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多 様 性 に つ い て ( 一 ) 序 論

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多様性について︵一︶序論

輪 湖 博

一︑寿命

 生物にはみな寿命がある︒動物ではだいたい数年から百年くらいというのが普通であるが︑植物になると樹齢何

千年という大木まである︒また︑単細胞生物では︑環境条件をうまく設定すれぽ無限に細胞分裂を繰り返すものが

ある︒ただ︑単細胞生物の細胞分裂では︑分裂したどちらが親で︑どちらが子かわからないから︑同一個体の寿命

という観点からはその定義が少々あやふやではある︒したがって︑寿命というのは必ずしもすべての生物に厳密に

定義できるわけではないが︑少なくとも︑ある程度進化した生物にははっきりとした寿命が存在することは確かで

ある︒ 哺乳類の潜在最大寿命は︑体重や脳重量と正の相関があることが知られている︒体重が大きいほど体表面積の体

重に対する比が小さくなる︒したがって︑単位体表面積当りの放熱量が一定とすれば︑単位重量当りの発熱量が少

早稲田人文自然科学研究 第35号(H1.3)

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なくてすみ︑そのことが寿命と関連していると考えられる︒また脳重量は︑環境への適応能力を表すパラメータと

理解されている︒このように︑寿命がそれぞれの生物を特徴づける量と相関があるという事実は︑寿命がそれぞれ

の種に対して定まったものであることを暗示している︒しかし一方で︑同じ動物でも︑例えば︑動物園の動物は野

生のそれに比べ一般に長寿であることや︑日本人の平均寿命が急激に伸びたという事実は︑寿命が種によって定ま

ったものではなく︑環境によって大きく変化するものであることを示している︒これらのことから︑寿命は天命の

ようでもあるし︑医学の進歩によっていくらでも延長することが可能であるようにも思われる︒

 実際︑現代生命科学においても︑寿命あるいは老化という現象には二つの考え方ぶあって︑対照的に論じられて

いる︒ その一つの考え方は︑中古説あるいはエラー説とよぼれている︒生体は精巧にできた分子機械とみなすことがで

きるが︑その構成分子︑とりわけ遺伝情報を担うDNAは︑絶えず紫外線︑変異を誘発する化学物質などによる損

傷の危険にさらされている︒実際︑損傷を受けることがしばしばあると思われるが︑一方︑生体内にはそれを修復

する機能があって︑大事には到らないのが普通である︒しかし︑損傷も︑そして修復も︑一種の化学反応である点

では同じであって︑それらは絶えず熱的ゆらぎの中にある︒このことは︑化学反応が一〇〇%思い通りに進むわけ

ではなく︑非常に低い確率ではあるが︑エラーが起こることを意味している︒ただ︑一般には︑大事に到るような

事故は︑ 一回のエラーによって引ぎ起こされるというよりも︑ いくつかのエラーが蓄積した結果として︑あるい

は︑いくつかのエラーが偶発的に起こり︑それらが競合した結果として起こったと考えられる︒したがって︑基本

的には︑大事に到るような事故が起こる確率は極めて低い︒しかし︑いかに低い確率で起こる事故であろうとも︑

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多様性について(一) 序論

時間が経てば︑大事に到る確率は着実に増していく︒そして︑その生起確率によって︑ある個体が分子機械とし

て働きうる限界が規定されている︑というのが中古説あるいはエラー説とよぼれる寿命に対する考え方の基本であ

る︒このことは︑動物の寿命がそのDNAの修復能とよい相関があることでも裏付けられる︒したがって︑人工的

にエラーが起こる確率を下げることができたり︑あるいはエラーを修復することができれば︑寿命はそれに応じて

どんどん延ばすことができるようになる︒

 もう一つの寿命に対する考え方はプログラム説とよぼれている︒例えば︑体の外に取り出した細胞を培養する

と︑どんなに注意深く培養をしても︑五十から六十代ほどで分裂を停止してしまう︒しかし︑後で述べるように︑

細胞がガン化すると︑その細胞は永遠の寿命を獲得することができる︒このことは︑正常な細胞ではある時点で分

裂を停止させるプログラムが働き︑ガン化するとその停止プログラムが壊れてしまう︑として説明することができ

る︒しかも︑細胞の寿命と各動物種の最長寿命には比例関係があることが知られている︒早老症とよぼれる一般の

人より何十年も早く老化が進む病気があるが︑この患者の細胞が正常人の細胞よりずっと早く増殖能が失われる事

実や︑正常人でも︑老人の細胞は若い人の細胞に比べ早く増殖能がなくなる事実も︑それを支持している︒ところ

で︑早老症は遺伝することが知られている︒また︑ショウジョウバエの遺伝形質に長命と短命があって︑それぞれ

の形質をもつ純系どうしをかけあわせると︑メンデルの法則に従って長命と短命という遺伝形質が現れてくる︑と

いう報告もある︒これらのことも寿命を決める遺伝子の存在を強く示唆しているようにみえる︒発生−成長一老化

一死という個体のライフサイクルのうち︑発生−成長という過程が基本的に遺伝情報の支配下にあることを疑うも

のはいないと思うが︑上に述べたような事実は︑老化−死というその後半の過程さえも︑遺伝情報によって何らか

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の支配を受けていることを示している︑というのが寿命のプログラム説である︒

