496
−22 −−
明治期地方国立銀行の一形態(1)
一福周欝十七国立銀行の史的分析−
伊 丹 正 博
目
次− はじめに
こ 第十七国立銀行の営業状況
(1)預金業務
(2)貸付業務
① 貸付金・当座貸越
●
⑧ 荷為替手形 (以上本号)
⑧ 割引手形 (以下次号)
(3)送金業務とコルレス関係
(4)利益金について 三 むすびにかえて
−−士萬合弁的性格の問題点−−一一
− は じ め に
福岡欝十七国立銀行の創立初期の性格については,すでに,設立状況,役員
(1) 構成,株主構成の諸点から概観を試みた。′
すなわち,創立時においては,旧藩士所有の公債の保全・管理と,彼等の生 活安定を先ず目的として,設立を企画したが,設立の陰の推進者である黒田家
(2) は,最初から多数の士族をあつめて創立することの不利を考え,先ず,同家が
(1)拙稿「算十七国立銀行の史的研究H(㌻鹿児島経大論集』第三巻第一号所収),およ ぴ「明治前期における一周立銀行の性格について−創立初期の福間第17国立銀行の場 合−」(香川大学経済学部『研究年報』第4号所収)。
(2)零細な公債保有士族まで広汎に含めて株式募集をすれば,・その手続事務等の繁雑さな
どからも,かなりの時日を要したことと,当時,各地において設立申請が相つい虎事情 から考えれば,できるだけ早急に設立,開発にこぎつけるために,短期間に株式募集を 完了させることが肝要であったと思われる。
明治期地方国立銀行の一形態(1) 一lヱ3 − 497
多額の出資をなし,それ紅二,三の士族と有力な御用商人群の資本を加えて設 立し,経営に.当ってほ,金融機関の事務処理や運営把手馴れた商人に銀行経営 を委せるこ.とによって,初期の運営を軌道にのせ,欝2の段階で,資本を倍額 増資して多数の士族の参加をもとめ,かなり零細な士族の出資をも加えるこ・と
(3)
に成功したというのが,設立時の状況である。従って,同行が士商合弁的性格 をもつとはいえ,設立動機,設立主体を論ずる限りにおいて,士族中心的性格 を否定することほできない。
しかしながら,その後の発展過程が,次第に商人中心的な銀行への転化を少
(4)
しずつ現わしていることは,先に示した通りである。この問題に視点をおきな がら,同行の営業状況を分析し,九州地方における一−・地方国立銀行としての,
その性格について一考察するのが本稿の目的である。
ニ 第十七国立銀行の営業状況
(1)預 金 業 務
周知のように,明治前期の国立銀行時代においては,まだ民間の貨幣資本の 蓄積はわずかであり,国立銀行の運用資金源は,もっぱら,銀行紙幣発行と官
(∂) 公預金にもとめられたのであるが,福岡第十七国立銀行の場合も全くその例に
もれず,総預金森高中に占める官公預金の割合は,かなり、の大きさを示してい る。すなわち,預金の構成とその推移を見ると,寮1表の通りであるが,先 ず,官公預金と民間預金との比率からみれば,平均約4剖を官公預金が占め,
多い時は6割を越えている場合もある。これは,全国平均とくらべても,かな り高いようである。たとえば,明治15年末における全国立銀行の預金姶額中に 占める官公預金の割合32.0%に対して,同期の第十七国立銀行の場合(35・1%)
はやゝ高く,明治20年末の場合ほ,前者の19.8%紅対して,後者の37・9%と哀
(6)
に高くなっている。これは,同行が福岡県庁の為替方として公金取扱を行なっ
(3)前掲拙稿「明治前期における一・国立銀行の性格について」133〜4頁。
(4)前掲拙稿133頁。
(5)後藤新一L氏「銀行条例の精神と普通銀行の歩み」(『金融経済』94号)30〜1貢。
(6)前掲苔 30貰。
第39巻 鰭5・6号 498
ーー24 一
節1表
主要な預金の推移 ♯ 単位 円民間預 金比率 空×100
民 間 預 金 ⑧
8
5
7
7 _
%悠.8.2 諸 J.19 月n諸 点.6.〇.1 JJ.6 J 遁.7 j.3 4 7 4 2 5 ㌣ 8 9 6 0 2 2 5 3 3 9 5 8 A〟 6
6 5 6 6 5 5 3 4 4 5 5 6 6 6 6 4 6 5 6 4106,844
148,128 147,218
117,093 125,409 156,461L 153,484
174,592L L
392,484【
/52,167
45,73751,607 43,656
56,269 65,823 94,772 87,436 210,993 224,408 212,585 173,995 172,487 202,452 264,056 348,481 224,074 151,218 151,389 259,805
15年・下 16年■上 16年・下 17年・⊥
17年・下 18年・上 L8年・下 19年・上 19年・下 20年・上
21年。上 21年・下
22年・上 22年・下23年・止 23年・下 24年・上
24年・下
454,411 442,872 459,085 494,375 557,687 726,113 685,103 657,882
11,65 34,78
36,41
55,67
6,854】20,4821】214,822‖366,040 二二二二丁±∴ニニ.. 425,897 483,503
※※『第十七国立銀行半事実際考課状』に・より作成(期末残高)。
たことによるものである。一・方,居間預金の構成をみると,当座預金・定期 預金・振出手形の順であるが,当座預金の額が平均約7割で過半を占め,これ に定期預金を加えたものが,民間預金の大部分を構成していることになる。
