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■
1ぎ會雑誌第三號臭
・O篇眞版
◎故小川勝陳君小照及手翰﹁
陶 ○原著及實験⁝⁝⁝⁝・⁝⁝⁝⁝・養o直達遺傳 . ヒ鱗鞍金子治郎
・O小兜心臓ノ比較的濁三界.一一就.タ︵附︑二三︑四表︶
特別會員岡本京太郎
△第五十一號所載﹃三三三論﹄正誤
○通 信⁝⁝⁝⁝⁝⁝・:⁝⁝⁝濡⁝・三三頁
○松原三三氏書信二三○干葉茂氏通信○松原三郎氏在米最後の頸信0加藤
寛.氏端信○一喝⁝武氏清息
○弘報⁝⁝⁝↑−・し⁝⁝⁝⁝・−⁝四四頁
O叙任及辞令其他○特別會員動静録○級友敷田君を吊す○恩師小川教授の
遠逝○阿部先生か迎ふO金原助教授な逡る○申島助教綬か迎ふ○弓術⁝部報
告㊧犬會記事爾弓術師範楠先生逝炉る○本校紐念式O第二回陸上運動曾○
第八回講話大會記事O藥學科學科目及程度改正O本校細則改正○入學式○
新入錐者氏名○新入學回雪な迎ふ○本年度十全會役員及級長︑幹生O難⁝誌
部編輯會記事 ︵︶金飼 出口⁝⁝:⁝⁝・・⁝三⁝⁝⁝⁝・・⁝⁝⁝⁝八二頁○寄贈及交換書目〇四十一年度十全會豫覚書○校外十全會費納付調書 O附 録Q憶小川勝陳先生○数 件
O廣告
Ψ一丁目
故小川恩師の言行逸事か蒐集記録して本誌に福げ
長く高風秘偲ぶ一端にもミ是な恩師の高弟中最も
長く先生に親策ぜられ且つ日夕親しく病褥に侍し
玉ひし八田智誰兄に諭りて氏の甘諾な受け回り爾
來兄ば繁務の間︑しかも病蝕の顧慮葎捨て㌧筆な耽
られ本號附録として載ぜれる長篇を識さろ此篇恩
師自記の回申口記あり系圖︑官歴を墾・げ性行祉記し
臨終の記︑葬儀︑三三の法會に及べり宴〜に是れ恩師な
敬慕し奉る好箇の記事にして目前先生の薫化な受
︑くろの懐ありA■鼓に趾妊扁のふりし由來な記℃て醤に八田兄に謝ずる所以ふり
編輯局 一 委 員
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號㌦一十五第割註曾杢十
一■国幽幽園口口隅購属国馴脚圏圃冒一口開脚印隅図輯ロロ国国一屠冒幽曽躰隅一ロ剛圏欄μ属隔昌馴■口躍層寵●四國齢鷹個ロ回ロ曙晒罰隅四局躰り
信
O松原三郎氏通信無浬徽㍊題宛︶
世は名利に奔り虞榮に狂ひ紛々擾々旧きば膓けられ正しきば退けらる
㌧大巧の問に立ちて先きに忽焉ミして適格問題な提唱し吾人詰問の慣
黛は一に北ハ人格の高きに在うか極力紹悪し來りし先輩松原氏ば更に實
・賜餐自罪な披握し万腔の聖血か濃いて吾人な提拗し吾人な慰籍し深刻ふる全情秘表して篤く訓論ぜらる㌧塵あり
顧ふに余の金澤病院葎去る去うが爲に去れうにあらす去らさるべから
さうに去れるもの恩師小川先生が並ハ問に鑑されたる苦衷と恩情とに一
死猶厭ふ庭にあらす加ふろに知友譜先輩が躯に喋る・全情ミ慰籍亡に感
謝措かさる庭而して今叉松原氏が自家衷心の赤誠秘吐露して数ふら沁
我か爲に解く多大の教訓な寄ぜらる其友設の厚く信念の深き感極りて
叉謂ふ遜か知ら逮るふり
げに松原氏や斯る三富的見地に立ちて世に庭し事に當らる氏が心事の
高潔⁝にして入格の崇き渠の一々者流が虚位か擁し虚威存振ふて得々六
うものに比しイ︑頗る卓越せうものあろを想望すべし
這般の自嚢腫かして資らしむうま六勘からさるべきか思ひ鼓に再ひ私
子転轍にして謹て諸君子が前に.呈す翼〜︑ぼ諸君子と共に道か修め徳栖
巷︻ふの一助ピぜば帝口に松鳳氏が幸のみに︐あらさろべし 八田生蝋誠
花も彌生の廿二日御出の御手紙を頂戴し一護再護術ほ 屡反覆せり聞く所は故郷の櫻険ける清息のそれならで君が多年職を務め學を研ける金澤病院を僻し恩師ε親友ざに別れて他に移られたる警報!嚢きにうれこなくほのめかされたる端書を拝讃せし愁まさかよもや等ビ思ひっ3ありしに愈雇御僻職せられセリご聞きては君の爲めのみならす病院の爲に竜惜しき限りにて満腔の熟血ご同情ごを捧げ申候戚窮まりて多言する能はす然れこも君記せよ人間萬事窺翁が馬こか云ふ諺ありて今日不幸ご思ふて居る事でも明日それが爲めに却て幸εなる事あり因果鷹報なご云ふ事に亘るざ君の縄張り内で小生等のロを利く限りに非ずであるが心だに眞の滋にかないなぱ赫らすごても憩は守らんで君の眞情ご赤心ビは識者の夙に認むる所なり天ご人ざ道ごは終に君を棄てざる可し只だ時期に甲乙早晩の差あるのみ君願くは安心する所あれo 種々不幸の事があれば其度毎に不快の念やら憤怒の意を生ずる事は人情の正さに然る可き所であつて小生は満腔の熟血を澱ぎて同情を表するものに御座候斯る時に於て自ら慰安せんこするは大に困難なる所なり然るに余は幸にして余の生涯中絶大の経駿を得だる實談あり笹の所謂見神なるもの正さに此類の事ならん依て下に暑記して君の御墾考に供せん収捨は君の灌にあり○ 小生は一体入に負け嫌ひの人間であつて小見時には近
︵通信︶二三
︵通 信︶二四
號一十五講掛繭會全十
.w魔m. L.vNrN..vvvvvvwvvwvwv聞かば一笑に附して顧みざる可し然れども君よ十四五歳 カ︑ムーの君及今の我は斯⁝る席次の如何を念頭に置く事を つたけれこも叉品行を改めて温順こなる事が出來なかつ んな事で小生は常に思ひし位置を固持する事が出來なか 十五点少なき爲め成蹟は遙に前者の下位にあるなり︑こ になるなう學科に於て百五十点の多きを得乍ら品行点二 科李均点十点多き事は學科が十五あれば百五十点多き事 一vvwVv−vvvwvvvwvvvvvwvvvvN.百六+五点こなりて十五点の差を見るに至る可し併し學 点九十五点ありこするも品行点七十点なる時は成蹟僅に 点とすれば合計百八十点ごなるなり然るに若し學科李均 るのであつた夫故例ぱ學科尋均点八十五点品行点九十五 に重きを置き學術李均点ε品行点ごを加へて席次を定め あつた檬に思つて居る彼の時の尋中の採点法は大に品行 る万で尋中に在めだる時でも品行点は常に七十点以下で 事を樂みごし少しでも氣に合はぬ事があればブンブン怒 學に入りても其性質が改まらす何でも激師の暴足を取る た小供であつて小學校に在つだ時にも温順でなかつた中 隣の若者ε喧嘩するのが余の常習で大に持て鈴されて居
時の小兇の膿は正さ嬉斯る可きものなりしなウ○
兎に角自分の持て居る性質では學綾て大に損であると.
