博 士( 地球 環 境科 学) 大 槻晃 久
学 位 論 文 題 名
高緯度海域における二酸化炭素および 栄 養 塩 循 環 に 関 す る 研 究
学位論文内容の要旨
人類活動によって大気中へ放出された二酸化炭素(C02)が引き起こすと考えられる地球温暖化 のさまざまな影響が懸念されているが、その問題に適切に対処するためには、現在の地球上のC02 循 環を 定量 的に 評価 する 必要 がある。特に地球上の7割 以上の面積を占め、平均水深3800mの 厚みを持つ海洋は、人為起源C02の吸収源‐貯蔵庫としての働きが注目されている。そのため大気
― 海洋 間のC02の交 換量 と 、海 洋中 深層 へ貯 留さ れた 人為起源C02iを見積もる研究 が盛んに なされているが、その問を取り持つ輸送過程を躙べた研究は少ない。中深層水の形成過程は、海 洋衰層が冷却されることで駆動されるので、地球温暖化が起これぱ大きな影響を受けると考えられ る。ところが、中深層水が形成されるような海域は、気象条件も厳しい上、北極圏・南極圏といった 遠隔地に存在するため観測が難しく、研究の進展を阻んできた。その一方で、比較的観測が容易な 北海道オホ―ツク海沿岸において中層水の形成が行われていることが、本学低温科学研究所にお ける研究で明らかになっている。日本海から流入する亜熱帯系の高塩分な宗谷暖流水が、冬季の 水温低下で密度が27.0びe以上になり、千島海盆中層へ沈み込むという過程が存在する。その高 密度な宗谷暖流水は、宗谷暖流前駆水と呼ぱれている。
そこで、オホーツク海北 海道沿岸域において、大気から海洋表層へ吸収されたC02が海洋中層 へと運搬される過程を、現場観測から定量的に評価する試みを行った。当該海域においては、水産 試験場および海上保安庁が定期的に海洋観測を行っていることに着目し、それらの観測航海ヘ便 乗する機会を得たことによ り、1997年2月から翌年6月までおよそ2ケ月ごとの高頻度な観測を実 現させ、結氷期を含めた周年の海水の全炭酸濃度、全アルカリ度および栄養塩データを初めて取 得することができた。
春季(4―6月)に紋別沖 陸棚上に存在した宗谷暖流前駆水には、人為起源C02を含まない太平 洋の深層水にくらべて、70−100〃mol/kgの過剰な全炭酸が含まれていた。宗谷暖流水の起源であ る沖縄本島近海の黒潮衰層水には、この過剰な全炭酸はほとんど含まれていないので、黒潮衰層 水が対馬暖流水として、東シナ海・日本海を北上する過程で水温が低下(最大27℃)し、C02の溶 解度が増加することで、大気からC02を吸収した結果と考えられる。この多くの過剰C02を含む陸 棚上の宗谷暖流前駆水は、6−8月に千島海盆の中層(300−500m)へ沈み込んでいくことが、全アル カ リ度 を指 標と して 追跡 でき た。 宗谷 暖流 前駆 水の 年 間流 量は6.2xl012m3(Watanabe and Wakatsuohi,1998)であるので、この過程による大気由来C02の輸送量は、5.2−7.4xl012gC/yrと見
―1585 ‑
積もられた。一方、冬季(12―2月)にサハリン北方から当該海域へ表層を移流する東カラフト海流水 にも、100〃 mol/kgの大気から吸収されたと考えられる過剰C02が含まれていた。この東カラフト海 流水が、オホ―ツク海北西部において海氷生成に関わった際の性質を保存していると考えれぱ、海 氷生成時に排出されるブラインによる高密度水生成量は、年間2.8 X1013m3(Wong eta|.,1998)で あるので、この過程による大気由来C02の輸送量は、3.4x1013gC/yrと見積もられる。