つぎ紅.このような預金総額を,店別に分けで比較してみると第2表となる。
(7)
欝十七国立銀行は,前稿でのぺたごとく,最初から,福岡,大坂の2店でも って出発したが,創立当初ほ,補間を本店と.し,その後,一山・時,大坂を本店 とするが,すぐ又,旧に役し,20年からは,北九州若松に支店を閃いている。
この3店においてほ,いうまでもなく,福岡店が預金総額の9割強を占めてお
(7)前掲拙稿「明治前期における一周立銀行の性格について」131〜2真。
明治期地方国立銀行の山形憩(1)
第2衷
店 別 諸 預 金 推 移499
−25−福 岡 店
金 額仁比 率
106,843 円 147.218 117,093 125,408 156,461 153,483 174,592 392,484 454,412 442,871 459,084 494,375 557,686 726,111 685,102 657,882 366,041 425,896 483,504
年 5 1 治 明
上下上下上下上下上下−エト二下L﹂下 上下卜卜● ● ● ● ● ● ● ● 年年年年年年年年年年年年年年年年年年 5 6 6 7 7 8 8 9 9 0 1 1 2 2 3 3 4 4
1 1 1▲ l l l l l 1 2 2 2 2 2 2 2 2 2
′
13,506 17,232 26,882 27,567 45,846 9,647 11,386 5,373
♯『第十七国立銀行半季実際考課状』に・より作成(期末残高)。
り,他の2店は,ごくわずかに過ぎない。これは,先に指摘した官公預金が,
すべて福岡店紅おいてなされていること(若松店にもどく少額がみられる),又,
以下にみるように・,民間預金においても福岡店が圧倒的に・過半を占めて−いるこ とによる。軋官公預金の内容は,考課状によると,福岡県庁・市郡役所・監 獄署・警察署・諸学校・病院・裁判所などとなっている。このような預金の 伸び率ほ,18年下車季から急に高くなっており,創立初期のはぼ4〜5倍の額 を維持しているが,その理由ほ,「日本銀行国膵金取扱所事務代理之儀当銀行 へ嘱託セラレ福岡国庫金取扱所二属スル納金区域即チ筑前国一・円国庫金収入事 務取扱可致旨九月十二日付ヲ以テ日本銀行総裁代理ヨリ約粂蕃等下付セラレ十
500 第39巻 第5・6号
ーー26 −−
月一・日ヲ以テ旧国庫金取扱所第五十八国立銀行支店ヨリ現金諸帳簿等悉皆引続
(8)
相済クルニヨリ其旨日本銀行総裁代理へ届出タリ」というように,国庫金取扱 による官公預金の増大(約3倍弱)と,いわゆる西南戦争後の松方正義による 紙幣整疲過程がほぼ一段落し,物価の下落,輸出の増大,正貨の流入に.よっ て,銀紙の背離がなくなって,日本銀行から先換銀行券の発行がはじまり,こ のような諸条件に従って,資金の蓄積がすすみ,全国的に預貯金が増加したと いう金融情勢紅よるものと考え.られるが,考課状の「本支店景況之事」による と,
「……去ル十四五年ノ交二於テ商況憮然トレテ不振ノ姿相ヲ現出セショリ以 来単二衰路ノー・方へ傾向レ殆卜其底止スル処ヲ知ラサルニ至ル此時工藤シ以為 ラク頻年引続不景気ナ・ルモ最早其極点二達レタルへグレノ\其回復ノ期モ近キニ アルヘシト扱望セレ其甲斐モナク仝ク皆空望二属シ剰スサへ・年々歳々其甚レキ ヲ加へクリ時二或ハ少レク活動ヲ呈センコトアリレモ是皆一席之事変アルニ眉 レタルモノナレノ\恰モ験雨ノ候チ来り候チ穿ル、カ如クー・朝其変改ノ無事二帰 スルヤ忽チ又染日工復シテ竜モ異ナルナシ呼場裏正ノ回復ヲ見ルノ日ハ薫シ前 途猶遼遠ナット云ハンノミ故二本季間ノ如キ金融ノ緩漫デル実二前琴線比ノ情 況卜云ハサノりへ・カラス今其二三ノ証ヲ徽セン公債証書ノ価値ハ日ヲ遂テ昂騰シ 大坂銀行交換所ノ割引日歩ハ常二七八厘ヨリ壱銭一・ニ厘ノ間ヲ昇降レ本店諸預
り金之如キ脚別段ノ事情アルニモセヨ前季二比シテ九割以上二増加レタルヲ以 テ其−・班ヲ知ルニ充分ナ・リトセン夫レーヅニ業務ノ伸暢ヲ付ルモ其地ナキ実ニ 如斯然り帝シテ此間二於テ大工苦心ヲ慰スルニ足ルへキノ快事トスルモノノ、則 彼ノ国庫金恢復云々是ナリ此事タルヤ計画謀慮スル玄二数年漸ク本季二至リテ 其宿望ヲ達レ始メテ其愁眉ヲ開クノ時ヲ得タルハ豊愉快ナラスヤ爾来之ヨリ得 ル所ノ名誉卜利益ハ其間接直接ヲ論セス決yテ鮮少ナラサルヲ信スルナヅ猶委
(9)
細ハ各条款二拠り参観アランコトヲ乞フ」
(8)『第十七回半事実麒考課状』〔『第十七国立銀行史料・上(以下『史料集・上』と略す)』
(九州近代史料叢書第七輯)257貢。〕
(9)前掲史料集 259賞。
明治期地方国立銀行の一・形態(1) −27 鵬 501
第3表 第五国立銀行の官公預金推移 というようにのぺている。このような 雫芝慧矧預金増加の事例は,たとえば,第3表
\\、、種別 年次.半壷\
御用諸 預り金 のごとく,第五」国立銀行などにおいて 円 %173,709 141,691 17,371
8,190 32,831 117,372 67,756 19,771 19,508 109,918 95,128 105,609 146,525 191,189 139,768 133,243 150,029 166,565
明治13年・上
13年∴下 14年・上 14年・下 15年・上 15年・下 16年・上 16年・下 17年・上 17年・下
成を,店別匹みると,第4表・第5表
22,3
107l・第6表となる。先ず,福岡店の場合 49,260
8,935 101,001