云ふ事を知りて居だけれこも生來の牲質如何巴竜する事.
能はす其儘にして居πり︑其後小生が馨學綾に入る時に 一番樂しかりし事は馨學役には別に品行点ご云ふものがなく只だ學術的智識の如何によりて奮圖し競争するご云ふ事であった十七歳に垂んどする小生の膿中が當時如何に悦びたりしやは今も畳ねて居るo 或日の事小生は例によりて友人ご箏論し胸中大に不快噴怒の念に騙られながら蹄宅の途に就き花り時ぽ正に晩春にして今頃の事なウき憤の眼を柳て天室を一睨し陀り塞は一天晴れ渡りて一点の曇なし此の瞬間實に此の瞬間に於て余は所謂心氣一轄なるものを實験しだり見紳ご云ふて可なりや否やは余の關する所に非ず︑兎a角余は此時宇宙の大景に打たれ陀6此無限の大塞 時に雨あり雷あり風あれεも大塞は大室なり無限にして無窮なり余にして若し斯る大室の如き心を持たば人ご喧嘩する事も少73ひく叉喧嘩せられても斯程に自ら怒り自ら煩悶する事はなかる可し是れ余が心の狡量を示すに非ずして何︸ゲやご余が心にして此春の大室の如くならば多少の波瀾ありて誌常に晴朗和氣需々の氣を自ち樂む事を得んに我ながら誠に淺間敷き事なりけりε深く臓悔して頓に開悟した一り・此日より以後は如何なる事に逢ふも余は煩悶する事なく叉煩悶せんごする時は自巳の狭量を自ら叱責し余は斯る小人物には非るなりざ自ら戒め自ら慰むるを常ε致し其後は少なぐこも外見上丈けは温順になりたる積に御
・座候︑一・此實験によう所謂心機一愚なるもの二存在を自認
致し居候︒
此自2・り暗黒する事によりて大低の不快ざ儂怒ごは自ら
胸内より排斥致し居候︑訣れ香風自巳の胸中は常に春の如く和氣に充ちて居る積りに御座候︑路地に罵り途上時
+々支那人等ゼ見誤られ小見等より嘲弄せらる︑事あれど 竜別に何こも思ひ串さす候︒
配所の雇員中に君門の釜ハ師あ皇白及綴鏡釜ハを讐 然るに頃日小生に精や不快の事績出せり遜れは此研究塗
魏 朝から夕まで取り居候︑先頃迄居りたる爲眞師は誠に人
払 の宜しき者なりしも耳が大に遠いので解雇せり此度新來
第の爲眞師笑に生意氣で小生を馬鹿にし小生も自分の研 究材料を爲眞に取る事が少くこも一週間に二三回あるの灘騨磯無縫撚欲就汽麟繕腕
漏らん斯の如きものは・で何程云ふても駄軽風義力に訴
號…?c奥歯麗観難魁翻勤齢離
隅田川位の蝿なれこも大に深く大船の往來常に絶ゆる事
なし︑然るに一昨日大に霧ありて一大漁船が島の南方に
坐礁せり昨夕散歩して此坐礁の流船を見遠方には縫界︐甲
の大鐵橋を眺め乍ら何の氣もな一只だ鳴呼絶景だな一ご 思ひつ㌦あう.しに忽ちにして一点講は余の胸をつけり李凡なれこも一大激訓なりき此邊は一体に余程深き竜のこ常に瓢ひしに︵一等戦闘艦が河上まで優々上り申候︶漁船の坐礁せるを見て彼所は左下深からざる事を知れり余が只今の心慮此に類せしに非ずや余は上述の如く大室の陣睨によりて心専一讃し余が胸量は人並以上に遙に宏大なる事を自信せるに今昨今新得の爲恩師を腕力の下に歴伏せしめんとする程に憤りつ\あるは隠事が狭量を示すものなりご自ら自らを叱責し自ら嘗め此瞬間に於て余の胸内は一点の由なく只今春の青き草燃ゆる花の如く相成b︑アンナー爲塗師を念頭に置く可き程の小人物には非らすと忽ちにして条目來の不浦も溝失仕り候︑是は正さに昨夕即ち五魁二十六日午後六時五十分の瞬間に於ける余の心的機鱒に候︑胸中大に認み早世傍にありし花を二種手折りて研究室に蹄り水に生けて暫し眺めづ\此好激訓を得たる事を自ら戚謝仕申候︒紐育にて 三 郎
***
紐育の統計二三
︽細育に生業の大都會てあって市民の大多籔に終日商店叉は會枇に働き從
って一食にば飲食店に行くな常とずうこで或臼﹁ヘラ〃ド﹂新聞瓶の附近に
於仲りる﹁レストラント﹂曽で†一軒に鰍肌♂k取⁝調べカに.二時間門内に冒一蓄内一ご†五︸肩
愚計の御客がありれる由︒
︵通 信︶二五
︵通 信︶美 號一一・一一卜五第茜禽爽r脅會壷一ト
VV−L. V N U J vVvVVV A. vN v N一 v uVv vN:一一v v X−vvv vvVv−vLLNAN.v v V−v v LV.」JeV N.