したがって両 者を合わせて、オホーツク海の中層には年間3.9―4.1xl013gCの大気由来C02が輸送されているこ とに なる。その量は全海洋の年間の人為起 源C02吸収量約2xlOisgCにく らべれぱ小さな値であ るが、全海洋に占めるオホ―ツク海の面積を考慮すれば、オホーツク海は単位面積あたり平均的な 海洋 の約5倍のC02吸収能カをもっており、 極めて効率のよい大気中C02の吸収源と言える。し かも一旦オホーツク海中層に運搬されたこれらのC02は、千島列島の海峡を通って太平洋へ流出 し、やがて等密度面混合で北太平洋中層水に取り込まれ、数十年から百年間は大気ヘ戻らないと 考えられる。
次に、オホーツク海と同様に寒冷かつ富栄養な環境にある親潮流域および南大洋とオホ―ツク海 との問で、大気海洋間の物質の収支や―次生産に影響 を与える全炭酸および栄養塩濃度の分布 の特徴を比較した。亜表層以深では、いずれの海域においても、栄養塩・全炭酸の濃度は、海水の 密度分布に大きく依存していた。すなわち、表層の低気圧性循環の働きで高密度な水が表層へ向 かって張り出している海域(親潮域、南極大陸沿岸域)では特に表層が富栄養になりやすい一方、
高気圧性循環が千島海盆に存在し、低密度な水が留まりやすいオホーツク海南部の表層〜亜衰層 はやや低全炭酸濃度かつ貧栄養であった。ただし、いずれの海域もごく表層を除いては、夏季でも 栄養塩が枯渇するようなことはなく、亜表層の豊富な栄養塩を用いて、活発な一次生産による表層 水中の全炭酸の消費が行われていた。
夏季の栄養塩・全炭酸濃度の表層鉛直プロファイルから見積もられた、冬季から夏季にかけての 栄養塩・全炭酸の消費量(これを純生物群集生産量:NCPと呼ぶ)は、南大洋が1.7―2.9moI/m で あったのに対し、親潮域やオホ―ツク海は3.6−9.4mol/m2と2−3倍も大きかった。これはオホーツク 海や親潮域の方が、南大洋にくらべ海氷が存在する期間や冬季鉛直混合が継続する期間が短く、
またより浅い水深(10―30m、南大洋は50―60m)に密度躍層があって、栄養塩豊富な密度躍層付近 に十 分光 が届 き、 植物 プラ ンク トンによる―次生産に有利な条件が整 うためと考えられる。
夏季 のオ ホ― ツク 海南 部か ら親 潮流域にかけての表面水のfC02計算値 は、潮汐による鉛直混 合で亜衰層水の表層への露出が起こる中部千島海峡域 を除いて、300〃 atmと大気のC02分圧よ り小さく、大気に対してニ酸化炭素の吸収域となっているが、これは上記のように生物ポンプが効率 よく働き、衰層水の全炭酸濃度を低下させているためである。一次生産によって栄養塩も全炭酸も 大きく消費された夏季のオホーツク海の表層水は、冬季に向かって冷却が始まると、大気から多くの C02を吸収し、その一部は北西部における海氷生成に伴う高密度水の形成過程によって、中層へと 運搬されていると考えられる。―方、親潮域や南大洋高緯度海域では、衰層水が大気からC02を 吸収したとしても、表層から中層への水の沈み込み過程が存在しないため、大気のC02の貯蔵庫と しての働きはオホーツク海にくらべて劣ると言えるだろう。
以上のように、オホ―ツク海は大気から海洋へのC02の吸収と海洋中層への運搬という重要な 役割を果たしていることが明らかとなった。しかし、今後予想される温暖化によっては、海洋表面が
‑ 1586 ‑
