商品取引所格付売買の根拠 : 商品取引所格付売買 の研究、その一
その他のタイトル The Ground of the Transaction by Grading
著者 今西 庄次郎
雑誌名 關西大學經済論集
巻 2
号 4
ページ 26‑56
発行年 1953‑03‑31
URL http://hdl.handle.net/10112/15852
見出される場合の方が多い︒ 而して
商 品 取 引 所 格 付 賣 買 の 根 撮
ー 商 品 取 引 所 格 付 売 買 の 研 究
︑ そ の 一 ー
凡ての社会的な現象に関することで取引所事象に限らないかも知れないが︑学問的研究の対象として重要なものと
実際応用上重要な問題とは必ずしも一致しない︒実際上余り重視されない問題でも︑研究上内容豊富で真理の把握が
仲々六ヶしいところから恰好な題目とされるものもある
0併し研究上重要な問題は矢張り実際上重要な問題に就いて
特にこういう場合の研究は仕事の上に一種の張り合いを感ずるところである︒
今︑商品取引所に於ける格付売買問題は当に斯の如き性質を有つのである°格付売買は滴品取引所に於ける最も重要
な問題であると去つてよい︒それは商品取引所としての活動の中心をなすものである
0商品取引所活動の中心をなす
のは清算取引の仕法であるが︑格付売買はそれと並ぶ中心事項であり︑両者は商品取引所取引の謂わぱ二大支柱をなし
ている°然も︑取引所取引としての清算取引の問題は商品取引所のほか株式取引所にもみるところで︑この点に着眼
すれば格付売買は商品取引所独特の取引問題として映じ︑商品取引所の学的研究上一層重要性が意識される事になる
序 言
本 研 究 の 趣 旨
今 西 庄 次 郎
一 六
商品取引所格付賣買の根拠︵今西︶
の で
あ る
︒
一 七
格付売買は商品取引所に於ける独特にして重要なる取引問題として学問研究上重要な性格を有つ
0処で︑その商品
取引所の取引問題どしての重要さは︑具体的に夫々の商品取引所によりて必ずしも其の程度を同じくしないのであ
冤重要な取引問題であることは何れの取引所にも変りなしとして︑其の程度は或る国の或る商品取引所の如何によ
つて相当に異る°而して従来それは我国に於て最も重要性を有つていたと去つても過言でない状態であった︒この事
由として︑先ず我国の重要商品界が生産規模の比較的に小さいところから多数銘柄から成つていたことが挙げられ
る
0本論で詳述するように格付売買は商品が多数の銘柄を擁しているところに起る事態であり︑銘柄の数が多いほど
実行上幾多の問題を年むのである︒次に我国商品取引所に於て格付売買が重要となったより主要な事由として︑我国
の商品取引所が価格市場として非常に進んでいたことが挙げられる
0価格市場として進んでいたことは従来我国の取
引所︑今商品取引所も投機々関と一般に見倣されたことからも推知されると思う
0価格市場として非常に進んでいる
ということは必ずしも羽目をはずして投機市場にまでなつているとは限らないが︑多くの場合そうなるものであ
る
0何れにしても︑取引所が実物移転市場たる性格から脱却して価格市場に進むほど︑取引のやり方もそれに相応す
るようなつている筈で︑今格付売買も隧分と工夫され活用されていることとなるのである︒
右に述べた如く商取引所格付売買は我国に於て最も発達して来たとすれば︑格付売買の研究材料は我国に最も多く
転がつていることが考えられる一方︑その方面の学問研究がこれまでに充分行われて来ていることと考えられる
9処
が︑右の考の前半は確にそうであるとしても︑後半は必ずしも肯定出来る状態とはなつていないのだ°従来の我国の
取引所論乃至商品取引所論の著害などをみても極めて簡単であり︑問題とすべき点を余り取上げていない︒いったい何
︵ 一
︶
故斯の如くお粗末となったのであるかであるが︑商品取引所に於ける格付売買の地位を理解していないからと去うに
需するであろう
0私としては︑更に︑我国取引所学者の多くが︑取引所は一定の条件を具えている滴品を取上げて取
引することによって出来上るというふうの機械的取引所観に立つていることをも︑指摘し度いのである
0斯かる機械
的取引所観に立つがゆえに︑格付売買が取引所の機能と結び付いている膨大︑重要な取引問題たることに気付かず︑
単に所謂取引客体の問題たるに止め︑公平を中心として取扱えばよいとなすこととなるのだ°何れにしても︑我国に
於ては格付売買の学的研究は埋もれたまさ放置されて来たのである︒
るので他国に比べ格付売買の採用が甚だ積梱的であること︑然も従来我国に於ける其の学問的研究が充分に行われて
いないことを述ぺたが︑この三点のゆえに私はこの研究を志したのである
0尤も私としては既に昭和初年︑当時尚残
︵ 一
︶
存していた来穀取引所に於ける格付売買を対象として其の研究に着手したのであったが︑米の取引所は間もなく解消
し︑更に我国に於ける統制経済の進行︑就中全体主義経済化につれ他の商品取引所も次第に解消するに及んで︑遂に
中止したのであった︒資本主義経済社会に於ける商品取引所の中心問題としての格付売買の研究は︑仮令商品取引所
が滅んでも︑続けて差支ないわけであるが︑我国として一穂の歴史研究たる状況となり現実の問題でないようになつ
ていたので︑研究者としての張り合いが感ぜられなかったのである°幸い終戦後自由経済が導入され︑各穏の商品取
引所が次第に復活する情勢となり︑奴に其の研究を再びする気持を起した次第である︒
拙稿﹁物産取引所格付売買の理論﹂政学科研究年報第一︳一輯二六一
1一 ー
ー 一
=
l
I ll
頁
本研究は終戦後再び始めたものであるとしても資料としては戦前のものを寧ろ多く使った
0取引所格付売買に関
以 上
︑
格付売買は商品取引所に於て重要な問題であること︑ 特に我国の取引所は価格市場として発展して来てい 商品取引所格付賣買の根拠︵今西︶
一 八
商品取引所格付賣買の根拠︵今西︶
第
格 付 売 買 の 意 義
一 九 .
