イギリスにおける株式会社企業の発達と鉄道ブーム
その他のタイトル The Development of Joint Stock Enterprise and the Railway Boom
著者 荒井 政治
雑誌名 關西大學經済論集
巻 12
号 1
ページ 16‑52
発行年 1962‑04‑20
URL http://hdl.handle.net/10112/15484
イギリスでは一七世紀までは貿易会社が最も代表的な会社企業であって︑ほかに大資本を要する事業といえば︑
鉱山業や干拓事業など極めて限られた分野があげられるに過ぎない︒そして︑それらの貿易会社は︑
リズムと呼ばれる段階においては︑国家権力と結合して︑いわゆる特許会社
(C ha rt er ed Co mp an ie s)
の形態をとっ
ていた︒このことは独占特権がこの段階における資本集中の効果的な手段であったことを示している︒国家が一部
の資本家団体に対して︑永久的に独占特権を与えることの非を強調し︑それなくしては経営の不可能な事業ーそれ
が外国貿易であれ︑国内事業であれーは会社企業としての適格性を欠くと述べたのはアダム・スミスであった︒そ
して会社すなわち独占特権団体と考え︑これを非難し︑個人企業を最も望ましい企業形態とするスミス流の考え方
は︑その後も長く保守的な人々の間に根強い支配力をもち続けたのである︒
論 文
イ ギ リ ス
序
荒
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に お け る
株式会社企業の発達と鉄道ブーム
政
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一六
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︑ 一
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年の泡沫会社禁止法は︑国王の特許状もしくは議会の法律によって正式に法人格を認められていない私( 1 )
い わ ゆ る
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の設立を禁止した︒だが別稿で述べたように︑この
法律はイギリス会社企業の発達にとって大した障害とはならなかった︒というのは︑経済上の必要と法律家の妥協
一八世紀末までには事実上のジョイント・ストック・カンパニーが︑特に火災保険業や鉱山業
ないし金属工業の分野でかなり根を張っていた︒運河熱の起ったのはちょうどその頃であった︒運河事業は大資本
を要する公共事業であり︑スミスがジョイント・ストック・カン︒ハニー形態を適当と認めた数少ない事業の一っで
あったので︑運河会社の設立そのことに関しては問題はなかった︒だがそれには議会の個別法を獲得せねばならな
かったので︑依然︑煩瑣な手続と多額の出費を免れなかった︒運河事業の成功は土木技術や資本調達方法等︑
いろの意味において一世代後に訪れる初期鉄道時代の先駆者として貢献するところが大であった︒
一八世紀末までにイギリスの会社企業は以上のようなコースを辿って伸びてきたのであるが︑
とするのは︑続く一九世紀中葉までの期間において︑
おける発展の頭上を示すものは一八五五年の株式会社法の制定であって︑
一七
いろ
ここに取上げよう
それがどのように発展したかということである︒この時期に
それによって株主有限責任の原則が一般
的に承認されるに至ったのである︒それは法人の観念を確立した法律家の所産であるが︑より基本的には飛躍的な
﹁法人﹂や﹁資本結合﹂の要素のうえに﹁株主有限責任﹂の要素が加わり︑
イギリスのジョイント・ストック・カン︒ハニーはここに名実ともに︑われわれのいう株式会社に成長するわけであ
有限責任の種子そのものは既に一六六二年に蒔かれていた︒それが二世紀近くも経たこの時期になって︑やっと
イギリスにおける株式会社企業の発達と鉄道プーム︵荒井︶