77,149 159,899 282,554 115,285
123,585 45,012
22,423 68,120 33,683 62,937
1:三3 5.0 をみると,明治17年頃までほ,士族の 410‡占める割合は,かなり大きく,官吏と
18年・上 18年・下 19年・上 19年・下 20年・上 20年・下 21年・上 21年・下 22年・上 亭2年・下
20.8 27 1 35,5 31.7 24.6 18.5
いう職業の場合も,身分的にははぼ士 族と考えられることから,両者を合せ
てみると,65.9%(15年・上),83..1%
(15年・下),84・8%(16年・上),72∩6 21.11%(16年・下),54.4%(17年・上),
29い2
23.9
57.1%(17年・下)となって,7割前・131,452 237,215
33.61後を占めることに.なる。しかし,この後は,漸減し,商業が囁津を占めるよ
♯欝五国立銀行『沿革事誌』により作成。
うになるが,これに,会社を加える と,7割前後となり,士族・官吏系との交替が明らかとなる。その他はごくわ ずかであるが,1口当りの金額を算出して,その毎年の伸び率をみると,23年 上半季は.,15年止半季の約8倍強となる。この年は,いわゆる,鉄道・紡績償 おける企業投資熱が最高に達し,恐慌直前の状態であり,金利の高騰で特徴づ
(11) けられる年でもある。一方,大坂・若松両店の場合は,先にものぺたように,
預金の絶対額そのものはわずかであるが,1口当り金額は非常に・大きい。これ
仕切 拙稿「明治中期における第五周立銀行の性格について」(『鹿児島経大論剰第1巻第 3号)94〜5頁:。
皿 拙稿「明治期銀行史に・おける士族銀行の問題一第五国立銀行の特殊な性格につい
算39巻 第5・6号
2β 502
尊 嘲 チ邪Ll
森口悪思慮鹿∵遠∵粛蒜叫 比
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︵Tの︶N.諾 ト・掛寸N
T・掛芯
ト・掛m刊 ↓・掛のN ト・掛NNT・掛NN
ト・掛lN T・敏一N ↓・掛ONト・掛3 ↓・掛雲 ト・掛ヨ ↓・掛乳 ト・掛ト一
丁・掛トTト・掛3
T・掛3ト・掛のー
↓・掛s一袋罫
榔卦・慮廿
明治期地方国立銀行の一・形態(1)
503 ー29 −−・
欝5表
定期預金預ケ人身分職業別割合・口数表(大坂店)
※ 単位 %,括弧内ほ口数
井草『第十七国立銀行半事実際考課状』に.より作成。
ほ,福岡店の場合が,士族・商人とも,かなり広汎に−・般大衆の預金を集めて て−.」(『■鹿児島経大論集』算3巻節2号)106〜8貫。尚,金利の高騰紅ついては,
「(第十七国立銀行)廿三年中・喝伺届草案」(前掲『史料集・削所収)によると,明 治23年1月から3月までの三カ月間金利高低表は以下の通りである。
※ 前掲『史料集・中』67貫
又,この明治23年上坪季把おける,定期預金の利息ほ.,福岡店は平均年3分2厘5毛,
大坂店は平均年5分,若松店は平均年3分8僅である。(膵26回半実際考課状』前掲『史
料集・上』494頁。)
504
第39巻 欝5・6弓ー∂〃−
いたのに対して−,前二者は,はとんどごく一部のものにしか利用されていなか クたことによる。尚,全国の国立銀行の預金構成(職業別)ほ,明治19年未定 期預金残高において,士族21‖4%(1口当り268円),商業者49・0%(1口当り
(12) 513円)となっており,福間店の場合ほ,これに近イ以しているが,長崎第十八国
第6表
定期預金預ケ人身分職業別割合・口数表(若松店)
♯ 一単位 %,括弧内は口数
※※『欝十七国立銀行半季実際考課状』により作成。
(13J
立銀行の場合のごとく,士族の預金(定期)が皆無に近いものとくらぺれば,
本行の士族とのつながりを指摘できる例証となし得よう。たゞし,先述の通 り,商業・会社に属する預金の漸増は,同行の脱皮をあとづけることを否定で きない。
次に,当座預金について−,各店別の推移を表にサーると,第7〜11表となる。
考課状紅おける記載が,当初は,「利付当座」と「(無利息)当座」の2つに分け てあるが,19年下半季以降は,前者のみである。後者は金額的に・もわずかであ るので,もっぱら,利付当座預金について分析してみると,福岡店の場合は,
はぼ,遂年上昇を続けている。先の定期預金の時と同様,商業・士族・銀行・
会社で,大半を占めることになるが,殊に,商業・銀行・会社の割合が大き く,この両者で,8割から9割を占めている。こ.れは.,もちろん,商業者にと って,営業性の預金たる当座預金が中心になるのは当然のことであり,1口当
8劫 杉山和雄氏「国立銀行の統計的考察−『銀行局年報』の分析−」(金融経済研究所 編『明治前期の銀行制度−・日本金融市場発達史Ⅰ−』)22〜公貫。
(1劫 拙稿「第十八国立銀行の歴史的−・考察」(『凝済論究』第5号)83貢。
明治期地方国立銀行の一形態(1) βJ
505
慮口裏監経せれ竣 車卸 ※
︵埋匿摩︶礪慮□・車重碑粥辞令和くh麿胡脛磯那望惰
∴・﹂主ニ﹂■﹁ニ﹂∴∴∴﹁ト∵こ︑⁚三.ニヂ丁い.こ・⁚・・⁚・欝39巻 欝5・6号
− 32 −
506欝8表 利付当座預金預ケ人身分職業別割合・口数表(大坂店)
※♯『第十七国立銀行半事実際考課状.』に.より作成。
第9表
利付当座預金預ケ人身分職業別割合・口数表(若松店)
に よ▲州三成こl ̄
※寮『第1一七国立銀行半事実際考課状』
明治期地方国立銀行の一山形態(1)
