マ ン セ ル シ ス テム の 成立 とその 背景
緒 方 康 二
1. は じめに
日本の 工業 製 品の 規 格 を定め てい るJIS(Japanese lndustrial Standard)に は、色に関 する 規 格がい くつ か含 まれ てい る。例 えばJISZ8105で は 「色に関 する用 語」が規 格 化されて お り、
い わ ば 「色名のJIS」ともい うべ き規 格 内容である。
またJISZ8721は 「三 属 性に よ る色の 表示法 」で、 色 をその 心 理 的三 属 性 と し ての 色 相、 明 度、彩 度によっ て 表 示 するこ とになっ て い るが、こ の 3つ を 色 彩 分 類の尺 度として取 り入 れた
の が、ア メ リ カ 人マ ン セル (Albert Henry Munsell,1858−1918)の 考 案 し たマ ン セル 表色 系
(Munsell Color System 、以下マ ン セ ル シス テム と略称 する)で ある。こ の マ ン セル シス テ ム は 日本の 『JIS標 準 色 票 』1〕に導 入 さ れてお り、昭 和34 (1959) 年の初 版 出 版 以 来35年にわ
た っ て標 準 色 票の 地 位 を保ちつ づ けてい る。こ の た め、日本で 出版 さ れ てい る色 彩 関 係文献の 多 くにマ ン セル シス テム に関 する記 述が み られ る が、 『JIS標 準 色 票』にか か わる修正マ ン セ
ル システム (Munsell Renotation Color System)を含め、マ ンセ ル シ ステム成立の背 景や過 程の 詳 細に触れた例は少 ない。?)
本 稿にお い ては、ア メ リ カ光 学 協 会 (Optical Society of America)の 機 関 誌1. O. S.A .
(lournal of the OPtical Society ofAmen ’ca )に掲 載さ れ た論 文 を中心に、マ ン セル シス テム 成
立の背景とその過 程 をた ど る。
マ ン セ ル が彼の 色 彩 体 系 を 『カラi ・ノーテーシ
ョ ン』 (AColor Notation>として公 刊 し
た の は、1905年の こ と で あっ た。 その35年 後の1940年、ア メ リ カ光 学 協 会は 機 関誌1. O . S.A .
の 30号で、マ ン セル システムの 特集記事を 組 ん でい る。 編集は ジャ ッ ド(Deane Brewster Judd,
1900−1972)が 担 当 し、本 文はマ ン セル シス テム に関 する次の 5編の論 文 よ りなる。
「マ ン セ ル シス テム の歴 史 とその科 学 的 応 用 」“History of the Munsell Color System and
Its Scientific ApPlication” s}
「原マ ン セル シス テム の 分析 」“An Analysis of the Original Munsel1 Color System” ‘) 「1919年お よび1929年 制 定の 測 定 法に もとつ くマ ンセル シス テム の 分 析」“An Analysis of
一 1 一
the Munsell Color System Based on Measurements Made in 1919 and 1929” 5}
「三色刺激に もとつ くマ ン セル ・ブッ ク ・オブ ・カラーの分 析」“Trichromatic Analysis
of the Munsell Book of Color” 6}
「0.S. A .マ ン セル 色 空 間 小 委 員 会 予 備 報 告」“Preliminary Report of the O.SA . Subcom−
mittee on Spacing of the Munsell System ”7)
ジャ ッ ドは序 文に おい て、次の 2点 を 目的として上 記 5編の 論文 を特集し た と述べ て い る。
第1 は、マ ン セ ル シ ステム の発 展の経 過 をた ど るこ と であ り、第2は、心理学 的 表 色 系と精神 物理学的 表 色 系の関連 性 と差異 を明 ら かに することである。こ の 目的に沿っ て、第 1論 文で は
; ッ カーソ ン (Dorothy Nickerson,1900−1985)によ り、マ ン セ ル シ ス テム発 展の概 要が紹介 さ れてい る。第2論 文 以 下は、1931年にCIE (国 際照 明委 員 会 Commission Intemationale de l’Eclairageの 略称)によっ て定められ た 三刺 激 値X、 Y、 Zによっ て色 を記 述 す る方 式、い わ ゆ るCIEシス テム に もとつ い てマ ンセ ル シス テム を分 析 した内容 となっ て お り、特に最 後の0.