ム紐育ば離沓の巷で途上員傷する者が一時間毎に八人叉災害によりて死す
ろ活惚†七時問舗.に一入の割合ふりと云ふ︒
ム紐肴市街掃除會勉に毎旧四萬園か消費しつ曳あり︒
△一木國でゆμ﹁ステッキ﹂秘携へる優一長らか人㎜闘がで里って︑・少なくして或口囲新聞祉
の印刷ん・見物ぜる者二頁十四人中にて﹁ステッキ﹂秘携へし漕僅かに二人に
して往昇華約三千入中毒に十一人ありれりと云ふ一寸物好きふ統計ふり︒
△細育の婦人ば申々贅澤好妻で申にに家庭の面倒な見ろのか嫌ひ只だ飲食
衣服遊興・?恣にぜんが爲泌に絡始﹁ホテル﹂に生活する者が一萬三千入計あ
り亡云ふQ
△組胃山巾内にて毎臼由嘗てろ合曰物で五十萬入た龍食ふに足ると云ふ︒
ム組育にに約一蔦入千四百人の敲行小篇あり︒
ム細蟹市に於ける画道列車が一時間毎に二萬八千人の族客な蓮ぴつ﹂あ
切︒A紐宥市に五厩よの成り其二寮内に五百八十七の會堂ありて毎曜只に舷
燈する鼠壁†一萬人計りにて男五萬八千人女十五萬二千人位の割合なり︒
ム日本帝國全体の歳出︵但シ戦時公債の利子な取除き︶は細育市の支出の三
分の二強ふ酵と云ふ︒
ム紐育の家屋ほ大抵玉階以上にして銀行會瀧等のある建物に二三十階以上
に及び電氣昇降器にて昇降寸そこで或歯髄に透六の昇降器ありて並行と急
行とあり︑一銀行員の話によれば彼が此昇降器にて上下すろ計りで一年に
百二+九哩彪放行ずる割合ふりと曇ふ︒
ム紐育な田入する汽舩の一等及二等船客が毎年二百九†五萬八千入計り︒
ム細胃へ來ろ移民の五分の一ば伊太利人︒
ム紐育碗民が昨年間犬の強めに濾搬出し所を圏萬四干圓︒
ム組育でに市街電車$荷事オ衝突して多少の韻害か招くもの毎B二94−ご計
り︒ム細鷲へ盛る水道の導水管ぱ六十哩の古方より敷設ゼられ毎日干二百五十 萬石︵孟億ギヤロソ︶の水を⁝供給しつ㌧ありOム来國に酒屋の多きに白歯くべき程に.して︑紐育の酒爆一で霜鼠ろのが一時 間毎に二+四石心斗赦︒A紐育の申央電話局にて呼出取次が一時聞 毎に五十八萬六干圓○ム組育の裁剣所一年の支出百六牢二萬圓︒▲必読市公園の面積は七言三百八十四工!カ︵一誠ーカば四段十八歩︶にして毎年の経費三百万園︒ム・紐育の劇瘍にば三千八百人の俳優あり︒ム組育市にに滴一歳以下の赤児十万五干入○△馬車の爲めに毒死する小児が組替で三日毎に一入︒ム紐育︵に毎肩三十一の新家族が到着ず︒ム組育目下の人口四百五十萬計にして過去四ケ年内に百萬人か磨加し﹁六りO・ム孟母に於げる富の不亭均ぼ非常ふもので毎年の収入の牛額に國民の+鷺の一の者の手に入墨約二十萬入が米國の富の孚分か占有し殆んど入百方の家族ば単均千圓以下の財産を有すろのみふりと云ふoA組育州︵入口七百三十万人︶には普通精脚病院十三︑犯罪精淋病院二︑精繭病理研究所︵小生の居る所︶一ありて患者二万八千二百人計な収容して毎年千ご百万圓計な支戯す二重に私立凶猛病院も澤山ありて︸算入計の患者か収容す夫故紐姦濫の精榊病院にば常に三万人の患者心墨療しつ﹂あり0ム組野市の教育費四千三百万圓余︒△紐育へ來ろ移民に女一人男二人四分の一︐の割合なり︒ム紐育にに市街電織高架電⁝鍼地下電鐵︸ありて共に十鐵共通ふり毎日の収入百八十二万二千圓計︒ム組育の南⁝端に大西洋なろ存以て市街ば常に北方へ援張されつ㌧ありて其
繁盛の申心に過去沼十年間に北方へ移りし事四聖に及べリ庇游 興の中心都
号廃炉_・十五壮言冠1寡亀會全→←
猷
にてぼ千二百尺問にご十箇の劇瘍あり︒
轟細畦塗が昨年私費ぜる氷ぼ三百八十四万五千噸︵十億四千六百万貫計︶な
り営地ぼ穏本蜜異り普瓶の家族にに悉く氷箱ふろものあ珍査物存跡藏
す︒ム細胃にば昨年経濟界め大破綻あり糞る爲め市民が金の使用を尋出せろ事
約萱億圓にして之姦類別すれば寳石瀕二千︐万圓︑輪書及美術品千六百万圓︑
和化S㎜万謝︑ 自一働岡長瀞日万一圓︑ ヤツト︵遊帆船︶一一首︻万圓﹇︑ 私宅建筑宗二千万圓︑
箇人的溝費金︵族行等︶雌蕊万図o
A紐育にてに花の爲に費す所毎年一子万圓に及ぶU本にてに病氣見舞等に
菓子等か贈る脅慣あれビも當鎚にては食晶瀟⁝か人に贈ると云ふ享なく大風
花な虚ろなり現画図現金圭算の洋風にに一寸似合はざる奥床しき習慣みり
皆温室に培養ずる秘以て冬と雄も種々の花あり叉高便にして一寸定し力花
でも二子以上た要す︒
ム細育にば大小の公園百・γ三あ情りて兼六園の如き小庭な以て唯一の公園亡
ずる金澤入の夢想する事能にざる所ふり大なるものば干七百宍†エーカ︵﹁
エ1カは四段十八歩︶に及び山あり川あり澗あψ瀧あ噂森あり垂体の慣格
二十四億万圓に當ろぐ﹂云ふ米魏最大の公園イェルロスト︐︐︑ソ︑パークに一
通り酬うに一グ月比要し温語に於け乃一ケ國よりも大ふり︒
あ細断にて酒な萱ろ冤許あろ家︵酒屋︑倶樂都噛宿屋﹂が九千三百二十八軒
ありて昨隼間に巨費ぜる所肇酒二百†二万翫千石︵三三牛プロセントば輸
入ゼられ象るもの︶焼酎類†置万六千石︵内十ニプロセソト輸入品︶葡萄酒
﹁溢万八千二胃石︵十八プロセソ下輸入品︶o△組育の晶群銀行に八千百二十年に預金転入 †六百三†四人﹁預金ご百二十
四一力圓・なりしに層昨年にbμ預全鼻者八百轟ハ万電千人Aホ預A立山ハ十・山ハ倍ゆ︸四輪余に及
べリと云ふ此他並口颯叙行に一濤溜多額の預金ある一に勿紘醐ふ日り︒
㌔㍉ぼ場舞一︽あ彦ミ翁奪毫電覧 ○松原三郎氏単信︵醗註郡紐霧︶わが畏敬する先輩松原三鄭氏ば今緬いよく艦朗の途に就樹れたり†.二日細演出獲北来南部諸州な巡遊し名騰な大西洋に止めて欧洲に渡り猫嗅佛英か歴訪して地中海印度洋か繧†二月滑一日帥戸着港の操定なり氏は來春より精融焼野教授として母校に教鞭栖断り多年落蓄ぜろ威を以て親しく育英に從ひ斯學の開強に警むべしと云ふ︑吾人は氏の如き篤學篤行の士.が深遠ふる理想と崇高ふる人絡か以て臼夜蕪陶の任に當り我が日本の麟界殊に我が北陽の精憩病學界に一新紀元毎劃ゼられん事か期待して欣喜措く腱か知らざるふり謹て族程の安全秘所叫晶志ふき温容に接ぜんことな望む. 八田生干
只今高安先生の二十年説賀號だる堰き十全會雑誌を落
手非常の戚興を以て通讃仕候祝賀會も中々盛大に行はれ
