俳句の国際性 : 西欧の俳句についての一考察
著者 ソコロワ=デリューシナ タチヤーナ L.
会議概要(会議名, 開催地, 会期, 主催 者等)
会議名: 日文研フォーラム, 開催地: 国際交流基金 京都支部, 会期: 1995年12月19日, 主催者: 国際日 本文化研究センター
ページ 1‑46
発行年 1997‑01‑25 その他の言語のタイ
トル
Internationalization of Haiku : some aspects of Haiku movement in Europe
シリーズ 日文研フォーラム ; 80
URL http://doi.org/10.15055/00005715
第80回 日 文 研 フ ォ ー ラ ム
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俳句 の国 際性
一 西 欧 の 俳 句 に つ い て の 一 考 察 一
InternationalizationofHaiku:
SomeAspectsofHaikuMovementinEurope
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タチヤ ーナL.ソ コロワ=デ リュー シナ
Tatyana:L.Sokolova‑Delyusina
日文研フォーラムは︑国際日本文化研究センターの創設にあたり︑
一九八七年に開設された事業の一つであります︒その主な目的は海外
の日本研究者と日本の研究者との交流を促進することにあります︒
研究という人間の営みは︑フォーマルな活動のみで成り立っている
わけではなく︑たまたま顔を出した会や︑お茶を飲みながらの議論や
情報交換などが貴重な契機になることがしばしばあります︒このフォー
ラムはそのような契機を生み出すことを願い︑様々な研究者が自由な
テーマで話が出来るように︑文字どおりインフォーマルな﹁広場﹂を
提供しようとするものです︒
このフォーラムの報告書の公刊を機として︑皆様の日文研フォーラ
ムへのご理解が深まりますことを祈念いたしております︒
国際日本文化研究センター
所長河合隼雄
[
● テ ー マ ●
俳 句 の 国際性
一 西 欧 の 俳 句 に つ い て の 一 考 察 一 InternationalizationofHaiku:
SomeAspectsofHaikuMovementinEurope
● 発 表 者 ●
タ チ ヤ ー ナL.ソ コ ロ ワ ・=デ リ ュ ー シ ナ TatyanaL.Sokolova‑Delyusina
翻 訳 家
国 際 日本 文 化 研 究 セ ンタ ー来 訪 研 究 員 Translator
VlsitlngResearcher,Int'lResearchCenterforJapaneseStudies
1995年12月19日(火)
発表者紹介
タ チ ヤ ー ナL.ソ コ ロ ワ=デ リ ュ ー シ ナ TatyanaL.Sokolova‑Delyusina
翻 訳 家 、 モ ス ク ワ文 学 者 委 員 会 委 員
1946年 生 まれ 。1970年 、 モ ス ク ワ国 立 大 学 東 洋 語 学 部 卒 業 。1970年 か ら ロ シ ア科 学 ア カ デ ミー東 洋 学 研 究 所 に在 籍 。1973年 よ り プ ロ グ レス 出 版 社 の編 集 者 と して 勤 務 の 後 、1976年 に翻 訳 家 と して 独 立 。 古 典 、 近 現 代 日本 文 学 の紹 介 と評 論 活 動 を 続 け るか た わ ら、 『源 氏 物 語 』 の初 の ロ シ ア 語 完 訳
を 出版 し、1993年 度 の 国 際 交 流 基 金 ・国 際 交 流 奨 励 賞 を受 賞 。1995年 9月 か ら一 年 間 、 国 際 日本 文 化 研 究 セ ンタ ー の 来 訪 研 究 員(国 際 交 流 基 金 フ ェ ロ ー)と して来 日。
主 な 著 作:
『謡 曲 一 日 本 の 古 典 劇 』'(翻 訳)モ ス ク ワ 、 ナ ウ カ 社 、1979年
『源 氏 物 語 』(翻 訳 と 解 釈)モ ス ク ワ 、 ナ ウ カ 社 、1992‑1993年