経済発展の所産というべきであろう︒ によって満たされ︑
関西大学﹃経済論集﹄第十二巻第一号
収穫期を迎えたのである︒ここでわれわれの興味をそそる問題は︑
のではなく株主有限責任制を確立することによって︑
めるのであるが︑
りに
︑
マーカンティリズムの時代のように独占特権によって資本集中をはかる
それを要請したものが何であり︑
である︒もちろん︑
一八
三
0
年代︑四0
年代に起っ この株主有限責任制をもたらした要因が何であそれを成し遂げようとしたところに︑この時代の一特色を認
その要請を可能ならしめた諸条件が何であったか︑ということ
これには経済史の面からだけでなく︑政治史や商法史の面からの接近も可能である︒だが︑か
それをこの時代の経済史のうちに求めるとすれば︑どういうことになるであろうか︒誰しも容易に考えつく
ことは︑株主有限責任制の確立を産業革命の所産とみなすことである︒この見解は正当である︒ただ︱つ注意すべ
きことは︑株主有限責任の確立を要望したのは必ずしも産業革命の核心部門においてではなかったということであ
る︒産業革命期の製造工業は多くのばあい小規模で︑多額の固定資本を必要としなかった︒したがって個人の蓄積
か︑または小︒ハートナーシップによって固定資本を調達し︑銀行の援助によって巡転資本を賄い︑高率利潤を再投
下することによって経営規校を拡大していったというのが今日の通説である︒事実︑製造工業家達は後にも述べる
ように有限責任制の母入には必ずしも禎極的ではなかった︒当面の一九枇紀前半の時代においては大規校の資本集
中の必要は生産部門におけるよりも︑むしろ補助的部門︑ことに巡輸業の面において強大であった︒ここで有限貨
任制の確立をめぐる問題を︑主として鉄道ブームを中心に考察しようとするのも︑その故である︒
鉄道は鉄・石炭業とともに興り︑蒸気力との結合によって完成したのであるが︑
しすぎることはないであろう︒クラッパムの大著﹁近代イギリス経済史﹂のうち︑ た鉄道プームが直接・間接に一九世紀前期のイギリス経済に与えた影密は莫大であって︑いかに高く評価しても︑
一八
二
0│
︱八
五
0
年を扱った ったかということである︒もっといえば︑一八
I 9
イギリスにおける株式会社企業の発達と鉄道プーム︵荒井︶
意していったかを考えてみたい︒ 済的一表現といえるであろう︒︱︱‑︑四
0
年代の鉄道プームを経て︑鉄道網は工場とともに田園を覆い︑
ェールの経済思想を謳歌するに至ったとき︑
タル・パレスにおけるかの万国大博覧会
(t he Gr ea t Ex hi bi to n) はこの勝利を枇界に向って誇ったものである︒
一九世紀前半には会社企業の発展過程において特に注目すべき傾向が︑産業革命の核心をなす生産部
門にではなく︑
それを刺戟し促進した補助部門の鉄道に現われたのであるが︑もちろん程度の差はあれ他の企業に も種々の変化があったし︑また有限責任の要素ばかりでなく︑他の面ー例えば法人格ーにおいても無視できない進 歩がみられたことはいうまでもない︒したがって可能な限りそれにも触れておこうと思う︒そこで先ず鉄道ブーム 前夜までの変化を泡沫会社禁止法の撤廃を中心に考察し︑次いで鉄道ブームがどのように投資階級の形成︑したが
って資本市場の発達に影密したか︑
イギリス産業資本主義は確立したというべきであり︑五一年のクリス そして最後に鉄道プームをめぐる種々の経験がいかに株主有限責任への途を用
註
(1
) 拙稿﹁一八世紀イギリスにおける会社企業の発達﹂︵関西大学﹃経済論集﹄十巻四号︶
(2)J•
H . C
la ph am , An Ec on om ic History o
f M od er n B r it a i n, Th
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m︑
ly Ra il s ay g A e 1820 │
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50
,
19 26 .
