――目次――
1,
神と真理,アウグスティーヌスにおける所謂神の存在の論証について,長沢信寿,Shinzyu
NAGASAWA,pp.1-26.
2,
聖冏の神祗思想,竹園賢了,Kenryō TAKEZONO,pp.27-46.
3,
玄奘三蔵入竺行程の検討,高田修,Osamu TAKADA,pp.47-64.
4,
マナの本質,棚瀬襄爾,Zyōji TANASE,pp.65-95.
5,
親鸞教学における人間の問題,舘熈道,Kidō TACHI,pp.96-117.
6,
禅宗史上における径山の研究,古田紹欽,Shōkin FURUTA,pp.118-134.
7,
宗教における徴利思想の問題,細川亀市,Kameichi HOSOKAWA,pp.135-149.
8,
神と裁判,台湾の民俗に見ゆる事例,増田福太郎,Fukutarō MASUDA,pp.150-166.
9,
聖林を中心とする古代琉球村落の発生,鳥越憲三郎,Kenzaburō TORIGOE,pp.167-188.
書評
10,
波多野精一博士著『宗教哲学序論』,菅円吉,Enkichi KAN,pp.189-193.
11,
バルト神学の諸問題,丸川仁夫,Hitoo MARUKAWA,pp.194-205.
Posted in 1940
(昭和15)年
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存在の論
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眞理
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祀と眞理
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稿 参照。
祀と眞理
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二巻第三章
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百 ト.
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渥
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﹁存在する﹂と
、われわれは、かし知解しない。
をもつてゐるも
﹂が 来 り、﹁ 存 間 にぼその執れ 亦 明白である。 こ 知解すると 言ふ、 的確 實性 を論澄 め生きる﹂ ? アミ⑧ 、
白であるからし
ること、これも
、その内容をな
耐と眞理
足 するととが。
0
在 とほ生命を有
先づ ﹁知る﹂とぼ 、 最も 却 ちそれほ感覚のぼたら を濁知 する。これら所謂 聴くことは出来ない。 一 ことどとく物的なるもの 意識の構造に於て最も低 きるの では ない。われわ 有 なるものほ何であるか ことが出来る。とれ ろ の 的 感覚とほ 異 った何等 か のものを避けるのも、 こ
紳と眞理
ひて物の性質を知覚することである。 によって色を覗、 濁寛 によって物の性質
ぼ 耳によって色を見、眼によって昔を
あるのでなければならぬ。その 対 象 は
的なるものを 封象 とする個別的感覚は 、
寛は、 固よりかくの如き外的感覚に 蓋 する。加之、われわれ ば 五官の各自に固 ものほ何であるか等々のことを 匝別すぢ に婦せられるものではない。そこに は外 むところのものに 向ひ 、その 嫌 ふとこ ら ヌスは それを内的感覚⑨の口の コ の レコざ * ∼ 0 ご 一一一一 461 問 的存在との 階 といふ事實より 出, するものであるか。 ︵一︶しの 目ヴ ・が ロヴ片 ︵。︶・Ⅱ H 。 o.w 。。・Ⅰ ︵一一︶ ぃヴぃ ド @
で で 如 意 に
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も め の の す れ な ほ ぽて ア 決 い 香 る つ 外 感 得 グ し Ⅰ ぼ ぼ て 的 畳 ら ス て 水 井 た 善 感 に
ウ る ィ 毘 に せ き 表 に を も ] そ 挿 ら を ぼ よ れ の ヌ の 入 れ も し つ ぞ で ス も せ な た て て れ お ぼ の ら い な ゐ 知 固 つ こ で れ こ い る 寛 宥 て め ぼ た と 。 も せ の
賢 を 。 ぼ る に 亦 た が に ま 感 歪 は ょ 内 も あ ょ た 寛 ん た っ 的 の る
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克自 り 的 れ こ は の芋棒の も い に も 内 う の 。 立 つ 的
ち を 彼 っ て 感 な 辞 が と 考 兜
こ へ 及 彼 ん 断 覗 の 覚 ろ 識 の
十 ま で す 寛 で せ で と 内 や 緒 序 の れ 理 フオ め る の ほ ら 感 え 二 白 勺 う る も 誤 固 オし 覚 る 感
|
他人Ⅰ
性の
合す』。・
- 倫一 麗圭 たや 毘 め る の と う 三 魂 力 中 は に つ462
であり審判者で
坤と眞理
一玉 463
性 に 曲目 P , 陛 つ
ら
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「 ち ぼ ち464
一 - 七
紳と真
理ないと 言ふ ので
性 にとって ぼ、
性 に迫りながら、
り 、これの認識が ザピヱン チ ャ 叡智なのである。
い 。 ボ ヴ ィェ
ウグスティー ヌ
を 超越するとは 人
ぼ 感覚 に 対して 超
個人の所有であっ
的 認識の場合に (市川口) ( 土ハ ) (五)
色し