 ところで︑寿命がいかなる機構で決定されているのであろうと︑寿命があることの生物学的な意味を見出すこと

は難しくない︒すなわち︑生殖という過程を経て生物がその存在を継続しようとするかぎり︑ある個体にとって︑

子を作り︑その子が生殖年齢に達してしまえぽ︑急速にその存在意義は失われていく︒その上もっと苛酷なことに

は︑有限な個体数しか存在できないという状況下においては︑それらは集団にとって過剰に存在する個体ですらあ

る︒実際︑性成熟年齢と最大潜在寿命の間には非常によい相関があるし︑ヒトでも︑子供が成長してしまった年齢

あたりから急激に成人病とかガンに罹りやすくなり︑そうした年齢以降の生体防御機構の急激な衰えに対する対策

は︑進化の過程でほとんど無視されてきたようにみえる︒こうしたことから︑寿命が種の存続にとって世代交代と

いう重要な意味をもつことが理解できるであろう︒

 しかし︑ここでも寿命の原因について論じたのと同様な問題が生じている︒すなわち︑エラー説で説明されるよ

うに︑寿命が避けられないものであるから生殖によって種としての永遠の命を獲得したのか︑それとも︑もっと積

極的な意味合いをもって︑すなわち︑生殖によってコピーをつくることが一つの個体を永遠に存在させるよりも都

合がよかったから寿命を遺伝情報のプログラムに組み込んだのか︑という問題につきあたるのである︒

 代謝量が比較的少なく︑環境への適応能力の強いヒトは︑哺乳類の中では長寿グループに属している︒それで

も︑不老不死への思いは︑古今東西を問わず︑相変わらず人間の強い願望の一つである︒ヒトはいつの日か永遠の

命を獲得することができるのであろうか︒それとも自然は︑われわれに永遠の命を与えることを積極的に拒否した

のであろうか︒現代の生命科学において老化の機構の解明は重要課題の一つであるが︑その中でもこの問題は︑そ

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の結果によっては︑われわれの生命観を根底から揺るがすような重要な問題を含んでいるのである︒

二︑生物の多⁝様性

多様性について(一) 序論

 前節では寿命について述べてきた︒その原因は現在のところ明らかではないが︑寿命に関してここに重要な視点

がある︒それは︑生物に寿命があること︑それがとりもなおさず︑生物に多様性を生みだした最も根本的な原因で

ある︑ということである︒ここで生物の多様性とは︑種の多様性と︑同一種内における多様性をともに指してい

る︒ 生物は︑一つの個体を永久に生きながらえさせるかわりに︑生殖によって世代から世代へ遺伝情報物質を受け渡

すという︑ある意味ではリスクのある戦略を選択した︒具体的には︑地球に現存する生物は︑遺伝情報を担う物質

であるDNAを複製し︑それを次世代に渡している︒しかし︑どんなに精巧な機構が発達しようとも︑世代から世

代ヘエラーなしに遺伝情報を渡すことは不可能であるはずだ︒エラ:の蓄積は︑もしかしたら将来における生物の

絶滅をもたらすかもしれなかったのだ︒幸い︑あくまでもこれは結果論ではあるが︑絶滅はしなかった︒結果論で

あることを強調するならぽ︑非常に正確に遺伝情報を渡す機構を獲得することができた生物が現存している︑と言

うべきかもしれない︒しかし︑それでもエラーをゼロにすることができたわけではない︒実際︑エラーはある確率で

起きている︒ところが︑逆説的ではあるが︑エラーが生じたからこそ︑生物は変化し得たし︑新たな種を誕生させ

ることができた︑すなわち︑生物は進化し得たのである︒そして同一種内では︑常に新しい個性を生み出している︒

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 しかし生物の多様性を︑寿命があることの副産物としてしまっていいのであろうか︒例えば︑生物の進化の過程

では︑生殖に関してみると︑無性生殖から有性生殖へと変化してきている︒有性生殖を無性生殖と比較した場合︑

その特徴の一つは︑雄と雌の遺伝子を組み合わせることによって積極的に多様性を生みだす機構を内包しているこ

とである︒一方︑近年︑DNAのレベルでの生物の研究が進んできてみると︑遺伝子それ自身も遺伝子重複や遺伝

子組換えなどを通して︑盛んにその多様性を増すように働いていることがわかってきた︒こうした新しい知見は︑

生物における多様性が︑単に︑ゆらぎとか偶然とかエラーとかで説明されるような受動的な機構によって生み出さ

れてきたものではなく︑むしろ︑積極的に多様性を増す機構を獲得し︑その結果として作り出されたのではない

か︑という考えを懐かせるのである︒それはあたかも︑生物が有性生殖と引き換えに寿命を背負い込んでしまった

とさえみえるのである︒

 生物の多様性のもつ意義に関してはすでに︑同一種内の多様性について︑環境が大きく変化するという不測の事

態にも対応できるように集団に様々なものを蓄えておくため︑という説明が与えられている︒しかし︑そうした将

来のためという視点からだけで生物の多様性を捉えていくのは︑どうも不十分のような気がしてならないのであ

る︒むしろ︑現在における多様性の意義を論じることはできないであろうか︒

 しかし︑普遍性を重んじる科学においては︑多様であることを多様であるとして捉え︑それを議論すること自体

避けられてきたように思われる︒実際︑生物学でも︑一九世紀初めの細胞説の提唱によって多様な生物の統一的描

像を捉えようとする動きがスタートし︑今世紀半ぽには︑すべての生物が遺伝情報物質としてDNAを利用してい

ることが発見された︒現在では︑地球上の生物とはDNAとタンパク質の織りなす自律システムである︑という統

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一的な描像ができあがっている︒そしてそのことが︑最近の驚異的な生命科学の進歩をもたらした︒しかし︑統一

的基盤を得た今こそ︑生物のもつ多様性をもう一度問い直してみる意義があるのではないだろうか︒それはおそら

く生物に限ったことではなく︑自然現象一般においても︑どちらかといえぽ忌み嫌われてきた多様性とか個性とい

った問題に︑スポットライトをあててみることが可能な時機に来ているように思われる︒実際︑現在の科学のトピ

ックスを幅広く眺めてみて︑随所に科学者がこの問題を意識し始めていることをうかがうことができる︒

 そこで数回のシリーズで︑多様性の問題に焦点をあわせて︑最近の科学の話題を追ってみようと思う︒第一回目

の本稿では︑その序として︑まずは多様性にまつわる二︑三の問題を提起することから始めてみることにする︒

三︑ブラウン運動

多様性について(一) 序論

 これから多様性を考えていくなかで︑多様性といった場合に︑二つのケースを考えることができる︒一つは︑集

団の構成員の多様性である︒生物の場合には︑同種の構成員からなる集団といっても︑それぞれの構成員が他の構

成員に対して何らかの特徴のある性質︑すなわち個性をもつのが一般的である︒すなわち︑微妙に異なる同種の構

成員からなる集団を考える場合の多様性である︒これに対して︑互いに全く区別できない構成員からなる集団が物

理学ではむしろ一般的である︒しかしこの場合でも︑その集団が取り得る状態数の豊富さという意味で多様性を論

じることができる︒これには︑一つの個体あるいは一つの構成員のみを考えて︑それが取り得る状態数の豊富さを

考える場合を含めてもよい︒

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 そこで︑まず︑互いにまったく区別することのできない構成員からなる集団について見ることから始める︒その

