えています︒長く日中戦争︑いや中国の
言い方ですと抗日戦争ですね︑この研究
に携わってこられた楊奎松︑栄維木のお
二人をお招きしたのは︑﹁自由主義史観﹂
に対する批判を語って頂くというより︑﹁自由主義史観﹂の台頭を許してしまう
ようなわれわれ日本の日中戦争研究の言
説についてコメントを頂きたく思ったか
らです︒
私としては︑﹁自由主義史観﹂の践雇
を許すような日本側の日中戦争をめぐる
言説は︑大きく言って以下の三つに集約
できると思います︒
戦争の﹁始まり﹂の言説
第一は︑日中戦争がいつ始まったのか
という戦争の﹁始まり﹂に関する言説に
表現されています︒一九五六年に︑鶴見
俊輔氏が知識人の戦争責任問題の一貫と
して﹁十五年戦争﹂論を提起し︑日中戦争
の﹁始まり﹂を一九三一年の柳条湖事件
に置いて以来︑日本の学界ではこの見方
が支配的になっています︒これに対して︑
中国側の研究は﹁八年抗戦﹂という言葉 が示すように︑盧溝橋事件から一九四五
年にいたる八年間の戦争を抗日戦争と規
定するのが一般的です︒つまり︑ここで
は戦争の﹁始まり﹂は一九三七年に置か
れている︒さらに︑一九四一年十二月八
日の真珠湾攻撃以来の太平洋戦争しか問
題にしないのは論外としても︑一九二八
年の済南事件を戦争の起点とする意見
や︑一九一五年のコ=か条﹂に着目し
たり︑一八九四年の日清戦争にまで戦争
の﹁始まり﹂をさかのぼらせる見方もあ
る︒こうした意見の違いは一体どういう
理由によって生まれたのか︑こうした戦
争の﹁始まり﹂を議論する言説が日中戦
争研究においていかなる意味をもつのか
を︑反省する必要があります︒これが議
論したい第一の問題です︒
国共両党の対立関係をどう見るか
第二は︑日中戦争において中国側が日
本に抵抗したその抵抗のあり方に関する
言説に表現されています︒周知の通り︑
中華民国政府が蒋介石委員長の下に一致
団結して︑日本の侵略から中国の民衆と
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