Ⅱ. 目目ト 片ト 0 かゴ ) 由の 串の 帝伴 Ⅰ 臣叶 明あ 曲目 市中 の曲 ︵一一︶ し の ポす 。曲尺ヴ か ︵。㌃いロ・ 0. の。 nP. ト ﹁・
る 。ところで彼が﹁自由意志論 君のものとも私のものとも舌口 ふ ,不思議にも、隠れてゐ て 而も公 が 、就中﹁告白鍵﹂第十二巻でも っ てそれを 失ふ であらう。とい 若しくほ汝のものではなくして 0% 結 である。真理は個人的理 れわれの精神 や 理世 よ り 憶よ り
﹂のなかでなく、
却目 ことが出来 なる光分の二
、買埋 は会 ふのはその 、全て -0 人 性の所産で︵Ⅰ ハ
︶
二局孝こ
もの﹂
づ
て 感性的存在 か 、対話者 エサォ ・ない。真理 は不 rC 宰 。サト︶ 俺 ︵︶︶ @ ての人々のもの 人は 真理から 虚 々の共有に属す ほ なくして、 一 である。﹁それであ
珪を ほば、 八四︶ 見する
ば却 理 が我
営然
﹁ わ のを 見
在
である﹂と
言葉の意味
てもこれに
立
真理﹂と号目
つ
一中やの︶、
心
地外 仙
ト一
ン 主義の
かの
開係にょ
︵一一一︶
一八 ほ 全ての人々に明瞭であるとアウグ ち 入った説明をしてほゐない。場合 ︵一一 り てゐるが、しかしその種々 な 場合に ︵︶お お の㏄ ぎ鎚 ︶をそれの性格となすと 影響を受けた彼の思惟の仕方は 、所 つて成立する概念とほ考へなかつた ぶ小ワン Ⅲ ェも 舌口つて入りる。けれども 眞 スティⅠ ヌス によって は 、﹁ 共通してゐる ころの、規範 謂封 家論理的 。真理 は 、 封 理は言ふ まで ぼ 知 根 カ 象 も 466% と
買埋
0 づプい の由のの 漣ぃコ 丹下コ 岱 ︶ ょ 東わ。 叩 p ユ㏄。い の ㎏ ゲ ㌔ 収ト
コ
l ㏄ ソ ︵一二︶・ 援 。Ⅰの @, 。 0 弓 ・ 0 山片 ︵四︶ H ︶の︶ ぃび ・ 曲円サぃ ︵:∼・ ト H 。。・ ドは 。 , ・㏄㏄ 、 ︵五︶のロロ 零ぴヴ Ⅰ 0 罵 7 ㌃Ⅹ 目ゲ P 悼印 。㌧㏄ 令 ︵ 占ハ ︶・ H ︶の 目ヴ ・ P Ⅰ す 田井: 目 HH 。。・ ト ㏄。 , ・㏄の ︵七︶Ⅱ すい 六ナ。︶・ HH 。 ド w 。 ロ ・㌍ ︵八︶ 目 Ⅰ んリ ︵九︶ Uo お qp H の︶Ⅰ℡ 0 臣辞 P % 。 戸づ ㏄ 九467
な
存在である。
る
︵ 一
。 0
︶
理 が 、 存 在 し て ゐ な け れ ば なら
な い 「ほ占 抹 7 町 な る 眞 な る も の も 眞 理 が な け れ ば 眞 で ほ も仏い(九) 」 と 彼 ほつ て ゐ る 眞
を 有し、客観性
ほ 判断によって
れに先立って 眞
では ない 0 近世
るところの・
眞
ニ O
神と買埋
0% 目 ︵ 目トぴ
︶㏄の
出 Ⅰ 目
口口山山白日。
H 陀ゲ碑ド
韓の中・参照。
すれば、それ ︵一︶
ぬ る。判断
は眞
しかし真理
は杢
8
元︶
と 言って
のものが眞であ
光を浴びなけれ
パラドキシカル
㍉ 玉 46神 と
眞理
Ⅹ 69し, ﹄
する属性であっ
も
つて
直ちに紳で
︵一︶
司 ふそうに、﹁
論
色目 ドど Q 日中ゲ目口。 P お 。 P し 。 巨 参看。 ︵二︶ ︵一一一︶ ︵四︶ しの︶生甲・ いトサぎ ・。 田 Ⅱ ゲ 。 トがロ ・㏄ 令 Ⅱ ヴ ト白ょ片ロ が 0 ドが 目の㏄Ⅹ・ せ 。 n
が 理性に先立つのである。
ある。 光は 両者 を 結合する媒介である。
識は 不可能であ
。買埋が規範で
階
階 め が 最 な 高 け め れ 頂 は 貼 な に ち 立 ぬ つ 「眞れ
ゎ 理 わ 」 れは
れ
の階段
は
ヒりルキァてゆき、
終に
決し轟皆
限 の に 段ほ 絶対的なるも
る 人間の精神 は、
ほ 叡智に於て 臥
轡 なる真理を登 ︵一︶
理へ 完結性の段
る 。しかしこの
る 真理 が、 更に
上昇するのであ
なして理性を超
で、その猿目 の
ことどとく相対 られた買埋 は理 既 = に )
喪俺
買埋
真理
に
は
の ㌣元に
照 片め レ 耶磯は (ぎて ()的 プ ) ぴ に せ ㌔
。
られ
のば
るもの。
め や 、 であ ・ せ だ る よ り 低 い 眞 エ室 ほ よ @ 局 い 眞 理 47n0 祀 眞 刊里
卸 眞 理
こ ﹁私の理性がを ︵ 上 ハノⅡ︶の日田 ヴ ・ 曲 @ すい ︵: @ ・Ⅱ H. n. H. ∼。 Hp. ㏄㏄
買埋として、
ぬ る。
︵三一︶ ︵︶の づ のⅡ ひ ∼の 由 ㎎ 目コイ の @C. 笘ド " ︶︶・㎝㍉
︵一一︶
ロ ︶の︶Ⅰ
ヴ ・
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寸
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Ⅱ㏄。
ぢ ・㏄㏄
グスティー
ヌスは夏
てゐる。を ﹁買埋﹂の 超
るととろの、 統 存在することを、
る諸真
理 を
、
確實
なる理性によって観た
のである。乙の終極の眞
理 が却
ち 紳であ
︵ ご 一︶
% き 眼は、 多くの不愛な ハリピ旧肝理そか りもかりに 向ふ ﹂︵二︶ もの、それが紳であるこ ︵四︶ 議 する個々の真理 は、こ42
る 重革 と の の り 籠 る の 理 被 い 回 数 、 高
。 が で 僻 在 ら そ そ け に っ 否 あ の 充 確
澄 泉 ほ 見 ろ 境
元 理 に し の る ほ ろ を 裁 く で に の ス る
と の こ た し の て で し の あ ら る せ る 卒
の 白 け 白 、 な 物 存 と て 的 私 る 龍 が て な て れ の
一中 町 眞 理 ヨ三
しこれをもつ て
ことは、特にア サ
由 :パむ 圧 。 ト のめの。 m. の㏄ ︵一一 こ ︵四︶ ︵五︶
QO コ Ⅱのの れ 0 臣のび @ ゲセ HH@o. ト Ⅰ @ ㌧・㎏㏄