一般に何れの種類の商品も単純でなく する理論はその運営に何等かの問題が起った時その事態が好個の材料となつて把握ざれるのであり︑斯る問題事態は 長い歳月に亘る格付売買の歴史即ち実施過程に於て見出されるからである︒先に我国に於ける取引所格付売買の学問 的研究が従来不充分であったことを述べたが︑これは綜合的に︑且つ深ぐ研究されていないのを指摘したのであり 部分的な研究が数少いと去うのでない
0此種の部分的な研究︑断片的な議論も︑私としては大切な資料として可及的
に眼を通したところで︑中には少からぬ示唆を受けたものもある
0で︑以下夫等の主なるものを掲げて置こう︒
河井良成著﹁取引所講話﹂昭和二年七月二七三ー一
1 1 0
一 頁
向井鹿松著﹁綜合取引所論﹂昭和七年九月
11 .gー11
―一五頁、尚二五三—――
10七及び六
0七—六――一八頁も参考となる。禰田敬太郎著﹁取引所論﹂昭和一三年
1
月
1 0
六ー
11七頁︑二五九ーニ六三頁 藤 田 国 之 助 著
﹁ 日 本 取 引 所 解 説
﹂ 昭 和 一 七 年 六 月
=
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八
1ー 一
ー ー
九 四
頁 ︑
四
1
九
ー 四
一
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‑ 1
頁
豊 崎 稔 著
﹁ 期 米 価 格 と 正 米 価 格 と の 相 関 々 係 の 統 計 的 研 究
﹂ 昭 和
11
年八月
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E x t j i a n g e s ,
19
35
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21
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68
‑‑
18
0
・︵本書旧版に就て次の訳本あり 中山成某著
0﹁商品取引所﹂昭和七年五月︶
安川彦夫稿﹁受渡米格付の
1
考察﹂取引所研究
1
巻 一 号 八 九 ー 九 九 頁 同 右
﹁ 受 渡 米 格 付 方 法 の 理 怨
﹂ 同 右 一 巻
︱
︱ 一 号 六 三 ー 七 七 頁 島 剛 稿
﹁ 米 穀 取 引 所 に 於 け る 朝 鮮 米 の 地 位
﹂ 同 右
1
巻 二 号 六 ニ ー 八 四 頁 河 杉 信 勇 稿
﹁ 生 糸 清 算 市 場 の 欠 陥
﹂ 同 右
1
巻 二 号 八 五 ー
九
0頁
詳細な論に入るに先立ち︑格付売買の棚念︑意義を述べて置かねばならぬ︒
多数の品種︑等級のものを擁するのが常である
0例えば我国の米に就いて去えば︑米としては一っの種類の商品である
が︑産地によりて風味や粘りなど多少趣が異つており︑叉同一地方の産米にも上等︑下等のものがあるという風であ
る°勿論夫々品穂︑等級によって価格を等しくせず︑或る程度の開きを有する︒従つて我国の米は︑米であるからと
去つて︑凡て無差別的に取扱われるのでなく︑品種︑等級に応じて夫々別に待遇せられる︒このように商品の謂わば
右は銘柄の棚念を内に分つ方向に於て説明したが︑銘柄は商品の内訳としては最大のものである︒すなわち特定の
生産者の生産品だけぐらいで︱つの銘柄となることは少ないのである︒摸造工業品では大量製造業者があり︑通常自
己の製品の範囲を特定のマーグ︑商標を附して劃定せんとし︑事実亦それが相当に大量でそのま i ーつの銘柄となる
事例もある
0併し或る製造工業者の撰品だけで常に一っの銘柄となるとは限らないのであり︑他の会社或は多数会社
の製品と一処にされて始めてーつの銘柄となるかも知れず`否斯る場合が寧ろ通常なのである
0要言すれば︑或る範
囲の製品が︱つの銘柄として通用するか否かは︑当該商品界郎ち多数の消費者や取扱商人がそれを承認するによって
定まるのである︒以上の大量工業品に対し︑農産物︑或る種工業品などの小規模生産品の銘柄形成は︑原則は大規模
撰品の場合と異るところなしとしても︑多数散在して各ケ的に生産されたものを銘柄にまで纏めるためには基準的な
初めの頃は生産地︑
る︒例えば我国の米の場合︑往時︑産地と大まかな品等別を組合わし︑擬津上米︑擬津中米︑河内下米というふうに
銘柄が生成せられ︑生糸も始めは製糸地方︑製造工場などにより︑武州格︑八王寺格︑
4︿島格等の銘柄が行われたと
ころであった
0処が︑経済界が進むと︑大まかな品等別のま 4 では悶着が起り易くなり︑円滑な取引のため︑品質に
就いて厳重な社会的検査が要請せられるに至るのである︒この検査は生産者の組合或は国家が行うところで︑何れが ものが働かなくてはならないのである
0その基準としては︑ 更には大まかな品等が取上げられ 内訳をなす︑品種等級などによる或る範囲を︑ 一般に銘柄
D e s c
r i p t
i o n
と 称
す る
︒
商品取引所格付賓買の根拠︵今西︶
゜
商品取引所格付賣買の根拠︵今西︶ 揃当するかは商品界によつて一定していないが︑重要商品界では矢張り国営検査に到達する例が多い
0我国の米や輪
出生糸等は其の好例である
0検査機関の点は兎も角︑此種の品位検査に於ては検査の技術的立場が主となり︑製品の
纏め方も実質的ならんとする
0例えば米の場合︑各府果毎に一等米︑二等米︑三等米︑四等米︑等外米となし︑輸出
生糸を特別
AAA
格 ︑
AAA格 ︑
A A格 ︑
A
格 ︑
B
格以下
G格までの十等級に分ちたる如くである°而して今之等社
会的な品位検査によつて分たれた商品の等級別がそのま 4 銘柄となるとは限らないが︑多くの商品界にありてはそう
( l )
なるのが普通である︒米︑生糸など其の例である︒
昭 和 八 年
︱ ︱ 一 月
一般に︑学者は︑商品界の発達︑即ち生産の発展による等一な
品質品の増大︑それら品質に対する取引者の習熟等に従い︑取引方法も︑一々現品をみて行う現物取引から全体の中の