ために︑物理学の中から話題を拾ってみることにしよう︒

 物理学には︑多数の要素からなる系を扱う分野として︑統計力学という分野がある︒その統計力学において最も

基礎的な問題の一つに︑ブラウン運動の問題がある︒ブラウン運動というのは︑一八二七年に行われた植物学者ブ

ラウンの研究にその名が由来している︒水に花粉を浮かべるとやがて花粉が破裂して︑出てきた微粒子が活発に運

動をするのを顕微鏡で観察することができる︒この現象の発見は︑一七四〇年のニーダムにまで遡るが︑当時はこ

の動く微粒子が動物の精子にあたるものであろうと考えられていた︒ブラウン自身も︑生命に関する生気論と機械

論が交錯するなか︑これこそ微粒子に宿る生命力の存在を示すものと考えた︒しかし︑様々な試行のなかで彼は︑

生命のない石炭の粉︑更には金属の粉を使っても同じ現象が見られることを確認した︒すなわち︑この運動は生命

に起因するものでもなく︑物質の種類にもよらなかったのである︒

 その意味を明らかにしたのは︑かのアインシュタインである︒一九世紀後半には︑気体分子運動論が発表され︑

気体の温度︑圧力︑体積︑内部エネルギーなどといったマクロな量の間の関係を︑気体分子の容器内におけるでた

らめな運動︑いわゆる気体分子の熱運動によって説明する理論が完成していた︒それは︑原子︑分子の存在を基盤

に.ミクロな現象の記述からマクロな現象を説明する画期的なものであった︒にもかかわらず︑原子・分子の実在と

なると︑懐疑的な人々を納得させるだけの十分な証拠がなく︑仮説の域を出ていなかった︒こうした申︑アインシ

ュタインは︑原子の存在をできるだけ明白に証拠づけていて︑しかも観測にかかる事実を見出すことに苦心してい

た︒そして彼は︑熱の分子運動論によれぽ︑液体中の浮遊物の運動は観測にかかるはずだという結論に達したので

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多様性について(一) 序論

あった︒アインシュタインはこの論文を一九〇五年に発表しているが︑彼が最初にこの理論を考えたときは︑ブラ

ウン運動についての観測がすでに広く知られていたことには気がついていなかったという︒とにかく︑彼の理論は

観測されていた︒それはとりもなおさず︑原子・分子の実在を確証させるに十分なものであった︒

 ブラウン運動はその度数学的に洗練され︑その理論体系で説明される現象が自然界には広く存在することが分か

ってきた︒例えば︑大きな容器に入った水にインクを一滴垂らした場合を想定してみよう︒インクは徐々に周辺へ

と広がり︑やがて容器はインクの色に染まることになる︒これはいわゆる拡散という現象であるが︑これも実はブ

ラウン運動と全く同じ理論的体系に含まれる︒そこで︑この現象の方が︑話を進めていく上でイメージしゃすいで

あろうから︑以後この例をもってブラウン運動の理論のポイントを説明していくことにしよう︒

 インクの分子はそれ自身の︑そして周囲の水分子の熱運動のために絶えず運動している︒しかし︑その運動の方

向は全くでたらめであって︑過去のある時点である方向に向かって動いたということが︑現時点でどちらの方向に

動くかということに全く影響しない︑として数学的な定式化が行われる︒そのインク分子の動きは︑どこへ行くか

わからない酔っぱらいの動きにもたとえられることから︑ブラウン運動の理論は酔歩の理論ともよばれている︒

 いま︑水のはいった容器のある一点にインクの分子がすべて集中的に存在しているとしよう︒時間の経過ととも

にインク分子はあらゆる方向に広がっていく︒ブラウン運動の理論は︑ある時間が経過した後︑容器内の各点にお

けるインク分子の存在確率を与えてくれる︒それは言い換えれば︑インク分子の何パーセントがどの地点に存在す

るか︑その時間発展を与えてくれることになる︒

 ブラウン運動の理論からは︑まず︑インク分子全体の平均の位置を計算することができる︒結果はというと︑イ

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ソク分子の平均位置は︑時間の経過に関係なく︑常に最初の位置となる︒平均で論ずる限り︑インク分子は動かな

