論 説
社 会 主 義 ﹁ 生 成 期 ﹂ 論 の 意 義 と 問 題 点
︑If聴濤・長砂論争によせてー
中 村 平 八
はじめに
1日本共産党の祉会主義﹁生成期﹂論
亀鐵 灘 灘 難 縫 懸 噸灘 鍵 繋 霧 鍵 騰
2 れ 駆 麟 難 誘 饗 ︑れ ま で に 形 成 さ れ た 政 治 や 経 済 の 諸 制 度 は ︑社 △︑ 霧 の 普 遍 的 モ デ 差 な £ な い .
に 誠 誰 撫 馨 饗 灘 翻 駒 艦 耀 ︒ 凶国 史 的 に は ︑ 現 在 の 社 ︑︑主 義 は ︑ 墓 芸 霧
3世界史の弁証法と現存社会主義
お臨 懲 騰鰍 縫 鞭 弼難 講 繕 鱗 灘 講 嚢
2 商 経 論 叢 第20巻 第2号
は じ め に
朝日新聞の夕刊に﹁今日の問題﹂という三フムがある︒時事問題を題材にした無署名の随想欄であるが︑﹁社説﹂
ほど大上段にかまえておらず︑肩のこらない︑しかし読ませる欄である︒一九八四年八月二三日付の同紙の﹁今日の
問題﹂は・﹁ある変化﹂と題して︑万事に閉鎖的あるいは秘密主義のソ連に︑大韓航空機撃墜事件(八三年)以後︑当
局の責任者が記者会見をするなど﹁ある変化﹂が生じていることを紹介している︒
ところで私が注目したのは︑﹁ある変化﹂ではなく︑この文章の冒頭の部分である︒そこにはこう書かれていた︒
﹁世論調査で"きらいな国は"と聞くと︑ぎまってソ連が一位になる︒北方領土︑シベリア抑留︑共産主義等々理由
はいろいろあるが︑一番響いているのは"何を考えているのかよく分からない"との印象を持つ人が多いことだろう﹂
(東京本社︑四版)︒
﹁北方領土﹂や﹁シベリア抑留﹂はもっぱらソ連にかかわる問題であるが︑きらいな理由の一つとされている﹁共
産主義﹂は︑現存社会主義諸国すべてに関係し︑また﹁何を考えているのかよく分からない﹂という秘密主義.閉鎖
主義も︑ソ連のみに限定されていない特徴の一つである︒本来的には世界の勤労民衆の解放の理論であり体制である
﹁共産主義﹂が︑たとえば日本の勤労民衆によって嫌悪されるとは奇妙な話し︑矛盾した話しである︒だがこの奇妙
な矛盾は簡単にいえば次のことがらで説明できる︒すなわち︑日本の平均的な勤労民衆は︑思想や理論からではなく︑
現存社会主義国に関する断片的で部分的な生の情報から共産主義についての心象をつくりあげる︑そしてそれが全体
として拒絶的なものになる︑ということである︒現存社会主義は否定的側面ばかりでなく︑多くの肯定的側面を合わ
せもっているのであるが︑マスコミを通じて知らされる情報はどうしても否定的事実に傾斜しがちである︒現存社会
社 会 主義 「生成 期 」 論 の意 義 と問 題 点
3 主義国に関するこうした不利な世論状況のもとで︑たとえば先進資奎義国の社会主義者は・現存社会主義をどう見ているのであろうか︒彼らは︑勤労民衆よりも社会嚢について理論的にも実際的にも深く理解しているはずである・
そこでまず︑わが国の有力な革新政党︑社会党と共産党の指導者の現存社会主義論を紹介してみたい︒
日本社会党の社会主蓬論セン字所長勝留塗氏はこう述ぺている︒﹁世界における社会主義革命の経験につ
いても︑︑﹂のさい冷静な批判が必要になっていることも忘れてはなりません︒人類の三分の茶の合が社会主義の
下で生活し︑さらにその合が増大しつつあること︑またそれらの国々でなされたことが・人類の進歩のう﹂毛大ぎく貢献している.﹂とも客観的に承認しなければなりません︒またそれらの国が試行錯誤をくりかえしながら・未知の
世界に挑戦し︑豊かな経験を積んでいることも明らかで︑これらの経験のなかには多くの学ぶべきものをもっています︒しかしながら︑社会主薬本来︑渠的に追求している人間解放とい畠的からみて︑はたしてその理想歪し
く︑誤りなく達成されているかとい・潅︑けっしてそうではありません︒この妻をはっきり認識し・さらにその原因がどこにあるのか冷静に批判する.﹂とに躊躇してはならないと思います︒またその勇気をもってこそ・社会嚢社会は資本嚢社会よりも︑人間解放のうえで︑より高次の社会であることを証明でぎるのだと思い射L・
一九八二年+二月の呆社会党笛七回大会で採択鳶た﹁われわれのめざす社会主義の構想﹂という文毒・社
会党にとってきわめて舞な綱領的文書であるが︑そこでは現存社会嚢についてさらに厳しい評価を下している・﹁..⁝..えにちほど社奎義が人びとに不信の套いだかせるようになっているときはない‑・・‑・これは社会嚢の
名のもとに形成されてぎた社会体制が.﹂んξ人びとをひきつけるどころか︑その反対に︑拒絶反応をひきおこさせるような問題姦呈するようになった.﹂とに起因している︒ここでとりわけ問題となっているのは・共産党政権下の・
なかんずくソ連型の社会体制である︒そこでは︑すでに社会主義は現実に存在し︑蓮では発達した社会嚢にまで
4 商 経 論 叢 第20巻 第2号
到芒ていると公式に表明されているものの︑実際はこれを反証するような一連の事件をとおして(充五六年のハン
ガリー・六八年のチェ員・バキア︑△年以降のポ⊥フンドにおける軍事力による民衆蕩の弾圧︑中.ソと中国.ベトナムの
国家間の武力衝突アフガニス多への蓮軍の介入︑︹中国文化大革命や︹ソ連︺サバ・フ問題にみられ・︒畠の抑圧など)︑
この社会体禦社会義にふさわしくない問題をもつ体制であるン﹂とを国際的窺模で人びとが知.Qにいたっている
のであるL︒
日本共産党副委員長の宙竺郎氏もまた︑﹁社会主義のイメ←ダウソ﹂を認め︑次のように書いている︒﹁⁝⁝
重大な問題は・資本嚢︑帝国主義は満身創疲の状態で︑社会主義への移行が︑客観的には鼻史的必然であり︑移
行の必要も手ます多くの人びと旨覚され︑意識されはじめており︑世界は︑いわばあ・をように社会義を求め
てい乏もかかわらず・現実に存在している社会主護どうかというと︑これが惨憺たるイメ←ダウソを喫しつづ
けて・まるで魅力喪失といった状況があるというレ﹂とです︒蓮のアフガニスタソにたいする軍事介入や経済の停滞︑
民主主義の状況しかり︑ポ⊥フソド問題しかり︑中国の"プ・レタリァ文化大革命"とその後の現状しかり︑ソ連が
ヨ 核軍拡競争の一方の当事者となっている問題しかり等々L︒
日本共産党の不破哲三委員長もまた同じ趣旨の発言をしている︒﹁レーニソの時代とか第二次大戦前の時代とくら
べれぽ・社会主義はひろがりの面でも経済力の面でももっとすすんでいるわけですから︑社会主薬来の進歩的影響
力をもっと大きな規模で発揮する条件があるし︑そうしなければならないときです︒ところが︑そのときに︑社会主
義 の 大 国 で あ る 蓮 や 中 票 大 国 義 ︑ 覇 権 嚢 の 裏 な 誤 り を お か し て い る た め に ︑ 世 界 の (雅 歩 勢 を 馨 す る ど
ころか︑かえって否定的役割を演じつつある︒ここに︑今日のきわめて重大な問題があるのです﹂︒﹁(一九六一年︑日
