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『宗教研究』季刊第2年第3輯(*105号)

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(1)

――目次――

1,

神と真理,アウグスティーヌスにおける所謂神の存在の論証について,長沢信寿,Shinzyu

NAGASAWA,pp.1-26.

2,

聖冏の神祗思想,竹園賢了,Kenryō TAKEZONO,pp.27-46.

3,

玄奘三蔵入竺行程の検討,高田修,Osamu TAKADA,pp.47-64.

4,

マナの本質,棚瀬襄爾,Zyōji TANASE,pp.65-95.

5,

親鸞教学における人間の問題,舘熈道,Kidō TACHI,pp.96-117.

6,

禅宗史上における径山の研究,古田紹欽,Shōkin FURUTA,pp.118-134.

7,

宗教における徴利思想の問題,細川亀市,Kameichi HOSOKAWA,pp.135-149.

8,

神と裁判,台湾の民俗に見ゆる事例,増田福太郎,Fukutarō MASUDA,pp.150-166.

9,

聖林を中心とする古代琉球村落の発生,鳥越憲三郎,Kenzaburō TORIGOE,pp.167-188.

書評

10,

波多野精一博士著『宗教哲学序論』,菅円吉,Enkichi KAN,pp.189-193.

11,

バルト神学の諸問題,丸川仁夫,Hitoo MARUKAWA,pp.194-205.

Posted in 1940

(昭和15)年

(2)

紳 眞 理 、自己が有する 紳 ︵一︶

所以・ ぼ、 彼に 、教

里 ﹂︵ しざ 旨の・

長澤信書

存在の論

について

||

(3)

な 人 て 知

口 目 ノ

か ぎ ㏄ Ⅰ 薄

全 て あ に に で と 如 も つ ら む るき二 の p

戸田Ⅰ つつ 人 の

っ像

」ふる」

ねやく 、 来るねこ

な人るこ

まほ

]

眞 版 全 か 問 感 (の 澤 つ も も と の 集

450

(4)

一 一 一

榔と

買埋

と言ふ 一諾だけ ことも許されない﹂ つて而も勃 ゅ卦晒 晒せ る 言葉によって の 矛 そ

用 あ ら ・ チ 、

ラ若

ドの

Ⅰ) な 神 ほ で

虐 か

父 の

その

於て

アラ

ンち

Ⅱ ィ 心印Ⅱ

-

ほ 的 ス し

「ヰ根 も か カン 」 っ 何 に ね そ

に 桂 一 9 種

(5)

子 の に く ア れ ば 工 事 せ し ゥ わ な 紳

( で こ 識 ス へ わ れ

う し か ゐ に ア 。 五

ゐ 二 %

、 ほそそつて

私のれこも

と 「 も

が 中 と

存で

彼私

ほのれら

らか。

紳如

こ グ し 眼 の せ だ 否 と ス て が で ら 信 定 を テ ゐ " ど あ れ 仲 酌

るこん

。 なかい

るな

の・

封沿

す ヌ

に ら の 家 極 る ス の 弱 し か と 的

わ れ

印,と

真理

ほ、 何ものかが語られる

アだ

るべきであらう﹂と、

一つの言葉である。だ

む却琶

第七十五篇の六

ト pw

︵下の臣Ⅱ

白 0 ム ・ せ om

色は

ス 舌 と も で

書 盾 ぃ ほ け れ 臣 )

( ぼ 四

言葉

る。

って によ 得な 得 し 錯 っ い な の 452

(6)

ア イ一ヌス

の企て

しての神を見、

仲 の偽造

に輔着め

モモ 三

紳と眞理

(7)

ほ 、それ バ 最早

のところ極めて

存在の論 譚が、

てゐる。そして

るものが答へ

:対話者

エサ

﹂と

言 白庄

はヰ怯

神と

眞理

まるであらう。 """ /"@ Ⅰ

パロⅠ︶不ヰ︶︶ 目 ︵一一︶しのⅠ ヴの Ⅱ 0 ゅ Ⅱ す ぎⅡ ト 0 。︶, HH 。。・㎏。㌧・の

ト のりのの 什 片目 ぴのゴ 臣の。ⅢⅣがⅡ ド & 。 ド のめ 0 。 づ ・いのの

・心理堅約方法論﹂

ハ Ⅰ C ︶Ⅰ㏄の︶∼ⅠのⅡ

トガの ロ ︶ さ HPP ㏄。

ヴ タ月 宙すい目 ㈹の ロ 。ハ由・ 9 % 目臣 : トの ㏄が 鱒の の

(8)

の 教に開

すると

ゆと買埋

したもの

へた きふ

の 知性 は

ふ 信仰の

れば 紳の

最も簡潔

七 よって、 或 程度 解澤し 得ると思ふ。 ︵二︶

へようと欲したま ふ 時に は、

によって把握

すれば信仰の

信仰の合理化を意

るけれども、人々

ければならない。

を 究めることに

(9)

・ 下

っ 升目 を ア グ 確 ヴ か ス 立 グ ら テ す ス 田 ィ る テ 登 7 必

ィ す ヌ あ ス 何 於 つ の 散 て た 魂 に ぼ と を 我 猫 い 、 の り ふ 一 存 紳 堅 持 在 の 史 ほ の 存 古句 、 確 在 事 捕 實 の ザ青 え Ⅰ空 論 に て か 澄 ょ ぬ ち の る た 田 み も 新 登 な の

ア し ら

] そ 哲 ア ア の 堅 力 派 常 会 デ の 時 籠 ] 慎 思, の

ⅡⅠ

.

界疑

論 葱

アに

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に 憶

@S

の し も 我 認 。 て 大 の 識 、 き 存 可 存 な 在

否 識 古 性 トヰの

@@

ひ o@H 目 Ⅰ 目ヴ 著 ィ乍 年 ィ七 ト @@

年代 鍍モ

曲トむ 写せの 目 Ⅱ 匹 円転。 送 P 然 ・ u も ド 著作年代 ぴ 00

ものに散見する。

㏄㏄の

卍苧

。 ロ

・㏄ @

谷 に述べられて

ものが、紳の存在の論

のそれ

ある。

であるぎり、

で テ 問 イ ぶ、 ] こ ヌ と ス に は し 封 よ 話 ぅ 者 エ 先 ウ づ ォ 第 デ """ イ に

ウ 牛 市 @ に が 次 存 の 桂 や す ぅ る に こ と 五 っ ロロ ほ て ど ゐ ぅ る

「と

明 白 乙 で ろ あ で

か 君 に

異存

第二 に が 如 な 個 け な れ

の か も - つ そ 、 ぃ

れが

ふ幅 書 庫 456 - 耳 中 眞 ま里 ノ天

(10)

