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須藤隆司 剥離 と呼称すると, 両面調整石器に施された削片剥離には, 面取剥離と樋状剥離の二種類が存在し, 特に面取剥離の目的が課題となる. 三宅 (1980) 篠原(1980) は, 面取剥離された削片を目的剥片と考えた. 削片を素材とする彫器が具体的に存在する. 青森県大平山元 II III 遺

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削片系両面調整石器

―男女倉・東内野型有樋尖頭器の再構築―

須藤隆司

1

*

要  旨  本論の目的は,男女倉型有樋尖頭器,東内野型有樋尖頭器,尖頭形彫刻刀形石器,男女倉技法と呼ばれた石器と技術を, 削片系両面調整石器・削片系両面調整技術として再構築することである.  削片系両面調整石器には,両面調整石器,面取石器,面取彫器,面取尖頭器,両面調整彫器,彫器,有肩形両面調整石器, 有肩形面取石器,背縁有肩形面取尖頭器,有肩形面取尖頭器という多様な形態が存在する.  削片系両面調整技術とは,面取剥離と樋状剥離からなる削片剥離技術を特質とする両面調整技術である.削片剥離技術を 駆使して,両面調整石器の再生利用と削片利用という長期的な資源管理とそれに基づく長距離広域遊動を可能とした.  最終氷期最寒冷期直後に,動植物の生息領域が改変される気候変動が起こり,古北海道半島と古本州島の狩猟民たちは従 来の遊動領域を大幅に改変した.新たな資源地で遭遇した狩猟民たちは技術情報を共有し,再編された遊動領域の資源環境 に適応した様々な石器形態を開発した.  古北海道半島では,細石刃を特徴とする削片系両面調整技術が開発された.古本州島東北地域では,古北海道半島の削片 系両面調整技術を組み替えて,大平山元・男女倉型両面調整石器と杉久保型尖頭器を開発した.南関東地域では,東北地域 の削片系両面調整技術を組み替えて,渋川・平賀型両面調整石器と砂川型・東内野型尖頭器を開発した.  多様な資源に適応し,多様な道具の開発を可能とした削片系両面調整技術とは,複数の狩猟民による技術知の複合であっ た. キーワード:削片系両面調整技術,技術共有,面取尖頭器,面取彫器,有肩形面取尖頭器 1 明治大学黒耀石研究センター 〒 386-0601 長野県小県郡長和町大門 3670-8 * 責任著者:須藤隆司([email protected]

1.男女倉技法再考 ―研究の課題と方法

―  「彫刻器状石器」(信州ローム研究会 1972),「木苅型 グレィバー状石器」(鈴木 1975),「男女倉型ナイフ形 石器・男女倉型彫刻刀形石器・男女倉型掻器」(森嶋 1975),「東内野型尖頭器」(篠原 1977),「有樋尖頭器」(篠 原 1980),「樋状剥離を有する尖頭器」(川口 1988),「樋 状剥離を有する尖頭器・尖頭器素材彫器・尖頭器素材掻 器」(伊藤 1989),「有樋尖頭器・尖頭形彫刻刀形石器」(堤 1988, 1989),「面取石槍」(田村 2000),「左右非対称形 槍先形尖頭器」(飯田 2006)と呼ばれてきた石器がある.  多様な用語が与えられた第一の要因は,両面調整技術 による石器の整形前後に行われた削片剥離である.第二 の要因は,削片剥離された両面調整石器における多様な 形態である.したがって,この特殊な石器を理解するた めには,①何を目的として削片が剥離されたのか.②尖 頭器・尖頭形・槍先形・ナイフ形・左右非対称形と呼称 された形は如何なる形態であるのか.③削片剥離と両面 調整石器の整形・再生技術との関係性とは何か.④削片 剥離を特徴とした両面調整技術は如何にして開発された か.という課題の解明が必要となる.  削片剥離とは,彫器の急角度刃部形成・細石刃核の打 面形成に用いられた狭長削片剥離で,樋状剥離と呼称さ れてきた.しかし,両面調整石器に用いられた削片剥離 には,鋭角刃部を形成する幅広削片剥離が特徴的に存在 していた.田村隆は,その幅広削片剥離を「面取り加工」 (田村 2000)と呼んだ.ここで「面取り加工」を「面取