とも
かく
︑
って産業革命達成の政治的表現とみるならば︑
一九
( 2 )
第一巻に﹁初期鉄道時代﹂のサプタイトルが附されているのもその故であろう︒もし一八三二年の選挙法改正をも
一八
三
0
年のリヴァ︒フール︐マンチェスター鉄適の開通はそれの経
﹁レ
セ・
フ
第一歩﹂をふみ出したといえる︒
関西大学﹃経済論集﹄第十二巻第一号
泡沫会社禁止法の撤廃(‑八二五年︶
鉄道がまだ試験時代にあった一九世紀最初の一世代の間に会社企業に関する二つの立法上の進歩がみられた︒
つは保険業界の運動によって︒ハートナーシップ法に︱つの改正がなされたことと︑他の︱つは泡沫会社禁止法が撤
廃されたことである︒
前の世紀に保険業が各種鉱業と並んで︑事実上ジョイント・ストック・カン︒ハニーの形態で営まれ︑世紀末まで
に︑かなり根を張っ.ていたことは既に指摘した通りであるが︑
それがインコーポレイトされておらない以上︑法的 には依然として︒ハートナーシップとして取扱われていたために︑時に少なからぬ不便の伴うことはやむをえないこ とであった︒主な不便の一っは会社の名において訴訟の当事者たりえないことである︒保険事業は︱つの公共的事 業であり︑大資本の集中を必要とする事業であって︑夙にスミスもジョイント・ストック・カンパニーの形態をと るにふさわしい事業であることを認めていた︒にも拘らず︑主として既存の会社の反対によっ.て法人格を認められ ていなかった︒ところが一九世紀に入って︱つの妥協が成立し︑幾つかの保険会社はそれぞれ議会の個別法によっ て︑代表社員の名において訴訟の当事者たりうる権利が認められるにいたった︒この特権は直ちに業界に広まり︑
( 1 )
一八一四年にはバーミンガムの銅鉱業会社もそれの獲得に成功している︒この種の法律は︒ハートナーシップ法のも
( 2 )
つ欠陥の︱つを是正し︑後に会社法の一般原則として採り入れさせる礎石を置いたのであって︑
﹁近代会社法への
次の変化は一七二0
年の泡沫会社禁止法が一八二五年に撤廃されたことである︒対仏戦争が進行していた一九世
二0
21
紀初頭においても会社企業は絶えず発展を続けた︒そして一八0七ー八年には投機的輸出や消費財の騰貴に刺戟さ
れて冒険事業が興り︑さらに運河︑橋梁︑火災保険︑醸造業等の分野において多くの会社が創設され︑株式投機プ
( 3 )
ームが現われた︒もちろん︑これらの中には単に新聞広告にしか存在しなかった多くの泡沫会社も含まれていた
し︑戦後のデフレーションによって消滅したものも多かったであろう︒しかし戦後︑重税や国債の消化から解放さ
れた過剰資本︑安価な資本は二0年代に入って再びそのはけ口を見出し︑
の株式投資に向って活澄に動いた︒すなわちイギリスの資本と技術は新天地南アメリカにおける鉱物資源.の開発に
豊かな収益を期待し︑
メキ
シコ
︑
チリー︑ブラジル︑
Co mp an y
はセイセイションを巻き起こし︑設立趣意書の発行と同時に︑株価は高率のプレミアムがついていた︒
その頃の金融会社︑鉱山会社︑保険会社その他のジョイント・ストック・カンパニーの株式は︑しばしば僅かの払
( 4 )
込で高率のプレミアムがついたので新会社は続々と生まれた︒したがって︑もし名士が重役に就いたようなばあい
( 5 )
は公募の資本金額を逃かに上廻る出資がえられたといわれ︑国会議員その他の有名人で数社の重役に名を連ねるも
( 6 )
のが多数に上ったのも当然のことであった︒
上述のような投機熱の中で生まれた会社は︑
を無視した︑単なる︒ハートナーシップとして取扱 ペルーの鉱山会社︑或いはそれらの新興国政府の公債に投ぜ
t h e A l l i a n c e B r i t i s h a nd F o r e i g n A s s u r a n c e
その多くが立法府の承認をえていない︑換言すれば泡沫会社禁止法
い わ ゆ る
日1 i
n c o r p o r a t e d c o m p a n i e s
であった︒ただ法律上︑
われることの不便を避けるために議会の個別法を請願しようとしていたことは明らかである︒しかも請願の数は俄
イギリスにおける株式会社企業の発達と鉄道プーム︵荒井︶