刈 の 目隼 0 @ を ; )
の 宗教的 膿験
ことに求めなければならないと思ふ。
叶ぜ 毛の @ 山 c@, 。 ひ e 包
プ げりの ぴ ︵・レコょ匹 巳 @ の 。︶ 申 @. だ る の︵ ト Ⅰ㏄
讃することも 可 ス にとって は、紳
した道を取った
間 にある多くの
充足理由として 存
我の存在の確 實
を 有するもの
となった知性の
っ たのである。︵昭和十五年七月︶
ヰ @ み岸 庄がヰ の。 目メ Ⅰ 円 Ⅰ ダ c. 接 。 臣 ・ 耽 。 笘ゲっヰ 。 二こ 巴の由 す ・ど正 由 。 @ ・ ト H 。 o. ︶の。 コ ・一道, -
なる形式によって把握 ︵一一︶ する﹂
含ま
ほ互 私の
ある
ても
るに拘らす、その存在を論
︵し
讃 するにあたって
、
彼は
に、
れてゐるも に媒介し合 。アウグス 規定して ね その論澄を 考ふるとこ その上、今信仰そのものの
祀
と質
理
仰は
知性を要求
47,4
キ、
意味に 拾 いて 宗
教義と時代の思 ︶一七 望 何の紳 舐 思想 、他方形式主義 ゅ 神道勃興の時代 475 二 、 祀佛相 窩の理論 一 、 序 口 、聖同の事蹟 三 、浄土教の 祀砥 問題 六 、聖同の日本書紀 観 五 、聖 向 の 祀舐 思想 セ、紬
後 上八百年を脛
竹園
二買了
聖
何の神祇
思
事も
。
萬事違事
蒜仏
。大祀
爾奉レ任
。 元レ元
。 本レ本
故
地
。
とを述べ、これに
償
いて
欄
語辞㍾
一あ馬 。 幸全須 時 。 國 富民安。﹂ 0ほ @ ほい ふ ものムそ 尚且つ後世の紳
反省を興へた
最
就いて考察したいと思ふ。 一ぬ た。 又 他面 が 、本小論に
於乃
人の神祇思想に 二八 聖 何の祀 砥 思想紙本源を著し
てゐる 佛教は五
れてゐる。五部
著 豊葦原神風神
とは勿論であり、
ても金輪聖王 詑 、 探り入れられてゐることほ明らかである。
たのであるが、
ものもあれ ば、山
は家 要略記等で
由斗 かま 六 しもない。 ま
何の神祇思想
二九 4 クア思想が 窺は れる か りも 営坤松麻 である。︵二︶
や文辞が 佛教か
つて表現し、 又
ほ と の 弘 は も 麗 し 我 心 撰 述 併 発 着 侶 営 光 康 安 利 の 気
果 心 る 如
み
が に 明 さ 密 、 べ 記 営 し 本 し 鏡 。 と 、 身 婦 の れ 教 会 て を 時 く 地 て 水 色 考 祠 も り 月 す ぼ 家 ゐ 知 普 鎌 佛 大 く 像 へ 官 文 絵 と り 生ま、
毒のて、
六 震 凡カて
同宿十人し
賢の心
秘術き末思ゐ
べのとて
教輔
忠行
れ 祀 に や 苦 腕 界 % 超 守 , 照 猛 秋 る 佛 影 山 が 相 響 家
、 開 を 要 沈 れ も
眞 の 兵 略 な ば な
し
法ほ
青 鹿、 へ 記る。にき(姉)
の 坐 用権 思に 月、
密 想 た は こ 胸 又 。 に 牝 佳 正 常 数 め・ , 。 山 れ 月 是 康 つ の し 像 在 の ど こ 王 き 風 て 末 霧 行 み れ の万 玉 繭 神 と 山 @ 毛見 多 Ⅰ を 年 ふ 異 開 元 の
伊 の 持 と
の板
て紳 れす 清浄と
云の威も
國のと
教主 勢 で っ 天 明 。 の 士 へ 逆 光 傾 也 ど 謀 を く 。 大 あ ,本 吉 二 ほ 暇 鏡 佛 祀 っ 地 の 。 本 な な の宮 た 華 北 に か 遊 観
大神
見 眞 影 る@O
も ひ し 。 原 参 瞥 詮 を 如 傲 然 官 俗 塵 給 祠 の 請 見 に 附 の に れ 参 も す べ 官 風 し し 就 倉 都 執 ど た よ い し を 著 も 共 に 努。 しも巳
-、 曾今
時 ぅ て た 億 428
奏廟年脅
以上
,教紳
と と し 片) ( 七 大祀+,
同 今 す 爾 は 観的、未
想の にも 有 頼 心と 教法 表現 裁神道
市 の申・ - 年五 すに 嶺の は山 の信 に基 砥 月 こ 衆 卒 仰 く のの ・の 澄 に な 、 乗 を ら す 門 た の あ 反 佛 輩 の お れ そ 圓 救 金 れ 源 。 中 る 省 散 を 佛 く 共 こ 融 び 佛 は 空 荷 心 か と 息 も ほ 時 、 に の 、 停 腰 の も を ち い 想 利 一 は 己 は 妙 随 上 界 勧 紳 置 、 ひ で す 心 異 心 木 理
縁
を ・ に む 砥 く 営 、 あ る 室 慮 を 述 な 藤 る 事 寂 と み 的 り ,因が や の 裕 が 思 、 す 観 す き 想
との
。
鏡そ
てと何
、
共て
とな 箇 ぃ を ほ っ 主 管 に ら 冥 佛 に 長 り 條 て 政 己 た 義 合 祀 の ゐ に 為 に と 佛 第 る 千 め 反 ぃ の十ヒ 日 凝 等 を 行 の 没
二
にら
かた安
奏末
に、
して そ ひ す 迷 が あ 論 敵 流 も 、 状 期 紳 直 の 境 の お ら が を 縛 地 生 ろ ほ 深 作 のの を か す く り 塵 専 麓 金 商 開 明 の 同
度 ぼ な 所 蔵 て る 註 さ 円 に ま の を
を す 心 ほ れ 外 じ 裳 停 嶺 つ た の 充 る な 一 て 一 は 類 止 は に い 詮 原 分 こ れ, 理 ゐ 埋 る が せ 紳 ょ て ぃ 理 に と ど な た(の 紳 し 唄 っ ほ て は スト か も り や 盆 誰 萌 む の て 直 民 佛 し た 暫 。 ま た か に べ こ 浴 ち 聚 散 -c し く こ た ほ 云 ゐ 。 も の
る 外 す 己
めふ
た、
用 な 心 て 大の ほ を ま 樽 頑 な 、 澤 こ と
ふとれ
煮 せ、
教て
埋めに
特 ほ.・ る教
・つ方
る ( 便 七 時 に o 四 の 識 ほ お 利執
m.