艤 ー 啅 か 謬 嘗 決 齟 叫 ぐ ′ n S h u 蒔 灯 爾 カ 丶 ザ 廿 珊 冫 S 鯑 法 阡 0 0 2 を l 叶 G S 什 叫 か 祕 甜 蓉 塒 9 ぢ 灘 冲 決 驚 や 叫 か n 什 ナ 斗 M ロ ぎ か 。 魯 S 潴 欝 詩 丗 欝 卿 請 繭 び 画 蕊 S 竃 叫 鰰 奇 O d S か 什 叫 ぎ ー p 師 贔 イ 匕 カ く 甚 講 亅 ニ S 0 0 2 錦 溝 ー n 册 M か 聽 噛 再 汁 叫 し 丶 d サ 小 う 。 渺 鱶 ナ 司 蕊 S 盛 塗 帯 欝 礬 し 丶 ‑ ぎ ロ 9 請 嬉 ー ハ 訪 ー 啅 か 共 鎌 攝 杏 請 韓 簿 驂 瀞 ー ハ 辮 寺 決 沺 し 丶 池 叶 ぎ か ヵ 丶 陀 u カ 丶 ′ 酔 沖 附 キ ム u n 什 洩 講 爛 d 讃 か 。
学 位論文 審査の要旨 主査 教授 乗木新一郎
副査 名誉教授 角皆静男(北海道大学)
副査 田中教幸
(アラスカ大学北極圏研究センター)
副査
副査 助教授 副査 助教授 副 査 教 授
渡辺 渡辺 大島 蒲生
学 位 論 文 題 名
修 一 ( 海 洋 科 学 技 術 セ ン タ ー ) 豊
慶 一郎
俊 敬(北海道大学大学院理学研究科)
高緯度海 域にお ける二酸 化炭素および 栄 養 塩 循 環 に 関 す る 研 究
人 類 活 動 に よ っ て 大 気 中 ヘ 放 出 さ れ た 二 酸 化 炭 素 (C02)が 弓tき 起 こ すと 考え られ る 地球 温暖 化の さま ざま な 影響 が懸 念さ れて いる が、 その 問題 に適 切に 対処 する ためには、
現 在 の 地 球 上 のC02循 環 を 定 量 的 に 評 価 す る 必 要 が あ る 。 特 に 地 球 上 の7割 以 上 の 面 積 を 占 め 、 平 均 水 深3800mの 厚 み を 持 つ 海 洋 は 、 人 為 起 源C02の 吸 収 源 ・ 貯 蔵 庫 と し て の 働 き が 注 目 さ れ て い る 。 そ の た め 大 気 一 海 洋 間 のC02の 交 換 量 と 、 海洋 中深 層ヘ 貯 留 さ れ た 人 為 起 源C02量 を 見 積 も る 研 究 が 盛 ん に な さ れ て い る が 、 そ の 間を 取り 持つ 輸 送過 程を 調べ た研 究は 少 ない 。中 深層 水の 形成 過程 は、 ,海 洋表 層が 冷却 され ることで駆 動 さ れ る の で 、 地 球 温 暖 化 が 起 こ れ ぱ 大 き な影 響を 受け ると 考え ら れる 。と ころ が、 中 深 層 水 が 形 成 さ れ る よ う な 海 域 は 、 気 象 条 件も 厳し い上 、北 極圏 ・ 南極 圏と いっ た遠 隔 地 に 存 在 す る た め 観 測 が 難 し く 、 研 究 の 進 展を 阻ん でき た。 その 一 方で 、比 較的 観測 が 容 易 な 北 海 道 オ ホ ー ツ ク 海 沿 岸 に お い て 中 層水 の形 成が 行わ れて い るこ とが 、本 学低 温 科 学 研 究 所 に お け る 研 究 で 明 ら か に な っ て いる 。日 本海 から 流入 す る亜 熱帯 系の 高塩 分 な 宗 谷 暖 流 水 が 、 冬 季 の 水 温 低 下 で 密 度 が27,0び。 以上 にな り、 千 島海 盆中 層ヘ 沈み 込 む の で あ る 。 そ の 高 密 度 な 宗 谷 暖 流 水 は 、 宗 谷 暖 流 前 駆 水 と 呼 ぱ れ て い る 。 そ こ で 申 請 者 は 、 オ ホ ー ッ ク 海 北 海 道 沿 岸域 にお いて 、大 気か ら 海洋 表層 へ吸 収さ れ たC02が 海 洋 中 眉 へと 運搬 され る過 程を 、現 場観 測か ら定 量的 に評 価 する 試み を行 った 。 ―1588ー