更に現品や見本の提供をなさず単に銘柄名を指して売買する銘柄取引に進
む︑と説明する°確に︑銘柄が確立するに至れば当該商品の取引は銘柄的に行われるのを普通とする︒尤もこれには
一方に取引信用の増大も必要であり︑売手が充分信頼されないときは︑銘柄が確立しても︑現品や見本を点検しての取
引が行われないでもない︒それは兎も角`銘柄取引は単に銘柄名を指すに止まるのみならず︑同一銘柄に属する品は同
一物と看傲し無差別的に取扱うものである
0若し取引者が或る柄銘の中の或る種類を希望するときは︑特に其の物を
指さなければならない
0銘柄取引の右の如きやり方は決して不自然ではなく︑否銘柄の生成はそのような取引方法の
ためになされるのであるとも一云えるのである
0何れにしても発達せる商品界に於ける取引は銘柄取引にまで発展する 一部を見せて売買する見本取引に進み︑ 以上︑凡て商品は多数の銘柄に分たれることを述べた︒
︵ 一
︶
生糸に就ては左記参照
志村茂治著﹁生糸市場論﹂
︱ ︱
︱ 一
八 ー
ニ 羹
頁
のであり︑それは極めて自然的な取引方法と去えるのである
0処が︑今︑格付売買なるものは斯る銘柄を超越して取
引を行わんとするものなのである︒勿論それは必要あつて行われるに至るのであるが︑上記銘柄取引が自然的な姿の
取引であるのに対し︑確に人為的であり︑不自然な取引とみられないでもない︒
然らば格付売買とは如何なるやり方であるかと去えば︑それは商品の取引に於て一応或る銘柄に就いて約定するも
売手は他の銘柄を︑約定銘柄と受渡銘柄につき予め確定されている価格差
D i f f e r e n t i a l
s
を授受し︑自由に受渡に供し
得るとせられたものである︒元来︑普通の銘柄別売買の下に於ても受渡に際し何等かの事情から売手は他の銘柄を受
渡に供するの巳むなきに至り︑買手の了解を得て代用に供するという事例が起らないではない︒この場合売手は受渡
銘柄が約定銘柄より低価である時は其の差額を支払うのは勿論︑更に多少罰的な差金を支払い︑叉受渡銘柄が約定銘
柄より高価なときは其の差額をそのま 4 要求せず罰的な金額と相殺することが考えられる︑というより大低はそうせ
られるところである
0今格付売買は之等を一歩強化したもの 4 ようにもみられるが︑格付売買はそれらと程底的な差
違を有つに止まるものでなく︑明らかに本質的に別なるものである︒部ち格付売買にありては代用受渡は制度的に認
められており︑買手の了承があって行われるのではない
0素より制度的に認められているので︑銘柄間の価格差だけ
を授受すればよしとされ︑代用を許すによる代償的なものを加算するようなことは論外となつているのである︒
上来により格付売買の意義は大体理解されたと思う
0が︑尚少し附言して置いてはと思うことがある︒先に多数小
規模に生産せられる大量商品界にありては品位検査の制度が採られ︑少数の等級に纏めることが行われることを述ペ
たが︑この等級別を通常格付と呼ばんとしているのである
0斯くてこの等級別の制度に従つて売買するのを格付売買
2 l )
と呼ばんとする例がないでもないのだ︒即ち吾人の特に附言して置き度いと一云うのは︑それが正当な格付売買でない 商品取引所格付賣買の根拠︵今西︶
う構造がそれである︒ ことである︒それが正常な格付売買でないことは︑既に格付売買の何たるかを論じて来た吾々として最早贅言を要し ない︒それは既述の如く銘柄別取引に外ならない
0吾人としては︑誤解を生ぜしめる虞ありとして︑前者のような売
買を格付売買と呼ばないことを提案し度いところである 0 尤も品位検査により等級別することを格付と呼ぶことは︑
言葉の用法上それまで蓉ずるのは酷のように思う
0が︑この場合︑其の格付は正常な格付売買の要件たる格付とは目
糠を同じくしないことを篤と認識し置くべきところである
0前者の格付は等級別にあるのに対し︑後者の場合の格付
は銘柄間の価格上の開きを定めるにある 0 但だ後者の格付売買の要件たる格付に当りては銘柄の確立が前提となつて
おり︑前者の格付により定められた等級別がそのま 4 銘柄として通用するに至ること少くないに於て︑前者は後者の
前提たる関係にありと去つても必ずしも過言でないわけである︒
志村氏前掲書
格付売買は序言﹁本研究の趣旨﹂にも述べた如く︑商品価格市場︑就中商品取引所に於てのみ行われる取引方法で
ある︒私は取引所なるものぱ経済界商品界に於ける一っの社会的有機体︵生き物}と認識するものである︒要約すれば
経済界︑就中当該業界の欠くべからざる要請を満たすべく生成せしめられたものであり︑謂わぱ夫等の要請を生命と
せる存在体とみるのである°業界が其の要請を必要としないに至れば勿論取引所は消滅する︒社会的な有機体も有機
体たる以上︑自然的な生き物と同様︑苓ディを具えるわけであるが︑今取引所としてのポディは組織的清算市場とい
商品瑕引所格付賓買の根拠︵今酉︶
︵ 一
︶
第 二
而して取引所が其の生命とする経済的な使命を果たすためには自ら活動を行わねばならない
取 引 所 格 付 売 買 の 根 拠
右の如く商品取引所の格付売買は其の機能と結付けて理解せられるものとして︑それの行われる根拠に就いては尚
その前に前提となるべき事情がある
0従ってこれから説明するのが順序となるのである︒
改めて去う迄もなく︑取引所は大量物件界に生成する
0大量物件なるによってその需要︑供給が多数となり︑延い
て共の価格情勢が混沌とし変動も活蓋となるに至るのである°更に一面︑買占などによる取引所の正当な活動妨害も
困難となるのである
0而して物件界が証券界であるならば物件の内容を成すものは全く同じであるが.︵通俗に株式取
引所に於て取引せられている物件を上場銘柄●呼んでいる
0併し学問的に正しくは︑株式取引所は綜合取引所として
組成せられ甲株式の取引所︑乙株式の取引所等多数が綜合しているのである
0恰も各種商品取引所を綜合した繭品取
引所みたいなものである