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剥離」と呼称すると,両面調整石器に施された削片剥離 には,面取剥離と樋状剥離の二種類が存在し,特に面取 剥離の目的が課題となる.  三宅(1980)・篠原(1980)は,面取剥離された削片 を目的剥片と考えた.削片を素材とする彫器が具体的に 存在する.青森県大平山元 II・III 遺跡(青森県立郷土 館 1980, 1981)で繰り返された面取剥離は,石器の製作・ 再生過程とともに一定量の削片生産を示している.削片 剥離と両面調整技術を特徴とする札滑型・荒屋型細石刃 技術(須藤 2009)における削片・調整剥片の素材利用 と同等な課題である.  尖頭器とは如何なる形態であろうか.文字通りであれ ば先端の尖った石器ということになる.しかし,尖頭器・ 尖頭形・槍先形と呼称された形態には,先端が尖らない 形態が数多く含まれている.その理由は,両面調整石器 を尖頭器と呼称していたに過ぎない.尖頭器が石槍の機 能を有するとするならば,槍先形とは如何なる形か.左 右非対称形の槍先形などが存在するのであろうか.  着柄型狩猟具としての石槍を想定して,尖基柳葉形, 円基木葉形,尖基有肩形等の形状にある尖鋭な先端と着 柄部が整形された形態を尖頭器とし,面取剥離のある両 面調整尖頭器を「面取尖頭器」と呼称しておこう.狩猟 具としての石槍には,解体具を兼ねた突き槍(刺突・解 体槍と呼称する)と投槍の存在が想定される.狩猟具と しての規格は横断面面積 40 以上 80 ㎟未満が投槍,80 以上 200 ㎟未満が突き槍(田村 2011b)とされる.投槍 具の存在は証明できないが,横断面面積には幅・厚の多 様性と規格性が反映される.規格・量産化された狩猟 具形態の存在を投槍として検討し,80 ㎟以上が主体で 200 ㎟以上が存在する面取尖頭器の道具としての役割を 問う.  森嶋(1975)は,「男女倉型ナイフ」を「刺突と切開 を同時に期待できる」・「刃部を更新できる」器体と評価 した.多機能で刃部再生が頻繁な両面調整石器には,尖 頭器以外に「彫器」・「搔器」という多様な形態が含まれ ていた.尖頭器以外の削片剥離された形態を如何に捉え るか.道具形態においては工具としての多機能を備えた 石器となるが,呼称法は難しい.樋状剥離によるものを 彫器と呼ぶことには問題が少ないが,面取剥離された尖 頭器以外の両面調整石器をどのように呼称すれば良い か.大型品が多く未製品と評価される傾向にあるが,削 片剥離後の先端整形を有した形態も多い.大型工具,あ るいは削片石核として検討を要する.仮に「面取石器」 と総称して注目しておこう.面取剥離は両面調整石器以 外にも施される.「細原型彫器」(舘野 1982,鈴木 1997) は,面取剥離された片面・周辺・側縁・端部調整石器で ある.彫器と分類された石器には面取剥離で刃部形成さ れた形態が少なからず存在する.「神山型彫器」(菅沼 1996)は面取剥離された彫器である.削片系両面調整石 器群の特徴的な形態として「面取彫器」と呼んでおこう.  森嶋稔の提唱した「男女倉技法」(森嶋 1975)を,田 村隆は「男女倉両面体技法」(田村 2008)として再構築 した.田村の重要な提言は多岐にわたるが,①尖頭器以 外にも諸種の石器が包括される.②石材消費に際して産 出される剥片群が分別的に選択利用される.③長距離移 動に適応した技術である.④石刃生産と一体化している. ことを重要な視点として継承する.そして,面取剥離と 樋状剥離という削片剥離技術を有する特殊性を最大限に 評価し,「削片系両面調整技術」と呼称して,その技術 構造を再検討してみよう.  従来は一般的にナイフ形石器から槍先形尖頭器が発生 したと考えられていた(須藤 1989).それに対して,両 面調整技術によりナイフ形石器の形態が改良され,「杉 久保型・砂川型尖頭器」が開発されたという仮説を提 示し,開発起源地を古北海道半島に求めた(須藤 2005, 2006).旧石器時代の相対的な編年では,ナイフ形石器 の後に槍先形尖頭器が出現する.したがって,ナイフ形 石器を伴わない削片系両面調整石器群は,ナイフ形石器 を伴う削片系両面調整石器群より後出である(角張・横 山 1993 など)と考えられてきた.しかし,槍先形尖頭 器の初期形態とされた「有樋尖頭器」を「削片系両面調 整石器」と捉え直すと,古北海道半島にはナイフ形石器 を伴わず細石刃を特徴とする削片系両面調整石器群が, 槍先形尖頭器開発以前に存在していた.  古北海道半島の削片系両面調整技術を組み替えて,古 本州島東北地域で開発された石器形態が「大平山元・男 女倉型両面調整石器」であり,改良されたナイフ形石器 が「杉久保型尖頭器」ではなかったのか.削片系両面調

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整石器技術を組み替えて,南関東地域で改良されたナイ フ形石器が「渋川・平賀型両面調整石器」,「砂川型・東 内野型尖頭器」ではなかったのか.最終氷期最寒冷期直 後に古北海道半島・古本州島において,動植物の生息領 域が改変される気候変動期が起こり,古北海道半島・古 本州島の狩猟民たちは従来の遊動領域を大幅に改編し た.新たな資源地で遭遇した狩猟民たちは技術情報を共 有し,再編された遊動領域における動植物・石材資源に 対応した様々な石器形態を開発した.その激動の石器製 作技術の象徴が「削片系両面調整技術」であったのであ る.以下.このシナリオの可能性を,多様な石器形態相 互における構造的関係性から紐解いてみよう.

2.削片系両面調整石器の形態構造

2-1 両面調整石器

 削片剥離以前の両面調整石器の状況が確認できる形態 が,長野県男女倉遺跡 B 地点(図 1.1・2,和田村教育 委員会 1975)・同ヘイゴロゴーロ遺跡(図 1.3・4,川上 ほか 1976),栃木県上林遺跡第 I 文化層(図 1.6,佐野 市教育委員会 2004)に残されている.  調整剥離面が不揃いのため,横断面形は甲高な半月形 と器体中央稜の位置が偏ったレンズ形である.形状には 柳葉形と木葉形がある.縁辺調整は弧状の背縁と上半部 の斜行側縁(図点線部)を特徴とする.斜行側縁は表面 の調整が粗で裏面が精緻な傾向にある.削片剥離縁辺の 整形に関わろう.弧状側縁は調整が精緻であり,両側 縁が張り出した幅広木葉形も存在する(図 1.4).甲高な 形態は「男女倉型搔器」(森嶋 1975)とされたが,弧状 側縁は工具刃部としての利用が検討される1).ヘイゴロ ゴーロ遺跡では,掻器刃部が形成された両面調整石器が 確認されている(図 1.5).

2-2 面取石器

 削片剥離面を広く残した大型両面調整石器が,青森 県大平山元 III 遺跡(図 1.9,青森県立郷土館 1981),ヘ イゴロゴーロ遺跡(図 1.7),上林遺跡(図 1.8)にある. 両面調整が粗い段階での削片剥離は,製作初期に削片剥 離が行われていたことを示し,大型柳葉形両面調整石器 は,大型縦長削片の石核としての役割を兼ねていたこと が知れる.面取剥離後に整形された形態は,大型工具と しての利用と削片剥離の整形石核として検討される.茨 城県細原遺跡(図 1.10,北茨城市史編さん委員会 1982) で同様な中型品が確認され,男女倉遺跡 B 地点では面 取剥離後に尖端が整形された形態(図 1.11・12)がある.  青森県大平山元 II 遺跡(青森県立郷土館 1980; 蟹田町 教育委員会 1992)では,最大幅が上部にある円端・尖 基の特徴的な形態が数多く残されている.削片剥離後の 顕著な再生が考えられる.尖基には欠損品もあり,尖頭 器として使用が検討される(図 1.13).  削片剥離後の円端整形は群馬県武井遺跡(図 1.14,岩 宿フォーラム実行委員会 2004),東京都吉祥寺南町三丁 目遺跡 B 地点(図 1.15,吉祥寺南町遺跡調査団 1996) にあり,斜断整形が千葉県一本桜南遺跡(図 1.16,千葉 県文化財センター 1998)にある.  斜断整形で先端が形成され,先端・削片剥離縁辺を工 具機能部として検討できる大・中型粗製品が,大平山元 II 遺跡(図 1.17),千葉県角田台遺跡(図 1.18,千葉県 教育振興財団文化財センター 2012),長野県男女倉遺跡 第 I 地点(図 1.19,信州ローム研究会 1972),男女倉遺 跡 B 地点(図 1.20),埼玉県西武蔵野遺跡(図 1.21,埼 玉県埋蔵文化財事業団 1996),神奈川県深見諏訪山遺跡 第 IV 文化層(図 1.22,諏訪間・堤 1985)にある.これ らには削片剥離の打面再生状態との評価も与えられる.  大平山元 II 遺跡(図 1.23・24),ヘイゴロゴーロ遺跡 (図 1.25)の大型形態は,斜断整形で明瞭な肩部を背縁 に有する.基部側も斜断され刃部側に肩部を有した尖基 形態(図 1.23)という特殊な形態も存在する.これらは 有肩形両面調整石器との技術共有を示唆している.