いのである︒しかし現実には︑インクは明らかに拡散していく︒多様性という観点からすれぽ︑互いに全く区別の

つかないインク分子の集団ではあるが︑明らかに時間の経過とともにその存在し得る場所の多様性を広げていく︑

と言うことができる︒にもかかわらず︑平均位置では︑その存在場所の多様性の増加を特徴づけることはできない

のだ︒ それでは︑どうした量を見たらよいのだろうか︒それには︑平均位置︑すなわち最初の位置から各分子までの距

離の平均︵正確には︑距離の自乗の平均の平方根︶を計算するのがよい︒これは︑時間の平方根に比例して大きく

なっていくことがわかる︒この量は︑統計で出てくる標準偏差に対応する量であり︑集団が平均のまわりにどの程

度に広がって分布しているかを示す量である︒まさに︑集団がどの程度画一的であるか︑あるいは︑どの程度多様

性をもつかを示しているわけであり︑この系の振る舞いを記述する最適の量と言える︒

 ブラウン運動の理論を言葉で表現してしまうとこれだけのことではあるが︑この単純な例からでも︑われわれが

これから考えていく多様性についていくつかの視点を得ることができる︒

 まず︑インク分子は最終的には容器に一様に分布することになるが︑拡散していく初期の過程のことを考えてみ

よう︒ある時刻におけるインク分子の分布は︑最初の位置を中心とした正規分布をなし︑その分散︵あるいは偏

差︶が時間とともに広がっていく︒最初の位置付近の存在確率が最も高く︑離れれば離れるほどわずかのインク分

子しか存在していない︒それでは︑ある時刻に最も遠くまで到達した分子︑すなわち︑平均から最も遠い分子を個

性的であるとよぶことができるだろうか︒もちろんそれはノーである︒そもそもこのモデルでは︑全く同一の分子

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多様性について(一) 序論

からなる集団を最初に想定している︒したがってそれは単なる偶然にすぎない︒すなわち︑平均的なものから大き

くずれてさ︑兄いなければ個性的であると思われがちだが︑このことは︑平均からのずれが大きいことが個性的であ

ることの十分条件ではないことを示している︒

 次に︑このモデルでは︑個々の分子が存在できる場所が時間とともに広がっていく︒そのことをインク分子の状

態の多様性が増加していくと前に表現したが︑このことは︑エントロピーが時間とともに増大していると表現して

 ヘ  へ  もしし

 ここでエントロピーについて︑十分な説明をする余裕がないが︑簡単にそのイメ;ジをもっていただくために︑

次のような説明を与えておくことにする︒ただし︑この説明はエントロピーの一面を表現しているにすぎないこと

はお断わりしておかなければならない︒ いま︑このモデルのインク分子一つひとつに名前がついているものとす

る︒ある一つの分子のことを考える︒そして︑その分子がいまどこにいるのかを当てることを考えてみよう︒時刻

ゼロでは︑明らかに最初の位置にいる︒少し時間が経つと︑正確に当てることはできないが︑最初の位置の近傍に

いることは確かである︒更に時間が経つと︑インク分子は拡散し︑当てるのはどんどん難しくなっていく︒一様に

分布した段階では︑もう容器内のどこかとしか言いようがなくなってしまう︒こうして︑時間が経つとともに︑構

成員個々の状態︵この場合はインク分子の位置︶を当てることが難しくなる︒この難しさを表すのがエントロピー

であり︑それは時間とともに増大し︑やがて最大値をとって一定となる︒

 多様性はこのエントロピーという概念と密接な関係にある︒しかも︑エネルギーや物質の出入りのない系︑孤立

系では︑エントロピーは時間とともに最大値になるまで増大し︑決して減少しない︑という法則が︑どんな系にお

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いても普遍的に成り立つ︒集団は︑構成員の熱運動によって︑様々なミクロな状態を取りながら時々刻々変化して

いく︒一方マクロには︑ミクロな状態数が最も多いマクロな状態へと遷移して︑見た目には状態は一定となる︒し

かしこの時点でも︑ミクロには状態は絶えず変化しており︑そのミクロな状態の多さのために個々の構成員の状態

を予測できなくなる︒それでも︑そんな最終状態に対して︑非常に多数の構成員からなる集団では︑一般に︑その

マクロな状態量を正確に記述することができる︒物理学で扱う系の多くはこの条件を満たしている︒

 しかし︑生物に関する系では︑エネルギーや物質の出入りのある開放系であり︑構成員数も十分に多いとは言︑兄

ないのがむしろ普通である︒それが︑生物を対象とした理論体系を築く際の困難さの一つとなっている︒したがっ

て︑上記の内容をそのまま生物に当てはめることは危険である︒実際︑開放系や︑少数自由度の系では︑マクロな

量が予想もしないような奇妙な振る舞いを示すことがある︒しかし︑多様性が︑時間という概念と密接に関わって

いることは心に留めておいていただきたい︒

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四︑魚の性転換

 前節では︑互いに全く区別のつかない構成員からなる集団を考えた︒そこでは︑平均からのずれの平均が多様性

を測る基本的な量であることを述べたが︑一方で︑ある構成員が平均からずれているというだけでは個性的とは言

えないことも見てきた︒この個性の問題を考えるためには︑やはり生物の例を引くのがよいであろう︒同一の要素

からなる集団としては︑例えば︑同種の個体からなる集団が考えられるが︑そこでは︑前述の物理の系とは全く異

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多様性について(一) 序論

なった様相が展開される︒

 魚には︑生まれたときにはすべて雌で︑生殖年齢に達したある時期に︑その集団のある個体が雄に性転換すると

いう風変わりな種がかなりある︒雄になった個体だけがもともと雄になるよう遺伝的に決められており︑残りの雌

は本質的に雄になれないかというとそうではない︒それを調べるために︑一九七〇年︑イスラエルのフィッシェル

ソンはキンギョハナダイという魚を使って次のような実験を行った︒水槽に雌ぽかり二十匹を入れて二週間後︑そ

の中の一匹が雄に変わった︒その性転換した雄の魚を水槽から取り除くと︑残った雌の中の一匹がまた性転換をし

た︒そしてさらにその雄を取り除く︑ということを繰り返した︒結果は︑すべての雌が性転換していった︒一方︑

雄と雌を同居させた別の水槽では︑一匹の雌も性転換しなかった︒すなわち︑遺伝的にはどの雌も雄に性転換でき

る能力を持っている︒しかし︑その集団のなかで何らかの理由である個体が選ばれ︑雄に性転換し︑生殖行動へと

はいっていく︒

 これに類した現象は生物界では他にも見ることができる︒例えば︑アリやハチのような社会性昆虫とよばれるも

のには︑同じ雌の中でも︑女王になるものとワーカーとよぼれるいわゆる働きアリ︑働きバチになるものとがある

が︑それらはやはり遺伝的には全く異ならず︑育てられていく過程で︑ある個体だけが特別に選ばれ︑女王として

育てられていく︒

 こうした例は︑ブラウン運動する同一の分子の集団とはかなり様相が異なっている︒各構成員は︑遺伝的には同

一の情報をもっているとはいうものの︑いくつかの選択肢をもっていて︑時間の経過とともにある時点でその選択      皿を迫られる︒どれを選択するかはあらかじめ決まっているわけではなく︑他の構成員との関係で決まっていく︒あ

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るいは︑単にゆらぎによる偶然的な要因もあるかもしれない︒しかしいずれにしろ︑集団内のある構成員が他の構