麟 &

に と し あ 生 ふ イ ブ

て な

{ ⅠⅡ

を に し 膿 の あ た る 膿 め 識 と ぼ に に て い が っ 至 存 彼 こ 始 ス

と る そ 役 根 ィ 在 、 こ つ ら 識 生 ほ で と ス さ こ こ の 波 ウ す、 こ て な で き 何 あ な に な ら 能 貫 従 っ

ト田

(11)

営 に大きな 距り 、アウグスティ 隼の ︶︶ H ロ co のい∼Ⅰ リ 古意志論﹂、﹁ 眞

のめ 写い か p 珪のり 軋 ︶ して め るのである。

る ︵六︶Ⅰ

﹂。

朝吠謬は既

のであも。何と

必す 存在して ゐ

アカデー ミ|ア

︵アカデⅠ ミ 1

とほ立講 される。 ︵ 五 ︶

めには、先づ渓 ﹁しかし生きて 4S8 一 O

祀と眞理

(12)

た みを免れ

稿 参照。

祀と眞理

一一 惟 す 我 だ は 疑 れ か つ か

つ て 生

て 我 知 で カ ム

の 注意を惹いた。

在する。 而

とほ 出来な

二巻第三章

。だから 思

ヴ ar 叶 。内臣 す い で おの ︵四︶しの︶ トヴ ・ a ロヴぃ侍 ・ ロ ・ ロ 。。・の。 ロ ・㍉

。の 曄 。 c. りむ 。 ロ, ㍉ ︵ 亡 一︶しの ヰり目 ︵ 芭叶の 。ドリハ ン ﹁。。・ ト w 。 ロ ・めド せ 0 珪の ぴ任

p トづ の Ⅱの り

o

の ま

日の

百 ト

ハ円 ㏄ ト

o 弓 ヰ

ew

@

ひ 円仁

O

二九九 號 。昭和 六年︶で私は治々詳しくとのことを論じた。

(13)

﹁存在する﹂と

、われわれは、かし知解しない。

をもつてゐるも

﹂が 来 り、﹁ 存 間 にぼその執れ 亦 明白である。 こ 知解すると 言ふ、 的確 實性 を論澄 め

生きる﹂ ? アミ⑧ 、

白であるからし

ること、これも

、その内容をな

耐と眞理

足 するととが。

0

在 とほ生命を有

(14)

先づ ﹁知る﹂とぼ 、 最も 却 ちそれほ感覚のぼたら を濁知 する。これら所謂 聴くことは出来ない。 一 ことどとく物的なるもの 意識の構造に於て最も低 きるの では ない。われわ 有 なるものほ何であるか ことが出来る。とれ ろ の 的 感覚とほ 異 った何等 か のものを避けるのも、 こ

紳と眞理

ひて物の性質を知覚することである。 によって色を覗、 濁寛 によって物の性質

ぼ 耳によって色を見、眼によって昔を

あるのでなければならぬ。その 対 象 は

的なるものを 封象 とする個別的感覚は 、

寛は、 固よりかくの如き外的感覚に 蓋 する。加之、われわれ ば 五官の各自に固 ものほ何であるか等々のことを 匝別すぢ に婦せられるものではない。そこに は外 むところのものに 向ひ 、その 嫌 ふとこ ら ヌスは それを内的感覚⑨の口の コ の レコざ * ∼ 0 ご 一一一一 461 問 的存在との 階 といふ事實より 出, するものであるか。 ︵一︶しの 目ヴ ・が ロヴ片 ︵。︶・Ⅱ H 。 o.w 。。・Ⅰ ︵一一︶ ぃヴぃ ド @

(15)

で で 如 意 に

@

も め の の す れ な ほ ぽ

て ア 決 い 香 る つ 外 感 得 グ し Ⅰ ぼ ぼ て 的 畳 ら ス て 水 井 た 善 感 に

ウ る ィ 毘 に せ き 表 に を も ] そ 挿 ら を ぼ よ れ の ヌ の 入 れ も し つ ぞ で ス も せ な た て て れ お ぼ の ら い な ゐ 知 固 つ こ で れ こ い る 寛 宥 て め ぼ た と 。 も せ の

賢 を 。 ぼ る に 亦 た が に ま 感 歪 は ょ 内 も あ ょ た 寛 ん た っ 的 の る

わ と て

克自 り 的 れ こ は の芋棒

の も い に も 内 う の 。 立 つ 的

ち を 彼 っ て 感 な 辞 が と 考 兜

こ へ 及 彼 ん 断 覗 の 覚 ろ 識 の

十 ま で す 寛 で せ で と 内 や 緒 序 の れ 理 フオ め る の ほ ら 感 え 二 白 勺 う る も 誤 固 オし 覚 る 感

他人Ⅰ

性の

合す

』。・

- 倫一 麗圭 たや 毘 め る の と う 三 魂 力 中 は に つ

462

(16)

であり審判者で

坤と眞理

一玉 463

(17)

性 に 曲目 P , 陛 つ

ラ存

「 ち ぼ ち

464

(18)

一 - 七

紳と真

ないと 言ふ ので

性 にとって ぼ、

性 に迫りながら、

り 、これの認識が ザピヱン チ ャ 叡智なのである。

い 。 ボ ヴ ィェ

ウグスティー ヌ

を 超越するとは 人

ぼ 感覚 に 対して 超

個人の所有であっ

的 認識の場合に (市川口) ( 土ハ ) (五)

色し

Ⅱ. 目

目ト 片ト 0 かゴ ) 由の 串の 帝伴 Ⅰ 臣叶 明あ 曲目 市中 の曲 ︵一一︶ し の ポす 。曲尺ヴ か ︵。㌃いロ・ 0. の。 nP. ト ﹁・

(19)

る 。ところで彼が﹁自由意志論 君のものとも私のものとも舌口 ふ ,不思議にも、隠れてゐ て 而も公 が 、就中﹁告白鍵﹂第十二巻でも っ てそれを 失ふ であらう。とい 若しくほ汝のものではなくして 0% 結 である。真理は個人的理 れわれの精神 や 理世 よ り 憶よ り

﹂のなかでなく、

却目 ことが出来 なる光分の

、買埋 は会 ふのはその 、全て -0 人 性の所産で

︵Ⅰ ハ

二局孝こ

もの﹂

て 感性的存在 か 、対話者 エサォ ・ない。真理 は不 rC 宰 。サト︶ 俺 ︵︶︶ @ ての人々のもの 人は 真理から 虚 々の共有に属す ほ なくして、 一 である。﹁それ