2-3 面取彫器

 面取剥離で刃部が形成された両面・片面・周辺・側縁・ 端部調整石器である.斜断ないし弧状整形された上端部 から斜めに面取剥離を施したものが主体である(図 2.1 ~ 5).面取剥離後に樋状剥離で刃部再生したもの(図 2.6),両端に面取剥離で刃部が形成されたもの(図 2.7 ~ 13),両端刃部が面取剥離と樋状剥離によるもの(図 2.14 ~ 16),下端に掻器刃部が形成されたもの(図 2.17

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~ 25)などの多様な形態が存在する.   大 平 山 元 II 遺 跡( 図 2.9・10・16・17), 大 平 山 元 III 遺跡(図 2.15),新潟県すぐね遺跡(図 2.20,佐藤 2002),長野県貫ノ木遺跡(図 2.13,長野県埋蔵文化財 センター 2000a),男女倉遺跡 B 地点(図 2.11),細原遺 跡(図 2.7・23・24),群馬県下触牛伏遺跡(図 2.1・2・6・ 19,群馬県埋蔵文化財調査事業団 1986)・同富田下大日 遺跡(図 2.3・21,群馬県埋蔵文化財調査事業団 2008)・ 同今井三騎堂遺跡(図 2.14,群馬県埋蔵文化財調査事業 団 2004),千葉県三崎 3 丁目遺跡(図 2.8,道沢 2000), 図 3 両面調整彫器の形態構造(縮尺 1/3) 図 2 面取彫器の形態構造(縮尺 1/3)

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角田台遺跡(図 2.25),一本桜南遺跡(図 2.18),西武 蔵野遺跡(図 2.22),東京都下柳沢遺跡(図 2.12,国武 2000)・同堂ケ谷戸遺跡(図 2.4,世田谷区教育委員会 2000)・同国分寺関連遺跡・武蔵台遺跡第 5 文化層(図 2.5, 東京都埋蔵文化財センター 2010)で確認されている.

2-4 両面調整彫器

 剥離が側縁末端に及び細石刃核の削片剥離に類似した 大・中型形態が,大平山元 II 遺跡(図 3.1),男女倉遺 跡第 III 地点(図 3.3・4,信州ローム研究会 1972)にあり, 小型形態が千葉県空港 No.7 遺跡(図 3.5,千葉県文化 財センター 1984)ある.栃木県西赤堀遺跡(図 3.2,栃 木県文化振興事業団 1996)の樋状剥離も中央を越える. 上半部までの複数回剥離は,群馬県神保富士塚遺跡(図 3.6,群馬県埋蔵文化財事業団 1993),東京都丸山東遺跡 (図 3.7,東京都外かく環状道路練馬地区調査会 1995) にある.  大平山元 II 遺跡には両側縁において両端からの複数 回の剥離が行われた形態(図 3.9)が特徴的に存在する. 両端・両側縁に剥離が施された形態は,貫ノ木遺跡(図 3.10・11),千葉県平賀一ノ台遺跡(図 3.8,平賀遺跡群 発掘調査会 1985),東京都府中市 No.29 遺跡(図 3.12, 東京都埋蔵文化財センター 1996)で確認されている.  大平山元技法B(図 3.13,三宅 1980)とされた分割 両面調整石器を素材とした樋状剥離・面取剥離が,新潟 県樽口遺跡 A-KSE 文化層(図 3.14,新潟県朝日村教育 委員会 1996),上林遺跡(図 3.15),千葉県草刈遺跡(千 葉県文化財センター 2005)で確認されている.樋状剥 離の目的として小石刃剥離が検討される.

2-5 彫器

 刃部形成位置が片側縁,両側縁,両端,交差刃と多様 である.斜刃が主体であるが横刃・直刃と多様であり裏 面に及ぶ鈍角刃部も今井三騎堂遺跡(図 4.4),神奈川県 大和配水池内遺跡第 VI 文化層(図 4.5,大和市 No.199 遺跡発掘調査団 2008)などに特徴的に存在する.  特殊な形態は,荒屋型彫器と同等な刃縁稜上調整が施 された鈍角彫器で,大平山元 II 遺跡(図 4.1),角田台 遺跡(図 4.2・3)で確認されている.両端に樋状剥離が あるものは貫ノ木遺跡(図 4.12・13)に大型品があり, 平賀一ノ台遺跡(図 4.8・9)・三崎 3 丁目遺跡(図 4.10・ 11)に多様な形態がある.  搔器の基部に樋状剥離した形態は,男女倉遺跡 J 地 点(図 4.14,和田村教育委員会 1975),長野県東裏遺跡 図 4 彫器の形態構造(縮尺 1/3)

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(図 4.15,長野県埋蔵文化財センター 2000b),平賀一ノ 台遺跡(図 4.16・17),今井三騎堂遺跡(図 4.18)にあ る.削片を素材とするものは,大平山元 II 遺跡(図 4.23), 細原遺跡(図 4.20),上林遺跡(図 4.21),一本桜南遺跡 (図 4.19),下触牛伏遺跡(図 4.22)で確認されている. 大平山元 II 遺跡,細原遺跡,今井三騎堂遺跡(図 4.6), 平賀一ノ台遺跡では,多様な形態が量産され多量の削片 が残されている.三崎 3 丁目遺跡では,樋状剥離された 有肩形周辺調整石器(図 4.7)が確認されている.