507 血・ββ −
当座預金預ケ人身分職業別割合・口数表(福間店)
※ 攣位 %,括弧内は口数
第10表
≡貰二郡忘 士 族≦銀行・会社
学 校 諸役場
34..2(5)64.3(7)
15.0(2)
4.4(5)
32・6(2)
0.7(1)
は.9(2)
39.3(4)
8.8(3)
官 吏神 社」 合計金額
円 3,417
12,282 3,745
明治15年・上 15年・下 16年・上 16年・下 17年・上 17年・下 18年・上 18年・下 19年・上
65・8(5)
35い7(6)
7て10(6)
58.1(5)
19.6(5)
55.1(5)
72.7(4)
12.9(2)
10.8(2)
1 0
一一一血一
−【1 11,541
47.8(4)
0〃1(1)
2り4(2)
79.1(2)
44.1(3)
6.0(5)
47.7(4)
0・3(2)
0.1(1)
1.0(2)
※輩『簡十七国立銀行半事実際考課状』に.より作成。
当座預金預ケ人身分職業別割合・仁卜数表(大坂店)
♯単位%,括孤内は口数
節11表
※茹『第十七国立銀行半季実際考課状.』により作成。
り金額についても,定期の場合よりもかなり高くなるのは,全国平均の場合と
(14)
も同様である。f軋 23年下半挙より,商業・士族とも口数においで,きわめて 大幅な増加が見られる。預金残高そのものの額には・;ほとんど変化がないの で,1件当りの金額が非常に小さくなったということができよう。期間流鼠に
(141杉山氏前掲古 22〜3貢。
508 第39巻 第5・6号
− 34【▼−
\卜)
ぉいても,前さ!主事首こくらべると,むしろ,低下しており,なぜこ・のような仁】数 の増加となったか,考課状の範囲では判然としない。今後の研究において明ら
かに.したい。大坂店・若松店の場合はそ・のようなl]数の変化は見られない。商 業・銀行会社の割合と士族のそれとは,福岡店と類似しているが,どちらかと いえほ,大坂店の場合ほ銀行会社に,若松店の場合は商業に,それぞれ比歪が
大きいようである。 ○
一訪,無利息当座の場合は, 福岡店では士族と学校諸役場の割合の大きなの が特徴であるが,大坂店の場合は利付当座と同様ゐ傾向を示している。これほ,
残高の額は少ないが,期間流鼠でみると,福岡店より,かなり大きいことに注
(16)
慈しなければならないであろう。
全般的に.みて,預金(貯蓄預金・別段預金・振出手形等を含めて)の趨勢が,
明治18年下半季より急激に伸長しているのは,先述した通りである。
このようにして集められた銀行の資金が,どのように運用されたかを,次に・
おいて考察しよう。
(2)貸 付 業 務
① 貸付金・当座貸越
一般的に.,地方国立銀行の場合,資金の運用に・おいてほ,諸公債証書の占め る位置はかなり大きい。滞十七国立銀行の場合も,その例にもれなく,後粧詳 述するように,明治20年代までほ,期末の総益金中,諸公債証書利息が第1
で,貸付金・当座貸越等の諸利息は次位であり,これが1位を占めるように・な
るのは,明治21年後半からである。しかし,この貸出総額中においては,貸付 金が中心となるのはいうまでもない。そこで,まず,第十七国立銀行の資金運 用状況を,貸付金の推移からみて行きたい。第12表ほ,貸付金の木支店別推移
である。
これに.よると,本支店の合計額において,19年までほあまり増減紅変化なく 個 前掲『史料集・上』465,495貫。
(16l前掲茸292頁。たとえ.ば,19年上半季の当座預金の内容をみると,当半季預高におい て,福岡店の45,304円に・比して,大坂店は102,336円である。
明治期地方国立戯行の一山・形態(1)
−Ⅶ一.ヲ5 −509
停滞しているが,20年以降急速にふえ.て,はほ,倍以上の金額に・達している。
これは,先述の利益金割合に.おける諸利息の変化とも符合するが,直接の原 因は,若松店の開設に.よるものである。店別の構成比においては,福岡店が圧 倒的に多く,6割から9割を占めているが,特に.,この若松店開設後は,はぼ
7割台に−・定している。大坂店の場合は,本店の地位に.あった13年から16年の
(l:二\
時期紅は,30%以上に.達しているが,それ以後は次第に.減少し,若松店開設後 は10%内外に.落着いているようである。これは,たとえば沖縄第百五十_ニ国立 銀行の場合のごとく,本支店(鹿児島・沖縄・大坂の三店)間に.おいて,貸付金
第12表
貸 伺 金 店 別 推 移】 合 計】
若 松 店
忘西暦成 大 坂 店
福 間 店
金 額 46,034 円 66,851 72,658 42,395 47,794 47,739 37,109 18,726 17,319 12,110 11,981 11,087 50,552 37,306 27,181 40,711 43,501 36,372 32,572 26,818
120,841 円 115,607 209,947 146,133 145,137 148,404 149,757 130,893 151,546 146,239 142,251 185,776 292,910 259,443
L 円l【コ
74,807】−▲
明治12年・下 15年・上 15年・下 16年・上 16年・下 17年・上
1−7年・下
18年・上 18年・下 19年・上 19年・下 20年・上 21年・上 21年・下 22年・.上 22年一下 23年・上 23年・下 24年・上 24年・下
 ̄
36,170】65】12.