0従って或る会社株式に就いてはーー旧株︑新株︑優先株等の穏類のあることもあるが︑之
は別としてーー全く同じ内容のものばかりであり︑商品に就いてみる銘柄はないのだ︶︑
を異にする内訳たる銘柄を擁するのであるがゆえ︑今大量の商品界となれば愈々多くの銘柄を擁することとなるので
あ る
0
尤も商品と去つても主要工業品︑例えば綿糸︑綿布︑人絹︑スフ︑毛糸︑砂糖など何れも大規模生産が発達し
つ i ありて︑当該商品の大量性は生産者の増加︑郁ち銘柄数の増加という方向よりも︑銘柄の膨脹という形で齋され
るようであるが︑矢張り一般的には生産者の増加によつて商品の大量性ぱ壼されると去つて然るべきである
0要する
に︑大量商品界にて取引所を生成さすが如き批界にありては︑極めて多数の銘柄を擁すること
Lな つ
て い
る の
だ ︒
︒ こ ︒
t
商品取引所格付賣買の根拠︵今酉︶
商品界にありては品質等級 が︑これは即ち取引所の取引に外ならぬ°つまり取引所の取引活動は凡て彼の使命︑機能を実現せんとするものであ り︑従つて今格付売買も当然に商品取引所の機能と結付け︑それをよく実現するものとして把握せらるべきであるの
一 四
︵ 註
︶
商品取引所格付賣買の根拠︵今西︶ 一商品の各銘柄が品質︑等級に応じ価格上開きを有すること︑
一 五
つまり銘柄は夫々それとしての価格を有することは
既に一言した
0此の事実は極めて明らかである°然らば商品は凡て銘柄価格を有するのみであるかと去うに︑そうで
はない︒多数の銘柄の間に代替関係を有し延いて
A銘柄の価格が騰落すれば
B . C
等の銘柄にも影響するという価格 ︑
上牽聯関係を有する簡品に就いては︑別に全体価格
G e n e r a l P r i c e , G an ze r P r e i s
とも去うべきものがあるのだ°吾
々が来の価格と去った場合通常考えるのは擬津上来とか武蔵中米と去うが如き特定の銘柄名を冠しない単に米という
価格である
0綿糸に就いても︑石炭に就いても︑其他の商品に就いても同様である︒この特定の銘柄でない当該商品
の価格︑これが全体価格である︒全体価格はこの様に寧ろ泄人には馴染み深いのであるが︑彼等のそれに対する認識
は稽々曖昧であり︑それが実際に存在するものか疑問にも想わすのである︒併し吾人のみるところによれば︑全体価
格は確な本体を有すると共に︑実在し得るものである︒先ずその本体は次の如くである 0 凡そ商品の最も簡単な状態
は其の品質が充分に等ーで何等の銘柄をも擁していない場合であるが︑今銘柄互に牽聯する商品にありてはその銘柄
に分れている状態は上の簡単な状態が複雑化したものとみられ︑従つて多数の銘柄価格の存立となる場合にも︑夫等
品質が全部等一になったとしての価格を考えることは充分可能となるのだ°或る商品の品質が等一なる場合には其の
正常価格を中心とし全体の需要供給関係に規律せられた︱つの市価が立つこと去う迄もない︒而して多数銘柄の存在
するうちに品質の等一を考えるとき︑その中庸な品質を取上げるのが最も自然的であり︑従つて全体価格もそういう
品質に等一化されたとしての当該商品全体の需給関係による価格となり易い
0但し︑理論的には︑他の品質に等一化
することも可能なわけで︑中庸な品質に統一してのみ全体価格は成立するものでないのである︒
或る商品の全体価格は其の平均価格と同じでない︒平均価格とは多数銘柄の価格を平均したものであり︑
それは各銘柄
価格の存在が前提となっている°然るに全体価格はーーふ区に述べるところによりよく理解せられるようにー│銘柄価格と
同時に︑否先に存在するものである︒
全体価格は右の如き本体を有するのみならず︑実際にも存在するのであるが︑その存在はそのま 4 では幾分はつき
りしない︒全体価格が具体的に現れるには特定の操作が必要とせられるのだ︒その最も簡単なのは統制経済である︒
統制経済に於ては政府が価格を公定するのが原則である
0今或る商品に多数の銘柄があり実質的にはそれら銘柄毎に
価格があるべきであっても︑それを無視し︑その中の或る銘柄の生産費を標準とし当該商品一本としての価格が定めら
れんとする︒勿論全体価格は市場価格であり︑この様な市場的でない価格は全体価格とは去えない︒たゞ︑政府が公
定価格を立てそれを基として需給関係をコントロールする態度をとらず公定価格の大いさを隧時需給関係に応じて改
定する態度をとる時は︑其の価格は梢々全体価格に近いものとなるわけである︒全体価格は市場価格であり︑更にそ
れは部分的な銘柄価格が一方に存在しつ 4 あるに於て始めてその名称を使用する意義を有つという点から︑統制経済
でなく自由経済を前提とし︑この下に於ける操作を取上げねばならぬこと去う迄もな●°而してこの場合に於ける全
体価格獲得の操作どしての有放なのが格付売買方法なのである︒即ち多数の銘柄につき価格上の開き︑所謂格差を決
定し︑格差の授受を行えば何れの銘柄をも受渡に供し得る事とし︑その中の適当な銘柄を代表としての取引を行うの
である︒この取引に於ては代表銘柄に集まる需要供給は︑単に本来その銘柄に対する需給だけでなく凡ての銘柄の需
給が集まるのであり︑彼等は代表銘柄だけを眺めて共の価格を問題とするのでなく︑当該商品全体の需給関係を眺め
ることとなるのである 0 従つてそこに立つのは︑代表銘柄の銘柄価格たる性質の大いにぬけた︑
じての︶当該滴品の全体価格たるものとなるのである︒ 商品取引所格付賣買の根拠︵今西︶
︵勿論その銘柄を通 一 六
商品取引所格付賓買の根拠︵今西︶ 以てするとによりその数字的大いさは異るも︑
一 七
時として︑右の格付売買によつて立つ価格を全休価格と認識しない者がある°之等の中には全体価格の観念を知ら
ない者もあるが︑中には其の存在を認めるもその存在は全く観念的なものに止まるとなす者がある
0要言すれば次の
如くである︒多くの商品界にありては各銘柄の間に代替関係があり︑
A銘柄の価格が騰貴すれば
B︑
C等の銘柄にも
響ぐというふうに価格上牽聯し︑結局各ヶ銘柄の価格も全体的な関係の下に定まる︒而してこの価格全体関係を純粋