『一 茶 一 句 と 俳 文 』(翻 訳 と 解 釈)サ ン ク ト ・ペ テ ル ブ ル グ 、 ギ ペ リ オ ン 社 、1996年
俳句の国際性i西欧の俳句についての一考察i
私は日本人ではありませんから︑日本人である皆様の前で︑日本の俳句のこと
を説明するわけにはいかないでしょうが︑はたから見る俳句︑それに現代のハイ
クの発展の一つのあらわれとしての西欧におけるハイクのことを話させていただ
きます︒
今日の俳句の特徴の一つとしては︑俳句が日本詩歌の枠を越えていることだと
思います︒今世紀のはじめから︑俳句は段々新しい生命空間を勝ち取ってきてい
ます︒今世紀のはじめに西欧でハイクを作るのは︑ごく少数の詩人にすぎません
でしたが︑海外ハイクに関する著作で第一人者として知られる佐藤和夫氏の言葉
を借りますと︑今日では俳句からハイクへの道が段々広がっているそうです︒ア
メリカをはじめとして︑西ヨーロッパ︑アジア各地では︑いろいろなハイク運動
が行われています︒アメリカ︑カナダ︑ベルギー︑オランダ︑中国などでは︑ハ
イクを作る詩人の協会が次第に現れてきました︒外国語のハイクのコンクールが
行われたり︑アメリカ︑イギリスなどでは︑ハイクの授業があって︑子供にハイ
クを作らせる学校もあるようです︒今世紀のはじめに日本語でないハイクがある
種の詩的な奇行だけとして存在していたのにたいして︑今日の海外ハイクは︑ど
ちらにしても︑注目に値する現象になったようです︒
外国語のハイクの存在は日本でも認められるようになりました︒例えば東京に
ある俳句文学館に国際交流部が作られていますし︑先程申し上げた佐藤和夫氏の
著作﹁俳句からハイクへ﹂をはじめ︑星野慎一著の﹁俳句の国際性﹂などが出版
されました︒これらの現象はすべて俳句の広範な普及を物語っています︒しかし
俳句の普及の歴史と地理は︑大変面白いのですが︑時間の制限がありますので︑
今日の私のテーマとは︑別です︒
今日︑私がここで発表させていただきたいのは︑俳句︑特に日本語以外のハイ
クの歴史的な分野での綿密な分析の結果でも︑また結論でもありません︒現代の
俳句の研究は︑私にとって今始めたばかりの研究です︒今度︑日本国際交流基金
と国際日本文化研究センターの御協力をいただきまして︑日本に来て︑現代の詩
歌︑特に短歌と俳句に関する幅広い資料を手に入れたので︑これからこのテーマ
のもっと具体的な局面を研究する上で︑今の考察を広げて︑具体化できると期待
しております︒
今のところは︑この数年間読者としての︑また翻訳者としての俳句との付き合
いの結果思いに浮かんだ考察だけをここで発表させていただきます︒
私の俳句との出会いは︑八・九年前の事でした︒その前に長いあいだ﹁源氏物
語﹂の翻訳に取り組んでいて︑平安時代の文学︑特に古典短歌にかかわっていま
した︒日本文学の一番長い作品の翻訳の仕事をすませてから︑なぜかわからない
けれども︑短い文学のジャンルに心を向けました︒日本文学の中で一番短いのは︑
俳句ですから︑俳句を翻訳してみようかという気持ちになって︑ここ数年の間に
芭蕉︑蕪村︑一茶などの句を読んだり翻訳してきました︒
もちろん︑そのまえにも俳句を読んだことがありまして︑芭蕉の句が特に好き
でしたが︑長い間短歌が私の意識を支配してきました︒俳句の翻訳に取り掛かっ
てからは︑俳句に打ち込んでしまいました︒俳句の魅力は︑単に詩の形式だけで
はなくて︑人間の世界とのつきあいの一つの方法︑特別な世界観だと思います︒
俳句は短歌の中から生まれて︑短歌の形式と内容の発展した一段階ともいえる
にしても︑短歌を作る人の世界観と︑俳句を作る人の世界観とはだいぶ違ってい
るでしょう︒歌人と俳人の世界観がいかに違っているかというテーマが非常に面
白いですが︑これも時間の限りがあって︑ここで一言だけを申し上げさせていた
だきます︒
一応︑短歌を作る人にとっては︑周りの世界︑自然が自分の感情や︑心情の展
開と関連していると思います︒歌人にとってこの世の物はすべて︑人の心に思う
ことを完全に︑そして最高にまで吐露し表現させてくれるからこそ︑意味がある
ことになります︒短歌の中で︑﹁心﹂から﹁自然﹂へとの動きが見出されます︒つ
まり︑人の心は﹁物﹂︑すなわち自然を従わせている次第です︒俳人の場合も心が