354,7叫
 ̄
53,611】
・−笠:…;弓
253,126 231,613 249,592
………箋……;…
305,323 319,051 42,641132113.4
※『節十七国立銀行半季実際考課状』により作成。
(川 前掲拙稿「明治前期における一・国立銀行の性格について」131〜2貢二。
510
節39巻 第5・6号ーβ6 一一
(18)
の店別構成比がはとんど差のないのと対称的である。
−・方,若松店の場合ほっ ∴大坂店をややうわまわった13〜14%に・なっている が,ここの特徴ほ,貸付金の−・−・口当りの金額がかなり高いこと紅ある。すなわ ち,平均的には,福岡店が300円台であるに.対し,大坂店は500円〜1,000円,
若松店は1,300円〜1,600円となっている。それは,恐らく,次の第13〜15表に 示されている貸付金借り主の身分職業別割合に見る通り,借り主のはとんど が,南米であることによるものと思われる。ここで若松店開設についてふれて
(19)
おくと,明治20年7月1日に開設されたものである。をの理由は,『考課状』の
「本文店景況ノ事.」に・よると,
「…1此ノー・月以来今日二至ル迄世上全体ノ有様ヲ山・言以テ之ヲ掩へノ、不景 気ノ境界ノ\未夕以テ蝉脱スル能ハサル守謂テ可ナ・ラン乎其土地柄トー・時ノ事故 チ因り往々活動ノ気ヲ顕ハセレモノナシ∵=堆モ之ヲ以テ直二不景気回復ノ兆候
トナ・スへ.カラサルモノアラン故二間国多数ノ銀行ハ矢張是ノ不景気世界ノ裡二 排梱スルモノト云モ敢テ失言ニアラタ・ルへレ然リト紐モ今ヤ銀紙其位ヲ同レ而 テ物貨ノ劇変ヲ制止レタル以上ハ歳ノ豊凶需用供給ノ権衡ニヨリ自然其消長ノ 機ヲ回転スルノ好時期二達スへケレハ従今之レニ相応シテ以デ業務ノ進捗ヲ謀 ルノ準備ナ・カルヘカラス蕊二本県下若松港ハ北筑第一・ノ港津ニレタ船舶ノ投錨
.スルモノ常子千ヲ以デ数フ而シテ「貨物ノ幅検実二計ルヘカラス故二当港へ支店 ヲ新設シテ以テ近クハ該地ノ便利ヲ鼠り遠クハ前途盛業ノ準備トナサント欲 シ其計画ノ偵序ヲ経タルヲ以テ釆ル七月−・日工開店式ヲ挙クルノ場合二至レ
(20)
リ」
ということであるが,こ.れは前節でもふれたようにっ いわゆる松方政策の推進
(18)拙稿「沖縄滞眉五十二国立銀行の史的研究一明冶前期における一地方国立銀行の分 析−」(『香川大学経済論叢』第36巻第5号)90京。
㈹ 前掲『史料集・上』347貢。『節二十回半事実際考課状』の「諸御達並願伺及訴訟等ノ事
」には,「■当銀行株主等格段決議ノ順序ヲ経デ遠賀郡若松村ユ支店設置スルニ・決レ依テ
定款節二条ヲ更正ノ義六月九日付ヲ以テ大蔵大臣ヱ伺出クル処同月二十一・日付ヲ以原ノ 趣認可候条設立ノ日限並番地等更二届出へキ旨大蔵大臣ヨリ指令セラレタルニヨリ則開 発日限支店番地等ノ義届出クリ」とある。
鋤 前掲曇:347〜8頁。
明治期地方圏立銀行の一服感(1)
511 ー37 −
によって,数年前に.ほ,最高額に.まで達していた銀紙の背離が,はとんど同価 の安定状態に.復し,中央銀行としての日本銀行から,免掬銀行券の発行をみる に至云た時期であり,不況期の終えん間近しとみた同行は,九州北部の貨物の 集散地として,特に,米穀の積出港としての若松に,早々に.支店開設の必要を 感知したのであろう。
さて,借り主の身分職業別比率から,各店の貸付内容をみてみると,先ず,
福間店の場合ほ.,貸付金総額の過半を占めるだけに.,その貸付対象も広汎であ り,20年以降は,かなり各方面へ貸付けられていることが競えるが,その中 で,士族と官吏は,はぼ,30%前後を保っさ−いるのに対して,商業は,前半の 不況期にほかなり減少するが,全般的に,50%前後とみてよいであろう。これ
第13表
貸付金借り主身分職業別割合表(福岡店)※ 単位 %,括弧内は【コ数
会叫医師慄●票ぎ会社員
∴ ・− ・・
士 族
明治
15年・上 15年・下 16年・上 16年・下 17年・上 17年・下 18年・上 18年・下 19年㌧上 19年・下 20年・上 21年・上 21年・下 22年・上 22年・下 23年・⊥
28年・下 24年・上 24年・下
51.5(25)
39.0(130)
29.0(55)
19.4(63)
225(87)
36・1(127)
45こ6(109)
51・・3(155)
49・4(137)
4713(175)
56・8(213)
56‖0(217)
58.3(280)
弱」9(241)
47.1(208)
46・6(178)
42・3(170)
403(168)
421(175)
3,.0(12)
5い3(12)
7.2(22)
8…1(30)
7.9(41)
11・3(56)
13い1(68)
7・6(72)
8.3(56)
8.9(67)
7.1(63)
615(57)
48(64)
5.6(66)
6・3(76)
8.0(72)
8・6(64)
8..1(52)
5い0(48)
2.6(6)
19.0(32)
31‖0(31)
38.1(25)
32い9(30)
20、1(20)
15小0(22)
131−0(22)
14一.0(24)
9.7(18)
10.4(28)
123(47)