翻る檬子にて欣喜の至りに堪彪す候丁度子が親の壽を賀
するご詞一にて暴露之に遇ぐるもの孜かる可し芯存候今
後は成る潔く澤山の覗儀式が績々あらん事を漏り候是れ
吾稜の誇εする所にして叉學界の美ごする所ε存候︒
貴兄よりの三枚績の金澤景色糟端書なつかしく舞見仕り種々故郷の事共を想起せしめ候叉仰の如く來春早々よ
り御地の御掘介に︐なる事・に相成潮候是れ全く御地に於け
る諸先生及﹁先輩友人諸氏の御厚情芒御応力ごによりたる
ものにして威謝此上もなき事に御座候今迄諸兄等へ一向
何ざ竜此事に就きて申し上げざうしは別に事を秘密に附
︵通 信︶ご喝
︵颯 信︶幅下
号繭一一}幽五第寸志細断會=全戸
すると云ふ水墨き理由にては無之只だ全く決定せざる前に本入から騒ぎ立て\味噌を附ける等ざは余り体裁の宜
しからざる事に就.き實は沈黙して居ゲし次第に候問何卒
不悪言諒察下され度候︑今更囎し上ぐる程の事もなく現
時の小生は十年前御地に蟄居せし小生ご同一にして錦帯
の素養も淺く斯道の経験にも乏しく肚會の事情にも漏せざる一介の青書生にして未だ研究の方位を窮めす生活の
・軌道にも鯛れす自分乍ら呆れ返り居る次第に御座候此上は只だ諸先生先輩及友人諸氏の激示せらるヒ所に從ひ意
趣せらる\所を濯う其愛顧と補助ごによりて黒山に背く
事なき様に勉め陀きものに御座候間饒國後は奮に倍して一層の御忠告と御厚情ごを蒙り度候問此段幾重にも輩下
候︒ 小生の錨國歩程は大暑は別紙豫定表の如くに御座候へ
共地表なるものは小生が濁う地圖を相手こして一入極め
に極めπる愁のなれば畑地に臨み臨機毒魚的の所置を要
する事勿論の儀ご存候何舜時昌が接追して居るに付き欧
州にては勝景や辛皮的建築物︑寺院等を一切抜きにして
此度は只だ必要欠く可からざるもの例へば大學・精紳病激
室︑病理學激室︑心理學歌室︑法条重連室︑公私立精紳
病院︑精感喜コロニー○○δ巴Φ及家族的看護国塑子鳥Φβ鳳︑
冨σ⇔①.犯罪精紳病院︑蛸壷保養院︑愚痴院︑癩彌病院︑低 能見の補助學綾︑頃葭◎・馨げ乱Φ●酒精中毒保養院︑威化院︑監獄等を潟千里的に見物す定積に御座候︒ 小生の只今の所の豫定にては米薬事登前に南部米國に
行きて﹁バルチモァ︑1﹂じヴ野漆彫亀①.のqO廿器国○℃賦話大
曲學︑﹁ヒラデルヒヤ﹂市の娼①⇔降ω図︸<簿昌貯大學︑﹁ワシント
ン﹂府の自学等を初めこして圭要なる精紳病院を一見し
たる上︑九月.十二日赤星汽船墨筆影Φ朔望霞H冒①の国巳き群書に乗込みて紐育を出帆し九月二十一日頃﹁ぺ
剛ヂユーム﹂國の跨暮ぞ○唇市に着き此慮にて一通の荷物
を日本郵船會就支店叉は他の倉庫會就へ預け入れ極端の
身面こなb赤毛布一枚で隊洲を一巡する積に御座候其他蚕の標姦濫書籍等直書の税關にて箱を開あが拒
介にもあり且つ﹁パラフヰン﹂に包埋せるものは印度洋航海の節溶ける憂ひもあるに付き之等は六箇の大箱を作︸り之に入れて米露出登前に太李洋を経て紳芦の税源へ逞
りて留め蠕き小生の着盛時に税關の槍査を受ける事に可
致候Q 激洲見物の作戦計劃とも云ふ画きものは別表の如くに
して曾箸○巷にて荷物の始末を附けるや否や本瘍の濁逸 へ突貫する手順に御座候編出駿前漁船會胱にて族費を銀
行愚書こし四十圓乃至五十比比の小額の爲替を澤山作りて鰍洲到る腱の郡市の銀行で降参替へ乍ら使ふ積りに御
座候又大都會の大﹁ホテル﹂なれは現金柔替へなくごも此 小切符にて直接通用する由に御座候實に西洋の経濟法は
甘く行き居り候︑目窪の銀行や郵船會枇にて慈欧洲の圭
要都市の銀行と悪地をつけて族客に便利を與ふる事緊要なりご潮候︒
+ 濁逸突入の塀駈は先づ︐國童言の下流に出で図臼謬ご申
全 す所に行き曲舞には大具なきも影写校ありて近頃犯罪精 紳病を研究しつ︑ある若手の跨ω鼻鋒獣霧自σqご云ふ入あ
り先つ此腱を皮切りこして船にて斑富一⇔川を上り切○目會
講の御古を拝見しずヅサご船に逆もこうして﹁ラ瑠ン﹂川 大患︵九月二十四日頃︶に行きて堵①馨喜色及団○①塞$層氏贈
第.を上う絹や有名なる函亀①§・σ・︵九月二+五六目︶に行
五 き紳経細胞病理學の最大大家室︑・︒一や踏︒暁穿ρ回︑ご・瑚陣ド
葦目叩.等を見上け変れから︒Ω訂勲ω・・平倉σ︒︵のQ喜・︸謡勲氏︶・
十
浮Φ嵜霞σq︵国○︒げΦY臼9ぽσQ窪︵Ω㌶篭︵此人は米國にて一一度逢ひ申告︶穿け督忠言び君国・藷Φ三・・馨↑︶等
謙 して行くべき特別の戚興も小生には無之候故此等は御免 へも行くや否やは未確定なれども多分時間が許さす事大
蒙る事逸して先づ名薄弱葭σq︵翌ΦσQΦ謂名①謎塑⇒群烏九日
二十七日︶ぺ行き次で津磐ぽ皆唇︵九月二十入日︶にて有
名なる面繋⇔σQ霞︵声繕解剖業者︶の研究所を拝見し璽潤
はづ︑睡霧び鶏自へ落ち行きて一.寸生命の洗濯をやり之より Q諒・・自︵九月三十臼︶にて門経病等の診断術法を深く研究せるω○営諺㊤馬韓室の器⁝機を一見し教で匡葭ぴ謹σq
夢巴︶には括孤内の如き有名なる大家あれこも小生の精 (組コΦ畠及劇Φぼぽσq︶及Oぴま首σ◎窪︵O影壁g国ゴ司野賛舞・︒・Φbl
紳病學にはあまり大し泥事なきに付き同Φ塁︵拾月一日︶
へ高飛して 国屋壽冨σQ曾浅︵此人も二回計り米國へ金儲
に來られだう︶の敏再議を一寸素見してピ⑩6臥σq︵十月
二品二日︶に行き有名なる騨経解剖學者麗8冨夢団Φ臨丁寧験直冑の鼻租≦ぎ鼻等の一喝を戴き次の日は臣㌍
。・㊨燗型 と云ぷ精神病院を一見する積に御座候之は濁
乙にても比較的新らしくして規模も具なる由に候へ共米
國の紐育州立に於けるが如き大規模の精霊病院は一寸猫
乙にもなき事ご信じ居候次で国羅①︵十月五日頃︶に行く
εも左程の大家は無之候︑之より愈々蓋世の檜木舞峯伯
林に墾上して十月六日より十四日頃迄で溝在し此麗にて
精神病の鱒Φ︸乙P神経病の○薯①夢魚β国巳窪ぴ亀Gq園ΦHF
︸誉︸會法馨のGQ訂霧︒・巨き炉病理の9夢等諸大家雲の如く
柳櫻をこき混ぜて都冷春の錦なる所に帆偬ざして彼庭此
露へ煮麺し叉伯林附近にはU些伽○拝切まF動転魯筐等の