であ

珪を ほば、 八四︶ 見する

ば却 理 が我

営然

﹁ わ のを 見

である﹂と

言葉の意味

てもこれに

真理﹂と号目

一中やの︶、

地外 仙

ト一

ン 主義の

かの

開係にょ

︵一一一︶

一八 ほ 全ての人々に明瞭であるとアウグ ち 入った説明をしてほゐない。場合 ︵一一 り てゐるが、しかしその種々 な 場合に ︵︶お お の㏄ ぎ鎚 ︶をそれの性格となすと 影響を受けた彼の思惟の仕方は 、所 つて成立する概念とほ考へなかつた ぶ小ワン Ⅲ ェも 舌口つて入りる。けれども 眞 スティⅠ ヌス によって は 、﹁ 共通してゐる ころの、規範 謂封 家論理的 。真理 は 、 封 理は言ふ まで ぼ 知 根 カ 象 も 466

(20)

% と

買埋

0 づプい の由のの 漣ぃコ 丹下コ 岱 ︶ ょ 東わ。 叩 p ユ㏄。い の ㎏ ゲ ㌔ 収ト

l ㏄ ソ ︵一二︶・ 援 。Ⅰの @, 。 0 弓 ・ 0 山片 ︵四︶ H ︶の︶ ぃび ・ 曲円サぃ ︵:∼・ ト H 。。・ ドは 。 , ・㏄㏄ 、 ︵五︶のロロ 零ぴヴ Ⅰ 0 罵 7 ㌃Ⅹ 目ゲ P 悼印 。㌧㏄ 令 ︵ 占ハ ︶・ H ︶の 目ヴ ・ P Ⅰ す 田井: 目 HH 。。・ ト ㏄。 , ・㏄の ︵七︶Ⅱ すい 六ナ。︶・ HH 。 ド w 。 ロ ・㌍ ︵八︶ 目 Ⅰ んリ ︵九︶ Uo お qp H の︶Ⅰ℡ 0 臣辞 P % 。 戸づ ㏄ 九

467

存在である。

︵ 一

。 0

理 が 、 存 在 し て ゐ な け れ ば な

な い 「ほ占 抹 7 町 な る 眞 な る も の も 眞 理 が な け れ ば 眞 で ほ も仏い(九) 」 と 彼 ほ

つ て ゐ る 眞

を 有し、客観性

ほ 判断によって

れに先立って 眞

では ない 0 近世

るところの・

(21)

ニ O

神と買埋

0% 目 ︵ 目トぴ

︶㏄の

出 Ⅰ 目

口口山山白日。

H 陀ゲ碑ド

韓の中・参照。

すれば、それ ︵一︶

ぬ る。判断

は眞

しかし真理

は杢

8

元︶

と 言って

のものが眞であ

光を浴びなけれ

パラドキシカル

㍉ 玉 46

(22)

神 と

眞理

Ⅹ 69

し, ﹄

する属性であっ

つて

直ちに紳で

︵一︶

司 ふそうに、﹁

色目 ドど Q 日中ゲ目口。 P お 。 P し 。 巨 参看。 ︵二︶ ︵一一一︶ ︵四︶ しの︶生甲・ いトサぎ ・。 田 Ⅱ ゲ 。 トがロ ・㏄ 令 Ⅱ ヴ ト白ょ片ロ が 0 ドが 目の㏄

Ⅹ・ せ 。 n

が 理性に先立つのである。

ある。 光は 両者 を 結合する媒介である。

識は 不可能であ

。買埋が規範で

(23)

階 め が 最 な 高 け め れ 頂 は 貼 な に ち 立 ぬ つ 「

眞れ

ゎ 理 わ 」 れ

の階段

ヒりルキァ

てゆき、

終に

決し

轟皆

限 の に 段

ほ 絶対的なるも

る 人間の精神 は、

ほ 叡智に於て 臥

轡 なる真理を登 ︵一︶

理へ 完結性の段

る 。しかしこの

る 真理 が、 更に

上昇するのであ

なして理性を超

で、その猿目 の

ことどとく相対 られた買埋 は理 既 = に )

喪俺

買埋

真理

の ㌣

元に

照 片

め レ 耶磯は (ぎて ()的 プ ) ぴ に せ ㌔

られ

のば

るも

の。

め や 、 であ ・ せ だ る よ り 低 い 眞 エ室 ほ よ @ 局 い 眞 理 47n0 祀 眞 刊里

(24)

卸 眞 理

こ ﹁私の理性がを ︵ 上 ハノⅡ︶の日田 ヴ ・ 曲 @ すい ︵: @ ・Ⅱ H. n. H. ∼。 Hp. ㏄㏄

買埋として、

ぬ る。

︵三一︶ ︵︶の づ のⅡ ひ ∼の 由 ㎎ 目コイ の @C. 笘ド " ︶︶・㎝㍉

︵一一︶

ロ ︶の︶Ⅰ

ヴ ・

斗 - ヴ

円 ︵ 、 。㌃

,0.

Ⅱ㏄。

ぢ ・㏄㏄

グスティー

ヌスは夏

てゐる。

を ﹁買埋﹂の 超

るととろの、 統 存在することを、

る諸真

理 を

確實

なる理性によって観た

のである。乙の終極の眞

理 が却

ち 紳であ

︵ ご 一︶

% き 眼は、 多くの不愛な ハリピ旧肝理そか りもかりに 向ふ ﹂︵二︶ もの、それが紳であるこ ︵四︶ 議 する個々の真理 は、こ

(25)

42

る 重革 と の の り 籠 る の 理 被 い 回 数 、 高

。 が で 僻 在 ら そ そ け に っ 否 あ の 充 確

澄 泉 ほ 見 ろ 境

元 理 に し の る ほ ろ を 裁 く で に の ス る

と の こ た し の て で し の あ ら る せ る 卒

の 白 け 白 、 な 物 存 と て 的 私 る 龍 が て な て れ の

(26)

一中 町 眞 理 ヨ三

しこれをもつ て

ことは、特にア サ

由 :パむ 圧 。 ト のめの。 m. の㏄ ︵一一 こ ︵四︶ ︵五︶

QO コ Ⅱのの れ 0 臣のび @ ゲセ HH@o. ト Ⅰ @ ㌧・㎏㏄

刈 の 目隼 0 @ を ; )

の 宗教的 膿験

ことに求めなければならないと思ふ。

叶ぜ 毛の @ 山 c@, 。 ひ e 包

プ げりの ぴ ︵・レコょ匹 巳 @ の 。︶ 申 @. だ る の︵ ト Ⅰ㏄

讃することも 可 ス にとって は、紳

した道を取った

間 にある多くの

充足理由として 存

我の存在の確 實

(27)

を 有するもの

となった知性の

っ たのである。︵昭和十五年七月︶

ヰ @ み岸 庄がヰ の。 目メ Ⅰ 円 Ⅰ ダ c. 接 。 臣 ・ 耽 。 笘ゲっヰ 。 二こ 巴の由 す ・ど正 由 。 @ ・ ト H 。 o. ︶の。 コ ・一道, -