本共産党の)党綱領制定時は︑社会主義の否定的現象として問題になったのは︑中ソ対立にみられる社会主義諸国間
社 会主 義 「生 成 期」 論 の意 義 と問題 点
5 の不団結の表面化や︑アメリカ帝国霧との闘争を回避する日和見主義︑あるいは歴史的な問題としてのスターリソによる大量笙や大国嚢とその遺窪どが︑曇のものでした︒ところがその後・世界人民の前で社会主義の政治的︑道義的な威信を大き‑傷つける津があいつぎ著た︒わが党にたいするソ中爾の指導部からの大国妻的干渉はもちろんですが︑国際的董件だけをとっても︑一九六六年にはじまった中国の〃文化大革命"ご九六八年のソ連墜五力畢墜よるチ︑コスロパキア侵攻︑一九七九年の中国の黛芸侵啓蓮のアブごスタ褄略等
々ですL︒
以 上 や や 長 く な っ 奈 日 本 社 会 党 と 呈 護 党 の 理 論 家 に よ る 最 近 ー 一 九 八 ・ 年 代 ー の 現 存 祉 会 主 葬 価 を 紹
介した.われわれもまた︑.誓の評煙︑細部は別として︑基本的には妥当であると考える・しかし・忘れてしまうには早すぎる二︒年ほど晶削の現存社会主葬価︑たとえばソ連社会嚢評痩こうではなかった・充六一年+月のソ連共産党第三回大会は︑ソ連における﹁共奎蓬設の綱領﹂としてのソ連共産党の現行綱禦採択された党大会として知られるが︑.﹂の大会に日本共産党を袋して庸した野坂参三氏(当時中央委員会饗)は・﹁泉叢党中央委員会の祝辞﹂のなかで︑次のように述べている︒﹁わをしは二+二年蓬ソ連共産党第+八異会に出席しました︒その当時のソ連と含のソ連︑その当時の大会と含のこの大会をくらべますとき・まったく隔世の肇あります︒当時ソ連では︑社会嚢嚢が中心霧であって︑共肇義建設はまだ当面の問題にはなっていませんでした︒しかし今回の大会は︑それを具体的な日程にのぼせているのであります・マルクス三ンゲルスが票以圭.乏天才的震響た共肇葬会を︑の地走現実に窺することをめざす歴史的な綱領を決定しょうとしているのであります.ソ連における共肇逡撃めざすこの綱領は︑人類がこれまで経験したことのない真の自由と幸福をソビエト人民に保障するものであるとともに︑全世界の勤労人民に大き窪げ芒をあたえるものであります﹂・6 商 経 論 叢 第20巻 第2号
﹁われわれは果の進歩的勤労人民とともに︑この叢義社会の窺をめざすソ連の共空糞と全人民のたたか
いに心からの警を表するとともに︑これをつよく支持するものであります︒そしてフルシチョフ同志を先頭とする
中央委員会の周囲にかたく団結した蓮共産党の全党口貝︑全ソビエト人民の不屈の努力によって.あ計票必ず実現
するであろうことを確信するものであります﹂︒
無邪気といおうか・極楽ソボといおうか︑手放しの称賛である︒野坂参三氏にかぎらず︑その当時の社会主義考
マルクス主義煮社会主義研究者には︑ごく少数の例外を除いて︑蓮などの社会嚢を﹁科学的社会義の立場か
らどうとらえるか﹂という問題意識はぎわめて少なかった︒蓮叢党や中国共産党がいう.芝なら﹁まちがいはな
い﹂という築義が支配的であった︒蓮や中国の政治制度や経済制度︑社会制度等々が過庭美化され︑﹁社会
主義﹂の模範・典型とみなされていたのである︒
そのときから二〇数年を経た含︑事杢義は譜しなくなったし︑ソ連や中国の社会義をモデルや轟にする
社会主馨や社奎叢党は︑成長し菅本の勤労民衆に批判され己心避されるようにな.た︒社室馨究者だけで
なく社会主叢党が・﹁否定的華件をあいついでひきおこしている社会主義の現状毫こ・つとら・蓉か﹂という問題
を提起するにいたった︒遅すぎたきらいはあるが歓迎すべぎことがらである︒
ところで本稿で検討するのは・日本共産党が右のごとき問題意識にもとついて提起した︑ソ連など現存社会主義を
﹁生成期﹂の社会主義と規定する社会義﹁生成期﹂論である︒社会主義星成期L論の意義と問題点を明らかにす
るため・﹁生成期﹂擁護の立場から塞をふるっている聴濤弘氏(呆共産党中央委員会肇委員)の所説が主たる検
討の対象差っており・また聴濤長砂論争との関係で︑長砂實氏(関西大学教授)の所説もまた検討の対象とされて
いる︒
1
日 本 共 産 党 の 社 会 主 義 ﹁生 成 期 ﹂ 論
社会主義 「生成期 論の意義と問題点
7 社会主義﹁生成期﹂論は︑}九七七年の日本共産党第十四回大会で提起された︒この時期に共産党が社会主義﹁生
成期﹂論を党大会決議のかたちで発表せざるをえなかった国際的国内的事情の一つは︑現存社会主義国で国家による
﹁非行﹂があいつぎ︑その﹁非行﹂を利用しての保守勢力による反共攻勢が強められていたからであると思われる︒
日本では︑社会主義というとソ連や中国などの現存社会主義国を思いうかべ︑その現状を尺度として社会主義の是非
をはかるという傾向があるため︑共産党としては︑現存社会主義を社会主義日本のモデルや手本にするつもりはない
こと︑日本の社会主義は日本独自の内容と特徴をもつものになるであろうこと︑を日本の勤労民衆に明らかにする必
要があった︒他方でこのことは同時に︑現存社会主義をどう評価するか︑いいかえれば現存社会主義と﹁本来の社会
主義﹂との関係をどうとらえるか︑という理論的問題をともなったのである︒この問題にこたえたのが社会主義﹁生
成期﹂論である︒行論の正確を期するため︑以下長文にわたるが︑第十四回党大会が決議した社会主義﹁生成期﹂論
の全文を紹介したい︒
第二の点は︑現在︑社会主義は世界史的にはまだ生成期にあり︑人類の社会主義的︑共産主義的未来がもつ壮大で豊かな展望
を今日の到達点をもってはかるぺきでない︑という問題である︒科学的社会主義の理論の創始者たちは︑社会主義・共産主義の社会を︑資本主義の時代につくりだされる︑発達した社会的生産力や政治的民主主義と文化の発展など︑人間の自由な発達の前
提となる歴史的遺産のう︑瓦にきずかれる社会として展望した︒そして人間による人間の搾取と階級的対立の根絶︑資本主義の限
界をこ・κる生産力の高度な発展︑さらに労働者階級を中心とする人民権力の確立をへて︑最終的には国家の消滅にいたることな
8 商 経 論 叢 第20巻 第2号
どを・真に人間の個性と人間関係の自由な全面的発展を保障するこの未来社会の本質的特徴として指摘した︒しかし︑世界史の
弁証法は・資本主義的発展の比較的おくれた国ぐにで社ム罫主繋命の最初の突破・を開いたために︑社会嚢制度の優越性は︑
マルクス︑エンゲルスが予想したような形では︑ただちにはあらわれなかった︒
この半世紀のあいだにヨ占ッパ︑アジア︑ラテンアメリカの一連の国ぐにで社会主窪会の建設が現実に開始されたが︑社
会嚢革命が・マルクス・ラゲルスの予想とは違って︑発達した資本主義国からではなく︑帝国嚢世界撃の結果とも結び
ついて資本主義の発展が比較的おくれた国ぐにでまず勝利し︑これらの国ぐにが︑経済的︑政治的︑文化的に建設上の特別の困
難をかかえながら・また帝国主義の包囲や侵略などきびしい国際情勢のもとで︑社会主義への道へふみださざるを︑兄なかったこ