S.A.マ ン セ ル色 空 間 小 委 員 会 予 備 報 告は、の ち にZO ,S.A.の33号の 「0,S,A.マ ン セル色空 間小委員会最終報告」“Final Report of the O.S.A. Subcommittee on the Spacing of the Mun −
sell Colors”にっ なが る、修正マ ン セ ル シス テム (Munsell Renotation Color System)成立の 背 景 をな す重要 論 文であ る。
ま ず 第1論 文 を手がか り に、マ ン セ ル シス テム 誕生の 前 後につ い て み て みよう。
2 .マ ン セ ル シ ス テム の 誕生
(1)マ ン セ ル と色 彩 8〕
マ ン セル は1858年 1月6 日、マ サ チュ ーセ
ッ ツ州ボ ス トン に生 ま れた。美 術に早 くか ら 関 心
の 深か っ たマ ン セル は、高等学校を卒業後、マ サ チュ ーセ
ッ ツ美 術 師 範 学 校 (Massachusetts
Normal Art School、の ちにMassachusetts School of Art)に 入学する。 こ の マ サ チュ ーセ
ッ ツ 美術 師 範 学 校は、ア メ Ilカにおける美 術 系 師 範 学 校 と して は最 も早 く設 立 されて お り、1873 年11月の開 学である。師 範 学 校での マ ン セル の 成 績は卓 抜 したもの であっ た。こ の た め彼は 海
外留学の資格を得、パ リの ア カデ ミー ・ジュ リア ン (Acad6mie Julian>で学ぶ こ とに なっ た。
こ の ア カ デ ミー ・ジュ リ ア ン は、日本で も美術 評論家と し て著名な岩村透 (1870−1917)や画 家 安 井 曽太郎 (1888−1955)の 学ん だ画 塾として名 高い 。ア カデ ミー ・ジュ リアン でもマ ン セ
ル は優秀な成 績 を あ げ、留 学 1年 目に して ボーザール (L ’Ecole des Beaux Arts)の コ ンペ で
2等賞を獲 得 し、の ちに は カ トリーヌ ・メ ジチ奨学生の資格 も得て、ローマ でも絵画の研 鑽 を
つ ん でい る。帰 国 後は ボス トン のバ ッ クベ イにス タジ オ を構 え、主 として肖像 画家として活 動 を続け てい た。 ま た 没年の 1918年 まで、母 校の 美 術 師 範 学 校で、古 代 彫 刻 や 人 体 をモデル と し
た絵 画、色 彩 構 成 あるい は芸 用 解 剖 学 を教 えてい る。
緒 方 シ テ 成立 と そ 背景
マ ン セ ルが い つ 頃か ら色 彩に関心を抱 き は じ め た か は 明らかで ない 。た だマ ン セ ル には、彼
の 色彩研 究の記 録 ともい うべ き 「色 彩 日記」 (Color Diary)9)が残さ れてお り、 これによっ て
マ ン セル システム開 発と発 展の経 緯 を追 うことがで きる。
マ ン セ ル の 色 彩 日記は1879年に は じ ま る。第1ペ ージ は 失 わ れ てい る との こ とであるが、第
2ペ ージの 書き出しは、 「ル ー ドの 1近 代 色 彩 論』を読む。 … 三 角ピラ ミッ ド2 コ か ら成 る 回転モ デ ル を作る」10〕に は じま り、 ルー ドの 『近 代 色 彩 論 』 (Modem Chromatics, Lon− don,1879)発 刊 と同 時にこ れ を入手 し、色彩研究に 着手した と考 え ら れ よう。こ こ に登場す