2-6 厚型面取尖頭器

 幅広で厚型の尖頭器であり,横断面面積が 80 ~ 500 ㎟にある.長幅比 3 以上で最大幅が上部・中部にある尖 基柳葉形の両面調整石器が,岩手県下嵐江 I・II 遺跡(図 5.2,岩手県文化振興事業団 2013),長野県仲町遺跡(図 5.1,長野県埋蔵文化財センター 2004),上林遺跡(図 5.3・ 6),ヘイゴロゴーロ遺跡(図 5.4),群馬県天引狐崎遺跡(図 5.5,群馬県埋蔵文化財調査事業団 1994),東京都武蔵国 分寺跡遺跡北方地域(図 5.7,東京都埋蔵文化財センター 2003)等で確認されている.背縁上部が直線的で張り出 しの弱い肩部を有する形態がある(図 5.2・6).最大幅 が上半部にあるものには基部尖端(図 5.3)が存在する.  長幅比 1.7 ~ 2.7 の上部・中部・下部に最大幅のある 尖基ないし円基木葉形の両面調整石器が,大平山元 II 遺跡(図 5.11),福島県赤柴遺跡(山元 2012),すぐね 遺跡(図 5.8),貫ノ木遺跡(図 5.12),群馬県三ツ木東 原遺跡(図 5.10,中島・軽部 1993)・同千鳥遺跡(図 5.9, 阿久澤 2004),武井遺跡(図 5.25),埼玉県篭原裏遺跡(図 5.19,村松 1997),茨城県前谷東遺跡(図 5.20,土浦市 教育委員会 1998),千葉県復山谷遺跡(図 5.24,千葉県 文化財センター 1982)・同北長山野遺跡(図 5.13,北長 山野遺跡調査会 1990),角田台遺跡(図 5.14・15),東 京都武蔵国分寺関連遺跡・武蔵台遺跡第 4 文化層(図 5.26,東京都埋蔵文化財センター 2010)・同江戸城北丸 竹橋門地区(図 5.27,東京国立近代美術館遺跡調査委 員会 1991),神奈川県中村遺跡第Ⅴ文化層(図 5.23,中 村遺跡発掘調査団 1987)・同横山 5 丁目遺跡第Ⅱ文化層 (図 5.21,相模原市立屋内水泳場建設事業地内遺跡調査 団 1997)・同上草柳遺跡第 3 地点(図 5.22,大和市教育 委員会 1984),静岡県広合遺跡(図 5.18,沼津市教育委 員会 1987)・同桜畑上遺跡第 VII 文化層(図 5.16,静岡 県埋蔵文化財調査研究所 2009),桜畑上遺跡第 V 文化層 (図 5.17,静岡県埋蔵文化財調査研究所 2010)等で確認 されている.  先端・基端が器体中央に位置し,最大幅で側縁が弧状 に張り出した形態が特徴である.基部円端が主体で円基 がある.張り出し部の屈曲が明確で菱形を呈する形態も 特徴的に存在する(図 5.19・20).背縁上部整形では抉 入状整形が特徴となり,器体中央に明瞭な尖端が形成さ れる形態が特徴的である(図 5.22 ~ 24).長幅比 2 未満 の中・小型品(図 5.26・27)は再生が繰り返された形態 と考えられよう.

2-7 薄型面取尖頭器

 半両面・片面・周辺調整の中・小型木葉形尖頭器であり, 横断面面積 60 ~ 80 ㎟を主体とする,千葉県取香和田 戸遺跡(図 5.28,千葉県文化財センター 1994)・同上貝 塚貝塚(図 5.29・30,千葉県文化財センター 1996)・同 五本松 No.3 遺跡(図 5.31・32,千葉県文化財センター 2003)・同南河原坂第 3 遺跡(図 5.33,千葉市文化財調 査協会 1996)・同大林遺跡(図 5.34,千葉県文化財センター 1989)等で確認されている.

2-8 有肩形両面調整石器 

 長野県星糞峠遺跡(図 6.1,飯田・井上 2006)・同渋 川遺跡(図 6.2 ~ 4,尖石博物館 1962; 守矢・斎藤 1986) に有肩形両面調整石器が残されている.板状礫・剥片を 素材とする.扁平な半月形と器体中央稜の位置が偏った レンズ形の横断面形にある両面・半両面調整形態であり, 上部・中部・下部に肩を有する.円基ないし尖基である が,先端部と基部の区別が不明瞭である.斜刃部・背縁 の整形が精緻であり,削器としての機能的要件を有する 形態が存在する.特殊な形態としては,端部に刃部が形 成された搔器(図 6.5)がある.また,複数回の樋状剥 離が施された形態が渋川遺跡(図 6.6)で確認されている.

2-9 有肩形面取石器

 面取剥離後に先端整形された大型有肩形両面調整石器

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が,栃木県島田遺跡(図 6.7,川田 1991),埼玉県城山 南遺跡(図 6.8,和光市遺跡調査会 1994),東京都坂上 遺跡(図 6.9,三鷹市遺跡調査会 1985),千葉県東内野 遺跡(図 6.10・11,千葉県史料研究財団 2003)で確認 されている.弧状に張り出した背縁整形が特徴である. 東内野遺跡の大型品は基部整形が明瞭な尖頭器である が,再生による基部・先端の交換が指摘されている(宇 田川 2000).  両面・半両面・片面調整の中・小型品が,星糞峠遺跡(図 6.16),渋川遺跡(図 6.17).男女倉遺跡(図 6.26,和田 村教育委員会 1993),今井三騎堂遺跡(図 6.24),平賀 一ノ台遺跡(図 6.12・13,18 ~ 21),三崎 3 丁目遺跡(図 6.15・ 23),埼玉県中砂遺跡(図 6.14,埼玉県埋蔵文化財調査 事業団 1986),東京都葛原遺跡 B 地点第 II 文化層(図 6.25, 練馬区遺跡調査会 1987),神奈川県吉岡遺跡群(図 6.22, かながわ考古学財団 1998)等で確認されている.  剥片素材の半両面・片面調整が多い.肩部が上部・中 部に位置し,肩部の角度が直角に近いものが主体である. 主軸と素材剥離軸の角度が大きく,先端部が背縁側に偏 る.背縁が弧状整形・肩部下方が斜断整形で基端部は円 端ないし尖端である.尖頭器としての利用が検討できる が,大きさの格差と刃部・基部形状が多様で投槍として の規格性は低い.

2-10 背縁有肩形面取尖頭器

 背縁中部に肩を有することを特徴とした,両面・半両 面・片面調整の中・小型木葉形尖頭器である.  神奈川県大和市 No.210 遺跡第 II 文化層(図 7.1,盤古 堂考古学研究所 1999),大和配水池内遺跡(図 7.2),千 葉県境外 II 遺跡(図 7.3・4,松戸市教育委員会 2000), 東京都恋ヶ窪東遺跡(図 7.5,上敷領・国武 2001)・同 城山遺跡(図 7.7 ・8,調布市教育委員会 1982),府中市 No.29 遺跡(図 7.6)で確認されている.  横断面面積 40 ~ 80 ㎟の投槍規格が存在する.大和 図 6 有肩形両面調整石器と有肩形面取石器の形態構造(縮尺 1/3) ( )横断面面積,単位は㎟

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市 No.210 遺跡では刃部側に肩部を有し菱形を呈する形 態(図 7.11)が伴い,城山遺跡では肩部の張り出しが弱 いが,刃部側上・中部に肩を有する形態(図 7.9・10) が伴う.大和配水池内遺跡では投槍規格にある尖基柳葉 形面取尖頭器(図 7.12)が確認されている.