なる形式によって把握 ︵一一︶ する﹂

含ま

ほ互 私の

ある

ても

るに拘らす、その存在を論

︵し

讃 するにあたって

彼は

に、

れてゐるも に媒介し合 。アウグス 規定して ね その論澄を 考ふるとこ その上、今

信仰そのものの

と質

仰は

知性を要求

47,4

(28)

キ、

意味に 拾 いて 宗

教義と時代の思 ︶一七 望 何の紳 舐 思想 、他方形式主義 ゅ 神道勃興の時代 475 二 、 祀佛相 窩の理論 一 、 序 口 、聖同の事蹟 三 、浄土教の 祀砥 問題 六 、聖同の日本書紀 観 五 、聖 向 の 祀舐 思想 セ、紬

後 上八百年を脛

竹園

二買了

何の神祇

(29)

事も

萬事違事

蒜仏

。大祀

爾奉レ任

。 元レ元

。 本レ本

とを述べ、これに

いて

語辞㍾

一あ馬 。 幸全須 時 。 國 富民安。﹂ 0

ほ @ ほい ふ ものムそ 尚且つ後世の紳

反省を興へた

就いて考察したいと思ふ。 一

ぬ た。 又 他面 が 、本小論に

於乃

人の神祇思想に 二八 聖 何の祀 砥 思想

(30)

紙本源を著し

てゐる 佛教は五

れてゐる。五部

著 豊葦原神風神

とは勿論であり、

ても金輪聖王 詑 、 探り入れられてゐることほ明らかである。

たのであるが、

ものもあれ ば、山

は家 要略記等で

由斗 かま 六 しもない。 ま

何の神祇思想

二九 4 クア

思想が 窺は れる か りも 営坤松麻 である。︵二︶

や文辞が 佛教か

つて表現し、 又

(31)

ほ と の 弘 は も 麗 し 我 心 撰 述 併 発 着 侶 営 光 康 安 利 の 気

果 心 る 如

が に 明 さ 密 、 べ 記 営 し 本 し 鏡 。 と 、 身 婦 の れ 教 会 て を 時 く 地 て 水 色 考 祠 も り 月 す ぼ 家 ゐ 知 普 鎌 佛 大 く 像 へ 官 文 絵 と り 生

ま、

毒のて

六 震 凡

カて

同宿十人し

賢の心

術き末思ゐ

べのとて

教輔

忠行

れ 祀 に や 苦 腕 界 % 超 守 , 照 猛 秋 る 佛 影 山 が 相 響 家

、 開 を 要 沈 れ も

眞 の 兵 略 な ば な

法ほ

青 鹿、 へ 記

る。にき(姉)

の 坐 用権 思に 月

密 想 た は こ 胸 又 。 に 牝 佳 正 常 数 め・ , 。 山 れ 月 是 康 つ の し 像 在 の ど こ 王 き 風 て 末 霧 行 み れ の

万 玉 繭 神 と 山 @ 毛見 多 Ⅰ を 年 ふ 異 開 元 の

伊 の 持 と

の板

て紳 れす 清浄

云の威も

のと

教主 勢 で っ 天 明 。 の 士 へ 逆 光 傾 也 ど 謀 を く 。 大 あ ,本 吉 二 ほ 暇 鏡 佛 祀 っ 地 の 。 本 な な の

宮 た 華 北 に か 遊 観

大神

見 眞 影 る

@O

も ひ し 。 原 参 瞥 詮 を 如 傲 然 官 俗 塵 給 祠 の 請 見 に 附 の に れ 参 も す べ 官 風 し し 就 倉 都 執 ど た よ い し を 著 も 共 に 努

。 しも巳

-

、 曾今

時 ぅ て た 億 428

(32)

奏廟年脅

以上

教紳

と と し 片) ( 七 大祀

+,

同 今 す 爾 は 観的

、未

想の にも 有 頼 心と 教法 表現 裁

神道

市 の申・ - 年五 すに 嶺の は山 の信 に基 砥 月 こ 衆 卒 仰 く の

の ・の 澄 に な 、 乗 を ら す 門 た の あ 反 佛 輩 の お れ そ 圓 救 金 れ 源 。 中 る 省 散 を 佛 く 共 こ 融 び 佛 は 空 荷 心 か と 息 も ほ 時 、 に の 、 停 腰 の も を ち い 想 利 一 は 己 は 妙 随 上 界 勧 紳 置 、 ひ で す 心 異 心 木 理

を ・ に む 砥 く 営 、 あ る 室 慮 を 述 な 藤 る 事 寂 と み 的 り ,因

が や の 裕 が 思 、 す 観 す き 想

との

てと何

共て

とな 箇 ぃ を ほ っ 主 管 に ら 冥 佛 に 長 り 條 て 政 己 た 義 合 祀 の ゐ に 為 に と 佛 第 る 千 め 反 ぃ の

十ヒ 日 凝 等 を 行 の 没

にら

かた安

奏末

に、

して そ ひ す 迷 が あ 論 敵 流 も 、 状 期 紳 直 の 境 の お ら が を 縛 地 生 ろ ほ 深 作 の

の を か す く り 塵 専 麓 金 商 開 明 の 同

ぼ な 所 蔵 て の を

を す 心 ほ れ 外 じ 裳 停 嶺 つ た の 充 る な 一 て 一 は 類 止 は に い 詮 原 分 こ れ, 理 ゐ 埋 る が せ 紳 ょ て ぃ 理 に と ど な た(の 紳 し 唄 っ ほ て は スト か も り や 盆 誰 萌 む の て 直 民 佛 し た 暫 。 ま た か に べ こ 浴 ち 聚 散 -c し く こ た ほ 云 ゐ 。 も の

る 外 す 己

めふ

用 な 心 て 大

の ほ を ま 樽 頑 な 、 澤 こ と

ふとれ

煮 せ

教て

埋めに

特 ほ

.・ る教

つ方

る ( 便 七 時 に o 四 の 識 ほ お 利

m.