る 「ルー ド」と は、アメ リ カの 物理学 者オグデン ・ル ー ド(Ogden Nicholas Rood ,183H902 )
の こ と で、1879年に刊 行さ れ た彼の 『近 代 色 彩 論 』は、19世 紀 中 葉 以 降の色 彩 科 学の 成 果 を網 羅 しつ つ 、科 学に縁 遠い 美術家や一般の 読者にも分か りやす く色 彩の科 学 を説き 明か した内容 となっ てい た。以 後のア メ リ カの 色 彩文献は、その殆ど がルー ドの名前を あげ る ほ ど有 名で あ り、ロ ン ドン で英 語 初 版が発 刊された翌 年に は ドイツ語 版、1881年に はフ ン ス語版、ま た1902
年にい た っ て も英語版が再 版さ れ るなど、広 く欧 米一
円に受 け 入 れ ら れた名 著であっ た。 印 象 派の画 家 達が19世 紀の色 彩 科 学の 成 果と 強いか か わ りを持っ てい たこと はよ く知 られて
い る。 特に、色の配 合 を科 学 的に組 織 するこ とから点 描の 技 法へ と移っ た新印象派の スーラー
(George Seurat,1859−1891>が愛 読 した の も、ルー ドの 『近 代 色 彩 論』であっ た。’1)この よう
にル ー ドの 著 書は、19世紀 後半の 色 彩科 学の成果 をふ ま えつ つ 、芸 術の領 域に も強い 示 唆 を与 えた名著であり、 近代絵画 史の流れを 転 換さ せ る役 割 を 担っ た とい っ ても 過 言では ない。
1892年の 日記は さ らに重 要である。こ の 年マ ンセル は デ ンマ ン ・ロス (Denman Waldo Ross,
1853−1935)と ともに ヴェ ニ ス に遊び、 2 人で ス ケ ッ チ を しなが ら、 「画家達の た め に、パ レ
ッ トに絵 具 をの せ る前に、ある結 果を 頭の 中で想像し得る ようなシ ス テマ ティッ クな 色 彩の 計 画 を考 え るこ と」12〕につ い て話 し合っ た と記されてい る。ここ に登場するロ ス もま た、 すでに 別稿で取り上 げた よ うに13)マ ンセ ル と同 じ時 期に独 自の カラーシス テム を発 表 して お り、ロ ス
の シス テム はマ ン セル と 並 ん で、
一時 期アメ 11カの 色 彩 教 育 を2分 して きた とい っ てよい 。ア メリ カの色 彩 教 育に重 大 な影 響 を 与 え 続 けた 2人 が、1892年 頃に新しい 色 彩の体系づ け につ い て話 し合っ てい るの は大変興 味 深い 。
マ ン セル は、適切 な色 彩教育は 子供の 頃に は じ め るべ きである とい う信 念 を持 っ てい た。 こ の た め か、 ロ ス との話し合い の場では 「画 家の た め」の新 しい カラーシス テム であ
っ た が、マ
ン セ ル の カラーシス テム は その 後、 「子供の た めの 色 彩教育」に力点 を置い て発 展 して い る。 マ ン セ ル の色 彩 研 究は、1905年、・『カ ラー ・ノーテーシ
ョン 』 (AColor Notation)として 発 刊さ れ た。その 第1章 「色名」“Color Names ”は、ス コ ッ トラン ドの小 説 家ス チーブ ン ソ
ン (Robert Louis Stevenson,1850−1894)の 手紙の 引用 に は じ ま る。
暑 くて とて も明 るい部 屋に似 合 う、安 くて きれい な 壁 紙 を 思い付い た ら、ど ん な柄でもい いか ら送っ て くだ さい。こ こ の天 候 が極 端に暗 くな る場 合 もあ るこ とを忘 れ ない で くだ さい。
一 3 一