とは・スターリンその他の誤った政策の諸結果とともに︑社会主義の発展過程およびその今日の到達点に︑多くの複雑な制約と
特徴をきざみつけた︒
われわれが・民族の独立と進歩のにない手としての社会主義の真価を全世界人民の前で証明した最近のベトナム革命の勝利を
はじめ・それぞれの国の条件のもとで発揮された社会主義制度の優越性ーー国の政治的経済的社会的進歩や民族的発展などll
を正確に評価すると同時に・これまでに形成された政治や経済の諸制度を社会主義の普遍的モデルとして絶対化するこ妄せず︑
社会主義・共産主義の本来の展望を︑社会主義諸国の今日の到達点をもっておしはかる態度をきびしくしりぞけるのも︑そのた
めである︒
われわれは・資本主義社会から社会主義社会への転化の過程は︑世界史的には︑まだ生成期を経過しつつあるにすぎない.﹂と︑
すでに社会嚢への道にふみだした国ぐにが歴史的制約や否定的傾向を克服して前進する過程︑難した資奎藷国の人民が︑
民主主義的変革などの段階をへながら︑それぞれの国にふさわしい社会主義をめざして新たに社会主義的変革にふみだす過程︑
アジア・アフリカ・ラテンアメリヵの広大な諸民族が新旧植民地主義の支配からはなれて民族自決と社会進歩の道を前進する過
程iこれらの合流を通じて︑社会主義の本来の優越性と生命力が︑経済的にも政治的にも道義的にも全面的に発揮される新し
い時代に到達することを︑科学的社会主義の原則的見地から正確にとらえる必要がある︒
日本共産党の社会主義﹁生成期﹂論は︑筆者なりに整理してみると︑次のような論理構造をもっている︒
1︹歴史的認識1︺世界史の弁証法によって︑社会主義革命は︑発達した資本主義国ではなく︑資本主義的発展の
社 会 主 義 「生 成 期 」論 の意 義 と問題 点
9 比較的遅れた国ではじまった︒
2︹歴史的認識2︺社会主義革命が資本主義的発展の比較的遅れた国ではじまった結果︑これらの国における社会
主義の発展過程および今日の到達点には︑国内的および国際的諸条件に規定されて︑多くの複雑な制約と特微がき
ざみつけられている︒
3︹総括的規定︺現存社会主義は︑世界史的にはまだ生成期の社会主義である︒
4︹評価︺したがって︑現存社会主義の政治や経済の諸制度は社会主義の普遍的モデルではなく︑社会主義.共産
主義の本来の展望を現存社会主義の今日の到達点をもってはかることはできない︒
5︹展望︺生成期の社会主義は︑その歴史的制約や否定的傾向を克服して︑本来の社会主義・共産主義へと発展し
ていくであろう︒
﹁生成﹂の語義を手元の辞典で調べると︑国語辞典では﹁ものが生じて形を現すこと﹂︑﹁できること︑生じさせるこ
と﹂となっており︑哲学辞典では﹁或るものがみずから他のものに"成る"こと︒同一状態にとどまる存在の固定性 に対立する﹂と説明されている︒社会主義﹁生成期﹂論の一般的含意は︑資本主義社会から社会主義社会が生じてく
ること︑資本主義社会がみずから社会主義社会に成ること︑である︒また﹁生成﹂は︑事物の運動の由か弥を意味して
ヘへおらず︑進行を意味しているのであるから︑﹁生成期﹂の社会主義とは︑泌懸か沁卦偽みか社会主義を意味している︒
事実︑日本共産党の理論家不破哲三氏は︑社会主義﹁生成期﹂論を解説した論文で︑﹁生成期﹂の社会主義とは﹁発展
の途上﹂の社会主義︑﹁成長の途上﹂の社会主義である︑と述べてい(靭︒
﹁生成期﹂の意味は以上で明らかになったと思われるが︑いっそうの明確化をはかるため︑日本共産党が発行した
第十四回党大会文献の英文版によって︑英文による﹁生成期﹂の意味を検討してみたい︒第十四回大会において・﹁生
商 経 論 叢 第20巻 第2号 10
成期Lという用語は︑先に引用した﹁大会決議﹂のなかで二ヵ所︑﹁中央委員会報告﹂のなかで二ヵ所︑﹁宮本委員長
のあいさつ﹂のなかで一ヵ所︑使用されている︒まず﹁決議﹂であるが︑﹁現在︑社会主義は世界史的にはまだ生成期
にあり﹂という箇所は︑讐ま・・寓窃Φ三一§9罎ρ︒・o︒凶帥=︒︒ヨロ︒・臨一=コ爵①箕08ω︒︒oh♂毒鋤酔一︒コとなっている︒﹁資本主
義社会から社会主義への転化の過程は︑世界史的には︑まだその生成期を経過しつつあるにすぎない﹂という箇所は︑
蕾℃§婁︒=琶監︒島§書嘗=︒.・︒︒廟費・・︒︒屠曽暑︒三団騨;①冒匿・・慧と表現されている︒報告﹂
の﹁社会主義は世界史的にはまだ生成期にあり﹂は︑︒・9邑尻ヨ舘︒︒①Φロ貯毛9一α窪︒︒ε昏仲Φ旨ω♂︒ロぐ讐チ①︒︒け9︒σq︒︒h
富三什凶巴{o§騨ま昌となっており︑また﹁われわれが︑今日の社会主義を︑世界史的には生成期だと規定するのは︑
こういう見地からであります﹂という箇所は︑摩δマoヨ什ぼ︒︒℃o一艮oh乱Φ≦浄馨幕︒訂冨g①誉︒℃﹁①ωΦ昌&p団︒︒8一㊤崔︒︒ヨ
霧四=冨︒︒富鴨o=葺貯一ho琶豊oコと翻訳されている︒﹁宮本委員長のあいさつ﹂には︑﹁巨視的な歴史観にてらせば︑
社会主義の世界は︑生成期です﹂という箇所があるが︑それは英文では︑富宏茜pげ目︒麟匹く一⑦巽︒州ぼω仲︒門ど毒①ω①①夢岱け
膏 .'§ 萎 蓬 鎚 蓬 嗣壽 琶 曇 2 と 窺 さ れ 逸 細 ・ 英 文 に ょ れ ば ︑ 星 成 期 の 社 会 主 義 L は ︑ ﹁ 生 成 過 程 の 社
会主義﹂︑﹁初期の社会主義﹂︑﹁幼年期の社会主義﹂と同義であることがわかる︒
さて日本共産党が提起した社会主義﹁生成期﹂論は︑数ある現存社会主義論のうちでどのような特徴をもっている
のであろうか︒﹁生成期﹂論の意義と問題点はどのようなものであろうか︒ソ連などでの現在の公式見解は︑﹁資本主
義から社会主義への過渡期←社会主義(発達した社会主義の建設期←発達した社会主義)←共産主義﹂という共産主義社会
発展段階モデルを用い︑それぞれの現存社会主義国の今日の到達段階を測定している︒たと・兄ばソ連は現在﹁発達し
た社会主義﹂に到達している︑というように︒また毛沢東以後の現代中国では︑種々の議論の後︑﹁過渡期←社会主
義(発達していない社会主義←発達した社会主義)←共産主義﹂というモデルが多数説となり︑四つの近代化を目標とする
社 会主 義 「生成 期 」 論 の 意 義 と問題 点 11
含の中国は﹁発達していない社会主義﹂に位置している・と主張されて影・右に紹介した中ソ両国の見解は・い
ずれもマルクス主義の社会主義・共産主義を論じた古典の一つ﹃ゴータ綱領批判﹄の共産主義社会発展段階理論を下
敷にしていることは明らかである︒してみれば日本共産党の社会主義﹁生成期﹂論は︑マルクスの﹃ゴータ綱領批判﹄
の諸命題といかなる関係にあるのかが問題になる︒
﹁大会決議﹂という性格上︑そこで展開されている社会主義﹁生成期﹂論は︑先の全文引用にみられるごとく︑簡
潔にまとめられており︑ソ連説がどうの中国説がこうのといった問題にはなにも触れていない︒しかし︑いわゆる聴