が︑中でもかのロスチャイルド家の後援によって創設された られた︒投機熱は直ちに国内の種々の事業にも拡まった︒
一八
0四年の初めに︑
幾つかの保険会社が設立された
一方では海外投資へ︑他方では国内事業
会社ブームに薔告を発し︑
関西大学﹃経済論集﹄第十二巻第一号
( 7 )
一八
二四
年︱
︱一
月に
は三
0以上の法案が議会に提出されていた︒株式投機熱は一八二四年末から翌年の四
月頃︑頂点に達したといわれるから︑下院には移しい数の法人設立の請願書が積上げられたに進いない︒このよう
な事情の下で政府は何をなしえたであろうか︒議会が会社企業をめぐって熱心に討議を続けていたことは二十五年
﹁ジョイント・ス十ック・カンパニーに関して今日進行している幣害に対処するために﹂提案し︑
まづ遥当な資本の保有について確固たる保証のない限り︑会社をインコーボレイトすべきでないと注怠を促がした
後︑その具体策として︑議事進行規定の変更を主張した︒すなわち︑運河︑道路︑橋梁︑
﹁その他の事業のために何人かの人々に︑さような権利︹訴え︑訴えられる権利︺を与えん
とする法案は︑第一読会にかけた後︑委員会に付託すべきであって︑同委員会の報告が︑当該会社の資本金の五分
の四︹後日四分の三に修正︺が払込まれ︑
現に三
0
名近い議員が三社以 一八二四年五月二十五日︑上院においてローダーデイル伯(t
he
Ea rl o f
その他これに類する事業
イングランド銀行の預金か︑もしくは大蔵省証券その他の証券に投資さ
( 8 )
れている事実を立証するまで第二読会にかけないようにすべきである﹂と述べた︒また大法官も上院で︑泡沫会社
禁止法を無視して会社を設立し︑発起人達が株式のじ冗買によって莫大な利益をむさぼり︑無智な人々が犠牲に供さ
﹁すべてのジョイント・ストック・カンパニーは特許状か議会の法律による承認を得
( 9 )
るまでは株式の譲渡は禁じられるべきである﹂と主張した︒
このように正式の法人の設立をチェックしたり︑法人格の忍められていない会社が株式をじ冗買することを迎法とす
る態度をとって︑投機熱に冷水を浴びせたのであるが︑
( 10 )
上の会社の社長や重役を兼ねて自らプームに一役演じているような事情の下では︑それらが慨ちに大きな効果をあ れている事実を指摘した後︑ のばあいは別として︑ La
ud ar da le )
は の議会議事録を一瞥すれば明らかである︒ に
増え
て︑
23
時宜に適した処置であり︑また事実上︑
( 1 1 )
と ︒
同法は既に死文になっており︑
同時に それを存続させる意義はなくなっている げえたとは考えられない︒更に実際の問題として︑幣しい数に上る法人設立の請願のうち︑何れが真正の会社であり︑何れが泡沫会社であるかを迅速かつ正確に判断することは極めて困難なことであったろうし︑特定の人々にのみ承認を与えて︑他を拒否することは自由主義の風靡しつつあった当時の社会においては容易になしえることではなかった︒しかも資本を譲渡自由の株式に分割する会社企業︵ジョイント・ストック・カンパニー︶の有益性は久しく
世人の認めるところであり︑国王や議会の恩恵が有る無しに拘わらず︑既にイギリス経済の発展にとって重要な存
在となっていたのである︒そこで政府は意を決し︑泡沫会社禁止法を撤廃する法案を上程するに至ったのである︒
一八二五年六月︑法務長官は下院において提案の理由を大よそ次のように説明している︒泡沫会社禁止法はそれ
を制定した立法府の意図が那辺にあったか全く理解に苦しむ︒しかも︑それが制定された一七二0年から今日に至
るまで︑ジョイント・ストック・カン︒ハニーは最も有益かつ健全な目的のために設立されており︑
なお存続している︒そのあるものは関係者に大きな富を獲得せしめる手段であったのみならず︑公衆にとってもま
た有益な存在であった︒なかでも生命や財産を取扱う保険会社は最も優れていた︒にもかかわらず︑
違法とされていたのである︒したがって︑これらの人々を保護するため現行法の一部を撤廃することは︑まことに
以上の説明からも分るように泡沫会社禁止法を撤廃する法律(6
Ge o. I V , C
.