成員に対して個性的になることが︑集団の全体の組織化に必須であることがここでは重要な点である︒

 そのことをもっと如実に示してくれるのは︑発生あるいは分化という過程であろう︒受精卵というたった一つの

細胞が︑二つに︑四つに︑八つに︑十六にと分裂を繰り返していく︒その初期の過程では︑個々の細胞は他の細胞

に対してとりわけ個性的というわけではない︒細胞は︑更に分裂を繰り返しながら︑徐々に心筋細胞︑神経細胞︑

骨細胞などへと分化していく︒ところで︑例えば︑ある動物の受精卵の最初の分裂をした後の二つの細胞は︑将

来︑その動物の右半分と左半分に発生するが︑その時点で右半分になること︑左半分になることが決定的に運命づ

けられてしまっているのであろうか︒答えは否である︒これらを人工的に二つに切り放してしまうと︑半分ではな

く︑それぞれが一つの個体となる︒それは細胞分裂のとき︑全豊野情報物質のうち︑分化に応じて必要な部分だけ

を切り出して分配するのではなく︑すべての遺伝情報物質を渡していくからである︒そして︑すべての細胞が︑分

化はしても等しい遺伝情報をもつことによって︑不測の事故が起きた場合には︑すでに︑あるものに分化しつつあ

った細胞を︑その事故のあった細胞に分化させることによって救われることができるのである︒多細胞生物におい

て︑個々の細胞が何に分化していくのかがどのような機構で決定されていくのかは︑まだまだ分からないことが多

い︒しかし︑それは細胞分裂していく過程で︑周囲の細胞との関連で決って行くことは確かである︒そして︑同一

の遺伝情報をもちながらも︑細胞が分化し役割分担をすることによって︑多細胞生物は︑単細胞生物とは比較にな

らない程の非常に高級な機能を有する組織体となり得るのである︒

 最後に付け加えるならぽ︑最近では︑物理系でも非平衡ならば︑ゆらぎによって生じた偏りが系の構造形成を促

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すことがあることがわかってきており︑

る︒ こうした例を︑単純に︑生物特有の現象ということはできなくなってい

五︑サルの子殺し

多様性について(一) 序論

 多様性を研究していく上でその他に重要な点は︑ある事例が普遍性をもつか︑特殊な事例かの判断の問題であ

る︒特に生物学の研究では︑新種の発見に代表されるように︑全く新しい個性を見出すことがその研究対象の一つ

となっている︒このことが︑少し前までは︑生物学が普遍性を重視する物理・化学から一線を画されてきた一因で

もあった︒しかし︑現代生物科学では︑普遍性を追求することが重要視され︑物理・化学をも引き入れた学際的な

科学として発展している︒反面︑博物学が軽視されるようにもなってしまった︒

 そうした生物学の流れの中でも︑動物の比較行動学という分野は︑とかく動物の行動というものが︑擬人化され

て記述されたり︑観察者の思い入れがあったりして︑その客観性に疑念がもたれたために︑何が普遍的な事実で︑

何がその種特有のことなのかを決めていくことが難しいものの一つであった︒しかし︑そうした中にあって︑オー

ストリアのローレンツらを中心に動物行動学を客観的な科学として確立しようとする努力が払われ︑一九七三年に

は︑ローレンツらは動物行動学における業績に対してノーベル医学生理学賞を授賞するまでになった︒その動物行

動学の話題から︑一九八八年十月二日の朝日新聞日曜版の﹁新どうぶつ記﹂からの記事を以下にそのまま引用し       03て︑多様性へのアプローチの仕方について考えてみることにしよう︒      −

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 一九六四年十二月三十一日︑モントリナールで﹁霊長類の社会的コミュニケーション﹂と題する国際会議が開      脳かれた︒当時二十九歳の京大理学部助手だった杉山幸丸さん︵現・同大霊長類研究所教授︶は︑欧米の研究者約

五十人を前に︑気負いと緊張から武者ぶるいしていた︒

 演題は︑ ﹁ハヌマンラングールの社会構造﹂︒その三年前に︑南インドのカルナタヵ州ダルワード近郊の野外

調査でつかんだ新発見を発表するのだ︒

 オナガザルの一種のハヌマンラング!ルは︑しぼしぽ一匹のオスを中心にハーレムをつくる︒ところが︑この

ハーレムは他のオスに襲われて乗っ取られることがある︒衝撃的なのは︑乗っ取ったオスが︑先代のオスとメス

たちの間に生まれた赤ん坊たちを次々とかみ殺すべビ!キラーに変身することだ︒しかも︑わが子を殺された母

親は︑赤ん坊を殺したオスと結ぼれて︑新たに子供をつくる︒

 当時の動物行動学の常識では︑同じ種類の動物が殺し合うことはないはずであった︒それは︑ ﹁種の存続﹂の

原則に外れることであった︒

 ノ:ベル医学生理学賞を受けたローレンツ博士︵オーストリア︶は︑その著書﹁ソロモンの指環﹂の中で︑オ

オカミ同士の戦いを例にあげて愚老が急所である首筋を強者に差し出して﹁服従の姿勢﹂をとり︑殺し合いには

いたらないことを強調した︒同種問の攻撃抑制は生まれつき備わったものであり︑遺伝子にプログラムされてい

る︑というわけだ︒

 演壇に立った杉山さんは︑ハヌマンラングールの子殺しについて約三十分間にわたって説明し︑ ﹁メスの発情

を誘い︑自分の子孫を早くつくりたいというオスの性的欲求に基づいている﹂としめくくった︒

(17)