濤.長砂論争を通じて︑社会主義﹁生成期﹂論の全容がほぼ明らかになった現在︑われわれもまた︑日本における社
会主義研究のいっそうの前進を希望してこの論争に参加し︑聴濤説(および長砂説)を批判的に検討するとともに︑私
見の一端を述べ︑大方の批判を仰ぎたいと考える︒
はじめに︑党大会決議で提起された日本共産党の社会主義﹁生成期﹂論についての︑われわれの評価をあらかじめ
述べておきたい︒﹁生成期﹂論の見地は︑基本的にわれわれの見地と一致する︒とりわけ︹歴史的認識1および2︺︑
︹評価︺に関しては大賛成である︒しかし︑世界史的には﹁生成期﹂の社会主義を︑歴史範疇としてどのように定立
するか︑また芦田文夫氏(立命館大学教授)と同意見であるが︑個々の現存﹁社会主義の現在の発展段階をどのような
表現によって規定していくのか﹂︑という問題は﹁今後のいっそうの研究と討論にまつぺき問麺﹂であろう・われわれ
の意見にょれば︑現存社会主義の将来﹁展望﹂は︑この理論的に未解決の問題と密接にかかわっているのであり︑﹁生
成期﹂論の︹展望︺のように︑現存社会主義の﹁本来の社会主義・共産主義﹂への発展を︑﹁段階理論﹂ぬきで楽観的
に予測できるのだろうか︑といった疑問が残るのである︒現存社会主義の発展段階理論に関しては︑次節で検討する
聴濤説のほかに︑日本共産党の理論家の見解はまだ公表されていないのである︒
商 経 論 叢 第20巻 第2号12
2 聴 濤 弘 氏 の 社 会 主 義 ﹁ 生 成 期 ﹂ 論
こ こ で 検 討 す る 聴 建 の 論 稿 は ・ 笙 払胴 文 百 本 叢 党 の 社 会 義 " 生 覇 〃 論 ‑ 批 判 者 へ の 回 答 L ︑ 第 二 論 文
現 存 社 会 嚢 の 歴 史 的 位 置 づ け ー " 生 成 期 〃 論 の 理 論 的 嚢 L ︑ 第 三 論 文 ﹁ 社 会 義 の 世 界 史 的 麓 望 ﹂ の 三 稿 で
ある・はじめ二つの論文は・長砂實氏の社会主義星成期L論批判にたいする反批判論文とし垂日かれたものであり︑
日本共産党中央委員会理論政治誌﹃前衛﹄髭表された︒第三論文は︑﹁いま社会主養ついて語るとき︑理論とと
も窺実となっている社会主義の諸問題︑そして呈の社会嚢の展望が一体となって論じられなければ︑生きた
社会義論にはならない﹂という見地から︑聴濤氏が世に問うたユ〒クな社会主義論の著作﹃程紀と社室義﹄
(新日本出版社︑一九八四年)の第六章として執筆された論文である︒
さて聴濤良砂論争のきっかけとなった長砂氏の社会主義星成期L論批判の論占⁝は次のよう量約できるであろ
う・ー社会嚢﹁生成期﹂論は・長砂氏らの﹁伝統的﹂理論にくらべて︑不均等に生成.発芒ている現存社会主義
諸国の震段階歪確に規定しえないという弱占描をもっている︒﹁生成期﹂論は︑現存社会義をひっくるめて﹁世
界史的にはまだ生成期にある﹂と規定するにとどまっており︑遍渡期L段階にある国も﹁祉会妻﹂段謄ある国も
すべて包括した﹁現在の社会嚢﹂案成熟性を表芒ようとし荒藁︑あって︑厳密塗.心味での護段階表現のカ
テゴリもは施・﹁われわれは・いわば"伝統的"窪会義発展段階論に依拠しつつ︑現存のそれぞれの社会嚢
国の護段階窺定することができ︑しかもそこにおける後進性や誤りの諸蘂も正確に位置づける.﹂とができる︒
だからこの限りでは・新しい〃生成期"論は︑われわれには必ずしも必要でない︒・⁝・"生成期・論は馨には伝統
的理論最って替りうる新しい発展段階論ではなく︑現在の社会主譲後進性や誤りを多く残していてその本鵠特
社 会 主義 「生 成期 」 論 の意 義 と問題 点 13
徴がなお全面的に開花しているとはいえない︑という現状認識以上でも以下でも偽L・しかしながら星成期L規
定は︑﹁現存社会主義の限界や欠陥を強調して︑それがわれわれにとって社会主義のモデルとはみなしえないことを 示す点では有益である﹂︒以上の要約が示すように︑長砂氏の﹁生成期﹂論評価は消極的なものにとどまっている︒
聴濤氏の長砂批判は次の二点を中心に展開される︒第一に︑現存社会主義諸国の発展段階を個別に規定していくさいに︑長砂氏らの﹁伝統的﹂理論があればそれで十分なのか︑そのさいに﹁生成期﹂論の﹁世界史的﹂視野は必要で
はないのか︒第二に︑ソ連社ム至義をとりあげてみた場合︑星成期L論で鏡在のソ連について﹁くみつくした﹂規
定には本当にならないのか︒さて聴濤・長砂論争でわれわれが関心をもつのは第一点である︒なぜならこの論点が解
決すれば︑第二点はおのずと解明されるからである︒
聴濤氏の第一論文は︑長砂氏らの﹁伝統的﹂発展段階理論1﹁資本主義社会から共産主義社会(その第一段階とし
ての社会主義)への過渡期←共産主義社会の第一段階としての社会主義←共産主義社会の高い段階としての共産主義
(狭 義 の ご ー が ︑ 長 砂 氏 ら の マ ル ク ス ﹁ 解 釈 ﹂ に す ぎ な い こ と を 指 摘 し ︑ 長 砂 理 論 と は ︑ こ の よ う な マ ル ク ス ﹁ 解 釈 ﹂
に も と つ い て 星 産 手 段 の 社 会 化 の 度 合 L を 尺 度 に 各 国 の 発 展 段 階 窺 定 し て い γ言 と す る 理 論 で あ る ・ と 批 判 為 ・
笙 論 文 に お け る 長 砂 批 判 の 要 点 は ︑ マ ル ク ス が ﹃ ゴ 墨 綱 領 批 判 ﹄ で 展 開 し た 発 展 段 階 理 論 は 案 霧 蕃 惣 発
橡 誌 監 盆 会 霧 〜 馨 蓉 ひ 参 妬肝 橡 い 憲 諭 で あ る と い う 聴 濤 氏 の 主 張 で あ る (傍 点 は 中 村 )・ 聴 濤 氏 は
自身の主張の正当性を立証するため次のような記述を付け加えている︒科学的社会主義の創始者マルクス︑エンゲル
スは︑社会主義は資本主義より高度な社会であり︑社会主義が資本主義に生産力の面で﹁追いつき・追いこせ﹂といった課題が生じる釜ということは考えていなかつ(溺・﹁マルクス三ンゲルスの想定した社奎謹・生努の高
度に発達した資奎義から生まれるものであり︑過渡期であろうと︑過渡期を通過した社会主義段階であろうと・そ
商 経 論 叢i第20巻 第2号 14
こでは・資奎藝はるかにしのぐ生産力の発展が実現さ難L・聴建によれば︑長砂氏らの渠的誤りは︑﹁マル
クス・エンゲルスの発展段階理論の諸命題﹂をあれこれの現存社会主義国に﹁あれこれとあてはめようとするため︑
そこから・不十分な規定しか生まれてこないことである﹂︒いいかえれば︑長砂氏らの誤りの原因は︑現存社会主義
を認識するさいに︑﹁世界史的﹂視野を欠いているからであり︑現存社会主義を﹁リアル﹂に直視する態度に欠けてい
るからで鶉・われわれは・聴箆のこの見地に賛成である︒
次にいわゆる﹁旧社会の母斑﹂の問題であるが︑マルクスは﹃ゴータ綱領批判﹄のなかで︑共産主義社会の低い段
ヘヘヘへ階(すなわち社会主義社会)を︑﹁いまようやく資本主義社会から生まれたぽかり﹂の社会であるとし︑この社会は﹁あ