91)は︑すべての
u n i n c o r p o r a t e d co mp an ie s
を禁止した一七二0年の規定を撤廃するとともに︑
法人のメンバーは債務について個々に責任を負う旨を宣言し︑
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ける
株式
会社
企業
の発
達と
鉄道
プー
ム︵
荒井
︶
その多くは今日
そのすべてが
法人の設立について国王の権限を拡大し︑
その責任の限度は特許状の中に明記されることにな
l.̲̲一 . . .
︵一八二四・五年︶に撤廃されているの 禁止法
(C om bi na ti on
Acts)~I@'.~~
で ︑ 一切の労働運動を禁止した団結
進行していたことは言をまたないこと 自由主義的・楽観的風潮の高まりがあり︑東インド会社のごとき特許会社の独占撤廃を含む経済政策上の諸改革が は︑イギリス経済の繁栄に支えられた
第1表
い︒もちろん︑かような転換の背後に る意義を高く評価しなければならな し︑同法がイギリス会社企業史に占め が
大 転 換 を 遂 げ た と い う 事 実 に 着 目
はここで国家の会社企業に対する態度 然︑多少の疑点を残したが︑われわれ
1824‑‑:‑‑5年に設立または計画された会社
co mp an y の 法 的 地 位 に つ い て は 依
. 規定をもたないので︑
u n m c o r p o r a t e d
関 西 大 学
『 経 済
論集』第十二巻第一号
(12)
っ た
。 同 法 は そ れ 以 上
に何ら積極的な
業 種 1会 社 数 公 称 資 本 金 額 ,1 株 式 数
:
1 鉱 山 74 £38,370,000 537,200
ガ ス 29 12,077,000 200,940
保 険 20 35,820,000 651,000
、 投 資 28 52,600,000 686,500
運河と鉄道外 54 44,051,000 5f2,210
! 蒸 汽 船 67 8,555,500 125,220
建 築 26 13,781,000 164,900
I
貿食そ 易糧 1213 180,,346500,,000000 68754;,000000の 他 292 148,108,600 2,294,350
j
^
ロ 計 I 624 I £372,173,100I
5,961,320第2表 1827年に存在した会社
業 種 ! 会 社 数 I公 称 資 本 金 払 込 金 額 株 式 数
鉱
山ス 』
44 £26, 776, 000 £5,455,100 358,700
ガ 20 9,061,000 2,162,000 152,140
保 険 ‑I 14 28,120,000 2,247,000 545,000
そ の 他 i 49 38,824,600 5,321,850 562,500
I
'
^
ロ 計 I 127 i£102. 181,600 I£15,185,950 I 1,618,340 I Henry English, A Complete View of Joint Stock Companies formed d!'ring the Years 1824 and 1825, 1827. Preface, p. 10. による。ニ四
2. 5
イギリスにおける株式会社企業の発達と鉄道プーム︵荒井︶
あったかを知ることができるのである︒ も決して偶然の一致ではない
C
更にこの転換に対して︑直接より強力に作用した要因は譲渡自由な株式をもつ会社 企業が︑個人の資力をもってしては到底起こしえない新事業分野を開拓し︑国民の経済生活にしっかと根を下ろし たことで︑これが世論の方向を変えたのである
C
プ ロ ー カ ー
︑ ヘ ン リ ー
・ イ ン グ リ ッ シ ュ
このことを立証する最もよい史料の一っは︑ロンドン証券取引所の
(1 3)
(H en ry En gl is h)
の著
した
︒ハ
ンフ
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ト︑
A
Co mp le te i V ew
of
J o in t S to ck Co mp an ie s F or me d i
n 1
82 4 a nd
18
25 (1827)
二五
で︑これは泡沫時代の再来かと思われた一八二四ー五年に設立 または計画されたジョイント・ストック・カンパニーを綿密に分析した結果であって︑
それによって︑われわれは
パニックを乗越えて生き残った多数の堅実な会社のあったことと︑当時︑株式会社形態がどのような分野に適当で
註
(1 ) B.C•
Hu nt , Th e Deve
lo pm en t o
f t 苓
Bu si ne ss Co rp or at io n i n En gl an d 1 80
0 │
N
8
67 , 1 93 6 . p . 2 3 . シャナンによれば︑約六
0
の保険会社と四
0
の他の種類の会社が一八四四年の登記法以前にこの種の個別法を獲得してい
たという︒
H.