く ハ イ五二
深く研究しで 迂
を 措いて他にほ な かつ 尭 。 田
の祀
と
仰がれ
神祇問題に就い
て 或は親鸞偉績
な か つ ︵十一︶ 方ト 0
述懐和讃や現世利益和讃に鬼神に善悪の道徳
日蓮等も、源空法師が道俗を欺きて専修
念佛
教の立場から
扱ふ
神祇
貸
類親
と
、
本
遊観に基
親親の
匠
別に依るもので
軋穏
。
も教
往信
誇
化身十一巻に諸経や先師の
してゐる。また悲嘆 ほ佛法に 恐れをなし 杜の神、 實 祀の祀の一一類を の祀の匡 別は 、印度に 掩 い と ほ 人畜・坐乗・ 死乗 にて い て神祇 が一 居高き地位に 分け、 罹 肚の神とぼ 即 ち神明のことで傍 人間を悩まし、苦しめるものであるから て 佛教 以前の神部 ち 天尊を費額として 佛 ある木牌たる佛や紳の化身と見る神祇 擢、総名一行の外に
峯 何 の 蒔 氏 思 想4 ㏄
封 で
聖間
が神道に閲して述べた書物にほ永和二年
他扶宗
のためで、鹿島神宮に参詣した
老姪と
ま田の神祇思想
に 書いた破邪 題 正義一 鹿島の神官寺に寄寓し 老翁との十八項目に 亙 て 書いたと 云は れる。本書を書いた目的ほ ろ 問答に 椴 託して神道を始め天台、日蓮、 三三 48/ 名 鹿島問答 ど 日本書紀 私 妙及び 恵永 八年ま 聖 問ほ資性聡明にして浄土三部経を授かつ 五歳にして宗乗の奥義を極め、更に外典を 都 に上って吉田家から吉田神道を堅んだと めた。 恵 永二十二年八月 聖 聴の請によって 照 永二十 セ年 九月二十七日病に 罹 って 寂す 聖間は 浄土由木中興の祀で内外 爾典 のみな 宗 にも努め、更に教圏としての結成を固く 浄土 述 間日 決紗 二巻、浄土博 戒論 一釜、十 記操紗 四十八巻、選 樺偉弘決 衆妙 直 傑士 巷慧
について
堅び
、二十
0
この草庵
は
今の博通院の始である。
組織を興へ、
封
拙技
浄土二蔵
額
養三十巻、
問銘心妙
、観経
琉
博通
その他数十巷の著があ
祈モ
っりつ @ り
が 南北朝の戦争 つ たことにある。
手 掌 む 物 腰 倭 問 私 深 悪 も め
に院麗
をの庶嫡
題釣革六百る
日る
す 祀、
ょ 大 気 得 中 毒 紳 が が 太 十 代 。 木 理 融営
、刊行
書館 紗 さ に 同 で の 庶 兄 中 ぼ 澤 の 後 圃 は 示 に 祀 れ 麗 拾 あ 人 為 甘 心 柱 日 間 の の 目 し 就 祀 最 私 ほ 作 等
・ 近 妙 句 書 で 聖 展 す 貞 さ 推 あ 紳 。 己 残 土 れ り 凹 も 寡
雲集
雪る
。 淳音蛋辞袋男票
0 巻 そ る 。 手 れ 本 中 こ て と 汲 鮎 義 麗 、 の 気 祀 古 記 宮 嶌 女 神 本 た 紳 部 明 山 房 夫 注 論 四 文 木 巷 庫 がじ、
皇五献 批 紀、
力 ら、
化 巻 王通 らか 天皇 に決 皇紀 目す 私 に 最 砂 麗 近 を 気 ま 登 と 麗 ら 澤 伐 っ( 競 れ % 書 浄 原 話 で 都 拾 葮 に 遺 児 坊令 % 分 さ和
妙 れ し 木 た た 人 を ぃ 一 れ 顧 て 巻 な 正磯
の か し 見 古 つ 女主目 たさ烏
れ 木 た。
で た ; , 敦 あ と 登 年
る い 見 前 Ⅰ カ や ヰ ふ さ 松 ま ん 皇 照 奉 侍 仁 問 究 れ こ
を
昭 了 に 聞 私 民 い 八 の努力
ス 一 行ちⅠ。
年高宇田し 用 。 の 部 、 に 以 の 作, 名 者 の - 戸 中明 拾 氏 て に 遺 の 國
封 482
聖 何 - 沖 中 砥 思 想 五 た 。以下これらの 見よう。 来世 には 只管 禰 ることを 誠 める者 83 にこれは 念佛 行者 4 %
垂述
詮を根本と
言ふ
紳を極めて
掩
いてほ浄土教の
に輔依
しても専ら
紗 十四 毬に 増補さ
白であるから、
祀 、浄土 め 立場
論を明らかにしたものである。 五
に 、その態度ほ次の一句で明らかである。
ナ ンハ テ レ︵
一一一土ハ
聖 國の神託思想
ほ先づ
三重の垂
出
ての衆生がある
述 である。更に
て 権現や明神
と
ある。この第三
き 奉って
は ならぬといふのである。
て 為すべきでほないといふ。
るのでほなく
に と
大佛
等 田 と て思
に 乗 然 て 祀
ね 、 耳 金 最 匹 繭 し て
バ す 態 ナ ヮ
とに
神つ
横 に に し 類 従 の と の 麗 遭 い ほ た 本 開 気 と て る も 係 言色 の の 偲、 の 気 を 私 開 簡 想 で 記 一 窟少 に なき 明 可 を な 相 僻 し 妙 威 雄 も 「 " 法 て に り し の 三 神 ゐ 於 詳 て
説 が い
て 私 眞 註 華