らゆる点で・経済的にも道徳的にも精神的にも︑その共産主義社会が生まれでてきた母胎たる旧社会の母斑をまだお
びている﹂と特徴づけた︒ここでマルクスがいう﹁旧社会﹂とは︑いかなる社会か︒﹁発展が比較的おくれた資本主
義﹂社会ではなく︑﹁発達した資奎義﹂社会である︒したがってマルクスのいう﹁旧社会の母斑﹂とは高度に発達
した資本主義国が社会主義に移行した場合にもまぬがれることのでぎない歴史的制約をさしたものである︑という聴
濤氏のコメソ姦まったく正縛・長砂氏もまた表現糞なるが次のよ乏正しく述べている︒﹁"旧社会の母斑〃に
おける"旧社会"とは︑理論的に想定された"純粋"な資本主義社会であり︑資本主義以前の諸社会や現実の資本主
義社会に存在する前資本主義的諸要素は捨象されている︒⁝⁝このような"旧社会の母斑〃は︑さしあたり経済的
"母斑"に限定するならばすでに舞級社会であるにもかかわらずな裁存している︑分業への個人の奴鵡従属︑
精神労働と肉体労働の対立︑等々であって︑資本主義的生産関係そのものの部分的・断片的残存物ではない﹂︒われ
ヘヘヘヘヘへわれの意見によれば︑長砂氏の誤りは︑﹁古典的命題が理論的に捨象した"資本主義以前の諸関係"(レーニン)を実際
ヘヘヘヘへに大量にかかえている現実の資本主義から社会主義への過渡期の完了は︑現実の社会主義に多くのいわば非本来的な
社 会 主 義 「生成 期」 論 の意 義 と問題 点 15
お "旧社会の母斑〃を残したL︑という記述において明確となる︒長砂氏がいう﹁理論的に想定された"純粋な"資本主
義﹂とは︑いかなる素材から抽象された資本主義なのか︒素材は﹁"純粋"資本主義﹂にもっとも近似する﹁現実の資
本主義﹂以外のなにものでもない︒﹁"純粋"資本主義﹂にもっとも近似する﹁現実の資本主義﹂とは︑﹁発達した資
本主義﹂である︒用語の当否に問題は残るが︑﹁"純粋"資本主義﹂と﹁"非純粋"資本主義﹂とを混同して論ずると
ころに長砂氏の誤りの原因がある︒論理的にいって︑いっさいの來雑物のない﹁"純粋"資本主義﹂からは︑社会主
義革命を助産婦にして︑ただちに共産主義の赤子︑すなわち﹁共産主義社会の第一段階としての社会主義社会﹂が生
まれてくるのであり︑この社会に﹁非本来的﹂母斑など残存する余地はない︒以上のような含意において聴濤氏が︑
長砂氏のいう﹁非本来的﹂母斑は︑﹁マルクス︑エンゲルスが科学的に想定した社会主義のもつ"母斑"とは︑その
深さにおいて次元をまったく異にする﹂と主張しているのであれば︑われわれは聴濤氏の長砂批判にまったく同意す
るものである︒
暴 純 饗 奎 義 ﹂ か ら 誕 生 し て き た た め に ︑ 母 胎 と し て の 旧 社 会 の 暴 本 来 的 鑑 ﹂ を お び て い る ﹁ 悲 来 的 社
会主義﹂としての現存社会主義をどのように把握するのか︒これはマルクス主義社会科学の一大理論問題であり︑こ
れこそ聴濤.長砂論争の核心をなす問題であった︒ところが長砂氏はこの問題を未解決の論争問題であるとは考えな
い︒長砂氏は︑氏らの﹁伝統的﹂理論で十分に解決可能であり︑﹁新説﹂は必要でないと主張する︒聴濤氏は︑長砂
理論では解決不可能である︑と長砂氏を批判する︒われわれは︑以下において展開するように︑聴濤氏の批判的見地
に賛成である︒さらにいえば︑聴濤氏の批判的見地が︑その徹底性と科学性において不十分であることを残念に思っ
ている︒
科学的社会主義の理論の創始者マルクス︑エンゲルスは︑社会主義・共産主義について直接・間接に多くの言及を
商 経 論 叢 第20巻 策2号 16
なしているが︑基本的文献としてあげることができるのは︑﹃共産党宣言﹄︑﹃資本論﹄︑﹃ゴ︑ータ綱領批判﹄︑﹃反デュ
ーリング論﹄等々であろう︒これらの論稿はすべて︑聴濤氏のいう﹁高度に発達した資本主義﹂(われわれのヵテゴリー
でいえば﹁支配的先進資本主義﹂)から共産主義への移行を理論的に考察した文献であり︑﹁発展の比較的おくれた資本
主義﹂(﹁従属的後進資本主義﹂)から共産主義への移行を検討した論稿ではない︒聴濤氏が第一論文で長砂氏を批判して︑
﹃ゴータ綱領批判﹄に依拠したという﹁伝統的﹂理論で現存社会主義諸国の発展段階を規定できないことは明白であ
る︑と二度にわたって強調し︑﹁古典の想定しえなかった問題が︑人類の社会主義への移行の時代に︑おこったので
麩﹂と述べているのは・首肯しうる見解であるといえよう︒
聴濤氏は第一論文でこの見地を論拠に社会主義﹁生成期﹂論の意義を強調したのであるが︑そしてこの見地を終始
一貫堅持すべきであったが︑この見地は第二論文で修正され︑ついには第三論文で放棄されて長砂氏らの﹁伝統的﹂
理論との妥協がはかられてしまう︒まずこの経緯をみてみよう︒すでに述べたように︑長砂氏の社会主義﹁生成期﹂
論批判の重要な論点の一つは︑次の主張から成っている︒﹁"生成期"論は伝統的な過渡期および社会主義にかんする
理論にくらべて︑発展段階規定としては一つの弱点をもっている︒それは︑伝統的な理論が不均等に生成.発展して
いる現存のそれぞれの社会主義国の発展段階を正確に規定しうるのにたいして︑"生成期"論は︑"現存の社会主義〃
(25)をひっくるめて︑"世界史的にはまだ生成期にある"と規定するにとどまる︑という限界をもっている﹂︒
たしかに長砂氏が批判するごとく︑社会主義﹁生成期﹂論は︑発展段階を異にする個々の現存社会主義国を一括し
て﹁生成期﹂の社会主義としているため︑この範疇が個々の現存社会主義国の発展段階を正確に規定しうる範疇たり
うるかという疑問が残る︒この批判にたいして第一論文で聴濤氏はこう反論する︒長砂氏が依拠しているというマル
クス﹃ゴータ綱領批判﹄は︑﹁高度に発達した資本主義﹂から﹁高次の共産主義社会﹂までへの発展段階理論である︒
17社 会主 義 「生成 期 」 論 の意 義 と問 題 点
し奈って﹁長砂氏らが﹃ゴータ綱領批判﹄の命題援芒て︑社会主義誕段階器を構芒・それを各国箕体的に漕していると主張しても︑率直にいって︑昏のこの"伝統的"理論で・現在の社ム至藷国の護段階を+分規定できないレ﹂と鋳白であろうL︒﹁・.‑・従来型の社ム至義の"発展段階規定"論だけを先行させているという㍗わ
嚢 馨 ヂ 籔 勤鋭饗 灘 讐 嚢 難 縮 卵蕪 羅 励
れているソ連が"生成期〃の段階にあるならば︑現袋会主義の特徴づけは蒙的にははたしたわけであり・それ"以下"の段階が"生覇〃論によっては︑規定できないと批判してもさしたる意味をもたないことは明白であ艶﹂・第藝で聴麓は︑﹁なぜソ連を"生成期〃の社ム至義と規定するのか﹂という節を設け・現代蓮の生産力および生産関係を検討し(もっとも後者の検討は+分とはいえない)︑両方とも﹁社ム至義﹂にふさわしい水準に到芒ていないと結論して︑現在のソ連を﹁生成の途走ある社会嚢︑す套ち〃生成期"の社ム至義国﹂と規定することの妥当性を嚢している.第論文の聴濤氏にとって︑現存社会義菌のなかでもっとも発達している蓮社会嚢を﹁生成期﹂の社会主義と論証できるならば︑蓮社会主養りも発達の遅れているその他の現存社会主藷国もおのずと﹁生成期﹂の社△溶嚢と規定できるのであり︑それぞれの現存社会嚢国の個別の誕段階をどう規定するかは関心外であった︒