12,7(68)
10.2(46)
9り8(40)
7.9(38)
8.7(44)
9い2(29)
5・−7(27)
38.8(121)
25.0(215)
19・0(159)
20小0(133)
22.8(143)
195(160)
14.1(148)
17。6(187)
18..7(113)
22.9(198)
17.4(190)
17 9(268)
167(276)
19.4(279)
24.4(261)
31.0(295)
17ハ2(183)
21.1(160)
20.8(159)
ー. \−ノ ーー ∴
1 5 5
1い3(6)
12.2(6)
10・・5(7)
9.6(5)
10.6(7)
7小9(6)
6.6(12)
6.7(14)
5.7(10)
6小1(11)
6・3(7)
61(10)
6.7(8)
12。9(15)
一一︻
0.6(5)
0.4(4)
0‖7(7)
0..8(10)
0」・3(4)
0.7(6)
0。2(4) 0.2(3)
貞 ﹁1﹁﹂﹁
5..6(4)
9.6(9)
46(9)
r ♯※『第十七国立銀行宰事実際考課状』により作成。
512
第39巻 第5・6号第14表 貸付金侶り主身分職菜別割合表(大坂店)
※ 当室位 %,括弧内ほ口数
M− 3β 一一
1ミここここニ蔵東面 ー
会 祉 士 族
年次・半季 、、−、−、、
174(5)
28…1(4)
1.3(2)
0…7(1)
0.7(1)
1.0(1)
1.9(1)
46い9(30) 68.4(39)
90.4(33)
83.8(34)
95..7(28)
92…3(29)
89日0(22)
92け0(22)
89.0(15)
95…1(23)
94…4(27)
5.6(7) 3
.5(7) 8.3(8)
9り2(17)
3.6(15)
6.7(15)
9.1(14)
明治15年・上 15年・下 16年・上 16年・下 17年・⊥
17年・下 18年・上 18年・下 19年・上 19年・∵F 20年・⊥
21年・⊥
︶ ︶ \lノ \ノ 9 0 8 0
l し し0 0
8 1
1
4い9(
35‖0(40)】 65い0(43)
= 50い4(34)
68..0(30)
58小3(34)
58.8(35)
64け5(34)
617(30)
62・0(26)
412(35)
35..5(20) 38
・3(19)
38.0(17)
23年・_L 23年・下 24年・上 24年・下
※草 首節十七国立銀行咋事実際考課阻〜弓により作成。
ほ,先にもふれた通り,若松店に.比して大分,比率が低いが,その部分ほ,農 業・会社に向けられていると考えられる。しかし,農業への貸付は,不況期の
16年をピークとして,以後は漸減している。】・方,大坂店では,商業の割合 が,福岡店よりもかなり高く,前半ははとんど90%前後,後半においても,60
%前後である。ただ,注目されるのは,士族への貸付が,前半ほ極めて少ないに も抱らず,後半;急速に.ふえ,40%前後になることである。その理由を適確に 指摘することはむつかしいが,これは,考課状に・おける分類記載の方法とも関 連している。すなわち,一・般に職業による分類が行なわれている中に,士族の み,身分上の区別であるという矛眉である。これを厳密に考えれば,以前にも
明治期地方国立銀行の∵形態(1)
−− β9 −叫\二さt、 指摘したごとく,明治20年代ともなる
と,身分上.ほ士族であっても,その職 業上の類別では,商業に入るものがか なりあると考えられることである。特 に,地方と異って.,大坂の場合は,こ
ういう士族が多いと考えられる。r竜,
若松店の場合ほ,先に.もみた通り,商 其の比重が,大坂同様,極めて高く,
しかも,「・口当り金額の大きい事を看 過してほならない。これほ,貸付金の 抵当品目の内容から,もう岬度,考え
り主身分職濃 第15表 貸付金f 1
−こ臼
別割合表(若松店)
※単位%,括弧内は口数
、\、\畢別 年次.半壷\、、、、、、 腐
94.6(61)
士 族 明治21年・劃 5・4(4)
22
ハ 年・」二弓
‥
姐.2(8)
32・2(8)
5918(20)
67.8(24)
24年・下【皇
章】
※♯『第h「七国立銀行半季実際=考課状こ剋
により作成。
てみたい。
以上,首このべて釆た三倍の貸付内容を史首こ探る手段として,これら黛何金貸 出の際に担保としてとられた抵当品の内容と,そ・の割合を店別に示したのが,
雄16・17・18表である。
これをみ.ると,福岡店では,1乱立銀行の通例で,やはり信用貸がかなり多 い。特に,18年以降ほ5割を越えることがしばしばある。ついで,地所・建家 の不動産担保となっているが,この割合の変化ほ,丁度,信用貸の増減と逆比 例している。大坂店の場合は,福岡店とは逆に,信用貸は前半に多く,20年.以 降は急激に減少しており,代りに他店株券が6剖以上を占めてくる。三店を▲適
して諾えるこ.とは,公債証鳶:の割合がかなり低いことである。福岡店で10%内 外がみられるが,大坂店は,−・般にわずかであり,若松店に.至っては,はとん
ど焼きに等しい。九州の他の国立銀行−たとえば,長崎第十八国立銀行や沖縄