ゐ 鈴 言 樺
嚴、
る ほ の でて
四 あ 天 ム 祀モ 生 れ 箇 る 明 死 徳荘 嚴 "
窩
三 % 陀 Ⅱ助長 無 ナレ ︵
佛依念佛 三昧 0
本分
に叶
ふ
め
ら 一切衆生の一心が
祀籠
であるとい
識 の無相無念が
萬 法の種子となり、
こ
真空が不二平等の本心であって、この
紳は
一
%
で、生俘の更正したものであ
国華
果 で、これは地神五代に営
り、本
費額
密 内外所詮等と
異 るけれども、
を見るのである。斯く見れば勿論神道
一一一八 ふ 。 却ち 心を以て神と考へ れ 沓見實の神韻であるから、 心 が過去・現在・末末の艮一 る 。斯く 倍 するならば社司 門は従果何
% で天神七代に 元 意の深奥は - 不思議の神徳 日 如来に四重の建立あって 、 が 、この宗でほ森羅高家 が ある。従って遠人でもなく、 心地修行の宗旨であるから、 も佛法 と同一となる。然る 486耳言
床
,ナ 所
生故 "
カ,ヘ
。
此貧却是
大元宗祀神地。
二十︶
から
輻
知を所念
る
。
願
ほく
ほ欣
陀を
念すべきで
ら 自然に満足されるであらう、と。
﹂の句によ
つ
を大元宗祀神と
。堅間の見る所
が 、これに
勤
し
である。
三九
ま
何の祠
舐
思想
如く常時まで
杏 寧ろ紳をもつ
対
する理解
は寧
し 紳を軍に権
實
聖 町の神 耐 思想 而して 師は 麗気記 私 紗や 的な神を指して ぬ た。礎
つ ほ 本述一實 神道、真青のほ 一 の が ,心 ほ ら 大 て 日 元 法 木祀相
書 神 宗 紀 々 の 私妙に
道交 神道 ぼ を 於 法 高 い 界 法 て 元 種 我 初 子 が 神 神 占典の
道、
道と 華 い 祀四 。 も、窮極に 掩 いてほ 八不中道神道といふ 神道、 祀宗 のぼ無相 思辮 的な抽象 べく、天台の 篇 相 神道と一太 488
河 高 ・ ほ 天 色
界 初
太初夫 梵
酉
天 浮橋、天安
照
三明。月天子
種子。々々
愛成
有情。々々中有凡聖。依光初一
る
。
ば
。忽然
念
起
毛
几
清浄本分地。
述べ、震旦
は書
状態を指げと
ぃ
考へた。 年 の 「 常 世 國則 紳き イ山 ッ クレタ 秘 匠 芳
ヨ乍 " レ所
繋,
」、雄
略 詔一@--p
十 午 の 相 「 逐ま 入 レゆ澤 Ⅰ 至 - 蓬 : 奉 ; 園生 歴ま 親仙,
衆き ぼ 後 者 の 考 例へば 高菜四の跡 。 ヨ ロガ ':" 。 何 % 莫す 國 , 々 云
同
九の﹁
遠津
・ 國
黄泉
乃界丹
至と
あるほ前者の考へで あり、 重位記九十九てゐる。
績
日本紀も
天
については積日本紀でぼ
と
云ってゐる。
に
隔り離れて
思想もあった。
癩鞘潮都
導者本足獄卒
僅屯
ヤクサノ 八色電着本足鬼神曲、 今世人 龍 。 - ぶ ハ景 也 。皮は肝厨が
酩が等者定地獄
疋婬叶八
"
聖栂
の神祇思想
浮橋
- 也。
あ
色界
祁祀梵衆
私傭
橿
天安何者黄色界初
蔽缶蜜
に
ゐる
者は
獄卒と解して
ぬ
た。
四二 490
と
聞 あ 汝 る血 二
、
同 佛 及 衆 生 景一 無 差 BU 也 可 知釜 五百四 497
仝
者聞
,波斯
-
トク 深有 , 其 理乃大日貴紳
と少
彦名倉の間答に
ムネ
ダ彦
禽獣
ピ
、載荷。
所
。
成 載荷。
不
。
成
、
是
謙也、
葦荷,幽深
之 敏
- 意。
とある
忙勤
して、
師は
凝汝
二神
非
,足音
慮
来者
づ
放下。
頃
。
許也
。
ハレ
について、
コ
ア
ラ
神勅の中に
、
といつてゐる。の 一書に於ける
淵 第十五群︶ 接照 。 492
言己 爪甲 @ ミ
業て
第砂聖
頁 。 、 生 績 め題参 類
徳日
( Ⅱ , .、 琶 三 本 輯 諾 聖 下 畢 徳 市中 上長 , 一 一 Ⅰ 己 砥 興 念 睾禽禽 Ⅱ 召 第 不 Ⅱ 十 正,ゴ @ 曾 年 哲 肇 含 僻 イ ダリ
, ・ 頁 ) ク @ ノモ ・ オ " 套 、 参 想 報 講 。 止 " 演 。
と信
浮上甘 い。
博 W] 参 燈 」 系 弐甘 胴巻内
)
頗 流 祀 Ⅰ三苦 虹 第 参 四五頁 。 = = = 二 目 - 一 一 一 一 一 一 一 一 ず
冊 五 三 三 """ /@@ 本 四六 494-
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上 せ ヒ任 於 に 慈恩 想す 印度 ある の 備 る け 俺 る を と ま局
努 め 似 る 柏 年 て 力 に
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牡
一
行