長砂氏の聴濤批判の餐は︑社会嚢﹁生成期﹂論と﹁伝統的﹂理論ー讐はマルクス﹃ゴータ綱領批判﹄の古典的命題に依拠する理論であるとされるーとの関連整合性を問うものであつ趨・長砂氏の反論に量て聴濤氏は・第二論文で︑社ム減嚢﹁生成期﹂論は﹃︒・麦綱領批判﹄にとってかわるものでないy﹂とを表明する・しかし・われわれとしては︑﹁とってかわるもの﹂であることを表明してほしかった・霧氏は・﹃ゴータ綱領批判﹄の諸竈を現
商 経 論 叢 第20巻 第2号18
存社会嚢の生成・震の過程あてはめただけでは﹁不+分﹂であり﹁薦﹂にならざるを.兄孤感いという環を
つけ・この﹁不+分﹂性・二面L性を補也手るものとして︑現存社会主藝﹁世界史的﹂視野からとらえ苞括的規
定としての社会義星成期L論の嚢を強調する.つまりコ国史的L視野からは﹃ゴータ綱領批判﹄に依拠する
という長砂氏の﹁伝統的﹂理論を用い・﹁世界史的﹂視野からは社会義﹁生成期﹂論荒いるという見地に聴濤氏
は到達したのである・聴濤氏は長砂氏を批判した篁論文で︑星成期L論か長砂昏の﹁伝統的﹂理論かという二
者択歪しい問羅芒たのに︑長砂氏の反批判鎚)へた第二論文では︑﹁生成期﹂論と長砂氏らの﹁伝統的﹂理払調
との両立をはかるという誤った立場に後退してしまった︒
聴濤氏の誤りは第三論文で完成する・氏の誤りは次の二点である.笙占酬は︑マルクス﹃ゴータ綱領批判﹄の共産
義社会震段階理論にかかわる聴箆の解釈の誤り.第二点は︑第薫における誤りを基礎に︑ソ連など葦の現
難 鰐 靴 蟻 この綿 擁 蕪 纏 馨 臨 レ縫 ひ勤轡
ちなみ最濤良砂論争の芳の当薯である長砂氏は︑通説的解釈の主唱者のひとりとして智れており︑残念な
ことに・社会義経済の専門家のみならず︑いわゆミルク箪者の多くもまた︑.あ通説的解経蔑しているの
であ璽誤りの第二点は・蓮などの現存社会義票︑科学的社会嚢の真に昭ぢして︑いかなる誕段階にあ
るかという膿に関連している・われわれの見軽よれば︑現存社室藷国のマルクス義理論家をはじめとして︑
内外の理論家の多くは三記の通説的解釈に依拠して現存社会義とその発展史を研究してきたため︑現存社会妻
の世界史的意義やその護段階を正しく規定できなくな・ている.現存社会主義の止目定的側面や否定的側票何笛
来するかがわからなくなっている・警氏は笙論文で︑勤労民衆がもつ素朴な歴史感覚と現実を﹁リアル﹂に直視
19社 会 主 義 「生 成 期 」論 の意 義 と問 題点
する態度とにもとついて︑とにか養砂氏らの﹁伝統的﹂通説批判に立ちあがったのであるが・結局は﹃ゴータ綱領批判﹄によって粉飾された﹁伝統的﹂理論に敗北してしまった・
長砂氏らの﹁伝統的﹂理論とは︑聴濤氏が笙論文で的確繕摘しているように・まず笙に・マルクス﹃デタ綱領批判﹄の諸命題の長砂氏豊説的解釈を妻内容とし︑第二に︑この蟹Lを前提にして・星肇段の祉会化の度ム.を中心として︑各︹現存社会主義︺国の護段階を規定していこうとする理論であ(翠周知のように・科
学 的 社 ム 本 霧 の 古 典 に は ︑ 共 肇 舞 試 の 誕 露 規 定 に か か わ る 二 つ の 榮 的 な 八叩 題 が あ る ・ 笙 は ・ 資 奎 窪 縫 篠 跨 み舞 鍵 慧 鶴 嚢 薦 縁 慈 饗 蝶 職 踊暢
い う ﹁ 社 会 嚢 ﹂ の 段 階 と ︑ ﹁ そ れ 耳 の 土 台 の 走 糞 し 巽 肇 義 社 会 ﹂ ︑ い い か え れ ば 異 産 嚢 社 会 の よ り 高
度の段階﹂とに分ける命題である︒長 砂 昏 通 説 的 蟹 の 主 薯 は ︑ な ん ら の 論 証 芒 に ︑ 右 の 二 つ の 轟 を 垂 的 L に 諜 す る な ら ば ・ マ ル ク ス の 菱 主 妻 瓜 護 段 階 撰 醐 は ︑ ﹁ 資 本 嚢 社 会 か ら 董 主 義 社 会 (そ の 第 一 段 階 と し て の 社 会 嚢 ) へ の 過 覇 ← 護 主 妻 試 の 笙 段 階 と し て の 社 ム 広 嚢 ← 共 奎 謹 会 の 高 い 段 階 と し て の 共 肇 義 (狭 義 ) ﹂ で あ る ・ と 断 定 す る ・ た
しかにマルクスは﹃ゴータ綱領批判﹄のなかで︑過覇に関する篁魑と共肇義社会の二つの段階に関する第二命題との関連について票的な説明を与・兄ていない.それゆえ長砂氏的解釈寄能性もあるかにみえる・しかし︑﹃ゴータ綱領批判﹄二八七五年)という談は︑﹃護党宣言﹄(天四八年)・﹃資本論﹄(笙巻・天六奉)・憂アユーリング論﹄(一八七六‑七八年ξらなる文献であり︑これらの文鰹すべて・発芒奏奎義国の・われわれの 用 語 に ょ れ ば 支 配 的 先 進 集 主 義 国 の ︑ 社 奎 叢 命 と そ の 共 肇 藷 誕 と を 考 察 し 斐 献 で あ る ・ 聴 蓮 は 第
商 経 論 叢 第20巻 第2号 Zo
蔓 で ・ ﹃ ゴ ー タ 綱 領 批 判 ﹄ の 震 段 階 理 論 は ﹁ 集 義 が 高 度 に 葦 し た 段 階 か ら 社 会 義 へ 移 行 す る .﹂ を 則
提 と し た も の L で あ る と 灘 第 二 論 文 で は ︑ マ ル 三 ら 科 学 的 社 会 主 義 の 創 磐 は ︑ 集 嚢 か ら 社 会 義 へ の 世
界史的移行の最初の護︒を閣の醤〒・ッパの﹁発芒た資奎義国﹂であり︑社会義の世量的発展の過
程は社会義の体制覆位性姦余の﹁前社会主義世界﹂に芒て明自々たる妻として全面的}匹発揮しなかり進
むであろう・と蒲していたと書い蕊認准︒もちろん正しい説明である︒
さきにわれわれが述べたように・﹃でタ蟹批判﹄は︑﹃共産党宣言﹄︑﹃資本論﹄︑﹃屡アユーリソグ論﹄の系譜に
つらなる﹁支配的先進資奎義国﹂の社竃命とその発磐理論的に藁した文献であり︑そこには︑科学的社会主
義の創始者たちが心血をそそいで完成した﹁先進畢命の理論﹂t上田耕甕の用法によるーの全容震開さ
れている・長砂氏は・﹃ゴ表綱韓判﹄の第蕪と第二魑とを﹁統扇﹂にとら︑兄れば︑﹁過渡期←共産主馨
会の篁段階(社会毒真肇窪参牌同い段階﹂という.﹂とになると述べているが︑そうではなく︑マルクスら
難 無 雑 蕪 理甕 捷 驚 鞭難 蕪 謎 鋸 饗 義務 雛
釈 が 少 数 説 に と ど ま っ て い る か は ・ き わ め て 興 味 深 い 問 題 で あ る . 通 説 の 携 蓮 潅 け 嘔 藩 畷 ︑適
会 義 導 ル ク 至 磐 や 社 会 主 義 研 究 者 が 長 き に わ た . て 駐 簿 お よ び ソ 建 五 義 を 社 ムム 主 奨 . お よ び