2-11 有肩形面取尖頭器

 栃木県宮之前遺跡(図 8.1,上野 1987),東内野遺跡(図 8.2 ~ 14),千葉県木戸先遺跡(印旛郡市文化財センター 1994)に面取剥離された尖基有肩形尖頭器がある.  「東内野型尖頭器」と呼称できる有肩形面取尖頭器の 特徴は,以下に整理される.  縦長剥片を素材とした半両面・片面調整形態が主体で ある.半両面形態は打瘤部を除去した裏面基部調整が特 徴となる.刃部側中部に肩を有する形状を主体とする. 下部に肩を有する形状も基部が長く着柄部が明確であ る.先端・基端が器体中央に位置し,肩の張り出しが弱 い木葉形が含まれる.基部整形に抉入状整形があり,基 部尖端が特徴的に存在する.中・小型の規格品が量産さ れ,横断面面積の主体は 40 ~ 80 ㎟の投槍規格にある.

3.削片系両面調整石器群の技術構造

 削片剥離された両面調整石器の諸形態における技術構 造を整理すると,削片系両面調整石器群は,以下の 5 群 に大別できる.

3-1 大平山元・男女倉型両面調整石器群

 東北地域,常総台地,下野台地,下総台地では,大平 山元 II・III 遺跡,下嵐江 I・II 遺跡,赤柴遺跡,細原遺 跡,上林遺跡,西赤座遺跡,角田台遺跡,一本桜南遺跡, 空港 No.7 遺跡に,東北産頁岩を主体とした石器群が残 される.  中部日本海地域,野尻湖周辺丘陵,中部高地,赤城山 麓,武蔵野台地,下総台地では,すぐね遺跡,貫ノ木遺 図 8 有肩形面取尖頭器の形態構造(縮尺 1/3)  ( )横断面面積,単位は㎟ 図 7 背縁有肩形面取尖頭器の形態構造(縮尺 1/3)  ( )横断面面積,単位は㎟

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跡,仲町遺跡,ヘイゴロゴーロ遺跡,男女倉遺跡群,神 保富士塚遺跡,富田下大日遺跡,西武蔵野遺跡,草刈遺 跡に信州産黒曜石を主体とした石器群が残されている.  大平山元 II・III 遺跡を典型とする削片剥離技術には, 面取剥離と樋状剥離がある.面取剥離は繰り返され,両 面調整石器の整形・再生調整とともに幅広削片の生産を 兼ねる.幅広削片は彫器の素材とされ,刃器としての使 用が想定される.大型面取石器には先端・削片剥離縁辺・ 弧状側縁に機能部が想定できる工具が多い.先端形成に は背縁上部の斜断整形が特徴的に用いられる.  柳葉形・木葉形の面取尖頭器は,基部整形から着柄道 具と考えられる.横断面面積は 100 ~ 400 ㎟と大きく, 石核を兼ねる刺突・解体槍のサイズが主体である.保有 は少なく,量産された投槍とは明らかに性質を異とする. 山刀のように狩猟具・解体具・工具と多目的に使用され た携行・管理道具と考えられる.  削片剥離再生による形状修正により,基部側両側縁が 斜断調整され尖基が整形されたと考えられる形態があ る.この形態では基部側を先端とした利用が想定できる. 先端・基部を入れ替えた使用法は,両端に削片剥離(面 取剥離・面取剥離と樋状剥離の組み合わせ)された形態 の存在に示され,多様な使用法を提示している.  面取彫器と呼称した面取剥離で刃部を形成・再生した 片面・周辺・側縁・端部調整石器が特徴的に存在する. 両端の刃部形成・端部の掻器刃部形成があり,工具とし ての多様な使用法が伺える.  樋状剥離では両面調整石器の側面に刃部を形成した工 具がある.刃部再生が行われ複数の樋状剥離面を有する 形態,両端に刃部が形成された形態が特徴的に存在する. 大型~小型と多様なサイズがあり,目的に応じた多様な 使用法が考えられる.樋状剥離による小石刃生産とその 利用法も検討される.  周辺・側縁・端部調整石器に樋状剥離で刃部を形成・ 再生した彫器では,類荒屋型彫器と削片素材彫器の存在 が特質で,鈍角刃部を含む多様な刃部を有する形態の量 産が,工具としての必要性を示唆している.  形態構成から,刃部再生と削片利用を特徴とした工具 主体の広域遊動型石器群と評価できる.投槍形態の製作 が低調で彫器の量産を評価すると,狩猟具の主体が骨角 製尖頭器であった可能性を指摘できる.

3-2 渋川・平賀型両面調整石器群

 中部高地,赤城山麓,下総台地の星糞峠遺跡,渋川遺 跡,今井三騎堂遺跡,下触牛伏遺跡,平賀一ノ台遺跡, 三崎 3 丁目遺跡に,信州産黒曜石主体,東北産頁岩主体, チャート等の在地石材を主体とした有肩形両面調整石器 群が残されている.  大型形態は工具的性格が強い.大型の幅広削片も一定 量存在し,面取剥離による再生と削片利用が指摘でき, 削片素材の彫器も存在する.小型形態は半両面・片面調 整が主体的で,横断面面積 40 ~ 80 ㎟の尖基形態があ り投槍利用が検討できる.ただし,先端が背縁側に偏る 斜刃形態が主体で投槍としての規格・量産は低調である.  面取尖頭器よりも面取・樋状剥離による半両面・片面・ 周辺・側縁・端部調整彫器の形態的多様性と量産が特徴 である.各種の剥片を素材とし,樋状剥離で刃部を形成・ 再生した彫器では,両端の刃部形成・端部の掻器刃部形 成があり,多様な刃部を有する形態が量産されている.  大型良質素材に限定的な両面調整技術から,多様な石 材・剥片に適応した技術への組み替えが指摘できる.  平賀一ノ台遺跡,三崎 3 丁目遺跡,渋川遺跡では,上 部・中部に肩を有する多様な切出形石器やナイフ形石器 が存在し,下触牛伏遺跡では砂川型尖頭器(須藤 2005) の存在が検討される.

3-3 背縁有肩形面取尖頭器石器群

 武蔵野台地,相模野台地,下総台地の府中市 No.29 遺 跡,城山遺跡,恋ヶ窪東遺跡,大和市 No.210 遺跡,大 和配水池内遺跡,境外 II 遺跡に,東北産頁岩,信州産 黒曜石,ガラス質黒色安山岩,チャート等の多様な石材 を用いた石器群が残されている.  背縁に肩部を有する面取尖頭器が特徴的形態である. 半両面調整も多く,横断面面積 40 ~ 80 ㎟の投槍規格 形態が製作される.大型両面調整石器,面取彫器は減少 する.  府中市 No.29 遺跡に有肩形面取尖頭器と有肩形石器, 城山遺跡に明花向型尖頭器(須藤 2006),大和排水池内 遺跡に砂川型尖頭器が存在する.