に体現することは六ヶしいが︑既に各ヶ銘柄の価格がその価格全体関係に律せられるとせば︑その大いさは当然にそ
れを表現するものとならざるを得ない︒たゞ銘柄によつてその全体価格関係を表現するに充分なるものと不充分な
るものとがあり︑延いて適当な銘柄を選んで表現せしめることが大切となる°而してこの選んだ銘柄の取引価格はそ
の銘柄の価格ではあるが︑当該詢品全体の価格関係を披もよく窺わす価格となり︑椰準価格と呼ぶべきである︑と︒
この派の人々は格付売買によつても立つのは代表銘柄による糎準価格なりとなすわけである
0併しこの認識は不正確
であり︑格付売買の立てる価格は代表銘柄の銘柄価格でなく︑既述の如く其の商品の全体価格たるのである︒
格付売買によつて全体価格が独立的に得られると去うに対し︑最も起され易い質問は代表銘柄の如何によって価格
の大いさが異る点である°勿論︑実際として一定時に
A銘柄を代表とする格付売買と
B銘柄を代表とする格付売買を
同時に行うことはなく︑従つて環実には
A銘柄を代表としての全体価格か
B銘柄を代表としての全体価格が存在する
のみである
0たゞ実際には
A銘柄を代表として立てているがー—・仮りに一 00 円とするー若しそれにかえるに
B銘柄
であったならば違った大いさで表われるであろうーー例えば八
0円となるーー点を問題とするわけである 0 併しこれ
は少し深く考えると︑別段奇妙な事態でもないとなるのだ︒査し︑物の長さを一云い表わすに曲尺を以てすると鯨尺を
一定の長さを有つ物の長さは変わりないのと同じであるからである︒
れることを論証するにありとなるわけである︒ 代表銘柄を変更しない限り一*それを断わる迄もないわけであるが︑正確を期せんとせば︑全体価格の一云い表わしに は格付売買に代表とした銘柄を去い副えることである︒尚︑先に或る商品の全体価格と去った場合通常中庸な品質を 通じてそれを考えるのが一般であることを一言して置いたが︑代表銘柄の選択そのことは格付売買に於て実に大切な 問題となるところである︵その詳細は格付売買のやり方論の一中心問題として別に取上げることとしている︶︒
扱︑以上緩天述べたところにより商品の全体価格を得るためには格付売買が必要であるという所に到達した
0併し
それだけでは商品取引所に格付売買の行わるべき根拠は未だ尽されていないのである°冒頭にも要言した如く︑取引
所の取引はその機能を実現する活動形態であり︑従って商品取引所に格付売買の行わるべき根拠も︑彼の機能が格付
売買によつてよく達成せられることを立証すべきであるからである︒凡そ︑商品取引所の機能がよく発揮せられんが
全体価格を対象とするか銘柄価格を対象とするかも重要な意義を有つところであ
る°而してこの全体価格を対象とする方が彼の機能がよく発揮せられることを論証することが︑今商品取引所格付売
買を脱く本筋となるのだ︒蓋し機能上全体価格の適当なことが証明されるならば︑既に前記の如く全体価格を出すに
格付売買の必要なことが論述されている以上︑当然に格付売買を行うべしとなるからである
0斯くて商品取引所格付
売買の根拠論として吾天に残されているのは︑商品取引所の諸機能は全体価格を対象とするによつて一層よく満たさ
これより商品取引所の諸機能が全体価格を対象とするにより一層満たされることの論証に入るが︑それに先立ち痴
品取引所の機能に就き要言して置き度い︒元来︑取引所の取引論を問題とする段階では取引所の機能は既知の知識と
なしてよいところであるが︑必要な範囲に於て述べて置こうと思うのである°既に知れる如く取引所は其の構造即ち ためには穏女の問題点を有つが︑
商 品
取 引
所 格
付 賣
買 の
根 拠
︵ 今
西 ︶
一 八
商品取引所格付賣買の根拠
C今 西
︶
元
一般の移転を目的とする取引は特定商品別 が︑今彼の果たす機能︑・作用に着眼して
l k
うならば取引所は価格市場であ
る
0価格市場という言葉は移転市場即ち実物の移転流通を主たる作用としている市場と対立せしめた意味合いを有つ︒
勿論︑取引所の主たる機能は価格作用であると一云つてもそれは包括的であり多方面に亘るが︑その本質的なものは大
体次の三つとなすことが出来る︒第一は商品の取引締結を助け売買流通を円滑ならしめる鍵となる正確な相場を定与
することであり︑第二は自由無政府的な繭品の生産と消費の量関係を調盤するものとしての正確な相場を標示するこ
とであり︑第三は当該商品の相場変動による生産者︑廊人等の正常なビジネス利益の擁護のため︵掛繋ぎ︶の持続的
市場を供することである︒ 第三の機能は︑ 厳密に一云えば︑取引所として果たすのは持続的市場機能であり価格機能
でない︒たゞ︑その繭品界が取引所に対し持続的市場を求める掛繋ぎは相湯変動に基づいて起るものであるので︵因
に︑株式取引所の持続的市場機能は株式相場の変動から来る掛繋ぎのみに応えるものでなく︑其の他にもある
0例え
ぱ証券動化を助けるための如くである︶一穂の価格的な機能とした次第である︒
先ず第一の︑取引の締結を助け売買流通を円滑ならしめる鍵である椰準的な相場を定与する機能から検討するが︑
それとして全体価格は如何に適当であろうか
9最も端的に考えるならば︑
少くとも銘柄別に行われるところであるがゆえ︑取引者が標準とする相場も少くとも銘柄別に与えてやるのが実際的
であるように思われる
0例えば我国の米の場合︑普通の移転取引部ち卸売取引其他に於ては捩津一等米ならば擬津一
等米︑摂津二等米ならば摂津二等米︑越後一
1︳等来ならば越後=一等米というふうに約定せられるのであり︑従つて取引
所が取引の標準的価格を与えるにも摂津一等米いくら︑同二等米いくら︑越後三等米いくらというように示すならば
直ぐに応用が放き︑好都合であるがようである°けれども先に要言した如く︑商品の各銘柄の価格は銘柄を全体とし ボディの上から云えば清算市場である︒