へむ黎霧の﹁普遍的モデル﹂として絶対化し︑薯に引きつけてマルクスを解釈してきたからであろう
聴濤氏は・第蓮で・長砂氏らの﹁伝統的﹂理論は長砂昏の﹁マルクス解釈﹂にもとついたものであり︑.︺の
﹁理論﹂によって馨社奎義の震段階を﹁+分規定できない﹂と述べた.しかし第二論文でも﹁伝統的﹂理論にょ
る規定の﹁不+分﹂さを崖鶉するにとどまり︑長砂氏らの﹁マルクス解釈﹂の誤りを裂する努力は肇してい
社 会 主義 「生 成 期」 論 の意 義 と問題 点
る ︒ そ し て 現 存 社 会 義 諸 国 の 誕 過 程 の 研 究 や 段 階 規 定 に あ た っ て は デ タ 蟹 批 判 ﹄ で マ ル ク ス が 示 し た 段 階
規定が重要な指針となると述べて︑第三論文で箋砂昏の﹁伝統的﹂理論の軍門にくだる・霧氏はいう・﹁●⁝.社 奎 藷 国 の 護 段 階 を み る と き ︑ マ ル ク ス の デ タ 綱 領 批 判 ﹄ を 諜 に し て 考 え ま す ・ 第 二 章 で み た ﹃ ア タ 綱 領 批 判 ﹄ の ど の 段 階 ︹ 資 奎 養 耳 ‑ 過 渡 期 ‑ 共 肇 義 の 低 い 段 嘩 共 肇 義 の 高 い 段 階 ︺ に あ る の か を 検 討 す る
.﹂とが常です︒それは当然9﹂とで︑"生成期〃論は︑﹃アタ綱領批判﹄にとってかわるものではあり喜ん・⁝それでは︑﹃,コータ綱領批判﹄と"生成期〃論は︑どんな関係にあるのでしょうか・蓮その他の国々が・生肇段の私的所有を廃芒て︑﹃ゴータ綱領批判﹄のいう"器的転化の時期"を通過し・共肇義の篁段階に入ったことは明瞭な妻です.まだそ.﹂にいξない国々があることも妻です︒しかし︑笙段階に入っ歯でも・これまでみてきた"生成期〃状況を脱すると︑﹂うまで護してい喜ん︒"生成期"論の特懲・この笙段謄入った国々も・まだζ﹂までにいたらない国々も全体として︑"生成期〃の状況にあるとするところにありますL・つづいて聴建は・y︑れまでの社会嚢発展段階論は﹁薗史的﹂視点からある社会霧国の発展段階姦定する理論であり・これでは不+分であって︑社会嚢藺を先妻奎藷国との対比でみるという﹁鼻史的﹂視野を導入しなければならないと主張し︑﹁"生成期・論は︑.﹂ういう︹世界史的︺視野に立って現存の社会主義をとらえ・﹃アタ綱領批判﹄でいう笙段階に入っ菌々も︑差世界史的には"生成期〃の罎にあると輻しているわけです﹂と述ぺてい華聴濤氏の第三論文奏約すれば︑現存社会主謹︑﹁薗史的﹂にみれば﹁社会義への過覇﹂の国と﹁社会主義﹂の国と雰かれ.⇔が︑﹁世界史的﹂にみれば薯とも﹁生成期の社会嚢﹂である・ということになる・聴建の誤りを指摘しよう.科学的祉ム試霧の理論の常識によれぽ︑社会霧とは︑生産力の点でも・生産関係の点でも・人間の
個 性 と 人 間 関 係 の 護 の 占 描で も ︑ 市 民 的 畠 と 民 圭 義 の 点 で も ︑ 前 社 会 嚢 社 会 あ る い は 非 社 会 霧 社 ム → そ の
商 経 論 叢 第20巻 第2号 22
な か 叢 高 に 発 芒 た 集 主 薬 含 ま れ る こ と は い う ま で も な い ー よ り も 全 面 的 か つ 圧 倒 的 に 織 し た 社 会 で あ る ︒
この点の認盤聴箆の三委細文にも読みとる.﹂とができる.不馨三氏が述べている鉱に︑﹁社会主護︑社
会発展の段階からいえば︑本来︑独占資本嚢よりもはるかに高度な段階にたつ社会﹂である︒古今東西のあらゆる
﹃社会嚢入門﹄書がそう書いている︒ところが︑たとえぽ経済的な側面で︑現存社会主義のなかで﹁もっとも進ん
だ地点にいるソ連﹂ですら﹁まだ独占資本義を追いぬくにいたっていない﹂(不破哲三)のであり︑聴濤氏の篁論
文によれば︑現存社会嚢国は︑そのなかで﹁もっとも発達しているといわれるソ連﹂を含鍵︑すべての票︑先
進資奎義国に生産力の面で︑﹁追いつき︑追いこせ﹂といった課題を現に有しているのである︒
聴濤氏の所説に覧過ごすことのできない重大な矛盾がある︒第一論文で氏は︑﹁マルクス︑ラゲルスの想定した
社会主義は︑崖力の高度箋達し養本嚢から生まれ.Qものであり︑過錨で魂うと︑過渡期を通過した社会
嚢段階であろうと︑そこでは︑資奎義をはるかにしのぐ生産力の発展が実現される﹂と書いている︒と.﹂うが第
三論文で聴濤氏は︑さきに引用した昏身の文章にみられるように︑マルクスの﹃.・‑タ綱領批判﹄を塞礎﹂にした
と称して・現存社会主義国を遍渡期﹂に位置する国と︑﹁共産嚢社会の笙段階﹂すなわち﹁社会主義﹂の段階に
到達した国と雰け︑遍渡期L段階の現存社会義国はもちろんのレ﹂と︑﹁社会主義﹂段階の現存社会主義国もまた︑
たとえばその生産力が先進資本主義国のそれと比較して劣位にあること︑また先進資奎義国との対比でみると︑現
存社会主義国は﹁社会義﹂の制度的優越隻全面的に発揮す乏いたっていない.︑と︑を指摘している︒聴濤氏の
笙論文寛地と第三論文の見地とは絶対両芒ない︒笙論文の見地が芒いとすれば第三論文の見地は誤りであ
り・第三論文の見地が正しいとすれぽ第一論文の見地は誤りである︒聴濤氏はこの自己撞着にどう答えるのだろうか︒
聴 濤 氏 も 知 る よ う に ︑ 科 学 的 社 会 主 義 の 古 典 が 厳 密 に 規 定 し て い る ﹁ 叢 主 義 社 会 の 笙 段 階 在 会 嚢 ﹂ は ︑ 異
社 会主 義 「生 成 期」 論 の意義 と問題 点 23
産主義の高い段階の社会と比較して︑多くの点で歴史的制約を有しているとはいあん・この制約を募克服している
社会︑労働者階級の権力が確妾れ︑人間による人間の叢と階級的対立が根讐れ・資奎義の限界をこえて生産力が高度に発展し(ただし﹁必要に応じた分配﹂はま茱可態︑人間の個性と人間関係の畠な全面的発展が実現されている社会である︒そして︑﹂の社会嚢社会の体制的優位性は︑思想・信条糞にするだれの足も明白であって・反
共主馨が誘する余地はまったく消滅しているのである︒聴欝は笙論文でこのような見地から・長砂昏の社会主義論兆と︑最︑﹁ソ連はすでに資奎馨会から共肇謹会への過渡期を終えて護主義社会の篁段階としての社会義ではあるが︑後進性の諸要素をなお強く残した︑成塾発芒つつある社会嚢・いいなんれば・成熟.発芒た社会主楚いまようやくさしかかろうとしている社会主義であ(39)る﹂ーは・﹁マルクス三ンゲルスの展
望した社会主義的未来からみても︑また先進資奎義諸国の人民が探求している社会主義的未来の展望からみても・社会主義をあまりにも貧弱なものに︑切りちぢめてしまうことになるであろう﹂︑と批判匙・この批判は芒いの
である︒