精瀞病院︑臼痴院︑監獄等を孕げ古本屋なごへ逃足を向
け器機等をも整へ先つ伯林にて當代馨學の精ε華に接し面の皮を一層厚くし認れからが田含見物ピ云ふ方に御座
︵通 信︶
晃
︵涌 晒し麟お
_鍛一+礁.誕澱曾発十け開申候○ 十四日頃迄滞在仕る可く候叉附近の狂院へも見物に講掛 ○び霞︒・睦①ぽ①ざ国霧号三巴伽等の面々あり十月十九日より二 廻るに足も願文可融候此庭には名謎圏β厚①鼻六盗認︒い して伯林に次げる大壷なれば悪かろう筈もなく御蔭で騙 ざ云ふ尊墨を奉って居るご云ふ様子に御座候次は維納に る故人は之を冤別して国越前国oF函・︒・旨的8犀㎞国自①苧罰︒げ 激室の外に婦人科及び皮膚尿器病學敷室に適蕾爵が居 手あり此大意には国・κε云ふ入が澤山あって精紳病學 団長σq︵十月十七十八日︶に行き此所には国司ご云ふ若 なりと云ふ︑之より塊國K足を入れ山碕先生の居られた 精悪病にて一寸名ある入にして目ぎ岸も新築せるもの きて今は其高弟切○替︒臨詩目が陣を溝へつ\あり︑酒精 ︸鋒に向ふ刷く候︑此等には精憩病の大家≦①旨ざ富逝 こも小生の専門には特別の興昧なきにより南方の切お甲 ら北方には国邑弱○蓉OoFQお勢ジ︑巴P図ぴbお︒・び亀σq等あれ 十月十五日頃に伯林を歯して南方へ向ふべく候伯林よ 候︒
嘗て再び濁乙に蹄り河内︑田上両氏の居らる︑高富鼠窪
に滲る可く候此所は當瞬精紳病學界の最高府にして有名
・なる孟春魯Φ巨氏を始め.こして術ほヒ磐Φ冨①ポΦ笹島霞 ゆ等あり此精神病學岩室は近來建築せるものにして世界最 上との評劉物に御座候故此慮は三日間計り︵十月廿五六︑七日︶止りて精急病學の進歩に接し之より瑞西國に入りてN旨旨︵十月廿八日︶に行きて神経病理にて有名な属自跳○そや近頃の槻念聯合試験め黒黒濡髪⇔σq等の激室を一見して當時下李先生の居らる玉団①毎︵十月廿九目三十日︶に着く響く候此腱にはの隠鴇等の諸氏あれごも小生には興味薄き所に候故直ちに鞭を上げて巴里の花の最中へ飽け込み十一月一日より五日頃迄で止りて有名なるO①﹄Φ罵ごρ匡題δ︵失語症の大家︶ヒd筈凶墓ぼ︵足現象にて御承知の入︶<9ω貯等の病院を見る可く候此中の皆々Φ9霞病院は精神病治療上に一大革命を起し陀る有名なる竜のにして此院の馨士麗器︸が一千七百九十二年始めて精紳病患者より手械の鑓鎖等を除去し普通の病入らしく人這的に治療せん事を企てたる所に御座候之迄は何所の國にても精神病は神罰だこか狐が亡いだざか云ふて治療よりも罰する方に重きを置き大に狂者を恐れセるドものに候ひしも此大様繭前々者蟹臣一の大仁恵慈ご大英 ご臨ごによらて今日の精紳病者治療の端緒を開きし所なれば余等後輩者は随喜の涙を流して拝見せざる可からざる病院に御痙候︒ 之にて歓洲大陸の見物を終り漁車にて含同牙9らに走り此庭にて轟きに耀し置き黙る荷物を取纒めて日本郵船
號一十9五第講難會杢十
v V vwwVJwuv vVvL L V LAA.vewvwwvvN. v−v−v v v L−LNN V LNWA
會就の讃岐丸に乗るか或は此船が倫動に四五日しか碇泊
せざるに付き先き廻りして倫動に行ぎ一週間計り滞在しで買物等をなし十一月十四日讃岐丸にて倫動を出帆し途
中蜀O唇︒Ω巴負︵十一月管ロムハ日︶の二ΦN︵廿七日︶OOざ諺ぴ○︵十
二月十日︶cQぽσq避・お︵十八日︶団諺σQぎ冨αq︵二十六日︶を
経て本年十二月三十一日玉戸着の豫定に御座候︒ 神戸にて先きに税關留置ざして写り届けし荷物等の槍
査を濟まし次第直に金澤に向ふ次第に御座候或は船が一
二日後れて着くかも知れす叉は一日位早く着かんこも限
らす未確定なれこも兎に角一月三臼頃には貴兄各位へも
拝顔して久し振うで新年を迎べるビ云ふ手順に御座候間
此からの御手紙は下直の所へ下され度黒滝紐育の研究所
なりεも宜敷候い︑共急がざる御手紙なれば倫動大使舘宛
にて御亙り下され度農業候︑マ雌器の出螢後あれは融・自費
富喜鎚28爵Φ甲山碧窪ΦOQ・Gα・ωき爵納こして適宜の港へ
宛御差出し下され度候︒
此頃は︑むQ導葭貯下道にて麟戯する方々もある様なれこ
も初旋の小生には舶で諸國を見た方が一層議了ある事ご
存じ候以前は大に呑氣なりしに愈々館國する事となるご
一日も早耳細り度さ心地せられ申候︒ 日本では外國に行く︑と云ふ事が大攣の様に候へこも當
地では各人の家元が外國にして例へば小生の研究所にて は所長が瑞西入助手が歎入居るが﹈人は﹁スコットランド﹂より來り小生の外に今一入の島本入あ参て顯微鏡等の圖を書きつ︑あり小使一入は愛蘭土より來り事務員三入申一人は前庭にて生れ瓦葺馬素師は﹁デンマルク﹂より坐り﹁ミクロトーム﹂切りの男は伊太利ε猫乙の合の子にして研究室の標本登霞の雇女四人中一人は濁乙一入は露國生れご云ふ次第に御座候病院の方は倫ほ多数の人故更に複雑し患者四千六百人置善言歎以上は外層生れの噛のにして翼の米國入は誠に少数に御座候爵故診察に通辮を要し甚だ掘介なるものに御座候世界各國︼ごして來らざるはなぐ目下日本入患者男三人女一入︑日本人ご西洋人の合の子の女一人︵支那にて生れπり︶朝鮮入一人︑支那人は澤山あり.患者中最も多きは猫至重︑露國入︑愛蘭土入︑伊太利等にして量地に重て最も下等親せらる︑ものは支那入︑黒焼︑猫乙人︑伊太利人︑り露量八の下等者に御座候日本にては英語より白濁乙語が高術に聞ゆれども當地にては大禁物にして濁営営で話するものあれば下等の猫馬入ご剣思せらる\を常こし新聞のポンチ絶にて敏育なきものを描出するには常に英語に行掛の冠詞をつけだり叉は英語に濁露語の前置詞を附けて談話せしむるを常例こす︒ 嘗地では漱洲等の外國へ行くにも振行免朕を要せず誠
︵通 信︶ヨー
︵通 信︶三二
號一十五第譲鼎會企十
に自由なるものに候︑いつ参やも申上候通り置ハの自由を
實験せんごせば米価に來るの外無之歓洲にては租や窮屈
なる達子に候︑男子肚志を抱きて自由の土を踏み自由の
塞を仰ぎ自由の氣を呼吸し自由に奮闘蕩裡に馳驕し自由
の競孚路頭に突撃して其手腕を試む亦た男子の快事に非ずや精を愉して載は団刀折る\こも何の恨をか遺る斎き近頃β本も黙々世界的に相倉皇得意中富當地人に比較す