く ハ イ五二

(33)

深く研究しで 迂

を 措いて他にほ な かつ 尭 。 田

の祀

仰がれ

神祇問題に就い

て 或は親鸞偉績

な か つ ︵十一︶ 方ト 0

述懐和讃や現世利益和讃に鬼神に善悪の道徳

日蓮等も、源空法師が道俗を欺きて専修

念佛

教の立場から

扱ふ

神祇

類親

遊観に基

親親の

別に依るもので

軋穏

も教

往信

化身十一巻に諸経や先師の

してゐる。また悲嘆 ほ佛法に 恐れをなし 杜の神、 實 祀の祀の一一類を の祀の匡 別は 、印度に 掩 い と ほ 人畜・坐乗・ 死乗 にて い て神祇 が一 居高き地位に 分け、 罹 肚の神とぼ 即 ち神明のことで傍 人間を悩まし、苦しめるものであるから て 佛教 以前の神部 ち 天尊を費額として 佛 ある木牌たる佛や紳の化身と見る神祇 擢

、総名一行の外に

峯 何 の 蒔 氏 思 想

4 ㏄

(34)

封 で

聖間

が神道に閲して述べた書物にほ永和二年

他扶宗

のためで、鹿島神宮に参詣した

老姪と

ま田の神祇思想

に 書いた破邪 題 正義一 鹿島の神官寺に寄寓し 老翁との十八項目に 亙 て 書いたと 云は れる。本書を書いた目的ほ ろ 問答に 椴 託して神道を始め天台、日蓮、 三三 48/ 名 鹿島問答 ど 日本書紀 私 妙及び 恵永 八年ま 聖 問ほ資性聡明にして浄土三部経を授かつ 五歳にして宗乗の奥義を極め、更に外典を 都 に上って吉田家から吉田神道を堅んだと めた。 恵 永二十二年八月 聖 聴の請によって 照 永二十 セ年 九月二十七日病に 罹 って 寂す 聖間は 浄土由木中興の祀で内外 爾典 のみな 宗 にも努め、更に教圏としての結成を固く 浄土 述 間日 決紗 二巻、浄土博 戒論 一釜、十 記操紗 四十八巻、選 樺偉弘決 衆妙 直 傑士 巷

について

堅び

、二十

0

この草庵

今の博通院の始である。

組織を興へ、

拙技

浄土二蔵

養三十巻、

問銘心妙

、観経

博通

その他数十巷の著があ

祈モ

っりつ @ り

が 南北朝の戦争 つ たことにある。

(35)

手 掌 む 物 腰 倭 問 私 深 悪 も め

に院麗

をの庶嫡

釣革六百る

日る

す 祀

ょ 大 気 得 中 毒 紳 が が 太 十 代 。 木 理 融

、刊行

書館 紗 さ に 同 で の 庶 兄 中 ぼ 澤 の 後 圃 は 示 に 祀 れ 麗 拾 あ 人 為 甘 心 柱 日 間 の の 目 し 就 祀 最 私 ほ 作 等

・ 近 妙 句 書 で 聖 展 す 貞 さ 推 あ 紳 。 己 残 土 れ り 凹 も 寡

雲集

雪る

。 淳音蛋辞袋男票

0 巻 そ る 。 手 れ 本 中 こ て と 汲 鮎 義 麗 、 の 気 祀 古 記 宮 嶌 女 神 本 た 紳 部 明 山 房 夫 注 論 四 文 木 巷 庫 が

じ、

皇五献 批 紀

力 ら

化 巻 王通 らか 天皇 に決 皇紀 目す 私 に 最 砂 麗 近 を 気 ま 登 と 麗 ら 澤 伐 っ( 競 れ % 書 浄 原 話 で 都 拾 葮 に 遺 児 坊令 % 分 さ

妙 れ し 木 た た 人 を ぃ 一 れ 顧 て 巻 な 正

の か し 見 古 つ 女主目 た

さ烏

れ 木 た

で た ; , 敦 あ と 登 年

る い 見 前 Ⅰ カ や ヰ ふ さ 松 ま ん 皇 照 奉 侍 仁 問 究 れ こ

昭 了 に 聞 私 民 い 八 の

努力

ス 一 行

ちⅠ。

年高宇田し 用 。 の 部 、 に 以 の 作, 名 者 の - 戸 中

明 拾 氏 て に 遺 の 國

封 482

(36)

聖 何 - 沖 中 砥 思 想 五 た 。以下これらの 見よう。 来世 には 只管 禰 ることを 誠 める者 83 にこれは 念佛 行者 4 %

垂述

詮を根本と

言ふ

紳を極めて

いてほ浄土教の

に輔依

しても専ら

紗 十四 毬に 増補さ

白であるから、

祀 、浄土 め 立場

論を明らかにしたものである。 五

に 、その態度ほ次の一句で明らかである。

ナ ンハ テ レ︵

(37)

一一一土ハ

聖 國の神託思想

ほ先づ

三重の垂

ての衆生がある

述 である。更に

て 権現や明神

ある。この第三

き 奉って

は ならぬといふのである。

て 為すべきでほないといふ。

るのでほなく

(38)

に と

大佛

等 田 と て

に 乗 然 て 祀

ね 、 耳 金 最 匹 繭 し て

バ す 態 ナ ヮ

とに

神つ

横 に に し 類 従 の と の 麗 遭 い ほ た 本 開 気 と て る も 係 言色 の の 偲、 の 気 を 私 開 簡 想 で 記 一 窟少 に な

き 明 可 を な 相 僻 し 妙 威 雄 も 「 " 法 て に り し の 三 神 ゐ 於 詳 て

説 が

て 私 眞 註 華

言 樺

嚴、

る ほ の で

四 あ 天 祀モ 生 れ 箇 る 明 死 徳荘 嚴 "

(39)

三 % 陀 Ⅱ助長 無 ナレ ︵

佛依念佛 三昧 0

本分

に叶

ら 一切衆生の一心が

祀籠

であるとい

識 の無相無念が

萬 法の種子となり、

真空が不二平等の本心であって、この

紳は

%

で、生俘の更正したものであ

国華

果 で、これは地神五代に営

り、本

費額

密 内外所詮等と

異 るけれども、

を見るのである。斯く見れば勿論神道

一一一八 ふ 。 却ち 心を以て神と考へ れ 沓見實の神韻であるから、 心 が過去・現在・末末の艮一 る 。斯く 倍 するならば社司 門は従果

% で天神七代に 元 意の深奥は - 不思議の神徳 日 如来に四重の建立あって 、 が 、この宗でほ森羅高家 が ある。従って遠人でもなく、 心地修行の宗旨であるから、 も佛法 と同一となる。然る 486

(40)

耳言

,ナ 所

生故 "

カ,ヘ

此貧却是

大元宗祀神地。

二十︶

から

知を所念

ほく

ほ欣

陀を

念すべきで

ら 自然に満足されるであらう、と。

﹂の句によ

を大元宗祀神と

。堅間の見る所

が 、これに

である。

三九

何の祠

思想

(41)

如く常時まで

杏 寧ろ紳をもつ

する理解

は寧

し 紳を軍に権

聖 町の神 耐 思想 而して 師は 麗気記 私 紗や 的な神を指して ぬ た。

つ ほ 本述一實 神道、真青のほ 一 の が ,心 ほ ら 大 て 日 元 法 木

祀相

書 神 宗 紀 々 の 私

妙に

道交 神道 ぼ を 於 法 高 い 界 法 て 元 種 我 初 子 が 神 神 占

典の

道と 華 い 祀

四 。 も、窮極に 掩 いてほ 八不中道神道といふ 神道、 祀宗 のぼ無相 思辮 的な抽象 べく、天台の 篇 相 神道と一太 488

(42)