A . S
ha nn on ,'
^ T he Co mm in g o f G en er al Li mi te d L i ab i l it y , "
E co no mi c H i st o r y, v o l .
T I,
No . 6 ,
p . 2 74 .
(2
) 例えばシャナンは三つの法的欠陥を指摘する︒第一はパートナーシップと第三者との法律関係の複雑さ︑第二はパート ナーシップ内部における各バートナー間の法律関係の複雑さ︒第三に︑パートナーの無限責任︒
Sh an no n, o p . c i t . , p p . 27 2
│
3 . (3 ) T . To ok e a nd
W .
N ew ma rc h,A
Hi st or y of Pr i c es , v o l . 1 , 1 83 8 . p p 2 . 77
ー
8 .
(4
)
︵5
) To ok e a nd Ne wm ar ch , o p . cit••
p . 15 0
••
「アニュアル•V
ジスター」(-八二四年)はプームの模様を誇張した筆で、次のように述ぺ
Pおり、一世紀前の南海恐慌
の再来を想わせる︒﹁僅かの金で大儲けができるという︑この可能性は大へん魅力のある誘惑で︑もう止めようもなかっ た︒人間誰しも賭博心があるもので︑つい手が出るのが常である︒それこそ誰も彼もが手を出しており︑信じ易い人︑疑 い深い人︑ずるい人︑ずぷとい人︑素人に玄人︑知性のあるもの︑ないもの︑王侯︑貴族︑政治家︑役人︑愛国者︑法律 家︑医者︑技師︑学者︑詩人︑それに凡ゆる地位身分の婦人ー娘・主婦・未亡人ーまで入り混って︑名称以外は殆んど何
駅馬車では不十分になっており︑
関西大学﹃経済論集﹄第十二巻第一号
だが一九世紀の初め頃︑
も知らないような事業に︑われ後れじと財を投じたのである︑﹂また高率のプレミアムについて︑﹁払込は低んの僅かで︑
第一回払込が五︒ハーセントを起えることは稀であった︒したがって株価がごく普通の値上りをしても︑実際の投資額に対 しては大きい利潤を生んだことになる︒例えば︑もし五ポンドの払込をした一
00
ポンド株に四
0
ポンドのプレミアムが
ついたばあい︑払込金額の八倍に等しい儲けがあったことになる﹂と述べている︒(Tooke
an d N ew ma rc h, op . c i t . , p .1 5 2 f . n . (6 ) Hu nt , o p . c i t . , pp . 36
1
7 . (7 ) To ok e a nd Ne wm ar ch , o p . c i t . , p . 15 1 f . n .
(8)
Ha ns ar d, P ar li am en ta ry De va te s, 1 8 2 . n . s . v o l .
X I ,
pp . 8 . 5 6
ー7 .
( 9 )
Ha ns ar d, 1 8 2 5, n . s . v o l .
X I I ,
p .
1 28 .
( 1 0 )
H an sa rd , 1 82 5 v o , l .
X I I ,
p .
10 65
; Hu
nt , o p . c i t . , p . 3 7.
( 1 1 )
H an器 r d , 1 82 5 v, ol
X I I I ,
p p. 1 01 8
‑ ‑2 0 .
(12)
Pa rl ia me nt ar y P ap er s, 1 8 2 5,
I, N o. 40 7 , pp.