べくも非らす米國にも多少の日本人あれども物の数に非らす彼等のなす所多くは一時的にして小規模に止う到底
白人ご競孚の域に達せす候購翻鯵嚇轟鐘㊧広島㊥鱒轟轟
⑬繍鱒馨轡轡鯵翻繭翻博戦轡翻麟㊧翻鰹土合盤欝二品轟轟
⑰麟麹豊年鵬銀魚塵馨麟働働麟轡磐轡醗鶴瀬㊥工臨轟轟
㊥㊧㊥轡麟愚鯵⑳畳職⑱翻魑寡慾︷⑭⑳轡翻翻鵬幽施恵㊥
㊧③︑桑港附近に日本人排斥蓮動の起りたるは日本入の
勢力の進歩して白人が恐怖心を起したる端緒にして日本
の勢力の薮展上大に祀す可き事ご存候︑未だ贈品東岸に日本人排斥のなきを祝する者多きも余は之を嘆せんこす
何だなれば紐育附近には日本人甚だ少数にして到底白人
の敵に非らず則ち日本入は未だ白人の眼中になきなわ鶴
本人若し但書育附近にも前立して競箏瘍裡に自人ぜ敵す
るを得る糧度に進まば其排斥運動の來る事期して待つ毒し是れ悲しむ暴き事に非ずして大に疵す可き薮展に非す や︒ 日本の新聞紙悉一筆を揃㌍て桑港市民の人種的偏見を攻撃す亦た何ラ夫れ︑短見甚だしき人既に先天的に人種を異にす筍竜人にして威情ご云ふ心理作用を有する以上は焉土人種釣偏見なくして止裟んや若し無識的偏見を云々せば日本人は當地入よりも鑑に深く人種的偏見を抱一芝云ふを揮らす今若し多数の支那人及朝鮮人の勢働者が日本へ入り込みて鐵滋工事︑七山事業等を握掌せば果して如何?証本入は入種的偏見を放棄して彼等を歎迎するや否や誰れか此問題に否ご答ふるを躊議する者やある全人種にして術且つ然り況んや異入種に於てをや期の如き入幽幽偏見は常軌にして毫も不思議こする所に歯す余は此人種的偏見に潔き日本画が幽幽存在す可き桑港の人種的偏見を攻撃するを見て驚愕の措く所を知らす一時の政策こして表面上に人種的偏見を攻撃するは不可なからん然れざも多数の日本人は淫情より本縫になりて攻撃しつ義ある者の如し短見も亦泥甚だしε謂ふ蝕し︑一時移民を禁止して排斥熟の冷却するを待つを最上策こするもの比寿皆な磨り斯の如きは所謂遼河の起するを待つよりも久一︶かる可し︑何ざh曲れば忙種的⁝偏見は正心田に且つ・永久に存在す可きものにして薫育附近の如G衝突なきは術ほ日
本人が全く無勢力にして未だ金面の石塁携裡に少しも影
暑魔一一晋幽五膳蓋志楽誰雨樋→繭
mav.一一h.wwV−tvww−Vww s.VvN.NNNNNWて得らざる豪し戦事のなき庭焉ぞ経論あらんや二上の季 ざす適う漏壷なると甚だしき斯くして永久の李和は映し 彼等の眼界を逃れ彼等の膝下に屈して而して衝突を逃ん は之を悦べるもの︑如し弁量的短見も亦甚しご云ふ蓋し 箏なくして何ラ衝突排斥の漁るべき而して多数の日本人 \ある間は白人との競争蕩裡以外に逡巡するなり既に競 らに店頭に提灯を下げ扇子を鑛げ絹布を飾り茶を並べつ 草屋こなう以て初めて自人ε競箏するの快を得るなり徒 費し硝子類を販費し衣類を販費し或は靴屋こなり或は煙 ︑品のみを販論せざる可からぎるか言入と同等に鐵類を販. の起る事もなし余は常に警めり何故に日本の商工は日本 く其商業匿域を異にし從って海事の起る事もなく叉排斥 一日本の商品を風雨し其蔑轟轟に狭く白人晶晶家ごは全 し然るに當時薫育にある日本の轟轟の商人なる竜のは悉 轟轟をなすに至らば必ずや彼等の排斥を轟くるに至る楽 るも日本の商業家が紐育に來りて臼人ご競了する程度の 響ご勢力ξなき事を証するなり︑若し勢働者に非すごす
和を得るには戦璽の巷に彼等を屈伏し競孚蕩裡に凱歌を
あげて日本人は彼等の誤認しつ\あるが如き劣等の人種にあらざる事を實力ご威力ごを以て示し彼等をして衷心
より日本人を尊敬せしむるに脅すんば日本人排斥の聲は永久に沈達せざる話し而して此日本人の實力を螢題せん ごするには多数の勢働者及實力ある競争的奮悪者をドシノ\渡饗して競箏毒言に勝利を蒸するにあり︑磯鯵趣轡磯鶴騨麟磯噛騨醗懸懲鶴意趣麟車戸魎鶴鯵翻醗露愚醗盤㊥油壷自認纏纏⑳纏鞭轡鍵四目働㊧㊥醗盤愚翻鵬轡轡鱒轡愚弄白丁鍮愚騰余の見る所を以てすれば︑富者の態々米國に來り以て財を散ず國家の不纒添髪に過ぐる.ものなし︑而して彼等は絡に欝血所甚だ砂なし官吏の視察亦た評する所少なく漸や二三ケ月米國に止り少しく⁝英語を畳ゆるに至りて忽ち親察地を出歯す︑其効果知る可きのみ要するに米差は大富豪が或は大望困者の写るべき所にして大富豪者は直ちに大事業を富む可く大貧困者は競璽瘍裡に奮窮して勝利を期す話し煮転渡米する者の如き僅かの小金を抱みて米國を見物.し或は學蔑に入學す何の得る所かあらん再記す■米國は奮陶者の行く可き所にして金を使ひに語る可き國に非ず世人多くは米國を誤解し米國に.行きさいすれば遊び乍ら金が取れるかの如︽思ふて來る者多し米國にて薔路上に金あるに雰ち壷日本に干て勢働するより勢約三倍の勢働をして五六倍の賃銭を得るにあり日本や職測の如きのろき勢働は米國に見出す事能はざる塾し○ 帯く直隠にては万事勢働ざ奮⁝闘ごを基礎こして遊情を
許さす収得する所望多し從って敏育なき者人格の低き者
︵涌信︶三三
︵蓬 信︶
孝鹿一十ヨ宝第言出蛮飽「餌備中
s.N ww−N.一s.pL vN vrh..vNr,.一,.evv k一 VN N y−vsn−n.ww−hnv..vvv一.x.NNvvv
は危険なる黄金万能圭義に惑溺し金是生命の晒想に隔り
人格の随落し趣味の墜落し易き亦解するに苦しからす故
に数多の日本學生は横濱阜頭を去らんざするや遽遠の前
途を夢み高術の理想を抱きて渡米するも來りて勢働に時
を経るや徒らに黄金のカに迷ひて勢働の目的を忘れ全く
塵落して終生の勢働者に鴎る者甚だ多し亦慨嘆の至りに
非すや余は特に云はん圏す渡米者に必要なる竜のは族金
拡あらず英語に非す學識にあらず全く堅固なる意思ご清
朗なる人格ごにあう人往々にして渡米費用ご生活費との
多きを卿ちて躊躇す此等は鰍洲漫遊者に必要なる條件なれこも米國に於ける要件に非らす︑雰斯種の人々は渡米
せざるを可ごす何こなれば成効の望甚だ少なければな
も︑今や將さに四年孚を経て第二の故郷だるの戚ある紐