河 高 ・ ほ 天 色

太初夫 梵

天 浮橋、天安

三明。月天子

種子。々々

愛成

有情。々々中有凡聖。依光初一

。忽然

清浄本分地。

述べ、震旦

は書

状態を指げと

(43)

考へた。 年 の 「 常 世 國則 紳き イ山 ッ クレタ 秘 匠 芳

ヨ乍 " レ所

繋,

、雄

略 詔一

@--p

十 午 の 相 「 逐ま 入 レゆ澤 Ⅰ 至 - 蓬 : 奉 ; 園生 歴ま 親仙

衆き ぼ 後 者 の 考 例へば 高菜四の

跡 。 ヨ ロガ ':" 。 何 % 莫す 國 , 々 云

九の﹁

遠津

・ 國

黄泉

乃界丹

至と

あるほ前者の考へで あり、 重位記九十九

てゐる。

日本紀も

については積日本紀でぼ

云ってゐる。

隔り離れて

思想もあった。

癩鞘潮都

導者本足獄卒

僅屯

ヤクサノ 八色電着本足鬼神曲、 今世人 龍 。 - ぶ ハ景 也 。

皮は肝厨が

酩が等者定地獄

疋婬叶八

"

聖栂

の神祇思想

浮橋

- 也。

色界

祁祀梵衆

私傭

橿

天安何者黄色界初

蔽缶蜜

ゐる

者は

獄卒と解して

た。

四二 490

(44)

聞 あ 汝 る

同 佛 及 衆 生 景一 無 差 BU 也 可 知釜 五百

497

者聞

,波斯

-

トク 深有 , 其 理乃

大日貴紳

と少

彦名倉の間答に

ムネ

ダ彦

禽獣

、載荷。

成 載荷。

謙也、

葦荷,幽深

之 敏

- 意。

とある

忙勤

して、

師は

凝汝

二神

,足音

来者

放下。

許也

ハレ

について、

神勅の中に

といつてゐる。

の 一書に於ける

(45)

淵 第十五群︶ 接照 。 492

(46)

言己 爪甲 @ ミ

業て

第砂聖

頁 。 、 生 績 め

題参 類

徳日

( Ⅱ , .、 琶 三 本 輯 諾 聖 下 畢 徳 市中 上長 , 一 一 Ⅰ 己 砥 興 念 睾禽

禽 Ⅱ 召 第 不 Ⅱ 十 正,ゴ @ 曾 年 哲 肇 含 僻 イ ダリ

, ・ 頁 ) ク @ ノモ ・ オ " 套 、 参 想 報 講 。 止 " 演 。

と信

浮上甘 い

博 W] 参 燈 」 系 弐甘 胴巻

頗 流 祀 Ⅰ三苦 虹 第 参 四五

(47)

頁 。 = = = 二 目 - 一 一 一 一 一 一 一 一 ず

冊 五 三 三 """ /@@ 本 四六 494-

(48)

る に ヰ与 六口 探 険 翻

藏 。 代 か れ 入 竺 度 し 常

舌口

の高

博 本

0

上 せ ヒ任 於 に 慈恩 想す 印度 ある の 備 る け 俺 る を と ま

努 め 似 る 柏 年 て 力 に

にて

歳 身 亜 の

軍 中

を 中 西 脛 酉 蔵

里付容れ初足

し 沙 探 程 易 を め 跡

て漠険

無 ・ 諸

事 姦 民 牛 し 比 確 瞭 婦 嶺 の

ぼ 逐 定 に な 唐 書 4 ラ 殆 げ す な る せ 山 詞 ど 得 る し が る の の

押,

フ ; ご -

(49)

一 一 玄奨 貞観元年首 塗 説の検討

此の小文を芹

紀 西域印度の事

高桑氏の名著も ︵ う ん︶

足立

印ハ

4 氏 ︶ に依る

洋史 堅界を賑は

、前記拙稿慈恩

薦 めに外ならな い 。

に 解説にして 共 の 研究 一 ︵大正十五年︶ 蔵の所謂博聞二十八 國 ﹂︵昭和五年︶

て 、 玄 芙の驚異 鱒 , 玄笑 三蔵入竺行程の検討 四八

(50)

擬 はす 、例へば められてゐる程である。 八月掛 欲 盲壁﹂ して 還 國を陳奏し 著が 後にも見る 如 ること明かであり、 ばならない。 れなかったもの に 最少十六年有年 といふ 機 倉を利し る 記事 は 貞観三年 事の存すること、 さると出で居る 封 する極めて傾聴すべき異論である。 笑の渡天経過 時 。 佛一 、筆者 はこュ 玄 英三蔵入竺行程の検討 四九

(51)

するならば、 玄 優等の記事を満 足せしめ得ないであらう。 せしめたといふ て男女を弩ぐ着 霜害のことぼ 元 れを 詮 すること 中園八 % 目 塞外 があったといふ ことも考へ得られるかも知れない。 れて居り、従 っ 思しく、﹁貞観 拐 であると言は ︵ 6 ︶

渦 時日を計るこ 玄 英三蔵入竺行程の検討 五 O

此の元年 詮を 砂上 く 検討して見たい。 4 タ 8

(52)

ほ 明瞭でないが、 五一 玄突 三蔵入竺行程の検討

親元年越州都督

また参考すべきであらう。

ねば放らない。此の場合、

んど

諸博

の一致

四年

詮を正しとすべ正史に明記せら

答ふるを要しないところである。

向後述する如く

玄笑が

何れの年に長安を葮

汗の子

咀度

設の治す

活國を

過ぎた筈である

ち俺

めに

玄笑は掩留

すること何

%

及んだと

あるから、

玄芙

俺記

作者等が可汗の死に就

末頃

活國に

及んだものと見ることも可能であ

︵四︶貞観元年論を積極的に肯定するものに

には

明かに貞観元年を以て往いて西域に遊ぶ

沙門立

上表記︶及び慈恩

停に

同様のものを

とする等、必すしも漏るに足る資料として

荷佛道

論衡

︶に﹁

貞観初入

開佳

荘厳守

に 面謁し。同年末頃

れて其の長子持 勲立

ければならない筈で

請人 鋭 の 鈴波 が同年 も う。

文 があり、 即 ちそこ

藏玄 英法師表 啓 ︵ 寺

婦 京の年を貞観十八

あるには相違放い。

ぃひ 、 奮 唐書 楠ご 諭 せられる 可汗 の 同 みよりする限り 敢て

(53)

致するけれども

示寂とするのに 誕が開皇 二十年

@

、武徳五年

んど定説とね

貞観ニ一年二八二

行状・開元銭

難い。この鮎に

てほ爾後に若干織れる筈である。

、前記幸大

いふのに勤し 、 るからである。 此 新唐書 の最上 したも が 此の 曳 ︶に は 元年 限をこの元年 のと 思は れる 年以前に長安 八月中書令 九月とする が、 然しこ を葮 したか