 当然︑ ﹁定説をくつがえす画期的な発見﹂﹁ローレンツさえも見抜けなかった新理論﹂といった賛辞とともに︑

万雷の拍手が会議場に鳴り響くはずだった︒ところが︑研究者たちは﹁特殊な環境での異常行動﹂と︑批判的な

受けとめ方だった︒

 追い打ちをかけるように︑座長の米ペンシルベニア大学のウーレン教授が﹁定期的に繰り返される赤ん坊の殺

害は種の繁栄に反し︑認め難い﹂とたたみかけた︒

 ホテルの自室に引き揚げた傷心の杉山さんは︑最初の気負いもまったくうせて︑ ﹁うつろな目でいすに座った

ままだった﹂という︒窓の外には雪が降りしきっていた︒

多様性について(一) 序論

 七十年代に入って︑ ﹁子殺し﹂はインド各地で米国の研究者らによって追認された︒その後︑高等なサルや類

人猿百五十五種類のうち︑二十種類に子殺しが見つかり︑東アフリカではライオンにさ︑兄も似た現象があること

がわかった︒もはや欧米の動物行動遣老らはこの現象が決して特殊な異常事態ではない︑と認めざるを得なかっ

た︒

 以上が朝日新聞からの記事の引用であるが︑ここで問題となっているポイントは︑ ﹁子殺し﹂というショッキン

グなできごとが︑遺伝的にプログラムされた行動であるかどうかである︒ロ:レンツはかつて︑オオカミという動

物界の悪役の代表のように思われている動物が︑狩猟のため相手を一撃で倒せるだけの能力を進化させてきたその

一方で︑同種の仲間に対するその能力の行使には抑制がかかるような行動の遺伝子を進化させてきたことを︑感動

105

(18)

をもって報告し︑人々もこれに感動をもって耳を傾けた︒したがって︑当時の動物行動学者にとっては︑﹁子殺し﹂

が遺伝的に組み込まれたプログラムによる正常な行動であるなどとは断じて認めるわけにはいかなかった︒それ

は︑何か異常な状況下におけるプ目グラムの暴走以外の何物でもないはずであった︒そもそも︑それを認めるどん

な合理的な説明があるというのであろうか︒

 記事にもあるように︑やがて︑他の種でも観察されるようになり︑その行動がプログラムされたものであること

が認められてきた︒しかし︑なぜ︑このような凄惨な行動が遺伝子としてプログラムされているのであろうか︒実

は︑これに対して︑遺伝情報とは何かという観点から合理的な解釈が与えられた︒その解釈に関してはこのシリー

ズの後で触れたいと思うのでここでは省略するが︑とりあえずここでは︑次のことは強調しておきたい︒新しい事

実が発見されたとき︑生物学ではしばしぼ特異な例に過ぎないどいう言葉で片付けられることがある︒逆に・生物

学では︑研究対象にある法則らしきものを見出しても︑必ずといっていいほど例外が存在する︒多様な様相を示す

生物学において︑普遍性をもった事実とは何なのであろうか︒

 それを明らかにするための一つの方法は︑遺伝情報という概念の確立ではないだろうか︒地球上の生物はすべて

DNAという化学物質に遺伝情報を書き込んでいる︵これには実は例外があって︑一部のウイルスはRNAを利用

している︶︒DNAは直接的にはタンパク質のアミノ酸配列の情報をもつだけであり︑実践的に生命現象を演じて

いるのはタンパク質である︒しかし︑ DNAは︑ タンパク質の活動を通してその遺伝情報を発現しているのであ

り︑間接的ではあるが︑やはり生命現象を支配しているのである︒しかし︑DNAに書き込まれた遺伝情報という

概念は︑タンパク質のアミノ酸配列という以上には現在のところ明確には定義されていない︒遺伝情報はどの生物

106

(19)

でも同じ言語で書かれている︵RNAウイルスの場合は方言とみなせる︶わけであるから︑それを基盤に︑上記の

動物の行動という非常にマクロな現象に至るまで記述することができれぽ︑多様性を多様性として︑遺伝情報とい

う普遍的な概念のもとで論じることが可能となっていくのではないであろうか︒このことは︑動物の行動の進化を

論じるときには︑特に重要なことであり︑後に議論することになろう︒

六︑ガン遺伝子を追う

多様性について(一) 序論

 近代生物科学が︑多様性を多様性のまま捉えることをよしとした時代から︑物理・化学的な手法を取り入れてい

った流れは︑近代遺伝学の出発点となったメンデルに見ることもできる︒メンデルは︑修道院の司祭として聖職に

あったが︑一時期︑教員となるための国家検定試験を受けるため大学の聴講生として過ごしている︒このとき︑彼

は物理学に非常に興味をもち︑その発想法︑研究の進め方などを学んでいる︒彼は結局教員試験には合格すること

ができず︑生涯修道院で聖職者として努めるが︑そこでエンドウ豆の遺伝の研究を行うことになる︒一八六五年︑

いわゆるメンデルの法則を発表するが︑彼の研究はあまり省みられなかった︒彼の死後︑一九〇〇年になってよう

やく︑三人の研究者によって独立に彼の研究が再発見され︑近代遺伝学の幕開けとなる︒

 ところで︑メンデルの仕事が受け入れられなかったのは︑彼の研究が物理学的な研究手法によるものであったこ

とが一因であったといわれる︒彼はエンドウの遺伝を調べるのに︑ エンドウをまるごと見ることをせず︑種子の

形︑種子の色︑草丈といった少数の形質に注目して︑雑種をこしらえながら︑それらが親子の間でどういう現れ方

107

(20)