当該海域においては、水産試験場および海上保安庁が定期的に海洋観測を行っているこ とに着目 し、それ らの観測 航海ヘ便 乗する機会 を得たこ とにより 、1997年2月から翌 年6月まで およそ2ケ 月ごとの 高頻度な 観測を実現させ、結氷期を含めた周年の海水の 全炭 酸 濃 度、 全 アル カ リ 度お よ び栄 養 塩 デー タ を 初め て 取得 す る こと が でき た 。 春季(4‑6月) に紋別沖 陸棚上に 存在した 宗谷暖流前駆水には、人為起源COユを含ま ない太平 洋の深眉 水にくら べて、70‑100ルmol/kgの過剰な全炭酸が含まれていた。宗 谷暖流水の起源である沖縄本島近海の黒潮表層水には、この過剰な全炭酸はほとんど含 まれていないので、黒潮表層水が対馬暖流水として、東シナ海・日本海を北上する過程 で水 温 が 低下 ( 最大27℃) し、C02の溶 解度が増 加するこ とで、大気 からC02を吸 収 した結果 と考えら れる。こ の多くの 過剰C02を含む陸棚上の宗谷暖流前駆水は、6‑8月 に千島海 盆の中層 (300‑500m)ヘ沈 み込んで いくことが、全アルカリ度を指標として 追跡でき た。宗谷 暖流前駆 水の年間 流量は6.2xl012rD3 (Watanabe and Wakatsuchi, 1998)であるの で、この 過程によ る大気由 来C02の輸送量 は、5.2‑7.4xl012gC/yrと見 積もられ た。一方 、冬季(12‑2月)にサ ハリン北方から当該海域へ表眉を移流する東 カラフト 海流水に も、100んmol/kgの 大気から 吸収されたと考えられる過剰C02が含ま れていた。この東カラフト海流水が、オホーツク海北西部において海氷生成に関わった 際の性質を保存していると考えれぱ、海氷生成時に排出されるプラインによる高密度水 生成量は、年間2.8xl013rri3 (Wong et al.,1998)であるの.で、この過程による大気由 来C02の輸送 量は、3.4xl013gC/yrと 見積もら れる。したがって両者を合計すれぱ、オ ホーツク 海の中層 には年間3.9‑4.1xl013gCの大気由 来C02が輸送さ れている ことにぬ る。 そ の 量は 全 海洋 の 年 間の 人 為起 源C02吸収 量 約2xlOisgCに くらべれぱ 小さな値 であるが、全海洋に占めるオホーツク海の面積を考慮すれぱ、オホーツク海は単位面積 あた り 平 均的 な 海洋 の約5倍のC02吸収 能カをも っており 、極めて効 率のよい 大気中 C02の吸収源 と言える 。しかも 一旦オホ ーヅク海中層に運搬されたこれらのC02は、や がて北太平洋中眉水に取り込まれ、数十年から百年間は大気ヘ戻らないと考えられる。
なおここでは詳述しないが、申請者はこのほかにオホーヅク海北海道沿岸域で見られ る特徴的な栄養塩循環の仕組みや、オホーツク海と南大洋で見られる表層の一次生産に 関 す る 類 似 点 ・ 相 違 点 に つ い て も 、 博 士 論 文 の 中 で 報 告 ・ 考察 を 行 って い る。
本研究を通じて得られた成果は、現在一部を除き未公表であるが、それらが順次論文 の形で発表されれぱ、海洋の炭素循環や栄養塩循環に関する研究ヘ大きく寄与するであ ろう。本研究をまとめるにあたり、申請者は多くの時間を費やしてしまったが、身近な 海域における現象や過程にグローバルな物質循環の研究にっながる材料を見いだし、自 ら研究・観測計画を立てて実行し、一定の成果を導き出したという点で、審査員一同は 申請者が博士(地球環境科学)学位を受けるのに十分な資格を有するものと判断した。
−1589−