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3-4 木葉形面取尖頭器石器群

 下総台地の取香和田戸遺跡,上貝塚貝塚,五本松 No.3 遺跡,南河原坂第 3 遺跡,大林遺跡に,高原山・ 信州産黒曜石,白滝頁岩,黒色頁岩,ガラス質黒色安山 岩,チャート等の多様な石材を用いた石器群が残されて いる.  半両面・片面・周辺調整の中・小型木葉形面取尖頭器 の製作が特徴である.横断面面積 40 ~ 80 ㎟の投槍規 格が主体となる.南河原坂第 3 遺跡で砂川型尖頭器との 共存が検討できる.

3-5 東内野型尖頭器石器群

 下総台地,下野台地の東内野遺跡,木戸先遺跡,宮之 前遺跡に,東内野型尖頭器を指標とする白滝・鹿股沢産 頁岩,信州産黒曜石,ガラス質黒色安山岩,流紋岩等の 多様な石材を用いた石器群が残されている.  東内野遺跡にはガラス質黒色安山岩による面取石器 (田村 2008),大型刺突・解体槍があるが,投槍化され た尖基有肩形面取尖頭器の量産が特質である.

4.削片系両面調整石器の地域技術適応

    

技術の共有と組み替え

4-1 渋川・平賀型両面調整石器の開発

 東京都比丘橋遺跡 B 地点(図 9.1,比丘尼橋遺跡調査 団 1993),神奈川県高座渋谷団地遺跡(図 9.2,県営高 座渋谷団地内遺跡発掘調査団 1995)・同下九沢山谷遺跡 (図 9.3,中村 1979)にある両面調整石器の特徴は,肩 部を中央ないし下部に有した半両面調整の有肩形石器で ある.刃部は剥片縁辺で削片剥離はない.弧状背縁と斜 刃・斜断整形の基部から構成される.東京都下原・富士 見町遺跡(図 9.4,明治大学校地内遺跡調査団 2011)では, 同形状の刃部が面取剥離で形成されている.これらの形 態的特徴は,渋川・平賀型両面調整石器の特徴である. 肩部が中央にあるものは上下が同様な形状にあり,肩部 が上部にあるものは刃部が短く,下部にあるものは基部 が短い.これらは先端・基部を入れ替えた形状であり, 固定的な形状形成を示さない.同形は樽口遺跡 A-KSE 文化層(図 9.5),東裏遺跡(図 9.6・7)に求められる.  以上の形態は V・IV 下層段階の石器群にあり,砂川 期以前である.その段階にある両面調整石器は刃部・基 部に多様性を有し,規格的な着柄尖頭器ではなかった. 器体上部・中部・下部に肩を有し刃部・基部が多様な形 態的特徴は,V・IV 下層段階で開発された切出形石器 の特徴である.この形態的類似性により,切出形石器か ら両面調整石器という新たな形態が開発されたと想定し ていた(須藤 1989).しかし,事実は逆であり,削片系 両面調整技術により切出形石器の製作方法が組み替えら れ,多様な有肩形両面調整石器が開発されたとは考えら れないであろうか2)  東北地域から常総-下野-下総台地,中部日本海地域 から野尻湖周辺丘陵-中部高地-赤城山麓の広域領域に おいて,大平山元・男女倉型技術を特徴とする削片系両 面調整石器群が残された.大平山元・男女倉型技術とは, 面取剥離と樋状剥離という削片剥離技術を駆使して,両 面調整石器の再生利用と削片利用という長期的資源管理 と広域遊動を可能とした技術であった.大型両面調整石 器の資源を補うように,小型の剥片を素材として面取・ 樋状剥離で多様な刃部を形成・再生した彫器が開発され ていた.  大平山元・男女倉型両面調整石器群の放射性炭素年代 は,赤柴遺跡で 20340 ± 60 ~ 20090 ± 70 14C yr BP(山 元 2012),富田下大日遺跡で 20020 ± 70 ~ 19670 ± 60 14C yr BP(群馬県埋蔵文化財調査事業団 2008)である. B1 層下部にある砂川型尖頭器石器群の放射性炭素年代 図 9 V・IV 下層段階の有肩形石器(縮尺 1/3)  ( )横断面面積,単位は㎟

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は,神奈川県福田丙二ノ区遺跡第 II 文化層で 19660 ± 440 ~ 18770 ± 330 14C yr BP,宮ケ瀬上原遺跡で 19470 ± 100 ~ 19240 ± 100 14C yr BP,用田鳥居前遺跡で 19740 ± 190 ~ 17910 ± 130 14C yr BP(工藤 2012)で ある.以上の測定年代は,大平山元・男女倉型両面調 整石器群が砂川期以前に存在していたことを示唆して いる.つまり,V・IV 下層段階に東北地域・中部高地・ 北関東地域を遊動領域とした削片系両面調整石器を装備 とした狩猟民(以下,削片系両面調整石器狩猟民)が, 南関東地域を遊動領域とした切出形石器を装備とした狩 猟民(以下,切出形石器狩猟民)に対峙していた可能性 が高いのである.  南関東地域の狩猟民が信州黒曜石原産地を再利用し, 東北南部から下総台地の遊動領域が再構築されるのは V・IV 下層段階終末期(国武 2003)である.信州黒曜 石原産地と下総台地を共有の遊動領域とした削片系両面 調整石器狩猟民と切出形石器狩猟民は,資源を共有し双 方の技術情報を交換・共有したと考えられる.大平山元・ 男女倉型技術を共有した切出形石器狩猟民は,切出形石 器の製作技術を削片系両面調整技術に組み替えた.切出 形石器の製作技術を共有した削片系両面調整石器狩猟民 は,剥片素材の半両面・片面調整技術に切出形状を組み 入れた.それが渋川・平賀型両面調整石器開発要因と考 えられる3)(図 10).