をするかを追跡していった︒そしてそこに︑後に﹁メンデルの法則﹂とよばれる法則性を見出した︒そしてその法

則が︑形質を決定し遣伝する要素︑後に遺伝子と名付けられるものを仮定することによってうまく説明できること

を発見した︒そこでは︑エンドウを対象としたことが︑理論の何の本質的な制約にはなっていなかった︒あること

を示すための実験系の設計︑定量的方法の採用︑数式を利用した現象の説明︑データを整理し要点を簡潔に法則化

する研究態度は︑生物学の研究は︑収集された諸事実をそのまま提示し︑取り扱った数が多ければ多いほど信頼性

が高いとされていた時代にあっては︑常識を逸脱したものに映ったのである︒

 現代では︑ メンデル的なアプローチはむしろ常識となっている︒その一つの例を︑最近のガン研究に見てみょ

う︒高野利也著﹁ガン遺伝子を追う﹂︵岩波新書︑一九八六︶は︑最近のガソ研究を知る上で興味深い好著であるが︑

その中に次のような話が載っている︒

 一九八一年︑マサチューセッツ工科大学のワインバーグのグループが︑ヒトのガン細胞から取り出したDNAを

培養細胞に加えて︑細胞のガン化を引き起こしたことを報告した︒このことは︑ヒトのガン細胞の遺伝子が正常な

培養細胞をガン化させる働きを持つこと︑すなわちガン遣伝子を含むことを示した画期的な実験であった︒

 ところで︑この実験で利用された﹁正常な培養細胞﹂とは何であろうか︒最初の寿命の話のところで述べたよう

に︑正常な動物から取り出した細胞は︑どんなに注意深く培養をしても︑何回か分裂を繰り返すと分裂できなくな

る寿命がある︵このときの培養細胞を初期培養細胞とよぶ︶︒ところが︑根気よく続けていくと︑ほとんど死滅し

た中に盛んに増殖できるようになった細胞が突然現れてくる︒この細胞は︑不死性を獲得したといわれ︑試験管の

中で安定に増え続けることができる︒ワインバーグらが用いた細胞もそうして得られたNIH/3T3とよばれる

108

(21)

多様性について(一) 序論

ものであった︒

 実験には︑研究材料として便利であるため︑こうした不死性をもつ細胞がよく使われる︒実験中細胞が増えなく

なって死んでしまうとか︑実験ごとに動物から細胞を取り出すといった煩わしさがない︒しかし︑なんと言っても

NIH/3T3細胞は安定に増え続けてくれるため︑研究者は誰でも手に入れることができ︑NIH/3T3細胞

を使った実験といえぽ︑世界中の研究者がどういう性質をもった細胞かすぐわかるし︑同じ材料で実験し︑実験結

果を比較できること︑それが最大の利点である︒それは︑実験が誰でも追試できるものであることを保証すること

によって︑得られた結果が︑決して特異な状況で得られたものでないことをも保証してくれるはずだからである︒

 その後︑ガン遺伝子と思われる様々なDNAが︑ガン遺伝子であるか否かをチェックするために︑このNIH/

3T3細胞をガン化するかどうかによって調べられた︒しかし︑こうした研究の進め方に対して︑一九八六年︑カ

ルフォルニア大学のデュスバーグは疑問を投げかけた︒その主旨はこうである︒生体の中の細胞の性質をよく保っ

ている初期培養細胞をガン化する遺伝子が︑本来の﹁ガンを起こす遺伝子﹂であると考えるべきである︒ところ

が︑NIH/3T3細胞は不死性を獲得しており︑生体内の正常細胞とはかなり違った性質をもつ細胞である︒そ

れなのに︑NIH/3T3細胞をガン化するという働きから︑その遺伝子がガン遺伝子であると決められてきた︒

ところが︑ガン細胞からとったラスという名の遺伝子は︑NIH/3T3細胞はガソ化するが︑初期培養細胞を単

独でガン化することはできない︒一方︑ウイルスのもつラス遺伝子は︑初期培養細胞をガン化できるし︑動物にも

ガンを引き起こすことができる︒したがって︑ウイルスのラス遺伝子はガン遺伝子といえるが︑ガン細胞のラス遣       ㎜伝子はガン遺伝子ではない︑というのである︒

(22)

 実は︑それまでに︑正常な細胞がガン化していく過程には︑細胞が不死性を獲得していく過程が含まれているこ

とが指摘されていた︒したがって︑NIH/3T3細胞は︑そのガン化過程の前半をすでに終わってしまっている

のであって︑いわぼすでにガン化の途中の状態にある細胞といえるわけである︒このことは︑NIH/3T3細胞

のガン化で行われたガン遺伝子のチェックが︑すでにガン化の途中にある細胞の最終ステップに関与する非常に特

殊なものだけに対するものであったことを意味している︒したがって︑これらの研究からは︑ガン遺伝子について

の普遍的な性質を導き出すことはできなかったのだ︒

 生命科学における実験では︑メンデルの法則の発見にみられるように︑それが単純化され︑洗練されればされる

ほど︑そして精密さを増せば増すほど︑因果律の確立には好都合ではあるが︑一方︑複雑極まりない生命現象の解

明からは時としてどんどん離れていく危険性を内包していることを︑この例は如実に示している︒

110

七︑進化の産物としての生物

 初めに述べたように︑どの生物にも寿命がある︒そのために︑生物は生殖という行為を通して遣伝情報を次世代

に引き渡してきた︒具体的には︑自己の持つDNAの複製作業が繰り返し行われてきた︒その複製の正確さが︑た

とえ各個体の寿命は有限であろうとも︑種あるいは遺伝子の永遠の命を保証してきた︒しかし︑一方で︑まれに起

こる複製の過ちは生物に変化できる可能性を与えた︒過ちの多くは致命的なものであったにちがいない︒しかし︑

まれには環境により適応した変化も現われた︒それは何百万年に一回起こるかどうかのまれなできごとであって

(23)

多様性について(一) 序論

も︑地球の歴史は十分にそれに対応できるだけの時間を用意していてくれた︒こうして︑地球上に最初に誕生した

生命から︑実に多様な生物種が生み出されてきたのである︒ところで︑この進化という過程による多様性の出現︑

そこに何らかの方向性を見出だすことができるか︑という問題も︑生物の多様性の意義を考える上での重要な視点

を与えてくれる︒

 生物は変化できる︑このことがはっきり認識されたのは一九世紀になってからである︒ダーウィンの登場によっ

て︑その変化は︑生存できる個体数が有限であるという状況の中で︑過剰な個体のうちから環境に適応しないもの

が次第に除去されていき︑結果として︑より環境に適したものが集団内でその割合を増してきたためと説明され

た︒いわゆる自然選択とよぼれる進化の機構である︒それは言うなれば︑生物種の多様性が環境の多様性に帰着さ

れたことになる︒ダーウィンの進化論は︑集団内におこる変異はランダムであることを想定しているから︑結果と

して自然選択が環境に適応した方向へと変化を導いていくとはいうものの︑その行き着く先がただ一つであること

は何も保証していない︒これに対して︑もっと積極的に進化の方向性を唱える進化論も多い︒

 ところがそれとは全く反対に︑一九六〇年代も後半になると︑もっと積極的に進化の方向のランダム性を主張す

るものが現われてくる︒木村資生の中立説である︒化石や︑形態の比較に頼っていた生物種の比較が︑DNAのレ

ベルで︑定量的にでき︑しかも形態的には全く異なる生物種間の比較さえ可能になると︑この説を支持する事実は

急速に増加してきた︒

 最近では︑同種のDNAでもかなりその塩基配列に多様性があることも明らかになってきた︒従来︑そうした多

様性は︑唯一の正常な配列と︑遺伝病を引き起こす異常な配列という対比で眺められてきた︒しかし︑一人ひとり

111

(24)