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検
討
一 一 玄奨 貞観元年首 塗 説の検討
此の小文を芹
紀 西域印度の事
高桑氏の名著も ︵ う ん︶
足立
印ハ
4 氏 ︶ に依る洋史 堅界を賑は
、前記拙稿慈恩
薦 めに外ならな い 。
に 解説にして 共 の 研究 一 ︵大正十五年︶ 蔵の所謂博聞二十八 國 ﹂︵昭和五年︶
て 、 玄 芙の驚異 鱒 , 玄笑 三蔵入竺行程の検討 四八
擬 はす 、例へば められてゐる程である。 八月掛 欲 盲壁﹂ して 還 國を陳奏し 著が 後にも見る 如 ること明かであり、 ばならない。 れなかったもの に 最少十六年有年 といふ 機 倉を利し る 記事 は 貞観三年 事の存すること、 さると出で居る 封 する極めて傾聴すべき異論である。 笑の渡天経過 時 。 佛一 、筆者 はこュ 玄 英三蔵入竺行程の検討 四九
するならば、 玄 優等の記事を満 足せしめ得ないであらう。 せしめたといふ て男女を弩ぐ着 霜害のことぼ 元 れを 詮 すること 中園八 % 目 塞外 があったといふ ことも考へ得られるかも知れない。 れて居り、従 っ 思しく、﹁貞観 拐 であると言は ︵ 6 ︶
渦 時日を計るこ 玄 英三蔵入竺行程の検討 五 O
此の元年 詮を 砂上 く 検討して見たい。 4 タ 8
ほ 明瞭でないが、 五一 玄突 三蔵入竺行程の検討
親元年越州都督
また参考すべきであらう。
ねば放らない。此の場合、
殆
んど
諸博
の一致
四年
死
詮を正しとすべ正史に明記せら
答ふるを要しないところである。
向後述する如く
玄笑が
何れの年に長安を葮
可
汗の子
咀度
設の治す
活國を
過ぎた筈である
ち俺
めに
玄笑は掩留
すること何
%に
及んだと
あるから、
玄芙
の
俺記
作者等が可汗の死に就
末頃
活國に
及んだものと見ることも可能であ
︵四︶貞観元年論を積極的に肯定するものに
には
明かに貞観元年を以て往いて西域に遊ぶ
沙門立
芙
上表記︶及び慈恩
停に
同様のものを
年
とする等、必すしも漏るに足る資料として
荷佛道
論衡
蒜
︶に﹁
以
貞観初入
開佳
荘厳守
に 面謁し。同年末頃
れて其の長子持 勲立
ければならない筈で
請人 鋭 の 鈴波 が同年 も う。
文 があり、 即 ちそこ
藏玄 英法師表 啓 ︵ 寺
婦 京の年を貞観十八
あるには相違放い。
ぃひ 、 奮 唐書 楠ご 諭 せられる 可汗 の 同 みよりする限り 敢て
致するけれども
示寂とするのに 誕が開皇 二十年弘
@
、武徳五年
満
殆
んど定説とね
貞観ニ一年二八二
行状・開元銭
等
難い。この鮎に
就
てほ爾後に若干織れる筈である。
が
、前記幸大
亮
いふのに勤し 、 るからである。 此 新唐書 の最上 したも が 此の 曳 ︶に は 元年 限をこの元年 のと 思は れる 年以前に長安 八月中書令 九月とする が、 然しこ を葮 したかたとあるを以て見れば、 大 ︵ 山︶ @
州 に到る矯めに は相 営の時 なし得ないであらう。同時 ある。 亮著任 。 50 日を要 に 玄笑 玄 英三蔵入竺行程の検討 五二
出発の年に於て誤算があること ム なる。 観二 年官 塗 とす 、二十一歳 受兵の り 推して可能性あ ほ ぼ行かす、有力
如何に解すべき 宗に奉れる表文、 舌口 はねド はな 卜 つない なるところがあっ 基づくと甘口 推論でぼ絶望とい ふ より き 責任 は 免れ得な ものと見るべきで 二十六歳としで 誤 て 改訂を受けるに で 周遊士 有セ年 玄 英三蔵入竺行程の検討 なる資料とし一、重 覗 しなければならない。 ︵ れ ︶ 至ったとも推測される。 五一一一
︵ 7 ︶新 蕉 唐書巻三太宗本紀を見 よ 。
、 同巷 三一モ 下蒔延陀博 。
就 ては松田 濤
を参昭 せあ れ方 し 。
就 では 疑ふ飴地
がな
可能性を明かにし得 ないが、三年 詮 の 或 と思は れる。而して 其の十百七年の四字にあるを指摘する ものである。
の玄芙博 にまで 田
しとば考へない 五四 玄 英三蔵入竺行程の検討
八三、新唐書巻九九参照。
モ
・ 四
、昭和七年十月︶参照。
三玄
突
入竺間の安居の時
虔
の夏生
に
焼て
其
いふ
以外何等
記
顧と
、
勝典圓
京の
度の相違に基づ
くところがあるのかも知れ放い。
印度の気象不に
仔細に検討する
︵ 蛇 ︶
のである。以下これに
就て
考察して見よう。
旦
︵以下凡て
︵㎎︶
五五
玄
英三蔵入竺行程の検討
と 明 里 の い し 績 る な た け に 斯 け と ㊥
嘉億母
㊥ 漫 ㊥ 紹 男 信出た
慈くれ
俺 等 遺 金 君 餓 と 恩 て ば へほ 至 し 事 國 あ の 越 に