の場合と似ている︒ た需給関係によって定まらんとするのであり︑つまり庶品全体としての価位に従い其の上に於て夫々の品質に応じた 大いさに定まるのを理想とするのである︒従って銘柄の価格を定与するにしても︑先ず商品全体としての価位をつか むことが大切なのであり︑若し直接に多数の銘柄の価格を立てんとするが如き過程をとるならば︑銘柄個別の偏した 需給関係に堕した価格の生ずる懸念が少くないのである︒例えば米の場合︑米全体の需給との関聯から擬津一等米は
1石八千五百円︑越後三等来は八千円が恰好というとき︑全体価格がはつきりせずに直ちに銘柄価格が与えられんと
すると︑摂津一等米が八千七百円となり越後一︳一等米が七千八百円となったりする如く正当な価格から外れた大いをと
なり易いのである°而して︑改めて去う迄もなく︑全体価格は当該商品全体としての価格を現すものであり︑従
つて取引所として正確な全体価格を公定することが一般取引の価格標準を与えるという仕事を有放に果たすことと
なるのだ︒或は全体価格を与えるのみでは商取引の標準たる価格を与える役目を全的に果たしていないと考える者も
あるかも知れない
0が︑この点実際取引界としては全体価格を基として各個銘柄価格を確定する能力を充分有するこ
とが指摘されるのだ°殊に取引所都ち清算市場を有つ商品界にありてはそれと並んで実物移転本位の実物市場ー
̲ l 多
くの場合主なる地に存するーー'を存在せしめているのが通常であり︑之等に於ける銘柄別的な実物取引は︑正当な全
体価格の与えられるところ︑最も迅速にそれを各銘柄に適当に当てはめた価格即ち銘柄価格を定与するのである︒.斯
一般の取引の標準となる価格を与えるという彼の機能は何等欠けたも
のでなく︑彼としては全体価格の正当なものを出すよう努める方が当に其の任務に相応わしいとなるのである︒
次に第二の生産消費の量関係の調墜に役立つ相場を定与する機能が全体価格を可とする事情も大体第一の取引価格
一部の人は︑生産者は何等かの特定銘柄を生産しており消費者も多くは何等かの特定銘柄を需要 くて取引所としては全体価格のみを立てるも︑ 商品取引所格付賓買の根拠︵今西︶
四 〇
商品取引所格付賣買の根拠︵今西︶ 価格たるべしとなるのである︒
四
するものであり︑従って生産消費量関係を示すものも各銘柄毎に蛾面に響かすものでなければならぬとして︑各銘柄 別の価格を立てる事を支持せんとする︒けれども或る銘柄の過剰は他の多くの銘柄への食い込み︵つまり他の銘柄を
叉不足は他の多くの銘柄からの割り込みで或る程度解決せられるのであ
り︑或る銘柄だけの過不足は国民経済上それほど大事に到らないのである°素より或る銘柄︑殊に主要銘柄の過剰或
は不足が大となれば当該商品界全体としても大事となる事去う迄もない︒即ち当該商品界としての過不足が大事とな
るのは︑多数の銘柄を通じて過不足するか︑主要銘柄に非常なる過不過を生じた場合なのである︒而して斯る事態が
最も正直に反影されるのが全体価格であることは最早自明であり︑こ 4 に生産消喪調盤の指標に就いては絶対に全体
次に第三の取引所機能たる掛繋ぎが全体価格を可とする事情に入ろう︒去う迄もなく︑掛繋ぎをやる人父は生産者
にしても荊人にしても何等かの銘柄品に関係しているところである︒この事は一寸考えると︑取引所としては銘柄別
の相場を立てる取引.を行のが当然である様に思わす︒元来全休価格と銘柄価格は其の騰落の歩調を異にするものでな
く︑両者は全体基礎的︑個別具体的の関係に於て相連る物としても︑銘柄価格としては銘柄自体の需給状態が織込ま
れるが為其の間に幾分ギャップを生ぜざるを得ないのである︒例えば全体価格が十円謄貴しても或る銘柄としては八
円勝貴し或は︱二円勝貴するというようなことは服天あり得るのだ︒従って︑関係の現品価格と繋ぎの対象価格が勝
落の幅を等しくすることを要請する掛繋ぎにとりて︑全体価格を立てる取引が幾分不正確となるのは︑否定出来ない
ところである︒が︑それに就き吾たの知らねばならないのは︑関係の現品価格と繁ぎの対象価格が謄落の幅を等しく
しないという現象は︑仮令取引所が当該現品の銘柄価格を立てる取引を行うても︑生ずるということである︒蓋し取 圧える事︶によって或る程度解決せられ︑
第
取引所格付売買と実物流通
矢張り適当しているとなるのである︒ 一段不並行となるのが普通であるからである 0 斯くてこれ 引所は一般に価格情勢に敏感で共の値動き活親となり︑取引所価格郎ち清算価格と実物価格の間には叉ギャップを生 ずるのが普通となつているからだ
0斯くて上に述べたところだけに就いて
l k
えば︑掛繋ぎの立湯からは︑取引所が
全体価格を立てるやり方は銘柄価格を立てるやり方よりも適当ではないにしても︑其の程度は余り大したものでない
となるわけである°然も掛繋ぎの立場からする取引所の全体価格公定の究極的な価値は︑以上の点の比較論だけで決
まるものでないのだ︒今︑取引所が銘柄相場を立てんとせば勿論銘柄別の取引を行わねばならず︑おのずから多数建
の取引とならざるを得ない
0処が︑既に知れるでもあろう如く︑取引所清算市場が相場公定作用共の他多くの機能を
完全に果たさんには需給を可及的に集中することが要件となり︑市場取引は一本建を最も適当とするのである︒全体
価格を立てる場合に於ても︑複数建︑就中代表銘柄を異にしての二本建取引を行うことが考えられないではないが︑性
質から去つて全体価格取引は本来一本建とせられる傾向を有つていると去われる︒従つて問題は銘価柄格を出す銘柄
取引にあるわけで︑取引集中の要件を満たさんとせば多数の銘柄取引は到底行うことを得ず︑精父数本建とせざるを
得ないところである
0而して銘柄別清算取引が複数建に限られるときは︑当該銘柄に関する掛繋ぎはそれでよしとし
ても︑諸他の銘柄の掛繋ぎは極めて困難となるのである︒去う迄もなく︑関係銘柄の現品価格と取引所の立てる他の
銘柄の価格との歩調は︑全体価格との歩調の開きに比べ︑
まで述べ来ったところを纏めて結論すれば︑結局︑掛繋ぎを満足さす取引所の機能も全体価格を出す取引方法の方が 商品取引所格付賣買の根拠︵今酉︶
四
.