育を去らんとするに臨み一言以て友入に訴へんざす然れこも人各々思ふ所を異にすれば之を以て万人の戚慨こな
す能はす︑只だ余が自ら経駿せる所自ら理想ざする所自
ら信頼する所を蓮て足下に呈せんこするのみ拾捨の纏は
只だ足下にありて亦陀余の關する駈に非ず︑鳴呼風薫々
ざして易水寒く男子一度去て亦肺らす底の意氣を御互に抱きカきものに御座候o 紐育 三 郎 小生は何時も氣の向いた時に一氣珂成に書きなぐり再
び護み直す事なく自分で噛後から何を書い泥か蝿を?て居 三騰
ない位のものに付き充分郷鋼譲下され度候o
**
紐育の統計
ム外國より渡来して紐育港で上陸葎拒麺ぜられろ者の多鍛ば勿論三等舩客
ふれど起上等叉は中等客でも上陸か拒絶せらる㌧港が五百人中に一入あろ
山︒ム絹育に於ける財産な各市民に挙等分配する時に︑一入前三千〇四闘位の
ものふりぐ﹂云ふo
ム今年は来國が大不景氣で各愈批で勢働者な解雇ゼろ爲め勢働者に一時臨
洲に蹄省するもの多く一日に宍千入︵船八艘︶もありと云ふ從つて來来汽船
にて渡來すろ鵬刀働者も載少し︑以前ほ毎騒干至百人乃至干八百入ふ雛しも
當時ば三百入乃至麗百入ふりと云ふ兎に角緑育へに歓洲通の汽舶が毎講数
艘拙入し各船に籔百人の鍔働者か持ち來tつ㌧ある・ふり○
ム紅冑地代の高きに當然にして一哩四方が亭均四億四十六万蚤㌣圓計りな
りと云ふ︒
△紐育よ巧幽帆すろ舶で荷物か逡り出す醸が一蒔間毎に千三百霊十噸︒
ム組育の圃書舘にて東洋部には一万七百冊の書ありと云ふ︒︑
ム紅育の人口増加に毎月一万一千人計︒
A紅育にば澤山の公園あり其申の申央公園に見積代四億百万圓ふリミ云
ふ︒ム纐育よ頃・襲荷する商品の債格は毎塑二千四百二万圓ふり︒ ハム細育の毎日の死亡籔亭均二百二十灘人︑樹塵三百孟十人︒
A組育市の教育費資櫓額に一入に十圓八十鏡︒
△紐育市で慈善會合が費す所毎a二万二干八百圓︒
△紐育市にてに小學校の爲めに學校か開いて居ろ間に毎臼二十四万二千圓
・號一→論空理翻志楽笛曾 発〜恵、、〜、
vh.. vS sJ 一〇vN 一一nv
計な費しつ㌧あり︒
▲細育の人口に一撮方哩再に十方二千入百入みり然れども露申ぼ諸近地よ
り勢働叉ば會融へ涌って回るものある故商業の取引時間内には入口が此二
倍位ありと云ふ︒
ム細育で拘引ぜらろ﹂もの男五人に女一人の割合︒
ム世界申の電話ぼ老百四十万位魑にして其中来國にあろもの六十八牛%︵五
百六万九干計︶か占め欧洲大陸には二百万位ふりε云ふ︒
︽細思には浩防夫︵上級官吏本機關士な取除き︾巨魚九百九†六人ありて之
な四等に分ち一級俸が一年に二干八百圓︵千八百九十四入︶︑二級捧二千四
百圓︵二百九十四人︶︑三級俸ご千態︵三百†三人︶︑四級俸千六百圓︵四百九
十五人︶︑ぶ切︒
ム細育市の衛生官吏が試験して食料に三吟當とふし波却する食料晶が毎月
百三十四万ポンドε云ふ︒
△組育の石炭消費.韻一年に二千八十万噸計︒
︽細下市に⁝供給する牛乳ば八万六干ケ所の牛乳搾取所より繋り遽き雑四百
哩の蓮方よ吐來る亡曇ふ︒
ム加重の三等以下の長屋にて五オ以下の小児の死亡数毎月約二千人︒
ム米國豪体にて販費する出來合の洋服の男物の三分の︸︑女服の三分の二
は紐育市にて製りれるものふり︒
△組育市に昨年の感傷増加十二万五千入︒
ム縄育に拭市民二百七十五人に蜀して一入の小學校教師あり︒
ム細旧畜∵よ洞ワ登迭ず−ろ粧旧物博μ多く英m幽へ・同ふ・ものにドして昨年来國よ荊ワ幣大川國へ
の輸出額は十二億七千六百万圓︒
△細育で殺人犯が生年二百圏十例計ふれども瀧會組織の複羅ふろ爲め犯罪
入か捕縛する事難く犯人不明のものが千九百年以來三百例もありと云ふ其
他詳均四妙なろ方法に㌦よりて㎝毅入〜︾祉會や整冒察へ知ハれすしで︑終る・もの毎年少く
ぐ﹂る十五例位はあろ可しと満ふ當地では能く殺議して屍か大暖燈に入れて 焼く事ありさすれば嗅氣もなく骨も騰こらざる註し︒
A青房の中等以上の族舘の雲斎に一日最下等四等より四十圓位のものあ
解り︒ム来國人が昨年の夏に眩洲族行の爲あに費ゼし所出三億圓計ふらんと蝕
ふ︒ム愛鳥では昨年夏の來遊者約百八十万入にして十月に最も多く既來遊者の
費ぜし所約四億圓ふりと云ふ︒
ム小生の経験にてば紐育程新聞費子の多昏ぼなし近難技育の警察ば十オ以
下の男山及十六オ以下の男見にして新聞学子ピみらんとする者に教育課よ
纏特別の免許た得ざる可からす生血†豚以後及び朝六時以前に批等の小児
の勢働な禁止し漉等の小見悉く胸に免許濟の記章を懸ける享とふり六り︒
*****
一寸貴下の御専門に關して
+五年問に三+入葎出産し憤る一央婦が紀育頃日の新闘にあψれろ故︑一
寸報知申上候夫にΦ簿︒齢与?﹂云ひ露國生にして今年四十歳妻ば三十二歳
ふり十五ケ年間に三十入を産み笠ハ申十四入生存すと云ふ豊ハ畠産時空左の如
し驚く固き黒髪に候にすや︒
一八九二年四月甑旧
一八九三年三月二十二日
一八九四年
一八九若年
一八九六年
一八九七年
一八九入年
一入九九年
一九〇〇尊 結婚ぜり双 産
一 入
t一・一 F双双双三双
入産塵言入産
︵蓮 信︶三五
︵通 信︶三六
號一十五田畑楽侮曹杢十
tVV一.一.vs 〃 tWL紳MへA〃一一nv
一九〇一年
一九〇二年
一九〇三年
一九〇四年
一九〇五年
一九〇六年
一九〇七年
一九〇八年六月十口﹃
* **
*
四双三一一一双一 八歳入人入人産量
細育に於ける諸建築の宏大高肚ふる事は世界に其比なく一寸其圭みるも
の存暴ぐれば
建築物の名
国Q臨地蟄げ一①・σ
寓Φ呼︒娼︒㍑蜜戸
ωぽσQ興
日一昌H・①硯●
男勲U犀昂Oづ・・ 階数
ζ葛
bチ
磨①
劇同
ゆG◎
.﹄っ㊤ 高サ
側⇒W津Φぴ
⑪鐙。う
禽O
こo
bチp。
此最高建物六十二階⁝拭一三の五分一三にして三十三の二心昇降機あ用ゐ
勿論急行︑並行等種々ある諭し建築費二千万圓ふ叫と云ふ︒ 此度紐育の富豪︐剛ぼ︼甘娼なろ入が精瀞男湯研究の爲めに二百万圓近くの
金蝿匂○プ島国○娼乱声︒・大賢へ寄附しれり夫故全大丸でに急劇にて最も完全
みる麟凱b貯な新築し叉米幽︼流の精紳病學者な招回する事となり小生の