(22)
錐百一正十二周慮銀行嶋の場合とやや趣きを異にするようである。同じ福岡県内
¢1】前掲拙稿「明治前期湛.おける一一周立銀行の性格について」134京。重松鹿次郎や三谷 有信の場合を考えればよいであろう。
122上前掲拙稿「粛−けし国立銀行の旺史的一男察」87貢の別表⑧及び,「沖縄罪百五十二周 立銀行の史的研究」94・95貪の第13・14衷を参j軋
第39巻 第5・6号
514
ーJ()▼−−
卿6表
貸倒金抵当品及び割合(福岡店)\\\\
諸物産品F金銀地金
信用貸【地所建家 公揖証竃1他店株券
%諸.〇3.4.9..6.1 月︒誹 言.9 膏 J.7 膏.〇.9 8.5 8 5 q0 5 5 4 4 2 4 7 8 0 6 3 5 ∩1 8
4 2 1 2 2 2 3 5 5 5 4 3 ■4 3 A▲ ▲4 5 4 3明治15年・上 15年・下 16年・上
16年・下 17年・上 17年・下 18年
・上 18年・下 19年・上 19年・下 20年・上 21年・上 21年・下 22年・上
22年・下 23年・上
23年・下 24年・上 24年・下
18.2】 5.11 318
…:;il;二;
…用1…:…岳…‡…
※『第十七国立銀行半季実際考課状』に.より作成。
で,筑後地域紅位置する柳河第九十六国耳銀行の場合を参考に供すると下記の
(2き)
通りである。
柳河第九十六国立銀行(明治14年下半季)
貸付金残高 60,581円(口数・220口)
内,農 42.4% (100口)
商 88.5% (51ロ)
士族19.1% (69口)
抵当品割合
脚『福岡県筑後国柳河瀬高町第九十六国立銀行筋六回半事実顔考課状刀(甲木与一一部氏 所蔵)による。
明治期地方国立銀行の一・形態(1)
第17表 貸付金抵当品及び割合表(大坂店)
ー一々J・−
515
他店株券t感物産品l金銀地金 公債証書
信用貸】地所建家
半季\\ \\
%1.J ︿誹 ⊂ル A.6j 川.9.〇 1.4.〇膏 ワ⁚諸.4 誹L.9.1 川
5 1 9 8 0 6 3 3 1ん 2 只︶ 6 2 5 1 8 4 7 6 1 1 1 1 2 3 2′4 6 5 6 6 6 6 6 %.5j.3.2.3.2 J.3誹一一言.6﹂.3月.1.9.6 1 5 9 6 5 4 3 1 2 5 1 3
%悠∴膏 ﹁﹂ 見川 諸8 誹.6 0 川.7.63 鳥 誹 6 用⊥㍑ 1﹂ 弐
5 0 1 1 1 8 2 8 4 4 1 1 1 4 0 L〇 9 ︵H﹀ 1 2 3 4 4 4 5 5 4 5 5 7 2 2 2 2 1 2 2 3 %1…2
36.4 9.2 7.9 11.8
3い2
■0 4
¢巾5
12.5 0.3 0.4
上下⁚卜卜上下上下上下上上下上下=卜下上下
● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●
年年年年年年年年年年年年年年年年年年年 5 5 6 6 7 7 0q 8 9 9 0 1 1 2 2 へ∂ 3 4 A−1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 2 2 2 2 2 2 2 2 2 治
明 3 4 5 2 3 2 2 3 1 一諸一一一一泊.4 j.1 Jゥルj.4.5.1 0 0 0 0 0 0 0′ 0 0 1
3 1 1 1 1
4 4 4 4
1 1 1 1
『第一1】七国立銀行半事実際考課状』より作成。
罪18表 貸付金抵当品及び割合表(若松店)
信用貸 地所建家」公債証番 他店株券 諸物産品】金銀地金
%.2用 牒∵月牒 ∧誹 J q9
14 44 お 34 24 22 公22
0
2れ6
1.5
10い6 14り3
%J l.〇.7=〇.7 J j.5 5 6 9 5 0 3 9 只 8 4 5 5 6 6 A一 4
明治21年・上
21年・下 22年・上 22年・下 23年・上 23年・下 24年・上 24年・下
0..1
0.2 0..4
一一一一一
※ r■第〈トヒ国立銀行宰事実際考課状』より作成。
516
節39巻 第5・6葛
72.4% (138口)
20.7% (64L])
5.0% (6口)
0.5% (2仁り 0.5% (1ロ)
0..9% (9甘)
ーIJご −−一
地所並建物
公債証讃:
、Ⅰこ
雑穀
他店株券 無抵 当
この場合ほ,不動産担保の割合が極めて高く,公債証雷と.合わせて,実に,
93.1%を占めている。
次に.,若松店を見ると,物品抵当の割合が非常紅高いところに注目しなけれ はならない。すなわち,福岡・大坂両店が10〜20%程度であるのに比べて,若 松店では50〜60%台である。物品内容は明瞭ではないが,石炭・米穀・生白憾 が主でご三店を通じては,これ以外に,干魚・綿・石油・紙・吃物・砂糖・油 などが示されている。 こ.れは,長崎第十八国立銀行の場合の海産物,沖縄罪百
=/L十二周立銀行の罠ミ砂糖などと共に,地域性を示しているといえ.よう。又,若松 店では,信用貸がはとんどなく,物品抵当が多いという内容からみれば,長崎
節十八l国立.銀行の場合にかなり類似した性格をもっているということになる○