の顔が異なり︑それが遺伝していることから明らかなように︑遺伝子に唯一正常なヒトの塩基配列というものがあ       12るわけではなく︑自然選択という視点からは全く中立な変異が無数に存在しえることを認識するようになってき 一

た︒ しかし一方で︑ヒトはその表現型において明確に︑例えばサルと隔たりをもっており︑すべてが中立とはいえな

い︒ところが︑ ヒトとサルではDNAで比較すると︑その違いは一%程度と見積られており︑非常によく似てい

る︒しかも︑その違いの大部分は自然選択に対して中立であると考えられるから︑ヒトとサルの表現型の本質的な

違いは︑ほんのわずかのDNAの塩基配列の差が生み出していることになる︒何年か後には︑ヒトとサルの全塩基

配列が明らかにされ︑塩基配列の差が明確にされるであろう︒それは︑定量的で客観的なヒトとサルの違いをわれ

われに提供してくれるようにみえる︒しかし︑ヒトとサルを明確に区別する遺伝情報とは罪なのか︑それを明らか

にしていかない限り︑生物の多様性を真に理解したことにはならないであろう︒それはまた︑生命科学の中に普遍

性を見出す最適な方法であり︑また多様性を考える基盤となるであろう︒

 ある生物種における多様性の意義は︑前に述べたように︑一般には︑不測の環境の変化に対して︑種が生き残る

ための一つの手段であるとして説明されてきた︒いろいろなものが存在すればどれかは新たな環境に対応できるで

あろうというものである︒確かにそれは一つの重要なポイントではある︒しかし一方で︑自然選択に中立な変異の

存在に︑すなわち同一種内にある多様性に︑現在にとっての積極的な意味合いを見いだすことができないであろう

か︒そのためには︑全く同一である構成員からなる集団と︑微妙に異なる場合との違いを考えてみるのが一つの方

法であり︑その二︑三の例をすでにみてきた︒ここに一言付け加えるならぽ︑構成員の多様性が構成員相互の間の

(25)

多様性について(一) 序論

関係に多様性を生み︑集団に新たな機能を生み出すことを可能にしている︒すなわち︑構成員相互の関係の多様性

が︑内的な変化および外的な変化に対する応答の多様性を生むのである︒更には︑個々の構成員の個性が強ければ

強いほど︑システムの性質は複雑となり︑全体と個の間に様々な相剋が起こるが︑反面そのことが︑システム全体

の発展にもつながると考えられる︒これは︑多細胞生物の発生・分化に最も顕著にみることができた︒しかし︑発

生・分化に関してはまだ未知のことが多い︒そして︑根本的な問題として︑一様な状態から構成員が分化し︑全体

としての組織化が進み︑ついには個ではもち得なかったシステムとしての機能が獲得されていく過程は︑多様性の

意義を考える上での︑より一般的な問題として︑これから研究されていかなけれぽならないであろう︒

 多様性を眺めるとき︑もう一つ重要な視点として︑ ﹁時間﹂があることも指摘してきた︒そもそも物理学におい

て︑ニュートン力学に代表される決定論的自然観には多様性の概念がない︒決定論的自然観では︑現在が未来の︑

そして過去の情報をすべてもっている︒時間とともに見た目は変わろうとも︑その状態がもつ情報量は変わらな

い︒変わらないから未来が確実に予測できるのである︒その意味で︑決定論的自然観の中には︑本質的に時間の概

念がない︒現在は過去より︑そして未来は今よりも発展しているというナイーブな意味での時間の流れは︑決定論

的自然観の中では幻想でしかない︒それに対して︑多様性は︑進化とかエントロピー増大の法則などと深く関わっ

ている︒そして︑生物学において常に念頭において取り組まなけれぽならないこと︑それは︑生物とは進化の産物

である︑という事実である︒しかも︑進化は完了したわけではなく︑その過程のまっただ中にいて生物とは何かを

われわれは考えていかなけれぽならない︒       13       ユ これらのことを心に留めながら︑これから多様性について考えていきたいと思う︒

(26)

参考文献

一、

 鈴木堅之︑兵頭昌雄﹁現代の分子生物学﹂︑一五七i一六三頁︑講談社︑一九八六年

 加藤邦彦﹁老化探求﹂︑読売新聞社︑一九八七年

一二︑ブラウン運動

 米沢富美子﹁ブラウン運動﹂︑共立出版︑一九八六年

四︑魚の性転換

 余吾豊︑科学朝日︑一九八六年一二月号︑五一頁

五︑サルの子殺し

 朝日新聞︑一九八八年十月二日日曜版﹁新どうぶつ記﹂

 K・ローレンツ﹁ソロモンの指環﹂︵日高敏隆訳︶︑早川書房︑一九七四年

 K・ローレγッ﹁攻撃﹂︵日高敏隆・久保和彦訳︶︑みすず書房︑一九七〇年

六︑ガン遺伝子を追う

 筑波常治﹁生命科学史﹂︑二七章︑放送大学教育振興会︑一九八五年

 高野利也﹁ガン遺伝子を追う﹂︑岩波新書.一九八六年

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参照

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多様性を生み出そうとする機構を本質的にもっていることの発見であった︒以下にそのいくつかの発見を見ていく

理念は非常に重要なものだと思われる︒