四
格付売買は︑前段に述べた如く︑取引所の色々な価格的機能を果たすに甚だ良いものである
0併し商品取引所は価
格的な作用のみを営む機関でなく︑移転流通作用を営む機関でもあるのである︒而してこの実物流通に就いて一云えば
繰返す迄もなく︑格付売買は大量簡品の多数の銘柄につき品等に基づく価格差即ち格差を定め︑代表銘柄を立てて
売買を行うものであるが︑格差を定めるということは結局それら多数の銘柄を結合する事に外ならない︒それは糠え
ば色とり
l\ヽに着飾つている人々の衣裳を脱がして裸にし等しい人間の姿に還えすようなものである°而して格付売
買が斯の如き事を行うのは︑勿論︑目的的に一云えば全体価格を獲るためであり︑前提的に一云えば其の商品界の各銘柄
が代替性︑延いて価格牽聯関係を有し︑全体価格を存在せしめているがゆえである
0処で︑それら銘柄間の代替性︑
価格的牽聯であるが︑その状態は︑例えば
A銘柄の需要者の多くは
B︑
C︑
D銘銘柄の代用を差支なしとするもそれ
以外は余り好ましからずとなし︑
B銘柄の需要者の多くは
A︑
C︑
E銘柄の代用を差支なしとするもそれ以外は余り
好ましからずなし︑
D銘柄の需要者の多くは
A︑
C︑
E銘柄の代用は差支なしとするも他の銘柄は余り好ましからず
となすふうであるのを︑普通とする
0斯る代替︑牽聯関係にても顛次に連つて価格上全体としての牽聯関係を齋し︑
全体価格を生成するところである︒けれども全体的牽聯関係が斯の如くなるに於て︑そこには客観と主観の不一致と
も一云うべき事態が起らざるを得ないのである︒︑即ち何れの銘柄をも受渡に供し得るとせられている格付売買に於ては
特定の需要者として代表銘柄以外の自己に代用の少い銘柄の渡される可能性を有つのである︒この結果︑実需筋はお
のずから取引所の利用を避けんとし︑取引所の実物移転高はそれだけ減少せんとするに至る︒寇に︑取引所の実物移転
作用を重視する者は︑格付売買の価格上の貢献を認めるも︑取引所取引としての資格は欠けたものとならないかという
商品取引所格仕賓買の根拠︵今西︶ 格付売買は必ずしもそれに味方せず︑寧ろ不適当なものとなる︒
ふうに考えんとするのである︒
格付売買の移転的弱点に就いては︑取引所に於ける格付売買が出来るだけ研究され一応完全に出来上つているものとして
論議されなければならぬ
0現実問題として︑或る取引所に於て︑下手な格付売買の制度をつくり︑其のために移転的弱点 がひどく現れるという事例が少くない
0併しそのひどい部分は下手な制度の罪に帰すべきで︑
1綾的な格付売買の移動的
溺点となすのは認識不足である︒左記参照︒
藤 田 国 之 助 著
﹁
H本取引所解翫﹂昭和十七年六月
しかし取引所の格付売買はそういう移転作用に弱点があるに拘らず︑取引所取引としての採用は担否せられるぺき
ものでないのだ°而
Lてこの結論は取引所に於ける実物移転作用の地位によって与えられるのであり︑従つてこれに
は取引所に於ける実物移転作用の性格︑地位を理解することが鍵となるのである︒
凡そ商品配給の仕事は二つの内容から成る︒ーは価格の決定であり︑ーは物そのものの移転である︒商品取引所はこ
の配給の二つの要件たる価格の方面と物の移転の方面の中︑前者の方の機関であり︑つまり配給界の価格方面に於け
るそれをよりよく沸たして欲しいという要求によって存在せしめられたものである︒何事によらず或る仕事をよりよ
<満たさんとすればどうしても専門とならざるを得ないと云われるが︑この事は社会的な機関に就いても変わるとこ
ろはない°而して或る仕事に専門となれば他の方面はおのずから疎とならざるを得ないのであり︑この事は恰も取引
所にも通用するのである°素より︑配給は価格の定与と物の流通移転の二つの内容に分れると一云つても︑両者は相互的
な関係作用を有しており︑取引所としても各地の実物市場に対し中枢市場たる地位にあるのだ︒従つて取引所が実物
移転作用を無視しそれと遊離してしまつては到底正当︑権威ある相場は立たず︑価格作用そのものも完全に果たし得
ないこととなる
0取引所としては必ず移転作用をも行わねばならないのである
0時 と
し て
︑
︵ 註
︶
商品取引所格付賓買の根拠︵今西︶
一 八
1
ー ︱
l
︳
八 四 頁
一部の人は︑これを解釈 四 四
(D
拙著﹁証券市場論﹂昭和二八年
1月
四 五
して︑それは価格作用の手段であるがゆえ︑移厳の途をこしらえて置けば事が足りる︑それ以上移転に努力する必要
はない︑と考える
0が︑この解釈は少し極端でありヽ矢張り移転のために出来るだけのことは努むべきである︒たゞ
( J )
主たる機能でないがゆえ︑力の及ばない所はあきらめても差支無しとなるのである
10 0
1
10
一 頁
取引所の実物移転作用に就き︑尚序で乍ら要言して置こうと思うのは︑取引所に於ける受渡高の出来高に対する比
率を取上げ︑その比率の大なるほど取引所としての機能が立派であるかの如き認識に就い︐てである︒吾人からこれを
みれば︑斯の如きは取引所を一人前の移転流通機関となす偏見に陥れるものと批評するの外がない
0仮りに取引所が
移転需給のためにその途を開けている程度に止めるとするも︑実際にはそこに相当量の受渡需給が集まらんとし︑殊に
彼が中枢市場たる実を備えている以上︑各地の実物市場の何れよりも大なる受渡高を有つ筈である
0併し取引所は清
算市場として差金決済に終わる薄資の投機儒給が多量に集まるのであり︑之等は取引所の価格的又移転的機能を果た
すに役立つ材料需給となるのであるが︑多くの場合機能が必要とする以上に過剰に行われんとするのである
0斯の如
く投機需給が剰過となることは︑取引所を目して投機々関と非難するに値する︒けれども︑たとえ量的には投機々関
たるに至つても︑機能が充分に果たされている限り︑機能上劣るとはならないわけである
0結論すれば取引所に於け
る稀釈された受渡高の比率の小を以て彼の機能の価値小と断定するのは︑的外れとなるのだ︒
