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[書評]小谷博泰著『本簡と宣命の国語学的研究』
著者 西宮 一民
雑誌名 奈良教育大学国文 : 研究と教育
巻 10
ページ 51‑54
発行年 1987‑03‑25
URL http://hdl.handle.net/10105/10552
︹書評︺
小谷博泰著﹃木簡と宣命の国語学的研究﹄
本書は二部から成り︑第一部は十一篇︑第二部は十篇︑計二十一
篇の論文を配し︑﹁あとがき﹂と﹁著者名索引﹂を付す︒A5版︑
三六五頁︒文部省研究成果公開促進費交付を受け︑昭和六十一年十
一月︑和泉書院より刊行︒定価八︑五〇〇円︒
目次
第一部宣命体表記とその成立過程
一藤原宮跡出土の宣命木簡に関して
二
三
四五
六
七
八 宣命の文章と語法
宣命と上代における漢籍の訓読
宣命の起源と詔勅
宣命の作者について
万葉集と宣命
宣命体表記における返読と送り仮名
祝詞の表記に関して 九十十一
第二部
一二
三
四
五
六七
八九
十 西宮一
漢字仮名交じり文としての宣命
稲荷山古墳鉄剣銘の文章
藤原宮木簡の用字および表記について
用語・諸資料
金石文・木簡・文書の語彙
宣命・祝詞の共通用語に関して
宣命・・祝詞の語彙
宣命の訓読に関して
宣命における﹁あり﹂の融合過程
皇太神宮・止由気宮儀式帳について
高橋氏文の万葉仮名に関して
祝詞の万葉仮名に関して
木簡と上代文学
記紀歌謡の解釈と木簡 民
一51
一
右の目次を見て︑誰しも﹁宣命﹂の研究が主であると知るであろ
う︒私などは︑ひどいもので︑﹃宣命と木簡の国語学的研究﹄とい
う書名だと誤って記憶してしまった︒著者にとっては︑藤原宮跡出
土の宣命木簡こそ従来の宣命研究を大きく変える契機をなし︑それ
に着目して発表し︑学界に注目された︑といった因縁もあってか︑
﹃木簡と宣命の⁝⁝﹄という順序でなくてはならなかったのであろ
う︒勿論︑近年脚光を浴びている﹁木簡﹂のことだから︑それを先
に記す気持ちも分る︒が︑私は︑順序はともかく︑書名にこだわっ
ているのである︒
さて︑右の目次は原論文の題目と大差がない︒原論文の掲載誌名
を記すと︑国語と国文学︑月刊文法︑文学・語学︑訓点語と訓点資
料︑古代文学︑解釈︑国語国文︑古事記年報︑木簡研究︑講座日本
語の語彙︑国語語彙史の研究︑甲南大学紀要︑奈良教育大学国文で
ある︒今試みに﹁本書所収論文初出表﹂(三六〇)頁を頼りに︑原
論文を発表順に並べかえてみる︒ゴチの一・二は第一・二部の意︒
昭和四十五年六月(二の五)十一月(二の四)
昭和四十六年一月(一の一)四月(一の二・二の六)九月(一の三)
昭和五十年三月(二の七)
昭和五十二年三月(一の五)
昭和五十三年八月(二の二)
昭和五十四年三月(一の四)十二月(一の六) 昭和五十五年五月(一の七)
昭和五十六年一月(二の八)
昭和五十七年七月(一一の一)十一月(二の九)
昭和五十八年一月(二の十)三月(一の九・十)九月(一の十一)
昭和五十九年五月(二の三)
昭和四十五・六年の旺盛な論文発表は︑昭和四十四年二月提出の
甲南大学大学院修士論文(三五九1三六〇頁に目次がある)の活字
化である︒この中に︑かの﹃月刊文法﹄賞佳作入賞の論文(一の二)
がある︒以後の空白は博士課程の仕込期で︑昭和五十年から︑宣命︒
祝詞及び宣命体を含む文献の各視点よりする研究の公表︑昭和五十
七年以降は金石文や木簡に研究分野が拡大していることを示してい
る︒
著者は﹁あとがき﹂で︑一書をものすことの理由を述べ︑さらに
原論文のまま集めることを断り︑必要に応じて︿追記﹀を記す方法
をとるとしている︒論文集的な形をとるなら︑本書の如き︿追記﹀
があって然るべきだと思う︒二十年も三十年も前の旧稿がそのまま
というのでは︑本人の学問の進歩が停止したのか︑後進がその壁を
超えられないのか︑無視しているのか︑甚だ奇妙に思う︒それで私
などは︑成書化する場合は︑章立てをし︑全部書下すように努めて
いるのである︒
本書は︑しかし︑前掲の如く︑第一部として﹁宣命体表記とその 一
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}
﹁ 成立過程﹂という総題を記し︑第二部として﹁用語・諸資料﹂とい
う異次元の見出しを記しているので︑全くの論文集的だと言うわけ
ではない︒ところが︑第一部に含まれる十一篇の論文題目を見た場
合︑﹁宣命体表記﹂の術語を含む論文は︑第七番目(宣命体表記に
おける返読と送り仮名﹂)のみであり︑また﹁その成立過程﹂すな
わち﹁宣命体表記の成立過程﹂をにおわせる論文は皆無である︒こ