たとあるを以て見れば、 大 ︵ 山︶ @

州 に到る矯めに は相 営の時 なし得ないであらう。同時 ある。 亮著任 。 50 日を要 に 玄笑 玄 英三蔵入竺行程の検討 五二

(54)

出発の年に於て誤算があること ム なる。 観二 年官 塗 とす 、二十一歳 受兵の り 推して可能性あ ほ ぼ行かす、有力

如何に解すべき 宗に奉れる表文、 舌口 はねド はな 卜 つない なるところがあっ 基づくと甘口 推論でぼ絶望とい ふ より き 責任 は 免れ得な ものと見るべきで 二十六歳としで 誤 て 改訂を受けるに で 周遊士 有セ年 玄 英三蔵入竺行程の検討 なる資料とし一、重 覗 しなければならない。 ︵ れ ︶ 至ったとも推測される。 五一一一

(55)

︵ 7 ︶新 蕉 唐書巻三太宗本紀を見 よ 。

、 同巷 三一モ 下蒔延陀博 。

就 ては松田 濤

を参昭 せあ れ方 し 。

就 では 疑ふ飴地

がな

可能性を明かにし得 ないが、三年 詮 の 或 と思は れる。而して 其の十百七年の四字に

あるを指摘する ものである。

の玄芙博 にまで 田

しとば考へない 五四 玄 英三蔵入竺行程の検討

(56)

八三、新唐書巻九九参照。

・ 四

、昭和七年十月︶参照。

三玄

入竺間の安居の時

の夏生

焼て

いふ

以外何等

顧と

勝典圓

京の

度の相違に基づ

くところがあるのかも知れ放い。

印度の気象不に

仔細に検討する

︵ 蛇 ︶

のである。以下これに

就て

考察して見よう。

︵以下凡て

︵㎎︶

五五

英三蔵入竺行程の検討

(57)

と 明 里 の い し 績 る な た け に 斯 け と ㊥

嘉億母

㊥ 漫 ㊥ 紹 男 信

出た

くれ

俺 等 遺 金 君 餓 と 恩 て ば へ

ほ 至 し 事 國 あ の 越 に

た す も 西 突 の

- 因 陀 が 沙 か れ 其 然 見 進 舎 滞 明 灘 第 落 否 は 國 し 営 せ を 薩 一 如 か 、 風 面 ら る

4%

明年並

同士

域 記

す玄

笑 今一

那 居 於 か ほ 多 に 或 は 月 る こ 大 等 に て で 友 濫 興 る 第 ノぐ 姿 諸 常 夏 な 那 疾 味 箇 グ Ⅰ ほ 沙 図 る 坐 い の 而 あ 虎 同 四 滞 困 に の べ し 制 諸 る に 夏 月 在 難 し 聖 き た 見 に 博 一 惇 生 に 、 - 十 に 俊 徳 文 位 の す 四

であ

角 ら 似、 が し 期 る 月 迷 走 と 吾 ず 十 あ た を 詮 @ ・Ⅰ 一 に 及

露領

して二月々 ぼ ろ

様子 に す て ら 恩 依 ん 北 中 十

つ "'"":" 沙 る 遡 れ 惇 の 亜 人

@ Ⅰ ヒ ゐ く 乙 曝 る に 年 の 日 い ル る と と 禰 で 明 0 % 入 グ 要け も 盲 羅 あ 記 安 ぼ 安 西 ズ 然 一 尾 に ち せ

ィラ タ る に に 二 を 、 ノ へ

に 就 役 用 そ早 此

て つ 十

通過

急げ ら の 漫 で 其 何 % 沃 た 五 る 申 屏

t

十 禰 あ の ""f" 辺三 定 も 日 文 に す、 ワ日 罷 っ 闇 す 月 國 た 耶 る

営 五 ぼ に と 因 と る 老 屈 , 心 し 然 六 長 於 。 陀 こ へ 斯 な た 道 き て 首 羅 ろ と ら 乃 ら 筈 す で 占 旦 に 真 屋 寺 と を れ 披 失

の に 申 も あ の誤 す し 用 曾 前 る り @ る

群舞 " 里 と と

こ ぽ に な 然 を 然 し 504.

(58)

にも見る如く 掲若 見るを 安営 とする。 るといふ危難に に 対する供祭 は秋 ても何等 他と抵濁 するところがない筈である。 ﹁特達衆僧解夏 五七 ま 英三蔵入竺行程の検討 りの行程を考へる ︵ 巧 ︶

使 の麗姿 沙 ・ 日 暮したものの様である。 であって、 此虎に に 於ける十四月 を豊び率 へたとぼ考へられない。 かである。 底補羅國に 入り ︵Ⅱ︶

其の國を去って 傑

(59)

五 % 三蔵入竺行程の検討

目の安居に入 五八 ろも此の時の安居を指すのであら う ︵後述︶。

を 聴き十有五 ける 留 里を五年と 考へられない。 ふが、こ れまた 満 一年であったとぼ考へられない。

ケ月 。

適 なる 鉢 代参 するのであらう。 那掲傑迦 より 鉢 を 迎へたと見らる 陀寺 に至る迄に 申 う 。

決し、文枝 林 林出 でなければな 506-

(60)

五九 玄 英三蔵入竺行程の検討

みないひ

年佛 大神 愛丹

月 のことと

思はれ

ほ ある。

(61)

こ (W お エハ O 玄 英三蔵入竺行程の検討

此の年の夏生 ︵№ りり あらう。この 鳩控

である。 十日を要したと。

る ︵ 積 高 曾博 にば 冬 初とあ。 3 。 五日の無遮大倉 んで 毘羅脚 拳闘 に たものと 思 ばれる "

ひほ 先に安居に 駄 な い 。 て 、第十七回目 る 。 聾 し、中途に新 日長安に迎へ入れられたのである。

れを最後の婦

(62)

固 める数字 は 西紀の年︶ 二年 n 六二八 u 三年 コ 八二九 u 血 四年ハ 上 八三ハ レ口 エ 立年口上八二一一 u エ ハ億, n 上 ハコ一二 u セ牡 ナロ 上 八三コ 一 u 八年二八二一Ⅲ 凹 u 九年二八三五口 一ハ し億 , n 二八二一ょ ハ u 一一年 n 六三士山 一二年 コ 八三八 u 一二 - 年 二八二一九 u 一四年 n 上 八四 Ou 玄 英三蔵入竺行程の検討 ︵長安盲壁︶ ︵Ⅰ。︶ 迦畢試國沙落 遊手 ぬ 提腕 羅國闇耶 因陀羅 寺 ま部 僕底國突 余塵邦幸 闇欄達羅國那 伽羅 駄 邦幸 抹底補羅國 摩 損陀國摩詞 菩提寺 摩 損陀 園部 欄 舵手 摩損 陀國那欄陀寺 伊欄肇鉢 代参 國 駄那掲傑迦國 鉢 代参 國 お若鞠閣國