4-2 砂川型・東内野型尖頭器の開発

 面取尖頭器の投槍化を図った過渡的な形態として,相 模野台地の大和市 No.210 遺跡・大和配水池内遺跡では ガラス質黒色安山岩で,武蔵野台地の府中市 No.29 遺跡・ 城山遺跡では信州産黒曜石で,背縁有肩形面取尖頭器が 開発されていた.その技術改革の主体者が南関東地域へ 参入した削片系両面調整石器狩猟民か,南関東地域の狩 猟民かは特定できないが,砂川期以前あるいは初期に武 蔵野・相模野台地で面取投槍が開発されていた事実を示 唆する.しかし,武蔵野台地・相模野台地を主要な遊動 領域とした狩猟民たちは,面取尖頭器の投槍化を進展す ることなく,削片系両面調整技術に構造化されていた石 刃技術を選択し,在地石材に適応した砂川型尖頭器を開 発した(須藤 2005).砂川型尖頭器とは,面取石器の木 葉形と有肩形を投槍化した尖頭器であった(図 10).  一方,削片系両面調整石器狩猟民の遊動領域に組み込 まれていた下総台地では,東北産頁岩を用いた背縁有肩 形尖頭器の開発が境外 II 遺跡で示され,下総台地の石 材で投槍化が更に進んだ木葉形面取尖頭器の開発が取香 和田戸遺跡,上貝塚貝塚,五本松 No.3 遺跡で示される. 南河原坂第 3 遺跡では木葉形面取尖頭器と砂川型尖頭器 の共存が検討された.この事例は,下総台地を遊動領域 とした狩猟民が,木葉形面取投槍を砂川期に開発した可 能性を示唆する.そして,下総台地を遊動領域とした狩 猟民が,在地石材で砂川期に開発した有肩形面取投槍が 東内野型尖頭器と考えられる.東内野型尖頭器と砂川型 尖頭器の技術共有は,有肩形,基部裏面調整,抉入状調 整に見出すことができる4)(図 10)5)

5.削片系両面調整技術の開発起源

 南関東地域で砂川期形成前後に出現した様々な形態の 開発要因を説明するには,狩猟民の単独的技術開発より, 複数の狩猟民による技術知の複合(田村 2011a)と考え た方が現実的である6).群馬県上白井西伊熊遺跡では, 国府型ナイフ形石器と面取両面調整石器の共存が検討で き(須藤 2011),樽口遺跡では有肩形・面取両面調整石 器と国府型ナイフ形石器の共存が検討できる.  最終氷期最寒冷期という安定期(工藤 2012)が過ぎ, 動植物が生息領域を改変せざるを得ない環境変動期に, 環日本海地域の広域にわたって狩猟民の遊動領域再編が 行われ,新たな資源開発地で遭遇した技術を異とする狩 猟民間で,技術情報の交換・共有が行われた可能性が高 い.その現象として国府型ナイフ石器と削片系両面調整 石器の共存が評価できる.しかし,安斎(2004)や田村 (2008)が想定したように,国府型ナイフ石器の影響下 において両面調整尖頭器が開発された訳ではない.開発 初期の両面調整尖頭器は削片剥離を特徴とする両面調整 石器である.国府型ナイフ石器の技術情報には削片剥離 技術は存在しない.それでは,両面調整石器における削 片剥離技術の開発起源地はどこに求められるのであろう か.  田村(2008, 2011a)が,平賀一ノ台遺跡の東北産頁

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岩製「有肩尖頭器」から導いた評価は「磐越高地とゆか りの深い地域集団の下総台地への移動」であり,削片系 両面調整石器技術の開発地は東北地域にある可能性が高 い.東北産頁岩では大平山元 II・III 遺跡-赤柴遺跡- 細原遺跡-上林遺跡-角田台遺跡の石器群,信州産黒曜 石ではすぐね遺跡-ヘイゴロゴーロ遺跡-男女倉遺跡群 -富田下大日遺跡の石器群が検討対象となる.  それらの編年的位置を明確に把握することは困難であ るが,赤柴遺跡・富田下大日遺跡の放射性炭素年代(山 元 2012; 群馬県埋蔵文化財調査事業団 2008),東北産頁 岩を用いた大型両面調整石器による削片剥離技術と類荒 屋型彫器を含む多様な彫器形態から,20,000 14C yr BP (北海道埋蔵文化財センター 1999)前にある古北海道半 島の蘭越・美利河型細石刃技術(須藤 2011)に開発起 源を求めることが現在では最も妥当であろう.  その難題は石刃技術を含めて今後の課題7)とし,有 樋尖頭器とされた両面調整石器は,尖頭器に止まること なく,削片系細石刃核と同様に,削片剥離を特徴とした 両面調整石器であることを強調して本論を終結する. 謝 辞  岩宿博物館第 56 回企画展で,本論で基礎資料とした石器 群の多くを観察させて頂いた.岩宿博物館館長小菅将夫氏と 所蔵機関に厚く御礼申し上げます.岩宿フォーラム実行委員 会の芹澤清八氏,西井幸雄氏,麻生敏隆氏,軽部達也氏,阿 久澤智和氏には,文献収集でご協力頂いた.記して感謝申し 上げます.英文要旨は山田しょう氏にお願いした.不変の友 情に厚く感謝します. 1) ただし,大型扁平両面調整石器である神子柴型尖頭器(須 藤 2008)の側縁利用ほどには組織的な利用はなかった 図 10 削片系両面調整石器の形態変化5)