國
た す も 西 突 の
- 因 陀 が 沙 か れ 其 然 見 進 舎 滞 明 灘 第 落 否 は 國 し 営 せ を 薩 一 如 か 、 風 面 ら る
4%
ほ
明年並
同士
域 記す玄
、
笑 今一な
る
那 居 於 か ほ 多 に 或 は 月 る こ 大 等 に て で 友 濫 興 る 第 ノぐ と 姿 諸 常 夏 な 那 疾 味 箇 一 乃 至 グ Ⅰ ほ 沙 図 る 坐 い の 而 あ 虎 同 四 滞 困 に の べ し 制 諸 る に 夏 月 在 難 し 聖 き た 見 に 博 一 惇 生 に 、 - 十 に 俊 徳 文 位 の す 四であ
角 ら 似、 が し 期 る 月 迷 走 と 吾 ず 十 あ た を 詮 @ ・Ⅰ 一 に 及露領
して二月々 ぼ ろ。
様子 に す て ら 恩 依 ん 北 中 十も
つ "'"":" 沙 る 遡 れ 惇 の 亜 人@ Ⅰ ヒ ゐ く 乙 曝 る に 年 の 日 い ル る と と 禰 で 明 0 % 入 グ 要け も 盲 羅 あ 記 安 ぼ 安 西 ズ 然 一 尾 に ち せ
ィラ タ る に に 二 を 、 ノ へ
に 就 役 用 そ早 此
て つ 十
通過
急げ ら の 漫 で 其 何 % 沃 た 五 る 申 屏t
十 禰 あ の ""f" 辺三 定 も 日 文 に す、 ワ日 罷 っ 闇 す 月 國 た 耶 る営 五 ぼ に と 因 と る 老 屈 , 心 し 然 六 長 於 。 陀 こ へ 斯 な た 道 き て 首 羅 ろ と ら 乃 ら 筈 す で 占 旦 に 真 屋 寺 と を れ 披 失
坐
の に 申 も あ の誤 す し 用 曾 前 る り @ る群舞 " 里 と と
こ ぽ に な 然 を 然 し 504.
にも見る如く 掲若 見るを 安営 とする。 るといふ危難に に 対する供祭 は秋 ても何等 他と抵濁 するところがない筈である。 ﹁特達衆僧解夏 五七 ま 英三蔵入竺行程の検討 りの行程を考へる ︵ 巧 ︶
使 の麗姿 沙 ・ 日 暮したものの様である。 であって、 此虎に に 於ける十四月 を豊び率 へたとぼ考へられない。 かである。 底補羅國に 入り ︵Ⅱ︶
其の國を去って 傑
五 % 三蔵入竺行程の検討
目の安居に入 五八 ろも此の時の安居を指すのであら う ︵後述︶。
を 聴き十有五 ける 留 里を五年と 考へられない。 ふが、こ れまた 満 一年であったとぼ考へられない。
ケ月 。
適 なる 鉢 代参 するのであらう。 那掲傑迦 より 鉢 を 迎へたと見らる 陀寺 に至る迄に 申 う 。
決し、文枝 林 林出 でなければな 506-
五九 玄 英三蔵入竺行程の検討
みないひ
年佛 大神 愛丹
月 のことと
思はれ
る
。
ほ ある。
こ (W お エハ O 玄 英三蔵入竺行程の検討
此の年の夏生 ︵№ りり あらう。この 鳩控
である。 十日を要したと。
る ︵ 積 高 曾博 にば 冬 初とあ。 3 。 五日の無遮大倉 んで 毘羅脚 拳闘 に たものと 思 ばれる "
ひほ 先に安居に 駄 な い 。 て 、第十七回目 る 。 聾 し、中途に新 日長安に迎へ入れられたのである。
れを最後の婦
固 める数字 は 西紀の年︶ 二年 n 六二八 u 三年 コ 八二九 u 血 四年ハ 上 八三ハ レ口 エ 立年口上八二一一 u エ ハ億, n 上 ハコ一二 u セ牡 ナロ 上 八三コ 一 u 八年二八二一Ⅲ 凹 u 九年二八三五口 一ハ し億 , n 二八二一ょ ハ u 一一年 n 六三士山 一二年 コ 八三八 u 一二 - 年 二八二一九 u 一四年 n 上 八四 Ou 玄 英三蔵入竺行程の検討 ︵長安盲壁︶ ︵Ⅰ。︶ 迦畢試國沙落 遊手 ぬ 提腕 羅國闇耶 因陀羅 寺 ま部 僕底國突 余塵邦幸 闇欄達羅國那 伽羅 駄 邦幸 抹底補羅國 摩 損陀國摩詞 菩提寺 摩 損陀 園部 欄 舵手 摩損 陀國那欄陀寺 伊欄肇鉢 代参 國 駄那掲傑迦國 鉢 代参 國 お若鞠閣國
らう。 ︵ n 口にて
、さもなければ年数と記事と一致しないこ
一五年
n 六四一
u
摩損
陀國
板材
山
波國
︶
一セ年
n 六四三ロ
昆羅捌
拳闘
一八年
n 六四四口
嬰薩
旦那
國
︵長安
婦著
︶
一九年
n ム 八四五口
ある。
實際
慈恩
博に擦
って
玄
笑の行程を
ののみを
拳
げるに、涼州・八州・高昌
各そ
、磯遊
國
奄羅
林
一月、至
那僕底
十四月、
闇
那欄
舵手凡そ五歳、伊織拳銃
伐
多一年、南
同校村山二年、
迦摩
緒総
休月鈴
、
鉢羅耶伽セ
十飴
回、
藍波國
七十五日、活︵
婦路
︶一月
底
その儀にほ
信
瀕し難
い
こと明瞭である。
る
意味と解すべく、