研究所の所長トロQ麗寓ΦσQ霞博士が韓⁝任すろ事になりれり其の爲め小生の
先生ぼ建築物競売の爲め直ちに欧洲へ赴かれれり︑御承知の通ザ来國にて
ば富豪が學問研究の爲め多額の金額な寄附すろ寓に當り前の事と相成り居
りニ百万譲位に少額の方に御座候︑此団臣重層氏に数年繭に八百万圓な寄 附して結核研究所存私設し毎年大慨の業蹟な登刊致し居候︑ 9匿ΦσQδや舅○︒犀騨自霞等の寄附に爾之より大ふろものに御座候︑目本にばこんふ匙學なやり得らろ可き富豪も無之候へ共各其分に磨じて慈善寓・業や學問界に貢献する脅慣な作れば宜敷事亡存候別に富豪の寄附のみを當にして之に依頼すろ次第には無量候へ共親が死して其財塵な悉く子孫に遺すミ云ふ習慣に来國﹇にば更に無之若し寄附金が少ふき逡言状勉襲見すれば寧ろ大に不思議がろ程にして國異るれば饗慣に罵大差有之候︒ミミー覧
○在毫北千葉茂氏通鱈
︵獣朋計語罎小原窃盗
︵前暑︶ 頃日転読氏渡壷せられ着塁の節快談仕り御地の
御模榛の大体を舞聴仕り候諸先生盆々御影鐙の由こんな
鬼界ヶ島の襟な埴民地に來て見れば母綾は矢張ら懐かし
く被存卒業當蒔の室想?急がば廻れなごここんな遠い慮
に來て今更の如く慕母校の念禁じ難く候ご申すもの\乍
去當院に褒り候虞各專堅忍卒業生の寄合にて︵特に長崎︑
岡山など多く︶候まま決して女々しく暮し居らざる事丈
け御心強く御思召され度候當院にては同級生渡嘉敷君耳
鼻科にて柏原藩士︵京都大學黒身︶の下に大に手腕を振は
れ巳に定評あるに至う候小生は内科勲務にて稻垣博士の
下に馬脚の一端としてこつこつやり居り候横井嘉丞段
︵淵五年卒業︶本年三月渡騙せられ當院研究室にて原生動
物量細菌學︵特訊熟親鍵︶を研究致し居られ候當地には宮
島博士ビ飛び辮せられし激語者木下嘉七郎氏︵長崎出︶在
りしも去る十日本院にて遽に不蘇の客ざなられ上総の方
面には當地方病たるb皆8鍔ξωΦ馨巴Φの多く牧容さへ
すれば幾十人にても材料を得られ候位にて候へば面々面
+ 自そうにて結託他金澤出身先輩の諸氏こしては居ない様
壺にて中々居るものにて藁薦づ中川幸庵氏︵廿七年卒業︶は繍轟羅羅漢縫繋縛鉄懸離欝
欝…カ軽羅輪凝講面影群舞難
麺 加ふるに何よ動の御馳走たる凍風衣を沸ひ祝然εして害
灘繕難謙韓灘簿蝦︑ い
影…ル黙喉鞭雑報器駒鳥趨舗
﹂氏︵冊七年卒業︶は毫北衛戊病院附にて在勤せられ候今度
神岡藤一郎氏︵淵九年卒業︶能筆馨院眼科主任こして高安 博士の下にて積年研學の敏腕を振はる︑事と存じ候頃日
二三相盛り候節母校ご連絡を取り大に母綾の名聲を畢ぐ
べく一つ属窓會ざ云ふ様なものを設立しよじゃないかな どの議起う居り候實際當地の事情ε状態は未だ充舜内地に紹介せられ居ら望事かご存ぜられ候︵愚慮にては︶尤格此度為る十月の縦貫鐵蓮全通式の節は数百の名士渡塞せらる\事故其後は逡憾なからんご存ぜられ候へども肇潜ど云へば折雛にて生蕃の居る庭の様に想像せられ候へど
・も御存eの通り殖民地の改新開化の速力は實に驚くべき竜のにて候日進月歩の馨學のろれの如く市躍改正の如き
は≡二日見ぬ聞に堂々だる一等街路は海難あがり・ール
エンヂンの轟き居ると云ふ様な始末にて常肇北の如き数
年前に下水工事は竣り目下浮水工割引に有之論る十月ま
でには竣成の見込ざか又何百萬圓にて中央研究所を出來
かす何十万圓にて雪道ホテルが出重る藁北馨院は数年計
書にて二百五十萬圓の改築︑巳に小生等の内科診察所は五萬圓にて出來あがり使用致居り候昌下九萬圓にて病室
一棟工事中︵エレベートル附の最新式工事︶にて候三四ケ
月中に御地南町の銀行やら生命保駿下露の建物位めは早遽ご留滞あがるビ云ふ始末にて候前説毫北馨院を一寸紹介申上げ候各科軽軽は内科馨長稻垣樽専断迎學物外科讐
長井院長長野博士眼科讐長藤田學士爵婦入面懸長川添ド
ク塾ル耳鼻科醤長柏原詩論皮膚科尾見ドクトル蜘科富澤ドクトル色艶科臼杵海士︑各分科に得業士の馬脚二名宛
有之其の下に當地醤學綾卒業生︵本島入︶を副手εして二
︵通 信︶三七
︵通 信︶
名宛有之候病室股容人員二百五名にして夏期は各科問に
病室のヤジクヲ烈しく時に導波ε璽る蟻な始末に候職員 の食堂の如きは仲々氣の利きだものにて候しが今度の新
多病榛.の出亙るまで病室ご相星章位病室の不足を告げ圖
書室娯当室までも病室ご相塵外家患者本年最多数なりし
+ 爲は七月置七日外目黒酒歎七百五十名入院患者ご合計し
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ヌなどど云って各局に五六名宛の大男ごろつき居候併し
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成御研究の防げこも相成候へば恐縮至極に御座候ま・︶先
は是れ位にて主筆致し何れ.後便にて申上やべく候︵後暑︶
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○松原三郎氏在米最後之蓮信
︵九月十一臼紐育曇十月ナ四q着︶
前便松原氏か在来最後の通信ふらんε思ひしに計らさりき本日復長丈
の浩息あ擁而も写れ尋常一様の浩息にあろすして徹頭徹尾人格問題秘
反復論して縦横餓す回ふく枇會人生に封ずろ吾人の天職吾人の畳悟な
闘助訓話至らざろ所莫し︑吾人ば氏か禮得ぜる三囲不屈の精紳潜以て 品性修養の根本思魁に就て理論と方法が究幽常識の涌養趣味の啓襲奄
観き進んで意志の鍛錬と威世の貴髄を明かにして其實踵躬行私極力懲
麺鼓吹ぜらろ\に愈盆敬慕感謝の念な禁ずる能にざろふり︑而して這
般の知行や普く古今に蓮して悼らす廣く申外に施して謬らざうもの︑
吾人ば此好指針に順ひ向上的修養に力め初て森漫限りふき赴曾人世な
渡るの日あらん事な窺に樂む者みり ︵金城療病院にて八田生識︶
菅 * * * 馨 * 八田兄 愈々明朝紐育出帆 ﹁故郷を去るの思あり 多忙云はん方なし
紐育より 三 郎
人格の修養
此度の十全會難誌には小生の手紙が掲載せられ愚にも
っかぬとが多く自分ながら呆れ居候就.中人格修養に關す