らう。 ︵ n 口にて

(63)

、さもなければ年数と記事と一致しないこ

一五年

n 六四一

u

摩損

陀國

板材

波國

一セ年

n 六四三ロ

昆羅捌

拳闘

一八年

n 六四四口

嬰薩

旦那

︵長安

婦著

一九年

n ム 八四五口

ある。

實際

慈恩

博に擦

って

笑の行程を

ののみを

げるに、涼州・八州・高昌

各そ

、磯遊

奄羅

一月、至

那僕底

十四月、

那欄

舵手凡そ五歳、伊織拳銃

多一年、南

同校村山二年、

迦摩

緒総

休月鈴

鉢羅耶伽セ

十飴

回、

藍波國

七十五日、活︵

婦路

︶一月

その儀にほ

瀕し難

こと明瞭である。

意味と解すべく、

那燗陀の

﹁ 九

五歳﹂の

的と見なくても︶と考へなければならぬ

参謁したるとき、路に在ること幾年なり

やと 問 ほれて三年︵ 行 逐ふ ならば、其の記す ととなる。 例へば 慈恩 月齢、届文六十鈴 口 、 燗蓮羅 四月、孝禧 勒那 ・ 橋薩羅月鈴 、 駄那掲傑 十五日、毘 羅捌撃 二月、 、 鉢鐸創 都貝 鈴 、 嬰薩 従って慈恩 偉に 誤りな 如きほせいせぬ三年と 上 ノ Ⅹ一一 タ 70

(64)

く 小野氏の 筆 に成るものと思はれる。

沙 となす。

百 各三遍云々 、

書几 経 五歳﹂とある。 ノ 士 Ⅹ 二 - 玄 英三蔵入竺行程の検討 下 り る け 状 註 町 見 最 吾 ん に

に結び

とする

作篇に

過ぎない。

於て考へ

。この

鮎よ

一八里コ回

五五八九室

ある。

(65)

玄 英三蔵入竺行程の検討 ︵ け ︶ 目三げ タ色 トふき簿ざ v- をミ薫 。。 、へぉ ・まきなぬ れを探る。︵ Qn ︶ ぐ an 卜ぎき が つ 0 ︶・ H と や㏄ ま ︶ ︵ め ︶此の場・ 合 雨期を迎へる 頃迦摩綾波國に 達した せ よ 雨量最も多き此の地方への 玄 実の旋 行 時に就 上 八四

スミスも こ

失する。何れに ては明言し難い。

(66)

ま 質

至 つ

に請う宗

及でと

教ア

づ マ た ん あ す 的 ヱ

五、

の 宗 界 水 着 メ 力 根 が 間 7 陣 題,ナ の の な し て て ヤ 詮 本 、 各 科 譚

ぅ る し 化 基 と 定 が

ャ の 隣 家 な 呪 所 紳 の 若 に 化 す カ,の を

マ 干 ぼ や 観 詮 8 票 ナ ナ ナ ナ め て 万 金 と の 教 の の に に 参 ナ 至 で 澤 は の 滴 席 料 す 費 窩 ( 6 二 間

) 題

在 を と 如 は 著 る で て 望 月、 何 れ 遍 。 ぁ カ 骨 モ

%

女監

暴巧摯

報 彼 の ら の で る た

ほ て て 論 と 観 、 ゐ 雑 な ほ 念 多 こ ノ Ⅹ @ ド る 漠 る 元 と く 五 リ も な も 来 し の 0 8 の メ て 民 か 内 が ぅ 宗 族 、 容 止 ネ 数 堅 マ を て シ を 者 ナ 持 ち ヤ 眺 が の つ れ の め 呪 由 本 に る 土 よ 術

マナの本質

(67)

ものとして之を

0 %

笘寸笘

︶︶。

現象

ろが( し 5 の 叉 木 ハ 質 ] と ト 葮 ラ 生 ン と ド を ぼ 見 ァ ん ル と ゴ し 、 ノ て キ そ 、 ノ れ の を

臣 シ

ヤ尭

Ⅰ 口 を め 例澄吋 も 下良 ハ の

ハ通

つて

丑 0 %

ャま Ⅰ で と ナ も 呼 ォ ん レ だ 、 ノ の ダ で 等 あ

フ ] がマナを無限 ︵ 2 ︶ アルゴンキヱ諸侯 コマンダン族の 念 と共に無限 又は ラネ シヤ土人の ヴ O ︶ Pqp 等から之を一般化して 呪幅 文ほ 呪害を 喬 らす非人格的な せしめたものな マ り目ぎ弓笘 ︶フィジⅠ 1 礎 として呪術宗教 タ /

んで、宗教起源論とも マナの 本 ・ 質 由 ハノ ハ % ノ ︵ Ⅰ︶ @

のであって、 略同 @,

(68)

も惹い 此等 の外にも有益な

マナの本質

る 研究報告 や 論文 は 数多く ︵ 8 ︶ 見出し得るが、 地 城を離れて 普 遍 化 し 理論化する場合に往々 上 八七 て ︵ 7 ︶ ぬ る。 や れ の じ ヮ ベ ォ 、 で た 力 Ⅰ ] 殊 あ の の ト ス に つ (で バ は ト モ た ピあ シ マ ラ 1 。 る ツ ナ

ⅡⅠ 態日

を ︵ 円 ︶

をも 引澄し、 更に 遍 的な力の観念

た Ⅱ︵ 2

し、 其の代表と のの 仁 ぎのⅠ口目のま 箪 コ目 ほシウ 族の去り・ ハ 8 ︶ 性を主張しためで ︵ 時 ︶ である事を主張し 515

(69)

ネ に 察 開

なく天寵マナに

論難に助て者

質 をより明らか

のほ果して メラ

っ たものであるか

峯を

進めて見たいと思ふ。

この書の前に コ

ぎ 胃のす 臣幼 ㌃ トト ・ いド ののむ等の論文がある。

乙ニト ︵ 0 ィ 七出 @0 円目困り目的山︵ 臣トト ㏄㍉㏄・ づ Ⅰ @. の㏄ | 駆の 営な 資料 ふ 。 厳密なる 同一次元 Ⅰ ダ ー ブ もまして き 度 いと 、本稿に があるか 5/6

(70)

二年 目 か 9 : せ : HH

の ∼, 片 Op コ田江リ 甲 - 臣,セど 井 H 口

一 - ぽ ︶ 目 ︶ ト 曲木 @ ︶ロ耳。 Q ︶ 黛 ︶ 緩トのコ恥 1 % 縛び ㏄ Ql

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