聴濤昏のマルクス﹃︒・‑タ綱領批判﹄の解釈によれば︑共肇義社会の発屡︑﹁案主義社会←過渡期←社奎謹会異産主馨含という.﹂とになる︒そしてわれわれはこの解釈に同意しないのであるが・かりにこの解釈を認めるとして︑聴濤氏がいうように︑﹁社ム至馨会﹂はもちろんのこと︑それへの遍渡期の社会Lであっても・そ︑﹂では﹁資奎謹会﹂をはるかにしのぐ﹁生産力﹂の発暴実現されているのであり・革命後の社会義国家が・たと.兄ば﹁謹力﹂の面で︑蒙義娯追いつき︑追い.﹂せLとか︑﹁四つの近代化﹂窪かるといった魑は・実際的にも理論的にもあり︑差いのである︒科学的社奎義の創始者は︑社会義藩に勝利後の遍覇社会L・正確には﹁過覇としての護嚢社会の笙段階﹂は︑その出発の最初から︑残余の非社奎義世界あるい婆奎
商 経 論 叢 第20巻 第2号 24
義世界にたいしてその体制的優越性を全面的に発揮すること︑勝利したこの社会主義は﹁模範﹂となり︑その﹁援助﹂
によって残余世界が社会主義の軌道にひきこまれるであろうこと︑を予測していた︒
聴濤氏は︑現存社会主義の生成・発展をマルクス︑エソゲルスが予想していなかったこと︑﹁そのために古典の想
定しえなかった問題が︑人類の社会主義への移行の時代に︑おこった﹂こと︑を正しく認識したにもかかわらず︑そ
して現存社会主義を生んだ﹁世界史の弁証法﹂を論拠に︑社会主義﹁生成期﹂論の意義を強調したにもかかわらず
(第一論文)︑長砂氏に再度︑社会主義﹁生成期﹂論とマルクス﹃ゴータ綱領批判﹄の﹁古典的命題に依拠する"伝統的"
理論との関連・整合性﹂を問題にされると(長砂﹃前衛﹄論文)︑﹃ゴータ綱領批判﹄の諸命題と発展段階理論が現存社
会主義の生成・発展過程に﹁重要な指針﹂として適用可能だという誤った立場に後退し(第二論文)︑さらに﹃ゴータ
綱領批判﹄の二つの命題の﹁統一的﹂解釈に関して長砂氏に同調して︑現存社会主義は﹁世界史的﹂には﹁生成期﹂
の社会主義であるが︑コ国史的Lには﹁過渡期﹂もしくは﹁共産主義社会の第一段階としての社会主義﹂の社会であ
る︑という折衷主義的結論に到達した(第三論文)︒
聴濤氏は︑第三論文で︑以上の見地は﹁日本共産党が提起した︑新しい理論的見地です﹂と述べているが︑これに
は疑義がある︒第一に︑社会主義﹁生成期﹂論を最初に提起した第十四回党大会決議は︑﹃ゴータ綱領批判﹄の諸命
題や発展段階理論についてなにも言及していない︒第二に︑日本共産党の有力な理論家のひとり不破哲三氏は︑社会
主義﹁生成期﹂論を論じた最近の論文の一つで︑﹁現在まで︑マルクスのいう共産主義の第一段階に到達した社会主義
国は一つもない﹂とい叢近中国の文献の鶉を出是的に引用し彪る︒一九六〇年代以前ならいざしらず︑社会主
義﹁生成期﹂論が提起された七七年以降の日本共産党の公式文献で︑ソ連など一連の現存社会主義国を﹁共産主義社
会の第一段階としての社会主義﹂を実現した国として規定した文献をわれわれは知らない︒聴濤氏の第三論文の見地
社 会主 義 「生 成期 」 論 の意義 と問題 点 25
は︑聴濤氏個人の見地であって︑日本共産党の見地ではないのである︒かりに︑聴濤氏の見地が目本共産党の見地で
もあるとしたら︑日本共産党の社会主義﹁生成期﹂論は︑破産せざるをえないであろう︒
3
世 界 史 の 弁 証 法 と 現 存 社 会 主 義
第十四回党大会決議には︑﹁世界史の弁証法は︑資本主義的発展の比較的おくれた国ぐにで社会主義革命の最初の
突破口を開いたために︑社会主義制度の優越性は︑マルクス︑エンゲルスが予想したような形では︑ただちにあらわ
れなかった﹂という文章がある︒﹁世界史の弁証法﹂とは具体的になにを意味しているのであろうか︒周知のように・
通説的解釈によれば︑マルクス︑エンゲルスは先進国革命の理論の提唱者であったとされている︒その証拠としてよ
く引用されるのは︑エンゲルス﹃共産主義の原理﹄の次の文章である︒﹁共産主義革命は決して単に一国だけのもの
ではなく︑すべての文明国で︑いいかえると︑少なくともイギリス︑アメリカ︑フランス︑ドイツで同時におこる革
(43)命となるだろう﹂︒そして上記のテーゼを理論的に裏づけるものとして︑マルクス﹃経済学批判序言﹄の次の文章
が引用されるのである︒
﹁人間は︑彼らの生活の社会的生産において︑一定の︑必然的な︑彼らの意志から独立した諸関係に︑すなわち︑
彼らの物質的生産諸力の一定の発展段階に対応する生産諸関係にはいる︒これらの生産諸関係の総体は︑社会の経済
的構造を形成する︒これが実在的土台であり︑その上に一つの法律的および政治的上部構造がそびえ立ち・そしてそ
れに一定の社会的諸立劇心識形態が対応する︒物質的生活の生産様式が︑社会的︑政治的および精神的生活過程一般を制
約する︒人間の意識が彼らの存在を規定するのではなく︑彼らの社会的存在が彼らの意識を規定するのである︒社会
の物質的生産諸力は︑その発展のある段階で︑それらがそれまでその内部で運動してきた既存の生産諸関係と・ある
商 経 論 叢 第20巻 第2号 26
いはそれの法律的表現にすぎないものである所有諸関係と矛盾するようになる︒これらの諸関係は︑生産諸力の発展
諸形態からその栓桔に一変する︒そのときに社会革命の時期が始まる︒讐的基礎の変化とともに︑巨大な上部構造
全体が・あるいは徐乏︑あるいは急激にくつがえる︒このような諸変革の考察にあたっイ︑は︑経済的生産諸条件に
おげる物質的な・自然科学的に正確に確認できる変革と︑それで人間がこの衝突を意識するようになり︑これとたた
かって決着をつけるところの法律的な︑政治的な︑宗教的な︑芸術的または哲学的な諸形態︑簡単にいえばイデオロ
ギ藷形態とをつねに区別しなければならない︒ある個人がなんであるかをその個人が自分自身をなんと考.をいる
かによって判断しないのと同様に︑そのような変革の時期をその時期の意識から判断する.﹂とはでぎないのであって︑
むしろこの意識を物質的生活の諸矛盾から︑社会的生産諸力と生産諸関係とのあいだに現存する衝突から説明しなけ
ればならない︒一つの社会構成は︑それが生産諸力にとって十分の余地をもち︑この生産諸力がすべて発展しきるま
では・けっして没落するものではなく︑新しい︑さらに高度の生産諸関係は︑その物質的存在条件が古い社会自体の
胎内で艀化されてしまうまでは︑けっして古いものにとって代わることはない︒それだから︑人間はつねに︑自分が
解決しうる課題だけを自分に提起する︒なぜならば︑もっと詳しく考察してみると︑課題そのものは︑その解決の物
質的諸条件がすでに存在しているか︑またはすくなくとも生まれつつある場合にだけ発生することが︑つねに見られ
るであろうからだ︒大づかみにいって︑アジァ的︑古代的︑封建的および近代ブルジョア的生産様式が経済的社会構
成のあいつ藷時期として表示されうる︒ブルジョァ的生産諸関係は︑祉会的生産過程の最後の敵対的形態である︒
敵対的というのは︑個人的敵対という意味ではなく︑諸個人の社会的生活諸条件から生じてくる敵対という藻であ
る・しかしブルジョァ社会の胎内で発芒つつある生産諸力は︑同時にこの敵対の解決のための物質的諸条件をもつあ
くりだす︒したがってこの社会構成でもって人間社会の前史は終わるL︒