第一ですけれども︑自然と人の心の結び付きは︑短歌との反対方向です︒反対方
向といいますと︑﹁物﹂︑すなわち自然から心へと行くわけです︒少し大袈裟にい
いますと︑短歌は自然を従属させていますが︑俳句は自然の呼び声にたいして応
答しているのです︒ですから︑短歌と俳句はお互いに調和的に足りないところを
補い合って︑この世の多様性と複雑さをあらわしているといえるでしょう︒
俳人が自分を囲む万物を注意して見つめ︑その呼び声に耳を傾けて︑自分の心
の動きを自然の動きとリズムに従わせ︑この世のすべての物のつながりを見出す
結果︑俳句が生まれてきます︒俳人は小さいものに大きな意味を見出し︑一時的
なものに永遠なものをあらわし︑ありふれたものに非凡なものを発見します︒外
国の読者が短歌よりも俳句に魅せられた原因の一つは︑この俳句特有の世界観で
あると思います︒
俳句は突然に生まれますが︑俳人はいつも俳句を心に持たなければなりません︒
ですから︑俳人にとってポエトリーは生活であり︑生活がポエトリーなのです︒
俳句はポエトリーのあらわれよりも︑生きていることのあらわれです︒ここで俳
句と禅仏教の思想的関係についても話したいのですが︑これはまた別のテーマと
なります︒でも︑俳句の海外での普及は禅仏教の普及と関係があるのは事実です︒
ヨーロッパとアメリカで俳句が知られたのは︑今世紀のはじめのことです︒パ
ラドックスみたいですが︑日本が自国の文化の伝統を無視して︑ヨーロッパの文
化に打ち込んでしまって︑世界文化に親しもうとしていた時に︑ヨーロッパは︑
日本文化に魅せられて︑その文化の一番独特な要素︑一番伝統的で︑民族的な色
彩の強い要素に注意をむけた結果︑日本が一番日本的な物を通じて世界文化に入
りました︒これは非常に意味深い現象だと思います︒というのは︑異なる文化の
接近︑付き合いの過程で重要なのは︑﹁似ているもの﹂ではなくて︑﹁異なってい
るもの﹂で︑日本人はどれほどヨーロッパ人のようになれるかということでなく︑
日本人だからこそ面白いのです︒日本については︑日本的なものが一番興味深い
のです︒自分の国に固有のものを保存することが︑世界の文化の一つとして地位
を確立する条件でしょう︒その意味で︑俳句が日本の文学的伝統のあらわれとして全
世界の文化に与えた日本の文化の贈り物となったのも︑当然ではないでしょうか︒
話が脇にそれましたが︑今世紀のはじめに西欧は日本の俳句を知りました︒最
初に俳句に注意を払ったのは︑フランスの詩人で︑つづいてイギリス︑ドイツ︑
アメリカに俳句が紹介されました︒そのあと︑俳句は東ヨーロッパとアジアにも
普及しました︒どこの国でも同じ様に︑俳句の紹介は︑日本の古典俳句の翻訳と
俳句にかんする論文の発表から始まって︑続いて日本の俳句に魅せられて︑自分
で俳句を作ってみようかという詩人が現れる次第です︒
ロシアの俳句の紹介は西欧と同じ様に︑今世紀のはじめごろのことでした︒ロ
シアの優れた詩人バリモーントをはじめ︑幾人かの当時の詩人と文学者が日本を
訪ねて︑日本文化︑中でも日本の詩歌に魅せられました︒バリモーント︑ビェー
リーなどのロシアの有名な詩人は︑日本の短詩︑1短歌と俳句1を翻訳したり︑
作ってみたりしました︒バリモーントは柿本人麻呂︑藤原公任︑西行︑本居宣長
などの短歌や︑芭蕉︑其角︑蕪村などの俳句を翻訳し︑自分自身︑短歌や俳句を
作ってみたこともありました︒たとえば︑彼の﹁白い菊﹂という随筆の中で︑次
のような俳句があります︒
0
コンスタンチン・バリモーント
冒×鋤団ぴΦロロΦ目冒鋤
国ωαΦ員O忌目く幽需国
口自Φ弓Φ目開OoロΦb (天六七上九四二)
風の息
白くて小さい雲の糸で
絨毯を編んでいる
象徴派の詩人ビェーリーは︑日本の詩歌︑特に短歌をテーマにして一連の論文
を書きました︒その中のビェーリー自ら作った短歌の例をあげましょう︒
アンドレイ・ビェーリi(天八O上九三四)
=①口目眉鋤ロごO忌ζ○目¢自Φ澪
∩9ζO昌Φ↓==罫員ロコΦ目O国
↓鋤国富凶"ロロoロΦ目O冒iOζΦ冒目ぴ1
口口員OOαO旨O目ΦαΦ員ぴ客Oζ
口OO員Φ幽網窓O目匡﹄ぴ国O竃 草の上を飛ぶ蝶
飛行機になった花よ
私も死の風に乗って
私という茎の上を
蝶のように飛んでいくだろう