14 9
1 5 2
. (1 3) イングリッツュのこの︒ハンフレットは当時の会社企業の状態を知る上に極めて貴重な資料で︑しばしば利用されてい る ︒ B.C
・ハントの前掲書︑四六ページにも表の一部が掲載されているが︑同氏の各表の数字には若干の誤謬がある︒
鉄道プームと資本市場の発達 鉄道が鉱山業の発達と関連して出現したことはよく知られている︒じっさい一八世紀中葉には殆んどの炭坑が鋳
鉄製のレールを敷いて大いに能率をあげていた︒
て︑車輛の牽引は馬力に頼っていた︒ナボレオン戦争直後の沈滞から脱したイギリス経済にとっては︑もはや迎
i u J
一層の交通改善が望まれていた︒蒸気機関車の出現はそれに応えるものであっ 鉄道はまだ^ t
ra mw ay
"
と呼ばれてい 二六
27
時日を費やさねばならなかった︒ びた︒この成功は
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ra mw ay
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から:
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の時代へ移行する端緒となり︑更に一八二九年︑
ル競技会においてスティーヴンスン父子の﹁ロケット号﹂が大勝を博し︑
スター鉄道が翌一八三0年九月に開通したとき︑この移行は決定的なものとなり︑ここに鉄道実験時代は終って︑真
( 1 )
の鉄道時代が開かれるに至ったのである︒それまでは鉄道はまだ真に巡河の競争者とは認められていなかった︒連 河会社の中には自ら鉄道
(h
or
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t r a m w a y )
事業を兼営するものもあったし︑
他︑連河会社から独立した会社のばあいでも真正面から運河会社に挑戦するというよりは︑むしろ既設の連河線と
補完的な関係にたっていた︒しかしリヴァ︒フール・マンチェスター鉄道のばあいは明らかに迎河会社の独占と高率
料金とに対する挑戦であり︑その成功であった︒
鉄道会社の設立︑資本調達は大体において巡河会社のばあいと同じ方法でなされた︒大てい鉄道建設に利害関係 の深いその地方の商人︑製造工業家︑地主などが発起人となったが︑彼らは自ら測量費その他の準備に必要な資金 を拠出するか︑または集会を開いて公衆に支援を要請した︒次に設立委員は地方銀行或いは株式ブローカーのよう な金融業者に委託して出資者からの払込をうけ︑出資者には仮株券を発行した︒他方︑議会の個別法を獲得するた めに法律家に委嘱して議会に法人設立の請願をおこなった︒鉄道建設は明らかに公共事業であり︑莫大な同定資本 を要する事業であったから︑もしスミスがこの時代に生きていたならば︑銀行︑保険︑運河︑給水事業とともに当
( 2 )
然︑株式会社適格事業として鉄道を加えたに逃いない︒しかし議会の個別法を猥得するまでには巨額の費用と長い て ︑
一八
二五
年︑
二七
ストックトン・ダーリントン鉄道が初めて蒸気機関車を走らせることに成功して世人の注目を浴 イギリスにおける株式会社企業の発達と鉄道プーム︵荒井︶
レインヒ
それを主催したリヴァプール・マンチェ
ストックトン・ダーリントン鉄道その
第3表 鉄道建設を認可した法律の数 1801‑1845
年
I
数 年I
数1801 1 1826 10 1802 2 1827 1 1803 1 1828 5 1804 1 1829 5 1805
゜ 1830 5
1806
゜ 1831 5
1808 1 1832 5 1809 3 1833 5 1810 1 1834 5 1811 3 1835 8 1812 2 1836 29 1814 1 1837 15 1815