那燗陀の
﹁ 九
五歳﹂の
的と見なくても︶と考へなければならぬ
い
参謁したるとき、路に在ること幾年なり
やと 問 ほれて三年︵ 行 逐ふ ならば、其の記す ととなる。 例へば 慈恩 月齢、届文六十鈴 口 、 燗蓮羅 四月、孝禧 勒那 ・ 橋薩羅月鈴 、 駄那掲傑 十五日、毘 羅捌撃 二月、 、 鉢鐸創 都貝 鈴 、 嬰薩 従って慈恩 偉に 誤りな 如きほせいせぬ三年と 上 ノ Ⅹ一一 タ 70く 小野氏の 筆 に成るものと思はれる。
沙 となす。
百 各三遍云々 、
書几 経 五歳﹂とある。 ノ 士 Ⅹ 二 - 玄 英三蔵入竺行程の検討 下 り る け 状 註 町 見 最 吾 ん に
縁
に結び
ウ
とする
作篇に
過ぎない。
於て考へ
得
ラ
。この
鮎よ
一八里コ回
五五八九室
ある。
玄 英三蔵入竺行程の検討 ︵ け ︶ 目三げ タ色 トふき簿ざ v- をミ薫 。。 、へぉ ・まきなぬ れを探る。︵ Qn ︶ ぐ an 卜ぎき が つ 0 ︶・ H と や㏄ ま ︶ ︵ め ︶此の場・ 合 雨期を迎へる 頃迦摩綾波國に 達した せ よ 雨量最も多き此の地方への 玄 実の旋 行 時に就 上 八四
スミスも こ
失する。何れに ては明言し難い。
ま 質
、
至 つに請う宗
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づ マ た ん あ す 的 ヱ五、
の 宗 界 水 着 メ 力 根 が 間 7 陣 題,ナ の の な し て て ヤ 詮 本 、 各 科 譚ぅ る し 化 基 と 定 が
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マ 干 ぼ や 観 詮 8 票 ナ ナ ナ ナ め て 万 金 と の 教 の の に に 参 ナ 至 で 澤 は の 滴 席 料 す 費 窩 ( 6 二 間
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報 彼 の ら の で る たの し め ナ ナ 本 て ほ て て 論 と 観 、 ゐ 雑 な ほ 念 多 こ ノ Ⅹ @ ド る 漠 る 元 と く 五 リ も な も 来 し の 0 8 の メ て 民 か 内 が ぅ 宗 族 、 容 止 ネ 数 堅 マ を て シ を 者 ナ 持 ち ヤ 眺 が の つ れ の め 呪 由 本 に る 土 よ 術
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マナの本質
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ろが( し 5 の 叉 木 ハ 質 ] と ト 葮 ラ 生 ン と ド を ぼ 見 ァ ん ル と ゴ し 、 ノ て キ そ 、 ノ れ の を臣 シ
ヤ尭
Ⅰ 口 を め 例澄吋 も 下良 ハ のハ通
つて
丑 0 %ャま Ⅰ で と ナ も 呼 ォ ん レ だ 、 ノ の ダ で 等 あ
フ ] がマナを無限 ︵ 2 ︶ アルゴンキヱ諸侯 コマンダン族の 念 と共に無限 又は ラネ シヤ土人の ヴ O ︶ Pqp 等から之を一般化して 呪幅 文ほ 呪害を 喬 らす非人格的な せしめたものな マ り目ぎ弓笘 ︶フィジⅠ 1 礎 として呪術宗教 タ /
んで、宗教起源論とも マナの 本 ・ 質 由 ハノ ハ % ノ ︵ Ⅰ︶ @
のであって、 略同 @,
も惹い 此等 の外にも有益な
マナの本質
る 研究報告 や 論文 は 数多く ︵ 8 ︶ 見出し得るが、 地 城を離れて 普 遍 化 し 理論化する場合に往々 上 八七 て ︵ 7 ︶ ぬ る。 や れ の じ ヮ ベ ォ 、 で た 力 Ⅰ ] 殊 あ の の ト ス に つ (で バ は ト モ た ピあ シ マ ラ 1 。 る ツ ナフ
た
さ
ⅡⅠ 態日
を ︵ 円 ︶
をも 引澄し、 更に 遍 的な力の観念
た Ⅱ︵ 2
︶
し、 其の代表と のの 仁 ぎのⅠ口目のま 箪 コ目 ほシウ 族の去り・ ハ 8 ︶ 性を主張しためで ︵ 時 ︶ である事を主張し 515
ネ に 察 開
なく天寵マナに
論難に助て者
質 をより明らか
のほ果して メラ
っ たものであるか
峯を
進めて見たいと思ふ。この書の前に コ
ぎ 胃のす 臣幼 ㌃ トト ・ いド ののむ等の論文がある。
乙ニト ︵ 0 ィ 七出 @0 円目困り目的山︵ 臣トト ㏄㍉㏄・ づ Ⅰ @. の㏄ | 駆の 営な 資料 ふ 。 厳密なる 同一次元 Ⅰ ダ ー ブ もまして き 度 いと 、本稿に があるか 5/6
二年 目 か 9 : せ : HH