れ︑総題と個別論文との関係にこだわるもとである︒第二部は︑そ
の見出しから言えば︑個別論文の羅列でもよいが︑視点の如何によ
り︑第一部的なものもある︒ということは︑第一部でも︑第二部的
な箇所が幾っかあるわけで︑ここにも問題が存する︒
ここで︑個別論文に注目しよう︒一の一では︑宣命大書体から宣
命小書体への推移を︑木簡・金石文そして上代文献において検討し︑
割注補入形式を含めて︑﹁宣命体﹂の成立過程を明らかにしたもの
で︑今日では常識化しているが︑当時は斬新な説であった︒ただ
﹁宣命体﹂という術語はあまり流布していないと思われる︒﹁宣命
大書体﹂とは言っても﹁宣命体﹂ではやはり妙だからである︒一の
二では︑続紀宣命の言語には︑和文調のものと漢文訓読調のものと
が混じており︑中世の和漢混清文の源流をなすと説く︒この説も是
認される︒ここでは︑前論文の如き﹁宣命体﹂(宣命の表記様式)
の問題なのではなく︑﹁宣命﹂の言語(文法・表現・語性)の問題
を扱っているのである︒ 一の三では︑前論文をさらに発展させ︑その漢文訓読調と言って
も︑漢訳仏典類の訓読調とは出自を異にした︑漢籍の訓読調だと述
べている︒日本書紀所引の如き︑日本で作られた漢文の﹁詔勅﹂は︑
中国の﹁詔書﹂を下敷きとして作られた︒国文体の宣命は︑漢文の
詔勅(ひいては中国の詔書)の翻案文とでも言うべき性格をもつの
で︑宣命の文章は漢籍の訓読調になっているのだという︒私はこの
説を最も高く評価したい︒
宣命が漢文を和文化したものということの実証は︑意外に困難
で︑私が十二年前にこれを論じて以来︑私の研究は難渋をきわ
めた︒(一の九︑=二五頁)
と著者は告白している︒しかし著者は︑一の四において︑日本書紀
の詔勅類と宣命との関係を詳しく対比し︑一の五では宣命の作者を
推定し︑一の六では万葉集から宣命の場を考察し︑﹁の七では宣命
体の表記における返読と送り仮名の表記から︑漢文訓読の事実があっ
たことを論証するなど︑幾つかの論文を用意して︑﹁宣命が漢文を
和文化したもの﹂ということの実証に努めている︒以上は︑宣命の
研究である︒
次の︑一の八は祝詞︑九はまた宣命︑十は稲荷山鉄剣銘︑十一は
藤原宮木簡の用字・表記︑そして口授・口読の面からの研究論文で
ある︒
以上を通じて︑第一部の各個論文はその題目の下に各々まとまっ 皿
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一ていても︑総題の下に十一篇がどのように組織的に統合されるかと
いった点においては︑甚だ理解を困難ならしめるものがある︒すべ
からく︑章立てを考えるべきであった︒一は宣命の書式の成立論で
あり︑ニー七は宣命そのものの研究である︒ならば九を第八に置く
か︑第二に置くかして一の類に入れ︑十︑十一は宣命そのものの研
究の類としてのみ論ずるなりすべきものと考える︒
二は︑主として﹁宣命体﹂(宣命の書式をもつもの)資料から見
た﹁語彙﹂の研究を収める︒中でも︑二の四の﹁心中古止﹂の訓読
と二の十の﹁加岐加比﹂の意味を決定した功績は大きい︒前者は︑
十三詔の﹁心中古止波奈母﹂が難問であったのを解決したもの︒
こと﹁古止﹂を﹁事﹂と解するのは︑上代特殊仮名遣上不可︒そこで︑
なかリロロ﹁仏﹂のことを﹁中子﹂と言うのをはじめ︑和名抄に﹁多心﹂を
なかこかち﹁奈賀古可遅﹂︑名義抄に﹁心・ナヵコ︑中ナヵコ﹂とあることから︑
﹁中心・中央︒芯・軸﹂をナカゴと言ったものとし︑﹁心中古﹂を
ナカゴと訓むべきだとした︒賛成である︒ただ︑﹁心中古﹂を︿連
文﹀と見るか︑﹁中古﹂だけでナカゴと見るかは問題だとする(二
五〇頁)︒私は﹁心﹂の︿実字訓﹀としての﹁中古﹂ではないかと
思う︒実字訓のことについては一の四(五三1四頁)で少し述べて
いるが︑そのことを私は想出して応用したのである︒
かさカ後者は︑従来﹁蠣貝﹂の意としてきたが︑﹁蠣﹂の仮名遣は﹁河
キカブチ鬼加布打﹂(﹁硝頭打﹂の意︒加藤優﹃木簡研究﹄3︑昭和五十六・ ヵキカヒ十一)に見られる如く乙類のキなので︑﹁加岐加比﹂のキの甲類に
カキ不適︒そこで﹁加岐鰻﹂﹁加岐飽﹂の藤原官出土木簡﹂のカキ(肉
を削り取ったもの)も考えられはするが︑そうではなくて︑名儀抄
に﹁折・析・剖・欠﹂をカクと訓ずるように︑﹁割った貝・砕いた
貝﹂の意とすべきだとする︒昭和五十七年六月の古事記学会大会の
研究発表会における氏の﹁記紀歌謡と付札木簡ー﹃細螺﹄﹃蠣﹄
をめぐってー﹂の発表について︑閉会の辞を担当した私が激賞し
たことを︑今も鮮かに想出す︒
まだほかにも推奨すべき点︑あるいは逆に批判すべき箇所もある
が︑すべて割愛して︑誠実な著述の刊行たることを慶ぶものである︒
(皇学館大学教授) 一