゜ 1838 2
1816 1 1839. 3 1817 1 1840
゜
1818 1 1841 1 1819 1 1842 4 , 1820
゜ 1843 5
1821 2 1844 26 1822
゜ 1845 76
1823
゜ 1846 225
1824 2
1825 8 合計 472
(註) 本表には延長認可のばあいを含まない。
G. R. Porter, The Progress of the Nation, 1850. p. 327.
クをもっているが︑
これ
八四六年との二つのビー る
通り
︑
一八三六年と ムは﹁第四表﹂にみられ 況期であった︒鉄道プー ma
ni a)
の時期は一般的好
ーム
︵いわゆる
r ai l w ay
期︑いいかえれば鉄道プ 大資本を吸収していた時 鉄道会社が集中的に巨
この
段階
は︑
いわば鉄道の実験時
たが
︑
第三表が示しているように︑ 関西大学﹃経済論集﹄第十二巻第一号
ところで最も重要な問題は資本形成であるが︑初期鉄道時代の鉄道会社発起人たちは容易に資本を集めえたであ
ろう
か︒
一八
三0年に運河の独占を打破して鉄道時代の扉を開いたのはリヴァプール・マンチェスター鉄道であっ
それまでに議会の承認をうけていた五0余の鉄道会社のうち一0万ポンド以
( 3 )
上の株式資本の許可をえていたのは僅かに七社に過ぎなかった︒というのも︑
代であって︑
ho
rs
e ,
t r a m w a y
では一般投資家に鉄道が運河よりも優秀であることを納得させるには不十分であっ
て︑それには︑やはり﹁ロケット号﹂の出現をまたねばならなかった︒その証拠に︑前述した一八二四ー五年の投
( 4 )
機ブームの最中においてすら一部の鉄道会社は計画のみに終っているのである︒
ニ八
29
( 5 )
らの年は一九世紀のビジネス・サイクル・︒ハターンにおけるビークと一致する︒これからみて︑鉄道建設はプーム の一所産であるともいえるが︑と同時に鉄道はプームをもたらす重要な一因でもあった︒三十六年をビークとする プームのばあい︑
第4表 鉄道資本と株価 1826‑50
イギリスにおける株式会社企業の発達と鉄道プーム︵荒井︶
100万点ンド
150.0 100.0
アメリカ合衆国への海外投資とそれに伴う活澄な輸出がみられたが︑
50.0
^ u o l n 2 5
祖1 5
10.05.0
5n
ッ5 n
2 2 1ー
二九
﹁鉄道建設は一八三六年ま
8
1
0 £ 8 1
0あ ︱
% 2 0 0 1 5 0 1 0 0 7 5 5 0 2 5
0~g
Gayer, Rostow, Schwartz, The Growth and Flucuation of theBritish Econmy 1790‑1850.1953. vol. I, p. 438.
による。
i に―—-- ‑‑‑‑―‑‑‑‑‑‑‑‑―‑‑‑‑‑‑‑‑--~. I ,
﹁鉄道は一八二四ー五年のばあいのラテン・アメリカヘの資本
( 7 )
輸出や株式会社設立が果したと同様の役割を演じたのである︒﹂いいかえれば︑鉄道は四
0
年代のブームの主役を演じたわけである︒
このような鉄道フーム︑鉄道網の拡張はイギリス経済にいかに大きな影密を与えたか︒迅速・低廉な輸送が生産
力に及ぽす貢献を別にしても︑
れの関心は︑ レイル用鉄材の莫大な需要は鉄鉱業を︑その製錬燃料たる炭鉱業を刺戟し︑鉄道建
( 8 )
の需要とともに大規模の雇用を生んだことはいうまでもない︒しかし当而のわれわ
これらの鉄道プームがイギリス資本市場の発展にどのような影密を及ぽしたかということである︒こ
の点に関しては一時的︑或いは永続的な種々の影密が考えられるが︑
り株式への関心の移行︑第二に資本市場の地理的拡大︑第一ー一に投資層の拡大︑
︵公債より株式への関心の移行
心地に蓄積された資本は早くからしばしば土地投資に向けられていた︒というのも︑内乱でも起こらない限り︑地
価は割合い安定しており︑農業を主たる産業とする社会においては︑土地は安定した所得の源泉であり︑同時に土
地所有者となることによって自らの社会的威信を高めることもできたからである︒
に伴って公債が累増するにつれ︑証券投資が一部の富裕階級や金融業者の間に広まり︑
た︒だが︑そこで常時取引されたものは主として政府証券と東インド会社その他︑著名な独占特許会社の株式に限
( 9 )
られていた︒しかし鉄道投機の時代には三︒ハーセントのコンソルは殆んど魅力をもたなかったし︑外国政府の借款 設労務者︵いわゆる^^
na
vv
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)
土地は投資の対象としては最も古い︒ イギリス鉄道の急速な拡張と揆を一にして﹂おり︑
関西大学﹃経済論集﹄第十二巻第一号
一八世紀初期︑政府支出の増加 ロンドンやプリストルのような商業中
( 6 )
での数年間には十年前よりもずっと重要な役割を浪じた﹂し︑ことに一八四六年をビークとするプームは﹁正しく
ここでは次の三点︑すなわち︑第一に公債よ
について考察しようと思う︒
やがて証券取引所も出現し
゜