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であろう.厚さを調整して鋭利な側縁形成を可能とした 両面調整技術には至っていないからである.縁辺整形の ために面取剥離が必要であったのである.大型両面調整 石器は神子柴型尖頭器がイメージされ,新しいと理解さ れがちであるが,それならば面取剥離の必要性はない.    大型扁平両面調整尖頭器の開発は L1H 層の尖基柳葉 形尖頭器開発段階(須藤 2006)であり,削片剥離を必 要とした大型両面調整技術の段階的位置はそれ以前であ る. 2) 切出形石器の形態的多様性と有肩形両面調整石器の関係 性に関しては,別稿で再論したい. 3) 削片系両面調整石器狩猟民と切出形石器狩猟民の技術共 有は,堂ヶ谷戸遺跡,武蔵国分寺関連遺跡・武蔵台遺跡 の面取彫器,丸山東遺跡の両面調整彫器の存在でも示唆 されている.今井三騎堂遺跡の有肩形面取尖頭器も削片 系両面調整石器狩猟民と切出形石器狩猟民の技術共有と 理解できようか.    渋川・平賀型両面調整石器の開発主体者を限定するこ とは困難であるが,東北産頁岩利用から平賀一ノ台遺跡 を典型とする平賀型は東北地域の削片系両面調整石器狩 猟民,両面調整形態を含む高座渋谷団地・下九沢山谷遺 跡から渋川遺跡を典型とする渋川型は南関東地域の切出 形石器狩猟民と考えておきたい.重要なのは狩猟民相互 の技術複合である. 4) 中部日本海地域では,削片系両面調整技術に構造化され ていた石刃技術を組み替えて,投槍形態である杉久保型 尖頭器と面取彫器である神山型彫器が開発された(須藤 2005).杉久保・砂川型尖頭器の柳葉形形態は面取尖頭 器の形状を組み替えたものと考えていた(須藤 2005)が, 初期面取両面調整石器では尖頭器形態が不明瞭であっ た.検討対象としては骨角製尖頭器の形状が考えられる. 特に長さのある狭長柳葉形の杉久保型尖頭器はその可能 性が高い.    佐藤(2011)は蘭越型細石刃技術を開発起源とする荒 川台型細石刃技術の開発年代を,荒川台遺跡の杉久保型 尖頭器との共存から蘭越型細石刃技術と同等な年代と把 握している.とすれば,杉久保型尖頭器開発者が狭長な 骨角製植刃槍の形状を熟知していたこととなる. 5) 砂川型尖頭器の図は横山 5 丁目遺跡,切出形石器の図は 上から比丘尼橋遺跡,堂ヶ谷戸遺跡,渋川遺跡である. それ以外の図は本文参照. 6) 男女倉遺跡群には多様なナイフ形石器が残されており, 削片系両面調整石器狩猟民と切出形石器・砂川型尖頭器 狩猟民が資源と技術を共有した場所と考えられる.相模 野台地の深見諏訪山遺跡・吉岡遺跡群は削片系両面調整 石器狩猟民の領域参入を示唆し,削片系両面調整石器狩 猟民においても技術共有における技術改良が行われてい た可能性は高い.    下触牛伏遺跡では,砂川型尖頭器の共存が検討されて いる.在地石材の利用も多く,赤城山麓を主要な遊動領 域とした技術適応として,両面調整石器から剥片素材の 彫器を主体とする装備へ改良が行われていた可能性も指 摘できる.    南関東地域で砂川型尖頭器との共存が検討される木葉 形面取尖頭器には,抉入状整形で尖鋭な先端部が形成さ れた尖頭器が存在する.その整形技術は砂川型尖頭器と の技術共有を示唆する(図 10).単品の出土事例がほと んどであり,製作遺跡の実態が不明であるが,両面調整 石器主体から剥片石器主体へ推移する段階に,貴重な両 面調整石器として長期的に管理された形態と理解されよ うか.    面取尖頭器は,信州産黒曜石を資源とした剥片素材 の小型半両面・片面調整尖頭器(鷹山S型尖頭器,須藤 2006)に改良されていく.面取剥離を必要としない大型 両面調整尖頭器の開発は,多様な在地石材でも大型扁平 な両面調整石器の製作を可能とする両面調整技術の蓄積 を必要とした. 7) 本論は削片系両面調整技術の提示であり,各地域の詳細 な技術変動は別稿で論じたい. 引用文献 阿久澤智和 2004「赤堀町千鳥遺跡出土の槍先形尖頭器につ いて」『群馬考古手帳』14:39-42 安斎正人 2004「東北日本における「国府系石器群」の展 開―槍先形尖頭器石器群出現の前提―」『考古学』Ⅱ: 1-40 青森県立郷土館 1980『大平山元 II 遺跡』,114p.,青森 青森県立郷土館 1981『大平山元 III 遺跡』,58p.,青森 盤古堂考古学研究所 1999『大和市 No.210 遺跡』,64p.,神 奈川 比丘尼橋遺跡調査団 1993『比丘尼橋遺跡 B 地点』,267p., 東京 群馬県埋蔵文化財調査事業団 1986『下触牛伏遺跡』,278p., 群馬 群馬県埋蔵文化財調査事業団 1993『神保富士塚遺跡』, 604p.,群馬 群 馬 県 埋 蔵 文 化 財 調 査 事 業 団 1994『 天 引 狐 崎 遺 跡 I』, 142p.,群馬 群馬県埋蔵文化財調査事業団 2004『今井三騎堂遺跡―旧石 器時代編―』,510p.,群馬 群馬県埋蔵文化財調査事業団 2008『上武道路・旧石器時代 遺跡群(1)富田下大日遺跡』,475p.,群馬 平賀遺跡群発掘調査会 1985『平賀』,818p.,千葉 北海道埋蔵文化財センター 1999『柏台 1 遺跡』,311p.,札 幌 飯田茂雄 2006「槍先形尖頭器の出現と渋川遺跡の左右非対 称形槍先形尖頭器」『駿台史学』128:21-43 飯田茂雄・井上智英 2006「第 123 号採掘址 3c 層上部ブロッ ク出土の左右非対称形槍先形尖頭器」『黒耀石文化研究』 4:3-22 印旛郡市文化財センター 1994『木戸先遺跡』,456p.,千葉 伊藤 健 1989「樋状剥離を有する尖頭器の技術と形態」『東

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Spall removal type biface: a reconstruction

of the Omegura-Higashiuchino fluted points

Takashi Suto

1

*

Abstract

The purpose of this paper is to discuss spall-removing techniques in bifaces by means of reconstructing two types of fluted points, the Omegura and the Higashiuchino, the pointed burin, and the Omegura technique.

Spall removal type biface include diverse morphological variations such as bifaces, faceted tools, faceted burins,

fluted bifaces, burins, faceted points, shouldered bifaces, shouldered faceted tools, backed shouldered points, and shouldered faceted points.

Spall removal type biface technique refers to a technique that features spall removal including facet removal and

fluting. This technique allowed the rejuvenation of bifaces as well as the utilization of the spalls removed, enabling a more efficient long-term lithic resource management, and thus, wide range foraging.

The Last Glacial Maximum triggered a climatic change that altered the faunal and floral habitat, leading to the reorganization of the existing foraging territories of hunter-gatherers of the Palaeo-Honshu Island. The hunter-gatherers who encountered each other in these new resources would have shared information about their techniques, allowing therefore the development of diverse stone tool types that were better adapted to suit the resources in the new foraging territories.

On the Palaeo-Sakhalin-Hokkaido-Kurile Peninsula (Palaeo-SHK), the biface spall removal technique was developed for the production of microblades. In the northeastern part of the Palaeo-Honshu Island, the Odaiyamamoto-Omegaura biface, as well as the Sugikubo point, were developed by adapting the spall removal technique from Palaeo-SHK. In the southern Kanto region, the Shibukawa-Hiraga biface and the Sunagawa-Higashiuchino point were developed by adjusting the technique from the north-eastern region.

The spall removal type biface technique responsible for the development of diverse tools suitable for the exploitation of diverse resources represents a techno-informational complex of several hunter-gatherer groups.

Keywords: spall removal type biface technique; shared technology; faceted point; faceted burin; shouldered faceted point

(Received 9 January 2014 / Accepted 30 January 2014)

1 Center for Obsidian and Lithic Studies, Meiji University, 3670-8 Daimon, Nagawa-machi, Nagano 386-0601, Japan * Corresponding author: T. Suto ([email protected])

図 1 両面調整石器と面取石器の形態構造(縮尺 1/3)  ( )横断面面積,単位は㎟
図 5 面取尖頭器の形態構造(縮尺 1/3)  ( )横断面面積,単位は㎟

参照

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