収後に.,当座貸越を簡攣にみておきたい・。第19表は,その店別推移である。
全般的に言って,当座貸越の頗は先にもふれたように,壬彗付金に比して小頗で あり,先の第12表とくらべ・でみると分−るように,貸付金の1剖程度である。た た,それが21年以降,約3剖程度にふえるのほ,大坂店の急増によるものであ
る。店別に見れば,福岡・若松両店と異って大坂店ほ,21年からの急増によ り,当座貸越の金額は,むしろ貸付金の額をうわまわっている。これは,恐ら く,先の第8表に見られるように,この年皮以降,利一」当座涙金における銀行
・会社の口数及び,金額の増大と深いつながりがあるといえ.る0この当座貸越に みる限りにおいては,大坂店は,他のこ店に比して,より近代的銀行としての
バ1)
性格を持とうとしていることを指摘できよう。
(2劇 島崎節十八国立銀行の場合は,貸付金碇比して当麗貸越が多い。これは,当座預金の
減け人が凡て商人であり,貿易甘共に資金が供給されたと考えられるところから,同行
明治期地方国立銀行の一形態(1)
第19表
当 座 貸 地 店 別 推 移−4β−
517
1\くこ「\ \モここ\
一−\−−し店 別
\、\、\\車頂
年次・年季\\\
三大 坂 店 福 岡 店
■∵∵ ̄丁∴二l
金 額・円 5,454 29,428
8,712 13,685 11,950 23,324 19,416 14,857
8,509
 ̄ ̄l
円一
明治12年・下 15年・上 15年・下 16年・_[
16年 下 17年・上 17年・下 18年・上 18年・下 19年・上 19年・下 20年・上 21年・上 21年・下 22年・上 22年・下 23年・上 23年・下 24年・上
24年・下3,240 3,240
8126180..8
11,203 19,048 29,987 35,109 66,005 73,519 89,505 44,269 65,089・
※※ 打第十七国立銀行半事実際考課状』により作成。
④ 荷為替手形
明治前期の国立銀行の営業種目において,荷為替の占める地位は決して高く はない。又,その内容も,現在の荷為替と異なり,かなり前期的なものであり,
商品を溶接銀行に寄託サーるという,問屋商人的前貸金融の方式に属するものに 過ぎないが,滴一弘流通に立脚しているということか ら,その地域における諸産 業との関連,つまりはその地方における商品流通構造を側面から把握し,この
流通構造の中において,叩万金敵機関の占める位置を知り,地方産英資本草の
は,貿易商人的性格をもった塑だといえるのであるが,第十七国立銀行の大坂店の場合 も,これに類似した状態を想放できよう。(長崎第一tイし国立銀行に.かんする拙稿を参照)
第39巻 第5・6号 518
−【・4ぜ u−
\ごさ、
結びつきを理解するのには,かなり役立つであろう。
次に掲げる第20・21・22・23・24・25の各表は,第十七国立銀行の荷為替取
(26)
組の状況を,本支店別,貸出・取立先別に表にまとめたものであり,取組先・
金額・附帯物品名を示して−いる。
収軸額(貸出・取立)総封の推移より見れば,三店中では,やはり福間店が 蚊も多いが,貸出・取立を別々に.検討すれば,福岡・若松両店においては,貸 出が,大坂店においては,取立が,それぞれ優位を占めていることほ,明白で ある。こ.れは,地方物産の生産地及び,積出港としての前二者と,地方からの 生産品の荷受地としての後者という,地域性から容易に理解されることであ
るが,地方特産物の動きを見ることができるのほ蚤空である♀
そこで,以上の表をもとにして,荷為替取組と商品の流通構造を図示したの が,第26表である。
これに.よると,地域的には福岡を中心とした九り≠一・円と,下関地区,大坂・
神戸・京都の関西地区から成立して\おり,閑凍地1茎は.ごくわずかである。
福岡店からは,大阪(大坂店),神戸(第三十八国立銀行神戸支店),下関(赤 間関節百十国立銀行)へ向けての送荷か特に顕著であり,受込についてほ,九 州−・円及び下関地区が占めているが,中でも長崎地区が多い。しかも長崎三友 銀行や佐賀三省銀行のような,地方の私立銀行が,むしろ密頓な関係を持って 尭ていることに,送金業務に届けるコルレス契約先と合わせて,興味深いこと である。貨物についても,福岡へ向けては,穀物類・砂糖・皮製品等が持ち込 まれ,福岡からは,生撼・晒・博多織・菜種・葛粉・干魚などの特産物が,関 西・関束へ移出されていることほ,容易に宵づけよう。
岩松店の場合は.,先述の通り,受込みほ偲とんどなく,専ら,送荷のみを取 扱っているようである。商品ほ,米・樟脳・生娘・池などが見えるが,特紅,
佗9 国立銀行時代の荷為替に・ついては,拙稿「第十八国立銀行の貿易商人的性格一荷為 替兼務を中心として−」(九州大学九州文化史研究所『創二法.三十五周年記念論文集』紀 要第八・九合併号所収)を参照。
跳汁 已 ̄第十七国立銀行半事実際考課状」により作成。
明治期地力国立戯行の】・形態(1) ーー・・J5 −−・
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