以上︑梢々余分に亘った感もするが︑
う
0既に取引所の移転作用にして上述の如き地位にあるものとせば︑格付売買が充分に流通移転に貢献しないとして
も格別非難するにも当らないわけである
0或は格付売買は取引所のあるべき流通移転作用の程度に応じた売買仕法と
商品取引所格付賣買の根拠︵今西︶ 取引所の機能としての流通移転作用の本来あるべき地位は理解されたと思
去つてもよいであろう 0 何れに
Lても︑格付売買の移転的弱点は︑彼の価格的貢献を覆えすには足らず︑前段に述ペ
取引所格付売買と実物流通の問題として一般に取上げられるのは格付売買が流通移転に不都合であるという点であ
り︑吾人もこれに応える意味に於て其の点からする格付売買取捨論をなして来たのであった
0併し取引所格付売買と
実物流通の関係に属する問題として今ーつ取上げるべき事態があるのだ
0それは︑格付売買が実物受渡需要に与みし
ないことは︑取引所の流通移転作用そのものに都合よくないのみならず︑取引所の立てる価格にも影響を及ぼし本来
あるべき大いさより幾分低められた価格とするに至らないかである︒先に述べた︑格付売買によって立つ取引所全体
価格論に於ては︑この点に鱗れなかったが︑今や精確にはその問題を取上げ︑進んでは共のために取引所の価格的機
能への貢献に異状を冑さないかの検討をなすべしとなるわけである︒.然らば此点如何であろうか︒
一般的に一云えば︑実物需要として希望する銘柄の得られないことは需要価格を至当と考える価格より幾分割引.いた
大いさとせざるを得ず︑従つて出来る価格もそのようにならんとする 0 が︑そこに知らねばならないのは︑取引所は
清算市場として投機需給を多量に参加せしめており之等需給の評価は必ずしも割引いた大いさでないということであ
る︒この為右の実需の立場からする低評価作用は殆ど消されるのであり︑結局取引所価格の受ける影響は殆どないか
極めて微少なものとなるのだ°而して微少乍らも影響ありと認められた場合全体価格による取引所機能は如何と去う
に︑これ亦殆ど支陣をみないのである︒蓋し取引所価格は斯ういう性格のものとしても︑実物市場以下がその取引で
るなど︶をとるにより︑苦もなく対処されてしまうからである
0結局︑格付売買の実物移転上の弱点が価格の上に及 取引所相場を椰準とするにその事を充分呑み込み︑ 掛繋ぎの場合でも適当な態度︵例えば掛繋ぐ数量を幾分加減す た取引所格付売買の根拠はそのま 4 活きるのである︒ 商品取引所格付賣買の根拠︵今酉︶
四 六
商品取引所格付賣買の根拠︵今西︶
い で
は な
い ︒
る ︒
第 四 取 引 所 格 付 売 買 の 根 拠 に 関 す る 諸 見 解
ぽす影響も彼の全体価格による働きの価値を動揺さすものでないとなるのである︒
四 七
商品取引所格付売買の根拠は以上により大体は尽されたのであるが︑尚敷術すべき事柄がないでもないが︑それら
は単狼に述べることをなさず︑以下取引所格付売買の根拠に関する諸他の見解の批判に関聯さして展開することとす
取引所格付売買の根拠に関するこれまでの説明は︑吾人として最も正当︑動かすべからざるものと信ずるのである
が︑批間には尚幾多の論が行われている︒中には取上げる迄もないものもあるが.︑批判に値すると思われるものもな
最も多く見受けられる見解の一は︑買占防止説である︒この見解をとる者は仲んに多く︑否最も多いのでないかと
思われる︒これの要旨とするところは大休次の如くである
0取引所は大市場として大量の需要︑供給が臨んでもこれ
を拒否すべきでない°而して之等需給の中には勿論投機的な需要︑供給も含まれるところであり︑従つて大量の然も
資力を有つ投機需要の出動のある事も充分考えねばならないところである
0大投機需要必ずしも策動的に行動すると
は限らないが︑彼等の所謂玉締めの行われないようにする事が何より大切となるのである︒蓋しそのような事態の生
ずるところでは忽ち相場は乱れ︑取引所の価格的機能は満たされないに至るからである°而してその大切な︑玉締め
の行われない状態を宵すには︑結局取引対象を大にするの外なく︑この工夫として行われるもの即ち格付売買である︑
というのである 0 勿論︑論者によつて表現方法は異つているが︑趣旨は上に帰着するところである
0例えば河合良成
河合良成著「取引所講話」昭和九年六月二八
0—二八三頁 尚︑河合氏は︑需綺集中翫とも一 k うべき見解をとつておられる︒即ち取引所がよい相場を立てんには可及的に需給を集中 せしむべきであり︑其の為に取引所の薇を広義市場内に
1たらしめると共に︑取引所に集まる需絵を少薇特定の仲買業者
の手に集めしめることが行われるが︑更に取引を多数建とせず
1本建としなければならぬ︑と一ぞうのである︒この見解か
ら直接にも格付売買が主張せられている
0併し
1本建はよいとして︑それから生まれるコー
Kは格付売買だけでなく︑或
る銘柄を対象としての
1本建も可能なわけである︒ただ斯の銘柄
1
種の取引は買占の行われる危険があるわけで︑こ
4に
格付売買を買占防止の見埴から主張する翫が生まれて来るのである︒
併しこの買占防止を以て格付売買の根拠となすことは正当とは一云えないのである︒先ず格付売買が買占防止を目棚
として行われるとせば︑価格上牽聯関係の少い或は無い銘柄をも格付に加える虞を生ずる︒こ 4
に 改
め て
一
k う迄もな
く︑商品取引所は大量商品界に生成するものであり︑その大量なことは牽聯関係のある銘柄だけで充分完成されてい
るのが通常である︒従つて買占防止説を持するものも格付に加える銘柄としては欲ど夫等を考えているとなしてよい
であろう
0けれども商品界によりては牽聯関係のある銘柄だけでは充分に大量的でないこともあり得るところで︑時
としてもう僅か足らぬということもあり得る
0斯る場合買占防止が目標とせられているならば︑価格的牽聯の少い銘
柄をも格付に加えることが敢えて行われんとするのだ︒去う迄もなくそれによって買占が防止せられ取引所の活動は
︵ 一
︶