三宅義夫先生記念号によせて
宅義
夫先
生は
︑
一九
年三月に東京帝国大学経済学部経済学科を卒業されたのち︑株式会社第一銀行勤務を経
O
四一九四九年四月︑迎えられて本学経済学部助教授に就任されました︒当時は戦争のために大きな傷手をうけた経
済学部が旧制から新制への学制の切換えにあたって新しい対応を追られていた時でありました︒先生は︑その就任以 て ︑
来新制大学として急速な充実と発展を遂げることになった経済学部において︑終始中心的な役割を演じてこられまし
た︒先生にふれることなしに︑今日の経済学部を語ることはできないほど︑その足跡は経済学部の歴史にはっきりと
刻まれております︒とくに︑戦後中断されたままになっていた本誌﹃立教経済学研究﹄を一九五
O
年に復刊され︑その後今日まで編集委員として同誌の運営に欠くことのできない存在となってこられました︒本誌の今日あるは専ら先
生の御力によるものであります@
先生は一九八三年三月定年退職されました︒御就任以来︑実に三三年の永きにわたる本学在職でありました︒その
問︑先生は経済学部および大学院経済学研究科において金融論︑貨幣論︑信用論を担当され︑学生の教育︑指導に専
心されて︑数多くの後進研究者を本学はじめ全国の研究・教育機関に送りだされました︒先生は︑また︑経済学科
長︑大学院経済学研究科主任︑図書館委員を歴任されたほか︑
一九
六五
年四
月よ
り六
九年
一一
一月
まで
二期
にわ
たっ
て経
済学部長および大学院経済学研究科委員長をつとめられ︑経済学部の充実︑発展に大きな成果をあげられました︒
11
先生の学問的業績は基礎理論︑貨幣︑金融︑恐慌の各分野にわたり︑いずれもわが国の研究水準のひとつの到達点
を示すものとして高い評価をャつけております︒
一九
五
0
年代半ばの業績﹃講座・信用理論体系﹄(編集﹀と﹃貨幣信用論研究﹄はわが国戦後の研究がそれを基点として出発することになった記念碑的意義をもつものであります︒その
後に続く一連の著作は貨幣・金融の働ぎを理論から現実にいたる大きな距離にわたってつぶさにあきらかにするもの
であります︒先生の研究はその問題意識の新しさと構想の大きさにおいて際立った特徴をもち︑その癒密で厳格な理
論展開と︑丹念で着実な実証あるいは考証において独自の境地を拓かれたものであります︒先生にたいするわが国学
界の高い評価と大きな敬意とは先生のこのような研究業編によって生みだされたものであります︒
先生は︑このような学問的業績によって推されて金融学会理事となったほか︑経済理論学会の創立者の一人として
ながく代表幹事をつとめ︑信用理論研究会を組織してその世話人となるなど︑学会の中心的存在としてその育成と発
展のために力を尽くされました︒一九七二年︑日本学術会議の第九期会員選挙に際して︑経済学部教授会は先生を候
補者として推薦いたしましたが︑それから今日まで四期
ι
わたっで先生は日本学術会議会員(第一ニ部)として︑精力的な活動をつづけておられます︒わが国の学術の進歩︑発展のためになされた先生の貢献はまことに大きなものがあ
りま
す︒
このように本学経済学部教授としてわが国の経済学界において目覚しい活躍をなされる一方︑わが国の学問研究の
発展と科学行政の向上につくして乙れられた先生の同僚として一時期をともにしましたことは︑私どもの大きな誇り
でありました︒公私の事柄について細犬にわたりいただきました先生の調指導︑御教一不の数々を私どもは心から感謝
申し上げております︒立教大学は先生の学術上︑教育上の功績を認め︑一九八一一年七月︑先生に名誉教授の称号を贈
りノ古 4F 1レ
ι
︒
いま︑先生の定年退職を迎え︑先生の御功績をながく記念するため1本号をもって先生の記念号といたしますι
ー と
れからも先生がますます御元気で御活躍されることを希い︑これまでと檎らぬ御助力を経済学部のために賜りますよ
う願ってやみません︒
一九 八三 年三 月
経済学部長
山
田
耕
之 介
11l